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台所重宝記から

村井弦斎の「台所重宝記」(村井米子編訳)平凡社ライブラリーに、台所禁制五十カ条と言うのがある。

その五十カ条の最後は、親切が大切だと言っています。

親切のこと
ミツ「奥様、第五十番はなんでございますか」
妻君「お料理をするときは、親切の心を忘れるな、ということですよ。なんでも、お料理は人の口へ入れるものだから、こうしたら毒になるだろう、これではお体に悪いだろうと親切に考えてこしらえなければなりません。煮物の中から髪の毛がでたり、吸い物の中から蠅が出たりするのは親切がたりないからです。お料理はおいしくこしらえるというよりも、親切にこしらえることを第一としなければなりません。昔の人が、よく食べ物はこしらえるところを見たらきたなくて食べれないといったが、それではいけません。こしらえるところを見るとつまらないお料理でも、おいしく食べられるというようにしなけれればいけません。これがなにより肝腎ですよ」
注 現時点では、この親切の心に、栄養や消化、吸収など科学知識も見につけてほしい。

台所重宝記は村井弦斎の小説食道楽の中に書かれてなかから、実用的なものを集めたものです、注は弦斎の娘の米子が書いたものです。出版されたのが明治三十八年ですが、この注は、後書きの日付をみると昭和五十二年となっています。

最近の食材は非常に便利なています。
スーパなどで買い物をすると、大根など土のついているものはなく、野菜がきれいに洗ってあります。しかもすでにすぐ食べれるように刻んで在るものもあります。
また、すでに料理された総菜も売ら、レトルト食品が大繁盛しています。
私の子供のころは、米の脱穀や精米の技術も今ほどよくなかったので、米に小石が混じっていることがありました。それに気づかずに炊いて食べると、口の中でガリとして、歯が砕けそうになり、非常に不愉快になったものです。親切な心気配りをしないと、小石を食べてしまうことになるのです。
ですから、米を研ぐときに、「一粒も見逃さず一粒も流さず」という言葉がありました。世の中便利になり、いまは無洗米とかいう洗わずに炊ける米が売られているぐらいです。

それによりだんだんと、料理をする気遣いがなくなり、親切な料理とは贅沢な食材を使い、おいしい料理だと思いこんでしまいます。それにより、本当の親切な料理とは何かが、わからなくなってきているのではと思います。

西行忌 

西行忌 
願はくは 花の下にて 春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ

西行法師の亡くなられた日です。
鳥羽上皇に使え、北面の武士といわれた佐藤義清です。
23歳の時に出家して僧侶になりました。

その、西行が詠だ歌です。
この歌は、「きさらぎ」ですから二月で、「望月」ですから十五日ですね。太陰太陽暦で言うと満月です。

昔の人の忌日を、新暦の暦で考えていくと、西行法師のこと歌を詠みながら思うと、しっくと来ないところがありますね。

このことからこの歌は、二月十五日に詠まれたので、亡くなった日の前日のに読まれたものです。


西行法師の歌碑が嵐山にあります、百人一首の歌碑です。
以前ブログにもかきましたが


 「嘆けとて 月やは物を 思はすうる
        かこち顔なる わが涙かな」

             です。

まだまだ寒い日があり、ことしは私の住んでいるところでも一週間に2回も大雪がふりました。しかし、日の出の時間をみると毎日1分近く日の出る時間が早くなっています。もう春も目の前まで近づいているようです。

学を為す緊要は、心の一字に在り

佐藤一斎「言志四録」の「言志晩録」の一番はじめに次のようにある。

為学緊要 在心一字 把心以治子心 謂之聖学
為政著眼 在情一字 循情以治王道 王道聖学非二

学を為す緊要は、心の一字に在り 心を把って以て心を治む 之を聖学と謂う
政を為す著眼は 情の一字にあり 情に循って以て情を治む 之を王道と謂う 王道、聖学は二に非ず。


物事を学ぶことに於いて、まずは大切なことは「心」という一字にある。自分の心をしっかりと理解しておいて、物事を学び治め理解する、これが知徳にすぐれた人の学びかたである。
政をするにおいては、第一に気をつけない点は、「情」の一字にある。表面からは捉えきれない人の微妙なありさまに従って、政を治めることを徳のある政治という。
ととのつまるところ、王道政治も聖者の学も同じことである。

日常の生活に於いて、法律で決められた約束事もあれば、そのように明文化されたものでなく、暗黙の了解のもとの約束事もあります。物事を法律どうりに取り締まれば、なかなか自由に物事が進まなくなります。そのめ殆どの法律は曖昧な記述のところが多いのでしょう。そして、其の曖昧の部分を埋めるのが、暗黙の了解のもとの約束事でしょう。しかし、その暗黙の約束が乱されてしまうと。権力を持った人は、法による約束事の厳格な運用をしいてき、統治される側も仕方ないとあきらめてしまいます。

しかし、人の世の中というものは、その法律を間を縫う、暗黙の約束の行われ方だとおもいます。
夏目漱石の「草枕」の冒頭は、「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい」で始まります。

この佐藤一斎のように、 心を把って以て心を治め、情に循って以て情を治めるのであれば、角がたつことも流されることもないでしょう。そして無理強いすることもなく窮屈になることもないでしょう。
そして「王道聖学非二」で政治も法律の運用も、科学で発明されたものも学問や信仰なども、人の心から離れてはならないし、それは人の心からでるものですから、その一人一人の己の心のあり方をよく修めていくことが大切名のでしょう。

阿漕

能の曲目に「阿漕」というものがあります。

物語の内容は、伊勢大神宮に供える魚を捕るので、阿漕が浦での殺生を禁止されてます。しかし、阿漕という漁師は生活のため禁を破って漁をします。そのため柴漬け(簀巻き)にされ海に沈められたと言う話をもとに作られています。

謡曲のあらすじは次のようなものです。
九州日向国の僧が伊勢参りを思い立ち、阿漕が浦にやってきます。ちょうどやってきた老翁の漁師に、ここが阿漕が浦であることを教えられ、「伊勢の海阿漕が浦に引く網も。度重なれば顕れにけり」とこの浦を詠んだ古歌を口ずさみます。すると老翁は「逢ふことも阿漕が浦に引く網も度重なれば現れやせん」と別の古歌を詠じます。
そして、僧が、この浦の名のいわれを聞くと、老翁は、この浦は、大神宮の御膳を調えるための網を入れるので、禁漁となっていたが、阿漕という漁師がたびたび密漁をしていた。その事がわかり阿漕はは捕らえられ節付け柴漬け(簀巻き)にされたことから、ここを阿漕が浦というようになったのだと物語ります。そして老翁はその罪に今も苦しんでいるので弔って下さいと言い、夕暮の海辺に網をひく様を見せながら姿を消します。
僧は不思議に思い、浦の人に先程の老翁の話をすると、きっと阿漕の亡霊にちがいないから回向してくれるように頼みます。僧が、法華経を読誦していると、阿漕の亡霊が四手網を持って現れ、密漁の有様と地獄での苦しみを見せ、救ってほしいと願って、また波問に消えていきます。


伊勢の海。清き渚のたまたまも。弔ふこそたより法の声。耳には聞けども。なほ心には。唯罪をのみ持網の。波ははへつて。猛火となるぞや。あら熱や。堪へがたや。丑三つ過ぐる夜の夢。夜の夢。見よや因果のめぐり来る。火車に業つむ数苦しめて。目の前の。地獄も誠なり実に。恐ろしのけしきや。思ふも恨めし古の。思ふも恨めし古の。娑婆の名を得し。阿漕が此浦に。なほ執心の。心引く網の手馴れしうろくづ今はかへつて。悪魚毒蛇となつて。紅蓮大紅蓮の氷に身をいため。骨を砕けば。叫ぶ息は。焦熱大焦熱。焔けぶり。雲霧。立居に隙もなき。冥土の責も。度かさなる阿漕が浦の。罪科を。助け給へや旅人よ。助け給へや旅人とて。また波に入りにけりまた波の底へ入りにけり。


日常の生活の中で「阿漕だな」と使えば、強欲慈悲で、あくどいことをいいます。
しかし、この能の「阿漕」は、禁を犯したことにより柴漬けにされ、死後も執念の網を曳くことをやめず、地獄で身を焼かれ骨を砕かれ続け、煩悩による苦悶の深さとそのすさまじさが描かれています。
また、柴漬けの刑はお上の執った刑ではなく、漁師たちが阿漕が生きるための行いの累が、自分たちに及ぶのを恐れた漁師たちの私刑です。

何だがだんだん現代社会もそのような私刑が忍び広がってきそうな雰囲気が漂って来ているように感じます。


記事を追加しました。続きを見てください。1

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テーマ : 能楽
ジャンル : 学問・文化・芸術

自ら定むる価

森鴎外の箴言集「知恵袋」という著書があるが、その中の〈自ら定むる価〉というのがある。

そこで、「人の価は人に定めるべきものにあらず、自ら定むべきものなり。」と云う言葉があると書いています。
自分の評判は人がとやかく言って決まるものでなく、自分自信が評価を作り出すものだ。しかし、自分の評判を作り出す人のなかには、「意図的に親しくもないのに、自分は誰それと親交がある。少しばかり教えを受けただけなのに、先生の愛弟子だ」とか言いふらし、自分の価値を高めようとする人がいる。そしてこのような人は一番信用がならないので注意しないといけないと言っています。

そして、これらをする人は、自ら定むべきものを悪用したもので、本当の知恵者から見れば、それらのことは取るに足らないことしている。本当の重要な「自ら定むべきものなり」とは、自分の能力は機会があれば適度にそれを示してということで、むやみにひけらかしたり、逆に自分の能力を控えめに見せたり隠すのよくない。凡庸にしていても人より抜きんでているものがある人は、自然とそれは滲みでてくるものです。

世の中には能力も実力もさほどしかないのに、しゃしゃり出る人はいます。その人の後始末は周りの人がしなくてはず、迷惑至極なものです。そして往々にしてその、しゃしゃり出る人はそれに気づいていないことが多いものです。

五十歳すぎて

「風姿花伝書」 世阿弥

五十有余
この比よりは、おほかた、せぬならでは、手立てあるまじ。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申すことあり。さりながら、誠に得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見所はすくなしとも、花は残るべし。
亡父にて候ひし者は、五十二と申しし五月十九日に死去せしが、その月の四日、駿河の国浅間の御前にて法楽仕り、その日の申楽、殊の外こと花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。
およそその比、物数をば早や初心に譲りて、安きと所を少なく少なくと色へてせしかども、花はいや増しに見えしなり。これ、誠に得たりし花なるがゆゑに、能は、枝葉もすくなく、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ、眼のあたり、老骨に残りし花の証據なり。


