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憲法改正の可能なところから??

3月16日に仕事をしながら、ラジオのニュースを聞いていると、憲法改正について、「可能なところから改正したい」と語ってとアナウンサーが言っていた。16日は9時から衆議院で憲法審査会が開かれていたので、そのときの委員が言ったことばでしょう。以前にも自民党の高村正彦議員が、「実現可能なものからやるのは当然」言っていました。
16日の憲法審査会では、災害時の緊急事態条項の新設が議論され、国会議員の任期延長などがでた。大規模災害が国政選挙と重なったらと、緊急事態条項の新設の理由付けと位置づけしているが、その緊急事態条項の国会議員の任期延長だけでなく、他の内容の方が重大なことが書かれている。緊急事態が発令されると、全権が首相に委任されるようなもので以上に危険です。阪神淡路大震災のとき、東日本大震災のときは、国に伺いを立てるより地方自治を強化させ地方自治の首長の権限を強化すべだと言われました。災害時にも発令される緊急事態条項は、かえって災害からの復旧を遅らせると言われています。
これは、国民の憲法改正に対して慣れさせて、他の条項も変えていこうとしているとも言われいます。なにが何でも改悪でも改正でも一度変えて見ようというのが、見え見えです。
そもそも、憲法を改正をすることについてどのように思っているのだろうか。

可能なところからと言うことはどのような意味だろうか、憲法は必要なところを主権者である国民が熟議して改正すべきものです。憲法の改正の案を出すのは、国民の厳粛な信託によって選ばれた代表者が、国民が個人としての福利を享受できる案を国会に発議して、国民が国民投票により改正するかしないかを判断し選ぶものです。
憲法の改正の必要性とは、今の国際社会からみて時代に合わないもの、国際社会からみて近代国家として、主権在民、人権尊重の定義・価値観との整合性がとれているかなどとのかねあいから、その必要性が問われるてくるものからでてくるものです。

では、憲法改正の可能性とはどのようなことをいうのでしょうか。
現行の「日本国憲法」の三本柱である主権在民、人権尊重、平和主義だが、それらを改正することは非常に国民の反対が根強いです。そこで、お試し改憲として現憲法の96条にある、改正要件の3分の2による発議と国民投票である硬性性を、一般法律と同じ2分の1による発議に変えようとしたが、強い反発にあいその話はいつの間にか言わなくなりました。その代わりに自然災害でも発令できる緊急事態条項の創設を出してきています。
いま、自民党、公明党の与党に加え、改憲の必要性を高く謳う議席は3分の2を越えています。そして、それらの勢力のなかに改憲すべき理由に、現行憲法は敗戦によるGHQに押しつけられた憲法である、70年一度も改正されていないことをあげています。
また、現行憲法は日本の伝統文化精神に合わないものだとも言っています。

自民党がどのような憲法にしたいかは、自民党の憲法草案のQ&Aには概ねつぎのようなことが書かれています。
占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にする、現行憲法は、連合国軍の占領下におい制定された憲法で、国民の自由な意思が反映されていない。そして、その内容に我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章が書かれていないことが問題だとしています。
現行憲法の前文には、憲法の三大原則の「主権在民」と「平和主義」は書かれているが、「基本的人権の尊重」は書かれていないと言っています。
次に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分ええを、ユートピア的発想で自衛権の放棄にほかならないと書いています。

現行憲法は押しつけられたもので、日本の憲法にふさわしくないと言って、平和主義は理想主義の妄想だと決めつけています。平和主義の理想に向かってそれが実現するために努力すると言うことを否定しています。さらに、国民の基本的人権については、第三章の国民の義務と権利を両者を読み比べると、現行憲法では国民の個人としての人権は保障されているが、自民党案では「公益と公の秩序」のもとに大幅に制限され、個人としての人権ではなく人としての人権になって、国民の人権は動物愛護と同じレベルのようなものです。
現行の日本国憲法では国民主権について明快に「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」とかかれています。しかし、自民答案では「国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」と簡単に書かれているが、その前に「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」と宣言しています


自民党の党是が「憲法改正」だから、必要性で改正するのはなく一度変えてみたいと聞こえてきます。さらに、第2次安倍政権になてから多くの法律が、強い反対意見があるにも関わらず、強引に強行採決されてる。このことから、憲法改正も数の力に任せて、国民の熟議が熟さないで強引に改正される恐れを感じます。
戦後レジームからの脱却と言って、憲法改正を唱えるがその前に、「占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にする」と言うなら、日米安保条約による日米地位協定の不平等を解消することから始めるべきではないだろうか。

また、なかなか改正できないからと、集団的自衛権を、憲法解釈を変更し正当としたように、憲法解釈変更は解釈改憲は壊憲につながるものです。
国務大臣や国会議員には、憲法尊重擁護の義務があるのに、憲法を軽んじるなら例え自民党憲法案に改正されても、都合が悪ければ都合のよいように、解釈を変更してしまうので、そのような人たちに憲法を改正させてよいものだろうか。

憲法のありかた

アメリカ独立宣言の起草者でもあり、第三代大統領ジェファーソンは、「アメリカ合衆国憲法は人民の自由を保障するために書かれた。しかし、いかなる社会も永遠の制度あるいは永遠の法とは成り得ない。地球は常に生きている世代に属している」して、ある世代がのちの世代を法的に拘束することはできないとして「世代憲法構想」の持ち主だった。
このこと世代憲法構想は、大統領が替わる度に憲法が変わることだが、一見するとその時々の情勢や実情や政権の統治者の考えに合わせられ、即応できるので悪くないように思う。しかし、このことについて第四代大統領マディソンは、世代憲法構想論に対して、「ある憲法が消滅し、次の憲法が成立するまでの間に、さまざまな出来事や党派てき確執が繰り広げられ、時には暴力を煽る可能性もあり、政府の安定性が著しく害されること必定である」と言っている。憲法は国のあり方の骨幹を明記したもので、時々の政権や情勢に簡単に左右されるべきでないものであると言うことを、世代憲法構想は否定するものです。

安倍首相が言った、「立憲主義とは王政の下での国の時代の話だ」、と言ったがこのジェファーソン第三代大統領の考えだと、王に限らず国民による選挙によって選ばれた人も、憲法によって縛られるのは当然なのは勿論となります。それはどのような憲法の国でも、立法府の主や行政府の主が、憲法規範に尊重し遵守する敬意を払わないでいたら、憲法は他の法律に対しての最高法規ではなくなり、しかもそれが不都合なものか判断しそれが施行されるのを阻止する仕組みが存在しない場合は、憲法は有名無実化してしまう。そこで、民主主義を標榜する国こそ、国民から選ばれた執行権者はそのことを銘記して執行権を行わなければならないことになる。

今の日本や世界の政治に目を向けてみれば、ここにきて急にこの危うさが現実になってきているのではないだろうか。
日本に於いては、今まで内閣は集団的自衛権は憲法上認められないとしてきたが、安倍政権は閣議で集団的自衛権は憲法上認められると憲法解釈を変え、安全保障法制として11もの法律を作ったり変えてしまいました。この安倍政権の行いかたは、憲法は有名無実化しかねないものではないだろうか。
そこで、チェックする仕組みである憲法裁判所が行うのだが、日本には憲法裁判所がないが、日本国憲法の81条に、〔最高裁判所の法令審査権〕が明記されている。
第81条最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。この条項は、最高裁判所に違憲審査権を付与されていることになる。
しかし、この最高裁判所の違憲審査権はしっかりと機能しているかと言えば、最高裁判官の任命は内閣にあるので、憲法規範に敬意を払わない内閣なら、最高裁判官に圧力を掛けたり、自分の考えに近い人を任命し機能しなくなるおそれがある。実際に憲法に関わる問題は、砂川判決にみるように、最高裁判所は憲法判断を放棄しているというか避けている。

また、第四代大統領マディソンは「人民が情報を持たずもしくは情報を取得する手段を持たない人民の政府は、道化芝居かまた悲劇の序幕にすぎず、あるいは多分その両方であろう」とも言っている。これはすでに日本にも忍び寄ってきているのではないか、政府が右と言ったことを左と言えないというような人が公共放送の会長なら、国民は偏った情報しか得られなくなり、道化の三流国となりはててしまうおそれが大いにある。

いかなる社会も永遠の制度あるいは永遠の法とは成り得ないが、その時々の執権者に都合のよいように解釈することは、その執権者の暴走を許すことになり、弱者や少数者は小声の人は無視されていくことになる。
大きな施行権を持った者こそ、多くの考え意見を真摯に聞き入れることが大切だろう。1月30日に書いた「孝経の諫爭章」を思い出した。

テーマ : 憲法改正論議
ジャンル : 政治・経済

憲法と緊急事態条項

安倍政権は今国会から、本格的に憲法の改正に向けての取り組みを始動させるつもりのであることが新聞に書かれていた。
衆参両院で現在、憲法改正発議を国会でするための、憲法改正に前向きな議席である3分の2以上を占めている。また、今まで安倍政権になってから、国民の反対の声が強いのに関わらず、幾つもの重要法案が強行採決されていった。それに国民はならされ強行採決が不自然なものだと思わなくなってきているとふんでいるのだろうか。

それはともかく、憲法破壊国会運営とでもいることをいつまでも許して置くことは、戦後今まで国民主権により民主主義を目指してきたこと葬りさるに等しいことです。

その一番端的なのは、憲法に緊急事態条項を付け加えることです。一見、他国が攻めてきたり、大自然災害が起きた場合に、迅速にそれに対応するために、内閣が法律と同等の効力を持つ制令を出すことや、宣言が発令している間衆議院が解散されないこと、地方自治体の首長に指示をすることがで、国民は政府のだす指示に従わなければならないなど、戦中の国家総動員法を思わせるものです。

自然災害に置いてならよいのではと考える人もいるが、現行法で充分に対応でき、逆に緊急事態条項により、現場の自治体が災害に対して中央に伺いをたてなくないといけなくなると、災害に対して即応できなくなり逆に混乱を招くと言う指摘もある。

また、現在よその国が日本に戦争を仕掛けてくることはまずあり得ないです。尖閣諸島などが中国軍が侵攻してきてもそれは、日中間の地域紛争として解決すべきで、戦争間戦争まで拡大する事は、日中両政府とも望んでいないでしょう。中国の漁船などの民間船が領海侵犯をしたときは、外交交渉で解決すべきだし、日本の海上保安庁にあたる中国の中国海警局の公船が侵犯しても、外交交渉で抗議し解決すべきです。そこに軍隊と同等の自衛隊が出動すると、中国も軍艦を出動させざるを得なくなり領土問題の解決は逆に遠のくでしょう。

安倍政権は緊急事態条項を憲法に追加する事を目論でいるようだが、それは戦後の日本が今まできづいてきた、国民主権の民主主義と人権尊重と自由と平和主義を脅かすものと言えるでしょう。
緊急事態条項の中に何が書かれているか。それがどのようなことを意味するのかを、私たち国民はよく考えていくべきでしょう。

