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豊かとは

今の日本は、三本の矢などの経済政策で、東京都民は酔いしれ踊っているようですが、先行きが怪しい所もあります。ようやく景気が回復するかにも見え、都議選では自民が圧勝してます。そして、日本人の多くが、バブルよもう一度と豊かな社会を夢見ています。

それでは、豊かとはなんでしょう。

辞書で【ゆたか】と引いてみた。【豊か】
大修館の明鏡国語辞典には次のようにありました。
[形動]
(1)満ち足りているさま。十分にあるさま。
「豊かな資源[生活]」
(2)心にゆとりがあって、のびのびしているさま。
「豊かな心を育てる」
(3)ふっくらと量感のあるさま。ゆったりしているさま。
「豊かな胸」

岩波書店の広辞苑第四版では、
(一説にユタという擬音に基づくという)
(1)満ち足りたさま。不足のないさま。のびのびとしたさま。十分で余りあるさま。祝詞、六月月次「五穀をもーに栄えしめたまひ」。「ーな国になる」「ーな才能に恵まれる」「六尺ーの大男」
(2)ゆるやかなさま。のびのびとしたさま。宇津保物語「歌うたひ物の音こゑども、いとーにできて」。「ーな心の人」
とあります。

それが、電子手帳の広辞苑 第六版では、
(一説にユタという擬音に基づくという)
(1)物が豊富で、心の満ち足りたさま。祝詞、六月月次「五穀をもーに栄えしめたまひ」。宇津保物語「歌うたひ物の音こゑども、いとーにできて」。「稲がーにみのる」「ーな心の人」「愛情ーに育つ」「経験ーな人」
(2)財産がたくさんあるさま。経済的に不足のないさま。裕福。「ーな国になる」
(3)物が内部に充ち、ふくらみの出ているさま。「ーな肉体」
(4)他の語に付き、それに十分に達しているさま。「六尺ーの大男」
とあります。

広辞苑の二版を比べてみると、第四版は1991年に第1刷がでています。最新の第六版は。2008年に第1刷がでています。バブル前とバブル後の違いはそこに表れているようにおもいます。第六版は、「物が豊富で、心の満ち足りたさま。」となり、物質への思いが重きに置かれています。そのことは、(2)(3)が追加されている事にも見られます。

この辞書を見ると日本人のこころは、貧しい時の豊かな心が、物質的、拝金的な心になり、経済至上主義になっているのでしょうか、まさにアベノミックスなのでしょうか。

ところで、「ゆた」と引いてみると。「寛」の字があります。
こちらは、第四版と第六版は同じでした。
【寛】
ゆるやかなさま。ゆったりとしたさま。万葉集「その夜はーにあらましものを」

【寛】を新漢語林で調べてみると。
(1)ア、広い 家などが広い。イ、心がゆったりしてゆとりがある。度量がゆたか。ウ、ゆるやか。ゆるい。また、のびやか。おだやか。←→厳。「寛大」
(2)ゆるやかにする。ゆるめる。ゆるす。
(3)くつろぐ、のんびりする。
とあり、熟語には「寛大」「寛厚」「寛仁」「寛容」などがあります。
その他の熟語に「良寛」とあり。広辞苑に
【良寛】
江戸後期の禅僧、歌人。号は大愚。越後の人。諸国を行脚の後、帰郷して国上山の五合庵などに住し、村童を友とする脱俗生活を送る。

良寛さんといえば、清貧の生活をし物事に頓着せず、ありのままを受け入れた生活を通しました。

良寛の歌を四首
・道のべに菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来しあはれ鉢の子
・やまかげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみ渡るかも
・世の中を何にたとへむ弥彦にたゆたふ雲の風のまにまに
・水の上に数書くよりもはかなきは御法をはかる人にぞありける
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ねじれ国会の是非

もうすぐ参議院選挙の公示がされます。衆議院参議院の多数を取る政党が違い、ねじれ国会といわれています。

国会が問責決議案のウヤムヤノの中で閉会しました。重要法案は問責決議案より先に決議すべきという、多数の野党の主張は通らず、それらの法案は廃案になってしまいました。選挙の定数に関する法案は、お互いの自己主張ばかり押し通すなか、憲法の規定により成立しました。それにより、いよいよ参議院選挙戦に入ります。
現在、衆議院と参議院の多数を取る政党が違うことに対して、ねじれ国会といわれ久しく、マスコミも巷でもそして、政治家たちも、すべからく悪いように言っています。この両院の多数を取る政党が違うことが、それほどいけないことでしょうか。
この状況は現在日本だけでなく、アメリカは上院と下院との政権党と野党の議席が逆転しています。また、大統領が議会と対立している国もあります。過半数の議席を獲得できず、連立政権を組むのも危うい国もあります。

ねじれ国会とか逆転国会というと、負の印象や悪い印象を受けるが本当にそだろうか。もっと別の言葉がないものかといつも思っています。

両議院で多数を占める政党が違うと、確かに議会の運営には時間がかかります。しかしそれは、より丁寧な議論がなされることです。このことは、少数の意見や別の見方や異見をも聞き入れられることで、それは民主主義にとって非常に重要なことです。
一番の問題は、政党が政策の中身を通して国民のことより、政権の運営ばかりに目を向けて、まっとうな議論が国会の場でしていないからです。
それは、与党も野党も同じで自分の都合のよ事ばかりしているからです。
与党が多数が議席をとり、政権の暴走に歯止めをかける必要もありまし。民主主義は手続きを大切にし、時間がかかりまどろこしく、国民も真剣に考えないといけないものです。そうしないと形や言葉だけの民主主義になります。
民衆のために考えたのだから、民主主義ではないです。

「人民の人民による人民のための政治」という言葉があります。16代アメリカ大統領の言葉です。
「人民のための」より、「人民による」の方が先に来ていることが大切なのです。
歌を忘れたカナリアではないですが、この言葉を忘れた国会議員の馬鹿どもと、怒鳴りたくなるのはわたしだけでしょうか。

