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天台小止観を読んで 2-1

天台小止観 2

これから第二章を読んでいく、そこには欲は呵責しなければならないと書いてある。
呵責とは戒めそれに対してせめさいなむことです。
その五欲とは、色・声・香・味・触の五種類の欲望のことで、異性の色気・美声・香り・味・肌の柔らかさは、偽りを起したぶらかしを起すもとであると言っている。

昔から、陽貴妃やクレオパトラやヘレネ(ヘレネはギリシャ神話にでてくる)を世界の三代美女といわれていますが、いずれも時の権力者を惑わしたとされています。
このことからして、異性への欲情としての色気・美声・香り・味・肌の柔らかさは、偽りをおこしたぶらかしをおこすもとと言えるでしょう。そして天台小止観では、いくつかの例をあげて書いてあることは、先に書いた記事の「一角仙人」「天台小止観 呵欲 0002-1」で書いたので省略します。

五欲は修行と悟りの妨げになり、遠ざけないといけないもので、どんな修業をつんだ仙人や高僧であろうと。この欲に惑わされると修業を怠り失敗した果ては、今まで得た徳をも無くしてしまうと書かいています。
この五欲のうちの色・声・香・触は、異性への愛欲に関わることで、それが一番修行の妨げになり、それから逃れるのは方法はここでは述べられずに、色々な教典に書かれて入るのでそれを参考にしろと書いてある。私が思うには一心に集中して呼吸を調え自律神経を調えることが一番大切だと思う。

だからといって、この五欲をさいなむものとして全面的に否定して、押さえ込んでしまってはいけないものです。一番大切なのはこの五欲を、自分で制御する力を持つことでしょう。五欲の色・声・香・味・触は、解剖学的には五官と言い、外界の事物を感じる五つの感覚器官で、目・耳・鼻・舌・皮膚のことになります。五感と書けば、外界の事物を認識する五つの感覚で、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のことで、人である以前に動物として生きて行くうえで欠かせない非常に大切なものです。
だからこそ、その感覚を正しく使わないといけないものです。
怒って興奮したり、欲望にかられてたりすると、身体が火照り呼吸も乱れてしまいます。そのとき気持ちを落ち着けるために、よく深呼吸をするのがいいと言われます。それと同じように、五感をなめらかでおだやかに調えへるには、呼吸を調えることによって得られることは、よく言われていることで医学的にも確かめられてきています。呼吸をゆっくりとととね、多くの酸素を身体の隅々まで、そして脳に深く行き渡らせることが大切です。特に脳は多くの酸素を必要とする器官です。邪な考えを巡らすことは、大量の酸素を脳で使うことになり、呼吸も乱れてきて結果身体が必要とする酸素も使うことになります。
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マスク購入に実名登録??恐ろしい!

中国の雲南省昆明市の一部地域で、マスクを購入するとき実名登録を義務づける通知をだしたそうです。しかし、中国版ツイッタ「微博」で批判が相次ぎ同日中にその通知は取り消されたそうです。昆明市で化学工場の建設反対のデモに、マスク姿で参加する人があるそうです。それに対しての威圧的意図があったようです。
このニュースを聞いて今の日本では考えられないことです。中国は憲法に書かれているように「中国は労働者階級が領導し、労農同盟を基礎とする人民民主主義独裁の社会主義国家である。社会主義制度は根本制度で、いかなる組織または個人にも社会主義制度を破壊することを禁ずる」と書かれいます。まだまだ、今の日本の民主主義とはずいぶん違い、これからの国際世界に於ける民主主義の定着も道なかばだと思いました。しかし反面、そのような通知を出したことにすぐに市民が反応して中国版ツイッタ「微博」に書き込みがあることは、市民はそれなりの意識が出来てきていると言え、当局もそれに対して対応したことはその民主主義への意識の重要性を認識している表れといえるでしょう。

このニュースを読んでいて、日本の最近の政治家の発言やそれに対する、ツイッタなどでの賛否のされかた。小野市の生活保護受給者に対し、市民に監視通報の義務付け?をする条例が、市議の一人の反対を除いて可決されたことなどを見ると。為政者や権力者が、自分たちが市民に対して、どのような思いや考えで見ているかが窺いしれます。不都合な事が起こらないように見守ったりして、市民を指導するのが為政者の務めだと思っているようです。そのような驕った考えや言動をみると。今の日本の民主主義も中国のそれと対して変わらないのかもしれないと感じてしまいます。
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ブラック企業??

