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世界の差別と人権

ミャンマーのイスラム教徒のロヒンギャ族と仏教徒との衝突が問題になって、国際社会の批判が高まりっているそうです。
ミャンマーのロヒンギャ族はバングラデシュからの不法移民のとして国籍が与えられていない。しかしロヒンギャ族族はバングラデシュでも不法移民とされている。そこで、人権団体はミャンマー政府にたいして、ロヒンギャ族に国籍を付与するように求めています。
国際社会の圧力からそれに対して、ミャンマーの大統領は国籍付与の検討に入ったそうです。

しかし、この問題は国籍の問題だけでなく宗教的な問題もあるようなので、解決にはまだ長引くでしょう
 
政治的な解決より経済的に互いに豊かになってくれば、生活に余裕がでてきて互いの立場を受け入れられるようになってきて、それらの問題もお互いに歩み寄り解決でっきるでしょうがまだまだ時間はかかりそうです。
それには、生活が互いに苦しくて深刻な憎しみが深まらない打ちに、先進国が援助による利益を考えた援助でなく、ミャンマー自身の自立になる本当の意味での援助をしていく必要があるでしょう。それが、ひいては世界経済の発展につながり、援助をさしのべる側の先進国の利益として帰ってくるものだと思います。
 
話は飛びますが。幸せの国といわれているブータンですら、国際社会から注目されている難民問題があります。
ブータンは19世紀にネパールから多くのネパール人が土地を求めて移り住みだしました。ブータンの人はチベット仏教徒で、ネパールの人はヒンズー教徒ですが、当時の国を治めている人たちは受け入れていました。しかし、その後、移り住む人は増え続け国勢調査をすると、人口がヒンズー教のネパール系の人のほうが、もとの仏教とのブータンの人たちより多いことがわかり、このままでは国の安定が脅かされる存在として警戒するようになり、国籍が与えられる条件が厳しくなり、過去にさかのぼって国籍が取り上げられたりして、難民問題が発生するようになりました。
  
また隣国中国には、世界人民は団結しようという、スローガンをかかげていますが、自国の少数民族などに対しての、差別などがあり時々暴動があったことがニュースになっています。
 
このことは、ヨーロッパでも移民に対する差別や排他的な問題がニュースになています。アフリカ系のアメリカ人が大統領になった、アメリカでも未だに白人優位を唱える人も多いようです。これらの問題は今後も続くでしょうが、皆が考えて解決していかないといけないことでしょう。
そしてこれらは、国際社会から注目されて、多くの人が知っているところであるが、世界中でこのような少数民族や難民また在留外国人に対しての、偏見や差別や迫害などは大なり小なりあります。
それを知らない、自分たちに関係ないと過ごしていていいのでしょうか、大きな宇宙の青く浮かぶ小さな地球です。自分たちでできる小さなことはどのようなことでしょうか。

日本でもアイヌの方に対して、沖縄の方に対して、在日外国人に対して、いまだに差別や偏見などがあり、排他的な主張をする人もおり、裕福な人もいますが経済的にも苦しい状況にある人もいるのは事実です。
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「無洗米」で思ったこと


昨日、「人類の未来はあるのか」の記事で、無洗米のことを書いた。無洗米とは洗う必要がない米のことですが、本来米は洗うとは使わないで「米を研ぐ」と使います。
この「無洗米」と違和感なしに書いたが、なぜ「無研米」とか「不研米」と言わないのでしょうか。それは、「一粒も逃さず一粒も流さず」というように、米を大切にする意識がすくなくなり、米を研ぐ意識が薄れてしまい、米を洗うとなったのでしょうか。

このように物に対して、以前と変わってきている物がたくさんあるようです。

たとえば、
[お茶碗]は、「一口」「一客」が、一個
[箸]は、[一膳][一具]が、一組や一揃え
[衣類]は、「一揃い」「一重」と言っていましたが、一着、一点などを使うことが多くなりました。
他にも、
[傘]は、「一張り」が、一本
[うちわ]は、「一柄」が、一本や一つ
[瓶や大きい壷]は、「一口」を
[ナイフ]や[はさみ]は、「一挺」「一丁」を、一本
[筆]は、「一管」「一茎」が、一本」
他にも、いろいろあると思います。

そして、これらの数詞の使い方が変化してきている物は、それを使う方の意識も変わってきているのでしょう。それは生活が便利になり、物を使うのに使い方などを意識しなくなり、「一個」や「一つ」「一本」などと、当たり障りのない品詞の使われ方になってしまったのでしょうか。

どんどん生活が便利になっていくなか、物を大切にその有り難みに感謝する意味でも、日本人が昔から使っていた数詞を大事にしたいと思います。
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嘘をつくこと

中国版 狼少年

韓非子 外説左上 第三十二 に次のような話があります。

楚のレイ王は、国民に敵襲があれば太鼓を打って知らせ、そのときは民衆とともに国を守っていた。あるとき、酒を飲んで酔っぱらってしまい、誤って太鼓を打ってしまった。民衆は大いに驚いて駆けつけて集まってきた。レイ王は人をやって、「儂が酔っぱらい近臣とふざけていて、間違ってならしてしまった」と告げて、民衆を解散させ静めた。
それからしばらくたって、本当に敵国が攻めてきたので太鼓を打ったが、民衆はだれも駆けつけなかった。そこで命令を何度も繰り返して伝えて、ようやく民衆は信用して集まってきた。
また次のようなのがある。
魏の李カイは、左右に軍門の兵士に次のように注意を喚起した。「しっかり警戒せよ。敵はすぐにもやってきて、攻撃してくるぞ」。そして、何度もその喚起を繰り返していたが、敵は攻めてこなかった。そして左右の兵士は気がゆるんで李カイの言葉を信じなくなってしまった。
それからしばらくして、秦の軍隊が攻めてきて、魏の軍は壊滅しそうになった。これは真心を込めて正しいことを正確に伝えようとしなかったための弊害である。
別の話にこうある。
李カイが秦の軍隊と戦ったときの話、左の軍門の兵に「早く城壁に上がれ、右の軍門は上がってしまったぞ」と言った。それから急いで右の軍門のところにゆき、「早く城壁に上がれ、左の軍門は上がってしまったぞ」と言った。左右の軍門の兵士たちは、先を争って城壁を上がった。
その翌年、また秦の軍隊が攻めてきた、魏の軍は攻めてきてた秦のは軍隊と戦ったが、魏の軍はほとんど全滅しそうになった。これも真心を込めて正しいことを正確に伝えようとしなかったからである。