今の日本の現状は、50年以上続いてきた政策の、綻びのツケが政権が変わることにより、一挙に噴出したものです。
そのうえ、新しく政権を担った政党が余りにもお粗末でした。もともと、民主党は自民党の離反者や当時野党であった党の連合たいです。政治を動かすための官僚コントロールは、民主党は初めてのことでそのノウハウなどなかったので上手くいかないのも当然です。そのうえ、先に書いたように自民党の離反者ですから、自己主張と換骨精神は大いにある人ばかりです。そのため民主党は内部分裂をしていまいました。ここで、民主党は頼りないからと自民党に任せてしまうのも、今まで来た道を再び走り出すことでしかないでしょう。かといて、今の民主党に任すこともできません。

そうなれば、今の弱小政党各々がそこそこの議席をとり、複数多数の連立政権になることがよいかもしれません。
自民党の憲法改正草案には、天皇を国家元首とすると書いてあります。いっそのこと天皇陛下に「広く会議を興し、万機公論に決すべし 上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし」と勅命されるようにして、多くの政党に等分に議席をあたえてはいかがかと思う。
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テーマ : 2013参議院選挙
ジャンル : 政治・経済

疾病の説

医学が発展し医療技術がどんどん進んでいます。しかし、病気をなくしてしまうことはできていません。それどころか、風邪などの一般的な病気も防ぐことはできないです。また、直すことすらできない、病気が新たにわかってきています。そして、一般的に今まで聞いたこともない、疾病や症状などの名前を聞くことが増えてきました。生物学・医学が進むにつれ、今までその人だけが備えてた特別の性質・特質と思われていたものが、原因がだんだん分かってきています。しかし、それらは多くの医者すらしらないものが多く、一般にはその人の特性で仕方ないものと思われています。しかし、それらの疾病を煩っているひとは、大変な重荷と苦労をされいます。


幸田露伴が「疾病の説(明治四四年)」で次のように書いている。
「疾病は生物のなき能はざるところのものである。甚だ稀有の事としては、生に始まるより死に終るまで、疾病の現象を呈することなくて、世に来たり世を去るものも有らうけれど、そは其の事につて思量考慮の費すことを要せぬほどに稀有である。植物と最下等動物とは姑らく措いて論ぜず、高等動物と目され居るもの、特に人類に在つては、男女を問はず疾病なしに終始するものは、甚だ少いといおうよりは寧ろ絶無と云つても差支ない位である。されば疾病の為に、大なり小なり、長い間なり短い間なり、人類が或る影響を受くるのが、通常有勝の事である以上は、疾病と云ふ事に就て多少の考量思慮を費すのは、疑心より生じたる暗鬼に就て、思慮考量を費すが如きことではない。いづれかと云へば至當の思慮考量の費し方である。物ずきでも無からう。不必要でも無からう。」

そして、最後に次のように締めくくっている。
「疾病は実に忌むべきである。併し疾病の人に存するも、或は意義あるやうに見える。チン(ヤマイダレ+火)疾の身に在るものはかえってその志すところが成るといふ理は、古の人も道破して居る。また病といふものが全く無かつたら、人は道を思ひ理を観ずることもあるいは少いかも知れぬ。病が吾人を啓発することは決して少くない。是の如く観ずれば、自ら招かざるの病に苦むものも必ずしも不幸のみとはいへぬ。しかしこれは道理はそうであるにしても、病者に対しては言ふに忍びざることである。たとへ世の文明が呼吸器病者、神經系病者に負ふところは甚だ少からざるにせよ、願はくは一切の人が無病息災、長寿幸福ならんことを祈らねばならぬ。」

病気はもっとも避けるべきものである。しかし病気にかかっている人をみると、それなりに病気と付き合い、意味あるものとしている。健康な人より、重篤な病気にかかっている人の方が、生きると言うことに正面から向かい合い真剣に生きている。このことは昔から言われていることであある。また、病気と言うものがなかったら、自分を見つめたり人生について考えてみたりすることをあまりしないかもしれない。・・・・・。


いまの医学が発達したなかでも、病気の原因すら分からない難病があります。そして、その難病に苦しんでいる人のなかには、それに立ち向かいその難病を受け入れ、病気と寄り添って活動されている方もいます。そのような方は今の情報ネットワーク技術をつかい、同じ病に苦しんでいる人と手を繋ぎ、またその活動を通して自分達の輪の外にも広げ、その難病が発病する以前より闊達に生きている人は多いです。
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ある朝、見た光景

妻ハラ

以前、見た光景です。私は通勤のためにプラットホームで電車を待っていると、駅の外から女の人の大声が聞こえてきました。
「なにしてるの、ぐずぐずしないで早くしなさい」
「まったく、遅いのだから役くたったず」
「それじゃなく、こっちの方でしょう」
などなどの、罵声が聞こえてきました。

どうやら夫婦のようで、これから旅行に出かけるようですが、夫の方は黙ってその声に従っていました。
言われている男のひとは、定年で退職した人のようです。

働いていた時は汗水流し仕事に打ち込んでいたのに、退職してようやく自由な時間を悠々と過ごせると思っていたでしょう。しかし、退職してから妻にそのように言われるのはなんたる、言葉の暴力だろうかと哀れに思います。

これはまさしく妻が夫を虐待しての妻ハラだ。妻の方は今まで家事を任され、悠々と自由にしていたのが、夫を濡れ落ち葉と見下してしまっているのだろうか。

よく自分を振り返ると、この朝見た男の人と同じではないかと思えてきます。
今まで私は仕事で朝から出かけ、家に居なかったのでと思い、こちらが遠慮すればするほど自分の思い通りにして、図々しくなってくるような気がする。自分の働いた成果の退職金も年金も、寄生虫のように吸い取る山の神と子ども、今まで働いたのはなんだったのかと思うと、天の声があれやこれやと指図をすることもありたじたじです。

時々、遍路に出かけてリフレッシュしようかと思ったり、現状から遁世しようかと思ったりします。それやこれやでこれからの生き方の考えや発想を変えていかないといけない。自分もいつ、その男のような身になるかわからないと、いやすでになっているかと、今振り返って考えているところです。
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おのが意地を言いとおす

