竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

十三詣り

今年に五月一日は、旧暦の太陰太陽暦の三月十三日です。
この日に、数歳の節目を迎えた子供の成長を感謝して、これからもスクスク育ち智慧も授かるようにと、関西では十三詣りをしていました。
私は小さいとき、神戸に住んでいましたが、中学のとき勉強をあまりしなかったので、たまりかねたのか親につれられ、京都嵯峨野の法輪寺につれられ、本尊の虚空蔵菩薩の智慧と福徳を司るようにお詣りしたのを覚えています。
しかし、この虚空蔵菩薩へのお詣りは、帰るとき振り返ると、せっかく授かった智慧を返してしまうと言い伝えられているそうです。
お詣りする帰りには、桂川の渡月橋を渡り終え、阪急電車に乗るまで、後ろを振り返らないように言われていまし。しかし、そう言われれば振り返りたくなるのがにんじょうです。未だに拙文しか書けないのは、どうやら私は帰り道振り返ったようです。
この年になって、法輪寺にもう少し賢くなるようにと、お詣りしても、渡月橋を渡り、振り返ると小倉山や愛宕山が見えるので、その二つの山を愛でるために、必ず振り返ってしまうでしょう。
関連記事

安倍首相の米国議会演説

安倍首相がアメリカ合衆国上下両院合同会議で演説した。新聞報道によると、その中で歴史認識について、「先の大戦に対する痛切な反省」を表明しました。しかし、日本国・日本軍などが行った、行為についての「侵略」・「おわび」の言葉はなかった。なんだか中学生以下のように思えて、外国の国会で演説する内容としては、国際的に恥ずかしい内容に思える。

戦前の敵国から同盟国になったと、日米の和解と同盟関係を強調しました。そして、米兵を追悼する記念碑を訪れ、アメリカの戦争犠牲者に対しては、過ちを認め悔やむことをあらわし、反省し謝罪しました。しかし、一番の被害を被り多くの犠牲を出した国に対しては、戦後のアジアの復興発展に寄与し、韓国や中国の成長を支えたと自賛するが、犠牲を出したことについては謝罪をするのをためらっています。

この演説をよむと、少年が成長の段階で、心に傷を負い負担を、心がねじ曲がった弾みで、人に迷惑をかけたり非行に走ったりする生徒がいます。そのような生徒を指導していると、なかに、悪いと分かって反省しても、素直になかなか謝罪ができない子どもがいます。それらの子どもたちがなかなか素直になれないのは理解できます。それほど成長する段階で、不安を感じたり自己否定したりしてしまっているのです。

しかし、政治の特に外交の世界では、一昔二昔の帝国主義や侵略が正当化される国際外交時代では通用するでしょう。しかし、帝国主義や否定され、侵略は悪とされている現代の国際外交の時代では、受け入れられるような内容とはとても思えないです。

戦後に日本が行った、平和への国際貢献は高く評価してよいでしょう。しかし、今後の「日本積極的平和主義」と言うことばで、米国軍との同盟関係と支援を強調し、米国軍とともに戦うことを訴えました。まさに、今後も米国と軍事同盟を結び、米国の顔色を窺った演説内容でしかなかた。もっと日本の立場を強く表明できないかと思う。たぶん安倍首相のお祖父さんである、岸信介元首相は、墓場の陰から、米国に迎合する内容の議会演説を嘆いているだろう。
関連記事

今日は八十八夜

今日は八十八夜です。
私がこの地、振興造成地に移り住んだころは、団地の一番外側で今も、フェンスの向こう側は、家など建っていなく雑木が繁っています。
今でも、この季節になると小鳥のさえずりがうるさいほどで、夜になるとカエルの画商がはじまります。
しかし、30年程前に引っ越してきたころは、フェンスの向こう側は、土を切り開いたりその残土を埋め、市街地調整区域のため松の苗木が植えられていましたが、夜になると狐の鳴き声が聞こえてきました。朝になるとキジのキーンという声が聞こえていました。
しかし、今はフェンスの向こう側は、松より他の雑木が茂ってきています。しかし、ここに住み始めた頃によく聞いた、キツネやキジの鳴き声は全く聞くことがなくなり、時々、イノシシの気配を感じるていどです。
関連記事

寓話詩

イソップ愚話集をもとに、寓話詩を作ったことで知られる。ラ・フォンテーヌの作品が、岩波文庫で「寓話 上・下」としてある。
出版年を見ると昭和47年とあるので、大学生のころに買っているのようです。それ今読み替えてみと、

「セミとアリ」「カラスとキツネ」「ウシと同じくらい大きくなりたいと思ったカエル」などがある。

「セミとアリ」
夏のあいだずっと
歌をうたっていたセミは
北風が吹いてくると
ひどく困ってしまった
ハエや小さな虫の
かけらひとつみつからない
おなかがすいてたまらないので
近所のアリの家へいって
春になるまで食いつなぐため
穀物を少々
貸してと頼む
「取り入れ前にきっと
元利そろえて
お返しします」
アリは貸すことを好まない
貸すなんてそんな不徳はもちあわせない
「暑い季節にはなにしていたの」
アリは借り手のセミに訊く
「夜も昼もみなさんのために
歌をうたっていましたのですみません」
「歌をうたって?そりゃけこうな
それじゃこんどは踊りなさいよ」

セミは木の幹の汁を吸うのですが、ここに出てくる主人公は、肉食ですからセミでなくキリギリスと思われます。
あわれセミはアリから、食べ物をもらうことが出来ないどころか、踊らされてしまいます。
夏の間歌い惚けていたので、ただ無慈悲に追い返してしまうのでな、もう一つお仕置きというか嫌みをあたえている。
こうなれば、セミは冬を越すことが出来ずに終えるのでしょう。


