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天台小止観を読む 3ー5

天台小止観 3ー5

五つ目に坐禅をするとき、抱いてはならないのが、疑いを持つことだと言っている。

なぜ疑ってはいけないのかと言うと、信じる心が邪魔され妨げられるからだと言っている。信じる心がなければ、どんなに善いことでも、それを穫り入れることはできない。
疑う心はいろいろとあるが、それが全部が全部修行の邪魔をしてしまうものではない。邪魔をする疑いとは、次の三つだと言える。
一つは、自分自身を疑うこと、
二つは、師を疑うこと、
三つは、法を疑うこと。

一つは、自分自身を疑うということは、自分は頭もよくないし、日常生活の中で戒めを破ることが多く、俗世間のわずらわしい事柄にまみれてしまい汚れも多いので、いくら修行をしても同じだと思い込んでしまい、修行をして汚れのない人になるにそれに適した人間ではないと自分を疑ってしまう。このような思いに取り付かれてしまっては、禅定の法はいつまでたっても、修行の成果などは表れてこないのが当然である。
この思いをなくすには、なによりもまず自分自身を見下したり侮ってしまわないことである。自分の生まれつきもっているものには、測りがたいものがあることを信じることである。


二つは、師を疑うこと、
自分を侮ってはいけないのと同じように、これから指導してくれる師とする人を、侮るなことはならないことです。
自分を指導してくれる人を、自分より若からとか、容姿人が見窄らしい。このようなことを捉え、どうしてあのような人が私に教えることができるのかと、不信感や侮てしまっては、、驕り高ぶってしまうこと自体が、すでにこれから修行をしようとする心がどこかに行ってしまていて、修行の準備ができていないことになる。

しかし、人は往々にして、そのように人を自分と比べてみがちです。しかしそれは人からものを学ぶことにおいて、素直に学ぶことができない障害になることは明らかです。
経のなかにも、「臭い匂いの皮袋の中に金が入っている。この皮袋が臭いからといって、袋を捨ててしまっては金を得ることができない」。と言っています。
師の教えの中には尊い信実があるので、表図等だけをみて師を侮ってしまては、学び得るものはなくなってしまうから、疑ってはならないと言うことでしょう。

三つは、仏法を疑うこと。
人は今までの自分の教えられたことや、自分が信じていること、考えていることに執われて、新しい考えや今までと違う考えを受け入れるのを嫌う傾向があります。それは、今まで通りだとたとえそれが間違っていても、その結果が予測できるが、未知のことにたいしては結果の予測が困難なため不安になるからです。たとえそれが間違っていたり失敗することになっても、予測通りなる方が安心だからそちらを選んでしまうのです。
新しい教えなどのその法には、それを信じて受け入れることをしたがらないことが多い。もし疑いや猶予の心が生じてしまっては修行を最後まですることはできない。

そして天台小止観に、「疑いの義の偈」を上げているのでそれを紹介しておきます。

人が枝にさしかっかて
疑惑がはじまったら行くところがないのと同じである
諸法の実相のなかの疑いもまたこれと同じことである
疑う故に
諸法の実相を勤求しようとしない
この疑いは癡より生じたものであり
悪のなかの悪なるものである
善・不善のものごとのなかで
生死と涅槃は
定んで実なるものであって真にそれがある
なかにおいて疑いを生じてはならない
汝がも疑惑をいだいたとすれば
地獄の獄卒に縛られたように
師子に搏われた鹿のように
すくわれることができない
世にあっては疑いがあったとしても
まさに仏の教えには随うべきである
譬えば岐れ道を見たときに
利好の者はまさに逐うべきがごとし」
と。
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民主主義ってなんだろう?

一口に民主主義といっても、いろいろな形態たあります。

民主主義
・アメリカの民主主義 独立戦争により各入植地の住民が自治権を持って作り上げている。
・フランスの民主主義 革命により人民が勝ち取った。
・イギリスの民主主義 王の下に各王国が連立して国をつくる


・日本の民主主義 戦後アメリカの政策により作り上げられた
・中国のような国の民主主義 中国は労働者人民の党の指導のもとに、行われる民主主義
・ブータンのように、国王が民主主義を導入した、議会制民主主義


この三つは、フランスのように民衆が作り上げた民主主義ではない、押しつけられたり与えられたりしたものです、だとすれば民衆の中に民主主義の大切さの重要さをしらないので簡単に手放してしまう恐れもある。


アラブの春が来て、選挙による大統領がえらばれたエジプトは今混乱しています。
アメリカにより国を作り変えさせられた、アフガニスタンやイラクは、民主主義を目指しているが、互いの民族や宗教の違いを克服できず混乱をしている。
今のエジプトの混乱は、今まで政権を握ってホスニー・ムバラクは強権的でしたが経験がありそれなりにエジプトを国際的に信頼を得て治めてきました。
しかし、アラブの春が訪れムスリム同胞団がおすムハンマド・ムルシ大統領が政権を引き継ぎましたが、宗教的教えを強めて田勢力からの反対にあったのと、経験不足のため成果をおさめないまま1年で退陣に追い込まれてしまいました。


これをみていると、自民党から政権を引き継いだ民主党が3年で政権の座を明け渡さざるえず、再び自民党に政権が戻ってしまったことです。
ここで、エジプトと違うのは、エジプトでは民衆の抗議の声が高まり混乱が続いているが、日本では民衆の声の高まりはありません、逆に退陣した民主党には冷ややかな目を向けています。
民主党の敗北は民主党自身の問題と、官僚支配の政治の抵抗に遭ったのと、結果を早急に求めた市民にあったと思います。

こんどの参議院選挙は、どの党に投票しようか悩むところです。
今の与党に対抗する勢力が多数乱立しているので、票が分散して漁夫の利となる党がありそうです。しっかりと各候補者と党が何を訴えているのかを聞いて投票すべきでしょう。

