竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

明後日は節分、節分の次の日は、立春

明日 明々後日の2月3日は節分、節分の次の日は、立春 日本の暦で言うと、立春から季節が、春に向かってゆく大切な基準日です。季節の移り変わりを示す、八十八夜、入梅、土用、半明日は節分、節分の次の日は、立春 日本の暦で言うと、立春から季節が、春に向かってゆく大切な基準日です。季節の移り変わりを示す、八十八夜、入梅、土用、半夏生、彼岸、二百十日など、この立春をもとに決められます。
夏至や立秋や冬至は、立春と同じく太陽の運行をもとに算出されます。

この日ぐらいから、夜明けの時間が毎日一分ずつ程早くなってきます。
今日の夜明けが 6:25 で、日の出が 6:58 です。そして、日が暮れるのもだいぶ遅くなってきました。
1ヶ月後の3月1日の夜明けが 5:57 日の出が 6:28 です。すぐに「春眠暁を覚えず」ですね。

節分の日には、柊と鰯の頭と豆まきで厄払いします。
翌日の立春は、新しいこの節目を、お祝いをすることにします。そこでなにを食べてお祝いしましょう。

季節の食べ物は今が旬の、寒鰤(カンブリ) 鮃(ヒラメ) 公魚(ワカサギ) 水菜(ミズナ) 河豚(フグ) 鱈(タラ) 鰈(ヒラメ) 鮟鱇(アンコウ)などなど、ご馳走をいただきましょうか。いやいや、蟹(カニ)でしょうか。
それとも、小豆粥か茶粥がよいでしょうか。七草粥をするために、野に摘みに行くのもいいかもしれませんね。

--
お詫びします。
節分は明後日2月3日ですね。すみませんでした。
一日ずれていました。
関連記事

心下に於いて自ら数鍼を下す

吾万に事を処せんとす 必ず先ず心下に於いて自ら数鍼を下し 然る後事に従う
佐藤一斎  言志四録 一ノ二三

私が何事をするのに当たっても、鍼灸で体を治療するとき、初めに痛むところから鍼を刺して痛みを治めるように、心の奥底を見極めて充分に考え抜いて事に当たる。
この言葉の前には、次のような事が書かれている。「心下痞塞すれば 百慮皆錯る」
心の奥底が塞がって考えが行き詰まってしまえば、どんなに考えても行いは誤ってうまく行かない。

この不景気で先行きが不透明なときこそ、この言葉のように充分に準備して取り組まないといけない。その場の目先の事や、周囲の流れに押されて事を進めると必ず失敗してしまう。
時の政治にかかわる人もこの言葉を心して欲しいと思います。

関連記事

白隠禅師の逸話  もう一つ。

白隠禅師の逸話  もう一つ。
白隠禅師の務める寺で、いつも修行僧と白隠禅師の食事が別で、しかも、白隠禅師自身が自分の食事を作っていた。
一人の修行僧それを見て、立派な高僧である白隠禅師と我々の食事とは別で、さぞ美味しいのだろうといつも気になっていた。ある日、寺の厨房の前を通ると、そこには誰もおらず、白隠禅師の食べる土鍋が竈にかけられ湯気を立てていた。そこで、その僧は以前から気になっていた、白隠禅師の食事はどんなものだろうと、確かめることにした。土鍋の蓋を開けると、何とも言えない異様な臭いがして、見た目にも黒ずんでいるものがクツクツと音を立てていた。少し味見をしよう匙ですくい一口に入れてみた。しかし、そのとたん今までに口にしたことがない、余りにも変な味がするので、思わず口から吐き出してしまった。ちょうどその時白隠禅師が入ってきて、「これは、おまえたちの食べるものではない、おまえたちが食べ残したものだ。食べ物を粗末にしてはいけない、そこで私はおまえたちが残したものを、集めてこうして食べているのだ」

なかなかこのようなことはできないですね。母親が子どもの残したものを食べるのとは違いますね。
托鉢で乞食をした残り物いただく。「もったいない」精神と、ものを無駄にせず、ありがたくいただけることに、感謝しなくてはいけないですね。



関連記事

東京大学の9月入学

東京大学が全学部での9月入学をうちだしてから、他の大学も9月入学を検討している。

これについて、私の浅はかな頭で無責任に考えたことです。

高校までは4月入学
大学は10月入学 (4月から9月の空白期間)
企業は5月入社 (9月から5月空白期間)

