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弓術と体のブレ

弓術と体のブレ
 
明治時代に日本文化をドイツ人に紹介した人に、オイゲン・ヘリゲルという人がいます。
オイゲン・ヘリゲルは日本文化を知るために、弓術をまなんでいたが、弓を引くとき力ばかり入って、的になかなか中てることができなかった。そして先生である阿波研造師範に、中てると思うからいけないと言われるが、それがなかなか理解できなかった。ヘリゲルは日本滞在も残り少なくなり、日本の弓術を修得するのに焦り、阿波研造師範についに、どうすれば中るようになるかを聞いてしまった。
 
そのときの様子をヘリゲルは「日本の弓術」に次のように書いている。
「九時ごろ私は先生の家え伺った。私は先生のところへ通された。先生は私を招じて腰かけさせたまま、顧みなかった。しばらくしてから先生は立ちあがり、ついて来るように目配せした。私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い一本の香取線香に火をともして、それを    あずち  の中ほどにある的の前の砂に立てた。それから私たちは射る場所へ来た。先生は光をまともに受けて立っているので、まばゆいほど明るく見える。しかし的はまっ暗なところにあり、香取線香の微かに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのあかりが分からないくらいである。先生は先刻から一語も発せずに、自分の弓と二本の矢を執った。第一の矢が射られた。発止という音で、命中したことが分かった。第二の矢も音を立てて打ち込まれた。先生は私を促して、射られた二本の矢をあらためさせた。第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈に中ってそれを二つに割いていた。やがて次のように言われた。ーー「私はこの道場で三十年も稽古していて暗い時でも的がどの辺りにあるかは分かっているはずだから、一本目の矢が的のまん中に中ったのはそほど見事な出来ばえでもないと、あなたは考えられるであろう。それだけならばいかにももっともかもしれない。しかし二本目の矢はどうみられるか。これは私から出たのでもなければ、私が中てたのでもない。そこで、こんな暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずには中てられぬと言い張られるか。まあ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持ちになろうではありませんか」ーー
それ以来、私は疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりとあきらめた。・・・・・」
 
私はこの本を読んで、暗い中で的の命中させること、また日本目の矢を一本目の矢の筈を裂いているのを、日本の武術の神業的なものと考えたりしたが。それをどのように考えてよいかと思い続けていました。最近次のようなことではないかと考えるようになった。
 
日本の弓を習い始めるとまず、矢を射るのに腕に力を入れないように指導されるそうです。日本の弓の弦は強く張られているのに、腕には力を入れずに弓を引くように要求されるのです。このことはヘルゲルの「日本の弓術」にも書かれている、ヘルゲルは師範が弓を引いているときに腕を触らしてもらったとき、力が入っておらず柔らかかったと書いている。日本の弓術は弓を上に掲げて真っ直ぐ下に降ろして弦が引かれてくる。腕の筋肉の上腕二頭筋を使うより、肩胛骨を寄せる大小の菱形筋などを使うのでしょう。
そして、二本目の矢が一本目の矢の筈を裂いたのは、一本目と二本目の矢を射るとき、体の軸が保たれ姿勢にぶれをつくらずに、二本目の矢を射るからではないでしょうか。

日本の弓を詳しくしらないので間違っているかもしれませんが、的を中てると考えてはいけないと言うのは、目先の的に中てるということより、自分自身の体を意識し、体の軸がぶれないようにすることを言っている考えます。中てようと考えると身体は、無意識にぶれたり腕に力が入たりして、弓先が動いてしまうのものです。それを防ぐことが、オイゲン・ヘリゲルが悩み迷った「的を狙わず射て中てる」は、中てることを考えないで「不動の中心」と言う弓道でよく使われる言葉を見つけることなのでしょう。
 
