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南京大虐殺の世界記録遺産

南京大虐殺の資料がユネスコの世界記録遺産に登録されたことに対して、日本政府は不快感をしめしている。
私は、虐殺の数の信憑性はあるなしに関わらず、多かれ少なかれ虐殺があったことは、虐殺に荷担したり見た人の証言から事実です。それを、認めようとせず、無かったことにしようとする人もいます。それは、虐殺があったとして認めることは、自虐的な史観になり、自国がこんなひどいことをするのかと思うと、夢も希望もなくなってしまう、というのがその人の言い分です。従軍慰安婦問題やほかの問題も同様です。
わたしは、このような過去に学ばない考えは、失敗を繰り返すことに思っています。

また、従軍慰安婦問題をいくら謝罪しても、韓国側がいつまでも蒸し返すのは、日本が先の大戦で負けたことを認めないからといえます。米国には負けたが、中国や朝鮮には負けていないと。さらに朝鮮を併合したことを、侵略したと認めようとしない。そのようなことでは、いつまでもこの問題は解決しないかもしれません。

しかし、問題はそれだけでは無いようです。その、戦争に負けたことを認めないので、戦争に負けたことへの責任がうやむやにしてしまていることです。そして、ときがたってもその責任の検証ができないようになっていることだと言われいます。それは、それらの資料を保存する機関の機能が働いてないことです。
日本のアーカイブとしての、資料保存に対する考えが非常にお粗末であることの方が大きな問題のようです。
まずは、日本に国立公文書館ができたのが、1971年だといいます。しかも、そこの職員はたった49人だそうです。米国の国立公文書館は、2000人以上いるそうです。また、フランスでは18世紀の革命を契機に公文書館がつくられ、中国でも歴代の王朝の政が記録され保管いることを考えると、なんとお日本は粗末なことでしょうか。
これは、責任をとろうとしない体質、先人が不利益を被るような史実はまずい、というとらえかたがあるからだといわれている。

過去の失敗や過ちを記録することは、それを繰り返さないという戒めになり。それが今の国際社会からの信頼につながります。そのいみで、現行憲法はその前文に過去の反省がかかれています。それを押しつけられたからと、一言で自虐的というのはどうでしょうか。

このようなことを書いていると、一枚の絵を思い出した。
徳川家康が自国領を武田軍が悠然と素通りするのを見て、佐久間信盛らが籠城を進言したが、家康や武田軍を追撃し、惨敗し命からがら逃げ帰るときに、馬上で脱糞してしまう。浜松城に逃げ帰った家康が一番はじめにしたことは、絵師をよび今の自分を描かすことでした。これが有名な「三方原戦役しかみ像」と呼ばれるものです。

自分の生まれ育った国の行った過ちなどを認めることは自虐的だといい、覆い隠したあやふやに、責任の所在をあやふやにしてしまうことは、本当に国のためになるでしょうか。

世界遺産登録

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」世界遺産登録に当たっての総理メッセージをだしました。
その全文は以下の通りです。
 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界文化遺産登録を心から嬉しく思います。
 幕末から明治にかけ、日本が西洋技術を取り入れながら、自らの力で人を育て、産業を興し、産業国家となったことを物語る「明治日本の産業革命遺産」。 海外の科学技術と自国の伝統の技を融合し、わずか50年あまりで産業化を成し遂げた日本の姿は、世界でも稀有であり、人類共通の遺産としてふさわしい、普遍的な価値を持つものです。
 8県11市にわたる23の構成資産の保全に取り組み、支援してこられた地域の方々、100年を超えて産業資産を稼働させながら維持し、保全に取り組んでこられた企業の皆様方に、深く敬意を表します。
 今日の「ものづくり国家日本」の原点であり、先人の偉業を伝える、この素晴らしい遺産の保全と次世代への継承に向け、決意を新たにしたいと思います。 平成27年7月5日

歴史の事実として、正の面と負の面が何事に対してもあります。そして多くの場合において、正の面の方が負の面より意義が大きい場合、負の面が無視されてしまう場合が多いです。


この遺産群を巡っては、韓国は「遺産群の中には強制徴用が行われた施設がある」と主張していました。それに対して、日本の佐藤地ユネスコ大使は「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが意に反して厳しい環境下で労働を強いられた」その強制徴用は認めなかったですが、過酷な労働を強いたことは認めました。そして、「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」と述べています。

世界に負の遺産として登録されているもので、よく知られているなかに、日本の「原爆ドーム」やポーランドの「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容」などがあります。また、ドイツの「フェルクリンゲン製鉄所」は約7万人の労働者が酷使された遺構であり、ノールウェーの「レーロス鉱山都市とその周辺」は沢山の兵士の命を奪った鉱山であり、ロシアの「ヴィシェグラードのメフメイド・パシャ・ソコロヴィッチ橋」は拷問や処刑が繰り返された地です。他にもありますボリビアの「ポトシ市街」は強制労働により栄えた鉱山としです、オーストラリアの「オーストラリア囚人都市」はオーストラリア開拓時代に英国が囚人を送り込んで強制労働させた都市です

