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国の会議の記録

日本は、行政府の最高意志決定の機関である閣議の議事録は、明治時代に内閣制度が開始された1885年以来から記録されてこなかったそうです。東日本大震災以降記録への、取り組みがなされてきているようですが、それを義務づける法律は未だ存在しないそうです。そして閣議だけでなく他の政府の会議の議事録も同様だそうだ。
太政官を廃止て内閣制度が発足しても、大日本帝国憲法には、
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第7条  略
第8条天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2    略
第9条天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス

などとあるので、天皇が国の全責任を負うので、わざわざ記録を残して後で問題になるより、記録を残さない方がよかったのでしょうか?。

しかし、日本国憲法が発布され、天皇は象徴天皇になり、日本国憲法に次のように書かれています。
第3条天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第4条天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

これにより、第1条にあるように、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。となりました。
第66条には、「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。  略  3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」とあり、内閣とりわけ国民により選ばれた国会の信認により内閣総理大臣が責任を持つようになりました。
この議会制民主主義の制度法典の改革が進められても、議事録が作られなかったことには、驚きとともに、無責任さとあわよくば有耶無耶にしようとする姿が見え隠れします。

議事録を作らないのはよほど、議事録を作るのが面倒くさいか、会議をいい加減に考えていることになる。それとも秘密が漏れてはこまるので、議事録を作らないならというのだろうか。しかしそれはどちらも立憲国家・法治国家といえるだろうか。
となると、立憲の法治国家であるなかで、会議の議事録がないことは、日本の国には秘密というものは無いことになる。いやそうじゃないというなら、秘密自体がないので秘密保護法も必要がなくなるのではないだろうか。
そのあたりの、笑い話のような議論はこれ以上しないことにする。

近代国家として、外交の交渉は国家戦略としての機密事項はあるのが当然です。

しかし、秘密保護法をつくるなら、国民の知る権利の保障と、議事録の作成の作成は義務付けを図り、正確にきちんと議事録がとられるようにしてほしいものです。
そして、個人情報などと違うので、永年機密ではなく年限をしっかりと決めることが望まれるでしょう。それが後からのそのことの歴史検証ができることが、現代の進んだ民主主義国家としてのあり方でしょう。
そのことを考えると日本の民主主義はいままで、世界のなかでも先進的と思っていましたが、全くその逆なことを感じるとともに、国民もそれでよく平気の平左でいられることは、国民の民主主義への意識も非常に低いものだとおもいます。

自分たちの子孫が今の時代を研究したり検証するときに、闇に包まれた謎にしてしまうのは、恥ずかしいことだし子孫に対しても失礼だと思う。


ついでに、自民党の憲法草案を参考に見てみる。

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テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

ツバメの帰る日

一か月ほど前の9月17日は七十二候の「玄鳥去」ツバメが南に去っていくころでしたが。私の住んでいる所では、まだツバメが沢山集まって、いつ南の国に帰ろうか相談しています。今までになく沢山のツバメが集まっています。南に帰る日もそう遠くないようです。

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     ツバメIMG_2483

このブログの去年の10月16日の記事を見るとまだツバメがいまいた。今年は例年になく暑い日が晩秋まで続いていますが、そろそれもう南に帰るころのようです。


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テレビのニュース番組を見て

最近テレビの定時をニュース番組を見ていて、思うことがある。新聞で言う三面記事、今風にいう社会欄ニュースである、事件や事故について、多くの時間が割かれ時事ニュースは後回しにされる事が多いように感じます。

殺人事件が起きるとその内容や、その背景を事細かに報道される。火事で多くの人が死亡すると、火事の出火の原因や多くの死者がでた、その原因と背景。そしてどちらもその遺族についても追跡して、悲しい遺族の心象が報道さえる。これらは、まるで週刊誌を読んでいるように錯覚する事がある。
そのため国内の政治や経済などの、時事問題が後回しにされることがあり、そのため報道される時間がごくわずかになり、その解説やその必要性や問題点などの説明はされなかったりする。
そして、民間放送局は、定時のニュースの時間がすくなくないり、ワイドショー的なものが多くなり、そのキャスターや解説やの意見や考えが強く前面にでて報道されている。
また、事件事故のニュースに時間が裂かれることにより重要な時事問題の時間があるのにその放送時間が短くなっている局が、顕著になってきていると感じるの局は、公共放送局と呼ばれる放送局です。

