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太極拳での作法

太極拳や気功と体操の違いについて書いたと、それぞれのからだを動かす運動・動作を行うときの意識の持ち方が違う、太極拳・気功ではそれぞれの動作の始まりと終わりで、その動作によりからだの軸と均衡について意識する。それは、それぞれの套路である動作の形を意識することが肝要になってくる。
太極拳に限らず舞踊/武術などでは、練習と云わず稽古という。その稽古をする意識は、それぞれの作法といってもよいかもしれない。

ところで、禅寺での修業では、それぞれの生活の動作の作法が決められている。特に曹洞宗の寺での、修行における作法は細かく決められているようです。食事の作法などは厳しく、覚えなれるのに大変なようです。しかし、その作法は合理的なもので一旦慣れてしまうと、理にかなっているので大変それ逆に楽なものになるという。
食事の作法に対しても、一つ一つ集中して動作を行うので、それぞれの所作・動作が非常に効率的になる。それによりその一時食事全体が一つに纏まり充実したものになるという。

気功や太極拳もそれと同じように、太極拳の一つの套路の動作を作法として行うのもよいものです。
先に述べた、修行僧の食事も、箸の上げ下ろし、碗の上げ下ろし、口への食べ物の運び方などを、一つ一つ意識して作法どおりに行うことにより、いただきものがからだの中に、染みわたるように感じてくるという。

気功や太極拳もそのような意識でおこなうとより一つ一つの套路が充実した動作が所作ないなり、からだを動かすことにより、食べ物のようにからだに沁みわたる感じ得られるようになってくるだろ。

私の毎日の朝の太極拳もそのような心持ちで、行うことを心がけるようにすることにする。

呼吸と病について

むかしから洋の東西を問わず呼吸の大切さが言われてきている。とくに東洋ではヨーガや気功などさまざまな呼吸を重視したものがある。先日、三線放鬆法の軟酥について書いたが、呼吸法について最近思ったことを書いてみる。

呼吸はなぜ重要なか、普段わたしたちが行っているのを自然呼吸などと言うが、自然呼吸では肺に殆ど新鮮な空気を取り込んでいないという。一説によれば肺の容量の20%ほどだともいう。
そこで、呼吸法で身体を循環してきた血液の中に溜まっている悪いガスを、吸った空気の中の酸素と肺の中の肺苞により、炭酸ガスと酸素のガス交換をする。筋肉やからだの各臓器の細胞は新鮮が酸素により活性化しあたらしい細胞も作られるのだろう。また、疾患がなどがあっても健全な身体になるように、酸素が促進してくれる。また、外部から菌が入ってきても酸素により菌に抵抗する細胞や血液が活性化して働き菌を撃退してくれる。これは細菌でもウイルスでも同じであろう、健康であれば少量の細菌やウイルスを吸いこんでも、からだの中のそれらが菌やウイルスを殺したり体外に出してしまう。それが浅い呼吸だと充分に行われないと病気にかかりやすくなることになる。

ただ厄介なのは、癌である。癌は菌やウイルスなどではなく、自分の身体の細胞が変異したもので、単なる呼吸によるガス交換だけでは、癌を撃退してくれないということができる。しかし気功の本などを読むと、ガンにも効く気功の呼吸法と書かれた本もある。
それらを読むと、先日書いた三線放鬆法の軟酥の卵の気を感じその気をからだに取り入れることにより、からだを蘇らせることのようだ。「病は気から」とか、医者も見放した患者が劇的に回復したなどの話をきくことがあるが、病気になったからガンになったからと、悩むよりまずはからだを養生し楽観的の気持ちで日常生活を過すことも必要だろう。病気になったガンになったからと、くよくよ悩むと気持ちまで落ち込み治るものも治らなくなるだろう。

まずは、朝新鮮な空気と朝日を浴びて散歩をして、呼吸法で新鮮な空気を吸って肺のガス交換を促進させて、うきうきした気持ちで過すことも大切だろう。

気功と呼吸 2

11月8日の「気功と呼吸」の記事で、からだをリラックスさせる方法として、三線放鬆法があると紹介した。
気功でよく「軟蘇」の塊を頭の上に乗せ、その軟蘇がバターが体温で融けてからだをつたって下に流れるのをイメージするといわれる。
私は、今までそのイメージをしてもただ単に、からだの側面を伝って流れおちるにとどまっていた。しかし、それだけでなく、両側放鬆法、身前放鬆法、身後放鬆法があり、頭の上に載っている軟蘇のバター次第に、頭の両側、顔と後頭部で両耳、両目鼻口そして頸部とバターが融けていくと同時に、それぞれの患部に浸み込み、内側かは肺で吸った新鮮な空気を吸った酸素染み出し、軟蘇とが結合してからだが再生蘇生していくのをイメージする。それを、頸部の両側つづいて両肩、両腕、両手、頸前、胸前、腹前、両腿前、両膝前、両脛前と、頭頂から次第に下に下がり、足裏までたどり着いていくのをイメージする。それにより、血管とリンパと神経そつたて気が全身に流れていくのをイメージすることにより、それを促進させることが重要だと、考えるようになってきた。

また、顔のマッサージや上腕前腕ののマッサージ、大腿下腿のマッサージ、胴腹の上から下へのマッサージ、また、上下肢については、静脈はからだの表面側に在り指先に末端から心臓に向かうで、両肢に軽く手を当て血液が心臓に戻る早さで、末端から体幹に向けてさする。

それにより、からだの血液循環が促進さる。血液が心臓に戻ることにより、心臓に戻った血液は、肺に行き汚れた炭酸ガスを含んだ血液は酸素とのガス交換がされ。新鮮な酸素を含んだ空気がからだの各臓器に行きわたり、からだが蘇っていく。

先ずは、気功の呼吸法はこのようなことから大切ではないかと考えている。

気功について

世界各地域では、昔から多くの権力者は不老不死を夢見てさまざまな方法を試み挑んでみたが、それらはすべて水泡に帰している。もともと不老不死などは、現代科学からして実現出来ないもので、それは未来に至っても同じことが言えるでしょう。
しかし、いつまでも健康でいられようと、さまざまな養生法が、世界のさまざまな地域で開発され試みられている。
日本でも昔から戦国時代、江戸時代と研究されてきている、その中でも江戸時代前期の儒学者である貝原益軒の「養生訓」は現代でも読み継がれている。また、明治になり西洋の科学が広まってからも、さまざまな養生法を開発した人が現れそのいくつかは今も普及し、多くの人が修養に使っている。

養生法の最も盛んに行われたのは、古代中国の気功がよく知られて、さまざまな養生法・気功法が現代も引き継がれている。多く気功法などは廃れたものもあるが、「黄帝内経」は、現代も中国医学の古典として読み継がれている。また、湖南省長紗の馬王堆古漢墓から出土された「導引図」は養生法、健身法の術として気功が行われていたことを示されて注目されている。

昔から養生法や治癒について、薬物による投石や外科的な方法などが行われてきて、特に西洋では科学に基づいた医学として、いまは世界で共通した医学として行われている。私は、そのことは正しく今後も今の西洋医学はより発展し、人のために貢献すると信じている。今年にノーベル賞受賞に、二人のゲノム研究者が受賞したことはそれを証明していると言えるだろう。(個人的にはこのゲノム研究がさらに発展進化するこについては危惧するところが多いが、それについて後にする)

今の医学は、西洋医学中心だが、従来から世界各地域での伝統医療・民間療法と言われるもの、また東洋医学や中国医学、日本の漢方や、イスラム医学やマヤやインカなどの医療法などを、まやかしで呪術的な迷信によるものと全面否定して善いだろうか。
私は毎日朝に太極拳をしているが、それ健康法の一つとして行っている。その思想は健康体操とは違い一つの思想が貫かれている。太極拳は陰陽五行の思想にもとずいて気の経絡の流れをよくする運動です。
太極拳や気功のように中国には多くの健康養生法が生まれ発展し伝わっている、それを照会す本もたくさん出ているので、これからも色々と読んで調べてみようと思う。

気功と呼吸

気功は一口に簡単に言えば、呼吸法で身体の有酸素の働きを活性化させるものと言える。気功をするのにまず大切なことは、心身ともリラックスすることで、それにより「三調(調心・調息・調身)」により基本功をする。またそれとともに血気(中医では血の運行は気に力により行われると考え、気は血によってその作用を発揮できると考える)もリラックスすることにより十分に発揮できるようになる。それは高血圧や胃潰瘍など胃腸病、喘息や神経に関わる症状などの慢性病の予防や治療にも役立つと言われている。そのなかでも特に気功の中でも基本とされる放鬆法は重視しなければならないと言われている。
三つのリラックスさせる方法として、三線放鬆法がある。

第一線
両側放鬆法
一に、立位でも坐位でも、身体の軸を真っ直ぐ縦、息を吐きながら、頭のテッペンの百会に宇宙の気が天空から降りてきて軟蘇(軟酥ナンソ)が乗せられ、身体の両側に流れていくイメージをする。(ちょうど卵ほどのバーターを頭に乗せてバターが体温で頭の両側に溶けて流れ垂れるイメージ)。同時に「鬆(ゆるめ)」と黙誦する。
二に、頸部の両側つづいて両肩、両腕、両手と、同じように軟蘇の気が流れ落ちるイメージをし、それに応じて息を吐きながら「鬆(ゆるめ)」黙誦し永く吐く。
三に、これを二回、三回繰り返しゆるめて、気を百会に集めて、一拍おいて次の第二線をする。

第二線
身前放鬆法
方法は第一線と同じだが、両側に軟蘇の気が流れ落ちるのではなく、各部の前面に流れるのをイメージする。
順序は上から下へのイメージする。顔前、頸前、胸前、腹前、両腿前、両膝前、両脛前 両足前、両足裏の湧泉穴へと流れてゆく。
吐気の黙誦は各部ごとに一回ずつ緩やかにおこなう。
第二線を二回三回繰り返し、気を百会に集めて、一拍おいて次の第三線をする。

第三線
身後放鬆法
方法、吐気、黙誦や意念は第一第二と同じだが、部位は後ろのおく。
順序は頭後、頸後、背部、腰部、両腿後、両膝後、両踵、両足裏の湧泉穴へと流れてゆく。
第三線を二回三回繰り返し、気を丹田に集めて十分ぐらい意守をする。

三線放鬆法の大切な要領は、各部位で黙誦(ゆるめと)念じても、ゆるんだと感じなくても、そのまま気にせずに次に進んでゆるめていく。繰り返しおこなっていくうちにゆるむようになってくる。
ゆるめと黙誦するときは黙誦のであって声は出さない。ゆるめと念じる速さは、吐気と一致させることが肝要で、速すぎると
頭が締まる気分が悪くなり、遅すぎると眠気をもよおしてしまう。疲れていたりして眠気をもよおすようであれば、眠ってからおこなったほうがよい。

三線放鬆法は、頭の上から次第に下の方にゆるめていくが、初心者には難しいかもしれない。そこで各部位を分けずに両側面、前面、後面に分けて、軟蘇の卵が溶けるのをイメージしてもよい。
また両側面、前面、後面を意識せずに、頭、両肩、両胸、両腹、両腿、両足とイメージする。さらに両手、頭、頸、両上肢、胸部、背部、腰部、両腿、両脛、両足のそれぞれの部位に注目して二回三回と鬆(ゆるめ)と黙誦としてもよい。