今回登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の中に、長崎の端島炭坑(通称軍艦島)は、小さな島に炭坑だけでなく、高層アパートなどの住宅や商店街、映画館などの娯楽施設や病院や学校などが計画的に造られ、都市計画の見本ともみられています。しかし、一方炭坑の日本人炭坑夫や朝鮮や中国から集められた、労働者の強制労働がありました。

このように、負の遺産として登録がされることは悪いことではないです。それよりむしろ二度と同じ過ちを繰り返さないために、記憶の留めるための負の遺産登録は意義のあることだと思います。

ならば、積極的に日本から負の遺産として、「水俣」や「足尾鉱毒」や「ハンセン氏病患者の収容施設」「県民が米軍の艦砲射撃を避けて逃げ込んだガマ(洞窟や鍾乳洞、ほら穴)」「沖縄の平和の礎」また、「福島第一原発」などを推薦してもよいのではないかと思います。

これら多くは、日本が犯した過ちといえる面です。それらを自ら進んで世界に向けて発信することは、日本の信用を落とすものだとする見方もあります。しかし、これらの過ちを二度と繰り返さないと世界に発信し、「水俣」や「鉱毒」のように、公害防止と環境保護への取りの成果を、世界に発信できる場にもなります。また、強制労働などは憲法に書かれている、人権重視と苦役を負わせないと言う、日本の立場を世界に発信する機会にもなるでしょう・

しかし、筑豊炭坑絵物語の「山本作兵衛コレクション」のように民間団体の推薦で登録されるものでなく、ユネスコの世界遺産委員会は条約の締約国の国の推薦としています。
その上に、明治日本の産業革命遺産の韓国との合意について、日本政府の陳述として、佐藤地ユネスコ政府代表大使が「自らの意志に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた。大戦中に政府として徴用策を実施した」としたことに対して、菅官房長官は「強制労働を意味するものでは全くない」、岸田外相も「強制労働を意味するものではない」と強制労働があったことを否定しています。また安倍首相は「詰めが甘かった。職業外交官として失格だ」と発言し、強制労働があったことを否定する考えであることをのぞかせていまいます。
つまり、日本は負の遺産となるもの、特に過去の誤った判断で起きたことに対して、登録を申請するのは自虐的だとしされるでしょう。そして一部の皇国史観もとづく人のなかに、天皇の皇国である神の国日本が、間違ったことをするはずがないとして、強制労働がなかったとしています。

それにより負の遺産として、「原爆ドーム」のように他国から甚大な被害を受けたものに対しては登録申請をするかもしれませんが、そうでない物は無理でしょう。しかし、「沖縄のガマ」は多くの沖縄の民間人が犠牲のなったところす、だがこれに対してはアメリカに遠慮して、たぶんそれらは申請しないでしょう。

日本の世界遺産

現在日本で世界遺産に登録されているものが、全部で18あります。 平成26年6月現在
1 法隆寺地域の仏教建造物 奈良県生駒郡斑鳩町
2 姫路城 兵庫県姫路市本町
3 屋久島 鹿児島県熊毛郡屋久町、上屋久町
4 白神山地 青森県西津軽郡、秋田県山本郡
5 古都京都の文化財 京都市、宇治市、大津市
6 白川郷・五箇山の合掌造り集落 岐阜県白川村、富山県平村、上平村
7 原爆ドーム 広島市中区大手町
8 厳島神社 広島県佐伯郡宮島町
9 古都奈良の文化財 奈良県奈良市
10 日光の社寺 栃木県日光市
11 琉球王国のグスク及び関連遺産群 沖縄県那覇市他
12 紀伊山地の霊場と参詣道 三重、奈良、和歌山三県
13 知床 北海道斜里町、羅臼町
14 石見銀山遺跡とその文化的景観 島根県大田市
15 小笠原諸島 東京都小笠原村
16 平泉-仏国土 浄土 を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 岩手県西磐井郡平泉町
17 富士山-信仰の対象と芸術の源泉 静岡県・山梨県
18 富岡製糸場と絹産業遺産群 群馬県
この中から、一つを選べていわれるとどれを選ぶだろう。
1の法隆寺や屋久島、8の厳島神社 12の熊野古道や11の琉球王国のグスク関連遺産群などどれも、世界に誇れるものばかりで、選ぶことができないくらいです。

そこでどれか一つを選ぶ番外として、「原爆ドーム」を上げてみる。

・核兵器による惨状をそのままの形で今に伝える世界で唯一の建造物であり、核兵器廃絶と恒久平和の大切さを訴える平和記念碑です。

1996年に文化遺産に登録されているま。
原爆ドームは、日本の制空権が奪われ、各地の都市が焼夷弾の空襲に見回れ、太平洋戦争に負けることが自明のことである昭和20年(1945年)8月6日に、広島市に投下された原子爆弾によって破壊された、広島県産業奨励館の残骸です。
世界遺産委員会21カ国で、アメリカが不支持、中国が保留したが、19カ国が賛成して世界遺産に登録された。
人類にとっては負の遺産になるが、歴史の生き証人として、平和へのメッセージを発信している。

