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謡曲「佐保山」 名物奈良晒しと佐保山の白雲

謡曲「佐保山」から、奈良の名物奈良晒しと佐保山の白雲

江戸時代の井原西鶴の「世間胸算用」に、奈良の名物として奈良晒の話しがあります。そこには江戸時代には奈良奈良晒しを扱う大きな店があったことから、奈良の基幹産業の一つだったことが分かります。麻の布は晒さずそのままでは、カタくゴワゴワするので、晒して柔らかくする技術が必要で、奈良の地域はその技術が発達していたようです。
奈良晒しの店、中川政七商店のWebページを見ると、次のように書かれています。「奈良晒の起源は、鎌倉時代にまでさかのぼり南都寺院の袈裟として使われていたと記録されています。」

能の「佐保山」の藤原俊家は、寛仁3年(1019年) - 永保2年(1082年12月23日)ですから平安時代中期の人です。すると、この佐保山の衣の晒しは、話し的には時代が少し早いですが、当時は綿花はまだなかったでしょうから、麻の布を晒す技術は黎明期としてあったとも考えられます。
さらに「佐保山」は金春禅竹の作と言われています。それにより室町時代につくられたと言えます。奈良では奈良晒しの産業すでに盛んになっていたと思われます。
麻の布のつくりかたは、1.苧うみ(製糸) 2.織布 3.晒しの三つの工程がありで、3の晒しがその質を一番左右するものです。

謡曲「佐保山」に次のようにあります。

藤原俊家一行が氏神である春日明神に参詣しにいく途中、佐保山の上白雲がみえるが、あれは雲ではなく衣を干しているのではないか。それを確認しに佐保山に調べにいきます。

藤原俊家「実に/\これなる衣をよりて見れば。銀色かゝやき異香薫じ。誠に妙なる白衣の。よく/\見れば縫目もなし。さてこれは何と申す衣にて候ふぞ。
里の女「げによく御覧じ咎めて候。これは人間の織衣にあらずある歌に。裁ち縫はぬ衣きし人もなきものを。
詞「何山姫の布さらすらんと。かやうに詠みしも此衣なり。
シテ従者「もとより山に住み人の。人間の交はりなき故に。かゝる衣も世の常ならず。
里の女「その上仙人の衣をば。
二人「裁つこともなく縫ふ事も。なき世のためしは稀にだに。いさ白衣の羽袖の色。妙なりと御覧候へとよ。
藤原俊家「実に裁ち縫はぬ衣の事。

このことは、藤原俊家が白雲の正体を探しにいったのは、この麻布を晒しているのが目に留まったのでしょう。

また、
詞「仙人の衣と聞きしなり。さては仙境にや入りぬらん。然らば御身も仙女やらん。
里の女「いや仙境まではなけれども。処は佐保の山辺なれば。もし佐保姫とや申すべき。
藤原俊家「不思議やさては佐保姫の。霞の衣とよみたれば。此裁ち縫はぬ薄衣ももしは霞の衣やらん。
二人「いや裁ち縫はぬ衣ほせばとて。
藤原俊家「さては霞の衣かとは。
二人「あら謂なの御言葉や。
地「裁ち縫はぬ衣ほせばとて佐保姫の。/\。袖も緑の糸はえて。縫ふ事はなくとも。霞の衣ならば。裁つことはなどかなかるべき。これは裁ちもせす縫ひもせず。まして糸もて織る事も。嵐になびく羽衣の。袖も褄もにほやかにうららなる日に晒すなりうらゝなる日にや晒さん。
ともあります。

これは、麻で布を作るとき、積んで撚りをかけて経糸(縦糸)として作り。緯糸(横糸)を杼(シャトル)に入れ、機にかけて布に織って布のする。この横糸が目立たない縦糸が際だつ織り方を物語っているのではないでしょうか。

すでに、奈良はこの晒しの技術が高かったと思われます。井原西鶴の「世間胸算用」によると非常に高く、全国から注文があったようです。

おまけ
奈良の名物が出たので。
江戸時代三都名物
【江戸】武士 鰹 大名小路 生鰯 茶店 紫 火消し 錦絵
【京都】水 壬生菜 女 羽二重 御簾屋みすや針 寺に織屋に 人形 焼物 
【大坂】橋に舟 お城 芝居 米相場 惣嫁 揚屋に 石屋 植木屋

そして、奈良の名物は
【奈良】大仏、鹿の巻筆、霰酒、春日灯篭、町の早起き
これは、桂米朝の落語「鹿政談」にでてきたものです。

こうありますが残念ながら、奈良晒や大和晒し、南都晒しなどはないですね。

因果は巡る小車

周防 長門の民話

 因果は巡る小車

むかしむかし、あるところに、一人の腕の良い猟師がいました。
ある日の事、猟師がキジを捕りに山へ出かけると、少し向こうの地面から一匹のミミズが出て来ました。
猟師がミミズを見ていると、そこへカエルがやって来て、そのミミズをパクリと食べてしまいました。
そしてそのカエルを見ていたら、今度はヘビが近づいていき、そのカエルを飲み込んでしまいました。
そしてカエルを飲み込んだヘビは満足そうに休んでいると、突然、空からキジが飛んで来て、そのヘビを握り掴まえて空に飛び上がると、高い空からヘビを落とした。そしてまた、キジはそのヘビを握り掴まえて再び上空に舞い上がり、上空から落とすことを繰り返した。このようにキジはヘビをもてあそびヘビを弱らせ、しまいに鋭い嘴で突き殺してしまいました。そしてその場でおいしそうに食べてしまいました。
猟師は、そのようすに見とれていたが、はたっとキジを捕りに来たことを思い出しました。そうして猟師は、ヘビを食べてお腹が大きくなったキジに狙いを付け、鉄砲を構えました。
そして引き金に指をかけながら、ふと、こんな事を考えました。
  ミミズは、カエルに食べられた。
  カエルは、ヘビに食べられた。
  ヘビは、キジに食べられた。
  そしてキジは、おれに狙われ殺され、誰かに食べられる。
  そうすると、次に狩られるのは、またそのキジを食べた人は・・・・と・・・・。そう考えると、怖くなって指に力が入らなくなり、鉄砲の引き金を引くことができなくなりました。
そこで猟師は鉄砲をしまい、山を急いで下りていきました。

するとその猟師の背後から、不気味な声が聞こえてきました。「猟師よ、命拾いをしたな」と。
猟師がびっくりして後ろを振り返ると、木々の暗闇の向こうに大きな二つの目玉が金色に光っていたのです。
猟師は鉄砲を放り投げ、一目散に逃げて行きました。

宮沢賢治の「注文の多い料理店」を思わせるはなしでした。
もう一つ以前、このブログに「カマキリとチョウ」というタイトルで記事を書いたのを思い出した。

落語『百年目』

桂米朝の落語のCDがあるのでその中の『百年目』を聴いてみました。
『百年目』は、口うるさく堅い番頭が手代や丁稚などに小言を、重箱の隅を爪楊枝でつつくように厳しい番頭の話です。しかし実はこの番頭は芸者遊びの方もたけているが、店の者のにはそれを隠している。ある日芸者と船遊びにいっているある時、大判に振る舞っているところを主人に見つかってしまいます。そこで番頭がこんなことを見つかたので、自分は首になってしまわないかと夜も眠れず心配をする。朝になり結界の中に座り仕事をしていると、主人に呼び出され次のような話をして諭される。

「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか」
「いえ」
「お寺の講釈で聴いた話だが、それは、『五天竺の中の南天竺に赤栴檀と言う立派な木があり、その下に難延草という汚い草が沢山茂っていた。ある人が見苦しいので難延草を取ってしまうと、赤栴檀がだんだん弱り枯れてしまった。調べると赤栴檀は難延草を肥やしにして育ち、難延草は赤栴檀の露で育っていた事が分かった。赤栴檀が育つと難延草も育った。赤栴檀の「ダン」と難延草の「ナン」を取って”ダンナン”と言う、それが檀那になった。』と言う。こじつけだろうが、私とお前の仲は赤栴檀と難延草で上手くいっているが、店に戻ってお前は赤栴檀、店の者が難延草、赤栴檀は元気がいいが難延草は元気が無い。少し難延草に露を降ろしてやって下さい」。

番頭の店の手代や丁稚の働きがあってこそ、番頭の働きが活きてくるもので、ただ不甲斐ないからと言って締め付けたり厳しくすると、逆にその芽を摘んでしまうことになる。この檀那のはなしのようにお互いに支え合えることが、大切だとこの落語は教えているのでしょう。

旦那について辞書でしらべると、旦那=檀那は、仏教から来た言葉で、サンスクリット語のダーナの音写。ダーナは「与える」、「贈る」という意味で、「布施」と漢訳される。中国・日本では寺院、僧侶に布施・寄進する施主、仏教の後援者という意味。と載っていた。つまりこの話は作り話ということだが、味わい深いところがあります。

それはともかうとしてこの話と、トランプ大統領の言動や、安倍首相が大企業が潤えばその果実は下に行くと言う言葉とダブってしまった。安倍総理がいいたいのは、つまり大企業が「赤栴檀」で零細企業や国民は「難延草」と言うわけだ。しかし「赤栴檀」である大企業に資源が集中し儲けても、それが国際競争に勝っために蓄えられ、利益である「露」が「難延草」行き渡らないです。安倍総理の果実が降りてくるいうのは、屁理屈でしかないようです。

