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西遊記と神話

中国の古典の三大奇書の一つの『西遊記』の書き出しに、次のようにある。

混沌はまだ分れておらぬゆえ
天と地は渺茫なんにも見えず。
盤古が卵を破ったその時から
天地はひらき清濁の別も生ず。
生きとし生けるを育くむ仁は
万物をつくり善へとみちびく。
創造の秘密を知りたいのなら
この『西遊記』を読みたまえ。
(岩波文庫 最遊記 中野美代子)

冒頭の中国語では次のように書かれている。「混沌未分天地乱 茫々渺々無人見」
この混沌と未分で渺茫でなにも見えないことは、中国の他に書物にも見ることができる。

中国には、ギリシャやエジプトやインドのような系統だった神話がないというが、袁珂が『中国古代神話』(みすず書房1960年4月20日)で次のように述べている。
中国の神話は、元来豊富でないとはいえないのだが、惜しいことに散逸してしまい、残ったいくつかの断片は古人の著作中のあちこちに散在して脈絡がなく、ギリシャ各民族の神話とその美しさを競いあうことができぬのは、大へん残念である。

とのべ、散逸した理由として魯迅の『中国小説史略』で、三つの項目を紹介している。
一は、中国の民ははじめ黄河流域にいて、自然の恩恵が少なく、その生活も苦しかった。だから実際を重んじて空想を退けた。まして古伝を集めて大文書にするなど出来ない相談である。
二に、孔子が出て、修身斉家治国平天下等の実用を教えとして、鬼神のことは口にしようとせず、太古の荒唐無稽の説はいずれも儒者の触れないものとなった。
三に、神と鬼とを区別しなかった。天神・地 ・人鬼は古は区別があったようでるが、人鬼もまた神 になることができた。人と神とが混 すれば、原始的信仰から脱却出来なくなる。
と、魯迅は『中国小説史略』(平凡社 東洋文庫618)で

天地開闢の神話など、中国に残存するものは、その構想がすでにかなり高くて、原始人の真面目を見ることができないのは、つまりその例であると言いきっている。

さらに、魯迅は、
『芸文類  三五歴記』を引いて
「天地は鶏卵のようにのっぺらぼうであった。盤古がその中に生れて、一万八千年。天地が開け、陽は澄んで天となり、陰は濁って地となった。盤古はその中にいて、一日に九たび姿を変え、天においては神となり、地にあっては聖人となった。天は日に一丈ずつ高くなり、地は一丈ずつ厚くなり、盤古は日に一丈ずつ丈が伸びた。そのようにして一万八千年、天は極めて高く、地は極めて深く、盤古は極めて大きくなった。その後になって三皇が出た」
を紹介している。

また、『列子 湯門』を引いて
「天地もまた物である。物として足りないところがあったので、むかし女?(女+咼)氏が五色の石をとかしてその欠落を補い、大亀の足を断ち切って世界の四隅のそれを立てた。その後共工氏が?(?+頁)?(センギョク)と帝位を争い、怒って不周の山に触れ、天を支える柱が折れ、大地を支える大綱が切れた。ために天は西北に傾き、日月や星はそちらに移り、地は東南に満たず、ためにすべての川や沼沢の水はそちらに流れるのである」
を紹介している。

『西遊記』では先にあげた詩につづいてつぎのようにある。
さても天地の秩序は、こんなぐあいになっております。すなわち、十二万九千六百年を一元といたしますが、その一元を十二の会に分けます。つまり、子・丑・寅・卯・辰・午・未・申・酉・戌・亥の十二支です。そこで、一会は一万八百年ということになります。(岩波文庫 最遊記 中野美代子)
これなど、芸文類  三五歴記の一節と似ているところがある。

しかし、この混沌は中国に限らず世界中の神話の中に見いだすことができる。日本の『古事記』を見てい見ると
そもそも宇宙の初めに、混沌とした根元がすでに固まって、まだ生成力も形も現れなかったころのことは、名づけようもなく動きもなく、誰もその形状をしるものはなかった。しかしながら、天と地とが初めて分かれると、天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神・の三神が、万物創造の初めとなり、また陰と陽の二気に分れると、伊邪那岐・伊邪那美の二神が万物を生み出す祖神となった。(古事記 講談社学術文庫 次田真幸現代語訳)

また、キリスト教の旧約聖書を見ると
創世記 第一章 1-5
はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜となづけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
(日本聖書協会 1955年改訳)

ギリシャ神話では、世界の形成と神々の誕生について、青土社の世界の神話シリーズンのギリシャ神話(フェリックス・ギラン 中島健訳)でカオスとガイアについて次のように書いてある。
初めに混沌(カオス)があった、漠として暗かった、とヘージオドスは述べていうr。ついで、奥深い胸をもった大地ガイアが現われ、そしてついに「心を和らげる愛」エロースが現われた。それ以降、エロースの生み出す力が、生物・無生物の生成に常に主役を務めることになった。
カオスから暗黒(エレポス)と夜(ニユクス)が生まれ、ついでこの二つのものが結びつき、光(アイテール)とヘーメラスすなわち昼が生まれた。
ガイアは、まず、星々の冠を戴いた天空、ウーラノスを生んだ。「ガイアは、ウーラノスを自分と等しく雄大なものに生んだので、ウーラノスは彼女を覆いつくした。」ついで、彼女は高い山々と、波の美しく響あう「不毛の海」ポントスを創りだした。

このように世界の神話を見てみると混沌とした世界がまとまっていくところはよく似ている。

西遊記の話しで、孫悟空が天宮を大いに騒がす話や、玄奘三蔵の八十一難の話しなど、どうやら中国の古来からある神話など精神から作られた話のようです。

悪臭を放っている政治

「ああ、この穢れに穢れた肉体が、
溶けて崩れて、露になってしまえばいいものを。
定めなければよかったものを。ああ、神よ! 神よ!
なんと退屈、陳腐、単調、無益に見えることか、
このよの営みすべては! いやだ、ああ、いやだ、
この世は雑草の伸び放題、荒れ放題の庭だ。
卑しくはびこり自然(さが)のものがすべてを我が物にして、
悪臭を放っている。ああ、こんあことになろうとは!」
(岩波文庫 赤帯 204ー9)

これは、ハムレットの第一一幕二場でハムレットが言ったことばです。今の政治を見ていると、この気持ちになってくる。
これも、私たち自身が政治に無関心でいたからそのつけが、周り回って身に降りかかっってきているのだろう。

どのようにすれば、悪臭を放つものに対しての、このむかつく気持ちをやわらげ解消できるのだろか。

一幕五場では
「鎮まれ、鎮まれ、心乱れた霊よ!〔二人、三たび誓う〕では諸君、
くれぐれも宜しく頼む。
このハムレット、いかに哀れ不肖の身とはいえ、
君らに友愛の証しを立てることはできよう、
神意のままに、必ずや君らの友情に報いて見せよう。さ、一緒に中へ。
いつも唇に指をあてがっておくのを、どうか忘れないくれたまえ。
世の中の間接が外れてしまった。ああ、なんと呪われた因果か、それを直すために生まれついたとは!
いや、他人行儀はよして、さ、一緒に行こう。」
(岩波文庫 赤帯 204ー9)

世の中の多くの政治家や運動家や世の中の改革者の主張は、自分の主張を正しいものだと信じ、時に「これしかない」いって絶対化し、「決められる政治」といって正当化する。そうして関節が外れば身体が自由に随意的に動かすことができなくなように、代議員制民主主義のなかで有権者の意思はとどかなくなる。

ハムレットは、いまのデンマーク国の真相をしり復讐に亡霊に迫られる。それを知ったハムレットは、そのような箍の外れた世の中を「関節のはずれている」といい、そのような世の中を直すことは「うかぬ話」だと言う。すでに崩れたものを修復し回復するのは不可能だということだろう。

関節がはずれると思うように動かなくなるが。箍が外れれば桶や樽の場合は、その用をなさなくなる。孫悟空の場合は頭の箍があるから、三蔵法師により孫悟空の暴走に歯止めきくが、頭の輪の緊箍児なければ、三蔵を襲う妖怪退治に歯止めがきかなくなる。

いまの日本の政治や、世界の政治をみていても、関節がはずれて箍がはずれた政治家が、議会を好き勝手に闊歩しだしている。
ハムレットは、父が毒殺され母は叔父と淫らな寝床に耽溺していることを、修復不可能だと感じたが、現在の議会制民主主義では、有権者が目覚め目先の戯言に惑わされなければ、今の状況を回復できるのではないだろうか。

民は信なくんば立たず

孔子の論語 顔淵第十二の七 民は信なくんば立たず

論語 顔淵 第十二の七

漢文
子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。

書き下し文
子貢、政を問う。
子曰わく、食を足し 兵を足し 民をしてこれを信ぜしむ。
子貢が曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於て何れをか先きにせん。
曰わく、兵を去らん。
曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。
曰わく、食を去らん。古より皆死あり、民は信なくんば立たず。


子貢が政治について尋ねた。
子曰、「食糧をいきわたらせること、軍備を整えること、人々に信義を植え付けることだ。」
子貢は、「やむを得ずして三つのうち一つを犠牲にせねばならないとしたら、どれを犠牲にすればよいか」
子曰、 「軍備だ」
子貢はさらに、「やむを得ずして残った二つのうち一つを犠牲にせねばならないとしたら、どちらを犠牲にすればよいか」
子曰、「次は食糧だ。昔から人の死は避けられないものだが、信義なくば人間社会が成立しない。」


香港の一国二制度が今後も続けられるには、「民は信なくんば立たず」この言葉を、行政府は肝に銘じておくべきだろう。
なぜ、民主派の一部の若者があそこまで暴徒といわれても過激な行動を起こしたのか、それは、香港に市民に今の中国の傀儡のような行政府に危機感をもっているからだろう。
経済的に豊かになるより、外国からの国防を中国の力を借りて強くするより、民主化の方を選んでいるからだろう。

ドイツの旧東側や、旧東欧などは民主化を果たしたが、西側との経済格差があり自由競争の世の中にんり、ものが不足されたりして不満を持っている人もいるが、無条件で以前のような生活に戻りたいとは思っていないのはたしかだろう。また、統制経済計画経済もどったとしたら、そこで改めて民主主義のよさを実感し香港のような多いな抗議運動が起きるだろう。

いまの、日本をみると、安倍政権は、足食足兵、民信之矣のうち、アベノミクスの足食を大事にし、中朝の脅威や集団的自衛権行使の足兵を重視している。民信之矣は丁寧に説明していくといいながら、論点をそらして説明していくすがたは、まったく、民は信なくんば立たずにはあたらない政治運営をしている。

その時は、日本国憲法の二つの条文を読み返してみよう。
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

この12条の不断の努力は、国民の抵抗権でもあり、抗議の意思を表すことが保障されているし、それが権利であり責任でもあると書いてあることを忘れないようにしたいと、香港の昨今の情勢を見て思った。