アメリカの不支持理由は「戦争関連施設は遺産リストに含めるべきでない」
中国は「第二次世界大戦での日本の戦争責任に触れ」支持を保留した。

原爆ドームは、何度も解体されそうになったが、昭和41年(1966年)に平和団体の要請を受けた広島市議会が原爆ドームの保存が決議され、広島市民をはじめ全国からの募金で保存工事が行われました。平成元年(1989年)にも全国からの募金で第二次保存工事が行われている。
国が率先して保全につとめているわけではないですが、世界遺産に登録されていることの意味は大きいといえる。

負の世界遺産
人類の戦争や人権侵害などの「負」の行為を記憶にとどめ、同じ過ちを繰り返さないため、その役割をはたす遺産の総称ですが、世界遺産条約で定義されているものではでない。
「負の世界遺産」は他にも、
・黒人奴隷の貿易拠点になったセネガル共和国のゴレ島
・第二次世界大戦中にユダヤ人が大量に虐殺されたポーランド共和国のアウシュビッツ収容所
・冷戦時代にアメリカの核実験が繰り返されたマーシャル諸島共和国のビキニ環礁
・琉球王国のグスク及び関連遺産群
などがそうとされれいるものです。

アイヌの砦「チャシ」 

朝日新聞10月25日の新聞に「歴史ファン注目、アイヌの砦「チャシ」 百名城にも選定」という記事がありました。

北海道には城は五稜郭ぐらいしかないと思っていたら、、北海道にはチャシというアイヌの砦がありそれが城と言えるそうです。
チャシはアイヌ語で「さく囲い」を意味し、16~18世紀に構築されたとされています。そしてチャシ跡は北海道内で500カ所ほど確認されている。
アイヌには文字がないので文献なども残っていないので、その城址だけがチャシを確認する手がかりですが、チャシは城の石垣などがあるわけではなく、今は盛り土の跡などが残るだけです。

チャシは戦闘時の砦のほか、談判や祭祀を行う場として多目的に使われたとされ、多くが「コ」の字形や半円形の壕を、オホーツク海を臨む崖際に巡らせている。根室半島のチャシ跡は規模が大きく、1789年のアイヌ民族と和人の戦いであるクナシリ・メナシの戦いと関連するとされている。チャシの地名や伝承には残っているがチャシの遺構が見つかっていないものものも多く、チャシの総数は不明で先にも書いたが500以上あるとされている。
チャシの分布は東蝦夷地(太平洋側のアイヌ文化圏)と呼ばれた道南、道東に多く、特に根室、釧路、十勝、日高地方に集中し、シャクシャインの勢力圏と一致している為、シャクシャインらが和人と戦う中で多くのチャシが築かれたのではないかと推測されている。

アイヌには文字がなかったのでアイヌ側が残した文献はなく、当時蝦夷に侵入した松前藩などの和人の文献などしかないので、どのようなものかはっきりしていないようです。今後の研究が進みアイヌの文化がどのようなものであったか、より深く解明されることを期待したいです。

ゆくゆくは、日本政府は日本の先住民族出であるアイヌが、消滅にさらされ少数民族の遺産として保護に取り組んでいることを、世界に示すためにも世界文化遺産に推薦されてもよいと思います。

メテオラ修道院群

天空の城として最近注目されているのが、兵庫県和田山にある竹田城です。これから冬に向かうと朝霧が立ちこめ、雲海の中に城が浮かび上がります。
しかし、天空の城を訪れる人が増え、城の土壌が荒れて崩れる心配もでるほどだそうです。天空の城を見るなら、竹田城にいくのではなくその城が見える山の頂に行った方がよいと思うのですが、みな竹田城を訪れるそうです。

前置きがながくなってしまいました。世界遺産の中にも、天空の城と呼ばれるものがいくつかあります。
よく知られたものでは、ペルーのマチュ・ピチュでしょう。インカ帝国の面影を残す、謎の空宇宙都市といわれています。