いままでの、安倍政権の国会運営のしかたや、沖縄での基地問題に対する対応や、原発再稼働反対に対する政府のやり方、それと今までのマスコミへの圧力ともとれるやり方をみていると、天が落ちてきて日本の今まで築いてきたものが崩れ去るのではないと言う杞憂の終わらず、現実のものとなってしまわないかと思うところです。

自民党憲法改正草案の緊急事態条項

第九章 緊急事態(緊急事態の宣言)
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。
(緊急事態の宣言の効果)
第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

憲法と最高執権者

日本の憲法は民定憲法であり、改正には一般の法律よりも改正し難くできている、硬性憲法だといわれています。

そのことを考えて第一次から今までの安倍政権を見ていると、京都大学名誉教授の佐藤幸司が、放送大学叢書の『立憲主義について』で次のように書いてあることに考えさせられる。
「硬性憲法の国であても、立法権者や執行権者(行政府の長)が憲法規範に敬意を払わず、しかもそれをチェックする信頼にたる仕組みが存在しない場合には、憲法は有名無実化してしまう。」( )内は泉水が書き込み。

安倍政権は今までの政権が、集団的自衛権は憲法違反だという解釈を閣議決定で変更して、集団的自衛権は可能だと解釈を変え、自衛隊の海外派兵を可能にしてしまいました。
憲法改正について、今の時点での改正に批判的、慎重な人たちが、改憲ではなく壊憲だと、自民党の憲法草案で改訂すると、悔憲になるという人がいます。
確かにそのように思えるが、それいよりも今の状態なら憲法を改正する必要はなく、ときそれぞれの状況に合わせて憲法の解釈の仕方を変えていけばよいのであって、憲法がないにも等しいことになってしまっている。
いまの、政権の人たちは憲法に限らず、ことあるごとに法に従って粛々と進めると言う。
法を都合のよいように変え、変えることができなければ解釈を変えて、それに基づいて進めるなら。どのようなことでもできることになってしまう。

いま、憲法や法律のことを述べているが、学問のことに照らして考えてみると、学問で使われる言葉は一つ一つその言葉に決まった意味を定義して、話を筋道を立てて展開してい結論を導いていきます。
これが社会科学分野だったらその学問は支離滅裂になるでしょう。
しかし、自然科学の物理や化学ならその学説を実証していと、それが計画の通りいかず、目的が達せられることはないです。

外交や政治の世界も同じで、言葉の定義を一つにするために、二国間の条約なら条約文は互いの国の言葉で、その言葉の持つ定義を吟味して作られ結ばれます。
それをしないと条約を締結したがいいは、互いの国が批准の段階で、全権委員が調印した条約文を当事国の国会がそれぞれの言葉の定義はどのようにされているかを確認して承認されます。
これは、国内法に於いても同じで、その定義が曖昧なら裁判で多様な判決でてしまい混乱をしてしまいます。

政治をおこなうものとして、執行権者の都合で勝手な解釈をすすことは許されないことです。そのようなことをする国は民主主義国家と言えず、独裁国家と同じようなものです。

ことしも、安倍政権がどのように法を解釈し執行していくのか見守っていきたいです。

テーマ : 憲法改正論議
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不断の努力の民主主義

国家社会主義者、日本ファシズムの理論的指導者とされる北一輝は、明治維新は西欧的な政治の近代化を目指したが、民主主義に向けての準備を欠いた近代革命と言うようなことをいっている。

日本の場合フランスなどのように下から持ち上がった革命で民主主義を作り上げたものではなく、飛鳥時代からつづく天皇家の権威を借りた権力者の争いの中で権力の後退がなだれてきた。明治維新も徳川幕府を倒しそれを正当化したのも天皇の権威に基づいたものでしかなかったというのです。

しかし日本の政治を今まで見ると、飛鳥時代から奈良時代頃までは政治の実権を握っていたといえるかもしれないが、平安時代以降は権力の実権は武士が握り、天皇の威光のもとでそれ正当化され、天皇は権力の象徴としてりようされてきた。黒船到来により欧米列強から鎖国政策対し開国を迫られた。それが倒幕を目指す薩摩長州は今までの徳川家の大御所の地位を崩すために、尊皇攘夷を掲げ天皇家の権威を最大限に利用して打ち立てたのが明治政府といえるんだろう。
そのため、明治維新は上の権力がすげ替わっただけで、公方を倒した新しい権力は、天皇の権威のもと正当化された。
そのため、明治22年まで国会も開かれず、憲法も日本には存在されなかった。しかし、明治維新を景気に民権運動がわき起こり、中江兆民 植木枝盛や北一輝らの運動や千葉胃卓三郎の私擬憲法である通称五日市憲法などつくられている。その数は現在わかっているだけで100を越え、五日市憲法のように、実存するものもかなりの数が残っている。

これらの中には、明治政府が明治22年に天皇の名で勅下した、大日本帝国憲法よりも強度の欽定憲法もあるが、民権を重視した民定憲法と言えるものが多くある。その中でも政府が国民を弾圧したりしたときの、人民の武器を持っての抵抗権を明記し、それを権利として保障したものもある。
このことは、いかに明治時代に多くの人が、日本の在り方はどうあるべきかを考えていたといえるものであり、また、明治政府が自分たちの政権を守るために、多くの人民を抑圧弾圧していたから、それは許されざることと言う住民の危機感があったのであろう。

また、ポツダム宣言を受諾し降伏した後に、連合国から新しい憲法を作るように言われたとき。帝国政府はすぐに応じようとしなかったが、このときも民間で明治維新期ほどではないが、新しい憲法を考える動きもあったようで、そのいくつかは国会図書館に、社会黨や自由黨、進歩黨、共産黨などの案が所蔵されている。ほかにも、巷下でいくつもつくられたようで、わたしが聞いたところで50ほどあると言う人もいるようです。

連合国とっくに米国は敵国である日本のことをよく調べていて、日本には明治政府いらい封建的な非民主的な皇国でそれ以外の動きはなかのではなく、自由民権の運動は明治維新以前から合ったとしているようです。
そのことは、ポツダム宣言の10条と12条に表れている。

十、・・・前略 日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ

10条の日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化は、明治の民権運動や大正デモクラシーの運動をさしているといえる。
しかし、日本憲法を制定し、サンフランシスコ講和条約を結んでも、12条の平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシは実現していない。これは、枢軸国を敵としていて東西の冷戦生まれていないときのもので、中国に共産党政党ができ、朝鮮戦争が勃発し東西冷戦が始まり、ベトナム戦争が激化したことにもよるが。神道指令がでて今までの体制は解体されても宗教法人として神社本庁が復活したこともあるのではないだろうか。

いまの安倍政権は憲法の改正に並々ならぬ情熱を持って取り組んでいるが、その素案となるであろう自民党の憲法改正草案の、前文と第一章やほかの各条項を読むと、帝国憲法の復古の臭いがしてくる。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、
この部分は皇祖皇宗の国家のことをさしていることは秋あらかで、国家神道の復活の意図が見え隠れする。

第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、
この第一条の元首の解釈の仕方により変わってくるが、この部分は他の条文の読み解いていく必要があるだろう。
しかし、特に国民の権利義務について、公益と秩序に反しない限りの文言が頻繁に出てくることをどのように解釈かが問題とわたしはみる。

このことは万一自民党の憲法案のようなものが、国民投票で実現すればいまだ日本は、北一輝の言うように、民主主義に向けての準備を欠いた状態に戻ってまうのではないか。

国家神道と信仰の自由

本の敗戦後、GHQが1945年12月15日出した神道指令により、政教分離がなされ、明治維新後の1871年明治4年に太政官布告により、大・中・小の官弊社、別格官弊社、大・中・小国弊社、府・県・郷・村社と無格社に分けられた社格制度は廃止された。
この、徳川幕府の体制を否定し、新政権の正当性を定めるため、天皇を利用し天照大神から神武天皇の皇祖皇宗の、国家統治のために作られたもとの見方もある。それは、伊勢神宮を頂点としいた、神社の国家管理を正当化するためのものです。
また、明治維新の廃仏毀釈運動は、仏教と日本の民族宗教が、入り混じり寺のなかでも、鎮守などが祀られ手いることに、仏像や仏典に対して、排斥運動がなされていた。
しかし、それが一部地域で過激になり、廃寺させられた寺も多くあるという。
社格は神道国教化政策を進めるために、官弊社・国弊社が位づけされたと言える。
そこで、官弊社・国弊社は国家の保護のもと、保護され支援された。
明治維新までは、秋の実りに感謝する、秋の祭りは天皇家で行われていた新嘗の行事だったものだったが、国家としての祭りとして、新嘗祭が行われるようになり、現在でも勤労感謝の日として、国民の祝日に指定されている。
明治政府になってから、国家神道を押し進めるため、新嘗祭に関わらず、紀元説、天長節などが、国家行事として行われたいた。
ここで、政治と宗教の関わり方をみる上で、憲法にかかれている政教分離について見てみる。

それぞれの、「信教の自由」の条文をみてみる。

・日本国憲法
第20条信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

・自民党改正草案
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

・大日本帝国憲法(明治憲法)
第28条日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

明治憲法では「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限」とかかれ、世の中を乱すようなこと、天皇に仕える国民としの義務に背かない限り保障されると制限されている。

このように、戦前は国家と国家神道が結びついていたことの怖さを感じます。
自民党案の3項の「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」は、これが拡大していき、伊勢神宮を頂点とした神道神社への国家の関わりにまで、国がその活動を支援したり幇助刷る方向に進まないかと心配なところがあるように思う。

タイの国民投票

タイのインラック首相が2014年に軍のクーデターで失脚し、軍政下にあるそのタイで、民政移管に向けた新憲法草案が国民投票で承認さました。
しかし、新憲法は軍から民政へ移管され、軍政から民政への復帰として喜ぶべきものだが、その新憲法の内容は、軍の政治介入を許す内容となっている。
共同通信の遠藤一弥氏よると、非民選議員だけでなく軍人なども首相就任を認め、選挙後5年間は上院議員の公選を廃し事実上軍の任命制となっている。また、上院は下院知音や政権に強い監視権限を持つ、憲法裁判事の任命権限を持つなど、軍の政治介入を認める軍政色の強いものとなっている。
このような新憲法をタイ国民は選んだのだが、タイは2001年にタクシン氏が首相に就任し民政への行政改革を進め、軍予算の削減など伝統的権力基盤と既得権益の打破をしようとしたが、軍や既得権を持っている者から抵抗を受け、2006年に軍のクーデターで失脚、その後の総選挙でタクシン氏の妹のインラック氏が首相に就任したが、2014年に失脚した。
タイの国民の信望を集めるプミポン国王も88歳で心臓病などの健康不安も指摘され、以前のような両派への仲裁が難しい状況となっているそうです。
一方隣国のミャンマーは民政移管されているが、タイはその逆を進んでいるようです。

