足るを知るについて
現代の国際社会の、国の政治家や企業のCEOまた、庶民である有権者は、経済発展のために環境汚染や地球温暖化は限界に近づいて来てると指摘されていても成長を選ぶ。しかしそれは21世紀半ばには悲劇的な結末をまねく結果になるだろう。
北斎漫画の第十一巻の巻末の唐子の絵がある。

そこには唐子が、『吾唯足知』と書かれて、銭を重そうに背負っている。そこには次のような文が添えられている『事足りる 足るにつけてても 足らぬなり 足らて 事たる身こそ やすけれ』
また、臨済宗の中興の祖と言われた白隠禅師は「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」と言われる。
その白隠禅師の坐禅和讃といわれる文言はつぎのように言っている。
衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近きを不知して
遠く求むるはかなさよ
譬ば水の中に居て
渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて
貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は
己が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏そへて
いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は
称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
念仏懺悔修行等
其品多き諸善行
皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も
積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき
浄土即ち遠からず
辱くも此の法を
一たび耳にふるゝ時
さんたん随喜する人は
福を得る事限りなし
いはんや自ら回向して
直に自性を証すれば
自性即ち無性にて
すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し
無相の相を相として
行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として
謡うも舞ふも法の声
三昧無碍の空ひろく
四智円明の月さえん
此時何をか求むべき
寂滅現前するゆゑに
当所即ち蓮華国
此身即ち仏なり
水の中にで、喉が渇いたとさけび
贅沢な生活をしているのに、あれが足りない、もっと便利ない生活をしたいと不満をいう
いつまでも苦の世界から抜け出すことができないのは、それは足るをしらず自分の境遇をいつまでも嘆くからです。
私たち現代人は、私たちの祖先ホモ・サピエンスがアフリカの地から旅立ち世界中に広がっていったが、今まで、飢えと争いと病原菌の苦しめられ、多くの命を犠牲にしてきた。
いままで、異常気象で干ばつや冷害で作物は不作になり、多くの人が餓死してきた。
また、多くの人が戦争の犠牲になってきている。
また、ペストやコレラやインフルエンザなどの疫病で多くの人が亡くなっている。
しかし、それらいま完全に克服していないが、餓死して死ぬ人より飽食で肥満で死ぬ人の方が多い、疫病や感染症で死ぬ人より肺炎や癌で亡くなる人の方が多い、戦争も70年前の戦争以降世界大戦はなく、内戦や地域紛争はあるが、戦争で死ぬ人より、交通事故などで死ぬ人の方が多い。
これら、人類が知恵を持ちアフリカの地から旅経ってから、怖れていた飢餓・疫病・戦争の恐怖は大幅に減少している。
それは、いままでになく経済発展をしてきてお互いに豊かになったからだと言える。
しかし、さらに人類は経済発展を追い求めている。これ以上の経済発展を求めることが果たして本当に賢明なのだろうか。
私たち特に、欧米や日本や中国や韓国など豊かになった国は、自国だけで豊かになっているのではない、多くの生活を便利にしてくれる家電製品や通信機器や移動手段である車や飛行機などだが、それらを製造するには今貧しい国々の資源を掘り起こして産まれているのです。
また、建物に使われる木材や紙製品はすべて、木を原料にしている。その木は木材や紙の消費地から供給されるのではなく、遠く離れた原始林などが伐採されて供給されている。
そのように鉱物資源を採掘したり、木を伐採することにより、自然環境が破壊されていることを忘れてはならないし、そのツケはいずれ身に降り掛かってくるでしょう。それが起きる前にわたしたちは、今の価値観を見直して別の方法を見つけるべきだろう。
このまま木を伐採し続け地球の酸素供給を阻害していき、鉱物資源を採掘するのに環境破壊と環境汚染をし続けると、いずれはその限界を超えて、地球は青い宇宙船でなく赤茶けた褐色の星になってしまうかもしれない。
特異点とか臨界点とかいうことばがるが、いま、地球の温暖化が話題に上ることが多くなってきている。地球の気温の上昇がある一定度を超すと、急激に気象環境が変わっていき、異常気象が常態化して地球は穏やかな自然環境の星ではなく、嵐の吹きすさぶ星となってしまうかもしれない。
