介護を成長産業に
最近は何でも金儲けにつなげて考える。
「介護を成長産業に」の掛け声もそうです。
介護事業に参入する企業を増やし、互いに競争させることによりサービスが向上し質も高くなると言う論理です。
しかし、私は重度重複身体障碍者の福祉に関わってきたことを振り返ると。身体障碍者や高齢者介護は、非常な重労働であり、介護支援の知識と経験も必要です。また、専門的な知識は、福祉や介護のことだけでなく、精神的なサポートもしなくてはなりません。それ以上に重要な生活解除や介護の中には、医学的医療的知識や経験が必要なものもあります。食事の介護は嚥下や咀嚼の昨日が未発達だったり衰えて弱くなっていると、一歩間違えると誤嚥し、肺炎になったり窒息する事もあります。
また、人工呼吸器をつけている人、尿を出すのに導尿の介助、経管栄養、吸入や吸引を必要とする人もいます。これらは医療的行為で、医者の指示を受けた看護師しか出来ないものです。
しかし、それらが必要としている施設では、その現場で働いているスタッフがおこなっています。それは非常な精神的な負担になるものです。しかし、それらの人の賃金は非常に安いものです。
今後高齢化がすすみ医療的ケアが必要とする入所者が増えてきます。そのような中で利潤追求の業者が参入することにより、小さな良心的な事業者は潰れていき、効率のよいところだけが生き残るでしょう。そうなれば、そうすれば介護施設の質は低下し、場合によれば医療的ケアの介護ができないので、退所を迫られることもあり得るでしょう。
いま、介護施設や老人ホームなどをファンドが買っては売るころがしえいる事例が増えているそうです。
老後を楽しみ終わりの住みかとして選んだ施設が、施設管者がころころ変わり、提供される介護サービスもころころかわる。これにより困るのは入居者・利用者です。ファンドなどが参入し、採算と効率を最優先にされて、介護事業の質が落ちてしまいます。そうなれば楽しく将来に希望を持って生きることはできなくなります。
食事時になれば給食がでるだけになると家畜と同じではありませんか。
すくなくとも、介護などの福祉分野への野放図なファンドの投資や参入は法的に規制すべきでしょう。
何でもかんでも効率と利潤を求めてそれでよしとする時代は過去のものと思っていましが、形をかえ其れは現代でも生き続けているようです。利潤追求は資本主義社会では正当なことです。それはよいが、消費者や国民が安心して生活出来るように国が企業や団体を監視・監督・指導するのが、現代の資本主義社会です。
それなのに、規制緩和で国際競争力を付けるというのは、企業の成長のため国民を踏み台にしないがしろにしていると言わざるをえないです。
「介護を成長産業に」の掛け声もそうです。
介護事業に参入する企業を増やし、互いに競争させることによりサービスが向上し質も高くなると言う論理です。
しかし、私は重度重複身体障碍者の福祉に関わってきたことを振り返ると。身体障碍者や高齢者介護は、非常な重労働であり、介護支援の知識と経験も必要です。また、専門的な知識は、福祉や介護のことだけでなく、精神的なサポートもしなくてはなりません。それ以上に重要な生活解除や介護の中には、医学的医療的知識や経験が必要なものもあります。食事の介護は嚥下や咀嚼の昨日が未発達だったり衰えて弱くなっていると、一歩間違えると誤嚥し、肺炎になったり窒息する事もあります。
また、人工呼吸器をつけている人、尿を出すのに導尿の介助、経管栄養、吸入や吸引を必要とする人もいます。これらは医療的行為で、医者の指示を受けた看護師しか出来ないものです。
しかし、それらが必要としている施設では、その現場で働いているスタッフがおこなっています。それは非常な精神的な負担になるものです。しかし、それらの人の賃金は非常に安いものです。
今後高齢化がすすみ医療的ケアが必要とする入所者が増えてきます。そのような中で利潤追求の業者が参入することにより、小さな良心的な事業者は潰れていき、効率のよいところだけが生き残るでしょう。そうなれば、そうすれば介護施設の質は低下し、場合によれば医療的ケアの介護ができないので、退所を迫られることもあり得るでしょう。
いま、介護施設や老人ホームなどをファンドが買っては売るころがしえいる事例が増えているそうです。
老後を楽しみ終わりの住みかとして選んだ施設が、施設管者がころころ変わり、提供される介護サービスもころころかわる。これにより困るのは入居者・利用者です。ファンドなどが参入し、採算と効率を最優先にされて、介護事業の質が落ちてしまいます。そうなれば楽しく将来に希望を持って生きることはできなくなります。
食事時になれば給食がでるだけになると家畜と同じではありませんか。
すくなくとも、介護などの福祉分野への野放図なファンドの投資や参入は法的に規制すべきでしょう。
何でもかんでも効率と利潤を求めてそれでよしとする時代は過去のものと思っていましが、形をかえ其れは現代でも生き続けているようです。利潤追求は資本主義社会では正当なことです。それはよいが、消費者や国民が安心して生活出来るように国が企業や団体を監視・監督・指導するのが、現代の資本主義社会です。
それなのに、規制緩和で国際競争力を付けるというのは、企業の成長のため国民を踏み台にしないがしろにしていると言わざるをえないです。