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富岡製糸場の世界遺産登録

日本初の官営製糸場である「富岡製糸場」が4月26日、世界文化遺産への登録を勧告され、世界遺産に登録されることはほぼ確実になりました。
日本の世界遺産は、19となります。文化遺産、自然遺産、そしてその定義は特別にないですが、広島原爆ドームとしての負の遺産など様々です。

今回、富岡製糸場は明治の初めに、全国から伝習工女を集め、技術を習得させて郷里での養蚕業の指導者育成としたそうです。その富岡製糸場は、近代日本の工業化と製糸技術の発展に貢献したとして、世界文化遺産に登録されることになったようです。
製糸場というと、野麦峠のような女工哀史を思い浮かべます。しかし、富岡製糸場には女工哀史のようなことはなかったと、強調してきたおかげだもあると言う人もいるようです。しかしわたしはそれだけではなく、富岡製糸場の果たした役割やその工業近代化への組織のあり方は後世につたうるべきものでしょう。文化遺産に登録されるのに、負の面の女工哀史のようなことが、有った無かったは関係ないと思います。

世界遺産では、原爆ドームや、ナチス・ドイツの強制絶滅収容所、ビキニ環礁の核実験場跡、人種隔離政策に反対した人達が収容された南アフリカのロベン島、などもあります。世界遺産ではなく、世界記憶遺産では、筑豊炭鉱での人権を踏みにじられ、過酷な労働者の生活を描いた、山本作兵衛の炭坑画もあります。
それらはどれも後世の人に、自分たちは過去のこのような愚かしいことをしてきたが、いまはそれを乗り越えてこの繁栄を勝ち取ってきたのだ。そのことは後世に忘れることなく、伝え残す意味でも大切なものだと思います。

富岡製糸場はともかく、他の製糸工場で若い女性たちが、わずかの賃金で1日に13~14時間という長い時間、過酷な労働を強いられ、病気になっても休まさせてもらえず、さらに女工の寄宿舎には逃げ帰られないように鉄の格子がはめられていました。日本の明治以降の急激な発展は、筑豊の炭坑や製糸工場の女工の働きがあってこその、維新後の目覚ましい発展だったともいえます。その人たちの働きに蓋をしてしまい、今の発展だけに目を向けるのは愚かしいことだと思います。

富岡製糸場には女工哀史のようなことはなかったといいますが、他の製糸場の当時の実情なども合わせ参考資料として残してゆくべきでしょう。また、富岡製糸場も、多かれ少なかれ労働条件は良かったとは言えないのでないかと思います。世界遺産に登録されるのですから、それらの現状も包み隠さず検証し明らかにしてこそ、世界遺産としての価値が高まるものだと思います。
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日本の農業

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の妥結にむけて、閣僚級の交渉が引き続き合意に向けて行われています。国内では日本の技術を生かした、良質で高品質な農業産物や工業製品に、国際競争力があると注目をさだめての報道が多くつくられされています。いかに参加国との競争力があるかを、新聞・テレビの読者や視聴者は、そのことについて知ることができます。
しかし、その反面、TPP加盟の是非を取り上げた、報道はあまり見かけなくなりましたた。
特にこれからの農業につては、一部の成功している農家の例はよいとして、農業の全体の問題点とその、本質の問題に視点を当てての報道はあまりされていないようです。

いまの農業の衰退や食糧自給率の低下などの、現状をみてTPP参加の是非以前に問題が山積しています。日本の農業は現在、低所得や高齢化、後継者不足、耕作放棄地など数多くの問題を抱えています。農業というのはマニュアル通りすれば、成功するというものではないです。自然が相手ですからマニュアルと自然に向かってどうするかの臨機応変なノウハウが必要でしょう。また、水の確保と維持管理は、その地域で営んでいる人との密接な関わりがあります。しかし、過疎化で人口が流出して、その土地での地権や水利権や農業権などを持った人が、都会にでていきその地に住んでいない人が増えてきています。それにより、大規模な捕縄整備や土地改良や治水工事などを行うのに支障が出てきているところもあると聞きます。

国の農業や産業の政策を見直し、国民も生活のあり方を見直す時期でしょう。そんななか、今まで中高年や退職してリタイヤした人が、田舎にUターンする人が多かったです。しかし、このところ若い人が今の都会の生活に対し、疑問を感じてUターンやIターンする人が増えてきてると聞きます。それらの若い人たちの意識を生かすことができると、これからの地方や農業も明るいものが見えてくるでしょう。
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労働する者の権利

NHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」で、修和女学校の女性教師富山先生は、女は品行方正で慎ましくあって、汚れてはならないと、熱心に生徒に指導している。明治・大正・戦前の昭和と、女性が自ら自分らしく生きることは、そのころはなかなかできないものでした。また、女性自身も女が世の中で活動することはよくないと考えて入る人もいました。富山先生もその一人でしょう。

いつもの時代、どのような所でも、富山先生のような人はいるようです。
労働者の権利が最近脅かされかねない方針が政府によって打ち出されようとしています。しかっし、その方針に今後権利が奪われかねない労働者自身が、政府の打ち出すことは正しいと主張する人もいます。その中にはその政府の方針によて利益を被る人だけでなく、不利益を被る人もお上の方針だからと、それを押し進めるべきだと考える人もいます。しかも、そのような人が最近増えてきているようです。大正時代ごろから、中央政府や資本家資産家から、自分たち労働やの権利を守ろうと、抑圧されながらも闘ってきた人がいます。そして、新しい「日本国憲法」のもと、労働者の権利が明示され、会社の経営者と労働が交渉して、労働時間とその条件や手当や賃金など、一つ一つ交渉して勝ち取ってきました。政府も労働者の権利を理解しながら、労働に関する法律を整備してきました。

