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浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ

浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ

このブログの自身の記事「ヒステリックな両議論・・・」のコメントを返すのに、「ぼやき漫才」の人生幸路が生きていたらどんな漫才をするだろうかと書きました。すると昔の二人のやりとりを思い出しました。「ぼやき漫才」の人生幸朗と生恵幸子の二人が出てきて、「浜の真砂は尽きるとも世にボヤキの種は尽きまじ」とすまして人生幸朗が言う、相方の幸子が「なにキザなこと言ってる」と突っ込みを入れるところから始まっていました。この言葉は釜茹でになったことで有名な大盗賊の石川五右衛門辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」から取ったものと知ったのは、私が大学生になってからでした。

このところ本当に色々な事件や事故が起きて、毎日いろいろな記事が新聞をにぎわしますが、また悪事も「浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と詠んだごとく、「浜の真砂は 尽きるとも 世に新聞の 種は尽きまじ」で事件事故は尽きないものですね。

その中でも、おれおれ詐欺や迷惑メールなどは、辺の砂のように無数にはびこっています。そしてこれらの種を行う下賤なやからは、尽きることがなく性懲りもなく、同じことを繰り返しているようです。この種のものは本当になくならないのはいつの世も常なのでしょうか。

しでかす人や罪をとやかくではなく、このようなことを行おうとする気持ちにさせる、行き詰まって荒んだ世の中のをどうしたらよいかと思ってしまいます。
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八十八夜

今日は立春から八十八日目で、八十八夜です。旧暦閏三月十一日
夏も近づく八十八夜といい、これから暑くなっていくのですが、私の住んでいる所は盆地なので、「八十八の泣き霜」とも言われる、五月の遅霜が起きることもあるので注意が必要です。でもやはりこの季節になると、町の種苗店では夏野菜の苗が並んで、庭の畑もそろそろ植え付けをしていこうと考えています。

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唾は呑みこみ、痰は出すべし

津液をばのむべし 吐くべからず 痰を吐くべし のむべからず 痰あらば紙にて取るべし 遠くはくべからず 水飲津液すでに滞りて 痰となりて内にありては 再び津液とはならず 痰 内にあれば 気をふさぎて かえって害あり 此理をしらざる人 痰を吐かずしてのむは ひが事也 痰を吐く時 気をもらすべからず 酒多くのめば痰を生じ 気を上せ 津液をへらす
貝原益軒 養生訓 2ー28

唾は飲み込むもので、決して吐いてはいけない。
痰は吐くもので、決して飲み込んではいけない。
痰は、そこらに吐き散らしてはいけない、紙に包みとるものです。
飲んだ水や唾が滞るとそれは痰になり、身体の中に溜まって気を塞いでしまい、身体に害をおよぼす、このことはよく知って置かないで、痰を飲んでしまう人がいるが、それは身体によくなく間違いです。そして、痰を吐くとき、軽く吐くもので、遠くに飛ばすように強く吐くと、身体の善い気も抜けて漏らしてしまうので注意しなくてはならない。大酒は痰ができてしまい、気をのぼらせ、唾を減らしてしまうので身体には非常によくない。

街で時々、唾を辺り構わずペッペ吐く人がいるし、やたらと痰を飛ばす人がいる、こういう人は街を汚し下品なだけでなく、自分の身体も汚していることに気がつかないといけない。
昔よくお年寄りの人が、自分の痰を懐紙に吐きその紙を、自分の懐に戻す人を見かけましたが、その人は自分の身体も清めているわけです。そのよう行いは行儀作法だけでなく、昔から知らず知らずに受け継がれていたのだが、忘れられかけているようです。今一度日本人が昔から受け継いでいたそのような行いを見直していくべきだと思います。

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竹秋

今日は一日中雨になりそうです、手入れの行き届いた、竹林には雨が似合うでしょうか。

里の木々の葉が芽吹きだし春のたけなわに、竹林には筍が顔を出し春たけなわになるが、竹は葉を黄色くして「竹の秋」が訪れる。それからしばらくして初夏になると、麦の穂は稔り「麦の秋」が訪れます。日本の季節は春夏秋が入り交じり奥が深いですね。
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人を観る方法は人からも同じように見られている