ブラック企業と若い人から呼ばれている会社があるそうです。このブラック企業とは、残業しても残業代を払わない、正当な理由が無いのに解雇する、安全な環境を保証しない、給料が減給されたので抗議したら解雇された、一日15時間働かされ病気になった、同僚から虐められても上司や管理職は見て見ぬ振りをする。このような企業は社員から不満の声が上がり、ツイッターや掲示板などのネット上でブラック企業(邪悪な企業)として不満が書き込まれているそうです。

就職難で求職者が多いのを良いことに、企業は辞めさせても直ぐに、次の人が雇えるためにひどい働き方をされているようです。
労働基準法があるあが、それを無視した働き方をさせたり、パワハラや同僚からのいじめなどにさく費用を惜しみ、雇用主としてきちんと対処しない企業が増えてきているようです。

これがもし、教育現場だと直ぐに大きな問題になるのですが、何故か労使問題として重大な問題なのに、大きな社会問題とならないのは何故だろうか。

私はブログの記事に何回か書き込んでいるが、老舗企業などの社訓や家訓には、「雇用人、使用人を家族と思え」「小作人を優遇し、決して苛酷な扱いをしてはならない」「使用人は樹の枝葉のようなものである。よろしく優遇して一家の繁栄を図らなければならない」「部下を優遇し、事業の利益はなるべく多く彼らに分け与えよ」「傍輩は上をば兄と敬ひて、下は弟と思ひあわれめ」と教えています。
今の企業は、競争に勝ち大きくなることに目が眩み、人を雇用していると言う一番大切な心を忘れてしまって居るように思います。

政府や行政はもっと、企業を指導監督をすべきだとおもうのですが、企業うの自由な経済活動を促進するため、今はなんだか労働者の権利を緩和する方向にあるようです。このような国際競争の激しいときこそ、労働者の生活権や人権や心身の健康を護るために監視を強化すべきだと思いますが、こちらも企業に有利なように緩和する動きにあるようです。
昔から国民を大切にしない国は亡びると、言われてるのですが時の為政者はどう考えているのでしょうか、まさか国民を臣民と思っているのでしょうか?
歴史が物語っていますし、現にシリアやソマリアは混乱状態です。国は国家に国民を従わせるのではなく、国民の生活と自由と権利を守ることを考えるべきでしょう。
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シェアー制度

最近シェアーハウスやシャアーカーなどの言葉を聞きます。
シェアーカーは、複数の人が、自動車を共有して持ち必要な時だけそれを使う。
シェアーハウスは、以前はゲストハウスと呼ばれていた敷金・礼金・仲介手数料が無料で保証人も必要ない汚い安い物件でしたが。最近はいろいろなタイプがあり、プラベートナ部分は寝室などの小さな部屋で、後は台所やトイレ、浴室などが共有で、入居者が憩える共有の居間などに広いスペースが採られているものがあるようです。

このシェアーと言う意味ですが、[shared ***]で、shared は共有の 共通のと言う意味がです。簡単い言ってしまうと個人的なものは占有権があるが、そのほかのものは所有権や占有権はなく利用権があり、必要な人がお互いに必要なときに融通し合いながら使うという考え方です。

資本主義社会が発展し豊かになると、いろいろなものを独占的に占有して使うようになってきました。たとえ年に一回しか使わないものでも、レンタルなどで借りて使うのではなく自分個人の専有物として持つようになりました。しかし、産業が未熟で生産量も少ない時代など、お互いに貸し借りをしながら使っていました。しかし、この場合は所有権はありますが、このシェアー制度はその所有権も無いようです。

オーストラリアかどこの国か忘れましたが、かなり以前に聞いた話です。西欧諸国が植民地政策でオセアニアの方に進出して言ったころの話です。
「その地に昔から住んでいる先住民と西欧から来た商人が隣同士にすんでいました。西欧から来た商人が掃除をしていましたが、用事ができたのでまた戻ってくるので、掃除用具をその場に置いて離れました。用事が終わって帰ってくると、掃除用具がなくなっていました。隣の先住民の家を見ると、家の人が自分の掃除道具を勝手に使っているのです。そこで、商人は警察を呼んで隣の人を訴えてしまいました。しかし、先住民の人はなぜ訴えられたのかわかりません。昔から自分たちには掃除道具でも狩りの道具でも生活用具でもみな共有して使っていたのです。必要な時だけ使い使い終ればもと合った場所に返す。そのような生活を今までしていたのです。」

この話、いまのシェアー制度の話とは違いますが、自分たちが生活する上で何が大切かを教えてくれるように思います。物をお互いに使い合うのには、その人同士の信頼関係がないとできません。しかし、現代のように複雑に利害関係などが絡み合った社会では阿吽の貸し借りは出来ないでしょう。ですから、コミュニケーションづくりや、その集団の持つ規範づくりそれを守る意識も高まるでしょう。

エンゲルスが唱えたような、原始共産制とはいえないですが、その中には相互扶助によって生産手段はその自分たちが属するコミュニティーが共有して、個人が物を持つという概念自体がない社会に戻ることが出来ませんが。エンゲルスの原始共産制は、産業力が極端に低く生産性も低く貧しいから、そのような物を共有する事ができるのでしょう。