嘘をつくことは、子どもだけにではなく、大人にも同じことです。そして、普段からこの話にあるようなことをしていると、実際に何かあったときにたいへんなことになることを知っておかないといけないです。
それが、レイ王が酔って誤ってしたようなことで、大変なことになります。ビルなどで火災警報のベルが鳴ったとき、多くの一は驚かずそれが誤報ではないかと、思うとした調査結果があります。そして、それが多くの一が訪れる場所で、何回も繰り返さされると、来客だけでなく機器管理に対応する者までが疑い、その対応に遅れが出てくる可能性もあります。
また、必要に危機を訴えすぎると、その危機感が麻痺してしまい、本当の危機とは何かをわからなくしてしまうでしょう。。
日常の生活のなかでも、この李のレイ王のようなことが、ないようにしたいものです。

このところ日常生活が苦しく、先行きが不安定で見えにくいですが、そのようなとき人は言うまでもなく安定を望みます。その上に自分たちで方向を見据えて一歩一歩を歩もうとするのではなく、自分たちを強く引っ張っていって暮れる人を夢みます。しかし、往々にしてそのような時に声を大きくして、狼が来るぞと叫んで注目を浴び、支持を得ようとする人がいます。だけどその様な人が言っていることを、冷静に聞いてみるとその言葉は、裏付けのない拙速な虚言なようなことが、多く含まれていることに気がつきます。
これから自分はどう生きていくかを改めて考え、人の言葉に惑わされないようにしたいものです。
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ミケランジェロ と「ダビデ」

イタリアの巨匠ミケランジェロはみなさんよくご存じだと思います。
そのミケランジェロの代表作に「ダヴィデ」がありますが、その「ダヴィデ」についての逸話が、ロマン・ロランの名作
「ミケランジェロの生涯」(ロマン・ロラン著 高田博厚訳 岩波文庫)に書かれています。
 
    
       ダヴィデ
       「wikipedia」ミケランジェロより。
        

『伝えによると、市政長官のピエロ・ソディリーニがミケランジェロにこの制作を注文したのだが、ある日像を見に来て、見識を示すべく批評をやって、鼻が大きすぎると難じた。
そこでミケランジェロは足場へ上り、鑿と大理石の粉をすこし手に持って、鑿を軽く動かしながら、粉末をすこしずつ落とした。だが鼻には触れず元のままだる。
「これでいかがです?」
「や、すっかりよくなった。これで生き生きとしてきた」とソデリーには言った。
--- そこでミケランジェロは下りてきてこっそり笑った。 ---』
 
また、次のようにも書かれています。
『美術家委員会が「ダヴィデ」の置き場所につて評議した。ミケランジェロの要請に従って、市政庁の前に建立することに決定し、・・・・ 中略 ・・・・ 指定の位置にに着いた。夜はまた象の周囲を警備しつづけた。万全の注意が払われたにもかかわらず、ある夜投石で傷つけられた。
これが、時にはわが国民衆の手本とされいたフィレンツェの市民だったのである。』
 
 
前者は、システィーナ礼拝堂の壁画を描いたとき、絵にけちを付けた司祭を、いかに知ったかぶりをした無知さを馬鹿にし、最後の審判の絵で地獄に落ちた者の顔を司祭の顔を描いた、自由人で反骨心があるミケランジェロをよく物語っているように思います。

そして、後者は「ダヴィデ」の美しい純潔な裸体に対して、当時もっとも、文化的に進んだ礼節を持っている市民と言われた、自由都市国家フィレンツェの市民の恥じらいの心を精神的に呼び起こし傷つけてしまったのでしょう。今まで多くの彫刻などは、貴族の私的庭園や邸宅やもっとひどいのになると陽のささぬ私蔵いな死蔵の庫に置かれていましたが、ミケランジェロは市政庁の玄関の前に置くよう希望し、市民の目前にさらしたのです。
しかし、それはあまりにも美しい「ダヴィデ」の裸像に嫉妬してしまったのはなぜでしょうか。

それは、レオナルド・ダ・ビンチなどが加わって討議している美術家委員会が、ミケランジェロがはじめから希望している市政庁前に置くことに反対して、ロッジア・ディ・ランディの屋根の下に置く提案に賛成したのも、「ダヴィデ」の裸像の自由都市としての気概を恐れ、芸術性を優先しようとしたことからもそれが伺えるのではないでしょうか。しかし、最後には制作者のミケランジェロの意図が優先され、市政庁を守る「ダヴィデ」として置かれたのです。

また、この「ダヴィデ」を通して、ミケランジェロはフィレンツェ生まれでフィレンツェの自由都市としての独立性を「ダヴィデ」の芸術性で顕したかったのでしょうか、それに対してレオナルド・ダ・ダビンチは、生まれ故郷のフィレンツェを捨てて芸術制作を追求した二人の温度差を感じます。
そのことに対して、羽仁五郎は「ミケランジェロ」岩波新書の中で次のように書いています。
「すなわち、フィレンツェ自由都市共和制の若き"ダヴィデ"は装備によらず裸身にしてただ市民民衆の自由独立の精神によって、あのピエロ・デ・メディチの独裁主義の陰謀とチェザレ・ボルジアの武力とそれらの背後の法王アレッサンドロ六世どの三頭のゴリアをしりぞけたのである。」

そもそもダヴィデは、旧約聖書サムエル記上に出てくるイスラエルの王子であり、イスラエルを滅ぼそうとした宿敵ペリシテの巨人のゴリアテを倒した英雄ですが、「ダヴィデ」の裸像に、フィレンツェの置かれた現状を表したことに市民は嫉妬したのでしょう。