人を観る方法は「呂氏春秋」に八つの観る方法と、六つの調べ方があると書かれています。
また他人を判断するときは、六戚と四隠があるとかかれてある。

通則観其所礼 
貴則観其所進 
富則観其所養 
聴則観其所行 
止則観其所好 
習則観其所言 
窮則観其所不受 
賤則観其所不為 
これを八観といいこれは、先に書いたので改めてかかない。「貧したときに何を取ろうとしていないかを見る 」と「人物をみる観法 」を見ていただければと思います。

喜之以験其守 
楽之以験其僻 
怒之以験其節 
懼之以験其恃 
哀之以験其人 
苦之以験其志 
これを六験といい、喜怒哀楽と恐懼の時にどのようなことをするかをしらべて観ると、その人がどのようなひとか判るといっている。

このほかに、人を観るのには、六威四隠をがある。
六威とは、父母兄弟妻子のことであり、その人の家族関係がどのようなもので、どのように大切に扱っているか。

四隠とは、交友 故旧 邑里 門郭のことで、その人がどのような社会環境で過ごしているかをいう。
交友はどのような人とつき合っているか 故旧は古くからの友人をいい。 邑里は故郷をいい 門郭はその人の住んでいる所をいう。

人の観方とするのではなく、人は自分をこのように見られているのだと考え、日ごろの生き方に注意を払って、生きていければと感じます。
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今日は憲法記念日です。

今日は憲法記念日です。
私たち日本人一人一人がどれだけ、日本国憲法を知っているでしょうか。
一寸偏屈な見方の言葉で言うと、憲法九条の戦争放棄の言葉ぐらいしか、知らない人が多いのではないか。

憲法九条が悪いとか、基本的人権の項目が悪い、象徴天皇の項目が悪いなどなど、右左の人がいろいろと言われています。

それらの言葉を鵜呑みにするのではなく、今一度自分たちの生活を六十年以上にわたって、善しきにしろ悪しきにしろ支えてきたものです、ゆっくりと読み直して今の憲法の目指しているものは何かを考える日にしたいと思います。

追加記事 1 -- 
浪花の天狗さんか教えていただいた「あたらしい憲法のはなし」URLリンクしてみました。
青空文庫の「あたらしい憲法のはなし」
http://yozora.kazumi386.org/3/2/ndc323.html

TAKAO-SPさんのWEBページ
http://www.takao.sanpauro.nom.br/takao/a050301.html

追加記事 2 --
憲法について調べていたら、次のようなものを見つけたので、紹介しておきます。

国立国会図書館のWebページに「日本国憲法の誕生」というページがあります。
草案起草から成立までの経緯や問題点などが載せられています。
もちろん憲法本文、大日本帝国憲法、ポツダム宣言などもあります。



http://www.ndl.go.jp/constitution/



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養生の術で心・身を養う

養生の術で心・身を養う

養生の術、まづ心法をよくつゝしみ守らざれば、行はれがたし。心を静にしてさはがしからず、いかりをおさえ慾を少なくして、つねに楽んでうれへず。これ養生の術にて、心を守る道なり。心法を守らざれば、養生の術行はれず。故に心を養ひ身を養ふの工夫二なし、一術なり。
貝原益軒 養生訓 2ー65

養生の方法を身につけるには、身体で体得して極めるには、初めに心を調えていかなければならない、天台小止観でも、息と身と心は一体で別々には語れないといっている。養生も同じように呼吸から始まり心を落ち着かせ身を弛めなくてはいけない。そのなかでも、怒りの心を抑え心を静かにして、気を和ませ心配事をしない、これが養生の極意だと益軒はいっている。
いくら、食事に気を配り注意しても、身体に健康だと体操などをしても、心が不安定で怒ったり、笑いすぎたり心配事を抱え込んだりしてしまうと、せっかくの養生の努力は水の泡となってしまう。
身と息と心は一体で心が一番大切であるから、常に注意を払っていなくてはならない。

