竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

自動運転自動車の哲学的な問い

自動運転自動車の事故について哲学的な問い。

走行している自動運転自動車が、信号なない横断歩道のある四つ辻で、急に少年の運転する自転車が横断してきた。
少年をはねる事故を回避するには、急ブレーキをかけても間に合わない。横断歩道側にハンドルを切ると歩いているお年寄りの歩行者をはねて死んでしまう。反対側にハンドルを切ると対向車と衝突して自分も死に対向車の人も死んでします。急ブレーキをかけると自分と後続車が死んでしまう。このような事故を想定した場合、どのような選択をするプログラムを組むべきか。

また、奈良には神鹿とされる鹿がいる。このしかが急にしかが車道に飛び出してきた場合をみる。
神鹿としての鹿を重視するのか、鹿を避けた場合前記のような事故を想定した場合。人の命と神鹿の命をどちらを大切にするのか。また、他の動物と神鹿と差をつけてよいのか。
また同じ鹿でも、奈良の春日神社周辺の鹿だけを神鹿として他の地域はたの動物と同じようにあつかうのか。

これらの問題は、自動運転自動車のプログラムに限らず、人が運転する自動車でこのような状況に遭遇することが考えられ、そのとき自動車の運転手はどのような判断をせまられるのか。そのとき死亡事故が起きたとき、司法はどのような判断を迫られるのか。

それが、自動運転自動車の人工知能のプログラムをどのように組めばよいのか。それを組むときになにを優先させるかの判断をさせるプログラムの責任はそのプログラマーに問われるのか。

この問題は真新しい問いではなく、昔からある問ですが、プログラムのアルゴリズムを作るうえで、その人工知能なりの自律性のおける責任を人工知能に問うのか、それをプログラムした人に問うのか。未永年のしたことに対しては、その保護者が責任を負わなければなりません。それと同じように人工知能のプログラムを作ったプログラマーにも問われるでしょうが。問題としての複雑さはそのプログラムを作ったのは、一人ではなく多くの人が介在していることでしょう。今後ますます、日常生活で人工知能を搭載されたものが出てくるでしょう。その製品が何らかの事故を起こした場合、その製造責任は機械自体にあるのか、それを動かすOSにあるのか、それを設計した人にあるのか、それをプログラミングした人にあるのか。また、自律型学習型人工知能であれば、それを使って学習させたユーザにあるのでしょうか。

このことを考えると夜も眠れなくなってしまいました。

to be not to be さらに to do not to do

人類の進歩と調和

人類はいや人間は、森を切り拓き、湿地を干拓し、川をせき止め平原を灌漑していき、周囲に生息するすべての生物とその環境にとらわれそれに依存していく必要がますますなくなってきている。道路や鉄道を敷設していき、産業基盤・生活基盤を強固なものにしていっている。そして、超高層ビルを建ていくことにより、ほんらいそこに生息しているはずの、動植物の生態系を破壊して、まったく違ったものにつくりかえてしまっている。
私が小学校のころまで済んでいたところは、その当時にはすでに住宅地化していたが、近くには原っぱがあり10分少し歩けば山があり生前が豊かだったが、いまは山の中腹あたりまで縦に延びる長屋である高層の集合住宅が建っている。
以前に住んでところは、私がそこに住む数年前は山林でタヌキやキツネやイノシシが走り回っていたところだった。そしてそこに引っ越したころは、夜になるとキツネの鳴き声がしていたが、いまはめったに聞くことはなくなってしまっている。いま住んでいるところも、昔の地図をみると何本も水路があり、畑や田に灌漑していたようだが、いまなくなっているか暗渠になてしまっている。
そのように、五六十年で様変わりしてきている。また、私たちの出す生活ゴミもそのほとんどが、自然分解するものだったがいまや、プラスチックゴミが毎日大量に排出されている。

これも、私たち人間が増えすぎたために起きている現象です。しかも人によっては、このように人もいる、人類をすべて上皿天秤の片方に乗せ、大型野生動物をもう片方の上皿に乗せると、人間の方の皿が下がるといいます。

人間が飼育している家畜やペットの犬などの数と、野生動物の数を比較しても、前者の家畜やペットの数の方が遙かに多いという。そのようなことを考えるともうすでに、人間はこの宇宙船地球号の取り返しのつかない生態系に影響を及ぼしてしまっていることになる。

私が学生のころ、世界の科学者や経済学者や教育学社や経営者が集まって結成したローマクラブが、地球の資源の人口問題や枯渇や環境汚染などの警鐘をならした。そのなかで、資源についてはいままでに見つかっていなかった資源があらたにみつかり、資源の枯渇はとうぶん先き延べされているようです。
しかし、人口問題や環境問題はいまや先に書いたようなことを考えると喫緊のことといえます。これらの、問題は人間のあくなき欲の追及により、現代の豊かな文明と文化が築かれているのだが、本当にそれでよいのだろうか、失われてしまったものも多いのではないだろうか。


先日大阪府知事が万博を誘致するためにプレゼンをしに言ったようだが。どのようなことを目的に万博をひらくのだろうか。1970年大阪万博ではそのシンボルとして太陽の塔が岡本太郎によって建てられた。岡本太郎が太陽の塔を造るときに、万博のテーマ「進歩と調和」だったが、岡本太郎は、お祭り広場の屋根をつらぬく現代文明に疑問をなげかけ、「縄文の怪物」を表現している。
いま、欲の追及に貪欲に邁進している、人類の文明の進歩に疑問を投げかけられている。2025年の大阪万博なにをテーマにするのか、大阪府市はカジノを含み統合型リゾートを誘致しようとしているが、カジノは賭博博打を含む施設で、欲を象徴したものである。そのようなところに本当に、万博を誘致してよいものかと疑問に思うがどうだろうか。


