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竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

コロナ禍で考えるべきこと

このコロナ禍で世界的に対応を迫られている時だからこそ、コロナだけに気を捕らわれるのではなく、いままで目を逸らし先送りしてきた問題に対して正面から向き合うべきだ。何を言うのだ、このコロナ危機で他のことに目を向け、考えそれに対して対策をする余裕はないという人が多いだろう。しかし、この期を逃すとさらに、今まで目をそらし先送りする事がいつまでも続くことになり、気がつくと取り返しのつかないことになるだろう。

持続可能な開発目標とするSDGsのそれぞれの課題。その中でもとりわけ、地球温暖化は深刻な問題です。また、それ以外でも海や陸の豊かさが危機に面している問題。人や国の不平等・格差拡大の問題。産業と技術革新・科学技術の革新をどのように方向づけるのか。グローバル化する世界の中で、ナショナリズムの台頭、コミュニケーションのあり方の変化、文明の衝突、宗教、移民、世俗主義、などなど様々な複雑な問題が相互に絡み合っている。

特に問題なのは、20万年前に出現した私たちホモサピエンス人間のあり方を根本的に変えてしまうものがあることです。
政治的な制度や人と人とのコミュニケーションなどは、いままで幾度か危機を迎えたが、曲がりながらも何とか切り抜けてきている、それらについては今後も危機をつのらせながら同じように繰り返し切り抜けてゆくだろう。しかし、いままでになかった問題は、新たに私たちの前に立ちはだかり、今後子孫のあり方を全く変えてしまうものもある。
その代表的な問題は、分子生物学、バイオ技術、遺伝子工学。それとAIの人口知能の発展は何をもたらすのか。
生体に取り付けるインプラントの革新、それとのバイオテクノロジーと融合にり、人間が改造されてしまうことをどこまで許容していくのか。

遺伝子工学により生まれてく子供を知能体力容姿をデザインする。AIやインプラントにより、人間を工学的に改造することにより、優性人類の誕生により、人類との格差が生まれ、優者は劣者を見下し差別化がなされてしまうなそSFのようなことが現実のものとなりかねない現状になってきている。そのようなことを今だからこそ考えて置くべきだろう。

コロナ危機で、ままで導入が検討されていた。在宅でのテレワークやリモート会議や授業なっどが、十分に検討されないままに急速に普及している。ITによるマイナンバーカードの普及やキャッシュレス決済やスマートフォンを利用した生活様式など、深く考えずその内容を知らないまま飛びついてよいのだろうか。コロナ危機で考える予断を許さずに導入されたり飛びつくのではなく慎重にあるべきです。
同じことが、バイオ技術やAI技術を便利だからと盲目的に飛びつくのではなく、社会的にも輿論のなかで慎重に検討されていくべきです。

また、技術の革新と発展は今まで新しい仕事を生み出してきた。中世以前の労働力の多くは農業にあったが、農業の革新により農業の労働力が余剰してきたが、それは産業革命以降は工業に人員が回され受け皿となった。工業の機械化は工業の人員の余剰を生み出したが、生産量が増えそのための事務仕事が多くなり、そちらの方に人員が再配分されるようになった。工業ロボットやAI計算機は、工場から人がいなくなり、事務仕事もAI計算機がするようになり、会社の事務仕事から人がいなくなるようになってきている。これらの流れの後に何が起きどのようになるのかを検討しておくべきです。

ホモサピエンスの未来

700万年ほど前に人類が出現して、現在わかっているだけで27種類の種が現れ、その中で現在も生存を続けているのは、一種類だけでその一種類あわれわれホモサピエンスである人間です。ではなぜ他の種は絶滅してしまったのか。地球上には進化の過程で種が分かれ今も生息している種がいくつもある。アジア象とアフリカ象、ライオンとトラ、ゴリラとオラウンターとボノボなどは、地域の違いや同じ地域でも共存してる。しかし、人間は一種類しかいない。
他の種が絶滅したのは、環境の要因か補食動物によるのか、細菌やウイルスなどによる病気なのか、あるいはDNAの欠落や欠陥によるのか詳しいことはわかっていない。ホモサピエンスが他の種を絶滅に追いやってしまったとは考えにくいです。
また、つい最近まで他の種が棲息していたことがわかってきている。現代でも、アマゾンの奥地やヒマラヤの雪男の話しなっどがある。ホモサピエンスが現れてから20万年ほど経つが、われわれホモサピエンスが他の種との出会いがあったろう。現にアフリカ中部以南を除いくと、私たちのDNAには、ネアンデルタール人のDNAが1~2%ほど混じっていることがわかっている。つまり、ホモサピエンスがアフリカを出た早い時期に、ネアンデルタール人と交雑していることを表している。

いまわかっている人類で一番古いのがサヘラントロプス・チャデンシスで700万年前~600万年前まで棲息して100万年ほどいたとされている。次に現れたのが、610万年前から580万年前までいたそうだ。次にアルディピテックス・カダバが575万年前から520万年前までいたと言われている。
それ以降、人類の多くの種が同時期に出現するようになり、70万年前頃から多くの種が同時期に出現している。ネアンデルタール人が20万年前から2万8千年前、デニソワン人が20万年前~3万年前、ホモフローレンセンシスが10万年前~1万3千年前、そしてホモサピエンスが20万年前から今に至っている。
これを見ると、最近というかホモサピエンスと同時期頃発生した人類はみな絶滅してしまっている。いずれ私たち人間ホモサイエンスもいずれは、終演のときがくるだろうが、それはいつかはわからない。細菌や疫病によるものか、気候変動により食糧不足によるか。はたまた、新種の人類が誕生するかもしれない。新種の人類といてもそれは。自然的に発生したものというより、遺伝子工学などバイオテクノロジーにより、優性人類が作り出され、ホモサピエンスを乗っ取ってしまう。それどころか人間の生体に人工物がインプラントされ強化され、AIやIT技術がそれに組み込まれ、サイボーグがホモサピエンスの世界を乗っ取ってしまうかもしれない。
優性人類であろうと、サイボーグであろうと、人間であるホモサピエンスより、機能的にも知能的にも優秀なので、優者は劣者を見下し、価値のないものとして駆除してしまうことを帰結すると、ホモサピエンスの時代の終焉になるだろう。
そして、万が一その方向にするむとなると、技術の進歩の特異点がくるときだろうが、それはこの世代のうちに起きるかもしれないし。また、このコロナ禍がそれの次期がくるのを縮めたり加速してしまうおそれもある。
デジタル化やITのネットワークが、今までの働き方や生活しかたを急激に変えていることを考えると、それを杞憂といえないかもしれない。

水の中で水を飲み息をする

白隠禅師の坐禅和讃に「たとえば水みずの中にいて 渇かつを叫さけぶがごとくなり」という言葉がある。
人間の欲望について語ったものだが、その次に「長者ちょうじゃの家いえの子ことなりて 貧里ひんりに迷まようにことならず」とも述べている。
長者の裕福な生活をしていると、それが当たり前に思え、より裕福なものを追い求めようとするのだと述べている。さらに、「渇と叫ぶ」のは今の現状に満足していない。そうなればさらに水を飲もうとすることになる。
しかし、水の中で喉が渇いたので、水の中にいると喉を潤すものはふんだんにあるのに気が付かず、まだ喉が渇いていると叫ぶのことは、単に欲望を満たされたらすむ問題だけではない。それより、水の中で水を飲み息をすると、溺れてしまうことに気がつかないのだろうか。それは喉の渇きだけでなくもっと大変な事態になってしまう。


私たちの日常の生活は、一昔から比べると非常に便利です。白隠禅師の時代とは、電気はなく夜をすごすための明かりは、薪を焚くか灯明をともすかで、その薪は自分で山に柴を刈に行かなくてはならなかった。水道も通っていないので水は井戸か沢に汲みに行かなければならず、水を汲んでもすぐに使えるわけではなく、しばらく置いてゴミを沈め浮いたゴミは炉離のぞかなければならない。非常に手間のかかることです。もちろんコンビニもないです。

私の小さいころには、電気も水道もあったが、下水道はまだ未整備で、夏になると家の前の側溝からは悪臭を放っていた。洗濯機や炊飯器や冷蔵庫などの家電製品はあったが、どれも今のような多機能高機能ではなく、単機能で性能も悪かったです。それから60年そのころから見ると魔法のようなものばかりです。これからも科学技術や産業はさらに発展し進化してゆくでしょう。しかし、便利なものを後先を考えずに求めるてゆくことは、水の中にいて渇と叫ぶような状態になってしまうことに気がつくべきです。

いつまでも、人の欲望のままに、科学技術を発展させ、強欲に商業・経済が発展させ格差を拡大させるより、AIなどの科学技術や産業の発展を、鳶の再分配や社会的制度の充実に向けて発展させるべきでしょう。

強欲さについて

「象箸玉杯」(韓非子 喩老)
「事たりる 足るにつけても 足らるなり  足らて 事たる身こそ やすけれ」(北斎漫画 第十一集)
「見小曰明、守柔曰強」(老子 52)
「生死不断絶 貪欲嗜味故」(天台小止観 呵欲)

これらの言葉を読むと、岡倉覚三が「茶の本」で、日本が鎖国の状態の中で茶の湯の文化を成熟させているのを見て、欧米などの列強の国は、日本は東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖といい、野蛮国と見なしていた。ところが日清日露戦争で多くの人の死者がでたら、西洋の国は日本を文明国と言った。そのような名声で文明国となるなら、「むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう」と述べていることに考えさせられる。
日本は岡倉の言ったその後も、列強の仲間入りをしようと、欲望をむさぼるように拡張政策を拡大させていったのだ・・・・。

人類は歴史にどれだけのことを学び取ることができるのだろうか。欲望を持つことは大切だが、その持ち方はどうあるべきだろうか。欲望は人を向上もさせれるも、破滅へ導くもその欲望のありかた内容により変わってくる。第一次世界大戦と第二次世界大戦以降は大きな世界大戦は起きていない。その点を指して反省してるかのようなことを言う人がいる。しかし、世界に国民国家が出現する前から、一国対複数国の戦争はそれ以外は起きていない。それ以前はローマ時代から侵略戦争がくりかえされている。第二次世界大戦以降はベトナム戦争を除いてそのような戦争でなく、民族間の利害の違いやイデオロギーや宗教観などの違いによる争いがおもです。

