FC2ブログ

竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

日本人の感染症の意識

COVID-19はドイツやイタリア、アメリカなどで多くの感染者と死亡者を出している。それによりウイルスに対して危機感を国も国民も持っている。しかし、日本は感染者・死亡者が少ないので、専門家などは危機感があるだろうが、一部の政治家は経済を優先に考え、情報が伝わらない国民は安易に考え、感染ウイルスを軽く見てしまうことが懸念される。それにより第二波のクラスターは巨大なオーバーシュートの恐れがあると感じている。

韓国は海外からの入国者を対象に2週間の隔離を義務づけているが、それに対し20代日本人が従わす拒み、外出して飲食店などを利用したとして逮捕された。韓国では 2012年にMERS(マーズ)の感染が拡大し大変な問題になった。その拡大したことを教訓として、ウイルス感染封じ込めに対する法律が整備され、国民もそれに対しての記憶があり危機感をもっている。そのため普段の自由を少し犠牲にして、不条理な個人の監視や自由を制限されることに対して一時的に容認する心構えができている。
しかし、日本で近年の感染症に対する感染拡大の経験がないので、感染症に対する意識が低いようだ。このCOVID-19も世界的にパンディミックが起き世界各国は危機意識を持っているが、日本は外国と比べて感染者死亡者の数が少ないので、外国ほど危機意識がいまだに低いようです。このCOVID-19が一旦収束しても第二波が強毒化して襲うと、今度は日本は致命的に打撃に襲われることも、考えてられるのでウイルスに対する意識を国民全員が高め持たないといけないだろう。


また、オリンピックが来年に延期されたが、安倍首相とIOCのバッファ会長とで、再延期はないことで合意したと伝えられている。つまり、来年に終息していないか、また第二波が襲うと再々延期ではなく中止とするようです。
来年オリンピック、パラリンピックが無事に開催されることを願うが、一旦収束して万一第二波が襲う恐れが出てくれば、日本はどのようにすれば良いだろうか。
また、オリンピック開催をしたいための、感染の事実を過小に見たりすることだけしてはならないです。安倍首相は「新型コロナウイルスに打ち勝った証としての大会」と述べているがこれからどのような対策を執っていくだろうか。
オリンピック誘致のとき、福島原発はアンダーコントロールされていると嘘をついたのを覚えている。このCOVID-19の感染が日本で広がり始めたときも、五輪会さが危ぶまれててか、感染者数の算出は低く抑えたと穿った噂がながれていた。同じようなことを繰り返すことだけはしてはいけない。

コロナ対策と面従腹背

コロナ対策として、面従腹背が大切

このコロナ禍のパンデミックの時こそ、ウイルスを封じ込め、早くこの状態を終息させるには、鼎立していても連帯が必要でです。しかし、政府の指示などの盲従してしまうのは良くない。そこで大切なのは、面従腹背であることが重要になってくる。
このコロナ禍の危機を乗り越えるのに政府が何を言い何を為しているかを、平時よりしっかりと詳しく見極め知り、それに対して自由にものを言えることが重要だ。けっして面従服従や面従腹従することはよくない。そのような姿勢でいると、自己の自律性が失われ個が崩壊してしまう。
それにより、このコロナ禍が過ぎ去った後、今までと同じかあるいはそれよりよい生活が戻ってこない。

日本はこのCOVID-19の様々な情報がどれだけ、国民に提供されているだろうか。世界的に見て日本の感染者と死亡者の数が低いのは何故か。など不思議だななぜだろかと思うが、その疑問に答えてくれることができない。正確な理由を論理的な情報を知らされていないままに、感染者や死者数が少ない数字だけを捉えてしまうと、COVID-19は日本人に対しては、大したことはないと多くの人は誤解し、COVID-19への危機感を持つことができなくなる。

かろうじて、海外の国が行っているような強権的な方法を執らなくても、かろうじて持ちこたえているのは、お上の言うことは正しい従うのが道理だと考える、日本人の特性があるからだろう。それにより、いま行動の自粛を粛々と受け止めているが、時間がたつと諸外国に比べ感染者数や死者の数値の低さを見て、大したことはないと思い、行動の自由の制限の解除されるのを待ちきれなくなり、いま我慢して自粛しているその箍がはずれてしまう恐れがある。箍が外れると多くの人が外にでだすと類を見ないオーバーシュートを起こす恐れがある。

そのようなことが起こらないためにも、何故、日本は海外の国に比べて低いのか、検査数が少ないのでよいのかなどを説明し、感染者数などが海外の国と比べて低いのは、別の原因や理由があるかなどをいまわかっていることは公表していくべきだ。
それは、正しく判断が出来る情報を私たち市民・庶民は健康と安全な生活を守るために知る権利がある。
しかし、私にはCOVID-19禍に対してこれ以上の情報や知識がないので何も言えない。

100年前の教訓

与謝野晶子は、100年前のスペイン風邪が流行、家族が感染したとき、その体験を踏まえ、1918年11月10日付の横浜貿易新聞(神奈川新聞)に、「感冒の床から」と題した論評記事を寄稿し、政府を対応を批判している。その記事をよむと、なんだか今の日本社会の様子がだぶってしまう。

晶子の寄稿文の概要は次のようなものです。
・自分の子どもが感染したら家族全体が罹患し、感染力の強さを指摘
・政府の対応の遅さを批判。
・政府は人込みの多い場所の一時休業を命じないのか。
・日本人に共通した目先のことを優先する、都合がよいことや便利のよいことを優先する性癖を批判。
さらに晶子は、
収束が待ちきれなく外に出てしまうと、感染症の第二波がくる。とも言っている。

晶子は医者でもなく感染症学者でもなく、一詩人の文化人です。

100年前のスペイン風邪は日本でも数百万の人が死んだと聞くが、この晶子の寄稿文を読んでみると、私たち日本人はいかほどのことを勉強してきたのだろうか。

ビスマルクが「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったが日本人は愚か者だろうか。

コロナ後の世界 

このコロナ禍により、国によっては、中国やヨーロッパの一部の地域なっどで、都市が封鎖されている。また、日本のように人の移動や活動の自粛が呼びかけられ、それにより、人生に意義を見いだすことのできない絶望的な状況にに陥ってしまっている人が多くでてきている。
戒厳令や都市封鎖のように、強権的に行動が制限されることは不条理で、他から強制されたり支配されての行動が制約されることは、耐えられないことではある。しかし、それ以上に、自らが納得しないで自粛するのだと言い聞かせて行われることは、いかほどの不条理であろうか。おのれ自身に対して、自ら立てた規律に従って自らの行動を規制するには、おのれ自身が納得してのことが前提だがそうではないのです。
そして単に権力から強制的に従わさせられるのではなく、自粛の強要が起きることが恐ろしい。いま、ネットなどでは自粛ポリスとか自粛自警団とか出現している。また、閉店していない店い批判する紙を貼ったり、外出している人を攻撃する人が現れている。


外出制限により、人との繋がりが断ち切られ、人生に意義を見いだすことのできな状況に、貶められてしまう。またそのような、不条理が永く続くと、それが当たり前に感じるようになり、感覚が麻痺してしまい不条理がであることを感じなくなってしまうことを恐れる。
そのようになると、先に書いたように他者を攻撃する自粛ポリスなどの荷担者になる恐れがある。不条理を感じなくなり、さまざまな感覚がなくなり、成り行きに任せてしまうことになってゆく。そうなると、非常事態だから文句を言うな、不条理を我慢しろ、あらゆることに対して異をとなえなくなり、自分の意をも捨ててしまうようになる。
戦中の標語にあった「欲しがりません勝つまでは」のようになってしまう。
そのように感覚が麻痺しないようにするにはなにをすればよいのだろうか。
まずは、常にわれに問いかけ思うことが大切で、そのなかで、現代のSNSなどの便利なツールを使うなどして、他者と連帯して我らの存在を感じ合うことが大切だろう。

COVID-19での高齢者施設での苦難

コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、外出禁止になり人との接触にも制限がされるようにななっている。
その影響は、局部的に地域封鎖などはあったが、世界的にはいままでここ数十年経験したことがないので、多方面にあり予測していない所にも深刻な問題がでてきている。

そのなかでも、高齢者の介護施設や養護施設などでは、今まで面会や地域との交流などが自由にされていたが、感染防止のためだが、言い方が少しきつい表現だが、入所者が強制的に自室に隔離され、隣の部屋の人とも会えなく、引き籠もりを強いられ、牢獄にいるように感じるている人も多いと聞きます。そのような人にのなかには、生きる気力を見失い始めている人もいるようです。

このことは、深刻な問題です。高齢者が生きる気力を見失うと、運動量が減り食欲も落ちてしまいます。そうなれば、気持ちにゆとりがなくなり短気になってしまい、今までの施設でのいろいろな活動が再開できればよいが、感染を予防するには、接触を極力抑えることから難しい。

入所者が今までの活動ができないことから、ゆとりななくなり不安がつのり不安定になり、介護師・看護師に些細なことで衝突してしまうことなる。そうなれば介護師・看護師の負担が増してしまいます。これは深刻な問題で、介護・看護の質が落ちることにもつながりかねないです。
また、これらのことにより、身体の免疫力も落ちてしまいます。コロナウイルスでなくても、他の感染菌や持病などの抵抗力が落ち、それに対する回復力も落ちてしまうでしょう。それにり、寿命を縮めることにもなりかねないです。

しかし、これは何も入所施設だけのことではなく、それぞれの街の中の家庭でも言えることです。どのようにすればこの難局を乗り越えられるだろうか。
まずはからだを動かすことだと私は常々思っている。そのからだを動かすことについては改めて書こうと思う。

COVID19の新三本の矢?

