明仁上皇の立憲主義観
平成から令和になり二ヶ月が過ぎるが、徳仁天皇は立憲主義についてどのように考えられているのだろうか。
明人上皇は、一九歳のとき、エリザベス女王の戴冠式に出席するため英国を訪問したときに、チャーチル首相から午餐会の歓待をうけ、そのときチャーチルのスピーチから立憲主義の大切さを諭されたようです。
そのことが、「明仁皇太子エリザベス女王戴冠式列席記 波多野 勝著」に詳しく書かれている。
第8章イギリス訪問 チャーチル首相の”策略”P211 に書かれているが、要約を紹介してみる。
第二次世界大戦が終わってまだ8年ほどで、イギリス国内では反日感情が強く、皇太子の来英に反対する動きもあった。
そんなか、エリザベス女王の戴冠式に天皇裕仁の名代として明仁皇太子が参列するのに対して、戦前からの閣僚で東アジアの権益を継続することを主張しっていた、イーデン外相が午餐会を主催する予定だった。
しかし、イーデン外相は病気で出席できなくないり、チャーチル首相の主催で開かれることになった。
まだ、国民の中に日本の皇太子の来英に反対する人もいるなか、チャーチルは日英の親睦を深めるために、一計を企てた。イーデン外相の病気は本当のようだが、午餐会の主催をできないほどではなかったという見方もある。
チャーチル首相が明仁皇太子を気遣い、また、英日の友好の機会としようとして午餐会を開いた。
英外務省、チャーチルは午餐会の出席者の選考では、なかなか名簿は確定しなかった。そこには先にもあげたように反日勢力や雰囲気を静めるのに人選が難航したといわれている。
出席者は、労働党のクレメント・アトリー党首、セルウッィン・ロイド国務大臣、ハロルド・アレクサンダー国防相、反日論を展開していたデイリー・エクスプレス紙のビーバー・ブルック卿、知日派のハンキー卿、スコットランド銀行頭取のバックルー卿、ハリー・クルックシャンク保守党院内総務、ブッチャン・ヘップバーン大蔵政務次官、労組会議書記長のビンセント・チューソン卿、サンデー・タイムズ紙主筆のケムスレー卿、デイリー・メイル紙等の会長のロザミーア卿、ラウンド・オーク製鉄会社会長のダッドレー卿、元労組会議書記長のシトリン卿、チューター・イード労働党議員、トム・オブライエン労働党議員
レディング外務政務次官、日本研究家のジョージ・サンソム、源氏物語を翻訳したアーサー・ウェイリー博士、知日家のビゴット少将などで。当初の二〇人が二七人になっていた。
午餐会 でのチャーチル首相の予定のないスピーチした。参列していたジョージ・サムソン卿が、そのときの様子を吉田首相に書簡で伝えている。
「殿下のためにスピーチ及び乾杯をしたい。
この機会に一言したい。
・・・・・現在のイギリスの多様な政治的見解ーー政府、国会、組合、マスコミなどーーはイギリスの特徴であります。そして、イギリス人はたとえ意見が食い違っても、英国式生活を大切????の守ろうとする点で団結するのであります
・・・・中略・・・・
我々の体が呼吸をし、血が血管を流れるうちは(国を)守り通すのであります
・・・・中略・・・・
〔立憲主義について〕
英国式生活が引き続き安定しているのは、国家体制、特に立憲君主制に負うところが大きいのでああります。君主は『君臨すれど統治せず』(である限り)君主が(政治的な)誤りを犯すことはなく、もし政治家が間違いを犯せば、国民と国民の選んだ議会によって代わりの人間にとりかえられるのであります
・・・・中略・・・・
事実上、政府は間違ったことばかりやっているという人がいるかもしれません
我々の年若な女王がイギリス人に信頼と親密感をもたらした
殿下がイギリスを楽しみ、英国式生活を垣間見ることで益を得られることを願っております。・・・・・・皇太子はまだお若くて幸運であります。過去を振り返らざる得ない者は、成功だけでなく失敗や不運の記憶もあるもので、皇太子のような若者は未来の興味や功績を夢見ることができるのであります」
そして最後にチャーチルは母親が以前、日本訪問したときの楽しい思い出を聞かされたと語り、
「これからは、「国家の財産が戦闘機や軍艦の建設でなく、芸術に投資されることを祈るものであります」としめくくった。
このスピーチの言葉、決められる政治といって、十分に審議もせず納得のいく説明もせずに、議席の数の力で次々と重要法案を強行採決をしていく、
今の政権の人たちにもじっくりと考えて読んで見てほしいものです。