そして、いま起きている経済戦争は米中間での摩擦が際立って目立つが、世界中で大なり小なり起きている。そこで、国家間や地域での貿易協定の条約をつくり、摩擦が拡大をするのを防ごうとしているが、自国ファーストを掲げる指導者が、選挙により民主的に国民選んでしまう国があらわれている。それは、国家の暴走ではなく国民の欲望が産みだしていることになる。このまま、欲望を貪りつづけるとどうなるだろう。

今の先進国の飽くなき欲望の資本主義の欲望では、先にも書いたが破滅は薄々わかっていても、その欲望に離縁し人類の未来に対して深く見つめることはできないものだろうか。
古来から、欲望による贅沢な生活は、邯鄲の夢であり、一炊の夢であり、南柯之夢として、栄華を求めることの儚さを指摘してりいる。日本でも「祇園精舎の鐘が鳴る・・・・」の平家物語や、織田信長が好んだ幸若舞の「人間五十年下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか」とあり、良寛和尚の「回首五十有余年 人間是非一夢中」など数多くある。

現代文明の便利さと栄華をより発展させることだけを見るのではなく、今、見て見ぬふりをしている問題を改めて考えてその打開策を議論し実践していくときにきている。

貧すれど鈍せず

貧すれば鈍す
鈍すれば窮す
窮すれば通ず

貧するということはどのようなことだろう。

水の中に居て渇を叫ぶ、長者の家の子となりて貧里にまよう、このような事を貧するという。
六趣輪廻の因縁は己の愚痴の闇路にまよい、蟻地獄の如く闇路に闇路を踏みそえてしまう。
何ごとに対しても讃嘆随喜すれば福を得ること限りなし
富めれば欲望が募り貪欲になり、さもしさが雪の坂を転げ落ちるごとく、どんどん大きく膨らんでゆく。
めめしく懦弱になりより貧里の道に迷い喝を叫ぶことになる。


このコロナ禍のなかで、私たちの生活を一から見直してみる機会にすることが大切です。
人々はみな貧里に迷ていることに気が付くべきです。
私たち特に先進国の人々は、今の生活よりよりよい生活をしようと思う欲望のため、これまで気づいていいるが、それらを見ぬふり知らぬふりをしてきた問題を先送りしてきた。またまだ余裕があり、時間が問題を解決してくれるとしてきた。
先進国の余裕がある私たちはそれに気づき考える余裕があるが、この地球上には日々の生活を過すのが精いっぱいな人たちも多くい、それらの人はそのようなことを考える余裕がないです。だからこそ、裕福な人こそ貧里にまようのでなく足らずとも心やすけれとあり、それらの問題について考えるべきでだろう。


しかし、COVID-19禍のパンでミックにより、いままで見ようとしてこなかった様々な問題点などその弊害が一挙に噴出している。そしてそれらの問題への手当がせまられてる。
見て見ぬを振りをしてきた問題とは、格差、貧困、極端な大量消費、科学至上主義、地球温暖化、制度疲弊などそれらは、割れ窓として放置してきている。確かに一部の人たちが手を差し伸べているがそれでは不十分です。まさに割れ窓理論として人類存亡の問題として捉えるべきです。
しかし、トランプ大統領は公然と、温暖化問題はフェイクだと否定し、経済成長至上主義を貫こうとしている。これらを割れ窓としていつまでも放置しておいてよいのだろうか、家の窓が割れたらそれを放置しておくと、別のところの窓も割れ、虫や動物が入り込み棲みかにして、いずれ家が壊れてしまうように、この地球も生物が棲めないような環境になっていく。
COVID-19禍のパンでミックが収まったとしても、この地球は窮していることに気づき、通じなければならない。窮しているそれらの問題を継続的に本格的に取り組まないと、割れ窓の地球になってしまうだろう。

欲を呵せ

それでは欲望の門とは何か。
これについてかんがるのに、「天台小止観」の第ニ章「欲を呵せ」に次のようにある。
(天台小止観 関口真大 大東出版社)
欲を呵(カ)すというのは、五種類の欲望を呵責(カシャク)することである。ことに坐禅して止観を修習しようと思ったら、必ずこれを呵責しなければならない。
その五欲とは、世間的な色・声・香・味・触についての五種類の欲望で、これらはつねによく一切の凡夫(ボンブ)を誑わして愛著(アイジャク)の心を生じさせる。だが、もし予めよく深くその過ちやそれから起こる罪のことを知っていれば、それに親しみ近づかないことになる。これを欲を呵責するというのである。

向上心の欲は大切だが、修行僧にとっても在家の凡夫の煩悩によりおきる欲も、それを追い求めれば、癒されることはなく、一たび欲を求めれば、どんどん限りなく膨らんでいくので、小さなところで見極めて棄てなくてはならない。と、老子も韓非子も天台智顗も言っている。

私たち特に先進国と言われる人たち、また私たち日本人も江戸時代までは欲望を貪ることはそんなになかった。日本は江戸幕府を連邦政府とし各藩が自治国のようなものだったが、徳川家の大政奉還により明治新政府が誕生し、西洋列強に対抗するためそれに対抗できる国づくりをめざし、列強に襲われないように強い国づくりに勤しむことになり、それをとどまることを知らなくなり、海外進出を展開することになっていった。

しかし、人類は極端な消費主義と科学史上主義と経済発展至上主義は、その成長の限界に達しているのではないだろうか。繰り返しになるが、このグローバルの時代によるコロナパンディミックにより、今まで見えなかったり、表面に現れていなかった問題が噴出している。インターネットがない時代や、交通手段がふたむかし前なら、自国至上主義でもよかっただろうが、いまは、そのようなことをすると逆に連鎖が拡大してしまう。
いまこそ、人類が成長してきて格差の拡大や、貧困の問題、極端な大量消費により経済と環境への影響、科学技術の発展により倫理を脅かす問題、そして身近な地球温暖化、制度疲弊などについて真剣に取り組み行動を起こすときがきている。

米国大統領選

トランプ大統領による世界の分断が加速している。
アメリカファーストを掲げ自国第一主義を政策の柱ととするトランプ政権は、ロシアとの対立が深刻化し。また経済的にずぶずぶの関係にある、世界第2位の中国とも貿易戦争をしかけ、科学技術力の急発展に対しても自国の優位性に脅威を持ちさまざまな理由をつけて、中国脅威論を世界中に発信して、中国とも最悪の関係になっている。

そんななか、今年1月の米科学誌「原子力科学者会報(BAS)」は、地球滅亡までの時間を示す「終末時計」の針が昨年より20秒進んで残り100秒となり、1947年の開始以降、最も「終末」に近づいたと発表した。

時計の針を進めた主な理由は、核拡散や気候変動対策の遅れ、「サイバー空間における偽情報」の広がりを理由に挙げている。
過去の2分前は、去年一昨年の北朝鮮により核危機と、1933年の米ソが水爆実験に成功しもので、どれも核戦争による危機からだった。
今回の過去最短の100秒は、核問題だけでなく、環境問題・地球温暖化問題や偽情報などもその要因だとしている。特にアメリカ大統領選挙が11月に迫り、トランプ陣営が、自分を有利の見せかける情報を、選挙キャンペーンに使うため、中国やロシアを敵国としする選挙戦略は米ロ・米中との対立を生み、その分断が抜き差しならぬ状況に発展することが懸念されている。

また、トランプ大統領の移民政策や白人優位信奉などが、アメリカ国内で移民との対立、米国内で対立の溝が深まり分断が始っていることです。

その分断は、米国内だけでなく世界の国にも飛び火しだしている。終末時計が100秒をさしているいまこそ、世界の国々での融和と協働をして乗り越える時のはずです。

特に中国との分断がアメリカの大統領選挙までなのか、トランプ大統領が2期目も続けるのかどれもレッドアラーとです。
そうなれば最悪は、来年の終末時計は100秒を切ってしまうかもしれない。

COVID-19 二よりどう変わるか

COVID-19の感染が深刻になったことにより、リモート会議の技術を利用する職場が増えているという。今までもオンライン会議などの推進が言われてきたがほとんど進んでいなかったが、COVID-19により格段に利用が増えてきている。
配付資料がインターネットで共有されるようになり、紙の資料を配布できないのでが、会社のサーバーにアクセスして閲覧できるので、ペーパーレス化が進んだと言う。
ペーバーレスは以前から言われていたが、今までなかなか進んでこなかった。これにより、オフラインに会議でも、会議室にタブレットを持ち込んで、資料はそのタブレットで見て処理をするなどが今後進むと見られている。

同じようなことが大学などでのオンライン授業やリモート授業が進んでいる。遠隔事業により講師が学校に来られないので休講ということも少なくなるだろう。また、通常なら大学に通勤できない遠隔地に住んでいる人を講師にすることもでき。
そのような人を講師の場合、実際に授業を大学でしてもらうには、交通費も支払わなければならないので、旅費代も浮くだろう。学生の側もネット環境が整っていればどこにいても授業を受けられることになる。
実際には通信教育などと同様に、実際に年に何度か合ってリスニングをする必要があるだろう。また、すべてリモートにすると学生間の交流がないので、学生どうしの対話と交流がないとより、それによるデメリットをどうするかの課題があるだろう。

小中学校などでも、オンライン授業が今後導入され方向に進んでいる。警報などで休校になった場合などにも利用できるだろう。また、怪我や病気で長期間入院となると、病院の病室から授業を受けられることも考えられる。特別支援学校や病弱児の学校では臨床の場からも授業が受けられるだろう。また、オンライン授業の時間に、検査や治療などで時間が合わない場合は、リアルタイムの授業に参加できないが、アーカイブ保存されていれば都合のよい時間にあとで授業を受けられる。また、講師の方はあとで誰が視聴したかも確認できる。

また、ネット通販も売り上げを伸ばしているようで、今後小売業の業態も変わってくるだろう。
また、街の自家生産の商品を売っている小売業は、今までその地域の限定であったが、生ものなどの食品でない限り、全国展開ができる道もでてきている。
しかし、生ものの食品、豆腐や練り物の天ぷらなどや、麺類の販売などは、その地域限定で食品を生産しているので、品質管理ができる。それが全国展開すると賞味期限を延ばす必要がでてくるので、今まで使用していなかった添加物や保存剤を使用せざるを得なくなり、今までの地域で信頼されている小売店は、そのような展開をするなら今までの品質本位の商売を見直さなくてはならなくなるだろう。