エジプトやアフガニスタンなど国のように、暴力沙汰の混乱は困りものですが、宗教の教義など原理主義的なもので結束していくのも困りものです。

本当の民主主義とはなんだろう、民主主義を作り上げまもるにはどうすればいいのかを考えさせられます。
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お箸の使い方

先日、食事会がありました。そのとき人それぞれの箸の使い方がありました。箸をそれぞれのお料理をつつき交わし何か調べるひと、箸をねぶりながら食べる人、箸を持ちながら振り回して話す人、などなど様々でした。
そこで箸の使い方について考えてみました。

お箸の使い方に、してはいけないことがあります。そのいくつかを上げてみますが、だいたいはこのようなことはしないですが、なかにはついしてしまうものもあります。

・迷いばし…おかずをどれから食べようと、うろうろお箸を動かすこと。
・かみばし…お箸の先を噛む
・こみばし…箸で口の中に詰め込むように食べる
・ねぶりばし…お箸の先を嘗める
・せせりばし…それぞれの料理をつつきまわす
・じかばし…取り皿の料理を直接自分の箸で取る
・洗いばし…汁物などで箸を洗う
・仏ばし…御飯の上から箸を突き刺し立てる
・うつりばし…一度取ったものを戻し別のものに箸をつける
・くわえばし…箸をくわえて物をとったり動いたりする
・かきこみばし…器に口をつ箸で流しこむようかきこむ
・寄せばし…器を手で取らず箸で引き寄せる
・指しばし…箸で人や物を指す
・拾いばし…箸と箸で食べ物を人に渡す
・たたきばし…お茶わんやお皿をお箸でたたく
・まよいばし…どの料理を取ろうかと箸を指しながら迷う
・なみだばし…料理の汁けを切らないで取り、机の上に汁をこぼす。
・こじばし…料理を上から取らずに好きなものを下から箸で掘り出したりかきまわしたりしてとる
・握りばし…箸を手で握るようにして持つ
・持ちばし…箸を箸置きに置かず持ったまま汁椀の汁を飲んだりする
・横ばし…箸を二本そろえて握りスプーンのように使う
・振りばし…箸についた汁を振って落とす


お箸のマナーは、その人の生活の品をあらわしているといえます。それは、物を大切にする心の思いやりが、それぞれのお箸の使い方に表れてくると言えます。
言葉の使い方が美しい人は、身のこなしや仕草が美しいように。
食を戴く事に対するマナーや、心遣いや思いやりがあれば、お箸の使い方も美しくなるでしょう。物事に対しての思いやりのや生活の品や美学表れていると言えるでしょう。
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ある暑い夏の日の、こわ~い出来事

この写真をみていると、善良な市民が自分の思っていること感じていることを、静かに表現することは恐ろしいこともあるというこ感じます。

gooブログのウィンザー通信さんに次のような記事がありました。

福島のママ達に、 我慢しないで、という思いと願いをこめて、 プラカードかかげました。

    IMG_1476.jpg

    IMG_1476.jpg


暑い夏の、怖い怖い事件、

このあと、男性4人に取り囲まれ、住所、氏名、電話番号などを、聞かれそのボードを没収されたそうです。
警察官ですら正当な理由がないとできないですが、警察官でもないのに、そのようなことができるのでしょうか。

路上でもっと悪質な生業をしている人がいるのに、その人たちには大目に見たり、観て見ぬ振りをしているのに、素朴な小さな声を封じ込めようとしているのでしょうか。

このこと、総理は知っているのでしょうかまた、演説していたようなので、このプラカードは見ていたでしょうが、どのようにお思いなのでしょうか。
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食事を戴くこと

食事を戴くことにおける、マナーとは何のためにするのか。それは一緒にた食事をしている相手に不愉快な気持ちを与えないためでもある。しかし、それだけでなく、生き物である限り、他の生き物を犠牲にしていきている。そしてその頂点にいるのが人間です。それだからこそマナーなどよりも大切にしたいことががある。それは、目の前に置かれた食事ができあがるまでの、多くの物語があることを考え、それらそれら一つ一つに感謝し、畏敬の気持ちを抱くことにあるとおもいます。

しかし、人はそれを忘れた行いをすることがあります。それは、食を題材にしたテレビ番組などで、大食らいや食べ物を笑い物にした番組があり。またそれだけでなく飽食の時代で、繁華街などだけに限らず、多くの食べ物が食べ残され捨てられている事実です。


しかし、人は食に感謝し、食を行う事は忘れてはいないでうs。
そのことは、キリスト教では食事の前と後には、目の前の糧に対しての祈りがあります。
「食前の祈り」
頭と胸と左肩右肩と十字を切り「父と子と聖霊との御名によりて」。
主、願わくはわれらを祝し、また主の御恵みによりて、
われらのこの糧を食せんとするこの賜物を祝したまえ。
われらの主キリストによりて願い奉る。 アーメン。

「食後の祈り」
頭と胸と左肩右肩と十字を切り「父と子と聖霊との御名によりて。」。
とこしえにしろしめたもう全能の天主、
数々の御惠みを感謝し奉る。
願わくは死せる信者の霊魂
天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。 アーメン。

仏教でも、曹洞宗を開いた道元は食事作法について著した「赴粥飯法」で「五観」をいっています。

五観とは、
一には功の多少を計り 彼の来処を量る
ニには己が徳行の 全欠を忖って供に応ず
三には心を防ぎ過を離るることは 貧等を宗とす
四には正に良薬を事とするは 形枯を療ぜんが為なり
五には成道の為の故に 今此の食を受く