「カラスとキツネ」
カラス先生チーズをくわえて
木の枝にとまっていた
キツネ先生匂いをかぎつけ
やってきてこんなふうに言った
「おやこんにちはカラスの殿さま
なんてあなたはすばらしなんてあなたはごりっぱな
うそは申しませんもしあなたの声が
その羽根にふさわしければ
あなたこそこの森に住むフェニックス」
カラスはこれを聞いてうれしくて呆然となて
自分の美しい声を聞かせようと
あんぐり口をあければばっさりと獲物が落ちる
キツネはそれをつかんで言った「御親切なお殿さま
覚えていることですなへつらい者はみんな
いい気になる奴のおかげで暮らしていることを
この教訓はたしかにチーズひとつの値打ちは十分」
カラス面目なく恥じいって
もうこんなことはひっかかるまいと誓ったがちょと手おくれ

狐の方が一つも二つも上ですね。特に狐が「へつらい者はみんな、いい気になる奴のおかげで暮らしている」最近の詐欺などもそうだが、政治や何か事業をしようとするとき。既得権を持っている人などから、目障りになってくるとその人の地位を上げるなどをして、現場からはずしてしまいその事業を本人が出来なくしていまうことがみられます。褒め殺しには気をつけよう。


「ウシと同じくらい大きくなりたいと思ったカエル」
カエルがウシを見て
りっぱなからだだなあ と思った
どう見ても 卵ひとつの大きさしかないカエルは
うらやましくて からだをひきのばし ふらまし 一所懸命
ウシと同じくらい大きくなろうとする
「よく見ていてよ ねえ あんた(カエルは仲間のカエルに言う)
これでいい? 言ってちょうだい まだかしら」
「だめよ」「これじゃどう?」「とってもよ」「こんどは?」
「まだまだだめよ」ちっぽけな生きものは
あんまり力んだので とうとうおなかが裂けちゃった
これと同じくらい賢くない人が世の中には大勢いる
ブルジュワはみんな大貴族のような邸宅を建てたがっている
小さな国の王さまもみんあ大使をもっている
侯爵はみんな小姓をもちたがっている

「豚もおだてりゃ木に上る」と言うことわざがある。カエルの場合は腹がハジケてしんでしまいした。周りの仲間の帰るも、どうなるか分からずか知っていて面白がってか、腹を膨らませているカエルを煽っています。
最近そのように人をはやし立てる人が増えた増えたのでしょうか。また、それをネットに投稿するような人もいます。投稿する人もそう深く考えないでいるように思います。
何でこんなになってきたのでしょうか。テレビ番組にそのようなものがあるからですが。それを見て嫌悪感を持つひとより笑うだけでなにも感じない人が増えていることも問題でしょう。
関連記事

祭り

もうすぐ大相撲が始まりますが、中央公論社の中公文庫に、三田村鳶魚の著作集である、鳶魚江戸文庫がありその中に、娯楽の江戸 江戸の食生活と言う本がある。

江戸で辻相撲が禁ぜられたのは、寛文度であるから、二百五十年前である。この禁止の理由は他にもあろうが、大都会の往来の頻繁な路面だけに、免れぬ法度であったろう。以下略・・・

寛文は、1661年から1672年であるから、徳川家康が征夷大将軍に任じられたのが、慶長8年1608年で家綱の時代である。江戸時代の始めのころだがすでに、江戸が大都会立ったことを窺わせるものだといえる。
しかし、「子供等のする追羽根・凧揚げのみならず、童稚の遊戯は、大道でも何の差し支えもなく行われた。それだけでなく、今日も僅かに残っているカッポレや大神楽などの路上技芸は、大道芸人と呼ばれ、その種類も多かった。」と書かれていることから、町中の路上での見せ物も多かったのでしょう。見せ物ではないが江戸の町は、物を荷って物を売り歩く棒手振りが非常の多かったそうです。江戸研究家の石川英輔は、江戸の町は家の前をベルトコンベアーで、魚や豆腐などの食べ物だけでなく、様々な日常生活用品を売り歩いていたと言っています。

しかし、なぜか辻相撲は禁止されていました。これはそれほど相撲の人気が高かく人が大勢集まってくるからでしょうか。辻相撲とは官許の勧進相撲相撲ではなく、町の広っぱでだれの許可も受けずに、自然発生的に行われて相撲です。そのため江戸の町の治安上から禁止されたようです。そして、江戸時代中期になると、勧進の興行相撲が四季に一度行われるようになったそうです。それが今の大相撲の始まりなのでしょう。

さらに、鳶魚は江戸時代は町衆が祭りに狂喜死ていたことのべ紹介しています。しかし、明治になりそれが「路面の繁劇ろ電線のために、全く喪失してのは怨めしい。」と言っています。


神社などで行われるお祭りも、単なる神事として行われるなら、厳然粛々とおこなわれなら、民衆としては楽しくもないし娯楽性も無く、そこには娯楽性というものがなく、各地の祭の盛り上がりは起きないでしょうし。
「江戸でお祭りが花々しく景気だってきたのは、綱吉将軍が、神田の祭礼も山王同様に、御上覧なさるようになったからである。」これにより江戸の祭や花々しくなっていくのだが、享保の倹約により締められては、弛み、締められては弛みを繰り返しいくが、次第に町民の財力が増していき、祭は花々しくなってきます。
十一代将軍家斉の時には、大奥の内命で神田明神御雇祭がはじまり、町年寄や町名主といった町役人を始め町人はもちろん、町奉行や寺社奉行なども動員され、江戸をあげての大祭礼になっていっています。そして、その経費は下付されていたようです。それなら、派手に賑やかになっていくのも当然でしょう、そしてますます公方さまと慕われて言った思います。

ところが明治維新になり、廃仏毀釈、脱亜入欧となり、お上から降りてきた下付金がなくなたので、江戸時代のような華々しさはなくなっていったのでしょう。
関連記事

教員の国家資格で国民学校が復活か

先日4月26日に、「教員採用試験の全国共通一次試験」政府が教員採用試験の全国共通一次試験の導入を考えている記事を書きました。http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-2211.html