東京一極集中を考える

東京都は、日本面積の6%にも満たないのに、日本の人工の10%以上が東京都に住んでいる。
この数字は東京圏の居住区における人口と日本の全土と比べるとこの数字はもっと大きくなるだろう。
これは東京の一極集中が定着し加速していることをあらわしている。
今までも、東京や首都圏の一極集中を是正しようとこころみられたが、それらは逆に東京への集中を加速させてしまっている。

今のコロナ禍で、テレワークなどによる遠隔勤務がこころみられ実施され、在宅勤務を導入する企業が増え、社員もそれにより、勤務地があるところに住むのではなく、地方に移住を考えている人がでてきているようだ。
しかし、逆に地方の企業に在宅勤務の導入がすすむと、住むのを便利な都会に住むのを選び人もいるだろう。
それにより、住民税の収入に変化がでてくると、地方行政のありかたにも新しい課題が出て来るだろう。

また、都市へ人口流入は日本に限ったことではなく、歴史的にも世界的にも都市は膨れ上がり続けている。それを食い止めるのは難しいだろうが、地方が寂れていかないようにするには、地方の自治権の拡充と政府機能の分散や移転などが考えられる。
首都移転といえば、ブラジルのリオデジャネイロから新都市ブラジリアの移転などがり。中国などは王朝が変わると首都も変わっていた。ブラジリア移転は18世紀から構想があったというが、実現したのは1960年という、しかし、着手してから5年で完成させたとういう。

しかし、日本の首都移転はどのようにすべきか。政府機能を移転し、経済機能は大阪と東京と名古屋と福岡と仙台と札幌などに分散させる。また、また天皇の御住まい・執務をする御所は京都戻ってもらか、平城京を復元整備しているので奈良もよいだろう。しかし、現実問題として天皇制の問題も絡んでくるので、日本の首都機能移転は容易くできないだろう。
ならばこれ以上東京一極集中を何とかしなくてはならないが、今まで何度も出てきた課題がだがそのたびに頓挫しているので実現しないだろう。
このまま、さらに東京が過密になるとどうなるだろうか、上下水道や電気やガスや交通などのインフラの問題がいずれ過密になり行きづまり東京崩壊になりかねないだろう。

SDGsと市民運動

日本における市民運動

SDGsの理念を実現するには、政府の行動に頼るだけではできない。政府は企業などのロビー活動に屈して、結局はポーズだけを見せかけはしても、積極的に理想への実現への取り組みは消極的にならざるおえないだろう。
それを打破する力は、市民の声と行動が大きな転換の切っ掛けとなるだろう。
現に、アラブの春などを見ても、市民の行動する力は大きな転換になった。ただ、それを持続さし発展させるだけの、認識が市民にあるかで転換が完全に実現できるかできないかにかかっている。
世界各国で市民権や自由生活を脅かすような政府や政権の行いに対して、市民は敏感であらなければならない。それは、アメリカの人種差別や香港のような人権や市民権などを脅かすことに対して、抗っての大きな市民運動が起きるのも、市民が常に感じ意識をし、それらに対して自覚が高まっているからだろう。

しかし、なぜか日本ではそのようなことには盛り上がりに欠けるところがある。
戦後の歴史をみても、学生運動はあったが、それも一部の人の行動で、一般市民まで広がっていかなかった。
一つあげるなら、ベトナム戦争反対のベ平連運動などがその一つつぐらいです。しかし、反戦運動も当初は東南アジアの共産化に対してベトナム戦争を正統視され、反対運動は盛り上がっていなかった。その転機はアメリカ発のベトナムでの米軍・米軍兵や傭兵の蛮行の実態が写真報道され。それが日本に伝わってからです。
国内では、政治的な問題により、市民権が脅かされる事に対しての運動はほとんど盛り上がらない。
しかし、市民運動として広く盛り上がるのは、公害問題に対しての市民の運動だろう。水俣病や大気汚染や水質や土壌汚染問題での市民の取り組みは一定の成果をあげている。
SDGsは、人権や生前環境に対する問題への解決を探る取り組みなので、17のそれぞれの課題に対して市民レベルでの運動をしていくことにより、人類の持続可能な発展と地球の保全が保たれるだろう。

SDGsの理念を実現する

SDGsの理念を実現するには、市民社会的な成熟が待たれるだろう。
市民という定義には、古代都市国家での民の国家から自律した民の市民という考えと、近代になり倫理観と規範による公共の福祉を重視する市民という考えと、放埒・放溢な利益に走るブルジョアの市民という考えなどがある。マルクスはそこに階級闘争という概念をつくりだし、有産階級の対立軸に無産階級の市民権を見いだした。

そして、新しい意味での市民社会の意味が生まれてきている、そしてそれらが、七代先まで見通す Sustainable Development Goals を、実現することになる。それが、持続可能な開発目標による成長となる。それには、自律した市民と、七代先を見据えた公共の福祉しを見据え、倫理観と規範意識を持ち合わせていなければならない。
現代のような、欲望の株主資本主義による新自由主義の市場原理至上主義と政治機関や権力とがグローバルに結びついたものに、対抗するだけのいままでの公共性を見直した市民を必要とする。そこには、物質文明の金銭と価値のある品物。財物至上主義に抗い、いままでとは別の質的豊かさを求める意識を高めていく必要があるだろう。
そこには、ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスが言うように、自由な意思にもとづく非国家的・非経済的な結合関係にもとづいた市民社会の運動が必要になってくる。

そして、高校生であるグレタ・トゥーンベリさんが、一人で行動を起こした地球温暖化対策を訴えるストライキに、世界中の多くの若者が共鳴しているのも、そのような一つの大きな流れの一つです。このような動きを守り発展させ重要視していかないといけない。

現に、コロナ禍で世界の多くの工業地域での生産が停止したことにより、世界各地の自然環境が改善され元に戻っていることが実証されている。工業生産の見直しの大切さを、この事実を私たちは考えていかなければならないことを教えてくれている。
SDGsが取り上げている解決すべき問題は、環境・地球温暖化問題やエネルギー問題や資源問題だけではない。それ以上に重要な問題への取り組みを求めている。それ以上に、人権や差別や貧困・飢餓や、ジェンンダーや少数者への問題。ほかにも教育格差など実に多様ことを問題解決すべきとしている。
これを解決するのは用意ではなが、多文化の相互尊重と受容ににより、お互いに自由に発言ができ、誰もがお互いに情報を自由に入手でき、お互いが同等の立場で話し合う前提の下での、意見交換をして問題を解決する。これは確かに現状では実現は不可能に近く容易ではないが、このプロセスを織り込んでいくことが大切です。
そのためには、自国ファーストとか、貿易戦争などと言っていないで、多文化・多様性を尊重していかないといけない。
コロナ禍のあと、SDGsの理念を実現するために、どのように社会を転換ではなく変換していくのかそれにかかっている。もとに戻るのではサピエンスは衰退と自滅の道を進むだろう。

自動機械とAI

自動機械がどんどん進化し便利になったら。

たとえば、車を運転するのには、運転に対して専念義務がある。完全自動運転自動車になった場合、その車に乗車してを使う人には安全に走行・運行されているかを監督する専念義務はあるだろうか。
自動車に限らずすべてのものは、だんだんと便利になってきている。自動車などは完全に人が運転しなくてもよくなるかもしれない。しかし、本当の完全自動運転自動車の実現は、それを運行するシステムやハード面でのインフラなどは、津々浦々まで設置し整備しなければならないので、それまでにはかなりの時間がかかるだろう。
そうなれば、自動運転自動車に搭載する人工知能は、周辺からの情報を得てそれを処理しながら運行されるのではなく、自動車自身が運転をどのようにするか判断する、自律型学習型人工知能の機能を持ったAIの搭載となってくるだろう。しかしこちらもその開発にはかなりの時間がかかるだろう。

また、AIに自律機能や学習機能のアルゴリズムを組み込むことは、倫理的に何処まで許されるだろうか。自律型だから自動車自身が独自に判断して運行をするので、択一のトロッコ問題ではないが、利用者の要望と食い違った場合はどうなるのだろう。
さらに、感情サブルーチンなど、機械と違う類似の機能が実現開発されたとしても可能としても、それをAIに組み込むことは、道義的に正しいだろうか。
召使いロボットが開発され、それに感情サブルーチンを組み込むとどうなるだろうか。召使いロボットが感情サブルーチンにより、最近、指示命令が多いので少々疲れているので、今日は休ませてもらうと勝手に判断して、御主人さまに言ったらおもしろいと思う。
そのようなことにならないために、仕事に対する遵守規範のアルゴリズムの方を優先させるべきだろう。しかし、倫理や道徳や修身などのアルゴリズムが開発されそのサブルーチンを、人工知能に組み込むことは許されるだろうか。逆にそのようなサブルーチンが普及してしまうと、それを組み込まないことは許されるだろうか。

もっとも、感情サブルーチンなどは、SFの中の話だが、それを仮想して考えてみるのも面白いだろう。

コロナ禍ごの課題

社会の高齢化による生産性の低下に加え、今までの成長ありきの工業生産最優先により、環境破壊がすすみ、地球規模のグローバルな温暖化による、気候変動などにより、生態系の変化と激甚自然災害が毎年一年を通じて起きるようになってきている。また、水 廃棄物 資源 CO2 エネルギー 有害物質などの問題に直視しないといけなくなってきている。それは科学者などの調査で数値として実証されてきている。しかし、世界各国の政府や富裕な産業経済者は、まだ時間があると言い訳し、それに対して本格的に真剣に取り組もうとしていない。
それらの人に対し私は絶望的なほどの暗さを感じる。自分たちの目先のことだけを見て、官僚や政治家にロビー活動をするのをみると、自分だけが利益を得ようとする利権目的は、我利我利亡者の思いがまかり通るようでは、未来は感じられない。

さらに、いまのCOVID-19による産業活動の落ち込みだけでなく、産業革命以降発展させた工業産業活動により、自然が破壊され自然動物と人間の棲み分けが壊され、人が動物の由来のウイルスに感染する機会が増え、ウイルス禍が頻繁に起きる危険性が増している。そのようななか、この宇宙船地球号をどのよう7世代後の子孫に引き継ぐことができるだろうか。
このような状況なのに、今までも高度経済成長期の夢を追い求めて、金融緩和による経済政策最優先をづづけることはよいのだろうか。

