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百花春至って

春本番で公園も小さな庭もならぬ百花繚乱です。禅問答の一つに、花を題材にしたものがあります。

百花春至って誰が為にか開く
        碧巌録 五 

簡単な言葉でいうと、「花は誰の為に開くか」、ということでしょう。

街の花屋さんにおいてある花、公園の花壇に咲いてる花、庭の花壇に咲いているはな、路傍の花、庭の隅に生えている雑草の花。そして花の咲き方にも様々な、花の咲き方があります。梅の花、桜の花、芝桜 スミレ、レンゲなどなどさまざまです。

花屋の花は、花瓶に挿され人に見られるために、地に生えていたのを切り取られて店先に並び、人々の手元に渡り部屋を飾ります。
庭先の花は、春先に土から芽をだし周りの雑草は抜かれ守られながら、庭を飾ります。
雑草の小さな花は、踏まれても抜かれても自分の遺伝子を残すために懸命に花を咲かせます。
花屋の切り花は、自分の遺伝子を残さないで、人の目を楽しませるためにその命を捧げるといえます。
庭に植える為に買ってきた苗や種は、その一季節は人の目を楽しませますが、自分の遺伝子を残そうとしても、次の季節には新しい苗や種が買われてきます。これも、一代限り人の目を楽しませて、人にその命を捧げています。
路傍や庭隅の雑草は抜かれても刈られても、自分の子孫を残そうと小さな花を咲かせ、遺伝子を紡いでいます。
そのようなことを考えるとの命にもさまざまで、それぞれが懸命に命をはぐくもうとしてるのを感じます。
人に捧げる自分の遺伝子を残すその心を学ぶべきと感じます。

「百花春至って誰が為にか開く」。花は一体、誰の為に咲くのか、誰の為でもないです。何の為でもないようです、それぞれの花が咲くのは、何の下心も計らは少しも少しもなく、ただ子孫を残すためにだけ咲、自分の命の趣くくままに、ただ自分の命を雑念や邪念がなく発揮して、懸命に唯咲いています。

切り花は、ただ咲いてみる人の目に、生き方を教え、勇気をつけ、心を慰めたり、楽しませたりしてくれます。だけど、花はなにも見返りをもらおうともせずそれを誇ろうともしません、それどころか一代限りの命を懸命に灯して消えてゆくのです。
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早朝の散歩

毎日、夜明け前に歩いていると、冬の頃と今頃から夏至過ぎのころと、歩いていて違うことがあります。それは月明かりです。今日は旧暦で三月十八日で、月は西の空に昨日の立ち待月がまだ残っています。月明かりで明るい中、少し立つと次第に、東の空は明るくなってきます。今日の日の出が、5:26で、残り月の入りは6:31です。

影法師 立待月は 西方の
     日月入れ替う 明けの散歩に


そいて、今の季節は季節は、百家争鳴ならぬ百鳥争鳴です。歩き始めの薄暗い時は、ホーホーとフクロウの鳴き声が聞こえ、少し明るくなってくるとキツツキが木をつつき、チッチキチーとどこからともなく聞こえてきます。そして明るくなるとウグイスはホーホケキョと鳴き、チョットコイチョットコイとコジュケイが鳴き、ツツピン ツツピンとシジュウカラなどまことににぎやかです。
真冬の時は、ときおり聞こえる遠くを走る電車の音や、自動車やトラックの走る音、新聞配達のバイクの音が聞こえる程度でした。夜が明ける時間も早くなってきたので、歩き出す時間も早くすると。車や新聞配達の音は聞こえずに、春の息吹を感じる鳥のサエズリが聞こえ、心をウキウキ爽やかにしてくれます。


明けやらぬ 野道をゆくに 静けさに
      ようよう白け サエズリきこえ


ホーホーと 夜鳥鳴きぬれ 応えるに
      啄木鳥(ケラ)幹つつき 木霊(こだま)がひびき

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道に聴いて途に説くは 徳をこれ棄つるなり

論語 陽貨第十七
道に聴いて途(みち)に説くは 徳をこれ棄つるなり

道ばたで聴いた話を、その噂話を確かめもせず、会う人に話すのは、自分の価値を落とすようなものだ

このことについて、中国の毛沢東は、実践論のなかで、次のように言っている。
「道にきいて、途(みち)に説く」ようななまかじりの知識をもつと、すぐに自分こそ「天下第一」とうぬぼれるが、これはその身のほど知らずをよく示すにすぎない。

物事を学んだとき、たとえその学んだ人が偉い学者であっても、自分で確かめもせずに第三者に学んだことをそのまま教えるのは、それは受け売りでしかいです。
学問というのは、その知った内容を時間をかけて深く考えをめぐらしおもんばかって、その学んだ内容を検証していくものです。それと同時に今まで自分の得ている知識と照らし合わせ、その物事に対すして心遣いをして、充分に自分のものにして初めて学んだといえるでしょう。

最近のレポートなどの書き方の手法として、学生の間でインターネットなどで調べたことを、コピー&ペーストでにわかに作ることがはやっているそうです。

私の学生のころは、技術を習得するには真似るな、技術は盗むものだとよく言われました。真似て学んではいつまで立っても自分のものにならない。自分のものにするには、その技術を盗んで自分の身にしないといけないということです。

