竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

モリーユ茸

去年の4月18日のブログを見ると、庭に見かけない茸が生えてきていることを書いています。

    蕗の薹02
    これはちょうど1年ほど前に紹介した、
    アミガサタケの写真です。


「アミガサタケ」というもので、西洋ではモリーユ茸といい珍重され食べるそうです。見た目はグロテスクですが、美味しいというので今年も生えてきたら、食べてみようかと思案しています。

それはともかく、今年もそろそろその季節になるので、また生えてくるかと気をつけて見ているのですが、まだ生えてきていません。しばらく庭を注意深く観察していこうと思います。


モリーユ茸をgoogleで検索してみると、楽天やAmazon で高級食材として、目の飛び出るような値段で売られていました。
それなら、たくさん採れたら、食べないで近くの洋食レストランに持って行って、料理してもらうのもいいかとも思っています。
調べると、微量のヒドラジンを含むため、生食することは避けるべきと書いてあるので、なおさら料理の専門家にお願いするのがいいかもしれません。

自分で調理して食べるべきか、レストランで調理してもらうべきか、シェークスピアの心境です。

それより、今年も生えるか、生えないかもわからないのでのです。高値で売れるとなると「とらぬ狸の皮算用」でね。

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テーマ : これは美味い!!
ジャンル : グルメ

罪科を処すに、智仁勇

一罪科を処するにも、亦智仁勇有り。
公以て愛憎を忘れ、識以て情偽を尽くし、断以て軽重を決す。
識は智なり。
公は仁なり。
断は勇なり。
  言志後録 佐藤一斎 183

一つの罪に対して、そのことが悪いとか善いとか、道理にかなっているとか、道理にかなっていないなどで、その罪を判断してはっきりと決めるこたやすいことではない。それには、智仁勇の三つの心が必要です。智仁勇の三つとは、
智は、物事を筋道立てて正しく考える心の働きであり、仏教でいう、煩悩を棄て去り真理を悟る心です。
仁は、この世の中に形あるもの形ないものすべてを、筋道立てて考える心の働きで、正しく判断して適切に処理する力。仏教でいう、煩悩を消滅させ真理を悟る精神です。
勇は、心が強く持ち、何事に対しても恐れずに立ち向かうこ心の動きです
物事を裁くとき、公平無私に重きを置き、人や物事に対しての愛憎を忘れ。依怙贔屓を自分の心から捨て去り、自身の心の中での見識を働かせ真偽見分け。一度決断した罪の罰は自信を持って軽重を決定しないといけない。
識は智をもって成り立ち、公は仁を必要とし、断は勇が必要とする。
このように其々が相応に対応されるものだ。
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テーマ : 日本古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

私自身も一から学び直しているかのようだ

[And it is interesting to note that as I observe Lal learning about her world... I share in her experience, almost as though I am learning things over again....]

「面白いことに、ラルにこの世界について教えながら、同時に私自身も一から学び直しているかのようだ」


この言葉は、米国SFテレビ映画 スタトレック THE NEXT GENEREATION にでてくるアンドロイドのデータが、「アンドロイドの目覚め THE OFFSPRING」の中で、日記をつけているときの言葉です。

アンドロイドとは、人間に近いロボットでここに登場するアンドロイドであるデータは、いつも感情がないので感情を持ってみたい、また人間になりたいと思っている。そこで、データ自身が自分をコピーして、自分の子供として分身のアンドロイド「ラル」を作っり、データが教え育てるなかで互いに成長し苦しんでいくストーリーです。
その中で、データがラルに教えていくなかで、個人日誌をつけているとき出てきた言葉です。

このデータの言葉は、データが自分が作った分身とも子供ともいえるラルに言ったことばです。しかしこの日記の言葉は、二人の特殊な関係に限らず、ものごとを相手に教えているときには当てはまることです。人にものを教えるということは、常に自分自身も新たな事を学ぶことが多く、そしてなにより、新たに自分自身の存在をも気づかされるものです。

そしてこのドラマのDVDを見ていて特に思った事は、「私自身も一から学び直しているかのようだ」です。人に物事を教えるのには、いつもこのような気持ちで、取り組むことが必要だと思います。そしてそのことは、教える相手がいくら年少であろうと、いくら未熟であろうとも、その相手の人格を認めて受け入れて指導し教えることですから、どこかの団体や学校のように、体罰やパワハラなどとは無縁のことでしょう。
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山の春の散策

近くの山を散策しました。まだ時おり寒い時がありますが、山の遅い春も確実に訪れているようです。

  先日紹介した山つつじとは別のものです、
  まだ蕾ですが咲くのもまじかのようです。
  山つつじ蕾9

       こんな山つつじの蕾がありました、
       春は恋の季節でもあるようにキスしているようです。
       鳥の囀りも聞こえてきました。
       山つつじキス1

           少し横の木はもう花が咲きだしていました。
           山つつじ花3


  そして、シデコブシの花は咲き誇っていました。
  シデコブシ6


  その横にそっと、山の中に地蔵さんがおられ、
  花を見守っているようです。
  地蔵8


      少し離れたところに溜め池があるのですが、
      この写真はその池の畔にある祠です。
      稲作用にため池なので、水の神と豊作を願う祠でしょう。
      池祠9
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陳情書をゴミ箱に捨てる?!?!

