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竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

シベリア永久凍土の融解

地球のいたるところで産業が活性化し、工業活動が活発化して、温暖化効果ガスの排出の増加がとまらない。そんな中でロシアのシベリアで気温の高い日が続いていると言われている。
これは、北極圏の温暖化が続いているということです。それによりシベリアの永久凍土の融解がおきていることが心配されている。永久凍土が溶け出すといことは、凍っていた腐葉土が溶け、腐葉土に閉じこめられていた、炭酸ガスが大気圏に放出されるということで、地球の温暖化に拍車がかかるのではないかと心配されている。

温暖化効果ガスの増加というと、工場からの排出がやり玉などのあげられているが、それだけでなく牛の反芻にによるゲップもあると指摘されている。それ以外にも、有機農業をするうえで、家畜の糞や腐葉土などで肥料を作る時にも、温暖化効果ガスが排出され、こちらも相当な量だと聞く。それと同じようにシベリアの永久凍土に封じ込められていた腐葉土に含まれていた炭酸ガスも相当な量だと言われ、シベリアの永久凍土のそれが、溶けだし大気圏に放出されだしていると指摘されている。
そうなれば人間の産業活動だけでなく、地球の温暖化による気温上昇により、シベリアの永久凍土が融解し、炭酸ガスが増えることにより、さらに気温上昇に拍車がかかることになる。

今、気候変動がおき異常気象が頻発しているが、温上昇は温暖化だけでなく、北極と南極の氷が溶け海面が上昇して、世界の低海抜地帯が海水に浸かると指摘され、早急な対策が急務だと指摘されているが。しかし、オセアニアなどの島礁国の当事国は別として、そんなに逼迫観がなく、目先の便利さを追求する方を優先させている。

そのように、なさまざまなこと、起きると予測し指摘されているが、それに対しての取り組みを急がなくてはならないのに、日本やアメリカをはじめ、先進国は喫緊のこととして取り込もうとしていない。

コロナ禍はすぐに目に見えて身近に現れるので、危機感を持っているが対処している。しかし、地球温暖化は、目の前の風景が変わらないので、今の目先の利権のことばかりが優先されち遅々として進んでいないのが現状だ。

七世代あとのことを考える

アメリカ東部の五大湖周辺を生活圏にする、アメリカ先住民のイロコイ族が受け継いできた言葉がある。
「大事なことを決めるときは、七世代あとのことを考えてきめる」。
このことばは、集英社新書「癒されぬアメリカ:先住民社会を生きる」蒲田墫遵 、で紹介されている。
七世代後にもなると、大事なことを考えた、その人は生きていないどころか曾孫も生きていないだろう。20歳で結婚し子供を授かるとして、140年だ。日本では、自由民権運動が興ったころで。中央ヨーロッパでは三国同盟が成立し、コッホが結核菌を発見したころです。

さらに、鎌田は、この言葉について、カルフォルニア州北部のレッドウッド・バレーン・ランチェリア・ポモ族のエリカ・カーソンが祖先か受け継いできた心構えを紹介している。

 七世代前の人たちに感謝している。
 七世代前の人たちが生き抜いてきたから、
 いまの自分たちがいる。
 これから七世代は、自分たちの責任だ。
 自分たちの振る舞いのすべてが、
 七世代あとに影響する。

 七世代前は自分のために祈ってくれた。
 だから、自分たちは七世代あとのために祈る。
 七世代あとのために歌い、
 七世代あとのために踊り、
 七世代前のために生きる。

このことは、アメリカ先住民だけのための言葉としてではなく、わたしたち世界中の一人ひとりが、心に沁みて受け止めるべき言葉だろう。
自分たちの民族や民の祖先が、苦労して作り出してきた様々なものに感謝すること。そしてそれを受け継ぎ、構成に自信をもって伝え残せることが、孫への子孫への責任だ。
しかし、豊かで便利な飽食暖衣の、この宇宙船地球号の乗組員にとって、深く考えないといけないだろう。

先を見ないで資源を使い放題に消費しているいま、地球の温暖化問題や、地下資源の乱掘や、森林の乱伐や海洋資源の乱獲などにより、とてつもないダメージをあたえている。それにより七世代あとどころか、今日生まれた赤ん坊が、社会の第一線で活躍する30年後の、2050年の地球を想像したことがあるだろうか。悲観論かもしれないが私にはけっして明るくは見えない。

いまコロナ禍で暗く見えるところもあるが、それがなかったら楽天的に、この宇宙船地球号は順調に航行しているように見る人が多いようだ。
今一度、いまの自分のことだけを見るのではなく、子ども世代孫の世代だけでなく、ポモ族のように七世代後のことも見通していくべきだろう。

また、七世代の時間は、今まで地球に与えた傷が復元され癒される時間でもある。その時間についても噛みしめて感じてゆくべきだ。

また、七世代は、地球へのダメージだけでなく、人に与えた傷を語り継いでいくことにより、人でなしの行為による与えた傷、与えられた傷と、その心の傷跡が互いに癒されていく時間でもあるだろう。それは、語り継いでいくことによりはじめて癒されるので、人でなしの行いを歴史修正主義者のように、なかったことにしたり見ないで置こうとするなら、いつまでも癒されず同じ過ちを繰り返ししまうことになるだろう。

このポモ族の言葉を大切にしたい。

人種差別について


文化人類学者の竹沢泰子は著書『人種概念の普遍性を問う』の冒頭で次のように書いている。「二〇世紀は、ホロコーストを始め、人種主義に根差す多くの悲劇を生み出した。共存の世紀と期待された二一世紀を、われわれは今ふたたび悲劇の生き証人として歩み初めている。人種主義による争いや差別は絶えることなく繰り返されて、しかも、より複雑かつ巧妙化した姿でわれわれの前に現われている」。

人間は、自分は他よりも優秀だ思いたいところがある。また、自分はあの一人より仕事ができないと思いたくない。しかし、あの人より低く見られていること感じるとそれに対して、自分以外のほかのところにその原因があるとして、別のものに原因を見つけようとしたり、それを作り出したりする。それが個人レベルだなく、国レベルになってくると、民族差別や人種差別になり、他民族への憎悪となり大量虐殺などがいきる。

また、自分たちは優秀だとする見方は歴史てきにみて、経済の成長が行き詰また帝国主義時代は、植民地政により侵略は正当化され、多民族を奴隷として扱うのは神から選ばれた特権だと考えたりした。西欧とりわけスペインやポルトガル、イギリスやフランスなどは、自分たちは他の地域より文化文明が進んでいる。これは進んでいるのは自分たちが立派で、神から選ばれ神がその差を作ったのだと正当化していた。ちょうどキリスト教の創世記で神が人間を作り、地球を支配することを神託されと解釈するのと似ている。

もともと、世界史でみれば中国の唐の時代では、中国が世界の中で一番政治制度も技術も進んでいたが。中国はそれから進歩の歩みを止めてしまった。それにより、ヨーロッパはルネッサンスのころから人間復興運動により、科学を発展させていき1492年以降新大陸を発見し、フロンテァ精神によりますますその発展は加速させた。その発展の原動力は飽くなき欲望だったと私は思う。

1491年以前のアメリカ大陸には、多くの人々が住み素晴らし文明が南北アメリカ大陸で栄えていたが、ヨーロッパ人が持ち込んだ疫病で滅ぼしてしまっている。
いまの私たち日本人は、アメリカ大陸と言えば、遊牧民族のインディアンが入植者たちを襲う野蛮人と見てします。それはアメリカ映画の西部劇で刷り込まれたものだろう。中米や南米のインカやマヤなどの巨石文明やナスカなどを見てわかるように、高度な文明・文化を持っていたことがわかる。

中国や朝鮮や東南アジアの国々では、自分たちの文化やアイデンティティを守ろうとし、西欧の文化・文明の受け入れを拒み、西欧の国に侵略されていった。しかしそれを見ていた日本では、日本明治新以降の明治政府は、中国がアヘン戦争に敗れ植民地化されていくのを見て、西欧の列強に侵略されないように、脱亜入欧政策により西欧文明と科学技術を無条件に受け容れていた。しかし、それでも西洋人から偏見と差別の目でみられ差別された。しかし、脱亜入欧による急速な近代化をはたし日清戦争と日露戦争の勝つことにより、世界の文明国に仲間入りしたが、それでも西欧からの差別は払拭されずにいて。今度は自分たちは名誉白人で優等アジア人で、中国や韓国や東アジアの国々を下等と見るようになってしまった。それが、大東亜戦争はアジアの解放の戦いだった見る、アジアを上から下を見る目線だったが、それがいまも続いているようです。

日本人にある変な欧米大好きはよくないですね。欧米ばかり見るのではくアジアやアフリカなどに目を向けるべきですね。そのためにも、差別する心は誰にでもいつにでもあることを自覚して差別のない世の中にしていきたいです。
竹沢の言うように、人種差別による争いは絶えることなく繰り返されて、より複雑かつ巧妙化していってる。

これからの教育

テレビが世に普及しだした黎明のころ、テレビの登場により、その機能・能力が持っているものを教育に十分に生かして使うことにより、日本人の知性と教養が高まるといわれ、日本の公共放送であるNHKは教育テレビ専用のチャンネルを設けた。しかし、テレビ番組にバラエティ番組が登場すると、その多種多様性から、軽薄な内容から一億総白痴化が危懼された。
いま、パソコンのウインドーズが登場しインターネットが普及しだし四半世紀になる。インターネットも当初はテレビが登場したときと同じように、その効果他期待された。しかし、誰でもがインターネットにアクセスできるようになり、その質は次第に低下していき、SNSが広く使われるようになり、フェークが簡単に拡散するようなりますますひどくなってきている。
しかし、コロナ禍で外出が制限さたことにより、インターネットを使った、遠隔会議や遠隔授業が行われるようになり、新しい教育の方法が模索されだした。またリモートの遠隔行事や催しが誰でもが気軽の行われるようになってきた。今後私たちはこれらの、ICT技術をどのようにつかうのか、テレビが登場したころ、教育の質が向上すると期待されたが、逆にバラエティ番組などにより、一億総白痴と呼ばれるたりしたが、この技術をそうならないようにしたいが、今までは時間をかけて徐々変化したり移行してきたが、それが一挙に変わろうとしているが、私たち個人個人がその変化に、心のめんで対応適用していけるだろうか。

哲学的に考えるとは

哲学的に考えるには、いくつかの方法がるが、大きく分けると二つになる。一つは、他人と話しあう。もう一つは自分で多様な多方面の文献を調べる。

人と話し合うときには、その場合の気をつけないないといけない点がある。自由に何を言ってもよい。発言は問いかけるようにいう。人の言うことに対して批判はよいが否定的な言動をしない。自分の意見が途中で変わってもよい。自分の結論を出さなくてもよい。話の内容がわからなくてもよいし、自分の意見を言わなくてもよい。
話し合いで、反知性的になってはいけない、反知性的とは、佐藤優が「知性とは何か」(詳伝社新書)で反知性主義とは、実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度を指す。反知性主義には、知識エリートが独占していることに対する意義申し立てという民主主義的側面もある」。と述べているが、哲学的に考えるのに、自分の考えに凝り固まりその坩堝に陥ってしまってはいけない。多様な考えに寛容になりその上で対論すべきです。また、佐藤が後半で「民主主義的側面もある」と言うのは、情報や知識を独占して隠さないことです。政治の世界では、与党の政権側はその施策をするためにさまざまな情報を集めているが、野党にはその根拠となる情報が不足しているので、実証性や客観性が不足していて、反知性的な質問になっても許される。その前に、政権党は情報を隠さずに出すべきです。また、公正であらねばならない司法のなかでも、検察は検察権力で収集した膨大な情報資料があるが、その集めた資料の多くは公開されない。被告の弁護側はそれによいり圧倒的に情報不足で不利な状態で裁判が始まり、日本の裁判ではそのため検察から起訴されれば90%以上の確率で有罪になってしまう。
はなしは、大きくそれてしまったが、哲学的な話し合いのなかでは、必ず結論を出さなくてもよいのだから、誰かが話し合いを誘導したり、意見に対してそれを認めない否定的になってはいけないということです。そして話し合いをするには、自分の意見の根拠となる情報ソースも共有できることが理想てきです。