そして、盗まずに真似るだけでは、周囲の人からあれは真似たものだと、あざ笑われるだけです。それならまだよいでが、おだてられると自分はその真似た学問を、自分の能力が高いものと勘違いし身の程を知らなくなり、こそこの世の中で他に比べるものがないほど、自分は優れていると自惚れてしまう。そうなると、周囲の人はその人を見てあざ笑うだけならいいですが、最後にはその人の今ある地位や名声もなくなってしまうでしょう。
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口耳四寸の学

口耳四寸の学

最近、学校教育で世界の競争力をつけるためにと、学力を着けるためと、学校の教科書の内容が追加されページ数が増えています。

世の中でよく言われてことに、入試のための勉強でテストの点数をとる勉強になっている、それはただ書物を読むこ学問で軽薄者のすることだと。
授業で教えられたことをそのまま記憶することに、のみ心得たけて学問の中庸にもかかれある、学問の五つの行い博学、審問、慎思、明弁、篤行にあたわないことです。
博学とは広く学ぶことで、審問とはつまびらかに問うことで、慎思とは謹んでよく考えることで、明弁とははっきり見分けることで、篤行とは誠実の学問を実行することです。
最近、杜撰な研究論文を発表したこが大きな問題になっていますが、学問のなんたるかを知らなかったのでしょう。それも、知識偏重の詰め込みの教えを受けてきた、そのことによることからきたものかもしれません。

荀子に「口耳四寸の学」とあり、小人の学は、耳より入りて、口より出づ、口耳の間則ち四寸のみといいます。
耳で聞いたことをすぐに口に出す薄っぺらな学問で、人から聞いたことを十分に理解市内で、物知りのをひけらかして吹聴することは、少しも自分の益にならない学問のことです。
先に杜撰な研究論文を発表した人は、それが幾ら事実で正しかったとしても、自分の為にならないどころか、今後の研究活動の生命も絶たれかねなくなります。

このことは、中庸の学問の五つの行いは如何に大切な基本のことかがわかります。文科省は理数系を好きになり力を付けさせるため、教える内容を増やすことばかり考えるのではなく、もっと学問の本質に目を向けることが大切ではないかと思います。
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春本番

春本番です、今日は、4月20日は、二十四節季の穀雨です。百穀を潤す雨が降る頃とされています。また、七十二候では葭始生で葦がの芽がでて育ち始めるころです。

旧暦では三月廿日です。あと10日すれば、四月一日で暦の上で季節は夏になります。

野や畑や庭の草木は芽吹いて生き生きとしています。雑草も勢いをまし、自分は生きるんだ、この遺伝子を次の世代に引き継ぐんだと、新芽をどんどん出してきて、冬の間の枯れ草で灰色の庭は新緑に包まれてきます。
しかし、それをほっておくと春本番です、今日は、4月20日は、二十四節季の穀雨です。百穀を潤す雨が降る頃とされています。また、七十二候では葭始生で葦がの芽がでて育ち始めるころです。

旧暦では三月廿日です。あと10日すれば、四月一日で暦の上で季節は夏になります。
野や畑や庭の草木は芽吹いて生き生きとしています。雑草も勢いをまし、自分は生きるんだ、この遺伝子を次の世代に引き継ぐんだと、新芽をどんどん出してきて、冬の間の枯れ草で灰色の庭は新緑に包まれてきます。
しかし、それをほっておくとあっというまに、庭は雑草で覆われてしまいます。
そんな中、庭仕事もあわただしくなります。庭の花壇や鉢をを弄っていると、思うことがあるります。庭の雑草を抜いていると、その雑草の息吹を感じます。また、花壇に芽を出した宿根草が増えすぎてきているので、株分けをしていくと、余った株を捨てるのは忍びなくなってきます。庭木の枝の剪定をするときも、姿勢を崩したり成長に悪い影響をあたえるとされる、枝などを見ているとそれを切り落とすのも、なんだか可哀想になってしまいます。
慰むという言葉がありますが、
心が和むという意味と、もてあそぶ なぶる、手任せに物事を行うなどの意味があります。

庭仕事で抜いた雑草や間引きして余った株などを袋に入れてゴミとして捨ててしまうのはどうも心苦しいです。
かといって自分の家で燃やし灰にして土に鋤きこんでみようと思っても、住宅地で草木を燃やすのは市の条例や近所づきあいを考えると、枯れ草等を燃やすことははばかります。
そここで、刈った草を日に干し枯らし、腐葉土や発酵牛糞と混ぜ合わせて、堆肥にしようと腐心しています。
せっかくこの地に芽生えた、草を雑草だから邪魔だとして捨ててしまうのではなく。冬の間は眠っていたが、春になって芽吹いたのだから、その息吹を無駄にせず感謝して堆肥を作ろうと思います。あっというまに、庭は雑草で覆われてしまいます。
そんな中、庭仕事もあわただしくなります。庭の花壇や鉢をを弄っていると、思うことがあるります。庭の雑草を抜いていると、その雑草の息吹を感じます。また、花壇に芽を出した宿根草が増えすぎてきているので、株分けをしていくと、余った株を捨てるのは忍びなくなってきます。庭木の枝の剪定をするときも、姿勢を崩したり成長に悪い影響をあたえるとされる、枝などを見ているとそれを切り落とすのも、なんだか可哀想になってしまいます。
慰むという言葉がありますが、
心が和むという意味と、もてあそぶ なぶる、手任せに物事を行うなどの意味があります。

