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養生ということ

このブログで心と身体や養生のことに幾度も書いてみた。
養生と言えば、すぐ思い出すのが貝原益軒の『養生訓』です。
広辞苑で養生と引くと、
1、生命を養うこと。健康の増進をはかること。衛生を守ること。摂生。方丈記「つねにありき、つねにはたらく、ーなるべし」とあり、ほかに2病気病後の手当をすることとあり。3に土木・建築の下工事。4に植物の育成を助成されることなどについて説明してある。

老荘思想に生を養い人間の身体を整える考え方があり、中国最古の医学書として知られる、黄帝内経があり、その導引吐納の考えの流れの気功なども、養生法の一つとされることから、養生は中国から伝来した言葉であると思う。

「医食同源」という言葉があるが、元々中国に「薬食同源」を一般の人にわかりやすく言い換えたもので、薬も食べ物もからだの中に入って、からだを整えるもので、生命を養い健康を保つためのもので本質てきに同じものだという考えがあり。中国料理には薬膳というものがある。薬効のあるものや、健康によいものを組み合わせて考え調理されたもので。いまでいうと健康料理を発展させたものともいえるだろう。
古来の中国では食べ物で治す「食医」という考えがあり、そのなかに食養というのがある、食事に注意して養生することで。食事で養生をするというこです。
そして、食療とうのがあるこれは、食事によって治療することです。

貝原益軒は『養生訓』には、傷病を治癒する病人の望みを叶える法がかかれている。食べて体に悪いものでも、味だけを味合わせるならかまわないと説いている。このことは、患者の人間としての尊厳性を大切にする考えといえないだろうか。今日患者の尊厳を大切にすることが、病気の治癒を早めると言われているが、それを今から300年ほど前に唱えていたといえる。

さきに、足を知り、心の貪欲をなくすことを書いたが、ことわざに「諦めは心の養生」ということばがある。
これは、過去の失敗や不運だったことをいつまでも悔やんでくよくよと考えていると、心の健康をがいするので諦めたほうが精神の健康にはよいということ。
だが、去年の大晦日に『謂棄五蓋』について書いた。手に入れるのに悩み苦労し、手に入れるとそれが失われないか心配し心労が増える。そのようなことだから、なにごとも必要以上に貪欲に欲を求めるとは、からだの健康にもよくないということだといえる。
身の丈に合った養生をしていきたいものです。

貝原益軒の朝の足もみ

貝原益軒の「養生訓」の第五巻に次のようなことがかかれていた。

導引の方を毎日実行すれば、気がよくめぐり、食物をよく消化して積聚を起こさない。朝まだ床から起き出さないうちに、両足をのばし、濁った空気を吐き出し、起きて坐り、頭を仰向かせて、両手を組み、前方へ突きだし、上へ上げる。また歯を何度も噛み合わせ、左右の手でもって首を交互に押す。次いで両肩をあげ、首をちじめて目をふさいで急に肩を下にさげる動作を3度ばかり繰り返す。
顔を両手でたびたびなでおろし、目をも目がしらから目じり何回もなで、鼻をも両手の中指で6、7度なで、耳朶を両手で挟んでなでおろすこと
6、7度、さらに両手の中指で両耳にいれてさぐり、しばしば耳孔塞いだり開いたりし、そして両手を組み、左へ引く時は頭を右に廻し、右へ引くときは頭を左に廻す。このようなことを3度。
次いで、手の背で左右の腰の上や京門のあたりを、すじかいに下へ10編ばかりなで下ろし、それから両手で腰を指圧する。両手の掌で腰の上下をなでおろすのもよい。こうした動作で気をよく循環させ、気を下ろすことになる。さらにまた両手をもって臀を軽く10編ばかり打つ。次いで股膝をなで下ろし、両手を組んで三里をかかえて、足を前にかかえて、足を前に踏み出すようにし、左右の手を自分のほうに引きつける。両足ともこのように何度も繰り返すがよい。
左右の手をもって両方のふくろはぎの表面をなでおろすこと数度。それから足の心、ここを湧泉の穴というが、片足の五指を片手で握り、湧泉の穴を左手でもって右穴を、右手で左穴を10編ばかりなでる。また両足の大指をよく引きながら他のゆびをもひねる

いくつかどのようにするのか理解しにくいところもあるが夏ばて防止に、気の巡りをよくするために行ってみようと思う。

四少養生訣

孫思バク 「千金要方」に四少養生訣がある。

人要延年益寿 須 「口中言少 心中事少 腹中食少 自然睡少」依此四少 神仙快了

ひと延年益を要すは
須らく口中に言少なく
心中に事少なく
腹中に食少なく
然るに自ずと睡少なし
此の四少に依り
神仙は間近なり

人が健康で長寿でいられる秘訣は
・喋り過ぎは身体の気を消耗してよくない
・心の中の心配事やもめ事や謀はよくない
・飲食が多くなれば胃腸が傷つきよくない
・怠けたり動かないのはからだによくない
この四つを行なえは、仙人のように健康長寿も夢ではない。

喋りすぎはよくない、いろいろと多くを語るより、よく考え要諦を話すのがよい。あれこれ思いつくままに話していては落ち着きがなくなり、言いたいことも要点を突くことができないので、身体の気を失ってします。

いろいろと思いめぐらし欲をもつよりは、今ある自分で足を知り、その中で自足するのがよい。欲は欲を産み心が穏やかになることを妨げることになる。
食の摂生はいつの世で言われていることで、食に余裕を持つと心も余裕がでてきて、身体の気も緩やかに巡り病を追い払うと言われている。
ここの睡とは眠ることではく、怠けたり身体を動かさないことで、身体を動かさないと血と気の巡りが滞り、老化物質も溜まってしまう。


いまの自分を心と生活をみると、「口中言多 心中事多 腹中食中 自然睡多」逆になってきている。
このまだでは、ストレスが溜まり続け、心落ちつき鎮まるのは死ぬまでこないのかとなってします。そう思っていると「天台止観」の第三章「蓋を棄てよ(心を覆う五種の煩悩を捨てる)」と言うことが書いてあるのを思いさした。

蓋となにか、善い心の芽を生長を阻む蓋を棄てよということで、善い心の芽を阻むものには、五つのものがあると。
一に貪欲の蓋、二に瞋恚の蓋、三に睡眠の蓋、四に掉悔の蓋、五に疑の蓋だと言っている。

五つの蓋とは。
「棄貪欲蓋」は自分の欲しいものを貪り求める煩悩という蓋を捨てて、心を落ち着かせ調和させる。
「棄瞋恚蓋」は自分の心と違う考え方や態度を怒り恨む煩悩という蓋を捨てて、心を落ち着かせ調和させる。
「棄睡眠蓋」は心を暗く重く沈み溺れさせ心を晦ます煩悩という蓋を捨てて、心を落ち着かせ調和させる。
「棄掉悔蓋」はそわそわして落ちつかず、自分の行為に対してくよくよと悩みを持つ煩悩という蓋を捨てて、心を落ち着かせ調和させる。
「棄擬蓋」は自分を疑い、師を疑い、法を疑う煩悩という蓋を捨てて、心を落ち着かせ調和させる。

孫思バク 「千金要方」の四少養生訣と、疑いを棄てよ以外は同じようなことが書かれている。このことは、養生にも心を落ち着かせ安寧にする要諦と言えるのだろう。

もう一度「天台小止観」を読み、自分がブログで書いた。天台小止観の「天台小止観を読む 3-1 蓋を棄てよ」などを振り替えてみようと思う。

呼吸法の危険性

呼吸法の危険性
このところ、書店にいくと呼吸法についての、本をよくみます。

明治から昭和初頭にかけえさまざまな呼吸法が発表されいます。岡田虎二郎の岡田式、藤田霊斉の藤田式、二木謙三の二木式や西野バレー団の西野皓三の西野流呼吸法など、他にも武術家や宗教家などが、独自の呼吸法を考案していますした。
しかし、それらの多くは一時の爆発的に盛んになりましが、その創始者や開発者の指導を引き継げる者は少ないようで、創始者が亡くなられた後はその殆どは衰退しています。また、岡田虎二郎は48歳で亡くなっているように、一概に呼吸法を極めた人が長生きかというとそうでもない。しかし、岡田のように、早産で生まれ、生まれつき虚弱であったので、日頃から心身を心がけていたので、自分なりの一つの方法を編み出したと言えるでしょう。

しかし、伝統的な呼吸法は多くの人が、永い時間をかけて伝えられていくなかで、洗練されたものになっていると言えるでしょう。それだけに、いろいろと細かな注意点なども多くあると言えるでしょう。

江戸時代に臨済宗の中興の祖と呼ばれる、白隠禅師の「夜船閑話」に自分が修行していると、ある日忽然と頭のなかのもやが晴れたので、これは悟ったと考えますます一心不乱に勤しでいたときの体験談として、「心火逆上し、肺金焦枯して、・・・・両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ」とあり、間違った修行の仕方で禅病にかかったと書いてあります。
そして、白隠は京の白川で白幽仙人に軟酥の法を教えられ、この禅病を克服したと書いています。
このように、心身の鍛練や養生は、聞きかじりの付け焼き刃の方法では、かえって身体に害を及ぼすことの方は多いので、正しい指導者について学ぶ必要があるのでしょう。
20年ほど前、オーム真理教が修行のおいて呼吸による空中浮遊なるもを説いていまし。しかし、その様子のビデオをテレビで見たことがありますが、過度の呼吸法を行ったための、痙攣のようにしか私には見えませんでした。
しかし、オームの信徒たちはその痙攣を悟りをひらくことができたと勘違いしてしまい、世の中を救うためにあのような事件を起こしたのではないかと思います。

今日さかんにおこなわれている呼吸法には、痩躯効果をねらったもの、運動能力向上をねらったもの、潜在能力開発法をうたったもなどさまざまです。
しかし、呼吸法でやせるや潜在能力を高めるなど、人の願望や弱みなどにつけ込んだ、胡散臭さを感じます。

