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今日は子供の日

今日、6月1日は「こどもの日」です。なにを寝ぼけたことを、「こどもの日」は先月5月5日ではないかとおっしゃるでしょう。正確に1925年にジュネブの子供の福祉世界会議で、6月1日が「国際子供の日(International Children's Day)」と制定されています。
また、国際連合総会では1954年に、国連が子どもたちの世界的な友愛と相互理解の日に、また世界の子どもたちの福祉を増進させる活動の日に当てるよう11月20日を「世界こどもの日」とすることが制定されています。

それ以前に、1920年にトルコが4月23日を国家主権と子供の日と制定しています。子どもへの人権への考えは古くからあるが、「子どもの権利条約」が国連で採択されるのは1989年まで待たないといけないです。日本が批准したのは1994年でその年に発効しています。

日本でも6人に一人が貧困状態にあると、子どもの貧困問題が深刻化しています、今日は子供の権利について考える日にしたいです。

ちなみにwikipediaで子供の日と検索してみました。すると6月1日を子供の日としているのが、ロシアや中国、ベトナムなど44ヶ国。11月20日を子供の日としているのが、エジプト、カナダなど4か国でした。日本のように独自の日に制定しているのが、インドやオーストラリアなど37か国でした。
また、子供の日を特に制定していない国・地域は、アメリカ、イギリス、フランスです。いずれもこの参加国は、いち早く民主主義を取り入れた国ですが、だから早くから子供の人権が守られていたかというと、子供や女性にたいして守られていたかというとそうでもないようです。
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私たちが書く憲法前文

月刊誌『中央公論』で一般の読書から憲法前文を書くこが呼びかけられ公募された。それが連載されたた留と言う企画が10年以上前にありました。その内容を多くの人に知ってもらおうと一冊の本にという声もあった。本来なら『中央公論』の出版元の中尾公論新社からは、採算が採れないとの理由で見合わされ。なぜか角川書店から『私たちが書く憲法前文』というタイトルで2002年に出版された。また、同時に、あらたに、多くの庶民が憲法について考えるために、読者からの「憲法前文」ば公募され、多くの人から応募があったが。今度は10代の応募作品に絞られて、『「私」であるための憲法前文』のタイトルで角川書店から出版さてています。
前の本も後の本も、中学や高校の授業で憲法を考えるために、生徒に自分で考えた「憲法前文」を書かせた授業もあったようで、クラス単位などでの応募もありそれらが掲載されています。
憲法とは何か、また憲法全文を読んで考えるのは、憲法についての知識がないと、正しく考えることができず誤解にもとづいたものになりかねないです。
しかし、全文だけだと身近な生活の中から、その国に生きる上でどうあって欲しいかを考えることができます。そこから日本の政治は外交はどうか、経済はどうかを考え憲法とは何かを考える事ができるでしょう。

この二冊の本に書かれた憲法全文の内容は多岐にわたっています。
国家ありきのようなものから、日本の皇国史観を伝統文化としたような欽定憲法観にもとづくものや、国定憲法?のよなもの、しかし、多くは民定憲法観にもとづいたものが多いです。しかも憲法学者が考えた堅苦しいものは少なく、いまの日本のこの国に暮らす人々の声が聞こえます。
私がいまここで「人々」と書いたのは、日本国憲法の全文の冒頭は「日本国民は、」から始まりますが、英文の
「Japanese nation」ではなく、「Japanese people」と書かれているからです、本来なら「日本国民は」ではなく「日本人民は」とか「日本に住まいする人は」となるべきです。なぜそこにこだわるのかというと、なぜ people を国民と訳したのかを考えてみたいからです。それは明治維新以降藩閥政治を行い、それによる作られた伝統文化を守りたい思いがあったからではないかと私は思うのです。
この「私の書いた憲法前文」には、それに捕らわれ?囚われ?た人もいれば、それから解放されている人もいれば、自由に自律した考え芽生えを感じさせるものもあります。
この「私の書いた憲法前文」が出版されたころは、サッカーワールドカップはあり、小泉政権のころです。すでに15年以上になり、いまのようなナショナリズムが台頭しヘイトスピーチが横行していなか、国会では改憲議論を加速させようとしています。
そんなか今一度この本が世にでて多くの人が憲法とはないかを考える機会になればと思います。
また、いま、多くの民主主義や憲法についての本が新たに出版されています。その中にはリベラルなものもあれば、保守的なもの、反動的なもの、皇国史観や国家神道がよきものとするものもあります。
それらに惑わされることなく、一庶民としてこの国にすむ一個人として生活するにはどうあるべきかを考える「憲法前文」を自分なりに考えてみたいです。

また、「ふつうの一個人が考えた憲法前文」などのようなものがまた、企画されることを望みたいものです。
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天皇退位の審議が2時間半

1日に衆議院の委員会で、天皇退位についての法案が審議されたが、2時間半の質疑だと言う。自民党の幹部が退位の問題が出たころ「陛下の退位を政局に利用してはならない、激しい論戦にはなじまない」と言っていました。
しかし、国民主権の下での象徴天皇制に大きくかかわる問題です。それを国民の関心があるのに、それに対して国民の思いや考えを言うのは、許されないような空気を作っていくのは、議会制民主主義にとって大きな危機を招くことになりかねないです。
野党も天皇の問題に大きくかかわることは、国民にどのように受け取られるのかを気にして、審議の論戦を展開することに慎重になています。また、自民党幹部はこの退位の問題を、院外での野党との水面下での根回しをして、静かに速やかに終わらせようとしているようです。

私は、自由と人権を尊重する民主主義の日本国憲法のなかで、一番人権が侵されているのは、天皇陛下や皇族だとおもいます。
選挙権もないし、政治に関することは言うことができない、自由に市中を遊びまわることもできないです。ここに日本国憲法の象徴天皇と自由と人権尊重においての矛盾点があります。