自民党はさらに教員の質を高めるためにと、教員免許状取得に当たり、大学の教員養成課程における単位の取得に加え国家試験を課すことや、採用に当たり、教師として適性や能力を十分に判断できる選考方法の充実方策を検討しています。
自民党の教育再生実行本部の提言によると次のようにかかれている。「新人材確保法の制定」に関する提言
1.教師の養成・採用の抜本改革
1 新任の教師を十分な指導・評価体制の下で育成し、厳格に教師としての適性を判断できるシステムの導入
2 適性ある優れた教師を確保するための奨学金の返還免除や採用選考の改革

教員免許状を国家資格にするには相応しくないものです。医師などの高度の技術を要するものは、その技術を保証するためにも、国が認定する試験は必要であろう。しかし、教員の資格免許は技能だけをその資質とするものではないです。
一つ運用を踏み外せば、現場の教師を時の政府の言うことに従属させることになりかねないです。教員免許が国家資格化すれば、政府に忠実な教師ばかりを採用することができ。熱意があり指導力もある人でも、ものごとを自由に考えることができるが、時の政府の方針の意に沿わない人や、納得できなければものを言い、管理職と衝突する先生を教師としての資質に反すると、配置を変えたり免許更新を与えずに解雇することもできます。
いまでも、学校運営の教育方針に対して、管理職に対して諫言する人を転勤させたり、学校の校務分掌でも褒め殺し人事をしたりすることがあります。それがますます露骨かする恐れもあるでしょう。
教科書検定に自民党なりが口をだしたり、教員の免許や人事までだしたりすることは、すでに放送などのマスコミへの口出しが常態化しているのを考えると、、まるで独裁国家、戦前の国家統制の時代に逆戻りのように感じてしまう。
そのうちに、尋常小学校と言っていたのを、国民学校と名前が変わるかもしれないですね。

私が責任者だと独裁者気取りの三代目のボン本首相に、好き勝手やらせては国はどうなるのでしょう。商家は三代目で潰れるといいますが、そうならないことを願うばかりです。

関連記事

自民党憲法草案

今年の憲法記念日もすぎましたが、今年は例年に比べると、各新聞社はなどは憲法特集が少なかったようです。憲法の関する記事があても、それは改憲についての記事が多かったように感じるお。

次の文は、自民党の憲法草案の前文に書かれてものです。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
・・・中略・・・ 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

この自民党の憲法草案では、日本の国の歴史的成り立ち的なことがかかれています。しかし、そこには重要なことが抜け落ちている。
「天皇を戴いただく国家であって」とかかれているが、前文にそう明記するなら、その前に重要なことを踏まえておかないといけない。日本は、複数の民族から成り立っている国であること明記すべきです。
よく、日本は単一民族単一言語という人がいますが、日本にはいわゆる大和民族といわれる人々と、アイヌ民族と琉球の人たちがいます。特にアイヌ民族は正式に国は、日本の少数民族として認めています。
法律的に、1997年成立した「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ新法)」で初めて、政府はアイヌ民族を少数民族としてみとめました。それまで日本は天皇を戴く単一民族だと、認めてこなかったです。また、一括りにアイヌ民族といても、そのなかで、学術的に分けると幾つもの民族に分かれるようです。
そして、そのほかにも、旧樺太や千島列島に住んでいた、ウィルタ、ニヴフと呼ばれる人たちもいます。
東北には、NKKテレビで放送された「火怨・北の英雄 アテルイ伝」にでてくる、蝦夷(エミシ)という人たちがいます。また、源頼光の「土蜘蛛」退治も少数民族退治という説もあります。
そのよに、奈良時代以前の大和朝廷から、先住民族である人々を従属させてきました。アイヌ新法ができるまで、アイヌの人たちを少数民族と認めてこなかったことでも分かるように、進んで従属同化を拒んだ人たちを虐げきています。
少数民族について、南方に目を向けると、沖縄県や奄美群島など、旧琉球王国領域の住民を、琉球民族であるとする考えがあります。琉球王国は薩摩の侵攻と廃藩置県による琉球処分以降、沖縄の人たちは沖縄は日本になろうとしてきました。それは、河上肇の舌禍事件や沖縄の本土復帰運動でも分かるとおもいます。しかし、日本政府や一部の人たちは、地理的なことから沖縄の今の現状は当然なものと差別をしています。
そして、現在はどうであるかというと、国連で上田秀明大使が自分が発言したことに対して、笑われたことに対し「シャラップ」と言って、日本の人権意識が稀薄であることを曝してしまいました。

この上田大使の「シャラップ」事件、知らない人もいるかもしれにないの簡単に紹介しておきます。
日本政府を代表して出席した外務省の上田秀明・人権人道大使が国連の会議でのことです。審査最終日、日本の司法制度の在り方に対し、アフリカのモーリシャスのドマー委員が、「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と日本の刑事司法制度を批判した。
それに対して、大使は「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」発言しました。そのことに対し、日本の刑事司法で、死刑制度があること、被告が弁護士に接見できないこと、取り調べのが記録されていないことを知っているので、各国の委員などから失笑がでたものです。それに対し、大使は、「笑うな。なぜ笑っているんだ。シャラップ!シャラップ!」と叫んだものです。会場全体がシーンとなり、大使はさらに、「この分野では、最も先進的な国の一つだ、それは、もちろん、我々の誇りだ」と発言したものです。それにより海外の記者はあきれかえてしまったそうです。ただ、このことが一般の私たちに知ることになたのは、日本の放送局のニュースではなく、ネット上の動画からです、そしてそれが知れるようになって、日本の報道機関はようやく「シャラップ」とい場面だけをニュースにするぐらいでした。なぜ上田大使の発言が笑われたかは、問題に取り上げずにいました。この本来は、上田大使の意識が問題で、国民にこのような恥ずかしいことをした、国連大使がいることを話題にすべきでないでしょうか。

