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5月1日

今日は5月1日国際的な労働者の祭典の日、メー デーです。

しかし昔と違ってこのところ労働者の定義が昔と違ってきました。
工場や炭鉱などで働くひとだけでなく、事務職などのディスクワークや、サービス業で働く人も労働者です。

雇用形態も昔の雇い主が使役人の生活を守っていった終身雇用制から、派遣労働や期限付き雇用など雇用形態が変わってきました。

また、労働組合の存在感も違ってきています。高度経済成長までは、労働環境や労働条件、個人の生きる権利などが、今ほど確率していなく保障もあいまいでした。それをストなどの実力行使や、話し合いによる団体交渉などで勝ち取ってきました。しかしそれが今空気のように普通になってきています。空気のようになるのは、大変良いことですが、その空気を吸う人が空気をおろそかにしてしまうと、酸素が少なくなっていたり、汚れていたりしてきます。そして、汚れていると気が付いた時には、たいていは取り返しのつかないまで汚れているものです。
今、中国の都市や東南アジアの都市では酷いそうです。汚れに気づくころにはすでに深刻な被害がでてきています。数十年前の、日本の四日市や尼崎、川崎などの大気汚染はひどいもので、それを温故知新とすべきでしょう。

話はもどしえ、労働組合の存在力が下がってきているなか、働く側の条件などは個人と雇用者側との契約によるものになってきています。会社側も低価格で製品を作ることのできる、新興国との国際交渉力をつけるため、それの雇用形態を押し進められるように取り組みをしています。そして国や政府も働く側の多様で自由な雇用形態を推進して、派遣労働や契約社員が自由に仕事につけるように、雇用関係を多様化ができる法改正も考えているようです。
それはそれでよいことですが、そのためには働く側の生活圏や基本的人権、職場での自律した労働活動ができるように、雇用主側へそれらを保障する枷をつくることは、律法として重要なことです。しかし、いまの世の中をみていて、どんどん空気が汚れてきているように感じます。

今日はメー デーですが、「メーデー メーデー」と悲痛な叫び声が聞こえてくるようです。

五月祭 メーデーメーデー訴え 声枯れる

* メーデー mayday[無線電話でのモールス信号のSOS]
** メー デー May Day[五月祭 ヨーロッパの春のお祭り]
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やまびこ こだま

やまびこ こだま

私は恥ずかしいことに、「やまびこ」「こだま」も同じものだと思っていました。しかし、鳥山石燕の「画図百鬼夜行全画集」(角川ソフィア文庫)を見ると、この二つは全く違うもののようです。

「やまびこ」は、「幽谷響」と書いてあり、山の頂に黒い河童のような小僧が描かれています。
「こだま」は「木魅」と書いてあり、松の木の前に謡曲の「高砂」を思わせる絵です。そして次のような説明がしてあります。百年の樹には神ありてかたちあらわすといふ。
辞書を引いてみました。
やまびこ【山彦】
山の神の意。山の神が声音をまねると信じられていたことから、山の神が返事をしている
地方によっては、こだま(谺)、山の小僧 天の邪鬼 呼び子鳥などとも言うそうです。

こだま【木霊・木魂・谺】
木の精霊のこと。とあり辞書によっては、「木を傷つければ痛む、切り倒せば死ぬとされ、供物を捧げれば人々に恩恵をあたえ、疎かにすれば災難をもたらすと考えられている。」などと書かれています。そして木には精霊が宿っているという考えは、日本に限ることなく、世界中にいろいろな話があるようです。このように明確に違うのですが、この二つの違いは曖昧なところがあるように思います。
この、鳥山石燕の絵を見ながら、山や木の霊について考えてみようと思います。


また、里とは隔てて山の中で暮らす人もいたようで、サンカと呼ばれた人や、キコリ(樵)やソマビト杣人(杣人)やマタギなどの人たちは、山の中で暮らし生活の糧を山の恵みから得ていたので、町や里の人とはまた違った文化を持って、木や山の神に対して独特の祀り方があったようです。そして、中央集権の江戸幕府や明治以降の時代も、中央政府や里人と一線を画した文化や生活をしていたことは、柳田国男や宮本常一が書き著しています。

いずれの、町で暮らす人も、里で暮らす人も、山で暮らす人も、海で暮らす人も、山や森を大切にしてきました。しかし、このところ田舎の里山や棚田が美しいと言われていますが、しかし、山里の高齢化や過疎化によりそれを維持することができなくなり、「こだま」や「やまびこ」の霊と人は信じなくなり、あわなくなったのと、山が荒れてきているのはそれと同じ時期からのようです。