しかし、世界では新しい動きが起きている、投資の世界では環境・社会・ガバナンスのESG投資が広がり。企業の環境への配慮と企業の社会的貢献度と企業の透明性の統治力を査定し、その評価により投資をする動きがあり。
また、世界的にもSDGsの取り組みがされ、世界各国の政府も後押ししている。SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略で17の目標がかかげられている。
目標1 あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる
目標2 飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する
目標3 あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する
目標4 すべての人々への、包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する
目標5 ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う
目標6 すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する
目標7 すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する
目標8 包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する
目標9 強靱(レジリエント)なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及びイノベーションの推進を図る
目標10 各国内及び各国間の不平等を是正する
目標11 包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する
目標12 持続可能な生産消費形態を確保する
目標13 気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる*
目標14 持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する
目標15 陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻する
目標16 持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する
目標17 持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する

しかし、政府や企業などの中には、見せかけだけで取り繕っているところもあるので、それらに騙されずに、末端の市民や若い人たちは、SDGsの取り組みを注視し監視していかないといけない。

人間と人工知能との主従関係

人間とコンピュータとの主人と従者の逆転。
人口知能が高度に発展し、生活のさまざまなインフラシステムの中で使われてるようになてきている。また、会社などでは、仕事のスケジュールなどを事務をする秘書なども、人工知能がその役目を果たすことが可能になってきている。
つまり、人は人工知能に頼る生活をすることが多くなってきている。寝る前に翌日の天気予報を見て、朝起きて再び今日の天気を確認する。しかし、この天気予報は気象庁にスーパーコンピュータが計算して出された気象予報です。言ってみたら気象庁の人工知能に頼って傘を持ってでるかでないかを決めていることになる。

ロビン・モームの小説に『召使』と言うのがある。この小説は、1963年にハロルド・ピンターが脚色、ジョゼフ・ロージー監督した映画化がある。
話の筋は、
イギリスのロンドン貴族出身の裕福な青年トニーが、人材斡旋業の口入れ屋に召使の紹介を依頼する。バレットという男が召使いとしてやってくる。
バレットは有能で、仕事ぶりは鮮やかで巧みで際立つて、トニーも召使としての社会的役割を守り申し分ない召使だと満足し、全幅の信頼をバレットにおいていた。しかし、しだいに召使のバレットは、主人のトニーの生活行動に左右するようになり、干渉をするようになっていく。そして召使トニーがすべてを仕切るようになり、トニーは召使の言いなりになり傀儡になってしまう、主人と召使の主従関係が逆転したようになってしまう。

TVの天気予報に従って傘を持って出かけるか出かけないの有無なら大したことながいが、これが、会社の社長に秘書などがバレットのような考えで、秘書の仕事を通じて秘書が会社を乗っ取っていることになる。
同じように、私たちの生活が人工知能により便利になることにより、自分で考えて判断することよりも、人工知能の出した答えを鵜呑みにして従うようにななってしまう危険性がある。

アメリカのSFTVドラマの「宇宙大作戦」のエピソードに「宇宙に漂う惑星型宇宙船」というのがある。原題は「For the World Is Hollow and I Have Touched the Sky」と非常に長いです。
数万年前に母星の終焉から脱出した宇宙船で、表面を惑星の形状に偽装しいた。宇宙船の乗員は母星から脱出して何百世代もたっていたので、自分たちは母星を脱出新天地の惑星を見つけそこに移住するミッションを忘れてしまっていた。
その宇宙船にはスーパーコンピュータが総てを統括していた。その宇宙船の乗員は何世代も経つうちに、自分たちは宇宙船でなく漂流惑星に棲んでいると思っていた。また、統括しているスーパーコンピュータを神と信じ、そのスーパコンピュータのの出す判断を、神からの預託と信じ、スーパコンピュータのアクセスするナティラを預言者とし、乗員である就任はああああナティラの言葉に従って生活をしていた。

ロビン・モームの『召使』のトニーを人工知能に置き換えてみたり、スタートレックの「宇宙大作戦」の『宇宙にに漂う惑星型宇宙船』のスーパコンピュータなどを、これからの人工知能に置き換えて考え見て、これから人工知能をどのように考えていくべきだろう。

シベリア永久凍土の融解

地球のいたるところで産業が活性化し、工業活動が活発化して、温暖化効果ガスの排出の増加がとまらない。そんな中でロシアのシベリアで気温の高い日が続いていると言われている。
これは、北極圏の温暖化が続いているということです。それによりシベリアの永久凍土の融解がおきていることが心配されている。永久凍土が溶け出すといことは、凍っていた腐葉土が溶け、腐葉土に閉じこめられていた、炭酸ガスが大気圏に放出されるということで、地球の温暖化に拍車がかかるのではないかと心配されている。

温暖化効果ガスの増加というと、工場からの排出がやり玉などのあげられているが、それだけでなく牛の反芻にによるゲップもあると指摘されている。それ以外にも、有機農業をするうえで、家畜の糞や腐葉土などで肥料を作る時にも、温暖化効果ガスが排出され、こちらも相当な量だと聞く。それと同じようにシベリアの永久凍土に封じ込められていた腐葉土に含まれていた炭酸ガスも相当な量だと言われ、シベリアの永久凍土のそれが、溶けだし大気圏に放出されだしていると指摘されている。
そうなれば人間の産業活動だけでなく、地球の温暖化による気温上昇により、シベリアの永久凍土が融解し、炭酸ガスが増えることにより、さらに気温上昇に拍車がかかることになる。

今、気候変動がおき異常気象が頻発しているが、温上昇は温暖化だけでなく、北極と南極の氷が溶け海面が上昇して、世界の低海抜地帯が海水に浸かると指摘され、早急な対策が急務だと指摘されているが。しかし、オセアニアなどの島礁国の当事国は別として、そんなに逼迫観がなく、目先の便利さを追求する方を優先させている。

そのように、なさまざまなこと、起きると予測し指摘されているが、それに対しての取り組みを急がなくてはならないのに、日本やアメリカをはじめ、先進国は喫緊のこととして取り込もうとしていない。

コロナ禍はすぐに目に見えて身近に現れるので、危機感を持っているが対処している。しかし、地球温暖化は、目の前の風景が変わらないので、今の目先の利権のことばかりが優先されち遅々として進んでいないのが現状だ。

七世代あとのことを考える

アメリカ東部の五大湖周辺を生活圏にする、アメリカ先住民のイロコイ族が受け継いできた言葉がある。
「大事なことを決めるときは、七世代あとのことを考えてきめる」。
このことばは、集英社新書「癒されぬアメリカ:先住民社会を生きる」蒲田墫遵 、で紹介されている。
七世代後にもなると、大事なことを考えた、その人は生きていないどころか曾孫も生きていないだろう。20歳で結婚し子供を授かるとして、140年だ。日本では、自由民権運動が興ったころで。中央ヨーロッパでは三国同盟が成立し、コッホが結核菌を発見したころです。

さらに、鎌田は、この言葉について、カルフォルニア州北部のレッドウッド・バレーン・ランチェリア・ポモ族のエリカ・カーソンが祖先か受け継いできた心構えを紹介している。

 七世代前の人たちに感謝している。
 七世代前の人たちが生き抜いてきたから、
 いまの自分たちがいる。
 これから七世代は、自分たちの責任だ。
 自分たちの振る舞いのすべてが、
 七世代あとに影響する。

 七世代前は自分のために祈ってくれた。
 だから、自分たちは七世代あとのために祈る。
 七世代あとのために歌い、
 七世代あとのために踊り、
 七世代前のために生きる。

このことは、アメリカ先住民だけのための言葉としてではなく、わたしたち世界中の一人ひとりが、心に沁みて受け止めるべき言葉だろう。
自分たちの民族や民の祖先が、苦労して作り出してきた様々なものに感謝すること。そしてそれを受け継ぎ、構成に自信をもって伝え残せることが、孫への子孫への責任だ。
しかし、豊かで便利な飽食暖衣の、この宇宙船地球号の乗組員にとって、深く考えないといけないだろう。

先を見ないで資源を使い放題に消費しているいま、地球の温暖化問題や、地下資源の乱掘や、森林の乱伐や海洋資源の乱獲などにより、とてつもないダメージをあたえている。それにより七世代あとどころか、今日生まれた赤ん坊が、社会の第一線で活躍する30年後の、2050年の地球を想像したことがあるだろうか。悲観論かもしれないが私にはけっして明るくは見えない。

いまコロナ禍で暗く見えるところもあるが、それがなかったら楽天的に、この宇宙船地球号は順調に航行しているように見る人が多いようだ。
今一度、いまの自分のことだけを見るのではなく、子ども世代孫の世代だけでなく、ポモ族のように七世代後のことも見通していくべきだろう。

また、七世代の時間は、今まで地球に与えた傷が復元され癒される時間でもある。その時間についても噛みしめて感じてゆくべきだ。

また、七世代は、地球へのダメージだけでなく、人に与えた傷を語り継いでいくことにより、人でなしの行為による与えた傷、与えられた傷と、その心の傷跡が互いに癒されていく時間でもあるだろう。それは、語り継いでいくことによりはじめて癒されるので、人でなしの行いを歴史修正主義者のように、なかったことにしたり見ないで置こうとするなら、いつまでも癒されず同じ過ちを繰り返ししまうことになるだろう。

このポモ族の言葉を大切にしたい。

人種差別について


文化人類学者の竹沢泰子は著書『人種概念の普遍性を問う』の冒頭で次のように書いている。「二〇世紀は、ホロコーストを始め、人種主義に根差す多くの悲劇を生み出した。共存の世紀と期待された二一世紀を、われわれは今ふたたび悲劇の生き証人として歩み初めている。人種主義による争いや差別は絶えることなく繰り返されて、しかも、より複雑かつ巧妙化した姿でわれわれの前に現われている」。

人間は、自分は他よりも優秀だ思いたいところがある。また、自分はあの一人より仕事ができないと思いたくない。しかし、あの人より低く見られていること感じるとそれに対して、自分以外のほかのところにその原因があるとして、別のものに原因を見つけようとしたり、それを作り出したりする。それが個人レベルだなく、国レベルになってくると、民族差別や人種差別になり、他民族への憎悪となり大量虐殺などがいきる。

また、自分たちは優秀だとする見方は歴史てきにみて、経済の成長が行き詰また帝国主義時代は、植民地政により侵略は正当化され、多民族を奴隷として扱うのは神から選ばれた特権だと考えたりした。西欧とりわけスペインやポルトガル、イギリスやフランスなどは、自分たちは他の地域より文化文明が進んでいる。これは進んでいるのは自分たちが立派で、神から選ばれ神がその差を作ったのだと正当化していた。ちょうどキリスト教の創世記で神が人間を作り、地球を支配することを神託されと解釈するのと似ている。