昔は、幸若舞の敦盛にもあるように、「人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり げにや一度生を受け 滅せぬもののあるべきか」とあるように。五十を過ぎれば、人生も終盤で後進に道を譲るべきものと言われていたようです。事実50歳まで生きれば大往生と言われていました。私自身も幼少のころは、21世紀を見られるかどうかと思っていました。それが、いまや、日本人の平均寿命は、平均寿命は男性が79.44歳、女性が85.90歳といわれています。
世阿弥は、「風姿花伝書」の五十有余で、50になれば自分が中心になるのでなく、控えめにしろ。いくらや敏腕でも「麒麟も老いては駑馬に劣る」というので、若いものに後進を譲れと言っている。しかし、還暦を過ぎた自分をみても、いまの時代60歳はまだまだ若いです。かといっていつまでも、若い人に後進を譲らなかったら、その組織は硬直していくでしょう。世阿弥は歳をとり老いてくると、舞台で派手に舞っても、容姿が衰えているのは出てしまう。しかし、真の花があれば、控えめに舞っても、基礎があるので花は残り見れるものだ。
野球の投手で云うなら若いころ剛速球を投げて三振で打ち取っていたが、場数を多く経験し打たして獲るように変わっていく選手だろう。また、舞台俳優でも若いころは主演を演じていたが、老齢になると何でもこなせる脇役に徹する人もいる。そのような人の方が息が長く、周囲から見ても花が散らないで、いつまでも心に残っているの人になるのでしょう。
しかし、最近そのような内面の花をに注目し感じ取る人が少なくなったためか、必要以上に外見を飾り演出する人が増えてきたように思う。「風姿花伝の三十四五」に「この比の能 盛りの極めなり ここにて この條々極め覚りて 堪能なれば 定めて天下に許され 名望を得つべし」もあるように。若い時はその若さがパワーが周りの人にも感じ取られてよいものです。
しかい年老いても何時までも、年寄りの冷や水と年齢に逆行するようなことをするのではなく、その自分に相応しい考えや外見や振る舞いをしたいものです。

旦那

10月10日に「雇用特区と歴史ある日本型雇用形態」という記事をかきましたが、その時、野田醤油の茂木家と菊正宗の嘉納家の家訓の事を紹介しました。

日本の昔からある、主人と使用人の関係について、考えさせられる話が、上方落語の桂米朝などが、演じている話に「百年目」でそれを窺えます。

話は「船場の商家の丁稚に、小うるさい小言を云う堅く真面目な番頭がいた。ある日、その大店の主人が知り合いの医者と花見ををしていると、店の真面目な番頭が、芸子を引き連れ遊んでいる所に出会ってしまう。番頭は店では真面目で堅い番頭と通っているので、罰がわるくひれふして土下座して訳の分からぬ挨拶してしまう。主人は番頭に気遣って付きまとっている人に、さらりと挨拶をしてその場を去ります。番頭は酔いも一片に醒め店に急いで帰ります。店に帰った番頭は、あのような醜態をみせたのだから暇を告げられると思って、呼び出されるのはいつかと気をもんでいた。主人は店に帰り一晩中大福帳を調べ、帳簿に不審な点がないか見たが一点の曇りもなかった。」そして、翌日の朝番頭を呼びだし、お寺の法談で聞いてきた「旦那」と云う言葉の謂れについて語るのです。

その内容は、「南天竺に赤栴檀(シャクセンダン)」とうい立派な木がある。しかしその根元に「難エン(クサカンムリ+廷)〇草(ナンエンソウ)」という見苦しい雑草が生えている。赤栴檀はいいが難エン草は見苦しく目障りなので、全部刈り取ってしまった。すると、赤栴檀はだんだんと枯れていってしまった。これはつまり、難エン草が繁っては枯れるのが赤栴檀にとってまたとない良い肥料になっていたのや。また赤栴檀がおろしてやる露が下に茂る難エン草にとって又とない肥やしとなって栄える。このように持ちつ持たれつで有無相持ちということで、店の主人はこのようでないといけないので、栴檀のダンと難エン草のナンをとって、「ダンナン」という言葉がここから生まれたそうじゃ。
店の主人が赤栴檀で番頭が難エン草。また番頭が赤栴檀で丁稚が難エン草じゃ。主人のわしが赤栴檀でそなた番頭が難エン草じゃ、この赤栴檀はそなたの難エン草のおかげで、えらそうにここにおられる。店の奥で偉そうにしているが、難エン草に露をできるだけ降ろしてあげよと心がけているつもりじゃ。・・・・  。」

このはなし、先日ブログに書いた老舗の話。「使用人を家族と思え」「主人と使用人は枝と幹と思え」。まさにこの栴檀と難エン(クサカンムリ+廷)〇草の関係ですね。日本のほとんどの企業は組織は現場で働く者のやる気をどう出すかにあれこれと心を配っています。中には今問題になっている、ブラック企業などもあるでしょうが、多くの企業は業績を上げるためにも厚生環境を整えたり、従業員のやる気を高め達成感や成熟感を持たせることに腐心し、一人一人に責任感を高く持つように取り組んでいます。
これは、企業だけでなく他の組織もおなじです。サッカーや野球などでも監督と選手の関係などは、企業以上に赤栴檀と難エン草は如実で選手のやる気が重要になってくるでしょう。
また、組織だった集団でない地域社会もそう思います、みんなが住みよく気持ちよく住める地域は、その地域全員とその中から出てきたリーダなどがコツコツと「ダンナン」と活動しているからでしょう。また、このことは小さな地域社会だけでなく、市町村や道府県の長にもいえるでしょうし、国のリーダにも同じことが言えるでしょう。


ところで、余談ですが、農業でも混植・混作・輪作の知恵というのがあるそうです。一つの作物だけを育て雑草を全部抜いてしまうのではなく。各種野菜とニラやネギを一緒に植えると、虫除けになると言われています。また、キュウリの根本にハツカダイコンを植えるとウリバエがこない。野菜のそばにマリーゴールドを植えると花の強い匂が虫除けになる。などと聞きます。また、レタスとニンジンやエンドウマメとカブを植えるとお互いに生育がよくなるとききます。また、養分が沢山いる野菜にはマメ類を植えると、マメの根には根瘤菌という粒ができ、これは窒素肥料になるいわれ、肥料の沢山いる野菜と一緒に植えるとよいと言われています。そのように白菜と唐辛子を一緒に植えるとか、トマトとセロリー、キャベツとインゲン、ナスとマメ類など、お互いに補完し合ったり、虫よけをし合ったりするそうです。これも当に互いに持ちつ持たれつの「ダンナン」の関係と言えます。

なにも雇主と使用人などの上下関係だけでなく、対等の立場でも同じことが言える思います。いや上下の在り方などは、関係ななくあらゆるものがこの持ちつ持たれつの、「ダンナン」のような関係がこの世の中、いや自然界のいたるところにあるのでしょう。しかし、往々にしてそれを忘れたり、見過ごしたり、見て見ぬ振りをしたりしていることが多いのではないでしょうか。
この船場の大店の旦那のように、謙虚に周りをみて接して行かないといけないと思います。

静かな心 動く心

幸田露伴の「努力論」に次のようにある。

「光に静かな光と、動く光がとがある。静かな光とは密室の中の灯の光のごとなるものである。動く光とは風吹く野辺の焚火の光のごとくなるものである。」
そして、露伴は「静かなる光と動く光とは、その力は同じでも、その働きぐあいは同じではない。」と言う。
現代の部屋の中の明るさをみると、明るい蛍光灯それかそれより明るいLED電灯を使っている。子供のころ夜爪を切るな言われた、暗いので深爪をしてしまうからです。しかし、夜でもLEDを灯ければ明るいのでそのような事はないです。本を読むの明るいので非常に楽です。

そして露伴は、本を読む明かりにつてい次のように言っています。アルコールランプの「室中の灯の光は、細字の書をも読ませてくれる。」そして野外で焚く火の灯は明るいが風にふかれ揺れるので、大きな字も読み難らいといっていいる。
また、強すぎる光についても、露伴は次のように言っている「アーク灯の光は強いけれど、それで新聞は読みづらい。室内電灯の光は弱くてもかえって読みよい。静かな光と動く光とはその働きぐあいに大きな差がある。」
アーク灯は今はすっかり使われる事がないですが、光は強く明るいですが、炎は煌めき揺れ動きます。いくら明るくても、明るくなったり暗くなったりしては、本は読みにくいものです。食事をするには、暗く食材が判りにくかったり、向かいにいる人と表情が判らなかったら、いくら美味しい料理でもその味は半減するでしょう。それでは明るければよいのかと言えばそうではないです。まばゆいほど明るければこれも味を半減させてしまいます。ほどよい明るさと静かな明るさが必要でしょう。


さて、露伴は人の心にも光と同じように、静かな心と動く心があるといってます。
「静かに定まった心の働きと、動いた乱れた心の働きとは、大分に違ふのが事実である。」そして、心も静かな光と動いている光とおなじだと言っています言。
動く心は散り乱れた心で、それには二つあるとして、一つは、昨日は法律家になりたい、今日は医者になりたい、明日は作家になりたと、目標が定まらず心が揺れ動くのをいい、これを有時性の散乱心と言っている。
もう一つは、無時性の散乱心というもので、法律家になりたい、医者にないたい、作家になりたいと、迷いつづけて一時も一つに定まっていない心を言っています。
しかし、この二つの心は、時間の間隔があるかないかだけで、心が定まっていないことにはかわりないと言っています。

その上一つの事をしていても、それに集中できない人もいる。数学の問題を考えている最中にも、昨日見た映画を思い出し、そこに出てきた綺麗な女優が踊る仕草が思い出され気になる。いやいや、今は数学のことを考える時きでそんなことを思っていてはいけないと、心を取り直して数学の問題に取り組む。然う斯うしているうにち、外で犬の鳴き声がすると、今度はその犬のがきになり色々と思いを巡らす。また、我に返り数学の問題をする。
これを気が散ると俗にいい、この気が散つて心の静に定まらないのを、散乱心と言う。この散乱心がいつまでもあるなら、いくら勉強しても身につかない。
しかし、このことは多かれ少なかれ誰でもあることです。多くの人がそうであるが、そのような気持ちだと、何にたいしても充分い物事はできない。というようなことを露伴は言っている。