いよいよ参議院選挙の公示日です。

選挙運動が始まりいろいろと選挙運動もにぎやかになってきます。
それぞれの政党、候補者が何を言っているのかをよく見極めていきたいです。

京都嵐山 千光寺の「大悲閣」に次のようなことがかかれていました。

ことば
一、おのが意地を言いとおす
一、人にものを呉れぬ先になになにやろうと言う
一、人のことをよく聞かずして語る
一、よく知らぬことを、はばかりなく言う
一、憂えある人のかたわらに、歌をうたう
一、親切らしく、もの言う
一、人をおだてて、なぐさむ
一、人の言葉を笑う
一、じまんばなし
一、もしり顔に言う
一、学者くさきはなし
一、茶人くさきはんし
一、問わす語り
一、さしでぐち
一、ことばの多き
一、かえらぬことを、幾度も言う
一、さしたる事もなきことを、こまごま言う
一、腹立ちたる人に向かって、道理を言う
一、客の前にて人を叱る

良寛さんの言葉といわれています。
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テーマ : 2013参議院選挙
ジャンル : 政治・経済

アメリカ合衆国と同い年の魚

New York Daily Newsによると、世界最高齢の"魚"が発見されたそうです。

アトルに住む保険査定員の男性 Henry Liebman氏がアラスカで、推定年齢200歳超の岩礁魚を釣り上げたそうです。
今回 Liebman 氏が釣り上げた岩礁魚の体長は41インチ(約104センチ)。同種の魚によるこれまでの体長の記録は、32.5インチ(約82.6センチ)だそうです、そしてその推定年齢は205歳だったとされています。そのためそれより年齢が上回っている可能性があり、Liebman氏が釣り上げた岩礁魚は、釣り上げた日が、7月4日でアメリカの独立記念日だったので、ひょっとするともっと高齢で237歳かもといわれ、アメリカ合衆国と同じ年齢だと話題になっていいます。

魚の年齢は、鱗や耳石で調べるそうです。
私の持っている「理科年表」平成19年版では。
脊椎動物の寿命として、記録された最長寿命は次のようになっています。
フナ    30年
コイ    47年
ニジマス  18年
ニシン   22年
ウナギ   88年
チョウザメ 152年
スナヤツメ 7年

となると、この200歳を超えることは脊椎動物の生き物としても記録的な年齢です。
この岩礁魚は、アラスカ州のジュノ―の研究所に送られ、そこで正確な魚齢の査定が行われているそです。この結果がたのしみです。
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若返りの水

民話に「若返りの泉」というお話があるそうです。


むかしむかし、とても人のよいおじいさんとよくばりのおばあさんが住んでいました。
おじいさんは柴をとりに山に向かいました。

おじいさんはその日の、仕事を終えましたが、まだ日が高かったので、山の奥の向まで入ってみました。
すると、いままで見たこともない泉がありました。
「あれっ、こんな所に泉があったかな?」
見るとキラキラと輝いていて、綺麗に澄んだ水が湧き出ていました。
おじいさんは、歩き続けていたので、喉が渇ききっていたので、その水を手に受けて飲みました。
その水はとても冷たく、美味しいみずでした。

そして、その水を飲むと、今まで疲れていた体が休まり、なんだか今まで以上に元気がでてきました。
「おお、なんだか元気がわいてきた!」。
泉の水を飲んだ、おじいさんは身体の底から元気があふれ出てくる感じがしました。
そして、頭もすっきりとして、今まで忘れていたことも思い出したり、考えもはっきりと解かるようになりました。
そして、泉の水面に映った自分の顔を見てびっくりしまた。
なんと、皺だらけの顔はピンと張っています。頭も薄い白髪だらけだったのが、ふさふさとした黒髪で、若者の精悍な面構が写っているのです。

じつはその水は、実は若返りの水だったのです。
お爺さんは、山を降りるときも少しも疲れず元気に降りることができました。

家に帰ってきたおじいさん見た、おばあさんは、知らない若者が家に入ってきたのでびっくりしました。
「お前さんは、どこのだれですか、いきなり人の家に入ってくるのは失礼じゃないですか」。
おじいさんは言いました、「ばあさん、わしじゃ」
「わしって、だれだ?」
「わしじゃ、わしじゃ、ばあさん。じいさんじゃ」
「だれがじいさんじゃ。この若造が、人の家に勝手に入ってきてわけのわからんことを、いいくさって」。
「ま、まってくればあさん、ほんとにわしなんじゃ。おまえのじいさんじゃ」。
おじいさんは、なかなか信じてくれないので、山で見つけた泉のことを、おばあさんに話しました。
おばあさんは、その若者の顔をよくみると、確かにおじいさんの若いころに似ています。

おばあさんは、「信じられんなあ。しかし確かにお前さんは、じいさんの若いころに、よう似とる」
「ばあさんや、本当にほんとなんじゃ。山の泉の水を飲んだら、ばあさんも若い娘っこに若返るんじゃ」
おばさんは思いました、「ほう、めんこい若い娘っこにのう…?」。そして、若返って若い男たちにチヤホヤされている自分を想像しました。

そして、おばあさんはおじいさんからその若返りの泉の場所をききました。
翌朝おばあさんは朝早く泉を探しに出かけました。

そして、道に迷いながらも、若返りに泉を見つけたおばあさんは、「この泉か。これを飲めば、若くめんこい娘になれるんだ」。そう言いながら、一口飲んで見ました。おじいさんからは冷たく美味しい水と聞きましたが、おばあさんには生ぬるくあまりおいしくない水でした。
おばあさんは、あのうそつきじじい、ちっとも冷たくとも美味しくともないではないかと言いながらも、若返りたい一心で、「この泉か。これを飲めば、若くめんこい娘になれるんだ」と言いながら、ゴク、ゴク、とお腹が一杯になるまで飲み続けました。

そのころ、おじいさんは家で若返りの水を飲みに行ったおばあさんを思っていました。
「ああ、若いってのはいいものだな。ばあさんもいまは欲張りで性格がゆがんでしまったけども。若いころは素直で可愛かったからなあ。若いころは性格もよかったからな、若返りの水を飲むとばあさんも昔の若いころにもどるだろうな。若くなったら、ワシへの扱いも優しくなるかもしれんな。うん。きっとそうだ」。と、おじいさんはつぶやきながら、おばあさんの帰りを待ってました。

ところが、待てど暮らせどばあさんは帰ってきません。いつまでたっても戻ってこないので心配になっておきたじいさんは、おばあさんを探しにいきました。
若返り泉についおたじいさんは、いくら探してもおばあさんは見当たりません。
おじいさんは「行き違いになったんじゃろうか」と思い、おじいさんが家に戻ろうとすると、泉のそばで赤ん坊の泣き声がします。
鳴き声のする方にいってみた、おじいさんが見た者は、おばあさんの着物に包まった赤ん坊でした。

