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人と人が互いに違うのはなぜか

「人と人が互いに違うのは、自分と自分以外の人を知るために違うのだ」。

人や物事にはそれぞれの個性があり、違いがあるのが素晴らしいことだし強みなのです。なにが起きるかわからない自然の中で、それぞれの違いがいろいろな出来事に対応対処でき、それぞれが存続していくための力の源と糧になるのです。
皆が同じであれば自分と他人の違いがなく、自分は自分か他人かは判らなくなってしまいます。人に個性や違いがあるのは、人と比べることにより自分の個性を知り、相手の特徴を理解できりのです。

しかし、機会文明が高度に発達し組織が大きく複雑になり緻密な組織になると、その個の単位が少しでも枠や型の基準はからはずれると、その組織は本来の動きをしなくなったり動かなくなったりします。
少し前まで同じ形の同じ考えの者が集まったグループで事業を興していましたが、今は企業は個性のある人材を求めるようになってきていると聞きます。その方が時間の流れの速い今の世の中で、その事業を進めていく上に多角的な視点でものをみての事業を進めやすいからでしょう。

しかし、世の中の中には未だに自分の周りとの違いを気にしたり、自分と毛色の違うのを排除したりする人たちが多くいます。教育界では最近、成果を追求する声が高まってきています。それは学習指導の成果や、学級運営の成果がとわれ、教師が成果主義の陥りかねないです。そうなると指導は管理的になり、金太郎飴のような人をつくる指導に陥りやすいです。

また、市民生活や隣同士の人との生活の場でも、相手の違いを取り上げて自分達との違いを、避難し合ったり排斥しようとしたりする傾向が見えてきました。本等は色々な価値観がある人が集まって過ごせる社会が強く豊かな社会になるのですが、その違いを認め受け入れようとしない社会は弱く脆く心の貧しい社会になってしまうでしょう。
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社会に埋め込まれ、透ける人間

中国の芸術家、劉勃麟(リュウ・ボーリン)さんが、自分が背景に溶け込む作品を作っています。

その様子が、YouTube で公開されています。
透ける劉勃麟
http://www.youtube.com/watch?v=-xW_SyuwF0o


これを見ていて、中国の人々が社会主義という一つの枠に取り込まれて、自分の主張や個性が社会に埋め込まれて、溶け込んでなくなって行く様子を表しているように感じます。

この問題は、中国だけでなく世界のどの国でも、起こりうるいや起きていることのように思います。
世の中がグローバル化し極端に情報技術が進んだなか、人々はその社会の一つの歯車として廻るのです。
ゼンマイ式の時計をみると、平歯車、テンプ、がん木車、アンクル、歯車でも様々な歯車があります。しかし、クオーツのデジタル電子時計は歯車がなくなり、一個の一ミリにも満たない電子チップになってしまいます。
人の個性もIT化した社会では、どんどん、個性がなくなっていきます、歯車は、平歯車の他に、ピニオン はすば歯車 やまば歯車 ラック かさ歯車 冠歯車 ハイポイドギヤ ウォームギヤ スプラケットなどの、歯車があるのだが、IT化された社会での組織の一員などは、歯車の違いのような個性がなくなってしまっているように思えます。

この、劉勃麟氏の作品は
世の中に埋め込まれ埋もれてしまい、個性が消えていく自分をも含めた日本人のようにもおもえます。

劉勃麟を紹介したWebページです。
世界のクリエイティブカルチャーを紹介するトライリンガルオンラインマガジン。SHIFT
リュウ・ボーリン
http://www.shift.jp.org/ja/archives/2011/01/liu_bolin.html


    
    http://www.shift.jp.org/cn/images/2010/12/liu%20bolin%2033920101222002.jpg

    
    http://www.shift.jp.org/cn/images/2010/12/liu%20bolin%2033920101222004.jpg

    
    http://www.shift.jp.org/cn/images/2010/12/liu%20bolin%2033920101222001.jpg

    
    http://www.shift.jp.org/cn/images/2010/12/liu%20bolin%2033920101222003.jpg

劉勃麟を紹介したブログがありました。
通信制高校 愛媛LETSで働くカリスマスタッフ奮闘記 背景に溶け込んで透明になっている疑似透明アート
http://ameblo.jp/lets-campus/entry-10474125520.html


他にも作品が作られています、
追加記事に紹介してみました。

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置いてけ堀

「おいてけぼり」を食ったとか、時々つかう言葉ですが、「置いてけ堀」という妖怪がいるそうです。

置いて行け堀
【置いてけ堀】広辞苑に次のようにあります。
①魚がよくつれるが、帰りしなに、どこからともなく「置いてけ、置いてけ」とい声が聞こえるという伝えのある場所。江戸の本所の七不思議の一つに数えられている錦糸堀が有名。
②他の者を見捨て去ること。置き去りにすること。おいてきぼり。「-をくう」

この①の「置いてけ堀」の妖怪は、水木しげるによると獺(かわうそ)だと言う説があると紹介されているが、河童だという説もあるそうです。また女の姿をみたと言う人もいるそうです。