また、水木しげるが「日本妖怪大全」(講談社+α文庫)に、「木霊(こだま)」」ニューブリテン島の山に登ったとき、木の霊が宿って入るときのことを書いています「南方の緑は美しいから、ほろぼれしながら山をどんどん登って行った。どんな坂でも足のほうがひとりでにスタスタと登ってしまい、胸のうちはとてもすがすがしく気持ちがよかった。・・・・・自分がとけてしまうのではないかと思うほどだった。・・・・・外国の小説で木々にさそわれて、森の奥で木になった男の話を読んだことを思い出し、あわてて引き返した。・・・・・。」これを読み返していて、先日山ツツジが咲き誇っていた道を歩いた時のことを思い出しました。

    山つつじ2


その道の山道の数十メートル横は住宅地ですが、風の音と鳥の囀りしか聞こえず、なにか気持ちが落ち着き下界から解き離れてた感じになり、この道にしばらく留まっていたい気持ちになりました。そこにしばらく留まっていたらひょっとして木になっていたかも・・・・。それはともかく宅地の横の、雑木林の小道、そう感じるのですから、鬱蒼と茂った山の中の大木などを見るとそこに、霊を感じるのは不思議なことではないように思います。

また、宮崎駿の「トトロ」出てくる家の横にある大木なども、「こだま(木霊)」が宿っているのでしょう。しかしそのような木は以外と身近にもあるかもしれません、普段の生活の雑多さから見落としていたり感じなくなっているのかもしれません。

    IMG_2402.jpg  
    一か月ほど前の写真ですが、
    近所の家にあるモクレンのきです。

 木霊1   木霊2
   精霊のいそうな木、昼間は毅然と立っていますが、
   夜になると木々はなにを囁くのでしょう。


    箕面杉
    都会の近くにある、修行の山の箕面での小道です。

同じ「日本妖怪大全」に「幽谷響(やまびこ)」の」ことも書いてあります。それによると幽谷響は一本足小僧で、猟師が鉄砲を撃ったときに出会った話が書かれていました。
昔の人は、妖怪を信じていて本当に見た人もいるのでしょう。昔からいままで私たち日本人の祖先はどのように、自然と向き合い、考えつきあって生きてきたのでしょう。それらを考えるために、これらの本を紐解くことにします。
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天台小止観を読んで 1-1

天台小止観 1-1
涅槃(さとり)の世界に入るために大切なのは、「止」と「観」をよくおこなうことである。

「止」は、迷に囚われるのを抑えつける方法のこと、あり人の心を養うための理論や考え。
「観」は、迷いそのものを抑えつける実践力のこと、ありその考えを基に実践力や行い。
そしてこの、理論と実践力の二つの調和が大切で、どちらかに偏っていては行けない。


それでは、この二つの止と観を調和を心や行いを正しくすることを修得し、教わり習得する方法を考えてみよう。

・「止」は、迷に囚われるのを抑えつける方法のこと、あり人の心を養うための理論や考え。
・「観」は、迷いそのものを抑えつける実践力のこと、ありその考えを基に実践力や行い。
この二つのことを修得するにはまず、そのための準備が必用でその準備には五つのことをあげられる。

そして、その五つの書かれていることを見ると、現代の忙しく、いろいろなことが複雑に絡み合った社会では、その準備を正しくおこなうのは、この本がが書かれた時代からみると格段に難しいように思えます。

その五つとは、
一 持戒清浄
二 衣食具足
三 閑居静処
四 息諸縁務
五 得善知識

まず一の、持戒清浄として、止観の修習には、自分が涅槃すること、すなわち、すべての煩悩を解脱した悟りを開くのという自覚を持つこと、そのためには身も心も清めようとす、生活態度の心掛けを守ることが大切だと言っています。

そして、それを行う人を三つに分けることができる。その三つは。
一 始めから汚れがない人。
二 さほど汚れはないが軽い戒めを破った人。
三 戒めを守ることができず、破戒している人。

一の人は、そんなに多くはおらず、真っ白な布を綺麗な模様に染められるように、最上級の止観を修得でき涅槃を得られる。
二の人は、戒めを破ったことがある人だが、多くの人はこの部類に入る。白い布が垢や汗で汚れていても、よく洗えば白い布になり、綺麗な模様に染められるように、懺悔して日常の生活を悔い改め清浄にすれば、禅定と智慧を生じさせることができる。
三の人は、戒めを固い決意でまもることができず、何度も繰り返し罪を犯してしまう人のこのです。そして、実のところ絶対多数がこのように、戒めを守れず罪を犯してしまう人だと言っています。そして小乗仏教では四種の重罪である、殺生 偸盗 邪淫 妄語は懺悔しても許されないとしているが、大乗仏教では懺悔によって取り除くことができると仏法の中で、二種類の健児がいるとされている。
一に、生まれながらに、悪いことをしなかった人
二に、悪いことをしても、よく懺悔をすることができる人。

