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竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

自己責任論に思う

安田さんの解放がされ、ちまたでは自己責任論が渦巻いてきている。ただの旅行者が物見遊山気分で出かけて行ってなら、自己責任論で片づけていいかもしれないが、それでも登山などで遭難した人には、人命救助のために二次遭難の危険性があっても、救助活動がおこなわれたりすうる。それこそ自己責任論を言う人は、自分が物見遊山で山登りをしたときに、遭難しても救助隊が出動しなくてもよいというのだろうか。
戦地や危険地帯に取材活動に潜入する人は、物見遊山で入っているのではなく、ちゃんと安全の遣り繰り段段はしているが、危険地帯であるからその想定外もありこのようなことが起きる、それはその想定が甘いと言われたらそれは確かです。しかしだからと言って、一方的に批判だけしてよいのでしょうか。戦地を取材するジャーナリストは一般の事件や事故や政治につて取材するジャーナリストとはまた、違う使命感を持っていてそれが先走りすることもあるが、それを先走りしたからと批判してしまうと、戦場のジャーナリストを萎縮させてしまい自己規制をして、本当に戦場で起きたことを、平和に凡凡と暮らしている私たちは知ることができなくなります。

なんだが、安田さんのことで、自己責任論が高まることが恐ろしく感じる。この件だけでなく私たちの日常生活の中でも、生活困窮者に対しての援助を努力が足りないのだ、生活保護などをもっと切り捨てろという方向に進まないか心配です。
身体障碍者が障害者年金を使って生活支援サービスで、映画を見に行く旅行をするなどを、贅沢だと批判をする人がいた。それは、障碍者が生活の質を高める活動をしてはいけないということになります。
かなり、例えがそれてもしているが、私たち平和に暮らしている者ほど、いま、戦地で混乱地帯で何がおきているかをしるべきです。それにより、それは変だおかしいという声を上げることが、国際輿論うまれていき変革がされるきっかけになるものだとおもう。
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日本の明るい社会は続くのか

今の日本は、中国と比べ誰もが明るい社会だと思っている。それは、自由と人権が保障されているからです。
しかし、中国の人に聞いてみると、中国は日本より明るい社会だと思っている人がいる。それは経済成長だけに目を向けて、言論の自由などに目を向けない人たちです。
今の日本は経済が低迷しているが、明るい社会だと思っている人は、なぜそう思っているのか。それは、憲法で表現の自由は保障され、思想・良心の自由は侵してはならないとなっているからです。

しかし、最近だんだんようすが変わってきているのではないだろうか。
周囲の空気に敏感になり、ネット社会になりますますそれが強くなって、自分が思っていることを素直に表さないで、周囲のこと気にして自分の行動や発言をする人が多くなりっているのではないだろうか。周囲に迎合して自分の思っていることも押し殺ししまっている人が多くなっているのではないか。
学校などでいじめから不登校になったりするひとも、その自分の思っていることを素直に表すことができないでいることから、それを違和感を感じ身体が学校という集団に拒否反応を示しているといえる。

過去の日本にも、国家総動員令により、国体の名の下に自由が奪われ暗い社会でした。国体とは、天皇の統治する国という皇国史観です。それを支えるの考えが国家神道であり、それを具現化するのために作られたのが、教育勅語です。
いま自民党の議員のなかに、教育勅語を肯定しようとする発言が度々でてきます。そのようなことを考えると、戦前の国家総動員令と治安維持法下の時代のようになり、息苦しい不自由な世の中になりはしないかと思うようになってくる。
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メキシコ 死者の日

メキシコ  伝統の行事「死者の日」
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/txn/news_txn/post_165480

https://allartesania.com/day-of-the-dead-2017/
毎年おこなわれる墓参りが行われる前にに、27日死者を連想させる骸骨に仮装した人たちがパレードすされた。
骸骨は様々に彩りされ、派手で華やかな仮装に身を包んだダンサーたちが、街を練り歩きまるそです。