   置いてけ堀

   Wikipedia置行堀

江戸本所には「おいてけほり」と言う池があったそうです。何でも、魚が良く釣れるからと、必要以上に欲張って釣るのを戒めているのでしょうか。

今の、江東区亀戸1-12第三亀戸中学校。錦糸町駅北口付近で、江戸本所の七不思議として、当時から話題になっていて、いまは地域興しの一つとして、案内の立札や近所に商店ではそれに関する菓子やグッズなどが売られているそうです。

しかし、現代に世相と照らし合わせて考えると、世の中の流れの転回の速さについていけず、置いてけ堀をくう方か。格差が拡大して富は富がある方に流れていくので、置いてけ置いてけと叫ぶ方か、どちらも切実な庶民の声のように聞こえます。
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日の明ける時刻と季節のうつろい

ちょうど今頃が、日の明けるのが一番早いころで、すでにだんだん遅くなってきています。

私の住んでいる所では、ちょうど今頃の日の出は、午前4時46分ごろです。そして、夏至の翌日の6月22日になると、47分になります。しかし、夕暮れが早くなるのはもう少しあとです。

6月26日は七十二候では、【菖蒲華】で、菖蒲の花が咲き出すころとされています。
先日も書きましたが、近くの菖蒲園に行くと、菖蒲の花がすでに沢山咲いていました。



   


今は、日の入りは午後の7時15分ごろすが、夏至を過ぎたころは16分ごろになり、再び15分ごろになるのが、小暑の7月7日を過ぎた、7月8日からです。

今年の梅雨はあまり雨が降らず、暑い日が多いですがこれからが夏本番です、暑さ対策はしっかりしておきたいとおもいます。
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体罰と世の中の情勢

【温故知新】と言う言葉があります。「昔のものごとをよく考え研究し、そこから新しい考え方や知識を得ること。過去の事柄にこそ、現在の新しい事態に対処する知恵が隠されているのでよく研究すべきこと。」。ということでしょう。


NHKのクローズアップ現代で「スポーツ界の体罰」を取り上げた、番組を見ていて感じたことがあります。スポーツ界や教育現場での上下関係、とりわけ上級生と下級生の関係について場面を見て、昔の陸軍の古兵による初年兵いじめを思わせます。それは上下関係を作り上、上意下達を徹底させ、組織を強固なものにして強い部・チームをつくることです。
戦後の教育は戦中に学校に将校が入り、勉強より軍事教練などにより国に忠誠を誓う小国民を作り上げ、教え子を戦地に送り尊い命が消えた反省がなされました。しかし、何時ごろからかその戦前の手法を真似て、子どもたちを指導するようになっていました。

私が教員をし始めたころ体育会の入場行進の時に、本部席前を通るとき右手を斜め上に挙げて行進をする学校がありました。
その時は私自身深く考えることもなく、これから懸命いに競技に打ち込むものと思っていました。しかし、しばらくして知ったことですが、その右手を斜め上に挙げて行進するのは、1936年に開催された第11回ベルリンオリンピックで、ドイツの選手団が入場するときにハイルヒットラーを真似たものと言うのをしりました。私はそれを知って無知の恐ろしさ怖さに考えさせられました。

スポーツや体育教育の場だけでなく、今の世の中それもとりわけ政治家をみると、明治以降の昔を懐かしみその夢を実現させようとしているように思えます。

江戸時代以前は、中国や朝鮮からの使者は厚遇していたことが、過去の史料により窺い見ることができます。しかし、明治以降今までの鎖国政策から門戸を開放し、いち早く西欧の文化文明を取り入れ経済発展を成し遂げたころ、朝鮮や中国を蔑視するようになり中国や朝鮮などのアジア諸国を蔑視し侮蔑するようになりました。

そして、それが相手の立場を考えないでの、朝鮮併合や満州国建設に繋がっていったと思います。ポツダム宣言を受諾しその反省のもとに、日本国憲法をつくり世界に平和国家としての誓いをたてました。

しかし、1953年の日韓国交正常化交渉で日本側首席代表を務めた外務省の久保田寛一郎参与が、朝鮮半島の植民地支配を正当化する発言をしたり、韓国側を「思い上がった雲の上から降りて来ない限り解決はあり得ない」と非難いていたそうです。そして、「日本の朝鮮統治は悪い面がかりでなく、良い面もあった」と発言し、日韓交渉は決裂4年余中断し、日本側は代表を交代させ、発言を撤回したうえで58年に交渉を再開させ、65年に日韓基本条約を結ぶに及びました。
戦後まもなくのころですから、戦前の帝国主義的な考えがまだ流れていても不思議ではないかもしれません。そしてその流れが間違っているなら、その流れを変える動きがあった正しく働いたことも見てとれます。

しかし、最近の政治家の発言や世論の動きを見ていると、過去のあり方を懐かしみその有り様の意味を深く考えないで、昔の良き時代を蘇らせようという雰囲気を感じます。最近の政治家はどうも、「温故知新」でなく「温古知新」で懐旧に耽りすぎているように思う。

ここは いつか来た道。とならないようにしたいですね。

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赤ちゃんの性善説

京都大学の教育学研究科らの研究グループの実験によると、赤ちゃんの性善説が裏付けられるような研究成果を、米科学誌プロス・ワンに発表したそうです。

実験は乳児に「球体と立方体が追いかけてこづいたり、押しつぶそうとする攻撃行為があ映像を見せた後」。球体と立方体を見せると、明らかに攻撃を受けている方の立体に興味を示したそうです。
そして、攻撃的な様子のない映像を見せた場合は、選ぶ立体に差は無かったそうです。