ここで、懺悔すれば罪悪が取り除かれ、涅槃の境地を得られるといっているが、この懺悔を強く持って続けることが一番難しく、なかなか出来にくいこのなのでしょう。

そして、その方法をこの次に書かれているので、さらにそのことを読んで生きたいと思います。
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憲法記念日

私は、冷戦時代と違い今の世の中にあった憲法は何かと問うて良いと思います。
そして憲法の改正もあってよいでしょう。

しかし、最高法規である憲法について、他の一般法規と同等の条件で変えることにするのは、いささか疑問を感じます。

時代に応じて臨機応変に国の在り方を変えるのは、それこそ根なし草のように、風に吹かれ右に左に揺れるでしょう。

現行憲法のここが悪いと正面切って国民に問いかけるのが、本当の責任ある政党のすることだと思います。

96条を云々する前に、自分たちはこう思うから、ここをこう変えるのだということを示すべきでしょう。
自民党はホームページで、去年作った草案を公表していますが、それをもっと議論の表舞台に立てるべきでしょう。そして、良い点と悪い点も自ら議論の遡上にのせるべきでしょう。

そしてその前に、憲法の99条には、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。とあります。まずはそれを守るべきではと思います。

ソクラテスも悪法も法であると言っていました、それは現代の立憲主義のきほんであるし、またナチス政権を育ててしまったものですが、法を順守することは為政者にはより課せられるものです。
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最近、思うこと

最近人の言うことに対して、聞く耳を持たない人が増えてきているように感じます。

私の近くにも、そのような人が増えてきています。しかも、安易な情報源を鵜呑みにして、それと違う意見は受付にのでこまります。

わたしが思うには、相手の言っていることを理解するのは大切なことです。
相手の言っていることを理解することは、相手の言い分を受け入れる、言いなりになることとは違います。理解することにより感情的な言い合いや、行動に移ることはなくなり、物事の解決への道が拓け(ひらけ)ます。

また、相手の言っていることの表面だけに囚われ(とらわれ)ると、周囲の目を気にしたり、過剰であったり、過激に人目を引こうとしてしまい、ついには自分の気持ちを意に添わない行動に出てしまったり、延い(ひい)ては引くことができず、過剰に出ざるをえなくなったります。また相手や周囲も、感情的になりお互いに引くに引けない状況にしてしまうことがあります。

こんなことを書いていると、まるで中学生の喧嘩の言い分をたしなめているように思います。少し前までだれでもがもっと大人としての考えを持っていたのですが、いつごろから子供じみてきたのかと思います。


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立夏

今日は5月5日で祝日 「こども日」です。

こどもの日は端午の節句ともいいますが、端午の節句は奈良時代から続く古い行事で、もともとは月の端[はじめ]の午の日でしたが、、午[ご]と五[ご]の音が同じで、五月五日を言うようになったそうです。ちなみに、今年の旧暦の五月五日は6月13日です。

そして、今日は二十四節季で「立夏」です。いよいよ夏らしくなってくる時期で、畠には夏野菜などを植え付ける時期です。しかし今年はいまだ、寒い時があり北海道からは雪が降ったとききます。こちらの平地でも遅霜などに注意しないといけないです。

地域によっては麦秋の季節であり、種案山子が見られるころです。七十二候では「蛙始鳴」でカエルが鳴きはじめるころとされていますが、私の住んでいる所ではすでに盛んに鳴いています。

今朝、早朝の散歩をしていると、今年はまだあの鳥の囀りを聞かないなと思っていたら、後ろから「チョットコイ、チョットコイ、チョットコイ、」と呼び止められました。ようやくコジュケイが鳴きだしました。
ウグイスやゴジュウカラなどは、はかなり前から聞いているのですが、もう一つまだ聞かない鳥の、さえずりがあります。ホトトギスの「テッペンカケタカ ホッチョンカケタカ」まだ聞かないです。やはり今年は寒いからでしょうか。
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天台小止観を読んで 1-2

天台小止観 1-2

懺悔の方法と実践の仕方が、清浄になれるかなれないかで、それには十の方法の努力によって罪を取り除けると書かれています。
その十は、
一 明信因果
二 生重怖畏
三 深起慚愧
四 求滅罪方法 明諸行法 応当如法修行
五 発露先罪
六 断相続心
七 起護法心
八 発大誓願 度脱衆生
九 常念十方仏
十 観罪性無生