軸を保つことの大切さは、一流のスポーツ選手を見ていても判ります。野球で投手のピッチングをみると、調子のいいときは体の軸がぶれずに腕が降り降ろされている。サッカーでも遠くの味方にパスをするとき、正確にされるときほど体のぶれがないようです。ハンマー投げや砲丸投げ、槍投げなどをみても、同じように身体の軸がぶれていないです。しかし、練習などを積み重ねていないと、それができないで力ばかり入ってしまうのです。しかも素人の私たちは力を出すときには、筋肉を緊張させて力を入れないと、力が出ないと思ってしまいます。重い荷物を両手で持ち上げるとき、荷物を上に引き上げるように身体を使うと、ぎっくり腰になったりします。それより腰に力を据えて両足を踏ん張って持ち上げると、思ったより力を入れないでも持ち上げられます。人の身体は重い物を持ち上げたり動かしたりするとき、力を出すために力を入れようとすると、その多くは力は外に向かっているのではなく、自分の方に向いて内に溜まってしまう、簡単な言葉で言うと、気張ってしまっていわゆる力んでしまう状態になってしまいます。
スポーツなどを指導されているとき、力むな力を入れすぎるなと指摘されることがあります。これは、自分では外に向かって力を入れているつもりでも、傍から見ていると力が内ちに向いていて、外に伝わっていない状態がわかるほどのときです。
 
日本の弓術に限らず弓は、戦いに使う道具が発展したものだです。その技を研くために日本では、弓馬の鍛錬として流鏑馬や笠懸などが行われ、単に戦いの道具としてではなく、精神の鍛錬にもなってきました。そして織田信長が長篠の戦いで鉄砲を使ったあたりから、武器としての弓は鉄砲へと変わっていき、弓は精神の鍛錬修養の一つとしての弓術となり、武士の嗜みになりました。このことは、江戸時代の平和な世界では武器は必要性がなくなり、ますますその傾向は高められていったようです。そして他の、武術は柔道などのようにスポーツとして発展していくのですが、弓道はそのような方向には進まず、精神鍛錬としての弓術弓道となっていきます。

なぜそのような方向に進んだかはよく判りませんがその一つに、日本の弓と他の弓と大きな違いがによるのかもしれません。アーチェリーなど他の弓はみな矢を弓の中央で番えますが、日本の弓は長弓といって矢を番えるのは、矢の下3分の1の所を持って番えます。そのため他の弓より射方が難しいため、自然に射るとき身体を意識する方に向きます。日本の武士道の精神と関係があるでしょうが、日本の弓は昔から精神の鍛練として発展していったのはその長弓だったからでないかと思いました。
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組合がビラを配布の 可 否 は?

大阪市環境局の組合がビラを配布したことが問題になっています。
そこに書かれている内容はともかく、その配布したことが市の方針に反するので、懲戒処分の対象にするといわれています。
会社でいえば、始業時間前に会社の前で座り込みをしたり、ビラを撒いたりするのと同じでしょう。それを会社側が無理やり止めたり、処分をするのは労働基準法なりにいはんするものです。

大阪市議会での橋下市長の発言のそれを聞いて何かそら恐ろしい気になりました。そこには自分の意見に合わないものは、排除しようという考えがあるように思えます。

明治時代から今まで日本で、いろいろな労働争議がありました。資産家は労働者を搾取して、人権をも踏みにじった時代もありました。しかし、戦後民主主義の思想が定着してきたころも、激しい労使間の争議があり、大きな深刻なストやロックアウトがされていまし。そして現在は労使で話し合いながら進められているのか、ストなどの労働争議も聞かないようになってきました。それが善いのか悪いのかその結果は、ことが済んでからでてくるものでしょう。
そうか、市長は昔のように、労使間の紛争を復活させたようです、そして昔の問題を解決していこうとするのでしょう。
しかし、そこで誰が犠牲になるのかと思うと暗くなってしまいます。

橋下市長の言っていることの、表面を聞いているともっともで良い事に聞こえます。
また、中身もその通りで良い事もたくさんあります。賛成する政策もたくさんあります。
しかし、自分の考えに合わないのはあらゆる方法で排除するように見えてしかたなく、過去の人類の暗部の歴史を時々おもいだすのです。