現代社会では、その集団の中でお互いの取り決めをして、了解した中で行い、なにか問題が生じたとの仲裁の方法も決めておかないといけないでしょう。
そして、なにより一番のハードルは、物を所有することについての概念です。現代の人が持っている概念を今までと違う持ち方をしないとその集団は長くは続かないでしょう。しかし、最近シェアー制度特に若い人に注目されているのは、不景気でお金が無いから節約出来るからや、今までの物質・消費優先の生活でなく、別の価値観や生活のあり方を探しているからと思います。今までの成長優先のかんがかたでなく、これからの世代がそのように新しい生き方を求めることに大いに期待したいと思います。
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天台小止観を読む 2-2

次に舌について考えてみます。

最近のニュースを見ていると、タイの僧侶が托鉢で頂く、お布施の食べ物が原因で肥満気味で健康に悪い影響を与えていと言っていました。タイの庶民の人たちの生活が豊かになり、信心深いタイの人は托鉢にきた僧へのお布施である食べ物が、栄養豊かなものほど御利益があると考えたくさんお布施をするそうです。そして僧は戴いたものを棄てるわけにもいかず、栄養過多になってしまうそうです。そして今僧侶に対して、食べ過ぎやよくないととの栄養指導がなされているそうです。
このように、厳しい修行を積んだ僧侶でも、五欲の一つである味への、欲望に蓋をすることは難しいものでしょう。

味にかかわらず他の四欲も同じで、惑わされないでそれを呵責して、抑え制御できることが必要なのです。

安元法印養生歌に次のように歌われています。
・飽食は数日続けばとどまりて うひに大事の病とはなる・飲食は我身やしなう為なるを 口の為ぞと思ふはかなさ
食べ過ぎが何日もつづくと、それは体によくなく病気になってしまう。
毎日の食事は、生きてゆくための支えとなり、うるおいとなるものであり、単にお腹を満足させるものではなくそのよなことはい、意志が弱く未練がましくいくじがないことです。

食事の欲だけでなく、他の五欲も同じで、安元法印養生歌には次のようにも歌われている。
・慾情は獅子身中の蟲なれや 心よりこそ身をも滅ぼす
いくら厳しい修行をしても、欲情というものは自分の、心の内にいて恩恵に浴しながらも厄を起こすものである。
・目なとめそ耳になふれそ情慾は 見聞くにつけて動くものから

欲それも、異性への愛欲が一番修行の妨げになり、それから逃れるのは一心に集中して呼吸を調えるのが一番だということだろうか。
私たちの周りをみても、異性関係で失敗をすることがなんと多いことは、多くの人がいい歴史もそれをものがたっている。だからそれを強く戒めなければならないことになる。
この五欲は一度その楽しみを味わえば、飽きることなく追い求め、それが悪いことと思い押しとどめようとしても、それを求める心が強くなってくるから呵責しないといけない。


それでは、どうすればこの五欲から逃れられるのか。
それは、一心一意にそれを修行して 数息観などを習いながら、禅定に入って自分を見つめてる方法が一番だと言っています。

この二章は、大切な大切な根本的な事が書いているのだが、私には今一つ分からないことが沢山あります。そこで、後でわかってきたら、そのときに繰り返しになるが書き綴ることにします。

安元法印養生歌にはさらに、次のようにある。
・心をば常に静かに其の身をば 常に程よく動かすぞよき
・ともかくも癖になしなば癖つかん ただ善き癖をつくるにある


天台小止観には、この章の最後に教典の一文が教え書かれています。

生死の断絶せざるは
貧欲にして味を嗜むが故なり
怨を養いて丘塚に入り
唐しく諸の辛苦を受く
身の臭きこと死尸のごとく
九孔より不浄を流す
厠虫が糞を楽しむがごとく
愚貧の身は異なることなし
智者はまさに身を観じて
世間に貧染せざるべし
累らいなく所欲なき
これを真の涅槃と名づく
諸仏の説きたもうところのごとく
一心一意に行ぜよ
数息して禅定にある
これを頭陀を行ずるとなづく

日々の生活の中の苦悩から逃れられないのは、ものごとに執着がありその執着を追い求めるからである。
そのようなことは、
怨み妬みを募らせることになり、仇を帰そうとしてしまうのは、墓穴を掘るようなもので、無意味で内容のないことで、日々の生活の中に自分で辛いことを作り出していることになる。
身体の臭い臭いは屍のようで、それは、人の身体にある九つの孔である、口・両眼・両耳・両鼻孔・尿道口・肛門からは、常に老廃物のいらなくなったものが流れ出ている。
蛆虫が糞を楽しんでいるようなものなのは、愚かにも欲を貪り求めてる人は蛆虫と変わらない。
涅槃を得ようと努める者は、その都度の自分を見つめ、世俗的な事柄などに惑わされず追い求めない。
人を惑わす欲望などにかかわらず、そのような欲望も湧いてこない、このような状態になると涅槃と言う。
諸仏が言われているように、一心に一意に修行すること。
そのために数息観などを習いながら禅定に入る行いを、頭蛇(涅槃に入るための修行)を行ずるという。
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二十四節季の芒種