でも天空の城に一番ぴったりなのは、ギリシャのメテオラ修道院群の一つ、メタモルフォシス修道院かもしれません。

世界複合遺産(文化遺産・自然遺産)
メテオラ修道院群
ギリシャの中央部に岩山が垂直に林立する不思議な平原がある。
標高は数十メートルから600メートルの岩の塔が60以上点在している。天を突くような断崖絶壁で頂上に登るのは難しい山上に、修道院が建てられている。現存する建物は8つで、世界遺産に登録されているメテオラの修道院群。
メテオラという地名は、ギリシャ語で「宙に浮く」という意味の「メテオロス」に由来しまさに「天空の修道院」です。そして、現在もギリシャ正教を信仰する50人あまりの修道士・修道女が暮らしている。
このメテオラの断崖に修道院ができたのは14世紀ごろと言われ。イスラム教を信仰するオスマントルコがギリシャに侵攻、その支配を逃れた修道士たちがギリシャ正教の教えを守り抜こうと、この天然の要塞メテオラに修道院を築いたとされている。
しかし、この人を寄せ付けないメテオラの断崖には9世紀頃から洞窟が掘られて、祈りと瞑想のために隠遁したギリシャ正教の人たちがいたと言われている。修道士にとって俗世から離れて祈りと瞑想の日々を送るのに、理想的な場所といえるのでしょう。
今のように、ヘリコプターや重機がないく、縄梯子の他に登ったりものを運ぶ方法がなかった事を思うと、大変なものだったことは容易に想像がつきます。いまでも、洞窟には麓から人や荷物などを引きあげに使った巻き上げ機や、雨水を貯めた樽が今も残され、修道士たちの厳しかった生活を知ることができる。
また、今も修道士・修道女が修行をしている、アギオスステファノス修道院にはギリシャ内戦で傷つけられたイコンがそのまま残されている。それは、「人々が争った不幸な歴史を忘れないために残し」、これを見るたび世界の平和を祈るためだとしているそうです。

オーストラリアの囚人遺跡群 ボタニー・ベイ

9月29日に遺伝子工学について書いた記事で、「宇宙大作戦」に出てきた、優生人類のカーンら96名を乗せた冬眠宇宙船「ボタニー・ベイ」の名前の由来について。

ボタニー・ベイ すなわちボタニー湾は、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州にある湾で、オーストラリア最大の都市シドニー市の南にある湾です。

1770年にイギリスの探険家キャプテン・クックによって発見されたオーストラリアは、かつて囚人の流刑地であり更正地であった。1975年にアメリカ独立戦争が起こり流刑地として利用できなくなった。そこで代替の流刑植民地はオーストラリアになった。
1788年1月19日、アーサー・フィリップは、11隻からなる第一船団は流刑囚を含むボタニー湾に到着。以降、80年間に約16万人の流刑囚がオーストラリアへ送り込まれ、植民地建設の為の強制労働に従事させられた。
1851年の金鉱発見以来、多くの人が一攫千金を夢見て先住民のアボリジニと軋轢をが産まれ。そのため先住民のアボリジニの人々も、そこに移住するよう強制され、何万ものアボリジニが強制的に収容所された。

これらの遺産群は大規模な囚人の移送と強制労働者を用いた帝国主義に基づくヨーロッパ勢力による植民地拡大の現存する重要な証拠と考えら、負の遺産の一つと言えるでしょう。

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フィリピンの、バターン勇者の廟

「フィリピンの、バターン勇者の廟」について、満足な食事を与えられないまま炎天下を徒歩で移動させられ。3万人あまりが死亡したとかきました。

第二次大戦中の1942年バターン半島で、日本軍によるフィリピン進攻作戦において、日本軍に投降した7万人あまりのアメリカ軍・フィリピン軍捕虜や民間人が、収容所に移動するときに多数死亡者がでた。120kmを半分は鉄道で、残り3日間を満足な食事を与えられないまま炎天下を徒歩で移動させられ。3万人あまりが死亡したといわれる。

これは、日本軍が捕虜を家畜のように扱ったからではないです。
大日本帝国の軍隊は皇軍であり、捕虜となることは恥ずかしいという考えに立っていたので、敵軍の兵士も同じ考えだとしていました。そのため、捕虜を移送する手段や計画が疎かでまた、捕虜に対する食料品の準備も始めから少量しか用意していなかったと言われています。
そのために、激戦となったバターン半島での戦いで大量の投降者がでたのは大きな誤算だったようです。

日本の軍隊は天皇の軍隊であり、天皇の子である臣民で組織される兵士は、上官の命令は天皇の命令でありそれに違反する事は許されなかた。
一方連合国の兵士は命令には服従する事は義務づけられているが、戦闘は戦闘でありそれとは別に、自分の命を大切にする事も教えられてきている。この違いが、日本軍が投降する兵士が多く出ることを予測できず、大量の死者を出す結果になったのだろう。戦争の愚かさを物語る物と言えますね。

争いによる負の遺産

世界には人類の行いで負の遺産と言えるものがある。しかし、記憶に残すため保存されず、忘れ去られようとしているもの、消し去られようとされているものも多くある。

・旧ソ連の、日本兵シベリア抑留の強制収容所
終戦後武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソ連によっておもにシベリアに労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する日本側の呼称。彼らの墓地も各地に存在するが、現存するものは極めて少ない。
厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明した


