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分福の説

前回、幸田露伴の「努力論 惜福の説」を紹介しました
今回は、その次に書いてある「努力論 分福の説」を紹介します。

幸田露伴は次のように書いています。
「福を惜むということの重んずべきと同ように、福を分つということもまたはなはだ重んずべきことである。惜福は自己一身にかゝることで、いささか消極的の傾があるが、分福は他人の身上にもかゝることで、おのづから積極的の観がある。・・・・
・・・・分福とはどういうことであるかというに、自己の得るところの福を他人に分ち与えることである。たとへば自己が大なる西瓜を得たとすると、その全顆を食しつくすべくも無かつた時、その幾分を殘し留むるのは惜福である。その幾分を他人に分ちあたへて自己と共にその美を味はふの幸を得せしむるのは分福である。またたとえば自己が一つの小な蜜柑を得たる時にしてこれを食い尽すもなおその足らざるを覚ゆる如き場合にも、その半顆を傍人に分かち与えるはすなわち分福である。・・・・。
惜福は自ら抑損するので、分福は他に分与するところあるのであるから、彼は消極的、此は積極的なのである。」

福は惜しむべきで、ジャブジャブと無駄に使うべきないといっていました。しかし、福を独り占めして惜しむのではく、福は周りの人にも分け与えるのがよいといっています。
そして、分け与え方にも二通りがある、十分にあり余っている福を分け与える。自分が足らなくてもその福を得た喜びを周りの人たちと分かちあう。

マイクロソフトのビル・ゲイツが、マイクロソフトの経営を隠居して、今までパナソニックの創業者、元、松下電器の松下幸之助は、PHP研究所や松下政経塾などをつくり、人の生き方や会社の経営の仕方や政治の在り方は何かを問い、物質的な繁栄だけでなく平和と幸福が添うことが大切だと問い続け社会還元のために使いました。また、松井や野茂なども大リーグで活躍して得た報酬を、日本の野球振興のために、還元して使っています。俳優などでも社会福祉や社会事業の活動に参加さしている人は多いです。
また、大きな会社や小さな会社などでも、事業で得た収益を社会還元をしています。
日本の江戸時代からある老舗などの家訓にも、次のようなものがあります。
私費を割いて公共事業に取り組め(キッコーマンの茂木家)。
勉めて公共事業に尽くせ(菊正宗の嘉納家)があり、菊正宗は現在の進学校で有名な「灘高」を作っています。
これらは昔からの儒教の教えや、中国の古典の中に勉めて行うことが、善とされているからだともいえる。

裕福な人がその富を、分かち合うのはよく聞くことですが。なかには、露伴が書いているように「世には大なる福分を有しながら慳貪鄙吝の性癖のために、少しも分福の行爲に出でないで、憂は他人に分つとも、好い事は一人で占めようといふが如き人物もある。」のです。

しかし、それより明日の生活も事欠くひとが、自分が得たわずかな福を、周りの人に分け与えることは、あたりまえのようによく見られることです。
富みに目がくらみ富が欲を産み逆に貪欲の貧里に迷うがごとくです。白隠禅師の和讃に「たとえば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり 長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず」といっています。善い行いには、善い結果が得られます。悪い行いには、悪い結果が待っています。欲の煩悩・執着をすてさり必要以上の欲望を抑えることにより。分福の理を知り行うことができるのでしょう。
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宮崎駿スタジオジブリ 『熱風』

宮崎駿のスタジオジブリが小冊子『熱風』を出していますが、その7月号特集が、インターネット上で緊急PDF配信されています。

憲法改正につてです。ダウンロードは無料、配信期間は8月20日18時までです。

無断転載、無断リンクを禁止ですので、ジブリのWebページにリンクを貼っておきます。
ジブリのWebページ http://www.ghibli.jp/


また、PDFのURLは以下です。

http://www.ghibli.jp/docs/0718kenpo.pdf

宮崎氏の、生い立ちや憲法観が書かれています。
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生ける物を殺し遊び楽しまんは畜生の類

大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、嫉み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。
すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。

徒然草  吉田兼好

だいたい生き物を殺し、傷めつけ、闘わせて、弄び楽しもうとする人は、畜生残害と同類である。全ての鳥や獣から、小さな虫までも、意識してその様子に眼を向けて視ると、子を思い、親を慕い、夫婦連れ添い、嫉み、怒り、欲など多く、己の身を気遣い、命を惜しむこと、もともと備わったものだけに人よりも激しい。それらを苦しめ、命を奪うことは、大変痛ましいことだ。
全ての生きるもの対して、慈悲の心を持たないのは、人として守り行うべき人道に反するといえる。


