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竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

クジラの歌

私は、中学時代に放送されたSF映画邦題「宇宙大作戦」米題「Star Trek」のファンだが、テレビシリーズが終わり、大学生のときに劇場版上映され、その第一作は、NASAが打ち上げた宇宙の探査機ヴォイジャーを題材にしたものだった。実際のNASAが打ち上げたボイジャーには、銀色のデータディスクが搭載され、そこには地球の様々な文明が紹介され、ベートーベンの交響曲とともに、クジラの歌と呼ばれている、クジラが海で鳴く鳴き声が収録されていた。このディスクのことは知っていたが、クジラの歌が入っていることは知らなかった。なぜクジラの歌が選ばれたかはよくわからないが、クジラは知的な生き物だと、その当時から多くの人が感心を持っていたのだろう。
スタートレックの劇場版第4作は、地球に21世紀に絶滅したクジラの鳴き声を求めてやってきた探査機23世紀にやってきて、地球に異常気象を起こさせるものだった。

NASAの探査機ヴォイジャをディープスペースの宇宙人が見つけ、クジラの歌に興味をもち、太陽系の地球にやってくるかも知れない。

ノートルダム大聖堂火災による環境汚染

ノートルダム大聖堂の火災から3ヶ月になろうとしているが、環境汚染の問題が深刻かしている。

屋根に使われていた大量の鉛が燃え周辺に鉛の煙塵がまき散らされたからです。
周辺は通常の400倍の汚染が検出されるそうです。
聖堂ないに入って作業をするには、防護メガネと粉塵マスクと手袋と防護服をして作業をしなければならないという。しかし、すべての作業をしている人がそのようなことをしているかというと、暑さや作業効率が落ちるので、手袋やメガネなどをしていない人もいるそうです。

これを聞いているとなんだか、日本の原発作業員のように思える、しかし、原発はトータルの放射線線量が基準を超すと、作業ができなくなるので線量計の電源を切ってしまう人もいるそうだが、鉛には放射線はないのでその心配はないが、鉛を含む粉塵が皮膚についたり目などの粘膜から体内には言ったり、マスクをしていなければ粉塵を吸い込み肺ガンなどになる恐れもある。
いずれにしろ、昔建てられた建物はいまの環境基準がなかったので、解体したりするときは、周辺の環境汚染をしないように配慮しながら解体される。しかし、今回は、火災で燃えたので今の基準での汚染は深刻だろう。
そう思うと、戦争などの爆撃で破壊された建物や施設なども、その攻撃された施設に何があるかを、周辺住民はよく知っておかないといけないだろう。

新しい時代

令和の時代の経済成長はどのような成長をするだろうか。以前から成長ありきの社会よりも、循環型経済社会をと訴える人がいる。江戸時代がその見本だというのだが、その人たちはなにも、何にも江戸時代に戻れと、乱暴なことを言っているのではない。
今の弱肉強食の成長ありきの社会に疑問を投げかけているのです。

現代の世の中は資本主義の原理として、成長をし続けることを念頭に経済活動が行われている。金融が滞ってしまうと景気は一気に冷え堕ちてしまい不景気になってしまう。しかし、経済成長をするために工業を盛んにすることにり、いまは、自然環境が破壊され人間生活にもその影響が及びだしている。森林破壊や水資源の汚染や地球の温暖化問題が深刻になってきている。循環型社会をと訴える人は、その解決さくとして江戸時代の経済活動に学んだらと考えている。

循環型経済社会はいわばゼロサムゲーム経済で経済成長がゼロに近い社会です。
ゼロサムゲームを日本語にすると、いわば差し引きの和がゼロなので、「零和ゲーム」となります。
平成から令和になったのだから、国家予算が100兆を超えたと喜び多くの借金により国家予算が成り立っていることを、見て見ぬ振りをするよりも、零和の国家予算のあり方を考える方が大切なのではないだろうか。

ゼロサム社会とは、経済成長が止まり経済が飽和して拡大していない社会で、成長の限界を超えていることになる。いわゆる循環型経済社会となる。
市場マーケットの観点からみると、市場のマーケットで得られる利益は一定であるから、一方が利益が増収したら、も片方は利益が減収したり損益を出したりするが、全体としてはその総和はプラスマイナスゼロとなる。つまり弱肉強食の経済で自己責任の社会ということになる。

令和の時代の零和社会は前者になるだろうか、後者になるのだろうか。

残留遺骨のDNA鑑定

アジア太平洋戦争で外地での戦没者の遺骨は今まで焼骨して日本に帰還させていたが、それではDNA鑑定ができないのでので、遺族から遺骨を焼かずにそのまま持ち帰ってほしいとの要望があった。それにより、今回、厚労省は、今後遺骨を焼骨せずにそのまま、日本に持ち帰るようにすることが検討されている。
DNA鑑定などの技術がなかったころは、防疫などのりゆうからか焼骨していたのだろうが、DNA鑑定はいまは太古の骨からもDNA鑑定によりその骨の主の進化の系統がわかる時代です。また、犯罪捜査にも使われている時代です。今まで、何故DNA鑑定ができるように、遺骨をそのまま持ち帰らなかったのだろうか。

遺骨は焼骨して持ち帰るので遺品などがなければ身元が分からないままになり、現在では身元不明のまま、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められている。
それが、DNA鑑定を活用できるようになり、遺族のもとに届けられるようになり、亡くなられた御霊や遺族にとってよいことだろう。

厚労省によれば、いままで、身元が特定できる名前が書いてある遺留品などがある場合に限ってDNA鑑定をしてきたので、シベリアに抑留され死亡したひとの埋葬記録が残っている人のDNA鑑定が行われたしている。
しかし、南方での遺骨には特定できるそのようなものがほとんどないので、遺骨をできるだけ早く弔うために、荼毘に付すため、焼いて持ち替えていたという。それはそれで意味のあることだったが、DNA鑑定技術が確立しているいま、厚労省の今回の検討は当然で早く、決定することがよいだろう。

ホモサピエンスは尊大でいいのか 2

昨日は、人類であるホモサピエンスが知能・知性を発達させ文明・文化を発展させ豊かな社会を築いてきた。それにより動物を家畜に支配してきた。それに対しって私は地位さときから疑問に思ってたとかいた。
また、三大発明をし、蒸気機関を発明し産業革命以降めまぐるしく文明を進化?さえてきた、そして1940年あたりから、科学が等比級数的に進化して発展してきたいま、今まで大きな自然の力や理解しがたいことは、神の仕業と解釈したりしてきた。しかし、分子生物学やIT技術の発展により、人類は「我はゴッド」の智慧や力を得たりといえるまでになってきたことに疑問があると書いた。

私はもう一つ小さいときから、疑問というか分からないことがある。それは人間には感情とか情念と言うものもっっているとされている。それが動物との違いだと説明されてきた。しかし、私は本当に動物にはそのようなものをもっていないのだろうか。他の動物ももっているのに、人間が理解したり感じたりする事ができないだけではないだろうかと。
家畜とペットでは、明らかに牛や馬や犬や猫とはそれぞれ違い、飼い主などに対しての接し方が違い、特にペットは飼い主の思いを感じとっている。多くの学者は動物には意識はあるが、人間のように自分自身を唯一無二のものとしての自己意識がないと言う。しかし、私はいや多くのひとはそのように思ってだろうか。
昔から寓話や民話や神話などで、動物を擬人化したり、神が宿っていると描かれている。また現代ではアニメなどで、多くの動物を擬人化してストーリーを展開させている。そちらの方がわたしたあち一般人には受け入れやすい。
しかし、目の前のいる動物やペットなどに対していくら思い入れを持っていても、主人と動物の関係は、人間でいうと雇い主と雇用人の間には、その前提として人間としての人権が前提としてある。しかし、ペットにはそれはないのはよいとして、自然界で自然に自由に生息している動物は、それなりの動物としての生息権などの権利を認めてよいのではないかと思っていた。
私が小学生のころ、小学校の裏山がブルドーザーで切り開かれていったが、そのとき思ったのはここに住んでいた、リスやイノシシなどの野生動物は、どこに追いやられたのだろうかと思った。
私が30代前の勤務地の前の広がる緑の丘陵が、1年の間に瞬く間に切り開かれてしまった。そして今では多くおの人間がそこで暮らしている。
いま、私たちの便利な生活を支えている、電気エネルギーや電化製品などの原材料は、自然豊の地の森の木を伐採して採掘されている。そこの暮らす動物や植物には何ら了解をとっていない。
私たちは別段動物の許可を必要だと思っていない。自然保護団体や動植物保護活動をしている人も、多くの人はそれらを絶滅させてしまったら将来自分たちに降りかかってくるものがあるとして、それらの保護活動をしている。
だれも、人間がその生息圏に入る前から生息している動植物のことを中心には考えようとしない。