旧約聖書 サムエル記 上 については、続きに書きたいと思います。

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国民の知りたいこと、言いたことは・・・

いよいよ、選挙が公示されます。これからの日本を変えようとする人ばかりが立候補し、その言っていることをしっかりと聞いて、16日の投票に挑もうと思います。

しかし、各党が言っていることはどれも、似たり寄ったりであったり、表面的なことしか言っていないで、その具体的な内容は不明なところが多いです。

原発の問題では、脱原発 卒原発 フェーズアウトのどこがどう違うのか、今一つ解り難いのは私一人だけでしょうか。それぞれ何処がどう違うのか具体的に示してくれないと、後でそう意味なら投票しなかったとならないか心配です。そして、仮に原発を廃炉にするには、どういう手順でどれだけの時間がかかりどれだけの資金がいるのか、それは誰が負担するのかなども考えていかなくてはなりません。
また、原発を無くして電力の需給はどうなるのか、その時の経済財政状況はどうなるかも見通しいるのでしょうか、俄か政党の脱原発などは票稼ぎにしか見えてこないのです。

自主憲法に作り直そうという声のまります。憲法改正の是非は別として、憲法を変えるならどの部分をどう変えるのか、そして変えるとどうなるのかを、しっかりと解りやすく具体的に示しているのかいないのかを、しっかりと聞いて見極めていきたいと思います。
私は、憲法を変えるなら、一括して複数変えるのではなく、一条一項づつ国民に問いながら変えるべきと思います。
一挙に全文を変えるのは横暴にも思えます、この部分はこう変えたらいい、この部分は別の変え方がいい、こちらの部分は残した方がいいなど、いろいろと国民的議論をしていくべきで、国民投票でもすべきでしょう。
とくに、9条では、今の自衛隊はだれがみても軍隊そのもので、現行憲法でその存在が認められています。それなのにわざわざ自衛隊を軍隊と明記するなら、関連法も変えなくてはならなくなるでしょうから、それらをどうか変えるのか。軍隊なら、軍律を乱した場合ときはどうするのか、軍事裁判や憲兵やMP(Military Police)などを設けるのか、徴兵制を導入するのか、海外派兵の問題などなど、国民一人一人に直接関係してくる問題もたくさんあります。

憲法の問題では他に人権の基本的な生活権などの問題や、国会の在り方などなど沢山の事柄が直接国民の生活にかかわるので、単に憲法改正を唱えるのではなく、どの部分をどのように変えるのか、そのために関連法もどう変えるのかをも示していくべきでしょう。あらためて条項をつくるなら、現代の国際社会状勢にあった、難民や移民などをどのように受け入れるのかなどを明示するべきかもしれません。

ほかにも、TTPや国会のありかた、選挙の在り方、教育問題などなど、この政党のこの部分には賛成だが、この部分はあの政党に賛成であるとでしょうから、丁寧に説明してほしいとともに、政権をとっても一つ一つ丁寧に国民に信を問うてほしいと思います。
いい加減なことをいう、政党はこの乱立のなかでいずれは、淘汰されるでしょう。

しかし、今はもう昔の話だが私の若い頃は、右翼も左翼も元気で過激であったが、自分たちの主張をしっかりと表明していました。

「全国の退職した老人よ団結せよ!長い間、会社のため身を粉にして働いて培った英知を、今度は自分のため、そして自分が理想とする社会のために発揮せよ!。そう、若い時に拳を上げて叫んだことを思いだし、再び声を上げようではないか。今我々老人は眠れる獅子である、それが今呼び覚まされようとしている、太陽の季節を夢みて立ち上がった老人を見習って、別の視点からの声もあげていこではないか。」と、昔のパワーを呼び覚まし拳を上げろ!。そしてそれを一つは選挙という形で、選んでいくことによりしっかりと、あらわしていこうと思いたくなる昨今です。
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万の事は頼むべからず

万の事は頼むべからず

万の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先づ滅ぶ。財多しとて、頼むべからず。時の間に失ひ易し。才ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず。徳ありとて、頼むべからず。顔回も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず。誅を受くる事速かなり。奴従へりとて、頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信ある事少し。
吉田兼好 徒然草 二百十一
 
なにごとにつけても頼りにするのはよくない。思慮のない人は、他人や時間や物事に頼ってしまし、それがうまくいかないと、恨んだり怒ったりしてシムことになる。
たとえその人が勢いがあっても頼りにするのはよくない。昔から言うではないか、栄枯盛衰という強い者からまず滅ぶ。自分に財産があるからと甘んじてしまってはいけない。千金は一瞬でなくなるものだ。自分に才覚才能があるとおごってしまってはいけない。あの孔子さえ好機には恵まれなかった。徳があると言われてもそれに浮かれてはならない。顔回さえ不幸な末路に陥ったのだ。上司などから、期待されてエリートコースに乗っているからと浮かれるな。一つの失敗でもその責任は自分で負わなければならない。自分に従ってくれる部下がいても、本当に慕っているのか判らない、状況が変わると部下がどうするか判らない。人の意志を頼りにするな。人の不安定な心は必ず変わるものだ。他人との約束を頼りにしすぎるな。信義を貫いて約束を守る人ばかりではない。

これを読んでいるとなんだか、今の国の姿は雨後の筍か?、百家争鳴のように?、政治家が票に向けて囀っていて、百花騒乱かはたまた百花夜行かわからないが、国民そっちのけで票を奪い合う下克上のような政界です。その今の世相を言っているようです。
その様な中で、巷で地道にコツコツト生きている人も、いるのだとそしてそれに目を向ける人がいると信じたくなります。


このあとは、続きに書きます。

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トンネルの天井崩落事故について思う

トンネルに設置している天井が崩落しました。
詳しい正確な原因は次第に明らかになっていくでしょう。
一つ言えることは、今までこのトンネルは天井を吊っているボルトが、高い位置にあるので、打音点検をしていなかったそうです。そのため、崩落の危険性があることが判らなかったようです。
ただ一つ疑問に思うのは、同じような構造のトンネルでは、打音点検をしている所もあると聞きます。そのトンネルでは、ボルトの劣化や緩みなどは、見られなかったのでしょうか。もし、ボルトの緩みや劣化があったとするなら、当然事故が起きたトンネルもその可能性がある訳ですから、何らかな対策がとられていてしかるべきでしょう。ということはまれな事故で、最近の言葉でいうと想定外だったのでしょうか。