私は毎朝早朝の明け方歩いています。そのとき呼吸を意識しながら歩いています。大きく朝の新鮮な空気を吸って、ゆっくりと時間をかけて吐いています。このとき気をつけていることがあります。歩いているとは軽い運動をしていることになりあます。そのとき酸素不足にならないように、また逆に過呼吸にならないようにと、無理をしないように心がけています。

過呼吸になると活性酸素が身体のなかに溜まる原因になり、酸素ぶそくになると身体が痙攣する原因にもなるでしょう。
これは、白隠禅師がかかった禅病やさきにかいた、オーム信徒の空中浮遊などの身体的な異常を起こすおそれがあり、それはやがて病気になり養生のためにしているのが逆に不養生になってしまうと考えています。

白隠禅師が白洲老師から教わった軟酥の法とは、両手で気をこねて作った、バターのようなものを頭の上にのせて、それが体温で溶け、頭から肩へそして胸・背中・腹・臍・腰へと流れていくのを感じるもののようです。それは身体を弛緩させイメージし、呼吸を調えるものと言えるでしょう。それは、修行に打ち込むあまり気を張りつめて、身体を緊張させてしまうものと正反対といえるでしょう。

それでは禅病になったり、身体に悪い影響をあたえない、呼吸法はどんなものか。そのためには繰り返し書くが、適切な指導者の元で呼吸法や気功や武術などをすることでしょう。そこで考えてみると、呼吸法を提唱するいろいろな指導者の共通する点は、身体を不用意に緊張させないこと、身体を弛め弛緩させることが大切で、身体の動かしかたを操体法などと表現していることです。そこにはその身体の動かし方によって、交感神経より副交感神経を主に働かせることのように感じます。身体を動かすことによって、交感神経と副交感神経のバランスが大切なのでしょう。

呼吸は意識しないでも呼吸活動をし、意識的に呼吸をすることもできます。寝てる時などは意識していないし、激しい運度をすると自然に呼吸活動も活発になります。深呼吸は意識して呼吸を深く大きくしますし、水に潜ると息を止め、火事などで煙の中にいたら、できるだけ呼吸量を少なくして煙をすわないように心がけるでしょう。
このように呼吸機能は自律神経が司りますが、随意的にコントロールされ過ぎると、自律機能が阻害されて身体の調子を崩し、禅病などを患ってしまうと思います。

書店には○○呼吸法などの本が置かれていますが、読みかじり聞きかじりで、呼吸法を実践するには注意が必要でしょう。

採気と皮膚呼吸

7月8日に太陽を食べる男のことを書きました

気功のことを調べていると、東洋では気功の方法の一つとして「採気法」というのがあると書いてあります。
「採気」とは、外の気を取り入れるということです。我々人が生命を維持するのに他の生命を食べる。すなわち栄養源などを摂取します。それも一つの気ともいえるかもしれないが、気功などでの「気」を取り入れるのは、太陽の気、月の気などのことで、他にも山の気や樹木の気、また鉱物など自然に存在しているものが発する気で、近代科学で言われる栄養源でなく宇宙空間に存在するエネルギーを身体全体を使って採り入れることとでしょう。
太陽を食べる男のように口からの栄養摂取でなく、太陽エネルギーや自然の「気」のエネルギーを採り入れることで、生命を紡いでいくのとよく似ていると言えます。
その取り入れは口や鼻からではなく膚・皮・肌によって採り入れると言われています。そして、それを胃腸で消化して脂肪として蓄えるのでなく、丹田というところに蓄えるとされいる。。

気功でよく言われているのが、「気功は意識するものではなく、体感するもの」だと言われていいます。
体に感じる体性感覚には、動くことによって動きを感じ、皮膚で感じることにより皮膚を感じ、体内で感じることにより体内を感じる、内面的な感覚でしょう。
そしてこの体内を感じるという感覚が体感すると、気の滞り、気の巡りを体感することが出来るといわれています。
その体内の感覚を研ぎ澄ますためには、体性感覚の潜在している才能や能力を引き出して育てるこが必要です。
そのためには、動きを感じる、皮膚を感じるということを繰り返して眠っている感覚を目覚めさせ高めることが大切です。

人の身体の動きや感覚は、交感神経と副交感神経との働きで働いています。交感神経と副交感神経は、車の加速装置であるアクセルと制御装置であるブレーキの関係のようなものです。身体が活動するにはは交感神経が心悸したり昂進して、副交感神経の働きはそれを交感神経が心悸しすぎるのを抑制している。
交感神経を高ぶらせるのは比較的簡単で、日頃の活動のなかでも意図的にしているが、副交感神経を意図的に働かせることはあまりしないです。
皮膚呼吸はその感覚を研ぎ澄まし感じ、身体を緊張させる交感神経より副交感神経を活性化させることです。

すし職人の手は、板前に立つと手の温度が下がると言われます。それと同じように練功を積んだ人は、皮膚温や丹田の温度は変化しているのでしょう。そしてそれらの人は、皮膚の感覚や丹田の感覚として体感できるのでしょう。

話を元に戻して、採気とは皮膚呼吸をすることにより採気し、気を丹田に収める技巧と言えるでしょう。

テーマ : 健康
ジャンル : 心と身体

虚領頂勁

手拭いを頭に置いて歩くと書きましたが、太極拳に、虚領頂勁(きょれいちょうけい)という言葉があります。
この「虚領頂勁」を、「脳天にフックを付けて釣り下げるイメージ、東洋医学的に言うと、百会を上に持ち上げられるイメージ。真っ直ぐ立とうと意識して、学校の朝会の時に気を付けと号令をかけられ、起立筋を緊張させてしまうと、背中がやや反ってしまいます。また反対に身体を脱力させてしまうのとも違います。
頸椎を下方向に身体をゆるめながら引き伸ばすように意識して、身体の内側で上下の引っ張り合いが調和しているのを、想像して心象を作り出す。そして、力を入れるのでもなく、力を抜くのでもなくいれるのでなく」。というように私は考えています。

太極拳の練習をするのにこの、「虚領頂勁」を意識するための一つの方法として、頭の上に水を張った茶碗を乗せて行うのがあると聞きます。姿勢が崩れ身体がぶれると、茶碗が頭から落ちてしまいます。姿勢の崩れないように意識するのと、茶碗の中に入った水の動きを感じとり、身体の動きを意識するためだと聞きます。

水を張った茶碗だと、身体が崩れるとびしょびしょになってしまいます。そこで、ペットボトルを使ってみてはどうかと思い行ってみました。

ペットボトルを実際に頭の上に乗せて歩いてみると、水を満タンにするより、半分から3分の1ぐらいがよいようです。水を3分の1にすると、ペットボトルの重心が下がり安定する。中の水が身体の動きを捉え、それが頭に伝わり自分の身体の揺れを感じやすいです。ペットボトルを乗せ江歩くのになれて、ペットボトルを落とさなくなり、ペットボトルが捉える身体の揺れを感じ取れるなら、中の水を徐々に増やして、3分の2程に増やしていくのも良いと思います。

歩き方は、真っ直ぐに歩く、ペットボトルを落とさないように歩く、ペットボトルの揺れを感じ取る。これ以外は特に細かな動作はないです。

歩くだけでは物足りないなら、太極拳の弓歩の姿勢 左右の脚で交互に片足で立つ 両腕を振って身体を右回旋左回旋させるのも良いでしょう。
さらに、太極拳の二十四式の予備姿勢から起勢 左右野馬分ヅォン(髟宗) 白鶴亮翅 左右ロウ(テヘン婁)膝拗歩 手揮琵琶 左右倒巻肱などの動きをするのも良いでしょう。
これを、毎日早朝の散歩をするあいま、10分程すると自分の身体に向かい合い意識するので、幹が鍛えられ余分な脂肪などが落ち、体質も改善されるのではないかと思うので、これからしばらく続けてみようと思います。

また、歩いていてペットボトルが落ちないということは、体に軸が通っていてバランスがよいと言うことですから、見た目も美しく歩けているでしょう。

常に歩き 常に動くは 養生

今年は早くも梅雨に入ったようです。これから蒸し暑くなてきます。暑さは歳を重ねてくると、身体に堪えるものです。
熱中症などにならないように、水分を取り汗をかき体温の調節を、冷房などに頼らないで自分の身体でできるように養生したいと思います。

方丈記に次のようにあります。
「つねにありき つねに働くは、養生なるべし」
常に歩いて、常に身体を動かすことが、一番の養生だと。
養生に似たような言葉に「保養」「摂生」という言葉があります。
辞書を引いてみると次のようにあります。
養生:生命を養うこと、健康の増進をはかること
保養:心身を休めて健康を保ち活力を養うこと
摂生:衛生に注意し、健康にの増進をはかるうこと
とあります。
そして、この三つの意味を含めた言葉に、「摂養」と言う言葉があるそうです。これを見ると単に身体のことに気をつけるのでなく、心の健康とそれに取り組もうとすることが大切だと言うことでしょう。


方丈記の作者は鴨長明は下鴨神社の正禰宜惣官の子と生まれ、二条天皇中宮の高松院の贔屓もあり貴族生活を楽しんで、将来は禰宜になることを夢見ていました。しかし権力闘争に巻き込まれ、失踪して出家します。栄華を極めた貴族の生活から、隠遁生活を送り、四畳半の庵で隠遁生活したと言われています。
若い時に京の都の動乱と大火、清盛による福原の遷都、養和の飢饉、大地震などがあり、権力闘争に破れ出家し遁世した生活を暮らす中で、いままでの波瀾万丈の世を振り返っています。方丈記は晩年に書いた随筆です。