一つは、この一椀の食物は、たとえ一粒のお米、一茎の菜といえども、それが耕作され、種蒔かれて限りない人々の手を経て、いま自分に与えられていることを思い、感謝していただきましょう。
二つは、こうして無限の恵みによる食物を戴くについては、常に反省を忘れず、その恵みに値するよう、自己の向上を目指しましょう。
三つは、美食に向かえば貪りの心をおこし、粗末な食膳には怒りと不満をいい、毎日同じ食事にあえば愚痴をこぼす私達の心のゆくえを熟視し、これらの三毒の迷いを改めましょう。
四つは、薬は甘苦によって増減してはいけない。日々の食物は、この生命を支えるためにあり、美味・不味・好き嫌いの心を離れていただきましょう。
五つは、食物をいただいてこの身心を支えると共に、一切の生命に感謝し、この日々を、自他の向上としあわせを目指し、毎日を大切に生きていきましょう。

このように、食べ物を戴かせてもらうという、謙虚な感謝の気持ちが必要なのでしょう。
キリスト教では、神から戴いた糧を敬い感謝する。仏教では、己に悟りを開くため、目の前にある糧がどのような経路であるのかを考え、一粒たりと無駄にしないという心がけをする。

どちらにしろ、食べ物に感謝し大切にしたいものです。
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馬のクツワ

私は乗馬はしないので詳しいことはわかりませんが、馬に乗るときに必ず装着する大切なものがあるそうです。

クツワというもので、漢字で【轡】とかきます。英語ではハミというそうです。

馬の口にくわえさせて馬を制御するのに用いる用具です。

http://www.youtube.com/watch?v=PMfcc0hzGMU&feature=share
[馬のクツワが脳神経にあたえる影響]
http://www.youtube.com/watch?v=PMfcc0hzGMU&feature=share

馬は、前歯と奥歯の間に歯の生えない部分「歯槽間縁」がありそこに轡をつけて、馬を乗りこなすそうです。

この轡を使うことにより、人間が馬を思いのままに制御し、騎手の細かい扶助を口という非常に敏感な器官を通じて馬に伝え、複雑な運動や制御するのですの。

「馬の耳に念仏」「馬耳東風」という言葉があるが、言葉で伝えても分からないからと、「歯槽間縁」という非常に敏感な器官で馬の行動をコントロールしていたとはしりませんでした。

しかし、この「歯槽間縁」は馬にどのような影響を与えているのでしょうか。
騎手が馬を思いのままにコントロールするのは、実は騎手のクツワを通しての指示を馬が能動的に従っているのでなく、歯槽間縁からの刺激を受けて他動的強制的に制御されているのでしょうか。


最近の世の中の流れをみていていると、人も知らないうちにこのクツワのような、口枷を填めさせられてしまっているような人が増えてきているように思えます。クツワを填めさせられないように用心したいと思います。
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書は言を尽くさず、言は意を尽くさずと

人に物事を頼むとき、言葉でその意志を伝えて依頼します。例えば、コーヒーを飲みたくなったら、家の者に頼み、喫茶店なら店のマスターに頼みます。そうするとコーヒーはコーヒーカップに注がれてテーブルの上に出てきます。黙って自分でコーヒーメーカを使っても、コーヒーを飲むことができます。それでは、人に言葉でコーヒーを入れてくれるように依頼するのと、コーヒーメーカを使って自分で入れるとのとどれだけ違うのでしょうか。

そこで言葉は『機械』と言えるか? この問いに、

機械は使い手が自在に動かすことができるが、言葉は確かに物事を動かすことができる。しかし、それは往々にして自在に操ることはできない。人に意志や考えを伝達して、物事を成し遂げていくのだが、その中で意志の疎通に差がああり、時に行き違いになり思わぬ方向に向かうこともあるのが言葉です。

易経に次のようなことばがあります。
「子曰く、書は言を尽くさず、言は意を尽くさずと。」

文字では言いたいことは書き尽くせないし、言葉ばでは心に思っていることは言い尽くせない。
孔子は、易が文字や言葉では表現できない奥深い意義を持っていることを言いたいのです。

吉川幸次郎博士は「言は意を尽くさず」ついて次のように言っています。
「『言は意を尽くさず』というように、言語は、実体の部分的な指摘でしかない。言語の指摘が、実体を懸命に追跡、模写しようとすればするほど、指摘にもれたおおわれざる部分が増加するというおそれが、孔子にはあったのではないか。」


この言葉は、「易経」の繋辞上伝にあります。
「易に曰く、天よりこれを祐く。吉にして利ろしからざるなし。子曰く、祐とは助なり。天の助くるところの者は順なり。人の助くるところの者は信なり。信を履み順を思い、またもって賢を尚ぶなり。ここをもって天よりこれを祐く、吉にして利ろしからざるなきなり。
子曰く、書は言を尽くさず、言は意を尽くさずと。然ればすなわち聖人の意は、それ見るべからざるか。子曰く、聖人は象を立ててもって意を尽くし、卦を設けてもって情僞を尽くし、辞を繋けてもってその言を尽くし、変じてこれを通じもって利を尽くし、これを鼓しこれを舞しもって神を尽くす。」

易の「天よりこれを祐く。吉にして利ろしからざるなし」について、孔子は次のように言っている。祐とは助けるという意味であり、天が助けるのは天道に素直で天道に逆らわない人で、人が助けるのはまじめで偽りのない誠実な心な者である。易は、信実の徳を履み行い、天道に素直で逆らわないことを思い。さらに位が低くても賢人を重んじ大切にすることを心がける、そうであるから「天よりこれを祐く。吉にして利ろしからざるなし」と言う。
孔子は、文字に書き表したことは、言わんとしたことを書き尽くせない。口で言葉に言い表したことも心に思っていることを表し尽くせない。と言っている。
となると、易に書かれていることも、聖人が言いたい真意を読みとり尽くすことができないだろうか。このことについて孔子は次のように言っている。聖人は易を作るに当たって、八卦の思い描く象をたて、言葉では言い尽くせない内に秘められた深い意味を巡らし尽くし、さらに六四卦を設け、物事の表裏と真偽を注意深く探り、辞を繋けて言いたいこと思うことを尽くし、物事の陰陽の変化をみてその道理の流れを注意深く観尽くす。このことにより人を励まし奮い立たせ勇気の力の源がでてくる、これが易の人知では考えられない不思議な作用を尽くしたことになる。