新型コロナウイルス(COVID19)に対して、中国で東京と同規模の工業都市である武漢が封鎖されて、日本の対応は非常に鈍かった。ウイルスに感染した数も韓国やヨーロッパの国々と比べ非常にすくなかった。また、本来はこのウイルスに特化した新型コロナウイルス時別措置法を作り制定すべきだったが。それをせず、新型インフルエンザ特別措置法をCOVID19にも適用できるように法律を改正した。インフルエンザの特措法が民主党政権の時に作られたので、民主党も賛成だろうと目論んでのことだろう。しかし特措法の改正がされても、なかなか緊急事態の宣言を出さなかった。これはなぜだろうか、緊急事態を宣言すれば、外出自粛の要請や企業活動の縮小の要請がなされれば、経済活動への影響は必死です。そこどえ、アベノミクスの三本の矢により、経済の停滞の活性化がより遅れ。また、外出自粛や企業活動の縮小により、責任をとることを避けようとしたのか。緊急事態宣言だすには、首相一人で考えて判断して出すのではなく、専門知を持った人たちの会議や閣僚の閣議で行われるのだが、それらの人たちも宣言を出すべきとしたときその責任が問われることを恐れ、自分の考え率直に素直に出すことができる雰囲気だっただろうか。

このことを考えると、東日本大震災による、大津波により福島第一原発の電源が消失してしまい、原子炉の制御が効かなくなり、メルトダウンが起きていることが心配されたが、東京電力の専門家はなかなかメルトダウンが起きる起きていることを認めようとせず、民主党政権にメルトダウンを否定していた。民主党政権はそれを鵜呑みにして、原発事故の対策が遅れてしまた。これもメルトダウンと言ったとき、それが間違っていたときの責任を恐れて、メルトダウンと言う結論がすぐに出せなかったとも考えられる。
これと同じように、COVID19に対する対策が、楽観的で遅いのはこの責任をとることを恐れたからだろうか。
もともと、日本は明治以降の政治を見ていると、責任を先送りしたり、逃げたりしてきていることを繰り返しているとよく言われる。つまり、責任から逃げるということは、その当事者としてのその組織全体のことを考えないで自分のことを中心に考えているからです。
国の政治でいうとなら、主権者である国民のことではなく、自分への支援者や自分が応援している人の利益の方を重用ししていることです。安倍政権のCOVID19の遅れは、
一つは、五輪開催が危うくなるから、感染者数が低くなり、五輪の1年延期が決まってもそれは続いた。
二つ目は、アベノミクスにより経済回復を掲げている政権としては、外出自粛や企業活動の縮小などは、経済の落ち込みを避けることは、国民の安全健康より重要とされた。三つ目は、議会の審議での丁寧な説明をせず、議席の数の任せた議会の強行採決による横暴と、憲法・法律を都合のよいようにねじ曲げて解釈し、議会を通さずに閣議で決めてしまう、しかも閣議のなかには後で検証できる議事録もとられないものが多いという。
これは、安倍政権の「新三本の矢」だ。

COVID19政治的混乱と危機を乗り越えるには

日本はこの新型コロナウイルス(COVID18)において、この政治的混乱の危機を乗り越えられるのか。
安倍政権は民主党政権の時に作られた新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)を、COVID19にも対応できるようにした。それにより、緊急事態宣言をだし、地方自治体の知事に外出制限や集客施設などの営業自粛を要請できるようにした。

しかし、武漢で未知の新型ウイルスが見つかり、武漢の街自体が封鎖される事態になった。また、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス丸で、COVID18び感染者が見つかり乗客乗員が足止めされたが、国内での感染者数が低かったか低く押さえられたか、日本政府は国内での水際体対策と、国内での感染拡大防止の対策は後手にまわった。これは安倍政権が、COVID18の感染が国内で広がれば、オリンピック・パラリンピックの開催が危うくなるのを懸念したとも見られるものだった。しかし、IOCが東京五輪の開催を1年延期することを決定しても、迅速な対応が遅れていた。それにより、国民の間にもこのCOVID19に対する危機感がいまだに低いようです。新型鳥インフルエンザの時は、メディアがもっとその危険性を報道していたので、国民はもっと危機感をもっていたように思う。首相が緊急事態宣言をだしてようやく、国民の中に危機意識が出てきたようだが、そのなかでフェークや陰謀論やパニックまがいのことも、SNSなどをみると見受けられる。

民主党政権の時に新型鳥インフルエンザのパンディミックが心配され、急遽立法化した新型鳥インフルエンザ特別措置法にCOVID18も適用できるように条文を付け加えた。しかし、この特措法は本来は新型鳥インフルエンザに対して作られたもので、別の病原菌である新型コロナウイルスに同じよう適用しても、対応しきれないところもあると指摘しているひともいる。本来なら新型コロナウイルスに対応する特別措置法を作るべきだと指摘する人もいる。それでは今となっては手後れなので、ここでこのCOVID19に対して国民と国会での与野党の連帯が必要です。
しかし、この特措法による緊急事態宣言でならし、憲法に緊急事態条項を加えることの正当性を見いだそうとする動きが安倍政権の中に出てきていることが心配です。

いま一つ、今までの自民党政権と違い、安倍政権は憲法の捻じ曲げ解釈、法律の捻じ曲げ解釈、国会での数による強引な強行可決、議事録がない閣議決定で物事を進めるなどの暴政により、野党は安倍政権に対して不信感wを持ち必要なことに対しても不審にな、与野党の連帯と共働をもってこのCOVID19に、日本は対処できるだろうか。このままいけば、1年後に世界はこの危機から抜け出せても、日本はそれから取り残されてしまいそうです、そうなれば来年開かれる予定の、東京オリンピック・パラリンピックどころではなくなる恐れがある。そうなれば1940年の東京オリンピックのように中止になりかねない。そのような不名誉なことにならないように、安倍政権のこの危機をもっと真剣に受けとめ、与野党の対立と議論の中での連帯に取り組んでいくべきです。

新型コロナウイルスとスマホ

新型コロナウイルス(COVID19)により、政府は国民監視の武器を手に入れることになるかもしれない。スマートフォンの位置情報をつかて、COVID19の感染者との濃厚接触者を見つけだし把握するためのアプリを開発して導入するというものだ。
中国ではすでに導入され、ウイルス感染の広がりを押さえ込むために活用されていることが、一月ほど前のニュースが報じていたが。ようやく日本も中国並に監視体制が整いつつあるとも見てとれる。日本では中国のように強権的な行使はできないだろうが、法の解釈をねじまげるとそれも可能になるだろう。いくら今の政府が国民監視には使わないといっても、その後の政権がこれは便利な機能だとして使う政権が現れないとも限らない。

また、COVID19の感染が拡大するなかで、マスクを外さないでも本人確認ができる、顔認証技術開発がなされていることが、NHKのニュースで報じられていた。
NECはAIの人工知能を活用して、目などの顔の一部の情報だけでも判別できるよう、開発を進めている。企業のセキュリティーゲートを通るとき、手でマスクを外すため、手で口元をさわる必要がなうなるという。
香港では抗議デモで、デモ参加者が個人を特定されるのを、避けるためマスクをし顔を覆うようになった。さらに警察が催涙弾や催涙スプレーを使うようになり、防毒マスクをするようになた。また、スマホで動きを追跡されるのを避けるために、香港の人たちは自由を守るためにいろいろ工夫をしているようです。

話をもどして、別のベンチャー企業では、顔認証と体温を計るサーモグラフィーとを組み合わせたシステムを開発している。
顔認証と体温チェックを組み合わせ、スマホの位置情報などと組み合わせて、先のビックデーで解析すると、熱がでている人が何時何処に何人いるかが把握でき、それをスマホを持っている人に伝え警告をすることにより、人の動静を変えられることになる。