ここに紹介した言葉に書かれている前を読むと、単に歩いて身体を動かすだけでなく、心の持ち方などのもっと奥深いものを読みとることができます。

・夫、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしも、なさけあると、すなほなるとをば不愛。只、糸竹・花月を友とせんにはしかじ。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす。更に、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。只、わが身を奴婢とするにはしかず。
「人との付き合いはとかく、損得欲得のあるもので、人に物事を頼んでするのも、その結果を心配してしまう。そんなんであれば自分で身を粉にしてした方が良い。」

・いかゞ奴婢とするとならば、若、なすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。若、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますにはしかず。今、一身をわかちて、二の用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。身、心のくるしみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。物うしとても、心を動かす事なし。
「では自分でするとはどういうことかというと、する事があるなら人に頼んでするのではなく、自分ですることだ。確かに骨が折れ疲れてしまうが、人を頼んでするような気を配らなくてすむ。どこかに行くのも自分の二本の足で歩くのがいい。このとき、一身を分けて手と足は自分の思い通り動かすことができる。自分の身体だから疲れてきたら直ぐ判る、その時はその時で休めばいい、しんどく無くなればまた歩き出したらい。無理をしないですむ。馬に乗ったり人に担いでもらい、思うようにならなく心を苛立たせることもない。」

・いかにいはむや、つねにありき、つねに働くは、養性なるべし。

・なんぞ、いたづらに休み居らん。人をなやます、罪業なり。いかゞ、他の力を借るべき。衣食のたぐひ、又、おなじ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のおはぎ、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。
「そうであれば、無理矢理身体を動かさずに休んでいたらいい、人の力を借りてするのは罪だ何故人の力を借りてするのか。着る物や食べ物に関しても同じことだ。衣類は寒さ暑さをしのげたらよいので、華美に着飾ることはない。食べることも粗食でいい、人をもてなすようなことをしないので、粗末な衣類でいいし、粗食でいても美味しくいただける。」

そして、次のように書かれてある。
・すべてかやうの樂しみ、富める人に對して言ふにはあらず。たゞわが身一つにとりて、昔と今とを、なぞらふるばかりなり。
「これは、富んでいる人にたいして、やっかんだり負け惜しみで言うのではない、ただただ昔の自分とを比べて言うだけである。」

これから暑くなると、身体を動かすと汗をかいて億劫になりますた、よく歩いて散歩をして身体を動かして養生しようと思います。

病を憂い苦しむべからず

病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれひ苦しむべからず。憂ひ苦しめば、気ふさがりて、病くははる。
貝原益軒  養生訓・和俗童子訓
 
病気にかかると自分の病気のこと考えてしまうと、心配して往々に悪い方に悪い方に考えてしまったりします。特にガンなどの病気になると、もう治らない進行する一方だと考え、自分の将来の事を憂いて、病気の事だけでなく自分の生き方なども、マイナス思考になってしまう人が多いようです。
しかし、益軒はそのようなことしてはならない、日々一日一日の生き方を前向きに考え、養生に努めなければいけないと言っています。
方丈記も「つねにありき つねに働くは、養生なるべし」あります。ただ養生することっはじっと静かに臥せっていることでなく、いつもの自分のありきたりな生き方をして、身体を動かして働かなければいけないと言っています。そして、先に書いたように病に対してくよくよ悩むようでは、気が落ち込んで治る病気も逆に重くなってしますと言っています。まさに病は気からです。


国政をみていて政治のもどかしさは、ひどくなる一方のようで既製勢力も新興勢力も弱小の烏合勢力も、みな目の前の自分のことしか見ることしかできないようになっているようです。国体はもう末期ガンの体のようにも見えます。国民一人一人自分を見捨てず、他人を恨まずに前向きに声を上げ続けることが大切なのかもしれません。
また、各の政党も太極をみて大道を目指していくだけの、心を持ってほしいものです。

歩くことについて

朝の散歩をして歩き方で思い感じたことです。
 
今の日本人が普通歩くとき、着地している後ろ足を蹴り出すようにして歩いているとおもいます。
先日、市の秋の総合体育祭の開会式があり、市内で活動しているスポーツ団体の入場行進がありの様子を見ると、団体によって歩き方が違うのです。

入場行進の練習をした団体とそうでない団体があるのですが、練習をしてきた団体を見ていくつかの形がありました。
ある団体は大腿が水平になるまで上げ、膝を曲げていました。
他のある団体は、後ろ足を蹴り出し、膝を伸ばしていました。
またある団体は、後ろ足の膝を曲げて前に出し着地したら、地面を蹴り胃っぽいの足を前に出していました。
どれも、普段歩いている歩き方とずいぶん違っていました。
以前このブログで、抜き足差し足で歩くことについてかきました。そのとき私は、地につける足を踵から着地してそれから、爪先までの足の全面でしっかりと地面を掴んで、体重を移動するのに従って着地足一本で立って、身体を前に移動して、後ろの足を抜く事をイメージして書きました。

しかしよく考えると、普通抜き足差し足と言えば、つま先立ててあるこことを、思い浮かべる人がほとんどでしょう。
この抜き足差し足は、爪先で歩く走る形になります。日本には昔から半足という草鞋があり、飛脚の人たちが使ったそうです。半足の草鞋は、前半分しか無い草鞋です。ということは爪先だけで走るということで、昔から日本人は走る事を専門にしている人は、普通に爪先で走っていたと言えるでしょう。
 
また、能や舞踊などでは、摺り足で移動するのが基本です。
この摺り足と言いますが、実際には足を引きづっては歩いていません。
着地足に体重を乗せて、後ろ側の足をわずかに浮かし、足が前にでた時に爪先を少しあげて地を踏み直します。そしてその足に体重を乗せていきます。
 
この抜き足差し足や、すり足などをすると、身体特に下肢部分の深層筋を普通の歩き方より使うのではないかとおもいます。もう少し、詳しく考えてることにします。

骨と筋肉  2

骨と筋肉  2
 
膝が高齢になると変形してしまう人がいます。それは長年歩く、しゃがむ、座る、正座など日常生活で身体を動かしてきたことにより、膝の軟骨に負担を強いてきたからです。
 
機械でも長年使っていると、回転軸が磨耗してきたり、歯車の噛み合わせに歪みが出てきたりするのと同じですね。 
単に前に歩いている時でも、膝は曲げたり伸ばしたりしているだけでなく、歩くときの左右差やがに股などで、膝は微妙な捻れの負担がかかって歩いています。そして個人差がありますが、体重の軽重や歩き方の癖があります。そして特に階段を降りる、下り坂を歩くなどは膝に体重の重みが、より強くかかるので捻りの負担も強くなります。
そして、膝間接にある半月板という軟骨があります、この半月板は脛骨に付いていて、歩くときなどに衝撃を吸収する役割を果たしています。この捻れを膝の終末強制回旋運動といいます。この半月板は捻りと圧縮に弱いので、膝が強く捻られたり、圧縮した時に摩耗します。長年使っていたことにより、曲げ延ばしの繰り返しで半月板が磨耗し膝が変形してしまっているのです。
それでは、膝の半月板の磨耗が起きないようにすることどうしたらよいかと考えます。
膝周りの大腿の筋肉は、膝が過度に捻られることを制限してくれるので、大腿の筋肉をつけるのは重要でしょう、しかし、偏った鍛え方をすると、大腿四頭筋や縫工筋や半腱様筋などとのバランスが崩れ逆に、膝を痛めることもあるので注意が必要でしょう。

骨と筋肉  1

骨と筋肉  1
 
人を含めて脊椎動物の身体には、骨と筋肉があります。
この、骨と筋肉があるから、身体を動かすことができることは、誰でもがわかっていることです。そして、健康のためにと、運動をして筋肉を鍛えている人がいます。
そして、偏った運動をしてしまって間接を痛めたという話をよく聞きます。また、逆に筋肉が弱いと関節を痛めるという話も聞きます。
 
これは、人が立っていられる、横になっても地球の重力の重みでつぶれてしまわないのも、骨と筋肉が身体を支えているからです。
普段地球の重力が身体にかかっていることを実感しませんが、その身体の重みは結構あるもので、それを支える骨と筋肉は、座っているだけ立っているだけでも、筋肉を結構使っているのです。その重力を簡単に感じる方法が一つあります。お風呂からあがるとき、立ち上がって浴槽からでるのではなく、浴槽中で座ったまま栓をはずして湯を抜きます。そうすると湯が抜けるにしたがって今まで浮力で身体の重みが和らいでいたのが、直接うけるようになり身体の重みが感じ取ることができその重さに驚くと思います。 
ただじっとしているだけでも、筋肉と骨は身体を支えているのです。ではどのように筋肉と骨は身体を支えているのかを知ることは、身体を鍛えたり健康の為に運動するのに役立つものです。知らないで無理に身体を動かすと、怪我をしたりスポーツ選手などで故障すると言われていることがおきます。
 
わたしは太極拳をしていますが、太極拳ではよく膝を痛めてしまう人がいます。太極拳はゆっくりと動きで無理をしないのですが、どうして膝を痛めるかというと、身体を動かすとき、膝を捻って動いてしまうのです。膝は、肩や股関節のように分回しで自由に動くのでなく、一方向にしか曲がりません。それなのに太極拳のゆっくりとした動きのなかで、動く向きを変えたりするときに捻りの動きが入ってしまい痛めてしまうのです。
 
筋肉を鍛えてたり、柔軟に動いたりしても、関節への負担を少なくしようと思っても的外れな練習をしたりすることがあるので、正しい動きを詳しく理解しているトレーナーや師範に付いて、練習や稽古をすることが大切なのでしょう。

あいさつとタッチ

あいさつでの、呼名とタッチ
 
一般の小学校中学校などで、朝の朝礼で出欠をとります。その時呼名して返事をさせます。それが一日の始まりです。
また、授業を始める前にもできれば、呼名により一人一人挨拶をすればよいのですが、40人の人を一人一人呼んでいては、時間がかかり授業に支障がでるので、一斉の挨拶ですましてしまいます。
 