それでは高校から大学、大学から就職までの、空白の半年間はどうすするか。
それは、国などが独立機関を設置し、それの半年間を、福祉の介護施設で、ボランティアや僻地農漁村での就労させる。一ヶ月の重なったところは、引継期間を綿密の行うためです。
大学はこの半年間の活動の報告させて評価し単位を与える。
企業も、半年間の報告書を提出させ、活動の内容により人事評価をし査定する。

簡単に言うと、若い青年を勤労奉仕による体験により、実社会での経験をつませるのです。
また、この実社会での体験をして進路変更を考え直す人には、何らかの支援や優遇を設けるのがいいでしょう。

私のたわごとです。最後までおつきあいいただきありがとうございました。

関連記事

節分が3日・立春が4日 か 節分が4日・立春が5日

今日は節分だが、先日知人と話していて、節分は年により日にちが変わると言うと、そんなことはない毎年同じだと、しまいにはバカにするしまつでした。
なんどいっても、わかってくれませんでした。

そこで、調べてみると知人がそのように思うのも、当然かもしれませんでした。

私は60を過ぎていますが、私が生まれてからこのかた、節分が4日・立春が5日の年は10回しかなく、節分が2日・立春が3日の年は一回もなかった。そのうえ、1984年以降はずっと立春が4日でした。

そしてさらに調べると、立春が5日の年は、今世紀中にはないです。しかし、立春が3日の年は2024年にあり、それ以降今世紀中に34回あるようです。

ことしのように、節分が3日・立春が4日がほとんどのようです。

関連記事

文明とは道の普く行はるゝを賛称せる

文明とは道の普く行はるゝを賛称せる言にして、宮室の壮厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。
西郷隆盛  西郷南洲遺訓  

人生や世の中を広く全体のすみずみまで、物事の順序・方式に従って執り行えるのを誉め讃えることです。  
目先のことや外見や外面の上辺だけを、取り繕って行われることを言うのではない。  

国会中継を見ていて、与党も野党も砂上の楼閣を建てるのに、互いに揚げ足の取り合いをしているように思われる。外見や国民からの目先の受けだけをねらった、質疑と答弁で甚だ遺憾に思ってしまいます。また、互いの答弁にも品を感じないのも大人げなく頂けないです。   

中国明末期の文人、陸紹コウ(王偏行旁)が書き綴った「酔古堂剣掃 五巻 素」に  
田園に真楽あるも 瀟洒ならずんば終に忙人となむ  
誦読に真趣あるも 玩味せずんば鄙失とならむ  
山水に真賞あるも 領会せずんば終に漫遊とならむ  
吟詠に真得あるも 解脱せずんば終に套語となる   
とあります。    

自然の田園のなか本当の楽しみがある。すっきりと洗練されてないと、落ち着きがなくなりせかせかと動き回ってしまうだけになる。  
よい詩などを声を出して読むと、本当の味わいを知ることができる。いくらよい詩でも噛みしめて意味や内容をよく理解して味わなければ、卑しく品がなくなりただの匹夫になってしまう。
山水の中に自然の本当の趣をさとるのがよい。そのよいところがわからなければ、気の向くままに遊び巡るだけで終わってしまう。
詩を詠ったり作ったりすると、本当の味わいがわかり身についてくる。この世の欲や恨み妬み怒りに未練があるなら単なる戯言になってしまう。

つらつら思うに、今の政治家は政治の事はよく知って、政治家としての教養や人格はあるようだが、人の揚げ足をとったり、言語明瞭意味不明のことを言ったりしている。昔の政を担っていた人の言葉と比べると、人としての品格や人格が言葉として滲みでて来てい。
このように感じるのは私だけだろうか。