この旦那のはなし、英語では [trick dow] のことで、日本語では[したたり落ち おこぼれと]となるので、滴り積もりて淵となるということわざもある。
しかし、淵となったり大きな果実になるのは、「難延草が枯れたら赤栴檀も枯れる」という互いに運命をともにする緊密な関係があるという意識が自覚が互いにあることにより成り立つでしょう。

この旦那の「赤栴檀」と「難延草」の関係の話を、大企業のオーナーや経営者にそして、果実滴り落ちると信じている政治家にも話してやりたいものです。
しかし、経済がグローバル化した中では、投資家などが利益を追求するあまり節度を失い責任感や倫理性を欠いてしまっているのが現状です。そこには「難延草が枯れても、次の難延草を見つければよく、赤栴檀は栄え続けるる」と思っている人が勝者であり続けるならこの話には聞く耳をもたないでしょう。

アメリカ大統領の名言

先日、アメリカ大統領の言葉を紹介したが、他にも次のような者がある。

第11代ジェームズ・ポーク大統領は、「憲法の重要な目的のひとつは、多数派が少数派を虐げ、その権利を侵害することを抑制することである。少数派は、こうした抑圧に対する楯として憲法に訴える権利を有している」
これは、議会はどうあるべきかを言い、多数を占める会派は少数の会派の意見も聞き入れ、数の力に任せて議会運営をしてはならない。また、少数の会派はそのようなような振る舞いに対して抵抗することは正当なことだということです。自民党の人たちに聞かせたい言葉です。

第24代スティブン・グロバー・クリーブランド代目大統領は、「全国民は国に対して、公僕を油断なく見張り、よく吟味する義務を負っている。」
政府の暴政に対して国民はどうあるべきかを訴えている。ここで重要な役割を果たすのが、議会でなにが起きているのかを国民に伝えてくれる役割をする、報道機関だといええます。
アメリカでトランプ大統領は、マスコミの報道は公正でないと抗議していますが。マスコミはそれに屈するのではなく、そのトランプ大統領の出方を批判しています。これこそ報道の自由が健全な証といえます。アジアの東の端の島国のように、マスコミの長が政権側と会食をしたり、忖度して報道を控えたりするのとは大きく違います。

他にも、
第9代ウィリアム・H・ハリソン大統領は、「人民自身の権利の最良の擁護者は人民である」。
自分たちの権利は自分でたゆまない努力で守らなければならない、そうしないといつ権利がいつでも侵食されていまう言っている。まさに日本国憲法の第12条にある、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」です。


このようなのもありました。
第14第フランクリン・ピアース大統領は、「人としてわれわれが追及する大きな目的は、平和によって達成され、われわれ以外の人類の平穏と利益に完全に合致するのが理想である。われわれの大陸にある隣国とは、誠意をもって友愛の関係を育んでいくべきだ。隣国がその強さを確かなものとし、繁栄と幸福の道を追求すること以外、われわれは何も願っていない」。
ピアースは米墨戦争(米国メキシコ戦争)でテキサスの所属をめぐって争われた戦争で、この戦争に従軍した経験をもっています。アメリカ大統領として最悪の大統領と評価されています。二期の大統領選挙では党に見捨てられて、1856年の大統領戦では指名されなかった。
なんだか、トランプ大統領のメキシコに壁を作る話とかぶってしまいます。

第23代ベンジャミン・ハリソン大統領は、「むやみに富者を糾弾することは悪である。それは精神を卑しくし、心を蝕み、犯罪の言い訳を与える。富者を糾弾することで豊かになり幸せになった貧者はいない」。
こちらも、富裕層に減税し小さな国家を唱えて、福祉関連の予算の削減や、オバマケアを廃止する話とにているようです。

話は逸れてしまいますが、余談です。

アメリカの大統領ランキングではワースト3は、ウォレン・ハーディング、フランクリン・ピアース、ジェームズ・ブキャナンで、その一人です。
第29代ウォレン・ハーディング大統領は、「政府が自分たちに何をしてくれるかについてはあまり気をもまず、自分たちが国のために何ができるかをより気にかける。市民の在り方はこうあるべきだ」
従順な国民たれと言っているのだろうか、まさに、ワースト1にふさわしいです。

ランキング3は、ジョージ・ワシントン、エイブラハム・リンカーン、フランクリン・ルーズベルトと言われています。こちらの3人はここで新たに言うことはないでしょう。もっともルーズベルトは戦時下もあって大統領を4期務めた人物ですが、日本と戦争をしていたときに大統領でもあり、原爆の開発を命じたひとです。原爆投下を命じたのはルーズベルトの死去により、大統領に就任したトルーマンでランキング10傑入りをしています。

一燈照隅・萬燈遍照

安岡正篤1898年(8明治31年)2月13日-1983年(昭和58年9)12月13日は、戦前から昭和の政治に大きな影響力を持ったひとで、陽明学者・思想家です。

天皇陛下の「終戦の詔書」に安岡正篤が最終的に目を通し、手を入れたとも言われているがそれについて事実であるか無いかは定かではないが。吉田茂から中曽根康弘まで、歴代の総理大臣の指南番的存在であったことであったことは事実で、岸信介以降の歴代首相らは、施政方針演説の推敲を依頼したとも言われている。国政の重大なことが、外部に漏れないようにするため官僚いがいの民間人に相談するのは、異例のことですそれだけ時の政治家首相の信望があったのでしょう。
いま、安岡正篤が生きていれば指南を乞うた、岸信介の孫の政治をどのように思い、どのようなことを言われるでしょうか。
拙速としか言いようのない、あまりにも強引に政治を叱ってくれると思います。

安岡正篤は「一燈照隅・萬燈遍照」について次のようなことを言っています。安岡正篤『青年の大成』から。
「自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす! この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。」
自分は国の最高責任者だから一灯となり、全力を尽くせば照隅ではなく萬燈遍照できると言わんばかりに、責任者として何でもできるのだと、強引にことを進めています。しかし、周りの自分と意見の近い人を侍らし、箴言者を遠ざけていれば、萬燈遍照にならず照隅のままでしょう。
多様ないろいろな人を集めてそれらの、一燈照隅が集まり萬燈遍照となるのでは内でしょうか。さらに安岡正篤は、この前に次のようなことも言っている。人は所詮つまらない人間であり、「つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。」

安倍晋三は非常に自己顕示欲が強く、また自尊心も強いひ人です。迷彩服で自衛隊の戦闘機に乗り、マリオのパフォーマンスをしたり、福島はアンダーコントロールされていると、嘘と分かるような嘘をつき、自分を演出しています。よく私が責任者だと言うが、責任者として決断して押し進めるのはよいが、その責任は誰が取るのだろうか。結果がでて責任をとらなければならなくなるころは、御身は責任者である席を退陣しているではないか、そう易々と私が責任者だと言うべきではないでしょう。
ついでに、自民党総裁の任期が改訂されたそうです。任期3年二期までが延長されたという。自分の都合の良いようにルールを簡単に変える政治家は一番信用できなく、危ない政治家です。

来年の日本はどのような日本になるのでしょうか。

巧詐は拙誠にしかず

巧詐は拙誠にしかず

これは、韓非子・説林の言葉です
故曰、巧詐不如拙誠。樂羊以有功見疑、秦西巴以有罪益信。

ゆえに曰く巧詐は拙誠に如かず。楽羊は功有るを以って疑われ、秦西巴は罪有るを以って益信ぜらる。

この話を理解するには、楽羊と秦西巴の二人のエピソードを知らなければこの言葉の意味を知ることはできないです。

まずは、拙速に表面だけを捉えた理解のしかたです。
物事を押し進めるに上手に技巧を使うより、多少やり方はつたなくても誠意をもって進めると、やがてその意向が伝わる位の方がそれにまさっている。
誤魔化し上辺を繕って物事を進めていき一時は持て囃されても、いずれは隠していた秘密ごとなどが知られ、後戻りできなくなってしまいます。
これが、個人間での問題ならよいが、国の政治で行われるなら、その災難や損害や危害を受けるのは国民です。


「楽羊」には次のような話がある。
魏の楽羊が、中山を攻めた。窮した中山は脅しとして、人質になっている息子を突き出された。それでも楽羊は攻撃をやめなかっ。中山の城主は楽羊の息子を殺害し、その肉をスープにし、楽羊に送り届けた。楽羊はスープを飲み干し中山を攻め落とした。
魏の王、文候は楽羊を頼もしとして、賞賛したが家臣から「己の息子の肉すら喰らなら、どのような相手の肉でも喰らうだろう」と諫言され、楽羊を恐れ遠ざけてしまった。
「秦西巴」次のような話がある。
魯の国の孟孫が狩りに出て子鹿を捉えた、家臣の秦西巴に連れて帰らせた。ところがそれに母鹿がついてくるのを見て、秦西巴は子鹿を逃がした。それにより孟孫は怒り秦西巴を追放した。しかし、後日、孟孫は再び秦西巴を呼び出し、わが子の守り役に命じた。
これは「子鹿にさえ愛情をかけるような者なら、わが子のことはきっと大事にしてくれるだろう」とのことである。

弁舌が巧みで上手に喋る人が、熱弁をふるうよりも、自分の言葉で時にはつかえ時には口ごもりながらも語った方が、誠実さが伝わってくるものです。
人間関係において、技巧をもてあそんで、ずるがしこくて抜け目がないさま手口の人と付き合うよりも、地道にこつこつと実績を積み上げて、相手の信用を得るような方法の方が効果があるからです。
言葉で表すことが下手でも真心がある方が、物事が成し遂げられることが多いといえるものです。