これらの便利な今のAI人工知能デジタル技術の活用には、個人のプライベートな情報が第三者に収集され蓄積されていることになる。それがどのように使われるか、本来個人のプライベートな情報はその人以外に役に立たない無意味なものです。しかし現代は、それらの情報が集積されて、企業などに売られて企業活動に利用されている。
これから、スマホやプリペイドカードなどの使い方を便利だといって、安易に使うことに対して、個人個人が注意するべきであり、政府は慎重にあらねばならないです。

デマ情報に踊らされないように

自然界の生物ウイルスには、インフルエンザやエボラ出血熱や、いま拡散が広がっている、COVID19ウイルスなどさまざまのウイルスがある。

他にもウイルスのようなものがある。コンピュータに感染するAIウイルスがあるが、これは通常コンピュータウイルスとよばれている。これはコンピュータプログラムの一つです。これは先に書いた通常のウイルスと同様に、コンピュータにこのプログラムが組み込まれると、プログラムを書き換えたり、誤作動させたり、踏み台にして悪意のあることをする。このプログラムは、他人からもらったファイルやメディアなどのこのウイルスプログラムが組み込まれていたり、メールの中に潜んでいたりする。そいて、まるで自然界のウイルスのように感染を広げていくプログラムウイルスです。

人と人の間に感染したように広がり拡散するものがある。
昔から噂などがそうであり、何人かの第三者に手紙を出せば幸福になれるとか、出さないと不幸になるという不幸の手紙です。
現在はそれがインターネットやSNSなどにより、驚異的な早さと拡散される大きさ広がっている。
そのなかに、虚偽情報が仕組まれているもので、フェークウイルス、デマウイルス、陰謀論ウイルス、意図的・偽造・捏造ウイルスと名付けてもよいようなものです。それは、本物のウイルスのように、人にダメージを与え社会を混乱させるものです。

そのため、これらのフェークウイルスなどに惑わされ拡散してしまわないように気をつけなくてはならない。
新しい情報にであったら、その情報のでどころ、正確さを確認するべきです。そうしないと不確かな情報の情報拡散される、インフォデミックが起きてしまう。

それには、知性を高め哲学的思考をし教養を重視することです。しかし、テレビでは軽薄な番組が流されている。インターネットでは無法状態です。それらの低品質悪品質の情報にまどわされないように、多角的・多面的に情報を得て、多角的多面的に考え自分の考えで判断できるようにしよう。

コロナウイルス対策と世界経済

コビット19(新型コロナウイルス)の感染が世界中に広がっているが、それにともな世界の経済に影響をおよぼしている。
中国は世界の工場とも言われ、多くの世界の企業が、中国での工業製品を生産製造している。
しかし今回、中国では、ウイルスの拡散を防止するために、都市を封鎖したりすることにより、物流の流れが滞ったりしている。また、工場自体が生産を自粛しているところもあり、それにより、日本を始め世界の多くの国で、中国で生産された製品の物流がストップしている。

現代の経済はグローバル化され、日本だけでなく、多くの大企業だけでなく中小企業も、いままで国内で製造していたものを、生産の拠点や工場を中国や東南アジアやブラジルやインドなどの移している。また、なかにははそ製品の供給元が、一国に偏っているものも多い。

世界の経済はグローバル化され、現在の世界経済は一国ではなく、それぞれが相互依存している状態になっている。確かに、地産地消 自給自足していれば、今回のようなリスクはその一地域の中でとどまるが、それは経済効率が非常に悪いものになってしまう。現在のように多国籍企業のグローバル化は、企業の寡占化だけでなく、製造拠点の寡占化も進んでいくことになっている。それは製造拠点の一点集注により、製造コストを下げることができる利点がある。
しかし、今回のようにその依存先が単数しかなければ、その依存先が倒れれば他からの供給元がないので、需要するところは品不足になり窮地に陥ってしまう。

現在のように、低コストで経済効率ばかり追求していると、予測想定していないアクシデントがあれば、世界経済全体に及ぼすことを改めて知らさることになる。

経済発展がスローであっても、地域のなかで地産地消 自給自足していれば、いざという時に強いこと考えておくべきです。寡占化や独占より、いろいろなものが相互依存して分散していれば、お互いにいざという時に融通し合えば、困難立ち向かい克服することがでくる。それは日頃からそれぞれの地域や国の関係が友好的で寛容であらねばならないだろう。
いがみあっていれば、なにかあれば報復合戦になってしまう。さらに、このよな場合お互いの感情を入れたり、国民の人気をえるための政策をすれば、さらに外交などもややこしくなてしまう。

現在の世界経済への影響を考えて、冷静に対処していくべきだろう。

仕掛け学

仕掛け学
人の行動をその人が意図して起こすのではなく、無意識のうちにその気にさせる、行動学というものがあるそうだ。
それを、「仕掛け学」というそうです。

この仕掛け学を、約10年前から研究に取り組んでいる大阪大大学院経済学研究科の松村真宏教授は、「大切なのは強制をしないこと。そして、自然にその方向にいざなうこと」という。しかし、自分の行いを意識しないでしてしまうことは非常の恐ろしいことだと思う。
松村教授の発表した研究は、・男性用トイレに「的」をつけ汚れが防止される仕掛け。・子どもおもちゃを片づけを促す仕掛け。・エスカレーターより階段を使うように促す仕掛け。・ゴミ箱にゴミを入れると「ヒュー」っと物が落ちてゆく音が聞こえる仕掛け。などたわいのなものです。
しかし、これらの研究を窮めていくと。衆人の行動を意図的に操作することにもつながる。
駅では電車が到着すると、乗客が降りて多くの人が階段に殺到する。そうなると、いまから電車に乗るためにホームへ行くの階段を利用する障害になる。それをどうするのかの対策のための仕掛け。
またスーパや百貨店などでは、商品の配置に訪れた客を誘導するため、商品の陳列を工夫して物を売る努力はどの仕掛けは昔からなされている。

仕掛け学は、最近の学問と言うが、そのようなことはかなり前から、第二次世界大戦いぜんから戦略的におこなわれていたのではないか。
また、むかしから、学校でも生徒がやる気を出すためにいろいろな仕掛けをしている。
そこで、この仕掛けを考えるために重要なのは、松村教授は次のことが重要だと指摘している。
・公平性(Fairness):誰も不利益を被らない。
・誘引性(Attractiveness):行動が誘われる。
・目的の二重性(Duality of purpose):仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が異なる。
これを「FAD要件」というそうです。

そして、「良い仕掛け」「悪い仕掛け」があると指摘する。
「良い仕掛け」とは、仕掛ける側と仕掛けられる側の双方の目的を知ったときに「素晴らしい、こりゃ一本取られた」と笑顔になるもの。
「悪い仕掛け」とは、「だまされた、もう二度と引っかからないぞ」と不快にさせるのが悪い仕掛けという。

しかし、この学問が人間工学と心理学や最近に人工知能やIT工学などと組み合わされ、社会操作に利用されないか不安になるところもある。
学校の授業は様々な行事などまた、部活動などでは、様々なところで生徒のやる気を引き出すために、いろいろな工夫をしている。それらも一種の仕掛けだろう。また、松村教授の男性ようトイレの仕掛けや、手洗いの仕掛けや、おもちゃ片づけの仕掛けや、階段利用の仕掛けなどは、遊び心がありそれはそれでよいものだが。
仕掛けられる方が、知らないうちに仕掛けにのせられ、意図しないことをしてしまうのは危険なことだろう。

コビット19が監視社会へ

新型コロナウイルス(コビット19(covid-19))で、各国のその拡散予防の対策がニュースで紹介されいる。
その中で、中国のスマートフォンを使っての技術が紹介されていた。スマホでその電波受信の位置情報を使って、自分の立ち寄った地名を表示されるサービスが紹介されていた。
その後さらに次のようなサービスも始められている、スマホの画面にQRコードを表示させ緑色だったら、コビット19に感染していない。その緑のQRコードを利用する施設の、施設の係員に見せて施設を利用できるか否かをきめる。また、自分の現在いる地域にどれだけの人が感染している人がいるかを表示させるサービスも提供されているようです。
なんだか、知らないうちに自分の行動が、誰かに把握され監視されているようで、私はいやな気分になる。しかし、これらになれたら、衛生面や健康面で安全なので、便利でいいじゃないかと言う気持ちになり、衆人の行動が関しされていることに、抵抗感がなくなることも恐ろしいと思う。
日本でも、スマートフォンを利用して、クレジット決済と組み合わせて、他の様々なサービスが提供されはじめている。
これはスマートフォンではないと思うが、ある企業の社員販売店では、その店舗の至る所にカメラが設置され、顔認証や社員証のIDカードやスマホか何かで、誰が店舗にはいて利用するかを関知し、その人がどの商品を手に取ったかをカメラで認識して、どの商品を持って店舗をでたか、それにより何を購入したかを把握する。そして、購入した代金は給料から天引きされるという。
確かに、非常に便利だがそこまで自分の行動を把握されるとなると、私は非常に抵抗感がある。
これは、その企業の今後のサービスシステムとして、コンビニや街の商店に利用できるように開発されるだろう。

