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公共放送

先日NHKのクローズアップ現代を見ていて思ったことがる。とうとうNHKもお前もかと思うようになてきた、以前よりも国谷裕子らの切込みの刃の鋭さが鈍ってきているように思える。

クローズアップ現代はよく観る番組の一つですが、先日の課題は「クラウドソーシング」でした。


クラウドソーシングとは、不特定多数の人に業務を委託する雇用形態のことで、近年ウェブ上での業務委託によろ仕事に対して注目があつまりまた、その成果も評価されるようになってきている。しかし、単に利点などだけに注目するのでなく、今までの雇用形態をくずすものです。

放送ではそれにより働く側のメリットは強調さていましたが、デメリットはほとんど触れられていませんでした。

終身雇用制から、契約社員制度というのが導入されるとき、実力によりその報酬が得られるという、メリットは課題に注目をあぎせされそれらの、正規社員は雇用形態に甘えい真剣に仕事をしていないが、契約社員は必死に懸命に働いているといいうTVドラマも作られていました。しかし、不景気の波にのまれると、いち早く契約を打ち切られ明日の生活にも困る人が増えています。
この、クラウドソーシングでは、雇用契約すら契約社員より一時的なもので、安定した持続力のある経営の基盤を固める者ではないと思います。一時的には成長するでしょうがそれは、自転車操業のようなもので将来を見通した持続力のあるものとは言えないでしょう。
今回の、国谷キャスターの番組でも、そのあたりの切込みがなく、どちらかというと将来の展望に視点があてられていました。

これは、今回の話題だけでなく、他のクローズアップ現代の話題や他のNHKの番組も同じようで、今まで確たる報道に携わる者としての番組制作が揺らいでいるようにみえます。

今まで、NHKはNHK経営委員会という、国民の代表である衆・参両議院の同意を得て、内閣総理大臣により任命された、中立の立場で放送番組が作られていたと思っていました。しかし、最近の番組をみると他の民放とあまり変わらない内容になってきているように感じます。

せめて、クローズアップ現代は、問題の核心を射抜いた番組作りであってほしいと思います。
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原子力規制委員会

昨日のNHKのクローズアップ現代は、原子力規制庁の問題点についての番組でした。

わたしは、原子力発電所の施設の下にある断層の判断について、以前から「限りなく灰色は黒にするのか、限りなく灰色は白にするのか、原発に限っていうなら原則を貫いて、灰いるは黒」と判断してほしいと思っていました。
しかし、活断層としても早急に動くとは考えがたいとして、大飯原発の定期点検入りまでの運転継続を認めました。この大飯原発の結果をみてわかるように曖昧なものでした。それは情電力会社の調査結果の報告や情報提供が、原発運転を継続を意図したものか知りませんが、電力会社の規制庁への協力が不十分だったことで、判断ができない状態にあったようです。

電力業界は日本の安全の為に、規制庁の判断を下すための協力し支援して電力の安全、安定供給に向けて取り組むべきです。
また、地元は規制庁に異議を唱えるのでなく、地域の生活や経済活動については、推進誘致してきた国にその支援と補償と地域振興の事業を求めるべきでしょう。

そして、原子力推進をしてきた国は、原子力規制庁の判断に責任をもって、誘致した地域の保障をおこなべきで、それが信頼と実行力ある政治でしょう。それを今まで原発推進のの方針に捕らまれて、規制庁の判断に異議をとなることが無いように願う。

40年程前、隣国の政治家が「黒いネコも白いネコもネズミを捕る猫は良い猫だ」といった。今日本の政治家の中に「活断層の上にある原発も、活断層が下にない原発も、発電する原発は良い原発だ」と真似ている人がいるようです。
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法律によるいじめ対策のゆくへは

「学校でのいじめ対策に関する」法律の審議入り、一昨日成立しました。衆議院の文教委員会のネット中継を傍聴して、法案の中身とその実効性がどれだけあるかを見守っていきたいと思います。それと同時に、審議のなかでも問題点が指摘されているものを、解決できる方策を置き晒しにせずにしてほしいです。

法律ができたから後は学校に任せるでは、無責任すぎるでしょう。

  過去のビデオライブラリhttp://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php#library

法案では、いじめについて「心理的または物理的な影響を与える行為によって、心身の苦痛を感じているもの」と定義したうえいじめが起きた場合には、学校がカウンセラーの協力を得ながら、いじめを受けた児童・生徒を継続的に支援することや、いじめを受けた児童・生徒が安心して教育を受けられるよう、いじめを行った児童・生徒は別の教室で授業を受けさせることを盛り込んでいます。
児童・生徒がけがをするなど重大な被害が生じたり、長期間、学校を欠席することを余儀なくされたりした場合には学校が調査を行い、事実関係を児童・生徒や保護者に伝えることを義務づけています。

この法案自体が審議入りすることには非常に意味があるもので、法律の施行も今の学校の現状では必要であるものでもあると思える。しかしその内容を見てみると教育というものを知らないようです。もっとも、その内容の概要はテレビのニュースで聞いただけなのでなんともいえませんが、そのニュースを聴き私が感じたのは次のようなことです。