女神エオスの話の訂正

11月20日に、ギリシャの女神エオスが人間のティトノスに横恋慕して結婚し、ゼウスに不死のからだにしてもらうが、不老も頼まなかったので、どんどん老いていきそれに嫌気をさした、エオスはティトノスを一室に閉じ込め蝉に変えてしまったと書いた。しかし、それは間違っていた、ティトノスが一室に閉じ込められ、老衰した身で独りぼっちで暮らしているのを、神が憐れみ蝉に変えてしまったのが正しいようです。

さて、エオスは気紡で、他の男たちに慰めを求めつづける淫乱な女神だったようだ。

ギリシャ神話に限らず日本の神々も、全知全能の神ではなく、善良な神もいれば、間抜けな神もいたり、悪癖な神もいる。
その中にその神話を生み出した民族の文化があり、それがその民族の独自性なのだろう。しかし、その中には世界各地で共通した話も多くある。ということは、所詮アフリカから出立した同じホモサピエンスだということでもあるのだろう。

日本の神話とされる記紀すなわち、古事記と日本書紀は、奈良時代に編纂された日本神話や古代の歴史を伝え、天皇の皇統の正当性を謳うものです。
それより、それ以外の日本の各地に伝わる民話や神話には、日本の古来からある自然への畏敬の考えが詰まっているだろう。

八戒の失敗

西遊記の第二十四編で、三蔵法師一行が取経の旅に途中に、八戒が美女の母子に惑わされ、懲らしめられる話しがある。
そこに出てる八句の頌が出てくる。

黎山老母不思凡 南海菩薩請下山
普賢文殊皆是客 化成美女在林間
聖僧有徳還無俗 八戒無禅更有凡
従此静心須改過 若生怠慢路途難
(西遊記 浙江古籍出版社(中国) 簡体字は常用漢字に変換)

黎山(れいざん)老母は俗界を慕わねど 南海菩薩に請われ山を下る
普賢と文殊もまた客となり 美女と化し林間に出没せり
聖僧は徳あり俗気なけれど 八戒に禅なく更に凡心あり
以後は須(すべから)く過(あやま)ちを改むべし 怠慢せば路途は難しからん
(岩波文庫 西遊記 三 中野美代子訳)

黎山の老母 凡を思わず 南海の菩薩 下山を請う
普賢・文殊は皆これ客 化して美女となりて林間にあり
聖僧は淡漠にして禅機定まり 八戒は淫を貪りて劣性頑(かたくな)なり
これより心を洗い須(すべから)く過を改むべし もし怠慢せば路途難しからん
(平凡社 中国古典文学大系 西遊記 上 太田辰夫・鳥居久靖訳 (ふり仮名))


取経の三蔵、悟空 八戒 悟浄の一行を、その心意気を試すために、南海菩薩と普賢菩薩、文殊菩薩が美女になり四人をまどわすが、三蔵、悟空、悟浄は惑わされないが、八戒は惑わされ木に縛り付けれ懲らしめられる、今後経取のため精進に努められないと、取経が遂行できなくなる。と諭される。


従正修持須謹慎 掃除愛欲自帰真
(西遊記 浙江古籍出版社(中国) 簡体字は常用漢字に変換)

正に従って修持し須(すべから)く謹慎すべし
愛欲を掃除せば自(おの)ずから真に帰(き)す
(岩波文庫 西遊記 三 中野美代子訳 (ふり仮名))

正に従い修持するは須(すべから)く謹慎なるべし
愛欲を掃除(はきのぞ)けばおのずから真に帰せん
(平凡社 中国古典文学大系 西遊記 上 太田辰夫・鳥居久靖訳 (ふり仮名))


さらに、第二十四編に、『西江月』の詞が照会されている。
色乃傍身之剣 貪之必定遭殃
佳人二八好容粧 更比夜叉凶壮
只有一個原本 再無微利添嚢
好将資本謹収蔵 堅守休教放蕩

いろごとは身をそこなう剣とかや
 むさぼればめぐりあうは殃(わざわい)ばかり
二八(にはち)の佳人すがたはよろし
 されど夜叉(やしゃ)よりおそろしい
原本(もとで)はただひとつのみ
 利子を増やすな儲(もうけ)るな
資本はだいじにしまっておこう
 あちこち放蕩させてはならぬぞ
(岩波文庫 西遊記 三 中野美代子訳 (ふり仮名))

色はすなわち身を傷つける剣
これを貪れば必定(かならず)殃(わざわい)に遭う
佳人二八 容妝好けれど
さらに夜叉比(よ)り狂壮なり
ただ一個の原本あるのみ
再(さら)に微利の嚢に添うるなし
好く資本を将(もっ)て謹んで収蔵し
堅く守り放蕩せしむる休(なか)れ
(平凡社 中国古典文学大系 西遊記 上 太田辰夫・鳥居久靖訳 (ふり仮名))

色欲にむさぼれば、身を滅ぼすどころか、夜叉より恐ろしく、厳に慎まないといけない。

この後 八戒は、旅の途中なので、一つかみ土を摘まみ焼香の真似事をして合掌して、今後の精進を誓うのです。
さて、この後4人は、どのような取経の旅を続けるのでしょうか。

しかし、何事も物欲、色欲が過ぎれば道を誤ってします。特に修道のものはそれらを厳に慎まなくてならない。
西遊記は中国の四大奇書とされているが、単に面白可笑しく書かれた物語ではなく、そのなかに、民間の信仰や道教の教えや仏教の教えなどをそれとなく諭されるよに書かれている。

ギリシャ神話 不死のティトノス

先日のガリヴァー旅行記の不死の人間と、ギリシャ神話の不死の人間にされたティトノスがセミにされた話。

ギリシャ神話で不死についての話がある。
女神が人間の男に人目ぼれして攫うが、女神は年をとらないが人間はやがて死ぬで、ゼウスに男を不死にしてもらう。

ティタン神族ヒュペリオンとテイアとの娘、女神エオスは、太陽神ヘリオスと月女神セレネの兄妹である。雪のような肌に薔薇の花びらのようにほのかに赤い指先の華麗な容姿で、恋い多き女神である。
エオスはトロイアの王ラオメドンの息子、ティトノスを見初める。ティトノスは若さと類をみない美しさの人間の王子、エオスは地の東の果てまで、ティトノスを誘拐し、愛の楽しみに耽る。
エオスは神で永遠の命がと若さがあるが、神に比べれば寿命は短くはかないティトノスの若さと美しさを失うことを怖れた。
ティトノスと永遠に一緒にいたいと思い、そこで、天界を支配する最高神であるゼウスに「ティトノスに永遠の命を与えてほしい」と懇願がする。ゼウスはその願いをうけいれ、ティトノスに永遠の命を与える。
しかし、エオスは「永遠の若さ」を含めなかったので、「永遠の若さ」は与えなかった。

エオスと永遠の命を与えられたティトノスには、エマティオンとメムノンという二人の息子が生まれ、二人は幸せに暮らしていた。しかし、エマティオンはヘラクレスに殺され。メムノンはエチオピアの王になり、トロイア戦争の英雄になるが、アキレウスに殺されてしまう。息子を忘れられないエーオースが流す涙し、ティトノスをいつまでも若さを保ち続けて欲しと思う。
しかし、エオスは神であるが故に、若さを保ち続けるが、ティトノスは老けていき、肌に皺が刻まれ、髪の毛は潤いを失い、目は澱んで、からだは痩せ細っていき、手足を動かせなくなっていった。
エオスは、死ぬことができず、ただ生きているだけの、かつての恋人ティトノスに見切りをつけ、自分の住まいの一室に閉じ込目鍵を掛けてしまう。そこでティトノスは一室に閉じこめられ、一人寂しく暮らしていたが、神がそれを哀れみ蝉に変えてしまった。

女神エオスのエゴに翻弄された男ティトノスはたまったものではない、老けるだけ老け意識や知覚がにぶりぼんやりして、皺だらけになったあと、蝉にされてしまう。もしエオスに拉致されなかったら、平凡な人生を過ごし終えていただろう。どちらが幸せだろか。

日本の大魔王

私は今まで、慶応から明治に改元されたは、光明天皇が崩御され明治天皇が即位したからと思っていた。それ以降天皇の代替わりのときに、元号は改元されるようになったと解釈していた。

しかし、慶応 2年12月25日 光明天皇崩御し、慶応4年8月27日 明治天皇が即位している。改元は、9月8日に改元されている。
なぜこれだけの時間が空いているのか、それは政治の実権が今までの幕府から、王政復古され天皇に戻ったが、そこには、天皇家には日本の三大魔王ので最強の魔王を恐れていたからと考えられる。
光明天皇、明治天皇は、京都に白峯宮を創建するが、その崇徳上皇の神霊が白峯宮に到着したのが、慶応4年9月6日で、それを待ってこれらの天皇家の治世の安泰を願って改元したと見ることができる。
また、昭和天皇は白峯宮の社格を上げ白峯神宮とします。それは、帝国政府が大東亜共栄圏建設を閣議決定し、その成功と安泰を祈るために社格を上げたともいえる。
しかし、大東亜共栄圏への結果、日本は惨憺たる惨事に見舞われてしまう。崇徳天皇800年式年祭が1964年に行われるので、先の大戦で犠牲になった人のその鎮魂の意味をこめて、白峯御陵に勅使を送っり同時に、10月10日から開催されるオリンピックが無事行われ成功することを祈ったのだろう。

このように書くと、崇徳院は850年も祟り続ける大魔王のようだが、落語の崇徳院で知られる、百人一首にも選ばれている、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の  われても末に 逢はむとぞ思ふ」の歌などを詠むと、崇徳上皇は果たしてそのように恨み辛みを持ち続け怨霊となり、世の中を沢がし続けるような人だったのかと、疑問に思うところがある。また幼いときから、よく和歌などにしたしみ教養と知性があったことが知られています。
崇徳院の大魔王の物語は、作者不詳の『保元物語』によるところとも言える。山田雄司の「崇徳院怨霊の研究」によると、山田は怨霊伝説が生まれたのは、「都から流され帰ることが許されることなく、辺境の地で憤懣を抱いたまま無念の死を遂げざるを得なかったことにあるとみなされている。しかしこうした考えは、崇徳院自身のかんがえかたというよりも、『保元物語』の作者が崇徳院に成り代わって創り上げていった、作者自身の崇徳院像といえよう」と述べている。

金毘羅本『保元物語』に、血書で五部大乗経を写経したとある。現代の私たちからすると、血書というとおぞましい感じがあるが、平安末期は自分の指を切った血で写経するのは、自らの信仰心の高まりから起きたことで、功徳を期待するものだとみることができると山田は言う。
しかし、『保元物語』では、五部大乗経を受け取ってもらえなかったので、崇徳院は、
「吾深罪に行れ、愁 浅からず。速此功力を以て、彼科を救わんと思う莫太の行業を、併三悪道に抛籠、其力を以、日本国の大魔縁となり、皇を取て民となし、民を皇となさん」とて、御舌の先をくい切って、流る血を以、大乗経の奥に、御誓状と書き付ける。「願は、上梵天帝釈、下堅牢地神に至迄、此誓約に合力し給えや」と、海底に入させ給いける。
としたとある。
これが、後の崇徳院が日本の三大怨霊伝説の一つになたのではないかと思う。
しかし、怨霊の祟りとはそもそもは人個人に付くもので、世の中や社会などにつくものでは禍いという。そうなると崇徳院の怨霊は後白河天皇に付くもので、当時の庶民などには関係ないものだが、『保元物語』のように誇張して面白く書かれると読む方は、いつの世も同じでそれがより拡散されて、今の時代になっても語り継がれていると言える。