これは直接民族問題とは関係ありませんが、日本の人権意識、民族意識が低いことだと言えると思う。

そう思うと、自民党の憲法草案の前文の「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家」には問題があると感じる、単に象徴ではいけないのだろうか。
関連記事

テーマ : 憲法改正論議
ジャンル : 政治・経済

日本人の食事の回数

ようやく長い連休が終わりました。
連休中に幾つか本を読みました。その中で三田村鳶魚の「江戸の食生活」を読んでいると、昔は一日に二食が普通だったと書いてあいります。そのことは、話などでよく聞いていましたが、そのことについての記述がいくつか紹介されています。

無住禅師の仏教説話「沙石集」や、慶長活字の笑話本「きのふはきょふの物語」にでてくる話で、食事の模様が書かれているところを紹介している。
「三井寺の法印、雨の御つれづれにとて、二度物おもふと云題を出し、是に一首づつよみ給へとて、二人のちごに仰せければ。
大ちご
春は花秋はもみじをちらさじととしに二度ものおもふなり
あさめしと又夕めしにはづれじと日々にニたび物をこそおもへ
この歌は、元和活字の「戯言養気集」の中にも出ておりますから、慶長・元和のころには、日に二度ずつ飯を食べておったものと思われます。」

また、北条氏康の言葉として「武家物語」からその食事に関することを紹介しています。
「凡人間は高きも下きも一日両度づつの食なれば」
このころ、一日二食であることがわかる。それでは一日どれほど食べていただろうか。

一日一人どれほど食べていたのだろうか、「武功雑記」には、「人の食物は、とかく、朝暮二合五勺宛可然と、滝川左近将監積り定候由」朝夕二合五勺だから、一日五合になる。たいそうな大食らいに思える。ただ、これは扶持米のことのようで、主君から家臣に与えられる俸禄の王で、実際に食したのはもっと少ないと思のだが。
御伽草子の「物草太郎」には「毎日三合飯を二どくはせ、酒を一どのますべし」とかかれています。
「甲斐国志」には、「催促の人もらひの事、此方申付候ごとく、なけわけ大こん計ににて、一日二度ズ、たるべき事」と書かれている。兵を集める場合は、菜っぱと大根の飯を一日二度与えるということを条件にしていたようです。

これにくらべ、牢屋の食事はどうだったかと言うと、「慶長見聞集」に「一合の食物を朝五勺晩五勺、是を丸じて、ごきあなより此暗き地獄へなげ入れる」
牢獄でも一日二度の食事だったようだが、一日一合のようです。

また、二時や十時の食事、お八つの事が書かれている。一日二食では、その間が長いのでいわゆる間食がされたようで、それが二時や十時やお八つで、江戸時代は不定時法で季節により、時間が違っていて二時と言えば今で言う「おさんじ」のことだろう。お八つも八つ時に食べるので、今で言う午後三時ごろになる。

まだまだ、いろいろ書かれているが、此ぐらいにしておきます。
関連記事

下水溝の掃除

連休中に家周りの清掃をしました。その一つに建物から外にでている排水パイプのマンホールの蓋を開けると、パイプの周りに油などのヘドロがベットリと着いていました。園芸用と撒水ホースを直射に設定して、そのマンホールの口からヘドロに直射してついている油や石鹸垢などを取り除きましたが、たぶんその入り口近くしか取れていないでしょう。こんど、ホームセンターに行って煙突掃除用のブラシと棹を買ってきて掃除しようと思います。
別の便所や洗面所からからのマンホールの蓋をあけてみると、負ぶうなどは着いていなかったです。こちらは以前、近く生えている垣根の木の根が、パイプの継ぎ目から根がでてきて、一度便所の排水を詰まらせそうになったことがありした。今年は生えてその根ははえてきてなく、パイプはきれいな常態でした。
この台所からと便所からの排水パイプをみると、便所より台所の方が汚かったです。とくに台所からのパイプの汚れは、食べ物特に動物油が主な原因ではないかと思います。そのように考えると食器などを洗うとき、汚れを拭き取ってから、洗うことの大切さを感じます。汚水処理をする下水処理場の負担を減らすだけでなく、自分の足下の下水溝を詰まらせないようにすることにもなるのです。
自分たちの生活でほんの少し、気を配ったり気を使うこて、身の回りのことにも影響し、また自分から遠く離れた所の負担も少なくなるのですね。
関連記事

面前ドメスティクバイオレンス

面前ドメスティクバイオレンスという言葉があります。
親が配偶などに子供の前で、暴力を振るったり振るわれたり、暴言を浴びせられたりすると、それを目撃すると子供の心理は深く傷つきます。児童虐待防止法では、これは心理的虐待の一つとして定義されています。

兵庫県警が児童相談所に通告した子供のうち、心理的な虐待に人数が過去5年で25倍にも増えているそうです。
そのなかでも、家族が暴力を振るわれる光栄を目撃する「面前ドメスティックバイオレンス」が急増していることが分かりました。
児童虐待の内訳は、暴力を受ける「身体的虐待」、暴言を浴びせる「心理的虐待」、「養育拒否、怠慢」などがあるが、このうち心理的虐待の中で、「面前ドメスティックバイオレンス」はその84%を占めるそうです。
特にこの「面前ドメスティックバイオレンス」は児童保護のいしきが市民のなかでたかまり、家族以外からの通報が増えているそうです。

この「面前ドメスティックバイオレンス」は、子供の心理を非常に不安定にさせるものです。児童相談所によると、子どもの精神的なダメージが大きな場合、感情を抑圧しがちになり、対人関係障害に陥ったり、自己肯定感情がもてなくなったりすることがあると言っています。そして、心理的虐待を受けたこどもは、きちんとしたケアが必用で、病院での治療や養護施設などの通所を進めています。