先日NHKでヒットラーのことをあげた番組がありました。
当時の一番進んでいると言われた、民主主義憲法の下でヒットラーは政権をとりました。
そして、ヒットラーは第二次世界大戦とあの大虐殺へと向かっていきました。そこでもう一つ問題なのは、その暴走を止める民衆の力が大きくならなかったことです。
確かにレジスタンス運動はありましたが、ナチスの政策に反対することを封じ込まれ、それは地下運動として活動するしかなかったです。
大阪市職員条令をつくったり、教育基本条令など、市職員や教職員をまず条例で縛り、次は市民を縛ることになるのでしょうか。
私の住んでいる街はゴミの分別があり、また分別が悪いと回収されないです。残ったゴミは出した本人が引き取るか、当番の人が分別して次のゴミの日に出すことをしています。ゴミの出し方のマナーが悪いからといって、出した人を見つけ出しペナルティーを与えることなどはしません。
しかし、市民条例でゴミの出し方のペナルティーを決めるのも面白いかもしれません。息苦しくなるでしょうが。
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上杉謙信の十六訓  2

上杉謙信の十六訓  2

・心に私なき時は疑ふことなし
・心に驕りなき時は人を敬ふ
・心に誤りなき時は人を畏れず
・心に邪気なき時は人を育つる
 
私心がなければどんなことに対しても、疑う気持ちは起きないものだ
偉ぶるような心がなければ、人の真価を認め敬うことができる
やましい気持ちがないのであれば、人をおそれることはない
偏った見方や考え方がない時は、その生き様を周囲が見ておのずと育っていく
 
自分の心に、私心と驕りと誤りと邪気は、誰でもが何処かにあるのがたりまえでしょう。その心を程度をちょうどよいように調整・管理し制御できるかできないかが大切でしょう。
この制御することは、この四つの心を眠らすのとは違います。やはりこの四つの心は自分自身を振り返り見つめ直すのに大切なものだと思います。

このいずれかが眠ってしまったりすると、偏ってくるでしょうし、偏ったときは道も横道にそれてしまうでしょう。
四つとも眠ってしまても、眠ったものはいつかは目覚めるもので、その目覚めたときそれを自覚できるかというと、それも保障できないものです。
 
やはり、己の心の中に、この四つの私心と驕りと誤りと邪気があるものだと自覚し、それを制御できるようになることが大切なのでしょう。
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御堂筋の赤い服のその後

ブログを開いてから一年、そこで過去の記事を読み直していました。
いろいろいい加減なことを独断で徒然と書いたものだと反省しています。
 
その中でたわいもないことですが気になったのが一つあります。
 
ちょうど一年ほど前に新聞に載っていた記事です。
「御堂筋「赤い服」ミステリー
大阪市の御堂筋の歩道に置いてある、ブロンズの人物像19体に、赤い服が着せられた。
市の担当者は「夜中から明け方にかけて着せ、相当手間がかかったはず」と話している。」
 
この後この「犯人」というか「仕掛け人」は見つかったのでしょうか、名乗り出たのでしょうか。
それともまだ出没しているのでしょうか。
 
  世知辛い齷齪した巷で一寸した事件で興味を引きます。

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阿漕について

阿漕

強欲でずる賢い商売をする人に、「阿漕な商売だな」のようにつかわれ、強欲で無慈悲で悪どい人のことなどを言います。
能に「阿漕」という演目があります。この話しのあらすじはつぎのようなものです。
日向国の僧が伊勢参りを思い立ち、「八重の汐路を遙々と分け来し波乃淡路潟 通ふ千鳥の聲聞きて旅の寝覚めを須磨の浦 関乃戸ともに明け暮れて 阿漕が浦に着きにけり」と阿漕が浦に立つと、
一人の老漁夫にここは阿漕が浦と教えてくれたので、旅僧は「伊勢の海阿漕が浦に引く網も、度重なれば顕れにけり」と口ずさむと、その老漁夫は「逢ふ事も阿漕が浦に引く網も度重なれば顕れやせん」と詠みかえされる。
そして老漁夫は話を続けて、ここ阿漕が浦は昔から、伊勢大神宮の「御膳調進の網を引く所」で近隣の漁夫は禁漁区になっていた。しかし、その場は魚が豊富にとれる所だったので、一人の阿漕という漁夫が密漁を一度ならず度重なってしていた。ついにその密漁が露顕し近隣の漁夫に捕らえられ、簀巻きにされ海に沈められる私刑にさせられてしまう話しを聞くと、老漁夫は消えてしまう。
旅僧はその話をきき、この老漁夫はその阿漕の亡霊だと思い、弔いの読経をあげるのです。そうすると再び阿漕の亡霊が顕れ、自分がした罪の漁のありさまと、地獄に堕ちた苦しみから「助けたまへ」と言って消えていくのです。

