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民主主義 文部省 宣伝とはどんなものか

今日は二つの項を紹介してみます。この 「ニ、宣伝とはどんなものか 三、宣伝によって国民をあざむく方法」 を読んでみると、なにか思いませんか。今の政権が行なっていることと合致する所がいかに多いかと、私は感じてしまします。その私は、反政権側に毒されてしまっているから、そう感じるのでしょうか。これを読まれた方はどう思うでしょうか。わたしがかなりおかしいのでしょうか。



民主主義 文部省編纂
第六章一目ざめた有権者

 ニ 宣伝とはどんなものか

宣伝のことをプロパガンダという。プロパガンダということばが初めて用いられたのは、一六二二年であった。それは、ローマ法王の作った神学校の名まえで、キリスト教の信仰を異教徒に伝えひろめるために、世界に送り出さるべき青年たちを、そこで教育した。それ以来、それが、組織的な宣伝を行う技術の名称となったのである。
しかし、人類が宣伝を行ったのは、もっとずっと古い時代からのことである。昔の日本でも、大名同士が戦った時、軍事上の作戦を有利に展開するために、耳から耳へ伝える私語宣伝が行われた。た
とえば、人民たちに強い敵対心を植えつけるために、敵を惨酷、非道なもののように言いふらしたり、大義名分は自分の方にあると思いこませる手だてが行われた。
このように、昔は、耳から耳へのことばによる宣伝がほとんど唯一の方法であったが、第十五世紀に印刷術が発明されてからは、文書による宣伝が長足の進歩をとげた。特に第十九世紀にはいってから、世界の国々での教育の普及はめざましく、字の読める人の数が一躍増加し、広い読者を目当てにする新聞や雑誌などの印刷物が非常に多く刊行され、それを通じて宣伝がきわめて有力に行われるようになった。たから、印刷機械の進歩と一般教育の普及とは、宣伝技術を発達させる最も大きな要素となったといってよい。

    無題

ひろい意味でいえば、宣伝とは、ある事実や思想を、文書やラジオや講演などを通じて大衆に知らせる方法である。たから、一つの目的をもっておゝぜいの人々を感化し、大衆をそれにかなったような行動に導くための報道は、すべて宣伝であるといってよい。しかし、前にも言ったように、宣伝はきわめてしばく悪用される。そういう悪い意味での宣伝どは、利己的な目的をわざと隠して、都合のよいことたけをおゝぜいの人々に伝え、それによって自分たちの目的を実現するための手段なのである。
たとえば、ある種の雑誌や新聞がある政党と特別の関係を持っているとする。それらの雑誌や新聞がその党から金を出してもらっているという事実を隠して、この党の主張に有利なような論説や記事を載せるとする。その場合、それらの新聞雑誌はこの党の宣伝の道具になっているのである。その外、おかゝえの弁士が大衆の考えを変えさせるために派遣されることもある。多くの資金を投じて映画や芝居や小説を作らせ、それを見、それを読む国民が、知らず知らずのうちに一つの考えだけをほんとうだと思いこんでしまうこともある。
日本国民に大きな悲劇をもたらしたあの太平洋戦争でも、政府や軍部が権力と金とをつかって宣伝したために、初めは戦争をしたくないと思っていた人々も、だんだんと戦争をしなければならないという気持になり、戦争に協力するのが国民の務めだと信ずるにいたった。実際には負け続けてばかりいたのに、まことしやかな大本営発表などというものにあざむかれて、勝ちいくさだと思いこんでしまった。戦争がすんで、これほどまでにだまされていたのかとわかっても、あとの祭であった。宣伝の力の恐ろしさは、日本国民が骨身にしみるほどに知ったはずである。
民主主義世の中になって、議会政治が発達すると、政党が重大な役割を演ずるようになる。政党人の多くは真剣であり、経済の再建や、産業の復興や、社会の改革のためにいろいろと考え、それに役立つような計画を立てているに相違ない。しかし、また、なるべく多くの当選者を出すために、そうして自分たちの政策通りの立法を行い、政府の実権を握るために、パンフレットを出したり、党の大会や演説会を開いたり、ラジオによって国民に呼びかけたり、さまぐな活動をすることも、事実である。その中には、正々堂々たる宣伝もあるが、隠れた目的のための宣伝がまざっていることもある。そうなると、一般の有権者は、どれを信じてよいかわからなくなり、途方にくれ、健全な判断力を失い、まちがった主張を支持することになりやすい。それを冷静に判断しうるのが「目ざめた有権者」である。理想的な民主主義の国を築くためには、選挙に加わる国民のすべてが目ざめた有権者にならなければならない。
そこで、たくみな宣伝によって国民がどんなふうにだまされるかを、もう少し立ち入って考察してみることにしよう。