そう考えると、崇徳院の怨霊は崇徳上皇を追いつめた当事者の、恐れが生み出したものではないかと思う。またそれが1964年の東京オリンピックまでも、続いていることは、天皇家の崇徳院へのそれだけの引け目があるからともいえるのではないだろうか。
昭和天皇の時代は、戦争という惨禍があったが、平成は日本では戦争はなかったが、自然災害が幾度と襲ってきた、さて令和の時代は始まったばかりだが、どうなるだろう。

東京オリンピックと鎮魂

能のワキ方の安田登がTwitterで、東京オリンピックのとき、怨霊を祓うことをしたとツイートしていた。なぜ怨霊を払わなければならなかったか、どのようなことそして怨霊を祓ったかは述べていないのでわからない。

怨霊というと日本最強の怨霊として、崇徳院の話が知られている、弟の後白河天皇との保元の乱で破れ讃岐に流された。その後、赦免のため、写経をし京に送るがそれを断られ、「我、日本の大魔王となり、皇を取って民となし民を皇となさん」と書き残し、舌を噛み切って死ぬ。その後、京では、後白河天皇の近親者が相次ぎ死に、平安京が焼失しするなど不吉な出来事が相次ぎ、崇徳院の怨霊だと恐れられた話はよく知られている。
明治天皇は、即位の際に崇徳院への詫び状を書き白峯宮を建立し、昭和天皇も崇徳院の800年忌(1964年)に讃岐の崇徳陵で式年祭をしている。
このことを見ても、皇室の崇徳院にたいしての気遣いはいまもあるのだろう。

能の演目に「松山天狗」というのがあるが、私の持っている観世流の謡本にはない。安田は宝生流のワキ方だが自分の流派にはないと言っている。
金剛・喜多・金春流になると思っていたら、わたしのもっっている「能鑑賞二百一番」の本に、「江戸時代にも埋もれていた時期があり、明治十年代に金剛流が演目に取り入れ以来、一九九四年七月に能劇の座で能本作成西野春雄により観世流で復曲試演するまで、金剛流だけで上演されていた。となっている」と書かれていた。
作者は不詳となっている。また作られた年代はわからない。上田秋成の「雨月物語」には、2話に「白峯」があるが、この謡曲が発端になったと見られる。

さて、二〇二〇年のオリンピックで、狂言方の野村萬斎がチーフディレクターをするそうだが、そこで「鎮魂と再生」と述べていたので、
どのような演出になるだろうか。それも一つの楽しみとするのもよいだろう。
一九六四年のオリンピックでは、アジア太平洋戦争やヨーロッパでの世界大戦の戦没者や犠牲者の鎮魂でもあった、今回も、冷戦が終わったというが、世界では戦争で多くの人が犠牲になっり、日本を含めて世界各国で自然災害で多くの人が犠牲になっている。それらの人の鎮魂を捧げる。また、鎮魂とは、死者の霊魂をなぐさめ、しずめること、鎮魂の祭りとする、肉体から霊魂が去ることを恐れ、遊離した、または遊離しようとする魂を呼び戻してしずめる「たましずめ」がある。このところ自然災害が頻繁におきているが、それが松山天狗とするなら、崇徳院の霊の鎮魂もするとよいだろう。

子分を高いポストにつけない

宋名臣言行録 その3

宋名臣言行録 第一部五朝名臣言行録に次のような話亜ある。
王曾が宰相だった時、自分の身内や仲間からは一人も高い役職につけなかった。ある機会に笵仲淹が、「優秀な人材をとりたてるのが宰相の任務です。全体を統括して管理すあなたに欠点があるとすればそこだけです」とそれとなく誘いをかけるた。すると、王曾「君はわしが恩義をきせれば、怨恨が誰にゆくか考えぬのか」と答えた。茫然とした仲淹は、「なるほどこれこそまことの宰相だ」と感嘆した。

いまの安倍政権は、閣僚などの人事は、お友達人事と冗談や皮肉を言って相手をからかうわれることがある。
この話を安倍政権の人たちはどうよむのであろうか。

宋名臣言行録 第一部五朝名臣言行録 第三章真宗 第三皇帝

宋名臣言行録 その2

宋名臣言行録 その2

玉清昭応宮は,北宋の真宗時代に、おまつり騒動の総本山のような清昭応宮が落雷による火事で焼失した、それにより、守衛の責任者たちはみな獄に繋がれた。象徴である玉清昭応宮を再建の話しがあった。しかし王曙は言った。「昔、魯の桓と僖の廟所が焼けたとき、孔子は、時代に合わず古いので取り壊すべきものだったと言った。漢の時代に、遼東にある高祖の陵園の御殿が焼けた時には董仲舒は、高祖の廟は地方にあるべきでなく、また御殿は陵墓のそばにあるべきでないと言った。三国時代、魏の祟華殿が焼けたときには、重臣の高堂隆は、豪壮な宮殿を作ることへの警告で、修復すべきでないと言上したが、文帝は聴きいれず修復したが再び焼けた」。王曙は玉清昭応宮のようなものは、無駄なものでよけいな出費をすだけだとして、いにしえの孔子や漢代や三国の古典の話を例に再建に反対した。

この説得力ある贅沢な事業にたいしての反対意見はなかなかスマートなものです。
いま、国や地方の行政でも、大型の公共事業をして景気の底上げをしようとしているが、それらは本当に今よりよりよいものになるだろうか。
万博やリニアなどは二匹目のドジョウを狙うようものだが、早々と捕らぬ狸の皮算用で、今皮算用をしている者だけが儲けて、あとは何が残るのであろうか。

竈の神

論語 八いつ に次のようなことが書かれている。

王孫賈問曰。與其媚於奧。寧媚於竈。何謂也。子曰。不然。獲罪於天。無所祷(示+壽)也。

王孫賈問いて曰く、其の奥に媚こびんよりは、寧ろ竈に媚よとは、何の謂いぞや。子曰く、然らず、罪を天に獲ば、祷(示+壽)る所無なきなり。

王孫賈が「部屋の奥の神に媚びるより、竈の神に媚びよ、という諺はどういことですか」とたずねた。
子曰「それは間違っている。天に対して間違いを冒したなら、どんな神に祈っても祈りようがないものです」

いまはガスや電気のIHコンロだが、昔の家には竈があり薪で煮炊きものをしていた。ここには竈神が祀られていて「おくどさん」として親しまれて、大切に扱うように言われていました。また、火の神としては荒神さんとしの神もまつられていた。
また、竈神はその家の家族の行為を四六時中監視していて、その一家の行為をすべて把握していると言われていた。竈を粗末に扱うと、病気になったり火が出たりするので、大切に扱えということです。

王孫賈は、竈神の話を持ち出しなぞかけをして自分に媚びよと誘いかけたのだが、それを孔子はきっぱりと撥ね付けて、天に対して過ちを犯したら、どこにも祈りようがないと毅然とした態度でいる。

いまの政治家の多く特に自民党の議員なら、王孫賈の誘いにその顔色をみて直ぐにのってしまうでしょう。いかに、党の人事権と国の官僚の人事権を握っているものになびくのは、そのときの自分にとってはいいが、国にとってはおろかしいことです。国会議員は主権者である国民の代表者であることを忘れているのでは?


中国の竈神の話しに次のような話がある。
古稀をむかえる男がいた、男には三人の男の子がいて、孫も五人いた。
長男は科挙に合格し役人を勤め、次男と三男は商売をしていたので、そこそこの暮らしをすることができていた。
男は善行を率先して行い、まわりから善人と称されていた。ただ妻が目を患い、医者の診てもらっても薬石をしても効果がなかった。
除夜の晩に男はある夢をみた。青衣の童子に導かれた竈神があらわれて言った「汝は一生身を慎んで過失がなかった。汝の妻の眼病は、魚の食べ過ぎだ、以後殺生を慎み捕えた魚や動物は放してやるといい。そうすれば治るだろう。いま、汝に黄金一万両を授ける。終世善行を行ない怠ることなかれ」と言って消えていった。
男は目が覚め不思議なこともあるものだと思っていると。商売に出かけていた次男が大儲けして帰ってきた。さらに妻の目もよくなた。
これは、竈神はその家族の言動をつぶさに四六時中監視しているのだ、一家の行いをつぶさに把握していて、その男の善行を行なっていることに対して福をあたえたのであろう。

真面目にコツコツと生きて、人には善行を行なうことの大切さを物語っている、まずは国民の代表者は自分の私利私欲で行動するのではなくこうあって欲しいものです。

*参考 中国妖怪・鬼神図譜 相田洋 集広舎 

鍬を捨ててウサギを得ようとする

韓非子の五蠹に次のような話がある。

宋人有耕田者 田中有株 兎走触株 折頸而死 因釈耒其而守株 冀復得兎 兎不可復得 而身為宋国笑

高校の漢文の教科書で読んだ記憶がある話しです。

宋の国で畑を耕している者がいた、その畑の中に切株があった。たまたま兎がそこに走ってきて、切り株にぶつかれり首の骨を折って死んでしまた。それを見た男は、鋤を捨て畑を耕すのをやめ、再び兎が株にぶつかり兎を得られることを願った。男は兎を得られないばかりか、宋国中の笑いものになった。

そして次のように続きます。

今欲以先王之政 治当世之民 皆守株之類也

いま古代の聖王の政治によって、現代の民を治めようとするのは、この株を守って兎を得よとしている男と同じだ。

憲法の護憲派は不磨の大典のように死守しようとしている人がいるが、それはこの株を守って笑い者になった男と同じになってはいけない。そのようなことをすれば、憲法を自在に解釈して壊憲して改憲をしようとする者に押し切らてしまう。

国際情勢は変わり世界の秩序は、二度の世界大戦の反省によって作られた憲法の時代とはかわってきている。冷戦がはじまりそれも終焉せていき、経済がグローバル化し、国という一つの枠では物事が進まなくなり理解もできなくなってきている。また、国政をつかさどる政治家も戦後生まれの政治家がほぼ殆どで、戦前生まれといっても戦中の体験を記憶している人はいない。そのため、立憲主義と国民主権の本当の意味を理解しようとせず、統治権者として憲法を解釈しようとしている。そのため、立憲主義とは王政の時代のものだと言う政治家が首相に選ばれたりしている。そのようなことを考えると、憲法を改正するなら立憲主義の縛りを強めること求めるべきではないか。