国営放送局なら都合の悪いニュースから、国民の目を逸らすためにに、意図的にそのようなことをしてもかまわないでしょう。
しかし、視聴者から視聴料を徴収して放送する、公共放送局ではあってはならないことと思います。
少し前まに今まで、身だしなみを清楚なアナウンサーが、疲れているのか、服装や髪形などへの気配りを怠っているように感じる時期がありました。しかし今はそのように感じることが少なくなりました。然しその反面、気になるのは今までより姿勢や物腰が少し緊張しているように感じたり。太ってきているアナウンサーが何人かいるように思い、最近のニュース番組担当の、アナウンサーの心労が重なっているのではないかと感じてしまうことがあります。

これは、私が毎日晩酌をしながら、酔っぱらいながら酔狂して、テレビを見て感じたことです。
だんだん、歳とったせいか、世の中を素直に見られなくなってきたようで、反省しないといけないですね。
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記録の残され方

記録を残さない話になったので、全く関係ないですが、そこに潜むものを次のことから、考えられるのではないかと思い紹介します。


岩波ジュニア親書の「道具にヒミツあり」に、消しゴムについて書いてあるが、その中に消しゴム会社シードの企画部商品企画課の藤井槇也さんが次のように語っている。「欧米の人たは、誤りを残す文化なんですね。書き損じたら日本線を引いて、どのように誤ったかを残しておく。日本は消す文化です。きれいに消してしまう。気配まで消したがります、汚れを消す、しみ抜きがある。このごろは匂いを消す。 中略  世のなか、デジタル化が進んで、アナログな消しゴムの需要は少なくなりました。子どもたちの生活から動詞がどんどん消えていきます。話す、書く、張る・・・・・。 以下略 。」


私は仕事で、有印の公文書を作ってきたが、そのとき「訂正」のとき、「誤記」のときとその直し方が明確に違います。
・訂正の時は、古い記述を上から黒の一本線を引き、その脇の空白に新しい内容を書き、訂正した日付を記します。
・誤りの場合は、誤りを上から赤の二重線を引き、正しい内容を書き、修正印を押します。
このように、明確にその違いがあります。
訂正の場合は内容によっては、その理由を書き添えることもあります。

私文書で鉛筆書きなら、消しゴムを使いますが。万年筆などのインクならインク消しですが、ボールペンなら消すことができないので。ミスノンなどの白い液体の修正液を使い、最近では修正テープを使います。
インク消しは足袋などの漂白技術から生まれたそうで、綺麗にするという発想がそこにはあります。修正テープなどは、臭いものには蓋をする発想で、そこに潜む意識は大きく違うと言えるかもしれません。
ところで、このインク消しも修正液も日本の会社が、世界で初めて作ったそうです。これも、欧米の二重線文化と日本の消す文化の違いから生まれたといえるでしょう。

しかし、最近は紙に直接書くことが少なくなり、パソコンのソフトで文書をつくり、それをプリントアウトすることが多くなりました。
それにより間違った文書が、以前より出回ることが多くなっているようです。前年度に作った文書や前任者の作った雛形がありそれを流用するため、日付を訂正するのを忘れたり、ひどいときには名前を前のままにしてあったりします。前の文書を流用するのですから、時間短縮され校正点検する時間が増えているはずですが、そのような初歩的な誤記が増えているのは皮肉なことです。

色々な会議で記録が残されていないのなら、政治家の国の動かし方もまだまだこの程度なのかもしれません。
日本の政治は何時に成ったら、先進国並になるのでしょうか、それとも日本独自の消ししまう文化を守っていくのでしょうか。



パソコンでの記録を残す話になったので、話の筋がずれる別の話


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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

原発の放射線作業推進への一つの案

原発事故現場の作業員の人たちに疎外感を感じている人が増えてきているようです。度々ニュースで報道されているが、現場は単純ミスによりトラブルが続出している。これは、作業員の使徒とに対する誇りが持てないく、疎外感をつのらせていることからくるものではないだろうか。
また、経験がある作業の被曝線量の年間制限量を越えてしまい、ベテラン作業員が作業に従事できなくなり人員が不足し、下請けの俄かにつのった経験のない作業員になってきていることも心配されています。
政府が世界に約束した、原爆事故の影響をうけない、安全なオリンピックを開催さすための、解決策として次のような事をしたらどうだろう。

日本人全員に今後100年間一人に合計2年間(一日8時間労働として、2年で約520日、計4,160時間)の最前線の現場での労働奉仕をさせる。大企業やブラック企業に指定された企業以外の技術力のある会社には、職人や社員を労働奉仕として派遣するときは、国がその補充員としてホームレスの人を強制的に斡旋し、職能訓練をも兼ねさせる。