それが、いまの労働環境が空気のようになり、労働組合が弱体化してきました。そのようななか政府は経営側の利益だけを追い求め、働く側の権利や生活権などを疎かにしたような、施策を打ち出そうとしているように感じる。
空気は、その存在をふだん感じることはないですが、空気がなくなって初めて、その空気の存在の大切さにきがつきます。しかし、空気がなくなってからではことすでに遅しです。

富山先生の女生徒への指導は、当時として社会からみれば正しかったです。しかし、女性が一人の人として生きようとする面から見れば、それは女性を一つの価値観に縛り付けてしまうものです。
その時勢の世の中からみて品行方正な慎ましい女性になるのか、一人の人間として世の中を歩んで行こうとするのか、どちらを歩むのがよいのでしょうか。
今の状況をしっかりとみきわめ、時の雰囲気に迎合されるようなことなく、自分の意見を持ち続けることができるようになりたいものです。
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一票の格差

一票の格差、参議院の選挙制度協議会の座長である自民党参議院幹事長の脇雅史座長が、22府県を隣接県の選挙区と合区して11選挙区にする案を、座長案として公表しました。一票の格差を2倍以内することに沿ったもの。これにより2013年参議院選の4.77倍から1.83倍に縮小されます。
一票の格差を2倍以内にするなら、このような合区にせざるを得ないでしょう。それより地方の過疎県に住んでいる人の声をいかに国会に届けるるかを考えるべきです。それしないとますます東京などの大都市中心の国会になり、大都市の都合のよい国づくりになり、地方はますます衰退してしまうでしょう。

日本は二院制をとっています。戦前は衆議院と貴族院でしたが、いまは、どちらも民選の議会で、その二院の違いがわかりにくくなっています。参議院は戦後良識の府としての役割を課せられました。政党に左右されるのでなく、日本全国の地方からの声を国会に反映させるものです。

一票の格差が2倍以内判決が最高裁から出されたころからみると、ますます過疎県と大都市との人口の格差がまいsています。そのことを考えると、2倍以内と言うこと判決を見直す必要になっているといえまう。
この合区の案は地方の議員か反発がでて、都市部の定員が増える区の議員は歓迎しているでしょう。しかし、自分の選挙区での損得だけでこのことは議論すべきではないです。

選挙の一票の格差が拡大したのは、国会議員の選挙制度改革への取り組みを怠ったことだけではないと思います。国の一極集中を押し進める施策を押し進めて、地方の活性化のために、大都市改革や強く言えば解体的な施策をとらなかったからです。地方が衰退して東京だけが栄える、人口がますます東京圏に集中するようになれば、人口のバランスだけでなく、産業のバランスも崩れてしまい、退いては日本の産業の衰退になりかねないです。
今こそ、過疎県の地方を中心に考えた施策に方針を転換すべきです。しかし、2020年までは無理でしょうね。
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「栗生楽泉園」の「重監房」

今年の2月20日に、厚労省主催で一つのシンポジウムが開かれた。
「重監房とは何だったのか ハンセン病隔離政策の"負の遺産"を考える」というものです。
内容は、ハンセン病隔離政策の下に行われた、重監房の歴史を次世代に伝えていくことにより、ハンセン病患者・元患者の名誉回復を図り、ハンセン病に対する偏見・差別の解消及びハンセン病問題に対する正しい知識の普及啓発を行うことを目的とするものです。

また、群馬県草津町に国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」があった。そこには「重監房」があり、全国の療養所の所長が、反抗的で懲罰が必要と判断された患者が送られてきたそうです。次第に待遇の改善を求める者も収容されたました。冬の夜は零回15度以下になるが暖房もなく、療養所なのに医師の診察も無かった。1939年から1947年まで収容された、93人のうち23人が死亡した。去年初めて国は、「栗生楽泉園」の発掘う調査がされ、国による人権侵害が改めて明らかにされました。それを後世に残すため、「重監房資料館」ができ、四月30日に開館されたました。
原爆ドームやナチス・ドイツの強制絶滅収容所や奴隷貿易の拠点となたゴレ島などを、よく負の歴史遺産と言うが、負は負として正面から見ると、それは大切な遺産だと思います。自分たちの今日の歴史と繁栄は、その事実がありそれを乗り越えた反省が合ってのものだと思います。それはいつまでも記録して風化させてはならないものです。
恥ずかしい歴史であったり、悲しむべき歴史であても、それから目をそらせたり蓋をしてしまたりしては、それらのことは二度三度と繰り返されることになるでしょう。
そのためにその歴史を知る遺産として、そのような事実があったことを遺産としき記録に残しておくことは大切なことです。
その意味で自虐史観などとよく言われるなか、厚労省がそのようなテーマでシンポジウムを開いたことは評価すべきことでしょう。

国立ハンセン病療養所2施設があったが、瀬戸内市長島地区の世界遺産登録を目指す動きがあるそうです。そして、世界遺産への登録の動きは、長島地区にある長島愛生園、邑久光明園で進められている。しかし、この、栗生楽泉園も含め全国の療養所13施設を含めた形で「世界遺産の登録を目指す」との動きもあるようです。