遠藤一弥は、1970年代以降、タイでは軍主導のクーデターが頻発している、そのことに対して「40年前に戻った時計の針と」たとえている。

日本では自民党が主だって憲法の改正を押し進めようとしているが、自民党の憲法改正草案は70年前の憲法に戻ろうとしているところがある。また安倍政権の閣僚の多くが所属している、日本会議や神道政治連盟などの憲法観や産経新聞の憲法案も70年前の憲法と似ている。

タイは40年前にもどるのだが、日本は70年前に戻ってしまうことが無いように、今の私たちの民主主義と自由と個人の人権尊重の大切さを今一度考えて見たく思う。

日本国憲法と自民党改正草案

日本国憲法と自民党の日本国憲法改正草案

両憲法のそれぞれの最も重きを置いているものはなにか。
日本国憲法(以下現行憲法)は、自由と平等と平和といえる。
前文には次のようにある。
日本国民は、恒久の平和を念願し、・・・中略・・・、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
・・・中略・・・
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


自民党の日本国憲法改正草案(以下自民党案)は、国民の自由やびょうどうより、天皇制・国体・秩序を重きにおいていると言える。
自民党案にの前文は次のようになっている。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
・・・中略・・・
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
・・・後略・・・

国民主権といいながら、「天皇を戴く国家」としている。また、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって守り」は国体護持にもなりかねない。さらに、「自由と規律を重んじ」や条文本文の随所にみられる「公益と公の秩序」は、国あっての国民という考えです。

また、それを具体的にもっとも示しているのが、次にあげるところと言える。
第11条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

このところが自民党案では、「妨げられない」と「現在及び将来に国民に与えられる」が削除されている。
このことは、現行憲法では、国や政府など権力者に対して、この基本的人権は不可侵であり、永久の権利とし保障するものであり、改正するにあたってもこの条文は維持されなくてはならないといっているといえる。

また、
第12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

これにたいしても、つぎに公共の福祉のために利用する責任を負うと書かれ、他人の権利や社会秩序を侵し、踏みにじることをしてはならないと書かれているのに、お節介にも「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」が付け加えられ、さらに「常に公益及び公の秩序に反してはならない」となっている。

現行憲法で13条と22条は次のようになっている。
第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第22条何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

しかし自民党案では、個人が人になり、ここでも「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」になっている。さらに「必要」とするが、「されなければならない」になっている。個人としての尊厳より国体としての秩序を求めよとしていることが窺える。

戦争法とも呼ばれる安保制法が国会で審議されているとき、多くの人が国会前で抗議集会を開きデモをしました。そのとき国会前の集会をテロと同じだと言った閣僚がいました。デモをテロと同一視するなら、公の秩序を乱したことになり、70年以前の学生運動が盛んな時の過激なデモでなくとも、デモ参加者は逮捕されることになり、それ以前にデモは禁止されできなくなります。表現の自由のところで自民党案は2項で「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」とあり、国政に対して抗議行動を計画するだけでも罪に問われるおそれがあります。

また、22条ではほかの国民の権利義務の条項では書かれている、「公益及び公の秩序」が書かれていないです。これは何を意味するのか。安倍首相はよく、世界一経済活動をしやすい国にすると言っている。つまり、公共の福祉である。人と人の衝突による個人の不利益、つまり企業活動は働くものの権利よりも優先されうるとも解釈しうるものです。これはますます、ブラック企業や残業代ゼロや企業の都合でこよう打ち切りや、契約社員などが、さらに自由にできることを可能にしうるとも言える。
主権者は国民であると、憲法に明示していうなら、国民の生活基盤である働く権利と義務を、ないがしろにするようなこの条文はよいのだろうか。

どうみても、天皇を戴く国家で天皇が元首であり、国民はその下で国家のために働く人として位置づけいるように読みとれる。
これは、明治憲法と何らか変わらないのではないだろうか。

ポツダム宣言に10条に書かれた、「民主主義的傾向の復活強化」と真逆のもので、GHQが驚愕し9日間で憲法を作らすことになった、松本案と同類なものといえる。
国連憲章にはいまだに敵国条項明記されているが、それがまだ有効であるなら、厚木や横田基地の米軍は再び日本を占領しようとすると、それに対して安倍政権はどのように対応するのであろう。

このような自民党案は、立憲主義の観点においても、安倍政権は法に基づいてとよく言うが、国際的な法の歴史的な流れにおいても、非常に問題点が多いといえるものだと私は考えます。

二つの憲法の一条文を読み比べて

自民党案
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。
国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

日本憲法
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

この二つの条文の主語は、それぞれどこにあるのだろうか。それぞれの前段の部分の締めくくりは「保持されなければならない」と「これを保持しなければならない」です。

私自身法律を学んでいないので、ここで使われている言葉をどう定義し、どう解釈するれば正しいのかはわからないが、私なりに解釈してみた。

それによると、自民党案では、文脈から憲法は国に対して自由と権利を保障する事を怠ってはいけないとしている。そして国が怠ることが無いように受け身的に働きかける権利があるとなっている。つまり、これは自民党憲法は国民に国家が、与えるものという性格をもってるのではないか。

現行憲法は、保持する努力を対象を明確にこれとして指定し、しなければならないとことは権利であり努力義務を課している。つまり国が自由と権利を保障しなければ、国にそれを履行するように働きかけないといけないと、国民の義務を明記している。これは国民主権の一つである抵抗権がかかれてていると言えないだろうか。


では後段の部分はどうか。
自民党案では
国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

とあり濫用してはならずと明確に国民に命令している。その上お節介にも「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」と説教文が書かれている。
さらに、公益及び公の秩序に反してはならないと、秩序を大切にするように国民に押しつけている。
この「公益及び公の秩序」とは何だろう。多数の意見に異を唱えずに従えということか。そうなると、以前にも書いたが選挙で選ばれた政府の政策に反対するデモなどはどこまで保障されるかが危うくなってくる。


現行憲法は
国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「濫用してはならないのであって」とあり国民の自覚のもとで責任ある行動をとるように促している。さらに、国民お互いの自由と平等のたの公共の福祉を実現させるためとあり、「公共の福祉」とは自由と権利を行使する義務を負うということであり、他人の権利を脅かさない限り認められるとなる。

自民党は、現行の日本国憲法を押しつけ憲法と言うが、自民党憲法は、国民に押しつける憲法と言うことが言え。現行憲法は、国家や政府、権力者に押しつけた憲法と言うことがいえる。

では誰が押しつけたかであるが、現行憲法はマッカーサーがGHQの民政局の職員に起草案を作らしたので、GHQと言えるが、その内容は当時の日本の国民の中の考えが多く取り入れられていることは、今までの研究者のあいだで明らかになっている。

そして、国民にとっては、自分たちで直接起草したものでないので、GHQから与えられたと言える。しかし、鈴木安蔵の憲法研究会の案などの考えが取り入れられていることを忘れてはならないです。

さて、この条文を読み比べてどちらがよいだろうか。

日本の憲法を書いたのは、

米国のバイデン米副大統領が異例の発言をした。
クリントン民主党米大統領候補の演説で、トランプ氏の主張する日本や韓国が核武装の容認に対して、「私たちが核保有国になり得ない日本の憲法を書いた」と述べ批判しました。
これは、安倍晋三などの改憲派にとっては、押しつけ憲法だという絶好の追い風の材料になるだろう。

トランプ氏の発言を私の知る限りでは、日本の米軍基地がフィリピンや韓国などの基地に比べ、日本政府がどれだけ資金を拠出して、他のいろいろな面で優遇しているかを知らないようです。

また、バイデン米副大統領も、日本国憲法は私たちが書いたと言うのは、日本国憲法がどのように作られたかを正確に知らないようです。

現行の「日本国憲法」は、確かにGHQの最高司令官であるカッカーサの指示でその原案は、GHQの民政局の人たちと手で作られました。しかし、マッカーサーが日本の憲法の草案を民政局員に作るようにの指示を出すにいたったのは、ポツダム宣言に基づいて、新しい憲法を作るように言われたが、日本政府が明治憲法と殆ど変わらない憲法を考えていることが、毎日新聞のスクープでわかり、これでは他の連合国の同意を取り付けられないと考えたからです。
その前に、自由民権運動期の憲法学者の鈴木安蔵らが作った「憲法研究会」が日本の新しい憲法を考え、それをGHQにも提出し受理されている。それをGHQの民政局法規課長マイロ・ラウエル中佐は詳細検討をして、「この憲法草案中に盛られている諸条項は、民主主義的で、賛成できるものである」と評価している。それを日本の憲法を作るように言われた民政局の人たちも当然、見せられて参考にしているだろう。また、その憲法研究会案とGHQの原案を比べて類似点があることから明らかだといわれています。

それらのことを踏まえていくと、戦争放棄の条項は、日本は武装しないというのは、GHQからの押しつけではなく、日本が早く独立国になるために選び、独立後に改正すればよいと考えていたとも見方もあります。その後サンフランシスコ講和条約が結ばれた後、今までに憲法の改正がしてこなかったのはそれを日本国民が受け入れてきたからと言えるでしょう。


また、バイデン米副大統領は中国の習近平主席との会談で、北朝鮮の核開発防止の協力を求める文脈のなかで、「日本は事実上、一夜で核兵器を製造する能力がある」と語ったそうです。これは新聞に載っていた記事で、前後に何をどのように会話されていたかがわからないが、以前から言われている潜在的な核保有国であることを改めて言ったことになる。
いろいろ物騒な発言をする閣僚がいるが、日本は非核三原則を改めて強調しておきたいものです、

しかし、この非核三原則も武器輸出三原則が、防衛装備移転三原則にかわり、憲法解釈がねじ曲げられて集団的自衛権を合憲としているので、非核三原則の持たず、作らず、持ち込ませずの三原則を、使わず、作らせず、使わせずに変えられてしまうかもしれない。
そのようなことがないように、今まで以上に核に対して敏感になってる必要があるだろう。

日本国憲法と自民党憲法

日本国憲法と自民党の日本国憲法改正草案

両憲法のそれぞれの最も重きを置いているものはなにか。
日本国憲法(以下現行憲法)は、自由と平等と平和といえる。
前文には次のようにある。
日本国民は、恒久の平和を念願し、・・・中略・・・、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
・・・中略・・・
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


自民党の日本国憲法改正草案(以下自民党案)は、国民の自由やびょうどうより、天皇制・国体・秩序を重きにおいていると言える。
自民党案にの前文は次のようになっている。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
・・・中略・・・
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
・・・後略・・・

国民主権といいながら、「天皇を戴く国家」としている。また、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって守り」は国体護持にもなりかねない。さらに、「自由と規律を重んじ」や条文本文の随所にみられる「公益と公の秩序」は、国あっての国民という考えです。

また、それを具体的にもっとも示しているのが、次にあげるところと言える。
第11条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

このところが自民党案では、「妨げられない」と「現在及び将来に国民に与えられる」が削除されている。
このことは、現行憲法では、国や政府など権力者に対して、この基本的人権は不可侵であり、永久の権利とし保障するものであり、改正するにあたってもこの条文は維持されなくてはならないといっているといえる。