一方ことしは、海洋のプラスチックゴミの問題で、海洋生物が死んでしまうことをうったえての、ウミガメやクジラをかたどった風船を掲げている人いたそうです。地元の女性は「死者の日はメキシコの伝統で、世界の人と共有したい」言っていました。
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テクノロジーの進化どう進むのか

今回のテクノロジーの進化はどちらに進むのか、

人類が言葉を発明してから、人類の進歩は他の生き物と類人猿と違った進歩をなしとげた。文明・文化というものを持つようになった。
その言葉を持つことにより、人どうしの共同作業による、大勢の人による複雑な作業ができるようになった。そしてそれらの作業記録しようと絵を描いたが、より具体的んその記録を残そうとして、文字の発明につながりそれらの記録を残すことが、より正確に伝承できるようになった。
しかし、一方に人類がことばの文明・文化を持つ前は、他の動物の行動や考えが、誰にでもわかり獲物とし動物を捕らえることができたといわれている。また、動物の方も人の考えを察することができていたと考えるのは自然といえるのではないだろうか。
しかし、言葉を使いこなすようになると、一人のリーダーが獲物の捕らえ方の指揮を采るようになり、他のものは少しづつそれまで持っていた、動物の考えや行動を理解することが疎かになり、理解しにくくなっていったという。

文字を発明し記録ができるようになっていくと、今まで口承や音楽や絵などで伝えてきたものが、さらに進化し、文字によって記録するようになり、今までよりもより正確に記録し残すことができるようになった。その反面、人間は自然や人以外の他者にたいしての、イメージの幅がせばめれてていいった。私たち人類は有史以前の数万年以上前から、石器時代のころには、自然の移ろいや星の動きから、これから起きることを予測して生活するようになっていたとされている。

それらの、自然の移ろいを見ることにより、未来を予測することができるようになった。未来といってもこれからの春夏秋冬であるが。それは狩りをしたり、植物を植え育てるためには重要なことだった。それらのことを記録し伝えるにはいろいろな方法があるが、歌や絵で伝えることから始まり、それらは文字に置き換えられ、心情を情緒的に表現されるようになり、文学としての地位を得ていったといえる。
話は、急に飛んでしまったが。
文学を見ていても、シェクスピアやトルストイ、また源氏物語や枕草子などと、現代の文学を比べてみると、どちらの方がそのひと言葉ひと言葉の中にこめられた感情は、どちらの方が豊なのであろうか。
そう考えると、1000年前の人と比べて今の人はずいぶんと退化してしまているのではないかと思ってしまう。
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情報テクノロジーのこれから

昨日のブログの続きを考えみると。

印刷技術の発明により、新聞が登場したが、新聞はこれからいろいろなこと知ることができ、知性と教養が高まると期待するが、下らない情報も増え人の知性や教養は下落するとして危機感を抱く人もいた。しかし、それを何とか乗り越えていって人間社会は発展していったといえるだろう。
そして、ラジオが開発される。
ラジオは大量の情報を速報できるので、新聞以上に期待された。しかしまた、新聞の時と同じように、下らない情報が氾濫してしまうと、危機感を抱く人もいた。これも何とか乗り越えていく。
今度はさらに、テレビが登場し文字や音声だけでなく、視覚的に訴えることができることに、大きく期待されたが。これもラジオの時と同じように、よりくだらない情報が蔓延し、それが人の心の深く植え付けられると心配する人も多くいた。