・旧ソ連の、強制収容所
『収容所群島』は、ソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの記録文学。
旧ソ連における、反革命分子とみなされた人々に対しての強制収容所「グラグ(グラーグ)」への投獄、凄惨な拷問、強制労働、処刑の実態を告発する文学です。旧ソ連では統制が厳しいので出版できず、1973年から1975年にフランスで発売され、その後各国の言葉に訳され、人権上の大きな問題となった。この本のタイトルの「収容所群島」とは、広大な旧ソ連領内の各地に強制収容所が列島のように点在することから付けたと言われている。
旧ソ連が崩壊し、ロシアになり強制収容所は廃止されたのか、まだ存在しているのかはよくわかっていない。また、ロシアに限らず中央集権的な他の多くの国では、そのような施設が存在しているようです。一刻もそのような施設がなくなるように、国際的な運動が広がることが望まれるでしょう。


・アメリカの、日系人の強制収容所
第二次世界大戦中、12万313人の日系アメリカ人がアメリカ政府によって強制収容所に送られた。
日米開戦の翌年1942年に、アメリカ西海岸とハワイの一部の地域にすむ日系アメリカ人たちは、その7割がアメリカ生まれの二世で市民権を持っていたにもかかわらず、強制的に立ち退きを命ぜられた。なんの補償も得られないまま、かれらは家や会社を安値で売り渡さなければならず、中にはすべての財産を失ってしまった人もいた。
それから40年後の1982年、「戦時市民転住収容に関する委員会」は、「大統領行政命令9066号は軍事的必要性によって正当化できるものではない。あらためて歴史的にその原因をさぐれば、それは人種差別であり、戦時ヒステリーであり、政治指導者の失政であった」と、ようやくみとめ謝罪された。


・アメリカの、先住民の居留地、
増え続ける開拓移民の前に、圧倒的な武力を背景に白人側はインディアン部族に土地の割譲を迫り、インディアン部族はわずかな年金と引き換えに条約を呑まざるを得なくなっていく。
東部の豊かな土地を所有していたインディアン部族の多くが、何のゆかりもない数千km離れた西部の土地へ強制移住させられた。(→涙の旅路)この強制移住は、数百数千に上る部族民の途上死を招いた。また、この部族収容は、スー族とポンカ族や、モードック族とクラマス族など、対立していた部族同士に同じ保留地をあてがう無神経なものであったため、部族間で抗争を引き起こす元となり、またこれは保留地を没収し縮小する口実とされた。


このアメリカ連邦政府の行いは、アメリカだけにいえることでなく、南北アメリカ大陸全土に対していえることであり、インカ帝国の滅亡など高度な文化を持っていた民族をも滅亡に導いている。
また、アメリカ大陸に限らず、アジアやオーストラリアやオセアニアやアフリカなどの人々にも言えることでしょう。

また、先に書いたシベリアの抑留所や強制収容所は、古代の奴隷制度的と言っても言い過ぎでないかもしれない。それは、今の日本ではなかなか想像できないことであるが、ついこないだまで実際に存在したもので、今もそのようなことが行われていると言われている。
私たちが再びそのような過ちを繰り返さないためにも、そのようなことが行われることがあると想像できるようにあらなくてはならないと思う。
そのことがそのような過ちを繰り返さない、そのようなことが起きても抗議の声があげることができると思う。決してそのようなことに無関心でいてはいけないと思う。

世界遺産の負の遺産と呼ばれるもの

「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」があります、いわゆる世界文化遺産、世界自然遺産に関する条約です。
この、世界遺産には文化遺産・自然遺産そして、両方の価値を兼ね備えた複合遺産があります。
そして、世界遺産に登録されているが、とくに危機にさらされているものを、危機遺産リストに登録されている。
また、明確な定義はないが、負の遺産と呼ばれるものがある。「広島平和記念碑(原爆ドーム)」、ポーランドの「アウシュヴィッツ・ビルケナウーナチス・ドイツの強制絶滅収容所」などがそれとされています。

また、産業発展に貢献した施設でありながら、負の遺産と言われているもの一つ。
ドイツの、フェルクリンゲン製鉄所 世界遺産登録
第二次世界大戦中には約7万人の強制労働者や戦争捕虜が鉄鉱石採掘、製鉄あるいはザール地域の工場で労働に従事させられた。戦争末期には14,000人の、ロシア、ポーランド、ユーゴスラヴィア、フランス、ベルギー、ルクセンブルクなどから連行された男女が極めて過酷な条件下での労働を強いられた。


ユネスコの世界遺産には登録されていないが、人類の愚かな行為を後世に残し、二度と人類が過ちを犯さないよう、記憶にとどめ教訓としようと残されているももがります。

フィリピンの、バターン勇者の廟
第二次大戦中、日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降した7万人あまりのアメリカ軍・フィリピン軍捕虜や民間人が、収容所に移動するときに多数死亡者がでた。120kmを半分は鉄道で、残り3日間を満足な食事を与えられないまま炎天下を徒歩で移動させられ。3万人あまりが死亡したといわれる。

沖縄の、ひめゆり学徒隊
沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓練によって作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成されたものを「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた。他に白梅学徒隊・なごらん学徒隊・瑞泉学徒隊・積徳学徒隊・悌梧学徒隊・宮古高女学徒隊・八重山高女学徒隊・八重農学徒隊の8つの学徒隊が存在した。「ひめゆり学徒隊」は、生徒222名、教師18名が南風原の沖縄陸軍病院に動員され。そしてそのうち136名が戦場で命を落とした。