人の行いをみてみると、今の世の中に戦争や争いが渦巻き、人を騙して儲けようとしたり、人を貶めて自分だけの利をえたりする人が実に多いことです。
それらとは関係ないと、平和の中で涼しい顔をしている人も、毎日の生きる糧においては、生き物の命を奪って生きていることを忘れている人が実に多いことと思います。

動物を見世物として殺したり、いたぶったり、格闘させて喜んでだりすることがあります。よくよく考えるとそのようなことをすることは人間のすることではない。畜生がお互いに噛み殺し合っているのと同じだ。この世に生きとし生けるもの全て、鳥獣から、一寸の虫までもが、自分の生命を維持するために他の生命を奪い食べている。そのうえ、子孫を残すために子を守り懸命に生きています。それを人間のわが身の勝手で、動物をいたぶり殺したりすることを平気な気持ちでいるのは異常でしかない。
また、人間同士でも己の欲のために争うのも、動物以下の所業というほかない。人同士の争いだけでなく人間が生物界の頂点だと驕り高ぶり自然をコントロールできると思い込んでしまうのも、この短い命の小さな虫から見れば滑稽に見えるかもしれないです。
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テーマ : 日本古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

デトロイトの破産他人事ではない

デトロイトの破産他人事ではないです。

「炭坑の街」夕張でジャブジャブお金を使い、炭鉱閉山により破綻した夕張市。それは巨額の債務を抱えながら、不適切な会計処理で隠蔽して、それを隠していたことがばれて、夕張市民や日本中が驚きました。
これと同じようなことが、アメリカは車の街とされたデトロイトで起きています。

いまこれから、お金をジャブジャブ刷って公共投資して景気浮上を目指す我が国の将来を見るようです。


明日いよいよ参議院員選挙です。

今年の選挙程、誰に投票しようか迷う選挙はなかったです。
だからと言って、棄権したり白票を投ずるのは今まで以上にしたくない国政の情勢です。
しかし、いまの日本が舵をきろうとしている方向が、本当に日本の将来になるのかならないのかを、今日一日考えてみたいとおもいます。

今日も暑い熱い一日になりそうですが、篤い心で厚く考えて過ごそうと思います。

日本のいたるところで、バブル以前から縦横十文字に高速道路と新幹線を建設するまえから、地方都市の崩壊がジワジワ進んでいたと感じます。
それが、あと数年後に地滑り的に崩壊が起きなければいいなとおもいます。
高速道路の車は急に止まることはできませんが、緩やかに制動装置を踏み込んでブレーキを利かせていくことは必要でしょう。

その制動装置になる政党に票を入れようと思います。
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

小野小町の話

卒塔婆小町の話をこのブログに書きましたが、小野小町は生没不詳ですが、小町の関していろいろな話しが残されています。
その中に次のようなもを見つけたので二つ紹介しておきます。

 山形県東田川郡に伝わる伝説。

ある日、山形東田川に住んでいた出羽の郡司、小野良真という男がいた、その男には妻と二人の娘がいたが、妻に先立たれたので後妻むかえた。
そのの後妻が、先妻の残した娘二人を、池に掛かっている萩の茂った橋を無理やりに渡らせ、池に落として殺してししまった。二人の娘がいないのに気付き、男は捜しに出かけると、真っ白な鳥が飛んできて盛んに鳴きました。その声は良真には「萩八束手折りし、土で火を焚けとや、ざるで水汲めとや、萩の橋渡るとて、ざんぶらのこぶら」と聞こえた。良真は娘が居なくなった真相を知ると怒って、後妻を追放て、愛娘を非常に可愛がってて、先妻の娘を大切に育てました。この娘が成長して小野小町になったということです。


米沢には、小野小町に関する伝説がたくさんあり、小町が発見した湯、小町の住まい跡、卒塔婆小町にも出てくる、深草少将が小町を慕い京都から米沢へ後を追ってきが、小町はすでに亡くなっていて美人塚に葬られていた。
そしてその美人塚は小野小町の墓とされ、蛇がよくでるので墓を調べたら、髪の毛が蛇になっていたと言われます。

いずれにしろ、美人はいつまでも名を残すのですね。
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数に任ずれば労すれども功無し