華麗な世界遺産よりも、負の遺産と言われるものから、未来の子孫のために今の我々は、なにをしたらよいかを学ぶものがあります。負の面に目を向けるのは自虐的でなく、二度と過ちを繰り返さないためにも、真摯な目で負の遺産に目を向け残していくべきでしょう。
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お酒を海底で熟成させる。

お酒を海底で熟成させる。

安部総理はスペイン訪問しましたが、そのときに日本酒を土産物として持っていきました。スペインからはスペインワインをもらったそうです。

そこで日本酒の話題について。
日本酒4000本を海底へ  「海中熟成酒」プロジェクト始動!
このプロジェクトは、大航海時代の沈没船からワインが引き上げられた。そのようなニュースからそれを日本酒でと、南伊豆は日本でもきわめて少ない透明度を誇る海で、日本酒を熟成させてはどうか。潮の流れによって素晴らしい熟成が行われるに違いない。と言う思いからの日本酒党のプロジェクトだそうです。
伊豆有数の透明度を誇る奥石廊崎、賀茂郡南伊豆町中木沖で、地元の漁師さんらの協力をえてこの『夢と浪漫』が可能になったそうです。
本当においしくなるかどうかはわかりませんが、海底で海にゆられるだけで浪漫が湧いてきます。海底に沈めることにより温度が一定にたもたれ、海流の流れで揺られてまろやかに熟成されるというものだそうです。

江戸時代に上方のお酒を、樽廻船で江戸に運ぶまで、船で揺られ熟成され、樽の檜の香りがつき灘の酒が美味しくなったといいます。また、灘の酒でもまずくて江戸で売れない酒を、下らない酒といわれそうです。そこから、とるに足らない価値のないものを、「下らない」と言う言葉が生まれたそうです。

それはともかく、お酒を寝かすのにいや野菜でもチーズでもなんでも、置くことにより旨味が増すと言われれています。そして生産者によっては、モーツアルトの曲を聞かせているなどの話を聞くことがあります。
酒蔵の温度が一定したところで、クラシック音楽を聞かせ、その曲の音のの振動を与えることによって美味しくなるのではなかと言われています。

それなら、蔵や廃線のトンネルの中で音楽を聞かせてはと思います。ベートーベンとモーツアルトやシューベルトの曲では味が違ってくるでしょうか。
また、日本酒では雅楽でモーツアルトより、越天楽などの雅楽や謡曲の高砂の方が美味しいかもしれませんね。
世界各国の音楽を聞かせるとそれぞれどんな音楽になるでしょう。

日本酒は新酒の方よいと言われていますが、同じ醸造酒のワインは古酒が美味しいとよく言われています。また、中国の紹興酒は米から作る醸造酒で数年寝かして売られ老酒として重宝されます。

海底で寝かせるなどいろいろと、考える人がいるものです。海底で熟成させる。蔵で音楽を聞かせるより数段経費は掛かるでしょうが、話題性もありまたその付加価値により、値段も数倍の高値を付けることができるでしょう。
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故意に無心になろうとするなら無心になれない

「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずはない」――こう言って先生は私を戒(いまし)めた。
ヘリゲル『日本の弓術』

   夜の記録


この言葉は、ドイツのオイゲン・ヘリゲルが、東北帝国大学で、哲学と古典ラテン語の講師として来日しているとき、阿波研造範士から弓術を学んでいるとき、阿波研造から言われた言葉です。

ドイツではヘリゲルは射撃の名手だったので、矢を中てるのは銃と同じで難しくないと考えていた。
しかし、弓は難しく阿波研造範士が言うようにしてもなかなか中らない。そして、阿波研造範士は次のようにいった。「弓術はスポーツではない。したがってこれで筋肉を発達させるなどということのためにあるのではない。あたなたは弓を腕の力で引いてはいけない。心で引くこと、つまり筋肉をすっかり弛めて引くことを学ばなければならない」と言われた。さらに、「あなたはが弓を正しく引けないのは、肺で呼吸をするからである。腹壁が程よく張るように、息をゆっくりと圧し下げて、痙攣的に圧迫せずに、息をぴったりと止め、どうしても必要な分だけ呼吸しなさい。一旦そんあ呼吸の仕方ができると、それで力の中心が下方へ移されたことになるから、両腕を弛め、力を抜いて、楽々と弓が引かれるようになる」そして、阿波はヘリゲルに自分が弓を引いた腕を触らせた。ヘリゲルが腕を触ってみると、なにもしていない時のように弛んでいた。
そのように、ヘリゲルは稽古を行うがそれがなかなかできない。
弓を放つときも、阿波は何事もなかったように放たれるが、ヘリゲルが矢を放つときは、弦が烈しい勢いで元に復るため、指に衝撃を受けてしまう。そんなときに無になってしまって射るのだと教わるのだがなかなかできない。ヘリゲルはドイツ人として科学的な思い出自分なりに考えて、稽古しているときに言われた言葉です。

そうこうしているうち、稽古は4年目にはいり、ようやく二メートルほど先に置かれた的の代わりに藁束に射るのでなく、60メート離れた的を前にする稽古にはいた。そこで、阿波範士は「的はどうでも構わないから、これまでと同様に射なさい」という。ヘリゲルは、中てるとなるとどうしても狙わなければならないと言うと。阿波は「いやその狙うということがいけない。的のことも、中てることも、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待ってなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」このあと、ヘリゲルは深夜に道場に来るようにいって、以前にもこのブログに書いた、阿波が、深夜の第二の矢が第一の矢の筈に中ってそれを二つに割いた話になるのです。