ある機会があって、幼稚園の授業を観ることができたのですが、そのクラスの先生は、一人一人名前を呼びながら、タッチを子どもたちとしながら、挨拶を進めていくのを観ました。
普通は、先生が前や中央に立ち、子どもの名前を呼ぶのですが、その日観た授業は違っていました。
 
先生は子どもの背丈に合わせて、しゃがんだりかがんだりして、目線と手の高さを合わせて、子どもと先生はお互いの手の動きに合わせて、ハイ タッチをしていました。
 
このハイ タッチは手で相手の手に触ることで、相手を能動的に触覚で知覚します。そのためには触覚機能だけでなく、様々な知覚機能を駆使してはじめてタッチできるのです。相手の動きを視覚で追、相手の手の動きに合わせて自分の手を追ます。その時手だけを動かして追うのではなく、背筋を伸ばしたり横にしたりと、身体はいろいろな姿勢をつくって追います。
この時も、先生の手の差し出し方をみていると、背中が丸くなっている子どもに対しては、タッチする位置を高くしていたりしていました。そうすると背中が丸まっていた子どもの背中は、意識せずとも伸びていました。
授業の初めの簡単な挨拶としてタッチすることで、注視、活動への注目をさせることができ、肩・腕の動きの改善をさせ背中を伸ばすきっかけ、にして姿勢をよくさせます。それとなにより、タッチすることによりスキンシップの役割をはたし、授業への気分の高揚などが行われていました。
 
タッチはちょっとした簡単なことですが、それによりその場の雰囲気やその人との間の距離が変わるのを面白いと感じながら、園児と幼稚園の先生のやりとりを見ていました。
それと同時に勤めていた職場にいた一人を思い出します、その人は朝 会うと必ず笑顔で「ハイタッチ」をする人がいました。そうするとその周りの雰囲気が和んで、みんなで今日も一緒に頑張ろうという雰囲気を作り出す不思議なひとでした。

「立つ」こと

「立つ」こと
 
誰でも立つことができますが、ほとんどの人は正しく立っていないことがおおいです。
歩くことも同じように、上手に歩けている人は、少ないようです。それは、当然で、上手に立つことができて、始めて歩くことができるからです。
 
日常生活で、上手に歩いている、上手に立つことができるると、突然聞かれるとほとんどの人は戸惑ってしまうでしょう。それは、今の時点で立つことや歩くことに困っていないからです。
しかし、足を怪我をしたりとげが刺さったりするとすぐにその時点から、立つことや歩くことに困ってしまいます。靴の中に砂が入っても、歩きにくくなります。すなならその時点で砂を取り出せばいいですが、怪我などをするとそれが直るまで、その怪我による歩きにくさを補う歩き方をしなくてはなりません。そして時たま、その補った歩き方が癖になってしまうこともあります。
 
足はちょっとしたことでも、それほど影響を受けるものですから、本当はもっと気を使い大切にしないといけないものなのです。
 
スポーツをするのに、以前は筋肉を鍛えて力を付けることに注目されていました。またジョギングやウオーキングをする人も、距離や早さを気にしてする人がいます。
しかし、筋肉の力を付けることだけをすると、その鍛えている筋肉だけが強くなり、全体のバランスが崩れてしまいます。よくスポーツ選手が肩を痛めたり、膝や肘を痛めて故障して、しばらくそのスポーツの中断をよぎなくされることがあります。
この故障は、立つ、歩くなどの基本的な動きが悪くても、身体を鍛えて筋力を付けていると、その動きのまずさを筋肉が補ってしまいます。それは、つまり身体のどこかに無理をさせていることだと思います。そして、怪我や故障や、技能の向上に行き止まりになることがあります。
 
それでは、負担をかけなく緩く楽くにしたらよいかと言うとそうでないです。人の身体は使い動かさないとどんどんと衰えていきます。
楽な姿勢や動きは、身体の使わない部分があったり、使いすぎたりするところがあます。本当のところは、身体に変な負担をかけているのです。
  
それではどの様なことをしたらよいのでしょうか。
私は最近太極拳を習っていますが、ゆっくりとした動きなので身体の動きを感じながら、稽古をするようにしています。その上普段の日常生活では使う事がない筋肉を動かす動作をします。そして太極拳はそれぞれ左右対の動きがあり、片方だけを動かして鍛えてしまう事はないです。この両方をバランスよく動かすことを意識するのが大切なのでしょう。ただ意識しすぎて力を入れすぎないようにもしないといけないです。

 

呼吸術

呼吸術
 
精神と身体の二つの相反して見える、精神と身体のことについて、非常に関心が高まってきています。そしてこの二つの世界は、別々に独立しているものではなく、どこかで繋がっていると思えます。
そしてその二つを繋げるのに、重要な役割を果たすのが、呼吸ではないかと思えるのです。
二つの世界を繋げようと、呼吸に気を配ろうとして、単に大きくとか、深くとか、ゆっくりとかするだけでは、うまくいかず何かが足りないです。

精神と身体とを繋ぐと考えるのであれば、ただ安易に先にあげたように呼吸をすればいいのでなく、もっと繊細な意識を持つべきです。
現代のこの競争が激しく忙しい社会で、忙しい余り鬱病になったり、過労死をしたり、曳いては自殺にいたったいして、社会問題となっています。今の世の幸福度を何に置くかはここでは別として、応急的対処療法的かもしれませんが、追い詰められた時の逃げ道として、とりあえず呼吸について見つめて見ることを薦めます。
人はその時々の周囲の状況によって、感情に変化が起こり呼吸が変わってくるものです。
一言に感情と言っても、その人その人違うもので、いろいろな感情があり、感情の数はそれこそ無数にあります。それと同じように、感情に左右される呼吸の仕方も様々な数あることになります。
それを考えれば、私がこのブログでいくつか呼吸のことを書いてきたのも、いい加減で滑稽なものと反省しています。
 
腹式呼吸で口を閉じて、ユックリト息を長く吐いてと、
頭で考えて呼吸をしても、をの時の気持ちに引っ張られしまうことがる。
それなら、逆に何らかの気持ちを意図的に定めて、呼吸をすることにより、自分の精神と身体の結びつきを、より強固なものにしていくことができるかもしれないと思います。

中国の気功に、吐納の術にもとずいた、五禽戯と言うのがあります。吐納は吐故納新のことで、深呼吸のことです。その中で五禽戯は、虎鹿熊猿鳥の動きの特徴を取り入れ、臓腑や経絡、気血を結びつけたものです。
人間は哺乳類であり、虎や熊などが獲物を獲得するために、野山を駆け巡り、猿や鹿がその日の糧を得るために野山を歩き巡り、虎や熊から身を護るために野山を駆け巡ります。しかし、人間は農耕をにより備蓄をするようになり、野生動物のように、身体を動かさなくなりました。そして、科学技術が発展したこんにち、ますます動かなくなりました。しかし、本来の動物としての身体を動かさないことによって、様々な病気をするようになりまし。そこで、太古の動物としての身体感覚としての身体と感性を取り戻そうとして、考えられ作られたのが五禽戯でないでしょうか。
現代人は忙しいからといって、徹夜をしたり食事が不規則になったりして、身体を酷使して、自分が疲れているのも分からなくなるぐらい、身体感覚が鈍ってきています。だからこそ、人が生きるために一番大切な、呼吸に改めて感じ取ってゆくことが必要でしょう。
 
機会があればこの、五禽戯の呼吸術を学んでみたいと思います。
 

夜明け前の散歩

いつも夜明け頃から散歩しだしていますが、今日は用事があるので、いつもよりかなり早い時間に散歩しました。

早いと言っても、夜明けが一番早い、6月初旬ごろ薄明るくなる、4時10分頃に散歩していますが、それより遅い、4時半ごろです。
しかし、秋分をすぎているので、今頃の夜明けは5時20分頃ですから、一時間以上夜明けの時刻が遅くなっているので、外は真っ暗で星がきれいに煌めいていました。
星空が余りにも綺麗だったので、散歩の途中仰向けになり、満天の星をしばらく仰いでいると、次第に星の数が多く見えるようにかんじました。
ここ数十年というもの星を、このようにゆったり星を見ることがなかったです。
オリオン座やカシオペヤ座 大熊座の北斗七星 双子座はたまた、うっすらと白い塊があったので天の川なのか?、しかし星をよく見ると、ギョシャ座やオリオンの近くにないので雲のようです。自然がまだ豊かな住宅街の郊外とはいえ、このあたりでの天の川を見ることは無理なのかもしれません。
遠くの方は街の灯が見え、東側も西側も地平線のあたりはうっすらと明るいです。夜中の散歩もなかなかいいものなので、これから時々してみようと思います。
 
さて、帰ってから本棚にある恒星図を紐解いて、天の川の位置を調べると、やはりうっすらと白いのは雲だったです。

胸に四誓願を押立てる

 胸に四誓願を押立て、私を除いて工夫すれば外れはない

生附きによりて、即座に智慧の出づる人もあり、退ひて枕をわりて案じ出す人もあり。この本を極めて見るに、生附の高下はあれど、四誓願に押當て、私なく案ずる時、不思議の智慧も出づる也。皆人、物を深く案ずれば、遠き事も案じ出す様に思へども、私を根にして案じ廻らし、皆邪智の働きにて悪事となる事のみ也。愚人の習ひ、私なくなること成りがたし。さりながら、事に臨んで先づ其の事を差置き、胸に四誓願を押立て、私を除きて工夫をいたさば大はづれあるべからず。
葉隠 四