いじめられる児童生徒に対してのケアや支援はよいでしょうが。それより重要なのはいじめる児童生徒への対策や支援・ケアの取に、教育という観点が欠け、対処療法的ないじめをなくす遠ざけるという発想にもとづいているように感じる。そこには、いじめをした者を、出席停止にする、別の教室で授業をうけさせる、等々の措置を執ることができるようになるそうです。
一面的に見れば至極当然で当たり前のように思えます。しかし、そこには教育的配慮が欠けてしまう恐れがあります。いじめが起きるのはその組織にいじめを育み病巣があることを見逃してはなりません。

調べてみると、現在審議されている法文には次のようなことが書かれています。
[いじめを受けた児童等又はその保護者に対する支援、いじめを行った児童等又はその保護者に対する指導]
[学校は、3の場合において必要があると認めるときは、いじめを行った児童等についていじめを受けた児童等が使用する教室以外の場所において学習を行わせる等いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を講ずるものとすること。]
[市町村の教育委員会は、いじめを行った児童等の保護者に対して学校教育法第三十五条第一項(同法第四十九条において準用する場合を含む。)の規定に基づき当該児童等の出席停止を命ずる等、いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を速やかに講ずるものとすること。]
(これをみると、学校の現場はますます忙しくなりそうです。いじめに対することやその取り組みの報告に追われ、生徒の人権意識を育む取組の時間がそれに追われてしまわないようにと願います。)


この法律は、学校の責任がいままで以上に明確になり重くなります。そしてそのような変化に対応するために、学校任せにしないでいじめの取り組むための人材の確保と学校に対する支援する制度や仕組みが今まで以上に必要でしょう。
この法案をつくる前提に、学校教育の永遠の課題としてまた学校に限らず、人間のコミュニティであるかぎりいじめは発生することをしています。そのなかで、いじめが発生する原因を解消できる仕組みをづくりを考えているようです。
いままで、学校でのいじめに対する文科省の通達などが出せれてきましたが、いじめによる自殺事件など悲惨な事件が起き社会問題となっています。しかし通達などは時間が風化させてしまいます。そこでいじめが発生する「構造的な問題」を解消させよ/として考えられた法律のようです。
これらの法律が施行されたら、それでお終いにするのではなく、それによる更なる支援を関係団体は学校にしなくてはならないでしょう。法律はできた後は学校に任せて、責任は学校や教育委員会にあるのでは何もならないです。

そして、それ以上に必要なことは、普段からの道徳教育は人権教育をするのではなく、人権意識やお互いの人格を認め合い受け入れ、思いやりその意識を高める取り組みが必要でしょう。その取り組みは、学校現場だけでなく地域社会やまた、地方行政や国の在り方や社会構造や経済・産業構造にも及びます。

世の中は競争の構造で成り立っているともいえます。それはあらゆる生物界でもそうであり、政治や産業の社会構造のなかでも、競争を抜きにして世の中は語れないとおもいます。
そして、その競争の中からいじめが派生してくるものです。いじめをなくすのではなく、いじめとどう向かい合い取り組むか考えいくべきです。

繰り返しになるが、いじめ対策は、一教師や生徒・児童だけの問題ではなく、社会全体で取り組み周囲も支援しバックアップすべきものです。

仮に、こどもの学校での「いじめ」対策はこれでよいとして、大人の社会での「いじめ」問題は、実は子供の世界よりも大きな問題があるのではないかと思います。会社レベル、地域社会レベルで起きるもで、現在の刑法などに触法するものもあれば、法律に触れないものもあります。法律に触れるものは刑事事件として対応もできますが、そうでないものにたいしては、国としては「成人人権権利対策法」、地方自治体レベルでは「成人人権権利条例」などが必要かもしれません。
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妖怪はどこへ

妖怪まんがの第一人者である、水木しげるが次のように書いています。
「・・・・・・・
行灯の光が妖怪を繁殖させていったんです。
行灯の光は妖怪の雰囲気に最高なんですよ。
想像力とか、幻想を抱かせる光じゃないですか。
けれども、いつの間にか、わたしたちの生活から行灯が消えてしまった。
・・・・・
ほんの少し前のこと、妖怪が行灯の光に守られているころは、
妖怪的な感度が発達した人間がたくさんいた。
だから、日々の生活のなかに妖怪が息づいていたんです。
いまの人は電気のある生活に慣れてしまったから、
妖怪的な感度が鈍ってしまっている。」
 ・・・・・・・(ゲゲゲ妖怪百物語 宝島文庫)


森づくりフォーラム代表理事で、独自の存在論、自然と共に生きることを提唱している、内山節しは、「日本人はなぜキツネに騙されなくなったのか」の本の中で次のように述べています。

「日本では、伝統的には、自然を人間の外に展開する客観的なものとしてとらえる発想がなかった。その理由は村の自然としてつくり変えたものが自然だったからである。・・・・」そしてそれが崩れだしたのが、1965年頃からで、「・・・・高度成長の展開、合理的な社会の形成、進学率や情報のありかたの変化、都市の隆盛と村の衰弱。さまざまなことがこの時代におこり、この課程でむらでも身体性の歴史や生命の歴史は消耗していった」。
この、身体性と生命の歴史は消耗が、人がキツネにだまされなくなった要因の一つだと言っていある。

