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民主主義 文部省作成 教科書

民主主義 文部省著作
第一二章 日本における民主主義の歴史
一 明治初年の自由民権運動

明治の先覚者、福沢諭吉は、明治五年から九年にかけて著した「学問のすゝめ」という本のはじまりに、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。」と書いた。民主主義の根本精神は、この一言の中によくいいあらわされている。そうしてkそれらの人々が先頭にたって、民主主義の制度をうちたてようとする真剣な努力が続けられた。その努力はどれだけの実を結んだか。どうしてその日本が、近ごろになって急に民主主義とは正反対の独裁主義と軍国主義の方角に走ってしまったのか。その歴史をしばらく振り返ってみることにしよう。
長い鎖国の夢をむさぼっていた日本のとびらをたゝき、日本人に、広い世界に目を向けなければならないことを教えたのは、嘉永六年(千八五三年)のアメリカ合衆国の使節ペリーの来航である。この事件は、日本の開国を促す発端であったと同時に、政治のことについておゝぜいの人の意見を求めるという慣例を作るいとぐちともなった。というのは、幕府は事の重大なのい驚いて、どうすべきかについて諸候の意見を尋ね、それが先例となって、その後もいろいろな場合に大名たちに相談するならわしとなったからである。そのころから幕府の勢いはだんだんと衰え、朝廷がしだいに実際の政治に関与するようになってきたが、諸候の意見を聞いて政治の問題を決めるとういう方針は、朝廷によってもひき継がれた。それと同時に、欧米諸国の議会政治についての知識も、おぼろべながら伝えられ、欧米に派遣された外交使節団や随員たちは、じゅうぶんにわからないながらも、その実際の運用を目で見て、耳で聞いて来るというわけで、「公議輿論」に基づく政治の必要性を説く物がしだいに多くなってきた。慶応(一八六七年)の十月三日に、土佐の前藩主山内豊信が将軍徳川慶喜に大政奉還をすゝめ、朝廷の下に「公儀大政」を樹立するとう意見を述べたのは、このような機運によって生み出された一つの結論にほかならない。
だから、明治政府もその創立の初めには公議輿論の尊重を政治の指導方針の一つとして掲げた。慶応四年三月の五箇条の御誓文が、「広く会議を興し万機公論に決すべし」という原則を掲げたのは、そのあらわれである。つづいて発表された政体書は、権力分立主義にのっとて中央政府の組織を定め、立法機関として「議政官」を設けることにした。議政官は上局と下局とに分かれ、上局は宮・公卿・諸侯・士・庶民からなり、下局は各藩が選んで送る貢士によって組織され、政府と諸藩との意志を通ずる意味では、特に下局が重んぜられた。この議政官はまもなく廃止され、下局は公議所と改められたが、天皇が政治を行う場合、広く公議輿論を聞くというしくみは、これでともかくもいちおうは整った形になったのである。
公論の尊重とならんで明治政府が掲げた方針の一つは、「四民平等」である。徳川時代には、国民の間に士・農・工・商という厳格な身分や職業による差別があった。政府は明治二年にこの身分制度を廃止し、公卿・諸公は華族、武士は士族、庶民は平民とよぶことにし、国民として全部同じような取り扱いを受けるようになった。それと同時に、職業選択の自由が認められ、だれがどんな職業についてもさしつかえないことになった。これは、もちろん、すべての国民が法のもとにまったく平等に取り扱われるとういう状態にはまだ遠く及ばなかったにしても、封建時代から民主主義な時代への一つの前進であったといってよい。
明治政府は、このようにして庶政の一新を図ったが、政府の基盤が固まってくるにつれて、公議輿論に対する関心はしだいに薄らぐかたむきを示した。すなわち、
明治二年七月には、前に述べた公議所をやめて集議院を設けたが、これはやはり立法についての議決機関ではなくて、たゞ多くの人々の意見を聞くための諮問機関にすぎなかった。しかも、明治四年には、集議院も廃止され、それに代わって、立法の諮問機関として左院がおかれた、しかし、左院の議員は政府によって任命されたのであるから、代議制度としての性質は集議院よりもいっそう少ないものであったといわなければならない。
そもそも明治政府は、主として薩長土肥四藩の下級武士によって推進されたので、明治政府は初めから藩閥的性格を帯びていた。ことに薩長的色彩が濃厚であった。そこで、この藩閥政治に対して政治の民主化を求める主張が強く唱えられはじめた。中でも、板垣退助は明治四年の廃藩置県にあたって、これほどの重大な問題を政府の少人数の人々だけで決めたのは専制的である、といって非難し、そういう傾向を防ぐために民選議院を設ける必要があるこを主張したといわれる。
板垣退助は、外交上の意見の不一致から、副島種臣や江藤新平などとともに政府の参議の職から退いたが、これらの人々は、明治七年の一月に民選議院設立建白書というものを政府に出して、その主張の実現に向かってのりだした。これは、士族および豪家の農商らに選挙権を与え、その公選による議会を作ろうとする主張であって、ひろい国民代表制度の確立を目ざしたものとはいえないが、この建白書が新聞に発表されると、世の中でも賛否両方の議論がたゝかわされ、議会の開設を要求する声はだんだんと大きくなっていった。