なんとおばあさんは若返りの水を飲みすぎて、赤ん坊になってしまっていたのです。

いま、日本人はこの昔話の、おじいさんと、おばあさんと、それとそれを冷ややかに見ているこどもがいる。
いずれにしろ、このおじいさんにも、おばあさんにも、こどもにはなりたくないです。
また、特にこのおばあさんにはなりたくないですが、今の日本はこのおばあさんが増えているようです。

何でも度を越して欲をだしてしまうと、とんでもないことになるという教えですが、今の日本人は、不景気から脱出できたのかと、調子にのって欲をだし過ぎると、このばあさんのようになってしまわないようにしたいですね。
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三枚の蛇の葉

人は往々にして何事も欲をだしたり、恩義を忘れるてしまうことがります。それにたいして、グリムの話のなかにそれを戒めたものがあります。

グリム童話から「三枚の蛇の葉」

昔、親子二人暮らしの貧しい若者がいました。しかし、あまりにも生活が苦しく貧しいので、若者がいいました。
「おとうさん、生活がとても苦しいから、僕は家を出て町に働きにでる」。と言いました。父親は息子と悲しみながら別れを告げました。
このころその国は戦争中だったの、若者はその国の王の軍隊に入ました。王の軍は敵と出会い激しい戦いになりました。若者の隊は見方がいっぱい打たれ司令官も戦死していまいました。残った兵は脱走しようとしたが、若者はみなに勇ましく語りかます。「われわれは祖国が荒らされるのを許してはならない。」と言い。他の兵隊に最後まで戦おうと訴えました。脱走しようとした兵たちは若者について戦い、敵を打ち破りました。兵たちが勝利して凱旋したのは、専らその若者のおかげだと、王は聞き若者を士官にに昇級させ褒美を与え、王国の側近として仕えることになりました。。

その国の王女は、とても美しいが一風変わった娘がいました。王は娘のそのようなところを心配して、娘が先に死んだら一緒に生き埋めにされてよいと約束しない人は誰も夫にしないという誓いをたてていました。娘も「もし私を本当に愛してるなら、あとの人生は何の役にたつの?私だって同じよ。夫が先に死んだら一緒にお墓に入るわ。」と言うのでした。
そのため、この奇妙な誓いのため、だれも求婚者するものはいませんでした。しかし、若者は娘の美しさに惑わされたかとても惹かれたかで、その奇妙な誓いを気にせず、父親である王様に娘と結婚したいと申し出ました。「お前は何を約束しなければならないか知っているのか?」と王は若者に尋ねました。「もし妻より長生きすれば、私は一緒に埋められなければいけない。けれども、私はとても深く愛しているので、その危険を気にかけません。」と若者は答えました。それを聞いた王は若者との結婚をゆるしました。結婚式が盛大に行われめでたく、若者は王子になりました。
二人は暫くの間、幸せに暮らしお互いに幸せに暮らしていました。しかし、王女は重病になり国中の医者にみてもらっても治せる者はいませんでした。

王子は王女が死んだら、墓に生きたまま入らなければならないことを思いだし、恐ろしくなりましたが逃げ道はありません。王は王子が逃げられないようにあらゆる門に門衛をおいていたのです。運命を避けることはできませんでした。王女が死に柩がが埋められる日がくると、王子は柩と一緒に王家の安置室に連れていかれ、ドアが閉められ外から鍵がかけられました。。

柩には、4本のロウソクと4つのパンと4本のワインがテーブルの置かれていました。食料が無くなると王子は飢え死にしなくてはならないのです。王子が悲しみに耽り毎日少しづつ食事をしていると、部屋の隅から一匹の蛇が這ってきて王女に亡骸に近づいて行くのをみつけました。蛇が亡骸を傷めると思い、王子は刀を抜き、「私が生きてる限りは妻にさわらせないぞ。」と言って、その蛇を3つに切り裂き殺してしまいました。暫くすると別の蛇が穴から這い出てきました。蛇は口に3枚の葉をくわえていました。三つに切られた蛇の体を合わせて、それぞれの傷口に1枚ずつ葉を置きました。すると切られた体は繋がり、その蛇は命が蘇りました。それから、二匹蛇はどこともなくでていきました。
三枚の葉は置いたままになっていたので、王子は、蛇が生き返ったように王女にも当てはまらないかと思いました。王子は葉を拾い、1枚を死んだ王女口の上に、あとのに2枚を両目の上に置いたところ。血が通い始め王女の青ざめた顔が色づき、息をし始め目を開きました。
王女が蘇ったことを王に報告し、王子は事のいきさつを説明しました。そして王子は側近に三枚の派を預け「大切に保存し、常に持ち歩くように、何時なんどきでも使えるようにしておけ。」と命じました。
王女が蘇ってから王女に変化があらわれました。なぜか、蘇ってから王子への愛が心が薄らいでいきました。
王子は別れて長い月日がたつ年老いた父に王女を合わせよと会いに行くことにしました。その船の中で王女は、死の淵から救ってくれた王子の愛と忠誠を忘れ、不実にも船長に思いを寄せてしまいました。そして或る夜なかに、王子が眠っていたときに、王女は船長を丸め込み、王子を海に投げ落としてしまいました。そして王女は船長に「城にに戻って、王子は自己で海に落ちて死んだと言いましょう。父にあなたが王子を捜して活躍したといいます。王はあなたと私とを結婚させるでしょう。」と言いました。

しかし、二人の行いをつぶさに知っている、王子の忠実な家来は、王女と船長にみつからないように、ボートで船から脱出して、王子を探しに出かけ、王子の死体を引き上げ常に持っていたあの3枚の葉を口と両目に置くと、王子は蘇りました。
二人は小さなボートを昼夜を違わず漕ぎ国に帰りました。そして王子は王に王女のしたことを告げると。王は「娘がそんなに悪いことをしたとは信じられない。が、真実はまもなく白日のもとになるだろう。」と言いました。二人に裏の部屋に入り家臣や国民からも隠れているように言いました。それからまもなく王女が乗った船が帰ってくると、王女は悲しい顔つきで王の前に現れました。王は尋ねました「どうして一人で戻ったのだ?お前の王子はどこだ?」と言いました。王女は「お父様、私はとても悲しくなり戻りました。航海中に王子は病気になり死んだのです。船長が私を助けてくれなかったら、私も病気になって死んでいたと思います。」と王女は言いました。王は「私が死人を蘇らせよう。」と言い、裏の部屋から二人に出てくるよう命じました。王女は王子を見ると、吃驚して膝をつくと許しを乞いました。