この曲の台本を読んで、自分勝手な阿漕な事をすると、周囲からそれ相応の報いを受けるのだと思いました。
公的な権力で法的に罰せられるだけでなく、巷からリンチを受ける事にもなるのです。

最近は、インターネットなどの普及でますますその色が濃くなって来たように思います。
以前から社会的に注目を浴びる事件がおきると、脅迫めいた手紙が届いたり、カミソリが入った手紙が届くなどをききます。

いじめが原因で自殺した中学校の対応が悪いからといって、爆破予告をしたり脅迫状を送ったり、刃物をおくりつけたり、生徒を傷つけると脅したりするのは、いかがなものでしょう。その中学校や管轄する教育事務所の対応は、誠実さに欠け許されるものではありません。だからといってその様な形で抗議の気持ちを現すのは、いじめをした中学生と同等のレベルだと言えます。
その様な形でしか、抗議できないことや、日頃の憂さをその様な形でしか発散できない人や、世の中にもその病理があるのでしょう、だから、あのようないじめも起きたのではないでしょうか。
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イギリスの逸話

イギリスの逸話です。

ある外国人が、イギリス人から儀礼的な食事会に招かれました。その食卓には白いテーブルクロスがかけられていました。食卓の上には沢山のフォークやスプーンとナイフが置かれていました。コースの途中でフルーツが出されることになり、フィンガーボールが食卓の上に出されました。招待されたその外国人は、透明なスープと思い、そのフィンガーボールを持ち上げ、中に入っている水を飲み干してしまいました。同席しているイギリス人は驚いてしましましたがそのような表情は見せずに、外国人がしたようにフィンガーボールを持ち上げ、中に入っている水を飲み干してしまいました。

イギリス人の紳士淑女らしい話ですね。
招待した外国人に恥をかかさないこころ使いです。
日本の食事の作法も厳しいものですが、イギリスのテーブルマナーも厳しいものです。しかしそれより大切な礼儀があることを教えてくれる逸話と思います。

もしこれが日本料理で日本人だと、どのようにしたでしょうか。
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五百年來世上人

五百年來世上人 ごひやくねんらいせぜうのひと
見來皆是野狐身 みきたればみなこれやこのしん
鐘聲不破夜半夢 せうせいやぶらずやはんのゆめ
兵六争知無意眞 ひょうろくいかでかむいの志んを志らん

九州に旅行へいき、駄菓子の「ボンタンアメ」と「兵六餅」を買いました、一粒一粒をオブラードで包んだ昔ながらの駄菓子です。
 
    
   
 
 (旅行から帰ってきました、お土産に買った飴を写真にとてのせました。 
    しかし九州は猛烈なあめでした。各地で大きな被害もでて大変なところもありました。)

上の七語四句は、その「兵六餅」の箱に書かれているものです。
店の人に云われをたずてみると、次のように教えてくれました。

毛利正直という下級武士が書いた、戯作「大石兵六夢物語」にちなんで、作られた駄菓子だそうです。

毛利正直は、商業と文化振興策に便乗して、金持ち商人や小役人が横行し、民衆が苦しんでいるのを、憂いて戯作にしたものだそうです。
「大石兵六夢物語」は拝金主義にうかれる悪人を悪狐にたとえて風刺した作品で、日本のドンキホーテとなぞえられるそうです。