また、対話を通してではなく、個人で文献など調べたりするときは、できるだけ多方面の文献を読み、自分の考えと対立する本も積極的に調べるべきです。
インターネットでさまざまなことを手軽手早く調べることができるが、その情報の正確性や論考の根拠となる出所も確認しておくべきです。また、インターネットの検索機能では、その人が今までに検索し読んだ履歴をもとに、検索結果のヒットランクが表示されるようです。つまり、インターネットの検索は、検索者のお気に入りの情報の方が読まれやすい構造になっていることを知っておかないといけないです。そうしないと反知性的に陥ってしまうおそれがある。

人との話し合いを哲学的なものにするには、同じような人、同じ専門知のある人、同じ地域や同じ境遇の人などと話し合いをすると、たしかに話の内容は高まり結論も出やすい。しかし、反知性的にならず話の中身を深めるには、話し合いに参加する人は多様性に富んでいる方がよく、自分と違う分野の人と話すことで、今まで思いつきも考えもしなかった話を聞けたり、発想を得られたりする。時には自分の範囲内で考えていた常識が、崩され一から考え直すことを逼られることもある。それにより、哲学的話ができ、今のコロナ禍を乗り越え、その後の世界の波をも乗りこなせる力になるだろう。

これからどう考えて波を乗り越えていくべきか

これからどう考えて波を乗り越えていくべきか
哲学的思考を!。

コロナ禍により社会が大きく変わろうとし、そこに、AIとICTの技術が加速させている。いや逆かもしれないコロナ禍契機として一変させている。
いま、世界的にみてポピュリズムが台頭しだし、自国第一主義を叫ぶ強いリーだに頼ろうとする傾向にある。アメリカでトランプ大統領が選ばれたのそうと言えるだろう。
冷戦時代の終盤期のレーガン、サッチャ、中曽根時代の新自由主義はそうだった。
冷戦が終結し経済が停滞していることにより、新自由主義の自己責任論と欲望の株主ファーストの資本主義により、富の格差はこれまでもなく拡大し、中流・中産階級は下流への流さされみな閉塞観を抱いている。そんなさなかに、コロナ禍がおき世の中が変わろうとしている。
そのようなときこそ、新自由主義などにより、壊されてきている民主主義について、改めてその価値を見直し再起動させなくてはならない。それには、自分で考え何が正しいかを判断するかの哲学的な思考力を持たなければいけない、そうしないと、上意下達に従い、その場の雰囲気・空気に流されてしまう。特に気をつけないといけないのが、SNSなどによる情報過多の洪水に押し流されることだ。
哲学的な思考とかいたが、哲学というと難しく考えられ疎んじられ敬遠されそうだが。ごく一言でいうと「考えること」です。
私たちの生活をみると、仕事などではできるだけ考えずに指示されたことに従ってこなすことが求められている。よく、ものごとで問題が起きたとき、「よく考えなさい」といわれるが、それは教えられたことや指示されたことを忠実にしているかしていないかを振り返れということで、つまり自分の自律した考えで、考えるなと言っていことになる。
では「考える」とはどういうことか、それは自由になることで、自分の考えかたで自由に考えることです。そのように考えることにより自由になれる。考えは往々にして自分を縛り付けて物事を考えているが、その縛り付けている制約から解き放たれることから、初めて自由に考えることができる。自分のいま考えていることは、社会のルールから逸脱しているのではないか、常識や慣習から逸脱しているのではないかと考え、自分を枠の檻の中に閉じこめてしまいがちです。
また、日本では理数系や理工系の学問は注目され関心をもたれ、経済学や産業学も重要視されえいるが、文系の文学や美術・音楽などは今一つで、自民党の国会議員には国立大学の文系学部無用を主張する人もいるほどです。そんな状況だから「哲学」となると。役立たずの価値のないものと思われてもいるようです。また、多くの日本の国民もそのように感じているのではないだろうか。
しかし、哲学とは、疑問に思うことわからないことを見つけ増やしそれを、自分で考え自分の意見を持つことです。文系不要論の議員は、自分の意見を持った人が増えることを恐れているのでしょうか。
一方、欧米では、空気に従うのではなく、自分の意見をしかりと主張することが求められている。考えることは、論理的に一貫性が求められるが、他者や物事に対して、また自分に対しても反省的・批判的で自由に柔軟に考えられ留ようであること要求される。
そのように、考えると日本人的思考と欧米的思考とでは、いま、社会が転換しようとしているとき、どちらが的確に判断でき的確な進路を選び進むことができるだろうか。哲学的な物事の考える能力を身につける必要性は、このコロナ禍のときまた、その後のために必要だろう。

これからのAI と ICT

これからのAI  ICT
現代社会、産業経済を押し進めているのは、新自由主義や欲望の資本主義にもとづいている。それにより、私たち人間は、より便利により豊かにならなければならないと信じている。そしてそれらを実現するために、AI(Artificial Intelligence)人工知能とICT(Information and Communications Technology)情報通信技術の進化は、不可避としてさらに発展していっている。しかし、それは社会を人を、非人間化を推進する原動力になっていることに気がついてはいるが、その行方の舵を変えようとはしな。この、AIとICTは、自律型学習型人工知能とビッグデータが結びつき連携され、それにより作り出され、決められた秩序が一見公正で道理に合っているかに見える。しかし、それらに対して一人の人間として立ち止まって改めて考えてみると、理不尽で不条理で不公正なところが多々あることに気がつくはずだ。

コロナ禍で移動や外出が制限され、AIやICTの活用が奨励され、多くの人が使いだしその便利さに注目をしている。今後それらの技術は、より使いやすく便利になるだろうが、コロナ禍がなければその技術革新は徐々に進むはずだった。しかしこれを期に一気に進み世の中が変わってしまうだろう。しかし、私たち人間の一人一人がその技術革新の変化に対して、人間として思考や感情がついて行くことができ、それに対応できる物事を支える根本となる理念が作れるだろうか。

これらの変化に取り残された人は、人間としての尊厳を持ち続けたことにより役立たずの人間となるのか、、魂をAIとICTに売り渡して優秀な人間として生き延びて行くのか。
人類にとって大きな岐路になるだろ。その中で自分は自らどの道を歩んで生きていこうか。

コロナ禍後の、ICT

コロナ禍後の、ICT(Information and Communications Technology)情報通信技術の活用はどのように変わるだろうか。
COVID-19の世界的な感染拡大により、世界の多くの国では、今までの働き方や人との繋がりの方法が、急速に変わろうとしている、このことは、COVID-19禍が過ぎてももとには戻らず、その利用が広がり普及し定着するとみられている。
インターネットを利用したオンラインのテレビ会議や、テレビなどで今まで直接会って行われていた、対談や鼎談などが遠隔でできるようにリモートでなされている。

また、海外の国では、スマートフォンのアプリや位置情報を利用し、ビッグデータとして分析され、感染者が2m以内に近づけば知らせてくれるアプリや、スマホを持っている人の動静が把握されるものなで、ウイルス感染拡大防止に役立つものんどが開発されている。また日本でも経済再生担当相が、アプリの開発を複数のソフト会社に依頼していることを明らかにしている。ウイルス対策なら厚生労働省が管轄ではないかとおもうが、何故か経済再生担当相ですこれも国民の保健衛生よりも経済の優先のためだろうか。そうなればこの開発依頼しているアプリはウイルス対策だけではなく、他のことにも利用することを考えていることになる。
このコロナ禍後にあらわれる、ICT情報通信技術が私たちの生活のなかに、それぞれの人が自覚しないままに、浸透していき活用されるようになる。それはまるで、サイレント、ステルスウイルスのようにいろいろな製品に組み込まれていくだろう、そしてそれらの製品を使うことにより、個人の行動データなどが蓄積され、それをビッグデータとして活用し新しい産業が生まれるのだろう。しかし、それは生きた人間の個人としての尊厳が呑みこまれてしまわないかと思う。
スマホのGPS機能やカードの決裁履歴や、SNSなどのイイネや発言などのデジタル情報のビッグデータは、一人の個人が忘れていることも正確に詳しく記録されると言う。また、他のデータと参照し分析をすることにより、今後特定の人の行動まで予測できるという。そうなれば、しらないうちに自覚をしないうちに監視社会に呑み込まれるしまう恐れがある。
このコロナ禍の後の世界がどうなるか、波か列車か自動運転車かわからないが、それに乗るかあらがうのか。あらがったらこれからの社会を生きていけるのだろうか。

コロナ禍後の世界

 コロナ禍は地球の30年後のあり方にどのような影響を与えるだろうか。
2050年以降の世界は今とまったく違う世界だと警鐘を鳴らす人がいる。私もそのように感じ、人類であるホモサピエンスにとって狩猟採取生活から、農耕社会になったとき以上の変かと感じている。狩猟採取から農耕生活には長い年月を経て変わっていった。また、農耕生活の集団から国家や都市ができるのも、狩猟採取から農耕生活の変化よりは短いがそれでも長い時間がかかり、蒸気機関の発明により産業革命により生活を一変させたが、それでも時間がかかっている。しかし、このコロナ禍の変かは、複数の今までの生活様式を同時に一挙に短時間で変えてしまうおそれというか可能性がある。

コロナ禍がなければ、30年後のせかいは、徐々に科学技術がパンドラの箱を開け、地球温暖化やエネルギー問題、グローバル化による経済と労働のありかたの変かなどだた、それらのさまざまな課題は、徐々に移行したり変化していくものと考えられていた。しかし、今回のコロナパンディミックにより、その後の世界が今までと同じではなく、より明るい方向にむくのか、それとも懸念されている問題が前倒しで訪れるのか。
社会の日常の制度はどうかわるのか、世界の政治体制はどう変わるのか、このコロナ禍が終われば、今までのもとの姿に戻るのか。それとも今までを一新する姿になるのだろうか。

より世界が分断から連帯の民主主義の方向に向かうのか、それとも自国第一主義の国民国家が再び世界を闊歩するのか。危機管理を乗り越えるため、世界の地域が全体主義世界や民主主義世界や原理主義世界など幾つかに分れ分断してしまうのか。それとも世界は連帯の方向にすすむのか、はたまた、世界連邦共和国の社会に向かうのか。

私は、世界連邦共和国の社会に向かうことはないと思う、それよりも、ジョージ・オウェルの「一九四五年」のようになる恐れもあるだろう。そして、それぞれの地域の政治体制はことなり対立を産むかもしれない。また、ジョナサン・スィフトの「ガリバー旅行記」のガリバーが難破して漂着したそれぞれの国のようなことになるかもしれない。
また、人の心はどう変わるのか、カミュ「ペスト」に登場するおのおのの心情はどのように変化するか、
メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」に出てくる怪物のように、今の最先端のAI技術より産み出されるものを、怪物として、創設者の復讐のために世界を闊歩しだすだろうか。

これから訪れる新しい世の中について、自分の個を見失って慌ててしまわないように、知性を深めていくことが必要になってくる。

C0VID-19禍のパンデミック後の世界

C0VID-19禍のパンデミック後の世界

私は阪神淡路大震災の時には神戸で仕事をしていたが、長田を始め神戸や隣の西宮の多くの地域で、震災以前から地域の再開発計画が議論されていたが、その計画の素案すらなかなかまとまらなかった。しかし、地震により建物は倒壊し、さらにその後に発生した火災により、地域一角が焦土と化してしまった。それにより一挙に再開発計画は進み、数年で地域は新生都市として生まれ変わってしまった。もし地震がなかったら今も地震前の姿のままの所もあり、再開発がされても今の様子とは随分違うだろう。