庭仕事で抜いた雑草や間引きして余った株などを袋に入れてゴミとして捨ててしまうのはどうも心苦しいです。
かといって自分の家で燃やし灰にして土に鋤きこんでみようと思っても、住宅地で草木を燃やすのは市の条例や近所づきあいを考えると、枯れ草等を燃やすことははばかります。
そここで、刈った草を日に干し枯らし、腐葉土や発酵牛糞と混ぜ合わせて、堆肥にしようと腐心しています。
せっかくこの地に芽生えた、草を雑草だから邪魔だとして捨ててしまうのではなく。冬の間は眠っていたが、春になって芽吹いたのだから、その息吹を無駄にせず逆に感謝しえ堆肥を作ろうと思います。
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自衛隊帰還兵の自殺

ベトナム戦争や湾岸戦争などの、米国の帰還塀が精神的な廃人になって、退役しても社会復帰できない人が多くいます。そのことに対して米国では大きな社会問題になり、今もその問題が引きずっています。また新たなアフガンやイラクなどの戦闘で同じことが起きています。
日本は国際貢献として、自衛隊が平和維持軍や平和支援部隊として、紛争当事国に派兵されています。日本の自衛隊は前線の戦闘地帯には、派遣されておらず、現地の復興事業に携わっているので、そのような問題はないだろうと思っていました。
しかし、自衛隊が派遣されるようになってから、その地域からの帰還隊員の自殺は、28人に及んでいるといわれます。この28人の数は、先日NHKクローズアップ現代で言っていたもです。
少しネットで調べて見ると、2004~06年まで約5600人が派兵された中26人が自殺したとありました。自殺率は295人に1人となるそうです。これは陸自全体の自殺率2551人に1人で(10年度)を大きく上回り、、8.6倍になります。日本国民全体の自殺率は、4000人に1人の14倍近い数字になるそうです。
このことは、前線での任務と戦闘地域外での任務も、その任務遂行における精神的なストレスはどちらも大差なく尋常なものでないことを示しているでしょう。

わたしは、自衛隊の国際社会への平和貢献は反対ではないですが、集団的自衛権のもとの、積極的平和主義という意味の分からないことに対しては疑問を持っています。

自衛隊の帰還兵の自殺の問題や、帰還後通常の社会生活ができなくなる問題は、今後大きな問題になってくるでしょう。この問題は自衛隊隊員その人一人の問題ではないです。日本国民みんながこのことに対して向き合わなくてはならないです。その中には、二つのことがあると言えます。一つは軍事作戦行動というものは、通常の生活世界と全く違い異次元のものだと言えることです。もう一つは帰還した自衛隊員の問題として捕らえるのでなく、帰還者や退役者を各自市民が、心に傷を負った人を心が弱いとか言って追いつめるのではなく、それらの人を受け入れられることができる準備をしておかなくてはならないでしょう。イラクやアフガニスタンから帰還した兵士の自殺は、アメリカだけでなくても他の国でも深刻化しいる。米メディアによれば、米国防総省は1年間で349人の米兵が自殺したと明らかにしている。その原因は戦闘体験や心的外傷後ストレス障害、薬物の乱用などが指摘されている。また精神的傷を受け社会復帰できなくなり、仕事につけないで経済的困窮しての自殺もあるでしょう。

自衛隊は派兵のよる戦死者は一人も出しませんが、しかし28人もの自殺者が出ていることは、重く受けとめるべきで国民にもこの事実を公表すべきです。
過酷な環境下で任務遂行したことになるが、前出の担当者は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)で自殺した例は確認できていない」といっていますが、一般の社会よりもはるかに自殺率が多いのは事実です。このことは政府はこれらの問題を国民に明らかにし、この問題に対して対策を講じるとも大切です。そして海外への派兵が自衛官に、どのような影響を与え何をもたらし、どのようになっているかの詳細を国民の目から隠してしまうのではなく明らかにすべきでしょう。それが、自衛隊員一人ともの代としてこの問題を負わせるのでなく、国民一人一人の問題として考えられることがでできるようになるでしょう。
それが、お上に任せてしまうのではなく、責任ある民主主義の国民のありかたが育つものではないでしょうか。
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もったいない と 消費は美徳

もったいない と 消費は美徳

お金を貯蓄に回さないで買い物に回しお金を使うことは、お金が滞ることなく回り社会経済の観点から見るとよいことと言えるでしょう。昔からよく言うように金は天下の廻りもので、巷の庶民はなるようになるさや江戸子は宵越しの金を持たない(実際は蓄えられないですが、そこは粋がる江戸っ子です)。
これは、今はもう古くなったと言われるケインズ経済学の「消費の美徳」ということです。

「節約は罪悪 消費は美徳」は、成長段階にある経済社会に於いては当てはまることです。しかし、経済は高度に発展して飽和状態になった社会では単に消費は美徳と言えるだろうか。
ケインズが消費は美徳と唱えた以前の、社会経済の頃以前はどうだったか。
生産力が低くものが少なかったころは、将来のために貯蓄は美徳であり、また節約も美徳であったといるでしょう。貨幣経済以前の農耕により富の格差が出てきた頃は、余剰生産を蓄え飢饉などの緊急時にそなる。まあ、富を蓄え貧窮している者に配分することにより、支配者と被支配者を作りだしてゆく。
しかし、産業革命後飛躍的に生産力がついてくると、その生産力を維持するために消費を拡大させて必要ある。それには、必要以上にものを購入させ消費させてゆく必要がある。それが経済が活性化されて美徳になってゆくことになる。