あらすじは滑稽です。「大石由良助の子孫とされる大石兵六が、薩摩で人々を化かす悪い狐を退治にいく。しかし兵六は狐退治に出掛けるが、さまざまな妖怪に化けた狐たちに逆に、散々な目にあわされてしまう。さらに、狐たちが妖怪だけでなく、兵六の父親や高名な僧侶に化けたり、美女に化けたりするたびに、簡単に騙されてしまう。そうした散々な目に遭うが、最後は狐二匹を捕えて帰るものです。」
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佐々木則夫監督の教訓

佐々木則夫監督が、日常生活に生かせる教訓を語っています。

「『監督』は、選手を守ったりサポートしたりすることを常に考えて仕事をする。だから部下やコーチたちのこともしっかり守る。チームが負けた時も、批判を浴びる役目は監督が負うべきで、間違っても選手に転嫁してはいけない。結果を残せなければ職を追われるのも当然だと思います。」

 組織のリーダー、指導者としての大切な心構えですね。間違っても自分がその地位にあるのは、偉いだとか実力があるからなどと思ってはならないということです。

国政や地方行政のトップにもいえることでしょう。
特に地方自治体においては、その首長と職員は信頼関係結ばれていないといけないでしょう。
しかし、自治体の職員による不祥事や汚職が後を絶ちません、しかし、マスコミに報道されるようなことをする人はごく一部です。ほとんどの職員は住民のために、真面目に身を粉にして働いています。綱紀が乱れ不祥事は正すため、真面目に働いている職員まで巻き込むのは間違っており、厳しく正さなくてはならないです。そして先ずは、マスコミや風評などで自治体の全職員が乱れているかのことから、部下である職員ををしっかりと守ことが大切でしょう。それが、その組織の結束力をたかめ、その組織の信頼感を高めることになるでしょう。各職員のモチベーションを高めることになり、綱紀も正されるものでしょう。
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世の中は とてもかくても同じこと

「世の中は とてもかくても同じこと 宮も藁屋も 果てしなければ」蝉丸

蝉丸といえば、百人一首の
「これやこの 行くも帰るも 別れては しるもしらぬも 相坂の関」をみなさんご存知だと思います。

蝉丸は生没年不詳で、宇多天皇の第八皇子敦実親王に仕えた雑役係とも。また能の蝉丸では、延喜帝すなわち醍醐天皇の第四の皇子とされています。
能の蝉丸は、生まれながらの盲目で、延喜帝は前世の罪を負っているのを不憫に思い、逢坂山に捨てられるところから物語がはじまります。
盲目で生まれたのは前世の罪を負っているので、今世でその罪を負っておかないと、来世では地獄に落ちると我が子を不憫におもい、下放させ出家して世を捨てさせたのです。

そのことを考えて、この二つの蝉丸の歌を詠むと、「世の中は栄華もあれば、零落もありどう過ごそうとも同じことだ。立派なお宮殿も、葦葺のあばら屋も一炊の夢と同じで、いつ滅び果てるか分からないもんだ」
能では蝉丸は、逢坂山に捨てられその地で琵琶を学び出家したとされています。逢坂はちょうど京からの別れ道で、百人一首の歌も、「自分と重ねあわせ、京から東国へ落ちのびて行く人も、それを見送る人も、また赦免され帰ってくる人も、それと知っている人も、それと知らない人も、誰もが通るのがこの逢坂の関なのだ」