いろいろな場面でよく、無心になれと言われますが、この「無心」になるとはどういうことだろう。
無心とは、「心を無くす」と書きますが、心を無くすことではなく、心を明鏡止水という言葉があります。静かな水面に映る景色のようにすべてをありのままに映し出すということでしょう。そうなると、一心不乱に無心になろうとするのは、逆に心を乱していることになります。「無心になれなくてもいい」という開き直ったような心境に達するのが、逆に無心になる近道ではないだろうかと思う。しかいし「無心」になるのは難しいものです。

よく、運動していて力を抜きなさいといいます。瞑想している時にも、力を抜きなさいといいます。しかし、身体の力をすべて抜くことはできないものです。人だけでなく動物の身体はの筋肉は、二つの筋肉が二つの骨にそれぞれ付着しています。そしてお互いにどちらかが、緊張しもう一方は弛緩しています。一方が収縮し一方は伸びていて、このバランスが取れて初めて運動したり静止することができるのです。両方の筋肉が弛緩してしまうことはありえないことです。もしそうなればすべての動物は地球の重力に押し潰されてしまうでしょう。

心もこのように、そのバランスの落としどころを探り当てることが大切なのではないでしょうか。坐禅などをしていると、「邪念や悩み事などの、心の苦しみを思いだし、まずは頭の中で一杯にしなさい。無心になろうと考えるのを止めなさい。」と言われることがあると聞きます。これもまずは、いろいろと悩んでいるなか、無心になろうと悩んでしまうそれがいけないのだと。それも忘れて心を素直にしなさいということでしょう。

無心になろうと努めている、そのこと自体がすでに意識して、無心でないということ。周囲の状況になすがままにいてそれでいて、自身の芯が揺るがずにいる。この事は心の動きでは、周囲の煩悩に惑わされ、なかなかできることではないです。身体の動きでも今まで身につけていた、身体の動かし方の癖にまどわされて、今までに身についた不用意な動きを、無くすどころか逆に強化してしまうことが多いです。

能の舞いを稽古するときに、摺り足をおこないますが、このときの軸足から動かし前に出した足に、重心を移動させるときに身体が揺れてしまいます。小学校のときに行進の練習のとき、また休めの姿勢は両足に均等に体重を預けるのでなく、片足に載せるように私の小さい頃は教わりました。それらが身体に染みついてなかなか、能の摺り足のような足運びを上手くできません。上手く摺り足をするために、意識的に正しい摺り足を行おうとするのではなく、今までに身につけた身体の運び方を忘れることが大切なのでしょう。そうしないと、いつまでたっても今までに身についた、身体の動かし方を捨てることが出来ません。身体の力を抜くのも同じであるし、無心になるのも同じようなもで、あれこれとこころみるのをやめることだと思いますが、それがなかなかできないです。
いつまでも修行するのが大切なのでしょう。

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船の事故

船の事故
韓国の修学旅行生を乗せた客船が沈没して3週間がすぎました。
この沈没事故で多くの乗務員が助かりましたが、多くの一般の乗客が亡くなりました。私は今まで海の事故では、乗務員は乗客の安全救出を最優先にすると思っていたが、それは全く逆のことが起きたようです。なぜ、乗員は乗客の安全救出より、自分のことを優先したのでしょうか。人間に限らず生き物は、自分を守ろうとする、生存本能が働きます。しかし、非番で勤務についていない、消防官や警察官また医師や教師などが、事故に遭遇したときにその場で指導的な働きをしたというニュースなどをよく聞きます。これらは、その職業に使命感があるのと、それらの体験や訓練を受けてきていたので、事故の時にとっさの判断と対応が冷静にできたのでしょう。

しかし、このニュースの報道では、一番先に船長が救出されたとされています。しかもなぜかズボンを履いていなかった。また、乗客にその場に留まる放送がされようだが、それに放送をする事に対して、一人の乗務員も疑問に感じた者がいなかったのか。また乗客の救出をしようとした乗務員はいなかったのか。また、乗客も避難せずに放送に従って、船室に留まることに疑問を感じる者はいなかったのか。などなど、疑問に感じることが多い事故です。

韓国のテレビニュースによると、1等航海士が事故が起きたので、船会社の事故対応マニュアル通り、本社と連絡を取りその指示を、船会社の社長に仰いでいたといいます。その1等航海士は1時間以上、携帯電話で連絡をとり続け、現場への指示よりも本社との連絡を優先させていた。しかも、船会社では積み荷の積み過ぎに対する、隠蔽工作に奔走していたとの放送もされています。
先にも書いたが、現場の臨機応変な対応がなぜ、なされなかったのか。事故のときその現場に事故に対する裁量を任せていたら、このような大惨事になることは無かったでしょう。

すべて中央に情報を集め、それに対する指示をだすことは、統率がとれてよいときとそうでないときがあります。とくに、今回のように中央の指令が間違った方向に向いていたら、その組織全体が間違った方向に向かってしまいます。しかし、事故が起きたときマニュアルができていて、各部署での対応に任されていたら、仮にその部署の対応がまずくても中央がそれを正そうとします。
しかし、中央のトップが私が責任者だといって、組織の統制をとろうとすると、この韓国船のような事故は何処でも起き得る可能性があるでしょう。