その必要以上の消費に対し、2004年、ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんは、環境を守る国際語として「MOTTAINAI」を提唱して、その運動を世界に広げられています。
その「MOTTAINAI」「もったいない」は、もともと仏教の用語で、「勿体無い」からきたものです。
勿体ないは、「私にとってこのようなことは勿体無い」と言うように、本来は他人から過分な事をことをさたときなどに使い。おこないに対して、ありがたいと思い、恐れ多くかたじけなく思うことです。
もったいないは、分不相応で自分に対して道理に合わなく不都合だということになります。
いま、使われる意味の、使えるものが十分に活用されない状態で惜しいとことにつかわれるのとは少し違うようです。

ワンガリ・マータイさんの「MOTTAINAI」運動で、3R運動というのがあります。
Reduce(ゴミ削減)。Reuse(再利用)。Recycle(再資源化)。の頭文字のRをとったものです。
・Reduce(ゴミ削減)は、ものに対して無駄を省いて使う。
・Reuse(再利用)は、ものを大切にしつまでも使いう。
・Recycle(再資源化)、ものを無駄なく使い循環させる。

私はこれに、もう一つ付け足したく思います。
・reverence(崇敬の念)です、野菜や肉のなどの食べ物は自然の恵みとして感謝し。それらの加工食や工業製品また、様々なサービスに対しても、それを作ってくれた人に、あがめ敬い感謝する気持ちを持つことを忘れないことです。消費は美徳として、物質だけを追い求めて経済を維持発展させよとすると、この3Rはおろか、Reverence 忘れてしまうことになりかねません。

英語には「勿体無い」の単語はないようで、ひいて言えば、What a waste! でしょう。それゆえ、ワンガリ・マータイさんは、発展途上の物質的に貧しい国で育ち、もののありがたさを知っていました。そのような、消費は美徳の価値観の国に接し驚いことでしょう。しかし、そのなかで日本語の「もったいない」という言葉をしり、日本人がものを無駄く使い大切にしているのをみて、心を動かされたそうです。
大修館の明鏡国語辞典を引くと「もったいない」の文例に「大根の葉を捨てるとはもったいない」と載っています。今の若い人などは、大根の葉っぱを食べると思うようですが、昔は大根葉を細かく刻んで佃煮にしたり、ご飯に混ぜて食べたりしました。また、北陸の方では干しておき、雪に閉ざされた冬の貴重な青菜の一つにもなりました。
今一度、そのような過去の生活の仕方を振り返り、ワンガリ・マータイさんの「MOTTAINAI」と3Rいや4Rを考えてみようと思います。
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言わざる 見ざる 聞かざる 為さざる

「言わざる 見ざる 聞かざる」この言葉、日光東照宮の神厩の三猿の彫りものなどで有名です。
これは、中国やインドそして日本でも、猿は馬の守り神だとされていこことから、子育てから恋愛、結婚、妊娠と人の一生が描かれたものです。「言わざる 見ざる 聞かざる」は、三猿の彫り物として皆にしられています。
中国の四大奇書の一つ、「西遊記」に登場する孫悟空は、天界で暴れていたころ天帝から、天馬を管理する弼馬温に任じられたのも、猿は馬の守護神からもので、三蔵法師の白馬を引くのが、緒八戒や沙悟浄よりも孫悟空が多いのはそれによるのでしょう。

それはともかく、この三猿の出どころは、論語 顔淵からきているようです。しかし、論語に三つではなく一つ多いは四つの非礼勿が言われています。

論語 顔淵第十二
顏淵問仁。子曰。克己復禮爲仁。一日克己復禮。天下歸仁焉。爲仁由己。而由人乎哉。顏淵曰。請問其目。子曰。非禮勿視。非禮勿聽。非禮勿言。非禮勿動。顏淵曰。回雖不敏。請事斯語矣。

顔淵、仁を問う。子曰、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。顔淵曰く、請う、其の目を問わん。子曰、礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。顔淵曰く、回、不敏なりと雖も、請う、斯の語を事とせん。

顔淵が仁とはどういうことかを問うた。孔子はいわれた、「わが身を謹んで礼の規範に立ち返ることが仁と云うものである。上に立つ者が一日でも身を慎んで礼の道に立ち返るなら、天下はこれを見習い仁に回帰することになるだろう。仁を行うことは己しだいでどうして、他人に頼ることできるものか」といった。顔淵は、「どうかその実践の要諦をお教え下さい」と云った。孔子はいわれた、「礼にはずれたことは見ず、礼にはずれたことは聞かず、礼にはずれたことは言わず、礼にはずれたことは為さず」と答えた。顔淵は、「回は愚かで出来るかどうかわからないが、先生のお言葉を実行するといたします」と云った。