私はこのブログで、そのことをいくどが書いてきたが、今の安倍政権の国会運営を見ているとますます改めて強く思う。どこまで横暴になるのだろうと心配でたまらなくなってしまうのはわたしだけだろうか。

本棚の塵劫記

私の書架に、江戸時代の数学書である『塵劫記』の影印とそれを現代語に訳した、研成社が出した、「『塵劫記』初版本 (吉田光由著/寛永四年版)がある。その一番はじめには、数の読みかたについて書いてある。そこには、一から始まり無量大数まで書かれている。

それを紹介してみる。

大かすの名の事
一     十     百     千
----------------------------------------------
万     億     兆     京
千十をいふ 万十をいふ 億十をいふ 兆十をいふ
----------------------------------------------
垓     杼     穣     溝
京十をいふ 垓十をいふ 杼十をいふ 穣十をいふ
----------------------------------------------
澗     正 十正  載     極
溝十をいふ 澗十をいふ 正十をいふ 載十をいふ
----------------------------------------------
恒河沙といふは 万万極をいふなり
阿僧祇といふは 万万恒河沙をいふ也
那由多といふは 万万阿僧祇をいふ也
不可思議と云は 万万那由多をいふ也
無量大数と云は 万万不可思議を云也

となっている。これを見ると、いま私たちの数の数え方が少し違うことが分かる。
万までは位が一つづつ上がっていくのは同じが、この塵劫記を見ると、億も兆も極まで位が一桁づつ上がていき、恒河沙からは、万が万集まって位が上がり呼び方が変わっている。

本屋さんにいきたまたま見た、岩波文庫の『塵劫記』寛永二十年版では、数の名の付け方が変わっている。
そこでは、次のようになっている。

大数の名
一  十  百  千  万   億   兆   京
             十万  十億  十兆  十京
             百万  百億  百兆  百京
             千万  千億  千兆  千京
-----------------------------------------------------------------
垓   杼   穣   溝   澗   正   載   極
 十垓  十杼  十穣  十溝  十澗  十正  十載  十極
 百垓  百杼  百穣  百溝  百澗  百正  百載  百極
 千垓  千杼  千穣  千溝  千澗  千正  千載  千極
-----------------------------------------------------------------
恒河沙   阿僧祇     那由多     不可思議
万万極を云 万万恒河沙を云 万万阿僧祇を云 万万那由多を云
 十恒河沙  十阿僧祇    十那由多    十不可思議
 百恒河沙  百阿僧祇    百那由多    百不可思議
 千恒河沙  千阿僧祇    千那由多    千不可思議
-----------------------------------------------------------------
無量大数
 むりょう大すう
 万万ふかしぎを云

となっている。こちらはいま私たちが使っている、数の位の付け方と同じです。
以前から、江戸時代の数の名の付け方が、今の付け方と違うことは私の書架のある本で知っていたが、今のようになったのの明治になってからだと思っていたが、岩波文庫の『塵劫記』を見ると、初版の本がでてから、16年経つといまの数え方と変わらなくなっていることになる。

日常生活では、一十百千ぐらいの数字までしか使わないだろうが、商いをしていたりすると、万以上の数字も日常つかうであろうし、加賀藩は加賀百万石などと言われるているが、塵劫記初版本で云うなら、加賀一兆石となるのではないだろうか。
また、江戸後期になると、塵劫記がベストセラーになるほど数学に対する庶民の熱が高まっていたことを考えると、庶民の中の数学熱の高い人には、難しい問題を解いたりしていたという。また、江戸時代に正確な日本地図を作製した伊能忠敬は、なぜ全国を行脚する日本地図を作る熱に取りつかれたかというと、地球の正確な大きさを天文学で計算して割り出そうとしたからだと言う説もある。そのようなことを考えると、やはり塵劫記初版本の位取りでは不便です、規則的に万単位繰り返す方が計算しやすい。いま私たちが使っている西洋数学では、キロ、ギガ、テラと1000単位で位があがっている。
そのようにかんがえると、実際の計算では初版本が出版されたときも、寛永二十年版のような使い方がされていたのではないだろうか。

では何故、吉田光由は極という、1,000,000,000,000,000.と千兆までの数を紹介しているのだろうか。

カフカの『審判』

カフカの作品の『審判』第一章 監視人が主人公Kに対して次のようにいうところがる。「前略・・・・ おれたちはただの監視人なんだ。その監視人と身分証明書だの逮捕令状だの、そんなことを論議して、それであんたの呪われた大きな訴訟事件に、すばやくかたをつけようとでもいうのかね? おれたちは身分の低い雇われ者なんで、身分証明書などは見たところでわけがわからないし、あんたの事件とのかかわりあいといったら、毎日十時間あてあんたのところで見張りをして、その分の給料をもらうというだけのことなんだ。それがおれたちのぜんぶというもんさ。
ただしかしそのおれたちにも、おれたちの勤めている高級の役所では、こんな逮捕を行なうまえに、逮捕の理由や被逮捕者の人物などについて、きわめて正確に調査をしてあることぐらいはわかっているんだ。その調査には間違いなんかこれっぽちもありやしない。おれの知っているかぎりじゃあ、そしておれの知ってのはいちばん下っぱの階級のものなんだが、おれたちのお役所は、民衆のなかに罪をさがしまわるなんていうまねはしていないんで、法律にもあるとおり、ただ罪によってひきつけられるというだけなんだ。そしてそのためにおれたち監視人を送ってよこさなければならなくなる。これが法律というものさ、どこにいったいまちがいがあるというんだね?」岩波文庫 辻理訳

また、審判にでてくる話で、カフカの『審判』にもでてくるが、カフカ短編で『掟の門』というのがある。次のような筋です。
掟の門前に門番が立っていた。そこへ田舎から一人の男がやってきて、入れてくれと言った。今はだめだ、と門番はいった。男は思案した。今はだめとしても、あとでならいいのか、とたずねた。「たぶんな、とにかく今はだめだ。」と門番は答えた。掟の門は何時も開いたままだが、男は門を入ることができない。そして永い年月がたつが、男以外に誰として門の中に入れてくれといってこない。男の命の火が消えかけていた。そして、門番は男の意識を呼びもどすかのように言った。「他の誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さもうおれは行く。ここを閉めるぞ」として話は終わる。

秘密保護法、共謀罪、トランプ、モリカケ問題など、疑問を持つったり違和感を感じることを認めない雰囲気や否定されたりしてする空気が流れる。そのような世の中では、自由に考える余裕がなくなっていく。『審判』では突如ある日罪状も告げられず逮捕されるそのよう世界が知らず知らずに忍び寄ってきているのではないだろうか。いま、インターネットで誰もが発信できるが、皆が自由に意見を言い合い議論が高まり熟して行き、成熟していくと始めは思われたが現実はそれとは反対の方向に進んでいるようです。
いま、世の中に奇妙な空気が支配してきている、それを多くの人は気にもせず見過ごしていっている。そしてマスコミも視聴率や販売部数を伸ばすために、あまり深く取り上げないでいる。それは政府の願う民衆の思考停止を進める、愚民政策に加担していくことになるのではないか。それは、民主主義が少しづつ薄く削り取られていっているのではないだろうか。いつでもどこでも政府というものは、陰湿で嘘をつきそれを巧妙に人目につかないようにさりげなく行なう。いまの政権の責任者はよく、法に従ってというが、そのようなことを言う人自身が法を捻じ曲げて解釈してしまう。その何処が信用できるだろうか。
そう、麻生副総理の迷言「しらないうちにワイマール憲法がナチ法にかわっていった、ナチの手口をを真似てはどうか、」。まさにこれは、今まで歴代内閣の継承してきたことを、憲法を捻じ曲げて解釈し、閣議決定だけっで変えてしまうことをすでにしているように思う。
このカフカの『審判』は今まさに読んで価値のある本だろう。

カフカの『審判』

カフカに『審判』という作品がある。それを読んでみた。読んでいると、米国のテレビSF映画の『スタートレック』にでてくる、クリンゴン帝国やカーデシアの裁判制度を感じさせた。しかし、クリンゴンやカーデシアは『スタートレック』を見ていたときに思ったことは、ナチスドイツや旧ソ連の裁判や中国の裁判の伝え聞く情報を思い起こさせるものでした。

カフカの『審判』のあらすじは、主人公のヨゼフ・Kは誰かに中傷されたのか、30歳の誕生日に逮捕される。逮捕の理由や根拠を尋ねても、まともな答えが返ってこない。逮捕状を見せてくれと要求しても拒否される。しかも、逮捕されたが拘束されず普段通り銀行にいき仕事ができ生活が認められる。ただ一日10時間監視される。
あるひ、裁判所から召喚を受け、裁判所に出頭し尋問をうけるが、銀行員であるヨゼフに判事は塗装職と決めつける。ヨゼフは裁判の不当性を訴えると、判事は「尋問される者がもつ権利を放棄した」と告げられる。
ヨゼフの問いや抗議はすべてが無視され続け、裁判手続きだけが粛々と進み、ヨゼフは犬のように処刑される。

大まかああらすじだが、このことは、SFのお話のなかの、クリンゴンやカーデシアに限らず、ナチスドイツや旧ソ連や、戦前日本の特高や憲兵は、令状なしに理由を問わないで取り調べや逮捕が行われ、カフカの『審判』に近いことが行われていた。
また、いまの社会主義が崩壊したロシアでも、プーチン大統領に反対するひとが、行方不明になったりしたとの付加確認情報もある。北朝鮮では粛清された人も多いといい、中国でも体制に反対する人は取り締まり対象になってりうので、現実に起こりうるもののようです。

秘密保護法、共謀罪などが国会で強行採決され施行されている。ことを考えたり、日本でも、詐欺事件で捕まっていた容疑者が、美濃加茂市の藤井市長が議員時代に30万円渡したと話、藤井市長は逮捕されている。
また、森友学園の前理事長は、重大な容疑者であるが証拠の隠滅もないので、通常は保釈金を払うと保釈が認められるが、保釈が認められず10ヶ月近く拘束されたという。

警察は逮捕すると検察に送り起訴にこぎ着けようとする。検察は一度、起訴すると裁判に勝訴するようにする。そのように考えると、カフカの『審判』は単なる虚構のフィクションだとは言えないと感じた文学作品でした。

能 烏鶏国 

先日西遊記の第三十七話から三十九話の烏鶏国の話を謡曲にしたらどうだろうかとかきました。
そこで少し考えてみた、私自身は能に興味があり、学生時代は鑑賞したが、それほど深くしらないのだが、素人の私が少し考えてみている。
おおよそ次のようなものを考えている。まだつくりは途中で中入りの少し後ぐらいまでで、終わりをどのように終わらせようかと考えているところです。


題 目  :烏鶏国
ワキ   :三蔵法師
ワキツレ :三人 孫悟空 猪八戒 沙悟浄
シテ   :烏鶏国国王
ツレ   :青獅子の国王
間狂言  :太子 皇后(太子が国王が本物かどうか確認するため伺う)
後シテ  :烏鶏国国王
後シテツレ:文殊菩薩

