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「民主主義」文部省著作 教科書

民主主義は、個人主義におちいり、利己主義になってしまうと批判する人がいる。そして、全体のことを考えないでいるので、全体の発展を成長を妨げるという人がいる。最近そのように唱える人が多くいるように思える。それは、日本国憲法の下に68年たち、日本の国民は他人のことを考えず、自己の儲けや利益の追求に走る人がいる。その顕著なのは、働く人の人権や生活をかえりみずに、労働者を働かせるブラック企業などでしょう。
しかし、この教科書にかかれているが、個人主義とは、本来お互いの個を尊重し合うことから、始まりそれによりお互いが高められていくものです。ですから、利己主義とは相いれないもので、個々が高められるることにより、全体も高めれれていくものです。
ところが、全体主義はその権力者の考えが、良きにつけ悪しきにつけ、その考えを押し付けていくものです。今の権力者は「これしかない」とか「いずれ理解してくれる」「必ず正しく理解してくれる」などと言っています。「特定秘密法」や「安保関連法」など、国民の過半数が反対したり、説明が不十分だと言っているのに、議会の数により強引に押し通している。
日本国憲法ができたとき、国民が自覚を持って不断の努力をして、民主主義と自由と人権、そして国際平和を守り高めていかなければならないと、多くの国民はかんじました。それにより、文部省は次の世代を育てるために、この「民主主義」という教科書を作ったのでしょう。
そして、この本に書かれてくるようなことが起きないように、国民に自覚をもたせ、起きた場合はそれに対して、反対の声を上げることが必要としています。まさにこの本に書かれていることが起きているのではないだろうか。


「民主主義」文部省著作 教科書

第八章 社会生活における民主主義

一 社会生活の民主化

ポスダム宣言を受諾したのちの日本では、まず、政治の民主主義かが思いきって行われた。新憲法ができ、国会を中心とする政治の組織が確立され、天皇の権威をかさにきた軍閥や特権階級の勢力は一掃された。前には役所の権力を握って国民をあごでさしずしていた官僚は、国民の公僕とよばれるようになった。地方自治制も改革され、地方の政治のおもだった地位につく人は、選挙で決まることになった。制度の上から見れば、今日の日本はまさにりっぱな民主国家である。政治の形だけについていえば、もうこの上民主主義化する余地は、あまり残っていないといってもよい。
しかし、民主主義は決して単なる政治上の制度ではない。それは、その根本において社会生活のあり方であり、社会生活を営むすべての人々の心の持ち方である。政治上の制度だけならば、それを民主化することは必ずしも困難なことではない。もちろん、民主政治の制度を、今日見るような形にまで発達させるために、人類の長い苦闘と努力の歴史が必要であったことは、第二章で概観した通りである。けれども、日本のように、敗戦によって過去の政治組織がいっぺんにくずれ、そのあとに、西洋の進んだ国々の政治形態の大きな影響を受けつ二新たな制度を採用するという場合には、既にたくさんの模範や先例があるのだから、事は比較的に容易なのである。これに反して、社会生活の根本から民主主義化するということになると、これは一朝一夕にできる事柄ではない。長い間、人の心にしみこんで来た民主主義的でない気持をぬぐい去り、日常生活のすみずみまで民主主義の精神を行きわたらせるには、なみなみならぬ覚悟と修練とがいる。しかも、それが行われなければ、政治の形の上での民主主義も決してほんものにはなりえないのである。
民主主義の発達する前には、西洋にも封建制度が行われていた。諸侯や貴族が広い土地の領主となって、その土地の人民を支配していた。領主にはおゝぜいの家来がいて、それらの家来たちは、領主には忠節を励むが、人民に対しては大きな顔をして権力をふるっていた。そういうように、人間の間に身分の差別があって、身分によって人間のねうちに大きなへだたりをつけるのが、封建制度の特色である。日本にも、武家政治の時代を通じて、長い間封建制度が続いた。中央には絶大の権力を持つ将軍があり、地方には大名があって、どんなばか殿様でも、人民は土下座してこれを迎えなければならなかった。将軍や大名の家来は武士で、武士にもいろいろな階級があり、しかも、その武士はすべて一般人民の上に位していた。士農工商といって、社会生活の階層がはっきりと身分で決まり、両刀を帯びた武士は、ちょっとしたことで人民を殺しても、「切りすて御免」といって涼しい顔をしていた。そういう封建制度は、明治維新によって廃止されたけれども、そのなごりは最近まで存在していた。華族という特権階級が尊ばれたり、士族どか平民とかいう無意味な族籍を履歴書に書いたりすることは、ついこの間まで行われた。
なるほど、それらのことも、今は全くなくなった。しかし、日本人の心の中には、まだまだ封建的な気持が残っている。人間のほんとうのねうちを見ないで、家柄によって人をうやまったり、さげすんだりするのは、封建思想である。上役が下役にいばりちらしたり、気に入った子分だけを引き立てたりするのも、封建的である。親の威光で子供の人格を無視したり、夫が妻を一段低いもののように見下すのも、封建時代のなごりである。人と人どの間に、人格的な価値とは無関係な上下の差別をつけてみたがるのは、日本人の封建性の表われである。そういうくせを取り除かない限り、社会生活の真の民主化は行われない。
もちろん、人間の間には、才能の違いもあるし、経験の大小もあるし、人格の高下もある。人格、識見の高い人が世の尊敬を受けるのはあたりまえである。すぐれた才能を持ち、深い経験を積んだ人が、高い月給で、重い地位につくのも、当然である。社会生活の民主化とは、そういうことを無視する意味では決してない。同じ仕事をして、十の成績をあげる人と、一の能率しか示さない人とを、全く同じように待遇するのは悪平等であって、決してほんとうの平等ではない。しかし、そういう地位や待遇の違いは、人間の真価によって定まるべきものである。高い地位についているから偉いのではなくて、りっぱな人だから重要な仕事を受け持つのでなければならぬ。たとえば、学校でも、先生は先生だからなんでも敬われなければならないのではなく、先生は学問もあり、人格も高く、世の中の経験を数多く積んでいればこそ、生徒を監督したり、指導したりする責任の立場に立つのでなければならぬ。
日本の社会の中でも、特に手近なところで民主化される必要かおるのは、われわれの営んでいる家庭生活であろう。父親が父親なるがゆえに子供に無理なことを強制したり、夫が夫なるがゆえに妻に従属と一方的な奉仕とを要求したりするのは、全く理由のないことである。弟も妹も同じ子供であるのに、特に長男だけをたいせつにするのも、個人を平等に尊重するという精神を妨げる不合理な風習である。親は親だから権威があるのではなく、親たる愛と年長者としての識見と経験とをもって子供を心から監護すればこそ、子供も自然の敬愛と信頼とをもってこれに従うのである。夫婦の間柄も兄弟姉妹の関係も、お互の人格を認めあってこそ、円満に平和に秩序づけられうる。家庭は社会縮図である。その意味で、社会生活における民主主義の実践は、まず家庭から始められなければならない。