淮南子 巻第一 五
        劉長

夫れ大道を釈てて少数に任ずるは 以て蟹をして鼠を捕らえしめ 蛙に蚤を捕らえしむることに異なることなし 以て姦を禁じ邪を塞ぐに足らずして 乱すなわち逾々滋し 昔し夏の鯀九仞の城を作るに諸侯これに背き 海外を狡心有り 禹天下の叛くを知るや すなち城を壊ち職を納る 諸侯を塗山に合むれば 玉帛を執る者万国あり。
故に機械の心 胸中に蔵すれば 則ち純白の粋ならず 神徳全からず 身に在る者すら知らず 何の遠きをかこれよく懐くれる所ぞ 是の故に革堅kれば則ち兵利く 城成れば則ち衝生ず 湯を以て沸けるにそそぐが若くして 乱すなわち逾々甚だし 是の故に猛犬を鞭うち 暴れ馬を策ちて 之を教えんと欲すれば 伊尹・造父といえども化かすこと能わす 肉せんと欲するの心 中に亡ければ 則ち飢虎も尾す可し 何ぞ況や狗馬の類をや 故に道を体する者は逸すれども窮せず 数に任ずる者は労すれども功無し。


大道をすることを停めたり棄てて、目先のことだけに捕らわれて行うのは、カニに鼠を捕らせるようなもの。カニに鼠を捕らせると逆に、ネズミはカニを食べてしまいまったく逆効果、悪い災いを被ることになってしまいます。
昔中国の夏の鯀が大きな高い城を築いたところ、周囲の諸侯が敵国などの通じるものが出てきた。これに気づいた息子の禹は、城を建てるのをやめ堀を埋め、財宝を放出して武器を棄て恩徳の政治を行ったところ、周囲の諸侯はみな従い献納が絶えなかったという。

この部分を読んでいると。今の日本の様子を諭しているように思える。
先の世界大戦で強靭な帝国を築こうとしたが、激しい抵抗の合いました。そして日本は戦争に負け武装解除しました。それにより戦前以上に経済は発展しました。主権は国民による政治を行い自由と平等で人権が保障される国になり、諸外国からも高い信頼と評価を得ることができました。しかし、ここ10年程前から、再び大きな城を築き始めたころから、周辺諸国から見る目は嶮しくなってきました。そして、国の外だけでなく国の内も同じように国民の生活が今までと違う方向に歩始めているようです。

淮南子では、いろいろと才知をめぐらした行いになってくると、本来あるべき純白の心は穢され、今まで持っていた徳や信頼も綻びが出てきてしまう。そして、ますます自分の身を保つために才知をめぐらすと、本来のことに気を配ることができなくなり、ひいては周囲の人からも見放され信頼が失われてしまう。
そしてますます。周囲と険悪になり甲冑を堅固にすると相手の剣は鋭利さをまし、城を高く築くと相手は城を攻め落とす方法を考えてくる。
それは火に油を注ぐようなもの、油に水を注ぐようなもので事態はますますひどくなる。
暴れ馬を調教するのに、やたらと鞭を使いますます馬を調教できなくしてしまうようなもの。食べてしまおうといく気が無ければ、飢えた虎でさえ連れ歩くことができる。ましてや犬や馬となればそれを知っていれば調教はたやすいことである。
それと同じことで、大道を十分理解しているなら必要以上のことをせず、いろいろと小技をつかい才知を巡らすことをしない。逆に言うと小技を使ったり才知を巡らすことは余分な気苦労をするだけで得ることはなにも無い。

参議院選挙の結果がでましたが、選挙演説でも国民が一番知りたいことを話さず、耳障りのいい言葉や目先の良い結果だけをとなえ、これからの政治の課題は国民がよくしっていると話題にしなかったです。
このことなどから、今の政治家誰にも読ませたいことばです。特に今大きな権力を握っている人に読ませたいです。
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日本の憲法について考えるために。

自民党が参議院選挙で圧勝し、憲法改正の議論が始まるでしょう。
そのためには、憲法とはなにか、そして日本の憲法はどうなっているのかをよく知っておくべきです。

わたしは、去年の暮れから今年の初めにかけ、憲法について考えるために、自分のメモとするため、このブログに過去の日本の憲法から、現行の憲法、そして自民党の憲法草案を載せてみました。
もし、憲法について考えられるなら参考にしてみてください。

憲法を考え直すために
http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-1016.html

憲法改正のための国民投票法
http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-1014.html
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テーマ : 憲法改正論議
ジャンル : 政治・経済

植福の説

幸田露伴は「努力論」で、福には「有福」「惜福」「分福」とがあり、「有福」は、天に矢を射るように、その福の力が劣れえると落ちてくる。そこで大切なのが「惜福」「分福」だと書きました。
そして、さらに露伴は「植福」が一番大切だと書いています。
「植福」とは何かというと、露伴は次のように書いています。
「我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情報や知識を寄与する事をいうのである。即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである」。
すなわち「植福」は、今現在の福ではなく将来の福の殖産で、ある日の幸せためのものです。今の時点から幸福の種を蒔いて精進しすること。いずれ過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分があるのですから、今から良い種を蒔き続ければ、ある日に芽がでるのです。