IT技術や人工知能は今後どんどん進化して、街に中にあふれていくだろう。町中の中にカメラが設置されあらゆる決済が、このようになるかもしれない。

今、ガラ系と呼ばれる携帯電話でも、その人の位置情報は、通信サービス会社はその人動向を把握できる。しかし、今後通信サービス会社は、ガラ系のサービスを停止するとも言われている、そして、スマートフォンにより、衆人の動向の把握ができるようにななり、それがビッグデータとして蓄積され、販売されたり国などが国民を監視することにも利用されかねない。
なんだか、SF小説にような社会になっていきそうだ。

「日本神話伝説の研究」を読んでいて思うこと

高木敏雄が「日本神話伝説の研究」の「珍奇なる神代史論」に暴騰に次のように書いる。

滔々たる進歩開発の潮流に抵抗して、飽までも頑冥陋固の愚説を固守するもの、科学界、文学界においても、なおその人に乏しからず。しこうしてこれからの論者が、多くは国学論者、また日本論主義者なるこそ、おもしろくまたおかしけれ。

江戸時代末期や昭和前期ごろに、このような人がいたが、また巷にそして永田町界隈にも、このような人が闊歩しているように覆う。江戸時代末期には停滞していた鎖国の国に、黒船などにより自身はなんたるかを問いたが、昭和初めには結果的に日本の国を惨禍に貶めることになった。
そして、対米従属から脱しきれなくまったいま、二つの道ともう一つの道がをがある。

一つは、今の安倍政権が進めている、対米従属の強化。
もう一つは、対米従属から脱却して道義大国への道に舞い戻る。
そして、別の一つは、米国と対等な立場で、国際社会の中で相互尊重と自主自律路線を作りだす方策を模索していくことだろう。
決して、このよな、珍奇な神代論に惑わされてはならないが、最近そのよう空気や風が醸し出されてきている。

オリンピックに気をつけろ、愛国心に気をつけろ、クールジャパンの稀有に気をつけろといいたい。」

温暖化に対する意識

EUの幹部が、地球温暖化を求める若者の活動を、疑問を呈して、グレタ・トゥーベリさんを引き合いにだし、「グレタ症候群」などと冗談ぽっく皮肉ったことについて、批判が集まっり謝罪に追い込まれた人がいる。
(余談だが、日本の首相が国会の委員会で終了間際にヤジ飛ばした、その国会での冗談に看過できないとしているが、党はそれを擁護しようとする。もともと今の首相がよく冗談をヤジをするひとだが、ちゃんんと謝罪するのはまっとうだが、さて・・・・)

ヨーロッパの、メディアによると外交を担当するボレル上級代表が5日、ベルギーの首都ブリュッセルでの会合で、「若者たちが自分たちの生活水準を下げてもかまわないと、ちゃんと認識しているかは疑わしい」と指摘し、若者が温暖化対策によるコストを認識せずに活動を行っているとして疑問を投げかけた。
そして、「グレタ症候群」についてが、SNS上で拡散すると、「情けない態度で、EUを代表するような人物に値しない。若者を見くびるな」などの多くの批判があつまり、それに対してボルト上級代表は、「気候変動と戦う若者の重要な働きに対する私の不適切な言及で不快に感じたかもしれないすべての人に謝りたい」。と述べた。

私は、地球の温暖化問題は深刻な問題だと考えるが、それを解決するにはたしかに、温暖化対策によるコストのことを考えないといけないのと同時に、いまの経済的に豊かな国々の人の便利な生活の質を考え落とさなければいけないことを考えないといけない。コストがかかるからと先送りすれば今の、温暖化問題がさらに深刻になるも考えないといけないです。私はあと10年か20年ぐらいで死んでしまうので、21世紀の2050年がどのような状況になっているかは関係ないので、今よりもっと便利な生活をと考えてもよいが、それでは後世に対してあまりにも無責任ではないかと思う。

ボルト上級代表のいうことは、確かに間違っていないが、それはコストがかかるのでもっとコストをかけて対策を立てないといけない、温暖化運動を否定するような方向に考えが向くことは間違ている。

世界中の国々がこのことをよく考えないといけないといえる。
アメリカや欧州や日本の国の人の生活をいかにスローにするか。BRICs(ブリックス)の国の人々の生活を考え、発展途上の国々の人の生活をいかに向上させるか。などを考えていくには、世界の国々は共通の目標をもって進めなければ解決できないだろう。自分の国第一主義や至上主義でとてもこの問題は解決できないだろう。

愛国心とはなにか

愛国心とはなにか。
将棋面貴巳の「日本国民のための愛国の教科書」百万年書房 を読んで思ったこと。

古代ローマの政治かキケロは、「自然的な祖国」と「市民的な祖国」があるとし、共和制ローマにおいては「市民的な祖国」の愛国心を重要視していたとし。そこで、現代でもヨーロッパの国での愛国心は、「共和的な政治的価値や制度を防衛するという政治的姿勢」といわれている。つまり、暴政に抵抗することを認めていると将棋面はのべている。
権力者が共通善のためでなく、私利私欲私益のため権力を私物化した場合は、市民はその暴政に抵抗しても道理がある。市民の共通善を脅かす権力の乱用に対する抵抗権は正当化される。だとすればつまりは、「愛国心」は本来は、野党である反体制側に望みを託されたものだといえる。
哲学者カントも愛国心は、「自由で平等な市民から成る共和国家への忠誠心」と定義しているのも、一つの抵抗権が正当なものだとみることができるだろう。また、国によっては、憲法に抵抗権が明記されているものもある。日本でも、明治初期に作られたいくつかの私擬憲法のなかには、明確に暴力をもちいた抵抗権が明記されているものもある。
現行の「日本国憲法」の、12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。略・・」も、捉えようによっては、国民の抵抗権を謳ったものだと言えるのではないだろうか。
しかし日本では、明治時代になるまでは今で言う「愛国心」などの概念はなかった、それまでは藩がお国で庶民には、生まれた郷土を思う気持ちはあったろうが、武士のように殿様に忠義を尽くすよな考えは微塵もなかった。しかし、明治政府が今までの幕藩制度から、近代国家にするためには一つ日本国を形づくる必要があったそのため。「愛国心」というものを教育勅語によって作りだされた。天皇を頂点とする一つの日本を国民に訴えた。それが、昭和になり戦争に利用されるようになり、日本の臣民は天皇の子であり、天皇のため命を奉げよとなり、天皇に絶対服従を国是として「愛国心」と定められた。
そのため、戦地では投降は許されず、お国のため天皇万歳と殉死を強いられた、人がなんと多いことか。
このように、日本の場合、戦前に国家神道の考えが戦争にも使われ、それが正しい戦争となり、正義のためならなにをしても許されるとなり、悲惨な結末を生むことになった。宗教の教えによる戦いは時に、神聖な目的のために戦う戦争だ聖戦だとして、他国民の虐殺などを生んだり、ISイスラム国の自爆テロや、自国民の命を犠牲にする悲惨な結末を生むことがある。

本来は愛国心は、「日本人でよかった」などの自国愛ではなく、キケロの望むパトリオティズムの、愛国心であるべきだろう。しかし現在、グロバル化と新自由主義経済の進み経済格差が拡大する中では、どのようにしたらよいのだろうか。
キケロの時代は奴隷(アメリカの黒人奴隷のようなものではない)がいて、カントの時代は貴族が特権を振るっていた時代だった。カントの「自由で平等な市民」とは、現代の庶民のことではなく、貴族階級の人々や富裕者や知識人のことで、それらの人から視点で、支配階級の一部の権力の実権者が、その特権を濫用した場合の抵抗でしかなかった。