現代の世の中は、灯明や行灯や囲炉裏やランプなどの明かりでなく、電気による明かりで最近はLEDライトで非常に明るくなって、妖怪に会わなくなっり、キツネにもだまされなくなってしまったのはよいのでしょうか。また、妖精の存在もみな信じなくなり、存在も想像しなくなってしまいまました。
そして、妖怪を恐れ怖がりながらも、なぜか「水木しげる」がもてはやされ、鳥取境港の「妖怪ロード」は観光スポットになり、ハリーポッターの人気は高いです。
ただ、それらはITなどが生み出した映像の世界や空想の世界で、昔と違うのは生活の中から生まれてきた妖怪とが大きな違いと言えるでしょう。

すこし、私の昔の記憶を頼ると、私の小さいころは「墓場の鬼太郎」と言っていたように思う、そして今のように、人間に悪さをする妖怪をたしなめるのではなかった。大人を小馬鹿にした悪ガキのような、まさにキツネが人を化かすような鬼太郎が記憶からよみがえるるのです。
そして今から考えると時々、目が無いのが逆の鏡像世界の鬼太郎が現れたように思うが、どんな鬼太郎だったかは思い出せない。それらが、いつの間にか親しみのある「鬼太郎」になったのと、人は妖怪に会わなくなり、キツネに騙されなくなったのと、ちょうど時期が重なるように思えるのは偶然でしょうか。
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ホタルブクロ

ようやく梅雨も本格的になり、梅雨の合間に螢が飛び交う季節になりました。しかし残念ながら歩いていける、私の身近な所には螢の生息しているところはないです。
しかし、今年もホタルブクロが沢山さきだしました。

  ホタルブクロ


そこで、ホタルブクロの名前を調べてみました。
 ホタルブクロの名の由来は、植物和名の語源探求 深津正 八坂書房に、「ホタルをつかまえて花の中に入れ、入口をぎゅっとねじりつぶすと開かなくなるので、よくホタルをつかまえては入れて持ち帰りました。数個の花をつけたものを根もとから折り取って、それぞれにつかまえたホタルを何匹かずつ入れるとピカリピカリと光るたびに、本当に幻想的な美しさです」。とあります。この話は、私は以前から蛍を入れて遊ぶことは聞いていましたが、本当に花の中に螢をいれられるのかと思っていましが本当のようです。
また、
火垂袋説があるようです。
「火垂る(ほたる)」である、「火を垂れさげる」意で、昆虫の螢の訓読みもここからきているという。
ホタルという言葉は、「ひ たれる」火垂るで、提燈のことをいい、ホタルブクロの花の形が提燈に似ているのから「火垂る袋」という説もあるそうです。


もう一つ、今年も「猩々花」ショウジョウ花、が咲き出しました。今年は去年より鉢を大きくしたので沢山さいています。
去年もこの花のについては書きましたが、ショウジョウ花は、アプチロンといいチロリアンランプとよばれています。
こちらは低木ですが、花の形や色などから、提灯のようです。

   猩々花2

   猩々花

  
わたしは、西洋名より「猩々花」の方が、夢があり幽玄を漂わせるので気にいっています。
この名の猩々とは、能の曲目に「猩々」があります。そのシテである、猩々が頭に付ける赤い毛の頭巾からきています。

謡曲「猩々」のあらすじ。
 唐の金山の山麓、揚子の里に、高風という正直者で親孝行な青年がいました。ある時、青年は揚子の市に出でて酒を売ると、富貴の身となると教えられます。青年は夢で見た通り揚子で酒を売ると少しずつ富貴になてきます。その高風の元に市が立つごとに酒を買って飲む客がいるが、その客はいくら飲んでも顔色が変わりもしません。不審に思って名を尋ねると、潯陽の海中に住む猩々だと名乗ります。
そして、月の美しい夜、潯陽で高風が酒を持って猩々を待っていると、猩々が海中より浮かび上がって、酒を飲んでは舞い遊びます。そして、揚子の市で酒を呑ましてくれたお礼に、最後に猩々は、汲めども尽きぬ酒壷を高風に与えては消えていきます。実は浜辺で眠り込んでいて夢を見たのですが、眠りから覚めた高風のもとには、猩々の渡した酒壺は手許に残り末永く家も栄えたといわれています。
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化け物の進化

物理学者の寺田寅彦の随筆に「化け物の進化」(昭和4年)というのがあります。
その中で、寅彦は人間文化の進歩に中で、発明想像されたなかで「化け物」がもっともすぐれた傑作だと書いています。
そして、「化け物もやはり人間と自然の接触から生まれた正嫡子であって、その出入する世界は一面には宗教の世界であり、また一面には科学の世界である。同時にまた芸術の世界ででもある。
いかなる宗教でもその教典の中に「化け物」の活躍しないものはあるまい。 化け物なしにはおそらく宗教なるものは成立しないであろう。 もっとも時代の推移に応じて化け物の表象は変化するであろうが、その心的内容においては永久に同一であるべきだと思われる。」と書いています。