露伴は「植福」には二つあると書いています。
「予は単に植福と云つたが、植福の一の行為は、自ら二重の意義を有し、二重の結果を生ずる。何を二重の意義、二重の結果といふかと云ふに、植福の一の行為は、自己の福を植うることであると同時に、社会の福を植うることに当たるから之を二重の意義を有するといひ、他日自己をして其の福を収穫せしむると同時に、社会をして同じく之を収穫せしむる事になるから、之を二重の結果を生ずると云ふのである。」

要は、植福も二つあり一つは、自分のため、そして一つは社会のためにあると言っています。

そして、露伴はリンゴの木を植えることに例えて、
庭に一のリンゴの木あるするとすれば、リンゴの木は毎年花が咲き、実をならしリンゴを味わうことができる。これを有福という。
そのリンゴの実をみだりに沢山ならすのではなく、木の堅実と負担をかけすぎないために間引きしたりするのは、惜福である。
リンゴの実が沢山成ったときは、自分だけで食べるのでなく近所の人や友達に頒つのが分福である。
そして、植福とは、新にリンゴの種を播きて育てることや、挿し木や継木をして将来実をならせることが植福である。また、悪い木によい木を接いで、美味しい実をならせるのも植福である。

植福とは育てることであり、その育て方によって福が沢山にもなり、少ししか福がないこともあるのです。

有福、惜福、分福、植福とあるが、どの福も大切なものですが、特にこの植福のあり方が、依然と比べ変わってきているように思える。それは、日本だけにいえることではなく、経済が発展してきている国ほど、この三つの福も相手のことを考え思いやる福が薄れて、自を重きに置くようにきているようです。
これは、産業が未発達だとものがなく、周囲の誰もが貧しいのでものを共有して過ごしていた。しかし産業経済が発展しものがあふれてくると、所有欲が強くなり、己のための福を主きに起き考えるようになるからだろう。ただ最近若い人たちの間で、シェアー仕合という考え方が生まれてきているようです。自分で独占するのでははく、互いに融通しあい共有しあうことは、生産して消費は美徳の考えを変え産業構造も変える可能性も在るように思えます。
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自然の本性に逆らってはならない

夫れ峭法刻なる者は 霸王の業に非ざるなり。鞭策繁く用いる者は 遠きを致すの御に非ざるなり。離朱の明は 箴末を百歩の外に察するも 淵中の魚を見ること能わず。師曠の聡は八風の調べを分かつも 十里の外を聴くこと能わず。故に一人の能に任ずれば 以て三畝の宅を治むるに足らざるなり。道理の数に従い 天地の自然に因れば 則ち六合も均しくするに足らざるなり。是の故に禹の涜を決するや 水に因りて以て師と為し 神農の穀を播くや 苗に因りて以て教えと為す。
淮南子 原道 六 劉長

法や刑罰を厳しくするのは王なる者がすることではない。御者が遠路を鞭で厳しく打って進むことをしないように。離朱の目は百歩先の針の先を察知したが、水辺の魚を見ることができなかった。師曠の耳は八方の風音を聞き分けたが、十里先の音は聞こえなかった。すなわち、一人の能力に頼っては、一つの家も治めきれないのが道理である。天地の自然その有りのままを尊重してすすめるなら、天地自然も穏やかの平らになる。兎は洪水を治めるのにその水の性質を師とし、神農は穀物の種を蒔くのにその苗から教えを乞うた。


このことは国の君主だけにいえることでなく、日常の生活に於いてもいえることであり、特に物事の指導者にとっては重要な教えでしょう。
会社の経営や学校の部活動等で、失敗したからとかやり方が間違っているからとかで、その人たちを厳しく処罰したり処分するのは、その人のやる気をなくし組織自体も萎縮してしまうものです。その上ここにかかれているように、多くの人の能力を集め聞き入れることが大切であり。また、天地の自然の原理に教えを請い従うことが大切なのでしょう。


このあと、淮南子には次のようにかかれています。
浮き草が水に根を浮かべ、木が土に根を張り、鳥が空を飛び、獣が地面踏んで走るなどは、自然の本性でそれに従うのがよい。すべてのものが自己に相応しいものを手に入れ、その場に落ち着くのである。だから、聖人は自然ものにその存在を無視して手を入れたり加工しないのである。と書いてあります。

このことを考えると政治も同じで、先の参議院選挙で自民党が大勝したのは、自民党が支持され大勝したのではなく、民主党などの野党が烏合の衆と化して余りにも自党の票のことを考え、本来のその党のあり方を逸脱してしまったから、市民の心が離れてしまったのでしょう。