かく言う自分もそのような素養を持っていないで、これ以上言うのは控えることにします。

関連記事

白隠禅師の逸話 また一つ

白隠禅師の逸話 また一つ

松蔭寺に白隠という偉いお坊さんがいて、その高名を慕って全国から教えを請いに、たくさんの人がやって来ていた。備前国の池田家の藩主池田継政候が、参勤交代で江戸の下る途中、原の宿を通るたびに松蔭寺に寄り、禅師の話を聞くのを楽しみにしていた。
ある年、お寺に寄った継政候をもてなそうと、典坐の小僧がとろろ汁を作るために、すり鉢を用意しているとたった一つの大きなすり鉢を誤って割ってしまった。小僧は叱られるのを覚悟で、継政候と対談中の禅師のところに報告にいきました。すると禅師は「因縁成就」とただひとこと言っただけでした。それをみた継政候は小僧を責めもしないのに関心しました。そして、対談が終わると、「道中のことでなにももっていませんが、国へ帰るとなにか差し上げたくぞんじます」と尋ねました。
禅師は、「さきほど料理用のすり鉢が割れてしまいました、すり鉢を一ついただけませんか」と答えられた。
継政候は禅師の無欲に驚かれ、江戸に下られました。そして後ほど、備前焼の大きなすり鉢が届けられたそうです。そんな折りに寺の松の木が、大風で折れてしまいました。禅師はそれを見て雨が染み込んで腐っては困ると、継政候から戴いたすり鉢の中から一つを選び、折れた先にかぶせたそうです。それから後、すり鉢は落ちることなく、松の木もすくすくと育ち続けたそうです。
1685年生まれの白隠禅師が六十歳代の頃の話だそうだから、今から260年程前の逸話になります。しかし松の木の樹齢は、さらにさかのぼることになり、この松も寿命だったのでしょうか。因縁成就です。

すり鉢松のすり鉢は昭和六十二年に、その時の松蔭寺の中島玄漿師が、白隠禅師ゆかりの大切なすり鉢を割っては困ると、特注で作ってもらい交換して、三〇㍍近い木のてっぺんに据え付けたそうです。取り外した初代のすり鉢は、同寺の宝物館に収蔵されているそうです。
しかし、此の松も、平成に入ってから、立ち枯れがすすみ、檀家たちの供養のもと切り倒されてしまったそうです。

初代の松の松ポックリから種を取り、実生から育てた後継木が三、四十本あり、同寺に残るほか、一部は同寺ゆかりの寺院に分けられて、松の子孫が後世に引き継がれているそうです。
今あるすり鉢松は白隠禅師の逸話を伝えるための、二代目になるわけです。
関連記事

其人口を莟めて言無かりきとて笑われける

西郷隆盛は、西郷南洲遺訓で、このあとに次のように言っている。   
「世人の唱ふる所 何が文明やら 何が野蛮や些とも分からぬ 予嘗て或人と議論せしこと有り 西洋人は野蛮ぢゃと云いひしかば 否な文明ぞと争う 否な野蛮ぢゃと畳みかけしに 何とて夫れ程にもうすやと推せしゆゑ 実に文明ならば 未開の国に対しなば 慈愛を本とし 懇々説諭して開明に導く可きに 左は無くして未開朦昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば 其人口を莟めて言無かりきとて笑われける」   

明治維新前後の、勤皇の尊皇攘夷だけでなく佐幕派も同じように思っていたであろう。現代の国際社会の通念では、驕り高ぶっているような所もありますが、気高き武士としての誇りと品格を大切にしていることを感じます。  
文明やら野蛮やらとについては、その民族の誇りを無視して、埒もあかないこをとりとめもなく議論をする人を、ひょっとすると今の方が見うけるのではないだろうか。そうなると明治時代からさほど進歩していないというより、品格が下がってしまっているのでしょうか。 



関連記事

二つの駅のトイレ

二つの駅のトイレ

昨日、二つの私鉄を利用したが、そのとき両方の電鉄会社の駅でトイレを利用した。すると一方の電鉄会社のトイレの壁に「いつもトイレを綺麗に使っていただき、有り難うございます」の啓発シールが貼られていました。一方の会社は「みんなが気持ちよく使えるように綺麗に使いましょう」の啓発シールが貼られていました。この二つの会社の姿勢が窺える要に思えます。

前者の会社は、日本ではいち早く優先座席を設けた会社で、お年寄りや障害者などへの労りの気持ちが定着してきたとして、全座席が優先座席だと云う趣旨で、日本で初めて優先座席を廃止しました。しかし残念なことに乗客のマナーは、まだそこまでいっていなかったようで、優先座席は復活してしまいました。

数年前にJRを利用したとき大阪のある駅のトイレには次のようなの趣旨の啓発シールが貼が貼られていました。「差別落書はやめましょう・・・・」。たかがトイレの落書きですが、されど落書きです。
この三つの違いはどう考えたらよいのでしょうか。
大阪のある駅で「いつもトイレを綺麗に使っていただき、有り難うございます」の啓発シールを貼るとどのような効果になるでしょうか。
しかし「差別落書はやめましょう」のシールを貼るよりは落書きはすくなくなるかもしれないですね。

