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瞑想 まとめ1 仏陀のアナパーナ・サチ

瞑想 まとめ1 仏陀のアナパーナ・サチ
数息呼吸法を邪魔する障害を取り除くには

いま、COVID-19禍が世界中に広がり、見えないウイルスと出口が見えないことにより、気持ちが塞ぎ正体の見えない心配をして、気分すっきりしない状態が続いている。
そのような状態がつづくと、良い方向よりも悪い方向にものごとを考えがちになってしまう。
そのような時こそ、呼吸を調え瞑想・坐禅をすることが大切です。
仏教の中心的な修行である、瞑想・坐禅について、仏陀はアナパーナ・サチ(大安般守意経)を弟子たちに説いている。

その中で、瞑想をするときの18の障害を説いている。
大安般守意経に「十八の悩あり、人をして道に随わざらしむ。一、貪欲。 二、瞋恚。 三、痴・愚痴。 四、戯楽。 五、慢。 六、疑。 七、行相を受けず。 八、他人相を受く。 九、不念。 十、他念。 十一、満念ならず。 十二、過精進。 十三、及ばざる精進。 十四、驚怖。 十五、強制意。 十六、憂。 十七、怱怱。 十八、不度意の行愛。」と瞑想を邪魔するものとしてあげている。

一から六までは、天台宗の教典である天台小止観や摩訶止観で天台宗の知者大師が、欲を呵せ、蓋を棄てよ、調和をはかれ、詳しく述べている。七から十八までもそれらに附随して述べられているが、大安般守意経では、細かく分けて述べられている。
では、瞑想を邪魔する十八の悩みとは具体的にどのようなものだろうか。
・第一の貪欲は欲を一切否定してるわけではない、欲にもいろいろあり、向上心などの欲は悪いものではないが、それも過ぎたるは及ばざるが如しというように良い欲にも注意が必要だ。食欲などは生命の維持のために必要だし、貧すれば鈍するというように欲がすべて悪いわけではない。食欲や財欲や名誉欲などは、外して正しい呼吸の妨げになる。
・第二の瞋恚は怒りのことで、思うようにならないと感情が高ぶっり、腹が立ち不快な感情になり呼吸が乱れてしまう。子どもや他人と会っていてい、自分の思い通りにしないとき、苛々したり腹が立ったりすことがあるが、そのとき深呼吸をして落ち着くとよいという。これも一つの呼吸法です、息を長く吐く呼吸で瞑想をするのも怒りの感情を抑えられ消し去ることができるようになる。
・第三の痴・愚痴は、過去の失敗したことなど、すでにすんだことなどの、言っても仕方がないことを言って嘆くことをいつまでも忘れられずにいることで、愚かでばかげて思慮が足りないことです。
・第四の、戯楽は、色声触などの快楽と大食漢の酒池肉林や適切な量よりも寝過ぎるなども、瞑想の妨げになる。
・第五の、慢は、驕り高ぶりいい気になりうぬぼれ、思い上がる傲りは、人を見下すことになると。坐禅で数息が少し巧くいったからと、まだ悟っていないのに、悟りを得たと勘違いして、しまい、悟ってもいないのに、自分の力を過信してしまう。
・第六の、疑は、仏の教えを疑い、呼吸法やい瞑想の効果を疑い、価値がないものや、軽く見てみくびりあなどってしまうと、呼吸に心を集中することができず。邪念が忍び込み数息に没頭できない。

ここまでは、瞑想・坐禅をするときの呼吸法の具体的な心構えについて述べている。
しかし、日常の生活を行う心構えが、瞑想・坐禅の呼吸法を実践するうえで、大きく影響してくるので日頃の生活はどのようにすべきかについても述べている。呼吸法は健康や心の落ち着きを得るのには非常によいものだが、これを常に実践し続けることはできないです。そこで日常の生活のなかで、心の安らぎに妨げのなるものは、次にあげられるものとして、日頃から注意して起きたいことがあげられている。

・第七の、行相を受けずは、呼吸法でいえば、呼吸法する上でのいろいろな心がけて置くべきとされることを重要視しないでいること。これはスポーツでもいえ、仕事や商売をする上でも同じです。商売ならお客を大切にし従業員を大切に扱わないといけない、自分の商いのポリシーはこうだとして、食べ物などを提供するのに、客に事細かにその食べ方を押しつけては、それに共鳴する特異な客しかこなくなるだろう。
・第八の、他人相を受くは、充分に数息の呼吸法が身についていないのに、先走り次のステップに進もうとすること。しいては急がば回れともいう、一つ一つの段階を得とくしているのか自分自身で感じとれることが大切です。
・第九の、不念は、気持ちを集中させ気を配らないといけないのに、集中力に欠けて数息の呼吸にしまりがなくなりまとまりがなくなること。
・第十、他念は、入息時に出息を念い、出息時に入息を考えてしまい、息を吐くときは出る息を、息を吸うときは入る息を感じ専念できなく混乱してしまうこと。
・第十一の、満念ならずは、物事が進めていくうえでその変化していく過程を重視せずに、飛び越えて進めてしまい先走りすること。
・第十二の、過精進は、ときに冷静さを失い、度を越えた呼吸法をしたりすること。仏陀や白隠禅師が若いころに息を止めるという断息をしたするよなことだろう。

・第十三の、及ばざる精進は、正しい呼吸を毎日続けるとい、心に決め目標に向けて進もうという決意に従って瞑想をしようとする、積極的な心の働き力
・第十四の、驚怖は、おそれをいだくと、呼吸が浅くなり正しい呼吸法ができなくなる。
・第十五の、強制意は、不安や心配ごとがあると、やはり呼吸が浅くなり正しい深い呼吸をする気も失せてくる。
・第十六の、憂は、気持ちが晴れないと苦しい気持ちがつのり、この憂いが続き心の中を占拠してしまうと、気がふさぎノイローゼにもなっり引きこもりがちになる、こんなときこそ気分転換に外にでて、身体を動かし深い呼吸すのよい、動禅や太極拳などをするのもよいだろう。
・第十七の、怱怱は、いそがしくあわただしいと、気分がおちつかなくそわそわしてくる。このようなときこそ、ゆっくりとした呼吸による瞑想が必要になってくる。
・第十八の、不度意の行愛は、ものごとの程合いに留めることができない欲望の心で、闇路に迷い込みしまうと正しい呼吸をすることにも無関心になてしまう。

物事を明晰に考えるためにも、呼吸を調え瞑想をすることは重要なことです。そのために日ごろから、精進する生活をすることが大切であるといえるのでしょう。

瞑想 7 数息について

瞑想 7 数息について
仏陀は弟子たちからなぜ数息をするのかの問いに、次のように答えている。
数息をする理由は、四つある。
一つに、長く坐っていると、脚腰が痛くなりので、数をかぞえると気が紛れる。
二つに、心の散乱を防ぐことができる。なにも考えないで空でいようとすると妄想が忍び寄ってくる。
三つに、数息をしていると外からの雑音に心を煩わされない。
四つに、煩悩を解脱した悟りの境地の道を得たいからだ。と答えている。

また、坐禅をするのに、集団でするなら三坐の息があると仏陀は指摘している。
瞑想の数息はには、坐る 立つ 行の三つのおこないかたがあるとして。
一つに、立って瞑そうしたり、歩行して行うより、座がよい。と坐ることを推奨している。
さらに、一人でするより幾人かですのがよく、それには読経をすすめている。
二つに、読経の誦経坐を大勢で合唱して韻律の音響の中ですると、互いの声が調和し響き、雰囲気が醸し出されてよい。
三つに、その誦経の音響の声を聞く、聞経喜坐がよいという
まずは、集団でするならその時間と場所をみなと合わせないといけないが、修行道場でするならともかく、私たち日常生活のなかで、手軽にどこでもするとなると一人がよく、一人で瞑想するなら数息がよいだろう。

また、仏陀は坐には三品があり、次のように述べている。
坐に三品あり、一は味合坐、二は浄坐、三は無有結坐。
・何をか味合坐となすや。謂わく意が行いに著して離れず、これを味合坐となす。
・何を浄坐となすや、謂わく念せざるを浄坐となす。
・何をか無有結坐となすや、謂わく結が己に尽きたりを無有結坐となす

・瞑想・坐禅の行をするのに、心をこめた呼吸を繰り返し積み重ねていけば、意のこころが呼吸のと一つになり離れなくなり、出る息は出るとなり、入る息は入る息としてからだに沁み感じるようになると、味合坐となる。
・味合坐の、心が呼吸になりきってしまうことが、思い勤めようと努力しないで、神経が集中していて味合坐の境地に至ることを浄坐となる。
・無有結とは、結び目のない状態で、結び目とは煩悩や妄念や欲情が心に占拠されている状態だと、それがこだわりとなり正しい瞑想・坐禅ができないので結び目を解かない。結び目がない坐が無有結坐となる。

