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二者択一は?

二者択一

スポーツは楽しいものです。からだを動かすことは肉体だけでなく、精神や気持ちや心も活性化していいものです。また、スポーツを観戦する事も楽しいものです。
スポーツの観戦が楽しいのは、非常に判りやすく中途半端で曖昧なところがないからです。
択一的なものは人を熱中させるといいます。どちらが勝つか予想しどちらに賭けるなど思いめぐらすのは、うきうきし楽しいものでしょう。

しかし、それはスポーツやゲームの中でのことです。私たちの日常の生活や、仕事の中でそれを持ち込むと、非常に危険で間違った方向に進んでしまうでしょう。しかも、いま世の中が不景気で先行きも見えにくく、政治の世界でも国会がねじれ国会で、決定にも紆余曲折し時間がからります。国民は今迅速に世の中が変わるのを、夢見て、結果より力強く迅速の変化するのを望みだしたのではと思います。

さしてさらに、個々数年特に議論をする時、両者の意見を聞き入れながら、議論を進めるのは周りぽっく中途半端で曖昧に感じ、短絡的に結論を出そうとする風潮が広がっているように見えます。
そのような風潮のためか、危険で過激なことを言った方が、注目もあび訴え易く判り易く見えるからです。しかし、それは本当にその人が言っていることを理解し、賛成しているのではない場合が多いのです。おおむねそのときの雰囲気などに流され、誤った危険な方向を選択してしまいその方向に進んでしまう可能性もあります。

今の世の中、永く不景気が続き閉塞感があるためか、先にも書いたように二者択一で、過激な言い方をすることによって、注目を集める風潮を見受けるのが多くなっています、その中には危険な要素があることを知って起きたいです。

多くの人が互いの考え方を受け入れ、互いの良いことと悪いことを認め受け入れていくことは、遅々として進まないように見えるものですがそれが民主主義の世の中です。強力なリーダーが一つの方向に進む世の中は、正しい方向に進んでいるときも、必ずその陰で犠牲になっている者が沢山いるものです。
そして、その方向がひとたび間違った方向に進んでも、それに気づかなかったり、それをくい止めることは困難だということは歴史が物語っています。
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いろはにほへと ちりぬるを

いろは歌

いろはにほへと ちりぬるを   
わかよたれそ  つねならむ   
うゐのおくやま けふこえて   
あさきゆめみし ゑひもせす   
(この「いろは歌」は弘法大師の作と伝えられているが、誤りらしいです。)  
七五調の四句で、四十七文字の文字を使って、同じ字は二度出てこないので、昔から手習いに利用されてきました。

そのため仮名ばかりで、歌の意味を考えることもほとんどなく、意味を理解しようとしても分かりづらいです。以前からこの歌の意味は何だろうと、思っていたので、改めて漢字でどの様に書くのか調べてみました。
広辞苑などで調べるとすぐに見つかりました。

色は匂へど 散りぬるを  
我が世誰ぞ 常ならむ   
有為の奥山 今日越えて  
浅き夢見じ 酔ひもせず  

美しい花が咲き乱れて芳香を散してもいずれは散ってしまう、この世も同じでこの華やぎは すぐに散ってしまい、諸行は無常である。
人の世の生滅は自然の摂理で、誰も止められるものではない、生滅へのとらわれが滅し尽くした煩悩を捨て去り、悟りの境地に入るとのである。
人生の迷いと苦しみの有為の山々を越えるのは、一所懸命には勤めても思い通りにならないのが此の世で当てにするものではない。
煩悩に惑わされ浅はかな夢を見、誘惑に拐わされ快楽に酔うことも無くり、ものごとへのこだわり、とらわれがなくなり無や空の境地をになった。

「いろは にほへと・・・」「いろ・・・」なので若い頃の昔は、色恋のいろで、戀いは糸糸しく思うようなものだ、そして恋は変わるもので、亦心変わりするのだ。などと勝手に解釈して、後に続くうたななんだろう、などと思っていたりしました。

しかし、正しく漢字で書いてみると、この「いろは歌」は仏教の教えを諭してくれるものだったと改めて知ることができました。
奥深いものだと知ることができます。

大般涅槃経の四句の偈、「しょぎょうむじょう ぜしょうめっぽう しょうめつめつい じゃくめついらく」を唱えるもいいし、「いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす」を唱えるもいいと思うようになりました。そこで最近、毎日早朝の空気の新鮮な時に、いろはを唱えています。

大般涅槃経の四句の偈を漢字では以下のように書かれています。
諸行無常(しょぎょうむじょう) 
是生滅法(ぜしょうめっぽう) 
生滅滅已(しょうめつめつい) 
寂滅為楽(じゃくめついらく) 
イロハ歌はこれを、和訳したものとも言われています。