今日は二十四節季の芒種で、稲などの芒のある作物を植える頃とされています。七十二候では蟷螂生ではカマキリが孵化して姿を見せるころとされています。
そして旧暦では四月廿七日で、立春から百三十五日目(太陽の黄径80度の時)で、暦の上で梅雨入りです。

私の住んでいる地域は例年より十日ほど早く、気象庁は梅雨入りしたといっています。曇りや雨の日がおおくなってきました。


このブログにも紹介したキングジムの文庫本大の電子メモ帳「pomera(ポメラ)」を買って3年弱になります。そして、買った時から、いつも持ち歩き思ったことを書き綴ってきました。いま、それを読み返していると、公開を前提として書いていないのですが、いろいろ面白いことを書いていました。

また、私がブログを始めて、あと1か月ほどで2年になります。そして、このFC2に引っ越して半年が過ぎます。どうせなら、その過去に書き綴ったものとくに、身体と心に関して綴ったことを一月ごとに纏めて残してみようと整理しています。不定期ですがぼちぼちと、一月づつ纏め追加していこうと思います。

2012年6月以前の記事がそうなります。単にメモとして書き残したもので、そのうえ日付を取っ払い、内容は主に身と心に関することを、適当に抜き取ったものです。ですからこのブログよりダラダラと辻褄が合わないもになってしまいました。

まあ、ここではリンクは張りませんがサイドメニューの「月別の過去の記事」から読めるので、暇を持て余している人は、読んで馬鹿な人がここにいると笑ってやってください。
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琉球と唐手

中国のある二人の学者が琉球王国(今の沖縄)は、昔は中国の属国だったとの説を唱えています。一人は琉球はすでに明治以降の琉球処分により日本のものでそれはとやかく言うものでないと言い。もう一人は沖縄は中国属すべき地域だと言っています。どちらも、この二人の学者の真意は尖閣列島の帰属を意識してのものでしょう。

あれこれ事情があるにしても、次のようなことが書かれて本があります。
「慶長年間島津氏の琉球入以來武器を取上げられた沖繩人士が拳骨の活用に思ひを凝らしたてあらうとは當さにあり得べき事である唐手即ち沖繩の拳法は主としてこの拳骨を以てする獨特の武術である沖繩では往時より斯術の達人を武士(「さむらひ」の意にあらず)と稱している。」
これは、大正11年に出版された「琉球拳法 唐手(冨名腰義珍著)」の序の冒頭のに書かれている文です。

簡単にいえば、「慶長年間島津藩が琉球王国に侵攻して武器を持つことを禁じられた、そのため沖縄の人は自分の身を守るために、素手で身を衛る方法を編み出したの当然のことで、その唐手の達人を武芸者といった」ということでしょうか。

この「唐手」とは、いま日本の各地で盛んに行われている、「空手」のことです。江戸時代に、沖縄で自分たちを護る術として生まれたものということです。

歴史的にみて、このことから琉球は昔は独立国で、慶長14年()1609)に島津藩に占領され幕府も容認していたことがわかります。慶長14年は徳川家康が征夷大将軍になり江戸に幕府を開いた年です。要は島津藩は戦国時代最後の混乱に乗じて琉球を隷属させたのです。そして明治時代に廃藩置県の時期に薩摩が占領していた琉球を沖縄県として内外に日本の一部だと宣言しています。

つまりは、中国の二人の学者の学説は曖昧な説にもとづいてもののようです。
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天台小止観を読む 3-1

天台小止観 3ー1

天台小止観の三つ目は、「蓋を棄てよ」と言うことが書いてあります。
この蓋となにか、善い心の芽を生長を阻む蓋を棄てよということです。
そして、善い心の芽を阻むものには、五つのものがあると言っています。

一に貪欲の蓋、
二に瞋恚の蓋、
三に睡眠の蓋、
四に掉悔の蓋、
五に疑の蓋だと言っている。

この一つ目の貪欲の蓋とは何だろうか、先の章で五つの欲を呵責しなければならないと書いてありました。この二つの違いについては、以前はよく解らなかったですが、最近次のような考え方をしてみました。
前章で書かれている欲とは、気が引かれる異性に出会うと話しかけたくなる、電車に乗り綺麗な女性の席が空いていると横に座りたくなる。などのように外から受ける刺激による心が動かされ変化することを慎まないといけないといっています。そこには、完全に否定しているものではなく、感情を制御しないといけないことです。そして最後に一度そのような感情を放つと制御できなくなるから、強く戒め慎まないと生けないと言っていました。
この章で言う貪欲に蓋をせよとは、自分の内部にある心のなかに欲を生じさせることについて、戒め慎むのではなく完全に封じ込めないといけないことです。
女性の横に座った人の話の続きをすると、横に座るだけならいいが、横に座り触りたくなってしまい、実際に触り要らぬことをしてしまう。結局それにより一生棒を振ってしまう人がいます。だから自分からわき起こるような原因を作らないように、蓋をしないといけないといえます。