もともと、世界史でみれば中国の唐の時代では、中国が世界の中で一番政治制度も技術も進んでいたが。中国はそれから進歩の歩みを止めてしまった。それにより、ヨーロッパはルネッサンスのころから人間復興運動により、科学を発展させていき1492年以降新大陸を発見し、フロンテァ精神によりますますその発展は加速させた。その発展の原動力は飽くなき欲望だったと私は思う。

1491年以前のアメリカ大陸には、多くの人々が住み素晴らし文明が南北アメリカ大陸で栄えていたが、ヨーロッパ人が持ち込んだ疫病で滅ぼしてしまっている。
いまの私たち日本人は、アメリカ大陸と言えば、遊牧民族のインディアンが入植者たちを襲う野蛮人と見てします。それはアメリカ映画の西部劇で刷り込まれたものだろう。中米や南米のインカやマヤなどの巨石文明やナスカなどを見てわかるように、高度な文明・文化を持っていたことがわかる。

中国や朝鮮や東南アジアの国々では、自分たちの文化やアイデンティティを守ろうとし、西欧の文化・文明の受け入れを拒み、西欧の国に侵略されていった。しかしそれを見ていた日本では、日本明治新以降の明治政府は、中国がアヘン戦争に敗れ植民地化されていくのを見て、西欧の列強に侵略されないように、脱亜入欧政策により西欧文明と科学技術を無条件に受け容れていた。しかし、それでも西洋人から偏見と差別の目でみられ差別された。しかし、脱亜入欧による急速な近代化をはたし日清戦争と日露戦争の勝つことにより、世界の文明国に仲間入りしたが、それでも西欧からの差別は払拭されずにいて。今度は自分たちは名誉白人で優等アジア人で、中国や韓国や東アジアの国々を下等と見るようになってしまった。それが、大東亜戦争はアジアの解放の戦いだった見る、アジアを上から下を見る目線だったが、それがいまも続いているようです。

日本人にある変な欧米大好きはよくないですね。欧米ばかり見るのではくアジアやアフリカなどに目を向けるべきですね。そのためにも、差別する心は誰にでもいつにでもあることを自覚して差別のない世の中にしていきたいです。
竹沢の言うように、人種差別による争いは絶えることなく繰り返されて、より複雑かつ巧妙化していってる。

これからの教育

テレビが世に普及しだした黎明のころ、テレビの登場により、その機能・能力が持っているものを教育に十分に生かして使うことにより、日本人の知性と教養が高まるといわれ、日本の公共放送であるNHKは教育テレビ専用のチャンネルを設けた。しかし、テレビ番組にバラエティ番組が登場すると、その多種多様性から、軽薄な内容から一億総白痴化が危懼された。
いま、パソコンのウインドーズが登場しインターネットが普及しだし四半世紀になる。インターネットも当初はテレビが登場したときと同じように、その効果他期待された。しかし、誰でもがインターネットにアクセスできるようになり、その質は次第に低下していき、SNSが広く使われるようになり、フェークが簡単に拡散するようなりますますひどくなってきている。
しかし、コロナ禍で外出が制限さたことにより、インターネットを使った、遠隔会議や遠隔授業が行われるようになり、新しい教育の方法が模索されだした。またリモートの遠隔行事や催しが誰でもが気軽の行われるようになってきた。今後私たちはこれらの、ICT技術をどのようにつかうのか、テレビが登場したころ、教育の質が向上すると期待されたが、逆にバラエティ番組などにより、一億総白痴と呼ばれるたりしたが、この技術をそうならないようにしたいが、今までは時間をかけて徐々変化したり移行してきたが、それが一挙に変わろうとしているが、私たち個人個人がその変化に、心のめんで対応適用していけるだろうか。

哲学的に考えるとは

哲学的に考えるには、いくつかの方法がるが、大きく分けると二つになる。一つは、他人と話しあう。もう一つは自分で多様な多方面の文献を調べる。

人と話し合うときには、その場合の気をつけないないといけない点がある。自由に何を言ってもよい。発言は問いかけるようにいう。人の言うことに対して批判はよいが否定的な言動をしない。自分の意見が途中で変わってもよい。自分の結論を出さなくてもよい。話の内容がわからなくてもよいし、自分の意見を言わなくてもよい。
話し合いで、反知性的になってはいけない、反知性的とは、佐藤優が「知性とは何か」(詳伝社新書)で反知性主義とは、実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度を指す。反知性主義には、知識エリートが独占していることに対する意義申し立てという民主主義的側面もある」。と述べているが、哲学的に考えるのに、自分の考えに凝り固まりその坩堝に陥ってしまってはいけない。多様な考えに寛容になりその上で対論すべきです。また、佐藤が後半で「民主主義的側面もある」と言うのは、情報や知識を独占して隠さないことです。政治の世界では、与党の政権側はその施策をするためにさまざまな情報を集めているが、野党にはその根拠となる情報が不足しているので、実証性や客観性が不足していて、反知性的な質問になっても許される。その前に、政権党は情報を隠さずに出すべきです。また、公正であらねばならない司法のなかでも、検察は検察権力で収集した膨大な情報資料があるが、その集めた資料の多くは公開されない。被告の弁護側はそれによいり圧倒的に情報不足で不利な状態で裁判が始まり、日本の裁判ではそのため検察から起訴されれば90%以上の確率で有罪になってしまう。
はなしは、大きくそれてしまったが、哲学的な話し合いのなかでは、必ず結論を出さなくてもよいのだから、誰かが話し合いを誘導したり、意見に対してそれを認めない否定的になってはいけないということです。そして話し合いをするには、自分の意見の根拠となる情報ソースも共有できることが理想てきです。

また、対話を通してではなく、個人で文献など調べたりするときは、できるだけ多方面の文献を読み、自分の考えと対立する本も積極的に調べるべきです。
インターネットでさまざまなことを手軽手早く調べることができるが、その情報の正確性や論考の根拠となる出所も確認しておくべきです。また、インターネットの検索機能では、その人が今までに検索し読んだ履歴をもとに、検索結果のヒットランクが表示されるようです。つまり、インターネットの検索は、検索者のお気に入りの情報の方が読まれやすい構造になっていることを知っておかないといけないです。そうしないと反知性的に陥ってしまうおそれがある。

人との話し合いを哲学的なものにするには、同じような人、同じ専門知のある人、同じ地域や同じ境遇の人などと話し合いをすると、たしかに話の内容は高まり結論も出やすい。しかし、反知性的にならず話の中身を深めるには、話し合いに参加する人は多様性に富んでいる方がよく、自分と違う分野の人と話すことで、今まで思いつきも考えもしなかった話を聞けたり、発想を得られたりする。時には自分の範囲内で考えていた常識が、崩され一から考え直すことを逼られることもある。それにより、哲学的話ができ、今のコロナ禍を乗り越え、その後の世界の波をも乗りこなせる力になるだろう。

これからどう考えて波を乗り越えていくべきか

これからどう考えて波を乗り越えていくべきか
哲学的思考を!。

コロナ禍により社会が大きく変わろうとし、そこに、AIとICTの技術が加速させている。いや逆かもしれないコロナ禍契機として一変させている。
いま、世界的にみてポピュリズムが台頭しだし、自国第一主義を叫ぶ強いリーだに頼ろうとする傾向にある。アメリカでトランプ大統領が選ばれたのそうと言えるだろう。
冷戦時代の終盤期のレーガン、サッチャ、中曽根時代の新自由主義はそうだった。
冷戦が終結し経済が停滞していることにより、新自由主義の自己責任論と欲望の株主ファーストの資本主義により、富の格差はこれまでもなく拡大し、中流・中産階級は下流への流さされみな閉塞観を抱いている。そんなさなかに、コロナ禍がおき世の中が変わろうとしている。
そのようなときこそ、新自由主義などにより、壊されてきている民主主義について、改めてその価値を見直し再起動させなくてはならない。それには、自分で考え何が正しいかを判断するかの哲学的な思考力を持たなければいけない、そうしないと、上意下達に従い、その場の雰囲気・空気に流されてしまう。特に気をつけないといけないのが、SNSなどによる情報過多の洪水に押し流されることだ。
哲学的な思考とかいたが、哲学というと難しく考えられ疎んじられ敬遠されそうだが。ごく一言でいうと「考えること」です。
私たちの生活をみると、仕事などではできるだけ考えずに指示されたことに従ってこなすことが求められている。よく、ものごとで問題が起きたとき、「よく考えなさい」といわれるが、それは教えられたことや指示されたことを忠実にしているかしていないかを振り返れということで、つまり自分の自律した考えで、考えるなと言っていことになる。
では「考える」とはどういうことか、それは自由になることで、自分の考えかたで自由に考えることです。そのように考えることにより自由になれる。考えは往々にして自分を縛り付けて物事を考えているが、その縛り付けている制約から解き放たれることから、初めて自由に考えることができる。自分のいま考えていることは、社会のルールから逸脱しているのではないか、常識や慣習から逸脱しているのではないかと考え、自分を枠の檻の中に閉じこめてしまいがちです。
また、日本では理数系や理工系の学問は注目され関心をもたれ、経済学や産業学も重要視されえいるが、文系の文学や美術・音楽などは今一つで、自民党の国会議員には国立大学の文系学部無用を主張する人もいるほどです。そんな状況だから「哲学」となると。役立たずの価値のないものと思われてもいるようです。また、多くの日本の国民もそのように感じているのではないだろうか。
しかし、哲学とは、疑問に思うことわからないことを見つけ増やしそれを、自分で考え自分の意見を持つことです。文系不要論の議員は、自分の意見を持った人が増えることを恐れているのでしょうか。
一方、欧米では、空気に従うのではなく、自分の意見をしかりと主張することが求められている。考えることは、論理的に一貫性が求められるが、他者や物事に対して、また自分に対しても反省的・批判的で自由に柔軟に考えられ留ようであること要求される。
そのように、考えると日本人的思考と欧米的思考とでは、いま、社会が転換しようとしているとき、どちらが的確に判断でき的確な進路を選び進むことができるだろうか。哲学的な物事の考える能力を身につける必要性は、このコロナ禍のときまた、その後のために必要だろう。