どちらの歌も無常を例えて歌っているものでしょう。
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麦茶

暑くなってきたので、冷たく冷やした麦茶が美味しい季節になりました。
学生時代は東京で暮らしたのですが、そのとき友人の家に招かれ夕食を御馳走になったのでが、その時に出された麦茶は私にとっては初体験のものでした。
暑い夏の日でしたので、よく冷えた麦茶をだされたのですが、一口に含んだとき思わずのみこむのを躊躇ってしまいました。
麦茶のあの香ばしさの他に、甘みがあったのです。
私は麦茶には何も入れずに普段は呑みました、そしてよく運動した後は塩を少し入れた麦茶を飲むことはありました。しかし砂糖を入れて飲む方法があるとは知りませんでした。
普通の緑茶でも塩を入れて飲むことはあっても、砂糖を入れて飲むことはないです。しかし、よく考えれば紅茶には砂糖を入れて飲む人がいますが、紅茶に塩を入れて飲もう人は聞いたことがありません。
聞くところの話によると、砂糖を入れて飲む人、塩を入れて飲む人、何も入れないで飲む人、梅干しを入れて飲む人、とそれぞれのようですね。
また、温かいまま飲む人、冷やして飲む人、キンキンに冷やす人、これもさまざまなようですね。
地域によって違うのでしょうか、それとも運動して汗を沢山かいた後は塩をいれる、お客さんなどが来たときは少し改まって砂糖を入れる、普段は何も入れないなどその時と場合によって違ってくるのでしょう。
そうなると、紅茶のように麦茶にレモンを一滴く入れ、飲むのもサッパリして結構いけるかもしれませね。
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火力発電所のトラブル

火力発電所のトラブルが、暑くなったこのところ増えているそうです。

原発事故以来、定期点検に入った原発炉が再起動できず、火力発電所がフル操業して、定期点検や保守作業ができないからです。この事は始めから判っていた周知のことですから、今更問題にするほどのことでもないと思います。

それより、一層の節電を呼びかけるべきではないでしょうか、関西電力管内の原子炉が動き出し、節電要請率を引き下げましたが、管内は引き下げずに他社から融通してもらっている電力をなくして、関西電力は火力発電の保守に保守ができるようやりくりし、融通して電力を提供していた他社も、その余力を火力発電所の保守ができるようやりくりをするよう考えたいものです。
また社会全体で火力発電所の保守点検ができるように協力すべきでしょう、企業も一般の消費者も電力の使い方について考えていければと思います。

それが、とどのつまりは原発に依存しない社会構造や生活様式を考え作るのに役立つものだと思います。
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土用入り

今日は「土用の入り」の日です。立秋の約18日前で、今年は今日7月19日です。この間の丑の日に鰻を、食べる習慣がありますね。
今年は、7月27日が土用の丑の日です。
 今年は例年より鰻が高いそうで、日本の夏の風物の食べ物が食べられないかもしれません。
聞くところの話によると、地域によっては夏に限らず土用の丑の日に、「う」のつくものを食べるという話を聞いたことがあります。
「う」の付く食べ物ではなにがあるでしょうか、あまり思いつかないです。食材では「鰻」の他に「ウリ」「梅干し」「卯の花(おから)」でしょうか。料理では「うどん」の他にはになかなか思いつかないです。
でもなぜ「う」のつくものかと言えば「丑(うし)の日」の「う」から来ているのでしょうが、詳しいことはなぜなのかはわからないです。そうなると、ウシですから「牛」を食べるのもいいですね。

土用とは、雑節の一つで本来は立春・立夏・立秋・立冬の直前約18日間で、それぞれの前日が節分ですが、節分で一番親しみがあるのが、立春の前日の節分で豆まきをすることですね。土用で一番親しまれているのが夏の土用でしょう。立夏の土用がすぎればだんだんと、秋に向かっていくのですが、まだまだ暑い日がつづきそうです。スタミナをつけて暑さを乗り切りたいと思います。

来週は「吉野家」の『丑丼(牛丼)』でも食べることにします。
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散歩で出会う香水の匂い

散歩の時の香水の匂い
 
毎日早朝の散歩をしているが、最近少し変化があった。変化といっても、自分自身に対してのことではなく、散歩をしている周囲の変化です。
 
私が毎日散歩をしていると、毎日出会う人がいます、時たま出会う人もいます。その中に新たに出会う人が増えました。その人は他の出会う人と少し違います。少し違うといっても返事をしないとか様子が変だと言うのではありません。ただ通りすがるとき、その方の香水の臭いがするのです。そしてすれ違う時だけならまだいいのですが、その人が通ってきた道筋が判るように、しばらくその人の香水の軌跡が臭いとして残っています。
今まで朝の新鮮な冷気を吸いながら気持ちよく散歩していたのだが、その臭いを嗅ぐとなにか人工的な生臭さを感じて気分に斑ができてしまうのです。
 