陳情書をゴミ箱に捨てその写真を自分のブログに載せ「(陳情書は)市外からの扇動家が送り付けてきたデマだらけのメチャクチャなもの」と書き込んで吐息巻いている議員がいました。

これには、いまだ聞いたことがない、前代未聞の開いた口を閉じることができない状態になりました。

自分は市民のために働くことにより議員としての職があるのに、市民は愚かで自分についてきたらよいと思い違いをしているようです。どちらがメチャクチャなのだろうか。市民の意見を踏みにじるような議員は、リコールされても仕方ないような人です。

もともと、この議員の所属している党はこのような、選挙民をバカにしたパフォーマンスが好きな人が多いようで、他にもにたような騒ぎを起こしています。もともと、この団体に発起人の一人である首謀者も、選挙には勝たないといけいない、そのためには注目を集めることが必要だと言っていました。
選挙で権力を握ったら自分の好きなようにしてよい、それが正義だと考えているのでしょうか。

決められない政治と、即決断行の政治とどちらがいいのでしょうか、暴走したときに誰が止めるのでしょうか。

最近しきりに、統治機構とか統治能力と統治と言う言葉が頻繁に使われるようになりました。主権者がその国土・国民を支配し治めることです。

現行の憲法では主権者は国民にあります。そして、決められない政治だから、統治機能を強化するため憲法を変えればよいと考えているようです。

自民党の改正案は「天皇を元首」とする一方、前文で「国民主権の下」と矛盾する曖昧なものになっています。
一方暴走老人の率いる方は、憲法改正の中身は詳しくは公にしていないようですが、これより統治権は天皇にあることを明確に打ち出すようにも見受けられます。

これやそれやを見ていると、太陽の季節と竜馬は同じ船に乗り続けられるのでしょうか、呉越同舟もどこまで続くやら。


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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

体罰は愛のムチか暴力か

体罰は「愛のムチ」か暴力行為なのか?

しばらく前の朝日新聞の囲み記事に次のようなことが書かれていました。

関東地方の指導者は「僕は殴る時間があれば、シュートを教えればいいと考える。人に見えせられないような指導は、しちゃダメ」威圧し、服従させるのは簡単だが、選手に自分で考えさせるように仕向ける指導が重要。ある公立高校の監督は「体罰と指導の線引きはない。とにかくダメだ。言葉で理解させないといけない。言葉で伝わらないなら、自分でやって見せることが大切。」といっています。
それに対しある指導者は「殴られても悔しくても、いつかあの時の一発が効いたと思われることが必ずある。それがスポーツの世界の教育法。自分も教え子に手をだしたことがある。手を出さないと勝てない時がある。ベテランの指導者はそのタイミングがわかっている」

桜ノ宮高校のバスケットボールの顧問は、自他ともに認める指導熱心な人で、厳しい指導のなかで体罰をするが、寸暇を惜しんで部活の指導に取り組んでいました。しかし、その熱心の中にはさきに紹介した後の方の指導者の考えがあるのでしょう。
そして、指導する方は体罰により強くなったことで、効果があり正しい指導法と思い込んでしまう。また、体罰を受けた者もあの時の一発が効いたと感じ、体罰は正しい指導法だと考えてしまう。
体罰を受けた者が体罰をするという、体罰のより成果がありさらに体罰をうむ、この二つの連鎖は非常に恐ろしいものだと思います。
時どき、小さい時に虐待を受けたが、親になり子どもに虐待をしてしまう。苛められたものが、他者を苛めてしまう。これもその連鎖ですが大きく違うところがあります。虐待や苛めはそれが悪いことだと思いながら、いつのまにか虐待や苛めに陥ってしまうことです。
しかし、体罰の問題はそれよりさらに深刻です。体罰はこの指導が正しいと信じて行われるところにあるからです。体罰はですから、そう簡単になくなるものではないといえます。いぜん、体罰容認の発言をしていた人が、体罰による自殺事故が公になると、一転して今までの考えは間違っていた、体罰は絶対ダメなもだと思うと言っています。しかし、いくらそう思っても今まで体に染みついた、体罰容認の考えはそう簡単に消えてしまうもではないです。
白い布は何色でも染まります。汚れた布は洗って白い布にすると何色にも染まります。しかし、人を暴力や力で封じ込め指導しようとするのは、その人の心自体がぼろ布のように荒んでいるので、洗ってももとの白い布にはなりません。

また、結果や成績至上主義になってしまうと、スポーツの世界では勝利至上主義になり、チームとしてのまとまとまりだけでなく、その中で互いのやる気を高めるために、競争心やレギラーとなる優越感などを煽る指導もされています。そして、その煽る指導のなかに見せしめを作り出すこともあるようです。あの子でも出来るのだからおまえなら必ずできるとか、ある特定の子をターゲットとして体罰なりを行い、周囲を奮起させる指導法も私は見たり聞いたりしてきました。それが先に紹介した言葉の「ベテランの指導者はそのタイミングがわかっている」ということになるのでしょうか。