憲法によると、第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあり天皇の地位と主権在民が明記されえいます。
第3章の国民の権利義務では、第11条で〔基本的人権〕第12条で〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕第13条で〔個人の尊重と公共の福祉〕第14条で〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕が、国民は・すべて国民はとして保障され尊重されています。では、天皇はどのような位置づけとして考えればよいのか。

国籍法では、第一条日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。とあり。日本国民である第一の要件は、第2条に、出生の時に父又は母が日本国民であるとき。と書かれています。
明治憲法は天皇は、第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とさ神格化されています。戦前は奉安殿が設置され、天皇と皇后の御真影(写真)と教育勅語を納められ、奉安殿の扉は普段は閉ざされ祭祀がある時だけ開けられました。しかし、扉を開けるときは、国民(臣民)は恐れ多いと頭を下げて見ることはできないとされていました。日本国民とは別格として天皇は神格化され、日本国民は天皇に仕える臣民とされました。
戦後ポツダム宣言を受諾し、明治政府の統治体制を民主転換に制度変えていきました。しかし、天皇制は深く手がつけられずそのまま明治体制が維持されたような感じです。そのため、天皇は日本国民であるかは曖昧なままになっています。

今の象徴天皇は天皇の有史いらいこれほど天皇が国民に親しまれることはなかったです。それを自民党の人たちはこころよく思わず、自民党の天皇退位の問題でて国民が象徴天皇についてよく考えて欲しくないと思っているのではないかと思う。
今までの、自民党議員の発言や、自民党の改憲案を読むと、今の象徴天皇より戦前の天皇を国の最高位に戴いた天皇制が、日本の美しい伝統に仕立てたいのでしょう。

そのようなことを考えると、国民主権のいまにおいて天皇の退位の問題を短時間で審議を終わらせるのは問題あるでしょう、より親しみのある象徴天皇の位置づけにするためにも、与党自民党も議論をすることに前向きであるべきでしょう。
もっとも、自民党は天皇は神聖で侵してはならないものなので、そのようなこと議論すること自体が不敬にあたると考えているのでしょう。しかし、明仁天皇の平和を愛し民主主義を重視する言葉を繰り返し述べられています。それ対して、安倍政権の憲法を軽んじ人権を軽んじ民主主義を軽んじる言動は、それこそ天皇を尊崇しり気持ちなどなく早く退位してもらい、自分たちの理想とする思いの天皇に仕立てたい思いが自民党にあるのではないかと思います。

良識の府である参議院では衆議院のような拙速の審議ではなく、充分吟味された審議になることを望みます。

□ 参考 □
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
十、・・・・略 日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
Huffingtonpostによる日本語訳
6. 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。
10. ・・・・略 日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。
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リークは正当なのか

前文部科学省事務次官の前川喜平氏が、加計学園の問題で、怪文書と言われる「これは総理のご意向」の内容の文書の存在を、政権は「存在は確認できなかった」と回答し全面否定していることについて、文科省内の関係者は誰もが件の文書の存在を知っていものを、「あるものをないことにはできない」としてその存在を明らかにしました。また、官邸の意を汲んで虚偽の報告をしていることが明らかだからだとも言っています。

アメリカでいまトランプ大統領のロシアとの関係が、リークされたりしているが、それに対して報道機関の対応は真相を明らかにするよう、トランプ大統領に攻勢を掛けています。しかし、日本の主要紙は前川氏の証言を掲載はしたが、その後の追求は積極的ではないです。それどころか前川氏が在職中に出会い系の風俗店に出入りしていたことを、安倍政権に近いとされる全国紙が伝えています。
前川氏が存在があったとする事実の問題点をそらすような記事を載せています。そのことについてその後前川氏は、風俗店に行く素行は文科省の信頼を落とすものとして、注意されたと自ら告白しています。
政権側は前川氏のその事について、一つの新聞社にリークしたのはなにを意図しているのでしょうか。

わたしは、以前に官僚は誰のために働くのかの記事を書きましたが、前川氏のリークは政権のためではなく、省益や国民に事実を知らせるたのものといえます。そこには、時の政権と対峙する意図よりも事実を明らかにするためといえるでしょう。それはしいては日本のためにもなるでしょう。
しかし、日本の報道機関が政権に遠慮しているようにかんじる、それはジャーナリストとしての使命を放棄しているように感じる。
日本の民主主義を守るためには、国民の知る権利が冒されてはならないが、いま、その知る権利が侵されてしまっていないかしんぱいです。
また、自民党憲法案の表現の自由について次のように書かれている。「第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。」となっているが、次の文言が付け加えられている。「2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」となっている。この「公益及び公の秩序を害する」がどのように運用されるのか心配です。

マジョリティーがマイノリティーを駆逐するようになってはならないです。少数者の意見も取り入れ、公共の福祉の実現を目指すのが、民主主義が重要視するところです。しかし、自民党議員の中には国会前のデモの参加者が増え、抗議の声も大きくなるとそれをテロと同じだと言い、抗議をする人が畏縮するような発言をしたり。国会では野党の質問に真摯に答えず審議も尽くしていないのに、誠意をもって答弁している審議は尽くされたとして、数の力に任せて強硬採決しています。自民党のいう「公益と秩序」とは、マジョリティーにマイノリティーが従うことのように感じます。
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前川喜平前文部科学事務次官の発言について

