再び「喜び怒り、哀しみ楽しみ、慮り嘆き」のつづきです、3/3
再び「喜び怒り、哀しみ楽しみ、慮り嘆き」のつづきです、3/3
百骸九竅、六臓、かねて存す。吾れ誰れをか親しむことを為さん。汝みなこれを説ばんか。其れ私するありや。是くの如くんば皆もって臣妾と為さんか、其れ臣妾は以て相い治むるに足らず。それ逓に君臣と相い為らんか、其れ真君ありて存す。其の情を求め得ると得ざるの如きは、其の真に益損なし。
荘子・斉物論
人の身体は206個の骨があり、500種類の筋肉があり、五臓六腑とよばれる内蔵などがある。それらは普段みな調和をとって働き人の身体を維持してきています。
このところ健康ブームで人は、食べ物に気を使ったり、スポーツクラブに通って、身体を大切に思い鍛えたりしています。しかしその得た知識で自分の身体の隅々まで、健康管理をすることはできるのでしょうか。もし、自分の身体のすべてを大切にしようとしても、それは必ずどこかに偏りがでてくるものです。
こんな話があります、小さいころから運動をすることが、健康で運動能力の高い子供に育つというので、ある幼稚園で体操の時間を作ったそうです。一方そのような時間を作らずあそびの時間を増やした幼稚園があります。この二つの幼稚園児の運動能力を調べたら、体操の時間を作った幼稚園より、何もしないであそびの時間を増やした幼稚園の方が、運動能力が高かったそうです。
また、スポーツクラブでトレーニングをして逆に、肩や膝などを故障してしまったという話も聞きます。
健康食材に気をつけていたのだが、栄養が偏っていたという話もききます。
これらは、すべて身体のすべてに気をつけようとしたが、逆に偏って一部の臓器や筋肉などを依怙贔屓してしまっていたのです。森の中で木を一本一本調べていて、森はどこにあると叫んでいるようなもので、鹿を追う者山を見ずと言う言葉もあります、まさにそこに落ち込んでしまたのでしょう。
普段日常で健康であれば、自分の身体を意識する事はありません。ましてや自律神経が司っている心臓や胃腸を意識して働かすことなどあり得ないはずです。しかし、知らず知らず総合的な身体の動かし方をしているのです。
だけど気をつけないといけないのは、現代の機械文明の社会では、楽に色々なことが出来るようになったが、からだを動かすことが少なくなったり、様々な動きをなくなり幾つかのパターンの動きしかしなくなったことです。
ですから、その運動不足を補うためにスポーツクラブなで、身体を動かすことは悪いことではないです。運動の量より質ですが。
また、健康食品に過度に興味をもったり、スポーツクラブで過度にトレーニングをするのは、それと似たようなものではないでしょうか。わたしは、食事にはあまりきにかけていません、というより腹八分目食べたいものを食べ、好きな食べ物は控えめにと考えています。
身体の筋肉や臓器などの諸器官は、それぞれの働きをするだけでなく、それぞれが密接に連携しているのですが、意図的に連絡を取り合い話し合いをしているのではありません。だけど、どこかで働きを統括して調整されていなければ、健康は維持されないです。
このことは意識下外で何らかの働きがあるわけです。このような機能が人の身体に本来あるのに、それをわざわざ壊すような、健康の取り組みをする必要があるのでしょうか。自分の身体の本当の声を聞けるようになりたいものです。そのためには、肉体の健康だけでなく、怒りや喜びや憂いなども、素直に受け止められることが必要なのでしょう。
百骸九竅、六臓、かねて存す。吾れ誰れをか親しむことを為さん。汝みなこれを説ばんか。其れ私するありや。是くの如くんば皆もって臣妾と為さんか、其れ臣妾は以て相い治むるに足らず。それ逓に君臣と相い為らんか、其れ真君ありて存す。其の情を求め得ると得ざるの如きは、其の真に益損なし。
荘子・斉物論
人の身体は206個の骨があり、500種類の筋肉があり、五臓六腑とよばれる内蔵などがある。それらは普段みな調和をとって働き人の身体を維持してきています。
このところ健康ブームで人は、食べ物に気を使ったり、スポーツクラブに通って、身体を大切に思い鍛えたりしています。しかしその得た知識で自分の身体の隅々まで、健康管理をすることはできるのでしょうか。もし、自分の身体のすべてを大切にしようとしても、それは必ずどこかに偏りがでてくるものです。
こんな話があります、小さいころから運動をすることが、健康で運動能力の高い子供に育つというので、ある幼稚園で体操の時間を作ったそうです。一方そのような時間を作らずあそびの時間を増やした幼稚園があります。この二つの幼稚園児の運動能力を調べたら、体操の時間を作った幼稚園より、何もしないであそびの時間を増やした幼稚園の方が、運動能力が高かったそうです。
また、スポーツクラブでトレーニングをして逆に、肩や膝などを故障してしまったという話も聞きます。
健康食材に気をつけていたのだが、栄養が偏っていたという話もききます。
これらは、すべて身体のすべてに気をつけようとしたが、逆に偏って一部の臓器や筋肉などを依怙贔屓してしまっていたのです。森の中で木を一本一本調べていて、森はどこにあると叫んでいるようなもので、鹿を追う者山を見ずと言う言葉もあります、まさにそこに落ち込んでしまたのでしょう。
普段日常で健康であれば、自分の身体を意識する事はありません。ましてや自律神経が司っている心臓や胃腸を意識して働かすことなどあり得ないはずです。しかし、知らず知らず総合的な身体の動かし方をしているのです。
だけど気をつけないといけないのは、現代の機械文明の社会では、楽に色々なことが出来るようになったが、からだを動かすことが少なくなったり、様々な動きをなくなり幾つかのパターンの動きしかしなくなったことです。
ですから、その運動不足を補うためにスポーツクラブなで、身体を動かすことは悪いことではないです。運動の量より質ですが。
また、健康食品に過度に興味をもったり、スポーツクラブで過度にトレーニングをするのは、それと似たようなものではないでしょうか。わたしは、食事にはあまりきにかけていません、というより腹八分目食べたいものを食べ、好きな食べ物は控えめにと考えています。
身体の筋肉や臓器などの諸器官は、それぞれの働きをするだけでなく、それぞれが密接に連携しているのですが、意図的に連絡を取り合い話し合いをしているのではありません。だけど、どこかで働きを統括して調整されていなければ、健康は維持されないです。
このことは意識下外で何らかの働きがあるわけです。このような機能が人の身体に本来あるのに、それをわざわざ壊すような、健康の取り組みをする必要があるのでしょうか。自分の身体の本当の声を聞けるようになりたいものです。そのためには、肉体の健康だけでなく、怒りや喜びや憂いなども、素直に受け止められることが必要なのでしょう。
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