しかし、現在の自由と個人の一人ひとりの人権が尊重される民主主義の世の中です、一般庶民の抵抗権はどこまでどのようなことが認められるだろうか。
一つに、抵抗は、選挙で時の政権の交代をさせること。一つに、抵抗は、庶民が抗議の声を上げたり、デモをして行動で抗議を示すこ。一つに、情報を余すことなく開示させること。一つに、行われている政治の真実を知りそれについて考えること。などがあげられる。
これらをどのように、政治の実権を握っている人に訴えていけばよいのか。
デモにしても、香港の抗議行動がしだいに過激になっていったのは、行政府の対応のまずさまあるが、抗議集団が大きくなりすぎそのなかから、一部に過激な行動をとる者でてきたのは、抗議行動のデモが統制とるものがいなかたので、一部に過激に暴走するものがいたのだろう。しかし、抗議行動に参加する人の数を見ると、行政府はその参加人数を見過ごすことは今後の香港や中国にとて、火種を後に残すことにしかならないだろう。
抗議行動のしかたも、よく考えないと「公益を損ない、秩序を乱す」として逆に、弾圧されなくないので慎重にすべきだろう。
その、抵抗権については、現行の「日本国憲法」では、何でも自分勝手に抵抗権を行使は認めていない。第12条には、そのことを次のようにかいてある。「 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」。ここで述べてある、「公共の福祉のため」と書かれていることで、「公益と秩序」でも「法の下で」もないことです。この「公共の福祉のため」は何かと議論になるが今後も何かをよく考えていきたい。

話はもどしでは、現代の問題点とはなにか。今までになかった、新たな課題が生まれてきている。経済の成長の限界が見えてきているなか、企業が成長しようとするには、市場競争経済では寡占化の道に進むしかない。それにより一部の人が富を独占するようになってきている。そのため、勝ち組で富を独占した者は、その富をどうするかを庶民を視点で考え、富の再分配をどうするか考えることが今後の課題といえる。富裕者が富の再配分を拒否したり、国が富の再配分を怠ったり拒むなら、一般国民の庶民がそれを国に求めることが、現代の本当の「愛国心」となるのではないだろうか。
政治が富の独占を容認するなら、庶民はどうしたらよいのだろか。

それは、政府のすることを鵜呑みにした、愛国心ではなく、カントの言う「自由で平等な市民から成る共和国家への忠誠心」のようなものだろう。

スマート道路

スマート道路なるものがあるという。
NHKのワールドニュースを見ていいると、外国で、片側二車線の高速道路の路肩をなくし三車線にするものだそうだ。
これにより、単純に計算すると交通量が3割増やすことができる。
しかし、路肩を潰したことにより、死亡事故が増えているという。故障車などが外側の車線に止まっているとそれに気が付かずに追突したり、気が付くのが遅く急ハンドルを斬って事故を起こすことになる。
効率を優先して安全をなおざりにしたと見られても仕方ないといえる。

ネットで調べてみようと思って調べたら、日本でも国土交通省が2014年に検討し実施されているようだ。最近自動車専用道路を走らないので、しらなかった。

路肩は、クルマが走る車道を「路肩」呼ぶが、それは、道路の保護、故障車の退避、車道余裕を持たせ、安全性を高めるなどのためにある。
調べてみると、幅にもルールがあって、高速道路は2.5m以上、首都高速など自動専用道路は1.25m以上ときめられている。そのため、故障や危険回避以外の目的でクルマを停めることは禁止されている。もちろん走行してはいけない部分になる。
道路構造令によると、中央帯(中央分離帯)があるか、緊急用の停車帯があれば、路肩はなくても良いと定められている。しかし、緊急の退避のため、「非常駐車帯」を用意すればと思うが、ワールドニュースでも、そこまで行くの1キロほど移動しなくてはならない場合もある。

いずれにしても、効率を優先して安全を疎かにすることは如何なものかと思う。
最近は、経済がグローバル化し国際競争力もスピードが問われるようになり、何事も効率化が優先されるようになってきているが、効率をだけを追い求めて、本質を見失ってしまってはならないだろう。

五輪と愛国心

あと半年ほどすると東京五輪パラリンピックが開かれるが、五輪の開催や選手を応援しない人に、愛国心がないとか非国民とか反日などの言葉で非難する人を見受けるようになった。
アメリカのジャーナリストの、アブロンズ・ピアズの『悪魔の辞典』で、「愛国心」「愛国者」を引いてみた。すると、辞典の冒頭に「愛国者」「愛国心」とのっている。もっとも辞典だから五十音順に載せるので、冒頭にきてもおかしくない。
岩波文庫の『悪魔の辞典』(ピアズ著 西川正身編訳)では次のようになっている。
・愛国者(patriot (n))
部分の利害のほうが全体のそれよりも大事だと考えているらしい人。政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人。
・愛国心(patriotism (n))
自分の名声を明るく輝かしいものにしたい野心を持った者が、たいまつを近づけると、じきに燃え出す可燃性の屑物。
ジョンソン博士は、あの有名な辞典の中で、愛国心を定義して、「無頼漢の最後の拠り所」と言っているが、この博識ではあるが、辞典編纂者としては二流どころにしかすぎな博士に対して、当然払うべき敬意は十分に払いながらも、私は、失礼ながら、「最後の」ではなく「最初の」と言いたい。

patriot によくにた言葉に nationalist があるが、こちらは、広辞苑によると、民族主義者、国家主義者。国粋主義者となっている。また、研究社の新和英大辞典を愛国主義で引くと、patriotisum; nasionalism となっている。
パトリオティズムもナショナリズムも日本語ではどちらも「愛国」と訳されることが多い。もう少し詳しく考えてみると。ナショナリズムは、他国を押しのけてでも自国の国益を追求する姿勢で、国益主義といえ。一方、パトリアティズムは、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りを持ち、またそれらをこよなく愛する精神。祖国愛、郷土愛といえるようだ。

このようなことを単純に考えると、ナショナリズムの愛国心は、ネイションからくるもので、日本が単一民族だと軽いまだ、口に出す政治家が多くいる中では、ナショナリズムは「国民国家」となりかねず。それは国粋的・排他的になり、行く先は自国第一主義となり、他国は自国より劣っているという考えになり、日本人でよかったといいかねなくなる。
そのようなことを考えると、パトリアティズム的な愛国心を持つ方が、まだましだと言えるだろう。

五輪の年の、今年一年間は終わったあとの余韻も含めて、テレビや新聞などで、それ折れ個人のアスリートとの活躍が流され、それらをみて一喜一憂し感激や興奮するのは、それでよいと思う。
しかし、意図的に国民の心を発揚するため、国がプロパガンダに利用して、たれ流されるそれらの情報に乗ってしまい。ピアズがいうように「お人好し」になってしまったり。さらに、「お先棒を担ぐ」人にならないようにしたい。

物事を理解する危うい四つの方法

物事を理解する四つの方法
一、問題の規模を小さくする。
二、胸に迫るドラマに絞る。
三、陰謀論を信じる。
四、一人の誰かに盲目に付いていく。

この四つのどれも危険だといえる。いまのように富の格差が広がり、少数の者が大多数の人の富の和より多くの富を寡占することになると、少数の人々は生活に余裕がなくなり、いろいろなことに関心を向ける余裕がなくなり、働くことに精一杯になり、自分自身でいろいろなことを考える暇がなくなる。これは、最後の四番目なことが現われる原因になる。
三の、陰謀論は面白いので信じるというより、関心がそちらの方に向き、本当に大切なことから目がそれて判断を誤ってしまう恐れがある。
一、二は、問題が複雑でそれに打ち込み考えていくと混乱するので、結果的にどちらも現実から逃げて、重要なことを自分で考え判断することから逃げてしまう。

現在、世の中がグローバル化と進むなか、貧富の格差が拡大し貧しい人々は、この四つに陥りやすくなってくる。
政権がすることや言うことを鵜呑みにすることは非常に危険といえる。これはアメリカのトランプ政権であろうと、日本の安倍政権であろうと関係がない。ポストアベに変わっても、自民以外の政権になってもそれは普遍です。

20世紀の後半にベルリンの壁が崩壊し、ソ連が消滅し東西冷戦が終結し、世界は統一に向かうかかに見えた。また、世の中がグローバル化と進んだが、21世紀が進むにつれ、ナショナリズムが台頭し、そのナショナリズムは、愛国心やパトリオティズムを孕んでいる。それにより、ナショナリズムは自国至上主義や自国ファーストと唱え、さらに、異物を排除しようと排他的な考えをむ産みだしてくる。それは、再び世界を分断し混乱い陥る危険をはらんでいる。

アメリカでもロシアでも中国でもヨーロッパの国々でも、日本でも愛国心の風が強く吹いてきている。
アイデンティティーを見つけだそうとし、自国の特徴づけるものを見つけ、「日本人でよかった」と思ったり人が増えてくる。今年は、東京でオリンピックが開かれ国際的なイベントで自国昂揚の雰囲気が高まるだろう。それはそれで、悪いことではないが、国や政権がそれを利用しててきて、国民がそれに乗ってしまうとあらぬ方向に進む恐れがある。