また、
第12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

これにたいしても、つぎに公共の福祉のために利用する責任を負うと書かれ、他人の権利や社会秩序を侵し、踏みにじることをしてはならないと書かれているのに、お節介にも「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」が付け加えられ、さらに「常に公益及び公の秩序に反してはならない」となっている。

現行憲法で13条と22条は次のようになっている。
第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第22条何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

しかし自民党案では、個人が人になり、ここでも「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」になっている。さらに「必要」とするが、「されなければならない」になっている。個人としての尊厳より国体としての秩序を求めよとしていることが窺える。

戦争法である安保制法が国会で審議されているとき、多くの人が国会前で抗議集会を開きデモをしました。そのとき国会前の集会をテロと同じだと言った閣僚がいました。デモをテロと同一視するなら、公の秩序を乱したことになり、デモ参加者は逮捕されることになり、それ以前にデモは禁止されできなくなります。表現の自由のところで自民党案は2項で「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」とあり、国政に対して抗議行動を計画するだけでも罪に問われるおそれがあります。

また、22条ではほかの国民の権利義務の条項では書かれている、「公益及び公の秩序」が書かれていないです。これは何を意味するのか。安倍首相はよく、世界一経済活動をしやすい国にすると言っている。つまり、公共の福祉である。人と人の衝突による個人の不利益、つまり企業活動は働くものの権利よりも優先されうるとも解釈しうるものです。これはますます、ブラック企業や残業代ゼロや企業の都合でこよう打ち切りや、契約社員などが、さらに自由にできることを可能にしうるとも言える。
主権者は国民であると、憲法に明示していうなら、国民の生活基盤である働く権利と義務を、ないがしろにするようなこの条文はよいのだろうか。

どうみても、天皇を戴く国家で天皇が元首であり、国民はその下で国家のために働く人として位置づけいるように読みとれる。
これは、明治憲法と何らか変わらないのではないだろうか。

ポツダム宣言に10条に書かれた、「民主主義的傾向の復活強化」と真逆のもので、GHQが驚愕し9日間で憲法を作らすことになった、松本案と同類なものといえる。
国連憲章にはいまだに敵国条項明記されているが、それがまだ有効であるなら、厚木や横田基地の米軍は再び日本を占領しようとすると、それに対して安倍政権はどのように対応するのであろう。

このような自民党案は、立憲主義の観点においても、安倍政権は法に基づいてとよく言うが、国際的な法の歴史的な流れにおいても、非常に問題点が多いといえるものだと私は考えます。

テーマ : 憲法改正論議
ジャンル : 政治・経済

敗戦の日

今年も8月15日がきます。8月15日は昭和天皇が、国民に向けて敗戦の肉声の勅語をラジオで放送された日です。

それを、終戦の日として紀念する日です。

そして、それはどのようにするかは、日本国憲法の前文と9条に書かれいます。

日本国民は、・・・中略・・・諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

ここで、この敗戦にいたった戦争の責任は誰にあるのかが明確に書かれいます。国民にあるのではなく政府にあると明記されています。そして国民は政府が再びそあのような戦争を犯さないように、国家の名誉にかけてそれが維持実現できるように努義務があると書かれています。

平和とは安倍首相の言う「積極的平和主義」ではなく、ヨハン・ガルトゥング博士の言う戦争や争いがない「消極的平和主義」から一段高め、戦争や争いがなくその中で格差や差別などもないて「積極的平和主義」の実現に向けての努力をいかにするかを考える日にしたいです。

ガルトゥングの積極的平和における「積極的」は「positive(自信のある 建設的な 前向きのなど)」の訳であるが、安倍首相積極的平和の英語訳は、外務省の英文Webページでは「proactive)(先取りする 先を読んで行動するで事前対策)」で。つまり、安倍首相の言う「積極的平和主義」は、武力によって平和を作り出すことで、ガルトゥング氏のとは真逆です。

今日8月15日、平和についてしっかりと考えてみよう。

兵庫県の改憲に関する18.19歳へのアンケート

7月20日に神戸新聞社が、兵庫県内の18、19歳の人に、今回の選挙結果についてアンケートの結果が載っていました。対象人数が192人とやや少ないが、高校生、大学生、社会人と18、19歳の全てを対象にしているので、今の若い人の考えが、概ね反映されていると、言えるのではないかと思う。

改憲勢力が3分の2を超えたことに対して、満足が14.1%、どちらかといえば満足が27.1%で両方合わせて4割を超えている、一方どちらかと言えば不本意が15.1%で不本意が5.2%で2割ほどに留まった。また、分からないが36.5%で、選挙戦の争点として自民党が改憲の内容を避けてきたことを顕している。

憲法改正の必要があるかは、あるが182%,、どちらかと言えばあるが27.6%で、どちらかと言えばないが16.1%,、ないが14.6%、わからない無回答が18.8%だった。
こちらも、改憲に必要を感じているのが、45%を超えているが、一方改憲に慎重な回答は3割を超えている。改憲勢力が3分の2を超えたことに対して不本意と答えた5.2%にくらべ、必要がないと答えた人は3倍近い14.6%担っている。また、ここでも分からない、無回答が4分の1近くもしめていることから、今まで憲法についての議論が深まっていなかったことを顕している。
それなのに、自民党は参議院選挙での争点に改正についてはあえて避けてきている。
あえて避けたと書いたのは、自民党のマニフェストをみれば分かる。改憲は党是だとし選挙前機会あるごちに改憲を口にしていたが、マニフェストで一番最後に数行書かれているだけだった。本来ならトップに挙げて何のために何処を度のように変えるかを書くべきでなかったのか。

また、政治への関心は高まったかの質問にたいして、70%が高まったと答えている。

憲法9条と自衛隊の今の活動状態の、整合性を合うようにすべきとの意見もある。
反面、「権力者を縛り国民の権利を保障する憲法の役割を、国民や政治家は軽視している」。「信用性の欠ける政治家もいる」などと、今後の改憲論議が進み本格化すると、その中身を不安視する意見もあったようです。

一方、「各政党の改正案を知らない」「改憲で生活がどう変わるかわからない」「改憲内容の説明が国民にしっかりされることを期待したい」という意見も多くあるようです。

これから、憲法改正の議論を国会で深めていくなら、自民党が特定秘密法や、安保法制とよばれる戦争法の時のような、傲慢で強引な国会運営をするようなことをしてはならないです。
国民は今憲法で保障されている、自由及び権利は普段の努力によってこれを保持しなければならないです。
憲法にはしなければならないと、その自由と権利を守ることを義務づけています。。
このことは、また、不誠実で傲慢強引な国会運営をするなら、一昨年去年より大きな国会前また全国で、国民は声を上げて行動する義務があると言うことです。
国会前での若い人たちの集会に対して、ある政治家はテロと同じだと言った、また同じようなこと言うなら政治家にたいして、その言葉に対しての責任を問いただし非難する権利を、国民は持っています。
多くの議席を得っている、自民党が再び驕り高ぶり同じようなことをしないように、監視し続けることが重要でしょう。

憲法を改正のしかた

7月に参議院選挙があるが、選挙戦の争点の一つに憲法改正がある。

憲法の改正につてい、護憲派と改憲はがあり。改憲派は現行の憲法は、GHQから押しつけられたものだから、日本独自の憲法に改めなければならないという。これに対し護憲派は現行憲法や70年あまり改正されず、今の日本人の中に馴染み定着しているという。しかし、どちらも説得力がないです、それは具体的にどの部分を何のためにどのように変えるのかが示されてい。
護憲派もどの部分がなぜ良いのかについて深く議論されていないように思う。

憲法を改正するその内容には、このブログで今まで自民党憲法草案について、批判的に書いてきたので、いまここではそれを置いておき、憲法を改正や作り直すに事に対し、どのような方法があるかについて考えてみる。

まずは自民党が憲法改正草案を出しているでそれについて。
これは、前面改正といえる。自民党はあたらしく日本人が独自に考えた憲法を作るといっていたが、ここでは現行の「日本国憲法」の条立てと構成は同じなので、自民党の憲法改正案といえるだろ。
しかし、日本国憲法全文を一度に出してきている。しかし憲法のような国の根幹を作るようなものを、短期間に一度に変えて良いものだろうか。
明治憲法と呼ばれる「大日本帝国憲法」が「日本国憲法」に一度に一気に変えられたではないかという人がいる。しかし、あのときは、ポツダム宣言の受諾により、日本は敗戦しその条件として、戦前の封建的帝国主義的な国の体制から、民主的な国家体制に転換するのが条件で、現行憲法が生まれている。また、章立て条立てが明治憲法と同じなので、現行憲法も明治憲法の改正という形で成立している。

前置きの話が長くなってしまったので、この話はここらでいておく。

憲法を変える方法は、次のような方法があると思う。
一、一度に全文を変える改正
一、部分的に修正を加えての改正。
一、あたらしく条項を追加する加憲
一、不都合な条項を加筆修正追加していく

そして、一番大切なのは国会にどのように発議し審議し改えていくかです。
わたしは、時間がかかっても、一条一条逐条を審議していくことが大切です。決して15年の戦争法案のように10本以上に法案を一束一絡げにして審議するのは、絶対にあってはならないことです。

最後の方法はアメリカなどで行われている方法で、今までの条文は残り、どのように修正されたかが明らかになる方法です。
憲法とはその国の根幹を示すもので、それがどのように発展修正されたかが分かるものです。つまり今までの伝統ある憲法を守り発展させるということです。
今の時代に合わなくなったからと、削除改正してしまうことは、今までの歴史が正しいのであれ間違っていたのであれそれを削除してしまうことになるという考えです。

私は今まで一番最後のこの方式をあまりしらなかったが、一番よいように思います。とうぜん民主主義や自由と個人の人権尊重に逆行するようなものであってはならないのは当然です。

「あたらしい憲法草案のはなし」

「あたらしい憲法草案のはなし」というふざけた本がでるようです。戦後いまの、日本国憲法が発布された時に、文部省は「あたらしい憲法草案のはなし」と言う本をつくり、中学生に配布しまた。その本のパロディー版のようなタイトルの本です。

    あたらしい憲法草案のはなし


あたらしい憲法草案のはなし
自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合 著
出版社 太郎次郎社エディタス
発行日 2016年06月18日発行
頁数 96ページ
800円税込

目次
はじめに
1 憲法を変える理由
2 国民主権の縮小
3 戦争放棄の放棄
4 基本次郎的人権の制限
5 強く美しい国へ
資料1 「あたらしい憲法のはなし」(抄録)
資料2 自民党憲法改正草案(現行憲法条文対照)