このことから、「人間の生まれ持った本質は、苦境にある他者に同情的態度をとる『善』である可能性が高い。文化や社会的な経験で、原初的な同情的態度から、より複雑な行動に変化すると考えられる」と分析しています。
大人だと、「強いから」などと同情とは別の理由で攻撃者を選択する人が多いそうです。

赤ちゃんはの心は無垢なのでしょう。
無垢とは、仏教でいっさいの煩悩を離れて、清浄で心身に汚れがなく、清らかなことということから、赤ちゃんはこの実験の結果が表しているように、純粋な目でものを見ていると言えるようです。

仏教の究極の教えは成仏することです。
私たちの普段の日常の生活で「成仏」するといえば、死ぬことを指す言葉に使われてがちですが、仏教で「成仏」するとは「仏に成る」ことで、命あるものすべてが仏に成る。仏とは全知全能の絶対神ではなく、心理を極めた人であり、悟った人、涅槃を得た人で無垢な心を持った人といえます。
そうすると、赤ちゃんは仏であり、大人の中で過ごしていると、だんんだん汚れを身に纏っていくのでしょうか。
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百人一首 10

17
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
   在原業平朝臣

ずっと昔からの神代の時代にも、聞いたことがない。川一面に紅葉が浮いて流れる竜田川が、真赤に川の水を染めにしているなどとは聞いたこともない。

   17在原業平朝臣碑s


在原業平朝臣  平城天皇の皇子阿保親王の第五子。「伊勢物語」の主人公かとも擬せられている。六歌仙の一人。


ちはやぶる・・・と聞けば、からくれななゐに・・・・とくる、この歌は、百人一首の中でも耳に響き覚えてしまう歌のようです。

この歌の舞台になった竜田川は、奈良県生駒郡斑鳩町竜田で、JR法隆寺から30分程のところにあります。
紅葉の季節には、付近は紅葉の名所で、龍田神社の他、法隆寺などが近く、斑鳩の里を散策しながら竜田の流れをしのぶことができます。ことしは正倉院展の帰りにでも竜田川にも足を運んでみようかと思います。



36
夏の夜は まだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ
               清原深養

 夏の夜は、まだ宵だと思っているうちに明けてしまったが、いったい雲のどこに月は宿っているのだろうか。

   36清原深養父碑s


清原深養は清少納言の曾祖父です。


このころ使われていた暦は、太陰太陽暦で、旧暦の四月から六月が夏です。今年でいえば5月10日から8月6日にあたります。
そしてちょうど今頃が一年で一番、夜の短い時期です。私の住んでいる地域では、夜明けが4時8分頃で、日の出が4時46分ごろです。そして、この歌では月がまだ出ているはずだと歌っています。明け方に月がまだ出ているので、下弦の月ごろでしょうか、しかしその月も雲に隠れて見えないと言うので、丁度梅雨入りして月も雲に隠れているのでしょうか。
しかし、いまはもう一年のうち一番夜明けが早い時期はすでにすぎ、数日前から夜明けの時間がだんだんと遅くなってきています。
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

あたらしい憲法を教えるのは

岩波書店の月刊誌「世界」の“読者談話室”の82歳の方の投稿に次のような一文がありました。[九四八年(昭和二三年)の春、高校一年の時社会科の授業で、文部省発行の小冊子「あたらしい憲法のはなしが教室で配布された。・・・・・これを手にした小柄なT先生は昂奮のあまり顔を紅潮させ、声を高ぶらせて「いいか、日本もとうとうこんな時代がきたのだぞ!」と叫ばれた]。
(この「あたらしい憲法のはなし」は青空文庫で、デジタルテキスト化され公開されていまうす。【あたらしい憲法のはなしhttp://www.aozora.gr.jp/cards/001128/card43037.html [htmlテキスト表示])

私はこの投稿記事を読んで、もし、現行憲法が自民党の憲法草案に改定されたら、学校の教師はどのように生徒たちに教えるのだろう。

自民党草案の前文には次のように書かれています。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
・・・・・
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
・・・・・
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
・国民の権利・義務として
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反しはならない。
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
・憲法尊重擁護義務として
十一章 最高法規
第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
とあります。

このことから、自民党の草案が新憲法として成立すると、学校の教師は生徒に、涙を流しながら天皇が元首と明確に位置づけられたこに、顔を紅潮させ拳を振り上げて、此れは善いものだ善哉!善哉!と言わないと。憲法第百二条によって罰せられることになります。

しかし、自民党がこの草案を説明するときに「強い日本」「美しい日本」「華族の絆を重きにおく日本」などなどの、耳障りの良い言葉が並びます。そのなかに、今まで享受してきた基本的人権や、立憲主義のもとでの国民主権の政治、国際社会に対しての平和外交とその取り組み。これらが後退していくのではないかと危惧感があるなかでは、新憲法を生徒に責任と自信を持って、これは良いものだとは説明し易いものでしょうかし難いものでしょうか。
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教育委員会は無用か