シゴキは厳しい練習のことですが、過度のシゴキや目的を逸したシゴキも体罰も同じでこの二つについては、学校関係者やスポーツ指導者そして、他のいろいろなものも指導者や親も考えていくべきです。そうしないと、のど元過ぎれば熱さ忘れるで、いずれまた体罰容認の空気は蘇ってくるでしょう。ですからこの体罰についてはいつまでも議論がなされていってほしいものです。
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テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

新型出生前検診

春です種蒔きの季節です。
芽が出てきてしばらくすると。
3本ほどでている芽から。
元気そうな芽だけ一本を残して。
優良なものを残す間引きをします。
収穫量を増やすための作業です。

人は自然とともに生きているのですが、自分が生命の糧とするために、同じ自然とともに生きている、牛や豚や魚などの動物の命や、稲や野菜や果物などの生命を摘んで生きています。また、人間は生命をむやみに殺してはいけない、という倫理観をも持って生きています。この生命にたいする矛盾するおこないは、自分の生命を維持するため、他の生命を糧とすることは、人間以外の生命も自然界で生きていく上で行っていることです。生きるために他の命を奪って、生きて行くことは許されることです。しかし、自然の中の動物などの生命と人との違いがあります。人間はその糧を得ることに対し、感謝をして食べることです。自然界の生き物は、他の生命を食べることに感謝をしないで食べています。その感謝をしに自然の中の生き物は、生命を維持する必要以上に命を奪て食べたりしないです。
また、自然界の生き物は人間のようにキツネ狩りをしたり、自分の楽しみなどを満足させるための釣りをしたりしないです。必要もないのに、他の命を奪うのは人間だけです。
人間はキツネ狩りのような、我が身勝手な悪い面だけではないです。自然界の動物などには見られない、弱者を慈しむ慈愛の心も持っています。

鳥は雛に獲ってきた虫などを与えるときに、分け隔てなく公平に与えるのではなく、他の雛を押しのけた雛を優先的にあたえます。そして、雛の方もまだ食べていない雛に譲ってあげることはせず、それどころか鳥によっては、巣から落としてしまう雛もいます。自然界の動物はそのように冷酷で、自分たちの優秀な遺伝子を継いでいけない、弱い遺伝子は見捨ててしまいます。
人間にはそのような弱者を切り捨てることは悪とされて、強く戒められています。
しかし、人も狂ってしまったことが過去にありました。優秀な遺伝子だけを残そうとすることを、80年ほど前に国家が計画的に、大々的に推し進めた国がありいまもそれは、人類の汚点として歴史に刻まれています。



新型出生前検診がスタートしました。これは母親の血液検査をして、胎児に遺伝子上に異常の有無をしらべ、生まれてくる子供に障害があるかないかを調べるののです。
日本には過去に戦後つくられた法律に「優勢保護法」がありました。優生学上の、不良な子孫の出生を防止し母体保護を目的とした法律です。今は「母性保護法」になりました。名前の通り「優生保護法」は不良な子孫の出生を防止と母体の保護を目的とするため、遺伝性疾患や精神障害や身体障碍があるとする理由で中絶も容認さていました。そのため障碍者への差別や偏見が助長されるとして、純粋に母体の保護を目的とする事にするため、「母性保護法」になりました。

世の中、時代が逆行しているとも言われる昨今、生命倫理の面にも同じことが言われないようにしたいものです。
今の日本では少し時期尚早ではないかとおもいます。
出生前検診の結果を告知するときのケア。出産までの両親の指導、出産後の子供と両親への養育の支援のための組織づくりとその支援体制を確立する。子供の受け皿となる地域の体制づくりなどが出来ておらず。課題が山積して数え上げたらきりがありません。それらの課題が未解決なまま見切り発車させてよいものでしょうか。
これでは、益々障碍者に対する偏見と差別を助長させないかと心配です。私は、多くの障碍者の家族の苦労のあるなで、伸び伸びと逞しく楽しく、子供と向き合って育て生きていく姿をみてきました。その苦労は障碍がある子供を育てなければわからない大変さがあります。



日本はもともと、障碍者を大切にする、風土が合ったと見ることもできます。
「古事記」によれば、日本で最初の神、「伊耶那岐命」「伊耶那美命」との間に生まれた最初の子である「蛭子命」は障碍があるされ、海に流されています。この「蛭子命」は「ヒルコ」が「えびす」となり、「恵比寿」「戎」となり、恵比寿信仰で有名な兵庫の和田神社、西宮神社などで祀られています。
その他にも日本神話には、「少彦名命」「久延毘古」など、小人だったり、歩行に障碍がある神と思わせるところがある反面、優れた頭脳の持ち主として書かれています。
また、民間でも福子伝説というのが日本各地に存在しています。障害児が生まれるとその家は栄えるという言い伝えです。
障碍がある子を育てるのは家族にとっては非常な努力と苦労の伴うもので、端から見るとその一途な関わりが福を招く幸せと見えたからと見る人もいます。
また、そうした障碍がある子供が生まれると、その子が一生困らないように家族全体が、心を合せて支え合って仕事に励む、その結果が家を栄えさせることになるという人がいます。
また、この福子 福助だででなく、七福神の神もそれぞれ風貌などをみて、障碍がある者を神としているという説をとなえる人も多くいます。