わたしたち、人類はあまりにも増えすぎてしまっている。だからといって、この宇宙船地球号の一員は人間だけであるという考えをあらため、たのあらゆる生物も同じ一員だという考えでこれから生きていくことはできないのだろうか。

ホモサピエンスは尊大でいいのか

私が小学校低学年ころに思っていたことがる。
大人は、家畜や犬や猫などペットを、鎖などで拘束して自由を奪っている。また、毎日食卓に上る魚や肉などを食べるがそれは、魚や豚や牛や鶏などを本当に食べていいのかの疑問があった。
人間はホモ・サピエンスであり、地球上の生物のなかで霊長類のなかで頂点に立ち、地球上の至高の生き物で、他の地球に生息する生物を支配できる地位にあるとの、人間至上主義とする、考えにはおかしいと思っていた。
中学ごろになると、狩猟採集生活をしていたころは、自然の中で自由に生きて動物たちを捕ってたべていたが、農耕がはじまると、動物たちを拘束して自由を奪って、天命を全うしないで食べられたり。一生たまごを産み続けたり、乳を出し続けたりさせられている。人間はそこまで動物たちを奴隷のように搾取してよいのだろうかと思っていた。

また、中世からそれ以降の、世界の歴史を知る上で、西欧の至上主義という、西欧人はアフリカや中東やアジアの人々より優秀だ、だから、西欧以外の地域を植民地化し支配し、その地域の民を奴隷として扱っても、神のご意志に反しないし、それは神が我々西欧人与えて特権だとする考えには納得いかなかった。
西欧人至上主義は、ヒューマニズムからいま世界では受け入れられなくなっているが、人間至上主義の考えはいまも、ほとんどの人が当然だと思っている。
私たちは、ルネサンスや近代産業革命以降以前は、人間の上には創造主の神がいると信じていた、キリスト教やイスラム教などには唯神がいる。仏教などにも人の力では及ばない至高の領域があると考え、不死・不老・幸福の力は神聖な領域で踏み込んでは行けないと考えていた。
しかし、300年ほど前から、その神聖な領域を乗り越えようとする試みはためしみられてきた。
科学技術がすすみ今まで未知なものが解明されてきて、自分たちのホモ・サピエンス人類の、不老の生命と幸福を自分たちの手中に入れようとしている。
言い換えれば、神をもおそれぬことで、「我がゴッド」となろうとしているに等しいものです。
今までは、天災や不幸があれば神の思し召しで、我が身に降りかかる災いは、今までの我々の行為が悪かったので、神が反省を促すためにしたものだと考えていた。
しかし、それが「我がゴッド」となると、天災も含めて我が身に降りかかるすべてのことに責任を持たなければならなくなる。
私たちは今現在、そのようなことに対して心構えは持っていない。しかし、今後科学技術がますます進化して、死や年老いて衰えることが解明され、それらに対しての対処法を見つけだした以降。また、自然現象の起こり方が解明されあらゆる予測が可能になったとき。私たちホモ・サピエンスである人類は、それに対して適応できる心構えはできているだろうか。


アフリカの地を旅たったころのホモ・サピエンスが現代の我々を見るとどう思うだろうか、遠くのバイソンを撃ち取ったり、奇妙な形をした物に乗り遠く離れたところから瞬時に移動してくるのをみて、「ゴッド(神)」と思うかもしれない。しかし、7万年前にホモ・サピエンスが持っていた、食べられる植物がどれなのかやバイソンなどの動きを感じ取ることができないのを見て、なんとバカで愚かな神だと思うかもしれない。いや私たちの遙か7万年前の祖先だけでなく、今の野生動物なども人間を見てどう思うだろうか。次々の仲間を捕獲したり殺したりする恐ろしい神とみるが、同じように研ぎ澄まされた感性がない愚かな神と思うかもしれない。


また、現代人が飼育している家畜やペットはどのように思っているのだろうか、牛や豚は従順に飼育されて、飼料をむさぼっているが、次から次に与えられる飼料にどのように思っているのだろうか。いずれドナドナと市場に売られていくことを知っているのだろうか。もし私がDr・ドリトルのように動物の言葉は話せ、それぞれの動物の行く末を教えて上げると、豚や牛や鶏はどうするだろうか。酪農場の牛は、肉用の牧場の牛は、産卵用の鶏は、食肉用の鶏はどうするだろう。豚はどうするだろうか「豚に真珠」ではないが豚は暴動を起こすだろうか。
また、それぞれの飼育されている、豚や牛や鶏はどのように選別されいまの自分があるのかを教えるとどうするだろうか。

人間は条件下で情報を制限され強制的に従わされることが続くと、自分で考えることはしなくなり思考停止し、従順になってしまうことが、今までの様々な事例で明らかになっている。
それと同じことが、家畜にも起き人間を神とみて、神の思し召しだから仕方ないと従うのだろうか。


それと同じように、私たちの未来の人間はどうなっているのだろうか。
先に書いた、「我はゴッド」と思う人間は、未来に人全員がその恩恵に浴するのではない、ごく限られた裕福な一部の人だろう、それ以外の人は中世以前の王や貴族が庶民を下々のの者とした目で見るのだろうか。それ以上に「我はゴッド」だそれ以外の人間は、原始的ないきものとして、いま私たちがチンパンジーなど霊長類を見る目で見てしまうかもしれない。
スタートレックの中で遺伝し工学が進み、人工的に遺伝子操作された超人が創り出され、地球を支配しようと人間に戦争を仕掛ける話があるが、それと同じよなことが起きないだろうか。またアメリカの人気映画に「スーパーマン」があるが、彼は善人で正義の味方として描かれたが、その続編は同じ星からきたスーパーマンは地球を支配しようとする。
優秀な人間は過当な人間を蔑み支配しようとするのは、過去に歴史の常で、それと同じことが起きる危ぶみはあるだろう。

ヒョットしたら、ゴッドへになれなかった、取り残された人間は、スラム街に暮らし仕事もなく、無駄に食料の資源を食いつぶす人間・生き物として扱われるかもしれない、そうなれば、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、草原に無数にいたバイソンを刈り尽くしたように、人間狩りを楽しむかもしれない。
チンパンジーから枝分かれして、二足歩行をし知能を持った人は、ホモ・サピエンス以前に数多くの猿人から原人、新人と生まれていたが、その全部な絶滅している。
なぜ絶滅したか明確な結論はでていなが、ホモ・サピエンスが絶滅に関わったとの説は否定だれている。一番有力なのは生存競争に勝ち残ったが、ホモ・サピエンスすなわち現有の人間だという。
私たちホモ・サピエンスの進化はこれで止まったと考え定位のだろうか、7万年前から遅々として進化のスピードは止まっていたが、ルネサンスや300年ほど前の産業革命から急速の進化の特異点が芽生え、いまの分子生物学や医T技術はさらにその特異点の転換期に入ってしまったかしれない。
私たちは、その取り残されたホモ・サピエンスはこれからどうすべきなのだろうか。平和理にその地球の頂点としての座を明け渡すべきか、それともそれに抗し続けるべきなのだろうか。