仏陀は瞑想・坐禅で呼吸法を繰り返し続けていると、上達していくもので、それには三段階あるという。
一つに雑息、二つに浄息、三つに道息がある。
呼吸は意識しないでも呼吸に無関心でも、自律神経により生命の維持のために行われそのような呼吸や、長呼数息を始めた頃の呼吸を雑息という。
二は、長呼数息を繰り返して、十の数をかぞえるとき心を散らさずに、心を込めて行える状態になうと浄息になる。三は、長呼数息の守らなければならないことに遵った呼吸ができ、もし好くない呼吸になっても、すぐに良い呼吸に戻ることができるようになうと、それを道息というと述べている。

瞑想も坐禅も呼吸法も継続は力なりで毎日する習慣をつけることが重要だといえる。

瞑想 6 数息の呼吸

瞑想 6 数息の呼吸

瞑想をするには呼吸法を身につけるのが手っ取り早いが、その中で数をかぞえる数息法がよいとされている。

なぜ数息法がよいのかだが、数えるのには意義があり、数は重要ではない。
数でなくて他の言葉でもよいのだが、たとえば、平家物語の冒頭でもよい、「ぎおんしょうじゃの かねのこえ  しょぎょうむじょうの ひびきあり ・・・」のように、七五調になり唱えやすい。また、白隠禅師の坐禅和讃で、「しゅじょうほんらい ほとけなり  みずとこおりの ごとくにて ・・・」と唱えるのも、七五調で唱えやすい。しかしそれらには、それぞれ深い意味があるので、その意味に耽り意味を考えてしまい無心でいられなくなる、それでは、瞑想の邪魔になってしまう。

それで、只なにも想わず考えずに長く息を吐くには、ヒトーツ フターツ ミイーツと数えるのことにより、善悪はべつとしていろいろな思いが沸々と湧いてくことに蓋をすることができるだろう。
数をかぞえていくとことのよって、出る呼息を長く繰り返すことに意味があり、それを繰り返すうち、長呼息が継続され習慣づきかずを唱えなくても、長呼息ができるようになる。それにより大脳が数を数える負担がなくなり、物事を思うことなく。物事をそのままみられるようになる。
そして、長呼息を複式呼吸でするすなわち丹田呼吸でする。それにより自信がもてるようになり、明るい気持ちになってくる。
反対に外出を規制されたことを不条理と思い悩んだり、物事に失敗したりすると、呼吸が浅くなり弱いものなり、元気をなくして沈み込み、憂鬱な気分になり、食欲が落ちてしまい、身体の調子までもが悪くなってしまい、よい方向でなく悪い方向ばかり考えるようになる。そのようなときこそ浅く弱い呼吸を打破すうには、瞑想と長い呼吸の数息に励むことにより、元気を取り戻すことになる。

瞑想 5 呼吸

瞑想のための仏陀の呼吸法

呼吸とは内蔵の肺による、二酸化炭素と酸素のガス交換だが、肺が自律的に動いてガス交換をするのではない、呼吸筋群という沢山の筋肉が協調して、肺を膨らませたり縮めたりする緊張と弛みの二相の調和です。それは、肺の内部にある細気管支の先端の半球状の肺胞が、肺胞壁を介して肺胞内の空気と毛細血管内の血液との間でガス交換が行われる現象です。
しかも、自律神経により働くが、随意的にも動かすことができる身体のシステムと言える。心臓などは随意に鼓動を速めたり遅くしたり、停めたり動かしたりすることはできない。また、肝臓や腎臓などは自らは動かないが、その臓器に血液通り、血液が浄化されるがその浄化を、随意にコントロールする事はできない。また身体の四肢の筋肉は随意に動かすことはでき、附随意に動くことはない。そのように思うと、呼吸機能は身体の中でも特異な臓器と言える。

仏教の修行をするうえでの呼吸法の教典がある。「仏説 大安般守意経」というが、漢字なので文字になにか意味があると思うが、サンスクリットの漢字での音訳です。安はアナで入息、般はパーナで出息、守意はサチで守意を意味する、アナパーナ・サチで簡単に言うと、呼吸の出入息法となる。仏説とは釈尊が説いたと言うことで、釈尊が苦行の末に禅病にかかり、苦行の誤りに気づき会得した息を長く吐く出入息法について書かれている。今から二千五〇〇年以上前にあみ出されたもです。

仏陀が苦行の誤りに気が付き、アナパーナ・サチの長出入息法を編み出し、それ以降この呼吸法は改良改善されている。単に呼吸を調え身体を調えるだけでなく、心も調えらていくことにも仏陀は気が付き、呼吸法による瞑想である坐禅は仏教の修行の中心的なものになっていった。
瞑想にはヨガでもキリスト教にもりあり、キリスト教では瞑想よりも黙想があり懺悔に重きをおくようですが。

私たちの生活のなかには、さまざまな心が乱されることが多い。平穏であるより心を乱されたり怒りを抱いたり嫉妬したり、妬み恨みを湧き起こさる方が多い。そのような中で平穏な気持ち保つためにも、是非瞑想は大切だといえる。

特にこのコロナ禍の不条理と、世界の政治外交や国内の国会のやり取りをみているが、怒りを禁じずにいられないが、それを思うばかり怒りを沸騰させてしまうと、攻撃する方に陥って自己の冷静さを失い反知性的になってしまう。そうなれば自己を見失い、ますます自分自身が惨めに感じるようになる。
この、コロナ禍とコロナ後の未曾有な世界への不安を感じる今だからこそ、瞑想が大切になってくる。
瞑想をして今の社会を冷静に見つめて、自らの思考で考え判断をし行動をすることが重要なので、瞑想とそれによる呼吸法を身につけていく。
これから、呼吸法に調べたことを紹介したくおもう。

瞑想 4 ストレス ノイローゼ

瞑想 4 ストレス ノイローゼ

私たちの生活しているとさまざまなストレスから無縁であることはあり得ず。社会のなかでいくら大勢の人と関わっていいる。
ストレスには、よいストレスとよくない悪いストレスがあると言われる。適度な運動は体によい負荷をかけるよいストレスであり、過剰な運動は身体を壊す悪いストレスです。
同じよなことが身体面だけでなく、心に内面に対してもいえることです。己の生きざまの反省は、ストレスになるからといって、目を背けることをすべきではない。大なり小なり多かれ少なかれ反省は常にしていくべきである。
いま目の前にある問題からの抜け出すのに、将来に見通しが立たない暗澹たる気になることもある。初心の溌剌とした精神は消沈してしまうことは、なにもこのコロナ禍のことだけでなく、それはどちらかというと日常茶飯事にふつふつと起こっているのではないだろうか。

瞑想の呼吸法は、ストレスを抱え込みノイローゼになってしまわないために、家でも何処でもできるのでお勧めです。
外出ができず不条理だといい、人生に意義を見いだすことのできない絶望的だと、思い悩んでしまうと、身体の中でどのような変化が起きるのか。それによりまずは、呼吸が浅く弱くなる、これは身体にとってその能力を低下させることになり、体調を乱すことになり、さらに精神衛生面2もマイナスになってしまう。
そのために、瞑想をして深く力強く息を吐くことが重要になってくる。深く長く吐き吸う呼吸は、精神活動である心を調えノイローゼの乱れを回復させる。また瞑想をすることにより、日頃の生活の取り組みを、軽々しく粗末にするいい加減なことを防いでく、外からのストレスに対して精神的動揺から心身の調和をつくりだし安定へと導いてくれる。この瞑想による呼吸を実践することは需要です。
このようなときだからこそ瞑想・呼吸法の実践を、忙閑を問わず随時随所を問わず何処でもする習慣をつけることが重要です。

瞑想 3 反知性主義に陥らないための瞑想

瞑想 3 反知性主義に陥らないための瞑想

コロナ禍の感染抑止のため、外出の自粛が要請され、事実上規制されているので、今までの日常の生活が自由にできないため。人生に意義を見いだすことのできない絶望的な、不条理な状態におかれていると思ってしまう人も多いだろう。
そのような状況がストレスとなり、ネットや市井でネットポリスや自粛ポリスなど、他人を攻撃する現象があらわれ、人々の行動に悪影響を及ぼしている。
それは、人々の心の中でストレスが渦巻き、外に出れない絶望を感じ自己中心的になりがちで、そのため自分や自分の属する組織だけを理解し、証拠や確証などの客観性を無視するようになる。それにより、現在や過去の行いに対し、反省することを自虐だと拒んだり、自分の都合のよいことや自分にとって耳に心地よいものだけ見て、それらによる考えを取り入れ自慰的に思索に耽ることに陥ってしまう。このような思いに陥るとアリジゴクのように、その感情から抜けだそうともがいても、なかなか抜け出せない苦しい状況になってしまう。
そのようなことにならないように、私たちはこの不条理な状況のなかでこそ、学問や教養や知識を身につけ、心の豊かさを求め、物事への理解と社会への理解を深め、感性を磨き物事の認識と判断から、思索することが重要になってくる。このコロナ禍から、自我を正しく維持するため、新しい認識を生みだす働き求めることに勤めるべきです。
決して、先に述べたような一面だけお認めるような反知性主義者になってはいけない。