また、これらの各部位に特化して一つの部位のみに集中しておこなう方法もある。その場合はその疾患のある部位に意識を集めておこなう。また、肩や胸や腰などはもともとかたい人などは、三線放鬆法をする前に行っても良いだろう。
また、三線放鬆法は、各部位に分けておこなうが、身体全体を一つにまとめてゆるめるの方法もある。頭から足先までひとまとめにして、頭からシャワーを浴びるような心持ちでおこなう方法、また身体全身の気が外側に膨らんだり内側に縮んだりするのをイメージして身体をゆるめてゆく方法。また、はじめの方法ににているが、三線を一つにまとめて、上から下へと滞らないように、練り歯磨きやマヨネーズのチューブから中身を出すように、上から下へしこり出すようにゆるめていく方法。などいろと応用が出来るので、試してみるとよいと思う。

太極拳と体操と運動

太極拳と体操と運動スポーツ

太極拳は武術の一つだが、そこには中国の古代哲学や黄帝内径の中国医学の理論などが取れられている。しかし、ラジオ体操、健康体操やスポーツなどではそのようなものは取り入れてはいない。そこが大きく違うところと言える。
中国医学では、人体の中の気が経絡が張り巡らされて、意守丹田の意で気を運び、気で身を運ぶことを重視している。つまり太極拳の要諦は「全身をできるだけゆるめて、気と血行を促進させる」つまり、内気を重視する。しかし、ラジオ体操や健康体操などにはそのような考えは取り入れていない。

つまり、虚実、鬆緊、剛柔の陰陽の両面が同時に、水が河を流れるようによどみなくはたらいている。体操などは、剛勁 僵勁だけを使い、柔らかい面を重視しない点が違う。
また、「先住心 後在身(意識を先に、身を後におく)、「心為主師 体為駆使(心が師で、身体は自由に駆使する)」「意志先行 身随意動(意志が先行し、身は意志に従って動く)」ことが重視される。
太極拳では、よく「動中求静 静中求動 静極生動 動極生静」のように相反するものが互に関係を持ち一つにまとめることを求めている。そして「内外倶練」を重視する。つまり、全身に眼を向けて太極拳の套路を行なうが、体操はからだを動かすことだけに目を向ける方向にあると言えるのではないだろうか。

そこが、太極拳とラジオ体操の違いだといえる。
私は、毎朝、練功と太極拳をしているが、練功はストレッチ的なところがあるが、その中にも「動中求静香 静中求動」「内外倶練」の要素も求めている。そしてそのなかで最も重要視しなければならないのは、呼吸法となるが無理に呼吸を意識してしまうのではなく、調和が整っていることに重視すべきといえる。

ところで、ラジオ体操でも、やり方によっては意識のしかたによって、太極拳と同じような効果を得られるのではないだろか。
ラジオ体操 第一の動作1は、伸びの運動。
 動作2は、腕を振って脚を曲げ伸ばす運動。
 動作3は、腕を回す運動。
 動作4は、胸を反らす運動とつづくが。
これを、通常の音楽に合わせた速さでするのではなく、2倍の時間を掛けたテンポで、3倍の時間を掛けたテンポでしてみる。
2倍の時間でするなら、それぞれの動きの節目節目で、ストレッチのように力を入れ一時動作を止める方法。練功のようなやりかたです。
3倍の時間なら、太極拳をするような意識で、水がせせらぎを流れるようなゆっくりしたテンポで、無理に力を入れずにそれぞれの動作でからだの部位に意識を集中して行う。
このようにすれば、体操でも随分違った効果が得られるだろう。

呼吸と病気

私たち人間の無意識での呼吸では、20%ほどのガス交換がされていないともいう。意識して丹田呼吸や長息呼吸をいくら効率的にしても80%ほどのガス交換しかできず、悪いガスが20%ほどは残存しているといわれている。
呼吸の効率よくすることに悩むのではなく、呼吸を調えること調息に心がけること。それは歩くこと一つにもいえると言う。桜寧屋主人の『養生訣』には「脚歩よりも下腹まづ進むが如し」とある。歩くのも調息を意識し下腹に気を充実させて歩くとよいという。歩くときに呼吸は、一吸いに三吐くや一吸いに五吐くの息で下腹を意識いすると、桜嚀の云う歩き方になる。私もとくに早朝の散歩のときには、特に、長く息を吐いて、鼻で空気を吸って歩くことを心がけている。
これらの呼吸法は、改めて気功について考えるときに述べたいと思う。

天台小止観の第九章の冒頭には、「われわれが心をきめて仏道を修習するとき、あるいはもとから四大に病気があったとすれば、いま心を用いることに困って心身を刺戟して本来の病気を発動させることがある。あるときは身・息・心の三事をよく調適させることができず、内にも外にも違犯するところがあるので、そこに病気が発することもあるであろう。
坐禅というものは、もし善く用心深くやっていれば、四百四病は自然に除かれ癒えるものである。その反対にもし用心適切でないと、かえっていろいろな病気が動いてくる。だから自分の修行にも、人を導くためにも、よく病気の源を識り、坐禅のなかで病気を治す方法をも知っておくがよい」。(関口真大訳 大東出版社)とある。
調身・調息・調心の三つをバランスよく保つと健康でいられるが、その一つや三つみなが崩れると、病が起きてしますという。暴飲暴食や怒り安いと、心身のバランスをくずしてしまう。また呼吸が乱れても病気になりやすくなる。病は気からとも言うが心穏やかにし、呼吸を調えることに心がけることにより、身も調ってくるといえ病も遠ざかっていくものだ。
それでは、どのようにすればよいかについては、先のブログにすでに書いているのでここではそれを振りかえって読んでいただきたい。
また、追って詳しく考えて書いてみたく思う。

丹田呼吸

深呼吸 腹式呼吸 丹田呼吸などいろいろな言い方がある。

深呼吸と聞けば深く息を吸いこむのことをイメージしがちだが、「呼吸」とあるように呼の吐く息が先にきている吸うのは後になっている。呼吸は吸うことよりも吐く方が大切です。息を吐くと吸う方は意識しないでも自然に吸ってしまう。
そこで、息を吐くことを意識するために、腹式呼吸と言う言葉がつかえる。息を吐くときお腹を凹ませる、横隔膜を上げることを意識する。それにより肺が収縮することにより、肺の中の空気が外へ押しだされる、このときにからだの臓器などを巡ってきた血液中の澱んだガスが肺を通じて外へ出される。そして、空気を吸うことにより入ってきた新しい空気の中の酸素が血液中に取り込まれて、からだの各臓器に行き渡る。
人のからだの臓器は心臓は心臓自体が動いて血液を体中に送り出し、またからだの臓器の血液を心臓に戻すように吸い込む働きをする。肝臓や腎臓も心臓から血液が送り込まれからだのなかの老廃物が浄化され血液に悪いガスとして取り込まれて、心臓を経て肺に送り込まれる。このように各臓器はそれぞれ各自身がそれぞれの役割の仕事をこなしている。
肺は、肺自身が動くことはないが同じようにガス交換をする役割を果たしすが、それには、先に上げた横隔膜の上下によって、空気を吸ったりするが、それより無意識てきんは、肋間筋の働きにより肺の外骨格である肋骨の収縮拡大により、風船のように灰を膨らませたり縮ませたりしている。

それでは、どのようにすれば肺のガス交換を効率よくできるだろうか。呼吸は意識しなくても自律神経が働いて行なわれているが、からだの健康を保つのにはそれだけでは不十分なところがある。そこで、腹式呼吸さらに意識した呼吸である丹田呼吸をすることがよいといえる。

つづく、

ガンと呼吸法

藤田霊斎の調和道教会の第二代会長である、木村弘昌の『丹田呼吸健康法』創元社改訂版1984年版を呼んでいると、「丹田呼吸でガンを防ぐ」について書いてあるところで、つぎにことがかかれていた「ガン細胞の無酸素性糖解離現象からガンは呼吸が浅く弱い人に多いことが考えられる。呼吸が浅く弱いと血中酸素が減少するし、それと同時に炭酸ガスの体外への排除が悪くなる。そればかりではなく、血流の低下が起こるので、その面からもマイナスの条件が加わる」。
私は医学については素人だが、このことが書かれたのは36年前(改定版前では50年程前になる)で、それからみると医学は格段に進歩しているが、このガンと呼吸についての関係はいまも言えることだと思う。
そのように考えると、いまCOVID-19のコロナ禍で誰もがマスク、マスクでマスクをしている。マスクをすると多少息苦しくなるので、呼吸が苦しく浅く弱くなってしまう。つまり呼吸には酸素と二酸化炭素のガス交換だが、それがマスクをすると付けずに呼吸をしているときより悪くなる。つまり、充分に酸素を吸い十二分に二酸化炭素を吐き難くなる。マスクをしなくても普段から呼吸をしても、肺の中を毎回完全に吸った空気と吐く息を入れ替えているわけでなく、一部の空気しか入れ替えていないと言われている。マスクをするとますますガス交換の効率が悪くなるわけだ。
そのことを考えると、マスクをづっとつけづづけて、自分の呼吸のことを考えないでいると、二酸化炭素の体外への排除が悪くなり、血流の低下が起きガン細胞の活性かを助けることにならないだろうか。数年後ガンの統計をとると、この時期にガンを発症した人が増えるかもしれない。
そのことを考えると、いまこの時期だからこそ、深呼吸に対しての意識を取り入れて、日常生活でマスクをしていても、場所によってはマスクを外し、丹田深呼吸を時々することを心がけるべきだろう。

丹田呼吸につては、改めて書きたく思う。また過去の記事で呼吸法についてカテゴリーの「身と心と息」に書いているので、それを読み返してみる。

安元の養生歌

熊谷逸仙の白隠禅師の夜船閑話の註釈本、「詳注夜船閑話(宝永館 1912)」に、付録として安元法印の「養生歌」が紹介されている。
安元の養生歌は、一大意、二飲食、三閨門、四起居、の四つに分かれている。
その、大意の一番初めは、「養生はその身のほどを知るにあり ほどを過すは皆不養生」とあり、「薬さへ仕方によれば毒となる 飯と酒とを見てもしうるべし」とある。医食同源ということばがあるが、口や頭であれこれ飽食に食べるのは、不養生でからだに悪いと昔からいわれている。さらに、「身のうちの主は心よ一身の 安危はぬしの心にぞある」。また次のようにもある「自由なる都人より不自由に くらす山家に長寿多きぞ」とある。都会の便利な暮らしで足るを知らない生活より、不便だが田舎で足るを知る生活の方が暮らしやすいということだ。「心をばつねに静かに其身おば つねに程いくうごかすぞよき」ともある適度な運動を心掛けたいものです。

飲食の項では、「飲食は我身やしなう為なるぞ 口のためぞと思うはかなさ」「むましとも八九分喰へば足るとせよ 十分ゆゑに身の害となる」「饑過きて食するときはそのまえに 湯茶か味噌汁とことのむべし」
閨門の項では、「房事以後しばらく歩行するもよし かならず直に寐入べからず」「色念の起る任せに房事せば 陰慮火動となるそおそろし」

起居の項には、「行往も坐臥も久しくすべからず 久しき時は皆毒となる」「閑ならば常に手足をつかう可し 徒に座しなば気血
めぐらず」最後に、「月と日のめぐるが如く我業を つとむる中に養生もあり」

安元の養生歌は特に、食べすぎ節度を持って生活をしなさいといっている。今の飽食の時代のため、生活習慣病と言うものが、さまざまな重篤な病気を誘発することが解かっている。
安元の生きていた200年前から江戸時代の人はよくわかっていたのか。