それから40年ほどして、パソコン通信が登場し、さらにインターネットが普及し、そのインターネットの技術も格段にすすみいまは、ソーシャルメディアとソーシャルネットワークサービスが誕生し今にいたっている。
インターネットの黎明期草創期は、ーシャルメディアとソーシャルネットワークサービスなどもなく、インターネットをを使う人は少なくまた、使える人も良心的知識人だった、中には狂信的な知識人もいただろうが。そのネット上に流されてる情報は受けてもそれを処理できるだけの能力と知性があったと私は考えている。
しかし、この、ソーシャルネットワークサービスがメデァのように使われることにより、今までのラジオやテレビの時以上に、私たちの生活環境や情報環境を変えてしまうことになっている。
このソーシャルネットワークサービスは、だれでもが発信できるコミュニケーション媒体の一つになり、誰でもが自由にそれを使い情報を発信できるようになっている。いわば個人で自由に発信できる。電子の壁新聞のようなものになっている。
壁新聞と言えば、現代では阪神淡路大震災の時に情報インフラが機能い時期に、紙の壁新聞によって情報がつたえられた。また、一部で大活躍したのが、ガリ版の謄写版の手キン印刷の新聞だった、どれも原始的でアナログなものだが、それらは情報伝達に大きな役割をはたした。また発信する法もその情報の正確性を重視した。
しかし、今はほとんどの人がスマートフォンを持ち、それらは特定の地域だけでなく時空を超えて情報が伝えれるようになっている。そして、添えらから漏れ発信される情報の正確性や信憑性はあまり高くない。中にはフェイクが拡散されてしまうこともある。
いままで、ラジオやテレビなどの新しいメディアの危険性から何とかそれから切りぬけてきたが。今のソーシャルネットワークサービスからダダ漏れされる情報から、人々の身を護ことはできるのだろうか。教養主義はテクノロジーの進化により、今まで、衰退、没落、崩壊へと向かうのであろうか。
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教養主義について

内田樹氏がゼミの二人の学生、一人はカフカが好きで、もう一人は谷崎潤一郎が好きな学生がいた。そこで、内田は二人を会わせてみたところ、まったく話が噛み合わなかったそうで。
考えって見ると当然で、カフカと谷崎とでは全く違う作風で、カフカが好きな人は谷崎に興味はなく、谷崎が好きな人はカフカには興味はないでしょう。そこで話が噛み合わなかったのでしょうが、まったく話が噛み合わなかったといのは驚いた。
私は、美術大学で絵画を学んだが、お互いに作風が違って、作品を批判しながらも話のキャッチボールをしていた。
しかし、今の学生は自分の考えなどと合わなかったら、早い段階で見限ってしまうのでしょうか。
自分の意見や考えと違う人の話を受け入れることは、自分の考えを聞き入れることは、視野を広くすることができ、自分の考えを強化するのに役立ち、それは非常に効率的なものだと私は思うが、最近の学生やいやネットでのやりとりを見ていると。そのようなことより、自分の考えと違うことを相手が主張しても、それに対して話をつなげるような言葉がにならないでいる。そこで相手を批判してそれがエスカレートして時に炎上するという事になるのでしょう。

しかし、最近国会答弁をみていて、相手の意見を聞き入れて質疑に答えるのではなく、官僚が書いた紙を見て答え自分の言葉で答えないので要領の得ないものになってしまっている。だから、国会での与野党の議論が噛み合わずにいて、議論のキャッチボールになっていない。さらに、これしかない、決められる政治と言って、数の力で押し通し自民党の政治を自画自賛している。国のあり方を議論する立法府の国会がこのようなことをいていので、国民もそれに倣っているのでしょうか。
日本全体がそのようになればこれからどうなるのだろうか。自民党の改憲論者たちは、今の憲法の国民の人権と権利ばかりが書いてあるから、国民が身勝手になって利己的になっていると言うが、憲法にはどこにも自分勝手にしていいとは書いていない、憲法の第12条につぎのようにある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」つまり、逆に自分勝手であってはいけないと書いてあります。

改憲論の政治家に聞きたい、都合のよいように憲法を捻じ曲げて解釈したりし、法の執行も都合のよいように勧めているのはどちらだろうか。まずは自分たちの国会やその外での行いを振り返ってみてから言ってほしいです。
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積極的平和主義とは

三つの「積極的平和主義」
一つは、ノルウェーの平和学者であるヨハン・ガルトゥング(1930年- )が、1958年に提唱した、戦争のない状態を平和と捉える「消極的平和」に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を「積極的平和(Positive Peace)」と定義している。

二つ目は、国防会議事務局長を勤めた、久保卓也(1921年-1980年)が、9条の平和主義は「しない」が基礎だが「平和の創出のため」国外に向けて何か「する」する事が大事だと提唱していた。