席を譲るとことわられて

お年寄りなどに座席を譲ると、断る方がおられるが、そのようなお年寄りには、強がりで断るのではなく、座る方がつらかったり、一度座ると座席を立つときつらい人もいる。そのために、座席を譲られても断るのです。
SNSに次のような書き込みがあった。「立ち上がるのが難しいんじゃ」この書き込みに対して、2日間で2万2000以上のツイートがあり、様々な反響をおこしている。
席を譲られて断る人には、個人々々それぞれ、様々な理由がようです。
NHKニュースによると、次のような書き込みがあったと報じられていた「私も杖をついている障碍者だから譲ってもらえるとうれしいけど、一駅だったら座って立つとかするより入り口近くに居ときたいというときがあります」これは、日本に限らず外国でも同じという書き込みがあったそうです。
また高齢になり加齢による筋力低下で、立ち上がったり、車内を移動するのがつらい一もいるようです。また、膝関節痛や腰痛などで立ったり座ったりすることが辛い人もいる。

私が肢体に障碍があり動作に不自由がある人などの、動作指導に関わったことがるが、確かに席まで移動して座るまた、立ち上がりドアまで移動するのは大変な労力で、座った方が楽だが一駅ぐらいならその立ったり座ったりすることを考えると立っている方が楽な場合もありそうです。しかし、ここで一番注意しないといけないことは、揺れなどでの転倒防止が優先されるべきでしょうが、座席を譲っても断られても無理強いしないことがよいでしょう。また、それぞれに事情があることも理解しておくことも必要だろう。

パリのスパイダーマン

パリ北部の18区で26日、集合住宅の4階で宙づりになっている子供を見つけ、、アフリカ・マリ出身フランスでの不法移民の一人の男性が集合住宅のベランダづたいを、1分足らずでよじ登り、無事子どもを救出する出来事があった。
このことは、フランスでは差別され虐げられた無名だった彼を、スパイダーマンと賞賛されて。エマニュエル・マクロン大統領は5月28日にガッサマさんを大統領府に招待し、直接謝意を伝えると発表したそうです。

イダルゴ市長はツイッターのコメントで、ガッサマさんを「18区のスパイダーマン」と呼び、「子供の命を救ったマモウドウ・ガッサマさんの勇気ある行動を称える」そして、「彼はここで人生を築くことを夢見て2カ月前にマリからやってきたと語った。私は、彼の英雄的行為は全ての市民の模範で、彼がフランスで定住しようとする努力を当然ながらパリ市は喜んで支援すると応じた」

アイヌ語での路線バスの案内放送

北海道の路線バスで、一部の路線のバス停の案内放送を、アイヌ語と日本語で案内するようになったそうです。
日高管内平取町で、町内を走る道南バスの路線・都市間バスで、アイヌ語による車内放送が始まり、温かみのある言葉が車内に響きわたり好評のようです。
明治以降日本の同化政策によりアイヌ語は禁止され、公のところでは使われなくなり、現在アイヌ語をはなせるアイヌ民族の人たちでもアイヌ語を話せる人は数パーセントだそうです。
そのような中、日本の少数民族であるアイヌの言葉を取り戻そうとすること。また、アイヌの人自身にとって、自分の民族の誇りを取り戻す一つのきっかけになればと思います。

放送の声を担当した人は、アイヌ語弁論大会で2度も最優秀賞に輝いた人で、お母さんと祖母はアイヌ民芸の工芸家で、お父さんは博物館でアイヌ語講師を務めていて、小さい時からアイヌ文化は常に身近にあり親しんできている。高校時代はは積極的にアイヌ語を使わなかったが、2年前、研修で訪れた米ハワイで先住民族らと交流で、「民族に誇りを持ちなさい」と勇気付けられた。「アイヌ文化を深く学び、守りたいと思うようになりました」という。現在先にも書いたがアイヌ語を話せる人は極めて少数となっていることについて、「日本語とは文法も発音も違うが、文化を学ぶ上で言語は大事で大切にしたい」と話し、このバスの案内放送を契機にアイヌ語に親しみを持つ世代が増えることに期待しているそうです。

修学旅行シーズン

毎日の散歩では近くの運動公園でウオーキングをしているのだが、今日は中学生が私服と大きなバックを持って集まっていた。どうやら修学旅行にいくために集まっているようで。しばらくすると観光バスがやってきていました。観光バスは中学生を乗せて、新幹線の駅にいくのでしょうか。バスの運転手に聞くと、空港にいくとのことでした。どうやら、平和の誓いとか中学の先生が言っていたので、長崎か沖縄にいくのでしょうか。

私が現職の教師のときは、新幹線の駅に直接集合させた学校と、学校のグランドにバスを臨時に入れ、そこから新幹線の最寄りの駅に集合させました。また、私の在職中は飛行機を使うことは市の教育委員会から禁止していました。
そう、ディズニーランドもレジャー施設だとして行くことができなかったです。今はどちらも解禁されているようですが。また、三都市でJRと交渉して団体の集約列車を走らせていました。集約列車はダイヤの隙間を塗って運行されるので、通常の運行時間よりも時間がかかりました。
今はどうなっているのでしょうか。