治病と呼吸法

坐禅をする効用として、精神的内面への作用について語られることが多い。しかし、臨済宗の中興の祖と言われる、白隠禅師の「夜船閑話」には、白隠自身が若いころ坐禅修業に夢中になりすぎて、一日中耳のなかで蝉は鳴き、手足は氷のように冷たくなるなど、禅病という重い病にかかってしまった、そこで白幽先生に教えを請い、坐禅のありかた改めると、禅病の病は治癒したという体験がかかれている。
また、「天台小止観」の第九章に「治病患(病患を治せ)」が書かれている。この天台小止観の九章の書き出しは次のようになっている。
「行人が心を安んじ道を修するに、あるいはもと四大に病あれば、いま心を用うるに因って心息を鼓撃して本病を発動せん」。とあり、さらに「あるときは善く身・息・心の三事を調適すること能わず、内外に違犯するところある故に、病が発することあらん」。と。
病気は、心身のバランスを崩したり崩れたときに、病気になるものだと言うのだ。五種類の善い心を芽生えさせない、貪欲、瞋恚(怒り)、睡眠(ずいめん)、掉悔、疑を、おもうままに委せていると、病気になるのだという。
病気には、風邪のように軽いものから、癌のように深刻なものもある。しかし、病気を治すには理学的なものから病理学的方法があるが、東洋医学や気功などのような方法もある。「天台小止観」には、止と観の二種類をもって病を治す方法が紹介されている。
止と観とは何か、「天台小止観(岩波文庫 関口真大校注)」に次のようにある。

止観の二法を出でず。然る所以は、止はすなわち結を伏する初門、観はまた惑を断ずる正要なり。止はすなわち心識を愛養するの善資、観はすなわち神解を策発するの妙術なり。止はこれ禅定の勝因、観はこれ智慧の由籍なり。
もし人、定慧の二法を成就すれば、これすなわち自利・利他の法、みな具足せん。
関口の注には、止観とは、(止とは、外界の現象や乱れた物思いに動かされず、心を一つの対象に専注すること。観とは、諸法の真相を観察すること。止と観に努力することによって定慧を獲得することができる。止と観は二つであってしかも一つであり、両者の力が円満であってはじめて諸法の実相の理を証悟し得る。この小止観は、初めて止と観、定と慧を挙げて、両者はともに不離一体のものであることを説いている)。とある。

そして、止には、いろいろな方法があろその方法は一つでない、維摩経の文殊菩薩との問答に、病の本は、攀縁なり、攀縁の息めん、心は無所得なりとある。
さらに、観の病を治す方は、呼吸の仕方にあるという、気功の「六字訣」の呼吸、嘘・呵・呼・口+四・吹・口+喜だと言う。
また、十二種の呼吸、上息・下息・増長息・滅壊息・煖息・冷息・衝息・持息・和息・補息だと言う。
これらの、「六字訣」と十二種の息についてはまた改めて書くことにする。
そして、何よりもこれらを疑うことなく信して業することだとのべている。

簡化太極拳二十四式 套路 白鶴亮翅

簡化太極拳二十四式 套路 白鶴亮翅

三式の白鶴亮翅は、第ニ式の左右野馬分鬣と第四式の左右(手+婁)膝拗歩とのつなぎになるように、私んは感じるが重要なものでもある。

白鶴亮翅は野馬分鬣と同じように、その動きをイメージさせる名前です。各式の後にある跟歩抱手は、跟歩とは後ろ足を半歩寄せる歩法のことで、抱手とはとボールを抱えたフォームになるその動きを表す言葉でです。
しかし白鶴亮翅は、鶴が翼を広げ羽ばたこうとする姿をあらわしている言葉になる。

 三 白鶴亮翅 バイホーリシャンツー 白鶴が翔を広げる
 跟歩抱手 ゲンブーバオショウ
・上体をやや左に回し、左掌を返し下へ向け胸前におき、右手は弧を描き左上に向け、両掌を上下に向き合わせボールを抱えたフォームになる。
・右脚は前脚踵に半歩寄せてつま先を着地させる。

 後座転体 ホウズゥオズワンティー
・重心を後ろの右脚に移し、右足で踏みしめ、上体をやや右へ回す。
・右手を上げ左手を下げ分け広げ、左手指先は右腕よりやや低くする。視線は右手に先に向ける。

 虚歩分手 シェイブーフェンショウ
・上体を正し東にむける。右足を半歩前に移し、爪先から着地し足裏の半分を接地し、左虚歩になる。
・右手は上へ上げ頭部の右側でやや前で止め、掌は左後方へ向け、左手は左腿前に置き、掌は下に向ける。眼は前方を平に見る。

このとき、関節や腹を突っ張ったり、胸が丸くなったり、臀部を突きだしたり、両腕・歩型の虚実があいまいにならないようにする。
この三の白鶴亮翅は、虚歩・跟歩の鍛練にもなり、歩型は姿勢を整えるので、つなぎのようなものだとしても疎かにしてはならない。歩型の虚実とは、虚となる足の膝は伸ばし過ぎたり緩みすぎたりしてはならない。
太極拳の歩行練習と同様で、足先からの着地する虚歩や踵から着地する虚歩を正確にすることが、正しい姿勢が養われ保たれるようになるといえる。

いかりの心をもつのはなぜよくないのか

いかりの心をもつのはなぜいけないのか。

「いかり」とひらがなで書いたが、ふつう「怒り」と書くが、いかりを意味する漢字はたくさんある。怒り 憤り 忿り 瞋り 恚りなどがある。これらの漢字はそれぞれいかりの感情にいろいろな違いがありその違いをあらわすのに、古代中国の人が考えだしたものだが、ここではそれらの「いかり」を引っ括める意味で「いかり」とひらがなで書くことにする。

では、いかりはどのようなものかを考えれみると。「天台小止観」に次のようなことが書かれている。

いかりは善いことを実践しようとする心を、失わせるもととなると仏教では言われている。しかもそれにより悪道に堕ちるもとになると指摘している。
いかりは、善きことしてその喜びを得ようとすることに対して、あだとなる害の原因をつくる。それは仏道に精進しようとする心に対しての妨げにになる。
また、いかりはあの人が悪い、自分の悩ましているのはあの人が原因だなどと思い、それは悪口を思う原因を作るもとになる。そして、個人的なうらみを讃嘆してしまい、いかりの連鎖をつくりだす。
いかりは、過去のことをうらむとことにより、未来においてもそうなると思いわずらい、さらに新しいいかりを芽生えさせ、心が迷って分別がつかなくなる、いかりの闇路に嵌ってしまう。
悩まされると思うからいかりがうまれ、いかりにより恨みがうまれ、恨むことにより怨念がうまれ、怨むがあると仕返しをしてやろうと思う。それにより自分が闇路に迷うだけでなく、相手をも悩ましてやりたいと思うようになる。それらのいかりの心が善良な心、慈悲の心を暗雲で覆ってしまうのでそれらを棄てるべきで、決していかりを増長させるようなことをしては。
いかりに蓋をすれば心静かに落ちつけ、いかりを鎮め殺せば憂うことはない。怒りはいろいろなことに対しての害となり毒となり、いかりは善いことをしようとする心を滅ぼしてしまう。

このように、いかりは心によくないのだが、それだけでない。怒りをつのらせいかりを溜めと、身体と脳に悪い影響が及ぼすといわれ、それにより体の不調をきたしてしまう。そのために、いかりの毒を身体から排出する解毒をするデトックスが重要だといわれている。

いかりは、大日本住友製薬にWebページに、次のようなことが書いてある。
怒りを感じると自律神経が乱れて、心拍数や血圧が上昇。血流の悪化を招く。
その結果、細胞は栄養不足になり、老廃物や疲労物質は排出されにくくなる。
怒りは吐きだした方がいいとも言われるが、怒ると自律神経が長時間乱れる原因になる。
怒ると発生するのが、体を酸化させる活性酸素で、毎日イライラして怒っていると、どんどん体が錆びてしまう。
上記のようなことが書いてある。

怒りる感情が起こると、心臓の鼓動が早くなり心拍数と血圧が上昇する。また、さらに筋肉や関節は緊張し血行が悪くなる。
そうなると、神経や循環機能や、ホルモンの分泌のバランスがくずれ、脳の前頭葉と側頭葉にも影響し、胆汁が過剰に分泌されると言う。

眉唾的な話だが、小林正観が「一升瓶に普通の心理状態で息を吹き込み、そこにハエ入れると「40分」くらいで「窒息死」します。ところが、怒ったり、腹を立てた状態で怒気を含むと、瓶の中のハエは、「3分」ほどで「毒死」する」。と述べている。つまり、いかった時の息には悪いガスが貯まっているということです。この話どこまで本当かしらないが、人の呼吸は肺で血中の炭酸ガスを放出し酸素をとり込むガス交換をするのだが。いかり興奮して、筋肉や関節は緊張し血行が悪くなり心拍数が上がると血中の炭酸ガス濃度が上がってしまうと、吐く息の炭酸ガス濃度も高くなるので、吐く息の酸素濃度は低くなるので、いかった時の息には悪いガスが貯まっているのは間違いないだろう。

それでは、いかりで溜まったからだの悪いガスをどのように、排出するデトックスをしたらよいのか。それは呼吸法といえる。人と話していていかりの感情がでると、それに対して直ぐに応えるのではなく、一間おいて深呼吸をして応えるのがよいといわれている。
アメリカ合衆国の憲法を起草した、第3代大統領のトーマス・ジェファーソンは、交渉の場で怒りを感じたときは、深呼吸をして10まで数を数えよう。それでも怒りがおさまらなければ、100まで数えるといい」。と言っている。深呼吸をすると脳は、また冷静な判断ができる状態に戻る。また、そのように間を置くと、相手にも冷静さが戻り相手の怒りも治まっるということです。
先ずは、身体の中の毒素を抜く体内浄化のデトックスをするのがよいだろう。

簡化二十四式太極拳 ニ 左右野馬分鬣

簡化二十四式太極拳 套路 ニ 左右野馬分鬣

第ニ式 左右野馬分鬣 ズゥオユウイエマーフェンゾン(野生馬がたてがみを分かつ)
 左野馬分鬣 ズゥオイエマーフェンゾン(左に野生馬がたてがみを分かつ)
  抱手収脚 バオショオショウジャオ
・上体をやや右に廻し、重心を右腿に移す。同時に右腕を胸前に引き、掌は下へ向け高さは肩の高さを超えない。左腕は肘を曲げ弧を描くように、掌を腹前に移し上に向け、両手を向かい合わせににし、抱球のボールを抱えたフォーム(両手上下が相対する)になる。左足はこれにつれて右足の内側へ引き寄せ爪先を地に着け、視線は右手に向ける。

  転体上歩 ズウンティーシャンブー(体を回し上歩)
・上体を左に回し、左足を左前方に一歩出し東に向く、踵からかろやかに着地させ、重心は右脚に置いたままで、両手は分け開く動作に移る。

  弓歩分手 ゴンブーフェンショウ(弓をで両手を分け開く)
・上体を引き続き左に回すとともに、爪先も着地させ足裏全部を地につける。左右の手はゆっくりと左上、右下に分け開ける。左手は眼と平にし、掌は斜め上を向く。肘はやや曲げる。右手は右股関節の傍らに下ろし、掌は下に向け、指先は前を向け、右足の踵を外側に開き脚を伸ばし左弓歩になる。視線は左掌にの先にの方を見る。


 右野馬分鬣 ユウイエマーフェンゾン(左野馬分鬣の逆になる)
  転体(手+敝)脚 ズワンティーベエジャオ
・上体をゆっくり後ろへ引き、重心を後ろ右腿に移し、やや上体を左にまわし、左爪先を上げてやや外側に向ける。
左腿はゆっくり前弓歩となり、上体を左に回し、重心を再び左腿にかける。同時に左手を返して下に向け、胸前に引き、右手は左上へ弧を描いて左手下へ、両手は上下向き合いボールを抱える抱球のフォームになる。視線は左に向ける。

  抱手収脚 バオジョウシュジャオ (足を収め抱手になる)