買おうと思った予約したが、もう少し調べてみると、ページ数が96ページで、資料として「あたらしい憲法のはなし」(抄録)と自民党憲法改正草案(現行憲法条文対照)がついている。そうなれば本文はそんなにない、中身をよく見てみないとどのような本かわからない。
自民党憲法草案を高く評価する本か、それとも逆説的に自民党憲法草案を批判している本か確かめるため、店頭に並んでから買おうと思う。

e-honで、早稲田大学教授の憲法学者である、長谷部恭男氏が、「自民党が何をしようとしているか、とくに憲法に何をしようとしているのか。このブックレットを読んでまず知って下さい。いまの自民党は、「行き過ぎだ」と思えば逆方向のバネが内部で働いていた、かつての自民党ではありません。「道理の通らないことでも一丸となってやり通す」-ことが、何より大切だと思い込んでいる人たちです。この人たちに日本の将来を委ねてよいのか、このブックレットを読んで考えてください。」と書いています。
hontoでは、「国民が国家をしばる約束」から「国家と国民が協力してつくる『公の秩序』」へ。草案の提案する憲法観の大転換を、起草者たちの論理と願望にぴったりとよりそって語る。【商品解説】 となっています。
出版社の太郎次郎社エディタスは、この本について「憲法改正に賛成する人も、反対する人も、どうぞこの本をお読みください。この草案を考えた人びとが、どれほど強い、熱い思いをもって、あたらしい憲法を つくろうとしているかが、きっとおわかりになるでしょう。そのうえで、憲法を変えたほうがよいのかどうかを、しっかり考えてもらいたいと思います。」といっています。太郎次郎社エディタスの「あたらしい憲法草案のはなし」の特設ページより。

しかし、いずれにしろ自民党どのような国づくりのビジョンをもっているかを解き明かした本のようです。
この本を読んで読み取るかは読者自身の判断です。


太郎次郎社エディタスの「あたらしい憲法草案のはなし」の紹介ページ
http://www.tarojiro.co.jp/constitution_draft/#はじめに(本書より)

憲法記念の日 18、19歳のアンケートから

憲法を改正してよいか悪いか。
一つ言えることは、今の安倍政権では絶対に改憲をするのは危険すぎるといえる。
国民や国際社会に向けて、平気で嘘をつく。
丁寧に説明すると言って、的外れな答弁をする。
法に従ってといいながら、憲法や法をねじ曲げ解釈する。憲法をねじ曲げて解釈して作った法をもとに、憲法は実状に合わないから会見するという。
国民の意見を聞くといいながら、粛々と進める。
どれも恐ろしいくらいに、国民を愚弄している。
さらに、報道は公正にといいんがら、報道機関に巧妙に圧力をかけていく。
ましてや、立憲主義について語りかけるとすかさず、私はそのような憲法観をもっていないと、議論を深めることを拒否してしまう。

これでは、憲法論議をしても手練手管で、ごまかしたり話をそらしたり、それは公平でないと言って圧力をかけたり、真っ向からの議論を避けてしまうだろう。
そのような相手の作ったものは、どんなによいものでも運用の仕方で危険なものになってしまう。

神戸新聞の兵庫県かの18歳19歳に対象にした、新聞のアンケートによると、憲法改正の必要があるかに対し「ある」が11.6、「どちらかと言えばある」が32.2、「どちらかといえばない」が18.9%、「ない」が11.6%、「わからない」が25.8%でした。
これに対して20歳以上の全国の調査では同じアンケートを見ると、「ある」が19.7、「どちらかと言えばある」が34.7、「どちらかといえばない」が23.7%、「ない」が16.3%、「わからない」が5.6%です。
この二つの数字をくらべると、18歳19歳の人は、「わからない」が非常に多いです。アンケートにたしての応えに今まで政治のことを考えた事がなかった。や政治のニュースはほとんど見ないと答えています。

改正が必要がどうかの理由に対しての答えも、条文や内容があわなくなっているが半数以上です。アンケートの記事には、その部分がなぜ合わないかが書かれていないので、詳しくはわからないが、改憲論者が制定されてから70年が経ち時代に即していないと言っていることからくるものと思われる。
必要でないとするのは、戦争を放棄し平和が保たれているが38.0%でもっとも多いです。これも護憲論者の言い分の従っているように思われる。
もっと大切な基本的人権や立憲主義てきな問に対しての数字は非常に低いです。

それは、憲法改正で論議する対象はとの問に対してもそれは現れているといえる。
新聞などに話題に上る、「9条と自衛隊」が56.9%、「知る権利プライバシー」が27.5、「緊急事態の新設」が19.6%です。基本的人権や地方自治んどいん対して非常に低いです。

自民党が党としての草案を公表していることから、今の現行憲法で変える必要がない条項に対しても、議論の俎上にあげる必要があるでしょう。それにより、日本の国民の生活を守り形作っている憲法をもっと身近に考え議論するよりどこりとして議論していくことは非常意義深いものです。

そのため、テレビや新聞はもっと憲法特集を、教だけでなく、1週間、10日と長期に組むことが必要でしょう。

憲法と超自我

日本国憲法の9条について思想家の柄谷行人は、フロイトの第一次世界大戦後の戦争神経症患者を目の当たりにし、その攻撃性が自らの内に向かう超自我の存在に照らして考えています。それにより、憲法9条をこの「超自我」として見るべきだと言っています。
日本国憲法は、憲法学者や法律の専門家が作ったものでははく、また政治家が作ったものでもないです。敗戦の占領下でGHQ最高司令官であるマッカーサーの指令のもと、GHQ民政局の25人の人たちが作ったものです。
アジア太平洋戦争は、日本の国土を焦土と化しただけでなく、アジアの各地も焦土と化し、人々の心も荒んだもおににしました。それだけでなく勝者である連合国側の人々にも大きな心の傷を当てています。
それらを見ている25人の人たちは、戦争の対する嫌悪・忌避感等も伴って、法律学的よりまた政治的外交的な文言のようなものでなく、倫理的な人類の過去の過ちを見据えた倫理的な訴えを強く前面に表した、9条の条文になったのでないかと思う。
そして、押しつけ憲法とし幾度も憲法9条を変えようという声があがるが、それを変えてこなかったのは、日本国民の中にも同じように、その超自我てきな戦争を嫌悪・忌避をする倫理観がそれを阻んできているのでしょう。
そのためい、GHQに押しつけられた憲法だといいなが、それが今も在り続けられているのでしょう。

このことは、9条に限らず、第三章の「国民の権利及び義務」が生き続けるのも、明治憲法の「臣民権利義務」から、個人への解放されたことが大きいものでしょう。明治憲法の下では国民は臣民とさてれ、大幅に国民の権利は制限され、天皇のために尽くすことを義務づけられていました。そのため、アジア・太平洋戦争では天皇のため多くの国民は、外国の地で命を落とし、国民生活もそのために自由は制限され奪われていました。明治憲法下と書いたが始めから、国民をそのように扱うために明治憲法ができたのではなく、明治憲法にも国民の自由は一様保障され、欧米諸国から劣等国野蛮国とみなされないために、民主主義や立憲主義の考えは織り込まれていた。しかし、二様に解釈できる記述が憲法に書かれていたため、ある時から軍部の国政への干渉がまし、国民はまさに将棋の駒の臣民になってしまった。しかし、GHQの押し付けられたとされる日本国憲法は、国民に人間として個人としての自由とその人権が明記されてた。

このことを忘れてはならないし、今後も守っていかないといけないです。しかし、平気で憲法や法律を都合のよいように解釈することがまかり通ろうとして、いまそれが音を立てて崩されようとしている。これはなんとしても、阻止しなくてはならないものです。

タイで、新憲法の国民投票が実施されよとし、それに対しての議論がなされ始めているが。しかし、選挙管理委員会は、多額の費用をかけた大掛かりな運動は禁止されるとされながらも、個人がフェイスブックなどソーシャルメディアで意見を表明したり、賛否を表す小さな看板を自宅に掲げたりするのは可能だといっている。しかし、先日の時事通信によると、フェイスブックに新憲法草案を批判するメッセージを投稿した東北部コンケン県の団体を国民投票法違反容疑で警察に告発されている。このことはまさに、対岸の火事として見るのではなくいついま、まさに己に振りかかかろうとしているものとして捉えていく必要があるだろう。

産経新聞憲法草案

私は今まで知らなかったが、2013年4月26日に産経新聞が発刊80年を記念して、紙面のほとんどを使って、「国民の憲法」という特集していた。

それを見ていると、産経新聞社は、田久保忠衛杏林大学名誉教授を委員長として、佐瀬昌盛、西修拓殖大学客員教授、大原康男國學院大學名誉教授、百地章日本大学教授の起草委員会が作った、「国民の憲法」という草案と称する者を掲載してる。
その内容は、PDFファイルで読むことができるば、その内容は自由闊達にかかれていて、国のあり方をしめす憲法という枠を飛び越えたものです。
是に比べると、まだ自民党の草案の法がましと言えるところがあります。

この「国民の憲法」を起草した委員である学者先生は、自民党のように直接政治に関わらないので、何者にも捕らわれずに自分の考えや立場を五人で互いに話し合って練り上げた者のようです。しかし、それを大々的に新聞に掲載するのも、よほど度胸のある行為といえます。

田久保氏は日本会議の会長であり、他の委員も同じような考えを持った人のようです。それを考えると、憲法はどのようなものかという事がよくわかります。

自民党の憲法草案もそうだが、この憲法案も実現させるのあら、先の太平洋戦争を今一度見直し、先の大戦の敗戦を否定するなら、ポツダム宣言受諾の破棄や見直しもすべきでしょう。
今の日本は国際的にも信頼され評価されいるが、それは戦後日本国憲法のもとで今までたゆまぬ努力をつづけて、戦争をしない平和主義を貫き、日本国憲法の前文にあるように、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し諸国民の公正と信義に信頼して、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてきたからです。
そして、憲法前文の理想すぎる理想の文言を掲げてきたからです。それを否定するような憲法は認められないです。
そでも、時代を逆戻りするような憲法をするら、敗戦を否定することになると思う。そうすれば国連憲章の敵国条項に触れることになるでしょう。

とももかくも、自民党の第二次憲法草案も産経新聞の憲法案も、明治憲法へと回帰するようなもので、ともに受け入れられないようなものです。
もうすぐ5月3日は憲法記念日です。日本国憲法を読んそこに何がかかれているかを改めて読んでみたく思う。


新聞紙面がPDFファイルになり読むことができるようになっている。産経新聞の力の入れようがわかり、産経新聞とはどのような新聞かが窺えるといえる。
「国民の憲法」要綱(PDF) - MSN産経ニュース

産経新聞80周年「国民の憲法」要綱 前文
以下最下部に各章の目次があるのでその前文をよむことができる。

「憲法改正」の真実

「憲法改正」の真実 <br />
「憲法改正」の真実
集英社新書 0826
樋口陽一/著 小林節/著

この二人の「護憲派」と「改憲派」の二人の重鎮のが出版を記念して対談をおこないました。その様子がyoutubeで紹介されていました。
いま自民党は何を狙って、憲法を改正しようとしているのか、そして憲法が改正されたらどのような国になるのか、その憂いをわかりやすく語っています。
もともと、樋口陽一先生は護憲派で、小林節先生は改憲派でしられています。しかし、二人とも立憲主義を蔑ろにし、国民を欺くような国会運営をしていることに対して、お二人の先生は危機感をいだいています。そのような自民党に憲法の改正の俎上にのせるのは、改正でなく改悪いや壊憲させることになると考えています。