私のねらいは安倍政権打倒ではない、行政での意思決定での過程がおかしい、きちんとした手中を踏んで議論をし納得のいく意思決定ができていないことはおかしいと言っているので、国民がきちんと見えるようでなければ、おかしい過程の意思決定が行われた文書があるのに、文書はないと言えない、これでは国民の信頼をますます失墜する。またこのようなことがまかり通れば民主主義がなりたたなくなるので私は発言した。このようなことを、学校法人加計学園の獣医学部新設計画に関する記録文書を巡り、文書の存在を「本物」と証言した前川喜平前文部科学事務次官は、ニュース専門ネット局のビデオニュース・ドットコムで言っています。
しかし、政府側のそれに対する対応は、「出会い系バー」に「調査」名目で行ったと報じられた。前川氏もこれを認め、菅義偉官房長官は「教育行政の最高責任者として到底考えられない」と指摘しました。前川氏は「出会い系バー」について、行った事実を認めているが、行ったのは前川氏が天下り問題で辞任する前の話で、また、「出会い系バー」に行ったことについて、特区の問題が出てくる前の昨年の秋に内閣官房副長官の杉田さんから呼び出され、事実関係を聞かれ教育にかかわる文科省の官僚がこのようなところに出入りするのは適切ではないと注意したまえ指摘されたそうです。それ以降「出会い系バー」には行っていないといっています。
読売新聞は前川氏の「出会い系バー」に行っていたことをスクープしました、しかし、このネタは週刊新潮によると「安倍官邸は警察当局などに前川前次官の醜聞情報を集めさせ友好的なメディアを使って取材させ彼に報復するとともに口封じに動いた。事実前川前次官を貶めようと取材を進めるメディアがあった。読売新聞の二人がきていた」。政府からリークされたものようです。

このことを見ると、トランプ大統領がマスコミの批判的ニュースをフェークだと言い報道機関と批判する。また、トランプ大統領の娘婿のジャレッド・クシュナー氏とロシアの関係。このことはロシアや中国のように不都合な事を言った人に、信用をおとしめる中傷攻撃のようです。ロシアはソ連時代に政敵を追い落とすために、相手を中傷する情報をメディアに流し、政敵を追い落とし粛清してきていました。このようなニュースは今のの北朝鮮でききます。
このような事を考えると、権力者は常に政敵や官僚の弱みを探り握っておこうとするのは常のようです。このことと、自民党の憲法案には思想及び良心の自由で「第十九条の2項で、何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。」となっています。権力者は個人情報を集めてよいが、他のものはだめだというようです。
「何人も、個人に関する情報を不当に蒐集されない。またプライバシーを侵されない。取得され、保有されている情報な保護され目的外に利用してはならない」。とあってほしいものです。
権力者は、与党議員や身内や官僚の醜聞やスキャンダルなどのプライバシーなどの個人情報を集める目的が二通りあるとされています。一つは身内を守るためにもみ消しをするため。もう一つは権力の源泉として使うことがあるとされています。
このような事を考えると、権力者は常に政敵だけでなく身内の動向を監視しようとしているこになる、そうなれば今、国会で審議されている共謀罪、テロ等組織犯罪防止法の運用が心配です。
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自分が変えられないようにするには

5月31日に記事のなかで、マハトマ・ガンディーの『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。』 の言葉を引用しました。

世の中の流れに任せるままに過ごす、多数者の意見に従う、カリスマ性のある指導者に盲目的に従属していくと、気が付いたら自分の意図していない方向に自分も進んでしまっている、それどころか自分は率先してそれに加わって率いている。このような状況になってしまうと、いかがわしい宗教団体や勧誘商法の研修会や集会に参加してしまうのも、それらの集会で参加者を巧みにマインドフルネスが満たされたように錯覚されて、その宗教団体の信者になったり、勧誘商法の勧誘者になってしまったりします。
自分の自主性を大切にし自律的コントロールを奪われないようにすることはたいせつです。小選挙区制の選挙せいどになり、自民党は執行部が選挙人事権を握るようになってから、総裁や執行部の顔色を見て自分の言動をするようになってしまいました。それにより、執行部の考えが違うならそれを押しとどめて面従腹背で従おうとする。しかしそのうちガンディーの指摘するように、気が付いたら面従腹背ではなく面従腹従になってしまう恐れがある。
なんだかそのように見ていると、自由民主党は Liberal Democratic Party of Japan というが、リベラルでもデモクラシーとも相容れない、カルト的な宗教団体のような組織になってきている。
自民党をもっと Liberal Democratic を大切にする党とあって欲しいです。そのためには、今のように党の執行部や内閣の閣僚をお友達で固めるならますます、党の名前と相反する羊頭狗肉な党になってしまうのではないか。

自民党に限らないが、選挙区から立候補者を選ぶとき中央の執行部の作った踏み絵を、立候補希望者に踏ますようなことをしているようです。そのようなことをすればその時は選挙に勝つだろうが、長い目で見るとそれは組織の力を減退さえるはずです。
先日も、このブログの記事に「マジョリティーがマイノリティーを駆逐するようになってはならない」と書きました。組織は常に少数者の意見も取り入れることにより、しの組織の多様性が出てきていろいろなことに対応できるはずです。少数者の意見も大切できる寛容さが重要なのではないでしょうか。
しかしこの10年ほどを見ていると、地方自治体の選挙では知事立候補者は選挙塾を立ち上げて、自分の考えの染まった人を地方議会の選挙に送り込み、議会を知事の意向にそうように乗っ取ろうとするようなことが起きています。その例として、大阪の橋下氏の学習塾からはじまる維新の会の手法がそうで、関西を中心に広がり全国にも広がっていっているよです。

王政の時代ではないので、国政も地方自治も首相や首長がその議会も牛耳ってしまうような状況に進むよなこと、民主主義に対して大きくマイナスになります。しかし、日本だけでなく民主主義の先進国の欧米やまあ、後発の東南アジアや南米でも同じような問題を抱えているようです。今一度、民主主義はどうあるべきかまた、民主主義の危険性とその敵を探し求めるために考えていきたいと思います。
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女系皇族に反対するわけ

天皇陛下の退位についての特例法が見えてきたが、生来の安定的な皇族継承のため、女系皇族につい考えて行くことについての付帯決議が付けられることになった。しかし、その女系皇族について考える会議に開催時期は明記されなかった。