これからのAI と ICT

これからのAI  ICT
現代社会、産業経済を押し進めているのは、新自由主義や欲望の資本主義にもとづいている。それにより、私たち人間は、より便利により豊かにならなければならないと信じている。そしてそれらを実現するために、AI(Artificial Intelligence)人工知能とICT(Information and Communications Technology)情報通信技術の進化は、不可避としてさらに発展していっている。しかし、それは社会を人を、非人間化を推進する原動力になっていることに気がついてはいるが、その行方の舵を変えようとはしな。この、AIとICTは、自律型学習型人工知能とビッグデータが結びつき連携され、それにより作り出され、決められた秩序が一見公正で道理に合っているかに見える。しかし、それらに対して一人の人間として立ち止まって改めて考えてみると、理不尽で不条理で不公正なところが多々あることに気がつくはずだ。

コロナ禍で移動や外出が制限され、AIやICTの活用が奨励され、多くの人が使いだしその便利さに注目をしている。今後それらの技術は、より使いやすく便利になるだろうが、コロナ禍がなければその技術革新は徐々に進むはずだった。しかしこれを期に一気に進み世の中が変わってしまうだろう。しかし、私たち人間の一人一人がその技術革新の変化に対して、人間として思考や感情がついて行くことができ、それに対応できる物事を支える根本となる理念が作れるだろうか。

これらの変化に取り残された人は、人間としての尊厳を持ち続けたことにより役立たずの人間となるのか、、魂をAIとICTに売り渡して優秀な人間として生き延びて行くのか。
人類にとって大きな岐路になるだろ。その中で自分は自らどの道を歩んで生きていこうか。

コロナ禍後の、ICT

コロナ禍後の、ICT(Information and Communications Technology)情報通信技術の活用はどのように変わるだろうか。
COVID-19の世界的な感染拡大により、世界の多くの国では、今までの働き方や人との繋がりの方法が、急速に変わろうとしている、このことは、COVID-19禍が過ぎてももとには戻らず、その利用が広がり普及し定着するとみられている。
インターネットを利用したオンラインのテレビ会議や、テレビなどで今まで直接会って行われていた、対談や鼎談などが遠隔でできるようにリモートでなされている。

また、海外の国では、スマートフォンのアプリや位置情報を利用し、ビッグデータとして分析され、感染者が2m以内に近づけば知らせてくれるアプリや、スマホを持っている人の動静が把握されるものなで、ウイルス感染拡大防止に役立つものんどが開発されている。また日本でも経済再生担当相が、アプリの開発を複数のソフト会社に依頼していることを明らかにしている。ウイルス対策なら厚生労働省が管轄ではないかとおもうが、何故か経済再生担当相ですこれも国民の保健衛生よりも経済の優先のためだろうか。そうなればこの開発依頼しているアプリはウイルス対策だけではなく、他のことにも利用することを考えていることになる。
このコロナ禍後にあらわれる、ICT情報通信技術が私たちの生活のなかに、それぞれの人が自覚しないままに、浸透していき活用されるようになる。それはまるで、サイレント、ステルスウイルスのようにいろいろな製品に組み込まれていくだろう、そしてそれらの製品を使うことにより、個人の行動データなどが蓄積され、それをビッグデータとして活用し新しい産業が生まれるのだろう。しかし、それは生きた人間の個人としての尊厳が呑みこまれてしまわないかと思う。
スマホのGPS機能やカードの決裁履歴や、SNSなどのイイネや発言などのデジタル情報のビッグデータは、一人の個人が忘れていることも正確に詳しく記録されると言う。また、他のデータと参照し分析をすることにより、今後特定の人の行動まで予測できるという。そうなれば、しらないうちに自覚をしないうちに監視社会に呑み込まれるしまう恐れがある。
このコロナ禍の後の世界がどうなるか、波か列車か自動運転車かわからないが、それに乗るかあらがうのか。あらがったらこれからの社会を生きていけるのだろうか。

コロナ禍後の世界

 コロナ禍は地球の30年後のあり方にどのような影響を与えるだろうか。
2050年以降の世界は今とまったく違う世界だと警鐘を鳴らす人がいる。私もそのように感じ、人類であるホモサピエンスにとって狩猟採取生活から、農耕社会になったとき以上の変かと感じている。狩猟採取から農耕生活には長い年月を経て変わっていった。また、農耕生活の集団から国家や都市ができるのも、狩猟採取から農耕生活の変化よりは短いがそれでも長い時間がかかり、蒸気機関の発明により産業革命により生活を一変させたが、それでも時間がかかっている。しかし、このコロナ禍の変かは、複数の今までの生活様式を同時に一挙に短時間で変えてしまうおそれというか可能性がある。

コロナ禍がなければ、30年後のせかいは、徐々に科学技術がパンドラの箱を開け、地球温暖化やエネルギー問題、グローバル化による経済と労働のありかたの変かなどだた、それらのさまざまな課題は、徐々に移行したり変化していくものと考えられていた。しかし、今回のコロナパンディミックにより、その後の世界が今までと同じではなく、より明るい方向にむくのか、それとも懸念されている問題が前倒しで訪れるのか。
社会の日常の制度はどうかわるのか、世界の政治体制はどう変わるのか、このコロナ禍が終われば、今までのもとの姿に戻るのか。それとも今までを一新する姿になるのだろうか。

より世界が分断から連帯の民主主義の方向に向かうのか、それとも自国第一主義の国民国家が再び世界を闊歩するのか。危機管理を乗り越えるため、世界の地域が全体主義世界や民主主義世界や原理主義世界など幾つかに分れ分断してしまうのか。それとも世界は連帯の方向にすすむのか、はたまた、世界連邦共和国の社会に向かうのか。

私は、世界連邦共和国の社会に向かうことはないと思う、それよりも、ジョージ・オウェルの「一九四五年」のようになる恐れもあるだろう。そして、それぞれの地域の政治体制はことなり対立を産むかもしれない。また、ジョナサン・スィフトの「ガリバー旅行記」のガリバーが難破して漂着したそれぞれの国のようなことになるかもしれない。
また、人の心はどう変わるのか、カミュ「ペスト」に登場するおのおのの心情はどのように変化するか、
メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」に出てくる怪物のように、今の最先端のAI技術より産み出されるものを、怪物として、創設者の復讐のために世界を闊歩しだすだろうか。

これから訪れる新しい世の中について、自分の個を見失って慌ててしまわないように、知性を深めていくことが必要になってくる。

C0VID-19禍のパンデミック後の世界

C0VID-19禍のパンデミック後の世界

私は阪神淡路大震災の時には神戸で仕事をしていたが、長田を始め神戸や隣の西宮の多くの地域で、震災以前から地域の再開発計画が議論されていたが、その計画の素案すらなかなかまとまらなかった。しかし、地震により建物は倒壊し、さらにその後に発生した火災により、地域一角が焦土と化してしまった。それにより一挙に再開発計画は進み、数年で地域は新生都市として生まれ変わってしまった。もし地震がなかったら今も地震前の姿のままの所もあり、再開発がされても今の様子とは随分違うだろう。

これと同じように、このコロナパンデミックによる、人の移動の禁止による、経済の停滞のその後が、引き起こすものはどのようなものだろうか。
経済活動の変化により、価値観の変化が起こり、生活様式が一変する懼れがある。その変化は私たちはどのように受け止めたらよいのだろうか、またその変化の流れを変えたりくい止めたりする事はできるのだろうか。
洪水のように一旦決壊し出した河の流れをくい止められないように、その変化は変えたりくい止めたりすることはできないだろう。
そして、その変化は人類そのものを、イスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリが言うように、ホモサピエンスからホモデウスと新種の人類を生み出すだろうか。ハラリがホモデウスの警鐘を述べたのは、コロナパンデミックは想定していなく、ある程度の時間の流れでの変化だった。ある程度の時間の流れと言っても、2 30年で人類史や生物の進化の歴史から見ると一瞬だろう。しかしコロナパンデミックが引き起こす変化は瞬きをする間もない変化かもしれない。

そして、いま起ころうとしている変化に上手に乗りこなせる者と、変化に乗り損ねてしまう者と2種の者に分かれてしまうだろう。
そうなれば2 30年後には、今地球上に生息している類人猿には、チンパンジーやゴリラやオラウンターと私たちホモサピエンスである人間がいるが、そこにホモデウスが誕生しこれからの地球を支配するようになる。そして、変化の波に乗り遅れたホモサピエンスは、野生の動物の保護区の中で生息している動物のように、特定の都市など地域を監察保護区のような養護地区がつくられ押し込められるだろう。あるいは、さらに年月が経つと動物園の檻の中で飼育されている状態になるだろう。

私たちホモサピエンスである人間は、今まで多くの転換点を経て今にある。最初は狩猟採取生活から農耕革命がおき大規模な集団生活をするようになり、その後、国家を作り産業を生み出し、技術革新をしてきて今日がある。さらに、いままで、気候変動や自然災害や戦争ににより、それぞれそのときに、今までの様々な価値観が通用しなくなり、新しい価値観をつくりだしてきた。それは、戦争や自然災害などだけでなく、病原菌も社会の価値観の転換期を作り出してきている。

それと同じように、いまのC0VID-19禍のパンデミック後も大きく変わるだろう、今までの転換と大きく違う所は、今までになく膨らんでいる貪欲な欲望の社会的システムである、新自由主義と欲望の資本主義や中国やロシアの国家資本主義の出現。それと、遺伝子工学やインフラを支える科学技術の驚異的な発展と、今までになかったAI技術とIT技術の出現と驚異的な発展です。

これらのかつてないものに、私たち人間の心や精神は適応していくことができるか、できないかが問われるだろう。これらの変化が徐々に進み改革されるのであれば、多くの人はその船や列車や飛行機やジェット機やロケットの乗ることができるだろう。しかし、いまその変化が一挙に起きようとしている。人類の永い歴史から見るとそれは瞬時の出来事だといえ、多くの人がいま出発しようとしている乗り物に遅れるだろう。たぶんこう書いている私もそれにのり遅れるだろう。
また、これから乗ろうとする船や列車や飛行機やジェット機やロケットなどの乗り物にの違いにより差がでてくるし、行き先が違うことによっても違いが出てくる。
終点が民主主義か資本主義か新自由主義か全体主義や科学至上主義などの行き先を、乗る人が自ら自分の意志で選ぶことができることはないだろう。