しかし王は「情けは無用だ。王子は、お前と一緒に死ぬ覚悟をした上にお前を生き返らせた。それなのに、お前は王子が寝ている間に殺したのだ。お前はそれにふさわしい報いを受けるががよい。」と言いました。そのあと、王女は船長と一緒に船底に孔を開けられた船に乗せられ、海に出るように言われ航海しました。そしてまもなく船は深い海底への沈んでいきました。

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メタンガスの活用

平凡社の本、「もの知りゼミナール[世界]謎と発見事典」1984年初版 を読んでいると、次のようなこと書かれていました。
【中国農村の自給エネルギー、メタンガス】全文を引用すると長くなるので、要点だけをかいつまんで紹介していみる。
[メタンガスの発生源は、人畜糞、作物の茎、雑草、ゴミなどで、これらを密閉して発行させ、ガスを発酵させる。その装置はきわめて簡単であうる。農村のエネルギー開発として、全国的に普及活動が展開されちる。]そして、個のメタンガスは燃料としての利用だけでなく、メタンガス発電所も建設されていると書いてある。
また、いままで、燃料としていた干し草を加工して飼料とできるため、養豚業の発展をうながした。同時に、豚が増えることでメタンガス原料の糞便も多くなった。メタンガスの原料は、密閉した発生槽内で発酵したあとは悪臭がなくなり、寄生虫の卵もほとんど死滅するため、ハエやカの繁殖場所がなくうなり環境浄化に大きく寄与した。ガス発生後の原料は、肥料としても肥溜めのものよいり良質で肥料効果が高い。また、今まで燃料として山林の乱伐がなくなり自然の生態系が守れるようになった。大容量の発生槽が建設され、メタンガスでエンジンを動かし灌漑や農作物の加工や発電に多く利用されている。]
このように書かれているが、今から30年程前にことです。このことは、そういえばテレビのニュースで見たような記憶がありますが、すっかりと忘れていました。この当時はまだまだ中国は貧しい国の時です。
いまは経済成長が著しく、多くのエネルギー資源を輸入しています。そして今後の安定的な経済成長維持のためにも、安定的な電力供給は必定です。
自然にやさしいクリーンな循環型のエネルギーは、急速な経済発展のなかで、現在はこのメタンガスの活用はどのようになっているのでしょうか。


いま、日本では原発事故を機に、自然エネルギーの活用が注目されています。その多くは、莫大な事業開発が必要な、風力発電や海流発電や波力発電や太陽光発電などです。この昔の中国のメタンガスの活用、今現在中国ではどのようになっているのでしょうか。日本の技術を持ってすれば、中国のそれ以上に効率よく活用できるものと思うのですが・・・。

原子力や天然ガス火力などの発電の方が、安定的に供給できるのでそちらを選ぶでしょうか?
それとも、メタンガスの循環型で多様にりようでき、維持管理はその地域に任される手間をある方を選ぶでしょうか?

この平凡社の、「もの知りゼミナール[世界]謎と発見事典」【中国農村の自給エネルギー、メタンガス】の項の、中国のメタンガスのあとに、インドにも同じ取り組みがあり、すでに40年の歴史があるとされています。いま、中国もインドも原子力発電所が盛んに建設されています。そうなるとますます、このメタンガスの循環型エネルギー資源の活用がどのようになっているのかが気になります。


日本では、江戸時代の循環型の生活で、省エネルギーでの暮らしをしてきました。江戸時代世界一の人口の江戸の町から出る人糞人尿は、近郊の農家は料理で出る野菜くずなどと一緒に高値で引き取り畠の肥やしにして作物を育てたといいます。そしてその育てられた野菜を江戸の町に売りにいきました。それにより、江戸の川は綺麗で魚が豊富にとれたといいます。(そのころパリを流れるセーヌ川は、人が出す排泄物などはセーヌ川の上流に垂れ流し、その川下で上水を取水していたといいます。江戸のまちは、埋め立て地ですから地下水の井戸は塩分があり仕えないので、上水は井の頭など、江戸の町の上流から取っていたといいます。)
このように、農村と江戸の町はお互いに、持ちつ持たれつで経済は循環していたようです。それが、明治時代にはいり、西欧の経済がはいってきて、それまであったそのような関係は、経済効率が悪いので無くなってしまい。昭和の40年頃には、東京を流れる川は魚も住めなくなってしまいました。それを、法律の規制や浄化技術の向上などでようやく、魚が住める状態になってきたところです。

江戸時代のように戻れとはいいませんが、いまの経済循環の仕方を振り返って見るのは大切なことと思います。
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永田町大好き!春香クリスティーンのおもしろい政治ジャパン

テレビでおなじみの、春香クリスティーンさんが「永田町大好き!春香クリスティーンのおもしろい政治ジャパン」という本を著されました。

本の出版を知り、早速本屋さんにいき、中身を見させていただきました。読んでみて、なかなか面白くしかも中身があるほんで、早速買ってしまいました。


    永田町大好き!春香クリスティーンのおもしろい政治ジャパン



中学生や高校生の授業で使えそうに思います。学校の先生にも残念ながら、こちらの方面に疎いかともおられるので、是非読まれるといいと思います。

国会議事堂の探検記や、選挙にしくみや政治の仕組みなど、ところどころ外国とも比べてかかれています。
最後に、議員の、谷垣禎一氏、柿沢未途氏、細野豪志氏、小沢一郎氏との対談もありなかなかのものです。
個人的に言うと、他の人との対談してほしかったですが・・・
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山菜の庭先出荷

庭先出荷というのが、最近おこなわれているそうです。新潟などの農家が、自分に家の周りで収穫されている山菜や野菜などを、都会の居酒屋などに売って利益を上げるものだそうです。
農家は農家で収入になり、居酒屋の経営者は都会では珍しい新鮮な野菜や山菜が手に入り、お客はそれを食べれることになり、一石三鳥になるので注目されています。