・右腿を右前方に一歩踏み出し、左足を伸ばして右弓歩になる。同時に左右の手はゆっくりと左下、右上に分け開き右手は眼と平にし、掌は斜め上を向く。肘はやや曲げる。左手は左股関節の傍らに下ろし、掌は下に向け指先は前を向く。眼は右手を見る。

  転体上歩 ズウンティーシャンブー(上体を回し上歩になる)
・上体を右に回し、右足を前に一歩だし、踵から着地させる、両掌は前後に分け開く。
  弓歩分手 ゴンブーフェンショウ(弓歩になり手を分ける)
・上体を右に回し、重心を前に移し、右足で立、右脚は膝を曲げ左脚は自然に伸ばす。左足踵が外側になり弓歩になる。
・両手は前後の分け開き、右掌は目の高さに移し、掌はやや上を向ける。左掌は左股関節傍らに寄せ抑えるよう下を向け指先は前を向け両肘はやや曲がる。視線は右指先の先に向ける。

 左野馬分鬣 ズゥオイエマーフェンゾン(左に野生馬がたてがみを分かつ)
 ・右野馬分鬣と同じだが、動作が左右入れ替わる。
  転体(手+敝)脚 ズワンティーベエジャオ(体を回し脚を払う)
  抱手収脚 バオショウシュウジャオ(ボールを抱え脚を収める)
  転体上歩 ズワンティーシャンブー(体を回し上歩になる)
  弓歩分手 ゴンブーフェンショウ(弓歩になり手を分る)
  転体(手+敝)脚 ズワンティーベエジャオ(体を回し脚を払う)
 右野馬分鬣 ユウイエマーフェンゾン
・上体を回し爪先を上げ重心を後ろに移し、体は真っ直ぐ軸が通ってるようにする。
・掌を返して抱球のポーズになり、後ろ足踵を上げ引き寄せ前足の内側に下ろす。

以上が、簡単化二十四式太極拳の、二の套路になる。このとき、姿勢の完成と、その安定感、勁力の充実、虚実の変化をはっきりさすが、意念は強すぎないようにし、緊張しすぎないように気を付ける。

太極拳と呼吸

太極拳と呼吸

ゆったりとした動きと「深く長い呼吸」が太極拳の特徴だが、太極拳初心者にとっては、呼吸を意識し過ぎるのはよくない。
太極拳の練習法について書いてある本の中には、呼吸法について詳しく書かれているものもあるが、その内容に沿って忠実に実践しようとするのはよくない。
自然呼吸が要求されているが、太極拳を始めたての初心者は、まず一つ一つの套路の動作・型の掌握が優先すべきで、練習を続けていくうちに、呼吸も自ずと合ってくるものです。それを動作に無理に呼吸を合わせようとする緊張してしまので、動作もぎこちなくなり、呼吸も乱れてしまうことになる。
練習を積み重ねていくうちに、動作・型に習熟してスムーズに動けるようになってくると、腹式呼吸が深くなり、気沈丹田の呼吸による柔、均、細、長も出現してくる。

呼吸を修得するなら気功による呼吸をまず修得するのがよいでしょう。
気功にも立位でするもの、坐位でするもの、臥位でするものがる。臥位でも仰臥位、腹臥位、側臥位があるが、太極拳のためにするなら立位がよいだろう。精神修養のためなら坐位がよく、からだが疲れたり弱い人などは臥位がよいだろう。

立位でするには、腿幅を肩幅に広げ両足に体重をかけ、重心を股間にもち、天上から頭の百会に吊り下げられている感じで背筋を伸ばす。脊柱の軸は真っ直ぐにする。
呼吸は吐く息を長く吸う息は自然にする。
呼吸を感じる方法にはいろいろあるが、両肘をまげ胸前で両掌を向い合せ間隔は15~20㎝ほどにする。両掌で膨らんだ風船を支えている感じ。そしてそのその気の風船が呼吸につれ膨らんだり萎んだりする感じをつかむ。
気功の呼吸は、通常の呼吸より深く長くする。息を吐く時にお腹をへこませ、息を吸う時にお腹を膨らませる腹式呼吸でする。基本的には、鼻からゆっくり細く長く息を吐き、吐く息は腹がへこみ吐き切るまでする。息を吸うのは鼻から深くゆっくりと息を吸って、お腹を膨らませたる。吐く息はなれて熟練してきたら20秒ぐらいで、吸う息は10秒ぐらいになる。吐く息は口をすぼめて息を少しずつ吐くのもよい。また吐く息を調節するためストローを銜えてするのもよい。ストローの太さや本数により息の量を調整できる。始めのうちは太いのを使い、熟練してくると細いのを使うのがよだろう。

太極拳の動作での呼吸はどうなるのか。呼吸は横隔膜を使って深くするのだが、息の空気は胸郭の肺に出入りするので、基本的には、体を伸ばす時は吸い、縮める時は吐く。手を体に引き寄せる時は吸い、手を押し出したり広げる時は吐きく。手を上げる時は吸い、下げる時は吐くことになる。しかし、太極拳はそれぞれの套路の式が連続し、バランスをたもちながらの動作なので、基本どおりの呼吸は難しい。練習をしていくうちに、呼吸と動作が合ってくるものなので、焦らず稽古を重ねてていくことです。

太極拳の歩法訓練

太極拳においての歩法訓練

太極拳のからだの動きを修練するのに、よく歩行訓練をすることを進められる。能の仕舞でも基本的な練習として摺り足での歩行練習が大切だとしている、能で仕舞いで移動するとき、多くは摺り足が使われる。腿を上げずに足を床を摺るようにする。まず片足を前に進め終わると、爪先を上げぴたりと全足裏を床につける動作をする。これは大腰筋を鍛える効果があるり、からだを安定させることができるとされている。

では、太極拳の歩行訓練とはどのようなものか。
簡化二十四式太極拳の、ニ式の左右野馬分鬣 ゥオユウイエマーフェンゾン、四式の左右(手+婁)膝拗歩 ズゥオユウロウシーアオブー、六式の左右倒巻肱 ズゥオユウダオジュエンゴンの、一つの式を繰り返しに集中して行う。この場合、手の振りを附けずにからだの重心と軸を感じながらその移動のあり方に集中する。このとき、虚歩と実歩を明確におこなう。上体を真っ直ぐに安定させてからだの軸を意識し、重心の移動を安定させ、動作はゆっくりと自然に連協貫調させる。

手の振りを附けなくても附けてもよいが、手の振りを附け得ない場合は、からだの軸と腿の動きを意識する。附ける場合は、腿(あし)と腕(て)の動きを協調一致ささ、からだの動きと視線と手の振りを協調一致させることを特に心がけてする。

しかし何れにしろ、歩行の動作はゆっくりと均一を保っておこなう。からだはリラックスさせ柔和で柔軟であることが大切なので、それぞれの動作を意識しすぎ集中しすぎると、余分な力は入ってしまうので注意しなければならない。
また、眼は平らかにする。目をつぶったり、目先を凝視しない。歩行の動作で、上体が不必要にゆれたり不安定に不安な状態になるのは、腰・背・胸・肩などの部分が緊張していることにより、全体の動作が協調一致をするのを妨げられているので、それらを取り去りバランスよくゆったりと歩行動作が行えるように心がけることが、歩行練習のねらいです。

どのようなものでも基本が大切で、太極拳ではこのは、気持ちと心を落ち着けてるためにするのであり決して焦ってしたり、気張ってしたりするのはよくない。

簡化二十四式太極拳 套路 一 起勢

一 起勢 チーシー 始めの姿勢
 左脚開歩(ズゥオ ジャオ カイ ブー) 左足を開く
・からだは自然に直立させ、左足を左に肩幅と同じ間隔に開いて立つ。両足の爪先は前に向け平行にする。予備勢参照。両腕は自然に垂らし肩を落とす。
両手は大腿の外側に置き、前腕を回内させしだいに両掌を後ろに向ける。視線は平に前方の先に向ける。

 両臂前拳(リャン ベイチェンジュイ) 両腕を前に上げる
・両腕をゆっくりと前から平に上げ両腕の高さは肩と同じに上げ、肘は下に向け掌心は下を向ける。(*足先と手にゴムひもでつながれその抵抗の感じをイメージし手を上げる)両腕の間隔は肩幅と同じにし、両腕を自然に伸ばす。肘関節は下に向けやや曲げ、両掌は下に向け指先は前を指す。指先が下がってしまわないよに注意する。

 屈腿按掌(チュイ トエ アン ヅァン) 膝を曲げ掌を押し下げる
・上体を真っ直ぐに保ち、両腿は膝を曲げて腰を落とし、同時に両掌は軽く下へ推さえ、両肘は下げて両膝と向き合い馬歩となる。視線は前方を平に向ける。(*水面にビート板を浮かせそれを押し沈めるような抵抗をイメージする)


起勢は、二十四式の最初の式で、予備姿勢とこの起勢は疎かにしてはいけない、太極拳の基本的な特徴が詰まっているから侮ると、次の動作にひびく。
太極拳は緩やかで柔和な動きが特徴で、それぞれの動作はゆっくりと柔らかく、力はかるく平均を保ち、速度も均一にして、動作の転換点や上がり下がりの動作で動きが急に速くなったり遅く遅くなったりしないよう注意する。


他にも、注意点はあるが、概ねこれが一式の要点です。

次回は、「左右野馬分鬣」です。

簡化二十四式太極拳 套路 予備勢

簡化二十四式太極拳 套路

二十四式太極拳は24の套路があるが、まずその初めに述べてみるのは、予備勢だがこれは太極拳の套路の一つではない。
これはすべての太極拳や中国武術において、始める前に心を落ち着けその準備をするものといえる。
また、中国武術に限らず洋の東西を問わずその武術においても共通の導入にあたるものといえる。

予備勢は、ユーベイシーと読み、準備姿勢というものです。

・太極拳を行うために、身体と心を調え準備するものです。

・南を正面にして両脚を揃えて立ち、左脚を左側に開く。(南側は便宜上で、太極拳の開始方向を南側とする、実際はどの方角を向いて行ってもかまわない)。太極拳は右向き、左向き、反転などするので、その方位を分りやすくするために開始する方向を南とする。

・両足の爪先を前方向に揃えて立つ。両腕の力を抜いて自然に垂らし、頭を真っ直ぐにして顎を引き顔を前に向く。口は軽く閉じ、舌は上顎の歯の付け根に軽くつける。
精神を落ち着かせ、ゆっくりと息を吐き自然に息を吸う。吐く息を長くする。からだをリラックスさせ呼吸を調える。目は地平線を見るように平らに前を見据える。

・からだの重心を右側に移動させ、左足の踵からあげ爪先も地面から少し浮かせる。このとき、右脚のくるぶしより高く上がらないように注意する。ゆっくりと左脚を肩幅と同じ広さに開け、左脚の爪先より接地し、つぎに踵をつけ着地させ、両足全体で踏みしめる。

・このとき、右膝を曲げないようにし、からだがぶれないように安定させて立つ。

・精神を落ち着かせ、身体をリラックスさせるとは、決して目を閉じて気持ちを静めることではなく、体の余分な力を抜いて、軟弱になることで、だらけて気を抜いてしまってはならない。身心とからだのバランスを協調一致させる。

・太極拳の呼吸は自然で深く均一で細く長く行う。

このようにまず、太極拳を始める前には心を落ち着かせることが肝要です。

次回は、第一番目の套路を考えてみる。

太極拳練習の要諦 つづき。

太極拳練習の要諦 2からのつづき。

第三の段階 呼吸と動作と意識を一致させるが。無理に合わせようとするのではなく、自然に合わさってくるように鍛練する。
熟練してきたら、意を練る練習、気を練る練習、勁を練る練習とも呼ばれるが、その練る要点には次のようなもになる。