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農事暦 雪形

6月に入りまだ肌寒い時があります。しかし、今年は例年より少し暑くなるとのことです、原子力発電の問題もあり電力不足が心配されクールビズもさけばれています。
 
ところで、農事暦というのがあり、その中に雪形というのがあるとききます。私の住んでいる所は、雪は積もらないのでそのような言葉もありませんが。雪深い地域では田畑の仕事や漁を行う時期の目安に用いられいるようです。
季節が移るに従い、雪形の姿が変わっていくのを見て、こ田植を行い、豆を蒔くなどお百姓さんは農作業の目安にするようです。
そして地方によっては6月ごろが、いろいろな形を変え、農作業の時期を教えてくれるそうです。
特にが長野県には沢山の雪形が言い伝えられているそうです。その名も

「馬」「うさぎ」「ツル」の身近な動物から、「種まき爺さん」「ちょうな打ち」などの野良仕事の様子や、「ちょうな打ち」「三本歯の鍬」「万能鍬」農機具の名前までそれぞれらしいです。
 
特に長野県や新潟県には、沢山の雪形の名前があるそうです。
これから長野県や新潟県にそれらを見に旅行するのもいいかもしれませんね。
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老人六歌仙 画賛

仙和尚の老人六歌仙 画賛

江戸時代の禅僧仙に「老人六歌仙」という墨絵が出光美術館にあります。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/sengai06.html

老人六歌仙の絵は、 出光美術館のWebページに掲載されています。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/images/sengai06_ph001.jpg



様々な表情で笑っている老人の絵ですが、その絵に歌が添えられているます。

志わかよるほ黒か出ける腰曲る
     頭まかはけるひけ白くなる 
手ハ振ふ足ハよろツく歯は抜る
     耳はきこへす目ハうとくなる 
身に添は頭巾襟巻杖目鏡
     たんほおん志やく志ゆひん孫子手
聞たかる死とむなかる淋しかる
     心ハ曲る欲深ふなる
くとくなる氣短かになる愚ちになる
     出志やはりたかる世話やきたかる 
又しても同し咄しに子を譽る
     達者自まんに人ハいやかる 

顔に皺がより、肌にはほくろができる、腰曲る 頭は禿げて、髭白くなる。 
手はふるえ、足はよろつき、歯は抜ける 耳遠くなり、目がかすむ。 
なくてならぬは、頭巾、襟巻、杖、眼鏡、 それに、湯たんぽ、温石、尿瓶、そして、孫の手。 
おせっかいやきで、死ぬのが怖くて、淋しがりで、 疑い深くて、欲深くなる。 
くどくて、気が短くて、愚痴っぽく、 でしゃばりで、いらぬ世話をやきたがる。 
相も変わらず、子供自慢の同じ話を繰り返す。 健康自慢に人はほとほとうんざり。

この歌を読んでいると、私も将来いずれはこのような年寄りになるのだと、思うと卑下になり落ち込んでしまいます。
それだけでは禅宗の和尚の絵として、物足りないどころかありなにか変です。
何か他に隠されていないかと絵をよく見ると、そこに描かれている老人皆が笑顔です。

この歌のように年老いて自分の老いを嘆いていれば、落ち込み暗い表情でしょう。しかし、ここに描かれている老人は、それらを笑い飛ばしているようです。老いさらばれて手足が思うようにうごかせなくなっても、人生はたのしいものだ、なるようになるさと笑い飛ばし生きるのが、残りのじんせいを楽しく生きる道だと言っているようです。

要はここの歌のようにはなるまいと、またたとえなったとしても、俺は元気な老人だと笑い飛ばしてて楽しく生きていこうと、今の団塊の世代のようです。いや団塊の世代より年上の人、老人とは思えない元気なパワーを持って動き回っています。頼もしい限りですね。

しかし反対に、若者が駅のホームなどでへたりこんで、しゃがんでいるのを見かけますが、こんな調子なら60になる頃、今の70、80の人のように元気なのかと心配するほどです。
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喜び 怒り 哀しみ 楽しみ

喜び怒り、哀しみ楽しみ、慮り嘆き、恋い恐れ、姚佚して、啓き態づくり、楽は虚より出で、蒸は菌をなすがごとく、日夜前に相い代わるも、而も其の萌す所を知るなし。
荘子・斉物論

