65年国会を見続けた人の杞憂
岩波の月刊誌「世界」8月号の、読者談話室に、「政治を見続けて六五年国会は今こそ責任を果たせ」市東和夫の投稿を読んで感じたことがある。
市東氏は、終戦時のとき旧制中学三年生の軍国少年だったが、今当時を振り返ってこう思う、どうしてあの無謀な戦争が起きたのかを今も考え続けている。その結論は事実を隠し情報操作をして、国民の合理的判断力が奪われてことに尽きると言う。
大正時代は、阿部次郎の『三太郎の日記』に見て取れるように教養主義が大正昭和期の旧制中・高校生のバイブルとなっていた。しかし、昭和に入り二・二六事件などがおこり、世の中は自国至上主義の風潮が強まっていった。国会総動員法が敷かれ、国民は銃後の戦士として徴用されていった。旧制中三年生の軍国少年のように、国民はみな国の行うことに疑いを持たず、疑いを持つ暇もなかった。
いま、国政はでは、公的文書・記録の廃棄改竄や審議会の報告が気に入らないと受け取らず、その報告を無かったことにしている。国会でも野党の質問に対して、正面から答えず、それに対数して野党もさらなる追求に一歩欠けている。また、これらの政府や国会の現状に対して、マスコミは厳しく分析し批判した報道をせず、タレントなどのゴシップばかり報道し、国民の目をそれらからそらしているように思える。
さらに、今の若い世代や就職氷河期と言われた世代以降のひとは、派遣労働などの低賃金で働かされ、今の政治を時間をかけて見る暇もなく、働かせ方改革により、低賃金のため幾つもの兼業をせざるをえず、政治に関心をもつ余裕を与えられていないのが現状ではないだろうか。
こう考えれば、終戦の時に旧制中学三年の軍国少年が、今を振り返って当時の状況は、事実を隠し情報操作されていたと振り返っている。いまそれとにたような状況に、なっていていると感じている。そして戦後生まれの私が、今の様子をみて、戦前の状況はこのような状況立ったかと思うと、政治に無関心な若い世代が多く、また、選挙の投票率の低さからみると、いまのそれらは嵐の前の静けさかもしれない。
市東氏は、終戦時のとき旧制中学三年生の軍国少年だったが、今当時を振り返ってこう思う、どうしてあの無謀な戦争が起きたのかを今も考え続けている。その結論は事実を隠し情報操作をして、国民の合理的判断力が奪われてことに尽きると言う。
大正時代は、阿部次郎の『三太郎の日記』に見て取れるように教養主義が大正昭和期の旧制中・高校生のバイブルとなっていた。しかし、昭和に入り二・二六事件などがおこり、世の中は自国至上主義の風潮が強まっていった。国会総動員法が敷かれ、国民は銃後の戦士として徴用されていった。旧制中三年生の軍国少年のように、国民はみな国の行うことに疑いを持たず、疑いを持つ暇もなかった。
いま、国政はでは、公的文書・記録の廃棄改竄や審議会の報告が気に入らないと受け取らず、その報告を無かったことにしている。国会でも野党の質問に対して、正面から答えず、それに対数して野党もさらなる追求に一歩欠けている。また、これらの政府や国会の現状に対して、マスコミは厳しく分析し批判した報道をせず、タレントなどのゴシップばかり報道し、国民の目をそれらからそらしているように思える。
さらに、今の若い世代や就職氷河期と言われた世代以降のひとは、派遣労働などの低賃金で働かされ、今の政治を時間をかけて見る暇もなく、働かせ方改革により、低賃金のため幾つもの兼業をせざるをえず、政治に関心をもつ余裕を与えられていないのが現状ではないだろうか。
こう考えれば、終戦の時に旧制中学三年の軍国少年が、今を振り返って当時の状況は、事実を隠し情報操作されていたと振り返っている。いまそれとにたような状況に、なっていていると感じている。そして戦後生まれの私が、今の様子をみて、戦前の状況はこのような状況立ったかと思うと、政治に無関心な若い世代が多く、また、選挙の投票率の低さからみると、いまのそれらは嵐の前の静けさかもしれない。
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