そして、最後の淮南子は次のように纏めています。
樹木を移植しようとする時、その自然の本性に逆らってしまうなら、樹木は枯れてしまう。物本来の形や在り方の本性は変えることが出来ないものである。それに相応しい在り方や環境の中でしか活動する事はできない。つまり、物事を行う正しい道にたいし、深くその道を知っている者は清らかに静けさに変えることを大切にしている。とある。
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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

哀れ思い 引く手を留む

暑中かな 此の名無し草 風揺られ
    哀れ思い 引く手を留む
竹林Q

暑い日中に、庭の草引きをしていると、雑草も此の暑いのに賢明に生きて、小さい花を咲かせていることを思うと、むげに刈り取ってしまうのは、何とも哀れに思う。
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

藤原陳忠坂より落ちた話

信濃守藤原陳忠、御坂より落ち入りし語
今昔物語 巻第二十八 第三十八 

今は昔、信濃守藤原陳忠と言う者がいた。
任期を終え国元に帰る行列は、人馬の数 数知が分からないぐらい長い列だった。
途中、深い谷を越える時に藤原陳忠の乗った馬が、懸橋の端の踏み外してしまった。そのため、陳忠も馬諸共にま逆さまに谷底に落ちてしまった。家来たちはこんなに深い谷に落ちたのだから生きてはなかろうと思ったが。
谷の脇に生えている二十尋もある杉木の谷に突き出ている木の枝から谷底を見ると、陳忠は怪我一つもしていない。家来たちは谷底から助けようと思ったが、下に降りる道が一つもなく思案していると、下からなにやら陳忠の叫び声がする。よくその叫び声を聞けば「旅籠を下ろせ」と叫んでいる。
そこで、家来たちは旅籠に長い縄を結わいつけ旅籠をおろした。
しばらくして、「旅籠を上げろ」と叫び声が聞こえる。家来たちは旅籠を引き上げるが妙に軽く不審に思いながらもあげると、駕籠の中には陳忠おらず、平茸が山のように入っていた。
再び「旅籠を下ろせ」と叫び声が聞こえたので、家来たちは再び旅籠を下ろすと。また、下から「引き上げろ」と声がしので家来たちは旅籠を引き上げると。
そこには、両手いっぱいに平茸を持った陳忠が乗っていた。家臣たちは無事に陳忠が引き上げられたことを喜びあい、陳忠に問うた「あの平茸は何かゆわれがあるのか」と。陳忠は「馬は真っ逆さまに落ちtいったが、自分は木の枝に引っかかり、その枝を見ると、其の平茸が沢山生えていた。自分が引き上げられこの平茸をこのまま見捨てるのは忍び難く、まずは旅籠いっぱいにいれて吊り上げさせた」。そしてさらに、「汝らよ宝の山が目の前にあるのに、それを見過ごしてそのままにしておくようなことがあろうか、ほっておいたら実に損をした気分になってしまう」。と。
これを聞いた家臣たちはみな、陳忠は信濃の任期中に取れる物は全て取ったに違いないと想像して苦笑しました。


藤原陳忠はこの話しにより、利権を貪り食う人物の代表のように見られています。

いつの時代も己の欲にかられて利権を貪り食う人はいるものです。しかし、民主主義が行く渡り法治システムが機能しているくにでは、そのような輩は少なくなってきているものでしょう。そのような人がでてきても、法の下での権力機構は許さないでしょうし、その網の目を潜ったり抜けたりするものはマスコミが見逃さないでしょう。
また、今はグローバルなSNSのソーシャルネットワーキングサービスの普及により、庶民も声を出しやすくなっています。ブラック企業などが問題になっていますが、人を食い物にして己だけが儲ける人たちも、それらにより何れ見過ごされないように、多くの市民は広く深い目でそえらを見て、声を出すときは声を出さないといけないでしょう。そうしないと、眠れる獅子のままでサーカスのライオンのようにいつまでも言いようのされてしまうばかりです
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テーマ : 哲学/倫理学
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二位の尼の入水

平家物語によれば
安徳天皇は、壇ノ浦の合戦で源義経に討伐されてしまいました。

その時、安徳天皇とともに入水したのが、平清盛の妻、建礼門院・平徳子の母、そして、安徳天皇の祖母である二位の尼殿である平時子でした。三種の神器の「神璽(勾玉)」「宝剣(草なぎの剣)」を携え、安徳天皇を抱きました。