科学技術や医学の進歩

私たちの現代の生活は、科学技術や医学の進歩、通信技術の進歩でめまぐるしく進化して、今後もますます進歩進化していくだろう。

今後このまま技術が進んでいくと、スタートレックの、優性人類やアンドロイドのデータやホログラムドクターが現実のものとなったり、機械人間のボーグ・セブ&ナインなどが現実のものとなってしまうかもしれない。

私はどれにもなるのも遠慮するが、DNA工学技術の進歩により、各競技に特化した身体を持った人や、知能指数の極端に高い人や、また容姿の美しいに人などを作りだす「デザイン ベイビー」が現実のものとなり、いまはそれは国際的に見てもカ国は禁止しているよだが、科学者の中にはそれらの技術は他の面にも応用でき、必要なものだと密かにあるいは、閉鎖期間で研究している人もいるだろう。
また、日常の不慮の事故などで脚や腕などを失う身体欠損をしてい、義手や義足でそれを補うが、最近はバイオ技術ちIT技術が融合して、自分が思うように動かしてくれるものも実用化されつつある。健常な人がその技術を応用してもっと自分の能力を発揮したしたいと思ったらどうするだろうか。自分のからだの一部を機械に置き換えるサイボーグの誕生になるだろう。
それらの技術が人に応用されるまで確立完成されたとしても、それを実際に自分にまた、自分の子どもに使おうする人はどれだけいるかはわからない。
なかには、あくなき好奇心と探究心と自分の欲望のためそれを、それらの技術を自分の身体にとって変わらせようとする人も出てくるかもしれない。

そのような極端なことばかりでなく、私たちの健康寿命は確実に伸びているし、また生きられる寿命も延びているようです。
また、どんどんと身の回りの生活道具が便利になり多様化していくが、しかし、それらに適応できない多くの人類はその恩恵にさずかることができずに、次のように思うようになる「自分は時代遅れな人間になり、周囲の世界の進歩が理解できず、社会に役立たずのにいる自分をみて、昔はよかったあとノスタルジアに浸って、老後をの生活を送り、死を何年も待ち続けている」そのような生活を過ごすのは絶対にいやだと思いながら過ごしてときがじわじわと忍び寄っているのではないだろうか。

多くの人がいまの、科学技術やIT技術や医療の進歩に一喜一憂して固唾をのんで喜んで迎えている。
しかし、それは先に書いた憂いがもうすでに現実のものとなるのために一歩一歩と進んでいるのでいるように、私は感じている。いまの、新しい科学技術の開発に成功したと喜ぶことは、今の時点の人間にとて本当によいことだろうか、未来の人間はそれらをどのように受け止めているのだろうか。

健康 長寿への投資

人が不老不死を得たらどうなるだろうか。
いかし、人類が不老不死の技術を得たとしても、その恩恵を受けるのはごく一部の人に限られほとんどの人は得られないだろう。
また、不老不死のどちらか一方を得られるとすればどうなるだろうか。
不死が現実のものとなれば、考えただけでも恐ろしいものです。自分の身は衰え、思考力も感覚も衰えるが死なないのである。
また、不老はどうだろうか、年をとっても身体も思考力も感覚も生殖力も若いままならどうだろうか。
今地球の人口は70億を越えている。それが人が死なない、また何歳になっても子供を作れるとなると、地球上の人類の数は際限なく増えるだろう。また、同時の子供を持つ年齢も際限なく高齢になっていくだろう。

また、不老不死の技術が現実のものとなっても、その技術を得られる人は、高所得のある極一部の人だろう。そして、それらの人はどのように考えて、不老あるいは不死の技術を我が身に応用するのだろうか。
我は特権のある者だと思いこみ、自分の想うがままに世の中を作り替えようという気にはならないだろうか。
古代から現代までの、過去の歴史をみても、特権的権力を得た独裁者は、自分は神であると思いこみ暴政をし、他国を侵略してすべてを我がものとしようとした歴史を繰り返してきている。

ガリバー旅行記の 死なない国という話がある
ストボコー
年老いて認知機能も衰えた高齢者は役立たずとして扱われている。
300年ほど前に書かれた風刺文学だが、これから世の中を予見しているようでもある。

また、スタートレックには、遺伝子操作により、生み出された優性人類が地球を支配しようとした「宇宙の帝王」という話がある。そこには、われわれ人類の誰かが超人的な能力を身につけるとどうなるかの問題定義がされている。


不老不死まで行かないでも、現代社会は医療と衛生健康の技術がすすみ、過去の様々な疫病はウイルスに打ち勝ってきている。天然痘は撲滅されたとWHOは宣言している、また中世のヨーロッパで人口を半減させたペストなどもその発生はまれでまた、発生しても封じ込めている。また新たに生まれた、ウイルスなども当初は現代のペストかと騒がれたが、撲滅はしていないが拡大をする事を封じ込めている。このように衛生状態は格段によくなっている。
また、以前は不治の病とされた多くの病気は、今や治療できる段階になってきている。
そのように考えると、不老は身近なものとなりつつあるのかもしれない。

衛生技術などは、誰でもがその恩恵を受けるであろうが、不老の関する技術などは高額な技術なので、その恩恵を受けられる人はごく限られた人だろう。
現に、不治の病の人が、人口冬眠で仮死状態なり、その不治の病の治療が確立されたときに、目覚めて治療してもらうとばかばかしいビジネスがあるとニュースで聞いた記憶がある。

健康、長寿への投資 02

仕事をしていて遣り甲斐のある仕事についている人はどれぐらいいるだろう。いまのある仕事をみてみると、昔は人口御大半を占めていた、農業や工業などの仕事はその生産人口はどんどん下がり、ロボットに置き換わっている。では知的な研究などの仕事はどうかと言うと、その専門知識を活かす仕事に就く人は限られている。では他の人はどのような仕事に就くのだろうかとみると、小売業の売り子などしかないようにみえる。大手小売店の売り子の仕事でどれほどの遣り甲斐を感じることができるだろうか。しかも賃金は安いうえ生活費を得るために馬車馬のように働き続けなくてはならない。そのような人の人口が増えることで、明るい未来はあるのだろうか。一部の高給をえている人や投資家などは、裕福な生活をして健康にたいしての投資をして、100歳になっても健康で生きられる生活ができるだろうが。
そうでなく、低賃金で働かされている人にとっては、いくら先進的な健康や病気治療があっても、それは高額すぎて受けられない人が殆どになるのではないだろうか。

国民健康保険も国民年金の負担金も、多額の負担金を納めているのに、それによる恩恵を受けられるのは高額な納付金を納めた高額所得しゃで、低額所得者は受けられないことにならないだろうか。
わたしの20代ごろまでは、高額所得者は高額の負担をして、低額所得者は負担金はすくなかった。つまり、そこで富の再配分がなされていたが、いつのころか。高額負担者の税金や社会負担金は、高額で重過ぎると声をあげられ、高額所得者の負担はどんどんと軽減さてきている。しかし、それでも中間層以下に比べると、はるかに支払う負担額は少ないのです。
むかしは、いや今でも、超高額所得者は自分のその収入の幾ばくかを、社会に還元する活動をしている。
その還元の仕方は行く先はいろいろありその人の価値観や社会観によって変わってくる。税金だと自分がこのように使ってほしいと思っても、時の政府の方針やせいさくにより、使われたくないものに使われる。しかし、自分が基金を作れば、その基金の活動方針に沿って使われるので、自分の社会貢献をしたものに使われ理に適っているともいえる。
しかし、社会保障などを自己責任として政府はそれに対しての支出を抑えるなら、中間層以下の人たちの社会保障の質は、基本的な文化的な生活を維持できる生活ができるとは限らないです。

また、超高額所得者のなかにも、社会還元などに関心がない人も多くいる。そのような人にはやはり富の再配分として相応の税負担をしてもらうのが酔うのではないだろうか。
また、社会還元への基金もその偏りが起きる恐れがあるので、そのバランスがとれるようにする何らかの方策も必要でしょう。