それはともかく、今日集まった中学生たち、楽しい修学旅行に行って無事帰ってくることを祈っています。

朝の散歩

冬も夏も毎日、近くの公園まで散歩をしているが、そのあと太極拳をしている。今が一番いい季節で、寒くもなく暑くもなくとてもすがすがしいです。
朝起きて、今頃はちょうど日の出前で気持ち良いです。
しかし、同じコースの公園までの散歩で一つ思うことがある。坦坦と歩くのではなく、同じ道でも毎日違った発見をしたく思います。

夜間の工事

毎日散歩している道に、工事予告の看板が立てられていた。そこには22時から翌朝の04時まで、水道の工事をするので通行が規制されるもでした。
以前にも電話線の工事で同様に夜間の工事をしてた。
昼間の交通量の多い時に工事をすることがないので、私たちの日常の生活に支障をきたさないでありがたいです。
しかしこのようなインフラの整備が私たちの日常の生活の目に見えなところ行われ、それが空気のようにあたりまで感じなくなってしまうことは本当に良いことだろうか。

昔は、井戸や川に水を汲みに行き、それを水がめに入れゴミがそこに沈み、また軽いゴミは浮いてきて、それを取り除いてつかっていた。そのような感覚が現代の今の生活はなくなってしまっている。そのことは本当に良いことだろうかと感じました。

若草山

奈良の若草山の山焼きが終わったあと、山は草が燃やされ黒かったが、少しずつその黒さも薄れていっていたが、この連休中に奈良に行くと若草山もすっかりと新緑の衣をまとっていた。
連日25度を超える暑さがつづいたり、雨が降ったりとして緑も息吹き気持ち良い季節になってきました。
また、鹿の角もだいぶ生えて大きくなってきています。小鹿と大人の鹿のつのではその立派さが違い、それぞれに成長の度合いの違いに感じ入るところです。奈良と言えば大仏と鹿ですが、春日大社の鹿は、祭神とされる武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から移ってきたとき、白い鹿に乗ってやってきたと言われるものです。

これから、行楽のシーズンで奈良のしかと若草山などもにぎわうでしょう。

古都のわすれられた川

JRに乗り奈良駅を降りて駅をでると、バスターミナルがあるがそのすぐ横に以前の駅舎の前の駅舎がある。東大寺大仏殿を模した建物で、今は、観光案内書として使われている。その向かいに商店街があるが、それが三条通りです。今は再開発が進み昔の、参道という面影が薄らいでしまっているが。土産物店が軒を並べているので、その雰囲気は残ってっている。その三条通りを東に進んでいくと、上り坂になり北側が興福寺、南側は猿沢の池がある。それを更に進んでいくと。春日大社の大きな鳥居がみえてくる。これが一の鳥居です。しばらく参道の中を進んでいると、両側に鳥居が並び奈良の名物の万灯籠でこの数については、奈良の鹿の頭数と灯籠の基数は数えてもシカトわからない言われるほど多いです。
その参道を進んでしばらく行くと、二の鳥居が見えてくる。その少し手前を右に曲がる小路がある。右にまがるとそこがせせらぎの小路といわれるところです。そのせせらぎの小路を進んでゆくと、高畑という所にたどりつくが、まず最初に目につくのが、奈良学園のセミナーハウスである、志賀直哉旧居です。志賀直哉は奈良に九年間住みここで「暗夜行路」を執筆したといわれている。この家は志賀直哉自身が設計し、こだわりの屋敷だといわれてい当時としてはモダンなつくりで、この界隈にすむ文人が集いサロンとしても使われたよです。高畑には武者小路実篤や網野菊、小林秀を滝井孝作や、小野藤一郎など多くの画家が住んだところです。
志賀直哉の旧居を西に向かい奈良名張線出て、東大寺南大の方に行くと、鷺池が見えてくるので、左に曲がり浮見堂を横目に進むと、荒池があるがそちらの方には行かず南に下り、奈良ホテルの方にいくが、奈良ホテルの門を素通りし、ホテルの南側の庭の方にいくと、小川が流れていがこの小川は率川(いさがわ)という川。荒池から流れてきて、市民文化ホールにぶつかるとかと思えば消えてしまい、再び猿沢池の南側で現れしばらくすると再び消えてしまう。この小川の後は今は暗渠になっている。その痕跡を見つけだし今はどのように流れているのだろうか。

このように、全国のいたるところで、多くの川が暗渠になったり消えてしまっていだろう。まずは古都奈良のこの率川は、どうなっているのだろう。佐保川に流れ大和側になって大阪湾に流れるのだろうが、忘れられた川をたどってみたく思う。

つづく

太陽の塔の修復と公開

私が大学のころ万博が開かれたが、その時に一番興味を持っていたのは、アメリカ館でも日本館でもなく、太陽の塔の内部の生命の木でした。そして、私は万博が終わってもパリ万博のエッフェル塔のように一般に公開されるものと思っていた。しかし、取り壊しの話がでたりしたが、取り壊しは免れたがその内部は公開されずほったかされていました。
それが、内部はだいぶ痛んでいたが復原され3月から一般公開された事は非常に喜ばしいことです。
太陽の塔の制作者の岡本太郎のねらいは、科学技術の進んだ未来の地球を表そうとした万博だが、その原点は何かを問い、地球の創世と生命の誕生にあるとし、プリミティブの重要さを訴え作ったと、私は考えていました。
私はもう一度見にいきたいと思っていたが、それが一般公開されるようです。しかし、予約制で半年先まで予約が詰まっているそうです。

