今年が終わろうとしているが、これからの人類は
人類はそのホモサピエンスの誕生いらいの7万年の間、獲物を猟り食べものを採取し小集団で生活していた。一万年以上前頃からは、狩猟採取生活から、農耕酪農を始めたとみられるが、その前頃にはすでに人類は、自分たちが食べのにしている動物や植物を、自分たちに都合のよいよ物だけを選び品種を改良し出していたと見えられる。それがトウモロコシや稲や米などの穀類を改良し、イモ類、野菜の品種を改良し、牛や豚や鶏などをそだて生育がよいように家畜を品種改良してきた。
遺伝子工学などがまだ無かった時代から、品種改良を続けてきたのです。そして遺伝子工学が発達しゲノム編集ができるようになったのはここ数十年です。その技術は人間の食べ物だけでなく、ついに人間にも応用されるようになってきている。ついにはエイズにかからない双子の人間の子供が生まれたというニュースが報じられるようになった。
人類は太古の時代から、不老長寿や優秀な能力を持った人に成ることを夢見ていた。しかし、それは夢物語だったが、いまやそれが実現しようとしている。現代はそれを遺伝子工学のゲノム編集などは、人間の食料などの開発に使うのはよいとするが、それを人間に応用するのは倫理的観点からその正当性の疑問を持ちつづけて、人への応用はしてこなかった。
しかし、人類外の生き物で人類のためになるなら、品種を改良をしてもかまわないとし、その技術は発展してきている。それがたとえ今までに地球上に存在していない生物を作りだすことになっても技術えの探求は続けられてきていた。それは人間社会からみるかもしれないが、別の次元からみると、人の驕りでしかないのと考えることもできる。
それらの研究は破棄中止すべきと考えることは、人類が発展してきた今までの社会を否定することになる。しかし、そのような視点で考えようとしないことは、私たちが今まで品種改良をしてきた、その恩恵を受けてた裏には様々な動物植物などの生命体の犠牲のもとにあることを考えることを避けてしまってきたことでもあるのではないあか。
トウモロコシの元となるその原種の太古のころは、今のように細長く大きくなかった。ゴルフボールぐらいの大きさだったという。それを永い時間をかけて大きいもの種が沢山できる実だけを選び育ててきていまのトウモロコシのようになった。麦も稲もみなそうだし、葉類の野菜などもそうです。優秀なよい品種だけを交配してより、よいものを作り出してきた。そしてそれが宇宙船地球号の70億の人を養うことができている。
先にあげたエイズにかからない双子の誕生が問題になっているが、人間以外では、昔から害虫や病気に強い野菜や穀類の品種改良をし、牛や豚や鶏なども一万年以上前から品種の改良をしてきている。水棲生物の魚などの養殖技術はここ数百年の歴史といえるが、品種改良は進んでいる。そして人が食料とする動植物の品種改良は、ゲノム編集技術が開発され、いままで以上に、生育がよく病気にならず害虫を寄せ付けないという、食糧への開発は問題になうることより、より効率的でより良いものができると、むしろ賞賛されている。
ならば、人間も同じようなことをすることは許されるのだろうか。足の速い人同士が結婚し子供を産み子孫に足の速いのを子孫にのこす。特定の学問が秀でている人同士が子供をつくり子孫をのこす。そのようなことを家畜などと同様におこなえば優秀な人間はますます優秀になり、そうでない人間との格差が広がる恐れがある。しかし、今までそれが動植物で行なわれきた品種改良のようなことがなされてきていないのは、家畜と人間との生命の誕生から次の世代へのサイクルが違うからです。しかし、いまやゲノム編集ができるようになり、人間の20年ほどの世代継ぎが、シャーレーの中でできる時代が来ようとしている。人類が数万年かけて家畜を品種改良してきたように、人間自身を品種改良される時がくるかもしれない。
そうなれば、改良された人間とされていない人間と間には、何ら軋轢が生じてくるだろう。そうなればこの7万年の人類の歴史の終焉と同時に、新人類の黎明の歴史が始まるのかもしれない。
遺伝子工学などがまだ無かった時代から、品種改良を続けてきたのです。そして遺伝子工学が発達しゲノム編集ができるようになったのはここ数十年です。その技術は人間の食べ物だけでなく、ついに人間にも応用されるようになってきている。ついにはエイズにかからない双子の人間の子供が生まれたというニュースが報じられるようになった。
人類は太古の時代から、不老長寿や優秀な能力を持った人に成ることを夢見ていた。しかし、それは夢物語だったが、いまやそれが実現しようとしている。現代はそれを遺伝子工学のゲノム編集などは、人間の食料などの開発に使うのはよいとするが、それを人間に応用するのは倫理的観点からその正当性の疑問を持ちつづけて、人への応用はしてこなかった。
しかし、人類外の生き物で人類のためになるなら、品種を改良をしてもかまわないとし、その技術は発展してきている。それがたとえ今までに地球上に存在していない生物を作りだすことになっても技術えの探求は続けられてきていた。それは人間社会からみるかもしれないが、別の次元からみると、人の驕りでしかないのと考えることもできる。
それらの研究は破棄中止すべきと考えることは、人類が発展してきた今までの社会を否定することになる。しかし、そのような視点で考えようとしないことは、私たちが今まで品種改良をしてきた、その恩恵を受けてた裏には様々な動物植物などの生命体の犠牲のもとにあることを考えることを避けてしまってきたことでもあるのではないあか。
トウモロコシの元となるその原種の太古のころは、今のように細長く大きくなかった。ゴルフボールぐらいの大きさだったという。それを永い時間をかけて大きいもの種が沢山できる実だけを選び育ててきていまのトウモロコシのようになった。麦も稲もみなそうだし、葉類の野菜などもそうです。優秀なよい品種だけを交配してより、よいものを作り出してきた。そしてそれが宇宙船地球号の70億の人を養うことができている。
先にあげたエイズにかからない双子の誕生が問題になっているが、人間以外では、昔から害虫や病気に強い野菜や穀類の品種改良をし、牛や豚や鶏なども一万年以上前から品種の改良をしてきている。水棲生物の魚などの養殖技術はここ数百年の歴史といえるが、品種改良は進んでいる。そして人が食料とする動植物の品種改良は、ゲノム編集技術が開発され、いままで以上に、生育がよく病気にならず害虫を寄せ付けないという、食糧への開発は問題になうることより、より効率的でより良いものができると、むしろ賞賛されている。
ならば、人間も同じようなことをすることは許されるのだろうか。足の速い人同士が結婚し子供を産み子孫に足の速いのを子孫にのこす。特定の学問が秀でている人同士が子供をつくり子孫をのこす。そのようなことを家畜などと同様におこなえば優秀な人間はますます優秀になり、そうでない人間との格差が広がる恐れがある。しかし、今までそれが動植物で行なわれきた品種改良のようなことがなされてきていないのは、家畜と人間との生命の誕生から次の世代へのサイクルが違うからです。しかし、いまやゲノム編集ができるようになり、人間の20年ほどの世代継ぎが、シャーレーの中でできる時代が来ようとしている。人類が数万年かけて家畜を品種改良してきたように、人間自身を品種改良される時がくるかもしれない。
そうなれば、改良された人間とされていない人間と間には、何ら軋轢が生じてくるだろう。そうなればこの7万年の人類の歴史の終焉と同時に、新人類の黎明の歴史が始まるのかもしれない。
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