これにより、
・現場作業員が不足する心配はなくなる。
・一人一人の年間被曝制限量を押さえられる。
・大企業の優秀な人材を活用できる。
・ブラック企業を減少させられる。?
・ホームレスの人の再起への動機づけになる。


このような、対策をすればどうだろう、そしてまずは、率先垂範として。閣僚と国会議員つぎに高級官僚に放射汚染除去の現場での作業につく。
次に、老い先短い高齢者、中堅、若者と国を挙げてそして、国民を総動員して取り組まないと、いつまでたっても放射能漏れなどの事故は解決しないだろう。
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テーマ : 放射能汚染
ジャンル : 政治・経済

土下座

このところニュースなどで企業が事故を起こしたり失敗したら、社長や幹部が土下座をする映像が流れることがおおくなりました。
私はその土下座をしている映像を見ても、いっこうにその会社の誠意がつたわってきません。それどころがその一時を取り繕っているようにしか見えないのです。周囲の人にも聞くと、同じでよい感じはあまりしていないといいます。
なんか土下座をすることは、失敗したこと過ちを犯したことを、消し去ることができると思っているのでしょう
修正液や修正テープのように、土下座というパフォーマンスの蓋をして、弁解をすれば禊ぎがすむとでも思っているようです。
繰り返しになるが、私には会社の指導者が記者会見でお詫びのお辞儀をするのも変だと思うのですが、土下座などは違和感を隠し切れません。土下座する方はそれにより自分の過ちを自分の中から消し忘れ去ろうとしているようにしか見えないです。
しかし、その影響を受けたものは、決して忘れたりするものではないです。

また、もっと驚き教育現場かと違和感を感じるのは、大阪の公募に応じた校長が、教頭に土下座を強要させたとききました。教育は管理者と子供と向き合っている教員と子供たちの信頼関係により成り立ちます。土下座をさせることはそれを崩すもので、教育者としてその資質がうたがいます。

テレビドラマでも私は観たことがないのですが、「半沢直樹」ドラマでは、土下座をするシーンが多かったとききます。そしてそのドラマの視聴率が至上空前と高かったようです。
多くの日本人はそのように土下座をする事を望んでいるのでしょうか。最近は客がその店の従業員に対して、土下座を強要する人もいるとききます、その人たちはどのような考えで土下座を要求するのでしょう。
お客様は神様ではなく、俺は客だ神だ店員は僕だと、おごって自己満足しているようです。
なぜそのように意識をするような人が増えてきたのでしょう。
・いくら働いても今の現状から抜け出せないいらだち。
・管理社会のなかでの息苦しさからのはけ口。
・複雑化し予測が付けにくいことからの不安感。
・人との付き合いが希薄になっての孤独感。
これらの複数のことが絡み合って心の中の余裕がなくなっているのでしょうか。

私の家の玄関には鏡を添え付けています。毎日、外出するとき自分の姿を見て、笑顔を作って出かけるためですが、それをするのを怠っています。
これから、毎回、鏡で自分の姿をみて、深く呼吸をして笑顔で出かけようとおもいます。


記事を追加しました。

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所信表明

「世界で一番企業が活躍しやすい国」これはどんな国だろうか。

「企業実証特例制度」を創設し、企業が解雇をしやすい解雇特区をつくる。

「世界一働く者にとって厳しい国」になるのかな。



働く「みんなが頑張れば、夢はかなう」国はいいが、

働きたくても働けない人もいることを忘れてはならない。

その人の夢はなくなり、真っ暗な国になるのかな。


最重要法案でもある、特定秘密保護法成立への言及も少なかったので、

今国会での成立はあきらめたのかな。
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最近のNHKのニュース報道

NHKの7時のニュースは、首相と所信表明演説が中心化と思ったが、台風のニュースが殆どでした。首都圏に地域のニュースならそれでいいでしょうが、地域的には関係のない地域もあります。そして東京に台風が近づくので注意するように喚起していました。
それなら、全国放送でなく、関東地方のニュースに流したらとおもいます。明日から国会が始ります。今日首相の所信表明演説がありました。それに関するニュースに割かれた時間は、わずかで内容ももう一つ踏み込んだものではなかったです。明日からの国会で何が争点なのかを報道してほしかったです。
台風が来たとき、沖縄に接近した時や、九州に、近畿に接近したときは、これほど全国放送では報道されません。なにか東京一極集中になってしまっているようで、全国のネットワークのある公共放送局としては、本当にこれでよいのでしょうか。以前ならそれでいいかもしれませんが、今はインターネットなどで、台風情報など、全国各地でいろいろな地域の情報が手に入れやすくなっています。
全国ニュースはもっと、放送すべきニュースがあると思います。

