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信行一致

信行一致させることの難しさと大切さ

立派な言葉は、いつも出しやすい。
しかし、道理を修めて実行することは、いつも行われにくい。
それなのに、できそうにない立派な言葉で、その実行されにく道理を追い求めていないか。
だが、立派な言葉で求めれば求めるほど、道理は実行されにくくなり、言葉に出して言えば言うほど、食い違いは大きくなる。
ちょうど火事を消そうと油をかけるように無益で愚かなことだ。
             良寛 「草堂集」

この言葉、耳に痛い言葉である。ついつい偉そうに、知ったかぶりをして、人に言いふらしたり。このブログにいろいろ書いているように、自分の知り囓ったことをひけらかしします。
いろいろ本を読んで勉強することは大切だが、それがただの知識を並べたてただけに終わってしまっては何もならない。
よく、何も知らないで真面目に誠実に生きて、人に尽くしている人を見る。そのような人と接すると、自分はその人より愚かだと気づかされることがあります。

私の行動をみていて、信行一致しないところがいかに多いかを反省していきたい。
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テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体

三太郎の日記  阿部次郎

三太郎の日記  阿部次郎
三太郎の日記  阿部次郎

高校生の頃に読んだ本に「三太郎の日記」がある。この本、読んだというより買ったといった方が正確で、全部読んでいない。
大正・昭和30年頃まで、学生の必読書のようなものと言われていた本です。阿部次郎が「三太郎」にこよせて、著者自身の苦悩を書いたものです。

この本を今一度読んでみようと新しく出された、「新版 合本 三太郎の日記」を買って今、ボチボチと読んでいる。


「三太郎の日記」は、大正時代になると日本の世の中が、豊かになるにつれ中学生(旧制中学 今の高校生)や大学生たちは、豊かさだけを追い求めるのが幸せになれるのか疑問に思い始めた。そして、心の豊かさや物事への理解を深め、社会人として文化人として生きることだと考えだした。
若いころ「三太郎の日記」は、第一章に「生活は生活を咬み、生命は生命を蝕ふ。俺の生活は湯の煮えたぎる鐵瓶の蓋の上に、あるかなきかに積る塵埃である。 ・・・・中略・・・・ 俺は今眼を失へるフオルキユスの娘達の樣に、黄昏れる荒野の中に自らの眼球を搜し回ってゐる。・・・以下略 」見えるように難しい言葉使われ難解で、読んでいる途中で挫折してしまった。
この歳になり読むと、若者の回りくどくキザに理屈をこね、やや偏狭したところがあり、屈折していることを感じる。しかし、大正・昭和初期の若者達に、興奮し熱中して読まれ青春のバイブルと言われたものです。
しかし、それは若者の特権のようなものですが、最近の若い人は周囲の空気を読むののたけて、このようなところが見受けられなくなってきている。

現代の今の世は、勝ち組と負け組の線引きがされ、強者はますます強くなり、敗者はなかなか這い上がれなく早くから諦めてしまっているものが多いように思える。三太郎の時代も勝組と負け組は問題であり、大正デモクラシーや自由民権運動などがあった。三太郎はどのように考えたのだろうか。
「弱い者はその弱さを自覚すると同時に、自己の中に不断の敵を見る。さうして此不断の敵を見ることによつて、不断の進展を促す可き不断の機会を与えられる。臆病とは彼が外界との摩擦によつて内面的に享受する第一の経験である。自己策勵とは彼が此臆病と戦うことによつて内面的に享受する第二の経験ある。從つて臆病なる者は無鉄砲な者よりも沈潜の道に近い。彼は無鉄砲な者が滑つて通るところに、人生を知るの機会と自己を開展するの必然とを経験するからである。弱い者は、自らを強くするの努力によつて、最初から強いものよりも更に深く人生を経験することが出来るはずである。弱者の戒む可きはその弱さに耽溺することである。自ら強くするの要求を伴ふ限り、吾らは決して自己の弱さを悲観する必要を見ない。」

弱いからこそその弱さを自覚し、自分の中にある絶えること無い弱さを見て、自分を知る機会として自分を強くする努力をすることにより、強い者より深う人生を経験し強くなれるので、自分の弱さに悲観する必要はないと考えているのであろう。


そして、次のようにも言っています。
「何を与えるかは神樣の問題である。与へられたるものを如何に発見し、如何に実現す可きかは人間の問題である。」
強い人弱い人があるのはそれは、天性で仕方ないものであるが、それをどう受け止めそ、その後どのように自身が行動するかが問題だと言い。

さらに次のように括っている。
「与へられたるものの相違は人間の力ではどうすることも出來ない運命である。ただ天性を異にする総ての個人を通じて変わることなきは、与へられたるものを人生の終局に運び行く可き試練と労苦と実現との一生である。与えられたるものの大小に於いてこそ差別はあれ、試練の一生に於いては
――涙と笑とを通じて歩む可き光と影との交錯せる一生に於いては――
総ての個人が皆同一の運命を担ってゐるのである。若し与へられたるものゝ大小強弱を標準として人間を評価すれば、ある者は永遠に祝福された者である者は永遠に呪はれた者である。之に反して、与へられたるものを実現する労苦と誠実とを標準として人間を評価すれば、凡ての人の価値は主として意思のまことによつて上下するものである。さうして天分の大なる者と小なる者と、強い者と弱い者とは、凡て試練の一生に於ける同胞となるのである。」

人の価値を評価するのは、結果だけでするのでなく、その人が自分の置かれた現実に対してどのように取り組んだか、どれだけ誠実に努力したかなどを評価すれば、強いものと弱いものは同じ人となる。