病は気からと、心の養生、心身などといった、身体と心を関連づけた言葉は沢山あります。また、心配ごとなどがあると胃が痛むそして、胃潰瘍になったりします。実際に身体の動きにも出て来ることがあります。気持ちの持ち方一つで、行いが変わり自分の身体の調子も変わってくるものです。まずは心の修養のしかた、坐禅や静坐や黙想などの仕方を、自分なりに見に付けてそれを、何時でも行えることが出来るようにしておきたいものです。

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事実は小説より奇なり

事実は小説より奇なり
私の子どもの頃NHKのクイズ番組に「私の秘密」というのがありました、その時司会の高橋圭三がオープニングに「事実は小説より奇なり・・・・」と言っていました。
このクイズ番組は、視聴者が出演して、私の仕事は何でしょう、私の趣味はなにでしょうと出演者の私的な秘密を、回答者が簡単な問いかけをして、答えを探っていくものでした。
世の中には、思いもよらぬ仕事があったり、趣味の持ち主だったします。
仕事など、どちらかというとその普段なかなか想像できない仕事が、私たちの日頃の生活を、陰で支えてくれているものを知ったりしました。

この言葉は、イギリスの詩人バイロンが『ドン・ジュアン』の中で述べている言葉から取ったものだそうです。

世の中の出来事は小説より奇なり 世の中に実際に起こる出来事は、虚構の小説より却って奇妙で不思議なのは、昔から言われてきているようです。しかし最近起きる事件や事故は奇なるもんが、今でより多くなっているように感じます。

だから、世の中は楽しく生きがいがあるのでしょうが、心が荒んでしまうような奇なりは、有って欲しくないですね。
ましてや、政治の世界は奇なりな政治だけにはさせたらいけないです。奇な政治になった国民の姿は、歴史が教えてくれています。
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貧しとも清しは長く楽しめ 富も汚と恒に憂う

正倉院の宝物に鳥毛帖成文書屏風があります。
その屏風に鑑戒的な四言四句の詞が書かれています。屏風は六扇で作者は、墨書きから谷田部咋万呂とされる。

千三百年ほど前に書かれたものだが、今の世にも通じるものがいくつかあるので、私なりに解釈してみました。

清貧長樂濁富恒憂
孝當竭力忠則盡命
貧しとも清い生活は長く楽しめ、富があると汚れて得ていると思い煩う
孝行に尽くし切ること、真心もって君主に仕え尽くす

君臣不信國政不安
父子不信家道不睦
君と臣下が信頼関係になければ、国の政治は安定しない
親子が互いに信じ合わなければ、家庭は円満でない

種好田良易以得穀
君賢臣忠易以至豐
好い種を良い田に蒔けば、穀物が好く稔る
賢い君に忠誠な臣下であれば、国は豊かに栄える

諂辭之語多悦會情
正直之言倒心逆耳
へつらいの言葉は、耳障りがよく心地良い
嘘や偽りのない言葉は、耳障りが痛く心にも痛い。

正直爲心神明所祐
禍福無門唯人所召
正直な心は、天のが見守り助けてくれる所がある。
禍や幸せは門地ではない、唯だ人の行いから来るものだ

父母不愛不孝之子
明君不納不益之臣
父母は親不孝ものの子を可愛がらない。
優れた君子は、役に立たない臣下を重要な地位に取り立てない。


昨今のニュースを聞いていて、巷の家族での不幸な事件や。
国や自治体でのいざこざは、いつの時代にもあったようです。
この天平の時代には仏教の教えなどで、規範を守ろうとする心があり、後の時代も江戸時代までは、儒教などの教えを守り行うことにより、武士などの為政者は貧しくても品と誇りをとり修養し庶民から敬われ、商人は富をとったが、清貧の誇りを持った武士の姿をを見習おうとしました。

しかし、今の政治家は自分が正しいと独断で主張し、なりふり構わぬ行いにをする人がいます。庶民は庶民で富ばかり追い求めたいたり、自分の今の快楽を追い求めたりです。
また、政治家の自己の保身や主張を無理に通そうとする姿に、庶民は品のなさを感じ愛想を尽かすしています。しかしそれに気づかぬ人が政治家などが多すぎ、この海原の航海先を憂うのは間違っているのでしょう。