樋口 陽一(東京大学名誉教授)×小林 節(慶応義塾大学名誉教授) 護憲派の泰斗と改憲派の重鎮が読み込む自民党草案

自民党憲法草案と戦争法との矛盾


自民党憲法草案と戦争法との矛盾

自民党憲法草案の前文には、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、 ・・・・中略・・・・ 基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。 ・・・・中略・・・・ 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」となっている。
また、そのQ&Aでは、人権については、「日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。」として、「国民の権利義務については、現行憲法が制定されてからの時代の変化に的確に対応するため、国民の権利の保障を充実していくということを考えました。そのため、新しい人権に関する規定を幾つか設けました。また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。例えば、憲法11 条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました。」と書いてある。

Q&Aに書かれている、憲法第十一条の原文は各々次のようにあります。日本国憲法「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来に国民に与えられる。」で、自民党草案は「国戸民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことができない永久の権利である。」

一方、安倍首相や自民党の人たちはしきりに、日本の伝統や文化を守り引き継いでいかなければならないと言っています。そもそもそのようなことを憲法に書き入れるものではないが、それを明記しようとしている。しかし、そのことを明記すると日本の文化や伝統は繚乱するような発展は阻害されてしまい、古来からの伝統をまもるだけになりかび臭いものになってしまうだろう。

それはともかく、安倍首相が進めようとしてる安全保障に関することは、憲法で集団的自衛権を認めるとどうなるのか。アメリカと共同作戦に参加することを可能にするものとなる。それは、つまりテロとの戦いであるが、今起きているテロはアメリカとテロ集団と見えるが、歴史的に見ていくとキリスト教の価値観とイスラム教の価値観との戦と言える。つまり一神教どうしの戦いということになる。

安倍首相の言うように日本の伝統は文化を尊重するなら、日本の思想的土台である宗教は神道は八百万神であらゆるものの神が宿っていると自然を敬い感謝して生活を営むとする宗教であり、仏教には神を対象としなく自分自身と向き合いおのれの人格を高める宗教です。すなわち、キリスト教対イスラム教やユダヤ教の、唯一絶対神での宗教のような対立はないものです。そのため日本は他者の神に対し寛容に受け入れられ、イスラム圏の難民支援が行えるのであり、キリスト教国でないち言うことから、いままでも経済活動が積極的にできてきた。イスラム教とキリスト教の相克に巻き込まれるような、キリスト教の価値観を重視する国に従属するように戦闘行為と共にすることは無理がある。このことにいて、日本の伝統や文化をよきものとしてる人は、これらのことに関してどのような説明ができるのだろうか。
国家神道は別として、八百万神や仏教のような宗教観を持った日本が、キリスト教の価値観がある米国が世界の警察と称して、テロと戦いの戦闘行動を共にすることは、安倍首相の理想とする日本の伝統と文化を尊重することに対して矛盾すことにどう考えているのだろうか。
つまり、安倍首相以下はよく日本を取り戻すなどと言うが、結局はアメリカに従属することの方が、日本の独自性や文化や伝統より重視していることのあらわれでないだろうか。そうなれば、イスラムの原理主義のテロ集団からキリスト教国と同様に見られてしまうことは必定だろう。まさに、日本のよき伝統と文化を守り、日本を取り戻すといいながら、売国いや米国に見返りを得ずに朝貢をしているようなもです。

また、問題の根本は、現代のグローバルな国際社会の国で、複数民族が暮らしそれぞれ価値観が違う個人個人が暮らすなかで、その国の憲法に、伝統とか文化とかをかくありきいうようなことを書くこと自体が、憲法にそぐわないものと言えいる。

憲法改正について

新聞社が加盟している、日本世論調査会の世論調査がされ、その記事が載っていた。

改正すべきがそれぞれつぎのようだった。
9条と自衛隊 52.4%
知る権利・プライバシー保護 23.3%
緊急事態条項の新設 15.9%
基本的人権 15.5%
内閣・議会制度 12.0%
地方分権・地方自治 11.4%
国際貢献 9.6%
前文 7.2%
環境権 5.6%
天皇制 5.5%
改憲発議用件 5.5%
財政規律条項の新設 4.1%

このような、結果でした。多くの人が9条について関心があることが読みとれるといえる。

憲法改正に賛成の理由について、憲法の条文や内容が時代に合わなくなっているからと回答した人が、61%。反対の人の理由で、戦争放棄を掲げ平和が保たれているからが、40%だそうです。

わたしは、「日本国憲法」と「自民党草案」を読み比べたが、現行憲法は決して言うほど時代に合わないとは言えない、むしろ先進的なところもある程で、世界的な稀有な憲法と言える。
逆に自民党草案は、国民主権、基本的人権の尊重、民主主義と自由と平等に対して逆行している。
自民草案のQ&Aには、このことについて「日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを表明」と書かれているが、歴史的に見ても奈良時代はともかく、それ以降は武家社会に以降していき、明治維新後の明治22年に大日本帝国憲法ができ、天皇を戴いた国であり、国民は天皇に使える子であり臣民だとなっています。自民党草案もそのようなことがうかがえる文言があります。
「第一段落では、我が国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であることを明らかにし、」。さらに、「国民は国と郷土を自ら守り、家族や社会が助け合って国家を形成する」と書かれています。よく読むと、「明治憲法」より国家主義的な要素があるようにかんじる。

話はもどしてわたしは、改正すべき点はあると考えている。しかし改悪や壊憲になってなはならない。
ましてや、自民党憲法草案のような、愚憲のようなものに決してしてはならないです。

憲法改正と言えば、9条の不戦の誓いと軍隊の府保持の条項が問題によくあがる。
9条については、軍隊の保持をするには、個別的自衛権のみを認め、専守防衛に徹すべきでしょう。
海外への人道支援は行うにしても、その運用を明確に居続けられるべきです。

知る権利とプライバシーの保護は、国民の知る権利と国家や権力者からプライバシーを保護されるべきです。

緊急事態条項は、3.11や1.17の大震災でもその被災地は大混乱をしたが、日本全土はいつもと同じ生活をしていました。つまり、自然災害などで緊急事態宣言を発令する必要はないです。ましてや、自民党草案では戒厳令を引くような、首相に全権を委任し国会の任期をなくすようなことは非常に危険としか言いようがないです。

基本的人権は、国家から個人の人権を守られるもので無くてはならないです。

行政改革として、内閣と国会のあり方を見直す必要があるでしょう。今のように、国会の解散と臨時国会の開催を首相が随意できるようなことであってはならないです。

地方自治はさらに進めるべきで、中央集権的に逆戻りするようなことではいけないです。

前文は、自民党草案の前文はお話にならないです。まるで北朝鮮や中国の憲法のようです。

天皇制はいまの象徴天皇制は国民の中に広く定着しています。それも、明仁陛下が国民に寄り添ってつねに国民のことを考えておられるからでしょう。

財政規律条項の新設は、いまの安倍政治の経済政策では、グローバル企業だけが潤い国民生活が潤うことはないでしょう。国民の生活権をよく考えて文化的な生活が送れるように考えるべきでしょう。

それと、世論調査の新聞発表では書かれていなかったが、「憲法尊重擁護義務」については、現行のままでよく、自民党の草案のように、その全て国民に尊重義務をかすのは国民主権の憲法としておかしいです。

自民党憲法案と慶安の御触書

自民党の憲法草案を見て、慶安御触書(けいあんのおふれがき)みたいだと言った人がいる。
少なくとも、明治憲法は当時の国際世界ので憲法としては決して見劣りするものではなかった。また現行の「日本国憲法」は、70年前は先進的なもので国際世界からみて、誇るべきものです。そして今でも、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義、それのもとの自由と平等の保障は色あさるものではないです。
しかし、自民党草案は明治憲法より時代遅れな憲法と、私は感じていたが、まさか徳川幕府三代将軍のころ、今から350年以上古いものと言うことでしょうか。
そうなれば、自民党の憲法草案を作ったひとは、天然記念物ほどの頭の持ち主になってくる。

ところで、慶安御触書にはどのようなことが書かれているのか、そこには農民はどのように日常生活を送り、どのように働くべきかが綴られている。
よく知られたところでは、
・「百姓は衣類之儀布木綿より外ハ帶衣裏ニも仕間敷事」、とあり絹などをきてはならないとされている。
また、冒頭には「公儀御法度を怠り地頭代官之事をおろかに不存扨又名主組頭をハ眞の親とおもふへき事」と書かれ、幕府の法令を怠ったり、地頭や代官のことを粗末に考えてはならない、名主や組頭のことは親のように尊敬することしている。
ほかにも、「前略 雜穀專一ニ候間麥粟稗菜大根其外何に而も雜穀を作り米を多く喰つふし候ハぬ樣に 後略」ようは、稗や粟をたべ、米は食べるなとある。
ほかにも、早起きをして、朝は草を刈り、昼は田畑を耕作し、夜は縄を綯い、俵を編むなど、それぞれの仕事を油断無く行うこと。など、幕府のために死ぬ気で働けとなっている。

自民党憲法草案風にいうと、自由や権利ばかり主張するのではな、幕府のために公益を重視してそれに反するようなことをしてはならない、また、、今の一億総活躍であれと、350年前に言っている。

憲法改正のやりかたと 総裁任期

自民党は2005年に、憲法について考える機会を増やすため、改正及び最高法規に関する小委員会が、二月二十二日、三月八日、三月二十二日と三回にわたり開かれ、その中で次のような意見がでたと、舛添要一の「憲法改正のオモテとウラ」に書かれている。

「この論点をめぐって自由な議論が展開されたが、まず改正については、改正手続きを緩和すべきだという意見が多数出された。
 原案の提案権については、内閣にも認めるべきという意見と、現行のように国会議員に限定すべきだという意見の両論が出た。以下略・・・・」

さらに国民投票についても、次のような意見がなされいる。
「1現行のまま。2憲法の骨格に関わらない部分については、各議院総議員の三分の二以上の賛成があれば、国民投票は不要。3さらに軽微な改正については、各議院総議員の過半数の賛成で足り、国民投票も不要、という三案が出された。

これは、2005年10月28日に自民党が「新憲法草案」を発表する前のことです。このとき舛添要一は自民党議員であり自民党憲法案の取りまとめをした人です。すなわちこのことが議論されたことは事実といえるでしょう。

このときの自民党の憲法案は、2012年4月に発表されたものに比べると遙かにまだ、まともな憲法で自民党のなかの良識を持った人が多数いることを知ることができます。

しかし、このときも憲法とは何かを知らない乱暴な意見がでている。
提案権を内閣にも認めるべきだ。国民投票は憲法の骨格に関わらないものなら、両議院の三分の二の賛成で、国民投票は不要。さらに軽微なものは両院の過半数でこと足りる言う意見がだされている。

しかし、いまの安倍政権はこれ以上のことをしている。憲法で認められないとされている、集団的自衛権を閣議決定で憲法解釈を変更してしまったことです。
まさに、自民党が憲法改正をしやすくするために一部の人が考えていたことを、憲法が改正されていないのに事実上の憲法改正をしたことです。小林節教授に言わせると裏口入学です。