それでは、今の世の中はどうであろうか、世の中が物作りの経済活動より、金融経済活動が重用しされるている。インターネットで瞬時に決済することが、要求されているなかでは、悠長に弱者の牛歩の努力には日の目が向けられないようになってきている。国の政策も三本の矢などと、強いこと勝つことが中心に動いていることを考えると、弱者にとってますます厳しく、生きずらい世の中になってきていると思う。
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奴隷貿易の歴史を示す負の遺産 ゴレ島

セネガル共和国
ゴレ島 奴隷貿易の歴史を示す負の遺産

アフリカ、セネガルの首都ダカールの沖合に浮かぶ島四方1キロにも満たない小島。1444年にやって来たポルトガル人以来、19世紀に至るまでオランダ、イギリス、フランスと引き継がれながら、アフリカ最大の奴隷貿易拠点となった島です。最盛期は18世紀頃で、主な「輸出先」はアメリカ大陸で奴隷の数は総計2000万人と言われている。
ゴレ島にはかつての奴隷商人の館で、現在「奴隷の家」と名付けられ今は、一般公開されている館を中心に奴隷貿易の現実が伝えられている。

「奴隷の家」の2階は奴隷商人の住まいで、中庭は各地から集められた奴隷を品定めする場所となっていた。天井は低く1階の四方が2メートル60センチしかない小さな部屋に、15人から20人の奴隷が詰め込まれたと言われている。奴隷たちは奴隷船が来るまでおよそ3ヵ月間つながれていた。
当時ただでさえ危険な航海のなか船倉にすし詰め状態で鎖に繋がれ、劣悪な環境の下で何千キロもの大西洋を渡りアメリカに運ばれたのっです。そのよな状態だから、餓えに苦しんだり病域になり無事新大陸にたどり着いた人はごく一部で、力尽きた人はその場で鮫の餌となったと言われている。

ところで、奴隷と聞くと、アフリカからアメリカに送られた黒人奴隷を連想するが、奴隷制度にも時代により地域によりさまざまなものがある。近代より古代の方がより人権を大切されたものも少なくはない。
そこには、アメリカの黒人奴隷のような人権が蹂躙されるようなことはなく、古代では、戦いに敗れ捕虜となった者が、生命だけは助けられて苦役につかせられたのが奴隷の起源とされる。古バビロニアでは「強き者が弱き者を圧迫せぬよう、悩むある者に光を与えるよう」、法典を制定され、主人は勝手気儘に奴隷の生命を奪ってはならないものとされ、過度の虐待も勅令によって禁止されている。


15-6世紀になると、ヨーロッパでは経済活動が活発になり、新大陸発見により新大陸では労働力の不足が深刻になった。それにより、黒人たちの自由を奪い続ける奴隷制度が出来上がったといえる。
このような人類にとって汚点があったことは忘れてはならないし、それを繰り返しすこともならないです。

1949年に国際連合の人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約が発効したが、現在も世界各国でいろいろな形で奴隷が存在していることを忘れてはならないです。
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へちまの皮とも思わぬ

「へちまの皮とも思わぬ」と謂う言葉は使われなくなり久しいが、浄瑠璃の丹波与作待夜の小室節に「恩も礼儀も忠孝も死ぬ身には、へちまの皮とも思わぬ」と使われている。
このことば、「醒睡笑」安楽庵策伝があるが、その中の巻一 謂えば謂われる物の由来 に次ようなことが書かれている

へちまの皮とも思わぬ」という言い方をするが、これは次のようないわれに基づく。紀伊の国に大辺路・小辺路という険路がある。峰は高く、岸は険しく、九十九折りの小道が縫っている。まことに人や馬の往来も安からぬ難所である。そのあたりで使う馬は、日頃の飼い葉も粗末で、大豆などはとても手には入らぬから、ぎろぎろと背ばかり痩せている。だから、その馬の皮を剥いでも、背中には鞍の傷や瘡のあとばかり多くて、革としては使いものにならない。それから、何の役にも立たないものを、「へち馬の皮とも思わぬ」というのであろう。


ヘチマを国語辞典で引くと、へちま【糸瓜(いとうり)】とでている。
糸瓜は成熟させて皮をむいて実をさらし繊維質だけを残してタワシなどにしたり。糸瓜の茎からでる粘性の液は古くから化粧水したりしている。しかしその皮は用をなさないもので、捨ててしまうのでつまらぬもののたとえとして使われる。

このことを思うと、後の方の説の方がもっともらしいが、話として面白いのは前の説です。

ところで、糸瓜をどうしてヘチマと言うのかと調べると次のように載っていました。
【糸瓜は江戸時代に中国から伝来し、始めは糸のように長く垂れるので「いとうり」と呼ばれていたが、言いにくいので中国からきたのもあり「とうり(唐瓜)」と呼ばれた。それが「と」が、いろはうた(いろはにほへとちりぬるを~)の「へ」と「ち」の間(ま)にあるという言葉遊びから「へちま」と呼ばれるようになった。】とあります。
こちらの方は、日本語にはよくある、言葉の変化の形ですから納得してしまう。
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貸せば金と友両方ともに失い、借りれば倹約の心が鈍る

金は貸すのも借りるのも、罷(まか)りならぬ。貸せば、金と友、両方ともに失い、借りれば倹約の心が鈍る。
シェイクスピア『ハムレット』

経済が発展してくると、物作りが産業をのばす時代から、金を動かす金融至上主義になった今の世の中では、借りて貸して金を動かさないと、世の中が廻らなくなってきている。そして、戦前亜節約節約と言っていたが、今は国民に国のために浪費しろというように消費を促がしている。また、少額の金融取引をなけなしでためた国民の預金を、産業発展のためと使わせようとしている。

