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緩慢なプロセスは必要

緩慢なプロセスは大切なことで必要なのか

現在、日本に限らずあらゆる国で、社会生活の維持のために、さまざまの努力と工夫がされいる。その中でアメリカと日本は欲望の株主資本主義と新自由主義のもとで、即決即断を美徳として、さまざまな施策が押し進められている。
そこには、様々な意見や考えを取り入れ、民主主義の手続きを踏むということが軽視され始めている。法に従ってといいながら、形だけの手続きを踏み、ときには今までの解釈を変更して進められている。
民主主義と全体主義や独裁体制との政治の違いは、何かといえば、民主主義は多様な意見を聞き入れながら、物事を決めていくので、その政治的変化の動きなどがゆるやかでおそいです。そのため、その措置や処置は厳しく行われます。
しかし、全体主義や独裁体制の政治では、トップダウン方式で、上意下達で物事をすましていくので、多様な意見を聞き入れないので、その処置などは、厳しくとわれずその判断は手ぬるく甘いものになりそこには、不正の温床となりやすいです。

いま、中国やロシアなどは、トップダウン式の政治で物事が決められていっている。しかし、世界中の多くの国がそのような政治を見習って、同じような形態をとろうとしている。日本もいまの自民党の安倍政権をみていると、行政は数の力で押し進め、また今までのルールと違うことをするには、解釈を都合のよいように変更してしまう。
そうなればもう法治国家とはいえない。

最近世界の国々でポピュリズムの勢力が広がってきている。彼らは既存の勢力とは違い、今までの立法権を中心にした考えを尊重しないでいる。既存の硬直化した政党がくみ取れない庶民の不満や不安を読みとりそこに訴えかけて、支持をのばしてきている。そこには、既存の人権尊重や、三権の権力の分立の原則を軽視し、情報操作や隠蔽をして公開の原則をも軽視してる。また、自らの主張に批判的な勢力やメディアを攻撃し、言論の自由に気を配ることをしない。これらの多くはまだ小さい勢力だが、それに対して対抗する政治家や政治学は、今までの論調では論破できないでるのも現状です。
これらポピュリズムが勢力をつけ巨大化し、独裁かしてゆけばどのようになるだろうか、今までヨーロッパで培われ築き上げてきた、民主主義はどのような方向に進むだろうか。

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民主主義の危機とは

PHP親書に、マルクス・ガブリエルが日本の読者に向けて、ドイツのボン大学でインタビューされ、大野和基が翻訳した「世界史の針が巻き戻るとき」と言う本がある。
ガブリエルは、「新しい実存論」を示し、世界の見直しの必要性を唱え注目を集めている、若き知の巨人の一人です。

この本の書いているいろいなことに興味を引かれ、考えさせれることが書いてある。その中で、第Ⅳ章 民主主義の危機 の冒頭で次のように述べている。
民主主義について端的に的を得て的確に指摘している。少し長くなるが紹介してみる。
「民主主義における最大の危機とは何かと言えば、民主主義に対する人々の理解が間違っていることです。現在、人々は「民主主義は、自分が信じているものを何でも自由にいえる権利で成り立っている」と思っています。民主主義を、特定の表現の自由と混同しています。しかし、どんなバカげたことでも好きに表現できることと民主主義を同一視してはなりません」。
ここでは、特に表現の自由を例にだしているが、なんでも自由に無責任に言いたいことを言って、他者と争っていくのがよいのではないとのべている。

ここで考えてみると、個と個の衝突について、憲法の改憲論者にはよく、現行憲法は権利ばかり書いて義務は書かれていないと主張するが、「日本国憲法」の第三章[国民の権利及び義務]をよく読めばそうでないことはわかる。

日本国憲法には次のように書かれている。
〔基本的人権〕
第11条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
〔思想及び良心の自由〕
第19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
〔信教の自由〕
第20条信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 2、3項、略
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第21条集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕
第22条何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
〔学問の自由〕
第23条学問の自由は、これを保障する。

このように書かれているが、民主主義にとって一番大切なことは何かが、端的に書かれていると思う。
この、それぞれの箇所に書かれている、「公共の福祉のため」や、「公共の福祉に反しない限り」と書かれている。また、12条では、「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と書かれている。
ここでの「公共の福祉」と「不断の努力」とは何かだが、
「公共の福祉」とは、個人の人権と人権の衝突がおき、自分ばかりの権利を主張してはならない、常に他者の人権をお互いに尊重し寛容でなくてはならないということです。
「不断の努力」とは、一つは、おのおのの国民市民の意識が、基本的人権への意識が疎かになると、個人からまた統治者や権力から、脅かされるので常にそならないように権力への監視を怠ってはならない。一つは、国民市民自体が公共の福祉に反することが無いように常にその意識を怠ってはならないということだ。
表現の自由などの条文に書かれた文言を曲解してはならないもので、公共の福祉のために使い、公共の福祉に反しない限り認められとしていることを忘れてはならない。

自民党の改憲論者が、現行の「日本国憲法」が個人主義を広め、身勝手な人間を多くしたと主張しているが、現行の憲法は決して身勝手な個人主義・利己主義を是としていない。また、国民・人としての、市民としての義務もすべきことは書かれている。それぞれを、自分の都合のよいように解釈してはならないです。
*(自民党は2005年に、憲法改正案を発表し、2012年にも改正案を発表している。その二つを読み比べると、05の改憲案の取りまとめの責任者を勤めた舛添要一は、12年の改憲案を、右か左かというイデオロギーの問題以前に、憲法というものにちて基本的なことを理解していない人々が書いたとしか思えなかった、と述べている。別の機会に現行憲法と自民党の05年案と12年案について考えてみたい。)

ガブリエルは、ドイツの大学システムを例に、個人が身勝手なことをしても、システムが機能していたら、学部長が仲裁して個人の身が手な言い分は通らない、もし身勝手な言い分が通るなら、それは、学部長がうまくとりまとめできなかったとしていき見られると述べている。
学部長がうまくとりまとめができなかったのには大きくわけて二つある。その一つは、学部長にとりまとめの能力に欠けていた。もう一つは、学部長がうまくとりまとめをしなかった。つまり一方の方に有利なとりまとめをした。これでは、うまく民主主義が機能できなくなる。

そしてガブリエルは、民主主義の制度は何かを定義してる。「民主的な制度の機能は、意見の相違に直面したときも暴力沙汰が起きる確率を減らすことです。二人の当事者が異なる意見を持っているとき、民主的機関の機能は、双方の利益のあいだの妥協点を見つけだすことです。・・・中略・・・ 民主的な判事は真実を探すだけではなく ーもちろん真実は十分重要ですがー 双方の利益を考慮に入れます。そうやって民主主義が機能するのです」。
つまり、一朝一夕に自分の敵を潰すことはできないようになっているのが、民主主義の制度で、民主主義は各々にプロセスがあり、非常に複雑で緩慢に物事が進むことを認めそれを護らなければならないのでしょう。
ガブリエルは、最近の民主主義国の市民はそのことを、よく理解していない人が増えてきていると警鐘している。とし**アメリカ憲法修正第1条を曲解していると指摘している。
最近のフェースブックなどは、表現の自由を曲解しているとしガブリエルは次のように述べている。
「我々は民主主義の本質とその価値を理解しなければなりません。緩慢な官僚的なプロセスが善であることを理解しなければなりません」。と。

**アメリカ合衆国憲法 修正第一条には次のように書かれている。
1791年に修正第1から10条
第1条
連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止することはできない。また、言論および出版の自由を制限し、或いは人民の平穏に集会をし、また苦痛事の救済に関し政府に対して誓願する権利を侵すことはできない。(岩波文庫 世界憲法集 昭和35年1月25日発行 昭和48年7月10日 第16刷)

政治屋

以前このブログで、ピアスの『悪魔の辞典』(西川正身編訳)[岩波文庫]にある。1月27日の「五輪と愛国心」という記事で「愛国者」「愛国心」について書いたが、その『悪魔の辞典』に、「政治」「政治屋」「政治」「政治屋」についてもピアスは書いている。
それによると、
【政治(politice n.)】主義主張の争いという美名の陰に正体を隠している利害関係の衝突。私の利益のために国事を運営すること。
【政治屋(politician n.)】組織社会という上部構造物の土台となっている泥の中に住むウナギ。そいつは、とたうつとき、自分の尻尾が動いたのを建物が揺れ動いたものと思い間違える。政治家(statesman)と比べてみると、生きているだけ、条件がふりである。
とピアスは述べている。

いま、参議院で予算委員会が開かれているが、与党は開き直りに徹し、野党は揚げ足をとろうと政権の私物化を追求している。まことにお粗末な論戦というより駄戦がおこなわれている。
「桜を見る会」などは、まさに私の利益のために国事を運営する下ならしといえるし。モリカケ問題や、大学の共通試験に民間企業を参入させることなどもそのように見える。
安倍政権以前から、そのようなことが見られていたが、今の政権になってから、戦後レジームからの脱却のもとに、それが加速しているようになり、今までの体制が崩れていっている。変革は必要であるが、それをするには時間がかかるが互いに熟議を戦わせてすべきだが、安倍政権は「これしかない」「決めらっれる政治」と称して、強引に議論を一本化して政策を進めている。まるで全体主義のように・・・

空気と道徳

山本七平の著書『「空気」の研究』に次のようにある。
「日本の社会に道徳という規制があることは事実でしょう。田中首相の辞職は、その原因が政策的破綻よりむしろ道徳的問題のように思われます。ニクソン大統領の場合ももちろんそうでしょうが──。道徳は一国の首相を辞職に追い込むほど強力で、これから見ても、そういった規範が明らかに存在するのですから、それがどういう規範かを教えておかねば、その子供が社会に出てから非常に困ると思います。・・・以下略」
山本はその後に、
「文芸春秋」昭和50年8月号の『戦艦大和』の記事から軍令部次長小沢治三郎中将の「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」の言葉を紹介している。山本は小沢のこの言葉を次のように分析している。大和の出撃を無謀と主張する人はその根拠となるデータがあったが、出撃を当然とする主張の人たちにっは出撃を正当とするデータや根拠はなかった。つまり当時のその場の「空気」が、議論を押し流し世の中の流れを変えてしまうという。
ウォルター・リップマンは、大衆心理の怖ろしさとして、世論が一旦暴走すると誰求められなくなり、後になって「あのときはそうせざるを得なかった」。と自己弁護して正当化するとなるとしている。

今の世界が「武器輸出三原則」を「防衛装備移転」といい、「兵站」を「後方支援」などと、新しい言葉を作り出し、新聞やテレビなども政権が使う言葉をたれ流すことをしている。そしてしだに圧力をかけなくても、空気を読み政権を忖度して、マスコミなどのメディアは、政権のいうことをそのまま垂れ流されることによいり。世論が作られていく。それは「大和」の無謀な出撃と同じことが、今のこの日本でも起きてきているように思う。
今の政治は、忖度と改竄と嘘などで道義に反し道徳というものが存在しているのだろうか、山本が言うよう道徳は一国の首相を辞職に追い込むほど強力なのだが、何故今の政権は窮地のおいこまれても、不死鳥のように支持率が上がるのだろうか。

それは次のようなことにも原因しているのだろう。今のメディアは報道の自由と国民の知る権利、それとメディアの権力の対するチェック機能が民主主義を作り出すことを疎かにしている。
メディアが政府権力の主張を、たれ流すことは政府のする事を高揚して民衆を煽ることになることを忘れてはならないです。民主主義が瓦解し崩壊して全体主義に進むのも、第一世界大戦や第二次世界大戦に突き進んでいった時にの、各国の世論もそうだった。

安倍首相が「これしかない」「決められる政治」というが、私たちはそれに対して鵜呑みにするのではかう、疑いや疑問を持つ目を持ち、考える力を養っていくべきです。その時々に空気を読み、空気を疑い空気に黙って従うことの無いようにすべきです。

そのように考えると、空気をよむことはよいこととは思えない、空気を読んそれに従うのと、自分の考えを持ちそれに従う行動をするのとでは、後者の方が人として立派であろう。


それには、国民が本当のことを知るために、メディアの役割は重要です。
現代は、インターネットやSNSなどの新しいメディアもあるが、これらのメディアは質のよいものもあれば、質の悪いものもあり、また虚構やフェークなどもあるので注意する必要があります。そのためにも、現在のメディアの役割と使命は重要だといえる。
今のメディアは、首相と会食などをして、情報を収集するのもよぎあ、それにより忖度するようになると、単なるプロパガンダメディアだけになってしまう。そうなれば世論を煽る報道が増えて、世の中の空気がおかしくなってしまうことになる。メディアは本来の使命を果たしてほしい。