「われは女なれど、敵の手にはかかるまじ。安徳天皇のお供をする。御志を持つ人は、急ぎ続きたまえ」
八歳の安徳天皇は、
「尼前は、われをどこへ連れて行こうとするのだ」と尋ねると。
時子は、
「君はいまだ知らないのですが、前世の十善戒行の御力で今、万乗の帝王として生まれました。されども、悪縁に引かれ、御運すでに尽きました。まず、東へ向かって手を合わせ、伊勢神宮においとまを申してください。その後は、西へ手を合わせ、西方浄土の迎えがくるように、念仏してください」
さらに時子は、
「この国は、粟散辺土と申し、もの憂いところです。あの波の下にこそ、極楽浄土という、めでたい都があります。そこへ、お連れして参ります」といい、安徳天皇を抱き
「波の底にも都がございますぞ」言って、海の底の水屑となりました。

この国は前政権党の時から、粟粒が散らばる辺鄙な国となり、思うように物事が進まず息苦しいところです。波の下には一切の苦しみや悩みから解き放たれた安楽の世界があり、これからそこへつれていってあげる。
選挙に大勝た与党たちは言っているようです。

しかしそこは西方浄土でも極楽浄土でも竜宮でもなく、ただ、平家の恨みと苦しみを甲羅に秦武文の怨みを抱いた霊であるといわれる武文蟹(平家蟹)が貝を背負って身を隠しながら生きている場所でした。


しかしそこは西方浄土でも極楽浄土でも竜宮でもなく、ただ、甲羅に秦武文の怨みを抱いた霊であるといわれる武文蟹(平家蟹)が棲んでいました。そしていまも平家の恨みと苦しみをも甲羅に背負った平家蟹が、貝を背負ってその怨霊の醜い甲羅を見せまいと、身を隠しながら生きているるのです。
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テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済

謡曲 碇潜

昨日、平家物語の安徳天皇入水のことを書きましたが、能に「碇潜」と言うのがあります、壇ノ浦の戦いを題材にしたものです。

あらすじは次のようなものです。
平家に縁のある僧が一門の弔いのために壇ノ浦を訪ねます。途中で年老漁師に出逢い便船し、僧は源平合戦の物語を所望すると、老人は能登守教経が義経を狙ったが八艘飛びで逃げたために討ち漏らし、ついには源氏の兵を両脇に挟んで入水した有様を語って自らの回向を頼んで消えて行く。
僧が夜もすがら弔っていると平知盛 二位殿 大納言の局の亡霊が現れ、長刀を振るって奮戦した様子、碇を戴いて海底に沈んで行った最期の様子、安徳天皇の入水の様子を見せ、平家滅亡の様子を見せて消えます。


この謡曲「碇潜」のなかで、新中納言知盛が、二位殿にもはやこれまで、浪の底沈んで一門供奉し申す。と言うと。

クセ> 涙を抑へて宜へば。二位殿は聞しめし。心得て候ふとて。しづしづと立ち給ひ。いまはの出立とおぼしくて。白き御袴の。つま高う召されて。神璽(八尺瓊勾玉)を脇に挟み。宝剣(天叢雲剣)を腰にさし。大納言の局に。内侍所を戴かせ。皇居(安徳天皇の玉坐)に参り脆き。いかに奏聞申すべし。此国と申すに。逆臣多き処なり。見えたる波の底に。龍宮と申して。めでたき都の候。行幸をなし申さんと。泣く泣く奏し給へば。
シテ> さすが恐ろしと思しけるか。
地「龍顔に御涙を。浮めさせ給ひて。東に向はせおはしまし。天照大神に。御暇申させ給ひ。其後西方にて。御十念も終らぬに。二位殿歩みより玉体を抱き目をふさぎて波の底に入り給ふ。恨めしかりし事どもを。語るもよしなや跡弔へや僧たちと。夜すがらくどき給ひしに。俄にかきくもり。虚空に鬨の声きこゆ。
シテ> すは又修羅の。
地「合戦の始まるぞや。
シテ詞> 波の上に浮び出でたるは何者ぞ。なに修羅の大将無明王とや。あらものあらものし上北面下北面。宰相三位弁の蔵人。物故の百官たてをつき。あれ逐つ払へ。又修羅の嗔恚が起るぞとようらめしや。
とあります。
安徳天皇を抱いた、二位殿(清盛の妻時子で安徳天皇の母)が、歩み板を進み、西方浄土の方に向かって念仏を十辺繰り返すか返さないうちに入水する。すると、戦死した平家一門の霊が、悟りを妨げる無明の煩悩が怒りとなって、海面の波間に漂い起きるる。