そのため、老後のための預金や倹約の心は、経済発展のために邪魔になると言わんばかりです。

そのような今の世の中では倹約を「為すべきか為さざるべきか」迷うところです。
しかし、私は始末の極意というか、いま自分の目の前にある物は、食べ物も工業製品も100均の商品もすべて、多くの人の手がかかった物だから、それを粗末に扱うのは忍びないです。また、
大根の葉を料理に使ったり、大根の皮をぬか漬けにしたり、細く切って塩もみをして鰹節子かけて酒の肴にすうる。などなど、食べ物はできるだけ捨てることなく利用して食べたいものです。折角人間に食べられるために、作られ育ってきたので、何でもかんでも簡単に捨ててしまうのは申し訳ないです。

話は、全然違う方向に進んでしまったが、金を疎かに考え扱うとすると、自分の思考まで鈍ってしまうのではないだろうか。

それはともかく、「貸せば、金と友、両方ともに失い、借りれば倹約の心が鈍る」まこと言い得ていることだと思う。
したしい中では金の貸し借りはしない方がよいとよく言われる。貸した方は恩を売ることになり、借りた方は引け目を買うことになる。そして、お金の督促もしにくいので友を無くしてしまうことになる。
もし貸すなら、投資としてするのがよいだろう、投資するのだから相手に目論見書を書かせて、その返金計画や利益が出た時の配当計画も明らかにさせておくべきだろう。これが貸借とするなら相手が返せない時は、相手の財産を差し押さえすることになり、二人の友としての関係は崩れてしまうでしょう。投資なら相手が返済できないことのリスクも覚悟の上だからあきらめもつくでしょう。


ハムレットのなかで、いつも議論される一つの言葉を思い出した。

  [To be,or not to be  That is the question.]

  [在るべきか、在らざるべきか それが問題だ]

  [貸すべきか 可さざるべきか それが問題だ]
  [投資すべきか 投資せざるべきか それが問題だ]
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世界遺産の負の遺産と呼ばれるもの

「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」があります、いわゆる世界文化遺産、世界自然遺産に関する条約です。
この、世界遺産には文化遺産・自然遺産そして、両方の価値を兼ね備えた複合遺産があります。
そして、世界遺産に登録されているが、とくに危機にさらされているものを、危機遺産リストに登録されている。
また、明確な定義はないが、負の遺産と呼ばれるものがある。「広島平和記念碑(原爆ドーム)」、ポーランドの「アウシュヴィッツ・ビルケナウーナチス・ドイツの強制絶滅収容所」などがそれとされています。

また、産業発展に貢献した施設でありながら、負の遺産と言われているもの一つ。
ドイツの、フェルクリンゲン製鉄所 世界遺産登録
第二次世界大戦中には約7万人の強制労働者や戦争捕虜が鉄鉱石採掘、製鉄あるいはザール地域の工場で労働に従事させられた。戦争末期には14,000人の、ロシア、ポーランド、ユーゴスラヴィア、フランス、ベルギー、ルクセンブルクなどから連行された男女が極めて過酷な条件下での労働を強いられた。


ユネスコの世界遺産には登録されていないが、人類の愚かな行為を後世に残し、二度と人類が過ちを犯さないよう、記憶にとどめ教訓としようと残されているももがります。

フィリピンの、バターン勇者の廟
第二次大戦中、日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降した7万人あまりのアメリカ軍・フィリピン軍捕虜や民間人が、収容所に移動するときに多数死亡者がでた。120kmを半分は鉄道で、残り3日間を満足な食事を与えられないまま炎天下を徒歩で移動させられ。3万人あまりが死亡したといわれる。

沖縄の、ひめゆり学徒隊
沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓練によって作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成されたものを「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた。他に白梅学徒隊・なごらん学徒隊・瑞泉学徒隊・積徳学徒隊・悌梧学徒隊・宮古高女学徒隊・八重山高女学徒隊・八重農学徒隊の8つの学徒隊が存在した。「ひめゆり学徒隊」は、生徒222名、教師18名が南風原の沖縄陸軍病院に動員され。そしてそのうち136名が戦場で命を落とした。

広島竹原市の大久野島 毒ガス
広島県竹原市忠海町の沖合い3kmに位置する、数戸の農家が耕作を続ける島が、昭和2年に島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となった。
日本軍が毒ガスを製造していたということは、昭和59年(1984年)まで、日本で化学戦の実態は秘匿され、旧軍関係者以外の日本人はほとんど事実を知らなかった。昭和59年(1084年)に日本の化学戦実施に関する報道がされ、日本の毒ガス兵器の研究開発がしだいに明らかにされた。ここで作られた毒ガスは実戦に使われたという証言もある。また、島内で毒ガス製造に携わった人も、呼吸器障害やガンなどで苦しみ、毒ガス処理に当たった人も含め、1800人が死亡したといわれる。

和歌山市友ヶ島砲台
友ヶ島は紀淡海峡に緩やかな曲線を描いて浮かぶ神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称です。
沖ノ島は、少し前までは電気も自家発電でまかなっていた自然のままの島です。
この友ヶ島は第2次大戦の終わるまでは旧日本軍の軍用地で一般の人は立ち入ることが出来なかった。島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠などいまも当時の面影が残されている。
同じような施設は、当然東京湾の浦賀水道にもあるが、こちらは一般の人は立ち入りが禁止されている。

まだまだ、負の遺産してそれを評価できる物がある。世界的に高く評価されている文化遺産の中にも、見る視点により負の面を見いだすものがあります。それを自虐的だとマイナス思考で考えるのは、人類が今後も地球上にそんざしし栄え続ける、もっと身近いに言うと世界が平和に繁栄するには、過去の過ちを忘れずにいることが大切です。