昨日の記事と対で

豊臣秀吉は、能楽好きと知ってはいたが、自ら「太閤能」と呼ばれるものを作らしていたとはしらなかった。
秀吉は「太閤能」とは、自らの功績を讃えた物語を、能の曲で作らさせたという。それが十曲にも及ぶという。また、それを自らが演じたとも言われている。まあ、能、好きもここまでくると相当なものだが。絶対的な権力を手中にしている者が、自分を自賛するプロパガンダのようなものを作り、それを配下に見せてしまうことしだすと、暴走はとまらなくなるだろう。
その中に、金春流の番外謡本の中から、2000年に発見されたいう。
金春流のチラシからその、あらすじはおおよそ次のようなものです。
『秀吉が吉野での歌会の様子を大坂城の留守居の者に再現して見せると、梅の精が現れ、梅の精は秀吉が桜を愛で梅に関心がないと嘆く、梅にまつわる故事を語り、梅の木の跡を残して欲しいと告げ消える。秀吉は難波津に行き、難波の梅を御神木とし崇めると語り、自らの和歌をしたためた短冊を梅の木に結び付る。そこへ梅の精が再び現れ秀吉へ礼を述べ舞を舞い、秀吉の世の天下泰平と長寿を祝福し消えてゆく。』
一応は、能のストーリの手順の流れになっているが、実際の話を細かくしらないのでだが、あらすじだけをみると、なんか自画自賛で能の曲としては面白くない。

自画自賛をするのが好きな権力者と言えば、国会の施政方針演説をきていもわかるわかるように、数字を挙げ、繰り返しアベノミクスの成果を自画自賛したりするが、政権運営を負の側面は話を避け、首相が謙虚に欠ける演説はどうだろうか。
今の日本の最高権力者もそうだが、臆面もなく自分の口からそのような言葉出るひとなら、自分を賛美した能の新作を作らせるかもしれないが、首相には能の趣味は無いようなのでそんなことはないだろう。そんなことをしたら、北の国の指導者と同じになってしまう。

また、太閤秀吉と言えば、田中角栄は首相時代に今太閤と呼ばれ、マスコミの種目を集めていた。その今太閤とよばれた田中角栄元首相は、1976年2月に米上院小委員会で日本の政府高官への多額の資金提供疑惑が浮上したことにより。東京地検特捜部は捜査を進め、1976年7月27日に田中角栄元首相を外為法違反容疑で逮捕し、翌8月には5億円受領の受託収賄罪などで起訴された。首相在任中の行為で元首相が起訴される初めての事件があった。結局この調書は証拠として認められなかった。

現代の政界のプリンスと呼ばれたこともある人がいるが、その人がいま、日本の憲政史上二人目の人となるか最近巷で注目を集めている人がいる。今度は、逮捕され起訴され実刑判決がでるかどうか、検察の人事にもかなり介入している、現政権だからこれも国会の答弁のようにノラリクラリト逃れるだろうか。
それができる布石として、東京高検検事長の定年を延長して検事総長に抜擢して、安倍政権の連続4期を実現しようとするのだろうか。
この点を考えると、歴代大統領が逮捕されることを考えると、韓国の方がよほどまともに司法制度が働いているといえると思う。

非立憲

違憲と非立憲

違憲とは、憲法に違反することを指し。非立憲とは、立憲主義の精神に違反することを指す。
いまの安倍政権は、ことあるごとに「法に従て粛々と進める」というが、粛々とはほど遠いことをしてる。最近あまり口にしなくなったが、「これしかない」「決められる政治」などと云うが、「これしかない」は、議論を必要ない、議論しても無意味だということであり、「決められる政治」も議論しても最終的には独断で判断して行くということにほかならない。そのような、行いや遣り方を見ていると、とても民主的で立憲主義に基づいたやり方には見えない。
最近の安倍政権の首相を始め、大臣の答弁を聞いていると、この立憲主義の精神をよく理解していない言動が目に余るようになってきている。それは一応は法に従って手続きは進める。その意味で違憲違法ではないが、その精神はは立憲とはほど遠いものと言える。
それは、安倍政権が長期政権になっているからではなく、安倍政権の体質からくるものだろう。安倍政権の支持団体や、安倍政権の閣僚のほとんどが、神道政治連盟国会議員懇談会に所属してることによるものだろう。それは、はばかりもなく「皇祖皇宗の遺訓を引き継いでいる、日本こそが道義大国となる資格がある国で、それにより日本とは物質的優位ではなく道徳的優位により世界から尊敬される国にすべきだ」。と言う議員もいるくらいだからそれもあたりまえかもしれない。

佐々木惣一が『立憲非立憲』の「憲政と我が国民性(上)で、次のように書いている。
「制度は死物にて其の活用人に在りとの、・・・中略・・・ 若し之を解して、制度はどうでも構わぬ、人さえよければよい、と云う意味とするならば、それは到底今日の立憲政治や法治行政と相容れないものである。・・・中略・・・ 彼の格言の意味は、蓋し、制度はどうでもよいと云うのではない。制度は勿論よくなくてはならぬ。唯、制度がよくても、之を運用する人がよくなくては、制度のよい効がないから、結局人の問題に帰すると云ふのである」(講談社学術文庫)
これは、佐々木惣一が、明治憲法下の大正時代に書いたものです。明治憲法は全体主義のように思われるが、それは、昭和に入ってからのことで、それ以前は大正デモクラシー運動が起きたように、欧州のように近代民主制度を取り入れ、欧米のような国になりそれを追い越そうとする動きがあった。
それと対峙するように日本主義などのとなえる動きがあり、立憲主義とのせめぎ合いがあたり、かなり闊達な意見も交わされていたことがわかる。そのあと、美濃部達吉の天皇機関説事件となり、政府は、「国の統治権の主体が天皇にあることは日本国の本義として、帝国臣民の絶対不動の信念だ」を表明し、世の中全体の空気が、全体主義の道に突き進んで行く。
この、佐々木惣一の『立憲非立憲』を読んでいると、当時に状況と今の日本の状況がダブって見えてくる。
国会でのいい加減な説明責任をはぐらかした説明や、「道義大国になるべき」との呟きや、「八紘一宇」の言葉が出てきたり、「クールジャパン」の日本は稀有な国として、祖国礼賛をするTV番組などが放送され、オリンピック・パラリンピックに向けて日本のアスリートが、粉骨砕身してメダル獲得に受けている様子を映し出し、国の昂揚をあおっているように見える。また、このようなことを書くと、おまえは日本人か愛国心があるんか、非国民とか反日などと批判を受けかねない雰囲気もつくりだされてている。そのような、ことを思うと、国体明徴声明を出した時期に、日本はその戦前への祖先帰りするのだろうかと危惧する。

昨日の続きである、「カラクテール」から

昨日の続きである、「カラクテール」から。

五、「一国において革新を行おうと欲する時、人は物事よりもむしろ時期の方を重く考えるべきである。人民をいくらいじめてもいじめ足りないと思われる場合もあれば、いくら庇ってやってもかばい足りないことの明白な場合もある。*あなたは今日この都市からその免除や特権などを取り上げてもよろしいが、明日はその看板を改めようとさえ考えてはいけないのである」。

これを読んだだけではその意味がよくわからない、*注にかかれている、ルイ十四世の時代の世相ことを知っておくべきだろう。*の注は訳者関根秀雄の訳注
*王国内統一が相当にとれて来てからも、諸都市その自由都市であった時代からの古い特権(privilege)いろいろ残っていて、国王からの諸種の賦課賦役を免除されていた。それを(franchise)免除という。国王はそれを段々に己の手中におさめて行ったが、それに堪えて来た同じ人民が1669年に、コルベール宰相の時、店の看板を通りに向かって突き出さず、壁面に平らにはりつけよとか、その大きさを限れとか、布令したした時には、俄然叛乱を起こしたのであった。

政治にはその事をなすタイミングが熟成されているかいないかによって。政権が行う政策や対策を立てて実施することが、国民に受け入れられる受け入れられないか。成功するか成功しないかが決まるとよくいわれる。
しかし、政権が長期になり横暴になってくると、その見定めができなくなり、看板のような叛乱が起きるろだろう。
物言わぬ庶民とみてじわじわと締め付けていっても、庶民には少しずつその締め付けは、はけ口のない感情がとなり、心の中にとどこおりたまっていく。
それが、噴出したのが、香港の本土への犯人引き渡し法の反対運動が拡大していったののだし。将来の先行きにフアンをかんじた、フランスの年金抗議運動や、スペインのカタルーニャ地方の独立運動などへと、発展拡大していくのだろう。

・・・・
六、「人民が動揺している時には、一体どこから平穏が再び彼等の許に帰って来るものか、てんで見当がつかない。又平和である時には、一体どこからその平穏がぬけ出してゆくのか、これもまた想像がつかぬ」。

出口の見えない混沌とした混乱の不安と、空気のようになった自由や民主主義や人権はいつまでも続くと思いがちだ。高度経済成長のころ、工業地帯は段々と大気が汚染されていき、ついには気がついたら大気汚染は深刻になり、住民は喘息を患ったり、光化学スモッグに悩まされてた。
政治にも同じことがいえる。往々にして政治家は国民を思うようにしたがわせようと都合のよいことをするものだ。
・・・・
七、「国家と言われるもののうちには、それがより大きな悪を予防するというので我慢させられる幾つかの悪がある。そうかと思ふとある種の悪は、唯それらのよくよくの始り方のために悪と見られるだけであって、その根源においてこそ悪弊ないし悪い習わしであったと言え、その結果と実際について見れば、より正当な法律やより理屈にかなった習わしよりも却って遙かに弊害が少ない*1。又もう一種の悪を見ると、それは変更ないし革新*2によって矯正することが出来るけれども、その革新なるものもまた一つの悪であって、なかなか危険なものである。中には掃き溜めの中の汚物のように押しかくされた悪もある。つまりそれは恥辱や秘密や暗闇などの底に埋もれかくれた悪のことであって、こういうふうになると、ほぢくったり掻きまわしたりすればする程、毒と穢れとを撥散せずにはすまない。最も賢明なる仁も、時々、それらの悪を知ることは果たしてそれらを知らずにいるのよりまさっているかどうかと、疑っている。ある国に置いては時にかなり大きな悪が大目に見られるが、それは百万の小さな悪ないし不幸をそらせるからで、このような小さな悪は、およそ此世で避けることも癒すこともできないのである。また各個人を呻吟せしめる悪にして、そのまま公衆の善となる悪もある。公衆は個人の總和にほかならぬけれども。個人の悪にして各家庭の善及び利益に寄与するものもある。諸諸の家庭を悲しませ破滅させ不名誉にするけれども、国家及び政府の機構を善くし保全する悪*3もある。ある悪は国家を顛覆してその廢址の上に新しい国家をたてる。*4とうとう最後にやって来た悪は、大帝国の基をひっくりかえし、この地上から消滅させ、以て世界の表面を変化更新させてしまった」。

これを読むときも、時代背景などを顧慮しなくてはならないだろう、訳者の訳注を付記したい。
*1ラ・ブリュイエールは、いかなる国も凡そ国家と言うからには、切っても切れない悪が附随しているとして、それらの霊を列挙する。彼はここに、モンテーニュの緒論を想起しているように見える。(『随想録』三のニ、三の九、一のニニ等参照)
*2ラ・ブリュイエールはここに、諸種の特権、官職の売買、徴税制度に伴う諸種の悪弊を考えているのもと思う。
*3軍隊の存在、逮捕、投獄、慮刑等の諸制度について言っているのであろう。
*4これは、例の追加というより、むしろ一種の警告であるまいか。上流貴族が人民のためにつくすべき義務を忘れ、生まれと金ばかりが物を言い、一方の奢侈(ゼイタク泉水記)が他方の貧苦の因をなしているような国家は、やがて顛覆するぞと、警告ではないまでも、ひそかに彼は憂いているのではあるまいか。