昔の人は自然の不可思議なできごとを、化け物のしわざとして解釈し納得しようとしました。雷さまの現象を虎皮の褌を着けた鬼の悪戯だと思ってきました。科学の進歩した現代では空中電気放電だと理解しています。しして、それでなんだか理解して納得した気になります。しかし、よく考えてみると、電気放電が何故大きな音を出したり、光ったりするのか、そして大木を倒してしまったりするのは理解しえいません。結局電気と言う名の怪物の仕業だということになります。
以前にここ数回このブログに私は、人が妖怪を出会わなくなった、キツネに騙されなくなったと書きましたが、その答えがこの随筆を読むと、なるほどなと思うところがありました。。

このことについて寅彦は次のように言っています。
「しかし不幸にして科学が進歩するとともに科学というものの真価が誤解され、買いかぶられた結果として、化け物に対する世人の興味が不正当に希薄になった、・・・・」。


物理学者の寅彦は、学校での理科教育について、今の理科教育は科学的な考え方を植え付け得ないで、理解嫌いを増やしてしまうと、言うようなことも書いています。
「不幸にして科学の中等教科書は往々にしてそれ自身の本来の目的を裏切って被教育者の中に芽ばえつつある科学者の胚芽を殺す場合がありはしないかと思われる。実は非常に不可思議で、だれにもほんとうにはわからない事をきわめてわかり切った平凡な事のようにあまりに簡単に説明して、それでそれ以上にはなんの疑問もないかのようにすっかり安心させてしまうような傾きがありはしないか。そういう科学教育が普遍となりすべての生徒がそれをそのまま素直に受け入れたとしたら、世界の科学はおそらくそれきり進歩を止めてしまうに相違ない。」
この随筆は、昭和4年に出されたものです。当時と学校教育のなされ方が変わってきていますが、今の学校での理科教育はさほど科学者の芽を育てるまでにはいっていないようにおもいます。戦後から文部省や文科省の調査で、生徒の理科嫌いが問題になり、それを受けて理科振興の対策がとられて、それに沿って学習指導要領が作られ理科教育が行われてきました。しかし、一向に理科の成績が上がったり理科好きが増えたりしません。それを考えると、80年以上前と対して変わりが無いようです。いまの科学至上主義で何でも答えを出そうとすることはいささか同じ道を回っているだけでは無いだろうかと思う。

「化け物」の存在をその現象の事実として受け止めていました。また、以前に科学者の信じていた事実も、科学の進歩によりその理論的事実は否定されてしまったものもたくさんあります。そして、科学の進歩発展の速さが速くなった今、ますます事実とされていいたものが否定されるものが多くなり、新しい新事実があるようです。
このことからして、「化け物」「妖怪」の話は、当時の人としては、不思議な奇怪現象であれ、起こっている現象は事実でありそれを、「化け物」「妖怪」のこととして記録に残されていることは、大変な意味があることだとおもいます。
万が一それらの「化け物」「妖怪」を迷信として記録に残されていなかったら、今の科学の進歩などはないでしょう。
小学校や中学校の理科の授業でいうなら、単に科学的な事実を理論的に納得させてしまうと、それ以上の興味はおこらないでしょう。この奇怪な不思議な現象はなんだろうと疑問を起こさせそれを突き止めようとする心の動きを育むのが大切だと思います。

寅彦は次のように言っています。
「化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。宇宙は永久に怪異に満ちている。あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。それをひもといてその怪異に戦慄せんりつする心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。」

この寅彦の言っていることばは、単に、物理学や化学や生物学などの理科分野だででなく、社会科学や心理学などの分野に言えることとおもう。世の中の現象をどのように見るかによって、「見ていて視ていない」か、「視てただしく視ている」かにわかれてくるでしょう。その意味でわたしは、妖怪や化け物を信じる心の目をもてるようになりたいです。
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タブレット端末を使った授業

大阪の小学校でモデル事業として、児童一人一人全員にパソコンのタブレット端末が配られ、授業が行われ話題になっている。
これは、13、14年度に先行実施し、15年から全面実施になるそうです。

学校での授業のITの導入に、全面否定はしないが、心配なこともあります。

それは、導入に積極的な人が言う程、メリットが本当にあるのかということです。
昔英語教育などで、ティーチングマシンの英語教育などが話題になりましたが、どれほど効果があったのでそうか。IT企業の景気対策やIT産業の振興のために利用だけはされないようにしなくてはならないでしょう。


一つは、タブレット端末を使うための授業の準備が教師によって、できる教師とできない教師があること。
一つは、タブレット端末を使っての授業のための自分用のプログラムを組める人と、組めない人がいること。
一つは、タブレット端末を使うための準備のどれだけの時間が割かれるのか、それによりたの生活指導(生徒指導)などの時間が割かれはしないか。
一つは、市販のソフトなどが使われることにより、授業の内容た全市で一律になって、指導者である教師の個性が授業に表れない。

小学校は、学級制で授業をしています、パソコンなどに詳しい教師のクラスは積極的にタブレット端末をつかうが、それに不慣れな教師のクラスはタブレット端末を余り利用しない。これにより、児童の生徒に対しての不満が生まれたり、親の教師への不信感などが生まれてしまわないか心配です。
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天台小止観を読む 3-4

天台小止観 3-4

坐禅をするときに、四に、掉悔の蓋を棄てよと言っている。掉とは動きのことで落ち着きのなさをいい。そして、悔は懺悔のことでみずからを省みて、自分が悪いことをしたとはっきりと認めることです。
そしてこの落ち着きのなさには三つのことがある。一は身の動き、二に口の動き、三に心の動きであるといています。