生まれながら天才などと呼ばれ、一を聞いて即座に十の知恵の出る人がいます。しかしその反対に、一歩退いて熟考して案を出す人もいます。この二つの違いを成り立たせている根本も見ると、生まれつきの差はあっても、人がこいねがうことを押し当てて考えてみると、私情などの私の心が無いときは、自分が持っていると思っている力以上の物が出てくる。人は物事を深く考えることにより、今考えている他の考えを見つけ出せるように思いろいろ思い巡らすと、すべてよこしまな知恵が動き巡り、とどのつまり災いとなるだけである。愚かな人はいつも、自分の利益だけを考える心をなくすことは難しい。それでも、事に臨んで先づ其の事を差置き、胸に人として本当にこいねがうことを押立て、自分の利益だけを考える心を除き、いろいろと考えて、よい手段を生み出すことをすれば、必ず上手く行くであろう。
どんな仕事でも、またスポーツや芸術などでも、コツコツと真面目に平たく不器用にでも挑んでいくと、愚公が山を移したようにいつかは、成し遂げられるとおもいます。

弛緩法

弛緩法
  
現代の多くの人は、身体のどこかしこが、凝ってる人が多いようです。そんなときは、身体を弛緩させるのは、よいことだと今まで何回か書いてきました。  
身体の緊張はストレスから来るもので、それから解放されるために、知らないうちに身体を緊張させてしまうのです。そしてその緊張は永く持続てきになると、身体のどこかかしこがを悪くしてしまいます。だからこそ身体を弛めることが大切といえます。それには色々な方法がありますが、その一つを紹介してみます。
  
身体の各部位それも末端から、体幹の中心への弛緩の動きをしていきます。
まず、手のひらを前に向けて軽く広げ指を伸ばします。
次に、力を少しずつ入れて伸展していきます。
そして次に、ジワーッと力を抜いて弛めて、力を抜いているのを感じ取ります。
今度は、親指を包み込むように握ります。
少しずつ力を入れ10秒ほどしっかりと握り込みます。
その後、握っている拳ををゆっくりと広げいき、ジワーッと力を抜いていくのを感じ取ります。
この時の注意点として、力を抜くときは、力を入れた時の倍ほどの時間をかけて弛めていきます。
 
この方法と同じ方法で、拳を作って腕を曲げて肩の高さに上げます。そして、腕と拳を身体に近付けるように力を少しずつ入れていきます。
次に、ゆっくりと腕を下ろしながら力を抜いていきます。
この時も、力を抜くときは、力を入れた時の倍ほどの時間をかけてします。
 
次に同じように拳を作って肩の高さに上げ、左右の肩胛骨を近付けるようにします。この時の注意点として、肘がから近付けてしまい肩胛骨が回転しないようにします。これも先のと同じように力の入れ抜きをします。
 
さらに、手を下げ腕を垂らしてて、肩の上げ下ろしを、同じようにします。
 
 
これと同じようなことを下肢でもおこないます。
足の指をグッパをします。足首をの曲げ伸ばしをし、膝の曲げ伸ばしをます。
 
 
次は首です、顔を左右に向ける。肩が下げたまま耳を肩に近付ける。顎を上げ下げをする。
 
どれも少しキツいが痛気持ちいいような感じになるぐらいでします。
 
顔の表情筋の柔軟性をつけると、顔から老けるのも防げるでしょう。口をすぼめてシワクチャにします。唇を閉じて頬を膨らませる、唇を閉じたまま口の中の空気を前にやり口を膨らませる。次に笑顔をつくって顔の筋肉をゆるめます。
 
身体を弛めるための弛緩体操ですが、簡単な体操ですがこの弛めることを一人でするのは、結構たいへんです。自分でどこの身体の部分を弛めるのか、力を入れるのかがわかり難いからです。
 
そこで、二人になって身体の弛める部分に軽く手を当ててもらうだけで、その部位がわかりやすくなります。さらに、手を当てる方が、弛めようとしている人の動きが、掌に伝わってくるようになると、手を当てる人が少し援助して上げると、身体を弛めようとする人はさらに弛めることができるようになってきます。この時、手を当てている人は声をかけるとさらに効果的になってくるでしょう。
 
このような弛緩をするのに、一人でするのを、セルフ・リラクセーション、二人でするのをペア・リラクセーションという言い方があるそうです。
ほかに、ヨーガや太極拳などにも、二人でするものが、あるようです。これらも一人でするより身体のどこをどの様に動かすか判り、初心者が一人でするときよりも、自分の身体を感じやすく判りやすいでしょう。
   
   
夫婦ですると、互いのコミュニケーションがとれるでしょう。そうすると仲の悪い夫婦もひょっとしてよくなるかもしれません。
  
しかし、残念ながら私のように相手に触れるだけで、嫌がられてしまう人は、一人でするしかないですし先が暗いかもしれません。

砂をかむ

砂をかむ
  
噛むではなく、攫(掴)む。足の指で地面を攫(掴)むです。
 
私は、特別支援学校で仕事をしていた頃に、体の動かし方が苦手な生徒に椅子に座らして、床の上に広げて置いたタオルを、足の指でたぐり寄せる訓練をさせたことがあります。また、同じように椅子に座らせて、マジックインキをつかみ取る、鉛筆をつかみ取る訓練をさせてことがあります。
なぜこの訓練をしたかというと、立っているとすぐ疲れる、まっすぐに立つことが苦手な生徒に、足裏の土踏まずの形成を促すために指導をしました。タオルをたぐり寄せる、ものを足の指でつかむには、足の指を曲げなければなりません。それにより足の三つの拱肋(アーチ)が形成され、踏ん張る力が強くなるからです。
もともと、日本人は昔草鞋や草履、下駄を使っていました。草履や下駄には鼻緒がついていて、足の指ではさんでつかむようにして歩いていました。
しかし、現代は靴を履くようになって、足の指で地をつかんで歩くことをしなくなってしまいました。
 
先に書いた、相撲の力士の立ち姿はどっしりしています。それは、足の指でしっかりと地をつかんでいるからです。
最近の若人の立ったときの足を調べたら、小指が浮いて入る人が多い結果がでたそうです。これでは安定してたつことができないです、だから立っていると疲れてすぐにしゃがみ込んでしまう若者が多いのでしょうか。
相撲を練習するときの言葉で「砂をかむ」と言う言葉があります。「砂をかむ」と聞くと「口で砂を噛む」と思ってしまいますが、こちらは無味乾燥で味気ないことです。
ここで紹介しているのは「足で砂を攫(掴)む」ことで、まったく違うことをさしています。
 
以前「抜き足差し足」の話しをしました。普段私たちが歩くとき、大概は地面を後ろ足で蹴って歩いています。これを差し出した足に体重を移動させ、後ろ足を抜くようにして歩く。前に差し出した足はしっかりと地面に着けて掴まないといけないです。地面を靴の中ですが地面を掴むように足の指に力が入って、足の小指にも体重がかかるようになります。この「抜き足差し足」を練習すると安定した歩き方になり、歳をとってからの転倒防止にもなるというより、足腰の弱まるのを防止してくれるでしょう。
 
一番はじめに書いた体の動かし方が苦手な生徒に椅子に座ってと書きましたが、その後の訓練もあります。立ち姿が安定してドッシリトしてきたら、次は立ってタオルを引き寄せたり鉛筆をつかんだりします。はじめは机や壁に手を添えて、それが安定してきたら支えなしで挑みます。
こうすることより地をつかむことができるようになり、立ち方もよくなってきます。
 
それもできたら、次は片足で立つ練習をします。これも初めは事故防止のため、机や壁に手を添えてします。
片足で安定して立てるようになれば、膝を伸ばして足の踵から蹴り出すように脚をあげます。
 
これらを毎日少しでもしていると、だんだんと背筋も伸びて足腰も強くなってくるでしょう。
 

「テラノ式手ぬぐい体操」

 
手拭運動法について書いたので、手拭いと体操について調べてみると、「テラノ式手ぬぐい体操」と言うのがWebページで紹介されていました

これは、日本に古来から様々な用途に使われてきた”手ぬぐいを”使ったボディワークだと言っています。そして手ぬぐいを使って様々なストレッチや動きを通して、日頃あまり使わない体の色々なところを動かすそうです。
普段意識していないで知らず知らずのうちに緊張させて、体のどこかを緊張させてしまっています。私は背がそり気味なので、腰の後ろ側の腰腸肋筋や腰多裂筋などが緊張気味のようです。この「テラノ式手ぬぐい体操」はそれらの部位の力の抜き方を発見していき、体を弛めるものだそうです。

私が動作訓練の学習を指導するときも「頑張りすぎるな」「力を抜いて」などを言ってきました。そしてそのとき力を抜く体の部位に軽く手を当てこの部分の力を抜くのだよと伝えて教えていきました。
そして、訓練を受ける側はそれを自分で感じ取って自分で力を抜き身体を動かすことを自ら学ぶよう手助けしていきました。
何か、この「テラノ式手ぬぐい体操」は、力を抜くことについて結局は同じようなことを言っているように思いました。
 
最近スポーツ練習でもガムシャラに頑張ってするのではなく、自分の身体の使い方特に、力を抜くときの柔軟さを重視して練習することが多いようで、此もそれと同じようなことと言えるようです。
最後にこの「テラノ式手ぬぐい対す」で大切なポイントとして次のことを言っていました。「脱力すること」 「感じること」「頑張らないこと」「ゆっくりやること」 「息を止めないこと」 「楽しむこと」このこと]は、身体の動かし方を学ぶ時に一番大切なことですね。

便秘体操

便秘体操
先日「ウンコヨクショクヨウ」のことを書きましたが、便秘に悩まされている方もおられるでしょう。そこで、便秘マッサージについてのお話です。
  
私が勤めていた特別支援学校でおこなった、便秘対策のマッサージです。
小学部一年生のお子さんなどは、この便秘マッサジを学校で一回、家でも一回するのを毎日つづけていると、生まれて初めて自分で排便された方もいます。
また、このマッサージは工夫しだいで、一人でもできるのでるうえ、大人にも大いに効果があると聞くので紹介してみます。
  