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天台小止観 正修行 0006-1-1

天台小止観 正修行 0006-1-1

これは、天台小止観 正修行 0006-1-0からの続きです。
天台小止観について、私の独断の解釈をこのブログに書いていたが、しばらく休んでいたと言うよりどのように、読み解いたらよいのかわからなかった。
まだまだ、未熟で読み解けないが、少しづつでも書きつづってみようと思う。

    正修行
    第六章 正修の行

一は、初心のときに乱れがちな心を正しく調える方法。
どうしても坐禅をし始めたころは、正しく坐禅をしないといけないと言う気ばかり焦り、それば逆に心を乱してしまう。それを抑えるには、止・観の修習の仕方の二通りがるが、まず止を修めることからはじめ、どうしてもだめなときは観を修めてみる。これが初心者の気が焦り心が乱れるのを、静めて調える方法です。

まず始めの、止には三種がある。
一つに、よく何も考えるな無心になれと言うが、それは修養者に言えることで、初心の者には難しいことなので、まずは一つのないかを思いそれ以外の考えを寄せ付けない用にするのがよい。例えば何か言葉繰り返し唱えるなどして、忍び寄る雑念を祓うのも一つの方法です。
仏典にもかかれている。「心を繋いでおかないと、欲しいままになってしまう、そうならないようにしないといけない。これは、猿が鎖に繋いでおかないとどこかに行ってしまうようなものである」と。
二つに、
坐禅をくるなり、黙想しているとどうしても、雑念がわき起こってくるものです。そのようなときはどうしたらよいのか。
「眼・耳・鼻・舌・身、すなわち色声香味触の感官は、心から生まれるものであるから、自分の心を自分で動かせる自律できるようしなくてはならない」とこれも仏典にかかれている。
このようなものから遠ざかって、起こらないように押さえることが肝要なことです。
この二つに関してはこれ以上は説明しない。

三つには、坐禅をしていて、雑念や妄念がわき起こってくるのは、自分自身の中からわき起こってくるものです。世の中で過ごした、今までの生活が原因といえる。すなわち結果をもたらす直接原因となる因と、間接原因である縁があり。この世の物事はすべて因と縁によって定められるので、それらの執念や執着心がなくなれば、雑念や妄念がわき起こってこなくなるといえる。
仏典にも「一切の諸方のなか、因縁は空であって主体はない、心を息めてものごとの本源に達する、それを号して真の修行者というのである」書かれてある。

修行をして悟りを開こうと、坐禅のしはじめは、この生きている過去現在未来の世の中において、自分と周囲の人の修養と救済の願いの誓いを立てたなら、ちまたの迷いに左右される感情は捨て去り、精進して修行に励まなくてはならい。
坐禅をくみ静坐して、心を正しく向き合わせて、自分の置かれている今を、見つめ直すことが大切である。そうしていると、今までの悩みや妬み恨みなどは、自分の心の中にあるのに気がつくであろう。
十地経に、「三界に別の法無し、ただこれ一心の作るところなり」と書かれてあある。

物そのものの本質がないなら、この世に存在するもの事態が存在しなくなってしまう。それは中身のない空っぽのもので、主体のないもで誰もその存在を知ることができない。存在しないなら何も修行などで追い求めることが必要なくなってくる。すなわち、妄想や妄念や邪念などはないことになる。
よく、坐禅などをすると、無心になれとか、考えるなといわれるのは、このことによるのであろうか。坐禅などをしていると、普段よりかえって妄念や邪念などがよぎってしまうことがある。そのときは、ひっそりと静かな所で、何も考えないでいる、それが無為になる始まりで基本ではないだろうか。それにより、今まで現れていた妄念や邪念などは消えていく、それが悟りに近づく道ではないだろうか。
仏典に
「心があって心を知らず、心は心を見ない、、心に想を起こせばそれが癡となる、想の無いのがすなわち泥である。」といっている。
このように自分自身の心が止そのものになりきることがたいせつであるのではなかろうか。