まずは、高額所得者の収入のなかの税金や社会負担の割合が年々下がっていることは、本当によいことだろうか。

健康や長寿への投資 01

現在の資本主義社会では、投資家や銀行は利益を上げるものに対しては、それが先にどのような結果をまねくかを考えずに、惜しみなく投資するといえる。
特に、さまざまなお疫病やウイルスに対する研究や、健康や寿命を延ばすことに対しての、研究は今後も盛んに行われ、投資家や銀行は投資を続けるだろう。
いま、世間では健康で長く生きられることに関心をもち、投資家や富裕者でなくても、一般の庶民もそれに関心もち、多くのお金を使って、健康を得ようとして長く生きられることはよいと考えている。

世界の平均寿命はどんどんと延びている。わたしは1950年の初頭生まれだが、その頃の平均寿命は50歳ぐらいだった。私の生まれたころはまだ、衛生状態も今のように完璧でなく、いろいろな疾病で幼くしてなくなる人も多かったが、15歳16歳を超すと、そんなに病気などで死ぬことも少なくなり、60以上も生きる人も多くいたが、加齢により身体の衰えを克服するkとが課題になっていた。しかし、いまはそれも克服しつつあり日本の平均寿命は男女とも80歳を越えている。
そして、100歳以上の人もたくさんいる。
しかし、健康でいられる人の平均年齢は、75歳ぐらいだといわれている。それから平均寿命を引くと、25年間何らかの病気か障碍と共にして暮らさなければならないことになる。
そう考えるとますます、健康な寿命を延ばすことに対し期待がたかまり、それへの投資も盛んになり、健康と寿命を延ばすことに対しての研究も盛んになり、健康な年寄りがますます増えることになるだろう。

しかし、現在先進国ではどこの国も、少子高齢化になりそれに対しての対策が喫緊の課題になっている。
社会保障の充実が叫ばれているが、高齢者が増えることにより社会保障の負担はますます重くのしかかっている。政府は人生100までといい、100まで働き続けろと言い出してきている。
100歳まで健康でいられる時代が当たり前になれば、どのようになるだろう。子供を産む年齢はだいたい20代から30代後半までとすると、それ以降の70年から60年は仕事に打ち込んで働けばよいが、今の労働市場の現状をみれば、そう楽観的とは言えないのではないか。

サクラダ・ファミリア教会

1885年にアントニ・ガウディが設計し、いまも建設中のサクラダ・ファミリア教会は、建築許可がおりていなかったとうい。
もっとも、建設し出した当初は建築許可をとっていたが、その後、自治体の合併により再度の建築許可申請を出すのをわすれていたそうです。そして、2006年に、建築許可の更新が行なわれていないことが発覚した。
まあなんとのんびりしたことでしょう。そして、教会とバルセロナ市が協議して、ようやく2019年6月7日に許可が下りたそうです。建築中の建造物であるにもかかわらず、世界遺産に登録されているのに、なんとのんびりしことだろうか。

現代のあくせくした時代だが、こんなのんびりしたこともあってよいと思う。

裸の王様の暴走

アメリカファーストの国際政治をみていると、アメリカの無理難題を、アメリカの方針に従わないと制裁を科すと脅し、超大国に異議を思っても正面から異といえず、面従腹背ながら従う。世界の国々が多くこれからの国際社会はどのような方向にすすむのだろうか。
それに大きく抵抗するのが中国だが、次のEU連合は足並みが揃わず、アメリカの思う壷です。

これをみていると、日本の国会とダブって見えるところがある。
一国超大国とEUやロシアや中国が対立し、あと烏合の国でまとまらない。
そして自民党をみると、派閥があるがそのなかで、今の自民党の中枢に異を感じていても、異をとなえると役をホサレルので、異を感じても異を唱えない。面従腹従になてしまっている。

このよう組織のトップをなんと言うのか、裸の王様という。
しかし、裸の王様に「王様は裸だ」と言った子どもはどうなったか。子どもはとらえられ罰を受けたのだろうか。いや話の中では、子どもの言葉に王様は自分の過ちに気づき、自分の行いを改め、子どもを褒めたのです。

さて日本の裸の王様は、どうするっでしょうか。
アメリカの裸の王様こと、ハンプティ・ダンプティはどうするでしょうか。

昨日のブログの続き

私たち日本人は、戦前一時期は鬼畜米英とアメリカに対して、敵愾心を煽られ国民の多くまた、特に国民学校に通う児童などは、軍国少年となり米国は敵だと洗脳されていた。

しかし、戦後は連合国軍が進駐して、マッカーサーと天皇陛下が会談しその写真が公表されると、アメリカへの信奉者へと変わっていった。
日本は敗戦国でアメリカは戦勝国で、事実上米軍の占領統治下にあったので、米軍が撤退する前まではそれも仕方がなかったかもしれない。しかし、日本が連合国の統治から独立し、米軍が撤退してからも、日本の政界の中枢の人たちは、その米国信奉はやめず、逆にそれを、ますます強めていった。国民よりも国の為政者の方がその色がつよかったのである。

とりわけ戦後から、今までをみても、その色は安倍政権はとりわけそ強く思われる。
日本が国際世界に復帰した吉田内閣以降の政権は、冷戦時代でもあり、国内の産業・経済の復興のために、アメリカ従属をし、軍事面ではアメリカから与えられた憲法の9条を理由に、軍事面の協力を拒否し経済発展にいそしんできた。
しかし、先に書いたように、安倍政権はアメリカとの軍事同盟を強化し、アメリカとともに戦える環境を作ろうとしている。

それは、本当にこれからの独立国としての日本としていいのだろうか。アメリカの本当の姿は、昨日のブログで紹介した本をよむと。決して、民主的で自由で平和を求める国とは言えない、新自由主義の弱肉強食で狡猾な自己責任の国であることがわかる。アメリカはイギリスからの独立革命以降、領土を西に西に拡大してアメリカ大陸の西岸まで、領土を割譲したり、併合したり、購入したりして拡大してきている。そして、その後も、太平洋のは多くの信託統治領をたくさん持ち、9.11でアフガニスタンへの介入を正当化したり、イラクは大量破壊兵器をもっているとして、イラクへの攻撃を正当化していまもそのための戦後処理に追われている。それらを考えてもアメリカは自国の利益のために、今後も戦争を続けるであろう。
そう考えると、アメリカと強固な同盟関係を続けるのは得策でないだろう。
なぜ、安倍政権は今までの日本の為政者と違い、アメリカ従属を強めるのだろう。まあ、神道や国家神道は日本の伝統と文化だとする、人たちも安倍政権を支援したり容認したりするのはなぜだろうか。私にとっては理解に苦しむところです。

超小型衛星と宇宙ゴミ

超小型衛生のビジネス活用が広がる。
農作物の生育状況などを、数十個の超小型衛星を打ち上げて調査して、情報を活用してもらおうとのビジネスが開始されたという。いまは、衛星は一基だが今後3年で数十個打ち上げると発表している。このようなビジネスは世界的に広がっているという。

アメリカのスペースXは、インターネットサービスのため、60基の衛星を打ち上げるという。このような超小型衛星を民間企業が無秩序に打ち上げられると、地球の軌道上に超小型衛星や、大型の衛星また、国際宇宙ステーションのような大きな構造物が、地球の軌道上に散在してしまい、今後の宇宙開発の支障にならないのだろうか。

スペースXのインターネットサービスは、今まで以上の細かなサービスができる用になり、私たちの生活は便利になるでしょう。しかし、私たちの空は、衛星だらけになり、耐用期間が過ぎた衛星は次第に降下しだし、やがて大気圏に突入して燃え尽きるか、地表に激突することになる。
衛星は地球の周りをすごいスピードで回っている。静止衛星では地球の自転と同じスピードで回っているが、これらにより新たな衛星を安全に打ち上げることがいつまでできるのだろう。