非常に面白い取り組みで、注目してよいでしょう。ただ私自身この仕組みを詳しくしらないので、それに対して評価はできないです。
一つこれが拡大していくと心配なことがあります。先行きが気にかかって、不安になることがあります。それは、栽培されているものなら、計画的に生産されるので、別段心配も問題ないです。ところが野や山に自生している、山菜を収穫することは、いろいろと問題点が出てきます。野山の山菜を摘む事が収入になると。今まで自分たちが食べる分だけを採っていたのが、収入を得るために収穫量が増えて、乱獲により山が荒れ山菜が採れなくる恐れがあります。

もともと、自分たちが食べるものを、野から摘んでいたうえ、来年もまた生えて食べられるように、採りすぎには注意してい採っていました。それが需要があるので、収入があるのでと、欲にまけて里山の農家の人は乱獲しないこと。需要者である都会の人は、珍しいからとかいって、収穫量が増えるよう求めるような事をしないことです。それには、都会の料理を出す店などが、自然の自生しているものだという自覚とそれらを、護り育てるという気持ちが大切でしょう。お互いに儲かるから美味しいからと、執念をもやし山菜に執着しないことが大切でしょう。


昔から、たとえ、自分の為だけでな周囲に恵みを分け与えることでも、乱獲取り過ぎを戒めています。

「宇治拾遺物語」に 丹波篠山に平茸生る という話があります。
これも今は昔、丹波国の篠村というところで、数年にわたって、平茸が沢山採れるところがあった。
村の人々は、平茸をたくさん食べ、また周囲の村の人にもたくさん贈っていた。
そんなある年、村の長が夢を見た。
『みすぼらしい法師姿の者が、二、三十人あらわれ。「お伝えしたいことがあります」「我々は、長年い渡ってさるお方に仕えてきました。しかし、このほど、この村との縁が切れてよそへ行くことになりました。まことにお名残惜しいので、この度ご挨拶にと思い、今日、このように夢枕にまかり越しました。』村の長は、大いに驚いて、
「いったいどういう意味だったんだろう?」と、翌朝、妻や子供と話し合い、ほかの村人に聞くと同じような夢を見たとのこと。村人たちは、何だろうと不安なうちに、その年は暮れて行きました。
そして翌年の9月、10月になったので、例年のように平茸を採りに行きました。ところが、山に入ったところ、平茸はまた食生えていないのです。
村人たちは「これはどういうことだ」と戸惑っていると、仲胤という、賢いお坊さんがやって来て、「これは何としたことだ。
昔から『不浄な説法をする法師が平茸に生まれ変わったことさえある』と言うではないか」とおっしゃったとか。そういうわけで、だから、なにも決して平茸は食わなくても困らないということである。

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世の中の見方

「象の時間 ネズミの時間」の著者である、本川達雄氏は「生物学的文明論」で、次のように言っている。
「科学は、世界を単純化して眺めるものです。世界の構成要素も単純化し、要素間の関係も単純かします。科学が質を問わないのは、構成要素を単純かするためです。
ところが生態系は、質の異なる非常に多くの生物たちが相互に複雑な関係を結んでできあがっているものです。・・・・・」
そして、「数学のような4ー1=3という算数は、いつでも成り立つとされえいますが、生態系の場合、・・・・・成り立たないということはあり得るわけで、4ー1=0になってしまいます。サンゴと褐虫藻が一緒になると、ものすごい働きをしますから、1+1=10や100という答えになります。」


最近どうも私たちの日常生活や、政治の世の中でも、白か黒かの二者択一の方向に進もうとしているように思える。そしてその二者択一は、良否となり、悪か善を選ぶように強いてきているように思われます。そうなると、二者の対立は深まり憎悪が生まれてこないとも言えません。最近のインターネット上での書き込みなどみるその事が言えるのではないでしょうか。そして、ネット上だけでなく街にくりだし叫ぶうちに、その実力行使がエスカレートしかねない状態になってきています。


さらに、本川達雄氏は次のようにも言っています。
「科学の立場は、見るものと見られるものとの間が、きっぱり分かれています、・・・・・こういう態度に慣れてしまうと、自然に対して何をやても自由だし安全だと考えがちになります。それが、自然から大きなしっぺ返しを受ける今のような事態を作ってしまいました。」

二者択一で他者の存在を認めず受け入れなければ、自分の考えが正しく、相手の考えを受け入れないようになり、尊大になってゆくでしょう。このことは、人間が自然を利用し開発するときに、十分に注意すべき事だといえます。水利利用の為のダムが、流域の村や都市に大きな洪水などを引き起こした例は、タイやアメリカなどの洪水でまだ記憶に新しいとおもいます。また人間の科学や技術力を過信に評価してしまい、しっぺ返しを受けたのが福島原発を襲った津波による原発事故といえます。このことは、科学や自然界のことだけでなく、身の回りの社会生活や政治や経済などについても言えるでしょう。

そして、まだ本川達雄氏は言っています。
「こういう、見る私と見られる物、という関係で自然とつきあうのは、・・・・・、自分の関心の持てる面のみを見て、相手をこき使っていくという形に、どうしてもなりがちです。・・・・・。人間に役立つという一方てきな側面だけを集めて、・・・・・自分自身も功利主義だけの薄っぺらな人間になり下がるおそれがあります。」

独りよがりな薄っぺらな、幸福と利益を社会や人生の最大目的とすることが、どれだけ自然界のあり方に有害なのかと思います。そして、私たち人間はその自然界の一つの一員でしかないことを忘れてはならないでしょう。
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太陽を食べる男

[太陽を食べる男 NASAが研究へ]という、記事を読みました。それによると、毎朝、一時間太陽を見つめて、太陽のエネルギーを食べ、そのほかは水を呑み、他のものを食べないで8年間生きている。と書いてあります。

8年かも本当にそのようなことができるのだろうか。
この人の宗教は何を信仰していのかとふと思ってしまいました。
イスラムにはイスラム暦の9月の一か月間、日の出から日没まで断食をする「ラマダン」といものがあります。それを続けておられるのかと思います。(「ラマダン」は断食といってもハンガーストライキのように、まったく何も食べないわけでなく、教えに従って日の出から日没までは何も口にせず、日没後は教えに従って食事をする生活です。)

