細魚な政治家
「立憲主義は王制の時代のものだ!」。とか、何かにつけて「我が国」とか「我が党」と言い。「私が責任者だ!」と言い。宰相の座を王様のように振る舞っているが、それに気が付いていない政治家がいます。また、周囲からの諫言や注意に耳をあまりかさないようで、自分が正しいと信じていることに賛同してくれる人を周囲に侍らせて得意になっている。まるで、アンデルセンの童話に出てくる王様のようです。
周囲からは冷ややかな目でみているだが、それを口に出すことが出来ない。国民は景気がよくなることを願い、甘い言葉を信用してしまっている。外国からの目は、日本の国民の貯蓄のに目をやり、それをねらうがためにすり寄ってきている。景気対策にお金をするバズーカ砲を打つが、それがねらいどおりにいくか、雲行きがあやしくなってきいる。
そんなおり、政治家の発言の軽さには切れてしまう。
日本国憲法には、国民主権が明記されその下では、首相は国民の僕なのですが。国民は政府の指導に従えと言い。
国民主権の憲法の下で、憲法尊重擁護義務は、為政者によりも国民にあるようなことを言う。これは、全く逆のことをしています。
また、ことある毎に法の支配といいながら、憲法や法律をねじ曲げて、事を進めて決めるてゆく。まるで、自分が六法全書のような振る舞いです。
決められる政治、実行する政治と言って、国民の多くが反対したり疑問に思っている声に、耳も傾けずまともに説明すらしないでいる。
そして、これらのことが現代の世界の民主政治の流れと反対の方向であることに気が付いていないどころか、自分の政治の仕方が、現代の正しいやり方でありそれが日本の文化にあった方法だと思っているように感じます。
選挙で多数の議席を取ったからと、(実際には一強多弱の構造での選挙で、自民党のように
細魚(サヨリ)の腹は、安倍晋三だけで、おかしいのは一人だけかと今まで思い続けてきたが、どうもその期待は裏切られている。朱に交われば赤くなるように、どうも細魚の腹は、周囲に腹もその「サヨリの腹」なっていくようです。
(さより(細魚)という魚は、姿は綺麗なさかなです。しかし、腹をさくと真っ黒です。そにより、外見はよいが腹黒い人のことを細魚みたいといいます。)
周囲からは冷ややかな目でみているだが、それを口に出すことが出来ない。国民は景気がよくなることを願い、甘い言葉を信用してしまっている。外国からの目は、日本の国民の貯蓄のに目をやり、それをねらうがためにすり寄ってきている。景気対策にお金をするバズーカ砲を打つが、それがねらいどおりにいくか、雲行きがあやしくなってきいる。
そんなおり、政治家の発言の軽さには切れてしまう。
日本国憲法には、国民主権が明記されその下では、首相は国民の僕なのですが。国民は政府の指導に従えと言い。
国民主権の憲法の下で、憲法尊重擁護義務は、為政者によりも国民にあるようなことを言う。これは、全く逆のことをしています。
また、ことある毎に法の支配といいながら、憲法や法律をねじ曲げて、事を進めて決めるてゆく。まるで、自分が六法全書のような振る舞いです。
決められる政治、実行する政治と言って、国民の多くが反対したり疑問に思っている声に、耳も傾けずまともに説明すらしないでいる。
そして、これらのことが現代の世界の民主政治の流れと反対の方向であることに気が付いていないどころか、自分の政治の仕方が、現代の正しいやり方でありそれが日本の文化にあった方法だと思っているように感じます。
選挙で多数の議席を取ったからと、(実際には一強多弱の構造での選挙で、自民党のように
細魚(サヨリ)の腹は、安倍晋三だけで、おかしいのは一人だけかと今まで思い続けてきたが、どうもその期待は裏切られている。朱に交われば赤くなるように、どうも細魚の腹は、周囲に腹もその「サヨリの腹」なっていくようです。
(さより(細魚)という魚は、姿は綺麗なさかなです。しかし、腹をさくと真っ黒です。そにより、外見はよいが腹黒い人のことを細魚みたいといいます。)