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「家庭教育支援条例」案

大阪維新の会大阪市議団が市議会に提案を検討している「家庭教育支援条例」案に、「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」と記されている。甚だ、偏見と強者・勝者の驕りが臭いする文言のように感じる。
数十年前の条令案ならまだしも、特別支援教育が学校でなされている今日に、このような考えを上から押し付けようとしているのは、優秀な者の、勝ち残った者が正しくそれについて来いと甚だ末が恐ろしく感じます。
学校では今、個別の支援計画に基づいて指導しています、毎日地道に支援計画を親と子と教師で作って指導している、その人たちをなんと思っているのだろうか。また親御さんやお子さんをどのように思っているかを、考えると悲しくも暗くもなってしまいます。
しかもこの条令案を出した議員団の長は、この文言に批判がでたのでこの文言はよろしくないと言っているのも、なにか場当たり的で奇異に感じます。

他にも先の、府の人事監査委員の非公開も監査委員が非公開といい、周囲から疑問の声が出ると、府のことなのに指定都市市長が異を唱え、知事も同じように公開すべきと言い方が変わってきている。これでは何をみてこれから任せられるものを判断したらよいのだろうか。

思わず唐突な文言につい口が出てしまいました。

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観光バスの痛ましい事故

連休中の観光バス事故は、痛ましい事故のありさまを、テレビの映像を見て一瞬疑うほどでした。
観光バス会社の過当競争により、値引き合戦が過酷な労働環境が作り出した、事故とも言えるのではないだろうか。この値引き競争は利用者のニーズによるものだが、それはそれとして問題点は他のところにある。
バス会社の信じられないような経営のしかたは、ニュースなどで放送された通りでしょう。社長の記者会見の様子を見て、謝罪の会見では後ろに手を組みながら、詫びのため頭を下げたり、会見に応じている映像を見ても、誠意を感じられないことにも驚きでした。

それとは別に、最近の車はいとも簡単に壊れてしまうのだと思った。車体メーカーは燃費をよくするために軽量化に走り、筐体としての強度が疎かになっているのではないだろうか。他の交通事故でもここまで潰れるものかと思う事故が最近多いのは、事故の大きさだけが原因だろうかと思う。JR西日本の福知山線での事故で、先頭車両はマンションの中にめり込んでしまっているのを見て、電車があそこまでぺっしゃんこに潰れてしまうものだろうかと、驚いたのはまだ記憶に新しいです。
それと同じように今回のバスも防音壁がバスの車体の中にめり込んでいるのをみて、同じようにバスの筐体のもろさに驚いてしまた。
現代は構造計算の技術が進み、最小の材料で軽量化を図り構造強度も保つように、筐体を設計しているのだろうがそのあたりにも問題は無いのだろうかと思う。
乗客を守るために車体の強度を高める、設計方針思想も重要ではないのだろうか、と思ったのは私しだけだろうか。
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天台小止観 正修行 0006-1-2-1

天台小止観 正修行 0006-1-2-1

    正修行
    第六章 正修の行

先に止について書いてみたが、これからは観です。

観とはどのようなことだろうか、
その観を修習するには、まず観のことを知らなくてはとお思い辞書を開いてみました。
広辞苑に「真理を観察すること、また、細かな分別心」とある。
漢語林には「観心として、自己の心の本性を明らかに見きわめること」とある。

小止観には、対治の観と、正観の観の二つがあると書かれている。

「対治の観」とは、生きているといろいろな誘惑や欲望、良いことをしたときの満足心などがありる。それは、前者を「不浄観」といい、後者を「慈心観」という。我々の心の中にはこの相対する二つの心の動きがあり、日ごろの生活の中でそれに向き合っているもので、それとどのように付き合っていくのかが試されている。その心を対治の観と言われている。
修行の場で、この相反するイメージを思い浮かべて迷いを押し込めるのを対治の観という。
この「対治の観」について、世の中でいきて上で当たり前に起きることなので、この小止観にはこれ以上の詳しいことは、ここでは書かないといっている。

「正観」はどのようなものか、諸法の実相を観ずる智慧のことである。すべてのものをありのままに観察し見ていく智慧の働きで。仏はいわれている
「あらゆる一切のものは、固定化されたものではなく無常であり、瞬間、瞬間に心が造り出したものである。すべてが空であることがわかったならば、一切のとらわれの心は起こらないのである」と言っている。