身の動きとは、一つのことに集中できず、他のことに常に気が取られ一所に落ち着いて留まっていることが出来ないことです。
口の動きとは、いろいろな音楽や歌に気が取られ、世の中の出来事の時事に心を奪われ、世の中のゴシップやマスコミのたれ流す情報に気が取られ心を惑わされてしまうことです。
心の動きとは、座禅などの修行に集中できず、投げやりで物事を深く考えず、表面的なことだけにとらわれ、他人の言うことに惑わされ、それに左右されて根無し草のように、自分の考えがころころ変わることです。

そのような落ち着きのない状態なら、修行を達成するどころか、事業や仕事など一つのものごとも成し遂げることができず、それらは失敗してしまう。

ただ、人間というものはそのような、身口心の落ち着きのなさを、持っているのが人間でもある。だからこそ、その事実を知り受け入れて、それらを反省し改めるように勤めることが大切なのです。

この反省することが出来ない人は、鎖に繋がれていない酔っぱらった象であり、自制のきかない駱駝のようなものであると例えている。

仏は仏門に入った修行僧に言っている。
汝はすでに頭を剃り染めた衣をきている
瓦鉢を手に持って乞食の生活をしている
どうして戯れ掉く生活に楽しみとらわれ
だらしなく情けをほしいままにして法の利を失うのか
といっている。

物事を成し遂げようと決めたのなら、落ち着きのなさを戒め迷わずに、その目的に向かって進むべきだといっている。
しかし、もし落ち着きがなく迷いの道に陥ってしまっても、それに気がつけば、反省してその迷いを捨てるべきであり、その反省がなければ、その落ち着きのなさをなくすことができない。
掉の迷いの動きがある状態のときは、いまだ禅の中に入ってはいないからで、禅の修行をおこなおうと思っても、以前に行ってしまった動きは過ちを後悔して、憂いや悩みが心を覆うので修行の邪魔になることがある。

ただその後悔にも二種類ある。
一つには掉によって後に悔を生ずるもの。
二には大重罪をしてしまった人が、つねに怖畏をいただき、後悔の箭が心に深くつきささっていて抜くことができない状態もの。

それに対して仏は次のように教えている。
してはいけないことをしてしまい
しなければいけないことをしないでしまい
悔と悩みの火に焼かれ
後生の悪道に堕ちる
もし人が罪を悔いて
悔おわればまた憂うことなかれ
このようであるならば心はつねに安楽である
そのことにあまり思いとらわれてはいけない
二種の後悔がある

しなければいけないことをしないでしまい
しなければいけなかったことをしなかった
これらはすなわち愚人の相である
心から悔なかったから
作すべからざることをしてしまったのである
諸の悪事のすでにやってしまったものは
しなかったことにすることはできないのだ

このような種種の状況から掉悔の蓋を呵責し、心は常に清浄に、心に覆蓋あることなからしめるがよい。
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豚の毛を刈る

豚の毛を刈る男

ロシアのプーチン大統領が、アメリカの極秘に個人情報を収集活動をしていた、国家の機密事項を暴露したスノーデン氏がロシアの空港施設内にいることを認めました。そして、アメリカがスノーデン氏を捜し捕えようとしていることに対して、ロシアの法を犯していないので、スノーデン氏を捜したりすることは「豚の毛を刈るようなものだ」とアメリカを批判していました。

そこでこの、「豚の毛を刈る」について思い出したことがあります。
ブリューゲルの絵に「ネーデルランドの諺」があり、その中に「豚の毛を刈る男」があります。
画面下の左よりです。絵をクリックすると拡大します。

   ネーデルランドの諺
   絵は、Yahoo!@double edgeさんのブログからリンクしまた。


絵の言っていることは、「家畜の毛を刈る一人は羊の毛を刈り、もう一人は豚の毛を刈っている」。
つまり、同じ行ないでも片方は有益で、片方は無益な行い。ということです。

羊の毛は、ウールになり高級な服になります。一方、豚の毛は、刷毛になったり、筆にもなります。

北欧のオランダあたりでの、この諺「豚の毛を刈る」は、豚の毛は役立たずで、無駄な行いとされています。しかし、豚の毛は油絵の筆で最も一般的な筆です。そうだ!私の子どものは豚の毛の歯ブラシがありました。本当は豚の毛はいろいろなところでつかわれています。しかしやはり羊の毛には負けるのでしょう。実はどんなものでも使い道があるのです。


芸術家の描く絵は、いろいろなことを見る人に発信してくれます。それは権力者にとって都合のよいものもあれば、反対に権力者を風刺し批判するものもあります。
決して、豚の毛を刈ることは無意味なことではないのです。毛を刈ったあとどうするかが問題です。

最後にこのは以前、2012-04-16にブロッグで書いたことがあります。
その時は、人の愚かさや過ちを戒めたものとして、いくつかの諺も紹介していました。
また、過去の記事にはこの「ネーデルランドの諺」に描かれている、諺の詳細が書かれている。Webページにリンクしてあります。
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殺生石 と 玉藻の前