日本人は「巧言令色、鮮なし仁」「剛毅木訥、仁に近し」などの言葉が好きだが、口や態度の拙さにだって自ずと限度もあることは事実です。どちらがよいのでしょうか。

しかし、次のような話もあります。アメリカの脳性麻痺の障碍があるブル・ポーターは、訪問セールス一筋に五十年続け高い信頼を得て顧客を獲得している。
脳性麻痺のため、歩くのも辿々しく、構音障害がり話すのも辿々しい、そのため雇用した会社は成績がわるく、直ぐに辞めるだろうと考え雇った。しかし彼は誠実に仕事をし、トップセールスマンになっていく。
彼の人生は、『きっと「イエス」と言ってもらえる。』び本になり、「Door TO Door」という映画にもなり、日本でも同タイトルで二宮和也が演じて作られている。
この「Door To Door」は前にもこのブログで紹介したので、詳しくをそちらを見てください。

暴虎馮河

安部政権の強引な政治運営は、自身が正と信じ善意から生まれたものだろうが、猪突猛進のように直線的に走るかのごとくです。周りの参謀は、深慮遠謀のごとく緻密な術中を周到に仕掛けています。

論語の述而編に次のようにある。

子謂顏淵曰 用之則行 舍之則藏 唯我與爾有是夫
子路曰 子行三軍 則誰與
子曰 暴虎馮河 死而無悔者 吾不與也 必也臨事而懼

孔子が顔淵に言った 重く用いられれば全力を尽くし用いられなければ隠者として引き篭もる、この様な生き方ができるのはお前と私くらいだ
子路が言った 孔子が大軍を率いられるとしたら、誰を副官として任命しますか?
孔子が言った 虎と格闘したり黄河を泳いで渡るような向こう見ずな者は、任命しない。計画的に事を成す慎重な者を任命する

いわゆる「暴虎馮河」の一説です。

子路は孔子から高く評価されていましたが、勇気があり信義を重んじるが、その直情で勇を好むところは、何度も孔子から諭されていた、しかし子路戦場で死んでしまいます。

アベ政治は、善意から思うところで、その強引な一途な行動は評価されるところがある。しかしそれが、行き過ぎて少数者の意見や反対の声を聴き入れず、無謀な行動に走ってしまうと、その勇気や積極性として認められず、反対にその結果的に弊害が生れてくる。

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町の早起き

桂米朝の落語に「鹿政談」というのがる。その中で江戸時代に「三都の名物」を詠んだ歌を紹介している。つまり江戸、京都、大阪の名物だが、江戸は「武士鰹大名小路生いわし、茶店柴火消し錦絵」、「水壬生菜女染物みすや針、寺に織屋に人形焼物」、大阪は、「橋に船、お城かぶらに米相場問屋揚屋に石屋植木屋」。
ついでに大阪の隣の奈良の名物を紹介している、そこでは「大仏に鹿の巻筆あられ酒、春日灯籠町の早起き」となっています。
なぜ奈良の名物に早起きが入っているのかは、春日大社のお使いである鹿だとういう。この神さんのお使いである鹿を大切にしないといけない。神さんのお使いであるので、謝って殺しても死罪にになった。家の前に鹿の死骸があっただけも係わり合いになる。そこで、朝起きて鹿の死骸があると、これはいけないというので、隣の家にまわしてしまう。隣の家の同じようにこれはいかんといて別の言えにまわす。こうして、奈良の町は朝早く起きないと、とんだ災難にあうというので早起きにになったそうです。
もっとも、奈良の人里で鹿をみるのは、春日大社のあたりだけですが。

ところで、最近奈良に居を移して、ゴミの出すのが以前すんでいたところより、速いのと回収が速いです。以前住んで板路路は、ゴミの回収が10時頃から11時頃でした。ところが、私のいま住んでいるところでは、9時をすぎる頃には、ゴミステーションからゴミが消えている。(もっとも、私が以前勤めていた学校付近では、9時頃にはパッカー車が生ゴミの収集に来ていたが。しかし、私の以前住んでいた地域のクリーンセンターは、職員の朝礼が9時前に行い、それから収集車の出発式ををしていたので、街でゴミの収集を始めるのは、早くても9時過ぎだろう。)

また、市の広報やゴミステーションの表示板には、以前住んでいたところでは、8:30までに出すように。奈良では7:30までに出すように書いてある。)
そのため、ゴミを出す人も朝早くゴミをだしている。早朝の朝の散歩をしていると、早くもゴミを出す人と出会うことがある。燃えないゴミでなく生ゴミの収集日でもそうである。つまり、私が早朝の散歩の時に出会う人は、すでに朝食の準備を終えているであろうと思う。やはり街の早起きは昔からの慣わしなのだろうか。

別に、奈良の名物の朝の早起きとは関係ないですが、早朝の散歩は近くの運動公園を周回しているが、遠くからくるまできて早朝のランニングやジョギングをしに来ている人がいる。やはり町の早起きは名物なのだろうか。

富貴の叢中に生長するは

菜根譚 洪自誠

生長富貴叢中的 嗜欲如猛火 権勢似烈焔 
若不帯些清冷気味 其火焔不至焚人 必将自爍矣


富貴の叢中に生長するは、嗜欲猛火のごとく、権勢は烈焔に似たり
若し些の清冷の気味を帯ざれば、その火焔人を焚くに至らざるも
必ず将に自ら爍かんとす

富貴の家に生まれ育った人は、裕福な生活への欲望は猛火のようであり、権力をもって人を支配しようとする志向は烈火のようである。
もし、そのような人は少しだけでも清貧な気持ちを醸成していないと、その欲望は人を焼くにいたらないで、必ず自分自身を焼いてしまうだろう。

先日来日した、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領は、国連の演説で述べた有名な言葉がる。
「昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。『貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ』」

ようは、人は育ちや環境で変わってしまう、だからこそ自我に芽生えたなら、その自我の考えをしっかり持たないと、私利私欲に走ってしまう。
白隠禅師の「坐禅和讃」にも、
譬えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり 長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず

それは水の中にいて のどが渇いたと叫んでいるようなものである。 裕福な家の子に生まれたのに 貧しい里をさまよい歩いているのと同じである。

だからこそ、己の今の生活の安住せず常に、点検し豊かな生活をもっと豊にとなると、喉が乾いたと水を貪りもとめ、餓鬼にならないよにしたい。

無欲一切足

昨日の詩に続いて、良寛の次の詩がある。


無欲一切足
有求万事窮
淡菜可療飢
衲衣聊纏身
独往伴ビ鹿
高歌和村童
洗耳巌下水
可意嶺上松

無欲なれば一切足る
求むる有れば万事窮す
淡菜飢えを療やす可く
衲衣聊か身に纏う
独往してビ鹿を伴とし
高歌して村童に和す
耳を洗う 巌下の水
意に可し 嶺上の松


欲がなければ一切が足りる
何かを求めると万事がゆきずまる
淡菜でも上はしのげる
衣服は衲衣で体を覆える
独り山を行けば、山鹿と遊ぶ
高らかに歌い村の童と歌う
巌下の清水で耳を洗う
嶺上の松を見れば快い

欲を出さなければ、なんでも満ち足りる
何かを求めれば、いつかは行き詰まる
粗食であっても腹は満足し
衣服も贅沢しなくても寒さはしのげる
独り山を往き鹿を伴にすればいい
村に出て一緒に歌えばよい
清水で巷の汚れごとを聞いた耳を清めればよい
峰の松の青色はなんと快いものだろうか

嚢中三升の米 炉辺一束の薪

良寛の詩から

生涯懶立身
騰々任天真
嚢中三升米
炉辺一束薪
誰問迷悟跡
何知名利塵
夜雨草庵裡
双脚等間伸

生涯 身を立つるに懶く
騰々天真に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の跡
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
雙脚 等閑に伸ばす

身を立てようということには興味無く
なにをするでもなくのほほんと生きたのだ
頭陀袋には米三升
炉端には一束の薪
迷や悟だのそんな痕跡はどうでもよい
名声や利益だのそんあ塵芥には関わりを持たず
夜に雨ふる庵で
のんびりと足を延している

この詩は、ワーズワースの「質素なる生活、高遠な思想」とは違うが、まずは良寛の名誉や物欲に貪欲になるのではなく、足を知り坦々とするなかで、平々凡々となりそこには、物事を冷静に見る眼の糧が培われていく。質素な生活はとは貧することではく、物欲に惑わされないように努める課程からうまれるものろう。
結果「貧すれば鈍んす」という言葉と反対に、物事の判断に冷静になり、いろいろなものも受け入れられるようになるのだろう。
逆にものや地位や名誉を持つと、それを失うことを恐れるようになり、それらに貪欲になり鈍し判断を誤ってしまうことになりかねない。