いま、再び大阪に万博を誘致しようと大阪府などがはかりごとを巡らしています。まずはどのような目的でどのようなものにしようとしているのでしょうか。
大阪万博は、世界大戦が終わりつかの間の平和の終演を迎えるころでした。みな未来は明るいと思い月の石などを見にきていた。
しかし、それから50年がたち今の地球をみてみると、争いは絶えず、貧富の差は拡大し、環境汚染は先進国では見た目では回復シているように見えるが、地球規模でみると死に瀕しています。それにより、地球の温暖化が進み異常気象や超大型の台風などが頻発している。
岡本太郎の願ったことに対して真逆の世界になっています。
万一大阪で再び万博が開かれるなら、どのようなものになるでしょうか。また、太陽の塔のような意味を込めたものが作られるでしょうか。
50年前の万博は自然豊かな丘陵地帯につくられました。それが、いまでは、ニュータウンの一角の街になっています。今度誘致される予定地は、海を埋め立てた人工島です。
さて、また万博が大阪で開かれたとすれば、半世紀たつとその地はどのようになっていて、世の中はどのようになっているでしょうか。

大阪府市は隣接にカジノを含めた施設を作ろうとしていいる。しかし万博の本当のねらいは、己の身勝手な欲を満たすものではないはずです。
是非とも明るい未来になっているためにも、太陽の塔以上のメッセージを込めた、オブジェを永年残るものを作るのがよいでしょう。

便利な生活に思う

日常生活はどんどん便利になってきている。
家電製品の登場により、便利になりました。
電気炊飯器、洗濯機、掃除機は家事から主婦を解放したといわれています。今はそれらの電気製品は、電子炊飯器、、全自動洗濯機、自動ロボット掃除機となり、マイクロコンピュータが内蔵され、それらの作動はすべてマイクロチップにより制御されいて、一度スイッチをいれると人が介在する必要がなくなりました。
便利になったのは、これらの電化製品だけでなく、日常の家具も使い勝手が便利になってきています。
台所にみずやすなわち、食器などを入れておく戸棚は、引き戸では開けるときは手で開けるが、閉めるときは少し閉める動作をするだけで、静かに閉まっていくようになっています。これは引き戸だけでなく、観音開きは跳ね上げ式のものも同じようになっています。
このため、扉の開け閉めを丁寧にあめて、丁寧に閉めることが疎かになってしまう。
しかし、それが疎かになっても、電気冷蔵庫などは、扉が開いていると親切に教えてくれる。
自分で一つ一つの動作を確認して行うことをする必要がなくなってきている。だんだんと日常生活の所作が雑になってしまうことになる。
そのためか、いままちの書店にいくと、作法の本が多く積まれているのを見る。

身の回りのことを、一つ一つ丁寧にすることは大切なことで、それを身につけることが、人の上に立つ大切なこととされいます。
そのため、お殿様お姫様は、日常生活のさまざまな作法ごとを習い身につけます。
その作法のならいごととして、日本には茶道というものがあり、武士や商家での重要な作法として、茶道をならってその所作を身につけること大切な事としていました。

いま、身の回りにあるものが、あまりその使い方のしぐさや身のこなしに気を使わなくてもよいようになってきています。ある意味ではそれらはバリアフリーなデザインで、高齢者や身体障碍者にとってはありがたいものです。
しかし、反面に健常な人にとっては、日常生活が雑になってしまう恐れがあるので注意しないといけないですね。

ホーキング博士のご逝去

ホーキング博士が逝去された。
中国や香港のテレビでもトップニュースで報じられていたが、中国や香港で講演をしたこともあるようで、中国では万里の長城を訪れたと報じていた。
一方、イギリスのTVでは、博士のブラックホール理論について詳しく紹介していました。

わたしが、一番ははじめにおもいだうのが、ホーキング博士が、子供向けに宇宙物理わかりや安く書いた「宇宙への秘密の鍵」「宇宙に秘められた謎」「宇宙の誕生」いずれも岩崎書店から出されている三部作の物語の本です。もっとも、このほん子供向けにわかりやすくというより、面白く書かれているが、やはり難しく途中で投げ出してしまいました。
それと、スタートレックの大ファンだったともきいたことがる。実際に、シリーズにのTNGでは、アンドロイドのデータとポーカーをしているエピソードがある。聞いたところによると、スタートレックの制作者が、フォーキング博士がスタトレックファンで一度出演してみたいと思っていることを知って、出演に決まったそうです。でているのは、アインシュタインとデータやニュートンなどとポーかをしているワンシーンです。
ご逝去を悼みます。

散歩の時間は1時間か1時間半か

京都大学名誉教授である、人類学者片山一道の「身体が語る人間の歴史」ちくまプリマー親書を読んでいると次のようなことがかかれていた。
片山氏はよく散歩をされるそうだが、氏が畏敬する文化勲章を授与された、A先生は毎日1時間ほど散歩を欠かせないと言う。その先生が東京に出張したとき、皇居周りを散歩していたら、ノーベル賞を受賞したB先生にあった。そこで挨拶をするとその先生は、毎日一時間半程散歩していると言う。そして、A先生は次のような感想を言ったそうです「毎日30分ほど余計に歩くかあるかんかで、文化勲章とノーベル賞の違いになるんやから、ともかく歩いて損はない、歩かにゃ、人生に悔いが残る」と宣うた。と片山氏はその本で書いてあった。
あるこことは健康によいとよく言われている。そのことは今に始まったことではなく、私が小学生のころ一日1万歩以上歩くのがよいと言われ、そのころから万歩計などが売られてていた。そのころの万歩計は機械仕掛けで歩数だけを数えるものだったが。今の万歩計は腕の装着するものなどは血圧も測れるようです。スマホを使っての万歩計はカロリー計算や歩いたデータを蓄積し分析ができるようになっている。なかには食事のアドバイスもしてくれるものもあるようだし、中にはインターネットにつながれて、以上などがあればドクターの助言や忠告などがしてもらえるものもあるときく、至れり尽くせりでここまでくると、非常によく行き届きすぎて煩わしく思う。私は機械仕掛けの万歩計で十分だと思うのだが。