ここに、現代の国家のあり方をいま一度、どのようなあり方がよいかを考えてみるのに、熟慮して読みたい。21世紀のあるべきこれからの国家は、トランプなどが言うような、自国第一主義では現代のグローバル化した世界、豊かな国と貧しい国と格差、新興国が発展しようとする、途上国が豊かになろうとするのを、豊かな国はより豊かになるのを阻むものだとして、いろいろな豊作で苦心するのは間違っている。国に限らず企業もそうである。企業は収益を社会還元することが、求められていたが、自由主義資本主義経済で競争が激化しているが、収益を社会還元することを怠ると、訳者関根が言うように、いずれその国家や企業などは顛覆してしまう怖れがあると指摘するの当たらずともであろう。
富めるものがその享楽のため、あるところでそれにより個人が呻吟していることを、忘れてはならない。いま、この日本で豊かに暮らせるのは、他の国の国土を破壊していること、また工業製品や農産物の生産のため、低賃金で働かされたり苦役を強いられていることをしておかなければならない。
曹洞宗では食事の前の、五観の偈を唱える。そのなかで、目の前の食べ物ががどのようにして出来たかを考え、自然の恵みと多くの人々の働きを思い感謝致しますとある。また、つぎに、今日一日また今までの行いを振り返りると、尊い生命と労力で出来た食を頂くに価するものであるか問い反省する。そして、食事は心を清浄に保ち、誤まった行いを避けるために、貪り と いかり と 愚痴 持たないことを誓って食事をいただく。
このことは、食事に限らず私たちの生活全般にもいえることだろう。自分の着ている服や持っている持ち物の来所をしり、自分の行いがそれに値するものかを反省し、貪欲な貪りを戒め、怒りを抑え、愚痴ばかり言ったり思慮分別をわきまえること大切だろう。
国家を神社のように崇めたり、企業は利潤を追求するものとしてではなく、公共の福祉のサービス・提供者として捉えることが重要で、それは本来の共和主義的な愛国者に必要不可欠な視点ではないだろうか。

愛国心とはなにか 離脱発言忠誠

愛国心とはなにか 離脱と発言と忠誠

・望ましくない政治をする国から離脱するのか。
・抵抗権を行使して、望ましくない政治に抗議の発言をするのか。
・進んで国家に忠誠をつくす。
・それとも、なにもしないで為政者に自分の未来を、無条件でゆだねるのか。
この四つのうちのどれが、非国民で愛国者といえるのか。
しかし、発言と忠誠を区別をつけるのは難しい。例えば自分の勤めている会社が不正なことをしていること知り、それに対し発言する。不正に進んで荷担するのが忠誠なのか。それとも、上司に不正はよくないと発言したり、告発するのが会社を思っての忠誠なのか。前者は会社でなく上司に対しての忠誠の場合もある。後者は会社をよくしたい、また自分の倫理感が会社のためになるとの愛社精神からの忠誠と見ることができる。
同じように、自分の住んでいる国の政権を批判して、改善をするように働きかけるのは、間違ったことか。
国がうまくいかないときに、国のあり方を批判し、事態の改善を図る人々こしが愛国者といえるのではないだろうか。

フランスの随一のモラリストよばれた、ラ・ブリュイエールに箴言集がある。『カラクテール 中 第十章 至尊について或いは国家について』岩波文庫 関根秀雄訳(漢字を新字に改めるなどした)

一、「誰でも自分の国のことを別にして、あらゆる政治形態を一わたり調べてみると、さてそのいずれを採るべきかに迷う。最も理屈にかない且つ最も安全なのは、自分の生まれた国の政体を最良のものと考えてこれに服することである」。

現在でも世界は様々な政治制度があるが、どの制度もよい面と悪い面がある。簡単にいうと、共産主義は平等を目標としているが、その平等を実現させるため、全体主義になりがちで個人の自由は制限される。資本主義では自由は保障されるが富の格差が拡大していく。最もよい制度は今のところ見つかっていない。チャーチルは民主主義について、「最悪の制度だ,ただし今までの制度を除けば」といっている。民主主義や共和制は、一人の考えや独裁ではなく、多数の人で評議・相談し意見を出し合ってきめる。
しかし、会社などなら、職場をかえたり会社を辞めればいいが、これが国となると国を離脱することは難しいので、自分の生まれた国の政体を最良のものと思うようにしてしまう。あるいはそう思うしかないばあいもあるだろう。

・・・・
二、「暴政を施くには学問も技術もいらない。いや、唯人の血を流すだけを目的とする政治には、殆ど知的な所がなく、洗練されたものなどは少しもないのである。それは、生かしておいて我々の野心の妨げをなすような者共は殺してしまえと教えるのだが、残忍に生まれついた男にはそれもわけなく出来るのである。つまり暴政とは、自己を維持ないし強大にする最も恐ろしい野蛮なやり方のことである」。

暴政とは人民を苦しめる暴虐な政治のことだが、国民から乱暴な政治から目をそらすには、おもしろいドラマや陰謀論を作り出すことことにより、国民は目をそちらにそらされる。そすると。暴君は政治をしやすくなるが、それは施政が洗練さず荒々しくなることを意味する。ことを忘れてはならない、さらに暴政がつづくと、しだいに丁寧な説明や細やかな心配りを欠いた政治になってゆく。どこか聞いたことのある話だ。

・・・・
三、「古来諸国家の用いている確実な政策は、人民を饗宴や演劇や贅沢や華美や淫楽や虚栄遊惰の中に眠らせておくこと、空虚に充満した浮華に心酔するがままに放任すること、である。この寛大政策によって、実に巨大な数歩を、人は専制政治に向かって進めたのである!」。

なんか「桜を見る会」の招待問題のようだ。そして、饗宴に招待されたことを名誉に思ったり、権力者に進んでへつらってしまったりする。明人上皇が天皇時代に開かれた園遊会で、東京都の教育委員をしていた棋士が、「わたしは国旗掲げられ国歌歌われることが全国に広がるようsるのが努めです」と語ったのは、陛下の気を引くよう、お世辞を言ったり機嫌をとったりして相手の気に入るようにふるまったのだろう。これと同じようなことが、「桜を見る会」でどれほどあったのだろうかと思うと背筋が寒くなる。
このようなことが、広がることは、巨大な数歩を、人は専制政治に向かって歩むことになる。

・・・・
四、「専制政治の中には祖国なんかない。他のものがそれに代わっている。即ち、利益、栄誉、帝王への忠勤」。

専制政治とは、独断で思うままに事をはこぶことなので、政治を私物化しそれに国民は政府のいうことにまじめに従うように強いられることになる。
世界の多くの国で暴政を倒した英雄が、政権の座につきいて国を運営することはよくある。しかし、その英雄が長期間政権をつづけていると。中に、国を私物化することがり、政権の座を守ろうとなりふり構わない暴政になっていくことがある。政権を握った英雄はしだいに、利権や利益を私物化し配下の臣下に自分への忠誠を誓わせたりする。
これらのことは、ラ・ブリュイエールの生きていた十七世紀に限らず、現代もこのいましめの言葉は当てはまることがあるだろう。

オーストラリア・デー

オーストラリアには、オーストラリア・デーが 1月26日と定められている。
なんの日かというと、オーストラリアの建国記念日です。
この日に定めた理由は、1788年に囚人を連れたイギリスの艦隊11隻がシドニー・コーブに到着した日を定めている。
もともとオーストラリアは流刑の地で、イギリスの囚人、主に政治犯の収容所だったが、いまでは、大多数の人にとっては、一オーストラリア人として、誇りを感じる大切な役割を果たしている日という。
しかし、先住民にとっては侵略の日でもり、そのような日を建国記念日にするのは屈辱の日でもあるといえる。
オーストラリアは長い間、白豪主義をとり白人以外の移民を受け入れてこなったし、原住民を弾圧した暗い時代が続いていた。
それからだんだんと、オーストラリア政府は、原住民に対し、社会福祉的な面で特別の待遇を受ける権利を与え、2008年2月13日、当時のケビン・ラッド総理大臣が、原住民に対して、それまで起こった悲しい出来事について正式に謝罪の意を表明している。
しかし、原住民との関係は進展したように見えるが、先住民族のアイキンテテイーの尊厳から、この日を建国記念日にすることについては、不快感をもっている人もい、オーストラリア・デーになると、アボリジニーの人たちによる抗議デモも行なわれている。

そのことを考えると、アメリカのイギリスからの独立記念日を建国の人するのは、アメリカの先住民族からすると不快のものだし。
日本が戦後のサンフランシスコ講和条約が結ばれ、連合軍の占領から解放されたのを、「独立の日」の人するのは沖縄県以外の人で、日本から沖縄は見捨てられその後も米軍の施政か下に置かれたので、「屈辱の日」「見放された日」と感じる人がいる。沖縄は太平洋戦争で日本の捨て石と戦場となり民間人の県民の4分の1が死ぬと言う犠牲をだしてたに、1950年に出した、中央政府の仕打ちはひどいものと思うの自然だろう。

このような問題は、オーストラリアや沖縄に限らずどこにでもあり、日本でも北海道でもあるし、世界的に見てもある。それぞれの国や民族などの多様性を認め寛容性をもっていくべきだろう。
それを、日本は単一民族だとか、日本は一つだとか、日本人で良かったとか思うの、これからのグローバル化していく社会から取り残されることになるだろう。

政府のパスポート発給拒否

日本のフリージャーナリストで世界的に活躍している、安田純平さんがシリアで武装勢力に3年間拘束され解放されたが、パスポートを奪われたので去年パスポートの再発行を申請した。しかし、外務省は、トルコから入国禁止の措置を受けているとして、旅券法のパスポート発給の制限の対象となるとして、パスポートを発給しない措置をした。これに対し安田氏は、外国への移動を奪うことになり、憲法で保障されている移動の自由に違反するとして、国にパスポート発給を求める訴えを起こした。
外務省は「安田さんがトルコから入国禁止の措置を受けたため、旅券法でパスポート発給の制限の対象となる」と説明している。
安田氏はそれに対し、NHKによると「トルコから入国を拒否されているというが、書面などの証拠は示されていない。また、外国のどこか1か国に入れないとしてもほかの国には入れる。外国への移動の自由は憲法で保障されており、パスポートの発給自体を拒否したのは違憲だ」と話している。安田氏は、1月9日に国に対し、処分を取り消してパスポートを発給するよう求める訴えを東京地方裁判所に起こしたことを明らかにた。

憲法では、公共の福祉に反しない限り、国民の移動の自由を奪うことはできないはずです。また、安田氏が海外でジャーナリズム活動ができないことにより、国民の知る権利に制限をかけることにもなる。
安田氏はフリーのジャーナリストで、世界各国の戦闘地域などでその状況を取材し写真などに撮り、世界の現状を私たちに伝えてくれている。新聞社やテレビ局の記者などでは、社の方針や記者の安全のために、会社が記者に対して現地にいき取材することに制限をかけたり禁止することもある。しかし、フリーのジャーナリストならその安全は自己責任でもあるので、あえて身の危険を冒しても、ジャーナリズムと自分の記者としての信念から、その場に赴くこともある。それにより、世界の人々はその現状を知ることができるといえる。
安田氏はいままでも、新聞社やテレビ局などの報道員できないようなところも取材し、発表し国民に世界の現状を訴えてきた。そのことを考えると安田氏からパスポートを奪うことは、世界の人や日本の国民の知る権利に制限を加え、覆いをかけることにもなる。

ここで自己責任という言葉をつかったが、ウィキペディア(Wikipedia)によると、安田さんは、次のように言っている。

2004年11月、新潟で講演した安田は、「どういう事情であれ、邦人保護は政府の責務だ」とした一方で、フリーのジャーナリストというものは、紛争地域であっても事態の真相を見極めるためにリスクを負って取材に行くものだとし、「常に『死』という自己責任を負う覚悟はできている」と話した。また、「冬山の遭難者やキノコ採りのお年寄りも、自己責任ということか。政府に従わない奴はどうなってもいいという風潮が、国民の側から起こり始めている」として、政府を無条件に信用する国民が増えてしまい「民主主義の危機」を痛切に感じている

政府が安田氏のパスポートの発給をしないことは、いま中東でないが起きているかを国民に多角的な面で知らせたくないからではないだろうか。日本は中東に自衛隊を派兵しているが、そこでどのような状況になっているかなど、戦前の大本営発表のように、政府が発表することしか国民が知ることができなれればこれからの日本はどうなるだろうか心配です。