本来、まずしかっった江戸時代以前は日本人は障碍がある人を寛容に受け入れてきたのではないでしょうか。それが、明治以降の国の富国強国のもと経済優先の施策や西欧的な価値観を取り入れることにより、江戸時代まで持っていたそれらを忘れ去られているようです。

この出生前検診の結果をケア支援するために、その家族や当事者間だけでなく、国民全体で命とはなにか、人としての生き方は何かを考えていけたらと思います。
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テーマ : 「生きている」ということ
ジャンル : 心と身体

八角形の硬貨

シンガポールの硬貨が新しくなるそうです。私は詳しくはしらないのですが、シンガポールの現行の1ドル硬貨は八角形の形をしています。新硬貨もこれを引き継ぎ八角形だそうです。

この八角形には面白い興味深い逸話があるそうです。1980年代半ばに、地下鉄を建設するとき、風水の問題で「国の中心部に穴を掘って電車を通すと国が傾く」され大騒ぎになり。そこで考えられたのは、国民一人一人にお守りを持たせようと考え、風水のシンボルである八角形の硬貨を考案したそうです。硬貨は民族や宗教が異なっても国民全員が等しく持ち歩けると考えたからです。この話を聞くと、風水の八角形にするのは納得できますね。

風水は日本でも古来から風水は重要なものとして考えられてきています。平安京は、青龍=鴨川、白虎=山陰道、朱雀=巨椋池、玄武=船岡山の対応付けてつくられ、江戸城は四神相応の地に建設されたとされています。

日本も、この不景気を吹き飛ばすために、100円硬貨を八角形にして風水のパワーを国民全員が持ったら凄いパワーになるのではないでしょうか。
新硬貨が流通させると、全国津々浦々にある自動販売機をその新硬貨に対応させるための経済効果は絶大なものがあるようにも思います。

粗忽者の戯言に最後まで読んでいただきお礼申し上げます。
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新幹線の自動列車制御システム

今日は5月5日 七十二候で玄鳥至で、ツバメが飛来する頃とされています。ツバメと言えば、特急ツバメでJRの元の国鉄の東海道線 東京 神戸間を走った最新鋭特急「つばめ」の話を思い出します。プロ野球の「国鉄スワローズ」もそこからきていました。

東海道線は今は東海道新幹線が主流になっています。その東海道新幹線の自動列車制御システムが、山陽新幹線にも導入されると少し前のニュースで言っていました。そのこと自体は列車の乗り心地がよくなりより安全になるので大変よいことです。
そのニュースで流れていた資料映像を見て少し考えさせられることがありまし。
新幹線の運転手が列車を動かしているのですが、そのとき運転席の前のパネルを操作しています。私は列車の運転の様子を見るのは通勤電車の最前列に乗ったときしかありません。その様子は前方を見ながらレバーを操作し、時々時刻表や計器を見ている程度です。
資料映像の運転手はそうではなく、レバーも握っていましたが、パネルを注視してパネルを操作していました。新幹線は高架橋や周囲は完全にフェンスで囲まれ、踏切などが一切ないので誤って線路内に入ってくるものはないでしょうから、在来線ほど前を見なくてもいいのかもしれませんが、前方を視ないで運転席の制御パネルを見ながら、操作しているのにはいささか驚いてしまいました。

自動車の運転などではとても考えられれないこと、と思っていたら高速道路でトラックを無人運転させる新聞記事を見ました。
高速道路でトラックを縦列走行させ、先頭車は無線で後続車と連絡し合い、コンピュータ制御で車間を詰めて走行する実験を始める。
ますます、人の必要性がなくなってくるのでしょうか、物作りの現場は工作機械がとって代わり、行政の実地業務の現場も人件費削減で簡素化されています取って代わり投資などのマネーゲームがはやりだし、これから行き着くはこの、新幹線やトラック運転のように、機械任せになってしまうのでしょうか。
それと、高速道路だけでなく生活道路である一般道路や橋、そして鉄道の高架やトンネル、上水道や下水道の配管、ガス管などの老朽化でその補修の税源などが問題になっています。先に書いたトラックの縦列走行などの実験もいいですが、これを維持管理することを先の先まで考えているか不安です。
50年ほど前に作られた物も、作られるときに老朽化したときの問題はわかっていたはずです。しかしその問題の蓋をしたり、問題をすり替えたり、先送りしてきています。今までのように今が良けりゃ良いと今以上に、インフラの老朽化の問題を後世に残すことだけはしたくないですね。
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不発弾