世の中には根っからの悪人はいないでしょう、ほとんどの人は善人です。それでは善人どうしなのになぜ、いざこざが起きるのと、いえば、文字やや言葉によるやり取りによる、行き違いがあるからです。その行き違いが積もり積もって、引き返すことのできない誤解を生みそれが憎悪になり、争いになっていくのでしょう。
自分の生活の隣でも、日本の国内や隣国とも、地球のあらゆる、ところでいろいろな行き違いがあるようです。
言葉というものは、「書は言を尽くさず、言は意を尽くさずと」。言われるのでだからこそ、「聖人は象を立ててもって意を尽くし、卦を設けてもって情僞を尽くし、辞を繋けてもってその言を尽くし、」さないといけないのでしょう。
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テーマ : 名言・格言・ことわざ
ジャンル : 学問・文化・芸術

本当の本心があれが、迷うことはない

人心に一部の真文章あれども 都て残編断簡に封錮し了らる
一部の真鼓吹あれども 都て妖歌艶舞に湮没し了らる
学ぶ者は須く外物を掃除して 直ちに本来を覓むべく 讒に個の真受用あり
菜根譚 57

人の本心のなかには、理性のある信実の考えがあり、本当の深い意味があり、この心の声を素直に聞くことができれば、わざわざ先人の書物を紐解く必要がない。しかし、多くは周囲のいろいろな、とるにたらない下らない考えに取り付かれ、その人の本心は都合のよいように、自身が解釈してしまったり、また他人からも都合のよいように解釈されてしまう。

また、人の心の中にはすばらしい感性があり、歌や踊りなどの心を表すものをそなえている。この感性の心に気がつけば、わざわざ他の歌や踊りなどを聴く必要はない。しかし、とるにたらない先人の演舞にとらまれて、自分の素直な心を表すのに、時にその枠に縛られて自由に表現しにくくなるものです。
歌や踊りなどの基本は大切で、しっかりと稽古をしなくてはならないです。しかし、稽古をするなかで真似ることが稽古だととらまえられてしまい、その歌や踊りの本質やその道の奥義から離れてしまってはいけない。

物事を学ぼうと思ったり行おうとするときは、その考えを一度整理して、過去の事にとらまえられていないか、よけいな思いが入り込んでいないかをみて、もしそのようなものがあれば、部屋の中の塵を箒で掃き出すように一掃することにより、本当の自分の考えの考えや感性を見つけだし粗朶出てて行かなくてはならない。それが本当の自分を生かす道である。

見方や立ち位置を移して言い換えれば、政治家の言葉の本心は、みな素直な正しい言葉だと言えます。しかし、その言葉はその人の所属してる党の考えにとらまえられたものであり、また、その人個人の特定の理念に固まった考えからでたものです。そうなればその人の本心を表したものかと言えば、かなりそれとはかけ離れたものになってしまうものです。

そして、何より、先人の書き残したことや、歌や踊りなども、どのようにとらまえて、どう理解し、どう活用するかが大切で、それにより自分の考え方や立ち振る舞い方がかわってくるということでしょう。
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身体の歪

私の身体がどれだけ歪んでいるか、過緊張や逆に弛緩しすぎているか、自分なりの方法で毎朝ある気ながら調べてみています。その方法を紹介してみます。
ただ、調べたからといってそれに対して特段にないか、直すためのことをしているわけではなく、ただ日々自分の身体がそのようであると言うことを観ているだけです。

羅列して、書き残しただけですから、判りにくいですが、自分のメモとして書いたのであしからず。


歩行
目をつぶって、自分の体の歪みを診る
・床にビニールテープなどで印を付ける。
・印を跨ぐようにして立つ。
・目をつぶって膝を曲げ脚を上げて足踏みをする。
・10回 20回 30回 40回と足踏みをして、それぞれどれだけ始めの位置からズレているかを調べる。
* 注意 足踏をする周囲にはなにも置かない、人によってはかなり移動してしまう人もいるので、特に初めてするときは危険が無いように安全を確保しておく。

このとき、目を開けて立っていた位置からどれぐらいずれているかを診て、体の偏りが判ってきます。捻れていたり、一方に緊張があると、同じ所で足踏みがでず移動してしまいます。数センチやぐらいなら、意識を研ぎ澄まして、足踏みを心がけると矯正されてきてきます。しかし、自分の身体を意識して自分自身に問いかけるのは難しいです。

ズレた方向に体の歪みやズレがあると診られます。前や後ろ、右や左にずれるのは、スクワットなどで改善がみられるでしょうが、立ち位置の方向が変わっている人は、身体が捻じれて歪があるので整形院などで診てもらい、相談するのがよいと思います。


これから私自身がしている、自分の身体を意識する足踏みを書いてみます。
先ほどの足踏みと同じ要領ですが違う点は
・片手を前に出し、手のひらを矢状面側に沿って正中面に向けて足踏みをする。片方も同じ要領でします。
左右の違いを診ます。
・同じ要領でするが、腕を内旋、前腕を回内させて手のひらを外側に向ける。
・片手を真横に上げ手のひらは下側に向け同じ要領で足踏みをする。
・同じ要領で手のひらを前を向け足踏みをする。
・同じ要領で手のひらを後ろに向ける
・同じ要領で肘を曲げた状態で、手のひらの向きを変え足踏みをする。
・顔を真横に向いて、足踏みをする、このとき頸だけ旋回させ体幹はねじらない。

次に目を閉じて、10歩、歩いてみる。これも足踏みの時と同じように肩間接や肘間接を変えて歩いてみる。
出来れば直線のラインが引いてあるところがよい。自分が歩いているうちにどれだけラインがズレているか分かる。
これも、足踏みと同じように、手を挙げて歩いてみるます。