白隠禅師の「遠羅天釜」の続集で修行の工夫ついて、「工夫モ亦然リ 一人有リ 常ニ趙州ノ無ノ字ヲ挙揚シ 一人アリ、常ニ専唱称名センニ無ノ字ヲ挙スル人ハ 工夫純ナラズ志念堅カラズンバ 縦イ挙シテ十年二十年ヲ経ルトモ 何ノ利益カ有ン 称名ノ行者ハ 打成一片ニ称名シ 純一無雑ニ専唱シテ穢土ヲ観ゼズ浄土ヲ求メズ 一気ニ進ンデ退カズンバ 五日三日乃至十日ヲ待ズシテ 三昧發得シテ 立地ニ往生ノ大事ヲ決定セン」とあります。
要は、修行方には色々あるがどれも同じで、心が揺れ動いていたら何年修行しても同じだが、揺れ動かない静かな心で取り組むなら、四五日で仏智煥発して悟りを得られるというこです。
このように、揺れ動く心であったり、白隠禅師の工夫純ならず志念堅くなれれば、何事も成し遂げる事ができないでしょう。

露伴も次のように言っています。
「とても難解難悟の高遠な理を説いた書物などを読んでも、散乱心では解るはずはない。三十一音の和歌、二十八字の詩でも、散る気で作つてよいものができよう理は無い。
まして偉大な事業や、錯綜した智計や、幽玄な芸術やが、気の散るやうな浅はかあさはかな人の手で成し遂げられようか。どうであらう。おのづからにして明らかな事である。」と。

能の直面(ひためん)

能と聞くと面を被って演じる劇と思いがちだが、面を被るのは主人公にあたるシテ役一人です。また、中には面を被らないで演じるものもあり、それを直面(ひためん)といいます。
世阿弥はその直面について、面を被るものより難しいと言っています。
「風姿花伝」に次のように書かれています。
「これまた、大事なり。およそ、もとより俗の身なれば、やすかりぬべき事なれども、不思議に、能の位上がらねば、直面はみられぬものなり。
先づ、これは、仮令、そのものものによりて学ばん事、是非なし。面色をば似すべき通り道理もなきを、常の顔に変えて、顔気色を繕う事あり、さらに見られぬものなり、振舞・風情をば、その物に似すべし。顔気色をば、いかにもいかにも、己なりに、繕はで直ぐに持つべし。」

面を被らない演目は易しいように思えるが、面を被っていないと、演技をしているとつい、表情を作ってしまうことがある、しかしそれは非常に醜しいもので、上手になってからでないと見られたものでない。全体の動きを客席の様子を感じ取って雰囲気で見せるべきで、顔などの表情をわざわざ取り繕うひつようはなく、平常心で舞うべきである。

面をかけていれば、瞬きや、口の歪みや息の継ぎようなどは隠れてごまかせるが、素顔では隠せないので、日ごろからの修練が大切になってくるそうです。まして、演技しようと目を剥いたり、笑顔を取り付くろったりするのはしてはならないことです。しかい、自然にしようとしても、緊張してしまい顔がこわばったりするので、非常に難しいものとされているようです。

能は直面ものに限らず、粛々と演じられそして、そのなかに一つ一つの舞の所作に、あらゆる物が凝縮され表現されるのですが、素面のより表情が変えられない面のほうが、細かな心象を表すことができるのでしょう。
世阿弥はたしか「花鏡」で「せぬひま」のことについて語っている。「「せぬ所が面白き」など云事あり」といい。演者であるシテの演技と演技の間の、「せぬひま」にも演者として心を研ぎ澄ませて繋いで行かないといい、その繊細な心使いが、自然と観る者に伝わるのであるといっている。

能には「物を見るには胸で見よ、音を聞くには腰で聞け」という口伝がる。また「されば、能をせん程の者の、和才あらば、申楽を作らん事、易かるべし」と言う。短歌や謡いなどの日本の心を持っていれば、能の才能があり演じるのも難しくないというのです。
なんでも、形ばかりにとらわれてしまい、その心を忘れてしまってはならないと言うのでしょう。

自彊不と静坐

先日、斉藤一斎の言志後録に「自彊不息」について書いてあることをかきました。

しかし、「自彊不息」は、坐禅などの静的修養を否定しているのではないです。
おなじ「言志後録」に次のようなことが書かれている。

静坐の功は 気を定め神を凝らし 以て小学の一段に工夫を補うにあり 要は須く気の容は粛 口の容は止 頭の容は直 手の容は恭にして 神を背に棲ましめ 儼然として敬を持し 就ち自ら胸中多少の雑念 客慮 貨色 名利等の病根の伏蔵せるをそう出して 以て之を掃   すべし 然らずして徒爾に兀坐瞑目して 頑空を養い成さば 気を定め神を凝らすに似たりと雖も 抑竟に何の益あらむ

静坐で得られるよいものは、気を落ち着け、精神を一つに纏まり集中しすることで、中国の「小学」にあるように坐をすることへの一段の工夫をすることである。もっと解りやすくいうと、呼吸を調え、口を閉じ、頭から座面までの軸を作って姿勢を正し、手の置き方は恭しくして、精神を背に置き、厳かに敬虔の念を以て、胸の中にある様々な雑念や、外からの迷いや執念や金銭のことや、名誉や利益などの病根が心の中に潜んでいるのを見つけだし、それらを払いのけ消し去らないといけない。そのようなことをせず只単に坐て、目を閉じて、微動もせずに頑な石のように、心を空っぽにしてもうもうと坐っているなら、それは気を沈めて心を一つに集中しているように見えるが、それは何の益にもならないのである。

このことは、何も静坐のことだけでなく、学問やスポーツについても言えるとおもう。形だけをまねてもそれは何のやくにもたたなことを言ってる。


明治時代に日本を訪れ、東北帝国大学で教鞭をとった、オイゲン・ヘリゲルが日本文化を知るために、阿波研造に弓術を学んだことが書かれた「日本の弓術」につぎのように書かれている。
「弓術はスポーツではない。したがってこれで筋肉を発達させるなどということのためにあるものではない。あなたは弓を腕の力で引いてはいけない。心で引くこと、つまり筋肉をすっかり弛めて力を抜いて引くことを学ばなければならない」

「「弓を正しく引けないのは、肺で呼吸をするからだ。腹壁が程よく張るように、息をゆっくりと圧し下げて、痙攣的に圧迫せすに、息をぴたりと止め、どうしても必要な分だけ呼吸する。一旦その呼吸の仕方ができると、力の中心が下方へ移されたことになり、両腕を弛め、力を抜いて、楽々と弓が引かれるようになる」と言い、弓を引いた師の腕は何もしないときと同じように弛んでいた。」

日本の弓は西欧の弓に比べ大きく、弦の力も強いので弓を引くとき、力がいるのでヘリゲルは、力任せに腕で引いていたので的が定まらなかったですが、この阿波研造の教えを受け、形だけでなく弓術の本質を知り得とくしたようです。
何でも形だけを追い求めてもだめで、その本質を知り余分なものを払いのけ消し去り、実践していかないといけないと言うことでしょう。

自彊不息

言志後録 佐藤一斎
自彊について書かれてある
自ら彊めて息まさるは天の道なり 君子の以す所なり 虞舜の孳孳として善を為し 大禹の日に孜孜せんことを思い 成湯の苟に日に新たにする 文王の遑暇あらざる 周公の坐して以て旦を待てる 孔子の憤を発して食を忘るるが如き 皆是れなり 彼の徒に静養瞑坐を事とするのみなるは 則ち此の学脈と背馳す
自彊不息の時候 心地光光明明なり 何の妄念遊思有らん 何の嬰累かい想有らむ

自彊の彊は強い弓のことで強いことです。自彊不息(ジキョウヤマズ)は自分から努めて励んで一刻も休まないことで、易経の乾卦象伝に「天行は健なり君子以て自彊して息ず」とあります。斉藤一斎は言志後録でこの易経の一文を参考にしているのでしょう。
自ら励み怠りなく勤めるのは、天体が昼夜怠りなく運行とするのと同じで、君子としての道である。
例えば舜の帝が早朝から晩まで善行に勤め励んだこと、夏の禹王は道を尽くそうと熱心に努めたこと、湯王が日々「日に新たにする」と言い徳を努めたこと、文王は暇がないほど勉めたこと、周公は旦夕怠らずに勉め励んだこと、孔子は道を得る為に気が奮い立ち食事を忘れたこと、これらはどれも、自彊してやまない現れである。彼のいたずらに静かに心身を養い、眼をつぶって坐ることだけをする者は、則ちその本当の所の教えとは相反するものだ。
人が自ら励み一所懸命に努めているときは、その心は光に満ちあふれ輝いている。そのようなときは妄念や迷いが沸き起こってくることはなく、その誘いからも惑わされることがないし、心配事もなくなる。

日ごろの生活のあり方がどうあるべきか、その日その日を深く考えずに行き当たりばったりと過ごすのはいけない。私は定年で退職してからの生活を振り返ると、このは自彊不息は耳が痛い言葉です。それは自分自身のことなので、自分がその報いをうけ責任をとりるのです。
しかし、世の中を見ていると社会に責任がある大きな組織でも、そのようなところがあるようです。JR北海道の体質もそのようだし、東京電力の原発事故への処理もそのように見えます。そして、東電を監督指導すべき国の取り組みもそのように見えます。民主党が政権を執っていた時に、原発事故が起きましたが、施策もそのようで国民から愛想をつかされました。しかし、いまの自民党が政権を奪還してからも、民主党の頃と似たり寄ったりです。ただ、前政権の行った施策の不具合の結果から、学んでいるところもあるのが救いです。


斉藤一斎はこの所の前書である言志録に次のように言っている。
聖人は死に安んじ 賢人は死を分とし、常人は死を畏れる

聖人は生死に対してそれより高い次元を悟っているので、死に対して安らかである。
賢人は生あるものは必ず滅びることを知っているので、死は生あるものの勤めだと受け入れている。
常人はただ死を心配し畏れ取り乱す。

死に直面することは人にとって究極のことですが、この一斎のことばは普段の生活の中でも同じ事が言えるでしょう。
多くの普通の人は、何か事が起こるとあわててしまい、困惑してしまうことがあります。
しかし、普段からそれらの対策をとっていたり考えていたりしている人は、あわてることなく、リーダーとして行動をする事があります。時々列車事故や集合ビルの火事などが起きたとき、その施設の人がまだ事故に対応していないと、非番の警察官や消防官や教師などが冷静に誘導したというニュースを聞くのもそのためでしょう。
そして、聖人はそれに動じず適切の対処できるのは、その起きた事へのスペシャリストなどで、周囲の人もその指示に従うので、事故の拡大が抑えられるのでしょう。