これと同じように、このコロナパンデミックによる、人の移動の禁止による、経済の停滞のその後が、引き起こすものはどのようなものだろうか。
経済活動の変化により、価値観の変化が起こり、生活様式が一変する懼れがある。その変化は私たちはどのように受け止めたらよいのだろうか、またその変化の流れを変えたりくい止めたりする事はできるのだろうか。
洪水のように一旦決壊し出した河の流れをくい止められないように、その変化は変えたりくい止めたりすることはできないだろう。
そして、その変化は人類そのものを、イスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリが言うように、ホモサピエンスからホモデウスと新種の人類を生み出すだろうか。ハラリがホモデウスの警鐘を述べたのは、コロナパンデミックは想定していなく、ある程度の時間の流れでの変化だった。ある程度の時間の流れと言っても、2 30年で人類史や生物の進化の歴史から見ると一瞬だろう。しかしコロナパンデミックが引き起こす変化は瞬きをする間もない変化かもしれない。

そして、いま起ころうとしている変化に上手に乗りこなせる者と、変化に乗り損ねてしまう者と2種の者に分かれてしまうだろう。
そうなれば2 30年後には、今地球上に生息している類人猿には、チンパンジーやゴリラやオラウンターと私たちホモサピエンスである人間がいるが、そこにホモデウスが誕生しこれからの地球を支配するようになる。そして、変化の波に乗り遅れたホモサピエンスは、野生の動物の保護区の中で生息している動物のように、特定の都市など地域を監察保護区のような養護地区がつくられ押し込められるだろう。あるいは、さらに年月が経つと動物園の檻の中で飼育されている状態になるだろう。

私たちホモサピエンスである人間は、今まで多くの転換点を経て今にある。最初は狩猟採取生活から農耕革命がおき大規模な集団生活をするようになり、その後、国家を作り産業を生み出し、技術革新をしてきて今日がある。さらに、いままで、気候変動や自然災害や戦争ににより、それぞれそのときに、今までの様々な価値観が通用しなくなり、新しい価値観をつくりだしてきた。それは、戦争や自然災害などだけでなく、病原菌も社会の価値観の転換期を作り出してきている。

それと同じように、いまのC0VID-19禍のパンデミック後も大きく変わるだろう、今までの転換と大きく違う所は、今までになく膨らんでいる貪欲な欲望の社会的システムである、新自由主義と欲望の資本主義や中国やロシアの国家資本主義の出現。それと、遺伝子工学やインフラを支える科学技術の驚異的な発展と、今までになかったAI技術とIT技術の出現と驚異的な発展です。

これらのかつてないものに、私たち人間の心や精神は適応していくことができるか、できないかが問われるだろう。これらの変化が徐々に進み改革されるのであれば、多くの人はその船や列車や飛行機やジェット機やロケットの乗ることができるだろう。しかし、いまその変化が一挙に起きようとしている。人類の永い歴史から見るとそれは瞬時の出来事だといえ、多くの人がいま出発しようとしている乗り物に遅れるだろう。たぶんこう書いている私もそれにのり遅れるだろう。
また、これから乗ろうとする船や列車や飛行機やジェット機やロケットなどの乗り物にの違いにより差がでてくるし、行き先が違うことによっても違いが出てくる。
終点が民主主義か資本主義か新自由主義か全体主義や科学至上主義などの行き先を、乗る人が自ら自分の意志で選ぶことができることはないだろう。

これからの世の中の限界

2012年に1972年『成長の限界』を著した、ヨルダン・ランダースが『2052年 今後40年のグロバル予測』という本を著している。2020年の現在からみると30年後の世界です。
この本では、社会の持続可能性や資本主義の終焉や経済成長の限界、民主主義のあり方、世代間の調和、気候変動などについて問題点を提起し、今後、収入の激減する人々が増え、行政は小さな政府を目指し福祉が後退し、様々な面で、いたる所でオーバーシュートによる崩壊が起きると警告している。

そこには、人口と消費の問題、新自由主義の資本主義による摩擦と葛藤、エネルギー消費によるCO2の問題、食料事情の問題、水の問題、インターネットによる社会変化などについて、それらのこれから徐々に変化していくであろう、社会のあり方について詳しくのべている。

「成長の限界」後の「2052年」の30年後の世界へ移行するのには、徐々に変化していくものと私は考えていたが、この、このCOVID-19のパンデミック後の世の中は、それらのいくつかの課題や問題が、一挙に急激に一方向に舵が切られて変化してしまうことが、現実として起こりだす可能性が高まっている。

私は、学者でも研究者でもジャーナリストでも政治家でもないので、それらの詳しい情報はもっていなし、それらのソースすらない。また、分析法の技法も得手いないです。しかし、世の中の流れを注視していきたいと思っている。
私がワープロを使いだしたのが、34年ほど前、パソコンの表計算ソフトとMS-DOSを使い出したのが、31年ほど前、本格的にパソコンを使い出しパソコン通信をし出したのが、28年ほど前でD0Sパソコンで、電話回線でインターネットにつなげたのがその2年後で、ウインドーパソコンを使い出したのが25年ほど前だ。
しかし、ウインドーズパソコンになって、マウスでクリックするだけで操作できるようになって、パソコンの使いかたがわかりにくくなってしまった。また、しかし、携帯電話を持ち出したのは10年程前で、スマートフォンはまだ持っていな。
こんな状態だから、これからスマホを持っていないと生活できないような生活になっていきそうで非常に恐ろしく感じている。

できれば、現金で生活することを死ぬまでしたく思うが、それができるんだろうか、またこれから、感染症などの追跡をするために、外出時にはスマホ携帯を必須が条件になったりすれば、私は、どのようにすればよいだろうか。

COVID-19禍後の世界

COVID-19のパンデミックにより世界の活動は凍結したかのように、人々の移動は制限されている。このパンデミックの氷山が溶けた後どのような世界になるだろうか。北極・南極の氷が融けて海水面が上がるように、世界は変わっていくだろう。
けっして、COVID-19パンデミック前と同じ世界にはならないだろう。AIとIT技術によりオンライン授業の導入に慎重だった大学がオンライン授業を導入を始めたところもある。また、日本では学校の学年始めを4月から9月に変更しようと声があるように、いままで議論は俎上になっていたが、その議論の進展は遅々として進んでいなかったが、このCOVID-19のパンデミックにより、熟議されなままにいろいろなものが急激に一転してしまう恐れがある。
このCOVID-19禍後の、世界はどう変わるだろうか。それが、良いように変わるか、それとも最悪の方向に変わるだろうか。
以前のこのブログで、監視社会や全体主義の方向に進む恐れがあると書いたが、それだけでなく、社会の制度自体や経済活動が、いまの新自由主義と株主中心資本主義とグローバル化の寡占化は格差の拡大をもたらしている。それらの今の問題とされてる点が改善される方向に進む、よりその問題点が深刻化する方向に進む方向に舵が切られるだろうか。

また、市民生活の面でみてみると、電車などは三密を窮めているので、パリでは自転車を利用する人が増えているという、そのため臨時の自転車専用レインが新しく整備されたり各福されたりしているという。さらにこのウイルス禍が終息しても、自転車レーンを臨時ではなく恒久的なものするのがよいという考えの人もいるようです。電車・バスでの通勤でなく自転車や電動キックボードでの通勤する人が定着していくこともありうるだろう。

上下水や電気やガスなどのインフラを供給するための制御をする人や維持する人が、感染症にかかり出勤禁止になれば、それらのインフラの混乱が起きる恐れがある。また、今後日本など先進国では少子化での人口減少が進み、インフラの供給維持するための働き手不足になる恐れがあるために、それらの様々なインフラシステムの操業を、人間の操作がすべきものまでが、AIとIT制御させてしまうようになることもあり得るだろう。
鉄道などは、新交通システムと呼ばれるものは、車掌はもちろん運転手も乗務せず中央制御室のコンピュータが路線の全車両の運行を制御している。そしてこの技術は既存の電車にも応用されていく。JR東日本のリニア中央新幹線は、すべてが中央のコントロール室で制御されるようだ。そのようなことが、バスやタクシーにも自動運転自動車に応用されて、無人バス無人タクシーが街中を走る世の中になるかもしれない。

COVID-19の封じ込め対策は万全にしなければならないが、これからのCOVID-19のパンデミック禍後の世界を心しておかなければならないだろう。

人類とウイルスとの付き合い

人類の歴史は戦争の歴史とも言われるが、有史以前から見ると、病原菌・細菌・ウイルスとの戦いの歴史とも言える。
ウイルスとの戦争という表現に対し好ましくないと言う人がいるが、ではどのような表現をすればいいだろうか。

わたしたちホモサピエンスが誕生してから、今まで様々な病原菌がわたしたちを悩ましてきた。
思いつくままにあげると、コレラ ペスト 結核 はしか ポリオ ジフテリア 百日ぜき 破傷風 マラリア 赤痢 ウイルス性肝炎などなどです。そして、ここ2000年以降のウイルスをみると、エボラ出血熱、HIV、インフルエンザ、サーズなどなどがある。

それらのウイルスの中には、感染しても発症しない人が多くいウイルスもあれば、すぐに感染して発症するものもあれば、感染すると非常に高い割合で死に至るものもある。また、インフルエンザのように飛沫感染で近くで話したりすることにより、感染してしてしまうものもある。また肝炎ウイルスのように血液を介して感染するものもある。

いま問題になっているCOVID-19は、感染しても軽傷であったり発症しないと言われ、サイレントウイルスと呼ばれるたり、目に見えないウイルスとして、ステルスウイルスと呼ばれ、これが知らない間に感染を広げてしまうので恐れられている。保菌者が発症していないので自覚がなく、多くの人に移してしますことになる。
そのため、都市封鎖は外出制限や外出の自粛が取られのだが、自分は症状が出ていないので感染していないから、外出するのは間違っていることになる。

連休のさなかだが、その点を考えてこの行動の自由を奪う不条理とどう受け入れ戦うかをよく考えるべきだ。

禁断のIT・AT・科学技術

科学技術の革新が進み、新しい発見と発達をしている。そのなかで、原子爆弾のようなパンドラの箱をあけてしまうようなものもある。それに対してどうあるべきか。まずは科学者そしてそれを実用化させる技術者、そしてそれを使う企業や軍人、そしてそれを利用してさらに社会役に立つように制度を作る政治家がいる。
それらの人は、どのような心構えでいるべきだろうか。

・科学者としての責任感と科学探究への欲望と社会貢献と倫理観
・技術者としての責任感と技術開発への欲望と社会貢献と倫理観
・商業者としての責任感と利益追求への欲望と社会貢献と倫理観
・政治家としての責任感と統治への欲望と政治信条追求への欲望と社会貢献と倫理観
・軍士官としての責任感と軍事力への欲望と軍隊の社会貢献と倫理観

この問題で一番わかりやすいのが、兵器開発でその中でも核兵器と言えるだろう。
しかし、兵器以外でも遺伝子組み換えや、スーパーコンピュータの演算速度を上げることや、人工知能の開発で自律型学習型人工知能での開発にもいえるだろう。

これらの人がパンドラの箱をあけるような、暴走を防ぐには、それぞれの科学者や技術者や商人や政治家や軍人の性善説の倫理観にまかせていては、暴走をとめられない。
そのためには、予防原則という考えを取り入れる必要がある。予防原則とは「一般公衆の健康や環境や安全などに、悪影響を与える可能性がある問題について、それを警告するものには立証責任はなく、それを実施しようとする者に全責任を負う」。
また、私は理論を打ち立てただけだとか、私が開発下だけだ、それを使い実行していないとして、その責任を逃れようとするのは許されるだろうか。