二 個人の尊重

社会生活における民主主義の根本の原理は、人間を個人として尊重するというこどである。尊重されるのは、だれだろう。それは、「わたし」であり、「あなた」である。人はよく、「わたしはこんなつまらない人間だから」などと言う。言うたけでなく、実際にそう思う。人間は、うぬぼれてはいけないから、そういう謙譲な気持も一面では必要かもしれない。しかし、その謙譲な気持をよいことにして、そういう人々を思うようにあしらい、自分のかってな欲望を遂げようとする者があった場合、それでも黙っているのが正しいことであろうか。「あなた」の生活をふみにじり、「わたし」の努力をだいなしにされても、「御無理ごもっども」と言って横車を押させてよいものだろうか。そうではあるまい。そうであってはならないと思うところに、人間の自覚がある。「わたし」であろうど「あなた」であろうと、人間としての存在は何よりも重んぜられなければならない。民主的な社会生活は、かような人間の自覚と個人の尊重とから始まる。
「泣く子と地頭には勝てない」ということばがある。「無理が通れば道理引っこむ」ということわざがある。日本人の心にしみこんだ封建的な気持を、これはどよく言い表わしていることばはない。自分の信念をも主張しえず、権勢の前に泣き寝入りをするのがあたりまえのような世の中が、どうして正しく明かるくなって行く見こみがあろうか。卑屈な、じめじめした、陰口ばかり言いあっている社会生活ほど、堪えられないものはあるまい。家庭の中にそういう空気はないだろうか。学校にはそんな気分が残っていないだろうか。役場や工場にそうした傾向がありはしないたろうか。もしもそういうところがあったならば、たれがその空気を払いのけるか。その家庭の人々、その学校の先生や生徒たち、その役場や工場の勤務員以外に、それをやり遂げる者はない。みんなが人間としての自覚を持ち、「すべて人に為られんと思ふことは、人にもまたそのごとくする」以外に、明かるく住みよい社会を作り上げて行く方法はない。
すべての人間は、生きる権利がある。めいめいがその幸福な生活を築き上げて行く権利を持っている。できるたけ多くの人々ができるだけ幸福になることは、人問社会の理想である。
封建社会では、少数の特権階級の幸福のために、大多数の人々の幸福が犠牲にされた。専制時代には、専制君主の虫のいどころ一つで、誠実な家来や善良な人民が虫けらのように殺された。独裁政治の横行している場合には、独裁者の計画した戦争のために、幾百万という命が奪い去られた。人間の生命は何よりも尊い。人間の幸福は花園のように美しい。人はすべて、平等に幸福を分かちあいうるようにならなければならない。民主主義は、そのために封建制度を倒し、専制主義をくつがえし、独裁政治とたゝかった。自ら血と汗と涙でたゝかい取った精神的な財宝であるがゆえに、西洋の進んだ民主国家の国民は、人問の自由と個人の権利とを、あくまでも守り抜こうとする強い意志を持っている。日本人には、自由と権利とを自分たちでたゝかい取った経験が少ないたけに、まだそれをほんと
うに自分から尊く思う気持が出て来ない傾きがある。しかし、それがこの上もなく尊いものであることは、西洋と東洋とで変わるはずはない。恐るべき戦争の記憶がまだ生々しい今こそ、その尊さを真に心の中でかみしめるべき絶好の機会である。
人間は、すべて平等に幸福を求める権利を有する。しかし、幸福は、天から降って来るものでも、地からおいて出るものでもない。幸福は、人間の勤労と努力とによって築き上げられて行くのである。だから、社会に生活するすべての人間は、営々と働かなければならぬ。自ら働くこどの喜びを味わうとともに、他人の額に汗する勤労を尊ばなければならぬ。
もっとも、人間の世の中にはいろくと矛盾があって、民主主義が行われるようになっても、働く者のくらしがらくにならず、働かない者のふところに金がころがりこむ場合が少なくない。それは、主として経済生活における民主主義の問題であるから、次の章で考察することとしよう。けれども、経済の組織の問題は別としても、ほんとうに人間を個人として尊重する精神が行きわたれば、経済生活に伴なう矛盾の多くは、それによって解決されるはずである。他人の勤労によって得られた利益を、働かない人間がしぼり取るようなしくみは、結局は民主主義の根本精神を裏切る考え方が、社会の中に深く巣を食っている結果として現われて来るのである。哲学者カントは、「それが自分自身であろうと、どんな他人であろうと、人間を常に同時に目的として取り扱うべきであり、決して、それを単
なる目的のための手段にのみ用いるようなことがあってはならないごと説いた。他人の目的のための単なる手段として利用される者は、奴隷である。他人を自分の利己心の道具として用いるのは、人間の尊厳なねうちをふみにじる罪悪である。民主主義は、社会生活からあらゆる意味での奴隷を駆逐しなければならない。他人の汗の結晶を、ぬれ手であわをつかむように、つかみ取る罪悪を追放して行かなければならない。