トンネルではないですが今ま天井が落ちた事故は、体育館などの天井が落ちたり、天井のモルタルが剥離したりすることは、ニュースになることもありますが、ニュースになる以外も比較的頻繁に起きていると思います。

わたしが、過去に勤務していた学校で、授業中に教室の外から大きなドンという音がしました。教室のドアか廊下の外を見ると煙がでていました。そしてその方向に行ってみると、校庭への出入り口の天井が落ちていました。
また、別の寒冷地の学校ですが、窓の庇のモルタルが落ちる事故もありました。
そしてなりよりも、市の施設課は定期的に外壁や天井の点検をしていることです。点検にきたあと異常があるとされたときは、そこに赤いペンキを塗り補修工事がされます。
しかし、天井の方はあまり深刻に考えていないようにも思えます。以前、体育館の天井が浮いているのを、管理職に報告してもそのままでした。ところが他の施設で天井板の落下事故がおきたら、早速全市的に体育館や講堂などの広い場所の天井の点検が実施されました。

また、以前務めいた所に吊り遊具がありました、そこはもとは美術室でしたが、感覚訓練や機能訓練をするたの訓練室にして吊り遊具を設置しました。この時も、遊具を吊っている金具やボルトが、しっかりしているか点検がありました。しかし、これも確か、どこかで天井から吊っているものが落下したか異常があったことから、この点検が急遽あったと記憶しています。

多くの場合このように、何らかの事故などがおきてから、点検されることが多いようです。
なんだか、責任逃れの為の点検のようですが、これもしかたないのでしょうか。このようなことを変に思うのは私だけではないと思います。ある施設への安全だという思い込み、違った言い方をすれば想定していない安全神話のようものがあるのでしょうか、それとも点検をする手間と経費を惜しんでいるのでしょうか。
そして、大切なことはこれらの事故が起きたことに対してどれだけ教訓にするかでしょう。多くの場合安全規制や規格が見直され教訓は生かされているようですが、なかに繰り返し同じような事故が起きたり、時間が過ぎて忘れたころに事故が起きていることもあるようです。
この事故を対岸の火事とせず、教訓として生かされることを望みます。


それともう一つ言えることは、トンネルだけでなく道路や鉄道の橋や高架橋などには、戦後の復興時から高度経済成長期に建設されたものが多くあります。そしてそのいくつかに、崩落や崩壊の危険性があるのもいくつか指摘されています。そして使用禁止になているものもあれば、対策をどのようにとるか検討されていても、そのまま使われているものも多くあると聞きます。
その様なことを聞くと、今後今回のトンネルの天井落下じこのような事が、多発してくるのではないかと心配です。
道路の維持管理はし続けなくてはなりません、そのための財源はどのように確保するかも問題があります。高速道路無料化もいいですが、当然その財源を確保できることを見通してしなくては、道路やトンネルや橋の劣化や老朽化がによる事故を防ぐことができないでしょう。その財源は確保は見通しているのでしょうが。なんだか心配になるのは、私の知らないところだけでしょうが、具体的に何処からでるのか不安に思う今回のトンネルの天井崩落じこでした。
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百年も前の良き風になしたくも成らざるなり

時代の風と云ふものは、かへられぬ事也。段々と落ちさがり候は、世の末になりたる處なり。一年の内、春ばかりにても夏ばかりにても同様にはなし。一日も同然なり。されば、今の世を、百年も以前の良き風になしたく候も成らざる事なり。されば、その時代時代にて、よき様にするが肝要也。昔風を慕ひ候人に誤あるは此處なり。合點これなき故也。又當世風ばかりと存じ候て、昔風を嫌ひ候人は、かへりまちもなくなるなりと。
山本常朝 葉隠 簡書第二 十八
 

昔から時代の流れを止めることができないと言われている。いままで勢いはあったが勢いがなくなってきているのは、そろそろ交代の時期にきている証拠だ。季節には四季というものがあるが、春が何度来ても、夏が何度来ても、同じ季節はやってこない。これ、一日もまた同じことをよく肝の銘じておかなくてはいけない。今の状態を、百年も以前の良い状態に戻したくても、出来ないことはみなわかりきっている。それなら、その時代時代で、最善と思われることをするのが大切なことだ。昔を慕う人が間違っているのはこのことを、納得していないからだ。また、今のことばかりで、昔の事を嫌い何でも否定してしまうのは、また思慮が浅はかでといえる。



水はせき止められても、時の流れは止められない、これは古の人もみな言っていることですね。栄枯盛衰ということばがあるが、栄えているものはいずれは衰退していくものです。そして個の衰退の時に過去に囚われてしまっていると、そのものは死んでしまうのでしょう。しかし、衰退が始まったときに過去の事に囚われず、新しいことに挑む事ができるなら、再び盛り返すことができるのでしょう。
温故知新ともいう、昔を懐かしんでばかりいては、何の進展もないがだからといって、昔から続いているものが、古い悪いといって早急に崩してしまうのもよくない。昔の良いことも悪いこともよく、なぜそうなのかをよく考えてから、新しいことに取り組んでいかないと、折角よいことをしようと取り組んで、始めのうちはうまくいっていても、後でとんだ不都合などがでてきて失敗してしまうでしょう。

また、山本常朝は葉隠で、このことの前に次のことを言っていますが、それは、続きにかくことにします。

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宇宙船地球号 あれこれ

朝日新聞の夕刊に、『地球変異』(11/26-11/29)という4回の連載記事が載っていました。
そこに、「ブッシュミート」と「熱帯林の木材伐採」「ゾウの道」について書かれていました。
「ブッシュミート」とは、野生動物の肉のことですが、コンゴの密林の中で暮らす狩猟の民の重要なタンパク源の一つとして、自家消費分に限って狩猟が許されています。しかし、町の市場には密漁された猿やダイガーと呼ばれる牛の仲間の肉が山積みにされているそうです。