何とも悍ましい光景です。現世の今、未来は明るいと耳に心地よい言葉を聞かせれていますが、先進国では最悪の財政状況、高齢化でますます福祉財源は膨らみ、少子化で労働人口は減り、企業は生産拠点を海外に移し、日本国内の生産力技術力は落ちるばかりです。

国民は経済成長など耳触りのよい言葉に期待しています、しかしそのはんめんほとんどの人は疑いの気持ちもあります、それをわかっていながら何度でもだまされてみよう、竜宮や西方浄土に行けると夢みています、何とかならないものかと思います。
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天台小止観を読む 4-0

天台小止観 第四 調和 4ー0

天台小止観では、いよいよ坐禅の仕方について述べてくるのであるが、その中でも一番大切なことは「調和」が大切だと述べている。

そして調和とは何か、五つの法を調えることで、
一に 飲食を調節する。
二に 睡眠を調節する。
三に 身を調える。
四に 気息を調える。
五に 心を調えること。

それではなぜ、これらを調える必要があるのあ。それにたいして、小止観は土で焼き物をつくることと、琴で音楽を演奏そることを例えにして説明している。
陶芸家が様々な土でいろいろな技法で技法で多種の器をつくるとき、それぞれの土や技法や器の形に合わせて、土をこねる。

このとき水加減や練り具合を、轆轤を使うならそれに丁度よい具合の柔らかさに整え、手捻りで造るならそれに合った硬さに水加減を調節して土を練るものです。もし、轆轤で造るとき水分が多すぎると、形が崩れてしまい、手捻りで造るとき、よく練らずに土の中に空気が入っていると、焼成するときに割れてしまったりします。
琴を弾くときも、演奏の前には必ず絃を調え、緩急それぞれに合うように調えて曲をひきはじめます。日本の古典芸能である能をみていると、小鼓方や大鼓方などを見ていると、演能中でもしきりに、鼓の皮に息を吹きかけ湿らしたり、紐を締め直したりして音色を調える作業をしています。オーケストラなどでも開演前に奏者が舞台裏でも、舞台に登場してからでも自分の楽器の音の出方を調え、そして、他の奏者との音の出方を調えています。これらをすることにより絶妙な曲が演奏されるのでしょう。

坐禅をするときもこれと同じように、五つのことが適当な塩梅な状態に整っている必要があり、そのときに初めて、雑念を捨て、精神を一つの対象に集中することができると書いてある。もしそれらが調っていなければ、さまざまな雑念が妄念が沸々と涌きおこり、集中する事ができないので、坐禅に入ることはできない。

つぎから、この五つを一つづつ読んでいきます。
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天台小止観を読んで 4-1

天台小止観 第四 調和 4ー1

天台小止観で坐禅をするのに調和が大事だとして、その第一の、食を調えることを上げています。
道元が普勧坐禅儀で、参禅は、静室宜し、飲食節あり。説いています。
また、禅宗で食事は大切な修行の一つとしてい、食事を作る人もそれを戴く人も修行の一つとして取り組めと、道元は「典座教訓」と「赴粥飯法」で詳しく説いて書いているほど大切なものです。

食事は本来体のもととなる物を穫ることであり、教えの道を進める活動を支えるるためのものである。
しかし、それを忘れて必要以上に食べ過ぎたりしていると、命の力や活動の根源となる心の働きや、心が揺ったりすることがなくなり、外界を知覚する心の働きがを失い、冷静に落ち着いて参禅することができなくなる。
そして、全身の具合が悪くなり、心が研ぎ澄まされなくなりますます参禅が出来なくなる。
逆に食べることが少なすぎると、体は羸弱して、修行をしようとする心はり薄れてしまい、思うことも考えることもうつろになり修行をしようとする心を引き締めて確実に行うことが薄れてしまう。
だから、食事のとりすぎも食事がすくなすぎるのも、参禅するためにはならない。

この食べ過ぎは、満腹中枢が刺激され頭に血が行かなくなり眠気を及ぼしてしまうなど、生理学的にも医学的にも言われていることで。


貝原益軒の「養生訓 第二巻 総論下」には次のようにある。
飲食は身を養ひ、眠り臥は気を養なふ。しかれども飲食節に過れば、脾胃をそこなふ。眠り臥すこと時ならざれば、元気をそこなふ。この二は身を養はんとして、かへつて身をそこなふ。よく生を養ふ人は、つとにおき、よはにいねて、昼いねず、常にわざをつとめておこたらず、眠りふすことを少なくして、神気をいさぎよくし、飲食を少なくして、腹中を清虚にす。かくのごとくなれば、元気よく、めぐりふさがらずして、病生ぜず。発生の気その養を得て、血気をのづからさかんにして病なし。これ寝食の二の節に当れるは、また養生の要也。