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広島原爆の日

八月六日は、広島に原爆が落とされた日です。

昨日の国会答弁で、防衛大臣はアメリカの核兵器を積んだ、艦船や航空機に対しての、兵站(後方支援)は、法的に可能だが現実的にありえない事だといっています。また、日本は非核三原則でそれはできないと言っています。それなら、法律の条文に但し書きをいれ、武器の供与の中に核兵器は含まず、核兵器を搭載した艦船や航空機は含まないと明記すれば問題がないと言える。
憲法を捻じ曲げて解釈したり、法的な安定性を軽視するような人がいる政権では、今後、現実的にありえないと言うが、その何処を信用しろというのだろうか。
被爆国日本が、核兵器使用に手をかすことだけはあってはならないと思う。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。

広島市ホームページの原爆・平和 ページ
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/genre/1001000002088/index.html

中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?lang=ja

広島を訪れた海外の方からの平和メッセージ
http://www.peace-act-hiroshima.com/


今、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮と核を持っています、このほかにイスラエルも持ているとみられています。また日本も技術的に充分持つ技術力があるので持っているのではと疑っている国があるようです。しかし、万が一日本が核を持つようなことになれば、アメリカが黙ってはいないので、日本が核兵器を持っていることはないと思います。

なぜ、アメリカが黙っていないの、それは、日本は依然として、国際連合憲章第53条、第77条、第107条、に基づく、の敵国条項である「第2次世界大戦中に連合国の敵国であった国」(枢軸国:ドイツ、イタリア、日本)である。ドイツとイタリアは、国体が変わったので、「敵国条項」の対象から外されたが、日本だけが、天皇制を維持しているので「敵国」であるとされている。つまり、日本はアメリカにとって同盟国であるが敵国でもあると言える。
つまり、この敵国条項が実質的に生きているから、アメリカは日本に駐在でなく駐留し続けているし、今後も駐留し続けるでしょう。また、核を持つことができないのです。アメリカから敵国とされることによっても、いつまでも非核三原則を貫いてほしいです。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 臨時国会の開催はいつか
    風と雲 (08/04)
    一体今の日本はどうなってしまったのだろうかと思う。アベ内閣も与党も憲法に違反することを完全に無視して悪びれもせず堂々と実行してきた。、政府高官も最高裁も報道機関
  • 難病と尊厳死
    竹林泉水 (07/29)
    コメントありがとうございます。

    自ら生きる権利、自ら死ぬ権利があるのはよくわかります。
    それにはどちらも人・個人としての尊厳が保たれている必要がある考えます。
  • 難病と尊厳死
    風と雲 (07/28)
    意識して自ら命を絶つことができるのは人間だけだと思います。人には生きる権利と自由があるように、自らの命を絶つ権利も自由もあって然るべきではないでしょうか。このA
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (07/01)
     自分よりも周りを優先する集団主義的な考えが同調圧力などがまかり通る社会なことについて前に
    >日本的なこの価値観は、海外から見たら奇異の目でしか見られないでしょ
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
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