さて、韓国船沈没の話にもどします、今回の事故おお粗末さは他にもあるように思えます。
船に備え付けられている救命ボートが一つも使われなかったようです。韓国のテレビニュースの画像では、乗務員が救命ボートを海に投げ入れることをせずに、自分自身が離船して救助される映像が映っている。その上、救命ボートを救助にきた救助隊員が海に放出しようと、救命ボートを開くためのピンを抜こうとしている映像が映っています。しかしその救命ボートのピンガ抜けなず、いっこうにボートが海に放出されないないことです。このことは、日頃から万一に備えての、避難訓練がなされていなかったことによるものです。
火災などによる避難訓練など日本では、不特定多数の大勢の人が集まる場所では、避難訓練は法律で義務づけられよく行われています。そして、訓練を企画する人たちは真剣に計画して行っています。

積み荷の積みすぎと、その積み荷の固定の仕方にももんだいがある、この本来使うことがない救命ボートのメンテナンスを怠っていた。そして、乗客より乗務員が先に逃げるなどお粗末過ぎることばかりです。
しかし、何でも今まで事故が起きなかったことを、安全神話のように思うことは、取り返しのつかないことになるということを、この事故を前輪の轍の教訓としたいものです。

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高層造物の解体

中国のテレビで中国で高さ100メートル以上あり、最近建てられた煙突を取り壊すニュースが放送されていました。その取り壊し方をみて、はじめは、気を切り倒すように真横に倒れ、ちょうど狙ったとおり建物の間に倒れ、発破を仕掛ける技術も難しい者だと思いました。
しかし、その次の映像をみて想像以上に、土煙が巻き起こり埃が舞い上がっていた。また、近くのビルの窓ガラスが煙突の破片で割れ、商店の看板などが壊れた様子も映し出されていた。そして周囲に埃が押し寄せ漂っている映像も放送されていた。そして、取り壊し作業をした会社の関係者が、取り壊しは成功したといい、次に新しい環境に新しい高性能の煙突ができることを話していました。

これを聞いていいて、高層の建造物の取り壊しとしては、かなり時代遅れで未熟なものだと感じた。最近では木を伐採するように煙突を横倒しに倒すのではなく、上から順に徐々に取り除いていくか方法とられるのではないかと思う。また、昔からビルの爆破解体での映像を見ると真下に崩れるよう、爆破解体すのを見たことがある。そのような方法でも爆破の粉塵はでるだろうが、横倒しにするより少ないのではと思う。
いまの日本でのビルの取り壊しの方法は、一般的には、まず内装をすべて取り外し窓枠を取り外し、埃が周囲に舞い上がらないように水をかけながら行っているようです。
最新の高層ビルなどの解体では、爆破解体ではなく下の階をジャッキで支え、下の階から順次取り壊し徐々に、高さを低くして取り壊す方法もあるようです。

これらの技術は何処の国が高い技術を持っているか知らないが、日本もそれなりの技術を持っているでしょう。これから高層ビルの解体増えてくるものと思う。そのためには高い技術力を持つ必要があるでしょう。そのためにも最新の技術で、外国の高層建造物の環境に優しく、安全な方法での方法での取り壊しを請け負い、技術力を高めていくことが必要でしょう。そうれば、国内の需要だけでなく海外にその技術を輸出して外貨を稼ぐことできるでしょう。
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富岡製糸場の世界遺産登録から思うこと

富岡製糸場が世界遺産に登録されるのが、確実になってきました。
日本のものが世界遺産に登録されるのは喜ばしことです。

それにより近代日本の発展の歴史に目を向けられ、今年のゴールデンウイークには、連日富岡製糸場は大変なにぎわいになったそうです。
製糸工場といえば、貧しい農家の若い女性が、劣悪な環境で馬車馬のように働かされ、使い捨てられていったことを描いた、「ああ野麦峠」「女工哀史」を思い出します。高校のころに夏目漱石の「こころ」などとともに、細井和喜蔵の「女工哀史」や小林多喜二の「蟹工船」、島崎藤村の「破戒」などを読んだものです。
さてこの、富岡製糸場は国が建て始めは運営したので、他の「ああ野麦峠」「女工哀史」のようなことはなかったとされています。また事実、たの製糸工場と比べ、女工の待遇は優遇され、富岡製糸場で働いた人たちや他の製糸場でのリーダーとしての役割をはたしたと言われてます。そして糸産業の振興殖産として、外貨を稼ぐ産業として日本の近代化に貢献し、また世界の製糸技術の発展に対しての役割も高いです。
この近代化の表の富岡製糸場と、その陰で別の製糸工場などでは「女工哀史」のような事実があたことも忘れてはならないです。そのようなことにも目を向けようと言うと、自虐的だと言う人もいるでしょう。

しかし、ものごとには何事も、一面だけがあるのでなく、他の面も直視しないと、歴史を正しく解釈できず間違って受け取ってしまうでしょう。
歴史とは明るい面と暗い面が必ずあるもです。その明るい面ばかりを強調して見ていると、過去の歴史から学ぶことはできず、同じ過ちを二度三度と繰り返すことになるでしょう。

戦前は、「蟹工船」や「女工哀史」などの事実は、国力向上の妨げになるとなるべく蓋がされ、負の面は隠され、明るい面ばかり強調されてきました。
戦後、それらのことは隠されることなく、多くの人がその事実に向き合い、それを乗り越え克服しようとしてきました。
また、すめらみくにの戦前の民主主義観ではなく、国民主権の民主主義の考えかた方があることを知りました。