教育委員会無用論や廃止論などが取りざたされている。

各自治体の教育委員会の多くは、形骸化しているのは事実でしょう。そして、その形骸化している自治体は、地方行政が堅固にできているからともいえます。しかし、教育が行政側が握ることにより、教育がなおざりにされて、弊害がでた例を上げるとわかりやすです。それが、いじめ自殺問題で教育委員会の機能が働いていないことを晒しだした、大津市教育委員会であり、体罰自殺問題での大阪市教育委員会です。これらのニュースを聞いていてもわかるように、教育委員会の機能が働いていないがわかります。

しかし、ここでよく考えないといけないのが、働いていないから無用だとか、廃止だとするのは短絡的過ぎると言える。

機能していないなら、機能するようにまずはするべきで、それが民主主義の法治制度ではないかと思う。
人の体でも、臓器の具合がわるくなったから、すぐに健全な臓器を移植しましょうとは決してならない。まずは、治すことを考えそれに向けて、いろいろと処方治療します。そして最近なによりも大切だと考えられるようになったのが、自己治癒力を高めることです。外からの医学的、理学的、工学的な治療でなく、自身に持っている免疫力を高め自己治癒させる方法に注目が集まっています。
教育に携わる人はみな、真面目で真剣に取り組んでいます(私はそうだとはあまり言えなかったですが)。子どもたちをよくしたい思いがつよく、勇み足になってしまうことも多いですが、それは悪意から持って生まれたものではないです。ただ悪意でないおもいでなく、善意からの勇み足なのでその間違いに気づき矯正するのが難しいのです。
そして、教育委員会の委員はそのような人でなく、名誉職のように思い仕事をしている人が多いので、真剣に本質を見抜いて委員会会議に向き合っていない人がいると言われています。

前から私が言っているが、教育委員の報酬をもっと上げ、委員としての仕事をする時間を確保し、仕事をさせることが必要だと思う。
それであっても、教育委員会が機能不全しているなら、廃止してもいいだろう。

問題は、教育委員会の制度にあるのでなく、教育委員たちが本来の、仕事をしていないことにある。教育委員が半分名誉職のように思って、その職責をしていると思われる人もいるようです。

教育委員の仕事は、教育事務局から出される案件を、認めることが仕事となっている。そして、それを審議するのは月に何回かの会議で、時間も限られた時間でするのが、多くの委員会のあり方のようです。
しかも、教育委員が教育に対して素人であったりしたら、事務局の出した案件に対して、疑問や指示を言いにくい雰囲気になってしまう。これがおおかた教育委員会のようです。それでは委員会としての機能を、まともに発揮できる訳がないです。

委員会を廃止すると、教育行政が上位下達式になってしまうおそれがある。そうなると、教師は自分で考え教え指導するこができなくなり、指導要領のもとに決められたことを教えるだけになり、仕事に対し責任感が無くなり無責任になってしまう。
自民党は、現行の教科書を作るのに、文部科学省が示している、学習指導要領をもとにして作られた、教科書のの検定、国が教科書の内容を項目を定めて教科書検定をする制度に、変えることを考えているようです。とどのつまりは、教科書検定ではなく事実上の国定教科書にしようとするのでしょうか。
そうなれば、子どもたちを一つの倫理観や規範意識に縛り、金太郎飴のような人間に作ってしまう恐れがあります。

これからの日本の教育はどうなるのでしょうか。
各学校は、自治体の首長に管轄になり、教えられる教科書は全国一律になる。
そうなれば、残されたものは、地方自治体の知事は、総務省の直轄になり勅任官制になり、市町村長は総務省の認可制にすることで、憲法改正と併せて完結するでしょう。
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ペットボトルのリサイクル

ペットボトルのリサイクル

使用済みペットボトルの回収施設での体験。

ペットボトルの回収センターでのその仕事を実際に体験してみました。

始めに使用済みペットボトルが回収施設から出庫されるまでの流れを見てみます。


ペットボトルは色々な方法で回収されています。
・自治会などの地域の回収事業。
・スーパーなどの回収ポット。
・自治体の家庭対象の回収。
  (この三つはそれぞれの取り組み方にもよるが、ペットボトルを洗う、キャップを取る、ラベルを剥ぐなどがされマナーはよいと思います。)
・会社などの事業所からの回収。
  (事業所のペットボトル回収の取り組み姿勢が前向きかなおざりかによって違があるようです。)
・自動販売機の回収箱。
・交通機関の駅などからの回収箱。
・コンビニなどの回収箱。
  (これらは、その場で飲んでその場で捨てるので、ラベルが付いたままが多いようです。)

上記のようにいろいろと、回収方法があります。そしてそれらの回収に於いて、ラベルを剥がす、容器を洗うなどの資源ゴミとして出す上での、マナーの質に差が大きくあるようです。

PETボトルリサイクル推進協議会が作成してる、啓発ポスターを以下に紹介してみます。

   PETボトル再商品化の流れ PETボトルリサイクル推進協議会
(PETボトル再商品化の流れ(PETボトルリサイクル推進協議会)

ここからが体験したことです。
ペットボトル回収施設に、各地から集積されてきたペットボトルが、パッカー車から降ろされます。降ろされると言うより吐き出されると言った方が正確な表現でしょう。