しかし、現代のよのなかか、なかなか良寛のようには生きられないが、この詩は忘れたくない詩の一つです。

小公女の解説

岩波書店がだしている、月刊PR誌の『図書』4月号の「文庫解説を読む」で斎藤美奈子が、フランセス・エリザ・ホジソンの書いた「小公女」の文庫版の解説につて書いてある。
「小公女は」100年以上前に書かれてた少女文学だが、今の多くの人に読み継がれられている。そのため、多くの文庫になて出版されている。
一番古いとされるのが、作家伊藤整訳の新潮文庫で、斎藤はその一文「こんなにおもしろくて、かわいそうで、勇ましくって、人の心の美しさを書いたお話はほかには求められません」と書いてある。
川端康成と野上章訳の角川文庫版は、「フランセス・エリザ・ホジソンは、二度離婚している。  主人のバーネット博士とも折合が悪くなったらしく、それに二人の子供をつれて旅行にばかりでか出かけていたんで、そのようなことが原因で離婚したわけだ」など作品のことより作者のことをさんざん悪く書いてあることを紹介している。
谷村まち子訳の偕成社文庫版は、「この作品にでてくる、人間を差別する考えに、反発を感じるのです」植民地時代のインドと階級の問題について触れていることを紹介している。
そして、杉田七重の角川つばさ文庫版は「セーラが生きた時代にはきびしい身分制度がしかれていて、・・・中略・・・セーラがベッキーに、「たまたまちがうところで生まれただけ」と話す場面がありますが、この"たまたま"が一生を決めてしまい・・・以下略」と世の中によこわたる貧富の差と階級差について書かれていることを指摘している。
脇明子の岩波少女文庫版は、プリンセスとは王女や皇太子妃のことだが「私はプリンセスなんだ」というセーラの一言につて書いている。「きれいなドレスをまとって優雅に暮らしている「お姫さま」ではなく、革命などで地位を追われて、どん底の暮らしに落ちぶれようとも決して誇りを失わず、自分の「人民たち」を思いやることを忘れない「プリンセス」だったのであって・・・・以下略」そして、読者へ「プリンセス=お姫様」の言葉に対する甘い憧れに対して釘をさしていると書いている。
ところが、曾野綾子の解説は道徳的な臭いがプンプンするもので、セーラの逆境の落ちたがそれに立ち向かう姿を「今の日本人にいちばん欠けているのはそういう点かもしれません。国家にも社会にも家庭にも不備はあります。・・・略・・・この点でも最近の日本の子供たちや若者たちは、幼稚になったような気がします。」まさに驚き桃の木山椒の木だ。学校の道徳の事情でもいまどきこんなことを教えない。

しかし、この解説を読むと、アベ政治を進める取り巻きたちは、もろ手を挙げて喜ぶだろう。
しかし、私は逆に岩波少年文庫の下野に落ちても国民を忘れない解説を、野党時代に暇にまかして憲法草案を作った人たちに読んで欲しくおもう。


白居易 養竹記

白居易の詩に『養竹記』がある。

養竹記

竹本固 固以樹徳
竹性直 直以立身
竹心空 空以体道
竹節貞 貞以立志
故 君子樹之

養竹記

竹は本固し 固はもって徳を樹つ
竹は性直 直をもって身に立つ
竹心は空 空をもって道を体す
竹節は貞 貞をもって志を立つ
故に君子はこれを見習え


竹はうまれながらにして固い、固いことは品性や人格が育つものである
竹はうなれつき心や考え方が真っ直ぐで正直である、真っ直ぐということは人から認められることだ
竹は芯が空である、空は行いを身につけさせる
竹には節があり、節度は行いを正しくする
したがって、君子は竹を見てそれを見習うことすべきである

風に吹かれている竹林を見ると、なよなよとしている様にみえるが、非常に強もので真っ直ぐ育ち繁殖し浸食していく植物です。そこには白居易の養竹記に詠われているところがあるからでしょう。

しかし、どこかの国の政治家は、都合のよいように自説を曲げたり、国の根幹である憲法解釈をねじ曲げたり、質問に丁寧に正直に説明せず、のらりくらりと説明を交わしたりしている。これを見ると竹と間逆です。

国礼なければ則ち正しからず

荀子の一説を他にも紹介します、出典は大正十一年に発行さた、友朋堂書店の「漢文叢書 荀子 編輯 塚本哲三」 

荀子 巻第七 王霸編第十一 
彼の国を持する者は、必ず以て独なるべからず。然らば則ち彊固栄辱は相を取るにあり。身能に相能なり、是の如き者は王たり。身不能にして恐懼して能者を求るを知る。是の如き者は彊し。身不能にして恐懼して能者を求むるを知らず。安に唯便僻左右に己に親比する者を之れ用ふ。是の如き者は危削なり。之をきわめて亡ぶ。

これを現代文で表してみます。
国家を保持することは独力ではできない。そうしてみると、国家が強固にな栄誉や恥辱をうけてしまたりするのは、宰相やその他の臣下をどう選ぶかで左右される。君子が有能で宰相や臣下も有能なら、国家は強固で栄誉をえられるだろう。
君子が無能であっても、宰相や臣下を有能なものを登用しなくてはならないことをわきまえているなら、その国家は強固になるだろう。君子が無能であり宰相や臣下に有能なものを登用しないばかりか、側近者に自分たちのお友達や考えの近い者だけを登用するなら、その国家は削弱くなり衰退して、あげくの果ての滅亡してしまうだろう。


国は之を巨用すれば則ち大に、之を小用すれば即ち小なり。大をきわめて王たり、小をきわめ亡ぶ。小巨分流する者は存す。之を巨用する者は義を先是を之を巨用すと謂う。之を小用する者は、利を先して義を後にす。安に是非を恤はず、曲直を治めず、唯便僻己に親比する者を用ふ。夫れ是を之れ之を小用すと謂ふ。之を小用する者此の若し。小巨分流する者、亦一は彼が若くなり、亦一は此の若し。故に曰く、粋にして王たり、駁にして覇たり、一無くして亡ぶと。此れの謂うなり。

これを現代文で表してみます。
国というものは、大きな治め方をすれば大きくなり、小さな治め方をすれが小さくなる。大きいきわみは王国となり、小さいきわみは亡びる。大と小の中庸の治め方をすれば、持続存続できるだろう。
大きな治め方等いうのは、道義を第一にして功利を後にし、親しい者や疎しい者、貴賤を問題にしないで、有能。な誠能の者を登用しようと務めることを大きな治め方とういう。小さい治め方は、功利を第一として道義を後にして、また是非や正邪を論じないで、ただ親しいお友達やおもねるお気に入りの人だけを登用る、このような治め方を小さい治め方と言う。大きな治め方は前者で、小さな治め方は後者で、大小半々の治め方は、前者のようであったり、後者の要であったりする。だから、「道義が完全であれば、王者に、混じっていれば覇者にになり、一つもなければ亡びてしまう」とういうのはこのことであろう。


国礼なければ則ち正しからず、礼の国を正す所以は、之を譬ふるに猶衡の軽重に於けるがごときなり。猶繩墨の曲直に於けるがごときなり。猶規矩の方円に於けるがごときなり。故に之を錯きて能く欺ふること莫きなり。詩に云う、霜雪の埓埓たるが如く、日月の光明なるが如し。之を為せば則ち存し、之を為さざれば則ち亡ぶと。此れの謂うなり。

これを現代文で表してみます。
国に礼がなければその国は正常ではない。礼が国を正常というのは、ちょうど秤と重さ、墨繩と直線、コンパスと円、定規と矩形のようなものである。一旦これを設けた以上は、誰でも自分の恣意的な考えて捻じ曲げて偽ることはできない。詩経に「霜雪が一面に振り月があまねく輝くように、これを行なえば存続sるうが行わなければ亡びる」とあるのはこの礼のことをいうのであうろう。


この荀子のこの説を読んでいて、今の日本はまさこの、国の責任者は仲良しのお友達を集め、小の国をめざし、礼をつくさない国になり下がってしまっているように思える。先日合った憲法審査会で自民党が推薦した参考人が、集団的自衛権に関する安保法制関連法案を憲法違反と発言しました。そのことに対し、自民党の閣僚経験者は「あくまで参考人の意見だ」として、参考人を指名するさいに、おなじ轍を踏まないように国会対策幹部に注意注文をつけたそうです。民主主義を無視するような、なりふり構わぬ言葉が、このところ自民党議員が口にするのを聞く。そして、そのことに対して、国民やマスコミがあまり騒がないことも、ここまできたのかと、この国の病の深さを思うばかりです。
ますますこれからの日本の行く末が、病み重篤化していくのを如実に感じてしまうのは、私だけだろうか。

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問いのあらしき者には告ぐること勿れ

問いのあらしき者には告ぐること勿れ
告のあらしき者には問うこと勿れ
説のあらしき者には聴くこと勿れ
争気ある者とは与に辯ずること勿れ

故に必ず其の道に由りて至れば然る後にこれに接わり その道に非ざれば則ちこれを避くべし
故に体の恭にして而る後に与に道の方を言うべく 辞の順にして而る後に与え道の理を言うべく 色の従いて而る後に与え道の致を言うべし
故に未だ与に言うべからざるに而も言う これ傲と請い 与に言うべきに而も言わざる これを隠と請い 気色を観ずして言う これを瞽と請う
故に君子は傲ならず穏ならず瞽ならず 其の身を謹慎す
詩に匪の交わりの舒ならざる 天子の予する所 と曰えるは此れを請うなり


これは、荀子の第一巻 務学編 第一の八に書かれているものです。

現代語にくだけて訳すと次のようなものだろう。

質問の粗雑でくだらない者に対しては答えない。
ろくな答えができない者に対しては質問をするな。
くだらない下拙な話には耳をかさぬがよい。
やたらと上げ足を取るよう者と言にたいしては、議論をしない方がよい。