地球の温暖化をどう考えるか

地球の温暖化をどう考えるか。
地球の温暖化は近代産業革命は18世紀から19世紀初めに起きたが、それ以降わたしたちの産業活動により温室効果ガスとりわけ、石炭などの燃料を燃やすことにより、二酸化炭素の排出量が増えそれが、地球の平均気温を上げ温暖化が進んでいるといわれている。しかし、地球の気象変動は氷河期と間氷期の温暖な時期を繰り返しているので、いま温暖化の時期だとして、人類の産業活動により温暖化になっていないと主張する人がいる。しかし、その人たちは地球が温暖化していき、南極や北極の氷がとけ、北欧やグリーンランドの氷がとけて、海抜の低い島や国は水没の危機にさらされることについては、どのように考えているのだろうか。

また、人間の活動によって増加した主な温室効果ガスには、二酸化炭素だけではない、メタン、一酸化二窒素、フロンガスなどさまざまなものがある。また、これらの排出が増えるのは確かに、近代産業革命以降が如実に増えている。しかし、人類が狩猟採集生活から、農耕牧畜生活に転換した、第一次産業革命により人口が増え、その人口を賄うために農耕地や牧草地を得るために、森林地帯を伐採したり、農業の肥料をつくるため、牧畜による牛などおメタン量が増えていった。しかし、それらの量はは現在の量のひではない。わたしたちの祖先であるホモサピエンスがアフリカの地を旅たち、地球上にいたるところに拡散していったのは、5万年前と言われてるが、その時はわたしたちの祖先は数百人だといわれてる。全世界に広がった2万年から3万年の人類の人口はどれぐらいいたのだろうか。全部合わせても数億人だろう。それらの人が出す二酸化炭素やメタンガスなどはたしかに、自然に影響を与えるが微々たるものといえる。
しかし現在この地球には、70億以上の人間暮らしている。しあし現代の人間の産業活動は薪を燃やすエネルギーではなく、化石燃料を燃やしそれを電気エネルギーに変えて、産業活動をしている。そして、薪を燃やして出る二酸化炭素や牛のゲップのメタンだけではない。フロンや一酸化窒素などさまざまなものがある。

わたしたちの、現在の便利な生活自体を今一度見直していくべきだと思う。
また、アメリカやヨーロッバや日本などの生活水準について考えるべきだ。
また、新興国やこれから発展する国などの人たちの生活をいかに向上さえるかをも考えるべきだ。また、それらの人たちが現在のアメリカ並みの生活をすればどうなるかを考えるべきだ。例えばアメリカ人が好んで乗る車を、日本人が全員乗るとどうなるか。現在日本人が乗っている車を、世界中の人が乗り使いだすとどうなるのか。
アメリカ人や日本人が便利な生活の質を落とすことがよいのか、アジアやアフリカの人たちには、電気もガスも水道もないの現在の生活を続けさせることがよいのか。
やはり、この同じ地球という宇宙船地球号の乗船しているので、そこに特等室にアメリカが独占し、一等客室にはヨーロッパ諸国や日本が独占し、三等客室などに新興国が占有し、それ以外に国は貨物室に追いやられる、汽車で言うなら無蓋車や有蓋車の屋根に乗らざるを得ない状況にしてしまっていいのだろうか。

いまのトランプ政権のアメリカンファーストの一国至上主義の方針や、それに追随し見倣おうとし大企業を優遇する安倍政権の産業政策は良いのだろうか。
先進国は今まで既得権で思う存分によい思いをしてきていりる。日本も幕末から明治維新で列強に侵略されないようにと、身の丈に合わない軍事力をつけて一時は、二等客室にすわりかけたが、身の丈に合わない身で軍事力を誇示しようとして、讃嘆たるめにあい無蓋車に乗る羽目になてしまったが。軍事力より経済や産業で一等室に住むことができているが、自分たち日本人は一度は無蓋貨車で過ごしていたことを忘れてしまってはいけないと思う。
いま、現代の豊かで便利な文化的ない生活の客室で過ごせない人のために、自分の居場所をあけるなり、自分の居る客室の設備を落としてでも、同じ宇宙船地球号に同乗してい人のために今こそ行動に出る時がきているだろう。

象徴制君主政と民主主義

現在、世界は経済のグローバル化が進み、人・モノ・マネーが国境を越えて自由に動くようになっている。それにより世界の国々とりわけ、資本主義先進国では行き過ぎた自由経済主義・資本主義が起き、それに対してバックラッシュとして、ナショナリズムや自国第一主義が台頭して、民主主義を否定するようなポピュリズムが、国の政治家や政府のの中や国民の中で闊歩しだしている。それらはイギリスやドイツのネオナチや反移民主義者の勢力を、勢いづかせている国会での議席を伸ばしている。

そのような中で、関東学院大学の君塚直隆教授は、イギリスや日本のような象徴制君主政が民主主義を強くすると言う。
世界の国で君主を持つ国は28ヶ国あり、そのほとんどが政治的権力を持たない象徴的な立憲君主制国家です。
それが、国の統合の象徴が、国民の立ち位置の普遍的な参照点を提供してくれるという。それが民主主義を安定させる力を持ち得る可能性があると君塚氏は言う。

確かにそれには一理あるが、気を付けなければならないことがある。
戦前の明治憲法下でも、天皇は統治権を総攬する国家元首とされ、国務に関する体験もっていたが、この大権は国務大臣の輔弼によって行使されるとそれていた。戦前の天皇は帝国陸海軍を統帥する大元帥であったが、実際にはその統帥権は、最高幕僚長の陸軍参謀総長と海軍軍令部の補佐により行使されていた。それが、内閣の意向とは無関係に軍への帷幄上奏権を許し軍部の暴走を許すことになり、天皇の統治権を総攬する機能は働かなかった。

現在の日本では、君塚氏の言う「国の統合の象徴が、国民の立ち位置の普遍的な参照点を提供してくれ、それが民主主義を安定させる力を持ち得る」機能は働いていいるだろうか。
議会の3分の2の多数を占める保守党勢力と、その上にアグラをかき真っ当に説明責任お果たさず、少数野党の声を聞かず無視することは、民主主義を強くすることになているだろうか。
アメリカのように大統領を国民が選ぶならどうなるだろうか。現在のトランプ大統領のような人、また安倍晋三のような人が大統領に選ばれたら、どうなるかを想像してみるとどうなるどうなるか。議会制民主主義での内閣制度では首相は大統領のような大権を行使できないのでまだ歯止めがあるが、それでも現在の日本の議会は行政府の暴走を歯止めにはならず、金箍環にもなっていない。
現在の政権は、その象徴制天皇を利用して暴走をしつづけている。それに対してその暴走を止めるのは、国民の声しかない、これからいかにして国民の声を、議会と行政府に届けるかが課題といえるのではないだろうか。

人類の未来

スタートレックのDS9(DEEP SPACE NINE)の57話・58話に「2024年暴動の夜」がある。21世紀2024年のアメリカ。失業が深刻な社会問題になり、ホームレスや失業者を全米の各地の都市の一角に保護区域という隔離地区を設け収容され、支援も援助も形だけのものだった。そのような状態を打開し改善しようと、「連邦雇用法の復活と全ての保護区域の閉鎖」を要求した暴動を起こすエピソードです。

あと数日で2020年を迎えるが、2024年まで4年です。
現在アメリカに限らず世界の国々で、貧富の格差が拡大していっている。富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧窮している。DS9での隔離施設のようなものが出来かねないぐらいに格差が拡大してきている。このままこのような状態が続くと、DS9の「2024年暴動の夜」の事態になりかねない。

現在の世の中は貧富の格差はますます拡大しているが、それ以外にも様々な問題が山積している。
・増え続ける人口問題
・それを賄う食料問題と、野菜や家畜を育てるには水が必要です。
・エネルギーや資源の枯渇と採掘の自然破壊。
・日常にある便利ない工業製品や電化製品にはさまざまな鉱物資源がつかわれている。最近ではそれらの資源を採掘するのに、地中にもぐりトンネルを掘って掘り出すのではなく露天掘りをする。露天掘りは地表の土をを資源があるところまで剥ぎ取ってしまう。石炭などは採掘した土かから石炭を採れる割合は大きい。しかし、希少金属などは1トンの土の中に数グラムしかその金属がない。まさに自然破壊と環境破壊をして希少金属を採掘している。
・医療技術の発展により寿命が伸びているが、老化を防ぐことができずに長寿な人が増えている。
・人工知能の技術が進化し、人工知能が学習できるようになってきている。さらに人工知能に自律性を持たせようとしている。

また、同じスタートレックのVOYAGERの151話の「正義のドクタター・スピリッツ」では、ある星でコンピューターが星に住む住民のあらゆる個人の情報がデータベース化され管理下され、その人の社会的貢献度もデータベース化されランクがつけられる。その社会的貢献度により病気になったとき治療係数が計算され治療される。社会的貢献度が低ければ、生かしておくのは金食い虫だからと、満足な治療が受けられない。そのように社会的貢献度により、治療レベルが差別される。そして、それらは全て高度に進んだ人工知能によって決められる。その星の住民は全知全能の人工知能だから間違っていないと、その人工知能が下した決定に疑いをもたず受け入れている。

温暖化問題や、環境問題は人間の欲の驕りによる問題だが、自律型人工知能が引き起こす問題は、便利になり怠慢になったため人類が退化するあらわれではないだろうか。

このさき、私たち人間はどれだけい存在していけるだろうか。スタートレックの話しは24世紀の話しだが、そこまで人類は絶滅せずに存在しているだろうか。

殺人被害者の遺族の遮蔽席

3年前に前におきた、相模原の知的障碍者入所施設津久井やまゆり園で、元職員が19人を殺傷した事件の裁判が横浜地方裁判所で行われる。この裁判では、遺族や被害者の家族などが他の傍聴者から見えないように遮蔽版を設置することになった。
事件が起きた時も、通常は被害者の名前は公表されるが、この事件が起きた時は警察は遺族の意向だして氏名など公表しなかった。
氏名の公表はどのような基準で公表されるのだろうか。障碍者だからと言って名前を公表しないのは、障碍者差別にもつながる恐れがある。事故や事件での被害者が、ストーカーや特定の組織化から保護するために氏名を公表を控えることはあるが。障碍者だからと言って公表しないのは問題がある。さらに、裁判となるとなおさらだろう。今回の横浜地検での裁判では、遺族などの意向により被害者が特定される情報は伏せて審理されることが決まっているす。さらに公開を原則とする裁判では、裁判所が3分の1の傍聴席に遮蔽板を設置して、遺族や被害者の家族などが座るスペースが作られるという。
このように、被害者やその家族などが、ほかの傍聴者から見えないようにするのは、異例の措置をとることになっている。さらに、遺族らの要望を受けた、出入り口などもほかの傍聴者と分けるそうだ。また、遮蔽された席では、「被害者参加制度」を使って裁判に加わる遺族らも傍聴するという。となると、被害者参加制度で証言する遺族も証言席は遮蔽されるのだろうか。
異例ないことだらけだ。
わたしは、この事件が起きた時から、被害者の名前が公表されないのは、変だなと思っていたし、裁判でも同様な措置が取られるのは変だと思う。
そう思っていたら、NHKのニュースで元裁判官で法政大学法科大学院の水野智幸教授が、「傍聴席を囲いで区切ることは異例だ。遺族や被害者に配慮した結果だと考えられる」と指摘し、「こうした運用が拡大し遮蔽される傍聴席が増えると傍聴できる人が限られるなどし、公正さや信頼性を保つために重要な『裁判を公開する原則』という点からも問題になりかねない」と指摘している。

特異な事件として、附属池田小学校や神戸の中学生の小学生殺害事件などは被害者の名前が公表されている。なぜ、この事件では裁判までも一部ベールに包まれたようなことになるのだろうか。障碍者の関わる事件を特別あつかいするのは問題だ。警察が公表を控えても、マスコミなどが取材して調べればある程度わかるだろうが、捜査に支障があるとはとても思いないのだが、マスコミはそれらの取材結果を明らかにしていないところがある。この事件に関係なくいままで、マスコミの取材が新たな新事実が判り、真犯人が分かったこともある。