いままでいろいろなものが発明され開発され技術が進歩してきている。核爆弾のように、技術が一端出来上がると、その技術は広まり始める。核爆弾をみるとアメリカは第二次世界大戦の時に、ドイツが核爆弾を開発するのではと、各開発を国全体を挙げて進めた。そその後ソ連が開発に成功し、イギリス、フランスも開発を成し遂げ、次いで中国と続き、今ではインド、パキスタンが核を保有し、北朝鮮も開発に成功している。このほかイスラエルも核爆弾を持っているといわれている。さらに日本はすぐにでも核爆弾をもてる技術があるとされている。
このように一端出来上がると広がってしまうものです。もっと身近なものでいうと、今までなかった家電製品が一つのメーカーが出すと、しばらくすると多くのメーカーが同じような製品を市場に出すようになる。
それが民生の家電製品ならよいが、原爆のように私たち人類の未来の明暗を左右するものもある。

遺伝子編集や、AI技術などの人工知能やロボット技術また、インターネットやスマートフォンなどのITの情報技術革命などの技術であるが、それらはウイルスの拡散が止められないように、一度わたしたちが手に入れ使い出すと、一挙に広がりだし止めどもなく広がてしまう。
そして、その中の多く
様々な禁断の技術があり、現代社会はそれを抱えている。それに対して私たちはどれだけ向き合っているだろうか。いや向き合っているというより、それぞれの様々な禁断の技術の問題にについての情報を知っているだろうか。

私たちの食卓にならぶ、牛肉の牛がどのように育てられ、どれほど飼育され屠畜されているかを教えられず、気にしないように、スターバックスで飲むコーヒーの味だけを楽しみ、そのコーヒーが何処でどのように栽培されているのかを知らないで気にもとめないように。今の、禁断の技術が日夜研究開発されていることも知らないでいる。
それと同じように、禁断の技術はわたしたち一般の人々にはあまり目に触れることがなく、その技術の研究・開発が進められている。
牛肉やコーヒーは日頃は問題意識を持つことはないが、それでも比較的身近な問題で想像しやすいものです。しかし、自分たちの生活のなかに溶け込んでしまっている、IT技術やAI技術が融合したスマートフォンについて、便利だからどんどん進化していてよいと思ってよいのだろうか。
今度のコロナ禍で、中国や韓国ではスマートフォンで、毎日体温の情報や健康に関する問診の送信を義務づけられ、その人の位置情報を利用して、自分の周辺にどのような健康状態の人がどれぐらいいるかを表示するサービスも提供されているという。
確かに健康に対して気をつかえ安心できるアプリソフトだが、これを利用すれば国民の監視にも使えるようになる。このれからこのような技術がますますこれを期に進むのではないかと思う。

生命の大絶滅

宇宙が誕生して128億年たつと言われ、太陽系が誕生したのは今から46億年前と言われている。そして地球上に生命が誕生したのが、38億年まえ。それから今までに5度の生命の代絶滅が起きたと言われている。人類の祖先である猿人が現れたが700年前と言われ。多くの種類の猿人が進化して、猿人から原人へそして旧人へと多くの種が誕生しては消えていっている。さらに新人へと進化していき。そして、私たちホモサピエンスがアフリカの中部の東側に現れたのが20万年前。さらに5万年前ごろにアフリカの地から旅立ち、中東からアジア、ヨーロッパにに広がり、ユーラシア大陸全域からオーストラリア、オセアニアと広がる。氷河期にユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きの、ベーリング陸橋から北アメリカ大陸へ渡り南アメリカ大陸と広がっていった。しかし、他の人類はいまは絶滅してしまっていない。アフリカを旅立った、5万年前ごろから人類は、言語を持ち知能を発達させ、しだいに文明を培ってきたと見ていいだろう。
しかし、地球に生命が誕生してから、生命が何度も絶滅しては現れるのを繰り返してきている。ホモサピエンスは生命の頂点に立っているといると言われるが、私たち人間もその文明の興亡が幾度も繰り返され、文明の破綻が繰り返しおそってきている。そして現在もいままで文明の興亡があったように、現代の科学技術の進歩と、あくなき欲望の追求を続けていくと、これからの数十年以内に、壊滅的なまた後戻りできない絶滅的な破綻が起きるおそれがあるだろう。

ウイリアム・H・マクニールは、「マクニール世界史講義」ちくま学芸文庫のおさめられている、「人間のの営みにおける統制と破綻」のなかで次のようなことを書いている。
「文明が誕生して以来、人々が何を経験してきたかを私たちに教えてる解読可能な記録を見ると、破綻は頻繁に、絶え間なく起きています。飢饉、伝染病、戦争、そのどれか一つにでも見舞われれば、一定の期間、文明社会のほとんどすべての人々に影響が及びました。現在では、高度な技能を駆使できるにもかかわらず、こういった破綻のいずれか、あるいはいくつかと誰も無縁にはくらせないでしょう」。そして、マクニールはさらに続けます「破綻のリスクこそが人間が置かれた環境の隠れた一面であることを認識すべきなのかもしれません。自然の均衡を変化させ、集団的な取り組みや道具の利用によって地球の表面を変えられる代償ともいえるでしょう」。


過去地球で起きた5回の大量絶滅はどのようなものか概観をみると次のようになるだろう。、
・4億4300万年前のオルドビス紀の終わりに、86%の海洋生物が地球上から姿を消した。
・3億6000万年前のデボン紀の終わりに、全生物の75%が絶滅。
・2億5000万年前のペルム紀の終わりに、生物の96%が消滅。
・2億100万年前の三畳紀の終わりに、全生物の80%が姿を消す。
・6500万年前の白亜紀の終わりに、恐竜やアンモナイトなど76%の生物が死に絶えた。
あと、1万年前の、更新世の氷河期の終わりに巨大動物の絶滅

そしてこれらの大量絶滅の原因は、火山の噴火や気候変動などの天災が原因と考えられている。そして、白亜紀の終わりの、恐竜の大量絶滅の原因は一つの巨大隕石の衝突であることがわかってきた。この巨大隕石の衝突はその、粉塵が地表全体を覆い日照不足による寒冷化による気象環境を一変させたと考えられている。
大量絶滅で生物種の8割が絶滅した惨禍の後、生態系は2~3年後には新しい種が生まれ復活したとみられている。常に生物は進化してきている。海洋の無脊椎生物が脊椎動物に変わっていき、海洋生物は陸に進出して、両生類が生まれ爬虫類が現れ、哺乳類が現れ類人猿があらわれ人類が誕生している。
また、ホモサピエンスが現れてから、18万年ほど経った、1万年前の氷河期の終わりの大型哺乳類の絶滅は、気候変動に加えて最新の研究では、ホモサピエンスである人類による狩猟採の影響と考えられるようになってきている。
それ以降の地球上の生物種の絶滅は、地球の気候変動などよりも一生物種である、ホモサピエンスすなわち人間の
活動によるものだと考えられ、過去400年間に哺乳類や鳥類、両生類、爬虫類が絶滅をみると、人間である人類ホモサピエンスの活動によるものがほとんどのようです。
両生類は40%が絶滅しかけ、針葉樹が34%、サンゴ礁が33%、サメやエイなどの軟骨魚類が31%、哺乳類が25%、鳥類が14%、無脊椎動物では甲殻類の27%、昆虫の数も激減してる。
現在、これからの宇宙船地球号の乗員である、さまざまな生命は、現在知られている種の4分の1が絶滅の危機に瀕していると言われている。

ホモサピエンスである我々た人間は、肉食や草食性だけでなく、一つの固有種を食べるのではなく雑食性にあった。それによりいままで、人類は病原菌やウイルスのよる疫病との戦いだった。そしてその脅威を乗り越えることができた。今まで他の種を絶滅させていった人類が絶滅するようなことはなく、このCOVID-19も、時間がかかるだろうが乗り切ることができるだろう。

しかし、まずは
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、間近くは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ、心も詞も及ばれね。」
このCOVID-19を、前輪の轍として、人間のいままでの驕りを誡めるものとできるだろうか。

COCID19後の世界

先日このブログで、COCID19に対する対応またその後の世界のあり方たや日本のあり方は、このCOCID19を連帯をもって立ち向かわないといけないと書いた。
COCID19に限らず、現代の急速な人工知能の技術革新と、グローバル経済と新自由主義により欲望の株主資本主義は、世界の国のあり方や社会のあり方はそうだが、それに加えてのCOVID19禍はこれから、私たち一人ひとりの生活の実態はどう変わっていくのだろうか。

COCID19後の世界は、大きく変わる可能性がある。
それは、どのように変わるのだろうか。ウイルスの感染拡大を防止するためにおこなわれる、移動制限はこの今後の世界的な経済の落ち込みになることは避けられないです。それから自分は免れようとして、自分ファーストの欲を追求するのでは、この危機的難局を乗り越えられないと気づき、あらゆる人が連帯と共感を持ちと互いを尊重し合い理解し合う重要さを悟り、貧富の格差を是正しようとする方向に進むと、21世紀以降には明るい未来がまっているだろう。あるいは、格差がなくなるまでいかなくても、いまのアメリカの1%の人が99%の富を独占することの愚かしさを知り、この極端な格差は是正される。また、国家間・民族間・階層間の差別や格差がなくなり、互いに連帯しながら難局を乗り切る社会に進んでいくきっかけになる。あるいは、それとは逆にますます格差や差別は拡大していき、それによるお互いに反目がそれらは広がり、混沌とした世の中になっていくのだろうか。

また、いまAIの技術革新が急速であるが徐々に進んでいるなか、世の中に働き方や社会制度が変わっていっているが、それにより生き方を変えざるを得なくなっている。それがこのCOCID19により、外出制限などにより在宅勤務が推奨されることにおりホームワークやテレワークなどが急速に進む恐れもある。また、同じことが小売業などの宅配サービスやテイクアウトがすすめあれれ、商品の販売がAIやロボットなどにとってかわり、商業施設での売り子がいなくなったりす。現在、駅などでは案内ロボットがその場所まで連れていってくれる駅もある。それと同じように今まで人が対面でしていたことが、人を介さずにAIやロボットするようになるkとが、徐々に進められ変わっていくのでなく、このCOCID19禍により急速に広がり普及していく恐れもある。
このように、AIとロボットが製造業だけでなく、サービス業や教育や娯楽などの分野でも、AIとロボットが活用される事になれば、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが言うように、多くの人が役立たずの人間がでてしまう恐れもある。
それが、徐々に置き換わりゆっくりとしたスピードで変わっていくのではなく、急速に変化していく恐れもあるのではないだろうか。
徐々にかわるならその変なもゆっくと置き換わっていき、私たちもそれに対応することについていける可能性もある。しかし、それが急速に置き換わるなら私たちはそれの変化に対応すると、心の準備が出来ていないままにその渦に巻き込まれてしまうことになる。

私は、阪神淡路大震災の時に神戸で勤務してたが、街は震災でビルや住宅は倒れ、震災後の火災で焦土と化してそのあとの、街の復興計画で街の景色は一遍した。街の景色が新しいビルに置き換わっただけでなく、その街で生業し生活していたそのものも変えてしまい、街のコミュニケーションの在り方や、その地域の組織も変えてしまった。いずれ、老朽化した街だったのでいつかは再開発のもと置き換わっていくのだったが、それは地震により一挙に変わってしまた。これは東日本大震災の大津波により流された街も同じことがいえた。
地震による被害は目に見えるが、このウイルス禍は地震のように見えないし、その後のAI技術導入のによる人々生活の変化も目に見えにくいです。しかし、その変化は人々の大きな影響を及ぼし困惑し、それのよりその対処が取れず困窮する人も多くいるでしょう。
そのことの予測をいまからどのようになるかを考えて準備もしておく必要がある。