ワキ三蔵「皓魄空に当たり宝鏡懸かり 山河影揺らぎて十分にてらるる 瓊玉多可殿うてなに清光満ち 冰鑑銀盤に爽気旋る 万里はこのとき同じく清し 一年今宵こそ最も麗し
ワキ三蔵「処々の窓辺白雪の曲を吟じ 家々の庭辺にビワをつま弾ぶ 今宵は玩られつ山寺にきたり いつの日か相ともに故国に帰らん
ワキツレ孫悟空「前弦のうしろと後弦のまえ 薬味は平々にして気象よろし 採って帰って炉ちゅうに練れば 志心の功果は実って西の天
ワキツレ沙悟浄「水と木援けておのおの縁あるも 総て土母に憑よれば然のごとし 三人仲間同じくしてもめ事なくなる 水は長江にあり月は天にあり
ワキ三蔵「この世の理に明らかなれば 一つで千の竅に通ず 不生不滅を説破すれば これぞすなわち仙人
ワキツレ猪八戒「朔月かと思えば望月 わたしの生来に似る ひとみな利口で福を修め 吾は痴愚かで下縁を積む 然れども願うは 経を求めて業を消せば 憚りなく天国にゆける
ワキ三蔵「これなる僧は、東土の大唐の帝の命をうけて、天竺の海音寺に経を取に旅をしている僧にて候。
地謡「経取の旅の途中で如来に五行山の中に幽閉されていた、斉天大聖という猴の孫悟空を解き放ち弟子にしたが、この猴結構の狼藉ものなるので観音から授けられた金の箍を頭に嵌め、狼藉をはたらいたときは、緊箍呪をとなえ懲らしめ改心させる。二人で蛇盤山鷹愁サンズイ+閒にさしかかると、西海龍王傲閏龍の息子龍太子があらわれ三蔵の馬を一呑みにされたが、観音菩薩が三蔵の白馬に変えて供とされ。烏斯蔵国の高太公から末娘の入り婿の大ぐらいの妖怪天篷元帥猪悟能の退治をたのまれるが、猪悟能は西天取経の僧が来たと聞くや帰依申しで。この猪悟能は五訓葷・三厭を絶っていたので八戒となずけ弟子にし経取の伴し、川幅八百余りの大河に住む捲簾大将沙悟浄も経取の僧としると帰依し弟子になり、四人で天竺への取経の旅を続ける。
ワキ三蔵「さても、都の長安を出立してすでに数回花が咲き山が白くなったが、いまだ観音寺に着かず、旅半ばにて候。はてもいまは烏鶏国にて国王よりもてなしを受けているとところにて候。明日の出立は夜が明けぬうちに出立のため、弟子たちは先に床につき候が、拙僧は読経をしてから床につくことにする。
地謡「読経のなか旅のつかれもあって、うとうとと眠気がしてくると、一陣の不気味な風が吹き、落ち葉を飛び散らし浮雲巻き上げ、満天の星屑ためくらくなり地上の砂埃まき散らす。御僧 御僧と呼ぶ声がする。すると夢中にずぶ濡れの男があらわれる。これ魑魅魍魎か妖怪変化か、
シテ「御僧吾は妖怪変化魑魅魍魎ではあらず、吾こそは烏鶏国の王にて候、
地謡「頭に沖天冠いただき、腰に碧玉の帯を結び、身に赭黄の袍を着、無憂の履をはき、手には北斗の碧玉の圭を持ち、面は東嶽の長生帝ごとく、形は文昌の開化君に似たり
シテ「三年前、国が未曾有の旱魃で飢饉のときに道士に祈祷してもらい候に、雨を降らし飢饉を救ってもらい、国は安泰平穏を取戻し豊かになり候。そこで道士と兄弟の契りを結んだが、この道士は実は妖怪で、朕を井戸に落とし殺し候。
地謡「烏鶏国王、王の姿でいる妖怪道士を退治してほしいと頼み。消えゆく。三蔵は弟子に知らせようとするが、何につまづいて転び目をさませば、それは南柯の夢。
地謡「さても国王は皇后の夢枕に立、母子ともども三蔵たちに協力するようにさせると言い、消え去ってゆく。

以下は、
間狂言
三蔵は翌日太子に夢の話をし、皇后に国王のことを聞き、皇后も三蔵の夢と同じ夢を見ていたことをしり、妖怪国王を退治することにする。



悟空は井戸の中から国王の遺体を引き揚げ、九転還魂丹で生き返らせ、王と共に宮中に参内させ、国王に成りすましている妖怪と対決すし、如意金箍棒で妖怪に一撃を加えようとするが、文殊菩薩があらわれ、この妖怪は私の青毛の獅子であり、国王の受難はかつて文殊菩薩が僧に扮したが、一宿を願ったが僧を三日三晩の水漬けにした、その罰として如来は文殊菩薩の獅子を使わして、三日三晩の罰を与えたのだ、天界の三日は俗界の三年であるといて。文殊菩薩は獅子を収服して去っていった。
国王はふたたび玉座につき、善政と仏教への布教と信仰を篤くすることを近い、経取の四人に斎をして手厚くふるまい、三蔵らは天竺に旅立っていった。


一応このようにしてりうが、もう一度初めから構成も含めて考え直してみて練っていこうと思っています。
できれば今の世相もなかに含められたとも考えています。

西遊記と能楽 烏鶏国

能の中に玄奘三蔵が大般若経を天竺に求めていくはなしが、「大般若」として新作能として1983年に上演され以降さまざまな舞台で再演されているようだが、能に唐物は幾つかあるが、西遊記の話では三蔵法師の九九の難として、81難あるがその中から題材として作られた、能の演目としては作られていないように思えます。わたしは、いま数回目の西遊記を読んでいるが、その中で、第三十七話から三十九話の烏鶏国の話を、能の曲目として作ったら面白いのではないかと思ったりしています。

おおよそ次のようなものとすればどうだろうか。
題 目  :烏鶏国
ワキ   :三蔵法師
ワキツレ :三人 孫悟空 猪八戒 沙悟浄
シテ   :烏鶏国国王
ツレ   :青獅子の国王
間狂言  :太子 皇后(太子が国王が本物かどうか確認するため伺う)
後シテ  :烏鶏国国王
後シテツレ:文殊菩薩

あらすじ
東土の大唐の帝の命をうけて、天竺の海音寺に経を取に旅をしている三蔵は、経取の旅の途中で如来に五行山の中に幽閉されていた、斉天大聖という猴の孫悟空を解き放ち弟子にしたが、この猴、結構の狼藉ものなるので観音から授けられた金の箍を頭に嵌め狼藉をはたらいたときは、緊箍呪をとなえ改心させるものです。二人で蛇盤山鷹愁サンズイ+閒にさしかかると、西海龍王傲閏龍の息子龍太子があらわれ三蔵の馬を一呑みにしてしまったが、観音菩薩が三蔵の白馬に変えて供とされ。烏斯蔵国の高太公から末娘の入り婿の大ぐらいの妖怪天篷元帥猪悟能の退治をたのまれるが、猪悟能は西天取経の僧が来たと聞くや帰依を申し出る。猪悟能は五訓葷・三厭を絶っていたので八戒となずけ弟子にし経取のともにし、川幅八百余りの大河に住む捲簾大将沙悟浄も経取の僧としると帰依し弟子になり、四人で天竺への取経の旅の途中で候。
さても、三蔵、長安を出立してすでに数回花が咲き山が白くなったが、いまだ観音寺に着かず、旅半ば烏鶏国につきます。王よりもてなしを受けるが、明日の出立は夜が明けぬうちに出立のため、弟子たちは先に床につかせ、三蔵は読経をしていたが、旅のつかれもあって、うとうとと眠気がしてくると、「御僧!御僧!と呼ぶ声がする。夢の中にずぶ濡れの男があらわれ、「我こそは烏鶏国の王だが、三年前、国が未曾有の旱魃で飢饉のときに道士に祈祷してもらい、雨を降らし飢饉を救ってもらい兄弟の契りを結んだが、この道士は実は妖怪で、朕をを井戸に落とし殺されたてしまった。どうか、いま王の姿でいる妖怪道士を退治してほしいと」頼み。消えてしまう。
三蔵はびっくりして弟子に夢のことを話そうと立ち上がるが、何かに躓いて転んでしまい、はっとして目をさませば、それは南柯の夢だったのです。
亡霊の国王は皇后の夢枕に立って、母子ともども三蔵たちに協力するよう言い、去っていきました。
三蔵は翌日太子に話をするが、大使は俄かに信じることができず皇后に、聞くと同じ夢を見ているので半信半疑で信じます。
一方、悟空は井戸の中から国王の遺体を引き揚げ、天宮の太上老君からもらってきた九転還魂丹で生き返らせ、王と共に宮中に参内させ、国王に成りすましている妖怪と対決すしますが、如意金箍棒で妖怪に一撃を加えようとするが、文殊菩薩があらわれ、この妖怪は私の青毛の獅子であり、国王の受難はかつて文殊菩薩が僧に扮したが、一宿を願い、国王の信仰をためすため、無体をついたところ国王は怒り僧を三日三晩の水漬けにした、その罰として如来は文殊菩薩の獅子を使わして、三日三晩の罰を与えたのだと言って、文殊菩薩は獅子を収服して去っていった。天界の三日は俗界の三年なのです。この青獅子の偽国王のとき烏鶏国は天下泰平で安定し五穀豊穣であった。
国王はふたたび玉座につき、善政と仏教への布教と信仰を篤くすることを近い、経取の四人に斎をして手厚くふるまい、三蔵らは天竺に旅立っていった。

この話の要点とみどころ
文殊菩薩が烏鶏国の国王の信心を試そうと、僧に姿をかえて訪れたが、それに対する僧へのしうち。青獅子が治めたあいだ天下泰平であったこと。
また、偽烏鶏国の国王に化けた文殊菩薩の青獅子は、去勢されて皇后に対しては汚すようなことはなかた、これらはすべてその仏門の慈悲の深さからくるもとして構成する。

さて具体的な話の内容はどのようなものになるでしょうか。
すこし考えて見たく思います。
いずれのお楽しみで。

苛政猛於虎也

中国の故事に『苛政猛於虎也』というのがある。
孔子が泰山の近くのとある土地を通りかかった。そこに墓の前で泣いている婦人にであった。孔子は従者に、婦人に泣いている理由を尋ねさせた。舅、夫、子供が虎に襲われて死んでしまったことを聞き、それを孔子に伝えた。すると孔子が「なぜ虎に襲われる危険な土地を去らないのか」と訊くと婦人は「よその土地に移って、ひどい政治に苦しむよりはましだから」と答えた。孔子曰く「よく覚えておきなさい。残酷な政治は虎よりも獰猛なのだ」

孔子過泰山側。
有婦人哭於墓者而哀。
夫子式而聴之、使子路問之曰、「子之哭也、壱似重有憂者。
而曰、「然。昔者吾舅死於虎。吾夫又死焉。今吾子又死焉。」
夫子曰、「何為不去也。」
曰、「無苛政。」
夫子曰、「小子識之。苛政猛於虎也。」