三つ目は安倍晋三の、積極的平和主義だが、これはトランプ流にいう、「力による平和主義」の方が的を射ているように感じる。
安倍首相の「積極的平和主義」(Proactive Contributor to Peace)は、「平和への積極的な貢献」で「同盟国である米国を始めとする関係国と連携しながら、地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していく」だが、米国は、諸外国での軍事活動で、どこまで地域や国際社会の平和や安定に寄与しているかです。イラクやアフガンを見ても地域の安定に寄与しているかとは言えないです。つまり米国に従属しての積極的貢献をするなら、米国の軍事活動を支援するこちになりはしないかということです。

おまけにもう一つの、積極的平和主義
シンクタンク・日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一が1991に次のようにと唱えている。
憲法は日本の積極的な国際的貢献を禁じているどころか、むしろそれを求めていると考える。憲法はその第九条で「加害者にならない」ための禁欲的自己規制(すなわち消極的平和主義)を打ち出す一方で、前文のなかで「貢献者となる」ための利他的自己犠牲(すなわち積極的平和主義)を宣言している。

日本国憲法の前文と9条1には次のようにある。
前文
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

参考 Wikipedia
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パームロイヤルの琉球入朝図引

沖縄の那覇市に、パームロイヤルNAHA国際通りホテルの新館RAM(ロイヤル・アート・ミュージアム)タワーが開業された。
パームロイヤルホテルは、「球王国時代から交易を通じてつながりがあったアジアの国々の古美術から、ヨーロッパのモダンアートまでオリジナリティーあふれる芸術品でお客様をお迎えいたします。」とホテルの公式Webページで紹介している。
その、展示品の一つに、琉球入朝図引(にゅうちょうずひき)(江戸上り)」が展示される。
江戸幕府に対しての琉球通信使のようなもので、このことから、江戸時代から日本は琉球王国を独立国として認めていたことになる。

それが、島津藩が琉球に侵攻し奄美を島津藩のものにしてしまった。
NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」(安倍首相に読ませるとセイゴドンになるかも 冗談です。)でも、島津藩の流刑地として奄美諸島が描かれています。さらに島津藩は琉球王朝から武器を取上げ支配してしまう。それにより、武器を取上げられた琉球と人は、素手で戦く武術を中国の拳法から拳骨の活用を思い凝らし編み出したのが、唐手で今の空手といわれていると、海軍大佐の漢那憲和が、琉球拳法唐手でのべている。
話はそれてしまったので、もとに戻す。

絵巻は14mほどで、冒頭に「山景徳正懋」「寛政二年」、末尾に「洞秀藤原美敬筆」と書かれている。。高倉さんの父・幸次郎さん(故人)が40年ほど前に手に入れ、自宅で保管していた。入手の経緯は分かっていないという。
ほかにも、尚育王直筆の掛け軸、1853年に琉球王国を訪れたペリー提督の随行画家ウィリアム・ハイネの水彩画も展示されているという。9階建ての新館の各フロアにテーマ別で高倉社長所蔵の美術品100点以上を展示されているそうです。

ただ、琉球入朝図引絵巻は12月29日まで同タワー1階のパームギャラリーで一般公開されているそうです。


(沖縄タイムズより)

絵巻よると、寛政二年と記されている。
琉球大学付属図書館での資料を調べると次のことが書かれている。13回目の江戸上りに関する記録があり、その江戸上り文書 献上品目録明細書付によると、(1)使節の官職名・使者名、(2)献上品、など記され。献上物は太刀・馬、貢布・香・泡盛のほかに、螺鈿細工や堆錦細工の卓や籠飯などの品目が記されていると書かれています。