・太極拳ではよく、虚実を明確にといわれるが、太極拳は、動作の変転のときを「虚」といい、動作が終わり定勢に達したときを「実」と言う。
主として、体を支える腿を「実」とし、支えを補助する腿を「虚」とする。また、動作の表現を主に具体的あらわす腕を「実」とし、補助し組み合わせる腕を「虚」とする。
これは、動作が定勢になるか、定勢の完成に近づいていくと、腰椎や関節を緩やかにし安定させる。逆に動作を変転・転換する運動になるときは全身の関節を揺ったりと活発化させる。太極拳ではこのように、動作の虚実の緊張と弛緩を交互に変化をさせ減り張りをつくる。

・動作を連貫し協調し、円滑にして、力が連綿とつながり断つことがないようにする。
・太極拳の動作は、套路の名前に「白鶴亮翅(白鶴が翔を広げる)」や「手揮琵琶(琵琶を抱える)」などの名称がついているが、それらをイメージして意念を思い描き、その動作を導きだす。太極拳に「意志の体操」という形容があるが、意識が動作を導くと言う意味で、動作の動きをイメージの中でのびやかにくりひろげる。
・からだの軸を意識し、勁力の剛柔・緊張・弛緩との相一致と、意識の活動と勁力の働きを協調させることで、沈着にして硬くならず、軽快にして浮つかないことである。
・呼吸は自然に動作に合わせ、心を穏やかに静め、呼吸は軽に自然にし、息は深く長く細く均一にし、動作と協調一致させることが肝要になる。

要点として、歩法・身法=腰が主宰して、両脚をつなげ、上肢に伝えるられているか、手法・歩法・身法の結合できているかを意識をすることを心掛けることが、肝要となる。


太極拳練習の要諦のはじめのこころえは終わり。

次回から、ぼちぼちと、24式太極拳の一つ一つの套路についてみてみるが、その前に身法、手法、歩法の主なものをおさらいする。

太極拳練習の要諦 2

太極拳練習の要諦 1からのつづき。

第二段階 套路の動作を協調させる
太極拳に限らずどのような武術も、からだの動きのくい違いと、動作前後の途切れや硬直化はよくないとされ、動作の連貫円滑の協調性が求められる。そのためには、太極拳動作の特徴や法則を理解し、連綿と流れるように円滑した所作で、上下のバランスが強調一致されるよう心掛けることです。

・周身完整で、それぞれの動作は水が流れるように連綿とつながり、手、眼、身、歩の動きは協調し、全身の動きは統一されている。
・太極拳の各套路が出来るようになれば、一つ一つの套路の動作は連貫で、それぞれの套路と套路がなめらかにつながり、水が流れるように動作の前後に切れ目がなく、動作の終わりが次の套路の始まりとなるように心がける。
先日、簡化二十四式太極拳套路の詳細の名称を書いたが、その一つ一つの套路を分解して行いそれをつなげる練習をするのもよい。しかも、24の套路と各の詳細の套路が、リズム感があり連綿と流れ減り張りをつける。
・協調 太極拳は全身の運動で、上下が相したがいバランスよく動き、全身各部の運動を協調一致が保たれるようにする。
・円滑 太極拳の各動作は弧を描くような弧形の曲線の動きによって構成されている。これを意識することにより、直線的な動きや、無駄な動きや動作が停まることが避けられ、円滑で滞りのない動作が生まれる。一部の套路は例外としえ、概ね腰の高さは一定になる。特に動作の要は、腰椎からの腰を軸とすることにより、四肢の動きが導かされるので、腰への意識は重要になっる。


太極拳でよく中正安舒が大切だといわれる。太極拳をおこなうについての心構え、考え・気持ちを穏やかにし、からだは伸びやかに端正にし、気を張らずらくにし余分な緊張をほぐすことで、それは坐禅にも通じるところがある。よく太極拳は動禅と言われるのはそのためだろう。


   太極拳練習の要諦 3へつづく

太極拳の練習の要諦

簡化二十四式太極拳の練習の要諦

参考図書 李天驥著 楊式簡化太極拳【24式】

 第一段階の功夫
・太極拳を学ぶ第一段階は、太極拳を行なう姿勢・動作の動きの基礎を確っりと身につけ、套路の手型、手法、足型、足法、身型、身法、腿法、眼法を理解し身につけ柔軟に行えるようにする。その中に、端正、安定、伸びやかさ、軽快柔和がもとめられる。
・端正 身体が片寄らず中正で伸びやかに、軸の通った姿勢を保ち、背筋を伸ばし肩を沈めて肘を垂らす、腰を弛めて、臀部を引き締め、身体を自然に真っ直ぐ軸が通りリラックスする。特に、腰と脊柱を中正にし、肩や腰、股間の力を抜く。身体の他の部分も力を入れ過ぎず剛柔のバランスをとることを心掛ける。
・安定 上体を端正に伸びやかな動きをするには、下肢の安定が大切で、歩型・歩法が太極拳套路の動作の基礎となるので疎かにしてはならない。歩法の幅が狭すぎたり広すぎたり、足の位置の角度が大きすぎたり小さすぎたりすると、虚実が明瞭でないので、次の動作に移るときに身体が不安定になる。
・伸びやかさ 特に伸びやかさは入門まもないころは、姿勢や動作への伸びやかさに意識する必要がある。特に初心のころは、頑張ろうとして無駄な力をいれてしまったり、不必要な緊張が入ったりしてしまうので、伸びやかさに気を意識するのがよい。
・軽快、柔和 太極拳の動作の大切さは、軽快、柔和、緩慢な動作にあり、それを早く身につけるには、動作はゆっくりと、柔らかく、力は入れ過ぎず軽く均一になるよう心掛けるのがよい。
 第二段階の功夫
・太極拳動作の特徴や法則を理解し、連綿と流れるように円滑した、上下のバランスが強調一致するよう心掛ける。
・連貫 太極拳の各套路が出来るようになれば、それぞれの套路がなめらかにつながり、水が流れるように動作の前後がつながり、動作の終わりが次の套路の始まりとなるように心がける。
先日、簡化二十四式太極拳套路の詳細にに書いた、一つ一つの套路を分解して行いそれをつなげる練習をしてもよい。しかし、24の套路と各の詳細の套路が、リズム感があり連綿と流れる減り張りをつける。
・協調 太極拳は全身の運動で、上下が相したがいバランスよく動き、全身各部の運動を協調一致が保たれるようにする。
・円滑 太極拳の各動作は弧形の曲線の動きによって構成されている。これを意識することにより、直線的な動きや、無駄な動きや動作が停まることが避けられ、円滑で滞りのない動作が生まれる。特に動作の要は、腰椎からの腰を軸とすることにより、四肢の動きが導かされるので、腰への意識は重要になっる。

 第三の段階功夫
・熟練してきたら、意を練る練習、気を練る練習、勁を練る練習とも呼ばれるが、その練る要点には次のようなものがある。
・太極拳であはよく、虚実を明確にと聞くが、太極拳でとは、動作の変転の化ええいを「虚」といい、動作が終わり定勢に達したときを「実」と言う。
主として、体を支える腿を「実」とし、支えを補助する腿を「虚」とする。また、動作の表現を主に具体的あらわす腕を「実」とし、補助し組み合わせる腕を「虚」とする。
これは、動作が定勢になるか、定勢の完成に近づいていくと、腰椎や関節を緩やかにし安定させる。逆に動作を変転・転換する運動になるときは全身の関節を揺ったりと活発化させる。このように、動作の虚実の緊張と弛緩を交互に変化をさせ減り張りをつくる。
・動作を連貫し協調し、円滑にして、力が連綿と断つことがないようにする。
・太極拳の動作は、套路の名前に「白鶴亮翅(白鶴が翔を広げる)」や「手揮琵琶(琵琶を抱える)」などの名称がついているが、それらをイメージして意念を思い描き、その動作を導きだす。太極拳に「意志の体操」という形容があるが、意識が動作を導くと言う意味です。
・勁力の剛柔・緊張・弛緩との相一致と、意識の活動と勁力の働きを協調させることで、沈着にして硬くならず、軽快にして浮つかないことである。
・呼吸は自然に動作に合わせ、心を穏やかに静め、呼吸は軽に自然にし、息は深く長く細く均一にし、動作と協調一致させることが肝要です。

 太極拳の基本、身法、手法、歩法
主なものを簡単に紹介しておく。
 身型・身法
・頭の百会に天上からの鉤に引っ張られているような感じで。頸筋の力を抜き、傾いたり揺れたりしない。
・中正で伸びやかで、身体の軸を意識して動かし回す時は柔軟で機敏にし、自然に穏やかに流れるようにする。傾いたり寄ったりしない。
・動作は腰を軸として四肢のバランスをとり動かし、ギクシャクしないようにする。
・気を落ち着かせ、緊張しすぎたり漫ろにな気持ちででしない。
 眼法
定勢で動作を決めるとき、眼は前方を平らに見るか、また手を注意して見、動作の転換の際は、眼と手法と身法を協調一致させる。
 手型・手法
・拳(チェン) 5本の指は自然に握り込み、親指は人差し指と中指の第二関節の上に添えつける。
・掌(ジャン) 5本の指はわずかに曲げ自然に開き、掌心にやや丸みをもたせる。虎口(親指と人差し指との間)は弧形にする。
・勾手(コウシュ) 塩を摘まむように、5本の指の指先を自然に摘まみ寄せ、手首を曲げる。
・手法には、(手+朋ポン)、(手+爪+寸リュ)、擠、按、雲手、打拳、撩拳などさまざまなものがある。
 歩型・歩法
・弓歩(ゴンブ) 前腿は膝を曲げ、大腿は地面と斜めになる。膝は爪先より前に出さず、爪先は真っ直ぐ前に向け、足底を地面につける。後腿は自然に伸ばし、爪先は斜まえ45度に向ける。
・虚歩(シュブ) 後腿を曲げ踏みしめ、爪先は45度に向け踵と臀部は相対にし、前脚はやや曲げ足先は前に向け爪先をつける。両足の横間隔は10cmを越さない。
・仆歩(プブ) 軸軸足はつま先を斜め前に向け、膝を曲げ腰を落とす。前に出す腿は自然に体側そって真っ直ぐ伸ばし地面に近づける。両脚は完全に地面につける。
・独立歩(ドゥリブ) 体を支える軸足は自然に伸ばし安定させ、爪先は下を向ける。もう一方に腿は膝を曲げ躰前に上げる。大腿は水平より高くする。
・開立歩(カイリブ) 両足を肩幅に広げ足先を前に平行に向ける。
・馬歩(マブ) 脚を広く開け爪先は平行にする。大腿が地面と平行になるぐらいに腰を落とす。
 動作の要領
・身体をリラックスさせて、心を穏やかに静め、呼吸を軽やかで自然にする。息は深く長く細く均一にし、動作と協調一致させる。「虚吸実呼」「開吸合呼」「起吸落呼」で、息を止めたり無理な呼吸にならないようにする。
・動作の転換は弧形におこない直線的やかたくならないで、虚実をはっきりさなめらかにする。
・腰を軸とした動作で四肢のうごきは、上下の動きは一体におこない、円滑する。
・動作は等しく連続して、連綿と途絶えず流れるように行なう。発勁や拍脚の動作はこの限りでなく速度に変化がある。
・全体の動作の流れは、軽快で機敏にして沈着で安定していて、剛柔を備え剛のなかに柔をふくませる。

24式太極拳の套路

太極拳覚え書き
私が毎日早朝している、簡化二十四式太極拳の套路の24の名称はいろいろな本に書かれている。
しかし、各套路をさらに分解してみた名称はあまり紹介されていない。そこで調べて一覧をつくってみている。
中国の漢字で日本のシフトJISの漢字コードに無い文字は、旁と偏を分解して+をつけて並べて表示してみた。
参考にしたのは、李天驥著 楊式簡化太極拳【24式】