わたしは、このようなことを平気で何度でもする人は信用できないし、人格的にも非常に問題があると思う。
なぜなら、何か大きな自然災害や事故が起きると、緊急事態だと言って全権委任法のようなものを強引に通してしまいかねないからです。
自民党の日本国憲法草案には、緊急事態における条項がありますが、それを先取りしてしまいかねないです。
また、第二次世界大戦中の米国の大統領はルーズベルトでしたが、普通米国の大統領は暗黙に二期しかしないことになていたが、世界大戦中と言う特別な事態なので三期しています。しかし、ルーズベルトは三期目の途中で病に倒れ急死しています。副大統領のトルーマンが大統領になり、広島と長崎に原爆を落とすことにります。

自民党総裁は一期が三年で連続して二期以上出来ないことになっている。しかし、今の安倍晋三周辺では三期以上出来ないかの動きがあるとも聞きます。何か自民党にとって、緊急事態がおきると党則を変えてしまうかもしれない。
また、ロシアの大統領はプーチン大統領は三期以上できないので、大統領の席をメドヴェジェフに一度譲り、首相の座に降格して次期に大統領に返り咲いています。今まで、首相の座についた人は、ご意見番にまわり内閣の要職にはついていないが、今の麻生副総理のように一度副総理になり傀儡総理を誰かに三年か勤めさせ、さらに二期六年勤めるかもしれない。先の自民党総裁選で、野田聖子氏が必要な推薦人が、圧力が合ったか無かったか知らないが、集められなくて総裁選に立候補出来なかったことを考えるとあながち、絵空事とはいえないかもしれない。
そうなればまさに日本は世界の笑い物になり、独裁政権誕生になってしまうだろう。

憲法とは何か

憲法についてブログで書いているが、日本において憲法で一番大切なものは何であろうか。
それは、第一章の「天皇」でもなければ、第二章の「戦争の放棄」の第9条でもないし、憲法前文でもないと私は思う。
一番大切なのは、立憲主義が述べられているところであり、国民の権利と義務について書かれたところだと言えるはずである。
すなわち、第三章の「国民の権利及び義務」の基本的人権について書かれている第11条から14条のところであり、第十章の「最高法規」で権力者の憲法尊重擁護義務であるはずです。

この大切なことは、どこの国も普遍的な事項であるはずです。

ところが、与野党を含めほとんどの政党は、第9条に視点を置いて憲法を論じようとしている。また、第一章の天皇をどのように位置づけるか、象徴天皇とするのか、天皇を元首とするのかを問題にしている。
しかも、今の政権のように立憲主義を否定したり、状況が変わったからといって、簡単に憲法解釈を変えてしまってよいのだろうか。よく自民党はことある毎に、法の支配に従って粛々と進めるなどと言う。法律の解釈を時の都合のよいように変えて進めるならら、法律はいらないし裁判所もいらなくなる。それこそ、自民党は自らの都合のよいときに、法の支配と言う。都合がわるくなれば状況が変わったという。
しかし、結党60年を向かえる自民党だが、少なくとも、過去の自民党はそのようなことは無く、自由と民主主義の保守政党として、法に従い筋を通す政党だった。また、いまのように、自民党の政治家も大樹になびくのではなく、筋を通す骨のある人が多かったです。
今はほとんどの人が、党の実権を握っている人顔を窺う人ばかりになっている。これだと、実権を握る人が替われば、その人になびくのであろう。このような人に憲法の解釈を任せたり、政治を任せて本当によいものだろうかと思う。

これから憲法9条や第一章の「天皇」ではなく、もっと第三章の「国民の権利及び義務」や第八章「地方自治」、第十章「最高法規」などについて、自分なりに考えて見たく思う。もっとも私自身法律を専門に学んだこともなく、社会学も学んだことがないが、幾つかの書籍や講演などで聴いたことを下に、疑問に思うことを書きつづればと思う。

憲法について考えてみる


憲法とは何か、憲法について書かれている本を読むと、統治のあり方が書かれています。そして、おおむね次のようなことが、すべての本に書かれている。憲法に書かれたルールによって法律が作られ、国が統治される。さらに、憲法には、国家権力や政権を握った者が、平和や人権など普遍的な価値が奪えないものだと、書き留められている。

法律の憲法の違いは何か、簡単に言うと、法律は、国民の自由を制限したり義務を科すことにより、社会の秩序を保ち続けるためのものであり。憲法は、国家権力を制限して国民の人権を保護保障するものといえる。

立憲主義は王政の時代のもので、民主主義制度のものではないと言う違憲がある。しかし第二次世界大戦は当時最も民主的と言われたワイマール憲法で、ナチス党を第1党に選び、独裁者となるヒットラーを選び、全権委任法が成立し、欧州の世界大戦が始まりました。民主主義国家でも独裁者でるおそれがあります。

立憲主義の憲法とはどのようなものか、自由と人権保障の定めがあり、立法・行政・司法の独立が定められたいる必要がある。すなわち自由の人権の規定が書かれ、権力が暴走しない歯止めが掛けられる仕組みになっている。すなわち議会で多数を取ったから、思うがままに政権運営が出来るということを許さないことです。

ミャンマーで今までの軍事政権に代わって、アウンサー・スーチン女史が率いる民主化勢力が議会の多数をしめました。しかしミャンマーの憲法では親族に外国籍の人がいると、大統領になれないと規定されている。この規定によりスーチン女史は大統領になれないです。それに対しスーチン女史はミャンマーの民主化を進めるために、大統領以上の立場に立つと言っていました。また、周辺は軍と話し合い暫定的な例外を作れないかを模索しているようです。

これでは、現行憲法を変えずに解釈を変えて、多数を握った勢力が思いのままに政権を運営し、国民を統治しようとしているどこかの国と同じになってしまう。
いまの、ミャンマーの憲法はよく知らないが、今後どのようにスーチン女史のグループは動くかが注目されます

話を戻し、国民の自由と人権を守ること、憲法が定めた以外の権限を国家・政権がしようとすることを認めない、憲法は最高法規であること。この三つを国民は大切にしていかないといけないです。

日本国憲法の欠点は、憲法裁判所が規定さあれていないことです。憲法違反の法律ができたり、政権が憲法違反をするとそれを裁くところがなく、司法の最高裁判所が裁くことになることです。

江戸幕府から明治時代に入り、日本に憲法を作ろうと言う運動が起きたが、なかなか憲法は作られる事がなかったです。民衆の運動が高まりようやく明治22年に大日本帝国憲法が作られます。しかし、それまでも。日本各地で100近い憲法案が作られたといいます。そして、そのなかでも国や政権が暴走すれば、暴力をもって政権を倒すことは正当なものだと、明文化されたものもあります。
幕藩体制から数年しかたたないなかでも、欧米の進んだ考えを取り入れ、フランス革命などの運動をよく勉強していることがを見てとれます。

それに比べると、自民党憲法草案はいかにお粗末なものに見えてしまう。
自民党憲法の前文の冒頭から、明確に国民主権を明文化しているところを、国民主権を曖昧にし天皇制を全面に押しだしそれが日本固有の特色だとしている。さらに人権の考えやなどは、世界の共通した人権擁護の考えは日本の文化電灯に合わないとしている。
さらに、先の戦争がどのようなものだったかより、日本の受けた被害を強調しそれを乗り越えたことを美化している。
とりわけ、三段落目の「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和と尊び、家族や社会全体が互いに助けあって国家を形成する。」となっているが、国民主権と基本的人権の尊重をするなら、すくなくとも前後を入れ替えるべきで、「基本的人権を尊重するとともに、日本国民は国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り、・・・・」

憲法で規定して基本的人権を蹂躙したり侵してはならないと書くのはなぜか、それは国家が国民個人個人の基本的人権を侵さなようにするのです。国民にたいしては、基本的人権をおろそかに行為は刑法などの法律で罰するべきです。

何度もこのブログ書いているが、憲法について国民はもっと関心を持ち議論づべきです。
献金問題や日銀のマイナス金利政策、TPPや外交問題などなど、重大な問題に隠れて、為政者にとって都合の良い憲法改定は許されないものです。
特定秘密法や安保法など、国民のなかで反対の意見が大方をしめていたのに、十分な審議を尽くさず、説明も曖昧なんまで、強行に可決してしまいました。特に安保法は10以上の法を、いくつかにまとめて一括して審議して可決してしまいました。しかも、多くの憲法学者しかも自民党推薦の憲法学者までが、集団的自衛権の解釈は違憲だとするのに、憲法をねじ曲げ合憲と解釈して強行に成立させてしまいました。
自民とのお粗末な憲法が通ったとかりにしても、今後都合が悪い事になったら、またねじ曲げて憲法を解釈ししてしまうでしょう。

そもそも、憲法は立憲主義の観点から、権力者に箍を填めるものです。箍の弛んだ桶は、水が漏れたり桶がバラバラになってしまいます。国家権力にしっかりと箍を填めず、箍は外れてしまうと、国際的な信頼を失ってしまうでしょう。
さらに、自民党憲法の国民に対する義務がいかに多いことでしょうか。
その極めつけが、国民への憲法尊守擁護義務でしょう。ほかにも、国防義務、日の丸君が代尊重義務、領土・資源確保義務、家族の助け合い義務、個人情報取得禁止義務、緊急事態指示服従義務、公益秩序尊守義務などなど、数えたらきりがありません。
その反面、元首とする天皇・摂政は憲法尊重擁護義務からはずしています。となると、天皇から任命される内閣総理大臣も拡大解釈をすると、憲法尊重擁護義務から外すことが出来るとも解釈出来なくもないです。
ましてや、内閣総理大臣が緊急事態を発令すると、何でも出来ることになりかねないです。
ここでは、ぜひとも強力な箍を填めておく必要があるでしょう。

立憲主義と国会軽視

立憲主義と国の最高決議機関である国会

自民党は、日本国憲法の三権分立である、立法権・司法権・行政権をないがしろにし、行政権が国を動かすものとして政治を行っている。

行政権を持っている政党が、自党の各議員の活動を制限したり、採決にかんして党議拘束で各議員の独自性や自主性を阻害させている。これは行政権が立法権を侵害させるおそれがあり、三権分立を侵害し重大な事態になることがおきる前触れともいえるのではないか。

特定秘密保護法や安保関連法などの国会審議と、国会の決議のときにそれが如実にあらわれてきている。
閣議決定で憲法をねじ曲げて解釈することを決定し、特定秘密法保護法や安保関連法の成立のさせ方は、行政の方が立法府よりも上にあるようなことをしている。

そうなれば、行政府が国会より上になるということは、そこには行政の都合のよい、法律がつくられることになる。国会に法律を審議する立法機関である国会はただ提出される法を可決し通すだけになり、国会議員の必要性がないことになる。
また、日本国憲法では憲法裁判所とうものがなく、法律が憲法違反であるかどうかを審議する独立した機関がなく、最高裁判所がそれを行っている。
内閣法制局は内閣府の中にあり、これも行政よりの機関であるので、違憲とされると行政にとって都合が悪い判断を下さない恐れが高いといえる。