広島竹原市の大久野島 毒ガス
広島県竹原市忠海町の沖合い3kmに位置する、数戸の農家が耕作を続ける島が、昭和2年に島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となった。
日本軍が毒ガスを製造していたということは、昭和59年(1984年)まで、日本で化学戦の実態は秘匿され、旧軍関係者以外の日本人はほとんど事実を知らなかった。昭和59年(1084年)に日本の化学戦実施に関する報道がされ、日本の毒ガス兵器の研究開発がしだいに明らかにされた。ここで作られた毒ガスは実戦に使われたという証言もある。また、島内で毒ガス製造に携わった人も、呼吸器障害やガンなどで苦しみ、毒ガス処理に当たった人も含め、1800人が死亡したといわれる。

和歌山市友ヶ島砲台
友ヶ島は紀淡海峡に緩やかな曲線を描いて浮かぶ神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称です。
沖ノ島は、少し前までは電気も自家発電でまかなっていた自然のままの島です。
この友ヶ島は第2次大戦の終わるまでは旧日本軍の軍用地で一般の人は立ち入ることが出来なかった。島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠などいまも当時の面影が残されている。
同じような施設は、当然東京湾の浦賀水道にもあるが、こちらは一般の人は立ち入りが禁止されている。

まだまだ、負の遺産してそれを評価できる物がある。世界的に高く評価されている文化遺産の中にも、見る視点により負の面を見いだすものがあります。それを自虐的だとマイナス思考で考えるのは、人類が今後も地球上にそんざしし栄え続ける、もっと身近いに言うと世界が平和に繁栄するには、過去の過ちを忘れずにいることが大切です。

平和ぼけと言う言葉があるが、その言葉が指摘されることはそれだけ平和なのでよいことです。しかし、平和だあり続けるにはそれなりの努力が必要であり、そのために過去の過ちを知っておく必要があるでしょう。
そのことは、奴隷制などの人権問題もそうであり、民主主義のあり方も層であるといえます。そのためにはやはり負の遺産も記憶にとどめておく必要があるでしょう。

奴隷貿易の歴史を示す負の遺産 ゴレ島

セネガル共和国
ゴレ島 奴隷貿易の歴史を示す負の遺産

アフリカ、セネガルの首都ダカールの沖合に浮かぶ島四方1キロにも満たない小島。1444年にやって来たポルトガル人以来、19世紀に至るまでオランダ、イギリス、フランスと引き継がれながら、アフリカ最大の奴隷貿易拠点となった島です。最盛期は18世紀頃で、主な「輸出先」はアメリカ大陸で奴隷の数は総計2000万人と言われている。
ゴレ島にはかつての奴隷商人の館で、現在「奴隷の家」と名付けられ今は、一般公開されている館を中心に奴隷貿易の現実が伝えられている。

「奴隷の家」の2階は奴隷商人の住まいで、中庭は各地から集められた奴隷を品定めする場所となっていた。天井は低く1階の四方が2メートル60センチしかない小さな部屋に、15人から20人の奴隷が詰め込まれたと言われている。奴隷たちは奴隷船が来るまでおよそ3ヵ月間つながれていた。
当時ただでさえ危険な航海のなか船倉にすし詰め状態で鎖に繋がれ、劣悪な環境の下で何千キロもの大西洋を渡りアメリカに運ばれたのっです。そのよな状態だから、餓えに苦しんだり病域になり無事新大陸にたどり着いた人はごく一部で、力尽きた人はその場で鮫の餌となったと言われている。

ところで、奴隷と聞くと、アフリカからアメリカに送られた黒人奴隷を連想するが、奴隷制度にも時代により地域によりさまざまなものがある。近代より古代の方がより人権を大切されたものも少なくはない。
そこには、アメリカの黒人奴隷のような人権が蹂躙されるようなことはなく、古代では、戦いに敗れ捕虜となった者が、生命だけは助けられて苦役につかせられたのが奴隷の起源とされる。古バビロニアでは「強き者が弱き者を圧迫せぬよう、悩むある者に光を与えるよう」、法典を制定され、主人は勝手気儘に奴隷の生命を奪ってはならないものとされ、過度の虐待も勅令によって禁止されている。


15-6世紀になると、ヨーロッパでは経済活動が活発になり、新大陸発見により新大陸では労働力の不足が深刻になった。それにより、黒人たちの自由を奪い続ける奴隷制度が出来上がったといえる。
このような人類にとって汚点があったことは忘れてはならないし、それを繰り返しすこともならないです。

1949年に国際連合の人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約が発効したが、現在も世界各国でいろいろな形で奴隷が存在していることを忘れてはならないです。