琉球王国は、1609年に薩摩の支配下におかれ、江戸幕府の下での幕藩体制に組み込まれた。それにより将軍や琉球国王の代替わりのきに江戸へ使節を送た。
琉球王国からの使節は約100人前後で、それに薩摩藩の藩主や役人達も加えて全体で1000人を超える一大行列だったと言われて、これが「江戸上り」である。
江戸上りは第1回目の1634年から最後の1850年まで、18回実施され琉球と江戸の往復には、およそ1年前後かかったそうです。
琉球から薩摩を経て伏見までを船で、伏見からは美濃路・東海道を経由して江戸までを陸路徒歩で移動した。琉球王からの贈り物をたずさえ、楽器を演奏しながら行列していくので、当時の人々の目を大いに引きつけ、街道沿いの住民は朝鮮通信使と同様に興味を示し歓迎したとききます。

江戸上りの一行や琉球を紹介する出版物が出回り、行列や服装等が描かれた錦絵はが多くだされ、それらは行列を見物するパンフレットような役割を果したようです。
いまより沖縄に関して関心が高かったのかも知れないですね。
(沖縄タイムズ参考)
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外国人労働者の権利・生活権

臨時国会いでの、最大の重要法案として、「いまの人手不足が成長を阻害する」として、外国人労働者の受け入れ拡大に向け新たな在留資格を設けるための出入国管理法改正案を今国会での成立を目指している。
今や日本は移民大国になっているが、外国人労働者の受け入れは移民ではないと言っている。もっとも、少子高齢化の人口減少により、労働者不足が深刻になっているのは事実です。
法律の改正でその対象業種は法律の中に書き込むのではなく、省令で決めるという。これでは、対象を広げたいと思えば際限なく広げることになる。これは全くのザル法といえる。

職種のなかには、高い賃金で人を雇うことは困難な業種もあるが、いったん賃金の低い労働力に依存した業種はそこから脱することが難しくなるといいます。人手不足を賃金の安い外国人労働者で賄おうとするのは、本当に日本の経済成長のためになるだろうか。
また、外国人労働者の権利と生活を守る必要うがあるが、企業からの人で不足だからと職種の対象を安易にヒレげられる省令で可能にす事はよいことだろうか。それはしいては日本国民の労働者の労働環境が悪化をまねく原因にもなりかねない。まずは、外国人労働者の労働環境と生活をまもるための方策を調えることが重要だです。
そのためには拙速に今国会で法を成立させることは、長期的にみて日本の経済成長のためにマイナスになるでしょう。
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教養主義の没落のあと

竹内洋が「教養主義の没落」が起き始めたのは、1970年前後としている。これは学園紛争が昂揚し日本の大学の多くの学生は、バリケード封鎖をしストライキが決行されたことにより大学は混乱した。まあ、新左翼の過激は浅間山荘事件や国際テロを起こしたころです。大学紛争は学生運動の激化により、政治や学生運動に関心をもたない学生が増えたのと、大学の臨時措置法により大学に警察力の導入がなされ、大学自治が問われるようになった。

京都芸大学長の鷲田清一は、教養のある人とは、自分(たち)の存在を世界(自分のそとがわの世界)のなかに空間的にも時間的にもちゃんと位置づけられる人だと言っている。

教養とは高学歴や知識をたくさん持っている物知りではなく、自分の立ち位置をつかめる人で、立体的時空的に見ることができ、一つのことを多方面から見て考える事ができる人。

そのためにインターネットが高度に発展して、SNS社会での情報収集には、落とし穴あながる。得てしてSNSのつながりは同質で同じ傾向の人とのつながりになりやすい。ウェッブ上の検索システムもランダムに検索するのではなく、同じ傾向のものを検索し上位に抽出し表示する人工知能が働いている。
つまりこのことは、自分の考えと違う物はすでに排除されていることになる。

インターネットでものを調べるより、図書館や資料館に行き調べたり、複数の本屋さんに行って本を選ぶ事は重要で自分の教養を高めることになる。
しかし、いま多くの人が図書館に行かずに、手軽に即時に調べられるので、スマホやパソコンでものを調べる事が多いがはたしてそれは、これらの人の社会活動としてよいのだろうか。

同類の考えの画一化がなされたり、二極三極の考え方の分断が起きて行くのを助長されないだろうか。

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これかららの教育行政

昭和57年10月号の『世界』に、「教科書検閲の病理」の寄稿文で「根本的対策は、文部省の廃止である。それができなければ、検閲の廃止と『指導料量』の廃止である。それができなければ、検閲内容の公開と、問題点の公開討議である」と加藤周一が岩波の月刊誌世界に執筆している。