特に気をつけないといけないのは、政治家が「愛国」「愛国心」と国民に呼びかける時だであり、国民が愛国心を感情や欲望を昂揚させるようなイベントなどで、政治家がそのような胸に迫るドラマに言及するときだ。
オリンピックでそれぞれのアスリートの活躍に注目をするのはいいが、それを日本の国と結び付けて応援することには気をつけないといけない。

イギリスのデパートの身売り

イギリスで百貨店あいつで身売り、閉店していっているという。
日本でも昔ほど百貨店は賑わっていないし、百貨店の統合合併が起きているので、イギリスと同じ経済的な現象といえるだろう。

百貨店は周辺の商店を圧迫するとして、私が中高生時代は6時閉店などの営業時間の規制などがあった。しかし、世の中が大量消費社会になり、また大規模店舗の政治への圧力などから、それらの規制はだんだん緩和されていった。しかし、世の中の流通が変わりグローバル化してきたことにより、かつて巨人だった百貨店も今は苦境にたたされている。なぜ変わってきたかというのは、通信販売とネット販売など消費者の動向が変わってきたこと、それと大型のショッピングモールの進出になどだろう。
百貨店舗の時間規制などにより、地域の小規模商店と共存してきたが、時間規制などの緩和により小規模小売店は圧迫され、地域の小売商は絶滅危惧商店となることにより、商店が並ぶ繁華街の百貨店に来ていた客も減少していった。百貨店が大きくなれば、地域の商店街をシャッター通りに変えていき、百貨店自身の経営を圧迫している。また、百貨店はブランドと直接顧客のもとに出向いて行って販売をする外商で利益を得ていた。しかし、それも以前より頭打ちのようでだ。
通信販売とネット販売は、ますます拡大しているなか。かつての商店街はゴースト商店街になっていくのは止められるだろうか。
店頭で店の人と直接顔を突き合わせて商品を選び買う、今までの商店は生き残れるのか。他人事とは思えないでイギリスのニュースを聞いていた。

権力は必ず真実を歪める

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」を著いた、ユヴァル・ノア・ハラリが最近の著書「21Lessons」で次のように述べている。「巨大な権力は必ず真実を歪めてしまうから、なお悪い。権力とは、現実をありのままに見ることではなく、それを変えることだ。もしあなたが手に金槌を持っていれば、あらゆるものが釘のように見える。・・・以下略j 286頁」「こうして巨大な権力は、周囲の空間そのものを歪めるブラックホールのような働きをする。それに近づけば近づくほど、すべてがねじ曲げられる。 ・・・以下略j286頁」。さらにハラリは体験談を語っている。「二年ばかり前、私はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相との晩餐会に招かれた。友人たちにはいくなと警告されたが、私は誘惑にかてなかった。 ・・・中略・・・ 、そこには三〇人ほどの人がいて、誰もがこの大立者の注意を惹いたり、機知で感心させたり、機嫌を取ったり、何か手に入れたりしようとしていた。 ・・・中略・・・ これはネタニヤフのせいではないし、実際、誰のせいでもなかった。権力の持つ力のせいだった。 287頁」。

このことは、ハラリのイスラエルだけのことではない、アメリカのトランプ政権でも、安倍政権の下でも起きるし、それは、トランプや安倍だから起きるのではない。あらゆる権力を持った人の下でも起きる。会社の会長や社長と社員の間でも起きるし。大きな会社になると、部下でなくても関連会社との間でも起きるだろう。

権力者は常にそのようなことが起きていることを知っておくべきです。さらに権力を握っているのが長くなると、感覚が麻痺してくるのか、それを感じなくなるのか、それを忘れてしまう。自分に侍り注意を惹いたりするのは、自分に人徳があるからだと間違ってします。それにより「はだかお王様」ができあがってします。そして国はあらぬ方向に向かい、一部のあくどい者に蜜を吸い取られ、国民の財産や国の財産が盗まれてしまう。
モリ・カケや大学入試などに作られた教育ムラやオリンピックムラやカジノムラや原発ムラや国土強靱インフラムラなどに、私たちの大切な財産を掠め取られるのを、見過ごしたり黙認しないように、権力者を監視していかないといけない。

新型コロナウイルス

中国の武漢で、新型のコロナウイルスが発生し、肺炎による死亡者もでている。ただ、この新型ウイルスは、サーズ(重症急性呼吸器症候群 SARS)より軽いとされているが、世界で恐れているのは、それが新型で未知で、ウイルスに対する対処法についてよくわかっていないからです。
武漢当局は、感染拡大を防ぐために、現地時間の23時午前10時から武漢を離れる航空便や鉄道の運行を停止すると発表した。また、空港などでは、赤外線体温計や赤外線カメラなどで、搭乗者の体温チェックをしている。

しかし、中国は旧正月の春節の大型連休で、中国の人口の7割ほどの人数が移動すると見られている。中国政府は春節の大移動により新型ウイルスが拡散拡大することを警戒し、武漢に行かないように、武漢の人はできる限り武漢からでないように呼びかけている。また、武漢市内のバスや地下鉄、長江を渡る客船などの運行をとりやめている。市自体を封鎖するかのようです。まるで、カミュが、原因不明の熱病が続出し外部と遮断され孤立状態のなかで、不条理に直面しと悪と戦う市民を描いた、小説「ペスト」ようで、それを思い起こす。
しかし、現代の市場経済が発達した中国と、世界がグローバル時代の現代では、カミュが「ペスト」を書いた時代と違い、人の流れを完全に止めることはできないです。


新型コロナウイルスの潜伏期間について、中国の保健当局の専門チームの医師は、「現在の症例からすると、潜伏期間は平均で7日前後だ、短いと2日から3日で、長くて12日」と述べている。
症状について「現在の症例からすると、発熱や空せきが中心で、3日から5日後に息切れがしたり、胸が苦しくなったりして、人によっては呼吸不全やショック症状をおこす」と述べている」
まずは感染拡大を防ぐために基本的なことから始めることが大切だろう。うがいをよくする、手をよく洗う、使い捨てのマスクをする。マスクを適切の捨てる。

易姓革命と責任

日本の責任をとろうとしない姿勢は、天皇制と天皇に姓がないことにあるのではないだろうか。
日本の戦争犯罪のおいて、南京大虐殺などの虐殺は無かった、徴用工はいなかった、従軍慰安婦はいなかったなど、歴史的事実を否定して、それらの責任をとろうとしない。なぜ、天皇制と関連があるのか。
それは中国に易姓革命という思想がある。王朝の行い治世が悪いと天帝が怒り天変地異が起こる。旱魃などによりその王朝の対応が悪いと、農民が蜂起し王朝が倒れる。そして王朝の姓がかわる。「天命が革(あらた)まり、姓を易(か)える」これは、王朝の治世が悪ければその責任をとらされると言うことです。
しかも、中国には科拳の官吏登用試験はあらゆる成人に開かれ、平民の階層の一族の出身者も多く登用されている。

しかし、日本を支配している天皇には、姓がないので天皇家がたの王家に、王朝を引き渡す必要がなくなるので、天皇家の王朝は永遠に続くことになる。つまり、この考えで行くと、その責任をとる必要がないので、治世に対する説明責任もないと言うことになる。
これは、天皇に対してのことで、その臣下である宰相にたいしてではない。治世が悪ければ天皇は宰相を更迭し新たに宰相を任命することができる。
さらに、日本の官吏は明治になるまでは世襲制だったので、官吏は実力や能力が無くてっも、親と同じ職責をこなすことになる。それにより職での責任感をもつより、滞りなく職務を果たすことが求められた。

しかし、明治からこのかた、アジア太平洋戦争の敗戦の責任に対して誰もが逃げ、誰もが責任をとらなかった。当時の最高責任者であった昭和天皇自身もとらなかたた。昭和天皇が崩御したあと、王位を継いだ今の上皇である明仁天皇も、多くの人の痛みを感じながらも、先代天皇の責任については言及していない。これが、日本は責任を取らないと言われる流れなのだろう。

これを現代の立憲君主制の日本では、当てはめることができない、天皇は国民と国の象徴であり、政治の権能を持っていないからです。これは、戦前の反省からきているものです。しかし、外国の王制を引いているくにでは、サウジアラビアなどの絶対王制を布いているところは別つとして、立憲君主制のいくつかの国では、国王や最高者が首相の交代を命じることもある。また、立憲君主制の国でも、軍などがクーデターを起し政治の実権を握る宰相が変わることもある。言いかえれば日本は責任を取らすこと自体からも逃げていいるのだろうか。