私は朝の散歩で今まで、新鮮な空気を吸いそれを肺にいれて身体中に巡らすことによって、一日を始めていたのですが邪魔をされたようでなんだか心落ち着かなくなるのです。
世の中なんでも自分の思い通りにならないし、いつまでも同じことが平々凡々と繰り返されるものではないです。それを判っていてもいざそれに直面すると、自分勝手なもので気持ちが落ち着かない気分になり、ついつかぬことを考えてしまいます。
 
それでは、これからどうしようか今までの散歩のコースを変えるか、それともいっそのこと勇気を振り起こしてその人に、香水をせずに歩いてくださいと頼もうか。
しかし、後者の香水をして散歩をしている人は、きっと善意や嗜みとして早朝に会った人に、汗などの不快な臭いを与えないようにとの心遣いなのだろ。
やはり、自分の散歩のコースを変えてみた方がよいだろう、そうすればまた新しい気持ちで散歩できるし、新しい人との出会いもあるだろう。
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寧ろ渾がくを守って聡明を黜け

寧ろ渾がくを守って聡明を黜け 些かの正気を留めて天地に還せ 寧ろ粉華を謝して澹泊に甘んじ 個の清名を遺して乾坤にあれ
菜根譚 三七
 
社会の中で人々と交わりながら生活していくには、素直で飾り気のない正直であることを第一とすることがたいせつで、要領よくたち振る舞ったり、抜け目なく切り抜けたりすることのないようにするのがよい。
そして、天地のに漲っている万物の大本である気を大切に守り、そして死ぬときに天地のその大本の気をかえすつもりでいるのがいい。
また、華やかで美しいことや派手で贅沢な暮らしや活動を慎み退け、欲や執着を強く持たずさっぱりした気持ちで満足をしているのがいい。そしてただ一つの清い名だけを世に残すことがいい。
 
この言葉を眺めていて、貝原益軒の「養生訓」の一番最初の言葉を思い出しました。
「人の身は父母を本とし、天地を初めとす。天地父母の恵みを受けて生まれ、又養われるわが身なれば、わが私の物あらず」そして、次に養生につとめ人倫の道を実践して義理にしたがわなくてはならないと書かれています。
華麗で華やかな生活は、自他ともの人の心を傷つけたり汚したりするものです。そして己の欲には限りが無くなって、人から憎まれたりするものです。
 
だから貧しくても裕福でも、質素でも爽やかな人の道を送ることが、善いこととされるものなのでしょう。
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マスクされた個人情報が暴かれる

大津の中学校での事件に関連したニュースで流された資料映像の塗りつぶされたところが見えるように加工されてインターネット上で流されたことがありました。

朝日新聞によると、そのことに対して当事者のフジテレビは、「想定していない事態だが、想定外と言っていられない時代なのかも」としつつも「加工された時点でうちの映像ではない」と言っている。「加工された時点でうちの映像ではない」と言うなら、放送された番組の映像を加工していれば、自由に使ってよいと言うことなのでしょうか、そんなことはないはずです。
また、放送倫理・番組向上機構は「『普通に見ている限り、一般の人にはきづかないだろう』として問題視しない方針」だそうです。
 
一方TBSは「秘匿すべき内容はいかなる手段を用いられても秘匿できるよう注意をしていく」といって、各社まちまちでこれからの放送局の対応を見ていきたいです。
この二つのテレビ局の対応は大きく分かれていて、それぞれの自分の流した情報の責任の取り方の考えが表れていると言えるでしょう。