聖人でなくても、少なくとも賢人にはなっておきたいですね。

飲食は薬の如く

「言志録(佐藤一斎)」につぎのようにある。

126
周官に食医有りて飲食を掌る 飲食は須らく視て常用の薬餌と為すべきのみ 「食は精なるを厭わず 膾は細なるを厭わず」とは 則ち是製法謹厳の意思なり 「食の饐してアイし 魚の餒して肉の敗るるは食らわず 色の悪しきは食らわず 臭いの悪しきは食らわず」とは 即ち是れ薬品精良の意思なり 「肉多しと雖も 食気に勝たしめず」とは即ち是れ君臣佐使分量の意思なり
127
聖人は強健にして病無き人の如く 賢人は摂生して病を慎む人の如く 常人は虚羸にして病多き人の如し
128
身恒に病む者は 其の痛みを覚えず 心恒に病む者も 亦其の痛みを覚えず

周官とは、周公が著したとされる書物のことで、そこには「食医」という役職のことが書かれあるという。仕事の内容は食事のことと調剤のを掌る人である。現代で言うと調理師であり薬剤師を兼ね備えたものであろう。それも単に栄養計算をするだけでなく、スポーツ選手の食事や高齢者などの施設での食事の調理師であろうか。そしてこの食は日常食べる食事は、薬と同じように考えないといけないといっている。中国には薬膳と言う言葉があるが、それは特別なものではなく、医食同源と言うことが書かれてある。そして、「食は精なるを厭わず 膾は細なるを厭わず」と書いてあるのは、手間暇かけて注意深く調理しなくてはならないと言うことであるという。道元の「典座教訓」に次のようにある「凡そ物色を調弁するは、凡眼を以て観ること莫れ 凡情を以て念うこと莫れ 一茎草を拈りて宝王刹を建て 一微塵に入りて大法輪を転ぜよ」とあるのもこのことであろう。
道元のこの言葉は「ちょっとしたどのような食事でも、食事を調理するのには支度の時から、凡夫の考え方で見てはいけないし、心の持ち方もそうであってはならない、一本の草を取るような仕事でも、そこには仏道のはっきりとした姿・形を見て取れるもので、どのような狭い調理場であってもそこには大法輪があるので疎かにしてはいけない」です。

このあとに、「腐ったものや新鮮でないものは、食べてはいけない。色のわるいものや、臭いのわるいものも食べてはいけない」。とあるがこれは材料をよく精選して選ばないといけないということ。
そして、食べ方は、副食の肉などは、飯より多く食べてはいけないということは、食のバランスをよっく考え適度な良で満足しなくてはいけないといっているのでしょう。


次にあるは、本当に悟りを開いたひとは、健康で病気にかからない、賢く徳のある人は養生に心がけ摂生して病にかからないように心がけている。しかし、常人は美味しいものに目がくらみ食べ過ぎたりして、身体が弱く病気をしやすくなる人である。いわゆる生活習慣病にかかりやすいような人のことでしょう。


そして最後の、絶えず病気をしている人は、身体がそれになれてしまっているので、痛みをかんじなくなる。よく風邪を引いたことも感じないぐらい身体が弱っている。などというのはこのことでしょう。
心の病も同じことで、日ごろよからぬことばかり考えていると、悪いことをしても罪の意識がなくなり、良心の呵責が麻痺してしまう。


この三つ目の心のことを読むと、先に書いてあることは、身体のことだけでなく、聖人は健全な心を持ち、賢人は自ら修行に励み心の病にかかりにくい、しかし常人は絶えず色々な煩悩や欲に惑わされてしまうとも読みとれるとおもう。

狂言 「盆山」

狂言に「盆山」という曲があります。

近頃、世間では盆山(盆栽)が流行っていて、とあ何某が盆山をたくさん持っている。このあたりに住む一人の男が羨ましく思い、その知人の男に譲ってくれと所望するのが一つもくれない。ある日、知人の何某の家に忍び込むが、正面は戸締まりが厳重なので家の裏手にまわり、垣根を破り忍び込む。たくさんの盆山のなかから欲しいのを物色していると、主人が気づき盗人が入ったと騒ぐ。盗みに入った男は盆山の陰に隠れたつもりだが盆山は小さいので丸見えである。主人は盗人が兼々盆山を欲しいと言っていた男と知ると、憎いやつと散々なぶってやろうと考える。「盆山の影に隠れてたのは、人と思ったが猿だ」、「いや犬だ」と見立てる。すると男はその都度猿や犬の鳴き真似をする。主人は「よくよく見れば猿でも犬でもない、鯛じゃ鯛には鰭がある。鰭を見せろ鰭がなければ人であろう、鉄砲で撃ち殺してしまおう」。すると、盗人は扇子を鰭に見立てて動かす真似をする。主人は「鰭をたてた後は必ず鳴くものだ、鳴かなければ人であろう。弓矢で射殺してやろう」。すると盗人は苦し紛れに「タイタイ」と啼と、主人は「鯛は「タイ」と啼ものか、この横着者と捕らえてやる」。ゆるいてくれいゆるいてくれいと逃げ。やるまいぞやるまいぞ。

盆山(盆栽)を愛でる人は、心落ち着き、穏やかな気持ちの持ち主であろうでしょう。
しかし、ここに登場するのは、盆山を物惜しみするケチと、人のものを無断で失敬しようとする盗人です。
しかも、人が盆栽の影に隠れることができるまでもなく、隠れてしまう浅はかさで、猿や犬と言われるままに、物まねをする愚かさです。また主人のいたぶりかたも、盆栽を愛でる人としては、いささか品に欠けるようにおもいます。
しかし、世知辛い間の世の中、この主人と盗人のような人が増えて入るようにもおもいます。

盆栽をする人はよくご存じだと思う、「盆山十徳」という五言十句があります。私はこの句がいつ頃から言い伝えられているか、日本で作られたのか中国から伝わったのか知りませんが、盆栽鑑賞の要諦と世界観がこの十句に詰まっているといわれています。

「盆山十徳」
益精延愛顔  精を益にし愛顔を延ばす
助眼除睡眠  眼を助け睡眠を除く
澄心無穢悪  心を澄まして穢悪なし
草木知春秋  草木に季節のうつろいを知る
不遠見眺望  遠からずしえ眺望を見る
不移入岩崛  移らずして岩窟に入る
不尋見海浦  尋ねずして海浦を見る
迎夏在納涼  夏を迎えて納涼あり
延年無朽損  齢を延ばして朽損なし
愛之無悪業  之を愛でれば悪業なし

記事を追加します。

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武事は専ら武芸に在らず 

武事は専ら武芸に在らず 文学は必ずしも文籍に在らず
           言志録  佐藤一斎

武事とは武芸、武術のことで、国で言えば軍事力と言っていいでしょう。しかし、本当の軍事力はそれを使わない外交力であると思います。一斎は本当の武事は武芸ではなく、その武術の精神にあると言いたいのでしょう。
そのことは、後に書かれている、文学もその書かれた文章や書物などにあるのではく、そのものの書かれた内容の真髄にある、から分かります。

一斎の武事とは武士道の事とも言えるでしょう。
江戸時代、封建制度のなかで、主従関係の絶対と、農工商三民に対する治者としての精神と行動を規範するもであり、それがあったからこそ庶民は身分が低く貧しい浪人武士も、武術に励み尊び、性行が正しく恥を知る心が強く、芯があり強くしっかりしている武士を尊敬できたのでしょう。そして武士も武士として誇りを持っていたので、時代劇などで侍が刀を振り回しているのが描かれることがありますが、町民のいる市中では武士は決してそのようなことをしなかったようです。無暗に武力腕力を使って解決するのは、武士として恥ずかしいこととされて、農工商三民を治める者としての自覚があったのでしょう。またそれが明治維新ご士族として事業を興したり議会に参加しました。そしてそれは上級武士だけでなく、下級武士も貧しいなかそれなりの自尊心や誇りがあり、武家社会の解体により武士として廃業してしまても。大きく世の中が乱れることはなかったようです。

このことはそのまま現代の政治家などに当てはめてられませんが、軍事力強化を唱える政治家には、軍事力の根本は平和を望む外交が基本であると、この言葉を読んでもらいたいものです。

シリアの内戦で化学兵器が使われたとして、正義の国を自負するアメリカは、軍事介入も辞さない様子を見せています。しかし今までのベトナム戦争やイラクなど過去の事実をみても、解決されることはなく逆に問題を大きくし、アメリカ自身も傷を負います。シリアの政府側と反政府側の両者が一つのテーブルに着くように、国際社会は働きかけるべきでしょう。そのためにもロシアや隣国のリビアなどとの連携していくための外交努力が重要になってくるでしょう。

武事は専ら武芸に在らず であり、活人剣を持ってすることで、その精神が大切ですが、だんだんその精神を取り違えてしまうことがないように願います。

克己の工夫一呼吸の間

言志録  佐藤一斎

申申夭夭の気象は 収斂の熟する時 自ずから能く是くの如き
春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛む
克己の工夫は一呼吸の間に在り
操れば則ち存するは人なり、舎つれば則ち亡ぶは禽獣なり、操舎は一刻にして、人禽判る、戒めざる可けんや


揺ったりして、和らぎ喜ぶ気分は。精神修養が十分熟した時にこそ、自らこうなれるものであろうか。
春風の和やかさを以て人に接し、秋霜のするどさを以て自らを粛正する
克己の工夫は、一呼吸の間にある
人としての信念や主張を守ってつらぬくのは人である。これを捨て去ってしまえば禽獣と変わりがない。操守操舎の違いは一刻の違い、一呼吸の違いからくるもので、それだけで人と獣との違いが出てくるのだから、このことは強く戒めとしておくべきだ

言志録にこのように書かれてありました。
人として生きるには、その人の倫理観や道徳観が大切で、それに基づいてどれだけ生きているかにより、その人が人として生きれるのか、そこいらの禽獣と同じであったり、煩悩に貪欲な亡者になるかの分かれ目だと言える。
そして、佐藤一斎さいは克己すなわち、意志の力で、自らの欲望や邪念に打ち勝つことは、難しい言われているがただ、呼吸の違いによりその分かれ目が在るといっている。それは、揺ったりとした呼吸が、心が和らぎ精神が十分修養するのに熟してくるものだと行っている。