津久井やまゆり園の裁判

相模原の障碍者入所施設 津久井やまゆり園での、元職員が入所者を殺害した事件の裁判が始まっている。
植松被告は「重度障害者は不幸を生む」「障害者なんていなくなればいい」といった身勝手な理由で、犯行に及んだとされている。植松被告は犯行を行った津久井やまゆり園で、障害者支援・介護の仕事の従事していて、植松被告自身から見て意思疎通のできない人を、「心失者」と名付けて標的にしたとさえる。このことは、第二次世界大戦時のナチスの優生思想を思わせる。ナチスはユダヤ人殺害でよく知られるが、その根底にあるのは障碍者差別で、ユダヤ人殺害の前に障碍者に命を線引きして大量殺害している。これらは特殊なこととしてみてはならない。日本でもつい先年まで優生保護法があり、その法により障碍者に対しての断種手術が強制的に行われた事例にがある。
また、今回の事件では事件当初から警察は被害者の実名を公表せず、この裁判でも被害者の名前を伏せ「甲A」「乙A」などとし、さらに家族の傍聴席を他から見れないように遮蔽板を設けるなどをしている。

このことは何を意味しているのか、日本の世の中に障碍者やその家族に対しての偏見や差別が根強くあるからだと私は見る。また警察や司法の中にも同様なことが言える、警察や司法のばでは被害者やその家族の心情を汲んでのことだと言うが、そのなかには偏見や差別があるからだろう。

私は、重度重複の障碍ある人の通う学校で長く勤務したが、そこの生徒はみな必死でいきている、中には常時医療的ケアを必要とする人もいる。また、意思の表現をするのにそのサインが弱く、周囲から受け取りにくい人もいる。そのような人を、植松被告のように「心失者」と名付けてランク付けやレッテルを貼るのは許されることではない。

今年は、パラリンピックが開かれ障碍者が活躍し、努力と苦労の練習をして障碍を乗り越え金メダルを取るのを見ると、やまゆり園の事件の犯人などのような考えを持った人は、素晴らしいよく努力していると称賛するかもしれない。しかし、私たちの今の世界は、男性もいれば女性もいる、また障碍がある人もいる。障碍もさまざまで身体障碍から知的障碍、精神障碍の人もいれば、発達障碍もいる。また、LGBTLesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)もいる。また、少数の意見・考えを持ったマイノリティなどさまざまで、それらの人がみなが気兼ねななく生きていける社会にならないかと思う。

21世紀に入って20年目の今年

21世紀になり、今年で20年目に入る。
一世紀の五分の一が過ぎることになる。

この19年間はどうだったろうかそしてこの一年をどう締めくくるのか考えていきたい。
世界は、世界をリードすると自認していたアメリカが、自国第一主義を掲げ先頭に立って走っているので、それを追随して走る国も多い。

しかし、成長の限界が見えた現代社会、そして地球の温暖かや資源の枯渇や科学技術の先行きなどの問題が取りざたされている現代、いまこそすべての人の尊厳と人権を尊重し多様性を認めるにはどうしたらよいかを考えなければならない。

しかし、新帝国主義が闊歩し出すのではないかと心配する。いまは米国や欧州や日本などの経済的な先進国と、BRICSブリックスと呼ばれる国、ブラジル、ロシア インド 中国 南アフリカの新興国と、東南アジアや中南米とアフリカ諸国の発展途上国との格差の是正をどうするのか。
アメリカや日本は更に経済的に発展を目論見さまざまな手立てで、経済的な優位な位置を手放そうとしない、北欧などの国はまた別な豊かな身を進もうとする。BRICS諸国は先進国の仲間入りをしようと、米中の経済戦争にとどまらず、その覇権争いはし烈になっていくのではないだろうか。発展途上国も経済的な豊かな国になるために産業発展が加速され、それにより自国第一主義を押し進める国との軋轢が生まれてくるだろう。

そのような中でこの20年の締めくくりとして、日本はどのような道を歩むべきかを、国の指導者や企業の経営者そして日本の国民であるおのおのの市民は考えないといけない。決して自国第一主義ではなく、宇宙船地球号の乗客ではなくクルーの一員だと自覚すべきだろう。

これからの、21世紀の世界が戦争の20世紀の過去のようなことがないように、また、互いの違いを認め合い、また地球には人間だけでなくさまざまな生き物が共存して生きていることを忘れずに、無事に21世紀が終えられるにはどうすればいいかを考えていきたい。

オリンピックとさまざまな「〇〇ムラ」

今年、2020年は、東京でオリンピックが開催される。そのために東京再開発がむりやりというか、強引に押し進められ、それに群がるオリンピックムラ、東京再開発ムラが利権集団が日本を食い物にする暗躍がますます、少子高齢化の時代に進む日本経済を蝕むだろう。
ムラと言えば、原子力ムラに利権集団が群がっているが、最近、新たにいくつものムラが出来ているように思う。
大学の一次の入試の混乱も、大学入試ムラが原因だし、モリカケ問題も教育ムラのなした物だろう。

これから、戦後整備されたインフラの更新が全国的に迫られて、インフラ更新ムラや国土強靱ムラ、また、高齢化社会に対応するために、高齢者介護ムラや、企業内保育で不正受給があったが、そのようなムラもどんどん雨後の竹の子のように出てくるのではないかと心配している。

安倍政権により、さまざまのムラができたが、そのムラは必要悪のところもあるが、そのムラにより国民の税金が吸い取られてはならない。それでは、その責任は誰がとるのだろうか、その問題が深刻な状態になったときは、責任をとるべき人は、政権から退陣している。
ムラによる弊害を予見できるように、マスコミやジャーナリストの活躍を今年は今まで以上に期待したい。

今年を振り返って

今年の一番衝撃的だったことは、気候変動が加速され世界の至る所で異常気象がおき、かつてない嵐が襲い未曾有の被害をもたらしている。
その次に衝撃的なことは、香港の民主派のデモとその香港行政府の対応のしかただ。

わたしは、後者のついて思うのは。民主派の人たちは過激な道は、決して近道でないことをもっと自覚すべきです。過激な行動で香港行政府の非民主的な施策を変えさせようとしても、それは非現実てきです。一国二制度の下でに香港では、大陸の中央政府の方針に大きく関わるでしょう。過激な暴力を伴う抗議運動より、世界の世論を見方につけることです。
香港行政府はの抗議運動に対しての対応を、テレビなどの映像をみるていると。力で押さえつけ潰そうとしている。警察のデモに対する対処の仕方は、強行で過激で少しの抵抗運動に強固な手段で押さえつけようとしている。それに対して、力で反発し抗議するだけでは、治安当局も力で返してくる。
現在は世界中が香港に注目し、世界のマスメディアも香港での出来事を歩道している。また現代は、SMSなどで個人が世界中へ向けて発信できる時代です。
香港の現状をありのままに、民主派の人たちは非暴力で挑んでいることを伝え。行政府の暴力的な強行な現状を世界に発信して見方につけることがよいとおもう。
それは、一朝一夕に変わらないが、その方が世界の世論を見方につけられるだろう。
それが、香港行政府をかえ中央政府を思いを思いとどまらせることになる。
香港の独立に走ることは、今より状況を悪くさせるばかりだろう。

図書館の書庫の水没

台風19号で、東京や東北など全国の図書館で、浸水や雨漏りなどで被害を受けた図書館が、全国で100以上あるという。
各図書館で浸水や雨漏りや建物の破損によって、図書や書類や資料などが水につかったり、図書館の貸し出しの機器などが、水につかり貸し出しができないところもあるという。
その中でも、東京都市大学の図書館は、蔵書の3割にあたる8万3000冊が水没したという。
図書館の書庫は、地下にあるところ多いようです。

国立大学図書館協会のしらべによると、東京大、東京学芸大、一橋大、東北大、富山大などの図書館では雨漏りや建物の一部が破損して蔵書が水没したり濡れてしまったという。
橋大付属図書館は屋上から水が漏れで、四階から地下一階の図書の二万冊がぬれたという。また、。

栃木県小山市の白鴎大総合図書館大行寺分館は、四年前の台風で地下の書庫が浸水し、十六世紀に出版された貴重な本を含む約五万冊が被害に遭い、その教訓を生かし地下にはできるだけ図書を置かないようにした。それにより、地下が約四十センチ、一階が約三センチ浸水したが、図書の被害はなかったという。
また、台風19号時に避難所になっていて、同大の学生約百人が、自主的に地下と一階の書籍約二万冊、電子黒板、パソコンなどを二階へ移したという。大学図書館だからこそできたことだろう。