そのようなことを考えると、知足の大切さを感じる。
北斎漫画の第十一巻の巻末の唐子の絵がある。

そこには唐子が、『吾唯足知』と書かれて、銭を重そうに背負っている。そこには次のような文が添えられている『事足りる 足るにつけてても 足らぬなり 足らて 事たる身こそ やすけれ』
また、臨済宗の中興の祖と言われた白隠禅師は「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」と言われる。
その白隠禅師の坐禅和讃といわれる文言はつぎのように言っている。
衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近きを不知して
遠く求むるはかなさよ
譬ば水の中に居て
渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて
貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は
己が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏そへて
いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は
称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
念仏懺悔修行等
其品多き諸善行
皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も
積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき
浄土即ち遠からず
辱くも此の法を
一たび耳にふるゝ時
さんたん随喜する人は
福を得る事限りなし
いはんや自ら回向して
直に自性を証すれば
自性即ち無性にて
すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ
無二無三の道直し
無相の相を相として
行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として
謡うも舞ふも法の声
三昧無碍の空ひろく
四智円明の月さえん
此時何をか求むべき
寂滅現前するゆゑに
当所即ち蓮華国
此身即ち仏なり
水の中にで、喉が渇いたとさけび
贅沢な生活をしているのに、あれが足りない、もっと便利ない生活をしたいと不満をいう
いつまでも苦の世界から抜け出すことができないのは、それは足るをしらず自分の境遇をいつまでも嘆くからです。
私たち現代人は、私たちの祖先ホモ・サピエンスがアフリカの地から旅立ち世界中に広がっていったが、今まで、飢えと争いと病原菌の苦しめられ、多くの命を犠牲にしてきた。
いままで、異常気象で干ばつや冷害で作物は不作になり、多くの人が餓死してきた。
また、多くの人が戦争の犠牲になってきている。
また、ペストやコレラやインフルエンザなどの疫病で多くの人が亡くなっている。
しかし、それらいま完全に克服していないが、餓死して死ぬ人より飽食で肥満で死ぬ人の方が多い、疫病や感染症で死ぬ人より肺炎や癌で亡くなる人の方が多い、戦争も70年前の戦争以降世界大戦はなく、内戦や地域紛争はあるが、戦争で死ぬ人より、交通事故などで死ぬ人の方が多い。
これら、人類が知恵を持ちアフリカの地から旅経ってから、怖れていた飢餓・疫病・戦争の恐怖は大幅に減少している。
それは、いままでになく経済発展をしてきてお互いに豊かになったからだと言える。
しかし、さらに人類は経済発展を追い求めている。これ以上の経済発展を求めることが果たして本当に賢明なのだろうか。
私たち特に、欧米や日本や中国や韓国など豊かになった国は、自国だけで豊かになっているのではない、多くの生活を便利にしてくれる家電製品や通信機器や移動手段である車や飛行機などだが、それらを製造するには今貧しい国々の資源を掘り起こして産まれているのです。
また、建物に使われる木材や紙製品はすべて、木を原料にしている。その木は木材や紙の消費地から供給されるのではなく、遠く離れた原始林などが伐採されて供給されている。
そのように鉱物資源を採掘したり、木を伐採することにより、自然環境が破壊されていることを忘れてはならないし、そのツケはいずれ身に降り掛かってくるでしょう。それが起きる前にわたしたちは、今の価値観を見直して別の方法を見つけるべきだろう。
このまま木を伐採し続け地球の酸素供給を阻害していき、鉱物資源を採掘するのに環境破壊と環境汚染をし続けると、いずれはその限界を超えて、地球は青い宇宙船でなく赤茶けた褐色の星になってしまうかもしれない。
特異点とか臨界点とかいうことばがるが、いま、地球の温暖化が話題に上ることが多くなってきている。地球の気温の上昇がある一定度を超すと、急激に気象環境が変わっていき、異常気象が常態化して地球は穏やかな自然環境の星ではなく、嵐の吹きすさぶ星となってしまうかもしれない。
そのようなことを考えると、知足の大切さを感じる。
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