障碍がある子どがいることに対して、地域社会に引け目を感じるその空気、あるいは障碍がある家族をあの家は、障碍者を施設に入れていると見られるのに引け目を感じたり、また地域社会がそのような目で見るのことは、障碍者が社会で暮す上で障害になることで、民主主義の現代社会では時代遅れのものです。
日本の社会にはまだ障碍者を差別する雰囲気があるのはたしかだが、そのような空気をこれから変えていくべきだろう。この相模原の事件の遺族の人たちもその空気を感じ取り、障碍者の子供や兄弟がいることを知られるのを憚ざるをえない空気が周りに流れているのだろうか。そちらの方が問題だ。
来年障碍者のスポーツの祭典のパラリンピックが開かれ、障碍者の努力と活躍を期待し賞賛することは望ましいことだ。しかし、それに浮かれている雰囲気だけでパラリンピックを開催する資格はないだろう。相模原のやまゆり園の被害者やその家族などの名前が公表するかしないかが取り上げられるようでは、日本はまだまだ障碍者の人権については後進国のようだ。

選挙戦でのヤジ排除は職権乱用罪

安倍首相は、国会や委員会での審議中にもよくヤジを飛ばすことで知られている。今年の参議院選挙のとき、安倍首相が応援演説しているとき、批判の声を上げた市民が警官により強制的に排除された男性が、特別公務員職権乱用罪などの疑いで札幌地検に告訴状を提出した。

安倍首相の応援演説などで、ヤジなどで自分の意見を表明した人が、何らかの形で威圧をされたのは、今回がはじめてではない。
いろいろなところで、安倍首相に抗議のプラカードを見せようとした人が、安倍親衛隊とおぼしき人に取り囲まれたり、プラカードを取り上げられたり、一時預かると持ち去ったりされている。なかには、なかに自民党のスタッフの名刺を差し出したり、「警察の者ですが  」と名乗る人もいるという。「警察の者」と名乗るのは警察ならよいが、そうでなけえが身分詐称になり悪質な犯罪です。また、警察管なら初めに身分証明書をするのが決まりなはずで、それをしないのは明らかに職権乱用といえる。また、住所や名前を聞き出そうとしたりするのは、不当な個人情報の収集にあたるので違法といえる。そのようなことが今までもいくつも起きていた。
私は、このこのブログで2013-07-12 http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-1355.html『ある暑い夏の日の、こわ~い出来事』で、若い母親が郡山市で街頭演説で、『安倍さん、原発事故を起こした張本人は、あなた、安倍さんですよね!』
『私の大切な宝物達は、安倍さん、あなた方の、お金、権力欲しさのために、生まれ、命をけずられ、人体実験にされ、生きていかされてるんじゃない!』と書かれた抗議のプラカード掲げると、屈強な男4人が取り囲み、「ここは演説会で、国会とか質問して応答する場じゃないですから」ととがめた事件を紹介した。

それのようなことが、今年の参議院委選挙では、北海道だけでなく各地でおきている。しかも安倍親衛隊や自民党スタッフだけでなく、警官がしたこことは大きな問題です。このことは、もっとマスコミも取り上げ今後の告訴したその後のことも報道して、私たちに知らしてほしいものだ。

消費主義はウイルス

ローマ教皇はバチカンで行われた日曜ミサで「物のために暮らしても決して満足するこてゃない。欲望の膨らみ、それを得られなかったひとは常に満たされず怒りを感じる。消費主義は信仰をむしばむウイルスだ」。と批判した。
そして、「消費主義では、持っている物で人生が決まってしまうと信じるようになってしまう」と述べ、現在の行き過ぎた消費主義に警鐘を鳴らしたといえる。
これは、特にアメリカでのクリスマス商戦前の、ブラックマンデー、サイバーマンデーと呼ばれる、消費商戦の過熱を戒めた。

この、ニュースを聞いていて、京都の龍安寺にある銭の形をした「吾唯足知」蹲を思い出す。
また、竜安寺の蹲から発想を受けて描かれたと思う、葛飾北斎の北斎漫画十一集の裏付けにある、「吾唯足知」を大きな銭の図案に模しそれを唐子が背負っている絵がある。その添え書きに北斎は「事たりる 足につうけても 足らぬなり  足らて 事たる身こそ やすけれ」と記している。

また、白隠禅師は座禅和讃で、「衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 譬えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり 長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず」(人々は、仏がこんなにも近くにいるのに気づかず、より多くを求めてばかりいるのは愚かなことだ。たとえるなら、水の中にいながら、喉が渇いたと叫んでいるようなものだ。裕福な家の子に生まれていながら、貧しいと悩んでいるのと同じことだ。)と述べている。

フランシスコ教皇は、聖名である聖人アッシジのフランチェスコは、裕福な家に育て若いときは、友達と放蕩し遊び回っていたが、ある時、アルヴェルニアの山上で十字架のキリストの出現を見たことを境に、無慈悲冷酷を嫌い、すべての人に愛情深く親切にし、貧民に施しをした。また、自ら清貧の生活をしててキリスト教を信仰し、その威徳にすがって生き方を示した人です。
そのような聖人の名を冠したフランシスコ教皇だからこそ、今の現代の消費社会に警鐘を鳴らすのは、重みがあります。

また、白隠禅師の坐禅和讃や北斎の吾唯足知の絵も、仏教の根本的な教えの一つでもあります。仏教の開祖である釈迦はインドの釈迦族の王子だったが、人が生きるとは何かを考えるために、王子の地位を捨てて自分を見つける旅にでて、「衆生本来仏なり」の悟りを開き仏教を開いた人です。
いずれにしろ、足るを知ることの大切さは何かを考えるうえで、今の消費社会を見直してみる必要があるでしょう。
また、坐禅の心得・取り組み方について書かれた「天台小止観」には、五種類の欲望を呵責せよ。また、五種類の蓋を捨てよと書いてある。
五種類の欲望とは、色・声・香・味・触で、五種類の蓋とは心に覆いかぶさり善い心の芽を生長させない、貪欲・瞋恚(いかり)・睡眠(こころのしずみ)・掉悔(そわそわする)・疑のことです。
欲望は善い心の芽を摘みとり、悪い心を助長させるもので、物欲で全てが決まってしまうようでは、心のやすらぎはおきないので、貪欲を捨てよと言っている。フランシスコ教皇のミサでブランクマンデーについての警鐘は現代の私たち全ての人に言えることだろう。

温暖化対策について話し合われるCOP25の会議が開かれているが、ここで議案に上がっているものは、人類の、地球の未来が大きく左右される問題だです。現在の生活を続ける、さらに豊かになるという欲望により、豊かで便利な現代の生活を産み出してきた。しかし、現在の豊かで便利な生活をさらに発展さえよくすることは、未来の地球や人類にとって、どのような贈り物にするのかをよく考える必要がある。温暖化の視点だけでなく、石炭や鉱物の採掘による自然破壊、増え続ける人口を賄うため、農産物の増産のため、牧場などのために森林や山野を開墾し、自然を破壊していくことの是非など。様々な視点で議論して結論を見つけないといけない、安危などの分かれ目に立っていることを知りしるべしだ。それは、欲望とくに物欲、消費欲について考えるべきだ。とくに、不要な買い物は景気を底上げするが、不要な買い物を見直すべきだ。


ところで、プラックマンデーは店が黒字になるからだそうだが、店側には黒字のブラックだが、消費者にはとってのブラックは、黒白をつけるのブラックで、相撲の黒星と同じにななってしまう。そうなると回る回ると黒字のブラック商店はブラック企業のブラックと同じブラックになる。

香港の今後

香港の混乱は、香港行政府が「逃亡犯条例」中国政府に犯人引き渡しに関する改正問題に端を発し、デモが本格化したていった。
「逃亡犯条例」の改正案に反対するデモが始まって5カ月余り。犯罪の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする条例の改正案は10月に撤回された。
しかし、デモが鎮静化するどころか、抗議デモが拡大し警察の規制も強化されて、それに伴いデモも過激化していた。デモ参加者がマスクをするなどしたことにより、香港行政府はこの間もデモを抑え込もうと、「覆面禁止法」を制定し参加者のマスク着用を禁じた。これにより、市民は、集会や表現の自由を脅かす法律だとして、抗議行動は逆にエスカレートしていった。
覆面禁止法は、世界の国の多くにある、非常事態宣言や戒厳令や自民党が憲法に盛り込もうとしている緊急事態条項のようなものだ。しかも、その制定過程は強引なものだった。「覆面禁止法」は、行政長官が緊急時に議会の手続きを経ずに必要な規制を設けられる「緊急状況規則条例」を発動したしたもので、適正な立法の手続きを踏んだとは言えない。
それにより、香港の高等裁判所に当たる高等法務院も香港基本法に違反しているとの判断を示した。合理的な範囲を超えて市民の基本的権利を制限していると認定した。しかし、この判決に対し中国政府は、香港基本法の解釈権を持つ「全国人民代表大会常務委員会の権威への挑戦」と批判した。
ただ、一つ言えることはこの点に関して、行政権と司法権の二権は独立して存在していることが表れている。立法権と行政権は「覆面禁止法」に関しては行政権が立法権を呑み込んでしまってる。

また、テレビなどで警察の取り締まりをみていると、日本の機動隊にあたる武装警察は、完全防備しマスクをだけでなく覆面をしてる者もいた。また、デモ隊に対し催涙弾や放水だけでなく、実弾も発射して単に鎮圧だけなく強化されてる。それが、香港市民は認めず逆に抗議行動が過激化してしまった結果に終わっている。

英国から中国へ主権が返還されて22年。中国の特別行政区となった香港は一国二制度のもと「高度の自治」が保障されているはずだ。それは憲法にあたる「香港基本法」は言論や集会の自由を認め、司法制度も独自の司法権が確立されていはずだ。

香港のデモの民衆の5大要求は、1.逃亡犯条例改正案の完全撤回 2.市民活動を暴動とする見解の撤回 3.デモ参加者の逮捕・起訴を中止 4.警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査の実施 5.林鄭月娥の辞任と民主的選挙の実施。
だが、1はすでに撤回をされたが、他のものは受け入れられていない。しかし、少なくとも今後の市民の表現の自由を保障するためには、4の警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査の実施は実現されるべきだろう。


区議会選挙の結果は、なにを表しているのか、70%を超える投票率、民主派が8割を超える議席を獲得したことを見ると、火を見るより明らかだ。
香港市民は都市機能がマヒし生活に支障をきたしたが、民主派が大勝し親中派が大敗したのは、香港の一国二制度を守り、「香港基本法」で守られている言論や集会の自由、司法制度の独自の司法権が守られることを望んでいるのをあらわしている。
香港政府トップの林鄭月娥行政長官は選挙直後の声明で、「社会の現状や問題を巡る市民の不満を反映しているとの指摘がある」と反省の姿勢を見せているが、後日の記者会見では民主派が掲げる「五大要求」に対して「一部は既に応じた」と述べ、普通選挙の導入などは拒否している。
林鄭行政長官は、一連の混乱を本気で収拾するより、中国政府の顔色を窺いながら事態の収拾をしていくとみられる。それにより、根本的には5大要求の2.3.5は受け入れないだろう。

今後香港を正常に戻すには、中国政府の柔軟な対応が要になるだろう。中国共産党は10月末に「香港の管理強化」を打ち出しているが、香港経済の発展は世界の金融市場としてあるのは、香港に言論や集会の自由、司法制度の独自の司法権があるかで、中国政府も中国の経済も香港と密接に関係しているので、香港の本土化をむやみに押し付けることはないだろう。
香港の動向が議会選挙や、来年1月の台湾総統選に影響が及ぶことを警戒しているだろう。しかし、習近平など党など中国本土では保守派から、香港の民主派と呼ばれる市民に譲歩したと受け止められることは、あってはならないことです。また、中国国内の自由と民主主義を望む市民たちを、活気づけることになっても困るだろう。繰り返しになるが、香港の発展と中国本土の発展は香港の「一国二制度」を尊重し、香港政府に一定の裁量を与えることが重要だ。

香港のこれから

香港の区議会選挙が行われ、全452犠牲の9割にあたる390議席を民主派と見られる立候補者が議席を獲得した。また、投票率は前回の147万人を大きく上回り300万人近くが投票し、71%を超え過去最高を記録した。
NewsWeekJapanによると、ラム行政長官は、香港政府は区議会選の結果を尊重するとしたうえで「平和的で安全かつ秩序ある状況が続くこと」を望むと述べたことを紹介している。また、「結果について、巷ではさまざまな解釈や分析がされているが、市民の現状や根深い社会問題に対する不満を反映するという見方がかなりある」とし、香港政府として「世論に真摯に耳を傾け、真剣に応える」方針とも述べている。