特に最近「面前ドメスティックバイオレンス」が増えているのは、長い不況で失業や貧困などの経済的不安定さにより、親やその周辺が心理的に追い込まれ、DVが増えているのではないかと思う。親が互いに感情的位なり、暴力を振るわなくても言い争ったり罵り合ったりすることは、大人に頼らざる得ない子どもにとて、心理的虐待になり今後の心理的成長を阻害さえてしまう。これは大きな社会問題で周囲の地域社会はもちろん、地方の行政や国もこの問題が急増していることを深刻に受け止めなくてはならな。
関連記事

青少年育成の補導員研修会

青少年育成の補導員をしていますが、その研修会に行ってきました。

その時の講演会で講師の神戸市立青少年補導センターの主任指導員の水澤工先生が次のことを述べられていした。


・最近の子ども達の特徴
1.基本的なルールを尊守する認識の希薄な少年が多くなってきている
2.自己中心的で善悪の判断に基づいて自分の欲望や衝動を抑えきれない少年が増えてきてる
3.言葉を通じて問題を解決する能力が充分発達しきれてない少年が増えてきている
4.自己実現が乏しく自尊感情が希薄なことにより他人を重んじる気持ちが育っていない少年が増えてきている

・最近の子ども達の特徴を踏まえての補導活動の在り方
1.愛情を持って接することにより、少年との距離を縮め親近感をお互いに持てるようにする
2.高い良識を持つことにより、少年からの上から目線と見られるのでなく、信頼感を得ることが大切。
3.適切な補導技術を持つことが大切。

・補導時の対応の仕方
1.愛情と善意を基本として行う
2.補導者の身分を明らかにする。声を掛けるとき、自分は補導員であることを告げ、少年に安心感をあたえる
3.危害防止への配慮をする。少年が加害者になったり被害者になてしまては補導の意味がなくなる
4.上記の不安を感じるときは、補導員で解決するのではなく、警察などの専門機関連絡する
5.自然な態度呼びかけるこが大切、高圧的な態度は逆に反感が生まれしまう
6.反抗的な態度に対しては、一段高い視野から話を聞いて、少年の心を開かせる
7.声かけは時期を失することなく、自信を持って行う
8.最後に呼びかけ要領で大切なことは、別れ際の激励などの一言を忘れない、「」

・補導活の対応のポイント
1.受容的対応(高圧的な態度は反発を招き逆効果)
2.共感的対応(問うてうなずき話を聞き入れる)
3.援助的対応(少年の問題解決能力を高める支援)


研修会の話を聞いていて、人が発達するには自己の欲求が満たされることにより、発達していくものです。
アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908 ~ 1970)は、人間の欲求を以下の五段階に分類しました。
そして、低次の欲求が満たされると、高次の欲求を満たすように動機づけられているとしています。
1 生理的欲求(飢え・空腹・睡眠など生命の維持に関する欲求)
2 安全の欲求(戦争・天災・病気からの逃避、衣服や住居などの安定的な維持)
3 社会的欲求(愛と帰属の欲求。集団に属し仲間からの愛情を求める欲求)
4 自尊欲求(承認の欲求。承認・尊敬・独立などを求める欲求)
5 自己実現欲求(自己の能力を発揮して目標を達成する欲求)

マズローはこのようにいっていますが、少年非行などの問題も、少年にこれらの欲求が満たされていないことによるものが多いと考えられます。
敗戦直後の少年非行は、1や2が多くを占めていましたが、今は物質的な豊かさのなか、少年犯罪が深刻になっているのは、3、4、5の欠乏によるところが多いと言えます。これは社会的要因と言うより、周囲の大人の責任にあると思います。

今後地域の街頭補導をするうえで、参考にしていきたいと思います。

関連記事

江戸の食生活

先日、中央公論社の中公文庫の三田村鳶魚の著作集である、鳶魚江戸文庫の中の「娯楽の江戸 江戸の食生活」の前半「娯楽の江戸」の巻頭の一つを紹介しました。
こんどは同じ文庫本の後半の、「江戸の食生活」の巻頭の一つを読んでみます。

それによると、江戸の人は奢ることをよくしたそうです。「江戸時代の町人の人達は、その身分の差がいろいろありましたけれども、それには拘らず、奢りにいく、といいまして、毎月一回なり二回なり、家族を連れて料理屋へ行く、とういう仕癖がありました。これは、旦那株の人でも、半纏を着ている人でも、奢りに行くといえば、必ずこういうことをやったものです。その他にも、自分の家で出来るものばかり食っていないで、料理屋なり何なりについて、食物の供給を受ける。また、それを好む様子があった。これは、相当な台所を持っていないからそういう風が起こったかといいますと、そうではない。町家でも、家によっては、我儘な生活の出来る人でも、やはりそういう傾向がありました。それがまた、一々に料理の沿革というものになってゆくわけであります。」と書かれている。
しかし、江戸の初期幕藩体制が確立する寛永頃でも、「海道の立場のほかには、食べ物の供給をする場所がなかった。」また、江戸市中でも享保の半ばまで、「丸の内から浅草観音までの間には、食物屋がなかった」と鳶魚は書いています。
それまで、食べ物を買って食べるという、今で言う外食は、旅をするときぐらいしかしなかったようです。江戸時代では木賃宿が多かったそうですから、旅に出ても食事は、燃料の薪を買って自分で作ることが多かったようです。それが、江戸の町に食べ物屋が多くなったのは、「元禄十三年の地震火事(これは、元禄16年11月23日M7.9-8.2の『元禄地震』の間違いではないかと思う。)の後には、焼け場に田楽売りがでました。一串三文でしたが、何しろ震災後ですから、町人ばかりじゃない、士衆もこれを食べた。その翌年飢饉でみなが困った時、江戸の端々へ煮売り小店がでた。昔の飢饉は物がないので飢饉がくるので、今の飢饉とは違いますからどうしてもこういふうになる。」。
この事からしても、今のコンビニ店や食べのを出す店がいち早く、被災者支援のためと店を開けようとしていますた。その流れがどの時代にもあるのでしょう。
それはともかく、同じ中公文庫に三谷一馬が著している「彩色江戸物売図絵」「江戸商売図絵」みると、食事関係の棒手振り屋台や小店が沢山描かれていて、多くの店や屋台があったことがわかります。