そのためにはどうしたらよのか、自己を見つめる瞑想を実践するのは、非常に意義があることです。
瞑想するにあたり、身体の姿勢、息の仕方、目のあり方
心の持ち方についてもう一度考えてみたい。
このブログで、「天台小止観」について何度も書いたが。「天台小止観」は坐禅の取り組み方について書かれたテキストであり、瞑想の方法についての書ともいえる。
その中で、「心・身・息」について詳しく書いてあるが、さらに「摩 止観」や釈迦の瞑想法やヨーガの瞑想法なども調べてみようと思う。

瞑想 2 呼吸

昨日、瞑想するのに呼吸が大切だと書き、呼吸筋と述べたが、呼吸筋と名付けられている筋肉があるわけではない、呼吸をするときに使われる筋肉群を総称して呼吸筋として使う。
呼吸をするには、肋骨、胸骨、胸椎、横隔膜、胸部、腹部、頸椎の筋肉が総合的に相互に関連して働いて作用してる。
呼吸は、息を吸うときに使われる筋肉を吸気筋とよぶ、息を吐くときに使われる筋肉を呼気筋とよぶ。また、吸気・呼気のとき、安静呼吸の場合にはたらく呼吸筋を主呼吸筋とよび、強制的に呼吸をするとき、すなわち深呼吸など意識して随意呼吸をするときにはたらかせる呼吸筋を補助呼吸筋とよばれている。腹筋群の筋は呼気のときに共同協調してはたらく重要な補助呼吸筋です。
安静時の自律呼吸で主にはたらく筋は、胸部の肋骨に付着する肋間筋群で、外肋間筋、内肋間筋があり。それぞれ呼気のとき吸気のとき筋の働き方が違う。筋のはたらきかたには、筋が収縮するときと緩むときがあり、吸気・呼気のとき主働筋(主動筋)の役割を交代しながらおこなわれ、息を止めるときは拮抗している状態になる。また、その拮抗状態でも、短縮性収縮、救心性収縮と伸展性収縮、遠心性収縮があり、その中間の等尺性収縮がある。
呼吸筋の筋肉のはたらきについてはここまでにしておく。
次に、呼吸の仕方について。
釈尊は苦行により禅病になり、心の限り息の出入りをするアナパーナ・サチを始めた、それが仏教の坐禅であり呼吸法であり瞑想法です。
坐禅とか瞑想とかいうと大仰に聞こえるが、根本的にはその柱はシンプルで、呼吸法といえそこでも、とっかかりとして数息と呼ばれる方法が入門として手頃だろう。

なにも考えず深く呼吸をすることは結構難しいもので、つい雑念が起こってしまう。
そこで、それを蓋する方法として、数を数えながら呼吸をする方法。
イーチイ ニーイー サアーンと、言いながら息を長く吐く、そして吸う。数と数の間は力を抜いて、軽く息を吸う。吐く方を意識して吸う方はさほど意識しなくても、呼吸は吐いたら自然と吸うものです。どれぐらい長く吐いたらよいか、はじめは10秒から20秒で、私は一分間に2呼吸でする事が多いです。吸う方もゆっくりとリラックスして吸っています。そして10まで言ったら、イチに戻り10までを繰り返す。つまり10呼吸を5分でおこない、20から30数えます。
上達したひとの中には40秒一分の人もいるようです。この長呼吸を相随と言うそうです。

では、どのような姿勢でするとよいのか。私は立ってする立位のときと、座てする坐位でするときがあります。
立位のときは、肩幅に足を広げ膝とつま先は前の向けている。坐位のときは、結跏趺坐か半跏趺坐か胡座でお尻に座布団を二つに折って敷いて座る。
立位のときは、始めにつま先立ちをして軸をまっすぐにする。坐位のときも始めにに腰落としてから腰を立てて背筋をまっすぐにする。
目は仏像の目のように半眼にして、舌は上顎の前歯の付け根に軽く当てるようにしている。
このように、長く吐く長呼呼吸をすると、息にあわせて心身の調和がとれてくる。

こうして、コロナ禍で家に籠もっていると、うやむやがたまってくるので、精神のリラックスをして安定をはか一つの方法だろう。

ラジオ体操とストレッチ

日本では小学校の時からほとんどの学校で、ラジオ体操を体育の時間に指導したり、運動会などを催す時にプログラムの始めに、準備運動としてラジオ体操をする。
つまり、こども時から日本の小学校で学んだ人のほとんどはラジオ体操を知って出来るだろう。

今、コロナウイルス禍で、感染の広がりを封じ込め収束させるために、外出を極力抑え込むために、政府は不要不急の外出の自粛を呼びかけている。そのために家に閉じこもり身体を動かす機会が減っている。それなら部屋の中でラジオ体操をするのも、運動不足を解消する一つの方法だろう。
私が思うに、単にラジオ体操をするのではなく、少しテンポをゆっくりとして、ストレッチをするようにラジオ体操をするのもよいと考える。
ラジオ体操は小学生の時からしているので、みんなが知っているので何時でも何処でも誰でも出来る。
やり方は、ラジオ体操の一つ一つの動きのポイント毎に身体の動きを止め、しっかりと身体を伸ばしながらすることです。

NHKラジオ第一放送で毎朝六時半からのリズムでは、テンポがストレッチ風ラジオ体操をするのには、テンポが少し早いので何か別の曲を流しながらするのがよいだろう。

どうですか、みなさんもやられてみていかがでしょうか。

外出を控えて家でリフレシュと呼吸法

コロナウイルス禍で、外出を控え生活リズムが狂いストレスを溜め込んでいる人も多いでしょう。ストレスを溜め込むと、身体に不調をきたし、集中力が低下し物事に対しての意欲も低下します。身心息の調和をとり調える瞑想して、リフレッシュする自律訓練をお勧めします。呼吸を調え静座から始めましょう。



コロナウイルス禍で、外出自粛要請や人が集まるイベントや行事などの中止や休止の要請なされたことにより。
外出を控える人が多くいる。それにより生活リズムが狂いストレスを溜め込んでいる人も多くいるようです。
ストレスを溜め込むと、身体に不調をきたし、集中力が低下し物事に対しての意欲も低下します。それにより、家庭に籠もってしまうことにより、家庭内暴力や虐待が増えることが心配されている。

家庭内のそれらの問題には、家に籠もることによって、個人にストレスが溜まり、精神的にバランスが崩れて、家庭内の問題が起きる。また、その人自身の精神的また身体的なバランスが崩れ病気になってしまう人も多く出てくる。
そのようにならないためにも、身心息の調和をとり調える瞑想して、リフレッシュする自律訓練をお勧めします。呼吸を調え静座から始めましょう。そして、その中で一番簡単なのは、まずは呼吸法を考えてみたく思う。
このブログにも、呼吸法と静座と坐禅などについて書いたが、もう一度過去の記事を読んで考えを纏めてみようと考えている

からだの動かす方法

私は毎日朝起きると、ベッドの整理をし、食器の水切りカゴから食後洗っておいた食器を水屋にしまう。
その次にすることは、からだを動かすことです。
からだを動かすのは、床に足を延ばして腰を下ろしたり、胡坐になり体を動かす。
その後、中国の気功体操である練功十八法の前段・後段、それと練功十八法続集の益気功をする。
その後、雨が降っていなければ、歩いて20分程のところにある公園に行き、二十四式太極拳をする。
その後、家に帰り食事をしています。

このコロナで外出を控えているんで、調度よい機会として、健身気功でして覚えようと思っている。
・八段錦 ・五禽戯 ・易筋経 ・六字訣 をマスターしようと思う。
また、導引養生功十二法 と 馬王推導述 もマスターしてみようと思う

ほかに、立て系動作法体操 臥位式動作法体操を考えてやってみようと思う。

また、最も重要なこととして、呼吸法としての、立位での呼吸法と静坐での呼吸法と臥位での呼吸法も考えてみようと思う。
からだを動かす場合は、そのからだのと自問して行えばよいです。
しかし、ただ呼吸を腹式で深く永く無心ですることは、からだを動かすよりも難しい。
ただ何も考えずに無心に空に呼吸を調えようすれば、そのうちにいろいろな雑念が忍び寄ってくるからです。
静坐して深く呼吸を調え、吐いて、吸うのを繰り返していると、この後に何をしようか、昼に何をたべようかと、いまあの人は何をしているのか、会いたいなとか、喋りたいとか一緒に何かしたいとかを考える。他にも善いことをしてみたいと思ったり、なにか悪いことをしてみようと思ったりする。と、いろいろな雑念がふつふつと湧いてくるが、それに蓋をして抑えなくてはならないです。
考えれば、静坐して呼吸を調えることが一番難しいのだろう。