しかし、根本的には一国二制度の下で香港の自治がおこなわれるので、中国共産党の一党独裁の特別自治区の香港行政府としては、民主派の言うことをそのまま受けいることもできないし、中国政府も今後の対応が民主化の進むことは警戒するので、民主派の要求をそのまま受け入れらないだろう。
香港政府トップである林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の対応が注目されるが、中国政府のとの関係もあり、難しい対応を迫られることになる。

民主派の方も、林鄭行政長官がすぐに民主化に向けての対応を取らないからとして、ここ6カ月のように、過激な暴力的な抗議運動を続けると、逆に民主派を押さえこもうとする親中派に民主派運動を押さえこむ理由を与えることになる。
時間はかかるが、民主派の人たちは自重し民主化運動を慎重に作戦を練って進めるべきだろう。

台湾総統府は、選挙結果に「大いなる称賛と支持」を表明。「選挙には、自由と民主主義を追求する香港市民の揺ぎない意思が全面的に反映された」としているが。台湾も蒋介石の国民党の独裁政権時から、嶮しい道のりを経てようやく今の台湾の政治がおこなわれている。香港の民主化のを望む人は、政府への監視と抗議の手を緩めず、しかも過激な暴力に走らずに
することが、香港の一国二制度のものでの民主的な特別自治行政区が形作られていくだろう。
また、それにより、ベルリンの壁が崩れ東欧の諸国の共産党政権が雪崩を打って崩壊したように、中国の民主化が進み台湾との統一や、南北朝鮮の統一へと進む可能性は無きにしも非ずかもしれない。
話しはそれるが、台中関系より、朝鮮の南北の課題の方を見ると、南北の経済格差を見ると難しいだろう、朝鮮戦争以前は日本の統治時代から、朝鮮半島の北の方が経済的に豊かだったが、いまは、南北の格差は30倍ほどあるとも言われている。そのような現状で統一されると、韓国経済に大きなダメージが起こるので、すぐには起きないだろう。

香港と中国は経済的に相互依存している現状で、お互いに冷え切った関係になるのは、親中派、民主派であろうとそれは避けるであろうし、中国も香港が経済的に混乱してしまうことは避けたいだろう。
今後の、香港行政府、民主派、中国政府がどのようにこの問題を解決していくのかに注目したい。

武器輸出の大国になるのか

日本で戦後初めて、武器見本市が開催された。
日本が今まで、平和憲法の下で「武器輸出三原則」で、・共産圏諸国向けの場合 ・国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合 ・国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合。に於いて武器の輸出を厳しく規制してきた。しかし、安倍政権により「武器輸出三原則」は廃止され、代わって「防衛装備移転三原則」が定められた。
これにより、大幅に日本が外国に武器輸出ができるようになり、三菱や川崎重工や新明和などの軍事産業が外国に武器を輸出できるようになり、それらの企業が武器を出品して外国に売り込もうというわけだ。

武器と言ってはいけない、防衛装備と言わないといけないらしいい。
この見本市は葉市の幕張メッセで開かれ、日本企業約60社、海外企業約900社が出展した。
これによりどれだけの商談が成立したかしらないが、日本の軍事産業が作った防衛装備品すなわち武器が、国際紛争で使われ戦争を助長させる恐れがある。そのようなことがないようにどのような目的で輸出されるかなどの透明性を確保しする必要がある。それを日本政府は武器の技術を厳格に管理できるかが問題です。

安倍政権は憲法で禁止されていた集団的自衛権の行使ができると憲法解釈を変え、武器産業が振興するような政策をとり、武器輸出三原則を防衛装備移転三原則に変えてしまった。これにより、武器輸出が可能になり軍事産業が昂進することになる。
武器の需要は使われないと需要は起きない、つまりどこかで戦争が起きることを願うのが武器産業ともいえる。

また単なる鉄砲の弾や大砲や戦車や潜水艦や戦闘機やヘリコプターや軍艦などだけでなく、人工知能を搭載した殺人兵器の開発も盛んになっている。
これらの人工知能兵器、すなわちAIロボット兵器の開発は、ドローンのように遠隔操作するものだけでなく、自律型学習型のAIロボット兵器の開発も、アメリカやロシアや中国などでもされてる。

日本の企業が開発し外国に売却され、それが戦争に使われる日がそう遠くない日がやってくるだろう。

香港の抗議行動に思う

香港で犯人の中国本土への移送ができる法案への抗議行動が、香港の民主化と自由を守る運動への発展していっていうる。さらに、その抗議が若者を中心に過激かして、暴動とも言える状態になってきている。
香港政庁の林鄭月娥長官は、一部の若者の抗議活動の暴動行為を強く避難し、暴力的な抗議行動は断固取り締まるとしている。
しかし、テレビなどで報道されている、香港の警察の取り締まりと言うより警官の行動をみていると、警官の過剰な取り締まりと言うより武力・暴力で押さえ込もうとしているようだ。少し前まで機動隊と言うか香港の武装警察は重装備でデモ隊を鎮圧しようとしていた。
テレビでこのところのデモを規制しようとする様子をみると、軽装の警察官がデモ隊を規制しようとして、デモ隊に対して過剰に立ち向かっているように見える。重武装の警官より、軽装警官の方が向かってくるデモ隊に恐怖を感じ安易に拳銃を発砲しているように見えた。

ともかく、40年ほど前に日本では、学生などの過激派のデモは、ゲバ棒とヘルメットとタオルで警官に立ち向かっていた。機動隊は放水車と催涙弾で押さえ込もうとし、それに対して、過激派は歩道の敷石での投石と火炎瓶を投げるエスカレートしていった。
しかし、香港での若者市民への警察の規制行動をみていると、武器を持たない市民に対して発砲したことになり、警察は、警察官の指揮コントロールが仕切れていないようにおもう。至近距離から拳銃を撃った警官は、恐怖を感じ発射したのだろうが、それは、例え恐怖を感じたとしても、警官としては十分慎むべきものといえる。
また、警官が抗議行動に集まっている中へバイクでつっこむのは明らかにやりすぎといえる。
これらのことで、市民の反発はさらに強まり、香港の混乱はますます混沌としていいくだろう。
なんか、香港にさまざまな共産党や中国本土指示者や民主化と自由を求めるものが魑魅魍魎と渦巻いているようだ。

香港政庁の行政の行いかたは、一国二制度に則ったものではなく、香港の自主性や自律性の施政ではなく、中国政府の出先機関になっていく道を歩んでいるように見える。
また中国政府を見ていると、いまの香港の混乱をできるだけ早く収束させたいが、香港が今以上に民主化と自由になることは好ましく思っていない。
中国の習近平主席は、林鄭氏に強い信任を与え、香港「暴力と動乱の制止と秩序回復」が最重要任務だとし、香港の今以上の民主化と自由への抗議行動を、十把一絡げに暴力と動乱としてしまうのは、中国は今後も香港の自主性には口を出し規制していくということを言っている。
香港の大陸よりの新聞「環球時報」は電子版の社説、11日に香港警察がデモ隊の若者に対し実弾を発射したことについて、「危険な状况で暴徒を銃撃し、倒すことを断固支持する」と発砲の正当性を主張した。さらに、「法律を執行中の警察官を攻撃するならば、その場で射殺される可能性も含め、様々な法的リスクに直面しなければならない」「デモ隊の凶悪な行為は過激派組織『イスラム国』のメンバーのようなテロリストと変わらない」と述べている。
市民の抗議を「凶悪な行為と」と切り捨てるのは、粗野で粗暴な考えだ。このようなことが広がれば、香港でさらに弾圧が強まる恐れがある。今後も、香港の混乱は続くだろう。

また、いまの香港の抗議行動の取り締まり強化は、お互いに行動をエスカレートさせかねないが、同様なことはどこに民主主義国でも起こりうることで、フランスなどは自分たち市民が革命をおこした経験があり、抵抗権の権利意識は高い。あめりかでも、憲法にも書かれ銃を持つ権利はそこから来ている。政府への監視と抗議の行動を押さえこむことは、為政者として慎重にすべきといえる。

表現への自粛

あいちトレンナーレの「表現の不自由展」に続いて、新ゆりが丘映画祭で「主戦場」の上映が中止された。
このふたつとも、主催者側が展示、上映をすると、混乱が起きるのではないかと憶測して、自粛したものです。

この、主催者側が自粛することが多くなることは、表現者が自分で自分の首を絞めるようなものです。
自分の表現に対して、反対や批判があってもそれはそで、認めその反対者や批判者は、その表現に対して正面かあ挑むことにより、その表現に対しての意識が広がるので良いことです。

しかし、陰で攻撃するなどと言いふらすのはよくないことです。さらに、そのような攻撃に対して、表現者・主催者側が過度な反応をして、自粛するなどは結局は陰で攻撃する人に屈することになる。

古賀繁明氏が 「ホップ・ステップ・ジャンプ」の独裁へ進む道として、
1.ホップ : 報道の自由への抑圧
2.ステップ: 報道機関自身が体制迎合(大政翼賛会)と国民の洗脳
3.ジャンプ: 選挙による独裁政権の誕生
そこからは、戦争への道をまっしぐら
 と述べている。
 忖度や自粛は2のステップの最終段階で、3に入りかけているともいえるだろう。

KAWASAKIしんゆり映画祭

川崎市で開かれている「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、慰安婦問題を扱った「主戦場」が上映中止になった。
愛知県のトレンナーレーの「不自由その後」の展示スペースが閉鎖されたことに次いでこのところ、表現の自由に関する問題が深刻な状況になっている。
慰安婦問題といえば直ぐに思い出すのが、NHK番組改編問題です。クローズアップ現代の慰安婦を扱った番組が5分程短く放送されそのあと音楽が流れてなにか変な番組だった。後で知ったことだが、安倍首相が1年生議員のころに、数人でNHKに押し掛けて慰安婦を扱った番組について難癖をつけた事件があった。

川崎のKAWASAKIしんゆり映画祭では、映画の上映を中止したことに抗議して、「とめられるか、俺たち」「11.25」自決の日~三島由紀夫と若者たち」の2つの作品の上映の取りやめを決める決定をする事態になっている。
会見で監督が「表現の場が失われている流れに異議申し立てをする」と説明している。
「とめられるか、俺たち」の監督の白石和彌氏はNHKのニュースによろると「ことしに入ってからあいちトリエンナーレの問題などの中で、表現の場が失われている流れがある。この流れに異議申し立てをして、問題提起の1つとして上映取りやめを決めました」「具体的にはどういうものか分からないが、川崎市が懸念を示した瞬間に何らかの圧力だとわれわれは思っている。映画祭側も映画人として映画を守るべきだし、そこにプライドを持ってほしい。どんな圧力を受けたとしても、そこで映画のために戦ってくれる姿勢が1ミリでもあれば、僕らはその背中を押します」と話している。
また、「止められるか、俺たちを」の脚本をした井上淳一氏は「事なかれ主義で、『大きな問題が起こる前にやめておこう』ということが起きている。今後、映画祭では政治的な映画は初めからリストアップしないとか、そういうことが起こるのではないか。しんゆり映画祭は愛のある映画祭だと思っていたので、だからこそ悲しい」話している。
枝裕和監督は、「主催者としてあるまじき判断で、作り手への敬意を欠いている。どういう善後策を取れるか考えてほしい」と訴え。出演した井浦新さんは「都合が悪いから上映を中止するという考えは映画を楽しむ人も作り手も自由を奪われる危険な行為だ」と抗議している。
名古屋についで、川崎でも起きこのようなことが連鎖しないように願うのみです。

慰安婦問題など対韓国に関わる問題に対して、安倍晋三は批判的否定的な考えをもっていることは、NHK番組改編問題であきらかだが、それに対して地方行政が顔色を窺うかのようにして忖度するような行動をとることは、地方自治のあり方としても問題で、このようなことが積み重なっていくと中央集権的なことになりかねない。もっと地方行政の人は、自律した行動をとるべきだと強く感じる。

世界記憶遺産の認定制度改革

日本政府は、ユネスコの「世界記憶遺産」の制度改革を求めている。
日本政府は、南京大虐殺の資料が登録されたことについて、この制度が政治利用されているいうものです。
南京大虐殺について、政府はその数などが実証されていないので、不確実だと主張し記憶遺産に登録されることは、政治的な意図をもったもので許されないとしています。また、政府内にも虐殺自体を無かったと否定する人すらいる。

日本の記憶遺産で初めて登録されたのは、筑豊の炭坑の坑夫が描いた絵と文書です。炭坑労働の過酷な労働と日常の生活の様子などが描かれたもので、炭夫がどのように搾取されていたかも記録されいる。このような物は自虐的で日本の世界遺産に登録するのはふさわしくないと訴える人もいる。