人は日ごろ何らかな、心の揺らぎがあり、それ多かれ少なかれの左右のなかで生きています。
うまくいき満足して嬉しく思ったり、
逆に自分の思い通りにいかないので腹を立てなり苛ついたり、
心を痛め情けなく思ったり、
愉快な気持ちになり調子にのりすぎたり、
将来を案じ過ぎて嘆きため息をついたり、
恋する人を余りにも恋いこがれて病気になってしまったり、
怖いと思い怖じ気付いてしまい成すべきことも出来なくなったり、
緊張がなくなり締まりがなくなったり、
態度や言動をはっきりさせるあまり慎み深さを欠いたり、
不都合や過失を隠し上辺を装ったり、とすることがあります。
このように大なり小なり、いろいろな心が動き日ごろの、立ち振る舞いや仕草の中に、動作がぎこちなくなったり、遅くなったり、速くなったりと動きに現れてきます。

笛は中が空洞の竹管ですが、そこから妙なる音色が生まれてき、黴びも蒸せた湿気の中から生じてきます。
人のありようやその姿、また生まれつき備わっている人に対する思いやりなどは、決まった形があるわけなく、さまざまの形があり変化していくものです。
それは、昼も夜も関係なしに常に、いろいろなことが沸き起こっり、そうした変化がなぜ起こってくるかを、簡単に理解できたり説明できるものではないです。
そのことを知っておけば、日ごろの心の揺らぎがあっても、それをくよくよすることを意味のないことです、だから悩み苦しむのは止めにしようではないか。



人生塞翁が馬であり、邯鄲の夢も一炊であり、七転び八起きとこの世は山あり川ありです。いろいろな苦労や悩み事など多々ありますが、それも自分と他人との間に心が揺れ動くからです。「楽は虚より出で」と書いてあるように、その悩みや苦労は実はなんでもないことで、それらを自分一人で取り込んでしまっていることが多いのではないでしょうか。笛の管は空洞ですが、鳴き口に空気の流れを与えると、色々な音色が奏でます。それは心地よい音だったり、耳障りな音だったりしますが、同じ笛が発する音色です。それなら特段に悩み苦しむより、貪り過ぎず、驕り過ぎず、楽しみ過ぎずほどほどにな、充実というものを得ていたいです。
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夏の停電を憂う

六月に入り梅雨入りした便りも届いてき、今年もこれから暑くなってきます。災害非常時の原子力発電の安全性が問われ、関西での再稼動への動きが出てきました。
しかし火力発電や水力発電などフル操業で発電しています。そのためメンテナンスのために、一時操業停止しての整備することもできにくい状況でしょうか。そのため火力発電所で、いつ整備不足での故障などが、起きるかわからない状態ではないでしょうか。そのような状態なので電力不足も現実味が帯びてき、切羽詰まってきました。

しかし、不夜城の都会に出かけると、夜は煌々とネオンが光り輝いています。町の自動販売機の照明も昼のように明るくなっています。昼間節電して夜は電力に余裕があるからと、無駄な電気を必要以上に使うのはどうでしょうか。

事業所などで昼の電力消費のピーク時に節電し、夕刻や夜に操業するのはわかります。
しかし、昼使わなかったから、夜に必要以上に使おうとしたり、夜は余っているから使おうとするのは、わたしはその流れを疑問に思い危ぶみます。オイルショックの時とは事情も状況もちがいますが、あの時はネオンが消え、夜が暗くなったのをおもいだします。しかし、本当は夜は暗いのが当たり前なのですが。

話を戻し、電気を使わないでおこうとすると、生活を含めての経済活動が落ちてしまい、その地域の消費力なども落ち、地域の経済活動が落ちひいては、景気の回復どころかますます落ち込んでしまうこともあります。

今の世の中、バブルの時のような経済発展はあり得なし、少子高齢化の進む現代では、なおさら経済成長率を大きくあがることはないでしょう。もし大きな成長を望むならそれは、太平洋戦争の敗戦後の時のように、今の商業構造が一度崩壊してからでしょう。

それとも、スローライフ、循環型産業構造など目を向けて、今までの価値観を問い直して新しい、生き方 生活様式を生み出すのもよいのではないでしょうか。

この電力不足を原発事故が起きる起きないに、焦点を合わして問うのでなく、自分たちの生活事態を見直してみる機会にするのもいいと思います。
そうしないと、中央政権と関西の広域連合と各自治体と各の市民・住民と、産業界とが互いに、侃々諤々としているうち喧々囂々となり、喧々諤々で道に迷ってしまうでしょう。

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直立二足歩行

今、朝の散歩から帰ってきました。
あるきながら、思ったことです。

人類は直立の二足歩行によって進化してきたといえます。そして人の筋肉の三分に二が、下肢に着いてることから、人の要は下半身にあるとも言われます。しかし、ここ数十年前から交通機関の発達整備で、人は以前ほど歩かなくなってきました。その上携帯電話やインターネットなどの、情報通信技術の普及発達で、ますます自分の二本の足で、移動をすることが少なくなっています。そのため、人間の身体の重要な下肢の筋肉が使われなくなり、足腰の筋肉が弱ってきてると言われています。

