吉川弘文館のPR誌「本郷」9月号を読んで
吉川弘文館のPR誌「本郷」9月号に伊藤純郎(近代日本地域社会史)が、「遺書と写真が問いかける特攻隊の生と死」が掲載されているが、伊藤の「特攻隊と<故郷>霞ヶ浦・筑波山・鹿島灘」の紹介記事が載せられている。
そこに、茨城県にある旧筑波海軍航空隊記念館に展示されえいる、特攻隊員の藤田暢明の展示が紹介されていた。
藤田暢明は昭和20年5月14日に、零戦で鹿児島県鹿野基地から出撃し体当たり攻撃を決行し戦死した一人です
記念館には、藤田の3通遺書と4枚の写真が展示されている。一通は愛用の絹のマフラーに綴られたもの。一通は、いい名付けの睦重に宛てたもの。
暢明は特効出撃が決まっているのに、睦重との結婚を両親に申し出るが、父親は未亡人以になるのがわかっているので不憫だと認めなかった。暢明もいったんあきらめるが、睦重が「委細を承知で結婚するのです」という言葉に結婚をゆるし、承諾の手紙を暢明送ると、暢明は最愛の妻となる睦重に遺書を送る。
優しい我が愛妻睦重!! 中略
優しい優しい唯一人の睦重 さらば!!! 又の日
海軍少尉 藤田暢明
最愛の妻 睦重殿
と書いている。
それだけでなく、結婚写真が展示されている。
そこには睦重の結婚装束と暢明の写真とともに写っている。当時は夫が出撃していないので新郎の写真と新婦が撮られている写真はある。しかし、すでにこのときは暢明は戦死している。
この話、すでに戦死しているそこが問題だと思う、さらに暢明の写真に三三九度の杯を傾けたが、睦重も両親も涙を見せなかった、
妹の益子が後年「前略 でも当時はそれほど不思議なこととは思わなかったわ。戦争だったから・・・・・かしらね」と語っている。
この記事を読んでいて、終戦間際の日本の世論がどのようなものだったかを物語っているように感じる。
しかし今の、右よりの世論をみていると、この当時の様子と似ているのではないかと感じる。このようなことを一時に雰囲気で再び訪れさせてはならないと思う。
そこに、茨城県にある旧筑波海軍航空隊記念館に展示されえいる、特攻隊員の藤田暢明の展示が紹介されていた。
藤田暢明は昭和20年5月14日に、零戦で鹿児島県鹿野基地から出撃し体当たり攻撃を決行し戦死した一人です
記念館には、藤田の3通遺書と4枚の写真が展示されている。一通は愛用の絹のマフラーに綴られたもの。一通は、いい名付けの睦重に宛てたもの。
暢明は特効出撃が決まっているのに、睦重との結婚を両親に申し出るが、父親は未亡人以になるのがわかっているので不憫だと認めなかった。暢明もいったんあきらめるが、睦重が「委細を承知で結婚するのです」という言葉に結婚をゆるし、承諾の手紙を暢明送ると、暢明は最愛の妻となる睦重に遺書を送る。
優しい我が愛妻睦重!! 中略
優しい優しい唯一人の睦重 さらば!!! 又の日
海軍少尉 藤田暢明
最愛の妻 睦重殿
と書いている。
それだけでなく、結婚写真が展示されている。
そこには睦重の結婚装束と暢明の写真とともに写っている。当時は夫が出撃していないので新郎の写真と新婦が撮られている写真はある。しかし、すでにこのときは暢明は戦死している。
この話、すでに戦死しているそこが問題だと思う、さらに暢明の写真に三三九度の杯を傾けたが、睦重も両親も涙を見せなかった、
妹の益子が後年「前略 でも当時はそれほど不思議なこととは思わなかったわ。戦争だったから・・・・・かしらね」と語っている。
この記事を読んでいて、終戦間際の日本の世論がどのようなものだったかを物語っているように感じる。
しかし今の、右よりの世論をみていると、この当時の様子と似ているのではないかと感じる。このようなことを一時に雰囲気で再び訪れさせてはならないと思う。
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