世界記憶遺産は、各国の政府から個人まで幅広く申請でき、専門家による諮問委員会で審査され登録される。
そのの国の政府の思惑だけでなく、人権を重んじる国民の思いから、様々な価値観から申請され、過去の過ちから学べるものも多く登録されている。
ユネスコの世界遺産、特に記憶遺産には、負の遺産」と言われるものも登録されている。同じ過ちを繰り返さないようにするてめです。ナチスのホロコーストなどの資料などがそれに当たるでしょう。

日本は、軟禁大虐殺が登録されたこと、また従軍慰安婦の資料が登録の申請されていることで、登録されてないように、関わる国どうしで協議して、登録が政治的なものにならないようにすべきだと主張している。

日本の登録されている記憶遺産で、政府が申請されたものは、みな文化財として高く評価されているもで、府の遺産は少ないです、長崎の潜伏キリシタンなど、過去の武士政権のときのはあるが、
確かに、多くの国は、自分の国の負の面を認めることになる、登録されことはためらう国は多い。
日本の近代政権による負の遺産などは申請を避けているのはいかがかと思う。
そのような事ばかりしていると、未来の日本のあり方で、依然した似たような過ちを繰り返すことがないように願うものです。

皇室への親しみ

NHKが即位礼正殿の儀に先立ち、皇室について国民にアンケートをした。

NHKが、皇室に関する調査を、RDDという、無作為に発生させた番号に電話をかける方法で世論調査をした結果。
「関心がある」と答えたひとが、72%になり、「関心がない」が27%の結果が出た。

調査結果の細かい内容や分析はともかく、わたしは、皇室に関心があるという人が増えることはよいことで、悪いことではないと思う。
ただ気になるのは、
40代以上の各年代で「関心がある」と答えた人が70%を超え、30代で62%、18歳から29歳では48%で、若い世代では皇室への関心が低くいということです。
これからの世の中を背負う若い人に、親しみを感じる感じないなどや、「天皇や皇族の考え」「皇室の伝統行事や文化的財産」「天皇や皇族の普段の生活」「天皇や皇族の公務」「皇室予算の使い道」などその関心の内容はともかく、ももっと、皇室のあり方に関心をもってもらいたいものです。

しかし、昭和の時代より平成の時代の方が皇室に関心があると答えた人が増えたことはよいことでしょう。これも、戦線の御簾の向こうにいる天皇でなく、上皇は皇太子のときから沖縄での慰霊の旅を始め、災害の被災地では膝をついて被災者の話をきくなど、国民に寄り添ってきた行いが国民が親しみを感じることになったのでしょう。

だが、安倍首相などやその周辺の人や、安倍晋三をおすグループの人たちは、このNHKの調査結果をどのように感じているのだろか。
これらの人たちのなかには、被災地で被災者の話を聞くのに床に膝をつくのは、跪くものでこれは、深い敬意や屈服の意を示す動作で天皇がすることではないと言う人もいる。
また、国民が天皇に親しみをもち、天皇と国民と近くなり過ぎるのは、畏れ多いことでよくないとするひともいる。2700年ほど続いている天皇家は、万世一系の皇統でこれは万世不易なもので、神格化されるべきでだとする人たちにには、国民が天皇家に親しみを持つことはとんでもないことで、不敬にあたるとおもうだろう。
この調査結果をみて、このようなけっかになるのは、学校で今まで教育勅語を教えてこなかったからだ、道徳教育で教えるべきだという人も出てくるだろう。

もっとも、政治家の中にはそのように思っていても、あからさまのにはそのようなことを明言せずに、親を敬い孝行し友達とは仲よくすることは大切だと、教育勅語にはそのことが書かれているといって、道徳科の授業で教えるように言う人が触れるのではないだろか。

ますます今の日本は明治に近づいているきがする。
安倍晋三はそこまで考えるよな人ではないだろうが、その周辺にいる。事務所に教育勅語を掲げる荻生田文科相、自身のWebページに道義大国の日本などと書く稲田朋美、長勢甚遠元法務大臣は憲法の国民主権、基本的人権、平和主義をなくす
などという。閣僚に日本会議国会議員懇談会の会員で明治回避の復古調の人は、うじゃうじゃいてはそのように思っている人がうじゃうじゃいる。

カタルーニャの独立と沖縄

スペイン カタルーニャ州の独立運動で、中央政府の反対を押し切って、実施した州政府の幹部や独立運動のリーダーなど9人が、国家反逆剤で罪を問われていた。その裁判の最高裁での判決が14日に、当時カタルーニャ州副首相だったジュンケラス氏に金庫13年 ほかの8人に禁固9年から12年の判決を言い渡した。
スペインのサンチェス首相は、判決のあと記者会見で「独立問題は新たな段階に入った」と述べ、対話による解決を呼びかけた。しかし、カタルーニャ州では判決をうけて、独立派がデモを行うなど反発が広がっている。
ロイター通信は、大勢の住民が自由などを求めるスローガンなどの横断幕を掲げてデモをしている様子を伝えて、バルセロナ空港では、判決に抗議する市民と警察がもみ合い、空港と市街地を結ぶ鉄道が一時運転を見合わせる影響などがでている。
また、ネット上でも多くの抗議行動を警察が鎮圧している映像が投稿され。
また、イギリスBBCは、判決に抗議に抗議する住民が主要道路を封鎖さする動きが複数確認され、学生が抗議のため授業をボイコットするストをする学生もいると伝えている。
独立運動が再び噴き返すことが予想される。
中央政府がカタルーニャ州の独立運動の平和的な行ないに対して、司法の力で封じ込めようとするのは、後々問題を残すことになるだろう。

独立への動きは、スペインだけでなく世界の国々でも起きている。イギリスでもスコットランドや北アイルランドも独立運動はある。また、隣の中国でもチベット自治区や香港や他の少数民族の中で独立の声がある。冷戦終結後、独立した自治権を求める地域で、内戦になっているところもある。スペインやイギリスはまだ平和的で穏健な方です。
独立はその民族や地域のアイデンティティや自活性などをはらんでいるが、カタルーニャなどは経済的に裕福なので、スペインの中央政府に属すよりも離脱した方がよいと言う人もいるだろうし、スコットランドや北アイルランドなどは、連合王国から離脱すると、独立する側もウエルズやイングランドのどちらの地域も経済的に縮小してしまうおそれあり。その地域のナショナリズムやアイデンティティをいかに中央が認め尊重するかが鍵になるのではないだろうか。

日本は、北海道と沖縄にもそれぞれの文化とアイデンティティを中央政府が重視し尊重しないと、独立の声が芽吹いていくかもしれない。北海道は本土からの入植者が多いので大きな運動になりにくいが、沖縄は明治政府による琉球王国を無理矢理に明治政府の下に組み入れたは、どこまで正当といえるか。他の藩は徳川幕府の下に傅いていたので、藩を廃止県を設置するのは問題はないが、独立した琉球王国をいきなり県にするの、植民地政策と同等と見ることもできるので、琉球処分が正当な手続きがされてなされたものかの検証も必要だろう。
沖縄の琉球処分は正当でないとすると、琉球処分は無効になるかもしれない。そのようなことが起きないように、日本政府はもっと、沖縄の本当に寄り添てこれから政策を進めていかないといけないだろう。

報道事変

報道事変という物騒なタイトルの本を読んでいる。

報道事変


いまこの国の政権が、国民の知る権利をないがしろにし、報道もそれに抗そうとせず、国民の知る権利を守らない。
それは自民党の安倍政権に限らず為政者が、常に願っていることのようだ、しかし、国民にとって不幸なのは、それを善しとしないトップは、自由な報道により国民により蹴落とされてしまう。

そのようなことがこの本には書かれているが、しかしそれより現政権の横暴さに重点が書かれて、私たち庶民が本当に心しないという点に踏み込んでいないのが残念です。

しかし、政権を握っている為政者に、それが着々と現在進行形であることに恐ろしさを感じた本だ。

図書館の貸し出し履歴

先日ニュースを聞いていて、鹿児島県警が図書館に図書の貸し出し履歴を照会したとして問題になっていた。
私の住んでいるところの図書館では、一度図書館員の人に、自分の過去の貸し出し履歴は見れないのですかと、訊ねたことがるが、「貸し出し履歴は残していない」との回答だっった。

8月17日付の南日本新聞に、県警が図書館に利用履歴の紹介があったと伝えていた。
鹿児島県で過去3年間に5つの図書館が、警察から「捜査関係事項照会」と呼ばれる依頼を受け、4つの図書館が利用者の個人情報を提供していたという。
一つの図書館は利用者の貸し出し日時が分る資料を求められ書名を黒塗りで提供、2館はカード発行の有無だけで利用履歴は答えなかった、1館は犯罪者の遺留品に図書カードがあり、身元確認用として名前と住所の紹介に応じたとうい。
これは、鹿児島県警のことだろうかと思い調べてみると、国会図書館では、令状なしの利用履歴の提供に応じたことはなく、今後も同様で、国立国会図書館としては、個人情報保護及び国会職員としての守秘義務等の観点から、裁判官が発付する令状がなければ情報の提供しないといっている。

しかし、日本図書館協会が2011年に実施した「図書館の自由に関する全国公立図書館調査」調査によると、捜査機関からの貸出記録等の照会を受けたことのある館は945館のうち192館(20.3%)。提供したのが113館となっている。

捜査機関から照会を受けるデータは、貸出記録、登録の事実と内容や登録年月日、最終貸出年月日のほか、複写申込書、インターネット端末利用申込書、レファレンス記録、防犯カメラの画像などという。

『図書館の自由』第89号(2015年8月)の記事を、「令状主義」の原則について解説をさらに加えました(2019/7/3掲載)。http://www.jla.or.jp/Default.aspx?TabId=658

また、2019年1月21日の朝刊に、「Tカード情報、令状なく提供 レンタルやポイント履歴 会員規約に明記せず」の記事が載っていた。

この記事を書いていて思ったことは、ネットで本などを購入すると、過去の購入の履歴をみれるよになっている。アマゾンなどは過去の履歴を非表示にできるようになっているが、表示されないだけでサーバーの中には、その履歴が残っている。また、ネット書店などでは「あなたにおすすめの本」といった文字を目にするが、ネット書店のサーバーのAIが、客の購入履歴を分析しているのだろう。
鹿児島県警のように、ネット書店に本の閲覧の履歴や購入履歴などを照会されることはないだろうかというより、警察は捜査のためと頻繁に紹介を要請している可能性もある。

また、ある政府の事務次官の官僚が官房副長官から呼び出され、素行について訊ねられたという。そして数日後の一つの大手新聞にそのことが載ったことがる。副長官がなぜそれを知っているのか、警察が内閣情報調査室はわからないが、いずれにしろ情報収拾のためには何でもするようです。できるだけ個人情報を保護し権力者が侵さないようにすべきだろう。

2012年の自民党の憲法改正草案には、【個人情報の不当な取得禁止】が新設されているが、書かれている所は、第三章の国民の権利と義務のところで「何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない」と書かれている。
読みようによっては、ジャーナリストが政治家の情報を取材することも制限されかねないともとれる。逆に、公安や警察なの個人情報を、不当に収集し侵してはならないような書き方ではないです。

国家はアメリカでもスノーデンがアメリカ国家が個人のやり取りを盗聴傍聴し取集いていることを暴露したように、これはアメリカに限らずどこの国もしていることです。
また、個人情報が企業により集められ蓄積され分析され、それが企業の販売活動に利用されいることは周知の事実です。それと同じように公権力の立場にある部署も、鹿児島県警が図書館に貸出履歴を照会請求をしたことから、すでに集められている恐れもあるといえる。