トイレットルームの神様はどのように視られているのでしょうか。

御手洗いの神様、浮上の神様、憚りの神様、雪隠の神様、厠の神様、手水の神様、洗面所の神様、化粧室の神様、怖れおおきことを書いてしまいました。


--
追加 2月9日
商売の神様のことにつて書いてあるブログに、トイレ掃除のことについての記事がありました。
http://blogs.yahoo.co.jp/tuiteru_so_wa_ka/3381237.html




関連記事

自己の革新  

自己を新たにするにも、他によるのと自らするのと二ツの道がある。   
幸田露伴  努力論   

簡単に言うと、自分を新たに成長させたのは、自分の努力によるものか、他からの力を借りて成長させたのか、この二通りがあるがどちらが良い悪いというのでない。   

露伴はさらに次のように言っている。   
「他力によって自己を新たにするには、何より先に自己を他力の中に没却しなければならない。」そして、人々が自ら新しくしようしなくなると、国は老境に入ってしまうと言っているが、「他力に頼って自己を新たにしようとするにしても、信というものは自己によって存するのであるから、即ち他力に頼る中に自己の働きがる。」と書いている。   
筍子の勧学に「蓬麻中に生ずれば扶けずして直し」とあり、詩経の小雅 鶴鳴には「他山の石 以て玉を攻むべし」とあります。
筍子の言うように、長く成長した蓬でも麻の中に成長したら、真っ直ぐ伸びざるをえない。孟母三遷でしょうか?
詩経に書かれているように、粗悪の石でもそれを砥石として玉石を磨けるように、他人の力を吸い取り盗み取りながら成長してゆく。
多くの人は、この二つのうちのどちらかではないでしょうか。

「自ら新たにするの第一の工夫は、新たにせねばならぬと信ずるところの旧いものを一刀の下に斬って捨てて、余蘖を存せしめざることである。」
このつぎに露伴は、畠で野菜を育てていて雑草がはびこってしまえば、今まで育てていた野菜も捨てたり、土を入れ替えたりしてから、新たに野菜を植え直すことをすることを例えている。

このように、今までの習慣や考え方が悪いものだと分かると、思い切って捨てることがよいのだが、なかなか未練や今までのしがらみを棄てる事は難しいです。しかし何処かでそれをしないと、新しい自分を改革することはできないでしょう。


関連記事

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 8 1/5

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 8 1/5

呼吸

先に坐法や軟酥の法を書きましたが、これらを行うに当たって呼吸を調えることを先ずしなくてはなりません。
自分自身を見つめ直す意味を込めて、夜船閑話に書かれている、呼吸のところを改めて読み直してみたく思う。しかし、始めに注意しなければならないことがある。

身息心を調える上で軟酥丸スイーツでも書きましたが、効果もあり重要な方法ですが、一歩方法を間違えると危険でもあるようです。
白隠禅師が夜船閑話でも告白しているように、若いときに悟りを開くため一心に修行に励んで、忽然と悟りを開くことができ、今以上に大悟しようと厳しい修行に取り組んだ結果、しばらくすると心火逆上し目は充血し耳は絶えず蝉が鳴くようになり、重い禅病にかかってしまったと言っています。これは、修行法を間違ったためと、あとで回顧しています。
禅病になった白隠禅師は、隈無く医師を回ったが、病を治す事ができなかった、そこで京の白川に居する白幽仙人がいると聞き教えを請いた方法が軟酥法です。

呼吸は他の自律器官と違い、山に登ってきれいな空気をいっぱい吸おうと深い息をしたり、水に潜るときなどは息を止めるなどをします。生理器官は心臓などの自律神経に支配され自分の意志でその働きをコントロールすることはできません。しかし呼吸は生理器官ですが他の自律器官とちがい、意識的に自分で呼吸をコントロールすることができます。呼吸法はこの呼吸の自律神経の活動をセルフコントロールする能力を養うわものです。
呼吸を意識的にしていると、意図しないのに緊張や痙攣が起きることがありこれを自発動といいます。しかしこの自発動を悟りだとしたり、不思議な感覚として追求してしまってはいけないです。白隠禅師も修行時代この感覚を悟りと、勘違いしてそれを追求して禅病になってしまったようです。
夜船閑話にはこの自発動についての対処の仕方も書かれてあります。もし自発動が出てきたら、中断するか、それを弛めないといけないといわれています。
夜船閑話はこの呼吸法についての要諦が書かれているので、これからそれを読んでいきます。