一、の明信因果は、
因縁と果報には道理があることをしっかりと自覚すべきで、すべていまの状況にはそれまでのことが原因で、その結果としていまがあることを知って於かなければならない。あのときああであれば、こうであったらと否定的に考えるのではなく。いまの自分はあのときああであったからいまの自分があるので、もしそうでなければ今の自分は亡いのだと言うことを知るべきでしょう。そして、今の状況が例え自分が不幸だと思っても、それはこれからの糧として課せられたもので、それにを真摯に受け止め正面から取り組むことが大切なのでしょう。
しかし、こう書きながらも今、特に若い人の中で仕事をしたくても思うような仕事に就けず、先行きが見えない人が増え、その先行きが見えない渦巻きのような連鎖に陥っている人がいます。そのことは何とかしないと行けないでしょう。

二の、生重怖畏は、
おそれ多く仰々しく思い、ものごとに怖れる気持ちを強く抱くことが大切だと書いています。人に対しても自然に対しても、己の心が驕り偉ぶってしまうと、何事に取り組むのも、肝心なことが抜け落ちてしまったり、よからぬ欲がでてしまいます。心身を悩ます心配事などが、苦し心をが生まれ、他者への怒りや憎しみ、や仮の常住不変への執着などにとりつかれてしまいます。何事に対しても常に敬虔な気持ちでいないと行けないと言うことだとおもいます。
アッシジのフランチェスコは、若いときは名誉欲が強く、放蕩三昧だったようでが、戦争で庶民の悲惨さなどを体験して、清貧で敬虔な信仰心をもち活動することにより聖人となりました。
しかし、人は迷いや欲望の誘いに弱いもので、往々にしてにして煩悩に負けてしまいます。ですからなおさら怖畏(おそれ)る気持ちを持つことが大切なのでしょう。

そして、この一と二を身につけるには、私は呼吸が大切だと思うのですが、そのことは後に出てくるのでここでは深く考えないで、これから読み進めてその感想を書き綴っていこうと思うので、次の、新記事以降で考えてみようと思う。
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胡蝶花(シャガ)とオダマキ

昨日は「こどもの日」でした。
春日大社で舞楽の「胡蝶楽」が奉納されたそうです。
毎年この時期に子供四人がこの胡蝶を舞うのが習わしになっているそうです。

「胡蝶楽」とはどんなものかと調べてみると、春日大社で万葉雅楽会の子どもたちが舞ったものではないですが、YouTubeに、雅音会第3回定期演奏会で演奏された「童舞 胡蝶」がありました。

私の庭にも「胡蝶花」が今咲いています。一般にはシャガと言い和名を「胡蝶花」と言います。蝶蝶が舞っているように見えるから、胡蝶花という名がついているそうです。

   胡蝶シャガ
 
能にも「胡蝶」という曲があります。
吉野の旅僧に都に花見に行くと、蝶の精があらわれ春夏秋と草木の花から花に戯れる身だが、早春の梅の花には緑が無いのが寂しい、法華経の功徳を受けたいまた、夢の中であいましょうといって消えます。僧が仮寝をしていると、蝶の精があらわれ法華経の妙典功力によって、梅花にも緑を得たと、喜んで胡蝶の舞を見せ明けゆく霧の中に消えてゆきます。

観世流謡曲續百番集の「胡蝶」に次のようにシテ(胡蝶の精)が謡って終わります。
「春夏秋の花も尽きて。春夏秋の花も尽きて。霜を帯びたる白菊の。花折り残す。枝をめぐり。廻り廻るや小車の。法に引かれて仏果に至る。胡蝶も歌舞も菩薩の舞の。姿を残すや春の夜の。明け行く雲に。翅うち交はし。霞に紛れて失せにけり。」

このシャガの花が咲く、いよいよ暖かくなり他の花も盛りになり、新芽がでて庭の手入れも忙しくなってきます。

ところで、私の家のオダマキが以前が青みがかった紫でしたが、今年は何故か色づきが悪く白色です。肥料のやり方か何かが悪かったのでしょうか。

   オダマキ

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テーマ : 花と生活
ジャンル : 趣味・実用

スマートフォンと脳と身体

韓国のテレビニュースで、子供たちが片時も手からはなさないで、学校の授業などにも影響がでて、スマートフォンを身体の一部のように思っていると嘆いていました。
そして、コメントして、授業前にスマートフォンを提出させる学校もあるようです。また、ある人が「身体の一部のようなている」と言っていました。
日本でも、電車に乗っても多くの人や友人同士の人も、恋人同士と思えるひとなども、携帯電話やスマートフォンを見つめて何やらしているのを多く見かけます。しかし変だという話にはなりますが、ニュースになることはあまりないようです。
この韓国のニュースだけではどれだけ深刻な状況かわかりませんが、社会問題になっていることは確かです。
このニュースで、「身体の一部」を聞くとなんだか変だな、人の身体と心はどうなるのだろうかと思います。