日常生活の中ではそうですが、修業をしている最中ではどうでしょう。そこで俗界の騒が聞こえてこない、人里離れた静かな場所が必要になってくると言えます。それが坐禅をするときの準備を調える三番に述べられている、静かな処を選べと言うことでしょう。
しかし、坐禅をしていて禅の修行をしているなかで、心に雑念妄想がよぎり欲望を芽生えることがあります。ありますと言うより、私などはよくあることで、しかも押さえ込もうと意識すればするほど、どんどんその雑念を振り払うことができずに、善い心に覆いかぶさり善い心を育つのを阻んでしまいます。
言うことでもないことですが、なにごとにも欲しがって飽くことを知らな人は、もう酒をやめておこうと思っても、また次の日に呑んでしまうのと同じでしょう。
心や身を悩ませたり苦しみ続けるもので、自分を満たす欲望や他者への怒りや憎しみなどから、のがれられ安らかな自由な境地に達することはきわめて難しいものです。
なぜなら、欲望というものは様々な心や人の行いを乱す大本だからです。繰り返しになるが欲望に囚われると、修業はおろか涅槃の境地に入ることはできない。

では、そのような欲の蓋を除くためにどしたらよいのか。
欲の蓋を除くのに次のように教えられている
入道せる慚愧の人
鉢を持して衆生を福すべし
いかんぞ塵欲をほしいままにして
五情に沈没するや
すでに五欲の楽を捨つ
これを棄ててしかも顧みざれ
いかんが還って得んことを欲するや
愚がみずから吐けるるを食うがとし
諸の欲は求むるとき苦しみ
得たるとき怖畏多く
失えるとき熱脳を懐き
一切に楽しき時なし
所の欲の患はかくのごとし
なにをもってかくよくこれを捨てん
深く禅定の楽を得れば
すなわちために欺かれず」

「仏門に入り過去の過ちを反省するなら、托鉢をして修業するのがいい。それなのに欲を棄てきれないのはどういうことか。五欲をすてたのに、今一度未練があるのはどういうことか。それは、毒のある身に悪いものを食べ、体が一度吐き出したものを、もったいないと食べてしまうようなものだ。」と言っています。
ではそれなのになぜ、一度吐いたものを食べてしまうのだろう、「それは欲というものは、その欲について手に入れたり実現できるようにいろいろしてしまう。それを手に入れてしまうと、いつ失われるかとおじてしまうのが常です。そしって、その一度てにいれたものを失ってしまうと、深く心を思い悩んで苦しみ続けてしまう。そのようになれば、苦しむだけで心が楽になることはない。このように、欲をいだくこはわずらい続けてしまうことを知っておくべきだ。」
それではどうしたら欲を棄てることができるのかは、「ただただ、禅定を続け勤めることだ、それを知れば欲に取り付かれ悩まされて失敗してしまうことはない。」

このようなさまざまなことから、欲深くなることを戒めないといけないのであり、欲に対して呵責することは、他にも多くの教典に書かれている通りです。
次は、瞋恚 怒りについてです。
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貂と妖怪

先日、自宅の庭でテンを見たと書いたが、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』を見ていると、テンの妖怪の図が載っているのを見つけました。
それによると、石燕は「鼬(イタチ)」を書いて「テン」と読ませている。テンは本来漢字で「貂」書くが「鼬」と書いてあります。

   テン
鳥山石燕 画図百鬼夜行善画集 

「ゲゲゲの鬼太郎」水木しげるの【図説】日本妖怪大全には、「貂」と書いてあるが、絵柄は石燕が描いたのと、同じように五匹が積み重なっているところが描かれている。
水木しげるによると三重県伊賀では「狐七化け、狸八化け、“貂”の九化け やれ恐ろしや」と言い、なんと狐狸よりも化けるのが一枚上手とおもわれている。と書いてあります。

もともとイタチとテンはよく似ている動物でテンの方が大きいので、混乱して使われているかもしれない。

諏訪地方では、誰もいない部屋から足音が聞こえ、畳が急に持ち上がったので、その上に飛び乗ると変な声がして、大きな鼬の頭だったという話があるそうです。

話は石燕は「鼬(てん)」にもどすが、テンが五匹積み重なって炎のように描かれえいます。この絵を見ていて、子供の遊びに「いたちごっこ」と言うのがある、互いに相手の手の甲を摘みながら遊ぶもので、特段に遊びのルールもなく終わりのないものです。「貂」と「鼬」を混同してしまっているなら、この絵を見てテンが積み重なっているのと、手の甲を積み重ねているようすと、痛い痛いと言いながらの遊びが、日常使われる言葉の「イタチごっこ」の思いおこさせます。
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清淨心身