これらの方法により、体の偏りが判ってきます。捻れているのか、一方に緊張があるのか、一点で足踏みできない人が多いと思いますが、数センチや1メートルぐらいなら、意識を研ぎ澄まして、足踏みを心がけると矯正できてきます。
概ねズレた方向に体の歪みもズレていると診られます

これらを改善する矯正の方法として、長座で坐りお尻の左右を交互に前後させ、後ろに進むことにより改善されます。

また、足を肩幅より少し広めに拡げ、足先も30度ほど外側に開きます。ここで背筋を垂直にして股関節を曲げます。膝の曲がる方向は爪先の方向と同じ向きになるように曲げます。爪先と膝の曲がる方向が違うと、膝に捩じれがでて膝を痛めるので注意いします。

私は、早朝に散歩するとき、目を閉じて歩いて自分の歩いている方向がどれだけずれているかチェックしています。
また、もう一つ頭にプラスチックのお椀などを伏せて載せて、背筋が伸ばして歩くこともしています。どちらも、人に見られると恥ずかしいので、人のいないところでしています。(^_^)!~~
プラスチックでなく瀬戸物やガラスでもよいですが、落として割ってしまうと怪我をするので、プラスチックでするだけです。

お椀を伏せないで頭に載せて歩く。そのお椀が落ちないようになれば、水を入れて水がこぼれないように歩く。このことにより姿勢を正して歩く練習をします。ここで一番大切なのは姿勢を正そうと思って、逆に腰を反らしてしまわないように気をつけています。
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熱中症に注意することについて

暑くなってきました、熱中症に気をつけないいけないです。人間は、周囲の環境に関係なく、体温が常に一定に保たれています。人間に限らず多くの脊椎動物はその生体の温度を、一定に保とうとする恒常性があります。それだから、恒温動物というのです。
しかしヘビやカエルやカメなどは、自分の体の温度を一定に保つことができません。冬になり寒くなると自分の体の体温を保つことができず体温が下がり、活動力が低下するので冬眠をします。
カメは自分の体温を上げるために、夏は水面からあがり甲羅干し、冬になると体温が下がりすぎ活動ができなくなり冬眠します。

話を熱中症にもどします。熱中症は自分の体の体温の調節ができなくなり、体の熱が体の中に溜まり熱くなり、生体に障害が出てくる症状です。
本来熱ければ汗をかき、体温を下げようとするのですが、どうも最近その機能が衰えてきているのでしょうか。
いまは、どこに行っても冷房があり、家の中も職場も移動中の自動車や電車のなかも冷房がきき快適にすごせます。冬は冬で暖房がきいて快適にすごせます。人の体は自分で周囲の環境に合わせて、自分の体の体温を一定に保つことをする必要がなくなり。恒温という機能の働きが鈍ってきているようです。

このままでは恒温機能を忘れてしまい変音動物になるかもしれません。
これは冗談ですが考えてみれば、人間が変温動物になれば、冬は活動をしなくなるのですからエネルギーを使わなくなり。電力不足を心配しなくてもいいです。夏は夏で気温が高いので、体を動かすとその熱でより体温が高くなり、体は高温になりすぎ焼けてしまいうので、活動量を落とすのでこれもエネルギーを使わなくなり電力不足の心配がなくなります。
そして、真夏と真冬の電気は、人間が活動していない間、再び人間が活動するときのために、その環境を維持してくれるための機械を動かすためだけに必要なので、原子力発電所などは必要なくなるでしょう。

冗談はこれぐらいにして、熱中症だけには注意したいとおもいます。
わたしは、今のうちに汗をよくかく体にしておきたくおもいます。庭仕事と昼過ぎの散歩をしています。そのときに欠かさず持ち歩くようにしているのいくつかあります。
一つは、手ぬぐいです。これは、汗を拭うためだけでなく、濡らして首回りに置いたり、腕を拭いたりしてして体を湿らせ、温度を下げさせます。

一つは、梅干し入り麦茶。一つは、黒砂糖水です。こちらは水分補給と汗によりでた、塩分補給と胃が水の取りすぎで胃酸が薄くなり弱るのを防ぐためです。
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食べ物はどのように食卓にのぼるのか

私たちの食卓には、毎日おいし御馳走が並びます。その料理に使われる材料がどのようにして作られているのか。NHKなどのテレビ番組で、農家や漁業の方、畜産業の方が美味しい食材が、食卓に登るように大変な苦労と知恵と汗の結晶であることが放送されています。しかし、それと同時に人間の胃袋を満足させるために、いかなることがなされているかの知らないところが非常に多いのです。先にブログに書いた、賭場のようすなどを思うことなどはないです。

「動物の解放」という運動をされている方がいます。その中で紹介されている動物の虐待とも言える行為には、なんと私たちの食卓の上に乗る肉などは、このようにして作られているのかと、驚かされるものがありあます。
さきに、屠殺場のことのブログ記事をかきましたが、屠殺だけでなく食料となる肉をせ産する上で、神をも恐れぬような繁殖や飼育の方法がなされているのは、推測すればできたことかもしれませんが、そのようなことが行われて食卓の上に上っているなどとは夢にも思わなかったです。

私は、この「動物の解放」の運動が正しいとは思いません、逆におかしいと思うところがあります。この運動している人が訴える、それらの行為すべてを悪だとは思いません。それより、自分たちの生命の糧として戴いている食べ物は、このようにして食卓の上に上るのだと言うのは知っていてもいいとおもいます。そして時々でもいいですから、他の生き物の命を戴いているということを思いまし、人間の驕りにたいして反省しなくてはならないと思います。
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惜福の説