女性皇族についての付帯決議は、民進党などの野党に配慮したものだが、会議の開催時期を明記しなかったのは、自民党内に強く反対する人たちに配慮したものです。

そのことは、日本の天皇と神道について、また、自民党の憲法の天皇観、また最近明治憲法発布の翌年に出された、教育勅語を読んでいくと理解できそうです。

女系皇族に反対している人は、記紀に基ずく明治維新後に作られた歴史観を日本の伝統として、男系社会が正統でそれを維持して行かなくてはならないとの考えからでしょう。
古事記、日本書紀にあるように、天上無窮の神勅を初めとする天照大神より受け継がれてきた国であり。その皇祖
皇孫に与えられた三つの神勅とし、天皇は日本の永遠の王である。八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉の三種の神器が皇位の象徴として不可欠なものでそれを、2000年以上のながきにわたり代々引き継いできちる。稲作を初めとする神から与えられた神勅は、天皇が日本の政治、祭祀両面における王であるいうのです。
そして、教育勅語にあるような天皇の臣民は一つの家族であるという観点から、家長制度を今の日本に復活させることが、美しく強い日本にする一番の方法だという思いからだです。
そして、「日本は万世一系の天皇が統治し」、「天皇は神聖にして犯すべからず」とあるところから、記紀などの神話に由来する歴史的伝統に依拠して国家を統治しようとするものは、国民は国家を無自覚的に受け入れに与えられた共同体としてするものです。それは民主主義の根本則からかけ離れたものといえます。
そのような体制では、制度的にあっても実質上は立憲主義は機能しなくなり、議会は充分な役割を果たせなくなります。日本は中国から伝来した王道政治を取り入れ、天皇は王道の王にして覇道の王ではなく、天皇が専制君主でないと主張して、立憲主義は西洋の思想として否定してもやぶさかではないと思っている人もいるようです。

このようなことから、多元的な価値観を重視し、個人の確立と合理主義、民主主義等の思想にからくる男女同権平等は、皇国日本を熱愛しその回復に全力を尽してきた国家神道の復活を願う人にとっては耐え難い事のでありましょう。

私は、本来は神道の本質は、自然信仰より発する人間と自然を区別なく融合の内に捉える、祖霊信仰より発するもので共同体的信仰であること、多神教である事より発する価値多元性と相対性、基本的価値意識として善悪より美醜を優先すること、のが民衆の生活のなかに息づいている神道が歴史的伝統として尊重されるもので、国家神道と日本の本来の伝統的な神社神道とはかなり違うものだと考えています。

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ケイ氏の国連人権報告書の草案

森友学園、加計学園の問題も、忖度があったや誰の圧力があったかなどよりも、国有地の払い下げの過程や、特区制度で獣医学部の設置が決まるその決定の仕方が不自然でです。それについての国会での質疑で首相の答弁は「ファクト」「それは印象操作だ」を連発している。さらに、「あるものをないと言えない」と言った天下り問題で辞任した前川前文科省次官を、天下り問題の責任は重いと論点をすり替えたり、出会い系バーに行ったことを取り上げて自分の方が印象操作をしている。
官房長官は「出所が不明確なので調査しない」と無視の一点張りです。また、国連の人権委員会の表現の自由に関する調査報告の調査団のケイ氏の報告書の草案にたいしては、、「事実の誤認や不確かな情報に基づいて勧告している」として、事実無根と誤解に満ちていていると猛反発している。また、告書の内容を受け止め改善すべき点は改善しする気はなく、報告書の内容については一切聞く耳を持つ気はないようです。また、調査団に代表の委員会に提出する草案を、ケイ氏個人の見解だ無視するようです。しかし、数日後には、ケイ氏の草案が理事会を通りそのまま日本に勧告されるかもしれません。そこで、安倍政権は国連の人権委員会に日本政府は反発していると圧力をかけ委員のメンバーに忖度でもさせたいのでしょうか。

ケイ氏の国連人権報告書の草案は次の8点です。(ビデオドットコムから)
1.放送法4条の改正
2.沖縄問題や原発事故、日本の戦争責任などのセンシティブなテーマを調査報道すジャーナリストの自由を保障
3.記者クラブの門戸を拡げることで強力なジャーナリストの連帯の構築
4.歴史教育への政府の介入
5.選挙活動やデモ及びその取材活動の自由を保障
6.秘密保護法を改正しジャーナリストの取材活動を対象としないこと及び公益目的の情報開示が罰されないことを保障
7.広汎な反差別法(ヘイトスピーチを含む)の制定
8.盗聴やサイバーセキュリテイ強化におけるプライバシーや表現の自由の保障(盗聴は例外であり、いかなる場合にも独立した司法機関の監督を要する)

1は、放送法4条は高市総務相の発言によるもの。2は、政府にとって都合の悪い取材に対する圧力。3は、記者クラブ制度のありかた。4は、アジア太平洋戦争の正当性や、従軍慰安婦問題などの教科書検定など。5は、選挙活動とその報道の公平公正。6は、秘密保護法や共謀罪。7は、ヘイトスピーチ。8は、プライバシーや表現の自由の保障。これらの問題があり表現の自由が脅かされている。表現の自由が抑圧されると自粛が始まり、その次に人々は自分の人権に抑制的になり、その次には皆が一律的になることが正しいと思うようになります。

これは、報道メディアにとって大変なことです、テレビや新聞はそのことを大きく取り上げないです。このことはすでに、2と3がすでに危機的状況に近づいていることを物語っているのでしょう。
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ヤクザと憲法