池波正太郎の鬼平犯科帳の長谷川鬼平は、食通で知られ小説でも必ず小店に行き、箸を突く場面が書かれています。平蔵は延享2年-寛政7年5月19年の人で、晩年は幕末ですから、その比は江戸の町は棒手振りや屋台多沢山行きかっていたのでしょう。

鳶魚は商売の方法は三通りあると書いています。「行商する者と、辻売りと言って人の大勢寄る所へ持ち出して売る者と、場所を動かずに店を構えてやるんとと、おおよそ三通りあります。」。この行商は天秤棒を担いで売る棒手振のことで、屋台を担いで売るのが辻売りでしょう(江戸の町は荷車を使うのは制限されていたそうです。大店などは発達した水路で荷物を運んだといいます。今はその水路のほとんどは、道路になったりしてています)。

三代将軍家綱の寛文10年7月には、午後六時以降の商売を禁ているので、その比にはすでにこれらの店があったことが言えます。「テンヤ物といって、他から供給sる食べ物を嫌う風がある。料理屋からものを取ることさえ、嫌う家がありました。後々までも、買食いというのは、ごくいけないこととなっております。町家の堅い家では、武家の風を真似て、そうなったわけです。後にはそうばかりもゆかなくなりましたが、それでも、大きな町家では、外へ出る時には弁当を持って行く。あるいは、先々へ申しつけておいて、どこそこで昼食をするから、といって支度をさせて置く、と言う風になっている。以下略」
いまも、買い食いと言うことがは、あまりいい意味では使われないですね。

しかし、そういわれながらもここでは、いわゆる今でいう外食のことですが、あまり良い事ではなかったですが、現代はファーストフード産業が大流行のように、今と同じように当時も人気産業だったようでうす。
関連記事

テーマ : 外食グルメ
ジャンル : グルメ

吉宗将軍の宿意

三田村鳶魚の「娯楽の江戸」から

吉宗将軍の宿意

もう五月も半ばになり、桜もすっかり葉桜になってしまったが、吉宗の時代にはすでに、桜の花見は江戸っ子の楽しみの一つになっていた。また、今と同様に桜の花見は、どんちゃん騒ぎは付き物だったようです。吉宗は江戸の北の郊外の飛鳥山に、桜の公園を添えて拵えて花見をさせたことが書かれている。
「吉宗将軍は、神田の柳原に豚を放養した時代に、桜の公園を拵えて、電車も自動車もない昔に、テクテクと北郊の果てまで歩行させた。・・・中略・・・ この時代は、誰も彼も市街地生活に倦み、田舎珍しい心地になっていたからではあるが、茶番趣味は大分膨張してきた。そのかわり、厳めしい長脇差の喧嘩買いなどという物騒な人物は、噺にも出なくなった。花見衣装だけでは誰も満足しない。洒落を通りこして、何か御趣向がありそうなものという時になった。仮装変装は珍しげもない、百眼や棕櫚の鬘は行く先で売っている。・・・中略・・・ 今日のように、一年一度の娯楽にも、頭から警官の眼玉が光っては、神経衰弱の人間だらけ荷なるよりはほかに仕方はない。」

神田から飛鳥公園まで、今で行くと本郷通りを北に8キロ程で、一時間半程かかります。江戸の庶民はそれでも、浮き浮きとでかけたようです。そして、花見の行く先には屋台も沢山でていたようです。また、小家の若旦那などは幇間いわゆる太鼓持ちを侍らせて、古典落語のようにどんちゃん騒ぎをしていたようです。それと今を比べると、江戸時代の方が遙かに自由で羽目をはずしていたようです。
その上、今では縁日などの屋台売られる仮面のような百眼や、鬘などが売られ、それで仮装して、花見を楽しんだ野でしょう。現代では、夜店などでそれらが売られ手いるのを買っても、誰もその場でそれを付けてその日一日を楽しむ人はいないでしょう。逆に行うとプラスチックのお面などが縁日で売られているのは、それを付けてその場を楽しめと言うルーツがあるのでしょう。
徳川幕府が江戸市中から離れた所に、桜の公園を作ったのも、江戸市中では御法度だが遠く離れたこの地では内をしても多めにみる場所をつくり、民衆のガス抜きをする意図があったように思う。

鳶魚はさらに、江戸幕府のガス抜きため、我が儘勝手に遊ばさせることに次のようにかいている。「幕府はいつでも極限主義を持っていた。江戸の公娼にしても、一廓に集め、市街から引き放した上に、溝渠を周囲に掘らせた。・・・中略・・・ 厳重に場所を限定するが、その場所では特に自由にする。放任区域とでもいうべきものを拵えるのであた。・・・以下略」

今の政府はカジノ特区を作ろうとしてるが、これも徳川幕府と同じように、秘密保護法による締め付けや、貧富の格差の増大や自民党の憲法案に書かれているように、公益のためと称して国民の権利を規制し義務をかすることへの、市民の不満のガス抜きをさせる思惑があるのでないだろうか。いま、大阪にカジノ特区を作ろうと積極的に働きかけている、大阪市長は、沖縄の米軍司令官に風俗営業の活用を性的ガス抜きにするように進言するぐらいだし、昔の遊廓があった地にあたる。飛田新地料理組合の顧問をしていた人だから、特区はカジノだけでなく、ほかの制度も特例として認めることになるではないかと穿った見方をしてしまいます。
これは大阪市長に限らず、自民とにも同じような考えがあると、従軍慰安婦の問題を人権問題として正面から向き合うのでなく、朝日の強制連行報道は誤報だとして眼をそらそうとする意図は、大阪市長が米軍司令官に進言したのと同じ思いがあるように見えてしまうのです。
関連記事