●まず始めに注意点です。
・食後30分以内は行わない。
・一日一ー二回 15分程度で行う。
・特定の部位にこだわらないで、まんべんなく、ゆっくりと時間をかけて行う。
●他の注意点
・腹筋を強くして腹圧を高める。
・繊維質の食べ物をとる。
・規則正しい生活。
・水分補給をしっかする。
 水分補給は便秘だけでなく、体温調節にも役立ちます。
・朝食を余裕を持ってしっかりと食べ、排便の時間を確保する。
  
●便秘マッサージ
・「の」の字マッサージ
子どもを仰臥位に寝かせる。お臍を中心に掌で、のの字を描く。軽く押さえながら五回ぐらい繰り返す。蠕動運動を促す
<腸に残っている大便を肛門へ送るような気持ちでおこなう>
  
・3点崩し
同じく仰臥位に寝かせ、三つのツボを順番に押していきます。天枢と大巨を押します。
天枢は、お臍の両脇指二本分ほどの辺り。大巨は、お臍の両脇指三本分から下、指三本分横の辺り。
天枢の右側から左側、次に大巨の左側を順番に指で押していきます。五回ぐらい繰り返します。
<溜まった便を崩すような気持ちでおこなう>
  
・押し回し
仰臥位で、下肢を曲げ、膝を術者が抱え込むように座ります。お臍を中心に左右の手を重ねる。この時両手の親指の間から、お臍が見えるように掌を置く。掌が少し浮かせるようにして、下左右とローリングさせて力を加える点を移動させる。
<重ねた両手が円を描くようにし、力が移動していくところに同じ圧が加わるようにする>
  
・波
足をのばし仰臥位で、子どもの左横に座る。両手を開いて両親指で左から右に押すように移動させる。右端まで行くと、他の指で右から左へと引き戻す。これを五回繰り返し、上腹部から下腹部へ移動してゆく。
<力を入れ過ぎないように注意する>
  
・なで下ろし
同じく仰臥位で子どもの左側に座る。左掌で左側の上腹部から下腹部に向けてなで下ろす。次に右掌で右側の上腹部から下腹部に向けて同様になで下ろす。これを五回繰り返す。
<あまり力を入れ過ぎないようにする、特に上腹部は注意する>
  
・パッチン
仰臥位で子どもの左側に座る、両手で子どもの体をはさむように腰に手をまわし、脊柱の両横に四本の指をあて、少し体を持ち上げるようにして、そのまま両手を腹部の方にはさみながら滑るように移動させる。両掌が合わさって音が鳴るようにする。これを五回繰り返す。
  
・「の」の字マッサージ
一番始めのマッサージを繰り返す。
  
けっして強く圧したり、無理に押したれはしないこと。
異常があればすぐに中断する。医師に相談することが大切です。

ウンコヨクショクヨウ

気功家の長谷川浄潤氏が「東洋医学セルフカア365日」(ちくま文庫)で面白ことを言っています。
「運動」「呼吸」「入浴」「食事」「様々な生活」この言葉の一文字をとって、「運呼浴食様」これを音で「ウンコヨクショクヨウ(うんこよくしよう)」と言うキャッチフレーズです。生活のリズムをただしゆったりとして健康でいようというものです。
 
・適度な運動
・正しい呼吸
・ゆったりとした入浴
・本当に身体が欲する食欲と食事
・単調な変わり映えしない生活より充実した日々の生活
 
これらのことを実践すると、規則正しい生活習慣になり、それが快便につながります。そして、快便が健康につながり、健康がな生活が楽しい毎日につながります。この「ウンコヨクショクヨウ(うんこよくしよう)」おもしろいので気に入りました。
 
このような生活をしていれば、毎日の排便も気持ちよくなり、身体の中の悪い毒素も外に追い出すことができるでしょう。
しかし、一言に言うのは簡単ですが、忙しい現代の最前線で働いている、世代の方にはなかなか出来ないことです。
 
だけど、できないと始めからあきらめて、忙しい日々に追いかけまくられるのではなく、忙しいなかでも常にそうありたいと心がける気持ちを持が大切でしょう。疎かな時間をみつけて、それらを意識し行動に移せるよう心がけて、毎日を過ごすことが「ウンコヨクショクヨウ」につながり、心身とも健康な生活につながるのだと思います。

手拭運動法 その2

手拭運動法 その2
 
やっぱり私より先にこのyahooのブログで、紹介されておられる方がいました。
 
 

手拭に描かれている、ポーズを繋げて動く絵にしたものがありました。
http://sobanoyokozuki.com/tenugui/japan.html
少しは参考になるでしょうか。
 
それと、かまわぬの手拭会社のWebページを調べたのですが、今は販売されていないみたいです。

健康の役に立てばと思うと、品切れで売り切れになっているのが残念です。
 

手拭運動法

私の手ぬぐいコレクションのなかに、「株式会社かまわぬ」http://www.kamawanu.co.jp/が作った手拭いに、かまわぬ手拭い運動法というのがあります。
  
    

  -- 2012-09-04に追加  --
    この運動の仕方を駒順に書いてみました。
     ここでは、繰り返しを3回にしましたが、4、5回でもよいと思います。
  イ-1  イ-1  イ-1     イ-2  イ-2  イ-2 右脚を イ-2  イ-2  イ-2 
  イ-3  イ-3  イ-3 右脚 イ-3  イ-3  イ-3 
  ロ-1  ロ-1  ロ-1     ロ-2  ロ-2  ロ-2  
  ロ-3  ロ-3  ロ-3 逆に ロ-3  ロ-3  ロ-3  
  ロ-4  ロ-4  ロ-4     ロ-5  ロ-5  ロ-5  
  ハ-1  ハ-1  ハ-1 左向 ハ-1  ハ-1  ハ-1  
  ニ-1  ニ-1  ニ-1  逆向 ニ-1  ニ-1  ニ-1  
  ニ-2  ニ-2  ニ-2  逆に ニ-2  ニ-2  ニ-2  
  () ニ-3 ( ) ニ ニ () ニ-3 ( ) ニ ニ () ニ-3 ( )   
  --  
 
手拭いに付いていた能書きには、「明治三十五年、ドイツ・ベルリン発行の週刊誌「DIE WOCHE」にH・ローミュラー氏の「大巾ハンカチ運動法」が掲載されました。翌年、日本ではこれを修補した形で森川克巳氏編著「手拭運動法」という小冊子が出版されました。「かまわぬ」では、この九十年前の運動法が、今日でも役立つものであったら、どんなに楽しいことかと胸を踊らせ、スタッフ一同で実験をし、また専門家の方にも試してもらったうえで、「かまわぬ手拭運動法」をみなさまに紹介することになりました。」とあります。
  
この手拭運動法の要諦としてと特に次のことが書かれています。
「特に、<二>の深呼吸についての注意は大切です。この運動は、体の内部に力を蓄積した状態で、終わります。  ・・・中略・・・、深呼吸をきちんとして、体をほぐすような気持ちでしないと緊張ばかりで弛緩のないものとなってしまします。運動そのものの緊張と、深呼吸の弛緩とのバランスをとり、からだとこころの安定をはかってください。」
このように手拭いについている能書きに書かれています。
 
この弛緩であるゆるめることが、どのような運動でも大切です。頑張って力を入れるばかりだと、それは制御できなくなり上手く体を動かせないばかりか、筋肉が疲れてしまって傷ついてしまいます。その上、精神面でもゆとりがなくなり、体の動きもぎこちなくなるので、ここに書かれていることは、この手拭運動法に限らず他の事にも当てはまるでしょう。
  
手拭いには、それぞれの動作の決め手描かれていますが、この能書きにはそれぞれの所作の動きや注意点などが細かく書かれています。
面白そうなのでここにその手拭いの写真を紹介してみました。

バリア・アリ

バリア・アリとは
 
数日前のNHKのニュース番組で、高齢者のあるデイサービスの施設で、バリアフリーにするのではなく、あえて、階段や段差をがあったり、食事は自分で食べ物を皿に盛るようになっていて、自分で出来ることは自分でする運営方針ができてきているそうです。

特別支援学校や、障碍者授産施設・小規模作業所などでは、生徒や利用者の方の自立や就労支援・訓練のため、出来ることは自分でするのが一般的です。しかし高齢者のリハビリなどを兼ねた、デイサービスではそのような取り組みが今までなされていてよいはずですが、安全面などのりゆうから、支援・介護を提供するのが普通だったようで、全国からも注目されているようです。
 
特別支援学校では、自立活動の個別の教育計画が立てられて、障碍と向き合って生活できるように指導されていますが、このデイサービスでの取り組みも参考になると思います。また、逆にデイサービスの施設側としても、特別支援学校の個別の指導計画の取り組みも参考になるでしょう。

抜き足 差し足

抜き足 差し足 
 
オリンピックもようやく終わります。今回はメダル数も過去最多で、寝不足になった人も多いのではないでしょうか。
 
オリンピックのテレビを見ていていると、陸上のハードルをしていました。それを見ていて面白いことに気がつきました。
ハードルでは、足で地を蹴った脚と、ハードルのバーを抜く脚が同じだということです。走るとことは、右脚をあげて左足で地面をけり、この時両足は宙に浮いて遊脚します。ハードルは走ることの延長ですから、当然なのですが何故か感心してしまいました。

「抜き足」と言えば、「抜き足差し足忍び足」と言う言葉があります。これは歩き方について言った言葉で、音を立てないようにそっと足を抜き上げ、足をつま先からそっとおろして進む歩き方と言われています。
歩く場合は抜く脚と差す脚は違います。この場合しっかりと地面に付けてバランスをとることにより、音を立てないで歩くことができるのです。
 
以前にも歩くときの、脚の運び方について以前にも書いたが、もういちど考えてみる。
多くのリハビリや運動についての本には、歩行周期として立脚期と遊脚期があり、その中で踵接地 足底接地 立脚中期 踵離地 爪先離地 加速器 遊脚中期 減速期として説明されている。
そしてこれらは、歩いている途中の一コマを切り取って分析したものです。
 