「一房の葡萄」  有島武郎

ブドウのお話を一つ。

「一房の葡萄」  有島武郎

あらすじです。

 絵を描くのが好きな小学生がいました。その子は横浜の山の手にある、西洋人の住んでいる異人館が建ってい街の、外国人学校に通っていましした。そのため先生は西洋人ばかりでした。その子は毎日、ホテルや西洋人の会社が並んでいる、海岸の通りを通って通ていました。海添いは軍艦や商船などが一杯停泊していました。
そして、少年は岸に立って景色を見ると、絵を描くので。しかし、透き通る海の藍色と、船の喫水線の洋紅色は、どうしても少年の持っている絵具では出ませんでした。
そして、少年は思うのです、友達のジムが持っている舶来の西洋絵具ではそれが出るだろうと。そう思うとどうしてもその絵具の藍色と洋紅色が欲しくてたまらなくなりました。
思えば思うほど2色の絵具が欲しくなる気持ちは高まるばかりでした。ある時教室には誰もいないので、そのジムの机のから2色の絵具を自分のポケットの中に入れてしまいました。
そうすると、授業の鐘がなりみなが教室に入ってきました。授業中少年はジムのことが気になって仕方なかったです。周囲をみると、絵具を盗んだことを誰も気がついていないようで、気味が悪いような、安心したような心持ちでいました。少年は大好きな若い女の先生の言葉などは耳に這入りませんでした。そして一時間がたち授業が終わり先生はでていきました。
少年はホットしていると、クラスで一番大きい子が「ちょっとこっちにお出で」と肱の所を掴まれていました。少年の胸は宿題を怠けたのに先生にそ氏名された時のように、胸が震え始めたが、出来るだけ知らない振りしながら、仕方なしに運動場の隅に連れて行かれました。
そして、
「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出せ。」
少年は「そんなもの、僕持ってやしない。」すると、ジムが、「僕は昼休みの前にちゃんと絵具箱を調べておいたんだよ。一つも失くなってはいなかったんだよ。そして昼休みが済んだら二つ失くなっていたんだよ。そして休みの時間に教場にいたのは君だけじゃないか。」一人がいきなり少年のポッケットに手をさし込み。絵具のかたまりが掴み出されてしまいました。
そして、少年は好きな受持ちの先生のところに、つれていかれました。
ジムが先生の部屋をノックすると、中からはやさしく「お這入り」という先生の声が聞こえ部屋に這入りましたが、この時ほど少年はいやだと思ったことはまたとありません。
先生はたくさんの生徒がやってきたので驚いた様子でしたが、何の御用という仕草をすると、出来る大きな子が少年が、ジムの絵の具を取ったことを先生に言いました・
先生は少年に「それは本当なの」と聞きました。少年は好きな先生に知られるのがつらかったので、本当に泣き出してしまいました。そして、先生は暫く生徒たちを見つめると少年以外の生徒を教室に帰しました。
先生は少しの間なんとも言わずに、僕の肩の所を抱きすくめ「絵具はもう返しましたか。」尋ねました。少年は深々と頷きました。再び先生は「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか。」と尋ねると、少年はぶるぶると震えて泣きだしました。
すると先生は「あなたはもう泣くんじゃない。よく解ったらそれでいいから泣くのをやめましょう。次ぎの時間には教室にいないでこのお部屋に居なさい。静かにしてここで私が戻ってくるまで待っていなさい」と言うと少年を長椅子に坐らせました。授業の始まりの鐘がなったので、教室に行く前に、二階の窓まで高く這い上った葡萄蔓から、一房の洋葡萄をもぎ取って、しくしくと泣いている少年の膝の上に置いて、教室に向かっていきました。
やかましかった外も授業が始まると、静かになると少年は淋しくって淋しくって悲しくなりました。少年はあの大好きな先生を苦しめたかと思うと、本当に悪いことをしてしまったと思いました。葡萄など食べる気になれないでいつまでも泣いていました。
少年はいつの間にか眠ってしまい、肩を軽くゆすぶられて眼をさましました。先生は笑顔を見せて僕を見おろしていられました。そして先生は、「もうみんなは帰ってしまいました、あなたはお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。きっとですよ。」といって、先生は少年ののカバンの中にそっと葡萄の房を入れてました。
次の日少年は中々学校に行く気にはなれませんでした。仕方なしにいやいやながら家は出ました。どうしても学校の門を入ることは出来ないと思いましたが、先生との約束を言葉を思い出すと、少年は先生の顔だけは見たくてしかたがありませんでした。僕が行かなかったら先生はきっと悲しく思われるに違いないと思い少年は学校の門をくぐりました。
学校の門をくぐると、真っ先にジムが飛んで来て、少年のの手を握りました。昨日のことなんか忘れてしまったように、親切に少年の手を引いて、先生の部屋に連れていきました。
少年は学校に行くときっと皆から「見ろ泥棒のうそつきの日本人が来た」と悪口を言われるだろうと思っていたのにこんな風にされると気味が悪い程でした。
二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックしない前に、戸を開けて下さいました。二人は部屋の中に入りました。先生は、「ジム、あなたはいい子、よく私の言ったことがわかってくれましたね。ジムはもうあなたからあやまって貰わなくってもいいと言っています。二人は今からいいお友達になればそれでいいんです。二人とも上手に握手をなさい。」と先生はにこにこしながら二人を向い合せました。少年はもじもじしていますと、ジムは少年のの手を引張り堅く握りました。少年は嬉しさと恥ずかしさが混じり、笑う外ありませんでした。ジムも気持よさそうに、笑顔をしていました。先生はにこにこしながら少年に「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問われました。僕は顔を真赤にして「ええ」答えました。すると先生は「そんなら又あげましょうね。」といって、窓から身をのりだし、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと少年に渡しました。
真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを少年は、何時までもはっきりと思い出すことが出来ました。少年はその時から前よりいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。


生徒指導もこうありたいものですね、特に若い先生に読ませてあげたいです。最近、指導効果を示せとか指導効果を数値で評価するとか、その上に評定をつけて優劣をつける風潮が強くなってきているようです。

この先生は、絵の具を盗んだ生徒に温かく抱きしめて指導しました。そしてその他の生徒にはその当事者がいないところで、どのように諭し教えたのでしょうか。きっと少年の気持ちにも理解を示し、ジムの気持ちにも理解し、周囲の悪いことを許さない人の気持ちにも理解をしめした指導をしたこととおもいます。
ただ、盗んだことが悪いと攻めるのは簡単です、しかしその背景を判って理解しておかないと、再び同じようなことに追い込んで生きかねないです。

道徳心や倫理観や規範意識などというものは、無理やり指導しても身につくものではないです、この先生が指導されたように身の回りで起きる些細な出来事などに、それらの指導の題材がありその中から、このように生徒に寄り添った指導が効果を上げると考えます。強制的に無理やり指導しても表面的に見についたとしても、一番大切なところで差別や蔑みがその中で起きてしまうでしょう。

樹下石上に坐す

仏法の盛なるといふは、面々樹下石上に坐すといえども、各如法に悟り、如法に証するをいふ。  明慧上人

仏の教えに近づくということは、昔から静かな修行場所を奥深い大きな木の下や人気のない岩の上などと言うが、それより一番戴せなのは、悟ることでありその悟りを己のものにすること以外にない。

修行者は山中の樹の下で、岩の上で座禅の場として修行し、山野路傍で野宿出来るものだといわれ、出家修行者の行脚の境涯を例えたものです。この「樹下石上」の語は単に樹の下、石の上のでの場を言うのではなく、どこに居ようと今いるところこそが修行できる場所だということで、その場その場を大切にしないといけないと言うことでしょう。

この言葉は、明慧上人の言葉らしいですが、「鳥獣戯人物画」が有名な京都 高山寺には、「明恵上人樹上坐禅像」(国宝)があります。
その絵は高山寺に、二股に分かれた一株の松があり、恵上人明恵上人は縄床樹と名付け、常々そこで坐禅入観したといわれています。その様子を描いたのが「明恵上人樹上坐禅像」です。

     明恵上人樹上坐禅像
http://www.kosanji.com/image/about/national1_r1_c4.jpg
      「明恵上人樹上坐禅像」

生きとし生けるものを愛し、哀れむ明恵上人が、こんなありえない場所で禅を組むと、小動物は上人の元に集り、草木は瞑想を助けたそうです。この話しを聞くと、ジョットの一つの絵をおもいだしました。今年カトリック教会の法皇がなった、フランシスコ法皇です。聖人のフランシスコはアッシジの聖フランチェスコと呼ばれ、清貧をつらぬき小さな命を大切にしたと言われています。
フランチェスコについては、yahooのブログ「ヤコブのはしご」で紹介されています。

     小鳥に説教する聖フランチェスコ:ジョット

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/5d/dc/moralehistorya/folder/1063765/img_1063765_31666205_0?1363594377
     小鳥に説教する聖フランチェスコ:ジョット 聖フランチェスコ大聖堂
     (この絵は、yahooのブログ「ヤコブのはしご」からリンクしたものです。)

『小鳥への説教』
小鳥よ、あなたたちはすばらしい衣服を
身に付けている
私はよれよれの修道服を着ているが
これとて自分で手に入れたものだ
ところがあなたたちの衣服は
自分で心配したものではない
あなたたちは透明な声で鳴くが
それもまたいい声になろうとして
なったわけではなく
神様がくださったものだ
素直なあなたたちには大きな恵みがある


どちらも、小鳥や仔鹿などと戯れている絵があります。どちらも清貧の聖者に相応しいとも言えるようです。

明恵上人の歌を二首
むらさきの 雲のうえへにぞ みをやどす
     風にみだるる 藤をしたてて
                 明恵上人 

明日は、旧暦の七夕です。夕刻には出ていなかった月が、夜も深まってくると東の地平から月が登ってきます。
そうすると今まで見えていた天の川が次第に薄らいできます。

明恵上人の歌をも一つ。

あかあかや あかあかあかや あかあかや
     あかあかあかや あかあかや月
                 明恵上人 

蜂飼いの大臣 藤原宗輔

古事談 蜂飼いの大臣

藤原宗輔は蜂をたくさん飼っていたので、蜂飼大臣と呼ばれていた。世間ではそのために無駄なことをする人だと囁かれていました。
五月頃に鳥羽殿で蜂の巣が落ちた騒ぎがあった。そのときたくさんの蜂が御前の周りを飛び回りました。そのため御前や宮中の人々は、蜂に刺されまいと逃げまどう騒ぎがありました。
そのとき藤原宗輔が宮中に生えている琵琶の木から一房の枇杷の実を手に取って、琴の爪で琵琶の皮をむいて、差し挙げるとすべての蜂は枇杷の実に集まってきて、ひとかたまりなり、蜂が飛び交うことがなくなりました。
藤原宗輔は蜂のついた枇杷の実を家来に渡し、ことなきをえました。それをみていた鳥羽法皇は「賢く宗輔が候ひて」といっても藤原宗輔を褒め感心された。