筋肉を使わないと段々と萎縮していくもので、これを廃用萎縮症候と言います。人類は数億年かけて水中から陸上そして四足歩行から二足歩行そして、直立二足歩行への進化し、脳を安定させて支える技を身に付け、手で身体を支える必要をなくし手の巧緻性を高めて、さらに脳を大きくし言語を操り文化をつくりだしてきました。
人の機能いや動物の器官の機能は、適度に使っていくことにより少しづつ発達していくものです。しかし、逆に使わなければ、どんどん退化し萎縮していくものです。しかも退化の速さと進化の速さとは、比べものにならないほど速いと言われてます。
人は、風邪で少し床に寝ていただけでも、足腰が弱り歩きづらくなると言われています。老人が転倒などで、骨折してしばらく床についていたら、歩けなくなったと言う話も間々きくことです。

人類の文化は、この直立二足歩行で、自分の身体を意識することにより発展したものとも言えるそうです。
高度に文明が発達して生活が便利になった結果、人間が歩かなくなり下肢が衰えてきていると考えると、なにか皮肉な物を感じます。
聞くところによると、人の身体の重心がどんどん踵側、後ろの方に移動しているそうです、一説によるとあと数十年すると人は、後ろに倒れてしまい立って歩けなくなる人がでてくると、言う人がいるそうです。そんなことにならないように、自分の身体を意識していたいものです。

技術・情報革命により、今まで人が苦労してしてきたことが、簡単にできるようになったことが、逆にできなくしてきているようです。身体だけでなく、文化の面でも、どんどんと退化していく恐れがないとも言えないです。今の技術・情報革命を追い求めるのはいいですが、それにどっぷりと浸かってしまわないようにと思います。


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スペースシャトル 「エンタープライズ」

アメリカの米航空宇宙局のスペースシャトルに「エンタープライズ」というのがあるが、この宇宙船がイントレピッド海洋航空宇宙博物館に恒久展示されるため、ハドソン川の「自由の女神」の横を通過していったそうです。
「エンタープライズ」といえば、アメリカの人気SF番組「スタートレック」の宇宙船の名前です。このスペースシャトルも、このファンが「エンタープライズ」という名を要望してついたそうです。

ハドソン川の面を航行するエンタープライズの写真は、時事ドットコムhttp://www.jiji.com/に載っていました。
画像は同ページのhttp://jiji.com/news/photos/photo_news/images/450/view0012715442.jpgでみられます。

私も高校のころから、「宇宙大作戦を」見ている一人ですが、このスペースシャトルも一度見てみたく思っています。

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「喜び怒り、哀しみ楽しみ」 2/3

「喜び怒り、哀しみ楽しみ」のつづきです、2/3

已みなん 已みなん、旦暮に此を得るは、其の由りて以て生ずる所か。彼に非ざれば我れなく、我れに非ざれば取る所なし。是れ亦た近し、而も其の為使する所を知らず、真宰あるが若きも、而も其のあとを得ず。行なうはなはだ信なるも、而も其の形を見ず、情あれでも形なし。
荘子・斉物論

わたしも人のことがいえませんが、周囲の人を見ていると、いつまでもどこまでも、明けても暮れても、心配事や悩み事に思い悩んでいる人がいます。傍目で見てすこしは、ケセラセラと思ってはと、こちらが心配してしまう人もいる。
思い煩うことを思い出しては、怒ったり笑ったり悲しんだりする。そのような心の変化が起こるのは、もともとその原因はどこにあって生み出されるのでしょうか。
そもそも悩みというものは、相手がなければ自分の悩みもないし、自分がなければそのような一様でないいろいろな心の揺らぎが、現れて思い煩うこともない。
思い煩いは、相手に原因があるのか、自分の心の持ち方にあるのか、それともそれぞれの立場での価値観や考え方に、根本的なところがあるのだろうが。しかし、何がいろいろな思い煩いが起こさせるのかは、簡単に判るものでもなく、これと決められるものでもない。
心の中か外部に、その思い煩わせることを起こさせる要因があるかもしれないが、それを自分で自分自身に納得させることはできないものである。

人は周囲の色々な事柄に、左右されないことはあり得ないことでしょうが、自分に影響があると思えるないと思えるなどの、働きかけたその核心的な本質はなかなか見えないものです。だから思い悩み怒り憂うなどの心の揺れがあるのでしょう。
それならばいっそ開き直るのではないですが、そのもの物事の様子や成り行きを、感じ取り影響があるのが当たり前えと思いことも大切だと思います。自分に影響を与える、そのものの不変な本体といえるようなものに、姿形あるといえないのではないと考えて対処すれば、いつまでも深く思い悩んだり、怒ったり、憂いたりするのも消えていくのではないでしょうか。
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直立二足歩行 その2