先にも書いたが、坐禅を始めたころは心静かに落ち着けて、黙想しようと思っても、妄念雑念が返っていつもより湧き起ってきたりするものです。そんなときは無理にそれを押し殺そうとするのではなく、心思うに任せてしまうのも、一つの方法である。そして、その雑念が善いこと悪いことどちらでもないことでも、その中に貪欲・瞋恚・愚痴である煩悩の三毒や、無貧・無瞋・無痴の施慈慧の三善根がどのようにして、どこから起きて来るのかを観てみることにより、過去と現在の自分自身を振り返り己を知ることができるものです。自分自身を知らずして悟りや、無我の境地などにはたどり着けづ己の未来も見えてこないものです。雑念を無理に押し殺そうとして、息を凝らしたり一心に気を集中させたりすると、禅病に陥ったりしてしまうと言われている。もっとも悪いのは、その禅病を悟りとか不思議な力を得たと勘違いしてしまうことです。そのことがあるので、無理に雑念妄想を祓おうするのはよくないと言っているのであろう。その為にこの章では、事細かに無理にしてはならないと書かれているのであろう。

己の雑念妄念は、過去現在未来のどこから生ずるかを、知らなくてはならない。そして小止観にはそれぞれの対処のしかたが書かれている。
そのなかに、次のように解釈しろと書かれている。

・過去に在ったものであるとするなら、過去とはすでに滅したものである。どうして心だけがあり得ようか。
・未来に在るものだとするなら、未来は未だこないものである。どうして心だけがあり得ようか。
・現在に在るものだとすれば、現在は一刻として止まってはいない。つかまえどころがない。つかまえどころがないなら、心が在るということもない。

もし、雑念の原因が現在にあると思うなら、自分の相貌的知覚がどのようなものかを見つめ直すべきである。
また、雑念の源が自分で見つけられないなら、それは己では捕らえ所のないもので、自分で知覚できないものです、つまりは己の心の中にあるとは言えない。
このことは、自分の心の中から涌き起こっている雑念が、自分のものとは言えない、何か非常に哲学的で判らなくなってきます。
小止観にはこの後いろいろ書かれているが、
「そこでまさに知るべきである。心の相はつかまえどころがない。心には相がないのだから、心は存在するものではない。」と纏めている。

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「五体満足」と「五体知足」

「五体満足」と「健全なる精神は健全な身体に宿る」

「五体満足」を広辞苑を引くと「五体に欠けたところや不完全なところがないこと。また、そのさま。」とでています。
少し前に「五体不満足」という乙武洋匡氏の本がベストセラーになったが。この本の著者は生まれた時から、四肢に障害があり、その中で親からは他の子供と同じように躾られ育てられ、その結果一般の他の人と同等かそれ以上にたくましく生きてきたことが書かれている。本のタイトルの「五体」とは「頭・頸・胸・手・脚」すなわち四肢と額でが、それが不完全だと自分の身体とかけて、自分は人以上に努力し健全にいきているといっているのでしょう。

しかし、「五体」とは別の意味も持っています。
今回これからここで言う、「五体」とは筋・脈・肉・骨・膚です。身体の隅々まで、大気が血を介して行き渡り、大地の自然と一体になり、身体が充実した状態になることをさすとも考えられるでしょう。
人間が健康に生きていく上で、血の巡りをよくしないといけないです。呼吸を調え大気の酸素を吸って、その酸素を全身に巡らす。手足の指先まで酸素を行き渡らせ、腕や脚などの身体の筋肉のそれぞれにも行き渡らせる。そして臓器にも行き渡らせ、身体に溜まった淀んだものを浄化さして、身体の外に放出させる。この機能が運動や呼吸によって、筋・脈・肉・骨・膚により順調に行われることにより、人間の身体は健康に維持できるのです。
筋・脈・肉・骨・膚に十分な大気を満ち足りるようにいつも心がけていることは大切なことです。それを「五体満足」ではなく「五体知足}して、健康でいたいものです。