道理をわきまえている者とは交わり礼をつくし、そうでない非礼な相手にせぬことだ。物腰が丁寧で礼儀正しい時に、はじめて事柄のおおよそを語り合える。言葉つきがやわらかいときにはじめて事柄のわけをを話し合える。顔つきが穏やかなときにはじめて事柄の隅々まで細かく語り合える。
したがって、そのような状態でないときに、語り合うことは互いに傲慢になってしまう。ともに語るべきなのに語らないのは隠すという。相手の顔つきに関係なく話すのを分別がないとうい。
だから、君子は傲慢でも、隠すことも無分別でもなくそれをつつしまなくてはならない
詩経の小雅に次のようにある「彼の交際をおろそかしない者は天子から賞賜される」とあるのはこのことを言う。


いまの世の中ので欠けているのは、この事ではないだろうか。
国会の審議を見ていて、質疑に対しての答弁はまさに、この「故に未だ与に言うべからざるに而も言う これ傲と請い 与に言うべきに而も言わざる これを隠と請い 気色を観ずして言う これを瞽と請う」でなくてなんであろうか。

雨月物語 白峰

雨月物語 白峰

崇徳天皇は鳥羽天皇の第一皇子で、五歳の時に祖父の白河法皇の意向により、父の鳥羽天皇の譲位により即位した。白河法皇が崩御すると、鳥羽上皇が崇徳天皇に退位を迫り、譲位し崇徳上皇になる。ところが近衛天皇は生来病弱で、十七歳で崩御する。そのため、崇徳上皇は二度自分が皇位につくか、息子の重仁親王を即位するかにかけた。しかし、近衛天皇の母の美福門院が、鳥羽法皇に近衛天皇が若死にしたのは、崇徳の呪詛が原因だと訴えた。それにより鳥羽法皇は雅仁親王を皇位につけ後白河天皇とした。
これにより崇徳上皇は保元の乱を起こすが、失敗し、讃岐に流されてしまう。崇徳院は讃岐で仏教に帰依し、戦死者の供養と反省をこめ五部大乗経を写経し、此を寺に納めて欲しいと朝廷に差し出すが、後白河天皇は呪詛が込められていると疑い、突き返されてしまう。
此に衝撃をうけた崇徳院は、返された写経に舌を噛みきり、血で「「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし、民を皇となさん。」「この経を魔道に回向す。」と書き、写経を海に沈めた。それ以来崇徳院は、恨みをのんで爪や紙を伸ばし続け、大魔王のような姿で亡くなったといわれている。享年四十六
崩御され、荼毘にふすした時、その煙が京の都の方へたなびいた言われています。その後、平家の時代より江戸時代まで長く武家の政権が続いたのは、崇徳院の怨霊の結果なとも考えられました。
そのためか、明治天皇は、崇徳上皇の霊を京の都に帰還させるため、白峰神宮を創建した。これは、平安時代後から江戸時代まで、天皇は政治の世界から一歩おいた位置にあり、政治は征夷大将軍である幕府が執り行っていた。そのため天皇の地位は安泰して今まで続いてきました。しかし、明治新政府が天皇を中心に執り行う政治を行うことにし、天皇を元首として位置づけました。それにより、日本を泰平に滞りなく治めるために、明治天皇の寛大さを示すとともに、崇徳院の怨霊を鎮めておく必用があったのであろう。

能の金剛流の謡曲にも崇徳院のことを題材にし「松山天狗」としてかかれている。西行が旧主である崇徳の瞋恚を弔と、やってきた西行に思わず会い、邂逅する崇徳院の喜びとの描写がされていますが、この「松山天狗」をもとに、上田秋成が書いた、雨月物語の「白峰」には、この崇徳院と北面の武士である佐藤義清が23歳の若さで武士を棄て、出家した西行とのやりとりが描かれていいる。そのなかで大魔王と化した崇徳院が、「汝しらず、近来の世の乱は朕なす事なり。生てありし日より魔道にこころざしをかたぶけて、平治の乱を発さしめ、死て猶、朝家に崇をなす。見よみよ、やがて天が下に大乱を生ぜしめん(お前は知らぬのだ。近頃の世の乱れは私のしわざである。生前から魔道に心を傾け平治の乱をひきおこし、死してなお、朝廷に祟りをなしている。よーく見ておれ。すぐに天下に大乱を起こしてやるぞ)」と書かれている。

雨月物語の白峰には、西行が、崇徳院が怨霊となっていることを諌め、西行と崇徳院の論争が始まり、西行は過去の例に出し、君主に徳がなければ別姓の有徳者に天命がくだり、新たに王朝を開いて帝位につくという易姓革命論から、互いの論を論じあう事などが詳しくかかれているが。
実際に、西行は、崇徳院の死後四年後の、仁安三年(1168年)に訪ねている。
その時に詠んだ詩がある。そこには西行の幼なじみでもある崇徳へ思いを感じる。

讃岐に詣でて、松山の津と申所に、院おはしましけん御後  尋ねけれど、形もなかりければ
松山の波に流れて来し舟のやがて空しく成りける哉
松山の波の景色は変らじを形無く君はなりましにけり
  白峰と申しける所に御墓お侍りけるにまゐりて
よしや君昔の玉の床とてもかからん後は何にかはせん

「保元物語」に西行がこの歌を詠んだとき、崇徳院の御墓が激しく三度揺るたと書かれている。崇徳院のこの行いを振り返ると、皇位を無理矢理に譲位させられ、返り咲こうとしがが、それもかなわず、赦免のために写経し寺に奉納してくれと、懇願しても送り返される。崇徳院の、その失意と怒りを思うと、三度揺れたということに真実味を感じてしまう。
ただ、五部大乗経を写経するに、指先を切ってその血で写経したといわれている。誠意を示すため、血で写経をし起請として血判したのでしょう。全部血で書かれていれば、現在ではオドロオドロシく感じてしまい。送り返されてもしかたないです。たぶん真実は朱墨で写経し血判をした所ぐらいではないかと思います。
その上、崇徳院の死後の、清盛の治承三年の事件や後白河の横暴などや、清盛の熱病は平家の滅亡はみな、崇徳院の怨霊がなしたものだと思われたのも、血の写経がより怨霊の説に説得力を持たせたのでしょう。

吉宗将軍の宿意

三田村鳶魚の「娯楽の江戸」から

吉宗将軍の宿意

もう五月も半ばになり、桜もすっかり葉桜になってしまったが、吉宗の時代にはすでに、桜の花見は江戸っ子の楽しみの一つになっていた。また、今と同様に桜の花見は、どんちゃん騒ぎは付き物だったようです。吉宗は江戸の北の郊外の飛鳥山に、桜の公園を添えて拵えて花見をさせたことが書かれている。
「吉宗将軍は、神田の柳原に豚を放養した時代に、桜の公園を拵えて、電車も自動車もない昔に、テクテクと北郊の果てまで歩行させた。・・・中略・・・ この時代は、誰も彼も市街地生活に倦み、田舎珍しい心地になっていたからではあるが、茶番趣味は大分膨張してきた。そのかわり、厳めしい長脇差の喧嘩買いなどという物騒な人物は、噺にも出なくなった。花見衣装だけでは誰も満足しない。洒落を通りこして、何か御趣向がありそうなものという時になった。仮装変装は珍しげもない、百眼や棕櫚の鬘は行く先で売っている。・・・中略・・・ 今日のように、一年一度の娯楽にも、頭から警官の眼玉が光っては、神経衰弱の人間だらけ荷なるよりはほかに仕方はない。」

神田から飛鳥公園まで、今で行くと本郷通りを北に8キロ程で、一時間半程かかります。江戸の庶民はそれでも、浮き浮きとでかけたようです。そして、花見の行く先には屋台も沢山でていたようです。また、小家の若旦那などは幇間いわゆる太鼓持ちを侍らせて、古典落語のようにどんちゃん騒ぎをしていたようです。それと今を比べると、江戸時代の方が遙かに自由で羽目をはずしていたようです。
その上、今では縁日などの屋台売られる仮面のような百眼や、鬘などが売られ、それで仮装して、花見を楽しんだ野でしょう。現代では、夜店などでそれらが売られ手いるのを買っても、誰もその場でそれを付けてその日一日を楽しむ人はいないでしょう。逆に行うとプラスチックのお面などが縁日で売られているのは、それを付けてその場を楽しめと言うルーツがあるのでしょう。
徳川幕府が江戸市中から離れた所に、桜の公園を作ったのも、江戸市中では御法度だが遠く離れたこの地では内をしても多めにみる場所をつくり、民衆のガス抜きをする意図があったように思う。

鳶魚はさらに、江戸幕府のガス抜きため、我が儘勝手に遊ばさせることに次のようにかいている。「幕府はいつでも極限主義を持っていた。江戸の公娼にしても、一廓に集め、市街から引き放した上に、溝渠を周囲に掘らせた。・・・中略・・・ 厳重に場所を限定するが、その場所では特に自由にする。放任区域とでもいうべきものを拵えるのであた。・・・以下略」