先日のブログで、早朝の散歩の時に歩くことについて思ったことを、書きつづりました。

そこで、自分の足とはどの様なものかを、見直してみようと思い、簡単な方法で足跡を調べてみました。

足裏がどの様に、大地と接しているかを調べてみました。
その方法は
・雑巾などの布に墨を含ませる。
・椅子の前にその雑巾を置く。
・椅子に座りその雑巾に足を置く。
・椅子の前の雑巾を、白い紙と置き換える。
・白い紙の上に足を乗せ、ゆっくりと姿勢良く立つ。
(両足に体重をかけ、足を動かさないで、膝を伸ばすよう注意する。)

さて、紙に着いた足跡はどうでしょう。
・左右差はあるでしょうか。
・土踏まずはできているでしょうか。
・足裏の親指と小指と踵の三角形の形はどうでしょうか。
・体の重心は足形のどこにあるでしょうか。
左右差が無いのがいいでが、大なり小なり左右の差はあるものです。
土踏まずがしっかりとできているのがいいです。どこで踏みしめているか、重心の位置は前の方にあるのがいいです。


これが私の足跡です。

自分の足をこのように、意識せて見たことは初めてで、詳しく見ていきたいと思います。
・両足とも人差し指と踵を結ぶ線を、土踏まずの凹の部分の弓線が越えているので、土踏まずはまずはできてい、ほっとしました。
・また少しですが外側である小指側の土踏まずもあるようです。
・やや外反母趾気味で、左足の人差し指が押されて、浮き上がっているのが気になります。
・右の方に体重が乗りぎみで、小指の踏み締め浅いよです。
・趾部それも外側(小指側)の写り弱いです。親指と小指を結ぶアーチが弱い弱いようです。
素人が見た目には、まずまずではないかと思うのですがどうでしょう。

前にも書いたが、土踏まずができていると言うことは、足裏のアーチができていることです。足裏には三つのアーチが二足歩行をするときに、大地にかかる体重の衝撃を吸収するうえで、非常に重要な役割をはたしているのです。
土踏まずができていない人の足のことを、扁平足といいお釈迦様のようなあしうらの人のことをいいます。
扁平足だと、歩いているとき直接体重の重みを足根骨(足の様々の骨)に受け、その衝撃は膝にもおよびます。この衝撃を受けると歩くのは疲れやすく、また身体は左右に揺れながら重心をとるように歩くようになります。また、足先の腱や神経は、土踏まずによってできる窪みから、脚へと通っています。手の腱や神経は手根溝(手の踵)を通って腕へとつながっています。足の腱や神経も踵を通っていればそれらを痛めることになります。同じように土踏まずがなければ、直接地面と接することになるので、足の腱や神経を痛めることになります。

人間は生まれた時から、土踏まずができているのではありません。歩き始めの一歳の赤ちゃんの歩き方を見れば判ります。手を肩ぐらいの高さに、上げて左右に身体を揺らしながら、バランスをとって歩きます。ちょうど綱渡りの芸人が、長い棒を持って歩いているようにな感じです。
これがなぜかと言えば、大人と子供の足の骨を見れば、なぜそうなのかが判ります。
一歳未満の子供の足のつま先部分(趾部)は、足全体から見ると四分の一ほどで、踵部が広いですが、大人は趾部が六分の一ほどしかありません。
(追加 6/9  この部分少し舌足らずでしたので、付け加えておきます。 
人間の足は、指節骨、中足骨、足根骨に分けられます。指先は末節骨と中節骨と基節骨からなる指節骨で、踵は十ある足根骨にあります。そしてその間に中足骨があります。踵は幼児より大人の方が占める割合が高くなり、前傾での歩くときの推進力になります。)

これは、歩くとき前方への重心移動をしやすくするため趾骨は短くなり、直立姿勢をしやすくするため、左右の趾部と踵部分(足根骨部)とで広い面積で、地面を踏み締めようとするため、足根骨部が大きくなったためです。
そして、歩くことにより足踏まずつまり、解剖学的にいうと足底弓蓋が作られていきます。
このため小さいときに、どんどん歩くことが必要ですね。

しっかりとした土踏まずをつくるためには、草履や下駄やポックリがいいといわれています。これは、歩くとき親指と小指で下駄を掴みながら歩くからです。そしてポックリは少し身体を前傾させるのでよりよいといわれています。子供にポックリは危ないという人もいますが、ポックリは子供用の履き物として昔から日本人は使ってきました。
足全体を覆ってしまう靴に慣れていたら、鼻緒を掴むようなことはなく、足の指を使って歩くことはないです。踵が少し高くなっているハイヒールなどは、前かがみになり危険に見えますが、ポックリはさほど踵が高いものではありませんので、心配するほど危険とはいえないでしょう。