   パッカー車排出


降ろされたペットボトルは、ビニール袋に入っているので、まずはそれを破り袋から出します。
各地の回収所から集められたのを、回収所ごとに分けて降ろされたらいいのですが、現実にはそれは無理のようです。ラベルが外されはずされきれいに洗われたのと、中身が残っていたりラベルが付いていたりするのと、同じ場所に降ろされて混ざってしまいます。

ところで、ペットボトルにリサイクルに出すマナーは、地域により大きな差があるそうです。新興住宅地のニュータウンなどは、リサイクルに出すマナーは良いそうですが、旧市街地や農村部のペットボトルの出し方は、ゴミとして出す感覚が強くマナーが悪いそうです。
もともと農耕産業は循環型の産業なので、資源の再利用を昔からしてきたと思うのですが、現代産業経済構造のなかでの、リサイクル事業への意識は低くマナーが悪いのは何故でしょう。


袋からだされた様々なペットボトルはコンベアーに乗せられ移動しながら、ラベルがついてあるもの、キャップがついているもの、中身が残っているもの、異物が入っているもの、汚れているものなどは、人の手で選別し跳ねられてます。

跳ねられたものはそれぞれ、人の手によりラベルが剥がされ、キャップをはずされ、中身は出されます。
極端に汚れて物はリサイクル出来ずに捨てられます。

    ベルトコンベヤー


ラベル剥がしは、剥がしやすいメーカのペットボトルと、剥がしにくいメーカのペットボトルがあります。また、ペットボトルの潰され方によっても、レベルの剥がしやすさや、キャップの外す易さが変わってきます。中身が入っているものは、中身を棄てるのですがラベルを剥ぐときに、身体に被ったりすることもあります。古いものは中が腐って悪臭をはなつものもあります。
ペットボトルが潰されたものもあります。横に平坦に平らに押しつぶされた物はよいですが、縦方向に圧縮されたり、捩じれて潰されたように押しつぶされたのは、蓋も取りにくくラベルを取るのも一苦労します。
ここで、汚れがひどいものや、中に異物が入っているもの、塗料などが塗られているものは、ゴミとして捨てられます。

ラベルやキャップが取られたペットボトルは、再びベルトコンベヤーに乗せられ、ペットボトル300個程が一塊に圧縮されバンドが掛けられます。一つの重さが15kgほどだそうです。それを、ベール化と呼ぶそうです。そして、それが再処理工場に出荷されるわけです。

    ペットボトルのフレーク


その後の処理の流れは、再処理工場でバンドで縛られたペットボトルは再び解かれ、洗浄され、人海や戦術や機械などによるセンサーなどにより、塩ビボトルの除去やカラーボトルの除去がなされます。そのご粉砕されて洗浄され、風力分離や、比重分離などにより、均質な8mmほどに砕かれPETのフレークにされます。その後、さらに加熱融解処理され粒状のペレットとなります。

このペレットが糸となり繊維になりシャツになったり。フイルムやシートになったり、ゴミ箱などの成型品などになり、再び私たちが手にするのです。

しかし、毎日大変な量のペットボトルが、リサイクルセンターに持ちもまれます。そして、リサイクルされるために毎日、分別仕分けやラベル剥がしや、キャップ外しなどが人海戦術により行われているのです。その仕事の内容は3K(危険、汚い、きつい)であり、安い労賃での仕事です。しかしその仕事をしている人がいるから、現代の私たちがペットボトルをふんだんに使う生活をすることができているのです。
すこしでも、ペットボトルを資源ゴミとして出すとき、綺麗に洗い、ラベルを剥ぎ、キャップをとることをしないといけないと改めて思いました。
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モリアオガエルの卵

梅雨入りしてから晴れた日が続き雨を待ち望んでいたところ、先日の15日雨が降りましたが、さほど水が潤うほどではなく近くのため池の水もいけ底が見えてきていました。



散歩をしていて携帯で撮った写真です(あまり画質はよくありません)。モリアオガエルの卵を見つけましたが、その卵の下はご覧のとおり土がひび割れて、水はありません。

   モリアオガエル01
   画面の中ほどの丸く白っぽいたまのようなかたまりが、
   モリアオガエルの卵です。
   その奥の方にももう一つあります。

   モリアオガエル02
   この孵化したオタマジャクシはどうなるのでしょう。
   しばらくこの粟の中で雨が降るまで待っているのでしょうか。

今晩から2、3日雨が降るようです。蛙にとっても田んぼの稲にとっても、そして毎日水やりをする私にとっても、良き雨になることを願っています。

記事を投稿後、気になったのでウィキペディアを見てみました。

追記記事に書いておきます。

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青色光の人への影響

NHKの番組の関西熱視線で青色光が人に及ぼす影響を特集していました。

その中で、LEDに多く含まれる青色光は、視覚に関して黄斑神経に悪い影響を及ぼすという実験データもあるようです。
その他に、接し方を誤ると健康被害をもたらす恐れがあると専門家が指摘し始めています。それは先に書いた「眼の疾患」と「体内時計の乱れ」です。以前このブログに照明をLEDに変え明るすぎるので、睡眠のリズムを狂わすと書き、それは生体のリズムにどのような影響をおよぼすか心配だと言うことを書きました。