今の政府はカジノ特区を作ろうとしてるが、これも徳川幕府と同じように、秘密保護法による締め付けや、貧富の格差の増大や自民党の憲法案に書かれているように、公益のためと称して国民の権利を規制し義務をかすることへの、市民の不満のガス抜きをさせる思惑があるのでないだろうか。いま、大阪にカジノ特区を作ろうと積極的に働きかけている、大阪市長は、沖縄の米軍司令官に風俗営業の活用を性的ガス抜きにするように進言するぐらいだし、昔の遊廓があった地にあたる。飛田新地料理組合の顧問をしていた人だから、特区はカジノだけでなく、ほかの制度も特例として認めることになるではないかと穿った見方をしてしまいます。
これは大阪市長に限らず、自民とにも同じような考えがあると、従軍慰安婦の問題を人権問題として正面から向き合うのでなく、朝日の強制連行報道は誤報だとして眼をそらそうとする意図は、大阪市長が米軍司令官に進言したのと同じ思いがあるように見えてしまうのです。

日本人の食事の回数

ようやく長い連休が終わりました。
連休中に幾つか本を読みました。その中で三田村鳶魚の「江戸の食生活」を読んでいると、昔は一日に二食が普通だったと書いてあいります。そのことは、話などでよく聞いていましたが、そのことについての記述がいくつか紹介されています。

無住禅師の仏教説話「沙石集」や、慶長活字の笑話本「きのふはきょふの物語」にでてくる話で、食事の模様が書かれているところを紹介している。
「三井寺の法印、雨の御つれづれにとて、二度物おもふと云題を出し、是に一首づつよみ給へとて、二人のちごに仰せければ。
大ちご
春は花秋はもみじをちらさじととしに二度ものおもふなり
あさめしと又夕めしにはづれじと日々にニたび物をこそおもへ
この歌は、元和活字の「戯言養気集」の中にも出ておりますから、慶長・元和のころには、日に二度ずつ飯を食べておったものと思われます。」

また、北条氏康の言葉として「武家物語」からその食事に関することを紹介しています。
「凡人間は高きも下きも一日両度づつの食なれば」
このころ、一日二食であることがわかる。それでは一日どれほど食べていただろうか。

一日一人どれほど食べていたのだろうか、「武功雑記」には、「人の食物は、とかく、朝暮二合五勺宛可然と、滝川左近将監積り定候由」朝夕二合五勺だから、一日五合になる。たいそうな大食らいに思える。ただ、これは扶持米のことのようで、主君から家臣に与えられる俸禄の王で、実際に食したのはもっと少ないと思のだが。
御伽草子の「物草太郎」には「毎日三合飯を二どくはせ、酒を一どのますべし」とかかれています。
「甲斐国志」には、「催促の人もらひの事、此方申付候ごとく、なけわけ大こん計ににて、一日二度ズ、たるべき事」と書かれている。兵を集める場合は、菜っぱと大根の飯を一日二度与えるということを条件にしていたようです。

これにくらべ、牢屋の食事はどうだったかと言うと、「慶長見聞集」に「一合の食物を朝五勺晩五勺、是を丸じて、ごきあなより此暗き地獄へなげ入れる」
牢獄でも一日二度の食事だったようだが、一日一合のようです。

また、二時や十時の食事、お八つの事が書かれている。一日二食では、その間が長いのでいわゆる間食がされたようで、それが二時や十時やお八つで、江戸時代は不定時法で季節により、時間が違っていて二時と言えば今で言う「おさんじ」のことだろう。お八つも八つ時に食べるので、今で言う午後三時ごろになる。

まだまだ、いろいろ書かれているが、此ぐらいにしておきます。

寓話詩

イソップ愚話集をもとに、寓話詩を作ったことで知られる。ラ・フォンテーヌの作品が、岩波文庫で「寓話 上・下」としてある。
出版年を見ると昭和47年とあるので、大学生のころに買っているのようです。それ今読み替えてみと、

「セミとアリ」「カラスとキツネ」「ウシと同じくらい大きくなりたいと思ったカエル」などがある。

「セミとアリ」
夏のあいだずっと
歌をうたっていたセミは
北風が吹いてくると
ひどく困ってしまった
ハエや小さな虫の
かけらひとつみつからない
おなかがすいてたまらないので
近所のアリの家へいって
春になるまで食いつなぐため
穀物を少々
貸してと頼む
「取り入れ前にきっと
元利そろえて
お返しします」
アリは貸すことを好まない
貸すなんてそんな不徳はもちあわせない
「暑い季節にはなにしていたの」
アリは借り手のセミに訊く
「夜も昼もみなさんのために
歌をうたっていましたのですみません」
「歌をうたって?そりゃけこうな
それじゃこんどは踊りなさいよ」

セミは木の幹の汁を吸うのですが、ここに出てくる主人公は、肉食ですからセミでなくキリギリスと思われます。
あわれセミはアリから、食べ物をもらうことが出来ないどころか、踊らされてしまいます。
夏の間歌い惚けていたので、ただ無慈悲に追い返してしまうのでな、もう一つお仕置きというか嫌みをあたえている。
こうなれば、セミは冬を越すことが出来ずに終えるのでしょう。


「カラスとキツネ」
カラス先生チーズをくわえて
木の枝にとまっていた
キツネ先生匂いをかぎつけ
やってきてこんなふうに言った
「おやこんにちはカラスの殿さま
なんてあなたはすばらしなんてあなたはごりっぱな
うそは申しませんもしあなたの声が
その羽根にふさわしければ
あなたこそこの森に住むフェニックス」
カラスはこれを聞いてうれしくて呆然となて
自分の美しい声を聞かせようと
あんぐり口をあければばっさりと獲物が落ちる
キツネはそれをつかんで言った「御親切なお殿さま
覚えていることですなへつらい者はみんな
いい気になる奴のおかげで暮らしていることを
この教訓はたしかにチーズひとつの値打ちは十分」
カラス面目なく恥じいって
もうこんなことはひっかかるまいと誓ったがちょと手おくれ

狐の方が一つも二つも上ですね。特に狐が「へつらい者はみんな、いい気になる奴のおかげで暮らしている」最近の詐欺などもそうだが、政治や何か事業をしようとするとき。既得権を持っている人などから、目障りになってくるとその人の地位を上げるなどをして、現場からはずしてしまいその事業を本人が出来なくしていまうことがみられます。褒め殺しには気をつけよう。


「ウシと同じくらい大きくなりたいと思ったカエル」
カエルがウシを見て
りっぱなからだだなあ と思った
どう見ても 卵ひとつの大きさしかないカエルは
うらやましくて からだをひきのばし ふらまし 一所懸命
ウシと同じくらい大きくなろうとする
「よく見ていてよ ねえ あんた(カエルは仲間のカエルに言う)
これでいい? 言ってちょうだい まだかしら」
「だめよ」「これじゃどう?」「とってもよ」「こんどは?」
「まだまだだめよ」ちっぽけな生きものは
あんまり力んだので とうとうおなかが裂けちゃった
これと同じくらい賢くない人が世の中には大勢いる
ブルジュワはみんな大貴族のような邸宅を建てたがっている
小さな国の王さまもみんあ大使をもっている
侯爵はみんな小姓をもちたがっている

「豚もおだてりゃ木に上る」と言うことわざがある。カエルの場合は腹がハジケてしんでしまいした。周りの仲間の帰るも、どうなるか分からずか知っていて面白がってか、腹を膨らませているカエルを煽っています。
最近そのように人をはやし立てる人が増えた増えたのでしょうか。また、それをネットに投稿するような人もいます。投稿する人もそう深く考えないでいるように思います。
何でこんなになってきたのでしょうか。テレビ番組にそのようなものがあるからですが。それを見て嫌悪感を持つひとより笑うだけでなにも感じない人が増えていることも問題でしょう。

みんなちがって、みんないい

先日の土曜日、4月11日は、童謡詩人と金子みすゞの誕生日でした。1903年~1930年で26歳の若さで亡くなりましたが、512編の詩を綴っています。

その中に、小学校の教科書にも採用されている、「わたしと小鳥とすゞ」があります。

わたしと小鳥とすずと
         金子 みすゞ
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

「みんなちがって、みんないい」とは、どういことでしょう。

空を飛べるもの
  飛べないもの
駆けっこが速いもの
  駆けっこが苦手なもの
からだが大きいもの
  からだが小さいもの
態度が大きいもの
  態度が小さいもの
肝が大きいもの
  肝が小さいもの
力の強いもの
  力の弱いもの
知れ渡っているもの
   知られていないもの
見えるもの
   見えないもの
必要なもの
  必要でないもの

「無用の用」という言葉があります。現代社会は効率ばかり重んじて、効率の悪いもの、他と規格が違うものを、軽視したり排除したりする傾向があります。

しかし、世の中が有意義で面白くいろいろな困難に立ち向かい対処できるのは、いろいろな違いがあるからです。
ネズミのなかに、レミングというのがあります。和名は旅鼠というそうです。
レミングは、3~4年周期で個体数が急激に増減することがわかっています。そして、急激に増えたレミングは急激に増えたストレスから、スカンディナビアでは「集団で海に飛び込む」という伝説が古くからあります。実際はよく分からないのですが。
それはともかく、最近の考えはは海に飛び込んで大量に死ぬことがあっても、それは自殺ではなく事故だとする見方の説の方が強いようです。
このことは、皆が同じ方向に暴走してしまうと、引き返すことが出来なくなる例と言えるでしょう。
このことは、レミングよりも人間のほうに当てはまるかもしれません。