鳥山燕石の今昔続百鬼 雨に「玉藻の前」という絵があります。その絵の文が添えられ次のように書いてあります。
「邪代酔に古今事物考を引て云 商の妲己は狐の精なりと云々 その精本朝にわたりて玉藻前となり 帝王のおそばをけがせしとなん すべて淫声美色の人を惑わす事 狐狸よりもはなはだし」

    
    鳥山燕石 今昔続百鬼 玉藻の前
    wikipediaの鳥山燕石より、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%97%BB%E5%89%8D

この帝とは鳥羽上皇のことで、玉藻の前とは誰のことでしょう。鳥羽天皇の女御に権大納言藤原公実の娘璋子がなりますが、祖父の白河法皇の養女でお手付きだったようで、鳥羽天皇の女御になってからも関係が続いていたと言われています。
しかも、鳥羽天皇の子崇徳天皇も実は、白河法皇の子とも噂されたといわれています。崇徳天皇の弟の後白河天皇は、崇徳天皇と同母ですから。こちらも白河天皇の子かもしれません。去年放送されたNHKの大河ドラマ「平清盛」では、清盛は白河法皇の子という設定でした。その真相は私はしりませんが、この鳥羽天皇と二人の子の関係をみると、あながち突飛な設定とは言えそうにないでしょう。

また、能に「殺生石」という曲目があります。
あらすじは次のようなものです。
高僧玄翁が下野国那須野の原を通りかかると、一つに石の上を飛ぶ鳥が落ちるのを見。玄翁が不審に思っていると、女が現れ、その石は生き物を殺してしまう殺生石だから近寄ってはいけないと伝えます。玄翁は女に石の由来を語ります。
「昔、鳥羽院の時代に、玉藻の前という女が仕えていた。玉藻は才色兼備ので鳥羽院の寵愛を受けていたが、実は化生のものであることを安倍泰成に見破られ、那須野の原に逃げるが、ここで討たれてしまいその魂が残って巨石に取り憑き、殺生石となった」と、語り終えると女は玉藻の前の亡霊であることを告げて消えます。
玄翁は、石魂を仏道に導いてやろうと供養を執り行うと、すると石が割れて、九尾の狐の霊が姿を現し。狐の霊は、「天竺、唐、日本を渡り周り世に乱れをもたらしてきたが、安倍泰成の祈祷に追いさされ、那須野の原に逃げたが狩り出され撃ち殺され露と消え、以来、殺生石となって生類を何年も殺して過ごしてきた」と、これまでを振り返ります。そして今、有難い供養を授けられたからには、今後は悪事はしないと誓い狐の霊は消えます

話は横にそれますが、この謡曲のワキの高僧 玄翁は、大工道具の一つ大きな金槌である「ゲンノウ」はこの、高僧の名前「玄翁」からきているといわれます。

ワキ「実にや余の悪念は。かへつて善心となるべし。然らば衣鉢を授くべし。同じくは本体を。再び現し給ふべし。
 --中略 --
ワキノツト「木石心なしとは申せども。
詞「草国土悉皆成仏と聞く時は。本より仏体具足せり。況んや衣鉢を授くるならば。成仏疑あるべからずと。花を手向け焼香し。石面に向つて仏事をなす。汝元来殺生石。問ふ石霊。何れの処より来り。今生かくの如くなる。急々に去れ去れ。自今以後汝を成仏せしめ。仏体真如の善心となさん。摂取せよ。
後シテ出端「石に精あり。水に音あり。風は大虚に渡る。
地「形は今ぞ現す石の。二つに割るれば石魂忽ち現れ出でたり。恐ろしや。
ワキ「不思議やな此石二つに割れ。光の内をよく見れば。野干(九尾の狐)の形はありながら。さも不思議なる仁体なり。
 -- 中略 --
そして最後に、野干は「此後悪事をいたす事。あるべからずと御僧に。約束固き」と言って消えてゆきます。


五木寛之が「「生きとし生けるもの」というが、天台の思想では、命があるという意味だけででなく、石や土や山などにまで仏性があると考える。「草木国土悉皆成仏」という言葉は、自然のすべてのもの、山も草も木も、けものも虫も仏性をもっているということだ。 自然のすべては人間にとって友であり、そこには尊い命がある。」と、なにかの本で書いていました。
この、高僧玄翁が供養したことは、世の中すべてのものは、仏体真如の善心となるのだと説いています。

このこと今の世の中、世界中にいろいろな妖怪や鬼が闊歩しているように思います、日本も含めてそのような妖怪はこの草国土悉皆成仏の法力で、懺悔させ解毒をさせたいものです。そのためには常に惑わされないように、一人一人の自身の心の中も焼香ができればと思います。
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命のいただきかた

私たち人間は、いやあらゆる生物は、他の生き物を犠牲にして生きています。

食卓には、美味しい牛肉、豚肉や鶏肉や魚などが毎日食卓の上に並ぶでしょう。

そして、牛などの美味しい肉にする飼育の仕方などが、テレビで紹介される番組を見て、畜産業者が養鶏業者などが、手塩を掛けて育てているのに、感心し感謝することがありまし。