COVID19をどのように捉えるべきか

COVID19をどのように捉えるべきか。

ウイルス感染による爆発的患者急増(オーバーシュート)になり、世界的大流行(パンデミック)が、COVID19により起きているが。一つ気をつけないといけないことがある。
それは、一歩間違えると民主主義を葬ってしまうことになりかねない恐れがある。人類はそのホモサピエンスとして誕生位してから、有史以前から疫病・疫癘・病原菌に脅かされている。それは何も人類に限ったことでなく、あらゆる生命体においてもあてはまることです。人類は誕生以来それと戦ってきた。そして病原菌は多くの人の命を奪っている。14世紀にはやったペストはヨーロッパの人口の4分の1が命を奪われ、1920年ごろはやったインフルエンザ(スペイン風邪)は、400万人が死んだといわれている。
病原菌は恐ろしいものではあるが、その大流行によりパニックにないり、自分たちの行動を衝動的に判断し突き動いてしまっては、取り返しのつかないことになる。自然災害や火事や戦争は目に見えるが、病原菌はテロと同じく相手が見えない。また病原菌はそのダメージが自然災害や戦争のようにその惨事が目に見えるが、病原菌は流行り出した当初は目に見えにくい。
このCOVID19の疫癘は、その単に病原菌の恐ろしさだけでなく、その感染拡大の対策として取られる、都市封鎖などにより市民の移動の自由が制限され奪われることにより、その意味も希望も見いだせなくなった生活において、私たちはどのように生きていくかを思い考えるべきです。それをしないで、ただ耐えるだけであったり、その不条理さを他者、特に自分より立場の弱い者に向けることがあってはならない。それは、私たちの市民生活のなかに潜んでいるが、その不条理さを考えなければいけない。
それは、3.11の同時多発テロは、ニューヨークのツインタワーにたった2機のジェット機が突っ込み崩壊させた。また国防総省のペンタゴンビルに突っ込み破壊させたことにより、アメリカ議会は即様に愛国者法が成立させてしまった。また、アフガニスタンを攻撃し政府を崩壊させ、在りもしない大量破壊兵器があるとしてイラクを攻撃しフセイン政権を崩壊させてしまている。このように、テロは民主主義の社会に、取り返しのつかない傷痕を残すことがある。その傷痕はテロによりついた破戒の傷痕よりも、人の心や社会制度に深刻な傷痕をつけてしまうものがある。このテロに対しての反応により判断を誤ってしまい、アメリカが愛国者法を成立させたように民主主義を捨ててしまうことがある。

いまの、ウイルスを封じ込めこの感染危機から脱出するためにできることはすべきだが、それを施行するその手続きと仕方と運用のされかたについては、透明性と明確さがあるべきでまた時限を設けてすべきだろう。
このウイルスに対抗するには、テロに対する対処とにたところがあるが、テロの恐怖に陥るのと同じような過ちをしないように、政府もそうだし市民一人一人が考え、市民社会全体が考え責任ある行動をとれるようにすべきだ。

歴史は繰り返すか

歴史は繰り返すか
第一次世界大戦のさなかスペイン風邪(インフルエンザ)が流行し、300万人とも400万人が死亡したといわれている。これは戦争で死んだ人の数より多いとも言われてる。第一次世界大戦は終結しその後、列強は帝国主義に弾みをつけ、新興国の日本は枢軸国の一つとなり、それら各国は不況のさなか自国ファーストの道に舵をきり、その結果お互いに協調することができず、第二次世界大戦に突き進んでしまった。第二次世界大戦の終結後は、アメリカとソ連が世界の支配権を巡り、東西冷戦の時代になりお互いに疑心暗鬼のなかで、世界を何度も破壊してしまうほどの核兵器を持つに至り地球の終末への秒読みとも取沙汰された。しかし、ソ連が崩壊し東西冷戦は終わり、平和がおとずれかたかと思われたがが、アメリカが世界を世界を席巻し支配するかの時代になった。しかし、二つの超大国のもと二つに纏まりバランスが取れていたのが、そのバランスが崩れ箍が外れて、各国また各民族がアイデンティティを求めて、それぞれが自律・自立を求め追求することにより、それぞれかの間で争いが起こり紛争が絶えない世の中になった。

そんななか、エボラ出血熱やサーズなどいくどか感染症が広がり、世の中を脅威に陥れることが幾度か起きている。そして今のCOVID19が全世界に感染が広がり、その未知さゆえか世界で混乱がおきている。これについてある識者は世界大戦になぞらえ第三次世界戦争と例える人もいる。これは、世界が連帯して取り組まないといけなという意味での例えです。

COVID19ウイルスを防ぐため、各国で戒厳令に近い都市の封鎖がなされるなど、様々な取り組みがなされている。また、国家間でも米中で避難の応酬がなされ、そのトーンが高くなっている。また、隣の国どうしでも人の往来が制限され、相手国への不信感を抱く人もでてきている。
そのようななかで、一国の大統領や首相などが、自国ファーストや反知性主義に陥った政策がなされると、分断と対立を生み出してしまう。今こそ互いに互にいがみあうのではなく、連帯してこのCOVID19に取り組むべきだ。

各国が自国一国主義になり国際協調ができなくなると、歴史が繰り返すといわれるように、スペイン風邪ご経済恐慌になり国家間の対立が深まり世界大戦になったように、COVID19により経済的な打撃を受け新自由主義と株主資本主義と自国第一主義になり、国家間の対立が深まる方向に進むことは避けるべきです。
ジョージ・オーウェルのSF小説「1984年」のように世界が分断され、ナチスドイツが出現したように全体主義の体制国家が生まれ強権的な政権が布かれる懼れもある。そして間違えれば第二の冷戦になり第三次世界大戦に進んでしまうことがないようにすべきだ。実際に戦争が勃発しなくても、分断対立は深まりいまの国連は瓦解し、新しい世界の秩序の再構築がなされ、世界が幾つかに分断されてしまうことも考えられる。
そのようにならないように、世界の指導者は自国至上主義に陥らず、連帯・協調してこのCOVID19に取り組むべきだ。そて、政府は自国ファーストではなく、また、国民の支持を得ようとプロパガンダの情報・宣伝で啓蒙するのではなく。国際的視野で理性と知性を持ってこの、コロナと戦うべきです。そして、ホモサピエンスが今まで貪り求める欲を見直し、これからの宇宙船地球号での、人びとの暮らし方の価値観を見直していくべきです。

新型コロナウイルス後について考える

新型コロナウイルスのパンティミックが収束した後、世界はどう変わるだろうか。

人間は過去の愚かしい分断と競争と争いから決別して、一つにまとまるだろうか。
まとまるとすると、どのよう世界でまとまるだろうか。
また、そうではなくジョージ・オーウェルの「一九八四年」のように、いくつかの超大国かブロック地域に分割統治される方向に進むだろうか。オーウェルの「一九八四年」では、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国により支配される。しかし今の世界情勢をみていると、アメリカ、ヨーロッパ(EU)、中国、ロシアに分断されるだろか。それともそれにアフリカや南米の地域が力をつけて、六つのブロックになるだろうか。

一つにまとまるなら、この新型コロナウイルスを、カミュが小説「ペスト」で、パヌール神父が「ペストがあなたたちに関わるようになったのは、反省すべき時が来たとういうことなのです」といい神の災厄として受け止め世界は一つにまとまっていくことができるか。
アメリカのテレビSF映画「スタートレック」では、第三次世界大戦が終結し混乱のなか、2063年にゼフラム・コクレーンがワープ技術を開発し、それにより地球外星人のバルカン星人が訪れ、地球人は地球外星人の存在をしり、愚かしい争いを繰り返していることに気が付き、連邦政府ができていき地球は一つにまとまっていく。

それか、世界が幾つかに分断されお互いに、自分たちの権益を守ろう拡大しようとして、それぞれが自国至上主義、一国主義になると冷戦時代のようになるおそれがある。しかし、いませかいは産業・経済からみるとグローバル化し相互依存をしている。しかし、その構造が偏重しているといまのコロナ禍のように、お互いに相互依存していると他国での生産を頼っていると製品が入らなくなり、経済的混乱がおきてしまう。だからといって国内での完全な地産地消にを目ざすなら、ナショナルリズムに陥りかねないです。そのようにならないように、お互いを尊重し互恵の関係を築くことができるだろうか。
また、いくつかの地域が分断されるとその地域で独自の体制が布かれる、かたや全体主義に進んだり、新自由主義がさらに進んだ社会になり格差がより広がる制度に進んだりする。
また、広く意見を聞き入れ熟議する民主主義は決めらないので、民主主義を否定し即決で政治を進める全体主義を希求するようになる恐れもある。混乱のときにはそのような個人の内なる悪魔の囁きであり、それはウイルスのように伝播し広がっていく内なるウイルスで、その内なる悪魔はウイルスのようは伝染するので気をつけないといけないだろう。

この新型コロナウイルス後の世界が、今までよりより良き明るい世界になるのか、逆に暗い暗黒とトンネルの時代に進むのか、それは、私たち一人一人の世の中の見方と向き合い方によって違ってくる。それには、自国の政治の指導者とそれだけでなく、世界の政治の指導者の行いを監視して、異議を言うべき時は言っていかないといけないだおろう。緊急事態だからといて政府の出すことに盲目的に従ていると、暗黒のトンネルを進むことになるだろう。

COVID19のパンデミックが起きる前に考えること

新型コロナウイルスCOVID19がパンデミックが起きたらどうなるか。
中世のヨーロッパではペストが流行したときは、流行が数年続き人口の4の分1とも、3分の1が死んだとも言われている。第一次世界大戦中に流行した、インフルエンザ通称スペイン風邪でも、2年間にわたり流行し、戦争で死んだ人の数より多い400万人が死んだと言われている。
いまのところ、COVID19は、ペストやエボラ出血熱や重症急性呼吸器症候群(SARS)のように、致死率は高くないようです。しかしウイルスの正体についてわからないことが多く、今後どのようになるか予断が許されないのは確かです。
感染症などのウイルスについては、感染力が強く強力なウイルスなら急速に広が収束も速いといわれ、感染力が弱いと広がりも緩やかで収束にも時間がかかり、広がりについては海底地震のときの津波のように、第一波第二はと繰り返されると聞く。

しかし、いままでのペストやコレラの発生はもちろん、今世紀に入り新たにわかったウイルスである、新型インフルエンザやエボラ出血熱やSARSが、流行の兆しが出出した時と大きく違うことがある。
それは、経済のグローバル化と交通手段の発達により、世界中に広がるスピードと規模が非常に速く大きいこと。また、カミュが「ペスト」で書いたように、移動行動の自由が奪われる不条理の世のなかとは、格段にその質や規模や性質が違うようです。インターネットの普及と監視カメラが、全体主義の国だけでなく、自由な民主国家でもいたるところに設置されてる。また、多くの人が携帯電話はスマートフォンを持ち歩き、常に自分の居る位置を第三者に知らないうちと、いうより自覚しないで自ら進んで知らせていることです。
新型コロナウイルスでは、中国では施設に入るときスマホに自分が立ち寄った先の履歴が表示され、それをいま利用しようとする施設の係員に見せてその施設を利用する。そのようなアプリが使われているとニュースで伝えていた。また、自分の現在いる付近に、どれだけのウイルスに感染し発症した者がいるかを、知らすアプリも開発され使われているという。
このように、個人の行動が常に第三者に把握されていて、時にそれにより行動が監視され、制限される社会になる恐れもあるようです。
この新型コロナウイルスの世界中でのパンディミックにより、世界中の一人ひとりの市民の生活の仕方がかわる。また、ある機関からの監視のありかたが、これらのアプリの活用により監視の目的や使われ方がかわってくるかもしれない。
また、経済に関しては仕事のありかたや働かせ方働き方などそのやり方が、テレワークやてテレビ会議やインターネットを使った仕事のやり方が導入され、働かせ方働き方がかわる変化が加速される恐れもある。それらについて、私たち一人一人の心の準備ができないままに、進められていく恐れが高くなる。それ以前にシステム的にハード面・ソフト面での準備が調輪ない間に、進んでいる所に引きずられるというか振り回されて進められるところも出てくるだろう。いまから、それについて自分で考え判断ができるようにしていかなければならないと言える。