非礼いには見て見ぬ振り、非礼いな憎悪の言葉も聞いて聞かぬ振り、道を外れた非礼いになる言葉は自分から言わない、非礼いになる悪い行いも自分は行わない。多少の非礼は受け流す、心の余裕が大切だというのです。
仁となる、人を思いやる心、いつくしむ心。が自己を完成させる最高の徳になると、非禮勿視。非禮勿聽。非禮勿言。非禮勿動を孔子は重視したのでしょう。
仁に背くからと細かなことに一々反応していれば、自分自身も卑しくなって、それが相手にも伝わり、より相手との関係も損なわれてしまものです。
顔淵は自分は不敏と遜りながらも、これを確実の実行しようと努力を誓っていまが、このそれに努める心が大切なのでしょう。

どうも最近世の中をみていると、その心がなく、この非礼勿視、非礼勿聽、非礼勿言、非礼勿動の逆をいく人が増えてきているようです。
見て見ぬ振りができるぐらいの心のゆとりがなくなってきて、非礼には非礼でもって向かい合う。なんだか、このことが周囲に増えてきているように思います。
たしかに、悪いことは悪いと指摘して相手を正すことは重要なことです。
しかし、向かい合っているものの一部をあげつらって、相手と同様に張り合うのは、大人げない行いとしか言えないです。
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裁判員

死刑判決などの裁判員裁判で裁判員になった人の心のケアが問題になっています。
裁判員裁判で、殺人等の凶悪な事件で裁判員裁判でしめされる、事件の陰惨な証拠などの提示により、裁判員が心的外傷後ストレス障害などにならないか。そしてどのよう証拠などがそうなるのか、裁判員に見せない方ががよいのかなどの研修が、心理学や等を交えて判事の研修がなされたそうです。
重大な事件ほどその事件の証拠や、その犯人の置かれていた状況などは、裁判でできるだけ多く提示されて、慎重に審議されるべきでしょう。それはたとえ陰惨な証拠であっても、裁判員が刑を判断する上で必要なことだと思います。
もし、裁判員にこの証拠は裁判員に見せると心理的な負担が大きすぎるととして見せず隠してしまうことは、公正な裁判でなくなってしまう恐れがあります。
難しい問題だが裁判員裁判制度のもとでは、判事も弁護士も裁判官も裁判員も、よく考えておくべきだと思います。裁判で判決を導くため有利だとか、裁判員の心的負担があるなどで、その証拠を裁判員の目から隠すことは如何と思う。それなら、その裁判は何のために裁判員を使うのか、それなら裁判員を使わない裁判にすべきだと思います。

日本は公開裁判ですから、裁判を一般の第三者が傍聴することもできます。傍聴とは当事者以外の者が許可を受け、発言権なしに場内で聞くことです。裁判の中身を知るには、加害者や被害者やその周辺の人のプライバシー等の問題もあが、それらの多くも傍聴者も知る事ができることが大切ではないかとも思います。最近のプレゼンの技術を使えば、大型ディスプレーなどで、傍聴者にも見せることは可能だと思います。
ただ傍聴やにも資料を見せることによりし、犯罪者への憎悪を助長させることになってはいけないです。大切なことは犯罪者にとって、公正な裁判がなされることだと思います。

こんなことを書いたら、よく被害者やその遺族の気持ちはどうなのだと、第三者に叱られそうです。私自身被害者になったことも、その家族にもなったこともありません。また加害者になったこともないつもりです。加害者の親族になったこともありませんから、その所の本当の気持ちを汲むことは、自分勝手に想像することしかできません。
私が思うに言えることは、ただ、加害者が更生されなければ、被害に遭った人達は、報われないのではないかと思います。この恨みを晴らさでかと、解決する方向に向くのは、野蛮で愚者のすることだと考えます。恨みの連鎖となり蛮土となるだけでないかと思うのです。

裁判員制度を取り入れたなら、市民は刑罰の在り方に正面から向き合う必要があるでしょう、そのためには裁判資料は隠すことなく裁判員には提示すべきで、裁判員はそれらの守秘義務の重荷を負う重責を自覚すべきでしょう。
それによる、裁判員への心的外傷後ストレス障害に対する心のケアにとられるべきでしょう。

しかし、受刑者や刑務所、それに関わる人について書いた本をよんでいると、拘置所や刑務所に勤務する刑務官や、刑務官以外の死刑囚や受刑者に関わる人、精神科医はともかくボランティア要素が強い、教誨師やカウンセリングをする人への心の支援などが充分でないです。
それを見ると正直いって、裁判員制度や裁判の制度また、今の日本の社会にはまだその風土が成熟していないようにも感じます。しかし、現に裁判員制度が施行されてる以上は、もっと市民にそれらのことを啓発していくべきでしょうが、国も司法界もあまり取り組まず、マスコミも視聴率や購読数を上げるための興味本位の報道が多いことが気になります。
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先師の口伝の真信に異なること

歎異抄の序文の冒頭に次ぎのようにある。
「竊に愚案めぐらして、ほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あるこことを思うに、」

このところ、私のつたない頭で思うことがある。親鸞聖人が存命でお教えを受けていたときと、その教えの解釈を今と比べると、親鸞聖人が意図して説かれた事と違う事が説かれているように思う。このことは、大変な嘆かわしいことで、このことは親鸞聖人の教え受け継ぐ人に誤解を与えてしまうことになる。