それはともかく、「みんなちがって、みんないい」は、あるがままでいいと、その姿をお互いに他人を気にすることなくもっと見つめようとする大切さを感じます。

人の悪きことはよくよく見ゆるなり

人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり。
         蓮如上人御一代記聞書

毎日生活をしていて、仕事をしていて様々なことがあります。その中で失敗をしたり、自分にとって都合の悪いことがおきたりします。
そういう場合ついつい、「自分は全然悪くない」「すべて相手がい」などと思ったり考えたりしてしまいます。それは、自分を正当化しようとし、また自身の不安から逃れようとする心から生まれるものです。
自分の心の中でそう思うのはまだましだが、時として自分が苦境に立たされたり不利になったときに、自分の落ち度などには気がつかず、時としてそれが分かっていても棚に上げて、相手の些細なミスなどを責めたり罵ったりする。このようことは、自分自身がそのようなことをしていたり、日常生活のなかでも時折見かける光景です。

それは、自分の落ち度が巻き起こしたものだと、自分自身で責め悩むよりは、他人の制にしたほうが、そのときは気持ちが楽になります。しかし、いつもそのようなことをしていると、他人を攻撃するようなり、あまり気持ちのいいものではないと思います。

やはり、「他人の長所は少しでも早くほる」このことの方がよいと思います。

だから蓮如は、「人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり。」と言っています。
3月に佐藤一斎の「言志録」に書かれている一つの言葉を紹介しました。
「我は当に人の長処を視るべし 人の短処を視ること勿れ 短処を視れば 則ち我れ彼れに勝り 我れに於いて益無し 長処を視れば 則ち彼れ我れに勝り 我れに於いて益有り」

とは言うものの、人の長所より短所の方がよく目にとまるものです。その上、相手の欠点や短所などは細かなところまでよく見えてしまいます。
逆に言うと、他人の短所を見るような厳しい目で自分を見ることはあうだろうか。そうではなくそれに気づかなかったり意識的にまた無意識のうちに目をそらしているのではないだろうか。
だからこそ、常日頃から他人を見る目は、意識して「他人の長所は少しでも早くほめよ」の言葉が大切になって来るのでないだろうか。

歳々年々 人同じからず

年年歳歳花相似
歳歳年年人不同

 唐代の詩人、劉希夷の[代悲白頭翁](白頭を悲しむ翁に代て)にある、一句です。

年々歳々 花相似たり
歳々年々 人同じからず

来る年も来る年も、花は変わらぬ姿で咲く
年ごとに、それを見ている人間は、移り変わる

日に日に暖かくなり、庭仕事もはかどるようになりました。日々草花は成長し、小さな庭も草引きを放って於くとすぐに繁ってしまいます。
しかし、私の頭の方は年々髪の毛が少なくなってしまいました。
そんな日々のなか、数日雨の日が続き、晴耕雨読と漢詩の本を紐解いていると、この「代悲白頭翁」が目にとまりました。
自分の人生も明らかに、折り返し点を遥かに超えているので、残りの人生を無駄なく有意義に過ごしたいと思っていますが。今までのいい加減な人生がためにその輪廻かしらないが、心配事やこれからもままならないことがありつづけそうです。
しかし、草花は毎年だいたい同じころに咲き月日が流れる。自分の人生は去年のときより、今年の方が再来年の方がよい年になるように、勤めて励んでいきたいと思うこのごろです。

詩の全文は、次のように書かれています。

代悲白頭翁 劉希夷

洛陽城東桃李花
飛來飛去落誰家
洛陽女兒惜顏色
行逢落花長歎息
今年花落顏色改
明年花開復誰在
已見松柏摧爲薪
更聞桑田變成海

古人無復洛城東
今人還對落花風
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
寄言全盛紅顏子
應憐半死白頭翁
此翁白頭眞可憐
伊昔紅顏美少年

公子王孫芳樹下
清歌妙舞落花前
光祿池台開錦繍
将軍楼閣画神仙
一朝臥病無相識
三春行楽在誰辺
宛転蛾眉能幾時
須臾鶴髪乱如糸
但看古来歌舞地
惟有黄昏鳥雀悲


白頭を悲しむ翁に代る 劉希夷

洛陽城東 桃李の花
飛び来たり飛び去たって誰が家にか落つ
洛陽の女兒顏色を惜しみ
行くゆく落花に逢いて長歎息す
今年花落ちて顏色改まり
明年花開いて復た誰か在る
已に見る松柏の摧かれて薪と爲るを
更に聞く桑田の変じて海と成るを

古人また洛城の東に無く
今人還た対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子
応に憐れむべし半死の白頭翁
此翁白頭真に憐れむべし
伊れ昔 紅顔の美少年

公子王孫芳樹の下
清歌妙舞す 落花の前
光禄の池台錦繍を開き
将軍の楼閣 神仙を画く
一朝 病に臥して相識無く
三春の行楽 誰が辺りにか在る
宛転蛾眉能く幾時ぞ
須臾にして鶴髪乱れて糸の如し
但だ看る古来歌舞の地
惟黄昏鳥雀の悲しむ有るのみ

人 己を毀るとも 己に何をか損せん

昨日の佐藤一斎の言志録 三 の言葉を紹介したが、これは自分から人を視る見方について書いたものでしたが、その反対の言葉は何かあるかと思っていると。佐久間像山の「省ケン録」に次のようにある。

人 己を誉めるとも、己に何をか加えん 若し誉れによって、自ら怠らば 則ち反えって損する
人 己を毀るとも 己に何をか損せん もし毀によって 自ら強うせば、則ち反って益す


人が自分を誉めることがあっても、自分にとってそれはよいことだろうか。もし人から誉められたがため、自分が上手だとか、自分は立派なのだと思ってしまい。自分自身の研鑽の努力を怠ってしまったなら、その誉められたことはただ、天狗になってしまっただけで、それは逆に自分の品位を落とすことになってしまう。
逆に人が自分を悪くいったり、叱ってくれたりすることは、自分自身とって本当に害があることだろうか。むしろその中に自分では気がつかない欠点があることを教えてくれていると捉えるなら、自分自身を磨くことができるもので、それは自分にとって役にたつことといえる。


ここでも、相手から悪口を言われるとすぐに、反発したり落ち込んでしまう人が多い。しかし、世の中様々な考え方や受け止め方があるので、そのような考えもあるのだとけとめ、自分の益になる方向に受け取った方がより、建設的だろう。しかし、なかなかそのようにはいきにくいものですから、常に先日の言葉と、これらの言葉は頭の隅に置いて奥のがよいのでしょう。

我は当に人の長処を視るべし

言志録 三 佐藤一斎

我は当に人の長処を視るべし 人の短処を視ること勿れ 短処を視れば 則ち我れ彼れに勝り 我れに於いて益無し 長処を視れば 則ち彼れ我れに勝り 我れに於いて益有り

人と接したり教えたりするとき、その人の優れた処を視るのがよい、悪いところなど欠点を視るのはよくない。短所をばかり視ていると、自分はその人より勝っていると思いこんでしまう。そこには驕りの心が生まれ、自分の徳性を養ったり、自分の品格や性格を高めるどころが、その逆に自分の利するところがなんらない。
人の長所を視れば、自分より相手が優れていることに気がつき、そのことに対して自分を高めようと、感情や精神を心に働きかけをする。ついてはそれは、自分を磨き高めることになる。


よくこのことは言われるが、いつもこのように人を視ることが出来るかというと、必ずしもそうではなくむしろ相手の短所の方が先に目に付いてしまうものです。
常々このことを心がけていきたいと思うものです。

読書と静坐を一つとしてできないか

言志録 三 佐藤一斎

吾れ読書静坐を把って打して一片と做さんと欲し 因って自ら之を試みぬ 経を読む時は 寧静端坐し 巻を披きて目を渉し 一事一理 必ず之を心に求むるに 乃ち能く之れと黙契し 恍として自得する有り 此の際真に是れ無欲にして 即ち是れ主静なるい 必ずしも一日各半の工夫を做さず。


昔朱子は言った「半日静坐 半日読書」と。
しかし、自分は読書と静坐を合わせて出来ないかと考え、それを試みてみた。
経書を読むときは、片づけられよけいなものが無く静かな所で、静かに姿勢を正して坐り 書物を開いて目を通し、書かれている一つの事項一つの道筋を、よく心に深く伝わるように考えて読んでいくと、無言のうちに自分の心と書物とが重なり合って 心によく響き解け、て自分のものとなるよに理解できる所がある、真に無欲であり 一点の邪心もなく専ら静になりきった状態になる そうなれば、朱子が言ったように半日読書半日静坐をする必要がない。

言っていることは何となくわかるが、いざ実施に行おうとすると、なかなか出来ないものである。始めのうちは出来ていても、気が散ってしまたり、いろいろな考えがわき起こり、書を読むことを深められてたとしても、静坐などまではなかなか行かないものです。
また、よく本によって変わって来ると思う。時事問題などの本は到底このように読むことはできないだろう。是に適した本は、この言志録は静坐に関しての本や、このブログでも読み解いている、「天台小止観」なを読むとよいだろう。

ライオンとロバ イソップから

ライオンとロバ イソップから

ある日、ライオンが森の小道をゆうゆうと歩いていると、森の動物たちはみな頭を下げてお辞儀しました。
ところが、一匹のロバは、ライオンの通りすがりに、耳障りなことをつぶやきました。
ライオンはその言葉が耳に入り、一瞬カッと頭にきましたが、なにも言い返さず通り過ぎました。
ライオンは考えたのです、一言でも何か言い返せば、このバカなロバを認めることになり、自分もロバと同じように品位を落としてしまうと考えたからです。