加藤周一が57年に『世界』書いたことは、戦後しばらくしての1948年に、教育刷新委員会第十特別委員会(後に廃止)の文部省改革委員会での提言案にある「文部省は学芸及び教育の普及について、必要且つ適切な諸般のサービスを提供し、教育の分権に伴ひ、地方において行なわれる教育に対しては充分なる援助を与ふると共に、あくまで基本的人権を尊重して精神活動の自由を保障するすることをその主要な任務として、いやしくも、国家権力をもって、学芸及び教育の実体に干渉を加ふることのないようにせねばならない。また、その任務の遂行に当たっても、文部当局は、できうる限り民意を尊重して独善におちいるがごときを避けなければならない」と提言していることを踏まえてのことであると思われる。

教育刷新委員会が開かれてたのは戦後直後のことを考えると、戦前に尋常小学校が国民学校に改変され、学校に将校が配属され、軍部が教育に干渉し教育の自由が奪われていった。当時の日本では高等教育を受けるものは、ごく少数であったが大正時代や昭和初期は旧制高校などはには自由な雰囲気があり、学問の自立性は保たれていたようだが、大政翼賛挙国一致のもと、旧制中学高校とも小学校と同じく軍部の干渉が及んでいった。
そして、国全体が大東亜戦争へと駆り出されていきその要ととして、学校が重要な役割を果たすために利用されていったことは周知のことです。

そのとに対して、終戦直後、日本国憲法のもと教育のありかたと文部省のあり方が議論され、文部省の名称も教育省や文化省などと改めたらとの意見もあったという。教育が自由で民主的な方向に進むようにと、教育刷新委員会が持たれ、多くの人がどのようにすればよいか意見を出し合ったという。
しかし、それから60年近くたった、第一次安部政権のときに教育基本法が改正?改悪され、その後の文科行政をみていると、戦後の進められた刷新会議の理想は無くなっていき。いまは、文科行政は政権の施策を推し量るように進めれれているようです。

昭和57年と言えば、私が教職についてから数年たっているが、教壇に立ったころと退職するころと比べると、中学校の男子生徒は市の一校を除いて丸刈りで、管理教育が問題だとそれていた。そして、しだいに個性を生かす教育とかゆとりある教育などの取り組みが行なわれた。個性豊かな人として尊重される教育が学校で本当に行われているかと問うと。退職したころと教職に就いたそのころと今を比べると、生徒の個性を尊重する指導というが、教育データは数値かされデジタル化され、巧みに管理教育が強化され進んでいると感じる。また、指導の現場では結果を出すことが求められてきている。

さらに、柴山文科相は就任した記者会見で、教育勅語の認識を問われ、「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある」と発言、菅官房長官は柴山相にその真意の確認などは、必要はないしてその発言を容認した。また、政府は昨年3月に、教育勅語の教育現場での活用を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」としています。そもそも、教育勅語は衆議院で日本国憲法第98条(最高法規)の本旨に基づいて排除する。参議院でも日本国憲法に則って教育基本法を制定した結果として、教育勅語は既に廃止され効力を失っていると決議しています。それなのに、憲法や教育基本法等に反しないような形とはどういうことだろう。教育勅語をよく読むと、現行憲法にそぐわないものだし、改正前の教育基本法にもそぐわないし、第一次安倍政権のときに改正した教育基本法にもそぐわないといえまる。
それなのに、教育行政のトップである文科相がアレンジしたら使えると言うのは、教育勅語の復活をもくろむような発言といえる。70年前の刷新委員会の提言案とは反対の方向に進んでいると感じる。

この教育の反動的な流れは、安倍政権になってますますその流れはつよくなり、国家神道や皇国史観を理想とする人たちの思いを、国民にも押し付けようとしていると思えてならないです。