そのことを、戦前戦中の両面を体験をしていない者が、占領体制と同じ土俵のなかで今を考え、戦後レジームからの脱却と言って、戦後に築きあげえきたものを変えようとする動きがありあます。
敗戦後の占領体制からサンフランシスコ講和条約まで、それ以降の体制、そしてその後の55年体制以降にレジーム・シフトの無いなかで体制が築かれてきたました。そして、ようやくシフトが起きたのですが、その担い手が余りにも未熟で、官僚に手玉を取られてしまいました。それにより、国民は今までの政権の方がましだと思い込んでしましいました。
そこに、つけ込んでか55年から築いてきたものを、見直し変えようとする動きが、一気に押し進もうとしているようです。
その押し進めようとしている、一部の人の改憲案を見ると、節々に戦前レジームの復古の臭いがするところを感じるのはわたしだけでしょうか。
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歎異抄の第13条をよんで

3月31日に、歎異抄の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」のことを書きました。

同じ歎異抄の第十三条に次のようにある。
「阿弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、また、本願ぼころとて、往生かなふべからずといふこと。・・・・」。
そして次のようにある。
親鸞言う「これにてしるしべし、なにごともこころにまかせたることならば、往生のため千人ころせといはんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にても、かなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず、また害せずとおもうふとも、百人・千人をころすこともあるべし」とおほせのさふらひしかば、われらが、こころのよきをばよしとおもひ、あしきをばあしとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることを、おほせのさふらひしなり。
さらに、親鸞は次のように言う。
「うみ・やまに、あみをひき、つりをなして、世をわたるものも、野やまにししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきなゐをし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなり」と。さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と


「弥陀は衆生を救済するのが誓願で、心や行いの悪い人をも救うという。阿弥陀がそう言うことから悪い行いをしても救われるからと、悪いことと知りながらわざと悪事を行うのは、『本願ぼこり』といってそのように付け上がっていては、浄土に生まれることはできない」と人は言う。・・・・・・」
そしてこの後親鸞は次のよう言うのです
「これでわかったであろう。何事でも自分の思い通りに出来るなら、浄土往生のために人を千人殺せと言われたらその通り殺せるはずだ。しかし、一人でも殺せないというわけがあるから殺すことが出来ない。自分の心が良いからということではない。殺さないでいたいと思っていても、百人も千人も殺すこともあるのだ」と言った。
これは、自分の心が良ければ、それが良いことであると思ったり、悪い心であれば、悪いことと思う、自分がうまく物事が運ぶよう、そのことだけを考えて始末を着けることを思い。実は阿弥陀仏の願いの力によって救われるのだという、大切なことを忘れていること指摘して言われたのです。
さらに、親鸞は言う。
「海や川で網を曳き、釣りをして生き物の命を奪うことにより生活の糧とする者も、野山で獣を捕り、鳥を捕ってその命を奪い生活の糧とする者も、商売をし、田畑を耕して生活している者も、みな同じことだ」と仰せられています。


なにが善いことで、なにが悪いことなのか。それは、その時々で変わり、その人が置かれている立場々々で変わるもおのです。私は、何か事件や事故が起きたとき、特に凶悪な事件や不可解な事件のときほど、その悪事を行った人がなぜその犯行に及んだのか、どうしてその犯行に及ぶまで追い込まれたのかを哀れむのです。加害者であるが見る視点を変えると被害者でもあると思うのです。
心が善であるから、悪いからだと言うのでなく、たまたまその犯行に及ぶにいたった、精神的に追いつめられる環境に置かれたと考える。そして、もし自分がそのような環境に置かれたら、自分はどのような行動を起こすのだろうか、そのような環境や立場に置かれていない自分は幸せだと感謝したくなります。
今の自分にとって、凶悪な異常な犯行にでも、偶然にその凶悪な犯行に及ぶ立場でなかった、いや一つ間違えると自分のなかの表面には表れない、内に潜んでいるものが動いたらどのような行動を起こすだろうか。それを考えるとその行いは「悪心」からきたものだと言い切れるかと思うのです。


そのようなことを考えると、日常の約束の時間にこなかった、相手が嘘をついた。たまたま、自分が約束の時間に間に合い、相手が間に合わなかっただけで、ヒョットしたら反対の立場になっていたかもしれません。そのように考えると、これらは、小さなことでそれほど頭にきて怒るほどのことでもないように思えます。何でももっと寛容で許す気持ちを持っていたいものです。
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健康な人の便を、胃腸の病気に悩む人に移植する

健康な人の便を、胃腸の病気に悩む人に移植する治療法を慶応大学が始めるそうだ。

下痢や腹痛などを繰り返し、薬の治療を受けても治らない人がいる。その人に健康な人の便のなかの微生物を移植するものです。
人の腸内には数百種類、数百兆個の細菌が棲んでいる。免疫や栄養素の分解に関わっている。しかし、胃潰瘍などの胃腸の病に悩む人では、細菌の種類も個数も少ないことがわかっています。

この話を聞いて私が一番に頭に思い浮かべたのは、上野動物園の飼育係だった、西山登志雄さんの「カバこそぼくの人生」のなかに出てくる話です。
その内容の要約は次のようなものです。
動物園で初めてカバの赤ちゃんが産まれた。赤ちゃんが元気に育つようにと、母親の便など赤ちゃんが食べないように、カバの畜舎で掃除を徹底しました。しかし、赤ちゃんは母親の乳を飲むと下痢を起こしてしまいます。ところが、母親のカバは赤ちゃんの前で便をしてそれを赤ちゃんが食べてしまいました。そして赤ちゃんは母親の乳をのんだのですが、それからは赤ちゃんは乳を飲んだことによる下痢をしなくなった」。というものです。
これは、赤ちゃんの胃のなかは無菌状態に近いので、母親の乳を分解することができないので下痢をしていたのです。しかし、母親の便を食べることにより、便に含まれている細菌が赤ちゃんの胃に取り込まれたのです。