これから、朝の散歩は五本指の靴下を履いて、地下足袋、夕刻は下駄で歩いてみようかと思います。
でも、周囲の見た目がどのように思うでしょうか・・・。
朝の下駄は私は夜明け頃から歩くので、うるさく近所迷惑でしょうから、朝の地下足袋ですが、今時奇異に写るかもしれません。

そういえば、藁ではなく布でできた室内履きの、草履が売られていると聞いたことがあります、探してみようと思います。

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原子力発電 再稼働か

原子力発電停止による、電力不足問題に対する方向が、動き始めたように見えます。
野田総理が国民に、総理としての考えは、原子力発電の再起動を認める必要がある、趣旨の声明をだしました。
東北の巨大地震と巨大津波による、福島の原発電源消失から今まで、原子力発電は一旦事故が起きると、広範囲にしかも長期にわたり被害や影響がでることを教えてくれました。そして原子力反対という議論が誰も彼もが唱え、ヒステリックなまでに高まりました。
しかし、節電やエコ発電などへの議論もたまりましたが、実際に実現できるものかは曖昧な理想論ばかりが多く唱えられ、現実がなおざりされてきたように思います。
近畿の一番の大消費地の地元では、産業界などでは電力不足を懸念していましたが、市民や自治体の運営を司る長は、市民の手前は再稼動を反対したり、産業界の手前は再稼動はやもうえなし、とカメレオンのような立ち振る舞いをしていました。
その中での、総理の再稼動へ向けての声明です。しかし、再稼動したがその後の方針が明らかになっていない。方針までいかなくても、方向性は示せなかったのかと思います。しかし、今の国会の様子をみていたり、周辺自治体や経済界や電力業界、そして国民市民の声を見ていると、その方向性を考える議論の場すら作る環境になっていないように見えます。こえは、国会や国のリーだの責任でなく、国民の意識の問題ではないかと私は思います。そうなると、ここしばらくこの混沌とした状態はつづくのでしょう。
わたしは、前から現実的な選択としてとりあえず、一過的な期間設ける設けないに関わらず再稼動をすべきす。その前提として、脱原発に向けての方向を示し、そのための取り組みをしていくべきだと考えていました。それに加えて市民生活の様式をかえる、産業構造を見直すことだとの必要性を、訴えていくべきと考えています。
今後は、今まで生活のあり方を見直す。なかでも、消費は美徳とする考え。電気を無尽蔵に使って当たり前とする意識などを反省し見直すべきだと思います。
原子力の技術は、何十もの安全弁があり安全だという、その根拠の曖昧さと脆弱性とは、今一度しっかりと見つめ直し、より原子力技術を高めていくのか。それとも原子力技術とは決別していくのかを、撰ぶべきで時にきているのでしょう。
そのときはどの様な道を撰ぶのか、日本人はいや人類はこれてと向き合わなければならないのです。そして一部の人が苦い思いや、苦しい思いや、辛い思いをするのではなく。一部の人が儲けたり、楽な思いをする道へ進むのではなく。
これからの人類が平和と自由、人権と民主主義とは何かを真剣に時間をかけて論じあいながら考え進むべきでしょう。まだまだ先は長い道のりでしょう。
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生卵と人間のからだ

生卵と人間のからだ
 
生卵と煮抜き卵の見分け方と言うのがあります。
卵を机の上でくるくる回して、回っている卵を指で止めて離す。これだけで、生卵と煮抜き卵を見分けれれます。
生の卵だと指を離しててもまだ回り続けようとします。
しかし、中まで火がとおり固まっている卵は、いったん回転を止めると再び動くことはありません。
煮抜き卵を動かすには指で弾いたりすると動きますが、生卵の動きとはちがい、ただ動かされているだけです。生卵は中の白身と黄身の流動体が、先に回されたことにより動いているのが、止まってもしばらく揺れ動いているのです。

人間の身体の動かし方も、この生卵のようであるべきです。しかし最近の人の体は、煮抜き卵のようにかたくなっています。動きがかたくなり、柔軟性がなくなり、他人から動かされているようになっています。

人の感情や身体の変化も同じで、常に揺れ動いています。外から何らかの刺激があると、それに応じて変化し、身体や感情にあらわれます。そして、外からの刺激がなくなっても、その影響は残り揺れ動きます。これは、煮抜き卵を押すと動きますが、転がるのは別として、押すのを止めると動かなくなります。
人の動作や仕草はその人、本人から出てきたもので、それがコントロールされないと、その人本来の動作や仕草ではありません。