幸田露伴 [努力論]の「惜福の説」に次のようにある。
「船を出して風に遇ふのに何の不思議は無い。水上は廣闊、風はおのづからにして有るべき理である。しかしそのの風にして我が行かんと欲する方向に同じき時は、我は之を順風と称して、その福利を蒙るを得るを悦び、また我が方向に逆行して吹く時は、我はこれを逆風と称して、その不利を蒙るを悲み、また全くの順風にもあらず、全くの逆風にもあらざる横風に遇ふ時は、帆を繰り舵を使ふの技術と、吾が舟の有せる形状との優劣善悪によつて、程度の差はあるがこれを利用するを得るのである故に、余り多くの風の利不利を口にせず、我が福無福をも談らぬのが常である。
是の如き場合において風には本来福と定まり福ならずと定まつて居ることも無いのであるから、同一の南風が北行する舟には福となり南行する舟には福ならぬものとなるのである。順風を悦ぶ人の遇つて居る風は、即ち逆風を悲む人の遇つて居る風なのである。福ならずとせらるゝ風は即ち福なりとせらるゝ風なのである。して見れば福を享くるも福を享けぬも同じ風に遇つて居るのであるから、福を享けた舟が善い故福を享けたといふ事も無く、福を享けぬ舟が悪い故福を享けぬといふことも無く、いわゆるめぐり合せといふもので有つて、福無福に就ては何等の校量計較によつて福を享け致すべきところもないやうなものである。」

帆を持った船は、風まかせのように見えるが、それは船に乗る人の腕次第で、臨機自在にとはいえないですが、逆風でも風に逆らって前に進むことができます。しかし、操舵帆の扱いが未熟だと、逆風の中では前に進むことは難しく、自分の操船技術を悔やむしかないでしょう。

最近「自己責任論」を称える人が巷に多くなってきているように思えます。
そのような中で少し前のことですが、全盲の方がヨットで太平洋横断を試みようとして、それに同伴した人がいるがこの人も「自己責任論」を強く訴えた人の一人です。
しかし、出航直後救助を求めざるを得なくなり自衛隊に救助されました。原因はいろいろといわれていますが、ヨットは風任せ浪任せでもあり、吹いてくる風が順風になることもあり、逆風になることもあるものです。このヨットの捜索費を事故責任だからと賠償せよと言う人がいますが、ここで「自己責任論」を持ち出して批評するのはよくないと思います。

これと同じように、世の中の大海原で進学に失敗した、就職に失敗した、仕事や事業に失敗したからと、「自己責任論」で切り捨ててしまうのは余りにも、人でなしと言わざるを得ないです。しかし、この人たちに努力が足りないとか、自業自得だとかで片づけてしまおうとする声が、いつ自分もそのようになるかわからない身の人の巷からも聞こえてきます。
そしてもっとひどいのは、一部の政治家や事業の雇用主などから、その人の努力が足りないからなどと、自己責任論で片づけようする声が漏れ聞こえてくることです。
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熱中症

熱中症対策について、環境省が「熱中症環境保健マニュアル」を作っています。

それには、次のようなことが書かれいます。
(環境省の保健・化学物質対策に関する環境保健に関する調査・研究の熱中症環境保健マニュアル)
http://www.env.go.jp/chemi/heat_stroke/manual.html

ながくなりますが、その幾つかの内容を紹介しておきます。

環境省 「熱中症環境保健マニュアル」
1.熱中症とは何か
熱中症は・・・
・高温環境下で、体内の水分や塩分(ナトリウムなど)のバランスが崩れたり、体内の調整機能が破綻するなどして、発症する障害の総称です
・死に至る可能性のある病態です。
・予防法を知っていれば防ぐことができます。
・応急処置を知っていれば救命できます。

とあります、ようは暑さによる異常な体温上昇による脱水症状ということのようです。


そこで、予防策として次のようにかかれています。

保健指導のあり方
熱中症には、いろいろのタイプがあり、なかには死亡に至る事例もみられます。しかし、その多くは初期の対応・措置が迅速・的確であれば助かるのです。
 ここでは、適切な保健指導のあり方について考えます。
 熱中症の保健指導においては、以下のことに留意しましょう。

高温環境への理解
  最近の熱中症による死亡状況をみますと、乳幼児に多く、学童など低年齢層では減少しますが、その後は加齢とともに多くなり、男性では中・高校生、50歳代の中年層、そして70歳代、80歳代の高齢者に、女性では70歳代後半から80歳代の高齢者に
ピークがみられます。原因として、乳幼児では暑熱下で自動車に閉じこめられたなどの事故が多く、中・高校生では運動・スポーツ、中年層では労働や運動による場合が多くみられます。高齢者では家のなかで日常生活での発生も多くなっており、社会の高齢化とともに、経年的に高齢者の占める熱中症の割合が多くなっています。
 気象、環境面では真夏日や熱帯夜の出現日が多くなり、コンクリートでおおわれた都市部の暑熱地帯、ヒートアイランド現象も熱中症の発生に拍車をかけています。また、アスファルトの道路から照り返しによる輻射熱はきびしく、乳母車や小さな子供たちの活動空間である地表面付近は、より暑さのきびしい環境です。
 高齢者は直接日射の当たらない家のなかで、しかも夜間でも昼間の熱がこもり、熱
帯夜のような時には、寝ているうちに知らず知らずに熱中症になる場合があります。
また屋内でのスポーツの場合も、バドミントン競技のように風に影響されないよう閉めきった館内、あるいは剣道や柔道などのように防護具・衣を着用していますと放熱がさまたげられ、衣服の中の環境は、高温・無風・高湿の状態となります。熱中症の発生には、環境条件、生活活動、着衣状態が大きく影響します。