それはともかく、私は早朝に往復45分ほど歩き、その途中で太極拳を3回ほどしている。それでちょうど朝家をでて、1時間15分程で帰ってくるのだが、歩く距離をもう少し長くしてみようかと思う。何も文化勲章やノーベル賞をねらうためではなく、単にいつまでも元気でいたいからだけだが。

早朝散歩していると、だいぶ夜が白けるのが早くなってきた。そうすると今まで闇に覆われていた、散歩道の梢や今までの寒さに耐えていた勁草が浮かび上がって見えてくるようになる。
それやかやで散歩する道の桜を枝を見るとだいぶ蕾が膨らんできている。路傍の草はまだ枯れた色をしているが、これも次第に新緑の色に色づいていくのだろう。

自然は毎年着実に繰り返し春がやってくる。それがいくら寒い冬でも必ず春がやってくる、陽光の日差しは気持ちよいものです。先日ロシアのテレビが北極圏の町のリポートとして、冬の間一日中太陽が顔を見せなかったが、ようやく地平線から太陽が昇るようになり、街の住人たちが祝っている様子が紹介していた。
日本では、太陽が昇らない冬ではないが、毎年節分の時期には全国で春を祝うことがされ、もう少しすれば観梅の茶会などがされ、さらに、観桜の宴がなされます。それが過ぎると農繁期になり里山では活気づいてきます。

暖かくなるのが楽しみです。

レコードとテープレコーダーなど

レコードとテープレコーダーとCDやMDとICレコーダーとの再生の便利さ。

単純に考えると後に書いた方が便利だと思うが。レコードとテープレコーダーでは、どちらも順番に録音されている順番にしか再生できない。そこで前の曲を飛ばして再生したい場合は、レコードだとレコード盤を見て、その曲と曲の合間の所が相手いてわかるのでそこに針を置いて再生することが出きる。テープレコーダーの場合は、聞きたい曲の所まで早回しをして聞くのだが、聞きたい曲の頭の部分が判らないと聞くことができない。そのためテープレコーダーにはテープを巻き取った回数を示すカウンターがついているので、そのカウンターを記録しておいて、その曲の頭の部分まで早回ししなくてはならないです。これを考えるとテープレコーダよりレコードの方が便利だが、携帯性を考えるとテープレコーダーの方が便利だ。

では、テープレコーダーとCDやMDと比べると、後者にはメディア自体に曲の情報を書き込むことができ、そのメディアになにの曲がどこに(何番目に)録音されているかが記録されている。そのため、前者のテープレコーダーより格段に便利となる。また携帯性から見るとほとんど変わらないだろう。後者のMDはカセット式のテープレコーダより小型のものも多くある。しかし、ICレコーダーの登場によりMDレコーダーとICレコーダーの機能がほとんど変わらないことにより、そのコンパクト性からと、インターネットとの接続による媒体のダウンロードができることなどからMDの再生機は電気店やオーディオから姿を消してしまいました。
テープレコーダはラジオに組み込まれたラジカセがいまだに売れている。しかし、MDが組み込まれたとラジオは見たことがない。
使い勝手から言うと、頭出しや聞きたい曲を選んだり、同じ曲をリピートするのに便利だが、売られていないので残念です。

話を戻して、レコードとテープレコーダなら、レコードは手でレコード盤に針を置かないといけないが、テープレコーダーならボタンを押すだけです。その手間が省けるため曲を選んで聞くには早送りなどしなくてはならない。このことを考えると手間が省けた半面不自由になった面もあるということです。このことは、私たちの生活がどんどんと便利になっているが、それと引き換えに不便になっているところもある。しかし、それに気づかずいや気づこうとしていない自分たちに気づいてもいない。ことことの積み重ねはやがてどう自分たちに返ってくるだろうか。

さんざる

見ざる 聞かざる 言わざる

悪いものを見ざる 悪いことを聞かざる 悪いことを言わざる

悪いものを見せない 悪いことを聞かせない 悪いことを言わせない

悪いことを見抜く 悪いことを聞き取る 苦言を伝え貫く


よいものを見る よいことを聞く よいことを言う

心地よいものを見る 美辞麗句を聞く 媚び諂い事を言う

自虐的といわれるものを避けて、自慰にふける。

悪いこととは自分にとって悪いことか、相手にとって都合の悪いことか。よいことも良い、善い、好いといろいろある。
どのような視点でいようか。いようによては異様になったり偉容になったりする。

夜明け前の寒さ

先日今頃が一番夜が明けるのが遅いころとこのブログに書いたが、今は少しづつ夜が明けるのが早くなってきている。

一番遅いころと比べると、私の住んでいるところは、一番夜明けの遅いのが6:30ごろで、日の出が7時すぎだったが、今は夜明けが6:23で、日の出が57分です。これからしばらくすると、夜が明ける時間が一日ごとに1分ほど早くなる時がある。そうなれがいつもの散歩ももっと楽しくなってくるだろう。

そういえば、12日に、NHKの世界のワールドニュースでロシアのテレビにユース番組を見ていると、ようやく太陽が地平線から出てきて見えるようになったと伝えていた。北極圏では冬は一日中太陽が昇らない日が一月以上続くと聞きます、北極圏に住んでいる人は待ちに待った春の訪れを教えてくれることになるのでしょう。