このころになると、欧米の民主主義や議会制度に対する理解もすゝみ、自由民権を唱え、立憲政治を主張する書物が次々に公にされるようになってきた。すでに加藤弘之の「立憲政体略」は明治元年に、同じく「真政大意」は明治三年に出版され、前にも述べた福沢諭吉の「学問のすすめ」のごときは、人間の自由と平等とを平易に説いた新思想の書として、数年の間に数十万冊の発行部数を重ね、自由民権の考え方をひろく国民の心に植えつけた。それと同時に、ジョン=スチュアート=ミルの「自由論」および「代議政治論」や、モンテスキューの「法の精神」や、ジャン=ジャック=ルソーの「社会契約論」んど、民主主義原理を説いてた西洋の名著が、明治初年から明治十年前後にわたって翻訳され、自由民権運動の思想敵基礎を築くのに役立った。
そこで、板垣退助は、この運動を押しすゝめるために政党を組織することを企て、明治七年の四月、郷里の土佐に帰て立志社とい団体を作り、翌八年の二月には、大阪で愛国社を設立した。その根本方針は、人民の自覚的な運動によって、人民の輿論を基礎とする政治を行おうとするにあった。しかし当時は、一般の政治意識はまだひじょうに低かったけれども、この運動は当時の政治の運営に対する変革を目的とするものであったから、社会の現状に不満をいだく人々はだんだんとこの運動に参加するようになった。そこへ、明治十年の西南戦争が起こったが、この戦争の失敗は、人々に武力によって政府を倒そうとすることの不得策を教え、言論の力によって現状を打破しようとする勢いに更に拍車をかけた。こうした動きが全国に広まった結果、明治十四年の十月に至り、明治二十三年を期して国会を開く旨を約す詔勅が発せられたのである。
国会開設の目標が定まるとともに、自由民権派による政党結成はいよいよ具体化し、その同じ月に板垣退助を総理とする「自由党」が誕生した。自由党の掲げた政綱は、「自由ヲ拡充シ権利ヲ保全シ幸福ヲ増進シ社会ノ改良ヲ図ル」こと、および、「善美ナル立憲政体ヲ確立スルコト」であって、これに加わったおもな人々には、後藤象二郎・中江篤介(兆民)・大石正己などがあった。一方、自由党の主張が急進すぎると考え、穏健な漸進主義がよいと信ずる人々は、これに対して、明治十五年三月に大隈重信を総理とする「立憲改進党」を作った。立憲改進党に名を連ねた人々には、矢野文雄・犬養毅・尾崎行雄などがる。急進論を唱える自由党の面々は、好んでフランス革命を論じ、ルソーの説を引用したのに対して改進党はイギリスの立憲政治を模範とし、イギリスの学説をひきあいに出して、その漸進論を基礎づけた。そうして、自由党が現状に不満な士族や窮乏する農民に、改進党が都市の実業家や地方の地主や一般の知識階級に支持を求めたのも、これら二つの政党の色彩からみて当然であった。
これら二つの政党は、明治初年の民主主義運動を代表するものであったが、中でも自由党は、急進主義を採ったために反対も多く、総理の板垣退介は、明治十五年の四月に岐阜県で、自由党を社会の秩序を乱すものと信じた一青年二襲われて負傷した。そのときかれが、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだとうい話は、七十年前の自由主義者の意気を今日まで語り伝えている。
自由民権論者がしだいに急進主義にかたむくにつれて、藩閥的専制専制政治を続けようとする政府はいろいろな手段をもってこれに弾圧を加え、あるいは、これを懐柔した。特に自由党に対しては、地方の有力者をして財政上の援助を与えることを拒ましめたので、自由党はやがて資金難に陥り、明治十七年には解党のやむなきにいたった。つゞいて、立憲改進党も経済界の不況と政府の圧迫とのためにいきなやみの状態tなり、政治運動としての力は衰えて、単に形だけをとどめるにすぎないようになった。その間にあって、急進派の人々の中には、もはや言論では効果はないから、直接行動によって政府を倒し、立憲政体をたてるほかはないと叫ぶ者が現れ、福島・高田・群馬・加波山などの各地で、そのような直接行動が起ったり、企てられたりした。このように、日本の自由民権運動は、しばしば流血にいろどられつゝ展開されたのであるが、これに加わる者は少数派であり、いずれも失敗に終わったばかりでなく、かえって一般の人々に反動的な気持をさえいだかせた。
しかし、明治十九年ごろから経済界の景気が回復しはじめるとともに、国会開設の時期が近づくのとあいまって、一時は悲境に沈んだ自由民権運動はふたゝび生気をとりもどした。かれらは、その当時やかましかった條約改正問題をとらえ、外交の建て直しを唱えると同時に、地租の軽減と言論集会の自由を叫んで政府に迫った。このとき、その運動の中心となったのは、後藤象二郎であった。かれは「人民はすぶからく小異を捨てて大同につき、団結して強い世論をつくり、これを背景にして議員を議会に送り、それによって民意を表した政治を実現し、内外の難局を打開しなければならぬ。」と説き、旧自由党系の人々及び改進党員に呼びかけて、いわゆる大同団結運動を起こした。政府は保安条例を作ってこれをおさえようとしたので、人心はますますわきたった。こうした情勢のもとに、明治の日本は、二十二年の憲法発布の日をむかえたのである。