68年前の太平洋戦争で、米軍の艦砲射撃に爆弾と、B25による空襲で落とした爆弾が最近相次いで見つかりました。

一つは、浜松の空襲のあとの米艦船からの艦砲射撃で、その不発弾は信管を取り外すことができなかったので、近くの浜辺に運び爆破させました。それにより処理や爆破の時刻には、東海道新幹線や東海道線は運行を見合わせ、近くの道路も通行止めになりました。

もう一つは、神戸市東灘区で、こちらの不発弾は、信管を取り外すことができ、爆破処理をせずに自衛隊の施設の運ばれたようです。また、近くを走るJR神戸線や阪神電車や国道2号線などは通常のままでした。
戦後68年になるがまだまだ、このように戦争の遺物が亡霊のように表れでてきます。

この亡霊を未だにでてくると一言で片づけてしまうのは簡単ですが、浜松の戦争の悲惨さを語り継ぐ市民団体は、そのような不発弾や空襲による被災体験を語り継ぐだけでなく、実際に未だに橋の欄干に残る機銃掃射の爪痕も後世に残し語り継ぐ活動をしていくそうです。

私は、このブログに引っ越しする前にも、yahooのブログのときに、神戸に残る戦争の爪痕の記事をかきました。

阪急電車の神戸三宮駅の屋根の鉄傘には、いくつもの破れエア跡が残っています。
     
   これは米軍の爆撃機が空襲のときに落とされた焼夷弾の跡です。

   また、近くにある神戸市立博物館(旧東京銀行神戸支店)の外壁には、
   
   今の神戸市立博物館にある戦争の爪痕?。

   機銃掃射の弾痕と見られる爪痕がの残っています。
      

         

しかし、これらのものを戦争の爪痕と知る人は少ないでしょう。上を見上げて天井など見る人はいないでようし、みたとしても、雨で錆びてしまって修繕したのだろうと思うぐらいでしょう。
誰もがそれと気が付かず通りすぎています。それらを残すとともにこれは、焼夷弾の痕や機銃掃射の痕と表示するなりして、後世に伝えて行くことはできないものかと思っています。

また、今回発見された不発弾も、またこれから発見されるであろう、戦争の生きた証拠の不発弾なども、爆破したり解体してゴミにしてしまうのでなく、後世に伝えるために保存できないものでしょうか。
私は、戦争を知らない世代です、戦争による直接的な惨事だけでなく、その時の世相のありようがどのようなものであったかも、同時に知ることができればと思います。

だんだん、戦争の惨事よりそのころのことを賛辞する、戦争を体験していない戦争を知らない人が増えてきているいまこそ、都会のなかの身近にある埋もれてた、戦争の爪痕を見つけ残していけばいいいですね。
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テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

憲法とはなんなのか

先日の国会の予算委員会を聞いていて、次のようなやりとりがありました。

民主党の細野氏が、安倍総理に戦後日本が今まで進んできたことに対して、「私は、国民主権確立 基本的人権を守り 平和主義を保つこの三原則もとに独立国家として進んでき、国際的な信頼を得ていることに評価している」。そして「憲法は何のために存在するのか?、なにが重要なのか?」。と総理の考えを伺いました。
それに対して、安倍総理は「自民党としても、三原則は重視していることは言うまでもないことです」。「憲法は権力を持っている側、かつては王権ですが、王権に対して国民側が様々な制約を課すそういう存在です。しかし、いま自由や民主主義が定着していて、国民主権が明らかになっているなかで、はたしてそれだけかどうかということなんですね。どういう国にしていくということも、憲法に込めていくことが大切なことだと考えています。」
国民主権の下、どういう国にしていくかを明記することは誰しもが賛成することでしょう。それは現代のグローバル化した、多様な国際社会のなかで、少数者の違いも含めた多様な違いを受け入れ、共存していく社会を目指すことでしょう。
民主主義が定着していている、現在の日本で昔のよう国になるわけがないと言う人がいます。それは、過去の日本と同じようにわならないです。しかし、アメリカでは国民の多くが反対し、日本以外のアメリカの同盟国も反対した、イラク攻撃に時の大統領は踏切ました。そのように、どこでその道を踏み誤るかその時が来ないと誰もわからないのではないでしょうか。

そのようなことを考え、自民党の憲法改正草案を見ていくと、世界の多様な意見の違いを認めること。
そして、国民主権、基本的人権が守られるかいうと、多数の者が少数の意見を持ったものを支配する。そのような構図が生まれかねないと、読み取りができる文言が含まれています。

歴史を見ると昔から、弱者を排斥したり、意見の違う物を異端視することがありました。現代のネット社会になりそれはますます強くなりかねないです。一部の意見が世論を煽りたて、それに賛同した物が他者の意見を封じ込めたり、反対意見を言いにくいような雰囲気を作り出す、風潮が強くなってきているように感じます。