この記事を読んでいて、日本にもブッシュミートというのはあるのだろうかと思うと、畜産されている以外の肉も比較的よく食べられています。一番身近なのはイノシシの肉ではないでしょうか。そして、地域により駆除などを目的として狩猟された、鹿の肉や熊のにくなどもあるようです。そういろいろ思い巡らしていると、宮本常一の「山に生きる人びと」の本を思いだしました。
その本には、昭和30年ごろまで、日本にも山びとが山の中で生活を営んでいた、記録が綴られています。山には、マタギや木こり、木地師、木器、猟師、鍛冶職などの専門的知識と技術を持ち、里の人は別の文化や信仰を持ち生活様式も違う暮らしをしててた事がかかれています。宮本常一はそれらの人のところに、足を運んで聞き取り記録されたものです。そこには、里の人とは違う生活文化があり、山の中で広範囲に移動して暮らしている様子が書かれています。山で炭を作り、木器を作り、狩猟をして鹿やいのししや熊などを捕らえ、それを重要な食料とし、それらの獲物の肉や毛皮、そして木で作った皿や椀などや木の蔓などを編んで作った駕籠などの日用品や、農耕具の鉄器などを里に売りにいき、生活をしていたことが書かれています。

また、先進国の豊かな生活を支える、重要な木材の供給地として、コンゴなどアフリカや東南アジアや南米などの国の森林の木材が輸出され、ジャングルや密林が荒らされています。
そして、それらの森林の資源を伐採し運ぶために、道が作られ人が流入し人口が増大しています。森林の伐採するだけではなく、材木を運ぶ道路を造り、森林を伐採する人のすむ街ができ、そのための水資源や燃料を確保するために森林を伐採する。そして広大な土地の自然資源が破壊されています。そして多くの場合コストを下げるため、環境を守るための配慮などはほとんどされていないようです。
日本が、明治時代に開国して産業を興進して、環境破壊や公害が深刻な社会問題となった、昭和50年頃まで続いたようなことが、いまそのコンゴなどの地で起きているようです。

人が移動すると道ができ、人が定住すると町ができます。しかし、道や町ができるのはそれだけですむのではなようです。人が住みよくするための、エネルギーや水などのライフラインの問題が、とどのつまりは自然を破壊し人が住み難くしているのです。


そして、森林開発により今まで森林の中で永く、自給自足で過ごしてきた民は、文化的な現代の文明ができるようになってきました。森林開発のために外からきた人の町ができ、今まで森林にすんでいた人がその町周辺に住むようになってきています。
そして、貨幣経済や備蓄による富が、森林の中で暮らしていた人に襲いかかっています。そして今まで培われた密林での生活の知恵や知識が忘れられようとしています。風邪や怪我をしたときに煎じて飲んだらいい樹皮の知識や、野生動物に襲われた時に逃げる方法や、野生動物を獲物として狩る方法が忘れ去られようとしています。
しかし、皮肉なことに狩猟の技術は、町の人がブッシュミートを売るために、その土地に住んでいる森の人が密猟の片棒を担がされ、その狩猟技術が使われていることです。

そして、今コンゴのそのちでは、養豚を子どもたちに教えようとする取り組みがなされているそうです。ブッシュミートを必要とするのは、町の森林労働者ですから、その
需要のために豚を供給しようと取り組み始めているそうです、いまは、豚肉の供給より豚を増やすことを進めているそうです。そして何よりこの試みは、学校で子どもたちが学んでいることです。小さい頃から自然保護の意味を教え環境保護に取り組ませることにより、親の意識も変え養豚による自活への道を拓こうとしているようです。



先進国といわれ豊かな生活ができるのも、アフリカなどの地から、自然資源を搾取しているからではないでしょうか。しかし、この豊かな生活を続けるには、いつまでも一方的に搾取するような構図では、いずれは行き詰まってしまうでしょう。安いコストで何でもかんでも仕入れ消費すればよいのではなく、将来の安定的な供給ができるように、互いに協力し支援していく意識をもちそれを、実践していかないといけないでしょう。
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これからの日本の行方は--

本の紹介  「中国化する日本」與那覇潤

      中国化する日本


この本は題名から、過激で日本が中国の属国となってしまうと思ってよむと、大きく期待がはずれてしまいます。
その様な本ではなく、奈良時代から現代までの政治や文化論を述べたものです。

著者のいう「中国化」とは「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくる」ことを言っています。
そして、過去の歴史をみると、中国の圧倒的な文化力と経済力に影響され、中国を模倣していった時代もあれば、またそうでない時代もあり、その二つの流れの繰り返しだと述べています。
そして、日本は唐から遣唐使を派遣し律令制度を学び、唐が滅びると中国との交流は途絶え、日本独自の国風文化を発展させた。そして、宋の時代に築かれた社会の仕組みが、日本以外の中国や世界の社会が現代まで続いているといっています。
政界はそれなのに、日本は鎌倉時代から戦国時代の動乱の時をへて、江戸時代に中国とは全く違う江戸時代が長い間続いた。
そして、江戸時代が終わると日本はようやく、世界と同じように宋朝以降の「中国の近世」と同じような状態に移行していきつつあると著者は述べています。

そして、著者はさらに次のようなことを考えていきます。一、なぜ、ヨーロッパは中国に逆転でき産業革命が興せたのか。
二、なぜ、西洋が中国を凌駕することができたのか。
三、なぜ、近代化が遅れて西洋化も、捗らなかった中国が最近存在感がでてきたのか。
四に、どうして、歴史的に先進国であったに、中国に人権意識や議会政治が育っていないのか。
これらを軸にこの本は書かれています。

そして、源平合戦とは、中国化勢力(平家)と反中国化勢力(源氏)との争いだった。グローバル時代によみなおす「日本史」として、話を初めています。


そして、この本を読んでいると、今の世に道徳感情を煽り利用した、モラルで官僚や政治家を縛る「徳治」政治を押し進め、市民自由までも時には枠にはめようとする、新興勢力はどこに行くかを考えてしましました。
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トンネル事故とインフラの今後

中央道のトンネルでの崩落事故がおき、俄かにインフラに対する関心が高まっています。
しかし、このインフラに対する問題は、以前から指摘もされてきて、トンネルにかかわらず、橋や道路の陥没など少なからず、いやいくつも事故も起きていました。
それを、経済発展優先のため新規事業を優先させ、真剣に取り組んできていなかったようです。日本列島改造の亡霊にいつまでもとりつかれ、基本的な一つ作れば一つ維持する物が増えることから目をそらし、作りっぱなしでいたわけではないでしょうが、そしてそれらに対して真剣に取り組んでこなかったです。