平和ぼけと言う言葉があるが、その言葉が指摘されることはそれだけ平和なのでよいことです。しかし、平和だあり続けるにはそれなりの努力が必要であり、そのために過去の過ちを知っておく必要があるでしょう。
そのことは、奴隷制などの人権問題もそうであり、民主主義のあり方も層であるといえます。そのためにはやはり負の遺産も記憶にとどめておく必要があるでしょう。
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我々は大地の一部であり、大地は我々の一部である

「生命の織物」 女子パウロ会発行のなかに、
次のような言葉が載っていた。
アメリカ「首長シアトルのメッセージ」
ワシントンの大首長が、我々の土地を買いたいといってこられた。大首長はまた友情と好意のことばもおくってくださった。・・・中略・・・。
しかし、お申し出をよく考えてみよう。・・・中略・・・もし売らないといえば、白い人は銃を持ってやってきて、我々の土地を奪うだろう、と。

そして次のように続く。
いったいあなた方は大空や大地の暖かさをどのように売ったり買ったりするおつもりか。そのような考え方は、我々にはふしぎでならない。大気の爽やかさも、水の輝きも、人の所有物でないのに、・・・以下略。
              テッド・ペリー 原みち子訳

先日アイヌのカムイの神謡について書きました。そこでは、カムイとアイヌは対等でお互いに支えあい敬いあっているとか書きました。アメリカンの先住民族も同じような考えがあるようです。

また、2011-11-10に書いたアイヌの民話の話で、プクサの話をしました


「だからブクサや山菜がどんなに沢山あっても、根絶やしにとってしまうものではありません」と言い伝えれれています。
アイヌの人たちやインディアンなど、近代文明に毒されていない先住民族の人たちは、自然とともに生き自然に支えられながら生きていることをよく知っていました。
それが、農作物の生産技術が向上していくと、人は驕り自然をコントロールできると勘違いしてきたのが、先進国の文明文化と言えるかもしれません。


最後にテッド・ペリーの次の言葉で締めておこうと思う。
「この美しい大地をけっして忘れない、それは我々は大地の一部であり、大地は我々の一部である。」


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争いによる負の遺産

世界には人類の行いで負の遺産と言えるものがある。しかし、記憶に残すため保存されず、忘れ去られようとしているもの、消し去られようとされているものも多くある。

・旧ソ連の、日本兵シベリア抑留の強制収容所
終戦後武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソ連によっておもにシベリアに労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する日本側の呼称。彼らの墓地も各地に存在するが、現存するものは極めて少ない。
厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明した


・旧ソ連の、強制収容所
『収容所群島』は、ソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの記録文学。
旧ソ連における、反革命分子とみなされた人々に対しての強制収容所「グラグ(グラーグ)」への投獄、凄惨な拷問、強制労働、処刑の実態を告発する文学です。旧ソ連では統制が厳しいので出版できず、1973年から1975年にフランスで発売され、その後各国の言葉に訳され、人権上の大きな問題となった。この本のタイトルの「収容所群島」とは、広大な旧ソ連領内の各地に強制収容所が列島のように点在することから付けたと言われている。
旧ソ連が崩壊し、ロシアになり強制収容所は廃止されたのか、まだ存在しているのかはよくわかっていない。また、ロシアに限らず中央集権的な他の多くの国では、そのような施設が存在しているようです。一刻もそのような施設がなくなるように、国際的な運動が広がることが望まれるでしょう。


・アメリカの、日系人の強制収容所
第二次世界大戦中、12万313人の日系アメリカ人がアメリカ政府によって強制収容所に送られた。
日米開戦の翌年1942年に、アメリカ西海岸とハワイの一部の地域にすむ日系アメリカ人たちは、その7割がアメリカ生まれの二世で市民権を持っていたにもかかわらず、強制的に立ち退きを命ぜられた。なんの補償も得られないまま、かれらは家や会社を安値で売り渡さなければならず、中にはすべての財産を失ってしまった人もいた。
それから40年後の1982年、「戦時市民転住収容に関する委員会」は、「大統領行政命令9066号は軍事的必要性によって正当化できるものではない。あらためて歴史的にその原因をさぐれば、それは人種差別であり、戦時ヒステリーであり、政治指導者の失政であった」と、ようやくみとめ謝罪された。


・アメリカの、先住民の居留地、
増え続ける開拓移民の前に、圧倒的な武力を背景に白人側はインディアン部族に土地の割譲を迫り、インディアン部族はわずかな年金と引き換えに条約を呑まざるを得なくなっていく。
東部の豊かな土地を所有していたインディアン部族の多くが、何のゆかりもない数千km離れた西部の土地へ強制移住させられた。(→涙の旅路)この強制移住は、数百数千に上る部族民の途上死を招いた。また、この部族収容は、スー族とポンカ族や、モードック族とクラマス族など、対立していた部族同士に同じ保留地をあてがう無神経なものであったため、部族間で抗争を引き起こす元となり、またこれは保留地を没収し縮小する口実とされた。


このアメリカ連邦政府の行いは、アメリカだけにいえることでなく、南北アメリカ大陸全土に対していえることであり、インカ帝国の滅亡など高度な文化を持っていた民族をも滅亡に導いている。
また、アメリカ大陸に限らず、アジアやオーストラリアやオセアニアやアフリカなどの人々にも言えることでしょう。

また、先に書いたシベリアの抑留所や強制収容所は、古代の奴隷制度的と言っても言い過ぎでないかもしれない。それは、今の日本ではなかなか想像できないことであるが、ついこないだまで実際に存在したもので、今もそのようなことが行われていると言われている。
私たちが再びそのような過ちを繰り返さないためにも、そのようなことが行われることがあると想像できるようにあらなくてはならないと思う。
そのことがそのような過ちを繰り返さない、そのようなことが起きても抗議の声があげることができると思う。決してそのようなことに無関心でいてはいけないと思う。
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竹中工務店の大工道具館