しかし、この記事を読んでいくとどうもそれだけではないようです。インド医療協会や、アメリカ航空宇宙局が調べているそうです。

そして、この8年間、水分と日光だけで生きていると主張するインドのヒラ・ラタン・マネクさんは、現在世界中には3000人程の日光を食べる人々が存在するという。「彼らは世界中にいますが、これはかつて、遠い昔に失われた科学の再生です。食物を必要としない、新たな食事です。本来この手法はかつて精神的な修行の一部として行われていましたが、これは全く科学的な手法なんです。誰にだって行うことが出来るものです。」と言っているそうです。

少しネットで調べると次のようなものをみつけました。
「太陽の力」
この話とは違いますが、昔から太陽の力、太陽信仰がありいろりとありますが、この「太陽を食べる男」のニュースについてもかかれていました。

植物は光合成によりエネルギーを得て、成長をつづけています。もしこの話がそうなら動物ではなく、本当の脊椎植物人間?ととなるでしょう。
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教科書の展示会

先月、学校で使われる教科書の展示会にいってきたとき、感じたことを書いてみます。

この教科書展示会は、文部科学省が開催するもので、全国一斉に開催されます。
期間は、平成二十五年六月十四日からの二十八日までの十四日間です。各都道府県の主な会場で開催されます。

展示されていた教科書は小学校用、中学校用。高等学校用です。
小学校用は、平成23年度から市立小学校で使用されている教科書とそれ以外の教科書。
中学校用は、平成24年度から市立中学校で使用されている教科書とそれ以外の教科書。
高等学校用は、平成26年度使用教科書見本です。

教科書の数はかなりの数になるので、会期中にはとてもとても、全部を見ることはできません。
とくに、国語の教科書に興味をもち、今の小学生や中学生、高校生はどのような教材を学ぶのかと見てみました。そのことについては、後日また改めて書いてみたいと思います。

そのほかに、最近の教科書を見て一つ思ったことがあります、それは教科書に副読本やサブテキストが付いていたりで、2冊セットになっているものがあることです。そしてそれも検定本として出版されているようです。

いままでも、副読本などがありましたが、それは教科書の会社とは別の会社のものだったりしました。また、副読本検定対象外で指導する教師が自由に選べるものでした。(現行の制度では小中学校の教科書は地域選択で、教師が自由に選べないです。)
また一番意味のあるのは、教科書を基に教師が教材を作ったりしていましたが、その手間が省けてしまうような感じで、学校での本来の目的である教科指導が、手を抜かれてしまわないかと違和感を感じました。
しかし、いまの学校現場の実状を考えると、最近の学校事務の多忙化と生徒指導などに忙殺され、さらにIT端末の導入などによる教材づくりに時間がとられて、教師の個性を出した指導ができなくなってきています。それらのことを見ると、教科書会社が作る検定副読本は仕方ないことかもしれません。ただ、言えることは教師自身が教材を自分で作ることは、その教える教科の要点を把握でき、それによっての教科指導ができることです。その手間が無くなること、また取ろうとしても時間的な余裕がないことは、一番の被害を受けるのは、子供であり迷惑なことでしょう。子供たちの学ぶことは、増え続けています、そんなときこそ本当は、個々の教師が作った教材で生徒が勉強するのが大切だと思うのですが、そのようなことは過去のものとなってしまうのでしょうか。
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3枚の鳥の羽

グリム童話 「3枚の鳥の羽」から

昔、ある国に三人の王子がいました。その国の王はもう年老いていたが、世継ぎを誰にするか決めあぐねていた。
その3人の王子の2人の兄は怠け者で、一番下の王子は無口で真面目でしたが抜けているところがありました。(落語でいうと与太郎か喜六というところでしょうか。)

王は三人を呼び出し言いました。「息子たちよ、旅に出てこの世で一番美しい絨毯を持ち帰ってきなさい。そしてその中で一番美しい絨毯を持ち帰った者が、この国の王になるのだ」
そして、王は三人を城門の外につれ出し、天に向かって三つの鳥の羽を投げました。王が言いました「この羽が落ちた方角がおまえたちの旅の向かう地だ」。した。
一枚の羽は東に飛び、二枚目は西に飛びましたが、三枚目はいくらもいかないですぐに地に落ちました。
2人の兄たちは、西に東に旅立ちました。しかし、一番下の王子は、飛ばなかったのでどこにもゆくことができませんでした。
三番目の王子は気落ちしていましたが、羽の落ちた所をよくみると、地面にはね上げ戸があります。王子はそのはね上げ戸を開けると、下に降る階段がありました。王子はその階段を降りていきました。階段をしばらく降りてドアがありました。王子はそのドアをノックすると中から声がしました「緑の小さい娘よ、 しわくちゃな足よ、 しわくちゃな足の犬よ、 あっちこっちによちよちして、 早くお見せ、外にいるのはだれか」。
扉をあけると、太った大きなヒキガエルが「何のようだ」と訊ねました。三番目の王子は
「この世で一番綺麗な絨毯が欲しい」と答えました。
すると、大きなヒキガエルは「緑の小さい娘よ、 しわくちゃな足よ、 しわくちゃな足の犬よ、 あっちこっちによちよちして、 大きな箱を持ってこい」。と言いました。
すると、若いカエルが大きな箱を持ってきました。そして、大きなヒキガエルは箱を開け、中から絨毯を取り出し、王子に与えました。
その絨毯は今までに見たことがないほど、綺麗に織られたものでした。王子はカエルにお礼をいい、階段をのぼり地上に出て王のもとにいきました。
一方二人の兄は、何とか楽をして絨毯を手に入れられないか、どうせ下の弟は抜けているところがあるので、ろくな絨毯を見つけられないだろうと思っていました。そして、旅先で出会った羊飼いの女から、羊の毛で織った厚手の生地を手に入れ、王のところに持ち帰りました。
三人の王子が持ち帰った絨毯を見て、王は、「末の王子の絨毯が一番だと言い、私の世継ぎは末の王子だ」。と宣言しました。