また、国際宇宙ステーションのよに、超大型の構造物が耐用年数がすぎたら、どのように廃棄処理をするのだろう。軌道上を次第に降下させ、いくつかに分解させ大気圏上で燃え尽きさせるなどをするのだろうが、その中には燃え尽きず地球の大気圏突入し地表に落下するものもあるだろう。
その軌道を正しく計算できればよいが、それはどこまでできるだろうか。洋上に落とすとしても、空には飛行機が飛び、海上には船舶が航行している。それらに当たる確率は低いだろうがゼロとは言えない。
やはり、国際的な取り決めそして管理が必要だろう。
また、宇宙空間は南極大陸と同じで、先に手を付けたものが勝ちであてはならないでしょう。今はまだ宇宙開発に技術がない国にも開放されるべきです。そのためにも早い者勝ちにならないように、早急に国際機関を作って、その取り決めルールを作っておくべきだと思う。

奈良の鹿とプラスチックゴミ

洋上のプラスチックゴミが問題になっているが、シカで有名なならでもプラスチックゴミが深刻な問題になっている。

奈良公園のシカの死んだ胃袋の中から、プラスチックゴミが見つかっている。このなかには、観光客が捨てたと思われるレジ袋などもあるが、奈良でのシカの様子を見ていると、奈良のシカは観光客にも人なれし、また観光客が持っているレジ袋には、おいしいものが入っていることをしっていて、それをねだったり奪ったりしてしまうシカもいる。野生のシカは包装を破いて除いて食べてしまうことはないので、そのまま食べたプラスチックは胃袋の中に残ってしまうという。

奈良公園で売られている、シカ煎餅は、煎餅はもちろんドングリなどシカが食べられるものだが、煎餅を巻いている紙もシカが食べてもと言うより食べられるものという。シカに優しいものだが、それ以外はそうとは言えない。

また、このシカのプラスチックの問題は、奈良のシカの問題だけでなく、ほかの地域の野生動物やカラスはイノシシなどにも言えることでしょう。
プラスチックゴミの問題は、もう凄まじい勢いで、私たちの生活に深刻な影響をおよぼし初めているのだろう。今日、それを解決するには、私たちプラスチック製品を使っている、マナーの問題とが一番の解決さだといえる。しかし、私たち人間は残念ながら、この問題を解決できるだけの理性はないかもしれない、私たちの太古の祖先からの歴史をみれば、多くの自然環境を変えて住んでいるところを変えていったが、それは破壊してきたことであり、また今まで多くの人間以外の生き物を絶滅してきた。今度は、自らの酬いとしてプラスチックゴミの中に溺れてしまうかのようだ。

この問題を解決するには、個人個人のマナーの問題でもあるが、社会の仕組み見たいから考えていかないと、解決できないだろう。

ペットにマイクロチップを埋め込んで管理する

犬や猫にマイクロチップを埋め込み、飼い主を登録することができるそうだ。これは阪神淡路大震災のときに、迷子になったペットを探す方法として編み出され、技術的にはそのころからあるそうです。
今回、動物愛護法が改正され、販売業者の義務づけるようになった。ペット販売業者ではすでに、マイクロチップを埋め込んだペットを販売している業者もいる、業者によっては仕入れた時に犬や猫に埋め込んで、客が買ったときに情報を登録している業者もいるようです。
それが、今回義務化されるわけです。それによいペットを買ったはいいが、買い続けることになり、業者に引き渡されず、野犬化したり野良猫化しても、購入者がとくていできるので、そのようになることがない抑止力にもなると期待されている。

マイクロチップを埋め込む場所は、多くは肩甲骨の間に埋め込むそうです、そして、15桁の数字で飼い主がわかるようになるという。
このこのマイクロチップの技術とGPSを組み合わせると、ペットの常に行動を監視でき迷子になってもすぐに居場所が分かるようになるかもしれない。
まあ、人間はスマホなどを常に持ち歩いているので、すでにペットのようにマイクロチップを埋め込まれているようなものだが。
同じ技術が人間にも適用されると恐ろしいかぎりです。しかし、フランスなどでは、手の甲にマイクロチップを埋め込み、セキュリティー施設の施錠解除やキャッスレス技術と組み合わせコンビニなどで買い物ができるようにしている人が、すでに数百人いると聞きます。
総監視社会になるのもそう遠いことではないようです。

わら半紙

ストローの話をしたので、ストローの話し、ストローとはワラのことで、私の小さいころはプラスチックのストローはなく、ワラのストローを使ていました。

そこでもひとつワラを使ったものの話し、わたしが、小学校の低学年のころ、学校で配布されるプリントは、ワラ半紙で非常の粗末なもので、酸性が強いためか2年ほど保管するとボロボロになていました。
ワラ半紙とは名前からわかるように、藁(ワラ)を使って紙に漉いたもので、ワラだけでは紙にできないので、パルプやコウゾなどを混ぜてつくられていたようです。
いまそのような紙はないでしょう。いまワラ半紙をコピーの複写機やプリント用の印刷機などに遣うとすぐに紙詰まりなどのトラブルが起きるでしょう。

しかし、いまはワラ半紙すらないが、最近は良質の再生紙が出回り普及しています、私の努めていたしょくばでも、少し割高になるが再生紙も購入してつかっていました。また裏白の紙は構内でつかう印刷物に回し、紙は紙だけをまとめて段ボール位いれて業者に引き取ってもらっていました。最近では、チラシやパンフレットなどでも、再生紙使用と書かれているものがあります。再生紙もだいぶ品質が高くなりそれらの商品も多く見るようになっています。
私の知っている昔のワラ半紙は、保存年限がないものにはいいですが、長期間保存するものには適していなかたです。
そういえば、インクも私の中学時代では黒インクは公文書などには使えず青インクを使っていました。なぜかと言う黒インクはいろいろな色のインクを混ぜて作っていたので、退色してしまうからだた。確か黒インクで書いたものが色が変色しているのを見た記憶がある。また、ボールペンも公文書には使えなかった。ボールペン自体のインクも退色する恐れがあったからで、こちらもボールペンで書いた文字がにじんでしまっているのを見たことがある。

ワラ半紙からだいそれてしまったが、そう考えるとインクの技術もずいぶん進んでいる。紙の製紙技術も進んでいる。今は紙を大量に消費する時代です。あらゆる商品は紙で包装されているし、国会中継を見ていても質疑のたびに質疑の資料として印刷物が配られ、質問に答えるのに分厚い官僚が作った答弁集をもって答弁をしている。一日の霞が関の委員会で使われる紙も凄いりょうでしょう。これらの紙は再生紙だろうし、使い終た書類も再び紙に再生あれるのだろう、マワルマワルよだ。紙はまわり、会議もまわる。だから、国会の会議は、会議は踊る、されど進まずとはなのだ。

紙のストローは環境に優しいのか

環境汚染を防止するため、プラスチックゴミ削減のためストローなどを紙に代えていく動きがある。しかし、確かにマイクロプラスチック問題に対して少しは有効かもしれないが、もっと広い視野でみると、世界的な環境問題にとって本当によいことだろうか。ストローなど直接口に触れるものなので、良質な紙を使うには良質なパルプを使うことであり、それは森林破壊にもつながる、東南アジアや南米のアマゾンで毎年広大な原始林が伐採されなくなっている。原始林は伐採したからといって、来年にはもとの環境に戻るわけではなく、数百年はかかるといっても現状にもどるわけではない。植林しても20年から40年かかるものです。また一度森林を伐採すると地表はむき出しになり、土壌が流出しそこに生息していた動植物は失われてしまう。
こう考えるとプラスチックの使用をやめることは、環境に優しいとは言えない。また、日曜用品を製品にするときプラスチックは、ももちろん便利なもので、とくに食品などについては非常に便利です。大袋に商品を詰めて売るのではなく、小袋に入れて分けて売られ、食べる量もまた保存していても湿気るのを防いでくれる。私が小さい頃は、市場のお菓子屋さんいけば、升に区切られ一つ一つにガラスの蓋がついたケースに入れられ計り売りされていた。そのような売り方は非常に手間がありまた、密封されていないので賞味期限も短いです。そのように考えるとプラスチックは非常に便利で今後も使っていくべきです。
しかし、その使い方と使用後の後の始末とリサイクルの遣り繰りを考えていくべきでしょう。
プラスチックは環境汚染になるから環境に優しい紙にかえるというのは、本末転倒で間違いです。紙を使うということは森林を伐採すると行くことです。食品業界の企業などがプラスチックの仕様をやめて、紙に換えるということを打ち出しているが、それらの企業は本気で環境問題に取り組んでいるのではなく、脱プラスチックを消費者に訴え環境問題に取り組んでいるという姿勢を見せかけの姿を見せたいからでしょう。そうすれば、消費者はあの企業は環境問題に取り組んでいると思わすことができるからでしょう。
外食産業などの店が使い捨てのプラスチック製品で食品を提供しても、店内で食べるならその使われたプラスチックのストローやカップなどはその店が責任を持って処理すればよいが、それではコストがかかるのでそのようなことをしないで、プラスチックを紙に換えてるほうが安上がりだし、環境問題に取り組んでいるという姿勢を見せることができるからでしょう。