竹中工務店が集めた大工道具を展示収蔵している、竹中工具館が新築移転して新たに来月の4日に開館するそうです。
現在ある「竹中工具館」は、兵庫県庁の近くの山手にあるが、JR新神戸駅近くに移転するそうです。今までは日本の大工匠が古来から使っている大工道具を陳列しているだけだったが、新しい工具館はミュージアムとしての機能が充実されるそうです。

新し工具館のレジュメに次のように書かれています。

新館は、神戸・六甲山の麓に残る"都市の中の森"といえる環境にあります。
建物は地上1階、地下2階として存在感を抑え、樹木の伐採を最低限に留める配置とし、既存の茶室とあわせて和風の屋根が緑の中に点在する風景をつくりだしています。
■伝統と革新をつなぎます
ものづくりの技と心をより身近に感じていただけるよう、建物の内装には、大工や木工職人、左官、瓦師などの職人の技を取り入れています。

「五感に響く」展示へ
■より深く、よりわかりやすく
手仕事にふれる機会が減った現代では、道具をどのように使うのかという理解が難しくなってきています。そこで新しい展示では道具を使用する状況をコンパクトに再現。使い方が直感的に理解できるようになる。
■「建築」と「人」の展示
道具を使ってどのようなものを生み出してきたのか、そこには工匠たちのどのような技と知恵が込められているのか、という疑問にも応えるべく、「実物大の建築」と「工匠の技と心」についての展示がされる。
その中の目玉は高さ7mを超える唐招提寺金堂組物の実物大模型。
先人の技に思いをはせるとともに、木組みの精緻さを間近に見られるそうです。

また、一階の多目的ホールでは、企画展や講演会等のイベントが開催されるそうです。

また、今までなかったミュージアムショップもできるそうです。
大工道具のミニチュアサイズのストラップやキーホルダなどが売られるようです。

開館したら是非一度訪れに見ようと思っているところです。
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テーマ : 神戸の美術展
ジャンル : 地域情報

先住民族会議

23日から、2日間の予定で国連で、先住民族会議が開かれが、それに日本からはアイヌ民族の方、沖縄の方や政府関係者がさんかしたが、それに対して各新聞者はどのように24日付けで報道したのか。ネットで調べてみた。その冒頭に部分を紹介してみる。

●共同
【ニューヨーク共同】ニューヨークの国連本部で22日、世界の先住民族や各国代表が集まり、先住民族の権利保護、拡大について話し合う初めての先住民族世界会議が開幕した。日本からもアイヌ民族の代表を含む政府代表団や、沖縄の市民団体のメンバーらが参加した。
・神戸・新潟日報・中日などの各新聞社は共同通信の記事を載せている。
●沖縄タイムズは、調べられたのがタイトルだけだが、次のようになっている。
先住民族世界会議が開幕 アイヌ代表、沖縄団体も
●北海道
【ニューヨーク沢田信孝】22日開幕した国連の先住民族世界会議に、これまで単独で関係会合に参加してきた北海道アイヌ協会が日本政府代表団に初めて加わり、出席した。
●産経
国連本部で22日、世界の先住民族や各国代表による「先住民族世界会議」の分科会が開かれた。日本から「北海道アイヌ協会」の阿部一司副理事長(67)が参加。発言の機会は逸したが「先住民族会議が国連総会の(首脳らが集まる)時期に2日間、開かれるのは画期的なことだ」と話した。
●読売
【ニューヨーク=水野哲也】国連本部で22日、国連先住民族世界会議が始まり、日本の代表団として北海道アイヌ協会副理事長の阿部一司さん(67)らが出席した。同協会によると国連総会に同協会のメンバーが出席するのは初めて。
●NHK
国連総会で、世界各地の先住民族と各国の政府関係者が参加し、先住民族の権利の拡大について話し合う国際会議が開かれ、日本からは6年前に国内の先住民族として認められたアイヌ民族の代表が参加しました。
22日の新聞記事をグーグルで検索にかけたが、朝日新聞と毎日新聞の記事はヒットしなかったです。
●朝日 
●毎日 

ここで見てわかるように、各社アイヌの方が参加したと書いているが、アイヌ民族と書いているのはNHKや共同通信が配信した新聞社で、産経・読売はアイヌ協会に関係した人となっている。また、沖縄の団体が参加しとことは書いていない。


2007年は、画期的な「先住民族の権利に関する宣言(Declaration on the rights of Indigenous Peoples)」が総会によって採択された年であった。宣言は、文化、アイデンティティ、言語、雇用、健康、教育に対する権利を含め、先住民族の個人および集団の権利を規定している。宣言は、先住民族の制度、文化、伝統を維持、強化し、かつニーズと願望に従って開発を進める先住民族の権利を強調している。


日本は、北海道の道議員がアイヌ民族はいないと述べたが、日本政府は6年前にようやく先住民族として認知している。
この世界少数民族会議では、政府はアイヌ民族の権利実現のための政策を発表している。東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年までにアイヌ民族に関する国立の博物館などを北海道内に整備すると言っている。
だけどなんだか箱物を作ることにより、本当のアイヌ民族の権利と自由が保証されるのだろうか。

しかし、政府は沖縄の人たちは少数民族でないと言っている。明治維新以前は薩摩藩に実質的に支配されていたが、琉球王国が存在し江戸幕府も王朝として認めていた。しかし明治政府が政権を執り、廃藩置県のあと琉球処分がなされ沖縄県となったいきさつがある。言語も今日本人が日常つかっている言葉とは、文法も発音も違う。先日琉球の人たちと内地の人たちとのDNAが近いとニュースがあったが、沖縄の伝統文化を見れば、日本の文化とは明らかに違う。私たち日本人はそれらを素直に見つめて、日本は他民族他言語国家であることを自覚すべきだと思う。