エルサレムの旧市街とその城壁群

エルサレムの旧市街とその城壁群

【エルサレムの旧市街とその城壁群】
1981年に登録された世界遺産(文化遺産)で、

ヨルダン川に近い要害の地にある城郭都市。世界三大宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地として知られる。
ユダヤ教徒にとって、約束の地であり「嘆きの壁」とダビデの塔がある場所。
キリスト教徒にとって、イエス・キリストが処刑されたゴルゴダの丘に建てられた教会
イスラム教徒にとって、預言者ムハンマドが光りの梯子を上って天を訪れ戻った場所。
このように、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒の世界の35億人の聖地です。
しかし、この地は三つの聖地を巡る宗教間の争いの舞台となっていたが、それを決定的に拗らせ今の世まで引きずらせる原因をつくったのは、大戦中にイギリスが、戦いを優位に進めようとパラス地なの地に、ユダヤ人にはユダヤ国家樹立を約束し、アラブ人にはアラブ国家をつくることを約束する二重外交によるところが多きです。
宗教間の争いがあるとしても、大国の都合により小国が翻弄され争いが絶えない現状を作りだしてしまったといえる。その結果、文化遺産と同時に危機遺産にも登録されている。わたしが思うにそれに加えて、大国の横暴の犠牲になった負の遺産ともいえるのではないだろうか。(ユネスコの世界遺産には、負の世界遺産という定義はないが)

また、この「エルサレムの旧市街とその城壁群」は、例外的にヨルダン・アシェミッド国王が世界遺産として申請し、遺産保有国がない世界文化遺産になっている。

テーマ : 聖地巡礼の旅
ジャンル : 旅行

バーミヤン

アフガニスタン バーミヤン

バーミヤンの大仏といえば、2001年にイスラム原理主義組織のタリバンによって爆破されました。、
イスラム教は偶像崇拝を禁止しており、その厳格な教義をとる原理主義思想によって破戒されたものです。

この世界遺産については、私は二つの点で見てみたいいです。
一つはバーミヤンの大石仏の作られた背景
もう一つは、それがイスラム原理主義によって破戒され、危機遺産となっている点です。

バーミヤン渓谷には石窟寺院跡が多数存在し、壁画などが多く描かれていいました。よく知られているのは、2001年にタリバンに破戒された2体の巨大な大仏です。
バーミヤンはいまだ多くの未知の文化財が多く眠っていると考えられています。
しかし、イスラム教徒の住居となた期間が長く、壁画の多くは仏の顔の部分を削られたり上塗りされたりしています。
大仏が破戒されたといえ、ユネスコなどが中心になり、道の遺跡の調査と保護のための活動が行われています。

バーミヤンの遺跡が危機的状況なのは、イスラム教が住み着いたことによると言われています。その信仰心とりわけ、偶像崇拝の禁止による仏像や仏画の否定。原理主義のタリバンの、仏教遺跡に対しての破壊があるといえます。
また、タリバンがバーミヤンの地域に住んでいたハザラ族迫害し、多くの住民が難民となり逃れました。内線が終結して多くの難民がバーミヤンに戻ってきたが、家を失った人々は石窟に住み着きました。それにより、生活のために焚く竈の薪などの火で、石窟内はススで黒く汚れているといわれてる。そこでユネスコは石窟に住むハザラ族を移住させ、バーミヤンの遺跡の保護活動とハザラ族の自立をしています。

このバーミヤンは、西遊記でも知られる、三蔵法師が訪れた梵衍那国ことでもしられ、東西交易路シルクロード上にあり、古来より東洋と中東の十字路として栄え。バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群と自然の景観の美しさはよく知られていました。アフガニスタンの観光の目玉の1つでもあります。

オマーン アフラージの灌漑施設

宇宙が誕生して173億年、太陽系が誕生して46億年、人類が生まれてから700万年、文字が発明され有史時代になって6,000年ほどたつといわれます。
その間様々な自然のいとなみや人と人の物語がいろいろな形で記録されえいます。

それを後世の時代に残そうと、世界遺産などがあります。厳密に「世界遺産」というと、世界遺産条約に基づき「世界遺産リスト」に登録されたものです。世界遺産には、「自然遺産」と「文化遺産」があります。
また他に「世界記憶遺産」「世界無形文化遺産」があり。人類が知っておかなければならないとして「負の世界遺産」をとの声もあります。

これから、それらの世界遺産をメモしてみようと思います。

はじめは、オマーン アフラージの灌漑施設

オマーン国は、アラビア半島のペルシャ湾入り口に位置する国で、国土の8割が砂漠で、古来から海上交通の要衝で、7世紀ごろからイスラムが広まり栄えました。スエズ運河の開通によりオマーンの国力も衰えたが、20世紀になり石油が発見され繁栄しています。
そんな砂漠の国で、所々に緑で覆われたナツメヤシの畑が出現します。その緑のオアシスを支えているのが、アフラージの灌漑施設です。
2,700年も昔から独特の灌漑施設を築き、貴重な水を分け合いながら生きています。
アフラージとはファラジ(分かち合う)の複数形で、この水は生活用水や畑の水になって、水は10分単位で細かく水の配分が決まっている。水源は村から40キロ離れた山中の水源から引いて、みなの共同で管理されているのです。
この高低さだけで村まで水を引き、村中を血管のように水路は走っている。人々はその水で、炊事や洗濯、水浴など生活に欠かせないばかりか、畑ではナツメヤシを育てています。イスラム教ではこのナツメヤシは、「神が授けた食べ物」とされ、イスラムの伝統を支えるアフラージの水といえます。