簡化二十四式太極拳 分解套路

予備勢(ユー ベイ シー)

第一組
一 
起勢(チー シー)
 左脚開歩(ズゥオ ジャオ カイ ブー)
 両臂前拳(リャン ベイチェンジュイ)
 屈腿按掌(チュイ トエ アン ヅァン)

二 
左右野馬分鬣(ズゥオ ユウ イエ マー フェン ゾン)
左野馬分鬣(ズゥオ イエ マー フェ ンゾン)
 抱手収脚(バオ ショオ ショウ ジャオ)
 転体上歩(ズウン ティー シャン ブー)
 弓歩分手(ゴン ブー フェン ショウ)
右野馬分鬣(ユウ イエ マー フェン ゾン)
 転体(手+敝)脚(ズワン ティー ベエ ジャオ)
 抱手収脚(バオ ジョウ シュ ジャオ)
 転体上歩(ズウン ティー シャン ブー)
 弓歩分手(ゴン ブー フェン ショウ)
左野馬分鬣(ズゥオ イエ マー フェン ゾン)
 転体(手+敝)脚(ズワン ティー ベエ ジャオ)
 抱手収脚(バオ ショウ シュウ ジャオ)
 転体上歩(ズワン ティー シャン ブー)
 弓歩分手(ゴン ブー フェン ショウ)
 転体(手+敝)脚(ズワン ティー ベエ ジャオ)
 右野馬分鬣(ユウ イエ マー フェン ゾン)

三 
白鶴亮翅(バイ ホーリシャン ツー)
 跟歩抱手(ゲン ブー バオ ショウ)
 後座転体(ホウ ズゥオ ズワン ティー)
 虚歩分手(シェイ ブー フェン ショウ)

第二組
四 
左右(手+婁)膝拗歩(ズゥオ ユウ ロウ シー アオ ブー)
左(手+婁)膝拗歩(ズゥオ ロウ シー アオ ブー)
 左転擺臂(ズゥオ ズワン バイ ベイ)
 右転擺臂(ユウ ズワン バイ ベイ)
 上歩収手(シャン ブー ショウ ショウ)
 弓歩推掌(ゴン ブー トエ ズァン)
右(手+婁)膝拗歩(ユウ ロウ シー アオ ブー)
 擺臂収脚(バイ ベイ ショウ ジャオ)
 上歩収手(ジャン ブー ショウ ショウ)
 弓歩推掌(ゴン ブー トエ ヅァン)
左(手+婁)膝拗歩(ズゥオ ロウ シー アオ ブー)
 擺臂収脚(バイ ベイ ジョウ ジャオ)
 上歩収手(シャン ブー ジョウ ショウ)
 弓歩推掌(ゴン ブー トェ ヅァン)

五 
手揮琵琶(ショウ ホウ ホイ ピーバー)
 跟歩展臂(ゲン ブー ヅァン ベイ)
 後座引手(ホウ ズォー イン ショウ)
 虚歩合手(シュイ ブー ホー ショウ)

六 
左右倒巻肱(ズゥオ ユウ ダオ ジュエン ゴン)
右倒巻肱(ユウ ダオ ジュエン ゴン)
 転体撤手(ズワン ティ ツォー ショウ)
 退歩巻肱(トエ プー ジェン ゴン)
 虚歩推掌(シュイ ブー トエ ヅァン)
左倒巻肱(ズゥオ ダオ ジュエン ゴン)
 転体撤手(ズワン ティ ツォー ショウ)
 退歩巻肱(トエ ブー ジュエン ゴン)
 虚歩推掌(シュイ ブー トエ ヅァン)
右倒巻肱(ユウ ダオ ジュエン ゴン)
 転体撤手(ズワン ティ ツォー ショウ)
 退歩巻肱(トエ ブー ジュエン ゴン)
 虚歩推掌(シュイ ブー トエ ヅァン)
左倒巻肱(ズゥオ ダオ ジュエン ゴン)
 転体撤手(ズワン ティ ツォー ショウ)
 退歩巻肱(トエ ブー ジュエン ゴン)
 虚歩推掌(シュイ ブー トエ ヅァン)

第三組
七 
左攬雀尾(ズゥオ ラン チュエ ウエイ)
 抱手収脚(バオ ショウ ショウ ジャオ)
 転体上歩(ズワン ティー シャン ブー)
 弓歩前(手+朋)(ゴン ブー チェン ポン)
 転体擺臂(ヅワン ティー バイ ベイ)
 転体後(手+爪+寸)(ズワン ティー ホウ リュイ)
 転体搭手(ズワン ティー ダー ショウ)
 弓歩前擠(ゴン ブー チェン ジー)
 翻掌分手(ファン ヅァン フェン ショウ)
 後座引手(ホウ ズォ イン ショウ)
 弓歩巻按(ゴン ブー チェン アン)

八 
右攬雀尾(ユウ ラン チュエ ウエイ)
 転体分手(ヅワン ティー フェン ショウ)
 抱手収脚(バイ ショウ シュウ ジャオ)
 転体上歩(ズワン ティー シャン プー)
 弓歩(手+朋)(ゴン ブー ポン ベイ)
 転体擺臂(ズワン ティー バイ ベイ)
 転体後(手+爪+寸)(ズワン ティー ホウ リュイ)
 転体搭手(ズワン ティー ダー ショウ)
 弓歩前擠(ゴン ブー チェン ジー)
 翻掌分手(ファン ジァン フェン ショウ)
 後座引手(ホウ ズォー イン ショウ)
 弓歩前按(ゴン ブー チェン アン)

第四組
九 
単鞭(ダン ビェン)
 左転擺臂(ズゥオ ズワン バイ ベイ)
 右転擺臂(ユウ ズワン バイ ベイ)
 鉤手収脚(ゴウ ショウ ショウ ジャオ)
 転体上歩(スワン ティー シャン ブー)
 弓歩推掌(ゴン ブー トエ ヅァン)

十 
雲手(ユン ショウ)
 右転鬆鉤(ユウ ズワン ソン ゴウ)
 左雲併歩(ズゥオ ユン ビン ブー)
 右雲開歩(ユウ ユン カイ ブー)
 左雲併歩(ズゥオ ユン ビン ブー)
 右雲開歩(ユウ ユン カイ ブー)
 左雲併歩(ズゥオ ユン ビン ブー)

十一 
単鞭(ダン ビェン)
 右転鉤手(ユウ ズワン ゴウ ジョウ)
 転体上歩(ズワン ティー シャン ブー)
 弓歩推掌(ゴン ブー テエ ヅァン)

第五組
十二 
高探馬(ガオ タン マー)
 収脚跟歩(ショウ ジャオ ゲン ブー)
 後座翻掌(ホウ ズォー ファン ヅァン)
 虚歩推掌(シュ ブー トエ ヅァン)

十三 
右(足+登)脚(ユウ ダン ジャオ)
 穿手上歩(チョワン ショウ シャン ブー)
 分手弓腿(フェン ショウ ゴン トエ)
 抱手収脚(バオ ショウ ショウ ジャオ)
 分手(足+登)脚(フェン ショウ ダン ジャオ)

十四 
双峰貫耳(スワン フォン グワン アル)
 屈膝併手(チュイ シー ビン ショウ)
 落脚収手(ロォー ジャオ ショウ ショウ)
 弓歩貫拳(ゴン ブー グワン チュエン)

十五 
転身左(足+登)脚(ズワン セン ズゥオ ダン ジャオ)
 転体分手(ズワン ティー フェン ショウ)
 収脚抱手(ショウ ジャオ バオ ショウ)
 分手(足+登)脚(フェン ショウ ダン ジャオ)

第六組
十六 
左下勢独立(ズゥオ シャー シー ドゥー リー)
 落脚鉤手(ロォー ジャオ ゴウ ショウ)
 屈(足+登)開歩(チュイ ダン カイ ブー)
 仆歩穿掌(ブー ブー チョワン ヅァン)
 弓腿起身(ゴン トエ チー セン)
 独立挑掌(ドゥー リー ティャオ ヅァン)

十七 
右下勢独立(ユウ シャー シー ドゥー リー)
 落脚鉤手(ロォー ジャオ ゴウ ショウ)
 屈蹲開歩(チュイ ダン カイ ブー)
 仆歩穿掌(ブー ブー チュワン ヅァン)
 弓腿起身(ゴン トエ チー セン)
 独立挑掌(ドゥー リー ティァオ ヅァン)

第七組
十八 
左右穿梭(ズゥオ ユウ チュワン ソオ)
右穿梭(ユウ チョワン ソ)
 落脚抱手(ロォー ジョウ バオ ショウ)
 上歩錯手(シャン ブー ツオ ショウ)
 弓歩架推(ゴン ブー ジャー トエ)
左穿梭(ズゥオ チョワン ソオ)
 転体(手+敝)脚(ズワン ティー ビエ ジャオ)
 抱手収脚(バオ ショウ ショウ ジャオ)
 上歩錯手(シャン ブー ツゥオ ショウ)
 弓歩架推(ゴン ブー シャー トエ)

十九 
海底針(ハイ ディー ゼン)
 収脚跟歩(ショウ ジャオ ゲン ブー)
 座腿提手(ズゥオ トエ ティー ショウ)
 虚歩挿掌(シュイ ブー シァー ヅァン)

二十 
閃通臂(シャン トン ベイ)
 立身提手(リー セン ティー ショウ)
 上歩分手(シャン ブー フェン ショウ)
 弓歩推(手+掌)(ゴン ブー トエ ツェン)

第八組
二十一 
転身搬(手+闌)捶(ズワン セン バン ラン スイ)
 転身擺掌(ズワン セン バイ ヅァン)
 座腿収拳(ズゥオ トエ ショウ チェエン)
 擺歩搬拳(バイ ブー バン チュエン)
 上歩(手+闌)掌(シャン ブー ラン ヅァン)
 弓歩打拳(ゴン ブー ダー チュエン)

二十二 
如封似閉(ルー フォン スー ビー)
 穿手翻掌(チョワン ショウ ファン ヅァン)
 後座引手(ホウ ズォー イン ショウ)
 弓歩按掌(ゴン ブー アン ヅァン)

二十三 
十字手(シー ズー ショウ)
 右転分手(ユウ ズワン フェン ショウ)
 弓腿分手(ゴン トエ フェン ショウ)
 左転搭手(ズゥオ ズワン ダー ショウ)
 収脚抱手(ショウ ジャオ バオ ショウ)

二十四 
収勢(ショウ シー)
 翻掌分手(ファン ヅァン フェン ショウ)
 垂臂落手(シェイ ベイ ロォー ショウ)
 併歩還原(ビン ブー ホワン ユエン)

瞑想 まとめ1 仏陀のアナパーナ・サチ

瞑想 まとめ1 仏陀のアナパーナ・サチ
数息呼吸法を邪魔する障害を取り除くには

いま、COVID-19禍が世界中に広がり、見えないウイルスと出口が見えないことにより、気持ちが塞ぎ正体の見えない心配をして、気分すっきりしない状態が続いている。
そのような状態がつづくと、良い方向よりも悪い方向にものごとを考えがちになってしまう。
そのような時こそ、呼吸を調え瞑想・坐禅をすることが大切です。
仏教の中心的な修行である、瞑想・坐禅について、仏陀はアナパーナ・サチ(大安般守意経)を弟子たちに説いている。

その中で、瞑想をするときの18の障害を説いている。
大安般守意経に「十八の悩あり、人をして道に随わざらしむ。一、貪欲。 二、瞋恚。 三、痴・愚痴。 四、戯楽。 五、慢。 六、疑。 七、行相を受けず。 八、他人相を受く。 九、不念。 十、他念。 十一、満念ならず。 十二、過精進。 十三、及ばざる精進。 十四、驚怖。 十五、強制意。 十六、憂。 十七、怱怱。 十八、不度意の行愛。」と瞑想を邪魔するものとしてあげている。