しかし、牛や豚や鶏などが生産者の手から、食肉の加工業者に渡ってから、どの様に食肉販売店の棚に並ぶかはあまりしりません。

YouTubeに二つのビデオレポートを見つけました。

いのちの食べかた 「近代的な屠場」
http://www.youtube.com/watch?v=qDBQmEcJPeU


屠場
http://www.youtube.com/watch?v=WGt0zx2KSU0


また、加工工場の見学レポートが、ブログなどにもありました。

「半月のこころ」さんのブログに、兵庫県加古川食肉センターの見学に行ったレポートが載っています。

同じくこちらも、「さっち~」さんのブログ、兵庫県加古川食肉センターの見学にレポートです。
http://amour918.blog.fc2.com/blog-entry-803.html


猿楽ブログ出版社高文研の情報サイトに、大阪貝塚市の屠場を見学した時のレポートがあります。
貝塚市の屠場に行ってきました。

私自身、魚は自分で捌いたことはありますが、動物の解体現場を見たこすらはありません。

現代の日本の家庭の食卓の肉がのるため、どの用にされているのか改めて知ると同時に、そのされかたに改めて衝撃を受けたことは隠しきれません。
また、肉の解体だけでなく人の旺盛で貪欲な食欲を満たすために、この解体は自分を生かす為に必要なことだと納得することはできます。仏教では殺生戒といい生あるものの命を奪うことは戒めています。しかし、それは自分の生命を生かすためには、食卓に乗っている肉も他の生命を犠牲にして生きてきたのと同じように必要限は許されています。逆に、食卓の肉を粗末に扱うことは、その肉が犠牲にしてきた生命に対して、失礼に当たるこことでしょう。


人の貪欲な美食欲を満たすために、フォアグラのためにガチョウの肝臓を肥大させるような、飼育法は果たしてよいのでしょうか。人でいうとガチョウが生活習慣病に陥る飼育法です。これはフォアグラに限らず、霜降りの牛肉も同じでしょう。食肉の為に動物を屠殺することは、人が生きていく上で必要なことです。しかし、どの様にして食卓に上る肉が育てられ、解体されていくかを心の片隅にでも置いて感謝して食べるようにしたいものです。フォアグラなどは人の驕りからの食べ物と言えるので、感謝するのではなく懺悔をして食べるないといけないでしょう。
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30万匹近い犬猫のゆくへ

知りませんでした、平成19年に日本で30万匹近い、猫や犬が殺処分されたそうです。一日に約820匹で、約70秒に一匹になります。捨て犬猫として収容されたり、飼えなくなったからと持ち込まれた、犬や猫たちです。
動物愛護センターに収容されると、五つの部屋があり、毎日隣の部屋に移され、その間に新しい飼い主の引き取り手がなければ、5日目の部屋で炭酸ガスによる殺処処分がされるそうです。

これは日本の文化国家としての国の姿の現状です。多くの家畜が美味しい食肉として、脂の乗った体に育てられ、食料の為に殺されています。また一方では、ペットとして飼われた犬や猫がこのような目に当ています。
自分の都合でペットを買い出し、都合が悪くなったからなどの理由で、捨てられて殺処分されるこのような現状をどう考えたらよいのでしょう。

単に自分の身が手と言うだけでなくその中に含まれている問題は、実は奥深い深刻なものがあるようです。
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食卓に登る食材

私たちの食卓には、毎日おいし御馳走がならびます。その料理に使われる材料がどのようにして作られているのか。NHKなどのテレビ番組で、農家や漁業の方、畜産業の方が美味しい食材が、食卓に登るように大変な苦労と知恵と汗の結晶であることが放送されています。しかし、それと同時に人間の胃袋を満足させるために、いかなることがなされているかを知ることはほとんどないです。

動物の解放という運動をされている方がいます。その中で紹介されている動物の虐待とも言える行為には、なんと私たちの食卓の上に乗る肉などは、このようにして作られているのかと、驚かされるものがありあます。
さきに、屠殺場のことのブログ記事をかきましたが、屠殺だけでなく食料となる肉をせ産する上で、神をも恐れぬような繁殖や飼育の方法がなされているのは、推測すればできたことかもしれませんが、そのようなことが行われて食卓の上に上っているなどとは夢にも思わなかったです。

私は、動物の解放の方がなされている、それらの行為すべてをよいことだとか、正しいことだとか、自分たちも肉を食べているのによくいうよと言って悪だとは思いません。
それより、日常の食卓に登る食材がどのように生産されているのかを、知らしてくれることは大変重要で大切なことと思います。そして、自分たちの生命の糧として戴いている食べ物は、このようにして食卓の上に上るのだと言うのは知っておかなければならないし、人間の驕りにたいして反省しなくてはならないと思います。
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呼吸について

呼吸について再び考えてみる。

呼吸については、ヨーガや仏教の瞑想などで、昔からいろいろな方法が述べられ、近代になっても○○体操や○○整体、○○瞑想法などと今までも、いろいろな方法が発表され実践されその効果や成果が取りざたされています。

呼吸が心理的な面や精神的な面にで、人の機能に様々な効果があるのは、仏教やヨーガなどで言われていますが、私は整体師でもなければ、呼吸について研究している者でもないです。そして、医学を学んだ者でもなく、生物学者でもないので、そのあたりのことはそちらの人の本などを読んでみたいと思います。