これとは別な視点から歩くことについて見てみることにする。両足を揃えてとまっているところから、どのように脚を運び身体を動かしているかを見てみました。
身体を前に進めるために、片方の脚に体重を移動して、足で地面を後に蹴って、身体を前に進める推進力をつけます。
次にもう一方の脚が前にでてきて、遊脚の膝が伸びています。
両脚だけでなく同時に、腰も腕も動かして推進力として使います。
そして、遊脚側の足は踵から接地する、これにより中足骨間接に負担がかかります。
このような歩き方でなく、違う歩き方があります。
接地した足で身体を支え、身体を前に進めて移動することにより一方の脚を引き寄せて、そのもう一方の脚を前に出す方法です。
この方法は、摺り足ともよばれています。
前方に踏み出している脚が推進力になります。このため大腰筋を使うことになります。そして、どの歩行相においても膝は伸展しないです。また、最低限の部位しか動かさない静的な歩容になり、身体を動かして推進力にしないよって身体が捻じられないです。
踏み出した方の脚が推進力になるので、歩幅は小さく小股になるります。

この二つの歩き方の違いを、足裏で見ると大きな違いがあるように思います。
先の歩きかたでは、踵から地に着き、爪先まで踏みしめられるや否や、足は地面からはなれてしまいます。
しかし、後の歩き方では、地に着いた足でしっかりと踏みしめて、体重を脚に乗せないと次の動作に移ることはできないです。そして着地した足の働きは、足裏の三つのアーチに最後まで体重がかかるように歩きます。そして左右の膝を上手く抜いて前方に送りだすので、膝は常に屈曲しているのでっす。
 
もう一つ二つの歩き方の中で大きく違うのは、身体が左右に揺れないで、丹田とされる腰椎の3番目4番目あたりに意識を据える歩き方です。能の仕舞での脚の運び方は、摺り足で左右に揺れないようにします。剣道での稽古に摺り足があり、身体を揺らさないようにします。これは身体の姿勢を上手に制御しないとできません。上手に制御するには身体に意識を持って行かないといけないです。
 
最後に高齢になり身体が弱くなったきた人の摺り足は、これとは違います足があがらなくなり、身体のバランスを取りづらくなり、歩くときの重心移動をするのに、身体を大きく揺らしてその反動で歩こうとして転倒したりしてするので別のものです。

歩くということ

いま、散歩から帰ってきました、そして歩して思ったことがあります。
 
歩くとはどのようなことかと考えながら歩きました。
歩くとは自分の身体を前に進めることですが、それをどのようにしているのか、地面から離れて宙を浮いている遊脚足を前に出しているのか、それも地に接地している足で地を蹴って、身体を前に置しだしているのか。どちらが、理にかなった歩き方で、綺麗な歩き方だろうか。
 
日本の舞踊や能などでは、摺り足で身体を前に運ぶ。
前額面から見て、左右の肩や腰や膝などの各々が水平になるように立つ。
頭の百会少し前にある前頂から、地面までの体軸感覚を持ち、身体の重心である丹田を感じ、百会から吊り下げられているような感覚で、それぞれ両足裏の踵と親指側と小指側で立っているのを意識します。
そして、足を前に出す感覚ではなく、股関節が僅かに屈曲する感覚で脚を動かし、足首を僅かに背屈させ爪先をあげ、爪先をさげ足裏でしっかりと踏みしめているのを感じます。左右でこの動きを行い、身体を前に運んで行きます。
 
太極拳の歩行で身体の運び方に、野馬分鬣や楼膝拗歩がありますが、こちらも同じような姿勢で立ち、足を前に出しますが、身体を少し右に左に向ける動作が入り、摺り足であなく、足を少し浮かし踵から着地させます。
順番に書いてみると以下のようになります。
体を右に少し回し、右足に身体の重心を移し、左足を右足の内側に引き寄せ、爪先は下に向け、体を左に回しながら左足を東に向けて踏み出し、踵から着地して重心は右足に残し、体を左に回し前を向き、左足を踏みしめながら重心を左に移し、右膝を自然に伸ばして右踵を外側に膝を伸展させ右弓歩とする。この動きを左右で行い、身体を前に運んで行きます。
 
この二つ歩の進め方の時、身体のどの部分の筋肉を使っているのか、また身体の軸をどのように意識しているのでしょうか。

大腰筋を使って大腿を動かして、股関節を意識して、身体がぶれないように動かしているように感じています。
もう少し、細かいところを自分の身体を通して考え感じてみます、また他人の歩き方を見ていると様々でしが、これらも詳しみ観察して考えてみます。

弓術と体のブレ

弓術と体のブレ
 
明治時代に日本文化をドイツ人に紹介した人に、オイゲン・ヘリゲルという人がいます。
オイゲン・ヘリゲルは日本文化を知るために、弓術をまなんでいたが、弓を引くとき力ばかり入って、的になかなか中てることができなかった。そして先生である阿波研造師範に、中てると思うからいけないと言われるが、それがなかなか理解できなかった。ヘリゲルは日本滞在も残り少なくなり、日本の弓術を修得するのに焦り、阿波研造師範についに、どうすれば中るようになるかを聞いてしまった。
 
そのときの様子をヘリゲルは「日本の弓術」に次のように書いている。
「九時ごろ私は先生の家え伺った。私は先生のところへ通された。先生は私を招じて腰かけさせたまま、顧みなかった。しばらくしてから先生は立ちあがり、ついて来るように目配せした。私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い一本の香取線香に火をともして、それを    あずち  の中ほどにある的の前の砂に立てた。それから私たちは射る場所へ来た。先生は光をまともに受けて立っているので、まばゆいほど明るく見える。しかし的はまっ暗なところにあり、香取線香の微かに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのあかりが分からないくらいである。先生は先刻から一語も発せずに、自分の弓と二本の矢を執った。第一の矢が射られた。発止という音で、命中したことが分かった。第二の矢も音を立てて打ち込まれた。先生は私を促して、射られた二本の矢をあらためさせた。第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈に中ってそれを二つに割いていた。やがて次のように言われた。ーー「私はこの道場で三十年も稽古していて暗い時でも的がどの辺りにあるかは分かっているはずだから、一本目の矢が的のまん中に中ったのはそほど見事な出来ばえでもないと、あなたは考えられるであろう。それだけならばいかにももっともかもしれない。しかし二本目の矢はどうみられるか。これは私から出たのでもなければ、私が中てたのでもない。そこで、こんな暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずには中てられぬと言い張られるか。まあ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持ちになろうではありませんか」ーー
それ以来、私は疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりとあきらめた。・・・・・」
 
私はこの本を読んで、暗い中で的の命中させること、また日本目の矢を一本目の矢の筈を裂いているのを、日本の武術の神業的なものと考えたりしたが。それをどのように考えてよいかと思い続けていました。最近次のようなことではないかと考えるようになった。
 
日本の弓を習い始めるとまず、矢を射るのに腕に力を入れないように指導されるそうです。日本の弓の弦は強く張られているのに、腕には力を入れずに弓を引くように要求されるのです。このことはヘルゲルの「日本の弓術」にも書かれている、ヘルゲルは師範が弓を引いているときに腕を触らしてもらったとき、力が入っておらず柔らかかったと書いている。日本の弓術は弓を上に掲げて真っ直ぐ下に降ろして弦が引かれてくる。腕の筋肉の上腕二頭筋を使うより、肩胛骨を寄せる大小の菱形筋などを使うのでしょう。
そして、二本目の矢が一本目の矢の筈を裂いたのは、一本目と二本目の矢を射るとき、体の軸が保たれ姿勢にぶれをつくらずに、二本目の矢を射るからではないでしょうか。

日本の弓を詳しくしらないので間違っているかもしれませんが、的を中てると考えてはいけないと言うのは、目先の的に中てるということより、自分自身の体を意識し、体の軸がぶれないようにすることを言っている考えます。中てようと考えると身体は、無意識にぶれたり腕に力が入たりして、弓先が動いてしまうのものです。それを防ぐことが、オイゲン・ヘリゲルが悩み迷った「的を狙わず射て中てる」は、中てることを考えないで「不動の中心」と言う弓道でよく使われる言葉を見つけることなのでしょう。
 
軸を保つことの大切さは、一流のスポーツ選手を見ていても判ります。野球で投手のピッチングをみると、調子のいいときは体の軸がぶれずに腕が降り降ろされている。サッカーでも遠くの味方にパスをするとき、正確にされるときほど体のぶれがないようです。ハンマー投げや砲丸投げ、槍投げなどをみても、同じように身体の軸がぶれていないです。しかし、練習などを積み重ねていないと、それができないで力ばかり入ってしまうのです。しかも素人の私たちは力を出すときには、筋肉を緊張させて力を入れないと、力が出ないと思ってしまいます。重い荷物を両手で持ち上げるとき、荷物を上に引き上げるように身体を使うと、ぎっくり腰になったりします。それより腰に力を据えて両足を踏ん張って持ち上げると、思ったより力を入れないでも持ち上げられます。人の身体は重い物を持ち上げたり動かしたりするとき、力を出すために力を入れようとすると、その多くは力は外に向かっているのではなく、自分の方に向いて内に溜まってしまう、簡単な言葉で言うと、気張ってしまっていわゆる力んでしまう状態になってしまいます。
スポーツなどを指導されているとき、力むな力を入れすぎるなと指摘されることがあります。これは、自分では外に向かって力を入れているつもりでも、傍から見ていると力が内ちに向いていて、外に伝わっていない状態がわかるほどのときです。
 