ドイツでは“青い光”との接し方のガイドラインを作り、一日の時間帯により光の青色光や橙光などを掛け合わせ調節する方法が研究されているようです。
日本で民間の企業レベルでは技術が研究されているようです、しかし行政の法律面でその技術研究の成果を活かせていないようです。青色光より、黄色光の方が心身面で良いという実証データがないので、それを宣伝材料として使えにそうです。

わたしは、写真を若いころ興味がありよく撮っていました。そのなかで、写真を撮るときにその撮影時刻気を使いました。朝日や夕日の光と昼間の光は違うのです、太陽が低い位置にあるときは、橙色がかり、昼間は白色光でしろみがかります。その違いを色温度と言っていました。
朝日や夕日の光色温度はおおむね 2000K であり、普通の太陽光線は 5000~6000Kです。澄み切った高原の空の正午の太陽の光はおおよそ 6500K といわれています。

人間は火を発見する前の太古の時代には、太陽が昇ってから沈むまでしか光を得ることは出来なかったです。
それが、木切れなどの薪により光をえ、松明などの照明の光をえ、動物や植物などの油によるランプなどの光を発明し、ガス灯を発明し、ついに電気を発明し白熱灯を発明するに至りました。しかし、これらはみな青色の光ではなかったです。そして、それらの光はみな光による影ができました。それが蛍光灯の発明により、明るさは格段にあかるくなり、影が出来なくなることにより、光の陰による不便さがなくなりました。

そして、LED照明により明るさは益々明るくなり、夜は昼間より明るくなってしまいました。しかし、わたしは夜は部屋の照明の照度を落として、身体や脳が練る準備を始められる世にしています。また、寝るのに目を閉じても明るい光は瞼の薄い皮膚を通して感じることができるので、寝るときは寝室の照明を出来るだけ暗く落として寝るようにしています。最近ただでさえいろいろな便利な生活用品やIT機器などで、昔からの人本来の生体リズムが崩されているように思います。

以前にもこのブログに、夜の照明の明るさが、人間の生体リズムを崩し人の、精神面にも悪い影響を及ぼすのではないかと書きました。もっといろいろとそのような側面からの研究が進んで欲しいと思います。

LED照明

最近のニュースピックアップ 3 の中の●今話題のLED照明に多く含まれる青色の光について
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天台小止観を読む 3-3

天台小止観 3ー3

三番目には、睡眠は善くないといっています。
睡眠は眠ることで、生理学的にみても大変重要なもので、人に限らず多くの生き物は、眠ることをしないと自律神経のバランスが崩れて、ひいては生きてゆくことができなくなるものです。
天台小止観にも、内心が恨暗になるのを睡といい、眼耳鼻舌身の五感が暗く蔽われて手足をほうり出し横になって眠ってしまうのを眠いい、これを合わせて睡眠と言うと言っています。要は、意識が朦朧としなくなり、力が脱力し立っていられなくなることで、横になり眠ってしまうことをことを言います。

それでは、なぜ天台小止観に睡眠は善くないことで修業の邪魔になると書いているのでしょうか。
「睡眠」と言う言葉はもともと仏教用語です。法華経には、「又た見る、仏子の、未だ嘗て睡眠をせずして、林中に経行し、仏道を勤求するを」とあります。菩薩が修業していて眠気がでるので、林の中をひたすら歩き廻ったと言うことです。
人の意識をぼんやりとした意識や記憶などがみだれた状態にはまりこんでしまい、まともに修業を勤められないようにするのが、仏教で言う睡眠です。そして、先にあげた貪欲や瞋恚など以上に修業の妨げになると書いてあります。どうして、欲や怒り以上に妨げになるのかというと、欲や怒りは自分での意識にあるので、それに気づいたら、それを不適当なものとして改め直すことができる。しかし、睡眠は混沌として自分の意識に無いので、自分で正すことができないと言っているのです。
心が眠ったような状態になるのは、よくないというのはわここに書かれているとうりでしょう。

しかし、自分の日常の生活を振り返ると、いかに不養生で心も体も睡眠してしまっているときがあると最近つとに思います。
朝起きたときに思うことがあります。それは、身体の睡眠もその取り方により、よくない取り方があるのだと感じることがあります。
そのことを少し書いてみます。
・夕食に晩酌をする、ついつい過ぎる。
・晩酌をしたあとに、程なく風呂に入る。
・風呂から上がり、一休みして床に入る。
眠ることは、身体の活動を眠らすことになり、自律神経の活動も、起きているときよりも緩やかになる。

夕食時に適度の酒を飲むのは良いだろうが、度が過ぎるのは良くない。その上、飲酒後程なく風呂に入るのは良くない。風呂に入ることにより汗をかき、血中のアルコール濃度を上げてしまうからである。また、食後に眠ってしまうのも、胃の消化活動を押さえてしまう。その上酒を呑んだので、身体のアルコールを燃やすんを劣れさせてしまう。食後のこのようなこのことは、消化活動を妨げ、身体の新陳代謝を押さえてしまうので、身体の為に非常に良くないことでしょう。そして、朝起きたとき、身体の目覚めが急に身体起こそうとして、動悸が普段より高めになってしまいます。
ながらで寝てしまったり、間断だらりとして寝てしまうのはよくないのです。