また、最近はスポーツの国際大会での日本人の活躍も、多くの時間を割いて報道されています。オリンピックを盛り上げるために、それもよいでしょうが国政の問題や、国際情勢もしっかりと時間を割いて報道してほしいと思います。
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身土不二

世の中がグローバル化し、企業の活動が発展し寡占化が進むと、経済効率が優先されることにより、日本のどこに行ってもいや世界のどこでも、同じサービスが同じように受けられるようになってきています。それを良しとするのも一つでしょうし、それにより金太郎飴のようになったのを憂うのも一つでしょう。だが、地域の特性がなくなり、その良さが生かされなくなるのは、いかがなものなのでしょうか。

森下啓一博士が『失われゆく生命』で次のように書いている。「生物体とそれを育む土地、言い換えれば生命と環境とは不可分の関係にある。従って人間も土地の産物であり、永く住みついたその土地から産する作物を食べていれば、十分血となり肉となるように仕組まれている。要するに腸粘膜の機能が食物になじみ、周囲の生活環境に適応するという考え方が、すなわち身土不二の思想である」と。
その地域の風土の中で育ち、捕れる物を食べることにより、大地の栄養を身体に吸い取ることが、一番よいことだと言っています。このことは東洋では、昔から太極の考えとして身土不二は大切なことと言われています。

法隆寺の棟梁であり、薬師寺の西塔の再建をした、西岡常一は『木に学べ』の中で次のように述べている。「われわれ大工の間ではね、樹齢千年の木は堂塔として千年は持つといわれているんです。 ---中略--- 口伝では「堂塔の木組みは寸歩で組まずに木のクセで組め」ということもいっております。」
この「木組みは寸歩で組まずに木のクセで組め」というのは、もう少しわかりやすく言うと。
木には右から風が吹かれて育つと、その風に対して抗そうとする力は働きそのように育つ。それは右からの力に強い木に育つことで、その木の性質を知って、塔を建らないと数十年後に塔に歪がでてくる。
堂塔などを建てるには永く持たせないといけないです。それにはその地域で育った木を使うこです。それは、寒さ暑さに適合したものであり。もう一つは、右からの風に吹かれるところは、風が右から吹かれる山の木を使えと言うことです。

ついでに、他の口伝も紹介しておきます。
・神を崇めず 仏を拝せずして堂塔伽藍を口にすべからず
・伽藍の造営には、四神相応に地を選べ
・堂塔造営用の用材は木を買わず山を買え
・堂塔の木組みは木の癖組
・木は生長の方位のまま使え、東西南北はその方位のままに
・木の癖組は工人たちの心組み
・工人たちの心組みは工人らへの思いやり
・百工あらば百念あり 一つに統ぶるは、匠長の器量なり、これを正と云う
・百輪一つに止める器量なき者は謹み惧れて匠長の座を去れ

・諸の技法は一日にして成らず 祖神達の徳恵なり


西岡常一の堂塔造営の木の話になったので、ついでに瓦の話も紹介しておきます。
東大寺大仏殿の大修理の時に、屋根瓦の修復にあたった、小林章男は「文化財の建物には軒裏を腐らせるような、現代の真空土練機で作った瓦は使えない」と文化庁に箴言しました。そして瓦を焼く焼成窯も焼き温度が高い今の窯でなく、昔ながらの窯で焼くように言ったそうです。
その小林章男は今の全国統一規格の大量生産の瓦のことについて次のようにも言っています。「昔は東海道線を東京からゴトゴト汽車に乗って帰ってくるき、ふと目を覚ましそのと屋根を見るだけで、いまどこを走っているかがすぐわかった。いまは下関まあでいこうご鹿児島まで行こうと、屋根の趣が変わることはなく、まったく味気ない風景だ」
日本には、江戸時代から各地に「方言の瓦」という言葉があるそうです。その土地その土地の風土に合わせて、作られてきた瓦です。しかしそれらは高度経済成長頃から、生産性や経済性優先により、真空土練機を使い、高温度の焼きがまで作る、全国統一規格の瓦になってしまったと嘆いているのです。
この「方言の瓦」とは、瓦は雨水を撥じくだけの物だと思いがちですが、実はそうではなく呼吸しているというのです。呼吸することにより屋内の湿度を調節し、高温多湿の日本の風土に適合しているのです。夏は余分な湿気を外に排出し、冬は結露を防ぐ役割を果たすそうです。
しかし、現代の瓦は量産と全国同一企画の瓦をが要求されるため、真空土練機を使い、気孔率が低く吸水率も低いので、屋内の湿度調整能力がないと言われています。
日本の国土は豪雪地帯から、湿度が高く気温も高い地域もありその風土は様々です。だからその地域の風土にあった「方言のある瓦」がその地に合った瓦ですが、産業の効率化により全国の統一規格一つになってします。