一日の中で一番温度が下がるのが日の出前といい、確かに今朝の早朝の散歩は寒くその寒さももうしばらくの辛抱でしょう。また、これかしばらく寒さの方は厳しくなっていくでしょうが、それが過ぎると寒さも和らぎ梅や桜の蕾も膨らんでくるでしょう。薄暗い中木々の芽を見てみると確かに膨らんできています。

今年の日本

あけましておめでとうございます。
いつも拙文を読んでいただいてありがとうございます。

あて、今年はどのような年になるのでしょうか。安倍首相は是非ともオリン・パラリンピックの年に憲法の改正を実現させたいようです。そのため今年は、憲法改正のために議論が国会でまた、市中でも盛んになってくるだろう。
憲法議論をすることは私は非常に良いことだと思っているが、安倍政権の下での憲法改正議論が盛んになることには、どのようになるか恐ろしさを感じます。日本は、明治維新以降憲法制定運動が高まり、各地で民の私擬憲法が作られ、大正デモクラシーの時も多くの民主的な言論が戦わされました。しかし、昭和期に入ると絶対主義全体主義そして軍国主義の国へと突き進んでいきました。
平成の今再び憲法論議が高まるでしょうが、マスコミが政権に逆らわれないような感じで、国会などでの憲法論議の内容がどこま伝えられでしょうか。
また、憲法改正の国民投票法には、問題点が多いといわれています。
いま、北朝鮮のアメリカへの挑発により、米軍の軍事基地を抱えている日本は緊張が高められ、自然災害を国難として国民のなかでどのように議論がされ世論がどのようになっていくでしょうか。

今後も民主的でより民主的になり平和を大切にする国になることを願います。

来年の日の出日の入り

本屋さんに行くと、来年のカレンダーや手帳が並んでいました。
来年のことを言うと鬼が笑うといいますが、これは旧暦である太陰太陽暦を使っていたころの話です。
太陰太陽暦では月は新月から新月をひと月とし、一日を朔日として満月を15日としてその日の夜を十五夜といいます。天文学的にみると正確には多少その日はずれるのですが。
月の満ち欠けは約29.5日で一回りします、そこで30日の月と29日の月を作り12か月で1年とするが、それでは1年たつと10日程ずれてしまいます、そこでそのずれを直すのに数年ごとに閏月を入れて修正してました。しかし、その計算は非常にややこしいので一般の庶民には次の年の暦が天文方から発表されるまでわからなかった。そこで、来年は9月は大の月だ、小の月だといえなかった。わからない不確定な事を言うのはおかしいので、来年のことを言うと鬼が笑うと言うようになたそうです。

書店の店頭でカレンダーが売られているので、来年のことを言っても鬼が笑わないでしょうから。
そこで奈良の大仏さんが見る、来年の日の出、日の入りの一覧を作ってみました。これは、国立天文だの暦の計算室のページを参考にしたものです。

来年の夜明け日の出日の入り夕暮れ 別ページで開きます

最近のニュースなどから

 レインボーベーグルというのが、ニューヨークで、あか・き・みどり・むらさき、などの色粉をベーグル生地に混ぜ、それぞれの生地を重ねてこねてマーブル状にしたベーグルです。見た目はカラフル過ぎハレーションを起こしています。私には毒々しくとても食欲をそそるものではないです。昆虫の世界では、毒を持った昆虫には、派手な色肌をした虫が多いそうです、自分は毒を持っていると天敵に示していると考えられています。また、毒を持っていない虫にもその姿を倣っている虫もいる。
 キノコなどでも派手な色が着いているのは毒キノコといわれている、そのため本来人も派手な色の食べ物には警戒心を持ってまると言われています。しかし、いま日本でもそのレインボーベーグルの写真がSNSで拡散し、大変な人気だといわれています。一つ心配なのは人が色に対して本来持っている動物的な警戒感が失われてかないか心配です。

_/_/_/_/_/
 大型書店での本のタワー積の写真が拡散しているという。
 同じ本を10冊ほどタワー状に積み上げ、中には人丈以上の高さに積むこともあるそうです。その積み上げた本が全部売れるならよいが、売れ残った本はどうなるのでしょうか、書店が買い取ってしまうならよいですが、本には再販制度があるので、出版社が引き取ることになるでしょう。
 出版社は売れ残った本は在庫しておくと、税金がつくとききます。そうなると必要以上の在庫本は裁断処理されることになります。非常に無駄なことです。

_/_/_/_/_/
 北朝鮮の小型偵察無人機が、韓国こくないで墜落しているのが見つかりニュースになっている。韓国のテレビニュースみると、飛行機のエンジンはラジコン模型飛行機のエンジンのようで、搭載されたカメラも日本メーカーのデジタルカメラなどです。
 模型飛行機マニアのラジコン飛行機なら電波が届く距離は数百メートルぐらいだと思いますが、偵察飛行機となると少なくとも数十キロや百キロ以上の操作が可能なのでしょう。
もっとも、北朝鮮の偵察飛行機の韓国内への飛行は、は停戦協定違反になります。しかし、北朝鮮の言い分はアメリカは北朝鮮の遙か上空の宇宙からいつも偵察しているではないかと言いたいでしょう。

それはとかく、韓国のテレビニュースで見た、偵察機はラジコン飛行機マニアなら誰でも作れそうなものでした。いまならドローンなどもあるので、素人でも北朝鮮の偵察機より性能がよいのが作れそうです。