東海テレビドキュメンタリーに『ヤクザと憲法』というのがある。
2016年公開された圡方(土方)宏史監督の映画です。いまも、各地で自主上映などがされています。
ヤクザにとっての人権とは何かをかんがえさせられるものです。
暴力団排除条例により、銀行口座の解約、宅配便や出前の拒否、幼稚園の登園を拒否されるなど、反社会的勢力とされヤクザ本人とその家族が人権侵害の実害を受けている。人によれば反社会的行動を繰り返すので、それは憲法に公共の福祉に反するとして人権が制限されても当然だという人もいます。
この映画の公式Webページでは、作家の宮崎学氏は基本的人権や法の下の平等を定めた日本国憲法の各条文には「但し、ヤクザを除く」とする但し書きがついているのが現実だ。というコメントを紹介しています。
しかし、憲法に書かれている国民の権利及び義務には次のようになっています。
〔国民たる要件〕第10条日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
〔基本的人権〕第11条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
日本国憲法に書かれている

「公共の福祉に」とは何かについては、
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕第12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
〔個人の尊重と公共の福祉〕第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国民であったら、すべての国民は基本的人権は保障されると明記されています。ただし、他人の人権と衝突しても自分の利益権益のみを追求するような、公共の福祉のために権利を主張できるのであって、それに反することをことをしてはならないと書いてあります。そして、「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」となっています。この部分の主語は「立法その他の国政の上で」となっているので国は個人の自由を最大限尊重しないといけないということでしょう。それでは、公共の福祉に反する反社会的な行いを繰り返すヤクザにたいしては、基本的な人権が制限され侵されてもよいとするのだろか。特に本人はともかくその家族やこれから将来のある子どもはどうなのだろうか。

いろいろ考えさせらるる問題です、これを単にヤクザとその家族の問題としてみてしまうのではなく、自分の身近な問題として捉えて一人一人の人権はどの様にあるべきなのか、どのように私たちはそれらと取り組んでいくべきなのか。普段私たち多くの人はあえて、これらの問題から目をそらしたり、見て見ぬふりをしていまています。それらにあえて目を向け考えることにより、今の貧富の差が増大し格差が広がり、その格差が固定化され、人権が混沌してきたなかでの民主主義を考える上で大切な、問題提起の一つとすべきもののように感じます。
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軽トラハウスと10円易者

5月25日のNHK総合で、8:15からの <所さん!大変ですよ>という番組で「人生の楽園!?謎の“改造軽トラ”」というのをしていた。
軽トラを改造してさまざまなことに活用しているのを紹介していました。
移動販売ができるように、八百屋さんや魚屋さんを始め、いろいろな商売に活用したりされている。はたまた自分一人の隠れ部屋にしている人もいる。
そのなかでも極めつけは、トレーラーハウスならぬ軽トラハウスです。
暮らしに必要な機能をわずか1.6畳のスペースにコンパクトにまとめた小屋を作り、荷台に載せているのだ。寝るスペースはもちろん、電気や水回りの設備を施し小さな書斎まで備ええいます。いわゆる軽トラハウスです。退職後、旅行を楽しみたくても余裕がない高齢者や、自分の書斎が持てない中高年サラリーマンなどにそれらを活用している人が多いようです。
そのようななか、自衛隊員だったがリーダーとしてPKOとして派遣されたが、仕事に疑問を持ち中退して軽トラハウス生活で全国を転々としている人、IT企業に勤めていたがあわただしい生活より、質素でも悠々とした軽トラ生活を過ごしている素敵な女性、などが紹介されていました。女性によると駐車は夜間などでも止められる道の駅などに停めただ、水はもらい水でこれもただ、一か月の生活費は30.000円ほどとしていました。

この番組をみていると、学生時代に教授から四国の松山に面白い人がいる、松山の市民に施しを受けて生活している易者がいると聞いたことを思い出した。松山だけでなく全国的に知れた知る人ぞ知る有名人だとききました。
松山の当時の市民なら今も誰でもが知っている、村上桂山という市井の有名人です。

少し調べてみました、いでたちは、ねじり鉢巻きに、着古した着物をまとい、リヤカーに小屋を乗せて、易を占い見料は10円です。そして、易を見た後は、半紙に書いた、軽妙な絵と自作の句や詩を添えた紙を渡していたそうです。
戦前から松山で妻との生活を別にして、亡くなる昭和51年(1976)までの約40年間その出で立ちで、松山の市中の人を占ったそうです。当時は現代版の良寛さんとも言われ、気ままな自由人とも、天衣無縫の禅僧詩人、乞食僧ので松山の市民に親しまれたといいます。
私が学生時代に聞いたので、亡くなる数年前ですが数年前に、「十円易者村上桂山・風狂の路上人生―狂わざれば生ける屍 アトラス出版」を読んだことがます。その中にあった詩の幾つかを紹介します。
「生きておれ 食うことのみが 人の道」
「皆そうよ 釈迦も 孔子も キリストも」
「死なざれば 生まれた事が 偽になる」
「つらかろう おれも乞食を 五十年」

話は戻して、軽トラハウスで過ごしている人も、このような心境で日々を過ごしているのでしょか。
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平和の祈り

独りよがりな正義の味方はいつも最後の手段を語り、
莫迦な平和主義者は一つ覚えのように話し合えと主張し。
莫迦な正義の味方は最初の手段の語り合うことをしようとしない。
独りよがりな平和主義者は平和のことばかり夢見て最後の手段を想像しない。

安倍政権は独りよがりな正義の味方を気取り、反動的であることに気が付いていない。
おおかたの野党は莫迦な一つ覚えの平和主義者と、日和見なポピュリズムを主張する政党が闊歩している。
このような日本の議会では本当に民主的な平和な国として成熟してゆくだろうか、それどころか今まで培った民主的なものが劣化していきはしないだろうか。そうなると、70年間積み重ねてきた国際的な信頼も失ってしまいかねない。
今まで70年積み重ねてきた国際的な信頼より、積極的平和主義を標榜し力で平和を作りだす方が美しいと考えるのは、まるで天下布武 世界の警察国家気取りです。