ペストなどのような、致死率の高い病原菌が発生しパンディミックが起きたときは、地域や施設の封鎖命令などは、あって当然しかるべきだが。それを施行発令するにはそれなりの正当性が必要です。また、それを正当化する根拠となる法律の制定が必要だし、その制定過程も公開で熟議されみなが納得できるものでなければならないです。それにつての検証などが無ければ、その移動制限などを発令する人のしたい放題になる恐れがありる。いま真剣に、それらを考えず進めてしまえがあとで取り返しがつかないことになりかねないです。
また、石原慎太郎が東日本大震災と原発事故をがおきたときに、日本全体が弛緩してきたので1つの戒めだという意味で『天罰だ!』といった。COVID19禍を世界全体の問題として受けともめず、自国の利益や新自由主義を追い求め、欲望の株主資本主義で便利さと富ばかり追い求るなら、本当に緩んで弛んだ状態になるなら、本当の天罰が下されるかもしれない。そしてその、天罰を下すのはだれか、天帝が下すのか権力者が下すのか。

権力者が市民・国民の行いは弛緩しているとして、天罰天誅として下すならそれは、全体主義の世の中に近づいていくだろう。そうなると権力者は暴政を下し欲しままにする。そうなると権力者にたいして、易姓革命として人民・市民が下す天罰が起きるまで、一人ひとりのやすらぎを得ることはできないだろう。
これから逃れるために、現代人はどのように、いまの世の中をみ考え判断し決断を下すべきだろうか。全体主義的監視の強化と権力者の決断が恣意てきのままになされるのか。それとも、世界の市民の一人一人が知性と教養と理性を持ち、自律的な市民になり、エンパワーメントの自己決定力の自由化が活かされる道をとるのか。また、経済面でみると、新自由主義や欲望の株主資本主義や新ナショナリズムや、国家主義や自国至上主義一国主義による、孤立をしてでも生きのびようとするのか。またグローバルな連帯と連携と強調と互恵により発展する道を模索するのか。何れの道を選ぶかの瀬戸際となるかもしれない。

では、天帝が下す天罰とはどのようなものだろうか。
人間であるるホモサピエンスが誕生してから、ホモサピエンスは7万年前ごろまでは、弱い生き物で強靭な肉食獣に怯えてい細々と生きていた。そして5万年前ごろにアフリカの地を旅立ち、中東に広がりアジアやヨーロッパに広がっていったが、その近前ごろから、自分たちの幸せと幸福のため、他を省みず欲望を追求し、勢力を広げ他の種を絶滅に追い込んでいったり、地球を汚染しつづけてきている。5万年前ころは人類の人口も少なく、持っている技術も零弱で過小なもので、周囲の環境に及ぼす影響はほとんどなかった。ところが、しだいに人口が増え技術を発展させていき、水力による動力を考えだし、機械化するにつれ蒸気機関を発明し大きな動力を得て工業力を高た。その後、電気を発明して加速級数的に技術を発展させてきている。さらに原子力という如何わしい技術と原子爆弾という恐ろしいものを持つにいたっている。そして人間はこの宇宙船地球号に70億以上に人口を乗船させるようになっている。

さらに70億の人口を養いながら、既得権者は自分たちの生活がさらに、快適で便利で豊かな生活への飽くなき欲望を貪ろうとしている。そんななか、都会に生活する人が目にすることのないところで、多くの自然環境が破壊され環境を汚染し、今までそこに棲息していた動物や植物が消えていっている。また、人間が居住する所を得るために、今まで野生動物が棲んでいたところまで、人間が侵蝕していき野生動物との接触をす機会が増えている。それにより、人間今まで遭遇してきていない未知の動物が持つ細菌・ウイルスに感染する機会が増えている。
新型コロナウイルスは聞くところによると、COVID19はもともとコウモリが持っていたウイルスで、それがセンザンコウに感染し、中国ではウロコが中国の伝統薬として使われ、また肉がアジアの一部地域で珍味とされている。それにより、人間に転移感染したとの説もあるようです。これらはみな人間人類の自然や神をも畏れぬ行いともいえる、それが天地神明の天罰としたら、その怒りはどれほどのものだろうか、ホモサピエンスだる人間人類は許しもらえるだろうか。宗教的呪術的に思索すると、人類はノア以外は天罰を受け絶滅させられるのだろうか。

これからの資本主義の在り方01

会社が儲けるために商品を作りうるのであるが、よりよく商品が売られるために、食品会社では人間に害のある食べ物が作られ売られていることがある。毒ははいていないが、食べ物の味が美味しくするために、健康によくない添加物を加えられている。また、美味しい食べ物には毒があるいうが、味を美味しくするため、必要以上に甘くしたり、脂っこくしたり、塩辛くした味付けをしている。それにより、人は美味しいものに憧れて食べすぎてしまったりする。それにより現代の生活習慣成人病が多くなっている。食品会社が食べ物に必要以上に味付けをするのあは、善だろうか悪だろうか。
会社としては、作った食品の味を魅力的にして、作った食べものがよく売れることは、株主への配当を増やすことができている。それにより、株主は株の配当が増えれば、商品に健康の害がある食べものが売られていうても文句は言わない。
株主中心資本主義に会社では、それにより、どんどん美味しが味の濃い添加物が沢山添加されている食品を作ってしまう。それを考えると、会社に倫理観と社会的貢献度と言う考えが必要で、株主資本主義ではなく本来に資本主義さらには倫理資本主義というかステークホルダ資本主義という三方いや四方よし資本主義というか、近江商人に三方よしとう「売り手よし、買い手よし、世間よし」がこの「世間よし」が必要とされるのではないだろうか。これに使用人が入り四方になり、株式会社ならさらに株主が加わり五方よしとなるだろう。
そしてその優先順位となると、買い手よし、使用人よし、世間よし、売り手よし、株主よしの順がよいだろうか??。

食品会社は美味しい味にするために、さまざまな添加物を食べ物に添加して、食品をつくるのは、本当の買い手よしだろか。
食品会社は添加物を添加した美味しい食べ物を売ることにより、食品加工会社は利益を上げ、株主はその利益から配当を得ている。食品に添加物を加えるのをやめ、美味しさが減れば食品の売り上げがさがり、株の配当が少なくなるかもしれない、それに対して株主はどのように考えるかです。
しかし、ここに健康という社会貢献を重要視しなければならないだろう。さらに考えなければならないのは、食品の添加物の国の食品安全基準は、食品会社のロビイスト活動に左右されるのではなく、消費者の健康安全に視点を置いて安全基準は決められるべきでしょう。
また、イギリスでは食品に必要以上の砂糖を規制するために、砂糖税の導入が議論されているよだが、そのように糖分や塩分や脂肪分などへの規制なども、いまの食べ物への貪りの欲望があるなら考えるべきかもしれない。

これは、食品会社だけのことでなく、すべての企業会社に言えることだろう。
そこで次のことがこれからとくに、重要だと考える。
・会社は税金を払うことは重要な社会的貢献をはたすことになるということを、会社の経営者や政治家はよく知っておかなければならない。
・従業員の賃金や経営陣の賃金やCEOの報酬や株への主配当との関係はどうあるべきか見直すべきだろう。
・会社の定款である会社の目的・組織・活動・構成員・業務執行などについての基本規約・基本規則の説明を公表しその責任をはたし守ることが必要だろう。

応能負担を見直し企業への大きな減税をし、応分負担・自己責任だと消費税を上げていくの如何かと考える。企業はただ商品を売ることだけではなく、社会貢献をしなければならない。その社会貢献の仕方には、企業が独自に起こす事業と、税金を国に納めることにより、社会福祉の充実に当てたり社会インフラに充てたりして、企業の社会貢献が果たされるのです。
1980年代に、レーガン、サッチャー、中曽根という保守・右派政権が新自由主義を押し進め、小さな政府と自己責任のよのなかにになり、今日にいたっているがその綻びが拡大してきている。

これら、グローバル化した世界をどう再生させていくかが、これからの課題だろう。

これからの経済発展を考えるうえで

歴史をどのような視点で捉えるか、経済的な観点から見るのか、政治的制度の観点から見るのか、文化的な観点から歴史をみるのか、いろいろな方法がある。

おおむね経済的観点から歴史を見て、それにより政治的制度も捉えるのが一般的といえる。
経済的観点からの歴史認識にもいろいろある。
19世紀の経済学者フリードリッヒ・リストは、原始的未開状態、牧畜状態、農業状態、農工業状態、農工商業状態の発展段階として捉えた。
カール・マルクスは、原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会→(社会主義社会、共産主義への移行期(著者追加)ソ連や共産中国)→共産主義社会を提唱した。
アメリカの経済学者、ウォルト・ロストウは、全ての社会は、伝統的社会、自立成長への離陸の準備段階、離陸、成熟への過程、大量消費社会の5つのいずれかの段階があると提唱した。
ほかにも、ドイツの経済学者のビュッヒャーは、封鎖的家内経済,都市経済,国民経済の3段階を設定する経済発展段階説を唱えている。

おおむねどれも経済の発展段階を捕えているが、社会がグローバル化し広域化が進んだ現代では、様々の問題を捉えてそれを考えることはできず、解決の方策を見いだすことはできない。
マルクスの提唱した、共産主義社会への実験は失敗に終わっている。ソ連は崩壊し、中国は修正主義的考えを共産主義社会に反しているとして、それを押さえこむため文化大革命の権力闘争が起こったが、鄧小平により市場経済社会に舵を切った。しかし、現在は政治体制が共産党独裁による全体主義的体制になっている。また、資本主義経済より貪欲に利潤を追い求める市場開放経済になってしまっている。
アメリカや日本を始めヨーロッパでは、新自由主義とグローバル経済の資本主義が席捲している。
それにより、経済格差は深刻な問題になってり、古代奴隷制社会や封建社会以上の貧富の格差が広がっていき、そのため人権的な格差が顕わにあらわれているといえる。
この格差をこのままにして、経済の発展と科学技術が発展していくと、その恩恵はごく一部の裕福な富裕層が独占し、他の大部分の人は貧困と役立たずな人あるいは人間と見られるようになっていく恐れがある。いまの、新自由主義の欲望の株主資本主義は、大富裕と極貧の経済格差を産みだし、それにより、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが、「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」で、テクノロジーの進化は、その恩恵を受ける一部の人と、多くの役立たずの人間を産みだすことになるのだろうか。
そのような、悪魔的な社会がやってこないように、テクノロジーの進化がこの地球上に住むすべての人にその恩恵が行き渡るようにするには、いま私たちは何をどの様に考え、どの様に取り組むべきなのだろうか。

これから、自由主義と新自由主義、資本主義と欲望の株主資本主義、そして倫理的自由主義と倫理的資本主義とはどんなものかを考えてみたい。

二酸化炭素濃度が過去最高に

国内の二酸化炭素濃度が去年一年間の平均が観測史上最高になった。
日本の国内工場の多くが海外に移転しているんか、1960年代1970年代に比べて日本の工業地帯の空は綺麗になっているが、国内のすべての観測地点で、観測数値が史上最高になっているという。
このことは何を意味しているのか、世界全体の二酸化炭素濃度が高くなっていることを意味しているのだろう。