戦後かつてこのような内閣が今まであっただろうか。思えば思うほど考えれば考えるほど許されないことです。

憲法改正のありかた

安倍首相は10日のNHKのテレビ番組で、夏の参議院選挙で、自民党と公明党や他の改憲派を含めて、3分の2の議席を確保すること目指していることを明言してた。自民党は憲法改正のトーンが高くなって行くだろう。
自民は以前から、押しつけられた憲法だから、自主憲法をにするのだと言い。69年間一度も変わっていないので、時代に合わなくなってきているから改正と言い。自民党憲法草案は公に発表してる。
今回の改正を問うなかで、現行憲法のどこを改正するのか、具体的に話を出してきていない。
いままでは、始めは自国の力で国を守れないのはおかしいから、憲法9条と言っていいた。しかし、閣議決定で憲法のねじ曲げ解釈をすることをもくろみだした。
すると、今度は、憲法を改正しやすいように、改正要件が書かれている、96条の3分の2の要件を、2分の1にかえると言い出していた。それに対し反対と声が高いと知ると、今はそれを言うのを控えだした。
次に、集団的自衛権を米軍と共に行使でき、それにたいし国民をもそれに駆り立てることができるように、緊急事態条項の条文追加を言い出した。
憲法改正の意見は、自民党以外にも野党の中には、改憲を述べる政党はおおさか維新の党などがある。
日本の心を大切にする党などは、自民党憲法草案より、保守的でナショナリズムな考えを持っている。

わたしは、今非常に問題に思うのは、憲法9条のあり方もあるが、それよりもっと心配なことがある。それは、国民一人一人の人権が、憲法が改正されるとどのように尊重されるのかです。自民党憲法草案を読むと、今より個人の人権の尊重が、公益や秩序の名のもとに国体の護持が重要とされることです。今一度、現行憲法と自民党の憲法草案を熟読し、各党が何を言っているのかを見極める必要がある。

これからの憲法改正へ向けての国会の進め方で、一番心配で大切なことがある。それは、安保関連法が国民の声より米国との約束が重視されたことです。しかも、11の法が、いくつかに纏められ一括審議され、強引に一括採決する手法が採ったことです。
まさか憲法でもまた、同じような一括審議ではく、憲法ではそれぞれ逐条審議すなわちそれぞれの条文を一つ一つ順を追って取りあげて審議することです。時間がかかるがそのように、憲法を変えて行くのが民主主義国家です。
現行の日本国憲法は大日本帝国憲法から一度にかえられたではないかと言う人がいるでしょう。しかし、それは、ポツダム宣言を受諾しその内容の一つである、戦争時の政治体制を解体し新しくするということを履行するためでした。
平和時に民主議会のもとであっても、全文を一括して変えてしまうことは、クーデターに等しいものといえ、絶対にしてはならないことです。

また、憲法という国民の生活にとて、また国の運営にとて最も重要なことだから、国民の一人一人意見を吸い上げとりまとめるためにも、国会での憲法の審議採決は、党議拘束はずし、議員一人一人の自分の意志を持って審議し評決に挑めるようにすべきだと思う。

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ジャンル : 政治・経済

口語訳 日本国憲法・大日本帝国憲法

「口語訳 日本国憲法・大日本帝国憲法」
倉山満  新人物文庫 KADOKAWA

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この本、改憲を唱える人しかも、自民党や日本会議の人たちのなかに、このような考えの人もいることが知ることができる本です。そして、わたしは、買って損をしたと思った本の一つです。

内容は、日本国憲法・大日本帝国憲法の原文とその口語訳です。
大日本帝国憲法は書き下し文調で書かれているので、今の口語調に直す意味はわかります。
日本国憲法は文語文ですので、それをわざわざ現代語に訳にする必要もないとおもうのですが。

さらに、この二つの憲法に対して、明らかに差別的な口語への訳し方がされています。
まずは、日本国憲法の前文を丸文字で、書かれその現代口語訳もかなりくだけて書いてあります。
それに対し、大日本国憲法は、楷書体で書いてあり、ふつうの口語文で訳しいます。

本文は、どちらも口語訳の方をゴシック体で、原文を明朝体で表しています。

それぞれの文言に付いて言い出すときりがないですが、

「国民」と言うことばを、日本国憲法では「国民」としていますが、大日本帝国憲法では、国民という概念はなく、それに当たるのが「臣民」ですが、この「臣民」に対して、国民と言う言葉がつかわれています。
具体的には、「日本臣民」は、「天皇の僕としての国民」とか「天皇の子たる民」とでもすべきでしょう。そのほうが、前文である「告文」の内容と整合性がとれます。

ほかにもいろいろとありますが、国民主権と基本的人権尊重と民主主義、平和主義の下で読むと、この著者がなにをいわんとしているかがよくわかる本です。そしてもう一つ、2012年に発表した、自民党の憲法草案とも読み比べてみると。自民党が狙っている憲法とはどのようなものかがわかってきます。

まずは、この本の感想です。

憲法を読んでみよう

自民党の安倍政権の安倍政治により、街の書店には憲法に関する本が今までより多く書棚に並んでいます。

戦後70年になるが、敗戦直後をや日米安保条約闘争の時をのぞき、いまほど平和と民主主義と人権と憲法に国民の関心が集まっていることはなかったと思います。
安倍政権は、秘密法についで、集団的自衛権行使を可能にする、安保法制関連法を強行に可決させました。このつぎは、憲法改正を見据えて今後の政権運営がされていくでしょう。
わたしたち、国民が憲法とはどうあるべきかを真剣に考えるべき時だと思います。そのためには、現行に日本国憲法に何がかかれているのか、自民党が発表した憲法草案とはどのようなものかを知っておく必要がるでしょう。

自由民主党 日本国憲法改正草案
http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-1015.html


日本国憲法
http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-990.html


また、憲法の原文を読むだけでは、その内容を知ることは難しいです、その中でわかりやすく書かれた本を幾つか紹介します。
・「前夜」日本国憲法と自民党憲法を読み解く 現代書館
   梓澤和幸、岩上安身、澤藤統一郎鼎談
この本は、憲法の全文から、一条一条の条文について、三人が鼎談しているものです。
憲法について書かれている本の多くは、戦争の放棄の9条について、批判したり擁護したりしているものが多いですが、この本は、憲法の平和主義や安全保障のことはもちろん、天皇章のこと、国民の人権と権利と自由から、国会や司法などすべてのことについて、語られています。自民党案を批判しています。

   前夜

・日本国憲法の誕生 岩波現代文庫
古関彰一
現行の日本国憲法の制定過程でGHQとどのような関わりがあったか、それぞれの条文の意図するとは何かについて、分析されている本です。

   日本国憲法の誕生 

・憲法読本 第4版 岩波ジュニア新書
杉原泰雄
この本は、日本国憲法について書いたものではなく、憲法とはどうあるべきかを、中高生向けに書かれたもので、近代憲法における、民主主義、自由と権利とはどうあるべきかがかかれている。

   憲法読本 第4版

・日本国憲法を生んだ密室の九日間 角川ソフィア文庫
鈴木昭典
1993年2月5日に朝日放送局で放送されたテレビドキュメンタリ「日本国憲法を生んだ密室の九日間」に加筆されたものです。
GHQがなぜ憲法草案を作り、日本政府に押し付けたか、どのように作らたかかが、当時の国際情勢もまじえて書かれています。

他にも今まで、このブログで幾つか紹介しました。
憲法などで検索するとヒットすると思います。



憲法についても一度考えてみる

集団的自衛権やそのための安保法制関連法にしばらく注意をそちらに傾けていたので、このブログに書いていた、日本国憲法と自民党の憲法草案についての記事が中断していた。
安保法制関連法があのような形で可決されたが、もう一度、日本国憲法と自民党の憲法草案をじっくりと考えてみたい。

しかし、よく考えて見ると自民党の憲法草案は、自民党の中でリベラル派と知られていた、谷垣偵一総裁のときです。その総裁のときですら、あのような草案がつくられるのですから、今の安倍自民党が憲法草案をつくるとどのようなものになるでしょうか。

安倍自民党は、次の参議院選挙をにらんで、憲法改正に向けて動いて来るでしょう。そうなれば、実際に自民党が発議する憲法案は、いまの草案よりもっとひどい物になって、国会に発議されるかもしれません。そのことを加味しながら二つの憲法を読んでいきたいと思う。

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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 東日本大震災追悼式で安倍首相は原発事故に触れなかった。
    竹林泉水 (03/18)
    今一度野田首相が宣言したように、安倍総理は原発事故は収束したと本当は言いたいのでしょう。政府は必ず嘘をつく、それは、オリンピックの施設建設や、豊洲市場もそうです
  • 東日本大震災追悼式で安倍首相は原発事故に触れなかった。
    アジシオ次郎 (03/18)
    おはようございます。

    今年の東日本大震災追悼式典で福島第一原発事故に言及しなかった安倍総理だが、未だに原発事故処理が解決していない、避難区域解除も進んでいな
  • マンションの挨拶禁止
    竹林泉水 (03/13)
    アジシオ次郎さん
    コメントのお返事大変遅くなり申し訳ありません。
    いまのよのなか、スマホが行き渡り本当におかしくなってきた感じですね、友達と集まってもみなそれぞ
  • マンションの挨拶禁止
    アジシオ次郎 (03/01)
    こんにちは。

    マンションで挨拶禁止って、正直近所づき合いを否定するようなものだし、挨拶をしっかりすると言う人としての常識に思いっきり反する行為だと思います。
  • これからの世界のゆくへ
    竹林泉水 (02/20)
    わたしには、トランプ大統領のメディア批判は、日本の首相を見習っているように思えてしまいます。
    アメリカは自由と民主主義国の国でこのようなことはないと思っていまし
  • 軍隊は国民を守るにあらず国を守るもの
    竹林泉水 (02/20)
    コメントありがとうございます

    自衛隊法にどのように明記されていようが、文官と武官との考えの違いはあるのではないでしょうか。
    栗栖弘臣の言ったことは、上級指揮官
  • これからの世界のゆくへ
    アジシオ次郎 (02/18)
    こんにちは。

    アメリカのトランプ大統領のメディア批判は、自分に都合の悪い話をする者はケチョンケチョンにこき下ろすと言う子供じみた言動にしか見えないが、自分に
  • 軍隊は国民を守るにあらず国を守るもの
    まり姫 (02/07)
    自衛隊法第三条に人命救助をする仕事として書かれていますよ。
    主たる任務ではないけれど、副次的任務としてきちんと規定されています。
    元統合幕僚議長の述べていること
  • 世界の民主主義が行き詰
    竹林泉水 (01/26)
    以前から時々コメントされるのですが。
    コメントを投稿されても、ロシア文字のような文字化けや、タグを書き込みそれがそのまま表示されるコメントがります。

    そのよう
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