テレビなどのニュースなどの番組で、個人情報保護や匿名などの関係で、資料としての書類を黒塗りなどで一部をマスクして放送されることがあります。
しかし、そのマスクされて放送された画像を、画像処理ソフトなどで剥がすことができるようです。しかもそれをご丁寧にインターネットなどで公開する人もいて、それが正義だと思っている人もいます。しかし、それらの隠されるべき情報を暴くことは由々しきことで、人としての倫理観の堕落や欠如に嘆くばかりです。。
もともと、書類をコピーしてから墨などで塗りつぶしても光の当て具合で読みとる事ができます。今のデジタルカメラの解像度や画素数が高くなり、画像処理ソフトで比較的簡単に、塗りつぶされた所を解析できるようです。その上テレビなどのデジタル放送化で、そのマスクした書類をテレビカメラで撮影し放送されたものでも、パソコンの画像処理ソフトで読みとれるそうです。

技術の進歩には目をみはるものがありますしまた恐ろしさも感じます。それはともかく、秘匿とはどのようなものでしょう。少し以前には、本などの資料として写っている写真に顔の目の部分を塗りつぶして隠して使ったりしていました。しかし、目の部分だけを隠した程度では見る人が見れば誰か判るものです。この目の部分を隠すことにより、これは個人情報だから、そのつもりで本を読む人も扱ってくださいという、メッセージが込められているものと私は思っていました。また多くの人もそう思っていたでしょう。だから、そこに写っている人はだれかと、暴こうとなどしない倫理感や常識がそこにはありました。
 
しかし、これからのインターネット社会では、それだけでは通用しない世の中になってきたようです。
NHKなどは、その様な情報は附箋を貼ったり、塗りつぶしたものを一度コピーしてから放送するようです。しかしある放送局は局としては個人情報にはマスクして放送しているのだから責任はなく、それは視聴者の倫理の問題だとして、それ以上の措置はとらずに放送するところもあるようです。

極端な過激な見方で言うなら、NHKは人の性悪説で、一方の民法は性善説をとっているのでしょうか。
わたしは、放送する側は個人情報を、このデジタル技術が進んだ中で、どう守るかを考えておくべきかと思います。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    幽村芳春 (02/19)
    「桜を見る会」の論戦はいったん棚上げにして、今国会ではコロナウィルスなどの防疫問題を論議してほしいと思います。
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    竹林泉水 (02/07)
    コメントありがとうございます。
    五観の偈をとなえて食事をなさっておられるのですか。 頭がさがります。

    企業活動や時の政権も、この「五観の偈」を、政治や商売に置き
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    幽村芳春 (02/03)
    私も必ず「五観の偈」を唱えてから食事をいただいています。実際に唱えると五観の偈の意味がよくわかります。
  • 津久井やまゆり園の裁判
    竹林泉水 (01/15)
    こちらこそ 今年もよろしくお願いします。

    やまゆり園の裁判で、被告が突然暴れ出したとニュースされたとき、詳しいことが報道されなかったので、よく分からなかったです
  • 地球温暖化の問題点
    竹林泉水 (01/15)
    年始葬送のコメントありがとうございます。
    今年もお互いに良い年でありますようねがっています。

    ハイ 温暖化問題の解決の一番は、私は人間活動に足るを知ることだと考
  • 津久井やまゆり園の裁判
    アジシオ次郎 (01/13)
     遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

     さてやまゆり園無差別殺傷事件の被告に対する初公判は、開廷して被告が謝罪したと思いきや突然口に手を突っ込むとい
  • 地球温暖化の問題点
    荒野鷹虎 (01/10)
    温暖化問題は難解ですねー。
    直ぐ原発再稼働に走りがちになりますのでとんだ飛躍ですよねー。
    水力や風力発電はいかがなものでしょうかね。
    恐ろしいことが現実化されてい
  • 日韓関係が戦後最悪
    竹林泉水 (01/05)
    北朝鮮脅威論や韓国敵視政策をとるような国の指導やがいるが、韓流ブームもあるし民間の間では、一部の政治の指導者が選挙の票集めのために嫌韓を煽っても、それは、一部の
  • 伝統食
    竹林泉水 (01/05)
    そうですね、食が便利にないり、曹洞宗の五観の偈のようなことを考えずにいることが多くなっています。
    だから、テレビ番組で、食べ物を笑いものに扱うような番組が制作さ
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