しかし、ニュースなどで○○企業はストローを紙に代えることを決めたと報道するが、紙の使用料が増え森林が消えていくことはなかなニュースとして放送されません。そのようなことをニュースにするとスポンサーをなくすからでしょうか。

空飛ぶ円盤

ルーマニアで空飛ぶ円盤ドローンの飛行実験がされた、映像が公開されている。
ロイター通信の映像をみると、「全方位飛行物体(ADIFO)」というこの飛行物体、まるでUFO みたいだ。
詳しいことは映像だけではわからないが、飛んでいる様子からして後尾にジェットエンジンのような噴気機構が二つつき、地表近くを飛んでいるとき、円盤のしたの地表のちりが舞い上がっているので、円盤の中央に下方にローターが偶数個ついているのだろうか。

円盤の飛行についての解説はいっさいついていないが、映像をみると、上下左右に自在に飛び、期待を斜めに傾けて横に飛んだりしていた。前進はできるようだが後退ができるかはふめいです。

通常、知られているドローンは複数の回転翼のローターがむき出しでついているが、この空飛ぶ円盤は外見でわかる推進装置は円盤の片面に二つジェットエンジンのようなものがついているのが見えるだけです。

さて、この円盤のステルス性を高めたら、無人兵器になるだろう。

スクールバス内での医療的ケア

筋ジストロフィーの生徒が乗る、特別支援学校のスクールバスで痰がつまり、病院に搬送されたが死亡したと、ニュースで報じられていた。
痰が詰まったなら、吸引をして痰を取り除けばいいのだが、吸引は医療行為なので資格のない人がすれば、医療法違反になってしまいます。
支援学校の担任は、担任している生徒に対しての医療行為を、保護者と学校の取り決めの手続き乗っ取り、医師の許可のもと、日常の医療的行為をしています。その医療行為はその担任をしている特定の生徒だけに許されるものです。スクールバスには添乗員や介助員支援員などが添乗しているが、これらの人がバスに乗る生徒全員の医療的行為ができないです。

また、問題は生徒の異常を発見してから、どのような対応をしたかも問題になります。

生徒の異常を発見してから、救急車を呼ぶまで16分かかっいることが問題になりそうです。
しかし、付き添いの女性から連絡を受けたが、緊急対応の指揮をとる教頭とすぐに連絡がつかなかったといいますが。教頭はその緊急対応に専属しているのではなく、ほかに沢山の対応しなければならないものがあります。
これらにどのように対応するかのルールがどのようになっていたかニュースの報道だけではわからないが、この事故を教訓にさらに運用システムの改善が必要なのはたしかでしょう。

マッカーサーの日本人は12歳に今おもう

GHQのマッカーサーが朝鮮戦争のとき、トルーマン大統領により更迭され、アメリカ上院で証言した有名なことばがある。日本人は「近代文明の尺度で測れば、われわれは45歳の熟年だが、日本人は12歳の少年だ」。これは、日本は新しい日本国憲法により、国民主権と人権尊重の民主主義こくになり、これから大人に成長していくと述べたものだろうが、そのなかで政治的な精神年齢はどれだけ成長しているだろうか。日米安保条約による日米地位協定の不平等を未だに解消されず、軍事的に占領統治されている時とほとんど変わらず変えようとしないのは、日本人の政治的精神年齢はマッカーサーが言ったように、12歳のままなのだろうか。
安倍首相が憲法改正について、9条に1項2項を残したまま、3項に自衛隊を明記するなどは、12歳以下なのだろうか、また、2012年の自民党改憲草案などは、野党時代につくったもので、自民党の本音といえるようなところが多く、これも、国民主権の民主主義国家とはいえず、明治憲法に近い近いようなもので、まさに12歳以下のように想える。今後わたしたち国民は憲法について、よく考えて政府や国会議員の言動を監視して、12歳からもっと成長して行かなくてはならないでしょうね。

しかし、今の自民党政権のようにアメリカの庇護のもとで、政権を維持しようとするなら、あと70年経っても変わらないかもしれないと思う。

プラスチックゴミ

私たちの生活を便利にしているのが、ペットボトルやレジ袋やお菓子や食品などの包装に使われている、プラスチック製品です。このプラスチック製品は、使用したあと捨てられます。自治体によっては生ゴミと一緒に消却処理されるところもあれば、分別してリサイクルいているところもあります。
では、リサイクルはどのようにしてなされるのかは、あまり知られないところです。
私はゴミ処理場でペットボトルの処理を体験したことがりますが、すべて手作業でペットボトルとそれ以外か、汚れているかいないか、中に異物が入っているかいないかを分別していました。
ほかのプラスチックゴミはどのように処理されているのでしょうか。

それについて、次のようなことがあります。中国が環境汚染対策として、プラスチックゴミの輸入を禁止した。今までその輸出国として最大の国はアメリカと日本で、中国のアメリカからのプラスチックゴミの輸入量が90%現象したといいます。
しかし、中国がプラスチックゴミの受け入れを拒否したからといって、アメリカや日本のプラスチックゴミを他国に押しつけをしなくなったかと言うと、そうではなくタイなどの東南アジア諸国への輸出が急増している。
マレーシアが66%、タイは3倍に増えて入るといいます。

まるで、コンビニゴミ箱に、家庭ゴミを捨てるようなものです。
エレベーターを降りるとき放屁をして立ち去るようなもの、わたしたちは、真剣に考えるべきでしょう。

顔認証技術がどんどん導入されちる

日本でもパナソニックやNTTなど、民生用のカメラでも、顔認証機能の高機能化の研究を進められその性能はすでに信頼できる実用かの域にたっしているとみいてよいほどになっている。さらに防犯カメラなどでは、それぞれ個別の防犯カメラをそれそれに、画像データをつなげて、顔認証によるり、特定の人の追跡ができるようになってきている。
犯罪がおきたとき、防犯カメラに映った映像で犯人の逃走経路を特定したりするのは、警察が人海戦術で手作業で分析しているのではなく、これらの技術がコンピュータ解析されてのものだと見てよいと思う。

顔認証機能とは、人物を瞬時に判別する顔認識システムで、システムへのログインや入場の可否を決める、ID認証などに利用されているところもあるようです。それに加えて、捜査機関などへの拙速な導入にたいしては、米国で懸念する声が広がっている。
日本でも数年前に、大阪駅周辺のJR大阪駅や阪急や阪神、地下鉄などの梅田駅周辺の乗降客の、動向を調査する実験をしようとしたが、懸念の声がでて中止されている。それから、数年が立っているので、カメラの機能や顔認証システムは格段に向上しているだろう。
しかし、アメリカでの懸念の広がりは、別な観点もあるようです、対象となる人物が白人男性以外の場合では、顔認証の精度が大幅に低下する研究結果が示された。これは、犯罪の犯人と特定するのに、黒人などでは誤認される恐れが高いと言うことです。通常のヒューマン操作活動でも、白人と黒人とではその誤認により犯人検挙には、大きくさがある。人工知能はヒューマンエラーはしないので、正確であると言うのは神話に過ぎないと言える。

これにより、顔認証機能の捜査に利用することは、システムの乱用つながり誤認や人権侵害につながりかねなく、誤認を防ぐ明確な基準がないまま顔認識が広がることはそれを助長すると考えられるからです。