始めにマスコミの世界少数民族会議の報道の仕方を紹介したが、讀賣も産経もアイヌ民族の参加のことだけでなく、琉球の団体の人たちも参加する事を書いて欲しかった。
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くだらない

先日「へちまの皮とも思わぬ」について書いた。
何の役にも立たないことであるが、「くだらない」という言葉もあるが、こちらは役にはたつが、価値が低くて低俗なことをさします。

この「くだらない」は、動詞である「下る」に打ち消しの助動詞の「ない」がついて「くだらない」となる。
江戸時代、上方から大消費地である江戸に送られるものを、「下りもの」といったそうです。当時の政治経済の中心は江戸だったが、御所のある京が都だったので、江戸から京のある上方方面は上りで、京・大阪から江戸は下りになる。そして灘や伊丹、伏見の酒は江戸でも人気が高かったそうだが、灘の酒でも不味い酒はあるもので、江戸の大消費地に送られないような酒を「下らない酒」と呼ばれたそうです。
ただ、「くだらぬ」という言葉はそれ以前からあったと言われるので、このはなしは明治以降に、落語などの枕に使われたのが、通説のようになったのではないかと思う。

この説に対して「下る」には、通じるといった意味を示す場合があり、それを「ない」で否定して、「意味がない」「筋が通らない」などの意味となり、取るに足りないの意味に転じたという。
こちらの方が説得力がありますね。

他にもいろいろな説がある。
調べてみると、日本に農作を伝えたのはのは百済(現在の朝鮮)で百済は進歩して知的だが、百済でない人は文化的でないと言われ、「百済ではない人」略され「くだらない」となったとい。しかしそれなら中国の方が文化的でないかとおもうので今一つだとおもう。

ほかに仏教の教えからきたという説もあようです。こちらは説法の一つで、話としては面白いが、百済説よりもう一つ「くだらなく」おもう。


仏教に「ダラ」という九つの教えが有り、その教えが一つもない行為を「クダラが無い行動」と言ったそうです。そこから、「九」の「ダラ」の教えがないことを、「くだらない」というようになったという説。
しかしこの「ダラ」という教えがなにかはわかっていないそうです。
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三太郎の日記と聖フランチェスコ

「三太郎の日記」

「俺は俺の中にいる『神を求める者』を検査するために、イェルゲンセンの「聖フランチェスコ」を読んだ。ここに俺を待つものは、譬へるものもないやうに尊い、聖い魂が、惱みながらもなお踏み迷わず、右顧左眄せずに、痛快に切れ味よくその往くべき道を進んだ一生であつた。」

ここに出てくる聖フランチェスコは、今の第266代ローマ教皇のフランチェスコの聖人名の由来のアッシジのフランチェスコのことです聖人のことです。
彼は、アッシジの裕福な家に生まれ、若い時に放蕩三昧をつくしていたが、26歳のときアルヴェルニアの山上で十字架のキリストの出現を見て、「いざ行け、フランチェスコよ、行きて余の家を建てよ。そは將に倒れむとしつゝあれば。」の声を聞いて出家委した。そのことによりフランチェスコは、父は「天の父」だけだとして親子の縁を切り、出家し施療施設に住んでハンセン氏病患者への奉仕を行ったといわれている。また、鳥に向かって説教を行ない、狼には噛み付くのはやめるよう説得し、うさぎ、魚、鳥、虫を相手に話をしたと伝えられている。

三太郎は、アッシジのフランチェスコについてどう考えたのか。
このあと、三太郎はフランチェスコの一生を、10ページほど書きつづり、次のようにいっている。
「俺はこの「完全の鏡」の前に立つて、自分の醜さ、小さゝ、卑しさ、きたなさの覆ひ隱すべきものなきを切に感ずる。かつて山中に行き悩んでエホバの前に慴伏した時と同じよう全然何の自己弁護もなく、この人の前に平伏しなければならない事を切に感ずる。スタンダールは五十歳の秋に、「俺より偉大な者がこのにならずにとうに死んでいる。俺は俺の生涯を空過しなかったか」と思ひ沈んだ。俺は「俺より偉大な者がこの年にならずにその真生活に躍入した。俺はこの年になるまでいったい何をしていたのだらう」と思うの情に堪へない。」

三太郎は自分とフランチェスコとを比べてみて、フランチェスコのその聖人として真生活をなしていることにたいして、自分の未熟さと幼さに嘆いている。
スタンダールは偉大な聖人フランチェスコは50歳にならずして亡くなり。三太郎こと阿部次郎が32歳の時にこれを書いたが、フランチェスコが入信したのが26歳で、その自分より若い歳で入信した。

そのことに対して、三太郎は「聖フランチェスコの偉大と俊爽とに対し、遙かにおよばないが深くあこがれるといっている。

私自身も、アツシジのフランチェスコや、良寛禅師や明恵上人や一遍上人のような生き方にあられないかと思う。しかし、世の中のしがらみと誘惑なの五戒などから逃れられないでいる自分。その上に日々の生活は惰性に終わり、あまりにも無反省に生きている自分が愚かに思えてしまう。

いま、自分の私生活において問題が忍び寄っているのをおもうと、それから逃れたく思ったりする。いっそ遁世してしまいたく思う。しかし、それはただ逃げるだけになってしまって、何の解決にもならないのだろう。
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秋分以降の早朝の散歩と、皆既月食