そのような思いをしてい私自身を振り返ると、高校時代に教わった「平和の祈り」を思い出した。

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
あぁ、主よ、慰められるよりも慰める者として。
理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分のからだをささげて死ぬことによって、とこしえの命を得ることができるからです。

これは、アッシジの聖フランチェスコの平和の祈りです。

愛と和と善、特に「和」と「善」は聖フランチェスコが最も重要としたものです。そしてそれらを生むのに「信頼」と「赦」は大切なものです。
争いに中には、信頼も赦しも一致もなく、そのような状態では希望も喜びも光も感じられなくなるものです。
互いに相手にこちらの要求を呑むことばかりを要求していてはそこには一致はないでしょう。
いまの、アメリカの一国主義はヨーロッパの情勢、極東の情勢などを考えると、この平和の祈りを誰もが思いに馳せ考え祈るときになってきている。
これらは、仏教で言うと人間が生来持っているとされる外にある五欲と内にある五種類の煩悩からくるものと言え、それらをいかにコントロールするかが重要になってくる。

しかしなかなか、この「平和の祈り」や五欲と五煩悩をコントロールする心境になるのは難しいものです。まづは心を落ち着かせることですが、それにはどのようにしたらよいのでしょうか。
心を落ち着かせるには瞑想や坐禅などの方法があるが、天台小止観には止観をを修習うするには、五つのことが大事と書いています。
第一には自分の身も心を清浄にすることへの努力
第二には衣類と食糧の用意
第三には静かな場所を選んで落ち着くこと
第四には種種の雑務から解放されるように努力すること
第五にはよき指導者をえらぶこと

この五つをみると衣食住に心配がなく、齷齪と時間に追われることなく落ち着いた時が過ごせることが大切なようです。やはり経済的な豊かさがないと得られそうにないですが、いくら経済的に豊かになってもあくことがない欲をもちつづけるなら、心落ち着かせることはできないでしょう。まずは足るを知ることなのでしょう。さらに、人は一人また二人で生きているのではなく、幾人の人との関係とのやり取りをしながら生活しいきています。それにより、第四の種々の雑務から解放されたりその外に立つことはできないです。そのため僧侶は俗界から隔離された環境で暮らすのですが、像人ではそうもいきません。ましてや組織や国家間になればより複雑になってきます。

しかし、捨てることはできなくともそれを自律的にコントロールしようとする気持ちをもつことと、さらにはそれを実践することはできるはずです。
天台小止観には、五種類の蓋を棄てよと書いてあります。
それらのコントロール五つは次のことです。
・棄貪欲蓋(自分の欲しいものを貪り求める心をコントロールする)
・棄瞋恚蓋(自分の考えや思いと違ことに対して怒り恨む心をコントロールする)
・棄擬蓋(自分や他人を疑い、師を疑い、法を疑う心をコントロールする)
・棄睡眠蓋(心を暗く重く沈み溺れさせ心を晦ます心をコントロールする)
・棄掉悔蓋(そわそわして落ちつかず、自分の行為に対してくよくよと悩みを持つ心をコントロール)
とくに、上から三つは特にいま必要としているのではないでしょうか。

次いでですが五欲とは、眼・耳・鼻・舌・身から入る刺激に対する色欲・声欲・香欲・味欲・触欲です。

今の、一国主義、排外主義、利益を貪る新自由主義は、格差を広げ格差を固定化して、自己責任論で片づけてしまい、自分さえよければよいとなてしまいる。
この、アッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」の、慰められるよりも慰める者として、理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に、そして、誰もが自ら与えることによって受け、許すことによって赦されを知りたいものです。
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日本の民主主義のための備忘録

GHQから与えられたと言われるが、いまの私たちが受け入れて、味わい自分のものしてした民主主義社会が、どのように作られたか、なぜあるかを考えるための備忘録。

自由の指令
10月 6日 特別高等警察廃止
10月 6日 新聞紙等掲載制限令廃止
10月10日 政治犯の釈放
10月13日 国防保安法廃止
軍機保護法廃止
言論出版集会結社等臨時取締法廃止
10月15日 治安維持法・思想犯保護観察法などが廃止
思想・言論に関する統制は急速に廃止された。
(治安維持法は暴力革命を標榜していた共産主義者が対象とするとしていたが、反政府的言論・思想・運動や反天皇的運動などに拡大していった)
(特別高等警察とは、大日本帝国憲法下の日本で共産主義・社会主義運動のほか、全ての反政府的言論・思想・運動を弾圧した秘密警察)

五大改革指令
(1)婦人の解放 婦人参政権(1945 年12 月)へとつながり
(2)圧政的諸制度の撤廃 政治犯の釈放、特別高等警察廃止、治安維持法・治安警察法廃止などに影響
(3)教育の自由主義化 皇国史観に基ずく国体思想の否定により、民主教育が広がる
(4)労働組合の結成 1労働三法制定と労働省設置が947年される
(5)経済の民主化 財閥解体により寡占状況は緩められ 農地改革により小作農が大幅減する

国家神道の廃止
神道指令(国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並に公布の廃止に関する件)により、神社は国家から分離された。

天皇の「人間宣言」1946年 1月 1日の官報号外にて掲載された詔書
人間宣言の部分とされるのは、後半の一部で次の部分とされている。
「然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休威ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」
「しかれども、朕はなんじら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚を分かたんと欲す。朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神(あらひとがみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。」

この部分が、天皇が神であることを自ら否定したものとされている。
そこには「私は神ではない人間である」などとは書かれていない。天皇は単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらずとして、天皇の祖先が日本神話の神であることを否定していないし。神話の神や歴代天皇の崇拝のために天皇が行う神聖な儀式を廃止するとも述べていない。

しかし、天皇の姿など見ることは恐れ多いこととしてその姿は帝国政府時代は見ることができなかった。しかし戦後昭和天皇は全国巡幸をし、テレビに皇室アルバムという番組にその姿をだし、またグラビア雑誌なども出版され、国民に近くなっり親しまれる存在となっている。