また、積極的に商用化を進めるIT業界からも規制論が出ているそうです。
また、テレビのドキュメンタリー番組で、競技場のスタンドの衆人のなかから特定の複数の多数の人物をそれぞれ個別に認識する技術が紹介されていたのを見た。
このことを考えると、これから、町中に防犯カメラが設置されているが、いずれその防犯カメラが監視カメラとなってしまうのではないかと心配するのは杞憂のことだろうか。

プラスチック 続き

プラスチックは非常に有用で便利なものです。どのようにも成型でき、長持ちができます。しかし、いまレジ袋などに代表されるような深刻なゴミの問題があります。多くのプラスチック製品を他のものに置き換えるとどうなるのか、先日書いたストローのような問題がります。

また、テレビやラジオが初めて製品として売られたときは、筐体は木製でした、おもちゃはブリキでした。テレビやラジオの筐体を木製のすると、製品かするのに手間も時間もかかり値段も高くなります。木製のなると木材が必要で森林伐採になります。石油のプラスチックだと、形は自由に作れ値段も安くでき、木を使わないので森林保護にもなると言えるでしょう。
即ち、プラスチックをすべてわるいとは言えないです。
レジ袋やペットボトルを無造作に捨てるから問題なのです。ファミリーレストランなどの、プラスチック製のストローを止めるなどは、環境対策というより。消費者へ私の会社は環境への対策をしていると言うアピールでともいえる。自分の店で出すゴミは適切に処理していれば、プラスチックのストローを使っていても、環境を汚すことはないです。逆に紙を使うことにより森林伐採という環境を破壊していることになるのではないだろうか。

しかし、だからといって石油製品を作るには、石油を採掘するには、その地域の環境汚染の問題もありこれも問題です。またおもちゃでは、プラスチックを止めてブリキにするといっても、ブリキを使う場合もその鉄を採鉱するために、環境破壊と環境汚染があります。

わたしたいが生活するには、とくに現代の生活レベルを維持しようとするなら、私たちの目の目えないところで、多くの環境汚染や破壊がおきていることをしって、いまの恵みのそれに対して感謝をしておくべきす。
合掌し十字を切り自省し驕りを自制することを忘れてはならないのではないだろうか。

プラスチック

このところ、ファーストフード店や持ち帰りの飲食店などで、プラスチックのストローやコップを止めるところがでてきている。それはそれでプラスチック製品がゴミとなるのを抑える効果はあるだろう。
しかし、では今まで使っていたプラスチックの代りに何をつかうのだろうか。
最近日清食品のカップヌードルを買ってみた、最近カップヌードルを買ったことがなかったので知らなかったが、カップは紙でできていた。私の知っているのカップヌードルは発砲スチロールだった。また、3月まで放送していた、NHKの朝の連続ドラマ「まんぷく」でも、カップ入り即席麺の容器の開発は発砲スチロールでした。これも、日清食品がプラスチックごみ対策としてのことでしょう。
それはそれでいいのだが、紙にするそのパルプの木はどこから調達するのだろうか、東南アジアやアマゾンの密林がどんどん伐採されていくのだろう。
また、ストローをプラスチックから紙にするところもでてきているが、この紙になる原木はどこから調達するのだろうか、木から製紙できるまで成長するには50年程かかる、しかも、その紙の原木は消費者の身近にある山や森から伐り出されるのではなく、遠い海外の密林から伐り出される。日本国内の木から紙が作られるなら、紙製品を作ることによりどれだけの山林がはげ山になるのかを目の当たりに見ることで、プラスチックゴミへの関心と同様に、紙を大切にしなければならないという意識を高く持つことができるだろう。
また、ストローは私の小さいころは、まさしくストローからできていた。ストローすなわち麦わらです。では麦わらなら麦を収穫して小麦粉になるので、その麦のわらを使えばよいと考える。しかし、それは手作業で麦を刈っていた時代のことで、いまは、大型のコンバインで麦を刈り麦ほ穂と麦わらを分け麦わは細かく切り土にすきこんでしまうので、ストローのなる麦わらは出てこない。手作業で麦を刈るとそれは手間で当然ストローの値段は高くなってしまう。

プラスチックが悪いのではなく、そのラスチックがゴミとして再利用されず捨てられるからです。海洋プラスチックゴミの問題が話題になる。しかし、路上に捨てられたレジ袋やペットボトル、また、生ごみといっしょにすてられ、焼却されるならよいが、生ごみを堆肥として使われるとき、そこに混じっていたプラスチックはマイクロプラスチックになり堆肥の混じり、野菜が育てられ、植物への影響も心配されている。けっこうそのような堆肥が多いと聞いたことがあります。

一番よい方法は、消費の末端である消費者が確実に分別することではないだろうか。しかし、便利さになれそれが当然と思っている、私たち消費者はどれだけ、リサイクルやごみの分別ができるだろうか。これは自分たちの未来いや子孫の未来を考えると重大な問題だといえるが、私たちはえらく無頓着ですがこれでよいのだろうか。

死んだ豚の脳

ショッキングなニュースがあった。

食肉用の豚の屠場から、死んだ豚の脳を譲り受け、特殊な容器にいれ脳に血液代わりの溶液を送り込む装置に入れ、死後4時間の時点で細胞レベルの活動を一部確認したという。この研究結果を、米エール大の研究チームが17日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表したというものです。

脳が完全に蘇生されたわけでなく、細胞レベルでの話で、脳細胞とのシナップス活動をしたわけではないので、フランケンシュタインに登場する怪物やSFの死者の蘇生とは違う。
しかし、脳細胞の一部がの活動がみられたことは、急性心不全や脳梗塞などで脳が損傷した際の新たな治療法を開発するのに役立つ可能性があると見る人もいる。
慶応大学の岡野栄之教授は、脳の神経細胞は減る一方で再生しないと言われていたが、脳神経幹細胞の研究成果などを手掛かりに、今回パーキンソン病、ALS、アルツハイマー病、てんかんの抑制に関わっている脳神経細胞を再生させることに成功ししている。

このようなことを考えると、今の科学や医学の進歩のスピードは加速度を増しているようなことを考えると、いずれは、脳の蘇生も夢もの語りではなくなって来るかもしれない。
このことは、死者を蘇えさせることにもつながり倫理的にどうなのだろうか。
また、脳だけを容器に入れ生かしておくこともできるようになるかもしれない、以前に脳の活動を人工知能のアルゴリズムに移植する研究がなされているとも聞いた。
となると、この肉体を脳だけが離れて、機械につながれて存在することもあり得るかもしれない。もしそれが現実のなったら、その機械につながれた脳は、自分の身体と言うものを意識するのだろうか。しかし、四肢はなく実際に移動もできない、脳は機械につながれ他の機械にコマンドを送ってその機械を操作する。その脳が機械に繋がれるまえは、健常な肉体を持っていて、ある時交通事故か何かで、脳だけが機械に繋がれたとする。その脳は自分が五体満足な記憶がありそれを思い出すことができるだろうか。
自己か何かで四肢のいずれかを失った人が、その失ったはずの脚がかゆいと感じる幻覚を感じると聞いたことがある。機械につながれた脳にもそのようなことが起きるのだろうか。

話しがそれてきたので話しを戻す。
これからのことが結合して実現していくと、私たちホモ・サピエンスである人類はどうなるのだろうか。ユヴァル・ノア・ハラリのいうような、ホモ・デウスが本当に登場するかもしれない

この文章を書いていて、やや突飛に思考の思いが飛躍した。それは、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」の小説を頭のなかによぎった。1949年に書かれた近未来小説だが、1984年は世界は三つに分かれ、主人公が暮らす世界はビックブラザーという独裁者が統治していた。しかし、小説のなかではそのビッグブラザーは登場しない。私はこのビッグブラザーどんな人物か、何者かがわからない。どちらかというと、オーウェルはここで最後に書いた、コンピュータに移植された脳が支配している世界を想定したのだあろうかと思う。