熱中症保健指導の際の基本的留意事項
・熱中症患者が増加する梅雨前など、予防の効果が期待できる時期から保健指導を始めましょう。
・予防の視点から、一般的な生活の中で起こりうる事例を使って話すようにしましょう。
  (例、冷房を切った自動車の中に赤ちゃんを寝かせ置き去りにしない。)
・冷房や服装、水分の補給に加え、普段の睡眠や栄養など、生活全体を把握して総合的な生活指導を心掛けましょう。
・熱中症が発生した場合の措置についても、迅速な対応・措置について具体的に指導しましょう。
  (例、涼しい場所に移動する。水分補給させる。体温を測定する。体を水や冷風で冷やし放熱する。)


保健指導のポイント
(1)身近な熱中症
高温多湿の日本の夏には、昔から暑熱による健康障害が多くみられます。以前には炭鉱での死亡がその多くを占めていました。今日ではこうした職場のみでなく、スポーツ活動の場での障害がみられ、またうっかり自動車に赤ん坊を寝かせ、あるいは高齢者が家の中で熱中症になったといったように、私達の身近で熱中症が発生し、暑熱による健康障害は一般化しています。熱中症の発生には、天気などの外部環境のみならず、衣服やその人の暑さへの抵抗力などの要因が関係します。
(2)幼い子どもや高齢者の場合
乳幼児を母親が買物などで自動車に寝かせていて戻ったらぐったりしていた、あるいは熱中症で死亡といった事故を耳にします。乳幼児、小児は体温調節機能がまだ十分には発達しておらず、暑いといった訴えもあまりありません。車のような狭い空間では気温が短い時間で上昇し、事故につながります。
 実際に夏の自動車での実験結果をみますと、晴れた日に車外の気温が25℃~ 27℃で、車の窓を閉め切ると車内の気温は50℃となり、これが1時間後には58℃、2時間後には62℃にもなります。こうした状態の車内で成人に座席に座ってもらい体温(舌下温)を測ると、はじめに36℃くらいの体温が1時間で38℃くらいとなり、最も上昇した人の場合には38.7℃を示しました。炎天下の車の中は灼熱地獄です。子どもが寝ているからといって、座席に残して車を離れるのは短時間であっても非常に危険です。
 高齢者の場合、体温調節機能は他の機能と同じく加齢に伴って低下します。感覚面でも皮膚に存在する温かいと感ずる温点の数も減少し、温度差を識別する能力は個人差はありますが60歳を過ぎるころより低下します。発汗能力についても汗腺の数が減少し、汗腺自体の機能の低下もみられます。
暑いなかで高齢者の発汗反応は遅れがちとなり、若い人に比べて身体蓄熱がおこりやすく、一旦、体温が上昇し始めるとその度合いが大きくなりますので、「これくらいの暑さくらいは大丈夫」と我慢しないようにしてください。
 また高齢者は脱水状態が進みやすいので、水分をこまめに摂るように心掛けましょう。入浴の場合も発汗により水分が失われますので、入浴前後に水分を摂り、お風呂の湯温は40℃以下のぬるめの湯に、あまり長湯にならないようにしましょう。就寝中にもかなりの水分が失われますので、枕元に水差しを置き、水分の補給に努めましょう。

(3)日常生活での予防対策が大切
・熱帯夜で暑いからといって、寝るときにはあまり冷房の温度を下げないようにしましょう。
・木陰などで心地よい風が吹いているところでは、肌の露出を多くし、皮膚からの熱の放散を多くしましょう。
・炎天下で活動をする場合には薄手の白っぽい衣服を着用し、通気性のよい帽子をかぶりましょう。
・外出時には黒っぽい日傘などがお奨めです。
・ノーネクタイやループタイを着用するなど、身体にぴったりした衣服よりも、少し緩めの衣服で衣服内の風の流れをよくし、熱の放散を促しましょう。
・スポーツや作業の前には水分を補給し、大量に発汗する状況での休憩時にはスポーツドリンクや多少塩分の含まれた水分などの補給に努めましょう。


いずれにしろ、汗をよくかいて水分と塩分をとること、また何より暑いことを我慢しないことが大切なようです。
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自民党の憲法改正草案

参議院選挙での憲法改正論について。

安倍内閣が夏の参議院選挙に憲法96条[憲法改正の手続]を掲げてますが、国民の多くは自民党の憲法改正草案を読んだことがあるでしょうか。


参議院員選挙を前に改めて、もう一度よく読んでみようと思います。

日本国憲法改正草案
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/116666.html

読んでみると、現行の、日本国憲法は「国民あっての国」の主権在民のが貫かれています。しかし、改正草案ではどちらかというと「国家あっての国民」になっています。それは、当然で前文には「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家」「第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴」とかかれています。これは、大日本帝国憲法の「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の考えに基づいているようにおもえます。

戦後70年近く続いてきた主権在民は、今の国際社会の流れに対して、どこに行くのかと思います。

関連したことで、中村隆市ブログ 「風の便り」に自民党石橋の発言、自民党改憲案9条2の5項の軍法会議とはなにか を話されたことが紹介されています。
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-13770

良心的徴兵拒否、良心的兵役拒否という言葉は、私が大学時代ベトナム戦争さなかなアメリカでいわれていました。また現代も世界中の国で国民がそれを、訴える人も多くいます。石破氏の言わんとすることはわかりますが、政治家として現代の世の中の情勢や流れというものを、もう少し勉強して言葉づかいを選んだ方がよいと思いました。
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卒都婆小町

日本で世界三大美人といえば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町と言われます。(世界では元々「クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネ」と言われています。
各国での三大美人は、インドは「メンカ、シャクントラ、ルップマティ」、ギリシャは「アフロディーテ、アテナ、ヘラ」、中国は「楊貴妃、貂蝉、王昭君、西施」です。日本はなぜか世界三大美人といいます。日本人だけとなると「北条政子、日野富子、淀殿」でしょうか、こちらは三大悪女ともいわれていますが。

それはともかく、日本での世界的美人とされる一人、小野小町についてです。
百人一首に
  花の色は うつりにけりな いたづらに
   わが身世にふる ながめせしまに
             小野小町 『古今集』