_/_/_/_/_/
フランス大統領選で、メディアとフェークニュースなどのが問題になっています。これはフランスだけでなくアメリカ大統領選でも同じようです。このようなことは、日本のSNSや2チャンネルなどを見ていくと、同じような事が起きるでしょう。特に最近安部首相がよくいう「印象操作」をメディアに圧力をかけることに厭わない人たちは、今後、選挙や改憲論議に好んで使ってくるかもしれないです。私たちはこれから心してニュースなどから読み解いていかないといけないでしょう。


_/_/_/_/_/
 自民党議員の豊田真由子衆議院議員は、政策事務所の職員に対し暴言や叩くなどの暴力を振るったりしたことが、公になり自民党を離党した。NHKのニュースで自動車の運転中と思われる時のやりとりが放送された。その様子をきいて豊田議員の聞くに堪えない感情的な罵声を聞くと、国民の代表者としての資質や自覚があるのだろうかと感じる。野党は国民を冒涜していると問題視し、離党ではなく議員辞職すべきだとし。自民党は離党したので解決されたとし、都議選や政権運営に問題はないとしている。
ところでこの豊田議員は安倍チルドレンの一年生議員だろうか、いやいや官僚出身のベテラン議員のよだ、しかしひどいぼうげんです。
ところで、世襲議員がよいとは言わないが数期務めている古参議員や、親から選挙区を引き継いだ議員なら、このような罵詈雑言などは致命的なことになるこ学んだり知らされているだろう。トップダウンの一本釣りで候補者になり当選した一年生議員なら、そのようなことに対しての自覚がないので、議員としての心得が欠け無いのでしょう。しかし、これが古参議員や世襲議員だったらお話にならないです。

----------
 ついでに、豊田議員が一年生議員だとして、最近の選挙で思ったこと。
日本では最近、地方自治で選挙では、首長が政治塾をつくりそこから議会に自分の配下をつくるため、選挙立候補者を立てて当選させようとすることが広がっている。国政では小泉政権の時のときには、郵政改革に反対する議員に対立候補の刺客を送り、小泉チルドレンという新人議員を当選させている。大阪では橋下知事が維新の会を作って、議会に配下となる議員を当選させている。また、東京都でも小池知事が都民ファーストという地方政党をつくり、都議会に配下となる議員を当選させ議会を牛耳ろうとしている。地方自治の首長は国政の首相と違い、はるかに大きい権限を持っています。そのようななか、議会を首長のいうことを聞く多く議員をつくり、反対者は少数にして地方自治の運営をするのは、民主主義地方自治の精神に反するのではないか。首長の施政の方針を議会と議論し合うのが筋で、自分の考えの従う人を議会で固めて施政を行なうのは、中国や北朝鮮と同じようになってしまいかねないです。
日本のいやフランスなどの民主主義の先進国といわれる国でも、このような議員が増える心配が高まっているようです。世襲議員による既得権を大事にする政治は問題だが、大阪は東京のように首長が議員を配下におき議会を牛耳ると、少数意見を無視するようなことにもなりかねず、民主主義として問題です。さらに、その一年生議員は始めて議員になり、自分は選ばれたのだから特別だと勘違いし、権力者だと思い違いをし、住民国民の代表者であることを忘れ、驕り高ぶる人も出てこないとも限らないです。

しあわせ

手と手を合わせて、皺を合わせて「しあわせ」「幸せ」という広告のキャッチフレーズがありました。

自分の手と手を合わせると、一人で幸せ、ヒイフウミイヨウの「ひしあわせ」となります。「ひ」は「被」ですが「非」にはならないようにしたいものです。
人と向い合せになり、相手の手と手を合わせると、二つの幸せで、「ふしあわせ」となる。この「ふ」は、二つの幸せが周布される「布」や、富貴の「富」なればよいですが、「負」「不」にはならないようにしたです。

いまの安倍政権をみていると近い人と手と手をあせて、その人ばかりが優遇されれ幸せになり、それ以外の人は負け組になり不幸せになりかねないです。
決められる政治とかこれしかないいいながら、共謀罪法で委員会での決議の途中を取っ払って、本会議で直接採決する「中間報告」という手法で成立を急いだ強引な国会運営や、「森友」「加計」の不誠実な答弁は、安倍首相じしんが「真摯に説明責任を果たしていく。国民から信頼が得られるよう丁寧に説明する努力を積み重ねていく」と語る言葉を聞くたびに。白々しさ、空々しさがますばかりで、どこからその言葉が出て来るのかと思うばかりです。

秘密保護法、安保法制、武器輸出三原則を武器輸出を防衛装備移転と言い換え武器輸出を緩和し、憲法解釈を捻じ曲げ集団的自衛権を認め、共謀罪法の委員会採決を省略した強行採決、「存在が確認できない」文書を「怪文書」というな。どうにも止まらない安倍政権の暴走は何時までつづくのでしょうか。

このような状態は、日本だけでなくアメリカのトランプ政権やイギリスのメルケル政権やフランスのマクロン政権にも同じような空気が流れている。しかし、一つ違うところは、アメリカやイギリスやフランスはジャーナリズムの使命が生きていることです。
ただ、いまだに最大野党である民進党のふがいなさがつづいていることです、そのため「ほかに適当な人がいない」として安倍政権を支持する人がいることです。