日本の産業の発展のために大きく寄与した。松下の「水道哲学論」やトヨタの部品の在庫を抱えない生産方式などは、多くの人が今まで高かった物が安く手に入れることができるようなりました。それは私たちの生活を大変便利にしてくれました。しかし、その便利さになれより便利を求め、先に書いた、身土不二の考えなどを忘れてしまいました。

このことは、文化財級の建造物や、家電の工業製品だけでなく、身持かなものにも同じことが言えます。

全国チェーンのスーパーマーケットが展開し、そこには全国大手の食品会社が作った、パンや豆腐や味噌や醤油が売られ、小さな街の小売りの商店は経営に行き詰まり、大手による寡占化が進んでいます。
以前は小さな街にもあった、豆腐屋さんや蒲鉾屋さん。また、全国の地方には日本酒と同じように、必ず醸造醤油を作っている蔵があり、味噌を造っている店もあり、漬け物を作っている店もありました。しかし、それらの店は大手スーパーで売られている商品の押され、経営に息詰まって店を閉じるところが増えています。

最近、循環型経済や地産地消などが言われています。スーパーに行き、大手メーカーのパンや豆腐を買うのではなく、自分たちの街を見回し、街のパン屋さんや豆腐屋さんや蒲鉾屋さんの食べ物を買って、その味を味わってみることもよいと思います。ついでに最近使っていない万年筆を文房具屋さんに持って行き直してもらい、動かなくなったゼンマイ式の腕時計を時計屋さんに持っていこうとおもいます。

しかし、どれだけ万年筆を直し、ゼンマイ式の腕時計を修理してくれる職人がいる店があることでしょうか。それと同じように今まで、小さな街や村にもいたいろいろな職人の姿がどれだけいるのでしょうか。
本当の日本の街の匠が、少なくなることは日本の技術力が衰退する前触れにならないようにと思います。

また、このことは今の社会が経済性や生産性や効率化を追い求めいるのは、なにも産業製品や技術のことだけでなく。人の生活なども方言が使われなくなり、全国どこに行っても同じような町並みで、地方の個性がなくなってきています。その上、一時問題に問題になっていましたが再び東京の一極集中への舵が戻されようと感じるのは私だけでしょうか。



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自彊不息

言志後録 佐藤一斎
自彊について書かれてある
自ら彊めて息まさるは天の道なり 君子の以す所なり 虞舜の孳孳として善を為し 大禹の日に孜孜せんことを思い 成湯の苟に日に新たにする 文王の遑暇あらざる 周公の坐して以て旦を待てる 孔子の憤を発して食を忘るるが如き 皆是れなり 彼の徒に静養瞑坐を事とするのみなるは 則ち此の学脈と背馳す
自彊不息の時候 心地光光明明なり 何の妄念遊思有らん 何の嬰累かい想有らむ

自彊の彊は強い弓のことで強いことです。自彊不息(ジキョウヤマズ)は自分から努めて励んで一刻も休まないことで、易経の乾卦象伝に「天行は健なり君子以て自彊して息ず」とあります。斉藤一斎は言志後録でこの易経の一文を参考にしているのでしょう。
自ら励み怠りなく勤めるのは、天体が昼夜怠りなく運行とするのと同じで、君子としての道である。
例えば舜の帝が早朝から晩まで善行に勤め励んだこと、夏の禹王は道を尽くそうと熱心に努めたこと、湯王が日々「日に新たにする」と言い徳を努めたこと、文王は暇がないほど勉めたこと、周公は旦夕怠らずに勉め励んだこと、孔子は道を得る為に気が奮い立ち食事を忘れたこと、これらはどれも、自彊してやまない現れである。彼のいたずらに静かに心身を養い、眼をつぶって坐ることだけをする者は、則ちその本当の所の教えとは相反するものだ。
人が自ら励み一所懸命に努めているときは、その心は光に満ちあふれ輝いている。そのようなときは妄念や迷いが沸き起こってくることはなく、その誘いからも惑わされることがないし、心配事もなくなる。