本来、人間は個人的な内心の自由がありそれを、自由にいつでも表現できることが、人として生きがいを感じるものです。しかし、教育勅語には家族は助け合うなど良いことが書いてあるので教育に仕えるというが。教育勅語に書かれている一番重要な点は、天皇の正当性と、天皇のために身を殉せということです。天皇制の国体を守ることが一番大切だと書かれている。
しかし、それは伏せて道徳教育に使えるというのは、その裏に何かを隠していることはそう考えると透けて見えます。そもそも人の道徳観・倫理観は人それぞれで違うもので、画一的に金太郎飴のような道徳観などはないものです。しかし、教育勅語は天皇のために国民は一つになりなりなさいとといている。そして、それは、戦前の教育で余計なことを思い考えず、小国民として生きろと訓導された。それを、教育勅語復活させよとする人は、それも復活させよとしているといえる。
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日めくりカレンダー

筑摩書房から面白いカレンダーがでている。「日めくり 大江戸味ごよみ」だが、私は2018年版を去年かい、今年も来年の2019年版を買った。

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二つの年度の内容を比べ、図版と解説の文が同じところあったば、新しく図版と解説部を新たに差し替えているところもある。
図版は江戸時代の食に関する風俗や、屋台や店などが描かれた当時の本などからとったもので、解説文は江戸時代から続く老舗の人が執筆している。執筆陣は、「にんべんの監査役」、「重箱の八代目」「神田まつやの五代目」「八百善の十代目」「菊正宗記念館名誉館長」「山本海苔副社長」「豊島屋社長」「銀座ハゲ天社長」などです。
なかなか読みごたえのあるカレンダーとも言えます。

ただ、江戸時代の食べものなどに特化するなら、できれば、食の季節を感じさせるためにも、太陰太陽暦の旧暦の表示をもう少し大きくし、二十四節季と七十二候と月齢を絵で添えてあってもよいかと思った。もっとも旧暦の月日を記していたら、月齢は判るのですが。

この記事を書いていると、ないも江戸のこだわらなくよいなと思い。「浪速の味ごよみ 食い倒れ暦」や、「全国行脚 味ごよみ」として「東海道味ごよみ」「中山道」「山陰道」「奥州道」などもどうかと思ってしまった。
いやいや、やっぱり食道楽と言えば、池波正太郎の「鬼平 味ごよみ」などはどうかとおもった。
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アメリカの中間選挙

NHKのニュースによると、トランプ大統領はホワイトハウスでで記者会見を「議会上院での共和党の勝利は歴史的快挙だった。われわれは多額の資金が民主党側に投入され、メディアの敵意に満ちた報道があったにも関わらず、これを成し遂げた」と述べたと報道しました。
これを聞いていて、「メディアの敵意に満ちた報道があった」は、自民党が下野に下ったときに、自民党が行ったことににている。政権を取り返したときも安倍総理はニュース番組にでて同じことを述べていた。ただ違うことは、トランプ大統領は「にも関わらず、これを成し遂げた(議席をかくとくした)。」と述べているが。安倍首相はメディアを批判し、民主党の政権運営を批判し自民党の優位正当性を鼓舞しました。

安倍首相は、ことあるごとにトランプ政権と親密な関係にあると語り、同じようにトランプ大統領も「安倍総理は最も親しい友人だ」と語っています。
類は友を呼ぶというか、異なる意見に対して聞く耳をもたなかったり、政権への批判ニュースをフェークだと批判し返す。相手の質問に対しては正面から答えようしない。二人はよく電話会談をするといいますが、互いに自分のこのような手法を紹介しあっているかのようです。

暴走する政権にはそれを正常にもどすには、両院議会での「ねじれや」首長と議会の「ねじれ」がひつようです。
決められる政治などと述べて、暴走を許すならそれは有権者が独裁を許したことになります。
その意味でアメリカ国民は、まともな判断を下したといえるでしょう。
今後ねじれにより政権運営が難しくなるので、民主党と連携呼びかけるなど、いままでの対決姿勢をあらためる示唆しました。トランプ大統領は今後どのような政権運営をするのでしょうか。
日本の安倍政権は絶対多数を大きく上まる議席で、暴走する安倍政権だが、来年参議院選があるが私たちはどのような結果をだすだろうか。
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インドネシアで最古の洞窟壁画