これからの世の中の限界

2012年に1972年『成長の限界』を著した、ヨルダン・ランダースが『2052年 今後40年のグロバル予測』という本を著している。2020年の現在からみると30年後の世界です。
この本では、社会の持続可能性や資本主義の終焉や経済成長の限界、民主主義のあり方、世代間の調和、気候変動などについて問題点を提起し、今後、収入の激減する人々が増え、行政は小さな政府を目指し福祉が後退し、様々な面で、いたる所でオーバーシュートによる崩壊が起きると警告している。

そこには、人口と消費の問題、新自由主義の資本主義による摩擦と葛藤、エネルギー消費によるCO2の問題、食料事情の問題、水の問題、インターネットによる社会変化などについて、それらのこれから徐々に変化していくであろう、社会のあり方について詳しくのべている。

「成長の限界」後の「2052年」の30年後の世界へ移行するのには、徐々に変化していくものと私は考えていたが、この、このCOVID-19のパンデミック後の世の中は、それらのいくつかの課題や問題が、一挙に急激に一方向に舵が切られて変化してしまうことが、現実として起こりだす可能性が高まっている。

私は、学者でも研究者でもジャーナリストでも政治家でもないので、それらの詳しい情報はもっていなし、それらのソースすらない。また、分析法の技法も得手いないです。しかし、世の中の流れを注視していきたいと思っている。
私がワープロを使いだしたのが、34年ほど前、パソコンの表計算ソフトとMS-DOSを使い出したのが、31年ほど前、本格的にパソコンを使い出しパソコン通信をし出したのが、28年ほど前でD0Sパソコンで、電話回線でインターネットにつなげたのがその2年後で、ウインドーパソコンを使い出したのが25年ほど前だ。
しかし、ウインドーズパソコンになって、マウスでクリックするだけで操作できるようになって、パソコンの使いかたがわかりにくくなってしまった。また、しかし、携帯電話を持ち出したのは10年程前で、スマートフォンはまだ持っていな。
こんな状態だから、これからスマホを持っていないと生活できないような生活になっていきそうで非常に恐ろしく感じている。

できれば、現金で生活することを死ぬまでしたく思うが、それができるんだろうか、またこれから、感染症などの追跡をするために、外出時にはスマホ携帯を必須が条件になったりすれば、私は、どのようにすればよいだろうか。

COVID-19禍後の世界

COVID-19のパンデミックにより世界の活動は凍結したかのように、人々の移動は制限されている。このパンデミックの氷山が溶けた後どのような世界になるだろうか。北極・南極の氷が融けて海水面が上がるように、世界は変わっていくだろう。
けっして、COVID-19パンデミック前と同じ世界にはならないだろう。AIとIT技術によりオンライン授業の導入に慎重だった大学がオンライン授業を導入を始めたところもある。また、日本では学校の学年始めを4月から9月に変更しようと声があるように、いままで議論は俎上になっていたが、その議論の進展は遅々として進んでいなかったが、このCOVID-19のパンデミックにより、熟議されなままにいろいろなものが急激に一転してしまう恐れがある。
このCOVID-19禍後の、世界はどう変わるだろうか。それが、良いように変わるか、それとも最悪の方向に変わるだろうか。
以前のこのブログで、監視社会や全体主義の方向に進む恐れがあると書いたが、それだけでなく、社会の制度自体や経済活動が、いまの新自由主義と株主中心資本主義とグローバル化の寡占化は格差の拡大をもたらしている。それらの今の問題とされてる点が改善される方向に進む、よりその問題点が深刻化する方向に進む方向に舵が切られるだろうか。

また、市民生活の面でみてみると、電車などは三密を窮めているので、パリでは自転車を利用する人が増えているという、そのため臨時の自転車専用レインが新しく整備されたり各福されたりしているという。さらにこのウイルス禍が終息しても、自転車レーンを臨時ではなく恒久的なものするのがよいという考えの人もいるようです。電車・バスでの通勤でなく自転車や電動キックボードでの通勤する人が定着していくこともありうるだろう。

上下水や電気やガスなどのインフラを供給するための制御をする人や維持する人が、感染症にかかり出勤禁止になれば、それらのインフラの混乱が起きる恐れがある。また、今後日本など先進国では少子化での人口減少が進み、インフラの供給維持するための働き手不足になる恐れがあるために、それらの様々なインフラシステムの操業を、人間の操作がすべきものまでが、AIとIT制御させてしまうようになることもあり得るだろう。
鉄道などは、新交通システムと呼ばれるものは、車掌はもちろん運転手も乗務せず中央制御室のコンピュータが路線の全車両の運行を制御している。そしてこの技術は既存の電車にも応用されていく。JR東日本のリニア中央新幹線は、すべてが中央のコントロール室で制御されるようだ。そのようなことが、バスやタクシーにも自動運転自動車に応用されて、無人バス無人タクシーが街中を走る世の中になるかもしれない。

COVID-19の封じ込め対策は万全にしなければならないが、これからのCOVID-19のパンデミック禍後の世界を心しておかなければならないだろう。

人類とウイルスとの付き合い

人類の歴史は戦争の歴史とも言われるが、有史以前から見ると、病原菌・細菌・ウイルスとの戦いの歴史とも言える。
ウイルスとの戦争という表現に対し好ましくないと言う人がいるが、ではどのような表現をすればいいだろうか。

わたしたちホモサピエンスが誕生してから、今まで様々な病原菌がわたしたちを悩ましてきた。
思いつくままにあげると、コレラ ペスト 結核 はしか ポリオ ジフテリア 百日ぜき 破傷風 マラリア 赤痢 ウイルス性肝炎などなどです。そして、ここ2000年以降のウイルスをみると、エボラ出血熱、HIV、インフルエンザ、サーズなどなどがある。

それらのウイルスの中には、感染しても発症しない人が多くいウイルスもあれば、すぐに感染して発症するものもあれば、感染すると非常に高い割合で死に至るものもある。また、インフルエンザのように飛沫感染で近くで話したりすることにより、感染してしてしまうものもある。また肝炎ウイルスのように血液を介して感染するものもある。

いま問題になっているCOVID-19は、感染しても軽傷であったり発症しないと言われ、サイレントウイルスと呼ばれるたり、目に見えないウイルスとして、ステルスウイルスと呼ばれ、これが知らない間に感染を広げてしまうので恐れられている。保菌者が発症していないので自覚がなく、多くの人に移してしますことになる。
そのため、都市封鎖は外出制限や外出の自粛が取られのだが、自分は症状が出ていないので感染していないから、外出するのは間違っていることになる。

連休のさなかだが、その点を考えてこの行動の自由を奪う不条理とどう受け入れ戦うかをよく考えるべきだ。

禁断のIT・AT・科学技術

科学技術の革新が進み、新しい発見と発達をしている。そのなかで、原子爆弾のようなパンドラの箱をあけてしまうようなものもある。それに対してどうあるべきか。まずは科学者そしてそれを実用化させる技術者、そしてそれを使う企業や軍人、そしてそれを利用してさらに社会役に立つように制度を作る政治家がいる。
それらの人は、どのような心構えでいるべきだろうか。

・科学者としての責任感と科学探究への欲望と社会貢献と倫理観
・技術者としての責任感と技術開発への欲望と社会貢献と倫理観
・商業者としての責任感と利益追求への欲望と社会貢献と倫理観
・政治家としての責任感と統治への欲望と政治信条追求への欲望と社会貢献と倫理観
・軍士官としての責任感と軍事力への欲望と軍隊の社会貢献と倫理観

この問題で一番わかりやすいのが、兵器開発でその中でも核兵器と言えるだろう。
しかし、兵器以外でも遺伝子組み換えや、スーパーコンピュータの演算速度を上げることや、人工知能の開発で自律型学習型人工知能での開発にもいえるだろう。

これらの人がパンドラの箱をあけるような、暴走を防ぐには、それぞれの科学者や技術者や商人や政治家や軍人の性善説の倫理観にまかせていては、暴走をとめられない。
そのためには、予防原則という考えを取り入れる必要がある。予防原則とは「一般公衆の健康や環境や安全などに、悪影響を与える可能性がある問題について、それを警告するものには立証責任はなく、それを実施しようとする者に全責任を負う」。
また、私は理論を打ち立てただけだとか、私が開発下だけだ、それを使い実行していないとして、その責任を逃れようとするのは許されるだろうか。

いままでいろいろなものが発明され開発され技術が進歩してきている。核爆弾のように、技術が一端出来上がると、その技術は広まり始める。核爆弾をみるとアメリカは第二次世界大戦の時に、ドイツが核爆弾を開発するのではと、各開発を国全体を挙げて進めた。そその後ソ連が開発に成功し、イギリス、フランスも開発を成し遂げ、次いで中国と続き、今ではインド、パキスタンが核を保有し、北朝鮮も開発に成功している。このほかイスラエルも核爆弾を持っているといわれている。さらに日本はすぐにでも核爆弾をもてる技術があるとされている。
このように一端出来上がると広がってしまうものです。もっと身近なものでいうと、今までなかった家電製品が一つのメーカーが出すと、しばらくすると多くのメーカーが同じような製品を市場に出すようになる。
それが民生の家電製品ならよいが、原爆のように私たち人類の未来の明暗を左右するものもある。

遺伝子編集や、AI技術などの人工知能やロボット技術また、インターネットやスマートフォンなどのITの情報技術革命などの技術であるが、それらはウイルスの拡散が止められないように、一度わたしたちが手に入れ使い出すと、一挙に広がりだし止めどもなく広がてしまう。
そして、その中の多く
様々な禁断の技術があり、現代社会はそれを抱えている。それに対して私たちはどれだけ向き合っているだろうか。いや向き合っているというより、それぞれの様々な禁断の技術の問題にについての情報を知っているだろうか。

私たちの食卓にならぶ、牛肉の牛がどのように育てられ、どれほど飼育され屠畜されているかを教えられず、気にしないように、スターバックスで飲むコーヒーの味だけを楽しみ、そのコーヒーが何処でどのように栽培されているのかを知らないで気にもとめないように。今の、禁断の技術が日夜研究開発されていることも知らないでいる。
それと同じように、禁断の技術はわたしたち一般の人々にはあまり目に触れることがなく、その技術の研究・開発が進められている。
牛肉やコーヒーは日頃は問題意識を持つことはないが、それでも比較的身近な問題で想像しやすいものです。しかし、自分たちの生活のなかに溶け込んでしまっている、IT技術やAI技術が融合したスマートフォンについて、便利だからどんどん進化していてよいと思ってよいのだろうか。
今度のコロナ禍で、中国や韓国ではスマートフォンで、毎日体温の情報や健康に関する問診の送信を義務づけられ、その人の位置情報を利用して、自分の周辺にどのような健康状態の人がどれぐらいいるかを表示するサービスも提供されているという。
確かに健康に対して気をつかえ安心できるアプリソフトだが、これを利用すれば国民の監視にも使えるようになる。このれからこのような技術がますますこれを期に進むのではないかと思う。