明治維新が起こり縛藩体制から、明治憲法が制定されるまでの課程がどのようであったか紹介されいる。

明治維新により新政府が樹立され、「広く会議を興し万機公論に決すべし」と五箇条の御誓文が出され、西欧にならった民主的な国家をめざした。しかし初めのうちは薩長の藩閥政治であり、およそ当時としての近代的な民主政治とはほど遠いようでしす。しかしその中で自由民権運動が起こり、憲法の制定と議会の開催に多くの人の努力の結果といえるでしょう。
明治憲法が全く全体主義の専制憲法でなく、民主主義、三権分立、個人の尊重などについても触れて書かれています。それがなぜ、多くの日本国民が犠牲になる戦争に突き進んだのでしょうか。

次に、二の「明治憲法の制定」をとばし、三の「明治憲法の内容」を紹介する。

復刻本が径書房から出版されている。若い人には 是非読んでもらいたい一冊です。
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「民主主義」文部省著作 1048年1949年出版は、径書房から復刻版として出版されています。
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安倍政権のよいところ

今の憲法は、GHQに押しつけられたものという。たしかに、原案はGHQが帝国政府に示したものです。日本人が一から作った、民主憲法ではないです。そのため今の日本の、民主主義、表現意思の自由、人権尊重、平和主義は、与えられたもので、奪い取り勝ち取ったものでないです。それにより、いままで空気のようなものとし、自分のものとしてこなかたので、本当のその大切さを、実感できてこなかったようです。
そのため、今の安倍政治があるのでしょう。しかし、今、安保法関連法などにより、平和主義は脅かされ、その関連法や特定秘密法などより、いつのまにか、民主主義、表現意思の自由、人権尊重も奪われかねないです。
いまそのことが、安倍政治の横暴により、国民が感じるようになってきています。
今こそ、民主主義と自由と人権と平和の本当の大切さを考え、自分たちのものとする行動を起こさなければ、自分たちの生活が息苦しいものになってしまうと、多くの国民が感じているようです。それが、連日の国会前のなどの、抗議行動といえるでしょう。私の学生時代のデモなどとくらべ、静かで秩序がたもたれていますが、参加者の顔をみると、若い人もいれば、子ずれの人もい、年寄りもいる、男の人も女名の人もいる、学生もいれば、労働やもサラリーマンもいます。実に多様な人が抗議行動に参加しています。

いまの、この国民の草の根の声こそ、日本に自分たちで作り上げる本当の、民主主義、表現意思の自由、人権尊重、平和主義を考え、それを作って行くことになる可能性があります。この機会を作ってくれた、安倍政治に本当に感謝して、安保関連法に反対し、憲法改悪に反対していきたいです。

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記事へのコメント
  • 臨時国会の開催はいつか
    風と雲 (08/04)
    一体今の日本はどうなってしまったのだろうかと思う。アベ内閣も与党も憲法に違反することを完全に無視して悪びれもせず堂々と実行してきた。、政府高官も最高裁も報道機関
  • 難病と尊厳死
    竹林泉水 (07/29)
    コメントありがとうございます。

    自ら生きる権利、自ら死ぬ権利があるのはよくわかります。
    それにはどちらも人・個人としての尊厳が保たれている必要がある考えます。
  • 難病と尊厳死
    風と雲 (07/28)
    意識して自ら命を絶つことができるのは人間だけだと思います。人には生きる権利と自由があるように、自らの命を絶つ権利も自由もあって然るべきではないでしょうか。このA
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (07/01)
     自分よりも周りを優先する集団主義的な考えが同調圧力などがまかり通る社会なことについて前に
    >日本的なこの価値観は、海外から見たら奇異の目でしか見られないでしょ
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
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