達人の刀
達人の刀
夫れ通達の人は 刀を用いて人を殺さず 刀を用いて人を活かす 殺すを要さば則ち殺し 活かすを要さが則ち活かし 殺殺三昧 活活三昧也
沢庵 太阿記
剣の達人は、向かい合うだけで相手は萎縮してしまい勝ち、合い刀ち向かうと相手を適当あしらい、思うままにできる。活かそうとも、殺すとも思いのままにできる。
沢庵和尚は、このように「太阿記」に書いていますが、その「太阿」とは宝剣のことです。そして後には次のように書かれています。
月積み 年久しゅうして、自然暗裡に灯を得るが如きに相似たり 無師の智を得 無作の妙用を発す 正に与にその時 只 尋常之中を出でず 而うして尋常之外に超出す 之を 名づけて 体阿という
沢庵 太阿記
年月を積み重ねて工夫して稽古を続けると、闇夜に突ぜんん明かりを見つけ、自分のものにできたなら、師匠も教えてくれない奥義を見つけたようなものです。
しかし、多くの衆人は意識するあまり 煩悩がそれらを邪魔してしてしまう。
無作の妙用のように、ただ普段通りにやっている動作や所作や立ち振舞などが、何か作為のあるものが消え去った自然な普通の動作になる、これは尋常な振る舞いであるようで、実はそうでないのです。これが「太阿」というものである。
このことで「太阿」は単なる武器としての刀ではなく、人が本来持っている自由な心の剣のことといえます。そして心の剣は、人を殺すものではなく、人を活かすために用いられるもと諭していますの。
沢庵は、本当の剣の達人は刀を用いて人を斬り殺すことをせず、心の剣でその人の特性などを上手に活用すものであるといっている。
禅語に「殺人刀、活人剣」というのがある。
こちらは「人を殺し、活かす」ということですが、殺すは己の心の貪欲な妄念を取り去り殺してしまい、それらに囚われない自由な心を育て己を活かすということです。
夫れ通達の人は 刀を用いて人を殺さず 刀を用いて人を活かす 殺すを要さば則ち殺し 活かすを要さが則ち活かし 殺殺三昧 活活三昧也
沢庵 太阿記
剣の達人は、向かい合うだけで相手は萎縮してしまい勝ち、合い刀ち向かうと相手を適当あしらい、思うままにできる。活かそうとも、殺すとも思いのままにできる。
沢庵和尚は、このように「太阿記」に書いていますが、その「太阿」とは宝剣のことです。そして後には次のように書かれています。
月積み 年久しゅうして、自然暗裡に灯を得るが如きに相似たり 無師の智を得 無作の妙用を発す 正に与にその時 只 尋常之中を出でず 而うして尋常之外に超出す 之を 名づけて 体阿という
沢庵 太阿記
年月を積み重ねて工夫して稽古を続けると、闇夜に突ぜんん明かりを見つけ、自分のものにできたなら、師匠も教えてくれない奥義を見つけたようなものです。
しかし、多くの衆人は意識するあまり 煩悩がそれらを邪魔してしてしまう。
無作の妙用のように、ただ普段通りにやっている動作や所作や立ち振舞などが、何か作為のあるものが消え去った自然な普通の動作になる、これは尋常な振る舞いであるようで、実はそうでないのです。これが「太阿」というものである。
このことで「太阿」は単なる武器としての刀ではなく、人が本来持っている自由な心の剣のことといえます。そして心の剣は、人を殺すものではなく、人を活かすために用いられるもと諭していますの。
沢庵は、本当の剣の達人は刀を用いて人を斬り殺すことをせず、心の剣でその人の特性などを上手に活用すものであるといっている。
禅語に「殺人刀、活人剣」というのがある。
こちらは「人を殺し、活かす」ということですが、殺すは己の心の貪欲な妄念を取り去り殺してしまい、それらに囚われない自由な心を育て己を活かすということです。