そしてさらに「養生訓 第三巻 飲食上」には次のようにある。
人の身は元気を天地にうけて生ずれ共、飲食の養なければ、元気うゑて命をたもちがたし。元気は生命の本也。飲食は生命の養也。この故に、飲食の養は人生日用専一の補にて、半日もかきがたし。然れ共、飲食は人の大欲にして、口腹の好む処也。そのこのめるにまかせ、ほしゐまゝにすれば、節に過て必ず脾胃をやぶり、諸病を生じ、命を失なふ。五臓の初て生ずるは、腎を以て本とす。生じて後は脾胃を以て五臓の本とす。飲食すれば、脾胃まづこれをうけて消化し、その精液を臓腑におくる。臓腑の脾胃の養をうくること、草木の土気によりて生長するが如し。これを以て養生の道は先ず脾胃を調るを要とす。脾胃を調るは人身第一の保養也。古人も飲食を節にして、その身を養ふといへり。

要は食べ過ぎは修行の妨げになるだけでなく、健康のためにもよくないということでが、益軒のこの言葉をよんでいると、日頃いかに不養生をしているかと反省させられます。

話しを天台小止観にもどし、
食べ過ぎも食べないのもどちらも、禅定を得る道にはならない。
また、もし穢たものや濁れたものを食べていると、人の心を暗い道に迷いやすくなる。体によくない刺激物を食べていると、感情や精神を興奮させてしまい、以前からある持病などが動いて来るし、体の調子も悪くなり気持ちを集中させ、雑念を退けて忘我の境地に入るこができなくなる。だからこの食を調えることは、一番初めにぜひとも深くこれらを慎み行わなければならない。そこで仏典に次のようにある。
・身が安ければ道は隆んである
・飲食に節量を知り
・常にねがって閑かな処あり
・心を静かにして精進をねがう
・これが諸仏の教えである

まさに、道元の言う、「静室宜し、飲食節あり」。です。
坐禅をするには、静かな部屋で、食べ物には節制をもちバランスのとれたもの、脂っこすぎず、刺激が強すぎずにないもので、自分の好みに偏って食べるのでなく、自分の身体に訊いて腹八分目六分目に食べるのが良いのでしょう。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
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記事へのコメント
  • 安倍首相の愛国心とは
    本当に教員? (09/10)
    興味ある内容なので拝読したが「教育勅語」を親孝行等の道徳ではなく戦争に洗脳させるためだとか思い違いも甚だしい。
    貴方が現役の教員であれば授業中が退屈で眠気が襲っ
  • トランプは白人至上主義者か
    アジシオ次郎 (08/07)
    おはようございます。

    アメリカにおいてまた立て続けに銃乱射事件が起こったけど、テキサス州・エルパソでのケースは容疑者がヒスパニック系に対する憎悪感丸出しの書き
  • 商業捕鯨に思う
    竹林泉水 (07/11)
    調査捕鯨のための捕鯨業者への補助金は、毎年数十億だときくが、商業捕鯨になればそれはカットされるのだろうか。商業捕鯨で補助金を政府がだしていたら、反捕鯨団体はどう
  • 商業捕鯨に思う
    アジシオ次郎 (07/08)
    おはようございます。

    IWC(国際捕鯨委員会)を脱退して今月から商業捕鯨を再開した日本、組織として機能していないIWCへの反発から脱退して商業捕鯨再開に至った
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
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    菅官官房長官は徴用工問題に対する報復ではないとの趣旨の発言をしている。
    しかし、誰が見ても徴用工に対するもににしかみえない。
    それを白々しくそうではないといい、よ
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
    アジシオ次郎 (07/05)
    おはようございます。

    韓国への半導体輸出規制という措置に踏み切った日本、でも韓国が徴用工問題を蒸し返すという日韓請求権協定に反する行為をしたことで、その見返り
  • 日本の報道の自由
    竹林泉水 (06/17)
    コメントありがとうございます
    まったくそう思います。
    民放は広告収入元のスポンサーからの収入があるので、その顔色を見るからしょうがないにしても、政権の顔色を見る必
  • 日本の報道の自由
    風と雲 (06/10)
    政権に不都合なことは隠す、曖昧にする、知らしめない。これは政権が世論を最も恐れっるからだ。現政権は硬軟取り混ぜた巧みなメディア操作と中身の無いパフォーマンスが功
  • 日本の報道の自由
    アジシオ次郎 (06/10)
    おはようございます。

    こういう指摘についてすぐに「内政干渉だ!」って反論も出てくるけど、日本の報道の自由度というか報道が健全かという点において先進国において❝
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