日本の弓術に限らず弓は、戦いに使う道具が発展したものだです。その技を研くために日本では、弓馬の鍛錬として流鏑馬や笠懸などが行われ、単に戦いの道具としてではなく、精神の鍛錬にもなってきました。そして織田信長が長篠の戦いで鉄砲を使ったあたりから、武器としての弓は鉄砲へと変わっていき、弓は精神の鍛錬修養の一つとしての弓術となり、武士の嗜みになりました。このことは、江戸時代の平和な世界では武器は必要性がなくなり、ますますその傾向は高められていったようです。そして他の、武術は柔道などのようにスポーツとして発展していくのですが、弓道はそのような方向には進まず、精神鍛錬としての弓術弓道となっていきます。

なぜそのような方向に進んだかはよく判りませんがその一つに、日本の弓と他の弓と大きな違いがによるのかもしれません。アーチェリーなど他の弓はみな矢を弓の中央で番えますが、日本の弓は長弓といって矢を番えるのは、矢の下3分の1の所を持って番えます。そのため他の弓より射方が難しいため、自然に射るとき身体を意識する方に向きます。日本の武士道の精神と関係があるでしょうが、日本の弓は昔から精神の鍛練として発展していったのはその長弓だったからでないかと思いました。

笑う門には、健康きたる

先週「十大習慣健康法」を紹介しましたが、そこで、笑うということについて考えてみました。
 
諺に「笑う門には福来たる」というのがあります。
怒ったり、悩んだりすると、脳に活性酸素増え、神経細胞に悪い影響を与えます。しかし、逆に笑いは脳や神経にほどよい刺激を与えるといわれています。笑うことにより呼吸が促進され、脳への血流が増えスムーズになり、脳に新鮮な酸素や栄養素が行き渡り、脳細胞が活性化され、免疫力が向上されるとも言われています。
そして気持ちも活性化され、考え方もボジティブになり脳も活性化され、健康にも好影響を与えます。 
 
人の顔の筋肉を表情筋といい、左右併せて30以上の筋肉があります。常に苦虫を噛んだような顔をしていると、その筋肉が強ばってしまい、弾力性がなくなり皺などになってしまいます。
笑顔には、愛想笑いや作り笑いなど心底笑っていないものもありますが、笑い顔をしていると気持ちも楽になんり、笑っている気持ちになってくるものです。

しかも笑顔は相手に、「歓迎している」「敵意を持っていない」などの気持ちを伝えることにもなります。それだけでなく「安心」「承認」「感謝」「安らぎ」などの意味もつたえます。これらの感情を伝えることは、人間関係を取り持ってくれるものです。
 
脳の活性化と人間関係を高めるために笑顔を作ることは重要なことだとおもいます。
うまく行かないで気分が落ち込んでいる時、普段あまりこころよく思っていない人に会わないといけない時、その様な人と共同の仕事をしないといけない時、そういうときこそ時々鏡に向かって、ニッコリ笑うとだんだんと楽しい気分になってきます。

直立二足歩行 3

直立二足歩行と健康について考えてみました。
 
動物は人間のように病気をするのだろうか、家畜や動物園の動物は別として、野生動物が風邪などの病気になったとはあまり聞かないです。人間はこの地球の生物界のなかで、頂点に立っているといわれているが、はたして本当に頂点なのだろうか。自然界の営みの変化を感じ、それに応じた行動ができるのは、人間より自然の中に生息してる、動物たちの方がはるかに高いのではないだろうか。
 
そこで人と他の脊椎動物の違いは何だろうかと考えてみました。
・直立二足歩行
・衣類を纏う
・家に住む
・食物に火を通す
・明かりを灯す
・国家などの組織的集団を作る
・生存競争をする
・文化生活を営む
大ざっぱに考えてみると、だいたいこんなところだろうか。
 
ここで一番最初に書いた、直立二足歩行によって、脳の発達を遂げたが、脊柱に地球の重力を受けることになり、様々な負担をかけることになった。それにより人は動物にない病気に苦しむようになった。今まで四足で負担を分担していたのが、二足になり足の故障や腰の故障を起こし、その故障による負担をやわらげるために、脊柱に歪みが生まれてくる。脊柱には多くの神経が通っているので、神経に狂いが生まれ内蔵にも影響がでてくる。
そして微熱や悪寒の原因を作りだし、血流も悪くなり他の臓器にも障害がでてくる。
それにより、身体が弱くなり寒さ暑さを防ぐため、衣類が必要になりる。身体が弱くなると消化も良くないので、食べ物に火を通さないと食べれなくなってしまう。
 
身体の能力が落ち、いろいろな感覚が落ちてくる、それにより代替するものを考えだし、文化文明をつくっていった。
しかし、その文化文明がより本来持っている能力を使わないですむので、使わないでいると落としてしまう、これは廃用障害の一つと言えるでしょうが、人類は原始の時一つの細胞が生まれ、それが次第にしんかし、無脊椎生物か脊椎動物に進化し、哺乳類となり霊長類へと進化していきました。
それが、直立二足歩行の術を身につけたときから、生物として退行の道を歩み始めたのでしょうか。
 
 
私は毎日朝歩いていますが、新鮮な空気を肌で感じ、風の流れを感じ、小動物の息吹を感じ、植物の呼吸を感じながら歩くように心がけています。
そして、歩きながらからだの各関節の節々を、痛気持ちいい感触を味わう程に、そこそこ屈曲と伸展をさせながら歩いています。
 
その方法はまだ思いつきのようにしているので、からだの動かし方が自分で消化して動かせて、まとまってきたら紹介していこうと思います。

「十大習慣健康法」と「一十百千万健康法」

戦う106歳の青春・昇地三郎さんの十大習慣健康法です。 
 
「十大習慣健康法」
・笑顔とユーモアを心がける       
・毎朝冷水摩擦と歯茎のマッサージ    
・棒体操で体のバランスと関節を動かす
・新聞を読んで好奇心を磨き脳の若返り  
・祈るり感謝と願い事で人生を前向きに
・語学勉強で脳を鍛えよう
・日記が頭脳の若さを保つ        
・一口30回噛んで腹七分目で頭が冴える
・口八丁手八丁足八丁こまめに動き脳活性 
・硬いマットで上を向いて寝よう
健康法はそれを習慣化して、継続することですね。
 
4月10日、に書いた、一、十、百、千、万、健康法と共通するとろがいくつかありますね。
下に要点だけ再度掲載してみます。
一は読:一日一回は本を読み、己を磨く
十は笑:一日十回大笑いしストレスの発散
百は吸:一日百回深呼吸し身体の活性化
千は字:一日千字を書く、手は第二の脳
万は歩:一日一万歩く、脚は第二の心臓
 
私の生活の比べてみました。
・笑は心がけようとしますが、深刻に考えてしまたりします。
・毎朝冷水摩擦は、早朝の散歩のとき、新鮮な空気をゆったりと吸い吐くようにしています。しかし乾布摩擦をしようと思うだけで実行まで至っていません。
・棒体操は、太極拳を習い始めましたが、通じるところがあるでしょうか。
・新聞や本は、読みますが眠たくなって集中心が途切れてしまうことがあります。
・感謝の気持ちは、持ち続けないといけないですね、反省します。
・語学勉強は、苦手意識が先に立ち、足がすくんでしまいます。
・文字を書く、文を考えることは、パソコンなどで文字を打ちますが、鉛筆や筆を持つことは、久しくしていません。
・一口30回噛むは、早食いの習慣がなかなか抜けないです。
・口八丁手八丁足八丁は、口は八丁とはなかなかいきません、足の方は早朝毎日一時間程歩いています。
・硬いマットで上を向いて寝るは、私の寝床は硬めですが、寝るのは右側臥位になっています。仰臥位だと鼾をかき就寝時無呼吸になるかもしれません。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • これからの世界情勢
    アジシオ次郎 (05/15)
    こんにちは。

    移ろい易い国際情勢、韓国とフランスで大統領が代わり、欧米ではポピュリズムに訴えて支持を伸ばす政党が台頭するなど、予断を許さない状況ではあります
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    竹林泉水 (05/11)
    > 2006年に安倍晋三は「新しい国へ 美しい国へ」という本を書いています。
    これについて、追加です上記のタイトルの本は、2013年に増補として出されたもので、2006年の
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    竹林泉水 (05/11)
    2006年に安倍晋三は「新しい国へ 美しい国へ」という本を書いています。
    それを読んだらわかるのではないかと思います。
    70年前の日本を取り戻したいと思っているようで
  • 安倍総裁のビデオメッセージ
    風と雲 (05/07)
    安倍政権になってから、日本の国をどういう風にしたいのか、何が今の日本で足らないのか、不整備だとしているのかさっぱり分らない。70年間大きな過誤なしに比較的平和に
  • 今村氏の発言より二階氏のマスコミへの苦言
    竹林泉水 (04/29)
    > 自民党・二階幹事長のこの発言は「報道規制」につながりかねないが、自分たちに都合の悪い情報や報道を・・・・
    マスコミがこのことに対して抗議しないのは、すでに
  • 今村氏の発言より二階氏のマスコミへの苦言
    アジシオ次郎 (04/28)
    こんにちは。

    自民党・二階幹事長のこの発言は「報道規制」につながりかねないが、自分たちに都合の悪い情報や報道を抑圧しようとするのは客観性がない以前のもので、
  • 山本大臣の発言
    竹林泉水 (04/22)
    自民党の議席を多数とったことによる驕りと、下野に下った時のトラウマがあり、自分のすることが正しい思いこんでいるのでしょう。

    アメリカ追随が自民党の一部の反動的
  • 山本大臣の発言
    アジシオ次郎 (04/21)
    こんにちは。

    どうも閣僚や若手議員の不祥事が相次いでいる自民党、正直言って自分たちは政権与党だとか一強状態なことから慢心して周りが見えなくなっているんじゃな
  • 社会の管理化が巧みになり監視社会になるのか
    竹林泉水 (04/07)
    愛国者法での通信傍受は、国民は当初、イスラムなどのテロ犯罪者対象と思っていたが、アメリカ国民全員の通信が監視傍受されていたいいます。

    ツイッターやフェースブッ
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