自分は若い時、絶世の美人だともてはやされたが、年とった今はこの桜の花のように、色はむなしく色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうどこの私の美貌が衰えたようだ、恋や世間のもろもろのことに思い悩んで、花を賞美もせす歌をもよまず自分を顧みることもなく過ごしてしまっている。


能に小野小町をあつかった曲目が幾つかありあます。『鸚鵡小町』『関寺小町』『卒都婆小町』などがありますが、これらは老残憔悴を描いたものです。そして、『卒都婆小町』は、年老いて乞食となったはなしで「衰老落魄説話」として中世に幅広くしられています。


卒都婆小町のあらすじは、つぎのようなものです。

高野山の僧が都へ向かう途中、道ばたの朽ちた卒塔婆に腰を下ろして休んでいる老女に出会います。よく見ると老婆は卒塔婆に腰を下ろしています。僧は、仏体そのものである卒塔婆に腰を下ろしているのを注意し、ほかの場所で休むように促すが、老婆は僧に反論し、仏も衆生も隔たりはない、と説き砕く。僧は老婆の説法を恐れ敬い、三度の礼をして名を尋ねると、それは百歳になろうとしている老婆は小野小町だと名乗ります。
才色兼備で世の男性を魅了した小町も、今は破れ笠に乱れた白髪の憐れな物乞い。しばらく身の憐れを歎いていた小町だが、突然様子が変わり小町に憑いた深草四位少将の怨霊であった。昔小町を慕い九十九夜通い詰めながら、ついに思いを遂げずに死んだ少将の怨霊は、生前の百夜通いの様を繰り返すのだった。
ありし日の、深草の少将の小町の許への百夜通いの有様を語り、あと一夜で死んだ少将の怨念が憑き添いて、小町は狂乱する。しばらくして、狂乱からさめた小町は、これから後の世を願う事は真であり、功徳小善を積み、涅槃の道に進めるよう、花を仏に手向けてどこともなく去っていきます。

小野小町のすがたは、現代の世の中にも見受けられるかもしれません。
若いころの才色兼備の美貌を鼻にかけた驕慢がたたり、年老いてから美貌が衰え若いころの不摂生が病気などでやつれ衰え、無惨なにも年により心身が衰えおちぶれた姿をさらし、廻りは陰で笑い物にしたりしています。

世界の三大美人はどれも世の中を惑わしたとされて、美人だということは何なのか、年を重ねていくということは何なのかを、考えさせられます。
小野小町にこのような衰老落魄説話が、生まれたのも生没不詳のためでしょう。

ただ、この「卒塔婆小町」は、最後に「これにつけても後の世を。願ふぞ誠なりける。砂を塔と重ねて。黄金の膚こまやかに。花を仏に手向けつゝ。悟の道に入らうよ。悟の道に入らうよ」。といい百歳になってから、今までの行いを悔い、仏門に入り心を安らかになろうと勤めようと思います。


仙厓和尚の絵に、野辺に落ちたしゃれこうべの、目や鼻の穴から生えて伸びてきた 葦の姿を描きいたものがありあます。

    よしあしは目口鼻
    その絵に添えられて
    「よしあしは 目口鼻から 出るものか」

人が生きているときは、目や耳を通して「良いこと」「悪いこと」を見たり、聞いたりし。口などを通して言ったりする。それが、ありがたがったり、わざわいをまねいたりす、芽(目)になるものだ。死んで骨になってもしゃれこうべの目口鼻から「よし(葦)、あし(葦)」が出るくらいののはあたりまえ。

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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 安倍首相の愛国心とは
    本当に教員? (09/10)
    興味ある内容なので拝読したが「教育勅語」を親孝行等の道徳ではなく戦争に洗脳させるためだとか思い違いも甚だしい。
    貴方が現役の教員であれば授業中が退屈で眠気が襲っ
  • トランプは白人至上主義者か
    アジシオ次郎 (08/07)
    おはようございます。

    アメリカにおいてまた立て続けに銃乱射事件が起こったけど、テキサス州・エルパソでのケースは容疑者がヒスパニック系に対する憎悪感丸出しの書き
  • 商業捕鯨に思う
    竹林泉水 (07/11)
    調査捕鯨のための捕鯨業者への補助金は、毎年数十億だときくが、商業捕鯨になればそれはカットされるのだろうか。商業捕鯨で補助金を政府がだしていたら、反捕鯨団体はどう
  • 商業捕鯨に思う
    アジシオ次郎 (07/08)
    おはようございます。

    IWC(国際捕鯨委員会)を脱退して今月から商業捕鯨を再開した日本、組織として機能していないIWCへの反発から脱退して商業捕鯨再開に至った
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
    竹林泉水 (07/05)
    菅官官房長官は徴用工問題に対する報復ではないとの趣旨の発言をしている。
    しかし、誰が見ても徴用工に対するもににしかみえない。
    それを白々しくそうではないといい、よ
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
    アジシオ次郎 (07/05)
    おはようございます。

    韓国への半導体輸出規制という措置に踏み切った日本、でも韓国が徴用工問題を蒸し返すという日韓請求権協定に反する行為をしたことで、その見返り
  • 日本の報道の自由
    竹林泉水 (06/17)
    コメントありがとうございます
    まったくそう思います。
    民放は広告収入元のスポンサーからの収入があるので、その顔色を見るからしょうがないにしても、政権の顔色を見る必
  • 日本の報道の自由
    風と雲 (06/10)
    政権に不都合なことは隠す、曖昧にする、知らしめない。これは政権が世論を最も恐れっるからだ。現政権は硬軟取り混ぜた巧みなメディア操作と中身の無いパフォーマンスが功
  • 日本の報道の自由
    アジシオ次郎 (06/10)
    おはようございます。

    こういう指摘についてすぐに「内政干渉だ!」って反論も出てくるけど、日本の報道の自由度というか報道が健全かという点において先進国において❝
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