神戸市立博物館は、もともと銀行の建物だったが、1995年の阪神淡路大震災で被害にあい、地下からの漏水で地下の保管庫が水没した話を聞いたことがる。博物館や図書館の保管庫は地下にあることが多いようだが、白鴎大総合図書館大行寺分館のように、過去に被害の経験を教訓として大切な資料を守る手立てを、一つに図書館や博物館だけで生かすのではなく、それら共有して今後に生かせるようにすべきだろう。

また、さらに文化財や図書が水につかると、資料はかびたりするのでその消毒や資料の復元復旧に大変なようです、そちらへの支援対策も急務でしょう。

フランシスコ教皇のクリスマスメッセージ

ローマカトリック教会のフランシスコ教皇は、クリスマスメッセージで、今の世界の情勢について次のようにのべ、「世界に戦争の嵐が吹き荒れ、すでに時代遅れになった発展モデルが人々を堕落させ、社会と環境を悪化させ続けている現代において、降誕祭は、幼子イエスのしるしをわたしたちが思い起こし、子どもたち、とりわけ「宿屋には泊まる場所がなかった」(ルカ2・7)イエスのような子どもたちの顔に幼子イエスを見いだすよう招きます。」
いまの、自国第一主義の世界政治の流れに対して苦言を表している。

「イスラエルとパレスチナで高まる緊張、シリアの子どもたち、イラクの子どもたち、アフリカの子どもたち、とりわけ南スーダン、ソマリア、ブルンジ、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国、ナイジェリアの子どもたちの中に、わたしたちはイエスを見ます」と述べて、今、緊迫した状態と新たな紛争により平和と安全が脅かされている現状のなかで、子どもたちが安らかに過ごせないことに深刻な人道的危機にたいして、慈愛のちからで平和が実現できるよう切望していることを表明した。
さらに、「救い主キリストのご降誕が人々の心を新たにし、友愛と連帯に満たされた未来を築きたいという願いを呼び覚まし、喜びと希望をすべての人にもたらしますように。クリスマスおめでとうございます」と述べ締めくくっている。

エリザベス女王にメッセージ、フランシスコ教皇のクリスマスメッセージは、世界に指導者が真摯に耳を傾け世界が一つになりそれらのことが、現実のものとなるよう努めなける義務を担っていることを自覚すべきだろう。
しかし、いまますます自国第一主義に走る指導者が増えていることが心配です。

エリザベス女王のクリスマスメッセージ

NHKにニュースによると、エリザベス女王が恒例にクリスマスメッセージを発表し、その中で、「信念や希望を持って小さな前進を積み重ねれば意見の違いや分断を乗り越えられる」「必ずしもスムーズではなく、厳しいと感じたこともあった」信念や希望を持って小さな前進を積み重ねれば、長く続いてきた意見の違いや分断を乗り越えられる。そして、調和と相互理解をもたらすことになる」
また、ほかのメディアでは、「過去の違いを乗り越え、ともに将来に向けて進む意思を示すことで多大な犠牲を払って勝ち得た自由と民主主義の恩恵を得られるのです」と発表したと紹介している。

この言葉を聞くと、明仁上皇が19歳のとき、エリザベス女王の戴冠式に出席したとき、チャーチル首相の晩餐会に招かれ、チャーチルが皇太子に行ったスピーチとよく似ている。「現在のイギリスの多様な政治的見解、政府、国会、組合、マスコミなどはイギリスの特徴であります。そして、イギリス人はたとえ意見が食い違っても、英国式生活を大切守ろうとする点で団結するのであります」

さらに、環境問題について、「環境を守るために若い世代が問題を持って取り組んでいることに感銘を受けた」とも言及しこれは、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんのことで、大人はもっと環境問題について真剣に考えないといけないと述べていると解釈できる。

世界の指導、とりわけ我が国の今の指導者、これから指導者になる人も、この二つのこと、違いの乗り越えて相互理解をして団結していくこと、もう一つの未来の地球のことを真剣に考えないと取り返しのつかないことになるだろう。

自動運転車

安倍首相はオリンピック招致の演説で、2020年に日本では人に代わり人工知能が車を走らせているといった。
自動運転車の開発が着実の進んでいる。
自動運転車で最も重要なのは、運転プログラムなどより車に搭載させるセンサーだろう。センサーは人の目の役割をはたすものだが、他の車や障害物や人や歩行者の位置や動きを瞬時に判断して、走行の制御に反映させることが大切だ。
また、車の位置情報を常に把握する事が必要で、この機能を実現させるにはGPSが欠かせない。
自動運転車の性能は、安倍首相が福島のホラを吹いたが、こちらの自動運転車の方はかなりのところまできている。しかし、一つまだ大きなハードルがある。技術的にはかなり実用化に近いところまできているが、ソフト面や法整備の面で、国会や行政の中ではまだ議論されていないようだ。
来年以降にどのよう議論されるかに期待したい。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

記事の整理棚
禅 (2)
最新の30の記事
月別の過去の記事
05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   09   08  
単語による記事検索
竹林の過去の戯言のタイトル

過去の記事タイトルを100件づつ表示します

記事へのコメント
  • 100年前の教訓
    竹林泉水 (05/09)
    コメントありがとうございます
  • 100年前の教訓
    レインボー (05/09)
    初めてコメントします。

    100年前のスペイン風邪が流行ですが、与謝野晶子の指摘、感心しました。
    ご指摘のとおり、100年前と同じことが繰り返されているとは、驚きました
  • 東京五輪の延期は
    竹林泉水 (03/27)
    オリンピックの開催はようやく、1年程度の延期との結論がでました。
    ただ、政府は新型コロナウイルスの封じ込めにどこまで、本気でいるのかヨーロッパやアメリカや韓国など
  • 東京五輪の延期は
    アジシオ次郎 (03/25)
     おはようございます。

     東京オリンピック・パラリンピックは1年延期となったわけだが、新型コロナウイルスという道の猛威には勝てなかったというか、この状況で予定通
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    竹林泉水 (02/20)
    「桜を見る会」などを棚上げすれば、モリカケのようにうやむやにされ、日本の行政がますますゆがめれれていく。
    コロナウイルスの対処は別問題では?
    一所にすれば、両方と
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    幽村芳春 (02/19)
    「桜を見る会」の論戦はいったん棚上げにして、今国会ではコロナウィルスなどの防疫問題を論議してほしいと思います。
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    竹林泉水 (02/07)
    コメントありがとうございます。
    五観の偈をとなえて食事をなさっておられるのですか。 頭がさがります。

    企業活動や時の政権も、この「五観の偈」を、政治や商売に置き
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    幽村芳春 (02/03)
    私も必ず「五観の偈」を唱えてから食事をいただいています。実際に唱えると五観の偈の意味がよくわかります。
  • 津久井やまゆり園の裁判
    竹林泉水 (01/15)
    こちらこそ 今年もよろしくお願いします。

    やまゆり園の裁判で、被告が突然暴れ出したとニュースされたとき、詳しいことが報道されなかったので、よく分からなかったです
  • 記事へのトラックバック
    ブロとも一覧

    うたのすけ

    山下道場

    荒野鷹虎

    海空居士

    紀瀬美香

    marihime

    お父さんの旅

    キラベル

    silver camellia

    kbrkのつぶやき

    魚京童!

    俊樹

    アジシオ次郎

    ほんわか?絵日記

    吾輩と旅と副業

    Chronos Moon

    ざっくり読書感想文

    Taiwa Sato

    びとら

    Resale Japan

    QWERT 5w1h

    (o ̄∇ ̄o)♪

    HIROGACHAN+

    しんのすけたろ

    勝ち組の日経225

    ハセッチブログ

    五月雨 時雨

    諭吉

    さくらさくら1

    不思議な不正義2
    ブロとも 申請フォーム

    竹林乃方丈庵のブロとも申請はこちらからです。

    Webページへのリンク
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ

    更新履歴
    今日の暦と天気

    日めくりカレンダの説明

    ■2016年旧暦 日月の出入■

    04 | 2020/05 | 06
    -----12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31------

    ★☆今宵の夜空☆★

    NHKらじる★らじる
    大阪東京第2FM大阪
    何の日



    ご訪問ありがとうございます
    竹林泉水のTwitter
    ■□FC2のブログ□■
    _/_/_/竹林乃方丈庵を_/_/_/
    _/_/_/ リンクに追加 _/_/_/
    □■□■徒然諸諸■□■□ □■□■心の時代■□■□ □■□■息身心/健康■□■□ ----- □■□■厚生福祉■□■□ □■□■その他■□■□
    □■FC2以外のブログ■□
    諸諸 徒然 「身・息・心」 こころの時代
    RSSリンクの表示
    QRコード
    QR