日ごろの生活のあり方がどうあるべきか、その日その日を深く考えずに行き当たりばったりと過ごすのはいけない。私は定年で退職してからの生活を振り返ると、このは自彊不息は耳が痛い言葉です。それは自分自身のことなので、自分がその報いをうけ責任をとりるのです。
しかし、世の中を見ていると社会に責任がある大きな組織でも、そのようなところがあるようです。JR北海道の体質もそのようだし、東京電力の原発事故への処理もそのように見えます。そして、東電を監督指導すべき国の取り組みもそのように見えます。民主党が政権を執っていた時に、原発事故が起きましたが、施策もそのようで国民から愛想をつかされました。しかし、いまの自民党が政権を奪還してからも、民主党の頃と似たり寄ったりです。ただ、前政権の行った施策の不具合の結果から、学んでいるところもあるのが救いです。


斉藤一斎はこの所の前書である言志録に次のように言っている。
聖人は死に安んじ 賢人は死を分とし、常人は死を畏れる

聖人は生死に対してそれより高い次元を悟っているので、死に対して安らかである。
賢人は生あるものは必ず滅びることを知っているので、死は生あるものの勤めだと受け入れている。
常人はただ死を心配し畏れ取り乱す。

死に直面することは人にとって究極のことですが、この一斎のことばは普段の生活の中でも同じ事が言えるでしょう。
多くの普通の人は、何か事が起こるとあわててしまい、困惑してしまうことがあります。
しかし、普段からそれらの対策をとっていたり考えていたりしている人は、あわてることなく、リーダーとして行動をする事があります。時々列車事故や集合ビルの火事などが起きたとき、その施設の人がまだ事故に対応していないと、非番の警察官や消防官や教師などが冷静に誘導したというニュースを聞くのもそのためでしょう。
そして、聖人はそれに動じず適切の対処できるのは、その起きた事へのスペシャリストなどで、周囲の人もその指示に従うので、事故の拡大が抑えられるのでしょう。

聖人でなくても、少なくとも賢人にはなっておきたいですね。
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同じことを言っても、賞賛される 避難される

「呂氏春秋の有始覽 聴言」に次のような話がある。

もし人が「あそこの家には財産が多く、家の塀も低く鍵もちゃちだ。番犬が死んだら、あそこ野壁に孔をあけて盗みにはいれるぞ」
と言ったら、必ず非難されるだろう。
しかし「あの国は飢饉だ。城壁も低いし、軍隊も柔で装備も時代遅れだ、襲えば征服できるぞ」
と言っても、非難されないだろう。
同じことなのにおかしな話だ。

この話、現代では他国を攻め落とすことは許されないですが、戦国の時代では間違ったことではないとされました。それよりむしろ宜しきこととされました。
それは、中国に限らず日本の戦国時代もそうであり、西洋の列強の国は帝国主義時代に植民地政策を進め、植民地先の住民の抵抗を悪としました。日本の太平洋戦争が終わるまで、帝国主義を押し進めることは賛美され続けました。

しかし、今は180度考えの方向が変わり、その考の帝国主義的な考えは悪とされます。
しかし、テロとの戦いは正義のための戦争といい、集団的自衛権などといい、積極的平和主義といい、自分たちの行動を正当化しようとするのは、昔も今も変わらないようです。
私はとくに、積極的平和主義の定義がよく分らないのです、非武装中立ことが積極的に平和へ向けての活動始りだと思うのでが、武器を持って平和を作っていこうとするのは、織田信長の「天下布武」とあまり変わらないようだし、それが進んでゆくと金正恩の「先軍領導」となってしまう。

武力には武力で制するとする、「目には目、歯には歯は」の考えは、今の平和ボケした日本には通じるかもしれないが、グローバル化した国際社会では時代遅れに感じる。
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台風26号の甚大な被害

台風26号は、伊豆大島に甚大な被害をもたらしました。
台風26号はなぜ大きな被害をもたらしたのか。天災か人災かが問われ、被害を防ぐ方法は無かったのかが問われています。
伊豆大島はもともと、火山爆発が頻繁に起きているの島で、その表土の多くは火山灰だと言われています。
そのようなところに、大量の雨が降ればその表土は泥流となり、表土は押し流されることは、江戸時代から判っていたことで人は危ないところに住むのは避けていたので、不思議ではないことと思います。

同じ台風で、東京都町田市で川が氾濫して人一人がなくなっています。わたしが学生のころに、町田の近くに住んでいたのでいました。そのとき町田と神奈川県との境を流れている川は、雨が降るたびに氾濫しているのを、小田急線と横浜線から見ていました。そしてそこは蘆原で家など一軒もたっていなかったと記憶しています。しかし、今パソコンでGoogleの航空写真を見ると、その境川は護岸が整備され、商業施設と宅地が建ち並んでいます。川筋は付け替えられていますが、県と都の境界線は入り組んでいるので、私の学生のころは川の流れはその境界線に近いものだったと思います。