ウオーキングするときのシューズ

いままで使っている、早朝のウオーキングで使っているシューズの底がすり減ってしばらくたつので、近くのランニングスポーツ用具店で、ワゴンセールをしているシューズを買った。店の人がいわく、定価の三分の一以下の値段だとう。5,000円しなかった。

その店主がいわく、このシューズは走るために作られていて、そこが反っているので走ると自然と体が前にいき走るのに都合がよです。走るためのシューズはウオーキングするのにも都合がよいと言っていた。
たしかに、早朝に歩くのには良いように思う。しかし、私は早朝のウオーキングをして、行先の公園で太極拳をしているが、このシューズは太極拳の套路をするのに親切すぎる。各套路でそのポーズ(形)を決めるとき、一寸静止するのだが、このシューズは次の動作に身体が進もうとする。
細かく言うと、足を前に出しそこで足がしっかりと着地したことを感じて、次の動作に移るのだがこのシューズは連続して先に進もうとする。
平底のシューズだと着地して足の指で地面を掴もうとすることができるのだが、このシューズの底は前後に弧を描いているのでそれができない。歩いたりウオーキングするのにはよいが、体操などをするには少々親切すぎるのであまり向いていないように思う。

話しは飛んでしまうが、最近、ナイキのランニング用の厚底シューズが問題になっている。ランニングアスリートが特別あつらえした、厚底シューズを使った人が軒並み自己ベスト記録を更新したという。踵を着地させて前に身体を移動させるときに、厚底がバネになるといいう。そこで、世界陸連が出した規定に違反するのではないかと問題になっているそうだ。

それはともかう、記録を出すためのはこの靴はよいが、私のように身体を感じながら歩くにはこの靴は、親切すぎてしまうシューズだと言えるだろう。

110歳の長寿細胞

理化学研究所の生命医科学研究センタートランスクリプトーム研究チームとピエロ・カルニンチチームリーダー、慶應義塾大学医学部百寿総合研究センターの共同研究グループが、110歳以上の長寿の人たちの血液を詳しく調べた。すると、通常の人にはほとんどない特殊な免疫細胞が多く含まれていることを突き止めたという。
110歳以上の人たちの血液に、がん細胞などを攻撃する免疫細胞「キラーT細胞」が多くあり、特に「CD4陽性キラーT細胞」と呼ばれる細胞は、20代から70代までの45人の平均と比べて、約10倍多く含まれていたことを発見したそうだ。
太古の人類の夢である不老不死の夢に一歩近づいたともいえる。
世界の中でも、日本はいま少子長寿高齢化社会のトップランナーです。この理化学研究所の発見によりさらに、長寿高齢化社会になっていくだろう。しかし、少子高齢化により産業構造や社会福祉などで大きな重荷となってきている。

ガリバー旅行記を思い出した。ガリバーが空中に浮かぶ島ラピュータを後にし、ラグナグ島を訪問すると「不死人間」ストラルドブラグの存在を耳にする。死なない人間が存在していることを知る。ガリバーは、そうなるといつまでも働くことができ大金持なれ、また長い間学問や芸術に取り組むことができ、その道を極められ第一人者になることができると考えた。するとラグナグ島の人たちに嘲笑されてしまった。
80歳を過ぎたストラルドブラグは絶対に死ねない前途を悲観し、若者の放蕩三昧の生活や老人の死を嫉妬する。死なないが老いは積み重なっていくことにより、何もすることができないにもかかわらず、頑固で気むずかしく、貪欲で不機嫌な人間で、しかも歳を取ると記憶力も薄れ、何も覚えていない。そのようなことから、国中の人々から軽蔑され憎まれる存在になるという。ガリバーはいままで不老長寿を求めていたがその現実を知ると不老長寿の夢は萎えてしまいました。
人間はゴールがあるから前向きになれる。もしマラソンでゴールがるから競うことができるし、すでにゴールのテープが切られていても、ゴールがあるから最後まで走れるものです。そう考えると、死があるから救われ、死は救いであるということも言える。

ガリバーが訪れたラグナグ島の国王はガリバーに「なんなら、不死人間を二人ばかりお前の国に送ったらどうか、そうしたら故国の者たちも死を恐れなくなるのではあるまいか、」と言った。

現在は、家で子どもを産むことは皆無と言ってよくみな産院などで産み、生命の誕生を見ることはない。また家で死を看取ることもほとんどなく、多くの人が病院で亡くなっていく。そのため昔よりというか、私が小学生ころに比べるとそのようなことがなくなっているので、死を忌避して、話すのが縁起悪いと考える人が多くなっています。
はたして、今回発見された長寿の細胞は本当に私たちのよいものを与えてくれるだろか。

今一度不老はよいとしても長寿を追い求めることが本当に、人の幸せと考えてよいのだろか。

朝の太極拳

わたしは、毎朝早朝にウオーキングといっても散歩のようなものだが、その後、公園で太極拳をしている。
太極拳の本を読み直していると、太極拳にもいろいろな形あり、簡化二十四式とか、四十八式や総合四十二式、様式太極拳伝統八十一式などがある。式というのは太極拳の一つ一つの形の数がいくつあるかを表している。この形を太極拳では套路という。
それぞれの太極拳では、必ず予備勢(ユイベイシー)と起勢(チーシー)がある。
この二つは、太極拳を始めるに当たって、その準備をするために重要なもので、軽くみて行ってはならない、それぞれの動作の流れの一つ一つを丁寧に行わなければならない。また予備勢に入る前に、その場に立つ前から気持ちを調え、息と身体を調えないといけない、また衣服も動きやすいものでなければならないと書いてある。
このような、太極拳の所信についての基本的な心構えを呼んでいると、坐禅の手引き書である「天台小止観」の第四章「調和をはかれ」に、坐禅の道場に入るまえ、から五法を調えなければならない、一つは飲食の調節、一つは睡眠の調節、後の三つは、身と気息と心だが、この三つは別々に論じられないと説いている。そして三事を調えるとは、坐禅に入る道場に行くときから、その立ち歩きに注意をこころがけ、立ち坐りももぞんざいにしてはならない。それらが粗雑だと息づかいがみだれ心もみだれると述べている。また、坐りかたも結跏趺坐のしかた、また坐ったあとの衣帯のゆるめかたも細かく書かれている。
そして、坐ったらすぐに坐禅に入るのではなく、手足肢節を揺り動かし、自按摩をし手足のしこりを取り除き、頭から頸を正、鼻と臍が垂直線上にあるようにして、面を平らかにして、ゆっくりと胸中の 気を吐き去り、鼻から清気をいれると続いてかかれている。

太極拳の本には、予備勢は太極拳を行うのに最も基本的でなもので、「心を落ち着け」「体をリラックスさせる」ことだとし。
「心を落ち着け」は、目を閉じて静かにすることではなく、「体をリラックスさせる」も、軟弱で無力になるということではない。健康を増進するために太極拳をするなら、決してだらけたり、怠けたり、気を抜いて練習してはならないと述べている。太極拳は連貫円滑、協調完整された運動が特徴で、『松(緩やか)』『静(落ち着き)』が基本であるというがこれは理に適っているとしている。

また、太極拳の呼吸のしかたも、口は自然にとじ舌は上顎の歯の付け根に軽く付け、鼻で呼吸するのは、坐禅や気功の静座功や臥位での静功の呼吸法と同じだ。

坐禅は静禅で太極拳は動禅だと言う人がいるがまさにそうだ。

電子タバコ

たばこに対する禁煙が大きく取り上げられることが多くなったが、日本では、電子たばこ*についてその有害性はあまり語られていない。

* 電子たばこ(でんしたばこ、英語: Electronic cigarette, e-cigarette, e-cig)とは、乾燥葉や液体をマイクロプロセッサで制御された電熱線の発熱によりエアロゾル(霧状)化して、利用者に吸引させる喫煙具

電子たばこについては、日本ではあまり語られないが、アメリカでは、トランプ大統領が、風味付き電子たばこ製品の販売禁止を検討していると語っている。

では、電子たばこはたばこより、有害なのだろうか。
症状がでた患者を調べると、せき、息切れ、胸の痛みなど一連の呼吸器症状がある。吐き気、嘔吐のほか、下痢の胃腸症状もみられ、発熱、倦怠感、体重減少も報告されて、数日で症状が急速に進む場合もある。まが、大半の患者は同時に白血球数が増加している。
原因は特定されていないが、電子たばこに関連する一種の化学物質への暴露によって肺に炎症または損傷が生じている可能性があるそうだ。