三 宣伝によって国民をあざむく方法

これは政治ではないが、商品の広告も宣伝の一種である。産業革命以来、商業か盛んになり、広告も非常に進歩した。じょうずに広告をするのとしないのとでは、比較にならない違いがある。どんなよい品を作っても、広告をしなければ売れない。悪い品物でも、きかない薬でも、うまく広告すると、飛ぶように売れる。そこで、広告のしかたを研究する専門家があったり、広告ふ旦伝を引き受ける業者ができたりするようになった。広告を信用して、どんでもないものをつかませられる場合があることはたれでも知っている。それにも、かゝわらず、きれいな絵や、好奇心をそゝることばなどに乗せられて、ついまた買う気になる。政治の宣伝も、それと同じようなものだ。
せん動政治家、特にせん動的共産主義者が決まって目をつけるのは、いつもふみにじられて、世の中に不平を持っている階級である。こういう階級の人たちは、言いたい不満を山ほど持っている。しかし、訴えるところもないし、自分たちには人を動かす力もない。それで、しかたなく黙っている。せん動政治家は、そこをねらって、その人たちの言いたいことを大声で叫ぶ。その人気を取る。もっともらしい公式論をふりまわして、こうすれば富の分配も公平に行き、細民階級の地位も向上するように思いこませる。自分をかつぎ出してくれれば、こうもする、あゝもできると約束する。不満が爆発して動乱が起っても、それはかれらの思うつぼである。そこを利用して政権にありつく。公約を無視してかってな政治をする。結局、一番犠牲になるのは、政治の裏面を見抜くことのできなかった民衆なのである。
せん動政治家が民衆をせん動することを、英語でデマゴジーという。日本では、略してデマという。日本語でデマを飛ばすといえば、いい加減な、でたらめなことを言いふらすという意味である。デマがデマだとわかっていれば、弊害はない。まことしやかなデマには、よほどしっかりしていないと、たいていの人は乗せられる。自分に有利なデマ、相手に不利なデマ、それが入り乱れて飛び、人々はそれを信ずるようになってしまう。
これをもう少し分析してみると、宣伝屋が民衆をあざむく方法には、次のような種類があるといいうるだろう。
第一に、宣伝屋は、競争相手やじゃまな勢力を追い払うために、それを悪名をもってよび、民衆にそれに対する反感を起させようとする。保守的反動主義者。右翼・ファッショ・国賊・左翼・赤・共産主義者など、いろいろな名称が利用される。今までの日本では、自由な考えを持った進歩的な人々が、「あれは赤だ」という一言で失脚させられた。民主主義がはやり出すと、「あれは反動主義者だ」と言って、穏健な考えの人々を葬ろうとするだろう。それに、あることないこと、取りまぜて言えば、いっそう効果があるに相違ない。
次は、それとは逆に、自分の立場にりっぱな看板をかゝげ、自分のいうことに美しい着物を着せるという手である。真理・自由・正義・民主主義などということばは、そういう看板には打ってつけである。しかし、ひつじの皮を着たおゝかみを仲問だと思いこんたひつじたちは、やすやすとおゝかみのえじきになってしまうだろう。
三番めは、自分たちのかつぎ上げようとする人物や、自分たちのやろうとする計画を、かねてから国民の尊敬しているものと結びつけて、民衆にその人物を偉い人だと思わせ、その計画をりっぱなものだと信じさせるやり方である。たとえばドイツ国民には、民族というものを大変に尊く思う気持があった。ナチス党は、そこを利用して、ヒトラーはドイツ民族の意志を示すことのできる唯一の人物であるように言いふらした。また、日本人には、昔から天皇をありかたいと思う気持がある。戦争を計画した連中は、そこをつかって、天皇の実際の考えがどうであったかにかゝわらず、自分たちの計画通りにことを運ぶのが天皇のお心にかなうところだと宣伝した。そうして、赤い紙の召集令状を「天皇のお召し」だど言って、国民をいやおうなしに戦場に送った。
