待合政治はいまもあるのか
朝、配達された新聞を読むと、その記事のなかに、小さな記事だが首相の動静が載っている。その記事を読んでいると、いろいろ首相としての公務のほかに、経済界や政界の人や閣僚などと昼食や夕食で会食していること載っている。
これって、60年代盛んに行われていた、茶屋や料亭で行なわれていた待合政治と同じなのだろうか。
わたしは、待合政治はバブル崩壊とともにすたれ、21世紀のいまの日本では過去に遺物と思っていた。しかし、ひょっとすると過去の異物を引き継いでいるのだろうか。戦後レジームからの脱却といいながら、維新の志士達が寄合い自分たちと同じ同志が談合して決めていた。それが、戦前から戦後も残っていた民主的とは到底言えない悪習を悪臭を漂わせながら残っているのだろうか。
待合政治とは、日本の独特の政治的ならわしもので、茶屋などの待合や高級料亭などで酒色を介して談合していた。そこで重要な政治的決定を実質的に行なわれていた。本来民主政治というものは、国会などでの公の場で討論をして決定すべき政治的事柄です。それを料亭などの私的な舞台裏場で決定されることになる。それは、秘密政治といえるものです。
世間では会社の商談でも行われていたが、芸妓の減少のためか流石に世間を憚ってか、接待もバー、クラブ、ゴルフなどと多様化していっているようです。しかし、安倍首相が報道界の人や財界の人や政界の人と度々会食をしているのも、この待合政治といえないのだろうか。
岩波書店の月刊誌に『世界』たあるが、その1960年(昭和35年)12月号で、東大の総長をつとめた経済学者の矢内原忠雄氏が、「民主政治を蝕む」と言う記事を寄稿している。その冒頭に次のように書かれている。
「社会党の浅沼委員長が刺し殺された事件によって、右翼団体の存在と活動がにわかに世人の注意を呼び起こした。この種の団体は岸内閣時代にその数を増し、資金網もでき、活動が活発になったと言われる。一方、岸内閣時代には待合政治が盛んになり、待合が繁盛したと言われる。いかに民主主義の仮面をかぶっても、その根が国家主義・権力主義の政治家の下でで、暴力主義と待合政治が育ってくるのは当然の勢いと言えよう。」
岸信介といえば、安倍首相の母方の祖父で、戦前は満州国総務庁次長をつとめ、戦後はA級戦犯として公民権を剥奪されるが米ソが対立するなか釈放され、総理大臣になり昭和の妖怪と言われた人です。
その孫も総理大臣になり、国粋的な日本会議が台頭して力をつけ、ヘートスピーをする団体も活気づききている。また、新聞の首相の動静でわかるように、多くの人と会食をしていることを見ると、尊敬してると自称する母方の祖父のやっていることを、悪いところをなぞっているようです。
それではよいところはどうだろうか、岸首相の時代の1960年に、日米安保条約の改定がなされたが、そのとき岸首相は日本の独立国としての自主性自律性を得ようとし、アメリカと対立して失脚してしまた。安倍首相はどうやら、アメリカと対立すると失脚するので、トランプ政権と仲よくし、米国と従属して首相として後3年続けたく思っているのだろうか。
それは、政治家としての信念はどこにあるのだろうか。
これって、60年代盛んに行われていた、茶屋や料亭で行なわれていた待合政治と同じなのだろうか。
わたしは、待合政治はバブル崩壊とともにすたれ、21世紀のいまの日本では過去に遺物と思っていた。しかし、ひょっとすると過去の異物を引き継いでいるのだろうか。戦後レジームからの脱却といいながら、維新の志士達が寄合い自分たちと同じ同志が談合して決めていた。それが、戦前から戦後も残っていた民主的とは到底言えない悪習を悪臭を漂わせながら残っているのだろうか。
待合政治とは、日本の独特の政治的ならわしもので、茶屋などの待合や高級料亭などで酒色を介して談合していた。そこで重要な政治的決定を実質的に行なわれていた。本来民主政治というものは、国会などでの公の場で討論をして決定すべき政治的事柄です。それを料亭などの私的な舞台裏場で決定されることになる。それは、秘密政治といえるものです。
世間では会社の商談でも行われていたが、芸妓の減少のためか流石に世間を憚ってか、接待もバー、クラブ、ゴルフなどと多様化していっているようです。しかし、安倍首相が報道界の人や財界の人や政界の人と度々会食をしているのも、この待合政治といえないのだろうか。
岩波書店の月刊誌に『世界』たあるが、その1960年(昭和35年)12月号で、東大の総長をつとめた経済学者の矢内原忠雄氏が、「民主政治を蝕む」と言う記事を寄稿している。その冒頭に次のように書かれている。
「社会党の浅沼委員長が刺し殺された事件によって、右翼団体の存在と活動がにわかに世人の注意を呼び起こした。この種の団体は岸内閣時代にその数を増し、資金網もでき、活動が活発になったと言われる。一方、岸内閣時代には待合政治が盛んになり、待合が繁盛したと言われる。いかに民主主義の仮面をかぶっても、その根が国家主義・権力主義の政治家の下でで、暴力主義と待合政治が育ってくるのは当然の勢いと言えよう。」
岸信介といえば、安倍首相の母方の祖父で、戦前は満州国総務庁次長をつとめ、戦後はA級戦犯として公民権を剥奪されるが米ソが対立するなか釈放され、総理大臣になり昭和の妖怪と言われた人です。
その孫も総理大臣になり、国粋的な日本会議が台頭して力をつけ、ヘートスピーをする団体も活気づききている。また、新聞の首相の動静でわかるように、多くの人と会食をしていることを見ると、尊敬してると自称する母方の祖父のやっていることを、悪いところをなぞっているようです。
それではよいところはどうだろうか、岸首相の時代の1960年に、日米安保条約の改定がなされたが、そのとき岸首相は日本の独立国としての自主性自律性を得ようとし、アメリカと対立して失脚してしまた。安倍首相はどうやら、アメリカと対立すると失脚するので、トランプ政権と仲よくし、米国と従属して首相として後3年続けたく思っているのだろうか。
それは、政治家としての信念はどこにあるのだろうか。