永く後世に引き継ぐために補修されつづけているものもあります。国宝の姫路城が平成の大修理として痛んだ部分の補修工事がされています。薬師寺の東塔は解体修理がなされえいます。このように、建造物を後世に長く持たすためには、解体修理などをすることにより後世にのこすことができるのでしょう。
しかし、この文化財などへの補修の財源を集めるにも、国からの助成と募金などを募っているようですが、今はなかなか思うようにお金が集まらないとききます。
また、補修にかんしては自分たちが住んでいる家も同じです。ただ、戦後に建てられた庶民の家の多くは、建築数十年が耐用年数として設計されていると聞きます。そのように家などの建造物をも消費物としてしか見ない考えが、公共の建造物にもあるのでしょうか。そ
そして、明治や大正時代に建てられた建物は、補修修理されれて使われるのではなく、壊してしまって新しく高層の効率のよい近代的な建物に建て替わっていっています。


さて、今、日本中にあるいわゆるインフラと呼ばれるものを、早急に総点検しないといけと心配している人もいるようです。(インフラは、インフラストラクチャー 【infrastraucture】のことで、広辞苑には次のように書かれています。
「産業や社会生活の基盤となる施設。道路・鉄道・港湾・ダム等、産業基盤の社会資本、および学校・病院・公園・社会福祉施設等の生活関連の社会資本など。」となっています。ここには当然、水道・ガス・電気・通信等も含まれます。)


敗戦の復興から這い上がり高度経済成長のもと建てられ、50年、40年になるものが多くなりそれらは、痛みがひどくなり中には使用禁止になっているものもあると聞きます。そして、専門家がいうにはそれらはますます増えていくと言う人もいます。

いま、不景気でそのようなところに出すお金は無いと言う人もいますが、そのような時だからこそ古い建造物を永く持たせるように、補修改修を早急にしないといけないと思います。そうしないと、これから第二第三の中央道のトンネル事故がどんどんと多発していくのではないかと杞憂するのは私だけでしょうか。
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小さな宇宙船地球号の中で・・・

先日、朝日新聞に連載されていた、アフリカ、コンゴで起きていることを書きました。その後改めて思ったことがあります。

現地の人は今まで、狩猟採取を中心とする共同生活をしていて、町の人とも物々交換などをして生活をしていたので、貨幣経済とは関係なく過ごしていました。
それは貨幣経済や個人の所有権などがなく、あらゆる多くのものが共同で使かい、そして、狩猟採取したものは天から恵みとして自然をあがめ、生活規範も天をあがめることにより成り立っていたといえます。
そして先進国で問われる人権の定義もなかったです。
それが、いわゆる先進国と言われる、私たちの生活を守るため、今まで近代的な産業経済が入っていない地に、消費経済や流通産業の経済にさらされるようになりました。

そのコンゴの記事を改めて読むと、森林伐採をし近代的な貨幣経済が入っていき、現地の人にお金と利益に対してむさぼらせているのは、阿片のように現地の人の心を蝕んでいるように思えます。

今まで日本人が培い養い育てた人の心、メソポタミアから続く中近東の人も、古代エジプトや古代ギリシャから続く西欧の人、古代中国文明から続く中国の人などは、それぞれ違う道で文明文化を育て、それぞれ違う価値観を培い今に至っています。
しかし、それらが互いに違うものが、いま一つに固まりアフリカにアマゾンの奥地に怒濤のように押し寄せて、純朴である人々の心とその清い地を荒らしているのではないかと感じます。

いま、日本人が使っているものをみると、どれだけ純国産と言えるものがあるでしょう。何らかの形でほとんどのものが、輸入されているものと関わってつくられています。
まずは、エネルギーはほとんどは輸入された天然ガスや石油から取られています。牛肉などもその飼料の多くは輸入品です。家を建てるにも、木材の多くは輸入品です。生活用品の多くは日本の企業のものであれ、多くは海外で生産され輸入されたものです。たとえ、日本の工場で作られたものでも、その原材料の多くは輸入されたものだといえます。
こう見ると、日本人の生活を支えているのは、遠く離れたアフリカやアマゾンなどの地に生きる人の、汗の結晶とも言えるでしょう。それをなんら感じずにいて、不景気だ不景気だと嘆き、文句ばかり言っていてよいのでしょうか。
今まで、日本の企業や政府や最近では民間の団体が社会投資してきたから、この日本の豊かな社会があるといえるでしょう。しかし、いずれはそれらもこの豊かな生活に感謝せず甘んじていたら、息切れして大きなしっぺ返しを受けることにならないかとs心配です。



COP18、京都議定書を改正し閉幕しました。もっと進展してほしかったです。
アフリカなど発展途上国といわれる、先進国と別の道を歩んできた国の資源と人の心を搾取する先進国よ、驕るなかれ。

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リヤカーを使っての宅配便

先日、町を歩いていると、懐かしい自転車を見ました。それは宅急便の大手、クロネコヤマトの宅配便の自転車で、自転車の後ろに小型のリヤカーを付けて走っていました。
早速家に帰ってクロネコヤマトのWebページを見ると、商品輸送時のCO2排出を徹底的に減らす方策として、新スリーターを使うことが書かれていました。クロネコヤマトではリヤカーのことを新スリーターと呼んでいるようです。
詳しくは、クロネコヤマトの環境対策のページ、ネコロジーに書かれています。

     リヤカー
     クロネコヤマトのネコロジーのページから

この小型のリヤカー私が子どもころよく見たリヤカーとは、比べものにならないくらい進化しているようです。
このリヤカーはどのようなものかと、製造元の「株式会社 ケーアンドアール」の、Webページの商品の紹介を見ると次のように書かれていました。
・簡単に荷物を運ぶ台車であるハンドトラック(この会社では手押しの台車をハンドトラックと呼んでいる)をリヤカーに乗せられる。
・リヤカーとアシスト自転車の連結を簡単に解除ができる。そして、二重の固定装置がついて、万が一固定が甘くても事故が起きないようにしている。
・荷台のリヤカー部は車椅子と同じ方式の、手動のタイヤストッパーがついている。
このため、坂道で停車して荷物を届けるために、リヤカーから離れても車は停まっている。
・アシスト自転車は前輪はモータ、後輪は人力で動かす前後輪駆動方式を採用。