四番めには、町の人気を集めるために、民衆の気に入るような記本を書き、人々が感心するような写真を新聞などに出すという手もある。たとえば、ふだんはりっぱな官邸に住んで、ぜいたくな生活をしている独裁者でも、労働者と同じように、スコップで土を掘っている映画を見せれば、人々はその独裁者を自分たちの味方たと思う。総理大臣が自動車で遠い郊外にでかけて、貧しい村の入口でうまに乗り替え、農家を訪問して慰労のことばを語っている写真を出せば、人々は、忙がしい大臣が自動車にも乗らずに民情を視察しているのだと思って感心する。
五番めは、真実とうそをじょうずに織りまぜる方法である。いかなる宣伝も、うそだけではおそかれ速かれ国民に感づかれてしまう。そこで、ほんとうのことを言って人をひきつけ、自分の話を信用させておいて、だんくとうそまでほんとうだと思わせることに成功する。あるいは、ほんとうの事実でも、その一つの点だけを取り出して示すと、言い表わし方次第では、まるで逆の印象を人々に与えることもできる。その一例として、次のようなおもしろい話がある。
印度洋を航海するある賃物船で、船長ど一等運転士とが一日交替で船橋の指揮にあたり、当番の日の航海日誌を書くことになっていた。船長はまじめ一方の人物だが、一等運転士の方は老練な船乗りで、暇さえあれば酒を飲むことを楽しみにしていたために、二人の仲はよくなかった。ある日、船長が船橋に立っていると、一等運転士が酔っぱらって、ウイスキイのあきびんを甲板の上にころがしているのが目にっいた。船長は、それをにがくしく思ったので、その晩航海日誌を書く時に、そのことも記入しておいた。翌日、一等運転士が任務についてその日誌を読み、まっかに怒って、船長に抗議を申しこんだ。
「非番の時には、われわれは好きなことをしてよいはずです。私は、任務につきながら酒を飲んだのではありません。この日誌を会社の社長が読んだら、私のことをなんと思いますか。」
「それは私も知っています。」ど船長は静かに答えた。「しかし、君がきのう酔っぱらっていたことにほまちがいはない。私は、たゞその事実を書いただけです。」
内心の不満を押さえて任務に服した一等運転士は、その晩の航海日誌に、きょう、船長は一日じゅう酔っぱらっていなかった。」と書いた。次の日にそれを見て怒ったのは、船長である。
「私か酔っていなかったなどと書くのは、けしからんではないか。まるで、私は他の日はいつも酔っぱらってでもいるようにみえる。私か酒を一滴も飲まないことは、君も知っているはずだ。君は、うその報告を書いて私を中傷しようとするのだ。」
「さよう。あなたが酒を飲まないことは、私もよく知っています。しかし、あなたがきのう酔っていなかったことは、事実です。私は、たゞその事実を書いただけです。」と一等運転士はひやゝかに答えた。
航海日誌に書かれたことは、どちらも事実である。しかし、言い表わし方のいかんによっては、事実とは反対の印象を読む人に与えることが、これでわかるであろう。
もう一つ、忘れてならない重要なことは、民衆がよほど注意しないと、宣伝戦ではいろいろな立ち場の党派が金をつかって世論を支配しようと努め、一番多くの資金を持つている者が勝を制するどいうことである。たとえば、ある党派が、企業の国家管理のように、企業家にとって不利な法案が議会を通過するのを妨げようとして運動し、それがうまく行かないとみると、こんどは、その法律をほどんど骨抜きにするような条文を入れようと努力する。もしも、そのような企てが金の力で成功したとするならば、民主主義は、それだけ金権政治に道をゆずったことになるのである。

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  • 首相は国民の生活をどこま思っているのか
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  • 首相は国民の生活をどこま思っているのか
    さくら (01/24)
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