また、ずっと過去の話ですが、神戸の生田川は明治になって今の位置に付け替えられたと聞きます。元の位置はいまのフラワー通りです。その通りは今は、交通量の非常に多い道路となっています。その地域は川を付け替えた人の名前をとって、加納町となっています。しかし川の付け替え後、神戸に大雨が降った昭和13年の阪神大水害で生田川の濁流は、もとの川の流れを覚えていて、加納町に多くの土砂災害をもたらしたと聞きます。
また、昔から川の中州には住むなと言われています。それは先人の経験からの知恵と言えるでしょう。

私は、以前このブログでも同じようなことを書きました。「河川敷に被害をみて」2011-07-31に天気予報や防災への備えや、住民へのそれらの通報のありかたや、避難勧告を出す出さないが、今回の災害で問題になっています。しかし、私はそれだけでは、いつまでたってもこのような問題は繰り返されるだろうと思います。

それより、人が安心して住める地域は、何処なのかを考えるべきでしょう。今の治水技術や砂防技術は、昔より格段に進歩し向上しているが、それ以上に大切な視点があると思います。
伊豆大島のような地域は、昔の人はこの地域は危ないと言い伝えられてきた、危ない土地はたくさんあり、そこには住んでいなかったとおもいます。しかし、人口が増え便利さを追求し、土木技術が昔からの言われてきた、言い伝えは軽んじられたり忘れ去られているのではないでしょうか言。

気象警報や、避難か国の在り方、防災への備えなどが、今後問われるでしょうが、それよりもまずは、本来人が住むべき所ではない危険な所を、開発してゆくこと自体が良いのか悪いのかを見直して見るべきでないかと思います。
そして、これは伊豆大島だけに言えることではなく、全国各地に同じようなところが、いたるところにあるのではないでしょうか。
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自彊不と静坐

先日、斉藤一斎の言志後録に「自彊不息」について書いてあることをかきました。

しかし、「自彊不息」は、坐禅などの静的修養を否定しているのではないです。
おなじ「言志後録」に次のようなことが書かれている。

静坐の功は 気を定め神を凝らし 以て小学の一段に工夫を補うにあり 要は須く気の容は粛 口の容は止 頭の容は直 手の容は恭にして 神を背に棲ましめ 儼然として敬を持し 就ち自ら胸中多少の雑念 客慮 貨色 名利等の病根の伏蔵せるをそう出して 以て之を掃   すべし 然らずして徒爾に兀坐瞑目して 頑空を養い成さば 気を定め神を凝らすに似たりと雖も 抑竟に何の益あらむ

静坐で得られるよいものは、気を落ち着け、精神を一つに纏まり集中しすることで、中国の「小学」にあるように坐をすることへの一段の工夫をすることである。もっと解りやすくいうと、呼吸を調え、口を閉じ、頭から座面までの軸を作って姿勢を正し、手の置き方は恭しくして、精神を背に置き、厳かに敬虔の念を以て、胸の中にある様々な雑念や、外からの迷いや執念や金銭のことや、名誉や利益などの病根が心の中に潜んでいるのを見つけだし、それらを払いのけ消し去らないといけない。そのようなことをせず只単に坐て、目を閉じて、微動もせずに頑な石のように、心を空っぽにしてもうもうと坐っているなら、それは気を沈めて心を一つに集中しているように見えるが、それは何の益にもならないのである。

このことは、何も静坐のことだけでなく、学問やスポーツについても言えるとおもう。形だけをまねてもそれは何のやくにもたたなことを言ってる。


明治時代に日本を訪れ、東北帝国大学で教鞭をとった、オイゲン・ヘリゲルが日本文化を知るために、阿波研造に弓術を学んだことが書かれた「日本の弓術」につぎのように書かれている。
「弓術はスポーツではない。したがってこれで筋肉を発達させるなどということのためにあるものではない。あなたは弓を腕の力で引いてはいけない。心で引くこと、つまり筋肉をすっかり弛めて力を抜いて引くことを学ばなければならない」

「「弓を正しく引けないのは、肺で呼吸をするからだ。腹壁が程よく張るように、息をゆっくりと圧し下げて、痙攣的に圧迫せすに、息をぴたりと止め、どうしても必要な分だけ呼吸する。一旦その呼吸の仕方ができると、力の中心が下方へ移されたことになり、両腕を弛め、力を抜いて、楽々と弓が引かれるようになる」と言い、弓を引いた師の腕は何もしないときと同じように弛んでいた。」