この本は212年に草思社から出版されたものだが、文庫本などで出版して多くの人に読んでもらいたいと思った本です。
明人上皇は、一九歳のとき、エリザベス女王の戴冠式に出席するため英国を訪問したときに、チャーチル首相から午餐会の歓待をうけ、そのときチャーチルのスピーチから立憲主義の大切さを諭されたようです。
そのことが、「明仁皇太子エリザベス女王戴冠式列席記 波多野 勝著」に詳しく書かれている。
第8章イギリス訪問 チャーチル首相の”策略”P211 に書かれているが、要約を紹介してみる。
第二次世界大戦が終わってまだ8年ほどで、イギリス国内では反日感情が強く、皇太子の来英に反対する動きもあった。
そんなか、エリザベス女王の戴冠式に天皇裕仁の名代として明仁皇太子が参列するのに対して、戦前からの閣僚で東アジアの権益を継続することを主張しっていた、イーデン外相が午餐会を主催する予定だった。
しかし、イーデン外相は病気で出席できなくないり、チャーチル首相の主催で開かれることになった。
まだ、国民の中に日本の皇太子の来英に反対する人もいるなか、チャーチルは日英の親睦を深めるために、一計を企てた。イーデン外相の病気は本当のようだが、午餐会の主催をできないほどではなかったという見方もある。
チャーチル首相が明仁皇太子を気遣い、また、英日の友好の機会としようとして午餐会を開いた。
英外務省、チャーチルは午餐会の出席者の選考では、なかなか名簿は確定しなかった。そこには先にもあげたように反日勢力や雰囲気を静めるのに人選が難航したといわれている。
出席者は、労働党のクレメント・アトリー党首、セルウッィン・ロイド国務大臣、ハロルド・アレクサンダー国防相、反日論を展開していたデイリー・エクスプレス紙のビーバー・ブルック卿、知日派のハンキー卿、スコットランド銀行頭取のバックルー卿、ハリー・クルックシャンク保守党院内総務、ブッチャン・ヘップバーン大蔵政務次官、労組会議書記長のビンセント・チューソン卿、サンデー・タイムズ紙主筆のケムスレー卿、デイリー・メイル紙等の会長のロザミーア卿、ラウンド・オーク製鉄会社会長のダッドレー卿、元労組会議書記長のシトリン卿、チューター・イード労働党議員、トム・オブライエン労働党議員
レディング外務政務次官、日本研究家のジョージ・サンソム、源氏物語を翻訳したアーサー・ウェイリー博士、知日家のビゴット少将などで。当初の二〇人が二七人になっていた。
午餐会 でのチャーチル首相の予定のないスピーチした。参列していたジョージ・サムソン卿が、そのときの様子を吉田首相に書簡で伝えている。
「殿下のためにスピーチ及び乾杯をしたい。
この機会に一言したい。
・・・・・現在のイギリスの多様な政治的見解ーー政府、国会、組合、マスコミなどーーはイギリスの特徴であります。そして、イギリス人はたとえ意見が食い違っても、英国式生活を大切????の守ろうとする点で団結するのであります
・・・・中略・・・・
我々の体が呼吸をし、血が血管を流れるうちは(国を)守り通すのであります
・・・・中略・・・・
〔立憲主義について〕
英国式生活が引き続き安定しているのは、国家体制、特に立憲君主制に負うところが大きいのでああります。君主は『君臨すれど統治せず』(である限り)君主が(政治的な)誤りを犯すことはなく、もし政治家が間違いを犯せば、国民と国民の選んだ議会によって代わりの人間にとりかえられるのであります
・・・・中略・・・・
事実上、政府は間違ったことばかりやっているという人がいるかもしれません
我々の年若な女王がイギリス人に信頼と親密感をもたらした
殿下がイギリスを楽しみ、英国式生活を垣間見ることで益を得られることを願っております。・・・・・・皇太子はまだお若くて幸運であります。過去を振り返らざる得ない者は、成功だけでなく失敗や不運の記憶もあるもので、皇太子のような若者は未来の興味や功績を夢見ることができるのであります」
そして最後にチャーチルは母親が以前、日本訪問したときの楽しい思い出を聞かされたと語り、
「これからは、「国家の財産が戦闘機や軍艦の建設でなく、芸術に投資されることを祈るものであります」としめくくった。
このスピーチの言葉、決められる政治といって、十分に審議もせず納得のいく説明もせずに、議席の数の力で次々と重要法案を強行採決をしていく、
今の政権の人たちにもじっくりと考えて読んで見てほしいものです。
この本は212年に草思社から出版されたものだが、文庫本などで出版して多くの人に読んでもらいたいと思った本です。