これは『礼記』の「苛政は虎より猛なり」の話です。

これから今の日本は、このような国にならないこと願いたいものです。

伊尹の土功

殷の賢相で湯王から阿衡と称された伊尹の故事に、「伊尹の土功」と言う話がある。

故に伊尹の土功を興すや
修脛なる者には 之をして钁を跖ましめ
強脊なる者には 之をして土を負わしめ、
眇なる者には 之をして準せしめ
傴れる者には 之をして塗らしむ

伊尹が湯王から土木工事を命じられたとき、足の筋肉が強い人には鍬を踏ませ、
背中の筋肉が強い人には土を負わせ、
片目しか見えない人には、片目をつぶっておこなう測量工事をやらせたり、
背中が曲がった者には塗る仕事をさせた。

障碍を障害としてみるのではなく、個性としてとらえ適材適所のマネジメントをといえるでしょう。
苦手なものや短所の克服よりも、長所を活かせる方法で考えた方がよいのですが、日本でいまだに、多数意見に倣えと上から目線での政治が行われています。

というものです。これに限らず、アメリカやヨーロッパから入ってきた考え方・思想は、随分前から漢文の中に埋もれています。太平洋戦争に負けた日本は、漢文等を社会から排除してしまったために、思想的には弱くなってしまっている可能性が高い。池上彰・佐藤優 著『新・リーダー論』(文春新書)にもあるのですが、リーダーは教養を身につける必要性が説かれ、教養を身につけた政治家やリーダーが存在するのだろうかと危惧されています。

見ざる聞かざる言わざる

日光東照宮の三猿の出典はいろいろな意見があるようですが、一つに「論語」の「顔淵、仁を問う」によるものだという説がある。

顔淵、仁を問うは次のようなものです。
顔淵問仁、子曰、克己復礼為仁、一日克己復礼、天下帰仁焉、為仁由己、而由人乎哉、顔淵曰、請問其目、子曰、非礼勿視、非礼勿視、非礼勿言、非礼勿動、顔淵曰、回雖不敏、請事斯語矣、

顔淵、仁を問う。
子曰く、
己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而うして人に由らんや。
顔淵曰く、請う、その目を問わん。
子曰く、
礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。
顔淵曰く、
回、不敏と雖も、請う、斯の語を事とせん。


顔淵が仁について孔子に尋ねた。
孔子いわく。
「自己に打ち克って礼に復帰することが仁の道である。一日でも自己に打ち克って礼の規則に立ち返ることができれば、天下の人民はその仁徳に帰服するだろう。仁の実践は自己の努力に由来するので、他人に頼って仁を実践することなどはできない」。
さらに顔淵が尋ねた。
「仁徳の具体的な実践項目について教えてください」。
孔子答えて「礼の規則に外れていれば見てはいけない、礼の規則でなければ聴いてはいけない、礼の規則を無視した発言をしてはいけない、礼の規則に外れた行動をしてはいけない」。
顔淵が言った。
「私は愚鈍であるので、先生の言葉を実践していきたいと思う」。と言った。


人は気ままに生きて、自分自身の欲求のままにすると、その未熟に打ち克つことはできない。自律と自制をもって礼制の実践が大切だとして。礼の規則に対する自律性と克己心の重要性を説いている。
この孔子の教えをそのまま受け容れるだけではなく、自主と自律の重要性を認識してそれを実践することが大切と言えるでしょう。

となれば、見ざるとは、礼則に外れていれば見ているといつしかそれに慣れてしまう。聞かざるとは、礼則に外れる惑わす言葉を聞いているといつしかそれに慣れてしまう。それらに慣れてしまうとそれが礼則に外れることに違和感を感じなくなる。言わざるとは、礼則に外れる言葉を言い続けるとそれに成りきってしまうことになる。
そしてもう一つのサルがある、それはなさざるで、礼則に外れた行動をすることは、他を慈しみ愛でる仁徳を軽んじる人になってしまう。

しかし、なんでも見ざる言わざる聞かざるなさざるではなく、見て聞いて自分で考え判断し決断して、言うべきことはいいことを起こすときは行動することは大切でしょう。
それには、自主・自律・自制(克己)を持てるように常に、その意識が必要でしょう。
今の国会議員などは、このことについてよく考えて欲しいです。しかし、今の議会政治の議員は議員を辞めると生活ができないので、選挙で当選すること、その前に党の公認を得ることが大切になってしまうので、党の方針がおかしいと思ってもなかなか、反対できないできないのでしょう。

謡曲「佐保山」 名物奈良晒しと佐保山の白雲

謡曲「佐保山」から、奈良の名物奈良晒しと佐保山の白雲

江戸時代の井原西鶴の「世間胸算用」に、奈良の名物として奈良晒の話しがあります。そこには江戸時代には奈良奈良晒しを扱う大きな店があったことから、奈良の基幹産業の一つだったことが分かります。麻の布は晒さずそのままでは、カタくゴワゴワするので、晒して柔らかくする技術が必要で、奈良の地域はその技術が発達していたようです。
奈良晒しの店、中川政七商店のWebページを見ると、次のように書かれています。「奈良晒の起源は、鎌倉時代にまでさかのぼり南都寺院の袈裟として使われていたと記録されています。」

能の「佐保山」の藤原俊家は、寛仁3年(1019年) - 永保2年(1082年12月23日)ですから平安時代中期の人です。すると、この佐保山の衣の晒しは、話し的には時代が少し早いですが、当時は綿花はまだなかったでしょうから、麻の布を晒す技術は黎明期としてあったとも考えられます。
さらに「佐保山」は金春禅竹の作と言われています。それにより室町時代につくられたと言えます。奈良では奈良晒しの産業すでに盛んになっていたと思われます。
麻の布のつくりかたは、1.苧うみ(製糸) 2.織布 3.晒しの三つの工程がありで、3の晒しがその質を一番左右するものです。

謡曲「佐保山」に次のようにあります。

藤原俊家一行が氏神である春日明神に参詣しにいく途中、佐保山の上白雲がみえるが、あれは雲ではなく衣を干しているのではないか。それを確認しに佐保山に調べにいきます。

藤原俊家「実に/\これなる衣をよりて見れば。銀色かゝやき異香薫じ。誠に妙なる白衣の。よく/\見れば縫目もなし。さてこれは何と申す衣にて候ふぞ。
里の女「げによく御覧じ咎めて候。これは人間の織衣にあらずある歌に。裁ち縫はぬ衣きし人もなきものを。
詞「何山姫の布さらすらんと。かやうに詠みしも此衣なり。
シテ従者「もとより山に住み人の。人間の交はりなき故に。かゝる衣も世の常ならず。
里の女「その上仙人の衣をば。
二人「裁つこともなく縫ふ事も。なき世のためしは稀にだに。いさ白衣の羽袖の色。妙なりと御覧候へとよ。
藤原俊家「実に裁ち縫はぬ衣の事。

このことは、藤原俊家が白雲の正体を探しにいったのは、この麻布を晒しているのが目に留まったのでしょう。

また、
詞「仙人の衣と聞きしなり。さては仙境にや入りぬらん。然らば御身も仙女やらん。
里の女「いや仙境まではなけれども。処は佐保の山辺なれば。もし佐保姫とや申すべき。
藤原俊家「不思議やさては佐保姫の。霞の衣とよみたれば。此裁ち縫はぬ薄衣ももしは霞の衣やらん。
二人「いや裁ち縫はぬ衣ほせばとて。
藤原俊家「さては霞の衣かとは。
二人「あら謂なの御言葉や。
地「裁ち縫はぬ衣ほせばとて佐保姫の。/\。袖も緑の糸はえて。縫ふ事はなくとも。霞の衣ならば。裁つことはなどかなかるべき。これは裁ちもせす縫ひもせず。まして糸もて織る事も。嵐になびく羽衣の。袖も褄もにほやかにうららなる日に晒すなりうらゝなる日にや晒さん。
ともあります。

これは、麻で布を作るとき、積んで撚りをかけて経糸(縦糸)として作り。緯糸(横糸)を杼(シャトル)に入れ、機にかけて布に織って布のする。この横糸が目立たない縦糸が際だつ織り方を物語っているのではないでしょうか。

すでに、奈良はこの晒しの技術が高かったと思われます。井原西鶴の「世間胸算用」によると非常に高く、全国から注文があったようです。

おまけ
奈良の名物が出たので。
江戸時代三都名物
【江戸】武士 鰹 大名小路 生鰯 茶店 紫 火消し 錦絵
【京都】水 壬生菜 女 羽二重 御簾屋みすや針 寺に織屋に 人形 焼物 
【大坂】橋に舟 お城 芝居 米相場 惣嫁 揚屋に 石屋 植木屋

そして、奈良の名物は
【奈良】大仏、鹿の巻筆、霰酒、春日灯篭、町の早起き
これは、桂米朝の落語「鹿政談」にでてきたものです。

こうありますが残念ながら、奈良晒や大和晒し、南都晒しなどはないですね。

因果は巡る小車

周防 長門の民話

 因果は巡る小車

むかしむかし、あるところに、一人の腕の良い猟師がいました。
ある日の事、猟師がキジを捕りに山へ出かけると、少し向こうの地面から一匹のミミズが出て来ました。
猟師がミミズを見ていると、そこへカエルがやって来て、そのミミズをパクリと食べてしまいました。
そしてそのカエルを見ていたら、今度はヘビが近づいていき、そのカエルを飲み込んでしまいました。
そしてカエルを飲み込んだヘビは満足そうに休んでいると、突然、空からキジが飛んで来て、そのヘビを握り掴まえて空に飛び上がると、高い空からヘビを落とした。そしてまた、キジはそのヘビを握り掴まえて再び上空に舞い上がり、上空から落とすことを繰り返した。このようにキジはヘビをもてあそびヘビを弱らせ、しまいに鋭い嘴で突き殺してしまいました。そしてその場でおいしそうに食べてしまいました。
猟師は、そのようすに見とれていたが、はたっとキジを捕りに来たことを思い出しました。そうして猟師は、ヘビを食べてお腹が大きくなったキジに狙いを付け、鉄砲を構えました。
そして引き金に指をかけながら、ふと、こんな事を考えました。
  ミミズは、カエルに食べられた。
  カエルは、ヘビに食べられた。
  ヘビは、キジに食べられた。
  そしてキジは、おれに狙われ殺され、誰かに食べられる。
  そうすると、次に狩られるのは、またそのキジを食べた人は・・・・と・・・・。そう考えると、怖くなって指に力が入らなくなり、鉄砲の引き金を引くことができなくなりました。
そこで猟師は鉄砲をしまい、山を急いで下りていきました。

するとその猟師の背後から、不気味な声が聞こえてきました。「猟師よ、命拾いをしたな」と。
猟師がびっくりして後ろを振り返ると、木々の暗闇の向こうに大きな二つの目玉が金色に光っていたのです。
猟師は鉄砲を放り投げ、一目散に逃げて行きました。