一から六までは、天台宗の教典である天台小止観や摩訶止観で天台宗の知者大師が、欲を呵せ、蓋を棄てよ、調和をはかれ、詳しく述べている。七から十八までもそれらに附随して述べられているが、大安般守意経では、細かく分けて述べられている。
では、瞑想を邪魔する十八の悩みとは具体的にどのようなものだろうか。
・第一の貪欲は欲を一切否定してるわけではない、欲にもいろいろあり、向上心などの欲は悪いものではないが、それも過ぎたるは及ばざるが如しというように良い欲にも注意が必要だ。食欲などは生命の維持のために必要だし、貧すれば鈍するというように欲がすべて悪いわけではない。食欲や財欲や名誉欲などは、外して正しい呼吸の妨げになる。
・第二の瞋恚は怒りのことで、思うようにならないと感情が高ぶっり、腹が立ち不快な感情になり呼吸が乱れてしまう。子どもや他人と会っていてい、自分の思い通りにしないとき、苛々したり腹が立ったりすことがあるが、そのとき深呼吸をして落ち着くとよいという。これも一つの呼吸法です、息を長く吐く呼吸で瞑想をするのも怒りの感情を抑えられ消し去ることができるようになる。
・第三の痴・愚痴は、過去の失敗したことなど、すでにすんだことなどの、言っても仕方がないことを言って嘆くことをいつまでも忘れられずにいることで、愚かでばかげて思慮が足りないことです。
・第四の、戯楽は、色声触などの快楽と大食漢の酒池肉林や適切な量よりも寝過ぎるなども、瞑想の妨げになる。
・第五の、慢は、驕り高ぶりいい気になりうぬぼれ、思い上がる傲りは、人を見下すことになると。坐禅で数息が少し巧くいったからと、まだ悟っていないのに、悟りを得たと勘違いして、しまい、悟ってもいないのに、自分の力を過信してしまう。
・第六の、疑は、仏の教えを疑い、呼吸法やい瞑想の効果を疑い、価値がないものや、軽く見てみくびりあなどってしまうと、呼吸に心を集中することができず。邪念が忍び込み数息に没頭できない。

ここまでは、瞑想・坐禅をするときの呼吸法の具体的な心構えについて述べている。
しかし、日常の生活を行う心構えが、瞑想・坐禅の呼吸法を実践するうえで、大きく影響してくるので日頃の生活はどのようにすべきかについても述べている。呼吸法は健康や心の落ち着きを得るのには非常によいものだが、これを常に実践し続けることはできないです。そこで日常の生活のなかで、心の安らぎに妨げのなるものは、次にあげられるものとして、日頃から注意して起きたいことがあげられている。

・第七の、行相を受けずは、呼吸法でいえば、呼吸法する上でのいろいろな心がけて置くべきとされることを重要視しないでいること。これはスポーツでもいえ、仕事や商売をする上でも同じです。商売ならお客を大切にし従業員を大切に扱わないといけない、自分の商いのポリシーはこうだとして、食べ物などを提供するのに、客に事細かにその食べ方を押しつけては、それに共鳴する特異な客しかこなくなるだろう。
・第八の、他人相を受くは、充分に数息の呼吸法が身についていないのに、先走り次のステップに進もうとすること。しいては急がば回れともいう、一つ一つの段階を得とくしているのか自分自身で感じとれることが大切です。
・第九の、不念は、気持ちを集中させ気を配らないといけないのに、集中力に欠けて数息の呼吸にしまりがなくなりまとまりがなくなること。
・第十、他念は、入息時に出息を念い、出息時に入息を考えてしまい、息を吐くときは出る息を、息を吸うときは入る息を感じ専念できなく混乱してしまうこと。
・第十一の、満念ならずは、物事が進めていくうえでその変化していく過程を重視せずに、飛び越えて進めてしまい先走りすること。
・第十二の、過精進は、ときに冷静さを失い、度を越えた呼吸法をしたりすること。仏陀や白隠禅師が若いころに息を止めるという断息をしたするよなことだろう。

・第十三の、及ばざる精進は、正しい呼吸を毎日続けるとい、心に決め目標に向けて進もうという決意に従って瞑想をしようとする、積極的な心の働き力
・第十四の、驚怖は、おそれをいだくと、呼吸が浅くなり正しい呼吸法ができなくなる。
・第十五の、強制意は、不安や心配ごとがあると、やはり呼吸が浅くなり正しい深い呼吸をする気も失せてくる。
・第十六の、憂は、気持ちが晴れないと苦しい気持ちがつのり、この憂いが続き心の中を占拠してしまうと、気がふさぎノイローゼにもなっり引きこもりがちになる、こんなときこそ気分転換に外にでて、身体を動かし深い呼吸すのよい、動禅や太極拳などをするのもよいだろう。
・第十七の、怱怱は、いそがしくあわただしいと、気分がおちつかなくそわそわしてくる。このようなときこそ、ゆっくりとした呼吸による瞑想が必要になってくる。
・第十八の、不度意の行愛は、ものごとの程合いに留めることができない欲望の心で、闇路に迷い込みしまうと正しい呼吸をすることにも無関心になてしまう。

物事を明晰に考えるためにも、呼吸を調え瞑想をすることは重要なことです。そのために日ごろから、精進する生活をすることが大切であるといえるのでしょう。

瞑想 7 数息について

瞑想 7 数息について
仏陀は弟子たちからなぜ数息をするのかの問いに、次のように答えている。
数息をする理由は、四つある。
一つに、長く坐っていると、脚腰が痛くなりので、数をかぞえると気が紛れる。
二つに、心の散乱を防ぐことができる。なにも考えないで空でいようとすると妄想が忍び寄ってくる。
三つに、数息をしていると外からの雑音に心を煩わされない。
四つに、煩悩を解脱した悟りの境地の道を得たいからだ。と答えている。

また、坐禅をするのに、集団でするなら三坐の息があると仏陀は指摘している。
瞑想の数息はには、坐る 立つ 行の三つのおこないかたがあるとして。
一つに、立って瞑そうしたり、歩行して行うより、座がよい。と坐ることを推奨している。
さらに、一人でするより幾人かですのがよく、それには読経をすすめている。
二つに、読経の誦経坐を大勢で合唱して韻律の音響の中ですると、互いの声が調和し響き、雰囲気が醸し出されてよい。
三つに、その誦経の音響の声を聞く、聞経喜坐がよいという
まずは、集団でするならその時間と場所をみなと合わせないといけないが、修行道場でするならともかく、私たち日常生活のなかで、手軽にどこでもするとなると一人がよく、一人で瞑想するなら数息がよいだろう。

また、仏陀は坐には三品があり、次のように述べている。
坐に三品あり、一は味合坐、二は浄坐、三は無有結坐。
・何をか味合坐となすや。謂わく意が行いに著して離れず、これを味合坐となす。
・何を浄坐となすや、謂わく念せざるを浄坐となす。
・何をか無有結坐となすや、謂わく結が己に尽きたりを無有結坐となす

・瞑想・坐禅の行をするのに、心をこめた呼吸を繰り返し積み重ねていけば、意のこころが呼吸のと一つになり離れなくなり、出る息は出るとなり、入る息は入る息としてからだに沁み感じるようになると、味合坐となる。
・味合坐の、心が呼吸になりきってしまうことが、思い勤めようと努力しないで、神経が集中していて味合坐の境地に至ることを浄坐となる。
・無有結とは、結び目のない状態で、結び目とは煩悩や妄念や欲情が心に占拠されている状態だと、それがこだわりとなり正しい瞑想・坐禅ができないので結び目を解かない。結び目がない坐が無有結坐となる。

仏陀は瞑想・坐禅で呼吸法を繰り返し続けていると、上達していくもので、それには三段階あるという。
一つに雑息、二つに浄息、三つに道息がある。
呼吸は意識しないでも呼吸に無関心でも、自律神経により生命の維持のために行われそのような呼吸や、長呼数息を始めた頃の呼吸を雑息という。
二は、長呼数息を繰り返して、十の数をかぞえるとき心を散らさずに、心を込めて行える状態になうと浄息になる。三は、長呼数息の守らなければならないことに遵った呼吸ができ、もし好くない呼吸になっても、すぐに良い呼吸に戻ることができるようになうと、それを道息というと述べている。

瞑想も坐禅も呼吸法も継続は力なりで毎日する習慣をつけることが重要だといえる。

瞑想 6 数息の呼吸

瞑想 6 数息の呼吸

瞑想をするには呼吸法を身につけるのが手っ取り早いが、その中で数をかぞえる数息法がよいとされている。

なぜ数息法がよいのかだが、数えるのには意義があり、数は重要ではない。
数でなくて他の言葉でもよいのだが、たとえば、平家物語の冒頭でもよい、「ぎおんしょうじゃの かねのこえ  しょぎょうむじょうの ひびきあり ・・・」のように、七五調になり唱えやすい。また、白隠禅師の坐禅和讃で、「しゅじょうほんらい ほとけなり  みずとこおりの ごとくにて ・・・」と唱えるのも、七五調で唱えやすい。しかしそれらには、それぞれ深い意味があるので、その意味に耽り意味を考えてしまい無心でいられなくなる、それでは、瞑想の邪魔になってしまう。

それで、只なにも想わず考えずに長く息を吐くには、ヒトーツ フターツ ミイーツと数えるのことにより、善悪はべつとしていろいろな思いが沸々と湧いてくことに蓋をすることができるだろう。
数をかぞえていくとことのよって、出る呼息を長く繰り返すことに意味があり、それを繰り返すうち、長呼息が継続され習慣づきかずを唱えなくても、長呼息ができるようになる。それにより大脳が数を数える負担がなくなり、物事を思うことなく。物事をそのままみられるようになる。
そして、長呼息を複式呼吸でするすなわち丹田呼吸でする。それにより自信がもてるようになり、明るい気持ちになってくる。
反対に外出を規制されたことを不条理と思い悩んだり、物事に失敗したりすると、呼吸が浅くなり弱いものなり、元気をなくして沈み込み、憂鬱な気分になり、食欲が落ちてしまい、身体の調子までもが悪くなってしまい、よい方向でなく悪い方向ばかり考えるようになる。そのようなときこそ浅く弱い呼吸を打破すうには、瞑想と長い呼吸の数息に励むことにより、元気を取り戻すことになる。

瞑想 5 呼吸

瞑想のための仏陀の呼吸法

呼吸とは内蔵の肺による、二酸化炭素と酸素のガス交換だが、肺が自律的に動いてガス交換をするのではない、呼吸筋群という沢山の筋肉が協調して、肺を膨らませたり縮めたりする緊張と弛みの二相の調和です。それは、肺の内部にある細気管支の先端の半球状の肺胞が、肺胞壁を介して肺胞内の空気と毛細血管内の血液との間でガス交換が行われる現象です。
しかも、自律神経により働くが、随意的にも動かすことができる身体のシステムと言える。心臓などは随意に鼓動を速めたり遅くしたり、停めたり動かしたりすることはできない。また、肝臓や腎臓などは自らは動かないが、その臓器に血液通り、血液が浄化されるがその浄化を、随意にコントロールする事はできない。また身体の四肢の筋肉は随意に動かすことはでき、附随意に動くことはない。そのように思うと、呼吸機能は身体の中でも特異な臓器と言える。

仏教の修行をするうえでの呼吸法の教典がある。「仏説 大安般守意経」というが、漢字なので文字になにか意味があると思うが、サンスクリットの漢字での音訳です。安はアナで入息、般はパーナで出息、守意はサチで守意を意味する、アナパーナ・サチで簡単に言うと、呼吸の出入息法となる。仏説とは釈尊が説いたと言うことで、釈尊が苦行の末に禅病にかかり、苦行の誤りに気づき会得した息を長く吐く出入息法について書かれている。今から二千五〇〇年以上前にあみ出されたもです。