つづく

関連記事

漁歌 浦に入って深し 

酬張る少府  王維   

晩年唯好静  
万事不関心  
自顧無長策  
空如返旧林  
松風吹解帯  
山月照弾琴  
君間窮通理  
漁歌入浦深  

晩年は唯だ静を好む  
万事 心に関わらず  
自ら顧みて長策無し  
空如として旧林に返る  
松風 解帯に吹き  
山月 弾琴を照らす  
君は窮通の理を問うも  
漁歌 浦に入って深し  

晩年に近づいてくると 静かなことを好むようになり 変化を望まなくなる  
世の中のすべてのことに 関心を引かなくなる  
自らを振り返りみても 長い方策を見いだせない  
むなしくただ もといた林に戻ろうとする  
松風は くつろいだ身体を吹き抜け  
琴を弾けば 山の月が照らす  
あなたは、人の世の栄華と困窮を問われるが  
融通無碍な歌が 岸辺深くまで聞こえている。  


私自身一回りした歳を過ぎて、人生の後のことを考えるようになってきたが、まだまだ私はここまで行き着いていない。
最近は世の中の流れに対して付いていけないのか、どちらかというと嘆きを感じることが多い。そのためか、あまりにも急展開するのには、戸惑いを感じてしまう。
この「静を好む」だろうか。だけど私には、竹林の方丈庵に住ましても、「弾琴」の優雅さもなく、「漁歌」の滄浪歌も未だ遠い道です。


関連記事

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 8 2/5

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 8 2/5

まずは白隠禅師の「夜船閑話」には次のように書かれています。
「若し人察せず 観照或いは節を失い 志念或いは度に過ぐる時は 心火熾衝して肺金焦薄す 金母苦しむ時は 水子衰減す 母子互ひに疲傷して 各々五位困倦し 六属凌奪す 四大増損して 各々百一の病を生ず 百薬功を立する事能わず 衆医総に手を束ねて 終に告る処なきに到る」とかかれている。簡単に言うと、息苦しくなり熱はでてきて、悪寒がしてはれぼったくなる。こうなるとどんな医者に診て貰っても治らない。
このあと、白隠禅師は人の体を国の政に例えて述べている。「蓋し生を養ふは国を護るが如し 明君聖主は 常に心を下に専にし 暗君庸主は 常に心を上に恣にす」養生と言うのは、国を護るようなもので、明君は常々国民のことを思う、暗君は 常に国民のことを考えずに上のことしか考えない。

要は、体の生理の理屈などを考えずに、養生だからといって、テレビや人伝に聞いた方法を鵜呑みにして、がむしゃらにまねて行うと、身体が火照ったり息切れがしするなど血行障害になったりして、内臓までもが患い不調になってしまうと言っている。
若い時の白隠禅師の禅病も、がむしゃらに修行に励んだのが原因のように思える。
そして、人間の身体は世の中の政治や制度と同じように、滞って知るといけない。頭で考えてするのでなく、自身の身体をよく感じ意識して行わないといけない。

次から呼吸法について、私が調べたり実践したことを書き連ねるが、早く結果を出そうとしたり、過度に取り組み過ぎたりしては、身体を逆に壊してしまうおそれもある。無理せずに意識しすぎて緊張をさせたりするのではなく、弛めることを意識し、異常を感じたらすぐに中止することでしょう。

つづく

関連記事

凡そ事の妙処に到る

凡そ事の妙処に到るは 天然の形勢を自得するに過ぎず 此の外更に別に妙無し  
言志録 佐藤一斎

世の中のどの様なことも、何とも言いようのない味わいになのは、物事が変化するその時その時のありかたを、自分の力で理解し会得するこに他ならないだけで。それ以上のことはなく、実際のありさまや本当の姿は、何とも言えないほど素晴らしいとしか言いようがない。

素晴らしい、和歌や、漢詩や、琳派の絵画や水墨画だろうが、どんな近代のテクノロジーだろうが、奥深く微妙なこと。趣が深くすぐれていることに、自然の奥深さと成り行きがあり、常人にははかりしれない不思議な真理がそこにはある。それを自分の力で悟ること。自分自身で理解し、自分のものとすることがいいのでしょう。
それを追求するのが、仏教で言うなら修行であり、武道や芸事なら稽古でしょう。

関連記事

ようやく我が家のロウバイも、ちらほらと咲だしました。

ようやく我が家のロウバイも、ちらほらと咲だしました。
ほのかによい薫が漂っています、


    


もう少しして、他の蕾もほころびたら、茶花活けて、お薄でもいただこうと思います。
関連記事
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