歴史を見ると、第二次世界大戦前に、当時最も民主的で進歩的な憲法のだと言われた国で、ドイツ国民はヒットラーを選んでしまいました。そして東西冷戦があり、お互いの違いにたいして敵対関係の時代がありました。その後ソ連の崩壊により、二大大国の冷戦時代が終わりました。
世界の民主的な国家と言われている国において、特に民主主義が空気のようになっている国で、民主主義の手続に対して、間怠っこしいと感じる人が多くなってきています。

国民主権の下の国家でも、過去の歴史は繰り返すともいうように、そのような土壌がどの国にも、いつ出来上がらないとも限らない状況になっているようです。
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おひさまを拝む

今日は昨日から雨が降っているので、朝日を見ることができませんが、日本人は昔は朝起きると朝日に向かって、今日の一日を迎えられることに感謝して祈っていました。
そして、自然に畏敬の念をいだき、おそれおののいて毎朝朝日に向かって、今日もよき一日であることを祈りました。

しかし、いつ頃かそのようなことをする人は少なくなってきたようです。
それはちょうど、日本中の山の中に縦横十文字に高速道路をつくり、高度経済成長を成し遂げ、物質的に豊かになり、家電製品により家事の重労働から解放され、夏の暑さと冬の寒さを感じないでいい生活をようになった。。
そして、それは今まで日本人が持っていた、自然にたいする畏怖の念を抱かなくなっただけで終わらなかった。人々は農の基本である自然を穢すようなことをし、しかもついには穢してもなにも思わなくなってしまうほど、科学技術にたよる生活や働き方をするようになってしまいました。
それは、いつ頃かというと高度経済成長きという見方もあるが、それだけでなく、「穢」の字が当用漢字・常用漢字から外され、「汚れ」と書くようになってから、自然に対して畏怖感を抱き、畏敬の心を持たなくなった時期とも合います。

「穢」を漢語林で引くと、けがれる、よごれる、あれる、雑草がおいしげる などの字義があり。文字を解字すると、禾と歳になり歳は越に通じ、度をこすの意味がある書いてあります。
「汚」は、けがす よごす きたないとあります。そして解字には、サンズイと音符の(ウ)はくぼみにたまった水とあります。

自然に対して畏怖心や畏敬の念の心を抱かなくなったのと同時に、「狐にだまされた」とか「妖怪に出会った」とかの話がされなくなってしまたという人もいます。
「狐が人をだます」場所は、狐が住める自然があるところで、都会では狐の住むところはないので、狐に代わって人が人を「オレオレ」と言って騙すようになったのでしょうか。
「妖怪」も座敷童子や納戸婆など家の中にでるのもあるが、多くは天狗や山彦、河童、鵺などのように、自然が豊かにあるところ、妖怪は現れていました。
そしてそれは、今でも山道の中や町の片隅に小さな祠が祭ってあるところを、あちこちに見かけます。そして、たいていはその小さな祠のいわれについて、何某の話があって、だれかそこを守っている人がいるようです。「ののさん」とか「のんのん婆」と呼ばれているところもあるそうです。

それは、迷信や科学的な知識のないところから来るものであると言うこともできるでしょうが、それが地域の自然を大切にすることに表れたり、その狐や妖怪などに関わる祈りや祭りにより、地域の人と人の繋がり絆が深まっていったともいえます。
そうなると狐にだまされり、妖怪にであったりしなくなったのは、人が科学的な知識を身につけ、それらは迷信だと片づけてしい信じなくなってしまっているのは、いいことかわるいことなどと言えなくなってくると思います。
それより人が暮らす身近なところに「狐」や「妖怪」が住めるような自然がなくなり、人も「狐にだまされる」「妖怪にであう」という自然に畏怖を抱き畏敬の念を持つ心が亡くなってしまったからではないでしょうか。

先に書いた「座敷童子」は東北の方の話で、家の中にでる子供の姿をした妖怪で、この座敷童子がでる家は栄える言われています。そして子供に見えても大人には見えないともいいます。2年前に東北地方で大きな地震があり大津波が押し寄せ、多くのものを海に引き去ってしまいました。今これから東北の津波で被害を受けたところは、復興をしていくのですがどうか座敷童子も再び戻って来て欲しいと思います。


わたしは、この文を書いていると、私は毎朝日の出前に散歩をしていますが、これから、毎朝、朝日を迎え「お日いさま」に向かって、偉大なお日いさまをおそれうやまい手を合わせることにします。
今日は、残念ながら雨が降っていたので、朝日を拝むことができなく残念でした。
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腰痛

厚生労働省研究班の調査では、腰痛の人は全国に推定で2800万人いるそうです。そして年代としては、40~60代の人が多くその約4割の人が腰痛に悩んでいる調査結果がでています。

腰痛は、背骨のガンや、腰椎骨折、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症などでも起こります。こうした病気が疑われれば、すぐに適切な医院にかかり治療を受けるべきです。
腰痛の原因を特定できないものは、安静より運動をする法が効果あり、マッサージは一ヶ月以上続く腰痛に対しては、あまり効果は認められなかっと調査をまとめています。