国会の予算委員会で「ニッキョウソ」とヤジを飛ばした人は、委員会の質疑者の発言中、よくヤジを飛ばすそうです。しかし、テレビの中継を見ていると、ご自身が答弁の時にヤジを飛ばされたら、「答弁しているのですから、ヤジを飛ばさないでくださいよ」とよくやり返している。それならまずは国の責任者なのだから、自身がヤジを飛ばさないようにしたらと思う。このイソップにでてくるライオンと随分違う。

ファイドロスの『森の木々と斧』

ファイドロスの『森の木々と斧』から

木こりが森にやってきました。そして、木こりが森の木々に尋ねました。
「自分の斧の切れ味を試すため、試すだけのわずかな木を切り倒してもいいか」。と。
森の木々は、斧の切れ味を試すわずかな木なら、良いだろうと思った。
そこで、森の木々はすぐにいいよと答え、それと引き替えに、森に灰を撒くように言って。話がまとまりました。

木こりは自分の目的に見合う、必要な人数の木こりをつれて森に入ってきました。
木こりは森に入ると、森の中でいちばん立派な木から切り倒し始めました。そして、はじめに約束した、斧の切れ味を試すだけでなく、説明もなく次々に森の木を倒していき、、謝りもなくさらに木を切り倒していきました。

 木々がたくさん切り倒された、長い時間を経たのちにに、ことのしだいがわかってきました。森のカシの木はヒマラヤスギに言いました。「おれたちは取り返しのつかない過ちをおかしたようだ。斧を試すだけならたいしたことではないと、寛大に扱ったところが、大事なものを失ってしまうことになるんだ。このよう、森の仲間の木の一本二本を犠牲にすると、このように全員が滅びてしまうことになるんだよ」


少しだけと思っていたら、雪崩のようになし崩しに、ものごとを変えられてしますことがある。
なにごとも、よくよく考えていかないと、後から取り返しのつかないことになってしまうことが多いようです。

オオカミと子羊  イソップ

オオカミと子羊  イソップ

川沿いでオオカミが水を呑んでいました。すると川下で一匹の迷った仔羊が水遊びをしていました。
オオカミは川下の仔羊を見て、食べたいと思いました。
しかしオオカミは仔羊を、すぐに食べようとせず、仔羊に言いがかりをつける理由を考えていました。
そうすると周りの人は自分を、悪く思わないと考えたからです。
オオカミは仔羊のいる、川下に走って行き「こら!、おれが呑んでいる水をよくも汚してくれたな!」と怒鳴りました。
仔羊は「どうして、あなたが呑んでいる川上の水を汚すことができるの。私が呑んでいた水は、あなたの方から流れてきているのですよ」
そこで、オオカミは子羊に「一年前、おまえはオレの悪口を言ったろう」
仔羊は「誰かと勘違いしているのでしょ。私はそのときはまだ産まれていなかったよ」と言いました。
オオカミは仔羊に「おまえはオレの夕食を食べただろう」
仔羊は「私ら羊は肉食でなく草しか食べないですよ」と仔羊は言いました。そして、「私はまだ幼いので、飲むことしかできないのです」
さらにオオカミは仔羊に「そうだ! おまえはオレの水を飲んだだろう」オオカミは言いました。
仔羊は「私はまだお母さんのお乳しか飲めないんです」と言いました。
「そうかい?」オオカミは言いました。「しかしいずれにしても、オレはお前を食べることができる、おまえはオレの食事の邪魔をすることはできない。今、オレは夕食をとることにする」
そういうと、オオカミは仔羊にとびかかり、ずたずたにしてしまいました。


教訓:悪いことをしようとする者は、いつもなにかしらごまかしや言い訳のためにかこつけ言いがかりの理由みつけるものだ。

槁木死灰

槁木死灰

菜根譚 後集

14 寒灯無焔、敝裘無温、総是播弄光景。身如槁木、心似死灰、不免堕落頑空。

寒灯に焔 無く、敝裘に温なき、総て是れ光景を播弄す。身は槁木の如く、心は死灰に似たるは、頑空に堕落するを免れず。


燃え尽きる寸前のロウソクや、着古してすり切れ薄くなった着物は暖かくないです。それを大切にすることは、貧乏を負け惜しみで楽しんでいるこのようだ。そこにはそれ以上の発展や、前に進むことを拒んでいるように見える。

身体の肉体は枯れ木のようで、心は火の気がなくなって冷たくなった灰のようで、生気がみえない。
そうなれが、かたくななだけで中身がないものになり、品行が悪くなり、生活が乱れ身をもちくずすことになる。

政治がそうなれば、国政に物事が健全な状態からはずれ、国がみだれ劣悪になる。
それは、真理を見抜けず、政治を行うものとしては言えない。頑固に自分の意見を押し通し、人の意見を聞く振りをして、実のところは耳を傾けず、なんでもごり押しをしてしまうのはまさに末期的な状態になってしまっている。これは早めに治療をしないといけないであろう。

イソップ物語、キツネとヤギ

イソップ物語、キツネとヤギ

キツネが井戸に落ちてしまいました。キツネは井戸から出るのにどうしたらよいか、何時間も考えました。しかし、その方法が思いつかずあきらめかけていました。
そこに喉が渇いたヤギがやってきました。ヤギは井戸の中のキツネを見つけると、「そこの水はおいしの」と聞きました。
キツネは、おいしいてもんじゃなく、自分がこうして困っているのに、のんきはヤギだと思いました。
そして、キツネは言いました。「うまい!うまいてもんじゃなく、あまりにおいしいので抜け出せなくなってしまった」。そしてキツネはヤギにいいました。「君も降りてこいよ、たっぷり水があるから」。
それを聞いたヤギはただ水を飲みたいばかりに、考えることもなく井戸の中に飛び降りてて水を飲みました。
ヤギはきれいな井戸の水を飲むだけのだので、のどのかわきがおさまり、ヤギはキツネに聞きました。「ところでこの井戸からどうやって出るんだい」。
キツネはいいました。「いまこうして井戸の中に二人でいるのだからわけないよ、君が後ろ足で立って、その前足を井戸の壁につけて、その角を井戸の壁につければいいんだ。すると、僕はきみの背中から角をつたって上に簡単い出られるわけさ」。
ヤギはまた、考えもせずにキツネに言われた通りしました。するとキツネはヤギの背中にのり、ヤギの角を踏み台にして、ポンと飛び跳ねて井戸の外に出ました。
ヤギが井戸の中から言いました。「こんどは君が僕を外に出すのを手伝う番だよ」。
しかし、キツネはすでに井戸から離れて歩きだしていました。
そしてキツネはヤギに言いました。「もう少し君にもう少し知恵があって、きみの脳みその半分ほども使って考えていていれば、だまされていることがわかって、下りて来なかなかっただろ」。


人間の場合も考えのある人は、まず物事の結果を考えから、行動をするので後で後悔はしない。

いま、目先の都合のよい事ばかりをいわれて、コロッとだまされてしまうことがあります。
よい儲け話あると言われて、ATMに現金を振り込まされたり。政治の面でも耳触りのいいフレーズの言葉に惑わそうとしている、キツネもいるようです気をつけたいものです。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • これからの世界情勢
    アジシオ次郎 (05/15)
    こんにちは。

    移ろい易い国際情勢、韓国とフランスで大統領が代わり、欧米ではポピュリズムに訴えて支持を伸ばす政党が台頭するなど、予断を許さない状況ではあります
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    竹林泉水 (05/11)
    > 2006年に安倍晋三は「新しい国へ 美しい国へ」という本を書いています。
    これについて、追加です上記のタイトルの本は、2013年に増補として出されたもので、2006年の
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    竹林泉水 (05/11)
    2006年に安倍晋三は「新しい国へ 美しい国へ」という本を書いています。
    それを読んだらわかるのではないかと思います。
    70年前の日本を取り戻したいと思っているようで
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    風と雲 (05/07)
    安倍政権になってから、日本の国をどういう風にしたいのか、何が今の日本で足らないのか、不整備だとしているのかさっぱり分らない。70年間大きな過誤なしに比較的平和に
  • 今村氏の発言より二階氏のマスコミへの苦言
    竹林泉水 (04/29)
    > 自民党・二階幹事長のこの発言は「報道規制」につながりかねないが、自分たちに都合の悪い情報や報道を・・・・
    マスコミがこのことに対して抗議しないのは、すでに
  • 今村氏の発言より二階氏のマスコミへの苦言
    アジシオ次郎 (04/28)
    こんにちは。

    自民党・二階幹事長のこの発言は「報道規制」につながりかねないが、自分たちに都合の悪い情報や報道を抑圧しようとするのは客観性がない以前のもので、
  • 山本大臣の発言
    竹林泉水 (04/22)
    自民党の議席を多数とったことによる驕りと、下野に下った時のトラウマがあり、自分のすることが正しい思いこんでいるのでしょう。

    アメリカ追随が自民党の一部の反動的
  • 山本大臣の発言
    アジシオ次郎 (04/21)
    こんにちは。

    どうも閣僚や若手議員の不祥事が相次いでいる自民党、正直言って自分たちは政権与党だとか一強状態なことから慢心して周りが見えなくなっているんじゃな
  • 社会の管理化が巧みになり監視社会になるのか
    竹林泉水 (04/07)
    愛国者法での通信傍受は、国民は当初、イスラムなどのテロ犯罪者対象と思っていたが、アメリカ国民全員の通信が監視傍受されていたいいます。

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