また、そのことは、世界の工場といわれている中国などに、日本のまた先進国の多くの企業が、工業製品の製造が新興国や発展途上国に移転し、そのため、先進国の空は青く綺麗になっているが、工場の移転先の地域の空はスモッグが漂うになっていうることだろう。
その一つの証として、COVID19(新型コロナウイルス)により、中国の武漢が街全体が封鎖され、経済活動も停止された、それにより普段は、スモッグで青空も見えないじょうたいだったが、青空が戻っているという。
先進国で、工業製品を使い、豊かな便利な生活ができるのは、先進国が新興国や途上国に工場を移転したからということを、考えてみる必要があるだろう。

日本の二酸化炭素濃度は、気象庁が昭和62年に大船渡市で観測を始めて以降、毎年過去最高を更新し続けているという。そのことについて、日本の気象庁は「二酸化炭素は過去に例のない濃度に達している。対策をしなければ地球温暖化がさらに進むおそれがあり、削減の取り組みを進めていく必要がある」と話しているとNHKは報じています。

温室効果ガス排出について、自分の住んでいる地域や国は青空があるからと安心はできないだろう。また、自分や自分の住んでいる国の空には、青空があるからその責任はないと考えるのも間違っている。自分たちの生活の仕方を全面的に見直すべきと言える。わたしはあと10年か永くて20年の寿命だが、いまの若い人たちは、2050年いや子供たちは22世紀も生きているだろう。そのことを考えるといまの若い人たちのために、自分たちの価値観や生活の仕方を見直すべきだろう。今の新自由主義や欲望の株主資本主義ではなっく、倫理自由主義や倫理知足資本主義に転換すべきだとおもう。

いま、倫理自由主義と倫理知足資本主義と書いたが、この文書を書きながら私が、作った造語だがこのことについて、考えて行きたく思う。

自律型ロボット兵器

遠隔操作の無人兵器は、遠隔操作の無線を妨害されたり、乗っ取られたりするおそれがあるので、自律型の軍事兵器の開発ができないかとの話があると聞く。
現在いたずらドローンを停止させたり確保するために、ドローンを停止させている映像をニュースで見たことがある。それは実験映像が実際の映像かはしらないが、ドローンの乗っ取りはできるようだ。
となると、自律型の無人兵器は乗っ取られる心配がないので有効のように思うが。
敵を攻撃し敵を殺すことを、機械にまかせてよいものだろうか。倫理的な判断をロボットやAIにまかせてよいのだろうか。

アメリカのSFTV映画の、スタートレックのヴォイジャーのエピソードの29話「ユニット3947」では、2国間(2つの星)が戦争しているが、お互いに戦っているのは完全自律型のロボットで、自分を攻撃するものを敵として抹殺するようにプログラムされている。2国は和平協定を締結して戦争は終わるはずだった。和平協定が締結されたので、両国はロボットを停止しようとするが、自分を攻撃するものを敵とプログラムされているので、ロボットはお互いの自国の人間を抹殺してしまう。このような話です。

アンドロイドのロボットは人間を越えるか、優秀なものは自分より劣ったものの価値を受け入れるだろうか。スタートレックの最初のシリーズ宇宙大作戦に「宇宙の帝王」登場するカーンは、人間の知能と体力を遺伝子操作で強化された優生人類だった。やがて優生人類は人間を劣ったものとして、地球を牛耳り地球を支配しよとする。優秀な者はたいがい自分より劣った者を価値のないものとして、支配するか抹殺するかをしようとする恐れがある。
人工知能の自律型学習型AIは、人間の脳を越えられるだろうか、計算能力などは機械であるAIの方が遥かに正確で早いです。また判断力も速く正確でしょうし、作業も速く正確です。
しかし、AIには人間にはあるが、AIにはないものがある。それは、道徳心や倫理観と感情です。簡単な人を殺すななどの道徳や倫理をプログラムできても、広汎な道徳や倫理のアルゴリズムは作れないだろう。ましてや感情などのアルゴリズムなどは不可能だし、倫理サブルーチンなども不可能だろう。無理に人間に近づけて作ろうとすれば、「宇宙の帝王」のカーンのようになるだろう。

現在、人の身体に機械を埋め込むことがされている。人工心臓や歯や関節のインプラントが同様に、脳にICチップを少しづつ置き換えていき、サイボーグを作れると考えている科学者もいるよだ。わたしはそのようなことは不可能だと考えるが。

そのような考えは、フランケンシュタイン博士と同じ考えだ、フランケンシュタイン博士の作った人造人間は怪物とよばれるが、怪物は実は博識で心やさしい人間だが、自分を産みだした博士は自分を見捨てたため、どこまでも復讐のために追いかけることになる。それらのことを思うと、自律型の人工知能をつくることは、パンドラの箱を開けることになるだろう。

五欲 五蓋

さきに五欲の戒めをかいたが、他にもわれわれの生活を乱すものがある。
仏教では修行の邪魔をするものが五つあると言う。それを五蓋という。五種の煩悩のことです。
貪欲蓋、瞋恚蓋(いかり)、睡眠蓋(心身のはたらきを弱め、ねむりこませる)、掉悔蓋(そわそわ落ち着かず迷っての揺れ動き)、疑蓋の仏道の修行をするうえで発心をさまたげるこの五つの蓋があるとされている。これらの気持ちがでてこないように、その心を制御して発心のさまたげるといり蓋を棄てないといけないとう。

・貪欲については、五欲で書いた通りであるから蓋をすることを心掛けなくてはならない。
・瞋恚については、一言でいてしまえば、「怒る」ことだが、単に感情的に怒るという意味でなく、自分の思い通りにならない事への憤り。自分の今の状況はあの人が悪い、社会が悪いという、妬みの憤りかからそれが周囲の人への憎しみの心の瞋恚です。この瞋恚により、来の自分の思考力が発揮できなくなり、判断を間違えてあらぬ方向へと突き進めてしまったり、物事や自分の考えている方向と違う方向に進めてしまう。
仏教では瞋恚というのは、三毒*の一つとされ、自分に対しても、周りにの人に対しても毒になるものです。
まさに、マンガなどで非常に激怒している人の背景を炎で燃えがらせている背景が描かれているのを見ることがあるが、それを瞋恚の炎(瞋恚のほむら)という。*三毒とは、貪欲・瞋恚・愚痴(愚癡)のことです。
瞋恚が継続し積み重なっていくと、いつかはこの妬み恨み憤りを晴らしてやろうと計略をするようになる、そうなればその相手に危害を加えることになる。そればかりか自分の穏やかでやすらかな心を作りだせなくなり、そして功徳が生まれてこなくなる。
在家の生活のなかでも、この瞋恚の蓋を棄てることが大切です。この瞋恚により日常生活で争いが起き、もめ事が起き裁判を起こしたり、喧嘩になったり殺人事件が起きたりする。国の中では紛争にないr、国家間で戦争になったりする。武力の戦争にいたらなくても、アメリカファーストのように国家間の外交がギクシャクしてしまう。
・睡眠は、人が夜に睡眠をとり明日の鋭気を得るための睡眠ではない。心の働きが朦朧として微睡むことにより、六つの知覚が閉塞し、眠っているうちに心の働きがコントロールできなくなり、心を覆い尽くしてしまう。まるで、大麻や薬物や脱法ハーブ・ドラッグもこの類といえるだろうから、これらは絶対によくない。だから睡眠に蓋をしなければならないという。また智者はこの睡眠が一番たちがわるいと言う。「眠を大闇となす、見るところなく、日日に欺誑として人の明を奪う、また陣に臨んで自刃間わるがごとく、毒蛇とともに室を同じゅうして居るがごとく、人の縛せられて将い去って殺されるがごとし。その時いかん、いずくんぞ眠るべきや」と。だからこの睡眠の蓋を棄てる必要があると言う。
このことは、在家の日常に生活にも言えることで、ものごとをするとき、ただだらだらと何も考えずに微睡みながらしていてはいけないという。
・掉悔は、まえの三つの蓋がなく三毒が、入れ替わり立ち代わりあらわれたり、三つが同時にあらわれたりして、心が揺れ動くことにより。悔いて自らを責めて憂悔することになる。「悔いおわってまた憂うることなかれ、まさに常に念著すべからず。まさに作すべからざるをしかも作し、まさに作すべくしてしかも作さず」と思い。どうして自分はこのような無意味なことをしてるのか、恥ずかしとの後悔が強すぎると、悔の覆蓋となり禅定の邪魔をするので、発心を妨げる掉悔蓋を棄てる必要があると言う。
・疑蓋とは、「これ見諦の理を障うる疑にあらず」といって、道理を明瞭に観察するための疑い邪魔する蓋ではない。むしろそれは明瞭成るようにすべきだ。ここでの疑は、自分を疑う、師を疑う、法を疑うことを指す。
自分を疑うとは、自分は無能な人間で修業してもしかたないと疑うこと。
師を疑うとは、自分の師匠を疑うと、このような人の教えについても何もならないと思うと、修行に専念できなくなるどころか、師を蔑んでしまうと修行自体もできなくなる。そして、法を疑うとは、仏法を疑うことです。

先日の、五欲とこの五蓋を棄てよは、仏道の修行だけでなく、現代の私たちの欲望の日常生活にも当てはまることではないだろうか。ホモサピエンスが20万年前にアフリカで誕生し、5万年前にアフリカを出て全地球に広がっていったが、この地球に棲んでいる他の多くの生き物を、虐げ絶滅させてきている。人類であるホモサピエンス以外の同類に人属で勝ち残ったのは、私たちだけです。なぜどのようになことで、他の種のヒトルイが絶滅したのかはよくわからないが。地球上の生命体でいま思うままに好きなように振る舞っている。それにより地球温暖化の気候変動が起きている。しかもそれを認めようとせずヘイクだと主張する人もいる。便利な生活をするために、見えないところで自然破壊や環境汚染が起きていることを知らないでいる。このままでいくと、今世紀半ばでこの地球は取り返しがつかないことになると主張している人もいる。この宇宙船地球号が22世紀23世紀と、運航が続けられるためには、この五欲と五蓋について考えるべきだろう。

欲望と人間の驕り

現代の私たちは、特にアメリカや日本は、新自由主義と欲望の株主資本主義の世の中に、どっぷりと浸かって生活をしています。常に、あれが足りないこれが足りないと、不平を言って生活をしてしまっている人が、なんと多いことでしょうか。
それにより、自分の思い通りにならなかったら、不平不満を持ち愚痴がかりを口にしている。今のアメリカや日本はそうであるし、最近の中国もそのようになってきている。

新自由主義経済は、自己責任の競争社会で敗者は切り捨てられています。
欲望の株主資本主義は株の配当を会社に迫りることにより、会社の倫理感などは二の次にしている。そこには新規事業へのフロンティア投資という思いはなく、株の配当が少しでも多くを望み、その会社の社会奉仕や従業員の生活より少しでも多くの株の配当を要求している。

仏教には、修行を乱す五欲を戒めがある。
五欲とは、色・声・香・味・触のことでだが、在家にの五欲は、食・財・色・名誉・睡眠ともいわれている。
『摩訶止観』の第六章第弐節五欲を呵せ につぎのようにある。
・色欲は、いわゆる赤白・長短・明眸・善?(目+來(ながしめ))・素頸(しろきくびすじ)・翠眉・皓歯(しろきは)・丹脣、乃至・依報の紅黄朱紫諸珍宝物は、人の心を惑わす。
・声欲は、嬌媚・妖詞・婬声・染語・竹糸・絃管・環釧・鈴珮等の声なり。
・香欲は、すなわちこれ鬱?(くさかんむり+弗)・氛?(气+囚+皿)・蘭馨・麝気・芬芳・酷烈・郁毓の物、および男女の身分の香りなり。
・味欲は、すなわちこれ酒肉・珍肴・肥?(月+臾)・津膩・甘甜・酸辣・酥油・鮮血等なり。
・触欲は、すなわちこれ冷暖・細滑・軽重・強軟・名衣・上服・男女の身分なり。
そして、この後にこれらの欲を貪るのは、赤く熱した鉄の玉を素手で握るようなもので、煮えたぎった蜜湯を飲むようなもので、蜜を塗った刀を舐るようなものだとのべている。