このことは、親鸞の教えや宗教の教えに限らず、他のことでもよくあることだと思います。異なる解釈がされる、それにはいくつかのものがあります。
そのときの状況が変わりそれ、自体が通用しなくなってきた場合。
自分たちに都合がいいように、解釈のしかたを曲解してしまう。
その受け止め方が少しずつずれて、久しくするとその方向が違う方を向いてしまう。
そのときの経緯や成り立ちを知る者がいなくなり、表面的なところだけを見てします。
これらその、解釈が変わったり、ずれてしまうたっりする状況はいくらでもあるでしょう。


そしてそれを嘆くことはないと、歎異抄は次のように書いてあります。
「幸いに、有縁の知識によらずは、いかでか、易行一門に入ることを得んや。まったく、自見の覚語をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。」
正しい指導者につき、自分勝手な解釈をしては、親鸞聖人の他力の教えを乱すようなことが無いようにとかかれています。

今、敗戦直後の日本状況や、憲法解釈や、平和のあり方や、人権のあり方や、エネルギーのあり方などなど、今までの日本が戦後70年近く培ってきたものにたいしての、その解釈のあり方を変えようとする動きが随所にでてきています。それは今まで日本が平和国家として築いてきた、礎を大きく転換するものになるのか、より強固に国際貢献ができるようになるのか。これからの日本のあり方を左右する、大きな分かれ目になるでしょう。
国民一人一人がいまの、状況を独りよがりの考えでなく、様々な考えのをよく考えてかないといけないです。政治家などの一部の人に任せるのでなく、一人一人が自分の考えで判断して結論をだし、これからの日本の進むべき道を決められるようにすべきでしょう。
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言う者は知らず、知る者は言わず

言う者は知らず、知る者は言わず
夏目漱石の「愚見数則」に書かれている言葉です。
「言ふ者は知らず、知るものは言はず、余慶な不慥の事を喋々する程、見苦しき事なし、況んや毒舌をや、何事も控へ目にせよ、奥床しくせよ、無暗に遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり、万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。
損得と善悪とを混ずる勿れ、軽薄と淡泊を混ずる勿れ、真率と浮跳とを混ずる勿れ、温厚と怯懦とを混ずる勿れ、磊落と粗暴とを混ずる勿れ、機に臨み変に応じて、種々の性質を見はせ、一有つて二なき者は、上資にあらず。」

よく知らない者ほど、知ったかぶりをして、よくペラペラ喋るもので。本当によく知っている者はそう喋らないものだと漱石はいい、さらに不確かなことをペラペラ喋るのは、その人の品と価値を落とすもので、見苦しいにつきたことはないと。ましてや辛辣な皮肉や批判は控えめにしておくのが丁度よい。しかしなにも無闇に控えめにするのがよいというのではない。ここぞと言うときに一言いうと、それは千金に値する。しかし、いつも下らぬことをペラペラ喋りまくるのは、糞を拭く紙のようにすぐ捨てられてしまうものだ、そのようなことを厳しく批判している。
損得と善悪を混同してはいけない。軽薄と淡泊を混同してはいけない、真面目なのと浮跳とを混同してはならない、穏やかで情が厚いのと臆病で気が弱いのを混同してはならない、気が大きく朗らかなのと大ざっぱなのを混同してはいけない、それぞれその時々に臨機応変に対応して、融通が利かないものは一流にはなれないというのであろう。


この「言う者は知らず、知る者は言わず」は老子の五十六章につぎのようにある。

知者不言、言者不知。塞其兌、閉其門、挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。是謂玄同。故不可得而親、不可得而疏。不可得而利、不可得而害。不可得而貴、不可得而賤。故爲天下貴。

知る者は言わず、言う者は知らず。その兌を塞ぎて、その門を閉し、その鋭を挫いて、その紛を解き、その光を和げて、その塵に同じくす。これを玄同と謂う。故に得て親しむべからず、得て疏んずべからず。得て利すべからず、得て害すべからず。得て貴ぶべからず、得て賤しむべからず。故に天下の貴きとなる。

本当に理解している人はそのことに対して軽々とはなさない。そのことをよく知らない人に限って知った振りをしてよく喋りたがるものだ。本当にその道理がよく解っている人は、耳目や口を閉じて軽々しく喋ろうとせず、余計な知識の出入りによって起きる煩わしさを和らげる口ことにんなるのだろう。その知恵の光を和らげ、周囲の人々と同化する。このことが一つの世の中を渡り歩く微妙な道理と言えるのだろう。
この微妙な道理を得た人は、親しむ事もできないし、疎遠にする事もできない。利益を与える事もできなければ、損害を与える事もできない。尊ぶ事もできなければ、侮る事もできない。だからこの世で最も貴い存在となっているのだ。

漱石は一流になれば、和光同塵でいよと、漱石の一流の弁舌でしょう
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憲法記念日

もうすぐ5月3日です。
高知の路面電車、土佐電は2006年以降毎年、市民団体有志が「守ろう9条 25条!!」の表示をした列車を走らせていたが、今年は会社側から断れてそうです。
土佐電には、「会社の内規で禁じられている意見広告ではないか」との抗議が寄せられてためのようです。また神戸市などのでも、憲法記念日に開催される護憲集会の後援を申請したが断られたそうです。

また、このように今まで自治体が後援していたものが、このところ自治体が一部の市民から声が寄せられたとの理由で、後援を断ることが増えてきていると言われます。
原発につていの市民団体の催しや、TPPについての市民団体の催し、特定秘密保護法や集団的自衛権など時事問題などにつての催しなどの開催に、公的な会場を使おうとしても断るケースもあるようです。

