いま思うこと
私は戦後生まれだが、私より若い人それも政治家などが、昔はよかったと言うのを時々聞く。自分の小さいころの高度経済性成長時代のことを言っているのかと思ってよく聞いているとそうではなく、生まれる前の戦前のことを言っている人がいる。
私自身戦後うまれなので、戦前のことは体験していないので、実感としては言えない。しかし、明治維新以降の自由民権運動や大正デモクラシー、そして大政翼賛の流れをみていると、そこには、今のような時代でないことはわかる。
現代は、新自由主義経済で、自己責任論が闊歩し、勝ち組と負け組の明暗がはっきりし、それによりいろいろな意味での格差が拡大してきてる。しかし、今の時代インターネットが普及しSNSにより、誰でもが考えていることが素直に言える。言ったからと戦前のように憲兵や特高などがきて監獄にいれられ拷問されたり、変更を迫られることはない。また、突然赤紙がきて徴兵さえることもない。
昔はよかったと言う戦後生まれの人のなかには、女性も多くいる。しかしそれらの人は、戦前の女性の立場がどのようものであったか、ご存じなのだろうか。
今の日本の憲法の
第 条に起案に大きくかかわったとされる、シロタ・ゴンドウは戦前、日本で生活をしていて日本の女性の立場が、男尊女卑で女性は言いたいことも言えずしたいこともできなかったことを子どものころそれを見ていた。日本独特の家族制度のもと女性は家という重圧に苦しんでいることを感じ取っていた。それにより、憲法に女性の地位向上と男女同権を書き込む必要性を感じそのことが明記されるようになった。
今の憲法がなければ、女性が「昔はよかった」と言うことも、できないかもしれないことをわかって言っているのだろか。
言いたいことを自由にいえるのは、私たちの日常の生活のなかだけでなく、国民が選んだ代表者が集まって会議をする、国会のなかでもそうであるべきです。しかし、最近は党議拘束というのがありそうでもなくなって来ているようでもあるようです。
しかし、戦前の帝国議会での議事運営について書いてある本などを読むと、中には活発な意見を述べる人も多くいたようです。帝国議会は君主である天皇が日本を統治権を総攬して、天皇の臣民である人から選ばれた衆議院と、天皇を支える貴族院の議員もかなり庶民の立場に立って考え議論に臨んだ人も多くいたようです。
帝国議会が起る前には自由民権運動があったから、帝国憲法と教育勅語が発布され、国民は天皇の臣民であるとされたが、それでも、自由民権運動の気運は引き継がれていたのだろう。
敗戦後の帝国議会でも新しい憲法を審議する上で活発に議論された。9条の軍隊を持たないことに対しては、いま護憲を叫ぶ政党などは、自国を衛る軍隊を持つことを放棄することに対しては反対し、活発に議論されていたことが、NHKの憲法制定に関するドキュメンタリー番組や、「日本国憲法の制定過程」などで紹介され書かれている。
また、55年体制になる前また、保守合同で自民党が結成されてからも、自民党は一党で絶対多数をとっても、社会党などの野党の意見を取り入れながら、議事に挑み国政を運営していた。しかし、民主党の連立政権が成立し自民党が下野したその屈辱感が、自民党の中には未だにあるのだろう。さらに、政権を奪還し多数の野党が生まれ野党どうしの票の奪い合いにより、自民党が過半数で自公で3分の2を議席を占めるようになり、自民党は野党に対してまともに議論に応えることをしなくなってしまった。
そのようなことを考えると、今の国会は戦前の帝国議会より劣化しているように思える。
いまの国会に対して、私たち国民市民はどうあるべきだろう。
私自身戦後うまれなので、戦前のことは体験していないので、実感としては言えない。しかし、明治維新以降の自由民権運動や大正デモクラシー、そして大政翼賛の流れをみていると、そこには、今のような時代でないことはわかる。
現代は、新自由主義経済で、自己責任論が闊歩し、勝ち組と負け組の明暗がはっきりし、それによりいろいろな意味での格差が拡大してきてる。しかし、今の時代インターネットが普及しSNSにより、誰でもが考えていることが素直に言える。言ったからと戦前のように憲兵や特高などがきて監獄にいれられ拷問されたり、変更を迫られることはない。また、突然赤紙がきて徴兵さえることもない。
昔はよかったと言う戦後生まれの人のなかには、女性も多くいる。しかしそれらの人は、戦前の女性の立場がどのようものであったか、ご存じなのだろうか。
今の日本の憲法の
第 条に起案に大きくかかわったとされる、シロタ・ゴンドウは戦前、日本で生活をしていて日本の女性の立場が、男尊女卑で女性は言いたいことも言えずしたいこともできなかったことを子どものころそれを見ていた。日本独特の家族制度のもと女性は家という重圧に苦しんでいることを感じ取っていた。それにより、憲法に女性の地位向上と男女同権を書き込む必要性を感じそのことが明記されるようになった。
今の憲法がなければ、女性が「昔はよかった」と言うことも、できないかもしれないことをわかって言っているのだろか。
言いたいことを自由にいえるのは、私たちの日常の生活のなかだけでなく、国民が選んだ代表者が集まって会議をする、国会のなかでもそうであるべきです。しかし、最近は党議拘束というのがありそうでもなくなって来ているようでもあるようです。
しかし、戦前の帝国議会での議事運営について書いてある本などを読むと、中には活発な意見を述べる人も多くいたようです。帝国議会は君主である天皇が日本を統治権を総攬して、天皇の臣民である人から選ばれた衆議院と、天皇を支える貴族院の議員もかなり庶民の立場に立って考え議論に臨んだ人も多くいたようです。
帝国議会が起る前には自由民権運動があったから、帝国憲法と教育勅語が発布され、国民は天皇の臣民であるとされたが、それでも、自由民権運動の気運は引き継がれていたのだろう。
敗戦後の帝国議会でも新しい憲法を審議する上で活発に議論された。9条の軍隊を持たないことに対しては、いま護憲を叫ぶ政党などは、自国を衛る軍隊を持つことを放棄することに対しては反対し、活発に議論されていたことが、NHKの憲法制定に関するドキュメンタリー番組や、「日本国憲法の制定過程」などで紹介され書かれている。
また、55年体制になる前また、保守合同で自民党が結成されてからも、自民党は一党で絶対多数をとっても、社会党などの野党の意見を取り入れながら、議事に挑み国政を運営していた。しかし、民主党の連立政権が成立し自民党が下野したその屈辱感が、自民党の中には未だにあるのだろう。さらに、政権を奪還し多数の野党が生まれ野党どうしの票の奪い合いにより、自民党が過半数で自公で3分の2を議席を占めるようになり、自民党は野党に対してまともに議論に応えることをしなくなってしまった。
そのようなことを考えると、今の国会は戦前の帝国議会より劣化しているように思える。
いまの国会に対して、私たち国民市民はどうあるべきだろう。