この、便移植おこなった慶応大学の方法は、親族の便を、生理食塩水と混ぜてフィルターで濾過した液体を内視鏡で大腸に注入する、「便微生物移植」というものだそうです。
アメリカの臨床では、難治製感染症の患者に薬の治療と便移植の治療の方法を行ったところ、薬だけの治療の人は20~30%が治ったが、便移植では94%の人に効果があったとされます。この数字で「治った」と「効果があった」とは違いますが、大きく数字の差が開いていることは注目すうる価値があうでしょう。

ここで一つ気をつけないといけないのは、腸内にはいろいろな身体に悪さをする細菌やウイルスがいることです。
症状が発症していなくても、ノロウイルスや大腸菌などを保菌している人もいます。ノロウイルスなどはほんの微量でも体内に入ると感染し症状を発症してしまいます。このことでよく院内感染などで問題になっています。
しかし便に含まれている雑菌がすべて悪いわけでなく、それより私たちの身体を維持するために、必要不可欠な細菌が沢山あることです。
この便移植をするには、身体に悪い菌を充分に処理してから行うと、非常に期待できる治療ではないかと思います。

また、生物学の菌についてだけいえることではなく、世の中にあるものはそのほとんどは、互いに関連し合いお互いに助け合いながら存在しているのでしょう。政治などでも与党があり野党があって初めて正しい国の運営ができるのでしょう。これが、与党一つだだと、胃潰瘍などの病に悩む人のように、細菌の種類も個数も少い人と同じように。その国体も下痢を起こしてしまいかねません。
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段々畑の景観と豊かさ

最近テレビなどの番組で、段々畑などの景観の美しさや、町おこしに役立っていることが放送されています。

しかし、段々畑が今日まで作られてきた、歴史にはあまり視点が置かれて番組は作られていないようです。


都会で暮らしている人は、段々畑の農村を訪れ、棚田の水田や畑を見て、農村の景観の美しさを感じます。
そして、このような景観がいつまでも残るたらと思います。
しかし、実際に毎日その棚田を維持管理するのは非常な労力を必要としています。
棚田や段々畑が作られたのは、平らな耕作地がないなから、少しの土地も無駄にしないように、そして少しで多く育て収穫して、自分の生活の糧にしようとした、日本の農家の貧しさの象徴でもありす。


段々畑や棚田の景観を見て、日本の農村の美しさをいい、それを作り守ってきたことを誇りに思うと言う人がいます。しかし、そのようなことを言う人の中には、特に政治家の中にはそのような棚田で、稲を育てる生活をしたことがあるのでしょうか。国民に耳障りのよく、美しく聞こえるための詭弁のようにしか思えてならない人がいます。
それらの人は、そこで暮らしている人が、どのような汗を流しているのかを、どれだけ感じとられる人がいるでしょうか。

山の急斜面に石を積み上げ段々畑を作るのは大変な作業です。そしてそれは、長い年月をかけて一段々々作られたものです。
そして、その段々畑では、近代的な耕作機が入れられず、農耕用の牛もなかなか使いにくいもので、作業の多くは人の手を惜しまず掛けられて育てられています。
これから、段々畑や棚田のある地域は、どんどん過疎化が進み高齢化が進み、消滅する村落も数が多いとききます。日本の農産物の価格は世界でも一番高いと言われます。TPPにより関税がなくないり安い農産物が入ってくるとますます農家の競争力は衰えてしまいます。一方に、価格が高くても高品質な農産物を作れる技術があるといいますが、そのようなところは極一部で段々畑や棚田のある地域ではないです。
今までに問題があったとしても、これからのことを考えて農業政策を打ち出していくべきでしょう。
それと、東京オリンピックなど打ち出し、東京一極集中の政策をするのではなく、地方分散の政策を推し進めるべきでしょう。また、明治維新後からの富国強兵、戦後復興からエコノミックアニマルなど、日本人一人一人が今までがんばってきた、価値観や生活の仕方を見直すべき時がきてるのでしょう。

大きいことはいいことだだけでなく、一番を追い求めるのでなく、二番でも心の豊かさを追い求めては駄目なのかを問い見直す時期にきていると思う。
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台湾の放送局

ニュースを見ていると次のよなことを言っていた。
「台湾の今まで新聞は政治的中立だったが、このところ様子が変わってきて、中国を批判する記事が控えめになってきている」。

それによるかどうか知りませんが、台湾の人たちも、台湾の自主性や独自性よりも、経済を優先するために中国に迎合するような考えに、重きを置こうとする人が増えてきているそうです。
中国はいま経済成長が著しいので、国土が狭く人口が少ない台湾では、中国の経済力に依存せざるを得ないのは現実できでしょう。

これらは、物質的な豊かさにひとたび浸かれば、それは麻薬のようなもので、しだいに必要以上の欲が出て貪欲になってしまうものでしょう。それにより人としての自主性や独自性を大切のすることより、目先の利益や豊かさを追い求めてしまうのでしょうか。