私の小さい頃は、豆腐売りや、焼き芋売りなど、行商している人は、荷物をかたげてくるか、リヤカーを人力か、自転車で引いて売りにきていました。また、廃品を回収にやってくる人も、石炭袋と天秤の竿秤を持って、大八車かリヤカーで町内を回ってきていました。そして、空き缶や空瓶や新聞紙など、何でも目方で買い取ってくれていました。それがいつのころかモータリーゼーションが進むにつれ、自動車に替わってしまってい、廃品も捨てるのにお金がかかる時代になり、かいしゅうしてくれるのも、大型の電気製品などで、空きかんや新聞紙やビンなどは自治会に廃品回収事業か、スーパーなどの回収ボックスに入れるようになってしまいました。
そのように時代が180度変化してきましたが、宅配便のサービスがきめ細かくなるにつれ、少量と荷物を運ぶのには小回りがきく、小型のリヤカーに再び注目が集まり見直されているようです。

省資源や排気ガスを出さないクリーンで、細い道にも入れ、小回りがきく、そして荷台が小さいのとアシスト自転車で漕ぐ力らもさほどいらない、一石二鳥ならぬ三鳥にも四鳥にもなっているようです。

     リヤカー01
  ケーアンドアールのサイクルトレーラーのページから
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行動学 三種類の人間

三島由紀夫の本の中に、『行動学入門』文春文庫が、文藝春秋からでている。
この本は「行動学入門」「おわりの美学」「革命哲学としての陽明学」の三つの連載されたエッセイをあつめたものだが、三島はそのあとがきに次のように書いている。
 
     行動学入門
     全国書店ネットワークのe-honから
 
・・・前略 。そして三つとも、何より読み易さわかりやすさということを主眼にしているが、「おわりの美学」は明らかに、半分ふさけているのである。だから、ふざけたことのきらいな人を怒らせるかもしれない。
 まじめで良心的なのも思想だが、不まじめで良心的という思想もあれば、又、一番たちのわるいのに、まじめで非良心的という思想もある。私はこの第三の思想だけは陥りたくないと、日頃自戒している者である。
あと後略・・・・。


人には三島の指摘するように、三種類の人間がいるといえるだろう、まさに詐欺師がこのまじめで非良心的な人間だと言えるだろう。
人は糞まじめなひとより、少々不真面目な方が人間味があり、また息詰まったようなときにはその場をなごませてくれたりします。そして良心的なら少々羽目が外れて入れも、大目に見てくれたり逆に信頼もされるでしょう。

今不景気な時には、まことしやかに甘い話を持ちかけ来る人が増えてきます。そして、年よりの僅かの貯金は年金だまし取ろうとしたり、人の優しさなどのつけ込んで、寄付を募ってだまし取ったりする人がいます。

その様なときはこの三島の言葉を思い出したいです。
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貧の意地

貧の意地

 太宰治の作品の『新釈諸国噺』に「貧の意地」というのがある。
     新釈諸国噺
全国書店ネットワークのe-honから

おおむねのあらすじは次のようなものです。

むかし江戸品川藤茶屋にある貧乏長屋に、原田内助という鬚が濃い、眼の血走った厳めしい大男が住んでいた。
この男容貌に似合わず弱気な駄目な男で、剣術も眼をつぶってあらぬ方に向って突進し、壁に突き破ってしまうので壁破りと呼ばれたり、蜆売りのずるい少年から、嘘の身上噺に涙をながし蜆を全部買いしめ、女房に叱られてしまうような小心で優しい男であった。
大晦日になると、切腹の真似などをして掛取りから逃げたりしていた。

さいわい、女房の兄に医者がいて年越しの金に困ったので、無心にいかせた。その医者は洒落がある者で、小判十枚を紙に包み、その上書に「貧病の妙薬、金用丸、よろずによし。」と記して妹に手渡した。

女房からその貧病の妙薬を見せられた、原田内助は痩せ我慢をして「この金は使われぬぞ。」と意地をはってしまうしまつ。
ちょうど雪が降ってきたのをみて、原田は、長屋の友達を呼んで雪見酒をするといい、女房に酒を買わしにいき、貧乏友達七人を誘いに行かす。七人は、その日暮らしなので、雪見酒として着てゆく服などなく、夏物を重ね着するなどそこらのものを取り繕って原田の家にやってくる。

そして酒宴が始まると、みなは日頃貧乏で酒の呑み方を忘れたなどといって、笑っていなかなか酒を呑まない。しかし、次第に座敷が陽気になって来たころ。
主人の原田はれいの小判十両の紙包を取出し披露して、今日はこのようなことだから、皆に奢るから大いに呑んでくれというと、今まで割り勘だと思って遠慮して、呑んでいなかったが、それを聞いて皆は遠慮なくのも酔いも次第に回ってきた。
原田は、皆に小判十両の重さを手のひらに乗せて回していった。
小判が一回りして原田の元に戻ったころに。一番の年長者がそろそろ帰ろうと「や、おかげさまにてよい年忘れ、思わず長座を致しました。」とお礼を言い、みな立つ鳥あとを濁さずと、武士のたしなみ、自分の食膳などを勝手口に持ち出して女房に手渡し、れいの小判が散らばっているのを見ると、それも仕舞いなされと客にすすめられて、原田は無雑作に掻き集めると、一枚足りないのである。
けれども弱い原田それを素知らぬ振りで仕舞い込もうとすると、一座の長老が「小判が一枚足りませんな。」と軽く言った。
原田は、「ああ、いや、これは、それ、御一同のお見えになる前に、わしが酒屋へ一両支払い、さきほどわしが持ち出した時には九両、何も不審はございません。」と言った。しかし長老は「いやいや、そうでない。それがしが、さきほど手のひらに載せたのは、たしかに十枚の小判。行燈のひかり薄しといえども、この山崎の眼光には狂いはない。」と言うと、他の六人の客も口々に、たしかに十枚あった筈と言う。
そしてみなが皆々総立ちになり、行燈を持ち廻って部屋の隅々まで捜したが、小判はどこにも落ちていない。