ただ、人の呼吸は新鮮な空気と体の生命活動を維持するために使われた空気の入れ換えをするものです。人の肺はガス交換機(器?)といえます。
そして、深呼吸をしても30パーセント程しか、空気の入れ替えをしていないそうです。残りの70パーセントは肺の奥に留まり、再び体を各細胞に運ばれています。
人の体の各細胞は新鮮な空気、特に酸素によって古い細胞は遺棄され新しい細胞は作られ、体の新陳代謝が行われ活性化されます。
そのことを考えると、出来るだけ肺によるガス交換を効率よくする。すなわち30パーセントしか入れ替わっていないのを、40パーセント、50パーセントと上げることが、体の各細胞の新陳代謝を促すことになるでしょう。

わたしが、毎朝、複式呼吸で出来るだけ深く息を吐くようにしています。吐いて吸ってと1分間に2回弱ほど、出来るだけ息を吐ききるようにしています。普段は1分間にどれぐらいしているのでしょう、ちょっと意識して数えてみると15回ほどのようです。
肺の中の空気の30パーセント程を、1分間に15回入れ替えるのと。深く息を吐ききる複式呼吸で、1分間に2回入れ替えるのとでは、どちらがガス交換の効率がいいのでしょう。

肺自体は筋肉がないので肺自身で空気を出したり掃いたりすることはできません。肺の空気を出したり取り入れたりするのは、二つの筋肉の動きにより、肺を縮めたり膨らませたりします。肋骨と肋骨との間にある肋間筋の働きにより行う胸郭の運動により胸式呼吸と、横隔膜の上下運動によって行う腹式吸です。また、肋間筋肉と横隔膜は自律神経に支配されていますが、随意筋でもあるために、呼吸をコントロールすることができます。
そして、胸式呼吸と腹式呼吸とではガス交換効率は大きく違い、腹式呼吸の方が格段にいいと言われています。

呼吸は普段意識する事はないですが、早朝の気持ちの良い空気のなかで、沢山の空気を吸って肺のガス交換の効率を上げ、体の各細胞の隅々までに酸素を送り込んで、細胞の活性化をはかることが出来ればと思います。
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カマキリとチョウ

カマキリとチョウ


「オ~イー! お前、そこに居たら、飛べないから邪魔だ。どけ!」
「何言ってんの、わたしは食事中よ。あんたは肉食のくせに、花に止まるからいけないのよ」

 IMG_1476.jpg


「つべこべ言うな!、食っちゃうぞ!」
「食えるものなら食ってみなさいよ!。その位置から私を食えるの?」
「おれの斧の力をしらないな。大きく振り上げたら一刀両断だぞ!」
「あんたは、蚰蜒以下よ」
「蚰蜒以下とはどういう意味だ!」
「蚰蜒は前位にしか進めないというでしょ。後ろに下がれないので背を向けて逃げないけど。蟷螂の斧と言って、自分の力もわきまえずに斧を振り上げることしか知らないからよ。」
「蝶のくせに、今すぐ捕えて食ってやる」
「斧を振り上げるなら上げてみなさいよ」
「わたしは、その隙に飛んでいってしまうから」

         IMG_1471.jpg
 

しかし、この蟷螂と蝶のやり取りを聞いていた鳥がいました。しかしこの鳥もどちらを食べようかと迷っていたのです。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 東京五輪の延期は
    アジシオ次郎 (03/25)
     おはようございます。

     東京オリンピック・パラリンピックは1年延期となったわけだが、新型コロナウイルスという道の猛威には勝てなかったというか、この状況で予定通
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    竹林泉水 (02/20)
    「桜を見る会」などを棚上げすれば、モリカケのようにうやむやにされ、日本の行政がますますゆがめれれていく。
    コロナウイルスの対処は別問題では?
    一所にすれば、両方と
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    幽村芳春 (02/19)
    「桜を見る会」の論戦はいったん棚上げにして、今国会ではコロナウィルスなどの防疫問題を論議してほしいと思います。
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    竹林泉水 (02/07)
    コメントありがとうございます。
    五観の偈をとなえて食事をなさっておられるのですか。 頭がさがります。

    企業活動や時の政権も、この「五観の偈」を、政治や商売に置き
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    幽村芳春 (02/03)
    私も必ず「五観の偈」を唱えてから食事をいただいています。実際に唱えると五観の偈の意味がよくわかります。
  • 津久井やまゆり園の裁判
    竹林泉水 (01/15)
    こちらこそ 今年もよろしくお願いします。

    やまゆり園の裁判で、被告が突然暴れ出したとニュースされたとき、詳しいことが報道されなかったので、よく分からなかったです
  • 地球温暖化の問題点
    竹林泉水 (01/15)
    年始葬送のコメントありがとうございます。
    今年もお互いに良い年でありますようねがっています。

    ハイ 温暖化問題の解決の一番は、私は人間活動に足るを知ることだと考
  • 津久井やまゆり園の裁判
    アジシオ次郎 (01/13)
     遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

     さてやまゆり園無差別殺傷事件の被告に対する初公判は、開廷して被告が謝罪したと思いきや突然口に手を突っ込むとい
  • 地球温暖化の問題点
    荒野鷹虎 (01/10)
    温暖化問題は難解ですねー。
    直ぐ原発再稼働に走りがちになりますのでとんだ飛躍ですよねー。
    水力や風力発電はいかがなものでしょうかね。
    恐ろしいことが現実化されてい
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