そして、腰痛の大きな要因として、過度のストレスなどの心理的な影響によるものが大きいとしています。
そしえ、これらの心理的なストレスは、体の使い方の片寄りや、体の動かし方の癖を作り出してしまいます。
そしてそれらに対しての対処法として、痛み止めの投薬もありますが、いろいろな民間療法があり、温熱、マッサージ、腰の牽引など様々です。

人間はもともと直立二足歩行をするようになり、重力に逆らうようになりました。それにより脊椎に負担をかけるようになり、腰痛とという人類の避けることができない持病を持つようになってしまいました。
機械文明の発達により、人間の生活は便利になりました。その反面、体を動かすことが少なくなり、その動かし方にも片寄りのある動かし方になってきました。
自動車は鉄道の発明により、歩くことが少なくなり、重いものを持ち運ぶこともなくなりました。快適な住まいを得られたことにより、暑さ寒さをしのげるようになりましたが、それにより暑さ寒さに耐える人が元々持っている潜在的な力が衰えてしまっています。
話は腰痛のことに戻して、ただでさえ二本足で直立できるようになった上、体の使い方を退化させてしまいました。
そして、その状態に気が付いた人は、健康に気を使うといいながら、サプリメントなどを沢山接種し。健康に良いからとジョギングやマラソンにいそしんでいます。しかしそれにより栄養が偏ったり、膝や足首を痛めたりしています。これらも潜在的な力を生活を楽にする事の文明により、本来人が持っていたはずの生命の力を埋もらさせてしまっているのです。そして、腰痛を生じさせる体の歪みは体の鈍りを助長させて、さらに別の病気を誘発させてしまっています。そしてこの体の鈍りは自らを亡ぼしてしまわないか心配です。そうならないためにはいつも自分の体を見つめ向かい合うことを忘れないでいたものですが、なかなかそれが難しい今日この頃で反省することしきりです。
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テーマ : 心と身体のケアを大切に!
ジャンル : 心と身体

スイスイと景気よよくなれ


ちょいと一回のつもりで、国債買って
いつのまにやら、国債のはしご買い
気が付きゃ 借金で財政は地獄
これじゃ国民の生活にいいわきゃないよ
分っちゃいるけどやめられない

  ちょいと一杯のつもりで、ダム立てて
  いつのまにやら、公共事業のはしご建設
  気が付きゃ 公共事業国債地獄
  これじゃ税金にいいわきゃないよ
  分っちゃいるけどやめられない

    ちょいともう一基のつもりで 火を燈し
    いつのまにややら 数珠つなぎ
    気が付きゃ 津波の事故を忘れていたよ
    これじゃ いつまでもまわり続けるはずよ
    わかっちゃいるけどやめられない

ここぞと起死回生、大胆な金融緩和
芽が出てきたと 調子に乗り
気が付きゃ 税金はスッカラカン
所詮税金は 天下の回りもの
分っちゃいるけどやめられない

甘い一言に 浮かされて
よせばいいのに 夢に手をだし
美しい国と思ったが、だまされてた
世の中そんなに甘くないよ
分っちゃいるけどやめられない


そういえば、スーダラ節を歌っていた、植木等は、無責任男という歌も歌っていました。

先の衆議院議員選挙前に、成長戦略を唱えて、日銀には金をジャヤブジャブ刷ってもらい、その責任は日銀にとってもらうと言って、責任の重い首相に就任しました。

今も、同じことを考えているのでしょうか。

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小倉百人一首

京都嵐山の百人一首の歌碑の紹介と、百人一首の歌で私が感じたことを書き綴っています。その一覧を作っりました。新しく百人一首について書くたびに、一覧に付け加えていきます。この記事が時々現れますが、失礼をお許しください。(あたらしいタブで開きます)