このところ早朝の散歩は、夜が明けるのが遅いので星空が、輝ききれいに見えています。
私の住んでいるあたりの夜明けは 5:19で、日の出は 5:50です。夏至の6月21日ころは夜明け が4:09で、日の出が4:46ですから、一時間以上も遅くなっています。朝の散歩をするのに、6月ごろは夜明けの4時過ぎに出かけ、外はだいぶ明るかったです。いまは、6月ごろと比べると1時間弱遅く出ているのですが、外は暗く星影さやかです。

話は先のことになりますが、今度の満月は10月8日で旧暦では九月15日で晩秋の名月です。そのころは早朝の付きは西のそらに輝き、月が写し出す影もはっきりしているでしょう。また、ちょうどその10月8日は皆既月食です。

国立天文台によるとこの皆既月食は、日本全国で見ることができるそうです。石垣島以西の地域では月がわずかに欠けた状態で昇ってくるが(月出帯食)、それ以外の地域では部分食を始めから見ることがでるそうです。

わたしの住んでいる当たりの月食の時間は次のように予測されています。
半影食の始め  17時14.1分
部分食の始め  18時14.5分
皆既食の始め  19時24.6分
食の最大    19時54.6分
皆既食の終り  20時24.5分
部分食の終り  21時34.7分
半影食の終り  22時35.2分

各地の月の出や月食中の月の位置は、国立天文台のWebページの暦計算室の月食各地予報で調べることができます。
http://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/eclipsex_l.cgi

今週の火曜日は秋分の日でした。このころから昼の長さより夜の長さの方が長くなってゆくと言われています。しかし、このFC2の竹林乃方丈庵のブログの右サイドメニューの[日めくりカレンダー]の下の◇14年旧暦の日と月の出入◇を見ると、今日がちょうど昼の長さと夜の長さが同じのようです。
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テーマ : 雑学・情報
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フィリピンの、バターン勇者の廟

「フィリピンの、バターン勇者の廟」について、満足な食事を与えられないまま炎天下を徒歩で移動させられ。3万人あまりが死亡したとかきました。

第二次大戦中の1942年バターン半島で、日本軍によるフィリピン進攻作戦において、日本軍に投降した7万人あまりのアメリカ軍・フィリピン軍捕虜や民間人が、収容所に移動するときに多数死亡者がでた。120kmを半分は鉄道で、残り3日間を満足な食事を与えられないまま炎天下を徒歩で移動させられ。3万人あまりが死亡したといわれる。

これは、日本軍が捕虜を家畜のように扱ったからではないです。
大日本帝国の軍隊は皇軍であり、捕虜となることは恥ずかしいという考えに立っていたので、敵軍の兵士も同じ考えだとしていました。そのため、捕虜を移送する手段や計画が疎かでまた、捕虜に対する食料品の準備も始めから少量しか用意していなかったと言われています。
そのために、激戦となったバターン半島での戦いで大量の投降者がでたのは大きな誤算だったようです。

日本の軍隊は天皇の軍隊であり、天皇の子である臣民で組織される兵士は、上官の命令は天皇の命令でありそれに違反する事は許されなかた。
一方連合国の兵士は命令には服従する事は義務づけられているが、戦闘は戦闘でありそれとは別に、自分の命を大切にする事も教えられてきている。この違いが、日本軍が投降する兵士が多く出ることを予測できず、大量の死者を出す結果になったのだろう。戦争の愚かさを物語る物と言えますね。
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遺伝子工学のこれから

再生医療技術の研究が進み、iPS細胞を利用してのニュースが多くなってきた。また、未だその存在が疑問視されているSTAP細胞などの、存在もあやふやでその、研究の内容や課程もあやふやされたています。
一方iPS細胞膜では細胞の移植手術に成功するなど、大きな成果をあげています。
一方の刺激惹起性多能性獲得細胞であるSTAP細胞は本当に存在するのかなどの問題は、これから解明されるのだがその顛末を、正確に公表しあやふやにならないようにして欲しいものです。
今後、iPS細胞などの遺伝子工学の研究は、常にそれがどのようなものか公表されないといけないと思う。それにより今後、遺伝子工学の分野での研究進みその成果が加速され、多くの命が助かることになるだろう。


ところで、スタートレックのエンタープライズシリーズの「ボーダーランド」を観た。
その内容は遺伝子操作され、体力は人間の6倍、知力は2倍以上ある優生人類が作られた話です。
この「ボーダーランド」のドラマの話をする前に、優生人類について説明しておく。
このスタートレックシリーズの「エンタープライズ」の元となる、最初のシリーズ「宇宙大作戦」に初めて優生人類の話がでてくる。
優生人類は20世紀後半の1990年代に遺伝子工学によって作られ、南アジアから中東にかけ地球を支配し、人類と優生人類の間で1992~1996年に戦争が起こった。しかし、優生人類は負け、遺伝子工学は非合法化され、その受精卵や遺伝子は冷凍保存されていた。また、優生人類のカーンと96名は冬眠宇宙船ボタニー・ベイで地球を脱出し宇宙を漂流した。その漂流船を「宇宙大作戦」シリーズで宇宙船エンタープライズが見つけ、カーンらを蘇生させてしまいエンタープライズ号が乗っ取られそうになるドラマです。

今から話題にする「ボーダーランド」は、優生戦争の100年後スン博士がその遺伝子を盗み出し、優生人類を育てようとしたが、10年後スン博士は逮捕され優生人類の子供は放置されていた。この話は「宇宙大作戦」の100年ほど前です。
2115年にジョナサン・アーチャー率いる、エンタープライズが宇宙に出航した。その優生人類の子供が成長し宇宙を征服しようとする話です。