砂漠は、雨が降らず水分が殆どないため、植物がほとんど生息できないばしょです。気温の日較差が激しため、人が住むには難しい場所で、農業には適さないばしょです。
そのような土地で、交易の要として遠い場所から水を引いてきて、みんなで分かち合いながら公平に暮らす、一つの仕組みが作り上げられています。この事は、今の近代社会での利益を追い求める、争いや憎しみから世界各地でいまだに、戦争が絶えないのをみるにつけ。先人を見習わないといけないと感じます。



余談です。

この世界遺産を見ていて、アメリカのSFテレビドラマの新スタートレックの超時空惑星カターンを思い出しました。内容は次のようなものです。

エンタープライズは謎の探査機と遭遇していた。突然探査機から艦に向けてニュークリアンビームが発射され、ビームを浴びたピカードは気を失ってしまう。ピカードが目を覚ますと、何処かの星の住人になっていた。物語はそこから始まるのですが、その星は日照りが続き水が不足しているが、その中で住民が取り組んでいたことがある。
その1場面です。
木を植えていた男が声を上げた。「ありがとう。今日ここに木を植えたのは、我々の決意の表明です。この水不足に屈せず、末永く栄える町を築くのです。何があろうと、この木を枯らせない。我々の命の象徴です。」
「そこら中で作物が枯れていってるのになぜこの木だけ、青々と葉を茂らせてるんだ?」
「この木は象徴ですから。我々の命の証です。枯らさないためにみんなが配給の水を少しずつやりに来るんですよ。希望さえもち続ければ、どんなことにも打ち勝てるということを証明するためです。日照りにもね?」

みなが協同で水を管理する、そして一つの目標を掲げて、支えあって困難な環境に向かい合って生きぬいていく。
このオマーンの灌漑施設も、昔から10分間隔で水を管理する、その天文技術と水路を一定の勾配で築く土木技術の高さとともに、その水を共同で管理するシステムを皆で守り続けていることの偉大さをかんじます。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 森友・加計問題を見ると、今の日本は法治国家だろうか
    風と雲 (06/18)
    >自分が思うことは法を飛び越えてでも粛々と進める安倍政権・・

    飛び越えてではなく、→ 潜り込み裏をかき開き直って、鉄面皮と二枚舌で、 と言うのが最近の安倍政権
  • 国連人権理事会の日本の表現の自由の特別報告書
    竹林泉水 (06/15)
    マスコミは権力を監視するというより、権力者が何をしようとしているのかを主権者である国民に知らせるのが使命であり、権力を監視するのは国民ではないでしょうか。

  • 国連人権理事会の日本の表現の自由の特別報告書
    アジシオ次郎 (06/13)
    こんにちは。

    本来権力を中立的な立場で見て、時に監視する役割であるマスコミ、そのマスコミに対して自分たちに不当な報道を禁止するのは報道規制であり独裁国家のや
  • 女系皇族に反対するわけ
    竹林泉水 (06/09)
    自民党が女性天皇や女系皇族をみとめたくないのは、安倍政権の閣僚の多くが所属している、日本会議の影響もあうのでしょう。日本は天皇を頂点とする家族的な国家という藩閥
  • 女系皇族に反対するわけ
    アジシオ次郎 (06/06)
    こんにちは。

    天皇陛下の退位問題について、これからの皇室のあり方が問われる問題にもなっているけど、今の皇室において男性は悠仁さまのみであとは佳子さまなど女性
  • 安倍政権の功罪は何だろうか
    竹林泉水 (06/03)
    [GHQの幻想から]は何かよくわからないのですが、欧米との対等の関係だけでなく、強いあいてとも弱い相手とも相手を認め対等の関係を築くのが大切ですね。しかい、どうも
  • 天皇退位の審議が2時間半
    竹林泉水 (06/03)
    天皇退位の法律が成立しそうですが、一部の議員が反対、自由党は欠席で議論が深まらないのが残念です。自民に押し切られたているようです。
    敗戦後に日本人が自ら民主的な
  • 安倍政権の功罪は何だろうか
    アジシオ次郎 (06/02)
    こんにちは。

    安倍政権の功罪、功の部分は日本を戦後レジームから脱却すると言う価値観の変革に積極的にしたことだと思うが、憲法改正に躍起になっているのも、いい加
  • 天皇退位の審議が2時間半
    風 蘭 (06/02)
    象徴天皇については 私もたくさんの記事を綴って来ました
    天皇家の起源は天照大御神まで遡ります
    神の系図が有るからには 神は人間だったと言う事になります

    天皇陛
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