ラジオ体操

先日たまたま、テレビのデーター放送で天気予報をみるため、NHK総合に切り替えた。私がよくNHKのdボタンの天気予報を見るのは、住んでいる地域の1時間毎との予報がわかるからです。
チャンネルをNHKにすると、ちょうどテレビ体操をしていて、ちょうどラジオ第2体操をするところだった。
それをみていると、私が覚えていたテンポや体操をしている動きがだいぶきびきびとしていた。私がラジオ体操の記憶は、20年前ほどまえだが、もっと柔軟な感じを記憶している。
私は、キングレコードから出ている「ラジオ体操の全て」を持っているが、ラジオ体操がすくられた草創期から現代までの録音されたものが収録されているが、戦前・戦中・戦後とその時局時局を感じさせる曲のテンポでした。
ついでだが、同じキングから「むすんでひらいての謎」というCDもある。「むすんでひらいて」の原曲は、ジャン=ジャック・ルソーが作曲したものだが、この曲も日本に伝わりおなじみの歌詞がつけられたが、これも時代によりその時々の時局を感じさせる曲に編曲されている。
子供がのびのびと歌うよなものから、戦中は軍歌調の行進曲まである。

いつごろから、テレビでのラジオ体操が力強い感じになってきたのだろうか。

タイタニックジョーク

タイタニックのジョーク
タイタニックが沈没する直前、船長は世界中の乗船客を、5階建てのビルの屋上の高さから、救命ボートを浮かべた海にどのように飛び込ませたか。
飛び込ませるための国別のマニュアルがあった。
そこには、
アメリカ人には「今飛び込めば、あなたは英雄になえますよ」と耳元で囁く。
イタリア人には「海面には女性がたくさんいますよ」と耳元で囁く。
ドイツ人には「海に飛び込む法案がドイツで可決さえた」と耳元で囁く。
そうすると、みな、あっさりと飛び込む。
他の国にもある。その国の国がらというか国民性を揶揄したものです。
ほかに、
フランス人は、決して海には飛び込んではいけません。
イギリス人は、紳士はこういう時に海に飛び込むものです
では、日本人にはどう囁くと海に飛び込むのか
「みなさんが飛び込んでいますよ」と耳元で囁く。と日本人は海に飛び込む。
これは、日本国内で言われれているタイタニックのジョークではなく、世界中の人が口にしているジョークだという。
世界から、日本人は自主性がなく皆のすることに右へ倣えをする国民性とみられているしょうです。
なんだか、情けにですね。

自動運転車と脇見運転と事故

アメリカでも脇見運転が絶えなく、交通事故もそれにより多発しているようだ。アメリカで脇見運転をなぜするのかの調査さのため、密着したところ、歌を唄ったり、踊ったり、スマフォをしたり、ものを食べたりしていた。そこでなぜそのようなことをするのかを訊ねると「退屈だから」とのこたえがかえってきたという。
これから、自動運転自動が普及してくるとますます、この退屈だからとわき見乗車が多くなってくるだろう。
しかし、自動運転者が事故を起こしたとき、車が安全に走行することを監視していなかったことになるので、その責任を問われるのは、車に乗り目的地に行こうとしている人の注意義務を怠ったことになる。

2013年にある自動車会社の広告で、運転中のドライバーがわき見運転をして前の車に追突しそうになるが、「衝突被害軽減ブレーキ」を搭載しているので自動でブレーキがかかり大丈夫だった映像が流されたが、このCMに対して日本広告機構は、脇見運転を助長しかねず問題だと指摘している。

さて、安倍首相はオリンピック誘致をしたとき、日本は2020年に自動運転車が走行しているだろうと言ったが。その安全性はどれほどのものだろうか。自動運転車でもそこに乗車している人は、安全に気を配って自分の乗っている車を監視しなければならないだろう。

スマホで言葉の意味を調べる

最近というより今の世の中、知人と話してい何か疑問に感じたことがあるとすぐに、スマホを取り出しその意味をしらべている。まことに便利なよのなかだ。しかしここでちょっと考えてみると、本当にそれはいいことなのだろうか。
インターネットやそしてスマートフォンが登場する前の頃を考えてみると、話していて疑問に思うことがあったとき、何だろうねで終わることがあるが、その言葉をメモしておいて家にかえって蔵書している関連する本をみたり、辞書を取り出してその言葉を引いて調べたりする。その言葉だけでなく関連する事も気になったりしてくる。そうこうしているうちに、図書館に行ってもっと詳しく調べてみようとなる。
そのように深く調べなくても、辞書を引いていると、自然とその言葉だけでなく、その単語の前後の言葉や、頁を繰っていると、偶然ぜんぜん関係ない言葉にも目が止まり、今まであまり知らなかったことを知ることができる。

最近電子辞書というものがあり、それには国語辞典や漢和辞典、和英辞典英和辞典などが、文庫版の大きさのなかに収められている。わたしも電子辞書を外出するときなど持っていき、電車ののなかで本を読んでいてわからないことがでてくると、電子辞書で調べているので重宝している。しかし、やはりもっと正確に詳しく知りたいとなると、家に帰り蔵書を調べたり、図書館に行ったりして調べている。
しかし、スマートフォンだとすぐに調べたいことが判り、その判らないことは完結してしまい、話しは次に進んでいく。

スマートフォンや電子辞書は非常に便利だが、物事を調べるという楽しさやおもしろさが、そこにはないでので深まりがあまりないです。最近「手間暇」をかけることが少なくなってきている、というより「手間暇」や「遣り繰り算段」が死語になってしまっているような便利なよのなかだが、手間を変えたり遣り繰りや算段に工夫を働かすために頭を使うことはよいことだが、だんだんそれもなくなっていくのだろうか。

■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 商業捕鯨に思う
    アジシオ次郎 (07/08)
    おはようございます。

    IWC(国際捕鯨委員会)を脱退して今月から商業捕鯨を再開した日本、組織として機能していないIWCへの反発から脱退して商業捕鯨再開に至った
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
    竹林泉水 (07/05)
    菅官官房長官は徴用工問題に対する報復ではないとの趣旨の発言をしている。
    しかし、誰が見ても徴用工に対するもににしかみえない。
    それを白々しくそうではないといい、よ
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
    アジシオ次郎 (07/05)
    おはようございます。

    韓国への半導体輸出規制という措置に踏み切った日本、でも韓国が徴用工問題を蒸し返すという日韓請求権協定に反する行為をしたことで、その見返り
  • 日本の報道の自由
    竹林泉水 (06/17)
    コメントありがとうございます
    まったくそう思います。
    民放は広告収入元のスポンサーからの収入があるので、その顔色を見るからしょうがないにしても、政権の顔色を見る必
  • 日本の報道の自由
    風と雲 (06/10)
    政権に不都合なことは隠す、曖昧にする、知らしめない。これは政権が世論を最も恐れっるからだ。現政権は硬軟取り混ぜた巧みなメディア操作と中身の無いパフォーマンスが功
  • 日本の報道の自由
    アジシオ次郎 (06/10)
    おはようございます。

    こういう指摘についてすぐに「内政干渉だ!」って反論も出てくるけど、日本の報道の自由度というか報道が健全かという点において先進国において❝
  • 夏のサンマ
    竹林泉水 (06/02)
    逆に一年間漁をやめるなどしてはどうだろうかと思うが、それでは漁業者の生活権を奪うことになる。また、今まで、外国人に日本の美味しい食材を紹介して、それを海外に売り
  • 夏のサンマ
    荒野鷹虎 (06/01)
    漁獲量は年々細くなっていますが、資源本来の減少も一因と思います。期限を撤廃するのは大きな間違いと思います。
    資源は有限ですから資源保護政策をとる必要はあると思い
  • 維新の会 丸山穂高氏の発言 記事追加
    竹林泉水 (05/16)
    私は丸山氏の日頃の言動をよく知らないので、何とも言えないがマスコミやネットなどを見ていると、もともと議会制民主主義の国会議員としてのあるべき資質を否定しているよ
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