生ける物を殺し遊び楽しまんは畜生の類
大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、嫉み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。
すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。
徒然草 吉田兼好
だいたい生き物を殺し、傷めつけ、闘わせて、弄び楽しもうとする人は、畜生残害と同類である。全ての鳥や獣から、小さな虫までも、意識してその様子に眼を向けて視ると、子を思い、親を慕い、夫婦連れ添い、嫉み、怒り、欲など多く、己の身を気遣い、命を惜しむこと、もともと備わったものだけに人よりも激しい。それらを苦しめ、命を奪うことは、大変痛ましいことだ。
全ての生きるもの対して、慈悲の心を持たないのは、人として守り行うべき人道に反するといえる。
人の行いをみてみると、今の世の中に戦争や争いが渦巻き、人を騙して儲けようとしたり、人を貶めて自分だけの利をえたりする人が実に多いことです。
それらとは関係ないと、平和の中で涼しい顔をしている人も、毎日の生きる糧においては、生き物の命を奪って生きていることを忘れている人が実に多いことと思います。
動物を見世物として殺したり、いたぶったり、格闘させて喜んでだりすることがあります。よくよく考えるとそのようなことをすることは人間のすることではない。畜生がお互いに噛み殺し合っているのと同じだ。この世に生きとし生けるもの全て、鳥獣から、一寸の虫までもが、自分の生命を維持するために他の生命を奪い食べている。そのうえ、子孫を残すために子を守り懸命に生きています。それを人間のわが身の勝手で、動物をいたぶり殺したりすることを平気な気持ちでいるのは異常でしかない。
また、人間同士でも己の欲のために争うのも、動物以下の所業というほかない。人同士の争いだけでなく人間が生物界の頂点だと驕り高ぶり自然をコントロールできると思い込んでしまうのも、この短い命の小さな虫から見れば滑稽に見えるかもしれないです。
すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。
徒然草 吉田兼好
だいたい生き物を殺し、傷めつけ、闘わせて、弄び楽しもうとする人は、畜生残害と同類である。全ての鳥や獣から、小さな虫までも、意識してその様子に眼を向けて視ると、子を思い、親を慕い、夫婦連れ添い、嫉み、怒り、欲など多く、己の身を気遣い、命を惜しむこと、もともと備わったものだけに人よりも激しい。それらを苦しめ、命を奪うことは、大変痛ましいことだ。
全ての生きるもの対して、慈悲の心を持たないのは、人として守り行うべき人道に反するといえる。
人の行いをみてみると、今の世の中に戦争や争いが渦巻き、人を騙して儲けようとしたり、人を貶めて自分だけの利をえたりする人が実に多いことです。
それらとは関係ないと、平和の中で涼しい顔をしている人も、毎日の生きる糧においては、生き物の命を奪って生きていることを忘れている人が実に多いことと思います。
動物を見世物として殺したり、いたぶったり、格闘させて喜んでだりすることがあります。よくよく考えるとそのようなことをすることは人間のすることではない。畜生がお互いに噛み殺し合っているのと同じだ。この世に生きとし生けるもの全て、鳥獣から、一寸の虫までもが、自分の生命を維持するために他の生命を奪い食べている。そのうえ、子孫を残すために子を守り懸命に生きています。それを人間のわが身の勝手で、動物をいたぶり殺したりすることを平気な気持ちでいるのは異常でしかない。
また、人間同士でも己の欲のために争うのも、動物以下の所業というほかない。人同士の争いだけでなく人間が生物界の頂点だと驕り高ぶり自然をコントロールできると思い込んでしまうのも、この短い命の小さな虫から見れば滑稽に見えるかもしれないです。
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