記事の整理棚
禅 (2)
最新の30の記事
月別の過去の記事
05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   09   08  
単語による記事検索
竹林の過去の戯言のタイトル

過去の記事タイトルを100件づつ表示します

記事へのコメント
  • これからの世界情勢
    アジシオ次郎 (05/15)
    こんにちは。

    移ろい易い国際情勢、韓国とフランスで大統領が代わり、欧米ではポピュリズムに訴えて支持を伸ばす政党が台頭するなど、予断を許さない状況ではあります
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    竹林泉水 (05/11)
    > 2006年に安倍晋三は「新しい国へ 美しい国へ」という本を書いています。
    これについて、追加です上記のタイトルの本は、2013年に増補として出されたもので、2006年の
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    竹林泉水 (05/11)
    2006年に安倍晋三は「新しい国へ 美しい国へ」という本を書いています。
    それを読んだらわかるのではないかと思います。
    70年前の日本を取り戻したいと思っているようで
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    風と雲 (05/07)
    安倍政権になってから、日本の国をどういう風にしたいのか、何が今の日本で足らないのか、不整備だとしているのかさっぱり分らない。70年間大きな過誤なしに比較的平和に
  • 今村氏の発言より二階氏のマスコミへの苦言
    竹林泉水 (04/29)
    > 自民党・二階幹事長のこの発言は「報道規制」につながりかねないが、自分たちに都合の悪い情報や報道を・・・・
    マスコミがこのことに対して抗議しないのは、すでに
  • 今村氏の発言より二階氏のマスコミへの苦言
    アジシオ次郎 (04/28)
    こんにちは。

    自民党・二階幹事長のこの発言は「報道規制」につながりかねないが、自分たちに都合の悪い情報や報道を抑圧しようとするのは客観性がない以前のもので、
  • 山本大臣の発言
    竹林泉水 (04/22)
    自民党の議席を多数とったことによる驕りと、下野に下った時のトラウマがあり、自分のすることが正しい思いこんでいるのでしょう。

    アメリカ追随が自民党の一部の反動的
  • 山本大臣の発言
    アジシオ次郎 (04/21)
    こんにちは。

    どうも閣僚や若手議員の不祥事が相次いでいる自民党、正直言って自分たちは政権与党だとか一強状態なことから慢心して周りが見えなくなっているんじゃな
  • 社会の管理化が巧みになり監視社会になるのか
    竹林泉水 (04/07)
    愛国者法での通信傍受は、国民は当初、イスラムなどのテロ犯罪者対象と思っていたが、アメリカ国民全員の通信が監視傍受されていたいいます。

    ツイッターやフェースブッ
  • 記事へのトラックバック
    ブロとも一覧

    うたのすけ

    山下道場

    荒野鷹虎

    海空居士

    紀瀬美香

    marihime

    お父さんの旅

    キラベル

    silver camellia

    kbrkのつぶやき

    魚京童!

    俊樹

    アジシオ次郎

    ほんわか?絵日記

    吾輩と旅と副業

    Chronos Moon

    ざっくり読書感想文

    Taiwa Sato

    びとら

    Resale Japan

    QWERT 5w1h

    (o ̄∇ ̄o)♪

    HIROGACHAN+

    しんのすけたろ

    勝ち組の日経225

    ハセッチブログ

    五月雨 時雨

    諭吉

    さくらさくら1
    ブロとも 申請フォーム

    竹林乃方丈庵のブロとも申請はこちらからです。

    Webページへのリンク
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ

    更新履歴
    今日の暦と天気

    日めくりカレンダの説明

    ■2016年旧暦 日月の出入■

    01 | 2012/02 | 03
    ---1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    26272829---

    ★☆今宵の夜空☆★

    NHKらじる★らじる
    大阪東京第2FM大阪
    何の日



    ご訪問ありがとうございます
    竹林泉水のTwitter
    FC2掲示板
    [ブログ記事へのコメント 掲示板のレス 感想など]
    ■□FC2のブログ□■
    _/_/_/竹林乃方丈庵を_/_/_/
    _/_/_/ リンクに追加 _/_/_/
    □■□■徒然諸諸■□■□ □■□■心の時代■□■□ □■□■息身心/健康■□■□ ----- □■□■厚生福祉■□■□ □■□■その他■□■□
    □■FC2以外のブログ■□
    諸諸 徒然 「身・息・心」 こころの時代
    RSSリンクの表示
    QRコード
    QR