長老は「この上は、それがし、まっぱだかになって身の潔白を立て申す。」と言ってふんどし一つになってしまうしまつ。
他の客も、そのままではすまされなくなり、みなも同じように自分の潔白を示すため、ふんどし一つになるします。
そうこうしていると、主人の原田が「おや?。そこにあるよ。」と叫び。行燈の下にきらりと小判一枚を見つける。
そして、長老が「なんだ、そんなところにあったのか。燈台もと暗しですね。うせ物は、とかく、へんてつもないところから出る。それにつけても、平常の心掛けが大切。」と言ってみなが帰ろうとすると。
勝手から女房の驚く声がする。「あれ!小判はここに。」と言い、重箱の蓋を差し出した。女房はさっき私が、重箱に山の芋の煮しめをつめて出したとき、蓋は主人が無作法にも畳にべたりと置いたので、その時に、蓋の裏の湯気に小判がくっついていたのでしょう。

小判が十一両。
これは、始めから十一両あったのでは、とか、十両が十一両になるのはよくあることなどとてんでいい加減なことを言って、原田に一両を押し付けようとする。原田も、自尊心があるのであらあらぬ一両をうけとることもできず。
「馬鹿にしないで下さいよ。十両の金が、十一両に化けるなんて、そんな人の悪い冗談はやめて下さいよ。だれかが、この難儀を見て所持の一両を、そっとお出しになったのに違いない。わしの小判は、重箱の蓋の裏についていたのです。行燈の傍に落ちていた金は、どなたかの情の一両にきまっています。その一両を出した方、申し出て下さい。」しかし誰も名乗り出てこない、そうこうしているうち、鶏が鳴きだし朝になってきた。

原田は一計を思いつき、「ながくおひきとめも、無礼と存じます。どうしても、お名乗りが無ければ、いたしかたがない。この一両は、この重箱の蓋に載せて、玄関の隅に置きます。おひとりずつ、お帰り下さい。そうして、この小判の主は、どうか黙って取ってお持ち帰り願います。そのような処置は、いかがでしょう。」と言うと皆一様に賛成してた。

原田は重箱の蓋に、一の小判をきちんと載せ、玄関に置いて来て、「式台の右の端、最も暗いところへ置いて来ましたから、小判の主でないお方には、あるか無いか見定める事も出来ません。そのままお帰り下さい。小判の主だけ、手さぐりで受取って何気なくお帰りなさるよう。」といい、長老から玄関を出て、その足音が全く聞えなくなると、次の者が帰っていった。七人の客が全員帰ったあと、女房が手燭を持って玄関に出て見ると、小判は無かった。



この『貧の意地』は、井原西鶴の「諸国はなし 大晦日はあはぬ算用」から太宰治が書き下ろしたものです。
井原西鶴といえば、町人物など生活を描いた「好色一代男」や「日本永代蔵」などで有名ですが、義理堅い武士気質の武家物の「武道伝来記」などを著しています。
そのなかから「大晦日はあはぬ算用」を太宰なりに、解釈して翻釈したのでうが、内容はほぼそのままです。
この「貧の意地」をよむと、腐っても鯛というか、武士は食わねど高楊枝というか、いくら貧窮していても、悪いことせず疑いをかけられたら、身の潔白を示そうと命をかけ、また他のものに嫌疑がかかると、その疑いを身を削ってでも削ごうとする。
いまでも、貧しい人ほどこのような人が下町に過ごしているのを見受けます。逆に、金持ちほどこのようなとき、他人に責任を擦り付けてしまうこともあるようです。
しかし、この原田や七人のような生き様をみると、自分の生き方のなんと愚かなことかと思ってしまいます。
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■竹林乃方丈庵の主から■

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記事へのコメント
  • 安倍内閣改造
    アジシオ次郎 (08/05)
    こんにちは。

    お友達内閣と揶揄された反省から、今回は異なる派閥からすすんで入れた改造内閣、バランスいいとはいうものの、女性閣僚が2人だけというのは男性優位色が
  • 見ざる聞かざる言わざる
    竹林泉水 (07/30)
    いつもコメントありがとうございます。
    三猿の教えは、子どもより大人の方が三猿について考えないといけないでしょうね。

    一つのことしか知らない大人になるのは、人それ
  • 見ざる聞かざる言わざる
    アジシオ次郎 (07/26)
    こんにちは。

    周りをよく見る・すすんで自分の意見を言う・人の話を聞く。当たり前の常識だが、子供に説くのも大事だが大人も改めてそれを認識してそれに基づく正しい行
  • アベ政治はクーデター
    竹林泉水 (07/19)
    政権を握っているのでクーデタだと言えるのでは

    しかし、安倍晋三の頭の中の辞書には、民主主義の言葉はあるが、政治家としての誠実さをなかなか感じることができないので
  • アベ政治はクーデター
    雲と風 (07/18)
    勉強になりましたが、「安倍政権はクーデター」でしょうか? 権力と威嚇によるテロリズムだと思います。内閣府の中の一派が壊憲と日本の民主主義制度の堕落無力化を共謀し
  • 教育福祉などへの株式参入は
    竹林泉水 (07/12)
    なんでも自由競争になれば、サービスの質が向上すると考えるのは間違いで、鉄道などで見ると都市部はサービスが向上するが、過疎部では反対で最悪の場合は撤退になります。
  • 教育福祉などへの株式参入は
    アジシオ次郎 (07/10)
    おはようございます。

    教育や福祉に株式参入することは、教育や福祉をビジネスに利用しかねないし、アメリカ式の市場主義経済に基づく価値観を正当化しかねないです。た
  • 食べることは殺生をすること
    竹林泉水 (07/06)
    日本人は頂きます・ご馳走様と日本人なら誰でもいいますが、外国の方はどうなのでしょうか。キリスト教のクリスチャンなら食前食後の祈りがあります。
    私は中高とミッショ
  • 食べることは殺生をすること
    アジシオ次郎 (07/05)
    こんにちは。

    人間は生きる為に他の生物の命を奪わなければいけない。と言う「原罪」を背負っている以上、食べると言うことはそうなのかも知れないです。動物の命を奪い
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