厚労省や政府は何らかの対策をすべきでないだろうか。

マイクロスリープと交通事故

数日前に睡眠についての本のことを書いたが。そこで、マイクロスリープというあまり聞きなんれない言葉についてふれた。

最近ベテランのドライバー、プロの運転手が起こした事故がよく報道される。それについて、このマイクロスリープが原因ではないかととも思ったりする。
ここで改めてマイクロスリープ(瞬間的居眠り)とは何か、名前の通りは1秒ら10秒程度の居眠りで、脳を守る防御反応だという。数秒なら本人もまた周囲の人も気がつくないことがないものです。
スタンフォード大学医学部西野精治教授の実験で次のよう亜結果がでている。
実験は、タブレットの画面で、5分間に丸い図形が約90回ランダムに出現する画像を見て、丸い図形が出るたびにボタンを押す。簡単な退屈な作業をである。
これを夜勤明けの医師にしてもらったら、約90回出現する図形に、3、4回も反応しなかった。夜勤明けの医師は反応しない間眠っていた。
一方、前日に通常どおり睡眠をとった医師は、正常に図形に反応した。

また、このように、ほんの数秒、寝てしまうのだから、本人も周囲の人も気がつかないという。タクシーやバスの運転手だと前日の生活管理や、飲酒の有無などの点検がされているが、一般の人だと前日徹夜や夜勤をして、車を運転して帰ることもあるので要注意だ。運転する方も夜勤明けだからと気をつけるだろう。
しかし、睡眠に問題がある人、熟睡できない人は、夜勤明けや徹夜をした人ほど気をつけないだろう、またタクシーやバスなどの運行管理する人も気がつかないだろう。


最近の、一般のドライバーや交通会社でも、このマイクロスリープの問題をわがこととして考えてみる都よいだろう。
一言付け加えれば、バスやタクシー会社だけでなく、鉄道会社や航空会社、またトラックなどの運送会社にも同じことがいえるだろう。

寝不足とマイクロスリープ

スタンフォード大学医学部の西野精治教授が、寝不足の怖さを次のように述べている。
熟睡できないと、眠りの借金地獄にいり、眠りの借金が貯まっていくと述べている。
「睡眠不足」ではなく「睡眠負債」といっている

睡眠負債の具体的な症状は、起きている間に数秒眠ってしまい意識がなくなる症状です。

西野精治教授は、夜勤明けの医師に、タブレットの画面に丸い図形が約90回ランダムに出現する画像を5分間見て、図形が出るたびにボタンを押してもらった。すると、夜勤明け医師は、図形が約90回出現するうち、3、4回も数秒間図形に反応しなかったという、つまり眠っていたことになる。
同じテストを前日通常に睡眠をとった医師おこなったところ、正常に図形に反応した。
西野教授はこのような症状をマイクロスリープ(瞬間的居眠り)といい、この状態は脳波で確認でき、マイクロスリープは1秒から10秒程度の居眠りを指すもので、脳を守る防御反応とも説明している。
また、睡眠負債によるマイクロスリープは、数秒なので、本人も周囲の人も気がつかないことが多いという。

これが、車の運転中にマイクロスリープが起きたらどうなるだろうか。

睡眠に問題を抱えている人に、脳波を測定する装置をつけてドライブシュミレーションで運転した実験がある。その結果、3~4秒、脳波上に睡眠を示すパターンがはっきり出たという。
最近原因が特定しにくい大きな自動車事故が時々おきている。このマイクロスリープは、見て目にはわからない、本人も自覚がないので恐ろしいといえる。運転中に数秒であるが完全に眠っているで、数秒間眠ったとしても数十メートル暴走していたことになる。

黄帝内経 の四気調神大論編 春

夏のことと秋のことを書いたが、春のことは書いていなかった。黄帝内経には春について次のように書いてある。
春の三ヶ月は、万物が古いものを推し開き、新しいものを推し出てくる季節。
春の養生は、少し遅く寝て少し早く起きる。朝、庭に出てゆったりと散歩をし、髪を解きほぐし体を伸びやかに動かす。心持ちは活き活きと生気を充満させる。つまり、春の植物の芽と同じように、心身とも陽気を発生させる。殺生をしてはならず、ただひたすら成長を促すべきで、剥奪してはならず、自然に息吹に心と目を楽しませるべきで、また、気候がよくなったからと、体を虐げてはならない。

春眠暁を覚えずというが、春は冬にくらべ夜が明けるのは早くなってくる。それに併せて就寝をすべきで、体の体内時計を自然の運行と合わせるということか。
また、早朝の散歩をし、太極拳などのゆったりとした運動をすることは、からだにとってよいことだといえる。

黄帝内経 の四気調神大論編

黄帝内経 の四気調神大論編
その秋の季節について、次のように述べている。
秋の三ヶ月は万物が成熟して集まり、収穫の季節で収斂される。天気は夏のように暑くはなく涼しい、風は強く急いで、地気は静粛とし万物は色を変える。人々は鶏のように、早寝早起きをすべきである。夜明けとともに起き夕暮れとともに眠ることにより、秋の寒くなってくることに、身体に対するダメージを緩和させる。
心を外にはたらかせいないで、肺気を清浄に保持するとことにより、秋に適応し収気を保養できる。これに反すると肺気を損傷させ、冬になると潜伏閉蔵し、気に適応する能力が衰える。

秋こそが冬への滋養を蓄えるためにも、季節がいいからと暴飲暴食や夜更かしなどをすることは慎まなければならないということか。

暦では立秋もすぎもう秋だが

暦のうえでは旧暦七月八日の立秋もすぎもう秋ですが、ますます暑い日が続きそうです。黄帝内経の第二編 四気調神大論には次のようにある。
夏の三箇月という季節は、万物が繁栄し、秀麗となる季節で、天地間の陰陽が盛んに交流する、陽気が多くなり万物も花開き実を結ぶとなっています。

しかし、こう暑くては陰陽の交流も滞ってしまいそうです。

さらに次のように書かれている。
夏は、夜は少し遅く寝て、朝は少し早く起きるべきである。夏の日の長さ、暑さを厭うことなく、気持ちを愉快に持ち、ものごとに怒ってはならない。つまり、体内の陽気を外に向かって気持ちよく発散させる。これに背くと心気が傷む。
これが夏の養生法だとかいている。

外は暑いからと言って家の中でクーラーを聞かせてゴロゴロしていてはだめで、外に出て適度に汗をかくことがよいのだろう。しかし、最近年々と夏は暑くなってきている。黄帝内経が書かれたころと比べると、地球は温暖化しているであろうし、、都会はヒートアイランド化している。
それに応じて戸外での運動には気をつけて汗をかこうと思う。

真人 至人 聖人 人

中国の古典、「黄帝内経」のなかに、上古の時代に『真人』『至人』『聖人』『賢人』がいたと黄帝が問うている。

明鏡国語辞典で、
【真人】と引いてみるとつぎのようにある。
(1)仏教で、真理を悟った人。仏や羅漢(らかん)をいう。
(2)道教で、奥義を悟り、道の極致に達した人。至人。
【至人】
道を修めて最高の境地に達した人。
【聖人】
(1)仏教で、広大な智慧(ちえ)と慈悲心をそなえ、悟りの道へと進む人。
(2)高僧の敬称。上人。
【賢人】
(1)かしこい人。また、聖人に次いで徳のある人。賢者。

しかし、黄帝内経での、真人、至人、聖人、賢人はそれとは違う。黄帝内経は医学書であり養生書であるので、次のように言っている。

「まんが黄帝内経」医道の日本社によると
『真人』心身とも天地の運行にとけこんだ状態となり、その寿命は天地と同じく無限である。
『至人』天地の大道にかない、その寿命は可能な限り延ばすことができる。
『聖人』心身ともに過労せず、百歳以上の寿命が享受できる。
『賢人』自然の正邪をわきまえ、悪い気に当たらないように気をつけ、長生きできる。
以上のように書かれている。ざっくり述べられていて非常に大まかだが当を得ているだろう。

真人の心身とも天地の運行に溶け込んだについて考えてみると、江戸時代の人はそれに近い生活をしていたといえる。
明治以前の江戸時代は、不定時法というと時刻表示を使っていた。現代社会では、時の流れは定時法で、地域の緯度や経度に関係なく指定された地域はすべて同じ時間です。しかし江戸時代は不定時報といい、太陽の運行により時間が計られ、太陽の日の出と日の入りにより、明け六つと暮れ六つが決められ、日の出から日の入りまで正確には、太陽の中心高度が-7°21′40″となる時刻、夜明け、日暮れです。これをそれぞれ6等分しています。
とうぜん春から夏は夜明けの早く明け、夕暮れは遅くくれます。冬は夜明けは遅く明け、夕暮れは早く暮れます。ということは、夏と冬の時間の長さが違てきます。また、その地域の経度と緯度によって、夜明け夕暮れの時間も変わってきます。
わたしは、毎朝早朝にウオーキングをしていますが、定時に家をでるのではなく、国立天文台の暦計算室で調べておいた時刻表をみて、だいたい五日おきぐらいに出かける時間が変わってきています。
つまり、私の散歩は、真人の心身とも天地の運行に溶け込んだについて考に合致しているといえます。しかし、後の食事や運動の素行はといえば、決して褒められたものでないので、この賢人までもいかないでしょう。