「身体の一部のよう使えるようになる」。普通この言葉を使うときは善い意味で使います。
野球選手がバットを、身体の一部のように使いこなし、ホームランを連発する。バスの運転手が曲がりくねった山の道を身体の一部のように巧みに運転する。これらは、自分の身体感覚やそれによる身体空間が、自分の実際の生体の範囲でなく、バットを持つとそのバットの先まで身体の一部として広がり、ホームランを打つことができ。バスの運転手はハンドルを握ると、バス全体の車体までが身体感覚としての身体空間が広がり、狭い道で他の車と行き違いする時も、車体をぶつけたりこすったりせずに運転できるのです。
また、人の手は機械より精巧な緻密な作業ができるといわれますが、単純な簡単な機械を使いこなすことにより、より精巧精密な工作ができます。
そして、大型の工作機やショベルカーを身体の一部のように使いこなし道路を正確に平らに整備する。町工場の職人が旋盤を身体の一部のように使い精密な部品を製作している。などなど、脳がその機械を自分の身体の延長として取り入れてしまっっているようなものです。

しかし、この韓国でのニュースで使われている「身体の一部になっている」という言葉は、「脳の一部になっている」とか「空気と同じようになっている」と言った方がいいのではないかと思います。

「脳の一部」になっていることは、それに脳が機械に占領されているようなもので、変な言い方をすればサイボーグのような人間になってきているのでしょう。
「空気と同じようになっている」では、その空気が汚れていも気が付かず、汚染された空気を吸い続ければ身体の調子を崩してしまします。いずれにしろいい意味では使われていないわけです。

このスマートフォンのニュースを聞いていて、どちらが普及しているかしりませんが、対岸の火事とせずに自分も含めて、スマートフォンやインターネットなどのの使い方考えて行かないと、今までの人とと同じように生けないと思います。
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捨身飼虎の図

連休中に家にある。美術書の中から法隆寺の宝物の書を読み返してみました。

法隆寺にある国宝 玉虫厨子の側面に、金光明経にある捨身飼虎の絵が描かれています。
その話の内容は次のようなものです。


お釈迦様の前世であった薩捶王子がある時、虎の親子に出会った時の話です。
その親虎は非常に二匹の子虎を可愛いがっていた。しかし親虎はここ数日間、獲物を猟ることができなく痩せ衰えていた。親虎はその空腹の苦悩に打ち勝つことができなくなり、一期の生命もここまでの灯火と消えようとしていました。そのなか最も可愛がっている自分の子虎を今にも食べようとしていた。世の中で最も悲惨な、自分の子供を食わんとする、非絶惨絶の場面に思いがけなく出くわした薩捶王子は、生きるものの厳しい現実の姿を目の当たりにして、自分はなにをするのかためらうことなく行動に起こすのです。薩捶王子は自分の身を、その飢えた虎の前に身を投げ出し、自分で側にあった裂けた竹の先で首を切り、血を流して虎の食欲を自分に向くように促している。

すべての生あるものに対してお互いの心の融合を願う、お釈迦様の願いを表したものでしょう。
人が互いに自分を仏教でいう「色即是空」で関わり合い、善いものは他人与え、悪いものは自分が引き受け、他人のことを先にして、自分のことを後回しにする。この教えに対して、迷いが去って正しいと思うようになり、自分を自分以外のことに捧げることを極める。
薩捶王子が自分と虎とを比べて、その生けるものへの愛が、己の命をかけることができたのでしょう。

しかし、自分を自ら進んで犠牲にして、命を絶つことは許されるのでしょうか。
自分の命と引き替えにするまで行かなくても、自分のことより人のことを大切にすることは、私のような未熟な人間いとってはなかなかできないことです。しかし世の中には私と違って、自分のことより人のことを先にすることを、ごく普通に当たり前のようにおこなっている人を多く見かけます。
世の中暗いニュースなどが多いですが、その様な人が実は沢山いると言うことを、知って自分もその様なおこないができるように努めたいと思っています。
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いざ鎌倉

[いざ鎌倉]という言葉があります。一大事や万一の場合のことをいいますが、その、由来われととなったのが、能の曲目にある「鉢木」です。

その謡曲「鉢木」には、
「落ちぶりたりといえどもこの源左衛門、鎌倉殿の御家人として、もし幕府に一大事がおこれば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に鎌倉に馳せ参じ、一命を投げ打つ所存でござる。」とあります。