鳥羽天皇といえば、父は堀川天皇で、子には嵩徳天皇と後白川天皇がいます。平清盛全盛の時代であり、兄弟である嵩徳院と後白川院との確執をみてもわかるように、権力争いの激しきときです。
それは別として、当時の日本では甘い蜂蜜は貴重で養蜂技術も伝わって養蜂家はいたと思われれます。しかし、『古事談』ではそれを「無益な事」と人々から嘲笑されているようです。そんななか、鳥羽殿に蜂が大発生して大騒ぎになったが、宗輔だけが冷静に蜂の好物である枇杷を差し出したところ、蜂はその蜜を吸っておとなしくなったと伝えています。『十訓抄』ではさらに飼っている蜂の一匹一匹に名前を付け、自由に飼い慣らし気に入らない人間を蜂に襲わせたとしています。
平安時代は、この蜂飼大臣の怨念といい嵩徳院の怨霊などや、陰陽師氏がいて凄まじい時代のように思います。

平成の世は、「穏やかに静かにその姿が完成して現われる」ように政治も社会もあって欲しいものです。

叡智ある唇

天地閒かんの霊みょうなるもの、人の言語に如く者莫し。禽獣の如きは徒に声音有りて、僅に意嚮を通ずるのみ。唯だ人は則ち言語有りて、分明に情意を宣達たつし、又抒のべて以て文辞と偽さば、則ち以て之を遠方に伝え、後世に詔ぐ可し。一に何ぞ霊なるや。惟だ是くの如く之れ霊なり。故に其の禍階を構え、釁端を造なすも亦言語に在り。譬たとえば猶お利剣の善き身を護る者は、輒ち復また自ら傷つくるがごとし。慎まざる可けんや。
言志四録 後録10

人間がこの世で発明した中で、これほど素晴らしいものはないのが言語。鳥や獣はただ声で気持を伝えるだけです。人は言葉で相手に感情や意志を具体的にわかりやすく伝えます。その言葉を文章にすれば、遠く離れた人にみ後世の人にも伝え教えることができます。これは本当に神妙なものです。
ただそのために、それが禍のもとになったり争いの切っ掛けになったりもする。よく切れる刃物に例えると、鋭利な刃は自分を護るために役立つが、使い方が未熟立ったり誤ると自分を傷つけてしまうものであるのに似ています。言葉には充分に気をつけて使うことが肝要だ。


昔から「口は禍の元」ともよくいいます。しかし、このことば、いつも政治家の言葉を聞いていると、実に軽い言葉を発してしまう人が実に多い。それが最近とくに多く感じる。

「雄弁は銀、沈黙は金」と言った、古代ギリシャのデモステネスの言葉に次のようなものがありあます。「皿はその音によりキズの有無を知り、人はその言葉によりその智の有無を知る」
中国の書、太平御覧に「病は口より入り、禍は口より出づ」とあります。

一般の庶民が居酒屋で酒を呑みながら、くだを巻くのと違い公人である政治家は、もう少し自分の言うことに責任を持てないものなのかともいます。

おごれる人も久しからず

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。



平家物語の書き出しです。


これについては特に改めて書き足すことはないと思います。

今の驕れる世の中をみると、今一度この書き出しを充分と、読み直してみたいと思います。



この書き出しは、中学の国語や高校の古典の時間によく読み、暗記をさせれた人も多いと思います。



いまい一度、中学生の純粋無垢な気持ちに振り返り、この冒頭を噛み締め吟じて、今の世の中の在り方を反省してみてはと思います。

テーマ : 日本古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

達人の刀

達人の刀

夫れ通達の人は 刀を用いて人を殺さず 刀を用いて人を活かす 殺すを要さば則ち殺し 活かすを要さが則ち活かし 殺殺三昧 活活三昧也
      沢庵 太阿記

剣の達人は、向かい合うだけで相手は萎縮してしまい勝ち、合い刀ち向かうと相手を適当あしらい、思うままにできる。活かそうとも、殺すとも思いのままにできる。

沢庵和尚は、このように「太阿記」に書いていますが、その「太阿」とは宝剣のことです。そして後には次のように書かれています。
月積み 年久しゅうして、自然暗裡に灯を得るが如きに相似たり 無師の智を得 無作の妙用を発す 正に与にその時 只 尋常之中を出でず 而うして尋常之外に超出す 之を 名づけて 体阿という
      沢庵 太阿記

年月を積み重ねて工夫して稽古を続けると、闇夜に突ぜんん明かりを見つけ、自分のものにできたなら、師匠も教えてくれない奥義を見つけたようなものです。
しかし、多くの衆人は意識するあまり 煩悩がそれらを邪魔してしてしまう。
無作の妙用のように、ただ普段通りにやっている動作や所作や立ち振舞などが、何か作為のあるものが消え去った自然な普通の動作になる、これは尋常な振る舞いであるようで、実はそうでないのです。これが「太阿」というものである。

このことで「太阿」は単なる武器としての刀ではなく、人が本来持っている自由な心の剣のことといえます。そして心の剣は、人を殺すものではなく、人を活かすために用いられるもと諭していますの。
沢庵は、本当の剣の達人は刀を用いて人を斬り殺すことをせず、心の剣でその人の特性などを上手に活用すものであるといっている。

禅語に「殺人刀、活人剣」というのがある。
こちらは「人を殺し、活かす」ということですが、殺すは己の心の貪欲な妄念を取り去り殺してしまい、それらに囚われない自由な心を育て己を活かすということです。

謡曲 碇潜

昨日、平家物語の安徳天皇入水のことを書きましたが、能に「碇潜」と言うのがあります、壇ノ浦の戦いを題材にしたものです。

あらすじは次のようなものです。
平家に縁のある僧が一門の弔いのために壇ノ浦を訪ねます。途中で年老漁師に出逢い便船し、僧は源平合戦の物語を所望すると、老人は能登守教経が義経を狙ったが八艘飛びで逃げたために討ち漏らし、ついには源氏の兵を両脇に挟んで入水した有様を語って自らの回向を頼んで消えて行く。
僧が夜もすがら弔っていると平知盛 二位殿 大納言の局の亡霊が現れ、長刀を振るって奮戦した様子、碇を戴いて海底に沈んで行った最期の様子、安徳天皇の入水の様子を見せ、平家滅亡の様子を見せて消えます。


この謡曲「碇潜」のなかで、新中納言知盛が、二位殿にもはやこれまで、浪の底沈んで一門供奉し申す。と言うと。

クセ> 涙を抑へて宜へば。二位殿は聞しめし。心得て候ふとて。しづしづと立ち給ひ。いまはの出立とおぼしくて。白き御袴の。つま高う召されて。神璽(八尺瓊勾玉)を脇に挟み。宝剣(天叢雲剣)を腰にさし。大納言の局に。内侍所を戴かせ。皇居(安徳天皇の玉坐)に参り脆き。いかに奏聞申すべし。此国と申すに。逆臣多き処なり。見えたる波の底に。龍宮と申して。めでたき都の候。行幸をなし申さんと。泣く泣く奏し給へば。
シテ> さすが恐ろしと思しけるか。
地「龍顔に御涙を。浮めさせ給ひて。東に向はせおはしまし。天照大神に。御暇申させ給ひ。其後西方にて。御十念も終らぬに。二位殿歩みより玉体を抱き目をふさぎて波の底に入り給ふ。恨めしかりし事どもを。語るもよしなや跡弔へや僧たちと。夜すがらくどき給ひしに。俄にかきくもり。虚空に鬨の声きこゆ。
シテ> すは又修羅の。
地「合戦の始まるぞや。
シテ詞> 波の上に浮び出でたるは何者ぞ。なに修羅の大将無明王とや。あらものあらものし上北面下北面。宰相三位弁の蔵人。物故の百官たてをつき。あれ逐つ払へ。又修羅の嗔恚が起るぞとようらめしや。
とあります。
安徳天皇を抱いた、二位殿(清盛の妻時子で安徳天皇の母)が、歩み板を進み、西方浄土の方に向かって念仏を十辺繰り返すか返さないうちに入水する。すると、戦死した平家一門の霊が、悟りを妨げる無明の煩悩が怒りとなって、海面の波間に漂い起きるる。


何とも悍ましい光景です。現世の今、未来は明るいと耳に心地よい言葉を聞かせれていますが、先進国では最悪の財政状況、高齢化でますます福祉財源は膨らみ、少子化で労働人口は減り、企業は生産拠点を海外に移し、日本国内の生産力技術力は落ちるばかりです。

国民は経済成長など耳触りのよい言葉に期待しています、しかしそのはんめんほとんどの人は疑いの気持ちもあります、それをわかっていながら何度でもだまされてみよう、竜宮や西方浄土に行けると夢みています、何とかならないものかと思います。

二位の尼の入水

平家物語によれば
安徳天皇は、壇ノ浦の合戦で源義経に討伐されてしまいました。

その時、安徳天皇とともに入水したのが、平清盛の妻、建礼門院・平徳子の母、そして、安徳天皇の祖母である二位の尼殿である平時子でした。三種の神器の「神璽(勾玉)」「宝剣(草なぎの剣)」を携え、安徳天皇を抱きました。

「われは女なれど、敵の手にはかかるまじ。安徳天皇のお供をする。御志を持つ人は、急ぎ続きたまえ」
八歳の安徳天皇は、
「尼前は、われをどこへ連れて行こうとするのだ」と尋ねると。
時子は、
「君はいまだ知らないのですが、前世の十善戒行の御力で今、万乗の帝王として生まれました。されども、悪縁に引かれ、御運すでに尽きました。まず、東へ向かって手を合わせ、伊勢神宮においとまを申してください。その後は、西へ手を合わせ、西方浄土の迎えがくるように、念仏してください」
さらに時子は、
「この国は、粟散辺土と申し、もの憂いところです。あの波の下にこそ、極楽浄土という、めでたい都があります。そこへ、お連れして参ります」といい、安徳天皇を抱き
「波の底にも都がございますぞ」言って、海の底の水屑となりました。

この国は前政権党の時から、粟粒が散らばる辺鄙な国となり、思うように物事が進まず息苦しいところです。波の下には一切の苦しみや悩みから解き放たれた安楽の世界があり、これからそこへつれていってあげる。
選挙に大勝た与党たちは言っているようです。

しかしそこは西方浄土でも極楽浄土でも竜宮でもなく、ただ、平家の恨みと苦しみを甲羅に秦武文の怨みを抱いた霊であるといわれる武文蟹(平家蟹)が貝を背負って身を隠しながら生きている場所でした。