後援といえば、資金提供があると思われがちですが、自治体などが後援する場合は、実際には運営にかかわらないです。官庁や有名企業などの名義借りの場合で、お金は払っていないのが普通です。展覧会では、後援者の名で「○○市長賞」「○○会社杯」などが用意され、市長賞などといっても市長が賞を選ぶわけではなく、展覧会の審査員が選び。賞の楯・トロフィーなどの記念品も主催者が負担しています。

また市民がいろいろな活動をおこなう上で、それを催す会場の確保は重要な問題です。市民団体に特定の理由で会議室やホールなどを貸すことを断ったりすることは、自由な市民活動を行う上で障害になり問題があると言えるでしょう。

憲法には次のように書いています。
「99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」このように書かれています。
地方自治体は中立であるべきなので、後援を断ったといいます。しかし、今まで後援などをしてきた、護憲団体の集会を断るのは、99条の趣意に反するのではないだろうか。

どうも、地方自治体は時の政権の改憲の動きから、その逆鱗に触れないか様子をみをしているかのようです。
改憲派の市民団体の行動が、護憲派の集会に抗議行動をしてし、混乱がおきるのを心配しているともみれます。
世のなか、右傾かの傾向が強まり、改憲の動きのあるなか、自治体や公共的な企業は、護憲とか改憲に対して距離を置き関わりを避けているようです。
憲法99条は、政治会や自治体などに、現行憲法尊重擁護義務がかかれています。しかし、今の政権が憲法改正の動きがあるので、その99条の内容よりも、改憲に対しその是非の議論を避ける風潮があるのは、憲法について真っ当に議論できなくなり、いつの間にか憲法が変わっていたと言うようにならないか心配です。
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ブラック企業を合法化?

ブラック企業を合法化するような、政府の産業競争力会議。安部首相は「時間ではなく、成果で評価される新たな仕組みを検討してほしい」と産業競争力会議で指示した。
会社でなく家に帰り子育てをしながら、家で仕事ができることがしやすくすることなどが、ねらいのようです。早く言えばサービス残業を認め、それに対して対価を払うということでしょう。
それだけを見ればよいように見えますが、他の面から見てみるとどうだろうか。
労働時間に関わらず、賃金が一定な働き方を、一般社員に広げることを話し合っているそうです。分かりやすくいうと、いくら働いても残業代ゼロと言うことです。

安部政権は労働者の労働権や生活権を守のではなく、それらを犠牲にしてでも企業の競争力をつけさせ、日本経済を成長させる戦略でいる。企業が成長すると、国が豊かになる。国が豊かになると、国民が豊かになるという考えです。この考えを一方の意見を聞いて、押し進めようとしています。企業が活発化し経済が活性して、物質的に豊かになると、結果生活にゆとりができ、精神的にも潤おうと言いたげです。
しかし、過酷な長時間労働で過労死などが問題になっているなか、国民の生活は本質的に豊かになるだろうか。長時間労働の過労により、精神的にはストレスがたまり、心の中は貧しくなりはしないかと思う。
残業代ゼロは、一応年間所得は1,000万以上の人としつつ、例外として収入が高くなくても、会社と労働組合が合意した、本人が同意すればよいといいます。
働を質により差を着けるようなものなら、低賃金の労働はますます過酷な労働条件をつくることにないかねないです。政府は企業の利潤をあげる方法や、企業活動が活発になる方法を考えるのでなく。国民労働者のより質のよい働き方ができるよう考えるべきです。もう一度、労働基準方を読み直してみようとおもいます。そこに書かれたないようが、犯されたり蔑ろにさり、ねじ曲げて解釈されたり、内容を労働者の視点より企業に視点をおいたものに変えられないように気をつけて見ていこうと思います。
このところ労働組合は弱体化し、会社側に弱腰の組合が増えています。また、本人の合意といっていますが、残業手当ゼロを断れば、雇われている身は弱いものでどんな仕打ちがまっているかわかりません。会社から残業手当はなしと言われれば同意せざる得ないのが現実ではないでしょうか。
これからの日本の労働者は、明治・大正・昭和の戦前時代に逆戻りしたようになるかもしれない、女工哀史ならぬ労働者哀史です。
また、働く時間だけでなくその成果が反映される、賃金体系をつくることも重要なことだといいました。この考え同一の労働で成果ならよいですが、違う労
安部政権の労働者に向けた、5本の矢は次のようなものです。
・解雇しやすい特区をつくる
・労働者派遣法の改正、人を代えれば、派遣労働者をどの職種でも永く使えるようにする。
・有期雇用ルールの見直し、働き手が5年間働けば、無期雇用を選べる制度を見直し例外をつくる。
・雇用の金銭解決、解雇問題で企業がお金を払えばそれでよしとする。
・裁量労働制の拡大、最初に取り決めた賃金だけを払う働き方。
これらの矢は、労働者の何処を射るのでしょうか。
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積極的ということば

安部政権は集団的自衛権を、国会の事後承認で可能とすることを検討に入ったそうです。
国会をないがしろにし、責任者は私だと叫び、積極的平和主義と言い、集団的自衛権の枠をどう定めてゆくのだろうか。国会の事後承認は国会軽視になりかねないです。