ではなぜ、真人、至人、聖人、賢人のようなおこないができないのか、それは現代社会のなかでは出家遁世でもしない限りむりです。日ごろの食事も狩猟採集で日常の糧を得ない限り、農薬や化学肥料や添加物などを避けて生活することができないからです。また、社会生活をするうえでは、日常の活動をするうえで人との共同活動を行うことに支障をきたすからです。

これらについては、またこれからジックリと考えてみることにする。

黄帝内経 のつづき02

漢の時代に、昔の人は100歳まで生きられたと言うが、漢の時代の今はその半分ほどすると、からだが衰えてくるそれは、生活習慣人がいきるのに自然の理にかなってないからということだった。
漢の時代よりはるかに便利になった現代は、科学技術や医学が進歩しているので、からだが衰えるのが漢の時代に比べて伸びているはずです。しかし、本当に年を取って衰える年齢がのびているだろううか。

若いうちに病と共に暮らすようになっている人もいるし、働き過ぎて身体の変調をきたしている人もいる。また、家電製品や自動車などの乗り物や、あらゆることが人の労力に変わり機械がするようになり、昔のように身体を動かすことがすくなくなりって便利になっています。しかし、今の便利さを避けて、この世の中から取り残されてしまい、生き残れるだろうか。

今まで人類が遭遇した大きな改革は、何か、狩猟採集生活から農耕牧畜に産業が変わったこと、宗教の教義中心からルネッサンスの人間の文芸復興、近代の産業革命と大きく生活が変わってきた。
しかし、これらの変化は狩猟採集から農耕牧畜への変化は1000年から万年単位で徐々に変わっていった変化だった。ルネッサンスの運動でも急激にかわったのではなく百年程の時を要している。また産業革命でも短くみても50年ほどの時間を要していた。しかし、現代の金融とIT革命と遺伝子工学での変化は数年で変わっていってる。変かはどんどん加速していっているが、そこまでの急速な変化に人間の肉体と心である精神はその変化に適応できるのだろうか。

たぶん、そこには三つのグループに分けられるのではないだろうか。その変化の随時適応していけるグループと、その変化に戸惑いかたくなに旧態の生活を守ろうとするグループ。そして、もう一つのグループがある、それはその変化に取り残され見捨てられるグループ。

変化についていこうとせず、昔の生活様式を守ろうとするグループはいつの時代にもいる。アメリカには、中世の時代の生活を守り電気も引いていない生活をしているアーミッシュと呼ばれる人たちがいる。アーミッシュの人たちは、アメリカ合衆国のオハイオ州・ペンシルベニア州・中西部で暮らすドイツ系移民の宗教集団で、移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしている。
また、アメリカの福音派の人たちのなかには、ニュートンの万有引力やガリレオの地動説を受け入れても、ダーウィンの進化論を受け入れず、学校で教えることを禁止しようとしている人もいる。日本でも民主主義は日本の伝統ではないとし、家族制度の復活を夢見ている政治グループもいるようです。その人達は自ら信じている呪縛に縛られた生活の道を選んでいるのです。

反対に、今の最新技術を受け入れようとする人もいる。スマートホンを使って「OT」と「IT」を融合され、離れたところから家電製品を操作させるなどはまだいいだろう。最新の健康長寿の技術を取り入れたり、遺伝子工学によるゲノム編集による自分の体質を変えたり。デザイナーベビーとよばれる、受精卵の段階で遺伝子操作を行い、親が望む外見や体力・知力等を持たせた子供を産ませよつしたり。最新のIT技術を内蔵されたインプラントを自分の身体に埋め込んだり。
人工知脳との生体との融合をこころみようとしている人もいるときく。それらはいまのところ倫理的な面で問題にされているが今後どのになるかわからない

しかし、深刻なのは三つ目の部ループに属する人たちです、社会的地位や環境や経済的理由で、今おころうとしている変化について行こうとしても取り入れついて行けなかったり、不適格と見なされそこから振り落とされたりする人もいる。この人達は新しくこようとしている社会は受け入れ助けようとするだろうか。またその人たちはどのようにその後の社会を生きて行けばよいだろうか。

自然界の世界では多くの動物の種は複数の種が混在したり共棲しているが、私たちサルから進化した新人はホモサピエンスしかいない。それが、今の最新のテクノロジーを取り入れた人類が誕生したら、後の二つのホモサピエンスは生きのびることができるだろうか。ホモサピエンスや他の種のネアンデルタール人や原人などとの争いで絶滅に追いやったのか、それらの種は生き残ることができなく自然淘汰されて消えていったのだろうか。
それと同じように、ITの技術によるAIの自律型学習型人工知能やゲノム編集の遺伝子生物学、さらに新自由主義経済による競争に参加しようとしなかった人や、それに乗ることができなかた人は今後どのように生きてゆけばよいだろうか。

私は後長くても30年ほどの寿命だろうから、人類がその後どのようになる姿は見れない。しかし、1970年ごろに「成長の限界」発表したローマクラブのヨルゲン・ランダースが2052今後40年のグローバル予測を2012年に著しているが、それより深刻な事態になるのではないかと思うがどうだろう。

黄帝内経 のつづき

私は毎朝、ウオーキングをして公園で太極拳をしているが、太極拳は中国の武術の一つだが、中国では健身・養生健康法としての太極拳が盛んに早朝の朝など行われているという。また、世界各国でも健康法の一つとして行われるようになっている。

一昨日と昨日は黄帝内経素問のはじめの部分についてかいたが、今日もその続きです。
はじめに太極拳のことを書いたが、太極拳のテキストにかかれているのと同じようなことがかかれている。昨日の最後に坐禅のテキスト書ともいえる、天台小止観、夜船閑話にも通じているとかいたが、それと同じことがいえる。

昨日の箇所と後には、「黄帝内経 素問」には次のように書かれている。

夫れ上古の聖人の下に教うるや、皆謂う、虚邪賊風、これを避くる時あり。恬憺虚無なれば、真気これに従い、精神内に守る、病安んぞ従い来らんや、と。
是を以て志 閑にして少欲、心安らかにして懼れず。形 労するも惓まず、気 従いて以て順。各おの其の欲に従いて、皆願う所を得。故に其の食を美しとし、其の服に任せ、其の俗を楽しみ、高下相い慕わず。その民 故に朴と曰う。是を以て嗜好も其の目を労すること能わず。淫邪も其の心を惑わすこと能わず。寓智と賢不肖と物に懼れず。故に道に合す。能く年 皆百歳と度えて、動作衰えさる所以の者は、其の徳全くして危うからざるを以てなり。

 「古代の修養の道理を深く理解した人は、人々を教え導くにあたって常にこう述べたものです。外界の虚邪賊風に注意して回避すべきときに回避すると共に、心がけは安らかで静かであるべきで、貪欲であったり、妄想したりしてはならない。そうすれば真気が調和し、精神もあた内を守ってすりへり散じることはない。このようであれば病が襲うというようなことがあろうか。と。
このため人々の心はきわめて閑かで、欲望は少なく、心境は安定していて、恐れることがありませんでした。肉体を働かせても過度に疲労することはなく、正気は治まり順調だったのです。それぞれ望むところは満たされ、食べたものをおいしく思い、着たもの着心地よく思い、習わしを楽しみ、地位の高低をうらやむことがなく、人々はいたって素朴で誠実でした。正しくない嗜好も彼らの耳目をゆりうごかさず、淫らな邪説も彼らの心情をまどわすことはなかったのです。愚鈍、聡明、有能、また不肖な人を問わず、何事に対しもまったく恐れることはありませんでした。してみると彼らがあらゆる点で、養生の道理に合致していたことがおわかりでしょう。だから皆が年百歳に達することだできて、しかも動作にも少しも衰えたところがなかったのです。これは彼らが養生の道理をすべて掌握していたからであり、こうであってはじめて疾病の危害を招かずにすむのです」。



修養するには、外界のよこしまな気持ちを持たず、俗風に気が取られることがないように注意し、

常に、気持ちを安らかに落ち着かせることが大切で、そうすれば真気が調和し、精神は内を守ってすりへり気が散ることはないとしている。そう心がけないと、気が散って貪欲になり、病が襲ってきてしまい、食を貪れば生活習慣病や糖尿病になり、酒に溺れれば肝臓を悪くしたり高血圧にになるだろう。
つねに、心安らかになるように心がけると、心はきわめて閑かで、欲望は少なく、心境は安定していて、恐れることがなくなる。それにより、身体は労働をしても過度の疲れることはなく、病気などにはならない、
また、食べ物も得られるもので満足をし過食をしなければ、偏食になったり肥満になったりはしない。また、つねにその心に心がけていたら、惑わされることはないだろう。昔の人は、周囲にあまりある豊かさが無かったので、いまのように惑わされることがなかった。この書がかかれたのは漢の時代のころです。
現代社会は、漢の時代よりさらに多くの誘惑があり惑わすものが多い、今後そのような社会でどの様に生きていけばよいのだろうか。