宮沢賢治の「注文の多い料理店」を思わせるはなしでした。
もう一つ以前、このブログに「カマキリとチョウ」というタイトルで記事を書いたのを思い出した。

落語『百年目』

桂米朝の落語のCDがあるのでその中の『百年目』を聴いてみました。
『百年目』は、口うるさく堅い番頭が手代や丁稚などに小言を、重箱の隅を爪楊枝でつつくように厳しい番頭の話です。しかし実はこの番頭は芸者遊びの方もたけているが、店の者のにはそれを隠している。ある日芸者と船遊びにいっているある時、大判に振る舞っているところを主人に見つかってしまいます。そこで番頭がこんなことを見つかたので、自分は首になってしまわないかと夜も眠れず心配をする。朝になり結界の中に座り仕事をしていると、主人に呼び出され次のような話をして諭される。

「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか」
「いえ」
「お寺の講釈で聴いた話だが、それは、『五天竺の中の南天竺に赤栴檀と言う立派な木があり、その下に難延草という汚い草が沢山茂っていた。ある人が見苦しいので難延草を取ってしまうと、赤栴檀がだんだん弱り枯れてしまった。調べると赤栴檀は難延草を肥やしにして育ち、難延草は赤栴檀の露で育っていた事が分かった。赤栴檀が育つと難延草も育った。赤栴檀の「ダン」と難延草の「ナン」を取って”ダンナン”と言う、それが檀那になった。』と言う。こじつけだろうが、私とお前の仲は赤栴檀と難延草で上手くいっているが、店に戻ってお前は赤栴檀、店の者が難延草、赤栴檀は元気がいいが難延草は元気が無い。少し難延草に露を降ろしてやって下さい」。

番頭の店の手代や丁稚の働きがあってこそ、番頭の働きが活きてくるもので、ただ不甲斐ないからと言って締め付けたり厳しくすると、逆にその芽を摘んでしまうことになる。この檀那のはなしのようにお互いに支え合えることが、大切だとこの落語は教えているのでしょう。

旦那について辞書でしらべると、旦那=檀那は、仏教から来た言葉で、サンスクリット語のダーナの音写。ダーナは「与える」、「贈る」という意味で、「布施」と漢訳される。中国・日本では寺院、僧侶に布施・寄進する施主、仏教の後援者という意味。と載っていた。つまりこの話は作り話ということだが、味わい深いところがあります。

それはともかうとしてこの話と、トランプ大統領の言動や、安倍首相が大企業が潤えばその果実は下に行くと言う言葉とダブってしまった。安倍総理がいいたいのは、つまり大企業が「赤栴檀」で零細企業や国民は「難延草」と言うわけだ。しかし「赤栴檀」である大企業に資源が集中し儲けても、それが国際競争に勝っために蓄えられ、利益である「露」が「難延草」行き渡らないです。安倍総理の果実が降りてくるいうのは、屁理屈でしかないようです。

この旦那のはなし、英語では [trick dow] のことで、日本語では[したたり落ち おこぼれと]となるので、滴り積もりて淵となるということわざもある。
しかし、淵となったり大きな果実になるのは、「難延草が枯れたら赤栴檀も枯れる」という互いに運命をともにする緊密な関係があるという意識が自覚が互いにあることにより成り立つでしょう。

この旦那の「赤栴檀」と「難延草」の関係の話を、大企業のオーナーや経営者にそして、果実滴り落ちると信じている政治家にも話してやりたいものです。
しかし、経済がグローバル化した中では、投資家などが利益を追求するあまり節度を失い責任感や倫理性を欠いてしまっているのが現状です。そこには「難延草が枯れても、次の難延草を見つければよく、赤栴檀は栄え続けるる」と思っている人が勝者であり続けるならこの話には聞く耳をもたないでしょう。

アメリカ大統領の名言

先日、アメリカ大統領の言葉を紹介したが、他にも次のような者がある。

第11代ジェームズ・ポーク大統領は、「憲法の重要な目的のひとつは、多数派が少数派を虐げ、その権利を侵害することを抑制することである。少数派は、こうした抑圧に対する楯として憲法に訴える権利を有している」
これは、議会はどうあるべきかを言い、多数を占める会派は少数の会派の意見も聞き入れ、数の力に任せて議会運営をしてはならない。また、少数の会派はそのようなような振る舞いに対して抵抗することは正当なことだということです。自民党の人たちに聞かせたい言葉です。

第24代スティブン・グロバー・クリーブランド代目大統領は、「全国民は国に対して、公僕を油断なく見張り、よく吟味する義務を負っている。」
政府の暴政に対して国民はどうあるべきかを訴えている。ここで重要な役割を果たすのが、議会でなにが起きているのかを国民に伝えてくれる役割をする、報道機関だといええます。
アメリカでトランプ大統領は、マスコミの報道は公正でないと抗議していますが。マスコミはそれに屈するのではなく、そのトランプ大統領の出方を批判しています。これこそ報道の自由が健全な証といえます。アジアの東の端の島国のように、マスコミの長が政権側と会食をしたり、忖度して報道を控えたりするのとは大きく違います。

他にも、
第9代ウィリアム・H・ハリソン大統領は、「人民自身の権利の最良の擁護者は人民である」。
自分たちの権利は自分でたゆまない努力で守らなければならない、そうしないといつ権利がいつでも侵食されていまう言っている。まさに日本国憲法の第12条にある、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」です。


このようなのもありました。
第14第フランクリン・ピアース大統領は、「人としてわれわれが追及する大きな目的は、平和によって達成され、われわれ以外の人類の平穏と利益に完全に合致するのが理想である。われわれの大陸にある隣国とは、誠意をもって友愛の関係を育んでいくべきだ。隣国がその強さを確かなものとし、繁栄と幸福の道を追求すること以外、われわれは何も願っていない」。
ピアースは米墨戦争(米国メキシコ戦争)でテキサスの所属をめぐって争われた戦争で、この戦争に従軍した経験をもっています。アメリカ大統領として最悪の大統領と評価されています。二期の大統領選挙では党に見捨てられて、1856年の大統領戦では指名されなかった。
なんだか、トランプ大統領のメキシコに壁を作る話とかぶってしまいます。

第23代ベンジャミン・ハリソン大統領は、「むやみに富者を糾弾することは悪である。それは精神を卑しくし、心を蝕み、犯罪の言い訳を与える。富者を糾弾することで豊かになり幸せになった貧者はいない」。
こちらも、富裕層に減税し小さな国家を唱えて、福祉関連の予算の削減や、オバマケアを廃止する話とにているようです。

話は逸れてしまいますが、余談です。

アメリカの大統領ランキングではワースト3は、ウォレン・ハーディング、フランクリン・ピアース、ジェームズ・ブキャナンで、その一人です。
第29代ウォレン・ハーディング大統領は、「政府が自分たちに何をしてくれるかについてはあまり気をもまず、自分たちが国のために何ができるかをより気にかける。市民の在り方はこうあるべきだ」
従順な国民たれと言っているのだろうか、まさに、ワースト1にふさわしいです。

ランキング3は、ジョージ・ワシントン、エイブラハム・リンカーン、フランクリン・ルーズベルトと言われています。こちらの3人はここで新たに言うことはないでしょう。もっともルーズベルトは戦時下もあって大統領を4期務めた人物ですが、日本と戦争をしていたときに大統領でもあり、原爆の開発を命じたひとです。原爆投下を命じたのはルーズベルトの死去により、大統領に就任したトルーマンでランキング10傑入りをしています。

一燈照隅・萬燈遍照

安岡正篤1898年(8明治31年)2月13日-1983年(昭和58年9)12月13日は、戦前から昭和の政治に大きな影響力を持ったひとで、陽明学者・思想家です。

天皇陛下の「終戦の詔書」に安岡正篤が最終的に目を通し、手を入れたとも言われているがそれについて事実であるか無いかは定かではないが。吉田茂から中曽根康弘まで、歴代の総理大臣の指南番的存在であったことであったことは事実で、岸信介以降の歴代首相らは、施政方針演説の推敲を依頼したとも言われている。国政の重大なことが、外部に漏れないようにするため官僚いがいの民間人に相談するのは、異例のことですそれだけ時の政治家首相の信望があったのでしょう。
いま、安岡正篤が生きていれば指南を乞うた、岸信介の孫の政治をどのように思い、どのようなことを言われるでしょうか。
拙速としか言いようのない、あまりにも強引に政治を叱ってくれると思います。

安岡正篤は「一燈照隅・萬燈遍照」について次のようなことを言っています。安岡正篤『青年の大成』から。
「自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす! この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。」
自分は国の最高責任者だから一灯となり、全力を尽くせば照隅ではなく萬燈遍照できると言わんばかりに、責任者として何でもできるのだと、強引にことを進めています。しかし、周りの自分と意見の近い人を侍らし、箴言者を遠ざけていれば、萬燈遍照にならず照隅のままでしょう。
多様ないろいろな人を集めてそれらの、一燈照隅が集まり萬燈遍照となるのでは内でしょうか。さらに安岡正篤は、この前に次のようなことも言っている。人は所詮つまらない人間であり、「つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。」

安倍晋三は非常に自己顕示欲が強く、また自尊心も強いひ人です。迷彩服で自衛隊の戦闘機に乗り、マリオのパフォーマンスをしたり、福島はアンダーコントロールされていると、嘘と分かるような嘘をつき、自分を演出しています。よく私が責任者だと言うが、責任者として決断して押し進めるのはよいが、その責任は誰が取るのだろうか。結果がでて責任をとらなければならなくなるころは、御身は責任者である席を退陣しているではないか、そう易々と私が責任者だと言うべきではないでしょう。
ついでに、自民党総裁の任期が改訂されたそうです。任期3年二期までが延長されたという。自分の都合の良いようにルールを簡単に変える政治家は一番信用できなく、危ない政治家です。

来年の日本はどのような日本になるのでしょうか。

巧詐は拙誠にしかず

巧詐は拙誠にしかず

これは、韓非子・説林の言葉です
故曰、巧詐不如拙誠。樂羊以有功見疑、秦西巴以有罪益信。

ゆえに曰く巧詐は拙誠に如かず。楽羊は功有るを以って疑われ、秦西巴は罪有るを以って益信ぜらる。

この話を理解するには、楽羊と秦西巴の二人のエピソードを知らなければこの言葉の意味を知ることはできないです。

まずは、拙速に表面だけを捉えた理解のしかたです。
物事を押し進めるに上手に技巧を使うより、多少やり方はつたなくても誠意をもって進めると、やがてその意向が伝わる位の方がそれにまさっている。
誤魔化し上辺を繕って物事を進めていき一時は持て囃されても、いずれは隠していた秘密ごとなどが知られ、後戻りできなくなってしまいます。
これが、個人間での問題ならよいが、国の政治で行われるなら、その災難や損害や危害を受けるのは国民です。