そして、「この五欲は、これを得れども厭くことなく、悪心うたた熾にして火に薪を益すがごとく、・・・・」と書いてある。
欲望は限りなくまし、さらに欲望が含まると言っている。
私たホモサピエンスは、二足歩行をはじめたころから、あくなき欲を膨らませて今日の文明社会を築いてきた。それを、一概に悪として否定することはできない。しかし、ホモサピエンスが5万年前にアフリカから全地球の隅々まで、棲息を広げたころまではよかったが、それ以降、欲望により争いが激しくなっていき。現在わたしたち人間の個体数は70億を超え、地球の存続するら危うくするまでになってきている。
いまこそ、五欲のあり方を考えて、我々人間のあり方を見直すときではないだろうか。
おりしも、小さな小さな新型コロナウイルスが、全地球に広がり人間の驕りに対して警告を発しているようだ。

電気について 02

原子力発電所で事故が起き、大量の放射線が大気中に撒き散らされると、広範囲が放射線物質で汚染されてしまい、そこで暮らしている多くの人がそこで生活できなくなる。
福島の事故により、広い地域に退避命令が発令された。その後住民が故郷に帰れるようにと、除染作業が行われて、次々と退避命令が解除されている。しかし、忘れてはならないのは除染作業をした労働者は被爆していることです。また、除染をしたといっても完全に除染された訳ではないと言うことです。
私は、現在帰還困難区域を解除されたところの、放射能の線量がどれぐらいなのか知らないです。
しかし、大量に汚染された地域を、労働者が自分のからだを使って、除染作業をしたということ、その中の多くのひとは通常の日常生活で浴びる、放射線線量以上の量を浴び被曝していることです。
そして、除染作業にあたったのは、原発事故を起こした東京電力の社員や、東電が雇用した労働者ではないというおとです。汚染地域の除染作業は国の責任でされてるが、国が直接雇った労働者ではなく、除染作業にあたった労働やは、ゼネコンが建設する土木事業と同じ労働者の集め方で雇われた日雇い労働者です。
そいて、そこでは恐るべきことがなされていることは、ニュースなどにはならず、私たちはそのことを知らないでいる。
そのことは、大きな問題だともいえる。私の知っていることを、時々書き綴ってみたく思う。

電気について 01

私たちは、今日電気なくして、生活はできないと言ってよい。
家電製品を使うのには、もちろん電気が必要なことは、当たり前でだれでもわかることです。家で明かりを灯すのに、蛍光灯や発熱球やLEDの照明器具を使っている。
また、水道の蛇口を捻ると、水がでるのも電気なくしてでないのである。水がでるのは、上水道施設で水が浄化されている。浄水を作るシステムプラントを動かすのに電気が必要であり、各家庭に配水するためには、圧力をかけて配水管に水を送るために電気をつかっている。同じことはガスガスにもいえます。
また、いろいろな、情報を得るにはテレビやラジオのニュースを聞いたりするが、これにも電気が必要です。また、パソコンなやスマートフォンから情報を得るにしても、電気が必要です。また、私たちの日常製品を作るために、電気が使われていない物などないでしょう。

それでは、電気はどのようにして作られているのか、発電所で電気を発電するのだが。いろいろな発電方法がある、火力発電と水力発電と原子力発電が主力です、ほかの再生可能発電として、太陽光や風力や波力などが注目されだしている。
しかし、主力は始めに書いた三つです。火力発電には、石炭を燃やして発電するものや、石油や天然ガスなどを燃やすものもある。水力はダムを建設し水を落とす落差でタービンを廻し発電する。それと、原子力発電がある。
原理的には火力と原子力発電は同じ方法で発電する。水を沸騰させその蒸気でタービンを回して発電する。
では、火力発電で使う石炭や石油はどのようにして採掘するのであろうか。石炭は日本でも1950年から60年にかけて石炭が掘られていた。そこで働く坑夫たちの労働環境は過酷なもので、また、石炭の粉塵により時折粉塵爆発などがおき危険なものです。現代は、坑道を掘って石炭を掘り掘り出すのではなく、地表を石炭層まで剥いでしまう、露天掘りが多いようんだが、炭坑夫の過酷な作業と危険性は少ないが、地表を剥いでしまうので環境破壊はすさまじいものがあるでしょう。これは石炭に限らずほかの地中の資源を開発すると起きることです。
化石燃料の発電は、その石炭や石油を採るために労働者が危険にさらされたり、自然破壊がおおきる。
では再生可能エネルギーの発電はその装置の原料のおおくは、希少金属が多く使われ、これもその原料を掘り出すのに、労働者が危険にさらされ、自然が破壊されることを知っておくべきだ。

では、原子力発電はどうか、こちらもウランは希少資源だり、放射能と言う目に見えない恐ろしいものが発生する。
さらに、福島ような事故がおきなくても、通常の平時でも原発は定期点検などで、原発の現場での作業をさせられている労働者は、放射能を浴びながら作業をさせられている。しかもその労働やの多くは日雇い労働者で、それも電力会社の直接雇用ではなく、元請けの下請けのその数次下請けの労働者で、労働者の安全への責任はうやむやになってしまっている。

そのようなことを考えると、私たちは湯水のように電気を使ってよいものだろうか、少しでも必要のない電気を使わないで生活が出来るようにすべきではないだろうか。少なくとも、電気が日ごろ不自由なく使えるのは、石炭を掘り出す人がいて、炭鉱周辺の自然が破壊されていること、原発では被曝労働者が働いているから電気が供給されていることを知るべきだと思う。

監視カメラの新駅

東京の環状線である山手線に新しい駅が設置されたという、その名前は「高輪ゲートウェイ」だというが、この駅、最新のAI技術が使われている。駅の売店では店内に設置されている監視カメラで、客の出入りと商品棚からなにを取ったかを検知し、無人のレジでカードをかざすだけで支払いを済ませられる店があるそうだ。そのほかにも駅構内では監視ロボットがうろうろしていて、道に迷っていそうな人や障害者を検知して、案内したり駅の職員に通報・連絡して助けを呼ぶそうです。また数カ国を理解できるロボってが道案内をしたり、誘導してつれていってくれるそうです。

なんだか、便利なようだが、常に監視されているようなシステムが導入されている駅だ。

今後この高輪の駅のシステムがうまく機能するならば、これから全国の駅に使われていくだろう。そればかりだけでなく、人が集まる商業施設や、人の移動の多い道路や通路など、全国各地で使われるようになるだろう。
なんだか、今の中国の都市の監視システムが、日本の至る所に作られていくのだろうか。

武漢の青空

中国武漢で発生した、新型コロナウイルスにより、多くの工場が操業を停止されている。それにより、武漢の空は今まで大気汚染がひどく、市内では青空は見えず、の先のビル見えないぐらいだそうが、工場が停止しているこのごろは、街の先の見通しがよく、青空がよく見えるといいます。
中国は世界の工場といわれ、そのなかで武漢は特に多くの外国の企業が工場を移転し操業しているちいきです。また外国工場に部品を提供している地域です。

私たちの現代の便利で快適な生活は、中国の工場から造られる製品や部品により、生み出されているものと言える。そのことを忘れてはならないです。このコロナウイルスが沈静化しても、先進国の便利で豊かな生活は、外国の知らない地域の犠牲の上で成り立っていいることを、いつまでも覚えておき、考えていくことが重要です。

大気汚染は日本でもかつて、中京地域の四日市や、神奈川県の川崎や兵庫の尼崎、北九州などの工場から排出される煤煙で青空が見えない状態でした。光化学スモックとよばれ学校では、野外での運動ができない状況になっていた。これは、日本だけでなく世界でもそうです、むかしは霧の都と呼ばれるイギリスのロンドンは、メキシコ湾流の暖かい海流が、ドーバー海峡で冷たい海流とぶつかって霧が発生するのだが、それと併せて工場からの煤煙により、スモッグが発生し、大気汚染がひどかたが、ロンドンでは地下鉄が走り、街路はガス灯がともされ明るく、当時はヨーロッパでも最先端の都市だった。また、未来派画家のレジェなどは、工場から勢いよくでる、煙を描いて、工場の近代化により躍動を描き賛美しています。私たちのこれからの現代をどう考えるか、それは繰り返しになるが、先進国の豊かな便利な生活は、工業の発展により自然を汚して成り立っている。そして利益を追求する現代の、欲望の株主資本主義により、ますます、他を犠牲にして生活をすることに加速がかかっている。

新型コロナウイルスの問題は、疫病に対するあり方を考えていかないといけないのと同時に、政治的な社会あり方がどうあるべきかを考えるべきだろう。カミューのアフリカのアルジェリアのオラン街を舞台にした小説「ペスト」。オランの街が封鎖された街で、しだいに市民は苦境の中で団結する民衆たちを描き、無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起されるいる物語です。生存を脅かす不条理にどうすべきか、我、反抗する故に我らあり。武漢や他の国の地域でも、街が封鎖されているところもあり、これらについて考えていきたい。

クルーズ船の自分の客室に閉じ込められたり、自宅での禁足令を課せられ事実上の軟禁幽閉状態な、不条理な状態に置かれた時に、それぞれの個個はどのように自我の尊厳をまもりたち振る舞ったらよいのか。
カミュは小説のなかで「個人がまもろうとする価値は、彼だけのものではない、価値をつくるには、少なくともすべての人が必要である。反抗に於いては、人間は他人のなかへ、自己を超越させる」(新潮文庫 以下同じ)
「個人を苦しめていた病気が集団的ペストとなる。われわれののである日々の苦難のなかにあて、反抗は思考の領域における「われ思う(コギト(ルビ))」と同一の役割を果たす。反抗が第一の明証となるのだ。しかし、この明証は個人の孤独から引き出す。反抗はす、すべての人間の上に、最初の価値をきずきあげる共通の場である。われ反抗す、ゆえにわれ在り」と書いている。カミュの反抗は革命的な相手を破壊する抵抗ではなく、行き過ぎに反対するものであり、コントロールしえなくなる前に引き返し、人間を破壊することから守ることにあるのではないだろうか。

この私たちの現代の豊かで便利な生活はどのような構造で、どのように成り立っているかを考え、そのシステムのありかたの正統性に疑問を持つきっかけすべきでしょう。

カミュは「ペスト」の最後に次のように書いて小説を締めている。
「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができる。部屋や穴倉やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るだろう」。

これは、戦争が繰り返し起こされるように、人間の驕りと傲慢さがあるかぎり、またわれわれ人類に天誅をあたへ、その驕りと傲慢さを誡めるよう警告を続けるだろうということだろう。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
  • 人種差別から思ったこと
    竹林泉水 (06/21)
    コメントありがとうございます。

    人間は、自分は他よりも優秀だ思いたいがります。逆に自分はあの一人より仕事ができないと感じたり、あの人より低く見られていることに対
  • 人種差別から思ったこと
    アジシオ次郎 (06/18)
     おはようございます。

     相変わらず現代において根強く蔓延る人種差別の問題、長い歴史において人種差別や偏見はヒドかったけど、その歴史から何を学んでいるのかとも思
  • 人生二十最
    omachi (05/23)
    あなたの知らない日本史をどうぞ。
    歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めま
  • 100年前の教訓
    竹林泉水 (05/09)
    コメントありがとうございます
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