しかしそこは西方浄土でも極楽浄土でも竜宮でもなく、ただ、甲羅に秦武文の怨みを抱いた霊であるといわれる武文蟹(平家蟹)が棲んでいました。そしていまも平家の恨みと苦しみをも甲羅に背負った平家蟹が、貝を背負ってその怨霊の醜い甲羅を見せまいと、身を隠しながら生きているるのです。

テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済

藤原陳忠坂より落ちた話

信濃守藤原陳忠、御坂より落ち入りし語
今昔物語 巻第二十八 第三十八 

今は昔、信濃守藤原陳忠と言う者がいた。
任期を終え国元に帰る行列は、人馬の数 数知が分からないぐらい長い列だった。
途中、深い谷を越える時に藤原陳忠の乗った馬が、懸橋の端の踏み外してしまった。そのため、陳忠も馬諸共にま逆さまに谷底に落ちてしまった。家来たちはこんなに深い谷に落ちたのだから生きてはなかろうと思ったが。
谷の脇に生えている二十尋もある杉木の谷に突き出ている木の枝から谷底を見ると、陳忠は怪我一つもしていない。家来たちは谷底から助けようと思ったが、下に降りる道が一つもなく思案していると、下からなにやら陳忠の叫び声がする。よくその叫び声を聞けば「旅籠を下ろせ」と叫んでいる。
そこで、家来たちは旅籠に長い縄を結わいつけ旅籠をおろした。
しばらくして、「旅籠を上げろ」と叫び声が聞こえる。家来たちは旅籠を引き上げるが妙に軽く不審に思いながらもあげると、駕籠の中には陳忠おらず、平茸が山のように入っていた。
再び「旅籠を下ろせ」と叫び声が聞こえたので、家来たちは再び旅籠を下ろすと。また、下から「引き上げろ」と声がしので家来たちは旅籠を引き上げると。
そこには、両手いっぱいに平茸を持った陳忠が乗っていた。家臣たちは無事に陳忠が引き上げられたことを喜びあい、陳忠に問うた「あの平茸は何かゆわれがあるのか」と。陳忠は「馬は真っ逆さまに落ちtいったが、自分は木の枝に引っかかり、その枝を見ると、其の平茸が沢山生えていた。自分が引き上げられこの平茸をこのまま見捨てるのは忍び難く、まずは旅籠いっぱいにいれて吊り上げさせた」。そしてさらに、「汝らよ宝の山が目の前にあるのに、それを見過ごしてそのままにしておくようなことがあろうか、ほっておいたら実に損をした気分になってしまう」。と。
これを聞いた家臣たちはみな、陳忠は信濃の任期中に取れる物は全て取ったに違いないと想像して苦笑しました。


藤原陳忠はこの話しにより、利権を貪り食う人物の代表のように見られています。

いつの時代も己の欲にかられて利権を貪り食う人はいるものです。しかし、民主主義が行く渡り法治システムが機能しているくにでは、そのような輩は少なくなってきているものでしょう。そのような人がでてきても、法の下での権力機構は許さないでしょうし、その網の目を潜ったり抜けたりするものはマスコミが見逃さないでしょう。
また、今はグローバルなSNSのソーシャルネットワーキングサービスの普及により、庶民も声を出しやすくなっています。ブラック企業などが問題になっていますが、人を食い物にして己だけが儲ける人たちも、それらにより何れ見過ごされないように、多くの市民は広く深い目でそえらを見て、声を出すときは声を出さないといけないでしょう。そうしないと、眠れる獅子のままでサーカスのライオンのようにいつまでも言いようのされてしまうばかりです

テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

植福の説

幸田露伴は「努力論」で、福には「有福」「惜福」「分福」とがあり、「有福」は、天に矢を射るように、その福の力が劣れえると落ちてくる。そこで大切なのが「惜福」「分福」だと書きました。
そして、さらに露伴は「植福」が一番大切だと書いています。
「植福」とは何かというと、露伴は次のように書いています。
「我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情報や知識を寄与する事をいうのである。即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである」。
すなわち「植福」は、今現在の福ではなく将来の福の殖産で、ある日の幸せためのものです。今の時点から幸福の種を蒔いて精進しすること。いずれ過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分があるのですから、今から良い種を蒔き続ければ、ある日に芽がでるのです。

露伴は「植福」には二つあると書いています。
「予は単に植福と云つたが、植福の一の行為は、自ら二重の意義を有し、二重の結果を生ずる。何を二重の意義、二重の結果といふかと云ふに、植福の一の行為は、自己の福を植うることであると同時に、社会の福を植うることに当たるから之を二重の意義を有するといひ、他日自己をして其の福を収穫せしむると同時に、社会をして同じく之を収穫せしむる事になるから、之を二重の結果を生ずると云ふのである。」

要は、植福も二つあり一つは、自分のため、そして一つは社会のためにあると言っています。

そして、露伴はリンゴの木を植えることに例えて、
庭に一のリンゴの木あるするとすれば、リンゴの木は毎年花が咲き、実をならしリンゴを味わうことができる。これを有福という。
そのリンゴの実をみだりに沢山ならすのではなく、木の堅実と負担をかけすぎないために間引きしたりするのは、惜福である。
リンゴの実が沢山成ったときは、自分だけで食べるのでなく近所の人や友達に頒つのが分福である。
そして、植福とは、新にリンゴの種を播きて育てることや、挿し木や継木をして将来実をならせることが植福である。また、悪い木によい木を接いで、美味しい実をならせるのも植福である。

植福とは育てることであり、その育て方によって福が沢山にもなり、少ししか福がないこともあるのです。

有福、惜福、分福、植福とあるが、どの福も大切なものですが、特にこの植福のあり方が、依然と比べ変わってきているように思える。それは、日本だけにいえることではなく、経済が発展してきている国ほど、この三つの福も相手のことを考え思いやる福が薄れて、自を重きに置くようにきているようです。
これは、産業が未発達だとものがなく、周囲の誰もが貧しいのでものを共有して過ごしていた。しかし産業経済が発展しものがあふれてくると、所有欲が強くなり、己のための福を主きに起き考えるようになるからだろう。ただ最近若い人たちの間で、シェアー仕合という考え方が生まれてきているようです。自分で独占するのでははく、互いに融通しあい共有しあうことは、生産して消費は美徳の考えを変え産業構造も変える可能性も在るように思えます。

生ける物を殺し遊び楽しまんは畜生の類

大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、嫉み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。
すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。

徒然草  吉田兼好

だいたい生き物を殺し、傷めつけ、闘わせて、弄び楽しもうとする人は、畜生残害と同類である。全ての鳥や獣から、小さな虫までも、意識してその様子に眼を向けて視ると、子を思い、親を慕い、夫婦連れ添い、嫉み、怒り、欲など多く、己の身を気遣い、命を惜しむこと、もともと備わったものだけに人よりも激しい。それらを苦しめ、命を奪うことは、大変痛ましいことだ。
全ての生きるもの対して、慈悲の心を持たないのは、人として守り行うべき人道に反するといえる。


人の行いをみてみると、今の世の中に戦争や争いが渦巻き、人を騙して儲けようとしたり、人を貶めて自分だけの利をえたりする人が実に多いことです。
それらとは関係ないと、平和の中で涼しい顔をしている人も、毎日の生きる糧においては、生き物の命を奪って生きていることを忘れている人が実に多いことと思います。

動物を見世物として殺したり、いたぶったり、格闘させて喜んでだりすることがあります。よくよく考えるとそのようなことをすることは人間のすることではない。畜生がお互いに噛み殺し合っているのと同じだ。この世に生きとし生けるもの全て、鳥獣から、一寸の虫までもが、自分の生命を維持するために他の生命を奪い食べている。そのうえ、子孫を残すために子を守り懸命に生きています。それを人間のわが身の勝手で、動物をいたぶり殺したりすることを平気な気持ちでいるのは異常でしかない。
また、人間同士でも己の欲のために争うのも、動物以下の所業というほかない。人同士の争いだけでなく人間が生物界の頂点だと驕り高ぶり自然をコントロールできると思い込んでしまうのも、この短い命の小さな虫から見れば滑稽に見えるかもしれないです。

テーマ : 日本古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

卒都婆小町

日本で世界三大美人といえば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町と言われます。(世界では元々「クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネ」と言われています。
各国での三大美人は、インドは「メンカ、シャクントラ、ルップマティ」、ギリシャは「アフロディーテ、アテナ、ヘラ」、中国は「楊貴妃、貂蝉、王昭君、西施」です。日本はなぜか世界三大美人といいます。日本人だけとなると「北条政子、日野富子、淀殿」でしょうか、こちらは三大悪女ともいわれていますが。

それはともかく、日本での世界的美人とされる一人、小野小町についてです。
百人一首に
  花の色は うつりにけりな いたづらに
   わが身世にふる ながめせしまに
             小野小町 『古今集』

自分は若い時、絶世の美人だともてはやされたが、年とった今はこの桜の花のように、色はむなしく色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうどこの私の美貌が衰えたようだ、恋や世間のもろもろのことに思い悩んで、花を賞美もせす歌をもよまず自分を顧みることもなく過ごしてしまっている。


能に小野小町をあつかった曲目が幾つかありあます。『鸚鵡小町』『関寺小町』『卒都婆小町』などがありますが、これらは老残憔悴を描いたものです。そして、『卒都婆小町』は、年老いて乞食となったはなしで「衰老落魄説話」として中世に幅広くしられています。


卒都婆小町のあらすじは、つぎのようなものです。

高野山の僧が都へ向かう途中、道ばたの朽ちた卒塔婆に腰を下ろして休んでいる老女に出会います。よく見ると老婆は卒塔婆に腰を下ろしています。僧は、仏体そのものである卒塔婆に腰を下ろしているのを注意し、ほかの場所で休むように促すが、老婆は僧に反論し、仏も衆生も隔たりはない、と説き砕く。僧は老婆の説法を恐れ敬い、三度の礼をして名を尋ねると、それは百歳になろうとしている老婆は小野小町だと名乗ります。
才色兼備で世の男性を魅了した小町も、今は破れ笠に乱れた白髪の憐れな物乞い。しばらく身の憐れを歎いていた小町だが、突然様子が変わり小町に憑いた深草四位少将の怨霊であった。昔小町を慕い九十九夜通い詰めながら、ついに思いを遂げずに死んだ少将の怨霊は、生前の百夜通いの様を繰り返すのだった。
ありし日の、深草の少将の小町の許への百夜通いの有様を語り、あと一夜で死んだ少将の怨念が憑き添いて、小町は狂乱する。しばらくして、狂乱からさめた小町は、これから後の世を願う事は真であり、功徳小善を積み、涅槃の道に進めるよう、花を仏に手向けてどこともなく去っていきます。