仏陀が苦行の誤りに気が付き、アナパーナ・サチの長出入息法を編み出し、それ以降この呼吸法は改良改善されている。単に呼吸を調え身体を調えるだけでなく、心も調えらていくことにも仏陀は気が付き、呼吸法による瞑想である坐禅は仏教の修行の中心的なものになっていった。
瞑想にはヨガでもキリスト教にもりあり、キリスト教では瞑想よりも黙想があり懺悔に重きをおくようですが。

私たちの生活のなかには、さまざまな心が乱されることが多い。平穏であるより心を乱されたり怒りを抱いたり嫉妬したり、妬み恨みを湧き起こさる方が多い。そのような中で平穏な気持ち保つためにも、是非瞑想は大切だといえる。

特にこのコロナ禍の不条理と、世界の政治外交や国内の国会のやり取りをみているが、怒りを禁じずにいられないが、それを思うばかり怒りを沸騰させてしまうと、攻撃する方に陥って自己の冷静さを失い反知性的になってしまう。そうなれば自己を見失い、ますます自分自身が惨めに感じるようになる。
この、コロナ禍とコロナ後の未曾有な世界への不安を感じる今だからこそ、瞑想が大切になってくる。
瞑想をして今の社会を冷静に見つめて、自らの思考で考え判断をし行動をすることが重要なので、瞑想とそれによる呼吸法を身につけていく。
これから、呼吸法に調べたことを紹介したくおもう。

瞑想 4 ストレス ノイローゼ

瞑想 4 ストレス ノイローゼ

私たちの生活しているとさまざまなストレスから無縁であることはあり得ず。社会のなかでいくら大勢の人と関わっていいる。
ストレスには、よいストレスとよくない悪いストレスがあると言われる。適度な運動は体によい負荷をかけるよいストレスであり、過剰な運動は身体を壊す悪いストレスです。
同じよなことが身体面だけでなく、心に内面に対してもいえることです。己の生きざまの反省は、ストレスになるからといって、目を背けることをすべきではない。大なり小なり多かれ少なかれ反省は常にしていくべきである。
いま目の前にある問題からの抜け出すのに、将来に見通しが立たない暗澹たる気になることもある。初心の溌剌とした精神は消沈してしまうことは、なにもこのコロナ禍のことだけでなく、それはどちらかというと日常茶飯事にふつふつと起こっているのではないだろうか。

瞑想の呼吸法は、ストレスを抱え込みノイローゼになってしまわないために、家でも何処でもできるのでお勧めです。
外出ができず不条理だといい、人生に意義を見いだすことのできない絶望的だと、思い悩んでしまうと、身体の中でどのような変化が起きるのか。それによりまずは、呼吸が浅く弱くなる、これは身体にとってその能力を低下させることになり、体調を乱すことになり、さらに精神衛生面2もマイナスになってしまう。
そのために、瞑想をして深く力強く息を吐くことが重要になってくる。深く長く吐き吸う呼吸は、精神活動である心を調えノイローゼの乱れを回復させる。また瞑想をすることにより、日頃の生活の取り組みを、軽々しく粗末にするいい加減なことを防いでく、外からのストレスに対して精神的動揺から心身の調和をつくりだし安定へと導いてくれる。この瞑想による呼吸を実践することは需要です。
このようなときだからこそ瞑想・呼吸法の実践を、忙閑を問わず随時随所を問わず何処でもする習慣をつけることが重要です。

瞑想 3 反知性主義に陥らないための瞑想

瞑想 3 反知性主義に陥らないための瞑想

コロナ禍の感染抑止のため、外出の自粛が要請され、事実上規制されているので、今までの日常の生活が自由にできないため。人生に意義を見いだすことのできない絶望的な、不条理な状態におかれていると思ってしまう人も多いだろう。
そのような状況がストレスとなり、ネットや市井でネットポリスや自粛ポリスなど、他人を攻撃する現象があらわれ、人々の行動に悪影響を及ぼしている。
それは、人々の心の中でストレスが渦巻き、外に出れない絶望を感じ自己中心的になりがちで、そのため自分や自分の属する組織だけを理解し、証拠や確証などの客観性を無視するようになる。それにより、現在や過去の行いに対し、反省することを自虐だと拒んだり、自分の都合のよいことや自分にとって耳に心地よいものだけ見て、それらによる考えを取り入れ自慰的に思索に耽ることに陥ってしまう。このような思いに陥るとアリジゴクのように、その感情から抜けだそうともがいても、なかなか抜け出せない苦しい状況になってしまう。
そのようなことにならないように、私たちはこの不条理な状況のなかでこそ、学問や教養や知識を身につけ、心の豊かさを求め、物事への理解と社会への理解を深め、感性を磨き物事の認識と判断から、思索することが重要になってくる。このコロナ禍から、自我を正しく維持するため、新しい認識を生みだす働き求めることに勤めるべきです。
決して、先に述べたような一面だけお認めるような反知性主義者になってはいけない。

そのためにはどうしたらよのか、自己を見つめる瞑想を実践するのは、非常に意義があることです。
瞑想するにあたり、身体の姿勢、息の仕方、目のあり方
心の持ち方についてもう一度考えてみたい。
このブログで、「天台小止観」について何度も書いたが。「天台小止観」は坐禅の取り組み方について書かれたテキストであり、瞑想の方法についての書ともいえる。
その中で、「心・身・息」について詳しく書いてあるが、さらに「摩 止観」や釈迦の瞑想法やヨーガの瞑想法なども調べてみようと思う。

瞑想 2 呼吸

昨日、瞑想するのに呼吸が大切だと書き、呼吸筋と述べたが、呼吸筋と名付けられている筋肉があるわけではない、呼吸をするときに使われる筋肉群を総称して呼吸筋として使う。
呼吸をするには、肋骨、胸骨、胸椎、横隔膜、胸部、腹部、頸椎の筋肉が総合的に相互に関連して働いて作用してる。
呼吸は、息を吸うときに使われる筋肉を吸気筋とよぶ、息を吐くときに使われる筋肉を呼気筋とよぶ。また、吸気・呼気のとき、安静呼吸の場合にはたらく呼吸筋を主呼吸筋とよび、強制的に呼吸をするとき、すなわち深呼吸など意識して随意呼吸をするときにはたらかせる呼吸筋を補助呼吸筋とよばれている。腹筋群の筋は呼気のときに共同協調してはたらく重要な補助呼吸筋です。
安静時の自律呼吸で主にはたらく筋は、胸部の肋骨に付着する肋間筋群で、外肋間筋、内肋間筋があり。それぞれ呼気のとき吸気のとき筋の働き方が違う。筋のはたらきかたには、筋が収縮するときと緩むときがあり、吸気・呼気のとき主働筋(主動筋)の役割を交代しながらおこなわれ、息を止めるときは拮抗している状態になる。また、その拮抗状態でも、短縮性収縮、救心性収縮と伸展性収縮、遠心性収縮があり、その中間の等尺性収縮がある。
呼吸筋の筋肉のはたらきについてはここまでにしておく。
次に、呼吸の仕方について。
釈尊は苦行により禅病になり、心の限り息の出入りをするアナパーナ・サチを始めた、それが仏教の坐禅であり呼吸法であり瞑想法です。
坐禅とか瞑想とかいうと大仰に聞こえるが、根本的にはその柱はシンプルで、呼吸法といえそこでも、とっかかりとして数息と呼ばれる方法が入門として手頃だろう。

なにも考えず深く呼吸をすることは結構難しいもので、つい雑念が起こってしまう。
そこで、それを蓋する方法として、数を数えながら呼吸をする方法。
イーチイ ニーイー サアーンと、言いながら息を長く吐く、そして吸う。数と数の間は力を抜いて、軽く息を吸う。吐く方を意識して吸う方はさほど意識しなくても、呼吸は吐いたら自然と吸うものです。どれぐらい長く吐いたらよいか、はじめは10秒から20秒で、私は一分間に2呼吸でする事が多いです。吸う方もゆっくりとリラックスして吸っています。そして10まで言ったら、イチに戻り10までを繰り返す。つまり10呼吸を5分でおこない、20から30数えます。
上達したひとの中には40秒一分の人もいるようです。この長呼吸を相随と言うそうです。

では、どのような姿勢でするとよいのか。私は立ってする立位のときと、座てする坐位でするときがあります。
立位のときは、肩幅に足を広げ膝とつま先は前の向けている。坐位のときは、結跏趺坐か半跏趺坐か胡座でお尻に座布団を二つに折って敷いて座る。
立位のときは、始めにつま先立ちをして軸をまっすぐにする。坐位のときも始めにに腰落としてから腰を立てて背筋をまっすぐにする。
目は仏像の目のように半眼にして、舌は上顎の前歯の付け根に軽く当てるようにしている。
このように、長く吐く長呼呼吸をすると、息にあわせて心身の調和がとれてくる。

こうして、コロナ禍で家に籠もっていると、うやむやがたまってくるので、精神のリラックスをして安定をはか一つの方法だろう。

ラジオ体操とストレッチ

日本では小学校の時からほとんどの学校で、ラジオ体操を体育の時間に指導したり、運動会などを催す時にプログラムの始めに、準備運動としてラジオ体操をする。
つまり、こども時から日本の小学校で学んだ人のほとんどはラジオ体操を知って出来るだろう。

今、コロナウイルス禍で、感染の広がりを封じ込め収束させるために、外出を極力抑え込むために、政府は不要不急の外出の自粛を呼びかけている。そのために家に閉じこもり身体を動かす機会が減っている。それなら部屋の中でラジオ体操をするのも、運動不足を解消する一つの方法だろう。
私が思うに、単にラジオ体操をするのではなく、少しテンポをゆっくりとして、ストレッチをするようにラジオ体操をするのもよいと考える。
ラジオ体操は小学生の時からしているので、みんなが知っているので何時でも何処でも誰でも出来る。
やり方は、ラジオ体操の一つ一つの動きのポイント毎に身体の動きを止め、しっかりと身体を伸ばしながらすることです。

NHKラジオ第一放送で毎朝六時半からのリズムでは、テンポがストレッチ風ラジオ体操をするのには、テンポが少し早いので何か別の曲を流しながらするのがよいだろう。

どうですか、みなさんもやられてみていかがでしょうか。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 臨時国会の開催はいつか
    竹林泉水 (08/09)
    日本の現状いや世界でも同じよな風潮になっている。
    アメリカでも、トランプ政権の外交政策や内政も、アメリカ自己国第一主義のアメリカファースト。
    日本の安倍政権も、こ
  • 臨時国会の開催はいつか
    風と雲 (08/04)
    一体今の日本はどうなってしまったのだろうかと思う。アベ内閣も与党も憲法に違反することを完全に無視して悪びれもせず堂々と実行してきた。、政府高官も最高裁も報道機関
  • 難病と尊厳死
    竹林泉水 (07/29)
    コメントありがとうございます。

    自ら生きる権利、自ら死ぬ権利があるのはよくわかります。
    それにはどちらも人・個人としての尊厳が保たれている必要がある考えます。
  • 難病と尊厳死
    風と雲 (07/28)
    意識して自ら命を絶つことができるのは人間だけだと思います。人には生きる権利と自由があるように、自らの命を絶つ権利も自由もあって然るべきではないでしょうか。このA
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (07/01)
     自分よりも周りを優先する集団主義的な考えが同調圧力などがまかり通る社会なことについて前に
    >日本的なこの価値観は、海外から見たら奇異の目でしか見られないでしょ
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
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