そのなかで、次のようなセリフがあります。
第80話「ボーダーランド」
スン博士「DNA 配列だよ。それで人間の T細胞を改造するんだ。その技術なら、シャラット症候群も撲滅できる。見てくれ。そっちのは可視帯域を、5%増加させるものだ。…どれも、実験にすら至らんがね。せっかくいい理論を書き留めても、没収されて…プッ、塵と消える。」
アーチャー「そうなるとわかってるのに、なぜこんな理論を書き続けてるんだ?」
スン博士「全く理解に苦しむ。人間は本来知的な生物のはずじゃないのか? 種を進化させるテクノロジーをなぜ拒む。」
アーチャー「遺伝子工学の研究はかつて、大きな悲劇を呼んだ。」
スン博士「核分裂だってそうだろ。…だが初期の宇宙船には、その核燃料が使われてたんだぞ? しかし、今はそんな話はどうでもいい。」

「ボーダーランド」は三部作あり、その二部と三部のセリフの一部も紹介しておく。
第81話「コールド・ステーション」
「コールド・ステーション」で、スン博士が、優生人類の子供を育てているとき、子供たちに次のように話をしている。
スン博士「人間が優生人類に立ち向かったとも、優生人類同士が戦ったとも言われている。優生戦争は、地球を壊滅状態にした。数百万人が死んだ。そして戦後は、優生人類が恐れられた。」「人間はお前たちを恐れるんだ。その優れた知性と、力をな。お前たちに憧れながらも決して同じには、なれないからだ。だから、この安全な星へ連れてきた。父さんと呼んでくれ。とは言っても……私は見守っているだけだ。…お前たちは未来の子供だ。そしていつか、人類の輝かしい未来を実現するんだ。」

第82話「野望の果て」
スンは言った。「可能性はある。…完璧な人間を、創れるかもしれん。…アンドロイドとか、人工生命体でなら」(このセリフは、スタートレックシリーズの「宇宙大作戦」の次のシリーズである「新スタートレック」に出てくる、ヌニアン・スン博士が作ったアンドロイドのデータを予感させる)

宇宙大作戦の「宇宙の帝王」でも、劇場映画版の「カーンの逆襲」でも、そしてこのエンタープライズシリーズに出てくる優生人類も、自分は優秀だと思い、相手を支配しようとする考えはどれも共通している。

遺伝子工学が進歩することは、人類の生命が病気などの克服に役立つことは良い事だと思う。しかし、遺伝子組み換え作物のようなことが、動物や人間にも適用されるとどのようになるだろうか。オリンピックで活躍するためのアスリートなどが作られたり、プロレスなどのショースポーツのプレイヤーが誕生し、古代ローマのコロシアムで競技が行われたりするのはやはり間違っていると思う。

話は、変わるが、メアリ・シェリーの「フランケン・シュタイン」を考えてみたい。この物語は、映画化され人造人間の怪物物語と理解されがちだが、この人造人間は周囲からその恐ろしい容姿から理解されず、孤独で寂しい生活を強いられました。
フランケン・シュタイン博士が死体から寄せ集めて作った人造人間は、優れた体力と人間の心、そして、知性を持ち合わせていたが、その容貌がはひどく醜かった。そのため人造人間を作ったフランシュケンタインは人造人間を捨ててしまう。しかし人造人間は強靭な肉体のために生き延び、野山を越えて遠く離れたフランケンシュタイン博士の元にあらわれる。
みなからおそれられるの人里から隠れてで寂しく生活していた人造人間は、フランケンシュタイン博士に言った。
「この願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないから、自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造ってくれ」と。フランケンシュタインはまた、恐ろしい容姿の怪物を造ってしまうのを恐れそれを拒否する。そのため人造人間は自分を作った創造主である人間というものに絶望して、復讐のためフランケンシュタイン博士の友人・妻を次々と殺害してしまう。このように人造人間は自分の醜さと、その体力と知力を持ち合わせてることから、人間達からは忌み嫌われ迫害され、孤独のなか自己の存在に悩むのでヒューマニズムは物語の一面ももっている。

メアリ・シェリーの「フランケン・シュタイン」の人造人間もSFのスタートレックで遺伝子工学で生まれたといわれる、優生人類も共通するところがある。それは人為的に人並み以上の能力が作られても、それがそれが結局は孤独を招いてしまったことです。それどころが、優生人類の方は自分が優秀だと驕り高ぶり劣っているものを見下すようになり、優秀な自分たちが世の中を支配するのが当然だと考えるようになったことです。

人類の科学的技術の発展欲は留まることをしらないが、それはこれからの人の生活にどのように影響していくのだろうか。遺伝子工学だけでなく、原子力技術や人工知能などの技術はこれかますます発展するでしょう。しかしそれによる影響がどのようなものになるか、その想像力がを高め研究を進めてよいもの、そうでないものを選択できる理性と能力が問われるでしょう。


これに関することを続きを読むに書き綴ります。

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記事へのコメント
  • 臨時国会の開催はいつか
    風と雲 (08/04)
    一体今の日本はどうなってしまったのだろうかと思う。アベ内閣も与党も憲法に違反することを完全に無視して悪びれもせず堂々と実行してきた。、政府高官も最高裁も報道機関
  • 難病と尊厳死
    竹林泉水 (07/29)
    コメントありがとうございます。

    自ら生きる権利、自ら死ぬ権利があるのはよくわかります。
    それにはどちらも人・個人としての尊厳が保たれている必要がある考えます。
  • 難病と尊厳死
    風と雲 (07/28)
    意識して自ら命を絶つことができるのは人間だけだと思います。人には生きる権利と自由があるように、自らの命を絶つ権利も自由もあって然るべきではないでしょうか。このA
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (07/01)
     自分よりも周りを優先する集団主義的な考えが同調圧力などがまかり通る社会なことについて前に
    >日本的なこの価値観は、海外から見たら奇異の目でしか見られないでしょ
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
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