「鉢木」のあらすじは次のようなものです。
信濃から鎌倉へ上る一人の旅僧が、途中上野国佐野で吹雪にあい進めなくなります。ある一軒家に宿を願いますが、夫婦二人すら暮らしかねている有様だからと断り、十八町先の宿場を教えます。しかし、大雪の中を立ち去る旅僧の後姿を見て、気の毒に思い呼び戻します。主は旅僧に貧しい粟飯を出し、主は大切にしている秘蔵の盆栽を火に焚べて暖をとらせます。僧はその人となりに感じ、名を尋ねると、佐野源左衛門常世だと名乗り、領地を一族の者に横領され零落しているが、鎌倉に一大事が起これば、いつでも一番に馳せ参ずる覚悟だと意気を洩らします。翌朝、旅僧は「鎌倉へ来ることがあったら訪ねるよう」言って立ち去ります。
それから間もなく、鎌倉で兵を集めるというので、常世も痩馬に打ち乗って駆けつけます。北条時頼は、二階堂と太刀持ちに命じて軍勢の中から常世を探させ。時頼は常世に、過日の旅僧は自分であったと明かし、彼の忠誠を賞して、旧領を返させた上、梅松桜に縁のある三つの庄園を新たに恩賞として与えます。常世は一陽来復の喜びを得て、郷里に錦を飾ります


佐野源左衛門常は、讒言で幕府から地位を追いやられたのですが、幕府を恨まずそれどころか幕府に何かことがあれば馳せ参じるという忠義をいうもので、武士の一端を垣間見るものでしょう。

高度経済成長のころ猛烈社員と言われた人も多くいました。そして世の中の価値観が揺れ動いているいまも、リストラにおびえながらも、常世のような社員や庶民が多いことでしょう。それに対しては国は急き立てて仕打ちを強いるのを見ぬ振りをするのではなく、国民があっての国ですから北条時頼が褒美を与えたように、国民に愛国心だの忠儀だのと言う前に、国民のひたむきさに対し報ることをすべきでしょう。
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ソフトバンクのスマホと健康

ソフトバンクが身体の健康に関するデータを計る腕輪型のセンサとスマートフォンを組み合わせたサービス、「SoftBank HealthCare」を始めるそうです。アメリカで人気の腕輪型のヘルスケア端末「Fitbit Flex」で対応している。その腕輪を巻くと歩数や歩行距離、消費カロリー、睡眠時間などを計り、スマートフォンのアプリで体重や睡眠状態などをもとに、自分の健康状態を確認できるそうです。その上、専用アプリを使えば、看護師や栄養士などに健康相談したり、活動量と今の顔写真をベースに20年後の顔写真を見ることもできるそうです。サービス開始は夏からになるそうです。

私の携帯には、歩数計などがついているのですが、今まで使ったことも無いので、あまり関係ないものと思っています。しかし手軽に自分の運動量などを調べられるの、面白いツールだと思います。どうせ健康相談にも乗ってくれるアプリを付けるなら、体温や心拍数、血圧、SPO2(血中酸素飽和度)などが測れるとより面白いです。

しかし、どんどんと人間の身体感覚はデジタルに奪われてしまいそうです。ただこれらは、使い方により自分の身体をよりよく感じるようになれるか、自分の身体をどんどん鈍くして感じなくなり、病になってもわからなくなってしまうかです。
自分の身体の変化を身体が持っているセンサーで、感じ取っていけるための支援ツルールとして使えるなら、使うのですが意志の弱いわたしだと、デジタル機械に頼ってしまい身体を鈍くしてしまいそうです。
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薪こり菜つみ水くみ得し

法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞ得し
  (拾遺1346)
法華経の教えを勤め 私が涅槃を得たのは、前世で山に入り薪を樵り、野で菜を摘み、川で水を汲んで、聖仙人 阿私仙のもとで修行して得たのだ。

この歌は、光明皇后の作とも言われていますが、行基の作との説もあります。

光明皇后は聖武天皇とともに、東大寺を建立するなど、仏教を信心し、広く布教にも勤めました。また聖武天皇の崩御後、光明皇后はそのゆかりの品を東大寺に寄進した正倉が、今の秋に公開される「正倉院展」の宝物です。