今日は旧暦で言うと[五月朔日]です。昔は五月晴れと言えば、梅雨の合間の晴れをさしていました。五月は梅雨のまっただ中でうっと惜しい雨がつづきます。そこで、少しでも気持ちが清々しくなるように、香を焚いてみようと思いました。山田松香木の線香、「翠風」の箱に次のようなことがかかれていました。


香十徳
感格鬼神(かんはきじんにいたる)   感は鬼神に格る
    感覚が鬼や神のように研ぎ澄まされる
清淨心身(こころをきよらかにす)   心身を清浄にす
     心身を清く浄化する
能除汚穢(よくけがれをのぞく)    よく汚穢を除く
    穢れをとりのぞく
能覺睡眠(よくねむりをすます)    よく睡眠を覚ます
   眠気を覚ます
静中成友(せいちゅうにともなる)   静中に友と成る
    孤独感を拭う
塵裏偸閑(ぢんりんにひまをぬすむ)  塵裏に閑をぬすむ
   忙しいときも和ませる
多而不厭(おおくしていとねず)    多くして厭わず
    多くあっても邪魔にならない
寡而為足(すくなくしてたれりとなす) 少なくて足れりと為す
少なくても十分香りを放つ
久蔵不朽(ひさしくたくわえてくちず) 久しく蔵えて朽ちず
  長い間保存しても朽ちない
常用無障(つねにもちいてさわりなし) 常に用いて障無し
   常用しても無害

古くから香に関する訓や効用を記したもので、香に関する十の徳といわれているものだそうです。
11世紀の北宋の詩人、黄庭堅の作と言われ、日本には頓智でしられる一休禅師によって紹介されたとされています。

お線香というと、仏壇にそなえる法事などの時に使うものと思がちです。しかし、もともと香は居間や寝室の安らぎの香料似使われ。日本では香道というものがあり、香合わせ薫物合などの香遊びがり、茶道などと結びついて香の文化は発達しています。
そして、仏門の修行などでは、修行する道場の環境を整えるものとして使われ、清浄心身の効能が古くから謳われていました。天台小止観にも第一章の具縁の一番最初にも書かれている通りです。

香の純粋な薫りをお楽しむには、少し離れたところに置いて火をつけて、空気にのって自然に漂って香ってくる香りが本来の香りとされています。香りは強からず弱すぎずでしょう。
そして、それらのことがこの十徳に凝縮されているといえます。

香の効用は、何と言っても良い香りをかいで、良い気持ちになるということでしょうが、それにより気持ちを落ち着けることは大切でしょう。。
また、この香十徳を一つ一つ読んでいて、香道や仏道だけでなく、人の歩むべき方法をや方向を示しているようにおもいます。そしてなにより、香を聞くことにより、精神的に落ち着き、円満な人格を形成するのに役立たせるというのことでしょう。

そして、この香の徳性としての有り様は、人としてのあり方の教えでもあり、政治や商売などにも同じようにいえる。

香の香りを感じ取ると、・感覚が研ぎ澄まされ、・心身を清く浄化する。このことは人の生き方として満遍だらりと鈍感に過ごすのでなく、物事の流れに鋭利に感じ取り、変化に対して常に自浄自癒する事が大切です。

強すぎず弱すぎない香りを感じ取ることにより、・穢れをとりのぞき、・眠気を覚ますのも。汚れや欲にまみれてしまわずに、また善い意識が眠り悪い心に乗っ取られてしまい、道を踏み外してししまわないようにする。

・忙しいさなどにより心の余裕をうしなうことなく・孤独感を取り去ることにより、自分は一人でないことをしり、行為・志などを同じくする人や精神的つながりのある人がいることに気づことが大切である。

・多くあってもそれにより惑わされたりしない・少しのものでも足を知る。

・長い間保存しても朽ちない・常用しても無害、一つのことが永く続くと新鮮さがなくなり朽ちたり、利害の癒着などが生まれてしまってはならない。また、ご飯を毎日食べても健康にであり増進されるように、それを永く使うことにより害があってはならない。

この「香十徳」なにも香に限らず、食べ物や、人との付き合い方や、仕事のしかた、スポーツなどの練習のしかたなど、いろいろなことに当てはまると思います。
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腐草為蛍 ホタルが舞い始めるころ

今日は、七十二候で[腐草為蛍]です。腐った草の間から蛍が現れ始めるころ、とされています。

  大蛍ゆらり/\と通りけり     一茶
  ほうたるほうたるなんでもないよ  山種山頭火

庭のホタルブクロも咲き出しました。
  山気凝りほたる袋のうなだれい  稲岡長


    

   


園芸種にカンパニュラというキキョウ科ホタルブクロ属の花があるが、やはり日本のホタルブクロがおもむきがあって、私はこの花がいいです。


四月に咲いた桜の花は実を付けるころであり、そして五日後の6月15日旧暦の五月七日は[梅子黄]で梅のみが黄ばんだ色づきをして熟すころとされています。梅雨もいよいよ本番です。梅雨の花であるアジサイも庭をにぎわして咲き出すましいた。そういえば庭にいつ頃からか現れだした十薬ドクダミも白い花を咲かせています。
雨で庭仕事がはかどらない反面、雑草がはびこるころです。梅雨の合間の旧暦で言う[皐月(五月)晴]れは大切にしたいものです。ところで新暦のいまは梅雨の合間のカラットした晴れた日はなんというのでしょう。

水無月とでもいうのでしょうか?