  1. 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
                          天智天皇
  2. 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
                          持統天皇
  3. あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
                          柿本人麻呂
  4. 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
                          山辺赤人
  5. 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
                          猿丸大夫
  6. 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
                          中納言家持
  7. 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
                          安倍仲麿
  8. わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり
                          喜撰法師
  9. 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
                          小野小町
  10. これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関
                          蝉丸
  11. わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船
                          参議篁
  12. 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
                          僧正遍昭
  13. 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
                          陽成院
  14. 陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに
                          河原左大臣
  15. 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
                          光孝天皇
  16. 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
                          中納言行平
  17. ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
                          在原業平朝臣
  18. 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
                          藤原敏行朝臣
  19. 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
                          伊勢
  20. わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
                          元良親王
  21. 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
                          素性法師
  22. 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
                          文屋康秀
  23. 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
                          大江千里
  24. このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
                          菅家
  25. 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな
                          三条右大臣
  26. 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ
                          貞信公
  27. みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ
                          中納言兼輔
  28. 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば
                          源宗于朝臣
  29. 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花
                          凡河内躬恒
  30. 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
                          壬生忠岑
  31. 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
                          坂上是則
  32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
                          春道列樹
  33. ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
                          紀友則
  34. 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに
                          藤原興風
  35. 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける
                          紀貫之
  36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ
                          清原深養父
  37. 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
                          文屋朝康
  38. 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
                          右近
  39. 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき
                          参議等
  40. 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
                          平兼盛
  41. 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
                          壬生忠見
  42. 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
                          清原元輔
  43. 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
                          権中納言敦忠
  44. 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
                          中納言朝忠
  45. あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな
                          謙徳公
  46. 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな
                          曾禰好忠
  47. 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり
                          恵慶法師
  48. 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな
                          源重之
  49. 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ
                          大中臣能宣朝臣
  50. 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
                          藤原義孝
  51. かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
                          藤原実方朝臣
  52. 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
                          藤原道信朝臣
  53. 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
                          右大将道綱母
  54. 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな
                          儀同三司母
  55. 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
                          大納言公任
  56. あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな
                          和泉式部
  57. めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影
                          紫式部
  58. 有馬山猪名の篠原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
                          大弐三位
  59. やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな
                          赤染衛門
  60. 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
                          小式部内侍
  61. いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな
                          伊勢大輔
  62. 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ
                          清少納言
  63. 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
                          左京大夫道雅
  64. 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
                          権中納言定頼
  65. 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
                          相模
  66. もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし
                          前大僧正行尊
  67. 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ
                          周防内侍
  68. 心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな
                          三条院
  69. 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり
                          能因法師
  70. 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ
                          良暹法師
  71. 夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
                          大納言経信
  72. 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ
                          祐子内親王家紀伊
  73. 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ
                          前権中納言匡房
  74. 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを
                          源俊頼朝臣
  75. 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
                          藤原基俊
  76. わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波
                          法性寺入道前関白太政大臣
  77. 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
                          崇徳院
  78. 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守
                          源兼昌
  79. 秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ
                          左京大夫顕輔
  80. ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ
                          待賢門院堀河
  81. ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
                          後徳大寺左大臣
  82. 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
                          道因法師
  83. 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
                          皇太后宮大夫俊成
  84. 長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
                          藤原清輔朝臣
  85. 夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
                          俊恵法師
  86. 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな
                          西行法師
  87. 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
                          寂蓮法師
  88. 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき
                          皇嘉門院別当
  89. 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
                          式子内親王
  90. 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず
                          殷富門院大輔
  91. きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
                          後京極摂政前太政大臣
  92. わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし
                          二条院讃岐
  93. 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも
                          鎌倉右大臣
  94. み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり
                          参議雅経
  95. おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖
                          前大僧正慈円
  96. 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
                          入道前太政大臣
  97. 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
                          権中納言定家
  98. 風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける
                          従二位家隆
  99. 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
                          後鳥羽院
  100. 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
                          順徳院
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • アベ政治はクーデター
    雲と風 (07/18)
    勉強になりましたが、「安倍政権はクーデター」でしょうか? 権力と威嚇によるテロリズムだと思います。内閣府の中の一派が壊憲と日本の民主主義制度の堕落無力化を共謀し
  • 教育福祉などへの株式参入は
    竹林泉水 (07/12)
    なんでも自由競争になれば、サービスの質が向上すると考えるのは間違いで、鉄道などで見ると都市部はサービスが向上するが、過疎部では反対で最悪の場合は撤退になります。
  • 教育福祉などへの株式参入は
    アジシオ次郎 (07/10)
    おはようございます。

    教育や福祉に株式参入することは、教育や福祉をビジネスに利用しかねないし、アメリカ式の市場主義経済に基づく価値観を正当化しかねないです。た
  • 食べることは殺生をすること
    竹林泉水 (07/06)
    日本人は頂きます・ご馳走様と日本人なら誰でもいいますが、外国の方はどうなのでしょうか。キリスト教のクリスチャンなら食前食後の祈りがあります。
    私は中高とミッショ
  • 食べることは殺生をすること
    アジシオ次郎 (07/05)
    こんにちは。

    人間は生きる為に他の生物の命を奪わなければいけない。と言う「原罪」を背負っている以上、食べると言うことはそうなのかも知れないです。動物の命を奪い
  • しあわせ
    竹林泉水 (06/27)
    そうですね、国会はもっと開かれたほうがよいでしょうが、選挙があるので地元の支持を集めるためと、情報集めなどのためにそれぐらいしかないのでしょう。
    >「立法府の
  • しあわせ
    風と雲 (06/26)
    何故?国会は一年の半分以下しか開催されないのでしょうか。国内外に毎日大きな動きのある現代に於いては、さまざまな問題を国民の前に提示し、議論を深め理解を求め、国民
  • 森友・加計問題を見ると、今の日本は法治国家だろうか
    竹林泉水 (06/20)
    まずは自分を正当化して自画自賛をしてさらには、「印象操作のような議論に対して、つい、強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を
  • 森友・加計問題を見ると、今の日本は法治国家だろうか
    風と雲 (06/18)
    >自分が思うことは法を飛び越えてでも粛々と進める安倍政権・・

    飛び越えてではなく、→ 潜り込み裏をかき開き直って、鉄面皮と二枚舌で、 と言うのが最近の安倍政権
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