台湾で中国を批判するような報道がすくなくなり、中国よりの報道が多くなると、それにより市民が本当に知りたい情報が少なくなります。そのように情報に蓋がされたり隠されたりしては、国民が国の行く末に誤った判断をしてしまう恐れがでてくるでしょう。
台湾に限ったことではなく、何処の国でもマスメディアは自分の立場や報道方針を明らかにして報道していくべきでしょう。また、NHKのような公共放送は、国営放送局ではないので中立普遍な報道がなされるべきでしょう。
しかし、最近NHKの番組が、少し今までと違ってきたように、感じることがあるのは私だけでしょうか。
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自分に絶望して犯罪を犯す

また、自分に絶望してしまった人が、犯罪を犯した事件が起きました。
バスジャックの事件です。

池田小学校の事件や秋葉原の暴走事件などのように、自分は世の中から見捨てられた。自分は世の中に存在価値は無いと思ってしまう人。そしてそれらの人の中に行き場が分からなくなり、自暴自棄になってしまい、不特定の無差別に人を殺すことによいり、自分は国家権力により命を奪われようとする人がいます。

しかし、今回のバスハイジャックは、最後に世話になった人に会いたく、バスをその人の住んでいるところまでバスジャックしたようです。また、人質はそれまでいた人を順次降ろしていきました。そして、乗客に警察に携帯で電話するように言ったそうです。そして自ら電話を変わり、会いたい人がいることを伝えたとも聞きます。また、事件を起こす前に警察にどのようなことをしたら逮捕されるのかという内容の電話をしていたそうです。
人を殺すような凶悪なことができるような人でないようです。また、自分の先行きに悲観し、警察につかまり自分を罰してほしいと、自虐的になってしまっているようです。

世の中に絶望したり恨んだり、自分の将来に絶望して、何の関わりもない人を殺めるてしまう人。自分の将来に絶望して、人知れずこっそりと自分の命を絶ってしまう人。
このようにさまざまに、心に深く傷を負っている人が増えているようです。
それを、犯行の反社会的な面だけを見て咎めるのではなく、それがなぜ起きたか社会的な背景やその原因は、この世の雰囲気には問題がないかにも視点を中てて見てみたいです。

本当なら宗教がそれらの人を救う、役割を果たすのでしょう。しかし、宗教が身近なものでなくなってしまったのか、それとも世の中がそれらの人を、受け入れる余裕がなくなり切り捨てることしかしなくなってきたのでしょうか。
それとも世の中や社会がそれらのドロップアウトした人を、許容するだけの余裕がなくなってしまっているのでしょうか。
自分の生活だけが精一杯で、周囲と違うことを恐れそれに同調しようとしするひとやことが多くなってきています。周囲の中に変わった人がいると、のけ者のにしたりパッシングしてしまうことを見受けます。それらのことはドロップアウトした人を受け入れることが、できなくなっているようです。

自分自身もどのようにしたらそれらの人にも、暖かい目を向けられるようにしたいし、自分もそのようになれば自暴自棄にならない為にはどうしたらよいかも考えていきたいです。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 茶番の衆議院選挙
    アジシオ次郎 (10/05)
    おはようございます。

    民進党の解体、小池百合子東京都知事が立ち上げた希望の党、ハッキリ言って今回の選挙は乱立の様相を呈しそうですが、野党票割れを起こして自民党
  • 独裁者の国会解散
    竹林泉水 (09/26)
    > 政策に反対表明するための無抵抗なデモ行進、座り込みや集会を無理に解散させようとする警察官たちが、職務とは言え反対する人たちを排除しようとするのを見るとむし
  • 独裁者の国会解散
    風と雲 (09/24)
    民主的な選挙で政権交代がなされるようになり、政府への反対で暴力を使うことは、民衆の支持を失い反発され逆効果になるようになりました。>政策に反対表明するための無抵
  • 独裁者の国会解散
    竹林泉水 (09/24)
    日本人は長いものにはまかれろ、付和雷同性の国民性もあるのは確かだと思います。それは別段日本人に限ったことではないと思います。
    第二次世界大戦でフランス政府はドイ
  • 独裁者の国会解散
    風と雲 (09/23)
    かかる為政者の存在を許してきたのは、日本人の「ながいものにまかれる、お上に任せば・・、なるようにしかならない」と付和雷同性の強い国民性に由来するものではないでし
  • フェイクニュース
    アジシオ次郎 (09/16)
    おはようございます。

    ネットの普及に伴い様々なニュースが見れるようになった昨今、ただ自分の好みに合った情報しか信じないという弊害が出ることもそうだし、多様性を
  • ギャンブル依存症に顔認証は問題
    竹林泉水 (09/10)
    顔認証技術が進み、個人の識別だけに利用されるならまだしも、個人の管理に利用されるのは非常に問題が多いと思います。

    松井知事の発言があまり問題になっていないのも不
  • ギャンブル依存症に顔認証は問題
    アジシオ次郎 (09/09)
    こんにちは。

    いくらギャンブル依存症対策とはいえ、入場確認や顔認証システムを導入するのは一部から「プライバシーの侵害だ」と批判を浴びてもおかしくありませんね。
  • 終戦の日の前後のテレビ番組
    竹林泉水 (08/23)
    国際的な政治・外交問題は素人的な言い方をすれば、早い者勝ちで勝ち逃げすればセーフ的なところがありますね。
    国の名前に「帝国」冠して大日本帝国として、そのころ時代
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