梅雨晴れの 水無月朔月 月無や
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溜池の水と菖蒲

気象庁が梅雨入りたとみられると、発表しましたがそれから雨らしい雨が降っていません。また、5月の降雨量は平年の半分ほどだそうです。まだそんなに水不足は心配されていませんが、近くのため池は例年より貯水量が少ないようです。

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今、日本の南の海上に台風3号は発生し、13日ごろに近畿地方に接近するようです。台風はあまり来てほしくないですが、恵みの雨を降らしてもらうためにも、被害が出ない程度に来てほしいものです。

この、写真のため池の近くに菖蒲園があります。その菖蒲も花を咲かせだしました。いよいよ梅雨も本番です。

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天台小止観を読んで 3-2

天台小止観 3ー2

二つ目に、瞋恚はいけないと言っています。瞋恚は、仏教で、十悪の一つで、自分の心に反するものを怒りうらむことです。判りやすく言うと、怒り恨み憤るなどのことです。

瞋は辞書を引くと、目をむいて怒るとあります。また、恚は、心と圭のでつくられ、圭は撃つに通じ、敵意をもってうつ、いかるの意味とあります。要するに自分の理性を失った目や歯をむいて心を苛立てててしまうことです。
天台小止観には、この修業の一番の妨げになる大本で、それを放って置くことは、さらに修業の妨げになり、死後にいく道は地獄に墜ちてしまうもととなる。決して涅槃にはたどり着けず、良い心が芽生えるのも摘まれてしまう大本で、それに蓋をしなければ次から次ぎへと愚痴がでてしまうものである。
また、怒りの心を蓋をして静めないと、あの人は自分を悩ましている。親しき人を悩ましていると思いこみ、自分がこのように恨むのは相手が悪いからと怨みを、正当化してしまう。そしてそれは、過去現在未来とそのような怒りがある、これを九つの悩みと言うと小止観に書かれている。
そうなれば白隠禅師が坐禅和讃で言ったように、「長者の家の子と成て 貧里の迷うに異ならず 六種輪廻の因縁は 己が愚痴の暗路なり 暗路にやみじを踏みそへて いつか生死をはなるべき」。と言っています。欲も怒りも一度沸き起こるといつまでも涌きやむことがないとので、蓋をしなくてはならないうことでしょう。

帝釈天が仏にたずねていることがある。
どうしたら、心穏やかになることができるのか。どうしたら心配事がなくなるのか。それらの原因はなににあるのか。そして、なにが自分の善いことを行おうとするのを邪魔させるのか。
すると、仏は次のように答えた。
怒りを静めれば心安らかになる。怒りを静めれば心配事がおさまる。すべて怒りの心がその原因をつくっているのだ、怒りが自分が善いことをしようとするのをじゃましてしまう。と答えたそうです。

この仏が教えているのだから、怒りを静め慈悲と忍耐の心で、怒りを心のなかから消し去ってしまい、心を清らかでけがれのないものにすべきである。
大乗経にも瞋の心を呵することが一番大切だと教えているので心しておくべきことだといっている。
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米国家安全保障局の監視

アメリカのCIAがFacebook、Skype、googleやyahooなどのインターネット上で、やりとりの24時間監視、モニターされ、内容や個人情報を蒐集していたことを、元CIAの職員が暴露しました。

共同通信によると、「米国家安全保障局(NSA)が市民の通話記録やインターネット上の情報をひそかに収集していたことを両紙に暴露したのは、米中央情報局(CIA)の元職員でコンピューター技術者のエドワード・スノーデン氏(29)だと明らかにした。同氏はオバマ政権下で市民に対する監視が強化されたことに失望したと説明。政治亡命も求めている。」
このことに対して、オバマ大統領はテロに対する監視は必要なものだとし、正式に法律にもとづいて行われていて、正当なものであるり、この情報収集により二つのテロを未然に防げたと発表しています。

その情報蒐集にイギリスも参加して、007も顔負けのことをしていたと言われ、英国内で大きな問題になっていますが、英国政府は否定してるようです。

米国のこの、個人情報蒐集に英国も参加していたのですから、米国に最も近いと言われる日本もこの問題は、他人事ではなく自衛隊や公安や内閣情報調査室などがかかわっていたかもしれません。