黄帝内経 

昨日は、黄帝内経 の冒頭で昔の人は100歳まで元気だったが、いまはその半分の年でもう衰えているのはなぜかだった。
その原因を、「黄帝内経 素問」にはさらに次のように書かれている。

岐伯対えて曰く、上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法り、術数に和し、飲食に節あり、起居に常あり、妄りに労を作さず。故に能く形と神と倶にして、尽く其の天年を終え、百歳を度えて乃ち去る。
今時の人然らざるなり。酒を以て漿となし、妄を以て常となし、酔いて以て房に入り、欲を以て其の精を竭くし、以てその真を耗散す。満を持するを知らず、時ならずして神を御す。努めて其の心を快にし、生楽に逆らい、起居に節なし。故に半百にして衰うるないり。

 岐伯が答えて曰く「上古の人はほとんどは、養生の道理をわきまえ、陰陽にのっとり、術数にあわせ、飲食には節度があり、労働と休息にも一定の規律があり、妄に動くことはありませんでした。それゆえに肉体と精神とは、とても健やかで盛んであり、彼らが当然享受すべき年令まで生きて、百歳をすぎて世を去ったのです。
現在の人はそうでなく、酒を水のように貪り飲み、異常なことを平常として生活し、酔っては房事を恣いままに行い、色欲のおもむくままにして、精気を使い竭し、真元を消耗し散佚させてしまいます。充満された精気を保持することを知らずに、常々精力を用い過ぎ、一時の快さを貪り、養生に反して享楽しています。労働と休息とに一定の規律がありません。こんなことだから五十歳になるやならずで衰老してしまうのです。」

太古に生きていた人は、自然の中でいきて無理をしないで暮らしていたといっている。
私たち人類人間は、樹上生活から地面に降りくらすようにないり、狩猟採集生活をしていた。そのころは自分達が生活する上で必要ものを必要なだけ狩猟採集して、後はあくせくいまのように働いてはいなかったといわれている。また、集団の中では皆が均等に同じ役割をして働いていたと考えられている。
しかし、それが農耕牧畜するようなり、今のように耕運機などの機会はなく、すべて人力で作物を栽培し家畜を育てるようになる。そうなれば、狩猟採集のように全員でするのではなく。農業をするには農作業の計画をたてそれをしきする人がいるようになり。指揮をする人と農作業をする人の階層ができてきた。それにより重労働で働き詰める人と、働かず指揮をすることにより時間を余す人もでてきた。それにより、農民は働きすぎで体を壊し、支配者は暇をもてあまし不摂生な生活をして健康を損ねてしまうことになった。

今なの現代人は、黄帝内経が著された時代より、健康志向やそれに対する科学的な知識はあるが、酒を水のように飲み、足を知らず欲におぼれてやまない人も多い。そのよ不摂生不養生をする人もいる。
この、黄帝内経のこの部分を呼んでいると、坐禅のことについて書いた、天台小止観や白隠禅師の夜船閑話にかかれていることにも通じていることを感じる。

過労死、生活習慣病に思う

現代、過労死が問題になったり、生活習慣病が大きな問題になっている。
中国の太古の医学書の「黄帝内経素問」に、昔の人は100歳以上いきたが、今の人は50歳で衰えてしまうとかかれている。
黄帝内経素問は、いまから、前漢代に編纂されもので、いまから二千二百年ほど前にかかれたとする書物です。

それからすると、いまから100年前は人生50年といわれていた。そう考えると前漢の時代から2000年以上たっても、少しも変わっていないことになる。ここ数十年で医学の進歩や衛生科学や養生について飛躍的に進歩してきているが、ようやく2200年ころと同じレベルに達したのだともいえる。
しかし、今日、医学がいくら進歩し健康衛生管理がなされていも、美味しいものを追い求め飽食に走り、お腹を膨らますため脂っこいものをとる。また自分の今の生活をよくしようと、自分を振り返らずに働く。
また、人によっては低賃金の加重労働を強いられている人もいる。いくら医学や健康への意識が高まっても、肝心なところは黄帝内経素問がかかれたころと、ほとんど変わっておらず進歩していない。
それどころか、健康のためだと栄養剤や栄養食品やサプリメントなどを大量に接収すしたり、薬を服薬する人もいる。

いま一度、中国の医術書の古典の「黄帝内経 素問」を読んでみよう。
黄帝内経素問に次のようにある。(現代語訳 黄帝内経素問 東洋学術出版社参照)

余聞く、上古の人、春秋皆百歳を度えて、しかも動作衰えず。今時の人、年半百にして動作皆衰うる者は、時世異なるか、人はたこれを失するか。

 「私は『上古の人はみな百歳になるまで生き、しかも行動は衰えたりしてはいなかった』と聞いている。ところが、偏在の人は五十歳になるやならずで動作が衰えてしまう。これは時代環境がことなっているためなのか、それともお人々が養生の道にはずれているためなのか」

太古の人はみな長生きして100歳まで生きていたが、今の人は50歳になればもう人生の終わりだが、それはどうしてだろうかと問うているが、漢時代は今のような医学も衛生学もなかったので、成人になる前、十代で死んでしまう人が多かっただろう。また、機械かされていないので農耕もすべて人力と家畜の耕耘だったの、体も酷使されていた。一方支配階級の人は、これからいかに説かれている、不養生な生活を悦楽していたのだろう。たしかに、当時の一般の庶民は重労働のために、そんなに長く生きられなかっただろう。しかし、時に政権の支配階級の権力者などは、70歳以上生きている人も多くいる。しかし、上古の人が100歳まで生きられたというのあは、いくぶん白髪三千丈のようなものと解していいだろうが。
それ以降を読んでいると、私たちの今の生活を考え直さないけないと教わるところがおおくある。

またまた、太極拳について

私は毎朝、朝のウオーキングをして、そのあと公園で太極拳をしているが、そのときに心掛けることを改めて振り返ってみたい。
まず、太極拳をするうえでたいせつなのは。

・呼吸を重視した運動だが、意識し過ぎないこと、まずゆったした気持ちで呼吸するようこころがけている。
・筋肉の隅々まで意識が行き渡るように身体を動かす。
・気持ちのいい運動をすることを心掛ける、雑念や嫌なことを考えずに、身体に意識を集中させる。
・ゆっくりとした身体の動きを心掛ける。
・24式の太極拳をしているが、身体のうごかしかたは始めから終わりまで同じ速度で身体を動かす。
・身体の左右の均等を意識して身体を動かす。
・全身を気持ちよく伸びやかに動かす気持ちをもってする。
・太極拳は見た目にゆったりと身体を動かすので、軽運動でだが質的には技術性が求められる高い運動である。
・自分のそのときの体調を訊いて身体を動かす。

以上の九つほどを心掛けている。

陸上競技でのインターセックス

国際陸上競技連盟(IAAF)は、陸上女子800メートルの五輪女王キャスター・セメンヤ(Caster Semenya 南アフリカ)選手28歳を、生物学上は男性に分類されるべきだとして、彼女の出場資格を制限するとしていた。
キャスター・セメンヤ選手は、平均的な女性と比べて3倍以上のテストステロン(男性ホルモンの1種)を分泌しているとして、う。英国の週刊誌「ニューステーツマン」はセメンヤを,「世界中のジェンダー差別解消運動のインスピレーションとなった」「50人の重要な人物」の一人として選んでいる。また、ベルリンの世界選手権後、IAAFは両性具有の選手で男性ホルモン過剰症である場合、他の選手に対して不当な利点を持つと判断して、2011年、テストステロンなどの男性ホルモンの分泌が一定以上になった場合、女性選手としては競技には出られない決まり,競技に参加するには、この設定枠を超えないようにテストステロンの分泌を抑制する薬を飲むことが条件となっている。

セメンヤ選手は、テストステロン値が高い女子選手の出場資格を制限するIAAFの規定について、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴した。セメンヤ選手の弁護団は、「セメンヤ氏は紛れもなく女性である。世界中の人々にとって、彼女はヒロインであり刺激を与える存在」「彼女は他のアスリートと同様の敬意と処遇を求めている」と表明していた。

