建物の黒い汚れ

先日のNHKの朝のニュースで、九州大学応用科学研究所の校舎が太平洋戦争時に空襲を避けるため、黒い迷彩色に塗られ今もそのままであることが報道されていました。
そして、現代の学生はなぜこの一つの校舎だけが黒く汚れているのかは知られていないようです。そのようななか、この校舎は老朽化のため取り壊されれるそうです。この黒く塗られた経緯など戦争について語り継ぐ一つとして、後世に残すため写真や映像そして、証言などを残そうという取り組みがあるようです。

私はこのニュースを聞いて、私は小さい頃に山の中腹に建てられている、病院の外壁が黒ずんでいるのを見て、病院なのになぜこんなに汚いのだろうかと疑問に思っていました。あるとき、母に聞くと「戦争中空襲の標的にされるのを避けるために黒く塗った、戦争が終わって黒い塗料を落としたが、全部は洗い落せずに残っている」。と教えてくれました。
その病院は神戸市東灘区、六甲山の中腹にある甲南病院です。

甲南病院の歴史を見ると、昭和9年に平生釟三郎氏により開設された財団法人甲南病院です。
1934 6月17日、甲南病院開院(118床)
   看護婦養成所開設
1941 甲南病院救護団発足
1945 外来診療所空襲で焼失
とあります。

その病院も今は、外装は新しくなり綺麗になっています。しかし、連合軍の空襲は軍事施設や工場などだけでなく、この病院の略歴を見ると、病院施設の外来診療所が空襲で焼失していることを見ると、ジュネーブ条約を無視した無差別爆撃だったもとを思わされます。

このように、戦時中にいたる所の建物が空襲から逃れるために、迷彩色に施されたようです。しかし、それも戦後次々に戦中の嫌な思いが思い出されるのと、痛みや補修のため綺麗な外装に戻されていきました。

わたしは、戦後生まれで物心がついたころはすでに、戦争の痛ましい傷跡はほとんど見かけなかったですが、蔵の焼けた礎石後や土塀に空いた機銃掃射の弾痕のあと、そしえ甲南病院の塗り跡などが見受けられ、親や大人たちからこれは戦争の傷跡であることを聞きました。

しかし、それから68年経ちその傷跡も無くなり、病院が黒く塗られたことを思い出す人も知る人もいなくなり、それらの事実はだんだんと忘れられていくようです。それと同時に、68年前に暮らしていた日々は戦争の空襲で一瞬にして消えてしまったことも、思い起こし思いめぐらすことも無くなってしまうようです。

日本は68年間、戦争に直接かかわらずにき、自国が戦禍に巻き込まれることもなかったです。しかし、今後国際社会の変化や国の方針が変わり、どのような方向に進むかを決める重大な時がきているようです。国民一人一人が良く時間をかけてその選択ができるように、世の中の流れを注視していきたいです。
それには、何よりも国の情報公開・開示が必要で、マスコミなども責任を持った報道に取り組んでもらいたいものです。
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