禁断の実

官製のファンドが次々できているようです。
私はよくわからないのですが、基金や投資信託などは、民間が運営するのが正常なのではと思っていました。税金などの公金をつかっての運営は、「禁断の実」ではないのでしょうか、手っ取り早く運用できるのですがそれに甘えてしまうと、麻薬のように抜け出せなくなる恐れも大いに在ると感じるのですが。


「禁断の実」と言えば、旧約聖書に書かれている、楽園追放を思い出します。
そこで、その章を紹介してみます。

創世記 第三章 (日本聖書協会 1955年改訳)

さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った。「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神がいえあれました」。へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がその木を見ると、それは食べるに良く、目に美しく、賢くなるには好ましい思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫に与えたので、彼も食べた。すると、ふたりは目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。神は言われた「あなたが裸であることを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。主なる神はへびに言われた。
 「おまえは、この事を、したので、
 すべての家畜、野のすべての獣のうち、
 最ものろわれる。
 おまえは腹で、這いあるき、
 一生、ちりを食べるであろう。
 わたしは恨みおく、
 おまえと女のあいだに、
 おまえのすえと女のすえとの間に。
 彼はおまえのかしらを砕き、
 おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
次に女に言われた。
 「わたしはあなたの産みの苦しみを増す。
 あなたは苦しんで子を産む。
 それでもなお、あなたは夫を慕い、
 彼はあなたを治めるであろう」。
更に人に言われた「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、
 地はあなたのためにのろわれ、
 あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
 地はあなたのために、いばらとあざみを生じ、
 あなたは野の草を食べるであろう。
 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
 あなたは土から取られたのだから、
 あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

さて、ひとはその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道をまもらせられた。



この話、一般的には、へびがイブをそそのかして、リンゴを食べさせた。そして楽園を追放されたとはしっていますが、この神とアダムとイブ、そしてへびとのやりとりは知っている人は少ないと思います。また、この園の中央の木の実は、智慧の実ですがリンゴとは書かれていません。いつごろからリンゴと言われるようになったのかわかりませんが、キリスト教の国では「喉仏」のことを「アダムのリンゴ」といいますが、実際には喉頭隆起のことで甲状軟骨の突起です。斎場でこれが喉仏といわれますが、あれは実際は喉頭隆起の喉仏は軟骨なので燃えてしまいます。頸にある頸椎の第二頸椎である軸椎です。いずれにしろ仏様が合掌しているように見えるので在り難いものです。アダムのリンゴでも己の愚かしさをを振り返る戒めとして在り難くしたいものです。

官製ファンドが禁断の実とすれば、へびは誰で、イブは誰でアダムはだれでしょう。
そして、リンゴの実を食べて、目が開け、善悪を知るところとなり、恥じらいをしるところとなりました。しかし、それと同時の産みの苦しみが加わり、主従関係が作られ、茨とアザミの道を歩まなけれならないのはだれでしょう。そして、アダムのリンゴの戒めを無視して、そのリンゴを食べた償いはどれほどのものでしょう。


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