小野小町のすがたは、現代の世の中にも見受けられるかもしれません。
若いころの才色兼備の美貌を鼻にかけた驕慢がたたり、年老いてから美貌が衰え若いころの不摂生が病気などでやつれ衰え、無惨なにも年により心身が衰えおちぶれた姿をさらし、廻りは陰で笑い物にしたりしています。

世界の三大美人はどれも世の中を惑わしたとされて、美人だということは何なのか、年を重ねていくということは何なのかを、考えさせられます。
小野小町にこのような衰老落魄説話が、生まれたのも生没不詳のためでしょう。

ただ、この「卒塔婆小町」は、最後に「これにつけても後の世を。願ふぞ誠なりける。砂を塔と重ねて。黄金の膚こまやかに。花を仏に手向けつゝ。悟の道に入らうよ。悟の道に入らうよ」。といい百歳になってから、今までの行いを悔い、仏門に入り心を安らかになろうと勤めようと思います。


仙厓和尚の絵に、野辺に落ちたしゃれこうべの、目や鼻の穴から生えて伸びてきた 葦の姿を描きいたものがありあます。

    よしあしは目口鼻
    その絵に添えられて
    「よしあしは 目口鼻から 出るものか」

人が生きているときは、目や耳を通して「良いこと」「悪いこと」を見たり、聞いたりし。口などを通して言ったりする。それが、ありがたがったり、わざわいをまねいたりす、芽(目)になるものだ。死んで骨になってもしゃれこうべの目口鼻から「よし(葦)、あし(葦)」が出るくらいののはあたりまえ。

殺生石 と 玉藻の前

鳥山燕石の今昔続百鬼 雨に「玉藻の前」という絵があります。その絵の文が添えられ次のように書いてあります。
「邪代酔に古今事物考を引て云 商の妲己は狐の精なりと云々 その精本朝にわたりて玉藻前となり 帝王のおそばをけがせしとなん すべて淫声美色の人を惑わす事 狐狸よりもはなはだし」

    
    鳥山燕石 今昔続百鬼 玉藻の前
    wikipediaの鳥山燕石より、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%97%BB%E5%89%8D

この帝とは鳥羽上皇のことで、玉藻の前とは誰のことでしょう。鳥羽天皇の女御に権大納言藤原公実の娘璋子がなりますが、祖父の白河法皇の養女でお手付きだったようで、鳥羽天皇の女御になってからも関係が続いていたと言われています。
しかも、鳥羽天皇の子崇徳天皇も実は、白河法皇の子とも噂されたといわれています。崇徳天皇の弟の後白河天皇は、崇徳天皇と同母ですから。こちらも白河天皇の子かもしれません。去年放送されたNHKの大河ドラマ「平清盛」では、清盛は白河法皇の子という設定でした。その真相は私はしりませんが、この鳥羽天皇と二人の子の関係をみると、あながち突飛な設定とは言えそうにないでしょう。

また、能に「殺生石」という曲目があります。
あらすじは次のようなものです。
高僧玄翁が下野国那須野の原を通りかかると、一つに石の上を飛ぶ鳥が落ちるのを見。玄翁が不審に思っていると、女が現れ、その石は生き物を殺してしまう殺生石だから近寄ってはいけないと伝えます。玄翁は女に石の由来を語ります。
「昔、鳥羽院の時代に、玉藻の前という女が仕えていた。玉藻は才色兼備ので鳥羽院の寵愛を受けていたが、実は化生のものであることを安倍泰成に見破られ、那須野の原に逃げるが、ここで討たれてしまいその魂が残って巨石に取り憑き、殺生石となった」と、語り終えると女は玉藻の前の亡霊であることを告げて消えます。
玄翁は、石魂を仏道に導いてやろうと供養を執り行うと、すると石が割れて、九尾の狐の霊が姿を現し。狐の霊は、「天竺、唐、日本を渡り周り世に乱れをもたらしてきたが、安倍泰成の祈祷に追いさされ、那須野の原に逃げたが狩り出され撃ち殺され露と消え、以来、殺生石となって生類を何年も殺して過ごしてきた」と、これまでを振り返ります。そして今、有難い供養を授けられたからには、今後は悪事はしないと誓い狐の霊は消えます

話は横にそれますが、この謡曲のワキの高僧 玄翁は、大工道具の一つ大きな金槌である「ゲンノウ」はこの、高僧の名前「玄翁」からきているといわれます。

ワキ「実にや余の悪念は。かへつて善心となるべし。然らば衣鉢を授くべし。同じくは本体を。再び現し給ふべし。
 --中略 --
ワキノツト「木石心なしとは申せども。
詞「草国土悉皆成仏と聞く時は。本より仏体具足せり。況んや衣鉢を授くるならば。成仏疑あるべからずと。花を手向け焼香し。石面に向つて仏事をなす。汝元来殺生石。問ふ石霊。何れの処より来り。今生かくの如くなる。急々に去れ去れ。自今以後汝を成仏せしめ。仏体真如の善心となさん。摂取せよ。
後シテ出端「石に精あり。水に音あり。風は大虚に渡る。
地「形は今ぞ現す石の。二つに割るれば石魂忽ち現れ出でたり。恐ろしや。
ワキ「不思議やな此石二つに割れ。光の内をよく見れば。野干(九尾の狐)の形はありながら。さも不思議なる仁体なり。
 -- 中略 --
そして最後に、野干は「此後悪事をいたす事。あるべからずと御僧に。約束固き」と言って消えてゆきます。


五木寛之が「「生きとし生けるもの」というが、天台の思想では、命があるという意味だけででなく、石や土や山などにまで仏性があると考える。「草木国土悉皆成仏」という言葉は、自然のすべてのもの、山も草も木も、けものも虫も仏性をもっているということだ。 自然のすべては人間にとって友であり、そこには尊い命がある。」と、なにかの本で書いていました。
この、高僧玄翁が供養したことは、世の中すべてのものは、仏体真如の善心となるのだと説いています。

このこと今の世の中、世界中にいろいろな妖怪や鬼が闊歩しているように思います、日本も含めてそのような妖怪はこの草国土悉皆成仏の法力で、懺悔させ解毒をさせたいものです。そのためには常に惑わされないように、一人一人の自身の心の中も焼香ができればと思います。

話すときの心得

人と語るには、太だ発露して傾倒に過ぐ可からず。
只語簡にして意達するを要す。
言志後録 192 佐藤一斎

人と話をするときは、話すこちに気を傾けすぎて、一方的に盛んに喋り捲ってはいけない。
話すときは、言葉を簡単意わかりやすく、誰もが意味を理解しやすいように、話すことが肝心です。


このことは、よく言われていることであるし、よくわかっていることなのですが、なかなか人にわかりやすく話すことは難しいものです。
よほど、そのことを詳しく知っておかないと、自分では詳しく説明しているつもりでも、ついつい自分の知識をひけらかすような話し方になってしまいます。素人にもわかりやすく話すことは、本当に難しいことです。

テレビで国会中継を見ていると、テレビの生中継を意識しているのか、煙に巻くように質問の核心でなく、取り巻きのことを話して、答弁している人を見かけます。
たいていのそのようあ場合は、聞いている時はなるほどなと思うが、後で聞いたことをよく考え直してみると、結局何を言っているのか解らないときがある。この一斎の言葉はこのような人のことを言っているのでしょう。

そして、民主主義が未熟で為政者が国民を引っ張って行かないといけないような国は、難しいことを言い煙に巻くような政治家がいてもいいかもしれません。しかし、民主主義が成熟してきている国では、国民主権が機能させるためにも、言葉を簡単意わかりやすく、誰もが意味を理解しやすいように、話すことが肝心でしょう。

文章を書くときの心得

火急に文書を作るには、須らく必ず先ず案を立て、稿を起して、而る後、徐に更め写すべし。卻って是れ成ること速やかにして誤り無し。
言志後録 193 佐藤一斎

大急ぎで文書を作るときほど、必ず各文章の内容を検討して草稿を書き、文章の内容を整理することが大切である。
それから、改めてその草稿をゆっくり見直しながら書き写して、文章を書くのがよい。この方が急いで書いてしまうより、かえって完成が早いし、なおかつ誤りもないものである。


これを読んでいる方は、何をお前は行っているのだと、笑われていることだと思います。

私にとって耳の痛いことばです。十分戒めないといけない言葉で、反省します。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 臨時国会の開催はいつか
    風と雲 (08/04)
    一体今の日本はどうなってしまったのだろうかと思う。アベ内閣も与党も憲法に違反することを完全に無視して悪びれもせず堂々と実行してきた。、政府高官も最高裁も報道機関
  • 難病と尊厳死
    竹林泉水 (07/29)
    コメントありがとうございます。

    自ら生きる権利、自ら死ぬ権利があるのはよくわかります。
    それにはどちらも人・個人としての尊厳が保たれている必要がある考えます。
  • 難病と尊厳死
    風と雲 (07/28)
    意識して自ら命を絶つことができるのは人間だけだと思います。人には生きる権利と自由があるように、自らの命を絶つ権利も自由もあって然るべきではないでしょうか。このA
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (07/01)
     自分よりも周りを優先する集団主義的な考えが同調圧力などがまかり通る社会なことについて前に
    >日本的なこの価値観は、海外から見たら奇異の目でしか見られないでしょ
  • 不自由な国、日本
    竹林泉水 (06/29)
    日本語に「世間」と言葉があります。「世間体が悪い」「世間がうるさい」「世間を渡る」「世間に顔向けできない」「世間の目を気にする」「渡る世間に鬼はいない」などとつ
  • 不自由な国、日本
    アジシオ次郎 (06/27)
     おはようございます。

     日本はやはり集団主義が根強い社会であり、いわゆる「ムラ」社会的価値感が強い為に変に「和」を重んじる傾向の上に上の言うことは絶対だという
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    竹林泉水 (06/26)
    なんで日本人は欧米人に対してコンプレックスを持っているのだろうか。明治政府は今までの幕藩体制をぶっ壊し廃藩置県をし、国内の不平不満のエネルギーを外に敵を作ること
  • 人種差別抗議行動への共鳴が日本で起きないのは
    アジシオ次郎 (06/25)
     こんにちは。

     日本人は長年欧米コンプレックスを抱いたせいで白人に対して好意的に見る一方でアジア人や黒人を平気で見下すような傾向が強いけど、自分たちが置かれて
  • 長期政権
    アジシオ次郎 (06/24)
     おはようございます。

     長期政権がもたらすもの、それは腐敗と閉塞感以外の何物でもないが、一人の人間が十何年、何十年と居座ってては健全さなど皆無だし、変化を知ら
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