今上の明人天皇は、皇太子のころ沖縄を訪問したり、自然災害罹災者を頻繁に訪問され国民のことを心配されいます。しかし、戦前は臣民の前に姿をあらわすのは現人神としての威厳を失うとして、国民の前に姿を見せることはほとんどなかったです。そう考えると昭和天皇よりもより明仁天皇は国民に近い存在になっているのと考えます。
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大洗の原発作業員

茨城県の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターの原発での作業員が放射性物質が飛散し被曝した問題で、その作業をしていた人は派遣の作業員と職員ということです。
多くの原発の現場での作業をする人は、事業者の直接雇用ではなく下請けだといいます。それも、孫請け曾孫請けと幾階層にも雇用者が重なり、現場の作業員は日雇いでそれぞれの階層から、事業者の支払う賃金から手数料名目でピンハネされて低賃金で働かされています。また、今回のような被ばく事故があればその責任の所在は、大元の雇主である事業者でなく各階層の口入屋などにも責任が問われその所在があいまいになっています。
事故の原因やどのようにして起きたかなどよりも、被曝した人はどのような身分であったかは、あまりニュースとして報道されていないです。
今回の大洗の原発では原子力機構の正規の職員なのか、派遣社員とういがどのような形態の派遣なのか、下請けなら何次の下請けなのか、原発労働者の事態をマスメディアは国民に明らかにして、私たちが普段使っている電気がどのようにして、家庭まで送られてきているのか、また大口の工場まで送られ日ごろ便利に使っている日常生活用品が作られているかを知らせることも、メディアの務めではないでしょうか。
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安倍政権の教育観

安倍首相は憲法記念日に憲法改正をするとことについて、平和主義の9条に3項を設けて自衛隊を明記すること、義務教育無償に加え高等教育の無償にすると、改憲集会にビデオメッセージを送りました。
繰り返しになるが、首相には憲法を尊重し擁護する義務があるのにあえて、憲法記念日で改憲派の集会にビデオ出席したことは、法に従ってということにあえて挑戦する心意気を示したものともいえます。

今回は安倍信三の教育についての考えはどのようなものかを見てみたい。

教育は時の政権はその時々に、統治権力が思い描く「理想の日本人像」を国民に押し付けようとしてきています。また、文部省そしていまの文部科学省も、そのときどき教育を通じてどのような日本人を育てるかを考えてきています。
明治維新直後のころは、欧米列強に侵略されな欧米に太刀打ちするために、封建制度にもとづくものでなく脱亜入欧をめざし、欧米の啓蒙主義的な日本人像が追求された「自由で独立した個人」求めた。しかし、日清・日露戦争に勝利すると「大国に相応しい勤勉な産業社会の構成員」としての国民を求めた。しかし、昭和期に入ると国体主義の下での「天皇に無条件で奉仕する臣民」が求められた。戦後の民主主義体制の下では「個人の尊厳を重んじ民主主義と平和を希求する人間」求められ、高度成長期には「勤労の徳を身につけた自主独立の社会人」が期待される人間像とされた。このようにその時代に理想の日本人像として掲げられています。そしてそれは時々の教育行政に反映されてきました。
戦後は立憲主義のもとづき民主主義と個人の人権尊重と平和主義を押し進めることは共通していました。しかし、いま安倍政権の求めるの人間像は天皇を頂点とする家族感をもった戦前の教育観に近いもののようです。

第一次安倍政権の時、教育基本法が改正され、その附則には次のようになています。
「 昭和二十二年に制定された教育基本法のもとで、戦後の教育は、国民の教育水準を向上させ、戦後の社会経済の発展を支えてまいりました。一方で、制定以来既に半世紀以上が経過し、我が国をめぐる状況は大きく変化し、教育においても、様々な問題が生じております。このため、この度の教育基本法改正法では、これまでの教育基本法の普遍的な理念は大切にしながら、道徳心、自律心、公共の精神など、まさに今求められている教育の理念などについて規定しています。
 この改正は、将来に向かって、新しい時代の教育の基本理念を明示する歴史的意義を有するものであります。本日成立した教育基本法の精神にのっとり、個人の多様な可能性を開花させ、志ある国民が育ち、品格ある美しい国・日本をつくることができるよう、教育再生を推し進めます。学校、家庭、地域社会における幅広い取組を通じ、国民各層の御意見を伺いながら、全力で進めてまいる決意です。」
この「真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間」の育成を目指すのは何を目指すのか、どのような時代認識に基づき、どのような日本人像を理想としているのか、その時々の状況によりどのような教育が押し付けられるかがしんぱいです。
明治憲法施行の翌年に教育勅語が下されたが、その直後から国家主義的全体主義的軍国主義な教育がなされていったのではないです。明治維新後の自由民権運動、憲法制定運動が起き、その後も大正デモクラシーがありそのころまでは、日本の教育には自由があったと言えます。しかし、満州事変は2.26のころから急に国家主義的にな教育になっていきました。
今の安倍政権は今の、日本の教育を皇国史観にもとづく国家主義的な教育にしようと思っていないでしょうが、いつ何時そのような考えを持った人が首相になるかもしれません。

事実安倍政権の閣僚の中に、過去に「国民第一の政治は間違っている」稲田防衛大臣がいたり、第一次安倍内閣の長勢甚遠法務大臣は「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」と言ったりしています。
そのような考えは、戦後築いてきた国民主権、基本的人権による民主主義を否定するものです。これらの人はその所属団体をみると皇国史観にもとづいた強い日本を夢描いているのではないでしょうか。その考えの持ち主が首相になれば一気に国家神道による国づくりを目指しかねなと私は杞憂しています。