日本の弓は西欧の弓に比べ大きく、弦の力も強いので弓を引くとき、力がいるのでヘリゲルは、力任せに腕で引いていたので的が定まらなかったですが、この阿波研造の教えを受け、形だけでなく弓術の本質を知り得とくしたようです。
何でも形だけを追い求めてもだめで、その本質を知り余分なものを払いのけ消し去り、実践していかないといけないと言うことでしょう。
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方丈庵でのできごと

我が方丈庵に住みつく、小さな主の一日。

          蟷螂01


「国会の代表質問が始まったが、

 質問の質問だし答弁も答弁で、いつもと同じだ。

 どのようなことであろうと、ワシには関係ないことだ

 ところでこれは、これはワシのだ。

 誰にもやらないからな。

 オイ いつまで俺を見ているのだ!

 これは俺のものだから

 お前 早くあっちへ行け!

 早く行かないと、この斧で引っかけるぞ」

            蟷螂02


   「オ~イー、美味しそうなもの食っとるなー。

    わしにも分けてくれないかな?。

    ・・・・・・・

    蟷螂の斧ということばを知らないな

    (しかし生きのいい方がいいからな・・・・)」





 ヒヨドリ


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能の直面(ひためん)

能と聞くと面を被って演じる劇と思いがちだが、面を被るのは主人公にあたるシテ役一人です。また、中には面を被らないで演じるものもあり、それを直面(ひためん)といいます。
世阿弥はその直面について、面を被るものより難しいと言っています。
「風姿花伝」に次のように書かれています。
「これまた、大事なり。およそ、もとより俗の身なれば、やすかりぬべき事なれども、不思議に、能の位上がらねば、直面はみられぬものなり。
先づ、これは、仮令、そのものものによりて学ばん事、是非なし。面色をば似すべき通り道理もなきを、常の顔に変えて、顔気色を繕う事あり、さらに見られぬものなり、振舞・風情をば、その物に似すべし。顔気色をば、いかにもいかにも、己なりに、繕はで直ぐに持つべし。」

面を被らない演目は易しいように思えるが、面を被っていないと、演技をしているとつい、表情を作ってしまうことがある、しかしそれは非常に醜しいもので、上手になってからでないと見られたものでない。全体の動きを客席の様子を感じ取って雰囲気で見せるべきで、顔などの表情をわざわざ取り繕うひつようはなく、平常心で舞うべきである。

面をかけていれば、瞬きや、口の歪みや息の継ぎようなどは隠れてごまかせるが、素顔では隠せないので、日ごろからの修練が大切になってくるそうです。まして、演技しようと目を剥いたり、笑顔を取り付くろったりするのはしてはならないことです。しかい、自然にしようとしても、緊張してしまい顔がこわばったりするので、非常に難しいものとされているようです。

能は直面ものに限らず、粛々と演じられそして、そのなかに一つ一つの舞の所作に、あらゆる物が凝縮され表現されるのですが、素面のより表情が変えられない面のほうが、細かな心象を表すことができるのでしょう。
世阿弥はたしか「花鏡」で「せぬひま」のことについて語っている。「「せぬ所が面白き」など云事あり」といい。演者であるシテの演技と演技の間の、「せぬひま」にも演者として心を研ぎ澄ませて繋いで行かないといい、その繊細な心使いが、自然と観る者に伝わるのであるといっている。

能には「物を見るには胸で見よ、音を聞くには腰で聞け」という口伝がる。また「されば、能をせん程の者の、和才あらば、申楽を作らん事、易かるべし」と言う。短歌や謡いなどの日本の心を持っていれば、能の才能があり演じるのも難しくないというのです。
なんでも、形ばかりにとらわれてしまい、その心を忘れてしまってはならないと言うのでしょう。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
  • 人種差別から思ったこと
    竹林泉水 (06/21)
    コメントありがとうございます。

    人間は、自分は他よりも優秀だ思いたいがります。逆に自分はあの一人より仕事ができないと感じたり、あの人より低く見られていることに対
  • 人種差別から思ったこと
    アジシオ次郎 (06/18)
     おはようございます。

     相変わらず現代において根強く蔓延る人種差別の問題、長い歴史において人種差別や偏見はヒドかったけど、その歴史から何を学んでいるのかとも思
  • 人生二十最
    omachi (05/23)
    あなたの知らない日本史をどうぞ。
    歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めま
  • 100年前の教訓
    竹林泉水 (05/09)
    コメントありがとうございます
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