明治の「愛国心」

明治初期どのように「愛国心」を植え付けてたのか考えるため、ぺりかん社「『神国』の正統論」齋藤公太著を読んでいていると次のように書いてある。

今泉定介・畠山健訂正標註の「訂正標註神皇正統記」に今泉はその「刊行の趣意」で、国文の目的は文章を正しく綴ることとともに次のように述べている。「本書を読まんものハ、神器授受の大典、皇位継紹の尊厳なるを知り、国体の如何を明らかにする事を得べし、これ、邦人の必しも知らざるべからざる事なり」と記述している。
すなわち、国語教育で天皇の正統性を教えていくべきだと示している。
そして、明治二七年の「尋常中学校ノ学科及其程度」では、その趣意説明に次のように書かれている
「国語教育ハ愛国心ヲ育成スルノ資料タリ又個人トシテ其ノ思想ノ交通ヲ自在ニシ日常生活ノ便を給足スル為ノ要件タリ今ノ青年ニシテ中等又ハ高等教育ヲ受タル者卒業ノ後或イハ此ノ点ニ於テ不足ヲ感スル者多シ是レ授業時間ヲ増加スル已ムヲ得サル所以ナリ」
とかかれ、愛国心を育成するのに国語教育の重要性をうたっている。
そでは、「神皇正統記」をもって、どの部分を愛国心教育に利用したのか、それは、「神皇正統記」の序論野冒頭に書かれている次の所といえる。

   大日本者神國(おほやまとはかみのくに)也。天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)ひらき、日神(ひのかみ)ながく統(とう)を傳(つたへ)給ふ。我(わが)國のみ此事あり。異朝(いてう)には其たぐひなし。此故ニ神國(かみのくに)と云(いふ)也。
   神代(かみよニハ豐葦原千五百秋瑞穗(とよあしはらのあきのみずほの)國といふ。天地開闢(てんちかいびゃく)の初(はじめ)より此名(な)あり。天祖國常立尊(あまつみおやくにのとこたちのみとこ)、陽神陰神(をがみめがみ)にさづけ給し勅(みことのり)にきこえたり。天照太神(あまてらすおほみかみ)、天孫(あめみま)の尊に讓(ゆづり)まし/\し〔にも〕、此名あれば根本(こんぼん)の號(な)なりとはしりぬべし。(岩波文庫「神皇正統記 岩佐正校注」送り仮名を( )に著者変換)

明治憲法の告文と憲法発布勅語そして、憲法本文には、第1章第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス となり、よって第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス と続くのだろう。

このようなことを見ていくと、政治家が日本は「神の国」だといったのは、森喜朗首相だが、彼は戦前生まれで、明治の教育を受けているので、そのような考えがあっても不思議ではないが、戦後生まれの日本国憲法での教育を受けた政治家も、同類の発言をする人がいることは、現行憲法が施行された直後から、象徴天皇制に反対しきた人たちの芽がいま芽吹いているといえる。

日本は天皇の国だ、神の国だと言う人は、神皇正統記の冒頭の部分をさして述べていると考えられ、単なる失言ではなく確信犯です。
そして、その確信犯二通りある。
一つは、「神皇正統記」読んでの単なる受け売りで中学生以下のレベルだ。もう一つは、明治回帰を夢見明治憲法復活を願う人だろう。

横暴な権力に抗するには

横暴な権力に抗するには。
最近の自民党政権というより、安倍政権はこのところ、過去の自民党の政権運営と比べると、絶対多数の議席を確保し、かならず議会で可決できるのに、強行採決をたびたび繰り返す横暴さがめだつ。しかし、この流れは日本だけでなく、ほかの国でも同様なことが繰り返されている。

それに抗するにはどうしたらよいのだろうか、議会制民主主義に確立している社会では、権力に対して抗するに暴力をもって向かうことは一つの方法ではあるが、それだけで多くの指示を得られるだろうか。
香港では犯罪者の中国本土への移送ができる法律をめぐって、学生など市民と政権側が対立している。日本でも相変わらず安倍政権は、国会の審議では、法案をそのまま成立ありきの答弁しかしてない。このような反対者の声を一切聞く耳を持たないものに対してどのように、反対意見を主張していけばよいのだろう。
ペンタゴンペーパーを暴露した、ダニエル・エルズバーグは、日本でのインタビューで、次のように述べている。
「国家機密と良心」ガンディーの抗議に学ぶ (岩波ブックッレッド996 90頁)「しかし、生命や憲法を守るために、たとえ逮捕される危険があうとしても、個人でできるかぎりの強い行動ー誠実な非暴力行動ーを起こすことに価値がないかどうか、人々にはじっくり考えていただきたいと思います。市民的な不服従や逮捕されるようなことだけに十分な意義があるとか、唯一の価値があるなどと言うつもりは全くありません」。
市民として自分の個人のとしの尊厳を脅かされるようなこと、自由や生命や憲法を脅かすようなことを、為政者や権力者を黙って見ていないで、その現状を分析し考えてほしいと言っている。
日本のSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)について、エルズバーグは、「非暴力行動と決然たる態度には感銘を憶えました」。のべ、アメリカでの権力に抗する行動では、逮捕されることを全くいとはない人々もいて、そのような立派な人たちと活動しているが、だからといってそれらの人たちに全面的に同意はしていない。また、そのよう示威行動や抗議行動がすべてだという人もいるが、それにもエルズバーグは同意はしないと述べている。過激な行動が問題の解決にはならないと釘をさしている。今の香港での抗議運動も、抗議運動をが過激になれば、警察はそれに応じて押さえ込もうとし、最悪の場合は中国の武装警察が鎮圧にかかるかもしれない。天安門事件のときのように解放軍が出動することはないと思うが、過激すぎる抗議行動はそのトリガーを引きかねない危険性もある。
トランプ政権のアメリカも日本の安倍政権も、今までの民主主義で培ってきたこを崩しかねないことをしている。
エルズバーグは、「現行の制度がどんなに堕落し、機能不全に陥っているように見えようと、選挙での投票も大事なことです。われわれに投票する機会が与えられるとき、そのこと自体も重要な意味を持つということです。私の考えですが、示威行動や抗議行動に取り組む集団は、自分たちの望む変革のための立法を求めて、詳細な具体的要求を書諸政党につきつけるべきです。政党に参加したり、特定の政党を支持する必要はありませんが、要求事項をはっきりさせるだけでなく、要求を認めない候補者には投票しないことを鮮明にすべきです。そんな連中は権力の座から放逐し落選させることです」。と述べている。
抗議を行ったりするには自分たち市民として、どのようにあるべきかを明確にして、それを政治家政党に突きつけることが大切だと指摘している。ただ、このところ選挙の候補者の応援に駆けつた政党幹部に、抗議の声をあげたりプラカードを見せたりすうと。警察に排除されたということが報道されたが、まったく許されないことでそれに対する抗議もおこなっていくべきだろう。
だからといって、抗議行動をさらに強化したり過激になることについては、エルズバーグは次のように述べている。「暴力の行使を基本にすえよう、と主張する人々がいますが。私には賛成できません、運動の大儀に資するものではありません。暴力的な抗議は、自分の経験から見て常に、あらゆる抗議に不信の目を向けさせ、法と秩序を盾にして警察権力の拡大と実際の行使を望む勢力を強化し、弾圧を有効なものにする結果を生じると思います」
日本の60年代から70年代の学生運動をみても、学生運動が過激かするにつけ、民衆のこころは離れていき、過激派の活動はますます過激になり、放水と催涙弾と投石と火炎瓶の応酬になり、過激派は孤立疎遠になり瓦解してしまい、それと同時に穏便な抗議運動をしていたグループまでもが消えていてしまったことを見ると、過激過ぎる活動は人心の離れさせてしまうことがわかる。
また、権力側の思うつぼで、鎮圧の正当な理由にされてしまいかねないです。香港の犯人を本土に引き渡す法律の抗議運動は支持するが、その抗議活動が過激になってしまうのは一番心配するところで、香港市民と観光客の支持を得られるように、非暴力での抗議運動と現状を広く知ってもら活動が重要だろう。

このことは、香港に限らず、日本でも、フランスやイギリスでまた、アメリカでも同じことが言える。

のっぺららぼうな歴史観

「徹底検証神社本庁」 藤生明 ちくま新書 を読んでいると、歴史学者の家永三郎が、明治百年にあたる1968年2月11日に開かれた総評系平和集会で、「明治百年史観は日本の歴史をのっぺらぼうな一直線の発展・栄光の歴史ととらえ、その間の起伏をほとんど無視し、すべてをバラ色に染めてしまおうとする考えだ」と述べたと書いてああった。それから半世紀以上たったいまも、過去を反省する考えを自虐的と避難し、クールジャパンだといい、日本は希有な美しさがあると、自慰的なテレビ番組などが流され続いている。
50年前に、家永三郎が述べ警鐘はなんら生かされていない。

また当時を振り返ると、むしろ逆に当時の保守層では、国民総生産が世界第二位になったのは、明治の政策の賜であり、戦後に失われた日本の精神・明治の精神を取り戻し昂揚を図るべきだとの声が聞かれるようになっていた。
この点でも、半世紀後の今をみると、その地下水脈は流れ続け、いま、伏流水となってそこかしで、インターネットなどのSMSなどで、湧き出ている。その湧き出方を見ると、過去の歴史を振り返った言い方などに対して、周囲からパッシングされ、ネット炎上という現象が起きたりする。

また、家永の述べたことは、ネットユーザーだけでなく、政治家の方がその言動を見ていると、深刻な状況になっている。その政治家たちは、戦前の大政翼賛政治の時代を知らない、戦後生まれのしかも若い政治家に、明治はよきもの美しきものと、無条件で礼賛するものが多く、その中には国家神道が日本の伝統的な文化とだとしてその復興を願う者もいる。
国家神道とは、神社などの神社神道の神道とは別物で、明治政府が、国家統治のために日本の統合の権力の正統性を位置づけるために作り出されたもので、日本を統治するうえであみ出したものです。日本が元号を使うようになった大化の改新(645)からっみて1500年ほどたつが、そのかん天皇家が政治の実権を執行していたのは、平安時代の中頃までで、それ以降幕末までは武士が実権を握っていた。それを見ると、国家神道は、たかだか150年ほどの歴史しかないのです。

あらためて、私たちの文化とは何だろう、日本の文化とはなんだろうと考えてみるべきです・
日本の元号は中国の元号を倣ったものであり、江戸時代以前また、明治になっても日本の公文書は漢文で書かれたり、書き下し文を使っている。
萬葉集は万葉仮名でかかれ、上代のころに日本語を表記するのに、漢字の音を借用して用いられたているので、漢字でかかれている。そのようなことを考えると、日本独自とオリジナルの文化などはないのです。このことは、日本に限らず中国もそうだし、ヨーロッパやエジプトやメソポタミア文化も、それぞれ周辺から相互に影響を受けて形づくられたものです。そのことをよく知った上で、日本の独自な稀有な文化を見ていくことが大切です。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 東京五輪の延期は
    アジシオ次郎 (03/25)
     おはようございます。

     東京オリンピック・パラリンピックは1年延期となったわけだが、新型コロナウイルスという道の猛威には勝てなかったというか、この状況で予定通
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    竹林泉水 (02/20)
    「桜を見る会」などを棚上げすれば、モリカケのようにうやむやにされ、日本の行政がますますゆがめれれていく。
    コロナウイルスの対処は別問題では?
    一所にすれば、両方と
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    幽村芳春 (02/19)
    「桜を見る会」の論戦はいったん棚上げにして、今国会ではコロナウィルスなどの防疫問題を論議してほしいと思います。
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    竹林泉水 (02/07)
    コメントありがとうございます。
    五観の偈をとなえて食事をなさっておられるのですか。 頭がさがります。

    企業活動や時の政権も、この「五観の偈」を、政治や商売に置き
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    幽村芳春 (02/03)
    私も必ず「五観の偈」を唱えてから食事をいただいています。実際に唱えると五観の偈の意味がよくわかります。
  • 津久井やまゆり園の裁判
    竹林泉水 (01/15)
    こちらこそ 今年もよろしくお願いします。

    やまゆり園の裁判で、被告が突然暴れ出したとニュースされたとき、詳しいことが報道されなかったので、よく分からなかったです
  • 地球温暖化の問題点
    竹林泉水 (01/15)
    年始葬送のコメントありがとうございます。
    今年もお互いに良い年でありますようねがっています。

    ハイ 温暖化問題の解決の一番は、私は人間活動に足るを知ることだと考
  • 津久井やまゆり園の裁判
    アジシオ次郎 (01/13)
     遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

     さてやまゆり園無差別殺傷事件の被告に対する初公判は、開廷して被告が謝罪したと思いきや突然口に手を突っ込むとい
  • 地球温暖化の問題点
    荒野鷹虎 (01/10)
    温暖化問題は難解ですねー。
    直ぐ原発再稼働に走りがちになりますのでとんだ飛躍ですよねー。
    水力や風力発電はいかがなものでしょうかね。
    恐ろしいことが現実化されてい
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