「楽羊」には次のような話がある。
魏の楽羊が、中山を攻めた。窮した中山は脅しとして、人質になっている息子を突き出された。それでも楽羊は攻撃をやめなかっ。中山の城主は楽羊の息子を殺害し、その肉をスープにし、楽羊に送り届けた。楽羊はスープを飲み干し中山を攻め落とした。
魏の王、文候は楽羊を頼もしとして、賞賛したが家臣から「己の息子の肉すら喰らなら、どのような相手の肉でも喰らうだろう」と諫言され、楽羊を恐れ遠ざけてしまった。
「秦西巴」次のような話がある。
魯の国の孟孫が狩りに出て子鹿を捉えた、家臣の秦西巴に連れて帰らせた。ところがそれに母鹿がついてくるのを見て、秦西巴は子鹿を逃がした。それにより孟孫は怒り秦西巴を追放した。しかし、後日、孟孫は再び秦西巴を呼び出し、わが子の守り役に命じた。
これは「子鹿にさえ愛情をかけるような者なら、わが子のことはきっと大事にしてくれるだろう」とのことである。

弁舌が巧みで上手に喋る人が、熱弁をふるうよりも、自分の言葉で時にはつかえ時には口ごもりながらも語った方が、誠実さが伝わってくるものです。
人間関係において、技巧をもてあそんで、ずるがしこくて抜け目がないさま手口の人と付き合うよりも、地道にこつこつと実績を積み上げて、相手の信用を得るような方法の方が効果があるからです。
言葉で表すことが下手でも真心がある方が、物事が成し遂げられることが多いといえるものです。

日本人は「巧言令色、鮮なし仁」「剛毅木訥、仁に近し」などの言葉が好きだが、口や態度の拙さにだって自ずと限度もあることは事実です。どちらがよいのでしょうか。

しかし、次のような話もあります。アメリカの脳性麻痺の障碍があるブル・ポーターは、訪問セールス一筋に五十年続け高い信頼を得て顧客を獲得している。
脳性麻痺のため、歩くのも辿々しく、構音障害がり話すのも辿々しい、そのため雇用した会社は成績がわるく、直ぐに辞めるだろうと考え雇った。しかし彼は誠実に仕事をし、トップセールスマンになっていく。
彼の人生は、『きっと「イエス」と言ってもらえる。』び本になり、「Door TO Door」という映画にもなり、日本でも同タイトルで二宮和也が演じて作られている。
この「Door To Door」は前にもこのブログで紹介したので、詳しくをそちらを見てください。

暴虎馮河

安部政権の強引な政治運営は、自身が正と信じ善意から生まれたものだろうが、猪突猛進のように直線的に走るかのごとくです。周りの参謀は、深慮遠謀のごとく緻密な術中を周到に仕掛けています。

論語の述而編に次のようにある。

子謂顏淵曰 用之則行 舍之則藏 唯我與爾有是夫
子路曰 子行三軍 則誰與
子曰 暴虎馮河 死而無悔者 吾不與也 必也臨事而懼

孔子が顔淵に言った 重く用いられれば全力を尽くし用いられなければ隠者として引き篭もる、この様な生き方ができるのはお前と私くらいだ
子路が言った 孔子が大軍を率いられるとしたら、誰を副官として任命しますか?
孔子が言った 虎と格闘したり黄河を泳いで渡るような向こう見ずな者は、任命しない。計画的に事を成す慎重な者を任命する

いわゆる「暴虎馮河」の一説です。

子路は孔子から高く評価されていましたが、勇気があり信義を重んじるが、その直情で勇を好むところは、何度も孔子から諭されていた、しかし子路戦場で死んでしまいます。

アベ政治は、善意から思うところで、その強引な一途な行動は評価されるところがある。しかしそれが、行き過ぎて少数者の意見や反対の声を聴き入れず、無謀な行動に走ってしまうと、その勇気や積極性として認められず、反対にその結果的に弊害が生れてくる。

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町の早起き

桂米朝の落語に「鹿政談」というのがる。その中で江戸時代に「三都の名物」を詠んだ歌を紹介している。つまり江戸、京都、大阪の名物だが、江戸は「武士鰹大名小路生いわし、茶店柴火消し錦絵」、「水壬生菜女染物みすや針、寺に織屋に人形焼物」、大阪は、「橋に船、お城かぶらに米相場問屋揚屋に石屋植木屋」。
ついでに大阪の隣の奈良の名物を紹介している、そこでは「大仏に鹿の巻筆あられ酒、春日灯籠町の早起き」となっています。
なぜ奈良の名物に早起きが入っているのかは、春日大社のお使いである鹿だとういう。この神さんのお使いである鹿を大切にしないといけない。神さんのお使いであるので、謝って殺しても死罪にになった。家の前に鹿の死骸があっただけも係わり合いになる。そこで、朝起きて鹿の死骸があると、これはいけないというので、隣の家にまわしてしまう。隣の家の同じようにこれはいかんといて別の言えにまわす。こうして、奈良の町は朝早く起きないと、とんだ災難にあうというので早起きにになったそうです。
もっとも、奈良の人里で鹿をみるのは、春日大社のあたりだけですが。

ところで、最近奈良に居を移して、ゴミの出すのが以前すんでいたところより、速いのと回収が速いです。以前住んで板路路は、ゴミの回収が10時頃から11時頃でした。ところが、私のいま住んでいるところでは、9時をすぎる頃には、ゴミステーションからゴミが消えている。(もっとも、私が以前勤めていた学校付近では、9時頃にはパッカー車が生ゴミの収集に来ていたが。しかし、私の以前住んでいた地域のクリーンセンターは、職員の朝礼が9時前に行い、それから収集車の出発式ををしていたので、街でゴミの収集を始めるのは、早くても9時過ぎだろう。)

また、市の広報やゴミステーションの表示板には、以前住んでいたところでは、8:30までに出すように。奈良では7:30までに出すように書いてある。)
そのため、ゴミを出す人も朝早くゴミをだしている。早朝の朝の散歩をしていると、早くもゴミを出す人と出会うことがある。燃えないゴミでなく生ゴミの収集日でもそうである。つまり、私が早朝の散歩の時に出会う人は、すでに朝食の準備を終えているであろうと思う。やはり街の早起きは昔からの慣わしなのだろうか。

別に、奈良の名物の朝の早起きとは関係ないですが、早朝の散歩は近くの運動公園を周回しているが、遠くからくるまできて早朝のランニングやジョギングをしに来ている人がいる。やはり町の早起きは名物なのだろうか。

富貴の叢中に生長するは

菜根譚 洪自誠

生長富貴叢中的 嗜欲如猛火 権勢似烈焔 
若不帯些清冷気味 其火焔不至焚人 必将自爍矣


富貴の叢中に生長するは、嗜欲猛火のごとく、権勢は烈焔に似たり
若し些の清冷の気味を帯ざれば、その火焔人を焚くに至らざるも
必ず将に自ら爍かんとす

富貴の家に生まれ育った人は、裕福な生活への欲望は猛火のようであり、権力をもって人を支配しようとする志向は烈火のようである。
もし、そのような人は少しだけでも清貧な気持ちを醸成していないと、その欲望は人を焼くにいたらないで、必ず自分自身を焼いてしまうだろう。

先日来日した、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領は、国連の演説で述べた有名な言葉がる。
「昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。『貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ』」

ようは、人は育ちや環境で変わってしまう、だからこそ自我に芽生えたなら、その自我の考えをしっかり持たないと、私利私欲に走ってしまう。
白隠禅師の「坐禅和讃」にも、
譬えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり 長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず

それは水の中にいて のどが渇いたと叫んでいるようなものである。 裕福な家の子に生まれたのに 貧しい里をさまよい歩いているのと同じである。

だからこそ、己の今の生活の安住せず常に、点検し豊かな生活をもっと豊にとなると、喉が乾いたと水を貪りもとめ、餓鬼にならないよにしたい。

無欲一切足

昨日の詩に続いて、良寛の次の詩がある。


無欲一切足
有求万事窮
淡菜可療飢
衲衣聊纏身
独往伴ビ鹿
高歌和村童
洗耳巌下水
可意嶺上松

無欲なれば一切足る
求むる有れば万事窮す
淡菜飢えを療やす可く
衲衣聊か身に纏う
独往してビ鹿を伴とし
高歌して村童に和す
耳を洗う 巌下の水
意に可し 嶺上の松


欲がなければ一切が足りる
何かを求めると万事がゆきずまる
淡菜でも上はしのげる
衣服は衲衣で体を覆える
独り山を行けば、山鹿と遊ぶ
高らかに歌い村の童と歌う
巌下の清水で耳を洗う
嶺上の松を見れば快い

欲を出さなければ、なんでも満ち足りる
何かを求めれば、いつかは行き詰まる
粗食であっても腹は満足し
衣服も贅沢しなくても寒さはしのげる
独り山を往き鹿を伴にすればいい
村に出て一緒に歌えばよい
清水で巷の汚れごとを聞いた耳を清めればよい
峰の松の青色はなんと快いものだろうか
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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  • 地球温暖化の問題点
    竹林泉水 (01/15)
    年始葬送のコメントありがとうございます。
    今年もお互いに良い年でありますようねがっています。

    ハイ 温暖化問題の解決の一番は、私は人間活動に足るを知ることだと考
  • 津久井やまゆり園の裁判
    アジシオ次郎 (01/13)
     遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

     さてやまゆり園無差別殺傷事件の被告に対する初公判は、開廷して被告が謝罪したと思いきや突然口に手を突っ込むとい
  • 地球温暖化の問題点
    荒野鷹虎 (01/10)
    温暖化問題は難解ですねー。
    直ぐ原発再稼働に走りがちになりますのでとんだ飛躍ですよねー。
    水力や風力発電はいかがなものでしょうかね。
    恐ろしいことが現実化されてい
  • 日韓関係が戦後最悪
    竹林泉水 (01/05)
    北朝鮮脅威論や韓国敵視政策をとるような国の指導やがいるが、韓流ブームもあるし民間の間では、一部の政治の指導者が選挙の票集めのために嫌韓を煽っても、それは、一部の
  • 伝統食
    竹林泉水 (01/05)
    そうですね、食が便利にないり、曹洞宗の五観の偈のようなことを考えずにいることが多くなっています。
    だから、テレビ番組で、食べ物を笑いものに扱うような番組が制作さ
  • 日韓関係が戦後最悪
    omachi (12/17)
    お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
    歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で
  • 日韓関係が戦後最悪
    風と雲 (12/13)
    全くお説の通りだと思います。小生古希を過ぎていますが、この歳になっても、何故日本国民の中に 嫌韓とか韓国人を蔑むような輩が居るのかよく分らない。右翼系のある団体
  • 伝統食
    アジシオ次郎 (12/03)
    おはようございます。

    食の多様化による一方で加工食品やファストフードなどの台頭もあり本来の食文化をすすんで食べるという意識が低下したり、前述の加工食品やファス
  • 人工知能
    荒野鷹虎 (11/23)
    今年も終わりますが、白内障手術の結果が悪く、
    昨日は瞳孔を開いたのでまぶしくPCを開けませんでした。それに結果が悪かったもので気落ちもしましたしたしね^^。泣き)
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