よく安部首相は積極的平和主義と言うが、この積極的については私は意味不明がよくわかりません。
積極的に平和に取り組むとは、戦争をしない方向に取り組みをする。それが普通の考えだと思うのですが、意図していることは正反対のよう思えます。
平和を壊す勢力には、積極的に敵の出鼻を先に叩いて、平和を守る。結局積極的に、戦争に向かうことも、辞さないということです。

他の言葉に積極的を付けてみるとわかりやすい。
積極的集団自衛権 同盟国の脅威になるものは、事が起きるまえに事前に叩く。イラクが化学兵器を隠し持っているからと、アメリカはイラク戦争を起こしたが、化学兵器は見つからなかった。イラクは情報戦略として化学兵器を持っているとの嘘の情報を流し、それが外国の脅威になったでしょう。しかしアメリカはその嘘の情報に、真に受け手か負けてかで戦争を起こした。。その結果イラクのフセイン政権は崩壊した、フセインの圧政の是非はともかくその結果、化学兵器は見つからずその上、イラク国内内は混乱し、戦争以前より不安定になっています。そのような前輪の轍を踏み、その二の前を繰り返す恐れがあります。

積極的自衛権 専守防衛でなく、脅威に感じるものは先制攻撃で叩いてその目を摘む。これも、隣国が核ミサイルを開発しているからと、その研究施設や工場を破壊してしまう。それにより、隣国崩壊してしまうと、難民の問題など日本により深刻な問題が山積する事になりかねないです。
いずれにしろ無責任に積極的と言う言葉は使わない方がよいでしょう。
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和光同塵

沖而用之或不盈
淵兮似万物之宗
挫其鋭 解其粉
和其光 同其塵
湛兮似或存。
吾不知誰之子
象帝之先
     老子 道徳経

道は沖(チュウ)なれどもこれを用うればあるいは盈(ミ)たず。
淵として万物の宗(ソウ)に似る。
其の鋭を挫き、其の粉を解き、
其の光を和し、其の塵に同じくす。
湛として存するあるに似る。
われ誰の子なるかを知らず。
帝の先に似たり。

よく知られる「和光同塵」のことです。
一言でいうと、自分の学徳や才能を隠して俗世間に交わり住むこととなるでしょう。

仏教では、摩訶止観に「和光同塵結縁之始、八相成道以論其終」とあります。
衆生に救済のために、菩薩がその徳の光を和らげ隠して、煩悩の塵にまみれたこの世に姿を顕して、衆生救済をすること。

以前このブログで紹介した、堀川惠子の「教誨師」と言う本に次のようなことがかかれている。
教誨師の渡邉はいつしか、その教誨のストレスからか、酒を浴びるようになっていた。そしてついに治療の為に入院。入院して数週間が経ったころ、渡邉が僧侶だと知った入院患者が訪れ人生相談にくるようになる。
「病院に相談役のカウンセラーは何人もいる。なぜこんない相談が絶えないのか。不思議に思た渡邉は病棟を観察してみた。 ・・・・中略・・・・ (カウセラーは)目線の高いオーラをらんらんと発していた。断酒が辛いなどと相談しようものなら叱られそうな雰囲気すら合った。一方で患者たちが一番、気さくに話ししていたのは、日に一度、部屋にやってくる顔なじみの掃除のおばちゃんだった。」

教誨師渡邉は、アル中で入院しながら、拘置所に通っていたが、入院していることは「アル中ではきまりが悪い」からと隠していた。しかし、度々教誨の面接を休むことになり、アル中を隠し休んだ理由の嘘をつくことが虚しく感じるようになり、ある時思い切って死刑囚に打ち明けた。
「「実はわっし、今、”アル中”で病院に入っとるんじゃ。酒がやめられんでね。たびたび面接も休んでしもうて、申し訳ないことですな」 ・・・・中略・・・・ 噂はあっという間に広まった。死刑囚たちは渡邉という一人の坊主に興味を持ったようだった。それまで黙って教典の解釈を聞いたいた者が、酒や女の話など自分の方から経験を打ち明けてきた。少し休んで面接にでかけると、「先生、大丈夫だったか」と抱きついてくる者まで現れた。死刑囚が教誨師に走り寄って抱きつくのだから、付き添いの刑務官は目を白黒させていた。」


どんなことでもそうですね、あまりにも品行方正な人の説教は、いくらありがたい教えでも煙たくなります。ましてや泥まみれになり働き生きている巷の人間にとては、煙たいどころではなく逆に、先生方に俺らの気持ちがわかってたまるかと反発してしまうでしょう。
これこそ和光同塵で相手に合わせることにより、相手が自分を受け入れることにより、自分も相手を受け入れることができるのでしょう。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
  • 人種差別から思ったこと
    竹林泉水 (06/21)
    コメントありがとうございます。

    人間は、自分は他よりも優秀だ思いたいがります。逆に自分はあの一人より仕事ができないと感じたり、あの人より低く見られていることに対
  • 人種差別から思ったこと
    アジシオ次郎 (06/18)
     おはようございます。

     相変わらず現代において根強く蔓延る人種差別の問題、長い歴史において人種差別や偏見はヒドかったけど、その歴史から何を学んでいるのかとも思
  • 人生二十最
    omachi (05/23)
    あなたの知らない日本史をどうぞ。
    歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めま
  • 100年前の教訓
    竹林泉水 (05/09)
    コメントありがとうございます
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