なんだか、筋肉増強剤などの薬物を飲んでいると、ドーピング違反になり出場資格を剥奪されるが、その逆は違反にならないのかとも思う。
しかし、神は人間を公平にまた、それぞれのこの違いがあっても人間として完全に精工にはお造りになられていない。
LGBTの問題もその一つでしょう。それぞれの違いを認め合って共に生きていくのが今の現代社会だ。
しかし、スポーツの世界で対等に戦うにはどうしたらよいのだろうか。
しかし、彼女の問題は、性的マイノリティのLGBTとはちがい、インターセックスです。
インターセックスの正式名称は「DSD」です。これはDisorders of Sex DevelopmentまたはDifference of Sex Developmentの略。
人間の体が胎内で作られるとき、男・女になるための様々な構造が発達していくが、この性分化の過程で一般的でない変化が生じ、性腺、内性器、外性器の分化が非典型に発達していることで、「性分化疾患」とされている。日本では新生児の約2000人に1人がインターセックスだと言われて、つまり日本では6万人程いることになる。

ボクシングや柔道などは体重によって等級をつくり競技をしている。しかし、日本の相撲にはそのような等級は設けていないです。この陸上競技にも男女で別けるのではなく、テストステロンの値によって競技の等級を分けてするようにかもしれない。

ゴリラの直立

ソーシャルメディアでコンゴ民主共和国でゴリラの直立している写真が話題になっているが、このゴリラ保護官のまねをしているようで、数歩歩くことがあるそうです。
写真をみていると、ゴリラはかなり腰を反らしているように見える。このゴリラ腰痛にならないか心配です。

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        REUTERS SmartNews
        Mathieu Shamavu for www.virunga.org via REUTERS(2019年 ロイター)

腰痛は人間特有の疾病だといわれ、草原狩猟採取せいかつから、農耕作業をするように腰痛になりだし、決まった姿勢を続ける工場労働になりより腰痛になる人が増えたという、さらに椅子に座って事務作業をする事に、人間の慢性の疾病になってしまった。
ただ他の映像で、ゴリラに保護官がコチョコチョしているよな映像で、ゴリラが笑っているような様子だったので、かなりゴリラは保護官になつき慕っているようですね。
ゴリラは保護官の人のまねをしているだけだろうが、ゴリラの脊椎の背骨は直線です。人は直立生活をするようになり背骨はS字曲線をえがくようになり、重力の負荷をやわらげています。
しかし、ゴリラはそのような体の構造になっていないので、骨盤は前に倒れ腰椎は前に反ってしまっているでしょう。
ゴリラに、時々直立するのはいいが、あまりその姿勢をしない方がよいよと、教えて上げるのがよいと思います。

また、このゴリラ写ったの写真の姿をよくよく見ると、私が小学生のころ、先生から胸を張って背筋を伸ばして気をつけ! と言われたときに取った姿勢だ。
しかし、よくみると、ゴリラの脚は通常の姿勢では膝が、屈曲している。しかし、この写真では膝が過伸展しているようだ。また、頭は頸椎と人間のようについているのではないので、自然と顔は上を向いてしまうので、顎をを強く引いた姿勢になる。そこで頸に負担をかけてしまうことになる。
しかし、ゴリラがドラミングをするときは、直立してすることが多いので、この写真で見た姿勢に近い姿勢になる。ただ、このゴリラは手は下げて体側においている。まるで人間を真似ているような感じです。

そこで思うこと、私たちホモ・サピエンスは、アフリカから発生し世界中に広がりました。このゴリラは、新しい霊長類に進化する前兆でしょうか。ホモ・サピエンスである私たち人類は、進化するにつれ技術を身につけ科学を発展させてたが、本来持っているはずの、自然に対して持っている能力を失ってきています。

しかし、ゴリラはそれを持っているので、このゴリラが進化していくと、映画『猿の惑星』のように、科学技術の進んだ便利な人間は次第に退化していき、人間に飼われていた猿は次第に、人間のする事を学び、人間以上の能力を持つようになった。そして、猿が人間を支配する世界になってしまった。

その前兆だったりして-----

歩き方

魚はどうやって泳ぐのか、胸鰭などの鰭を使って泳ぐように思えるが、身体を左右に振って泳ぐのが本当のところのようです。は虫類のトカゲやヤモリなども進むときに、四肢を使って前に出して進むが、身体脊柱は左右に振れてすすむ。四肢のない蛇も同じように進む。足のない生き物であるミミズは蛇のようには進まない、身体を収縮してまっすぐに進む。足が多い具足虫であるムカデなども、蛇とおなじで身体を左右に振って進む。では哺乳類はどうかというと、走る時とゆっくりと歩く時は違う陽です。歩いているときあは、身体を左右に振れるが、走るときは左右には振らない、脊柱を大きく曲げて伸ばしてすすむ、前足を出して後ろ足で地面を蹴るときは、身体を伸ばすが、次の瞬間は前足と後ろ足は互いに前後に交差し、背骨は大きく曲がる。

では直立二足歩行をする人間はどうなのだろうか、人間は直立して二本の脚を使って前に進むので、身体をくねらせては歩かない、走る時もそのようなことをしない。必要がないからしない、体幹の軸を中心に上肢を交互に振って歩く、四足で歩いたり走ったりするとき、動物や魚のようになこ身体を左右に振ったりはならない。もしそのような歩き方は異常歩行となり、それぞれの症状により障碍がある。大臀筋歩行やトレデレンブル徴候がそれででしょう。

このような事を書いていると、人が泳ぐときは身体を水平にするので、魚のように体軸が左右に振れるかというと、そうではなく平泳ぎやバタフライなどや上下にうって泳ぐことを考えると。陸棲動物が泳ぐときも魚のような泳ぎ方にならない。これは何故だろう、もう少しこのことについて考えて見ようと思う。

呼吸と動作は両立しない

三木成夫は、『海・呼吸・古代形象』で、「呼吸に専念しているときは、だれも隙間だらけ」「動作と呼吸はけっして両立しない」という、わたしはこの隙間だらけということはよく解らないが、両立しないはこのことを聞くまで呼吸と動作は密接な関係があり一蓮の上のものだと思っていた。

しかし、よく考えると人の臓器は肺を除いては自律神経によって動いて、個々の臓器はそのこの臓器がその時々に適応して働いている。しかし、肺は横隔膜の上下運動や肋骨の骨格筋によって、肺が膨らんだり縮んだりして、肺の肺胞に空気が取り入れら酸素と二酸化炭素のガス交換が行われる。
肺の細胞が受動的に酸素を取り入れ二酸化炭素を排出しているのではなく、肋骨につく骨格筋が自律的に動いているからになる。
それにより、呼吸は意図的に息を大きく吸ったりユックリと永く吐くことができる。しかし、坐禅などで静坐をするになかなか簡単にはできないのも、三木成夫が言うように、「動作と呼吸はけっして両立しない」と言うのもそのことだろう。

昨日の話に関連して

ドイツの解剖学者Julius Wolff(1836~1902年)と言う人がいるが、「正常にせよ、異常にせよ、骨はそれに加わる力に抵抗するのに最も適した構造を発達させる」と言っているが、つまり、[骨は使わなければ骨密度は減る]ということで、ウォルフの法則とよばれている。
また、デイヴィスの法則というものがある。身体を動かす可動域は、使わなければ失われるし、エネルギーを靱帯や腱にためる能力も失われる、といっているそして、アフリカで生まれた我々人間すなわちホモサピエンスは、アフリカの地で狩猟採取生活をしてくらいしていたが、農耕を始めることによりいままで、獲物を追うために走り続けていたが、それをやめ定住するようになり、農業革命がおこなわれそれを数万年つづけていた、しかし大きくそれをかえたのが、ヨーロッパで近世の初めに起きた産業革命ほんの500年ほど前の話しです。
しかし、それが人の身体を大きく変えることになり、いままた新しい産業革命というか電子革命というか新しい変化が急速に起きているが、それら今私たちの身体の動かし方をもかえ、身体のつくりも変わってきているという。

人は直立二足歩行をしているが、それには足裏の土踏まずに形成が必要だが、土踏まずが未形成の人が増えているときく。また、直立した時の足裏での重心がだんだんと後方に移動してきているという、このままそれが進めば人は立っていられず後ろに顛倒してしまうということを聞いたことがある。
また、床に坐って講義していて長座の姿勢をすると(足を延ばして床にお尻をつける)、手を後ろ側に床につけて坐っている人が増えてきているように感じる。
これも長座をしたとき重心が後ろに来ているので、後ろに倒れるので体を支えている。

後数十年したら、人の身体の重心はどうなっているのだろうか。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
  • 人種差別から思ったこと
    竹林泉水 (06/21)
    コメントありがとうございます。

    人間は、自分は他よりも優秀だ思いたいがります。逆に自分はあの一人より仕事ができないと感じたり、あの人より低く見られていることに対
  • 人種差別から思ったこと
    アジシオ次郎 (06/18)
     おはようございます。

     相変わらず現代において根強く蔓延る人種差別の問題、長い歴史において人種差別や偏見はヒドかったけど、その歴史から何を学んでいるのかとも思
  • 人生二十最
    omachi (05/23)
    あなたの知らない日本史をどうぞ。
    歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めま
  • 100年前の教訓
    竹林泉水 (05/09)
    コメントありがとうございます
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