古代人の描いた洞窟画といえば、アルタミラ洞窟壁画とラスコー洞窟壁画は、よく知れれ世界最古の人類が描いた絵といわれていました。
しかし、1950年代にインドネシア・スラウェシ島の鍾乳洞で発見され絵は、今までせいぜい1万年前のものと考えられていた。
しかし、オーストラリア・クイーンズランド州のグリフィス大学の考古学者 Maxime Aubertらによって、科学雑誌ネイチャーに4万年以上前に制作されたものと報告された。
共同通信によると、研究―チームは壁画を、現生人類が欧州で残した最も古い洞窟の壁画とほぼ同時期とみている。単純な絵ではなく具体的な描き方をしていると強調している。洞窟がはアルタミラとラスコーから欧州が中心となって発展したと考えられていたが、インドネシアの洞窟画が4万年前のとなるとそれより古いことになる。
現生人類の祖先だるホモサピエンスがアフリカから中東を通って、ネアンデルター人のいた欧州にたどれ着いたのが、5万年前とするとそれから1万年ごには東南アジアにたどりつき、海洋進出もしていたことになる。

今後人骨が出土され私たちの祖先である、ホモサピエンスなのか、また、それ以外に人種なのかが解明されることを期待したいです。

参考 nature ダイジェスト
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ポメラについてキングジムに質問したら。

キングジムにメールを送り、私が使ったポメラの不具合にについて質問すると、早々に丁寧に返信メールをいただきました。

それによると、
1.キーボドの折り畳みによる、経年劣化?は、私が納得する回答ではなかったですが、改善されているようです。
2.USBコネクターについては、DM100等と同様な仕様とのことで、私の使い方の荒さ?か、もともと、差し込みのジャックがミニなので、ハンダの強度はそれほどないのでしょう。製造段階の当たり外れがあるかも?。
3.私が一番気にしていた、DM30の筐体がマット状に塗装されているのがベトベトしたことについては、「DM20とは異なる塗装を採用しております。」とのことでした。経年でベトベトにはならないとは書いてなかったですが、DM100は樹脂面は塗装していし、私の持っているカシオの電子辞書は銀の塗装がしてあるがベトベトにはまだなっていない。ただ、角のところが樹脂がすれて剥げてきているが。合成樹脂の素材に何故塗装をしなければと思うのですが。まずは、ベトベトとならないと期待を含め理解しています。

これで、いま、新しくでたポメラを使いたくなってきましが、買ったらまた、その後の使用感を綴りたいと思います。

そうだ、ポメラDM100は、二つの文書を同時に表示させることができるが、それができるのかは問い合わせるはしなかった。まずはPDFの取説をみてみます。PDFの取説を見るとできないようです。
20にはなかく、100にはある電子辞書と、アウトライン機能はついているので、でさきでの使い勝手はいいかもしれない。
1ファイルの文字数は、50,000字 日付メモの文字数は8,000字、通常の文書作成で文字数は支障がないでしょう。

追伸
先日書いた記事、http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-3766.htmlで、200と書いたところがあるが、それはすべて100です。
また、200のDM200は、CSV編集はできないです。
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  • 日本の報道の自由
    竹林泉水 (06/17)
    コメントありがとうございます
    まったくそう思います。
    民放は広告収入元のスポンサーからの収入があるので、その顔色を見るからしょうがないにしても、政権の顔色を見る必
  • 日本の報道の自由
    風と雲 (06/10)
    政権に不都合なことは隠す、曖昧にする、知らしめない。これは政権が世論を最も恐れっるからだ。現政権は硬軟取り混ぜた巧みなメディア操作と中身の無いパフォーマンスが功
  • 日本の報道の自由
    アジシオ次郎 (06/10)
    おはようございます。

    こういう指摘についてすぐに「内政干渉だ!」って反論も出てくるけど、日本の報道の自由度というか報道が健全かという点において先進国において❝
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