生命の大絶滅

宇宙が誕生して128億年たつと言われ、太陽系が誕生したのは今から46億年前と言われている。そして地球上に生命が誕生したのが、38億年まえ。それから今までに5度の生命の代絶滅が起きたと言われている。人類の祖先である猿人が現れたが700年前と言われ。多くの種類の猿人が進化して、猿人から原人へそして旧人へと多くの種が誕生しては消えていっている。さらに新人へと進化していき。そして、私たちホモサピエンスがアフリカの中部の東側に現れたのが20万年前。さらに5万年前ごろにアフリカの地から旅立ち、中東からアジア、ヨーロッパにに広がり、ユーラシア大陸全域からオーストラリア、オセアニアと広がる。氷河期にユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きの、ベーリング陸橋から北アメリカ大陸へ渡り南アメリカ大陸と広がっていった。しかし、他の人類はいまは絶滅してしまっていない。アフリカを旅立った、5万年前ごろから人類は、言語を持ち知能を発達させ、しだいに文明を培ってきたと見ていいだろう。
しかし、地球に生命が誕生してから、生命が何度も絶滅しては現れるのを繰り返してきている。ホモサピエンスは生命の頂点に立っているといると言われるが、私たち人間もその文明の興亡が幾度も繰り返され、文明の破綻が繰り返しおそってきている。そして現在もいままで文明の興亡があったように、現代の科学技術の進歩と、あくなき欲望の追求を続けていくと、これからの数十年以内に、壊滅的なまた後戻りできない絶滅的な破綻が起きるおそれがあるだろう。

ウイリアム・H・マクニールは、「マクニール世界史講義」ちくま学芸文庫のおさめられている、「人間のの営みにおける統制と破綻」のなかで次のようなことを書いている。
「文明が誕生して以来、人々が何を経験してきたかを私たちに教えてる解読可能な記録を見ると、破綻は頻繁に、絶え間なく起きています。飢饉、伝染病、戦争、そのどれか一つにでも見舞われれば、一定の期間、文明社会のほとんどすべての人々に影響が及びました。現在では、高度な技能を駆使できるにもかかわらず、こういった破綻のいずれか、あるいはいくつかと誰も無縁にはくらせないでしょう」。そして、マクニールはさらに続けます「破綻のリスクこそが人間が置かれた環境の隠れた一面であることを認識すべきなのかもしれません。自然の均衡を変化させ、集団的な取り組みや道具の利用によって地球の表面を変えられる代償ともいえるでしょう」。


過去地球で起きた5回の大量絶滅はどのようなものか概観をみると次のようになるだろう。、
・4億4300万年前のオルドビス紀の終わりに、86%の海洋生物が地球上から姿を消した。
・3億6000万年前のデボン紀の終わりに、全生物の75%が絶滅。
・2億5000万年前のペルム紀の終わりに、生物の96%が消滅。
・2億100万年前の三畳紀の終わりに、全生物の80%が姿を消す。
・6500万年前の白亜紀の終わりに、恐竜やアンモナイトなど76%の生物が死に絶えた。
あと、1万年前の、更新世の氷河期の終わりに巨大動物の絶滅

そしてこれらの大量絶滅の原因は、火山の噴火や気候変動などの天災が原因と考えられている。そして、白亜紀の終わりの、恐竜の大量絶滅の原因は一つの巨大隕石の衝突であることがわかってきた。この巨大隕石の衝突はその、粉塵が地表全体を覆い日照不足による寒冷化による気象環境を一変させたと考えられている。
大量絶滅で生物種の8割が絶滅した惨禍の後、生態系は2~3年後には新しい種が生まれ復活したとみられている。常に生物は進化してきている。海洋の無脊椎生物が脊椎動物に変わっていき、海洋生物は陸に進出して、両生類が生まれ爬虫類が現れ、哺乳類が現れ類人猿があらわれ人類が誕生している。
また、ホモサピエンスが現れてから、18万年ほど経った、1万年前の氷河期の終わりの大型哺乳類の絶滅は、気候変動に加えて最新の研究では、ホモサピエンスである人類による狩猟採の影響と考えられるようになってきている。
それ以降の地球上の生物種の絶滅は、地球の気候変動などよりも一生物種である、ホモサピエンスすなわち人間の
活動によるものだと考えられ、過去400年間に哺乳類や鳥類、両生類、爬虫類が絶滅をみると、人間である人類ホモサピエンスの活動によるものがほとんどのようです。
両生類は40%が絶滅しかけ、針葉樹が34%、サンゴ礁が33%、サメやエイなどの軟骨魚類が31%、哺乳類が25%、鳥類が14%、無脊椎動物では甲殻類の27%、昆虫の数も激減してる。
現在、これからの宇宙船地球号の乗員である、さまざまな生命は、現在知られている種の4分の1が絶滅の危機に瀕していると言われている。

ホモサピエンスである我々た人間は、肉食や草食性だけでなく、一つの固有種を食べるのではなく雑食性にあった。それによりいままで、人類は病原菌やウイルスのよる疫病との戦いだった。そしてその脅威を乗り越えることができた。今まで他の種を絶滅させていった人類が絶滅するようなことはなく、このCOVID-19も、時間がかかるだろうが乗り切ることができるだろう。

しかし、まずは
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、間近くは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ、心も詞も及ばれね。」
このCOVID-19を、前輪の轍として、人間のいままでの驕りを誡めるものとできるだろうか。

COCID19後の世界

先日このブログで、COCID19に対する対応またその後の世界のあり方たや日本のあり方は、このCOCID19を連帯をもって立ち向かわないといけないと書いた。
COCID19に限らず、現代の急速な人工知能の技術革新と、グローバル経済と新自由主義により欲望の株主資本主義は、世界の国のあり方や社会のあり方はそうだが、それに加えてのCOVID19禍はこれから、私たち一人ひとりの生活の実態はどう変わっていくのだろうか。

COCID19後の世界は、大きく変わる可能性がある。
それは、どのように変わるのだろうか。ウイルスの感染拡大を防止するためにおこなわれる、移動制限はこの今後の世界的な経済の落ち込みになることは避けられないです。それから自分は免れようとして、自分ファーストの欲を追求するのでは、この危機的難局を乗り越えられないと気づき、あらゆる人が連帯と共感を持ちと互いを尊重し合い理解し合う重要さを悟り、貧富の格差を是正しようとする方向に進むと、21世紀以降には明るい未来がまっているだろう。あるいは、格差がなくなるまでいかなくても、いまのアメリカの1%の人が99%の富を独占することの愚かしさを知り、この極端な格差は是正される。また、国家間・民族間・階層間の差別や格差がなくなり、互いに連帯しながら難局を乗り切る社会に進んでいくきっかけになる。あるいは、それとは逆にますます格差や差別は拡大していき、それによるお互いに反目がそれらは広がり、混沌とした世の中になっていくのだろうか。

また、いまAIの技術革新が急速であるが徐々に進んでいるなか、世の中に働き方や社会制度が変わっていっているが、それにより生き方を変えざるを得なくなっている。それがこのCOCID19により、外出制限などにより在宅勤務が推奨されることにおりホームワークやテレワークなどが急速に進む恐れもある。また、同じことが小売業などの宅配サービスやテイクアウトがすすめあれれ、商品の販売がAIやロボットなどにとってかわり、商業施設での売り子がいなくなったりす。現在、駅などでは案内ロボットがその場所まで連れていってくれる駅もある。それと同じように今まで人が対面でしていたことが、人を介さずにAIやロボットするようになるkとが、徐々に進められ変わっていくのでなく、このCOCID19禍により急速に広がり普及していく恐れもある。
このように、AIとロボットが製造業だけでなく、サービス業や教育や娯楽などの分野でも、AIとロボットが活用される事になれば、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが言うように、多くの人が役立たずの人間がでてしまう恐れもある。
それが、徐々に置き換わりゆっくりとしたスピードで変わっていくのではなく、急速に変化していく恐れもあるのではないだろうか。
徐々にかわるならその変なもゆっくと置き換わっていき、私たちもそれに対応することについていける可能性もある。しかし、それが急速に置き換わるなら私たちはそれの変化に対応すると、心の準備が出来ていないままにその渦に巻き込まれてしまうことになる。

私は、阪神淡路大震災の時に神戸で勤務してたが、街は震災でビルや住宅は倒れ、震災後の火災で焦土と化してそのあとの、街の復興計画で街の景色は一遍した。街の景色が新しいビルに置き換わっただけでなく、その街で生業し生活していたそのものも変えてしまい、街のコミュニケーションの在り方や、その地域の組織も変えてしまった。いずれ、老朽化した街だったのでいつかは再開発のもと置き換わっていくのだったが、それは地震により一挙に変わってしまた。これは東日本大震災の大津波により流された街も同じことがいえた。
地震による被害は目に見えるが、このウイルス禍は地震のように見えないし、その後のAI技術導入のによる人々生活の変化も目に見えにくいです。しかし、その変化は人々の大きな影響を及ぼし困惑し、それのよりその対処が取れず困窮する人も多くいるでしょう。
そのことの予測をいまからどのようになるかを考えて準備もしておく必要がある。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 臨時国会の開催はいつか
    風と雲 (08/04)
    一体今の日本はどうなってしまったのだろうかと思う。アベ内閣も与党も憲法に違反することを完全に無視して悪びれもせず堂々と実行してきた。、政府高官も最高裁も報道機関
  • 難病と尊厳死
    竹林泉水 (07/29)
    コメントありがとうございます。

    自ら生きる権利、自ら死ぬ権利があるのはよくわかります。
    それにはどちらも人・個人としての尊厳が保たれている必要がある考えます。
  • 難病と尊厳死
    風と雲 (07/28)
    意識して自ら命を絶つことができるのは人間だけだと思います。人には生きる権利と自由があるように、自らの命を絶つ権利も自由もあって然るべきではないでしょうか。このA
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (07/01)
     自分よりも周りを優先する集団主義的な考えが同調圧力などがまかり通る社会なことについて前に
    >日本的なこの価値観は、海外から見たら奇異の目でしか見られないでしょ
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
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