温室植物
今から10年ほど前に、講談社から「興亡の世界史」というシリーズのなかで、美術史学者でもあり、古代遺跡の発掘にもかかわられている、青柳正規「人類文明の黎明と暮れ方」のなかで、いまのいや当時の資本主義経済の現状を、ヒマラヤの標高4300mに育っている、温室植物の「セイタカダイオウ」にたとえて今の現状を批判している。
少し引用をしてみる。
「最近の経済のありかたや経済学者たちの言動をみるにつけ思い浮かべるのは、ヒマラヤの高地に生息する「温室植物」である。極寒希薄の環境に適応するために、大きな葉で花をすっぽり包み込んみずから温室状態をつくりあげていることから、そう呼ばれている高山植物の一種だる。ヒマラヤの高地を生き抜くために、わずかな太陽光線を吸収することだけに特化して進化したきわめて特異な植物で、大きいものは一・五メートルほどもあるが、体そのものはひじょうに弱い。一つのことだけに特化しているぶん、それ以以外のことには弱い植物であうる。」
このあと、青柳は最近の新自由主義経済はマネーゲム化した企業経営や経済をこの温室植物とダブって見えると指摘している。これは今から10年前の指摘です。
新自由主義経済は、利益を上げることのみに特化して、経営陣は株式の配当のために、利益を上げることにばかりを考えているように想える。
戦後日本の高度経済成長は、単に利益市場主義ではなく、松下や本田やソニーなどが経済競争に勝つことができたのは、利潤追求だけでなく、よい製品をつくるという徳義がありそれを実現させる涵養があり、利益の追求とその徳義が一致していたからだと思う。
しかし、今の企業は消費者よりも株主の顔を伺うことを重視しているのではないだろうか。
しかし、そのようなことを続けていくと、セイタカダイオウのように、秀でてもそれは一つの環境のなかであり、たのグローバルな環境で環境が変われば弱くなってしまう。植物や動物の歴史をみるとそれらは絶滅している。
規制などを撤廃していき、なんでもかんでも市場経済で自由競争を押し進めることにより、企業の徳義・徳性を涵養しようとすることは、企業の競争にに必ずしも役立たないと軽く見られると考えに堕ち行てしまいかねない、しかしそれは堕落や頽廃への入り口に他ならない野ではないダルか。いつまでも、株主を伺うのはやめ、企業の徳義をそだて、株主も株の配当だけでなく、自分の投資してい企業がより徳義を重んじる企業に成長していくことを望むべきでだろう。
また、消費者も従業員を酷使しるブラック企業、環境を顧みないブラック企業、利潤追求の奔走するブラック企業に対しては、その企業の商品の不買や抗議などをして、自分たちの未来の生活を守ることを考えないと行けないのではないだろうか。
企業の寿命は50年という人もいる、流通業界を一時席巻したダイエーも今は見る影もないです。しかしその企業の寿命も新自由主義の利潤追求の嵐は、どんどんと短くなっているようにめる。
さて、これから世界の経済はどのような方向に進んで行くのだろうか。
少し引用をしてみる。
「最近の経済のありかたや経済学者たちの言動をみるにつけ思い浮かべるのは、ヒマラヤの高地に生息する「温室植物」である。極寒希薄の環境に適応するために、大きな葉で花をすっぽり包み込んみずから温室状態をつくりあげていることから、そう呼ばれている高山植物の一種だる。ヒマラヤの高地を生き抜くために、わずかな太陽光線を吸収することだけに特化して進化したきわめて特異な植物で、大きいものは一・五メートルほどもあるが、体そのものはひじょうに弱い。一つのことだけに特化しているぶん、それ以以外のことには弱い植物であうる。」
このあと、青柳は最近の新自由主義経済はマネーゲム化した企業経営や経済をこの温室植物とダブって見えると指摘している。これは今から10年前の指摘です。
新自由主義経済は、利益を上げることのみに特化して、経営陣は株式の配当のために、利益を上げることにばかりを考えているように想える。
戦後日本の高度経済成長は、単に利益市場主義ではなく、松下や本田やソニーなどが経済競争に勝つことができたのは、利潤追求だけでなく、よい製品をつくるという徳義がありそれを実現させる涵養があり、利益の追求とその徳義が一致していたからだと思う。
しかし、今の企業は消費者よりも株主の顔を伺うことを重視しているのではないだろうか。
しかし、そのようなことを続けていくと、セイタカダイオウのように、秀でてもそれは一つの環境のなかであり、たのグローバルな環境で環境が変われば弱くなってしまう。植物や動物の歴史をみるとそれらは絶滅している。
規制などを撤廃していき、なんでもかんでも市場経済で自由競争を押し進めることにより、企業の徳義・徳性を涵養しようとすることは、企業の競争にに必ずしも役立たないと軽く見られると考えに堕ち行てしまいかねない、しかしそれは堕落や頽廃への入り口に他ならない野ではないダルか。いつまでも、株主を伺うのはやめ、企業の徳義をそだて、株主も株の配当だけでなく、自分の投資してい企業がより徳義を重んじる企業に成長していくことを望むべきでだろう。
また、消費者も従業員を酷使しるブラック企業、環境を顧みないブラック企業、利潤追求の奔走するブラック企業に対しては、その企業の商品の不買や抗議などをして、自分たちの未来の生活を守ることを考えないと行けないのではないだろうか。
企業の寿命は50年という人もいる、流通業界を一時席巻したダイエーも今は見る影もないです。しかしその企業の寿命も新自由主義の利潤追求の嵐は、どんどんと短くなっているようにめる。
さて、これから世界の経済はどのような方向に進んで行くのだろうか。