話は天台小止観に戻って。
睡眠蓋に次のように書かれているのを紹介して、睡眠については終わりにしようとおもう。

菩薩が居眠りしていたある弟子に教え諭している。
「汝、起きよ、臭いしかばねを抱いて臥していることがあってはならない
種種のけがわらしいもののあつまりを仮に人間と呼んでいるのである
重病になり、箭が自分の体にささっているような状態だ
種種の苦痛がわが身に集まっている。どうして眠ってなどいられるのか
人が縛られて無理やりに連れられていって殺されようとしているように
災害がまさにわが身に迫ろうとしている。どうして眠ってなどいられるのか
まよいはなくならないし害もまだ除かれてはいない
毒蛇と同じ部屋にいるようなものだ
また敵陣にのぞんで白刃を交えているような状態だ
そのときにどうか、それでも眠れるのか
眠りは大きな闇であって見るところがない
毎日毎日のように人を欺き誑かして人の明るさをうばっている
眠りは人の心を覆ってしまって何も識ることができなくする
このような大きな失がある。それでも汝は眠るのか」
と。

そして、人が生きていくことは、先に上げてある例のように、他を思いやる心がないこともあり、もともと世の中は感情・意識がないことに目覚め、それらの誘惑に惑わされないように睡眠時間を減らすこと。
意識・記憶などがはっきりしないでいたり、あることに心を奪われて、注意が足りなくなったり、物事に取り組む姿勢に積極性がかけたり気力が無くなってしまわないように努力しないといけない。
もし居眠りの魔の手が強い時、居眠りの心が重いときは禅鎮や禅杖などを使用して、これを退けるように勤めないといけない。
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ガタロ釣り

ガタロ釣り

今日は、夏至です。今頃が一年のうちで朝あけるのが一番速く、暮れるのが一番遅いころです。それと同時に暑さもますます身に堪えるようになってきmす。夕涼みに川辺にでをするのも楽しみになってきます。しかし、河童にいたずらをされないように、気をつけなければならないです。そこで、河童を大坂ではガタロとも言いますが、その話を紹介します。

桂米朝の落語に「商売根問」というのがあります。そこにガタロ釣りの話がでてきます。
ガタロとは河童のことで、この「商売根問」は、喜六という少し抜けた男がいろいろと商売を考えます。スズメを獲るのに、伊丹名物ミリン粕の「こぼれ梅」を撒いて、スズメに食べさせ、酔って眠くなったときに落花生を撒いて枕がわりにしようとするのですが失敗します。つぎにウグイスを獲るのに自分の腕に飯粒と煤を塗り、梅の古木に似せるのですが、なかなかウグイスが停まらないが、ようやく停まった時は飯粒が乾き手を握ることができない。そして、最後にガタロ釣りをするのですが、ガタロをどう捕まえるのかときかれ、喜六が「ガタロちゅう奴は人のケツから生血吸うたり、尻子玉を抜くとか言いまっしゃろ。ケツをみせたらガタロ、こう手をのばしてきよるやろうと思って。ちょっとエサにするさかいケツ貸してくれちゅうて頼んだんやけども、誰もいやがってかさん」そこでしかたなく、自分のケツを本町の橋の下に突きだすのですが、何をしているのか不審におもい人垣ができます。ついに何をしているのか訊ねられたので、ガタロを釣るのだと言うと、みんなが大笑いをしてその拍子に川に落ちてしまいます。這う這うの呈で岸に上がると子どもが「父ちゃんガタロが出たと」言われます。

米朝の「商売根問」の話と同じ様子が、江戸の葛飾北斎の[北斎漫画]にも河童釣りの絵として描かれています。

   河童釣り
   葛飾北斎の[北斎漫画 十二偏]


カッパは、日本列島の青森県から沖縄にいたる全国諸地方の川・池・沼・海などの水界に棲み、陸上も歩行する妖怪です。カッパという呼び名も津々浦々土地によって様々なものがあるそうです。そして、その素行も様々なもので、人に悪さをするものや、恩を返すものなどさまざまのようです。
いろいろな伝説がありますが、愛嬌のある人と親しみがあり身近な妖怪の一つでしょう。
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小倉百人一首