尊敬している人の、言動を真似てもそれは、その人のものではないです。
美術や芸事や職人の修行で、技を真似をするな盗めとよくいわれます。真似は真似でしかないのですが、盗むと言うことは自分で消化して自分のものにしてしまうことです。尊敬する人を真似るのも一つの方法かもしれませんが、それだけではいつまでも発展が進歩がありません。
身体の動作や仕草であるうごきも、自分というものを持って、行動するとその所作は人がみると、身についていて綺麗に見えるものです。それは、その人のありのままが現れ自信に満ちて見えるからでしょう。
 
最近、すぐに人の言動に惑わされ、右にいったり左にいったりしてしまう人が、多いようにおもわれます。自分の身体の動作や仕草を見つめ直して、自分というものも見つめ直すことにより、自分というものを持って、自分の考えを貫けるようになりたいものです。
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再び「喜び怒り、哀しみ楽しみ、慮り嘆き」のつづきです、3/3

再び「喜び怒り、哀しみ楽しみ、慮り嘆き」のつづきです、3/3

百骸九竅、六臓、かねて存す。吾れ誰れをか親しむことを為さん。汝みなこれを説ばんか。其れ私するありや。是くの如くんば皆もって臣妾と為さんか、其れ臣妾は以て相い治むるに足らず。それ逓に君臣と相い為らんか、其れ真君ありて存す。其の情を求め得ると得ざるの如きは、其の真に益損なし。
荘子・斉物論

人の身体は206個の骨があり、500種類の筋肉があり、五臓六腑とよばれる内蔵などがある。それらは普段みな調和をとって働き人の身体を維持してきています。
このところ健康ブームで人は、食べ物に気を使ったり、スポーツクラブに通って、身体を大切に思い鍛えたりしています。しかしその得た知識で自分の身体の隅々まで、健康管理をすることはできるのでしょうか。もし、自分の身体のすべてを大切にしようとしても、それは必ずどこかに偏りがでてくるものです。

こんな話があります、小さいころから運動をすることが、健康で運動能力の高い子供に育つというので、ある幼稚園で体操の時間を作ったそうです。一方そのような時間を作らずあそびの時間を増やした幼稚園があります。この二つの幼稚園児の運動能力を調べたら、体操の時間を作った幼稚園より、何もしないであそびの時間を増やした幼稚園の方が、運動能力が高かったそうです。
また、スポーツクラブでトレーニングをして逆に、肩や膝などを故障してしまったという話も聞きます。
健康食材に気をつけていたのだが、栄養が偏っていたという話もききます。
これらは、すべて身体のすべてに気をつけようとしたが、逆に偏って一部の臓器や筋肉などを依怙贔屓してしまっていたのです。森の中で木を一本一本調べていて、森はどこにあると叫んでいるようなもので、鹿を追う者山を見ずと言う言葉もあります、まさにそこに落ち込んでしまたのでしょう。

普段日常で健康であれば、自分の身体を意識する事はありません。ましてや自律神経が司っている心臓や胃腸を意識して働かすことなどあり得ないはずです。しかし、知らず知らず総合的な身体の動かし方をしているのです。
だけど気をつけないといけないのは、現代の機械文明の社会では、楽に色々なことが出来るようになったが、からだを動かすことが少なくなったり、様々な動きをなくなり幾つかのパターンの動きしかしなくなったことです。
ですから、その運動不足を補うためにスポーツクラブなで、身体を動かすことは悪いことではないです。運動の量より質ですが。
また、健康食品に過度に興味をもったり、スポーツクラブで過度にトレーニングをするのは、それと似たようなものではないでしょうか。わたしは、食事にはあまりきにかけていません、というより腹八分目食べたいものを食べ、好きな食べ物は控えめにと考えています。

身体の筋肉や臓器などの諸器官は、それぞれの働きをするだけでなく、それぞれが密接に連携しているのですが、意図的に連絡を取り合い話し合いをしているのではありません。だけど、どこかで働きを統括して調整されていなければ、健康は維持されないです。

このことは意識下外で何らかの働きがあるわけです。このような機能が人の身体に本来あるのに、それをわざわざ壊すような、健康の取り組みをする必要があるのでしょうか。自分の身体の本当の声を聞けるようになりたいものです。そのためには、肉体の健康だけでなく、怒りや喜びや憂いなども、素直に受け止められることが必要なのでしょう。