日本では先日、イラク派兵に対しての反対運動で、自衛隊に監視されたことに対する裁判の口頭弁論で、陸上自衛隊の情報保全隊の元隊長が、情報保全の監視対象に、ビラ配りや反戦歌を歌ったり、核兵器廃絶の署名活動などが、その対象になると証言しえいました。
このことは、私のこのブログで「情報保全という監視」http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-1247.htmlの記事でも書きました。

米国のこの、個人情報蒐集に英国も参加していたのですから、米国に最も近いと言われる日本も、この監視活動に関わり協力していないとは言い切れないでしょう。
この問題は、他人事ではなく自衛隊や公安や内閣情報調査室などがかかわっていたかもしれません。
しかし、日本でこのようなことが行われたら、マスコミは大騒ぎするでしょうが、マスコミはこのことに対して、あまり報道していないので、日本ではこのようなことが、行われていないようで安心なのでしょう。

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粥百珍

[赴粥飯法]によると、お粥には十の利点があると言われています。
粥有十利
・色つやが良くなる
・力が出る
・寿命が延びる
・安らかになる
・頭が冴え口中爽やかになる
・消化が良い
・病気を防ぐ
・飢えを満たす
・渇きをいやす
・便通が良くなる

これを見ると、変なシリアル食品や健康食品などを食べるより遙かに利点が多くありいいように思う。

禅僧など初めて入門する人が、寺の精進料理を食べると始めは、量の少なさに物足りなく味気なさに不満がつのるそうです。しかしそれを数日、数ヶ月続けてゆくとだんだんと、身体に変化がきたしてくるそうです。始めは空腹のつらさがあったが次第になくなり。便通がよくなり肌の色つやが良くあり、身体が軽くなり力もついてきて、集中力もましてくるそうです。
そして、粗食で菜食で味も薄い素食なので、味覚が鋭利になってくると言われています。

以前にもブログの記事で[典座教訓]のことを書いたとき、「時に随って改変し、大衆(修行僧)をして受容安楽ならしむるべし」。要は、季節の食材をそのときの状況に応じ臨機応変に工夫し調理し、修行者している人を満足させ明日の修行に励める料理を造れ。と言っているのでしょう。

調理とは、食材を道理に適って調えることで。
料理とは、料は米に斗で、米を升で量ることです。食材を正しくバランスを善く適え合わせることです。

粥は禅僧の朝食にでる料理です。それを考えると単に粥といっても、されど粥、まさしく粥というべきでしょう。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 森友・加計問題を見ると、今の日本は法治国家だろうか
    風と雲 (06/18)
    >自分が思うことは法を飛び越えてでも粛々と進める安倍政権・・

    飛び越えてではなく、→ 潜り込み裏をかき開き直って、鉄面皮と二枚舌で、 と言うのが最近の安倍政権
  • 国連人権理事会の日本の表現の自由の特別報告書
    竹林泉水 (06/15)
    マスコミは権力を監視するというより、権力者が何をしようとしているのかを主権者である国民に知らせるのが使命であり、権力を監視するのは国民ではないでしょうか。

  • 国連人権理事会の日本の表現の自由の特別報告書
    アジシオ次郎 (06/13)
    こんにちは。

    本来権力を中立的な立場で見て、時に監視する役割であるマスコミ、そのマスコミに対して自分たちに不当な報道を禁止するのは報道規制であり独裁国家のや
  • 女系皇族に反対するわけ
    竹林泉水 (06/09)
    自民党が女性天皇や女系皇族をみとめたくないのは、安倍政権の閣僚の多くが所属している、日本会議の影響もあうのでしょう。日本は天皇を頂点とする家族的な国家という藩閥
  • 女系皇族に反対するわけ
    アジシオ次郎 (06/06)
    こんにちは。

    天皇陛下の退位問題について、これからの皇室のあり方が問われる問題にもなっているけど、今の皇室において男性は悠仁さまのみであとは佳子さまなど女性
  • 安倍政権の功罪は何だろうか
    竹林泉水 (06/03)
    [GHQの幻想から]は何かよくわからないのですが、欧米との対等の関係だけでなく、強いあいてとも弱い相手とも相手を認め対等の関係を築くのが大切ですね。しかい、どうも
  • 天皇退位の審議が2時間半
    竹林泉水 (06/03)
    天皇退位の法律が成立しそうですが、一部の議員が反対、自由党は欠席で議論が深まらないのが残念です。自民に押し切られたているようです。
    敗戦後に日本人が自ら民主的な
  • 安倍政権の功罪は何だろうか
    アジシオ次郎 (06/02)
    こんにちは。

    安倍政権の功罪、功の部分は日本を戦後レジームから脱却すると言う価値観の変革に積極的にしたことだと思うが、憲法改正に躍起になっているのも、いい加
  • 天皇退位の審議が2時間半
    風 蘭 (06/02)
    象徴天皇については 私もたくさんの記事を綴って来ました
    天皇家の起源は天照大御神まで遡ります
    神の系図が有るからには 神は人間だったと言う事になります

    天皇陛
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