京都嵐山の百人一首の歌碑の紹介と、百人一首の歌で私が感じたことを書き綴っています。
先日二首について書いたのでちょうど5分の1の20首の歌の感想を書くことができました。
ここで改めて、記事投稿したそれらの歌にリンクを張り直して、100首の詠み直してみました。
  1. 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
       天智天皇
  2. 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
       持統天皇
  3. あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
       柿本人麻呂
  4. 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
       山辺赤人
  5. 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
       猿丸大夫
  6. 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
       中納言家持
  7. 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
       安倍仲麿
  8. わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり
       喜撰法師
  9. 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
       小野小町
  10. これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関
       蝉丸
  11. わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船
       参議篁
  12. 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
       僧正遍昭
  13. 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
       陽成院
  14. 陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに
       河原左大臣
  15. 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
       光孝天皇
  16. 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
       中納言行平
  17. ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
       在原業平朝臣
  18. 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
       藤原敏行朝臣
  19. 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
       伊勢
  20. わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
       元良親王
  21. 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
       素性法師
  22. 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
       文屋康秀
  23. 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
       大江千里
  24. このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
       菅家
  25. 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな
       三条右大臣
  26. 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ
       貞信公
  27. みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ
       中納言兼輔
  28. 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば
       源宗于朝臣
  29. 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花
       凡河内躬恒
  30. 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
       壬生忠岑
  31. 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
       坂上是則
  32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
       春道列樹
  33. ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
       紀友則
  34. 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに
       藤原興風
  35. 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける
       紀貫之
  36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ
       清原深養父
  37. 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
       文屋朝康
  38. 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
       右近
  39. 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき
       参議等
  40. 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
       平兼盛
  41. 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
       壬生忠見
  42. 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
       清原元輔
  43. 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
       権中納言敦忠
  44. 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
       中納言朝忠
  45. あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな
       謙徳公
  46. 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな
       曾禰好忠
  47. 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり
       恵慶法師
  48. 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな
       源重之
  49. 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ
       大中臣能宣朝臣
  50. 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
       藤原義孝
  51. かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
       藤原実方朝臣
  52. 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
       藤原道信朝臣
  53. 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
       右大将道綱母
  54. 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな
       儀同三司母
  55. 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
       大納言公任
  56. あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな
       和泉式部
  57. めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影
       紫式部
  58. 有馬山猪名の篠原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
       大弐三位
  59. やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな
       赤染衛門
  60. 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
       小式部内侍
  61. いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな
       伊勢大輔
  62. 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ
       清少納言
  63. 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
       左京大夫道雅
  64. 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
       権中納言定頼
  65. 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
       相模
  66. もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし
       前大僧正行尊
  67. 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ
       周防内侍
  68. 心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな
       三条院
  69. 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり
       能因法師
  70. 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ
       良暹法師
  71. 夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
       大納言経信
  72. 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ
       祐子内親王家紀伊
  73. 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ
       前権中納言匡房
  74. 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを
       源俊頼朝臣
  75. 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
       藤原基俊
  76. わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波
       法性寺入道前関白太政大臣
  77. 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
       崇徳院
  78. 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守
       源兼昌
  79. 秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ
       左京大夫顕輔
  80. ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ
       待賢門院堀河
  81. ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
       後徳大寺左大臣
  82. 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
       道因法師
  83. 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
       皇太后宮大夫俊成
  84. 長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
       藤原清輔朝臣
  85. 夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
       俊恵法師
  86. 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな
       西行法師
  87. 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
       寂蓮法師
  88. 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき
       皇嘉門院別当
  89. 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
       式子内親王
  90. 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず
       殷富門院大輔
  91. きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
       後京極摂政前太政大臣
  92. わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし
       二条院讃岐
  93. 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも
       鎌倉右大臣
  94. み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり
       参議雅経
  95. おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖
       前大僧正慈円
  96. 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
       入道前太政大臣
  97. 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
       権中納言定家
  98. 風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける
       従二位家隆
  99. 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
       後鳥羽院
  100. 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
       順徳院
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 東京五輪の延期は
    アジシオ次郎 (03/25)
     おはようございます。

     東京オリンピック・パラリンピックは1年延期となったわけだが、新型コロナウイルスという道の猛威には勝てなかったというか、この状況で予定通
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    竹林泉水 (02/20)
    「桜を見る会」などを棚上げすれば、モリカケのようにうやむやにされ、日本の行政がますますゆがめれれていく。
    コロナウイルスの対処は別問題では?
    一所にすれば、両方と
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    幽村芳春 (02/19)
    「桜を見る会」の論戦はいったん棚上げにして、今国会ではコロナウィルスなどの防疫問題を論議してほしいと思います。
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    竹林泉水 (02/07)
    コメントありがとうございます。
    五観の偈をとなえて食事をなさっておられるのですか。 頭がさがります。

    企業活動や時の政権も、この「五観の偈」を、政治や商売に置き
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    幽村芳春 (02/03)
    私も必ず「五観の偈」を唱えてから食事をいただいています。実際に唱えると五観の偈の意味がよくわかります。
  • 津久井やまゆり園の裁判
    竹林泉水 (01/15)
    こちらこそ 今年もよろしくお願いします。

    やまゆり園の裁判で、被告が突然暴れ出したとニュースされたとき、詳しいことが報道されなかったので、よく分からなかったです
  • 地球温暖化の問題点
    竹林泉水 (01/15)
    年始葬送のコメントありがとうございます。
    今年もお互いに良い年でありますようねがっています。

    ハイ 温暖化問題の解決の一番は、私は人間活動に足るを知ることだと考
  • 津久井やまゆり園の裁判
    アジシオ次郎 (01/13)
     遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

     さてやまゆり園無差別殺傷事件の被告に対する初公判は、開廷して被告が謝罪したと思いきや突然口に手を突っ込むとい
  • 地球温暖化の問題点
    荒野鷹虎 (01/10)
    温暖化問題は難解ですねー。
    直ぐ原発再稼働に走りがちになりますのでとんだ飛躍ですよねー。
    水力や風力発電はいかがなものでしょうかね。
    恐ろしいことが現実化されてい
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