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大阪の心斎橋で起きた事件

大阪の心斎橋で起きた事件、死んでしまいたいが自殺はできなかった、人を殺すと死刑になり死ねるであろう。と考え犯行に及んだそうです。
この発想は短絡的というか、許せないとうか、情けないというか、言葉にならない事件です。
東京の秋葉原でも、同じような事件がありましたが、この事件は、幾つかのことを考えさせられます。
犯人は覚醒剤事件で服役し出所したばかりで、定職もない人ですが、そのあたりの詳しいことは今後公表されていくでしょうが、事件を起こした要因の一つかもしれません。
しかし、この事件は現代日本が高度成長をして、取り残されたその陰の負の部分の膿が出た事件だといえるものです。

一つは、刑務所から出所直後の人の犯行であること。
その中で、以前から問題点として言われてきている、犯罪者の更正と自立への支援態勢が整っているのか。
一つは、この不景気で生きていく希望がなくなってしまっている。
一つは、先行きが見えなくなったら、自暴自棄になって見境の無い行動にでてしまう。
一つに、出処して、郷里に立ち寄ったそうだが、何らかのつてを頼ったのでしょうか。しかし、それを周囲は無碍に拒んだ。そして、先行きが見えず、しかも断られたことにより、自尊心が失われてしまった。
人は自尊心がなくなり自信を失うとどの様な行動にでるか解りません。

時々テレビの番組で、京都の祇園の事件、亀岡の事件と比べて論じる人がいるが、比べて論じると問題の本質的なものが、ずれてしまう恐れがあるので、テレビを見る視聴者は注意しないといけないです。

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おはよう ヤモリさん

朝起きて顔を洗おうと廊下を歩いていると、ヤモリと出会いました。
廊下を歩いている私はビックリ。ヤモリもビックリしたのでしょう。
私の足下の方に寄ってきました。思わず踏んでしまったかと、思いきや足を止めると、ヤモリは反転して逃げていきました。そして廊下の片隅に潜んで動かなくなりました。
その写真の一枚です、よく見るとヤモリの身体は埃にまみれています。
ヤモリさん家の掃除が行き届いていなくてごめんなさい。
先日のゲジゲジといいヤモリ、今度は何が家の中に何がでてくるでしょうか、クモでしょうか、ヘビでしょうか。
くれぐれも、ムカデやゴキブリやネズミなどが出てこないように。
 

                                                    お早うと 壁の守宮と 顔が遭う
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 東日本大震災追悼式で安倍首相は原発事故に触れなかった。
    竹林泉水 (03/18)
    今一度野田首相が宣言したように、安倍総理は原発事故は収束したと本当は言いたいのでしょう。政府は必ず嘘をつく、それは、オリンピックの施設建設や、豊洲市場もそうです
  • 東日本大震災追悼式で安倍首相は原発事故に触れなかった。
    アジシオ次郎 (03/18)
    おはようございます。

    今年の東日本大震災追悼式典で福島第一原発事故に言及しなかった安倍総理だが、未だに原発事故処理が解決していない、避難区域解除も進んでいな
  • マンションの挨拶禁止
    竹林泉水 (03/13)
    アジシオ次郎さん
    コメントのお返事大変遅くなり申し訳ありません。
    いまのよのなか、スマホが行き渡り本当におかしくなってきた感じですね、友達と集まってもみなそれぞ
  • マンションの挨拶禁止
    アジシオ次郎 (03/01)
    こんにちは。

    マンションで挨拶禁止って、正直近所づき合いを否定するようなものだし、挨拶をしっかりすると言う人としての常識に思いっきり反する行為だと思います。
  • これからの世界のゆくへ
    竹林泉水 (02/20)
    わたしには、トランプ大統領のメディア批判は、日本の首相を見習っているように思えてしまいます。
    アメリカは自由と民主主義国の国でこのようなことはないと思っていまし
  • 軍隊は国民を守るにあらず国を守るもの
    竹林泉水 (02/20)
    コメントありがとうございます

    自衛隊法にどのように明記されていようが、文官と武官との考えの違いはあるのではないでしょうか。
    栗栖弘臣の言ったことは、上級指揮官
  • これからの世界のゆくへ
    アジシオ次郎 (02/18)
    こんにちは。

    アメリカのトランプ大統領のメディア批判は、自分に都合の悪い話をする者はケチョンケチョンにこき下ろすと言う子供じみた言動にしか見えないが、自分に
  • 軍隊は国民を守るにあらず国を守るもの
    まり姫 (02/07)
    自衛隊法第三条に人命救助をする仕事として書かれていますよ。
    主たる任務ではないけれど、副次的任務としてきちんと規定されています。
    元統合幕僚議長の述べていること
  • 世界の民主主義が行き詰
    竹林泉水 (01/26)
    以前から時々コメントされるのですが。
    コメントを投稿されても、ロシア文字のような文字化けや、タグを書き込みそれがそのまま表示されるコメントがります。

    そのよう
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