二人の兄は、間抜けな弟が王になると国が滅びると、父を責め立て、新しい条件でもう一度競争させて欲しいと頼みました。
そこで王は「一番美しい指輪を持ってきた者に、国を受け継がせる」といい、三人の王子を外に連れ出し、空に三枚の羽を投げあげ、三人の王子はその方向にいきました。こんども、前回と同じように二人の兄は東と西へ出かけました。
末の王子の羽はあまり飛ばず地面に落ちました。そこで王子はまた太ったヒキガエルのところに降りて行き、一番美しい指輪が欲しいと言いました。ヒキガエルは大きなはこを持ってこさせ、その中から綺麗な指輪を与えました。その指輪には光輝く宝石が付いて、金細工も精巧なものでした。
兄の二人の王子は、金の指輪を捜しに出かけるのをめんどくさく思い、古い車軸の環を磨いて王のところに持ち帰りました。
王はまた「この国は、末の王子のものだ」と言いました。

二人の兄は、さらに王の決定位に不満を唱え、王を困らせ三度目の条件を出させました。三度目の条件は、一番美しい王子の嫁となる姫を連れて帰ったものに王国を与えることにしました。
王は三つの羽をまた空に投げ飛ばし、これまでと同じように羽は落ちました。
末の王子は三度太ったヒキガエルのところに降りていき、「一番美しい姫を連れて帰りたいと」。頼みました。
ヒキガエルは「今度は、一番美しい姫か!。それ今すぐには手に入らない。いまから準備して手に入れてあげよう」。といいました。
ヒキガエルは、黄色い蕪を刳り貫き、六匹のハツカネズミをくっつけて王子に渡しました。
そしてヒキガエルはさらに言いました。「ここにいる、私の大切な小さなヒキガエルの中から、一匹を選んで黄色い蕪の中に入れなさい」。
そこで、王子がヒキガエルを一匹選び、黄色い蕪の中に入れるやい変化が起こりました。
小さなヒキガエルは妙齢の美しい姫になり、蕪は馬車になり、六匹にハツカネズミは六頭の馬になりました。
王子はその馬車を操り姫と一緒に王のもとへ帰りました。兄の二人の王子は、姫を捜すのが面倒なので、通りかかった村の百姓娘を王に合わせるためにつれて帰りました。
王は三人の娘を見ると、「わたしの死んだ後は、国は末の子のものだ」と言いました。
またしても二人の兄は「末の王子が国王の世継ぎになるのは、承伏できない」と言い、
そして、広間のまん中に輪をつるし、これを飛び跳ねてくぐり抜けた姫の夫が、嫡子になるように王に迫りました。王は、二人の王子が余りにもしつこいので、それを承知してしまいました。
実は、二人の兄たちは、お百姓の娘ならそれぐらい意図もかんたんだが、末の弟の連れてきた姫は、華奢な体つきなので飛びそこなうだろうと考えたのです。

そして衆人のもとでその輪くぐりが行われることになりました。
始めに二人の百姓娘の女が飛びました。二人の娘は飛んで輪をくぐることはくぐったのですが、飛び方が不器用だったので、脚の骨を折ってしましました。
最後に末の王子の姫が飛んだのですが、それは華麗に飛びくぐることができました。それは、もともとカエルだったのですから、飛び跳ねるなど意図もたやすいことだったのです。

そんなかやで、二人の兄の王子は、何もできなくなってしまい、末の王子が嫡男となり、王が亡くなったあと、王冠を息継ぎ末永く国を平和に治めました。


結局この怠け者の二人の王子は、王の嫡子と思われていたのですが、すべてを失ってしまったのです。
何事も、目先の欲に囚われずに、地道に一つ一つをこなしていかなくてはならないのですが、国を継いだ三番目の王子も、自分では何もしないでカエルにたすけられたのです。このカエルこそは宮廷に棲むカエルではなく、城下のちまたに棲むカエルでした。国の政もこれとおなじように、市中に暮らす国民に助けられてこその政なのでしょう。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 安倍内閣改造
    アジシオ次郎 (08/05)
    こんにちは。

    お友達内閣と揶揄された反省から、今回は異なる派閥からすすんで入れた改造内閣、バランスいいとはいうものの、女性閣僚が2人だけというのは男性優位色が
  • 見ざる聞かざる言わざる
    竹林泉水 (07/30)
    いつもコメントありがとうございます。
    三猿の教えは、子どもより大人の方が三猿について考えないといけないでしょうね。

    一つのことしか知らない大人になるのは、人それ
  • 見ざる聞かざる言わざる
    アジシオ次郎 (07/26)
    こんにちは。

    周りをよく見る・すすんで自分の意見を言う・人の話を聞く。当たり前の常識だが、子供に説くのも大事だが大人も改めてそれを認識してそれに基づく正しい行
  • アベ政治はクーデター
    竹林泉水 (07/19)
    政権を握っているのでクーデタだと言えるのでは

    しかし、安倍晋三の頭の中の辞書には、民主主義の言葉はあるが、政治家としての誠実さをなかなか感じることができないので
  • アベ政治はクーデター
    雲と風 (07/18)
    勉強になりましたが、「安倍政権はクーデター」でしょうか? 権力と威嚇によるテロリズムだと思います。内閣府の中の一派が壊憲と日本の民主主義制度の堕落無力化を共謀し
  • 教育福祉などへの株式参入は
    竹林泉水 (07/12)
    なんでも自由競争になれば、サービスの質が向上すると考えるのは間違いで、鉄道などで見ると都市部はサービスが向上するが、過疎部では反対で最悪の場合は撤退になります。
  • 教育福祉などへの株式参入は
    アジシオ次郎 (07/10)
    おはようございます。

    教育や福祉に株式参入することは、教育や福祉をビジネスに利用しかねないし、アメリカ式の市場主義経済に基づく価値観を正当化しかねないです。た
  • 食べることは殺生をすること
    竹林泉水 (07/06)
    日本人は頂きます・ご馳走様と日本人なら誰でもいいますが、外国の方はどうなのでしょうか。キリスト教のクリスチャンなら食前食後の祈りがあります。
    私は中高とミッショ
  • 食べることは殺生をすること
    アジシオ次郎 (07/05)
    こんにちは。

    人間は生きる為に他の生物の命を奪わなければいけない。と言う「原罪」を背負っている以上、食べると言うことはそうなのかも知れないです。動物の命を奪い
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