敗戦と憲法

時代を読む 「民族」「人権」再考 加藤周一 樋口陽一 岩波現代文庫(1997年5月小学館より刊行)2014年5月文庫化を読み始めた。

この本を読んでいて、敗戦により今の憲法が押しつけられた、今の民主主義は押しつけられたと人がいる。しかし、国民学校5年生だった、樋口はこれでやっと、戦争が終わった、死ななくて済むという、開放感があったという。加藤は26歳で、やはり死ななくて済んだという思いと、いままで言論弾圧思想統制などからの解放感と、敗戦という感情があったといっている。
そして、特高や憲兵や軍人がいなくなり世の中からの圧迫感がなくなった。解放感は、言論の自由や主権在民が保障され、男女平等も明記された憲法ができたことだという。これは、GHQ案を基に作られた憲法でも、そのような思いは多くの人が肯定し今までの抑圧されたものから、解放されたと言う思いがある。

一方に、今まで権力を握っていたものや、今までの既得権を持っていた人からすると、押しつけられた憲法だという思いがある。財閥解体や農地解放や貴族制度の廃止など、戦前のいままでの体制が、180度の転換を強いられた人からすれば、そう感じることは当たり前だろう。

確かに、GHQ占領下に9日間で、素案を作った憲法であり、日本国内の内部から作られた憲法ではない。。
しかし、GHQは帝国政府にポツダム宣言受諾して、無条件降伏をしたことを踏まえて、新しい日本の憲法を作り直すように求めてきました。しかし、当時の日本政府はポツダム宣言を踏まえての(ポツダム宣言の10項に次のように書かれている。日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ)、自由と民主主義国家の憲法を作る能力がなかったです。帝国政府が考えていた新しい憲法は、毎日新聞が松本草案としてスクープされ明らかになり、それはほとんど帝国憲法と変わらないものでした。GHQの最高責任者マッカーサーが、毎日新聞の記事を読み、連合軍の会議など関係上、日本をアメリカが統治し続けるには、この松本草案の代わりのものを発表させる必用があった問い聞きます。そのた連合軍の会議の日程上9日程の時間がなかったそうです。たしかに、時間的にみると拙速な作られ方です。しかし、その中身はアメリカからすると、他国であるアジアの小国の憲法を作るのですが、民主主義とはなにか、自由とはなにか、人権とはなにか、憲法とはどうあるべきものかなど、真剣に考え作られていることが、起稿から69年ほど経ちますが、今作られたと言っても遜色のないものといえます。
たぶん、世界中の中学生高校生に、現行に日本国憲法と自民党の憲法草案を読ませて、どちらが新しいかと聞くと、現行の日本国憲法と言うでしょう。

自主憲法制定推進を唱える人は、日本には長い歴史がある、日本独自の文化があると言い。西欧の民主主義が自由主義や人権尊重ではなく、日本のそれに基づいた価値観が込められた、憲法を作るべきだと主張します。しかし、自民党などの考え方のなかに、帝国憲法の前面に書かれている「朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ」を継承を願っている人もいるようです。日本は天皇を頂点とし、天皇の基に国を作るり、それが国の発展につながり、国民は国のために義務を果たさなくてはならないと言うようなのです。
日本は決して大和民族の単一民族国家ではないです。アイヌ民族や沖縄の人たちもいます。また、日本に帰化した多くの外国の民族の人たちもいます。それらの人たちはみな、日本国籍を持った日本人です。そして、それらの人たちはみな、現行憲法には13条に次のように書かれてます。「第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
この個人として尊重されるということは、その人の価値観や文化観はそれぞれ違いを認めるということです。
それが、自民党の考えでは、「個人」が「人」になり、「公共の福祉に反しない限り」が「公益及び公の秩序に反しない限り」そして、最後に、「最大の尊重を必要とする」が「最大限に尊重されなければならない」となっています。
些細な文言の違いのようにかんじますが、この部分を何度も読み返したり、他の条項でも、公共が公益なり秩序のことばや、国民への義務を課す文言が増えています。

私たちが今、自由に言いたいことが言え、好いたところにすみ、好きな事ができるのは、現行の憲法が国民の権利を保障し、国家などの権力が国民生活の介入する事を禁止しているからです。もしその箍はずれると、これからの生活は息苦しくなるでしょう。

現行憲法の99条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と書かれているのに、国の最高責任者がはばかることもなく、憲法解釈をねじ曲げたり、改憲を唱えることは、明らかに憲法違反です。
また、現行の憲法を押しつけ憲法として、憲法無効だとしえ憲法を変えてしまおうという人がいる。それは、ポツダム宣言受諾を否定している事ともいえる。つまり、アメリカなどとは未だに戦争状態だということになります。そのアメリカと同盟関係の絆を深く持とうことは、論理矛盾がそこにあるといえます。そのことに今の、アメリカにすり寄る日本の指導者は、どのように考えているのだろうか。
関連記事

首相の戦後70年談話

首相の戦後70年談話において、安倍首相が設置した有識者会議の4回目会合の議事録を公開された。
その中で、久保文明東大教授は、アメリカとの和解に関連して、「歴史に関する和解を達成するためには、加害者・被害者双方の、あるいは旧支配国・旧被支配国双方の忍耐と妥協が必要だ」と発言しています。それについて、細谷雄一慶大教授は、戦後の欧米の和解は、被害者と加害者の双方の政府の努力や寛大な姿勢、民間も含めた取り組みなどがあったと指摘しています。
しかし、日本はヨーロッパには直接、被害をもたらした加害者ではなく、アメリカにたいしても真珠湾攻撃で、双方の戦闘行為により多数の犠牲者がものです。
これは、単純にはアジア地域への被害をもたらした加害とは比べられるものではないです。