さらに自民党は下村文科相の時に、国立大学の学部編成の見直しを通知し、その内容は理系は重視し文系を軽視するようなもでした。安倍政権は日本を世界でもトップクラスの科学技術大国と経済大国にするための戦略をとっています。文化的なことは軽視していますが伝統的な文化を大切にと言っています。伝統は留まって守るものではなく、発展して変わっていくものが伝統です。しかし、安倍政権は自分たちにとって不都合な面の学問の発展は嫌いなようです。
憲法につても立憲主義は西洋のもので日本の伝統に合わないというようなことを、自民党の憲法草案のQ&Aで書いています。そのような事と合わせて見ると、文系の廃止とも受け止められる通知は、中国を秦王朝が統治していた時代に発生した思想弾圧事件です、現代版の焚書坑儒は中国の文化大革命で、毛沢東思想に反するものは徹底的に糾弾され、中国の政治・経済・科学・文化・人権などあらゆるものが停滞して、中国の発展を10年遅らせたといいます。安倍政権の古典伝統の重視と文系軽視の教育観はそれと同じようなものです。そのようなことになれば、安倍政権のいう世界でもトップクラスの科学技術と経済発展というが、文化を軽視するものはその夢は夢でしかなく、実際に目で見ることはできなでしょう。

教育については、時の政権が勝手につくるものではなく、主権者である国民が、なにが日本人像が求められているかを国民的な議論を踏んですべきで、それは手間暇時間がかかり決められないがそれが民主主義です。そのような議論がないまま憲法や教育制度をいじることは、国民をまったく無視するものと言えるでしょう。
決断と実行力といいますが、聞く耳を持たず議論を尽くさずにするのは、それは単なる独裁でしかないです。
国連の人権委員会の報告も日本のこれからの歩む方向を心配しているように、日本がそのような国にすでになりかけているようで気がかりです。
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ゆがめられる天皇の在り方

自民党には日本会議系の議員が多く、また日本会議がどれだけ自民党議員の選挙に動員の効果があるかわかりませんが、女系天皇反対の一番の旗振りをしているのは日本会議です。
日本会議は、万世一系と続く天皇を頂点とした、日本は男子による家長制を大切に守る、古い言い方をすると男尊女卑的な思想をよりどころにしています。
それは日本のよき伝統であるので、広く国民の中にも再び浸透させないといけないと言う思想によります。
そのような考えの諂ういまの自民なので、女系皇族を認めることはあってはならないことです。女性は家に入り子供を産み育てるのがいいのだと思っている、自民議員のなかでよく、そのような事をいい、あれは表現のしかたが誤解を招いてしまったと謝罪しているが、それこそが自民党議員いや自民党の本心でしょう。自民党議員のなかには進歩的民主的な考えの議員もたくさんいると思います。しかし今は面従腹背でいる人や、おとなしく黙って同調してついていくしかない人もいるでしょう。
しかし、日本国憲法の男女平等同権の考えを取り入れ、明治憲法の封建的で男性中心で女性はついて来るものとす考えを捨てたはずです。
これは世界のながれは男系王族の考えか男女平等の考えが広まっています。女系の皇族の考えも取り入れていくのが、現代、国王にいる国でその考えが広がっています。
いつまでも、男系にばかりこだわっていれば、アラブ諸国の王国よりも遅れてしまうかしれません。
ブータンなどのように国王の定年を取り入れている国もあれば、国王に任期制の国もあるようです。天皇の退位についてはいろいろな視点で考えるなら、天皇の政治利用を避けるためにも、意図的な退位の前例にもなりかねない天皇の退位はすべきではないでしょう。

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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • アベ政治はクーデター
    雲と風 (07/18)
    勉強になりましたが、「安倍政権はクーデター」でしょうか? 権力と威嚇によるテロリズムだと思います。内閣府の中の一派が壊憲と日本の民主主義制度の堕落無力化を共謀し
  • 教育福祉などへの株式参入は
    竹林泉水 (07/12)
    なんでも自由競争になれば、サービスの質が向上すると考えるのは間違いで、鉄道などで見ると都市部はサービスが向上するが、過疎部では反対で最悪の場合は撤退になります。
  • 教育福祉などへの株式参入は
    アジシオ次郎 (07/10)
    おはようございます。

    教育や福祉に株式参入することは、教育や福祉をビジネスに利用しかねないし、アメリカ式の市場主義経済に基づく価値観を正当化しかねないです。た
  • 食べることは殺生をすること
    竹林泉水 (07/06)
    日本人は頂きます・ご馳走様と日本人なら誰でもいいますが、外国の方はどうなのでしょうか。キリスト教のクリスチャンなら食前食後の祈りがあります。
    私は中高とミッショ
  • 食べることは殺生をすること
    アジシオ次郎 (07/05)
    こんにちは。

    人間は生きる為に他の生物の命を奪わなければいけない。と言う「原罪」を背負っている以上、食べると言うことはそうなのかも知れないです。動物の命を奪い
  • しあわせ
    竹林泉水 (06/27)
    そうですね、国会はもっと開かれたほうがよいでしょうが、選挙があるので地元の支持を集めるためと、情報集めなどのためにそれぐらいしかないのでしょう。
    >「立法府の
  • しあわせ
    風と雲 (06/26)
    何故?国会は一年の半分以下しか開催されないのでしょうか。国内外に毎日大きな動きのある現代に於いては、さまざまな問題を国民の前に提示し、議論を深め理解を求め、国民
  • 森友・加計問題を見ると、今の日本は法治国家だろうか
    竹林泉水 (06/20)
    まずは自分を正当化して自画自賛をしてさらには、「印象操作のような議論に対して、つい、強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を
  • 森友・加計問題を見ると、今の日本は法治国家だろうか
    風と雲 (06/18)
    >自分が思うことは法を飛び越えてでも粛々と進める安倍政権・・

    飛び越えてではなく、→ 潜り込み裏をかき開き直って、鉄面皮と二枚舌で、 と言うのが最近の安倍政権
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