光明皇后の逸話に、「重症の癩病患者の浴場を作り、患者のただれた皮膚の膿をみずから吸われたところ、その病人が阿しゅく如来であった」という話があります。
皇后がそのような、逸話が語り継がれるのも、深く信仰し悲田院を設け孤児を救済し、施薬院を作り病人を救った光明皇后のその行いは、前世に阿私仙に仕え、山や野や川での糧を営むことで事足りると、実践してきたからこそと慕われていたからでしょう。
座禅の仕方を書いた天台小止観に、五つの大切なことの中の一つに、「衣食具足」が大切だとかいてあり。日々の食には四つに分類でき、一に、「薬膳や果物、蔬菜だけで身体はたもてる」とあります。
今の日本の食卓のように、飽食で沢山何でも食べる。必要以上に食べることにより、肥満や生活習慣病を心配しながら食べる。また加工食品などには、色々な添加物や調味料が使われ、中に何が入っているか分からない食べ物。このようなものを食べ続けることは、自分の心身にとてよいことでしょうか。
この地球に生物として生きる人として、他の生き物を犠牲にしながら、生きて行くには野山に入って、少しばかりの必要なものだけを採ってきて、自分を生かしていくことに私は焦がれるところがあります。しかし、そのことは実際に現代社会で生きているなか、私などはその知識もないし、身体の中の原始の生き方の遺伝子も、それがどこに眠っているのわからなく、すでに失われているかもしれないので、野の恵みを糧として生きていく術はありません。高度経済成長以前は、山の中で生きていく人もいましたが、今はその様な人はいなくなったようで、日本人はその様な生き方を忘れてしまっていると思えます。

「天命地令人従身土不二」という言葉があります。
人はとどのつまりは、この地球にすむ他の動物と変わらないものです。動物は植物がなければ、その生命を繋げていくことはできないです。植物は土を離れて成長できず種をつくることはできないです。すなわち土をななれて人はないです。また、人の身体は住んでいる風土や環境と密接に関係し、その土地の自然に適応した旬の作物食べることが、健康に一番よく健康で生きられるという考え方方もあります。

良寛の歌にも次のようなものがあります

水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に

水を汲もうか、薪を伐ろうか、それとも野山の菜を摘もうか。秋の冷たい時雨の降らないその間に
時雨は、秋から冬にかけて降る雨のことですから、「薪にするたに山に柴を刈にいき、菜の保存の準備をするために、秋の冷たい時雨が降り始めないうちに野山に分け入って摘みにいこうか」
すこし、近くの野山を散歩してその様なことを感じてみようと思います。
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bevin boys の慰霊碑

昨日、NHKBSのワールドニュースのイギリスBBCが次のようなニュースを流していました。
第二次世界大戦中に徴兵されたが、女王陛下のため戦地に行けると思っていたが、行かされたのは兵舎でなく石炭鉱山で働かされた。その人たちを「bevin boys ベビンボーイズ」と呼び、多くの人が過酷な重労働や事故で亡くなったそうです。そのうえ兵役につかなかっとして長年に渡り、周囲から蔑視や差別をうけ名誉も傷つけられてきました。しかし、それらの人の名誉回復をするてめの、慰霊碑が建てれれたそうです。

このことについてもう少し詳しく知りたいと思い、ネットで検索しても日本語では見つかりませんでした。

いずれにしろ炭坑での、労働と生活は過酷であったことは想像に難くないです。炭鉱と言えば環境の悪い重労働で事故が付き物です。ゴッホは牧師になり、最初に赴任したのがオランダの「ボリナージュ」という最貧民窟の炭鉱町でした。そこのあまりにも非人間的な状況に対して、ゴッホは町の人たちに常軌を逸した献身をします。しかし教会の上層部から眉をひそめられ職を逸してしまいました。その後もその町でどん底の2年間過ごすしたことは知られている通りです。

日本でも、私の小さいころは、炭鉱での落盤や粉塵爆発事故などの、ニュースは頻繁に報道されていました。
また、炭鉱で働いた労働者自らが記録した絵が残っています。その絵と文を読むと、炭鉱での労働は悲惨なものだったことが、山本作兵衛の炭鉱をでの労働や生活を描いた絵から、窺いしれます。講談社の「炭鉱に生きる 地の底の人生記録」や今年出版された「筑豊炭鉱獲物語り岩波現代文庫」を読むと炭鉱には炭券と言うのがあったそうです。炭券とはヤマの切符とよばれ、その炭鉱鉱山でしか使えない私幣です。
そこには次のように書かれています「大正六年頃まで坑夫を悩ました。ヤマ以外には通用せぬので、現金入用時には莫大な目銭を出して交換していた。ヤマの近傍には之を利用して暴利を貪るヤカラが多かった。五斤、五厘、一銭、五銭、十銭、五十銭、千斤、壱円とあり、後、二銭や二十銭もでた。・・・・・・」とあります。
この炭坑でしか通用しない、炭券は菱井形定の紋の炭券すなわち、住友系炭鉱の切符は信用があり、炭坑外の周辺地域でも国の発行しているお金と変わりなく使えたそうです。しかし、違い菱の紋が経営する系列の炭坑の炭券は外部に通用しないため、高率の目銭を払って交換しないといけなかったそうです。違い菱と言えばあの有名な企業ですが、それすらも炭坑夫の上前をハネルようなことをしていたのでしょうか。