健康と言えば、「健全なる精神は健全な身体に宿る」という言葉があります。英語で書くと「A sound mind in a sound body.」なるこの、「sound body」を、「sound-body」と書くと「響胴」のことで、ギターやバイオリンなどの音を共鳴振動させて音を大きくさせる胴のことです。
弦楽器でこの「響胴」は非常に重要な役目をします。この「響胴」の作りが悪ければ、満足な音も出すことができません。これを人間のからだに置き換えて考えてみるとどうでしょう。日頃の身体の響き声を、感じ取る気持ちと心を大切に育むと、身体も健康健全になると考えられないでしょうか。健康な身体は気持ちを、晴れ晴れしくし健やかにします。
そして何よりも、新鮮な空気を吸い身体のなかで、その空気が共鳴しているのを感じられることが、健全な身体と言えるのではないだろうか。

五体も心も互に深く関係しあっているので、どちらも大切にして過ごしていきたいものです。

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ここ二三日気温が低めです。

このところ例年より気温が低くい日がつづいているが、今年は旧暦で見ると、三月が二回あり閏三月大の月で、卅日(30日)が新暦での5月20日にあたります。旧暦の暦でいくと暑くなるのはもう少し後になりそうです。旧暦は農暦とも言われるほどで、季節の移ろいにあった暦なのでしょう。
せっかく庭に夏野菜の苗を買ってきたり、種を蒔いたのだが気温が上がらないのなら、発芽や成長は少し遅れるそうです。

お話をもう一つ。
NHKのニュースでツバメを昔より見かけなくなったといっているが、私の住んでいるところでは、秋にはツバメを数多く見かけるのだが、そういえば私の小さい頃は近所でも、外出先でもツバメの巣をよく見かけました。しかしこのごろは昔ほどツバメの巣を見かけなくなっている。周囲の自然環境や街の住環境や作りが変わってきているせいなのでしょうか。いつまでもツバメやスズメは身近な生き物であって欲しいものですね。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 茶番の衆議院選挙
    アジシオ次郎 (10/05)
    おはようございます。

    民進党の解体、小池百合子東京都知事が立ち上げた希望の党、ハッキリ言って今回の選挙は乱立の様相を呈しそうですが、野党票割れを起こして自民党
  • 独裁者の国会解散
    竹林泉水 (09/26)
    > 政策に反対表明するための無抵抗なデモ行進、座り込みや集会を無理に解散させようとする警察官たちが、職務とは言え反対する人たちを排除しようとするのを見るとむし
  • 独裁者の国会解散
    風と雲 (09/24)
    民主的な選挙で政権交代がなされるようになり、政府への反対で暴力を使うことは、民衆の支持を失い反発され逆効果になるようになりました。>政策に反対表明するための無抵
  • 独裁者の国会解散
    竹林泉水 (09/24)
    日本人は長いものにはまかれろ、付和雷同性の国民性もあるのは確かだと思います。それは別段日本人に限ったことではないと思います。
    第二次世界大戦でフランス政府はドイ
  • 独裁者の国会解散
    風と雲 (09/23)
    かかる為政者の存在を許してきたのは、日本人の「ながいものにまかれる、お上に任せば・・、なるようにしかならない」と付和雷同性の強い国民性に由来するものではないでし
  • フェイクニュース
    アジシオ次郎 (09/16)
    おはようございます。

    ネットの普及に伴い様々なニュースが見れるようになった昨今、ただ自分の好みに合った情報しか信じないという弊害が出ることもそうだし、多様性を
  • ギャンブル依存症に顔認証は問題
    竹林泉水 (09/10)
    顔認証技術が進み、個人の識別だけに利用されるならまだしも、個人の管理に利用されるのは非常に問題が多いと思います。

    松井知事の発言があまり問題になっていないのも不
  • ギャンブル依存症に顔認証は問題
    アジシオ次郎 (09/09)
    こんにちは。

    いくらギャンブル依存症対策とはいえ、入場確認や顔認証システムを導入するのは一部から「プライバシーの侵害だ」と批判を浴びてもおかしくありませんね。
  • 終戦の日の前後のテレビ番組
    竹林泉水 (08/23)
    国際的な政治・外交問題は素人的な言い方をすれば、早い者勝ちで勝ち逃げすればセーフ的なところがありますね。
    国の名前に「帝国」冠して大日本帝国として、そのころ時代
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