また、有識者会議に出席した人から、「日中、日韓では残念ながら寛大な精神が十分に見られない」「謝罪では和解につながらない印象を持った」などの発言が出て、歴史に関する和解の達成には、加害者・被害者双方の忍耐と妥協が必要だなどという指摘に賛同する意見が多く出たようでっす。

これらの双方の歩み寄りが必用だと言う、意見は発展的に物事を解決する上で必用なことです。そして、有識者会議がそのように結論を出す事はかまわないことです。

ただ、今後それを受けて、首相がどのような談話をするかに期待されます。

有識者会議のこのような考えを、そのまま自分の談話に盛り込むことは、ないと思います。けっして被害者に対して加害者が「これだけ謝ってのだから、おまえも歩み寄って、謝罪を受け入れろ」と言ってはならないことです。

そのことは、次のような意見が出されたことからも言えるとおもいます。「われわれは、戦争中、相当ひどいことをしてきたが、その原罪について、真摯に申し訳なかったと反省してきたかを意識しなければ、国際社会から心底許されていないという問題に答えることはできない」「こういうひどい戦争をしたということはいくら反省しても反省しきれない」という指摘も出されました。

戦後70年談話に期待したいところです。それが、安倍首相が戦後名だたる首相の一人として名を残すか、戦後最も自尊的で傲慢で反動的な首相と名を残すかになると思います。

関連記事
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

記事の整理棚
禅 (2)
最新の30の記事
月別の過去の記事
08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   09   08  
単語による記事検索
竹林の過去の戯言のタイトル

過去の記事タイトルを100件づつ表示します

記事へのコメント
  • 安倍内閣改造
    アジシオ次郎 (08/05)
    こんにちは。

    お友達内閣と揶揄された反省から、今回は異なる派閥からすすんで入れた改造内閣、バランスいいとはいうものの、女性閣僚が2人だけというのは男性優位色が
  • 見ざる聞かざる言わざる
    竹林泉水 (07/30)
    いつもコメントありがとうございます。
    三猿の教えは、子どもより大人の方が三猿について考えないといけないでしょうね。

    一つのことしか知らない大人になるのは、人それ
  • 見ざる聞かざる言わざる
    アジシオ次郎 (07/26)
    こんにちは。

    周りをよく見る・すすんで自分の意見を言う・人の話を聞く。当たり前の常識だが、子供に説くのも大事だが大人も改めてそれを認識してそれに基づく正しい行
  • アベ政治はクーデター
    竹林泉水 (07/19)
    政権を握っているのでクーデタだと言えるのでは

    しかし、安倍晋三の頭の中の辞書には、民主主義の言葉はあるが、政治家としての誠実さをなかなか感じることができないので
  • アベ政治はクーデター
    雲と風 (07/18)
    勉強になりましたが、「安倍政権はクーデター」でしょうか? 権力と威嚇によるテロリズムだと思います。内閣府の中の一派が壊憲と日本の民主主義制度の堕落無力化を共謀し
  • 教育福祉などへの株式参入は
    竹林泉水 (07/12)
    なんでも自由競争になれば、サービスの質が向上すると考えるのは間違いで、鉄道などで見ると都市部はサービスが向上するが、過疎部では反対で最悪の場合は撤退になります。
  • 教育福祉などへの株式参入は
    アジシオ次郎 (07/10)
    おはようございます。

    教育や福祉に株式参入することは、教育や福祉をビジネスに利用しかねないし、アメリカ式の市場主義経済に基づく価値観を正当化しかねないです。た
  • 食べることは殺生をすること
    竹林泉水 (07/06)
    日本人は頂きます・ご馳走様と日本人なら誰でもいいますが、外国の方はどうなのでしょうか。キリスト教のクリスチャンなら食前食後の祈りがあります。
    私は中高とミッショ
  • 食べることは殺生をすること
    アジシオ次郎 (07/05)
    こんにちは。

    人間は生きる為に他の生物の命を奪わなければいけない。と言う「原罪」を背負っている以上、食べると言うことはそうなのかも知れないです。動物の命を奪い
  • 記事へのトラックバック
    ブロとも一覧

    うたのすけ

    山下道場

    荒野鷹虎

    海空居士

    紀瀬美香

    marihime

    お父さんの旅

    キラベル

    silver camellia

    kbrkのつぶやき

    魚京童!

    俊樹

    アジシオ次郎

    ほんわか?絵日記

    吾輩と旅と副業

    Chronos Moon

    ざっくり読書感想文

    Taiwa Sato

    びとら

    Resale Japan

    QWERT 5w1h

    (o ̄∇ ̄o)♪

    HIROGACHAN+

    しんのすけたろ

    勝ち組の日経225

    ハセッチブログ

    五月雨 時雨

    諭吉

    さくらさくら1
    ブロとも 申請フォーム

    竹林乃方丈庵のブロとも申請はこちらからです。

    Webページへのリンク
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ

    更新履歴
    今日の暦と天気

    日めくりカレンダの説明

    ■2016年旧暦 日月の出入■

    04 | 2015/05 | 06
    -----12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31------

    ★☆今宵の夜空☆★

    NHKらじる★らじる
    大阪東京第2FM大阪
    何の日



    ご訪問ありがとうございます
    竹林泉水のTwitter
    FC2掲示板
    [ブログ記事へのコメント 掲示板のレス 感想など]
    ■□FC2のブログ□■
    _/_/_/竹林乃方丈庵を_/_/_/
    _/_/_/ リンクに追加 _/_/_/
    □■□■徒然諸諸■□■□ □■□■心の時代■□■□ □■□■息身心/健康■□■□ ----- □■□■厚生福祉■□■□ □■□■その他■□■□
    □■FC2以外のブログ■□
    諸諸 徒然 「身・息・心」 こころの時代
    RSSリンクの表示
    QRコード
    QR