炭鉱労働者はこのように洋の東西に関係なく、搾取されていたようです。また、まだ記憶に新しいチリのサン・ホセ鉱山で落盤事故で生き埋めになり、事故から69日ぶりに救出さたことからわかるように、今も同じような劣悪な環境で働かされているところが、石炭炭坑に限らず少なくはないでしょう。

それが、イギリスで慰霊碑が建てられ名誉回復され、自分たちの生きていた証がきちんと残されることになったことは、喜ばしいことであるし後生まで語り継がれていくべきでしょう。また今の豊かな私たちの生活もそれらの人が今地下で働いているからだと言うことを忘れてはならないでしょう。
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蚯蚓出

今日は旧暦の太陰太陽暦では、四月朔日です。暦で言うと今日から夏になります。

左横サイドメニューの日めくりカレンダー下の「旧暦出日の入り」の表を、卯月に対応させました。

現代、日常で使っている暦の5月5日のこどもの日は、24節季の立夏でしたから太陽の運行からいくとすでに夏に入っています。

七十二候で今日は、ミミズが土の中から動き出すと言われている、「蚯蚓出」です。
猫の額の庭にある畑にも、キュウリやトマトなどの夏野菜も植え終わって、庭の手入れも忙しくなってきます。

今日は新月ですが、
河童(かわたろう)の 恋する宿や 夏の月 蕪村

桶で野菜を冷やすこともしなくなりましたが、今日も暑くなりそうです。
水桶にうなづきあうや瓜茄子(なすび) 蕪村
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
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記事へのコメント
  • 森友・加計問題を見ると、今の日本は法治国家だろうか
    風と雲 (06/18)
    >自分が思うことは法を飛び越えてでも粛々と進める安倍政権・・

    飛び越えてではなく、→ 潜り込み裏をかき開き直って、鉄面皮と二枚舌で、 と言うのが最近の安倍政権
  • 国連人権理事会の日本の表現の自由の特別報告書
    竹林泉水 (06/15)
    マスコミは権力を監視するというより、権力者が何をしようとしているのかを主権者である国民に知らせるのが使命であり、権力を監視するのは国民ではないでしょうか。

  • 国連人権理事会の日本の表現の自由の特別報告書
    アジシオ次郎 (06/13)
    こんにちは。

    本来権力を中立的な立場で見て、時に監視する役割であるマスコミ、そのマスコミに対して自分たちに不当な報道を禁止するのは報道規制であり独裁国家のや
  • 女系皇族に反対するわけ
    竹林泉水 (06/09)
    自民党が女性天皇や女系皇族をみとめたくないのは、安倍政権の閣僚の多くが所属している、日本会議の影響もあうのでしょう。日本は天皇を頂点とする家族的な国家という藩閥
  • 女系皇族に反対するわけ
    アジシオ次郎 (06/06)
    こんにちは。

    天皇陛下の退位問題について、これからの皇室のあり方が問われる問題にもなっているけど、今の皇室において男性は悠仁さまのみであとは佳子さまなど女性
  • 安倍政権の功罪は何だろうか
    竹林泉水 (06/03)
    [GHQの幻想から]は何かよくわからないのですが、欧米との対等の関係だけでなく、強いあいてとも弱い相手とも相手を認め対等の関係を築くのが大切ですね。しかい、どうも
  • 天皇退位の審議が2時間半
    竹林泉水 (06/03)
    天皇退位の法律が成立しそうですが、一部の議員が反対、自由党は欠席で議論が深まらないのが残念です。自民に押し切られたているようです。
    敗戦後に日本人が自ら民主的な
  • 安倍政権の功罪は何だろうか
    アジシオ次郎 (06/02)
    こんにちは。

    安倍政権の功罪、功の部分は日本を戦後レジームから脱却すると言う価値観の変革に積極的にしたことだと思うが、憲法改正に躍起になっているのも、いい加
  • 天皇退位の審議が2時間半
    風 蘭 (06/02)
    象徴天皇については 私もたくさんの記事を綴って来ました
    天皇家の起源は天照大御神まで遡ります
    神の系図が有るからには 神は人間だったと言う事になります

    天皇陛
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