軽トラハウスと10円易者

5月25日のNHK総合で、8:15からの <所さん!大変ですよ>という番組で「人生の楽園!?謎の“改造軽トラ”」というのをしていた。
軽トラを改造してさまざまなことに活用しているのを紹介していました。
移動販売ができるように、八百屋さんや魚屋さんを始め、いろいろな商売に活用したりされている。はたまた自分一人の隠れ部屋にしている人もいる。
そのなかでも極めつけは、トレーラーハウスならぬ軽トラハウスです。
暮らしに必要な機能をわずか1.6畳のスペースにコンパクトにまとめた小屋を作り、荷台に載せているのだ。寝るスペースはもちろん、電気や水回りの設備を施し小さな書斎まで備ええいます。いわゆる軽トラハウスです。退職後、旅行を楽しみたくても余裕がない高齢者や、自分の書斎が持てない中高年サラリーマンなどにそれらを活用している人が多いようです。
そのようななか、自衛隊員だったがリーダーとしてPKOとして派遣されたが、仕事に疑問を持ち中退して軽トラハウス生活で全国を転々としている人、IT企業に勤めていたがあわただしい生活より、質素でも悠々とした軽トラ生活を過ごしている素敵な女性、などが紹介されていました。女性によると駐車は夜間などでも止められる道の駅などに停めただ、水はもらい水でこれもただ、一か月の生活費は30.000円ほどとしていました。

この番組をみていると、学生時代に教授から四国の松山に面白い人がいる、松山の市民に施しを受けて生活している易者がいると聞いたことを思い出した。松山だけでなく全国的に知れた知る人ぞ知る有名人だとききました。
松山の当時の市民なら今も誰でもが知っている、村上桂山という市井の有名人です。

少し調べてみました、いでたちは、ねじり鉢巻きに、着古した着物をまとい、リヤカーに小屋を乗せて、易を占い見料は10円です。そして、易を見た後は、半紙に書いた、軽妙な絵と自作の句や詩を添えた紙を渡していたそうです。
戦前から松山で妻との生活を別にして、亡くなる昭和51年(1976)までの約40年間その出で立ちで、松山の市中の人を占ったそうです。当時は現代版の良寛さんとも言われ、気ままな自由人とも、天衣無縫の禅僧詩人、乞食僧ので松山の市民に親しまれたといいます。
私が学生時代に聞いたので、亡くなる数年前ですが数年前に、「十円易者村上桂山・風狂の路上人生―狂わざれば生ける屍 アトラス出版」を読んだことがます。その中にあった詩の幾つかを紹介します。
「生きておれ 食うことのみが 人の道」
「皆そうよ 釈迦も 孔子も キリストも」
「死なざれば 生まれた事が 偽になる」
「つらかろう おれも乞食を 五十年」

話は戻して、軽トラハウスで過ごしている人も、このような心境で日々を過ごしているのでしょか。

旧正月

今年の旧暦での正月は今日で1月28日でした、日本の暦が旧暦である太陰太陽暦から、1873年明治6年に太陽暦であるグレゴリオ歴に準拠した今の新暦を使うようになりました。
正月のお祝いもしばらくは旧暦で行われていたようですが、現在にほんで旧暦の日程で行われる行事はないようです。
太陽の運行によって行われる、節分などの行事は二十四節気で行われるぐらいです。奈良東大寺の二月堂で行われる、修二会のお水取りは旧暦の二月朔日からおこなわれています。
しかし、日本中が旧暦の正月を祝うことはないです。東南アジアでは、旧暦の正月を盛大に祝う国が多く、祝日かそれに準じた取り扱いで、会社や官庁なども休みになるようです。また、花火や爆竹もならされ盛大に祝われています。
この花火や爆竹の使われ方は、私が中学の頃の友人の華僑の人は、中国では日本の正月のように静かに厳かに祝うのではなく、新暦正月はあまり祝わず、旧正月を爆竹を何連も繋げ大きな音をだして盛大に祝うと言っていました。

それから50年ほどたち世の中が豊かになったのか、TV等で見ると中国や東南アジアの都市での花火を使った祝い方は、先が見えなくなるぐらい煙が立ちこめすごいです。

しかし、中国では環境汚染などのこともあり、花火や爆竹を控えるように通達をだしたようです。
その通達に対して、世界の三大発明と呼ばれる、火薬、羅針盤、活版印刷のいずれも、そのその基礎技術は中国で培われていたもので、一つである火薬が使われている花火が制限さるのも時代のながれだろうかと寂しそうでした。
時代の流れというよりも、異常な盛り上がりで花火が使われるようになったもりあがりこそが、本来の邪気を払い服を呼ぶということよりも、単に盛り上がり悦楽を表し感じ取りたいということではないだろうか。

旧暦で正月を祝うことは私はよいことだと思う、中国などで盛大に行われる春節は太陰太陽暦での正月を祝うもので、立春と新月の関係で決まってくるのだが、できれば立春の前の日である節分で邪気を払い、立春の日に新年を祝い慶ぶのがよいと考えています。そのため、1月1日が国民の休日であるように、立春の日とその前日節分の日を国民の休日にしては道だろうか、しかし一つ問題がある立春の日は年によって1日ぐらい前後することがあることです。しかし、成人の日などのように連休にするため月曜日している。こちらは意味もなく連休にすると言うだけで移動するのだが、立春は春分の日のように太陽の運行によって移動するので問題はないはずでだが道だろうか。

稀勢の里優勝

稀勢の里が初の優勝をしました。優勝を期待されながら初土壌から15年目の初Vです。

実に89場所目入幕から73場所目での初優勝。何度も優勝争いに絡みながら、ここぞという時に負け逃し続けてきたが、ようやく念願の賜杯をついにつかみました。

昨年は年間69勝で単独最多勝を獲得しており、今場所の結果次第では横綱昇進の可能性も示唆されていました。

支度部屋で朗報を聞いた稀勢の里、記者の問いかけに対し「うれしいですね。最後まで集中してやりたい」涙にむせびながら感慨深かげにこたえていました。昨年は年間最多勝を取ったことで、今場所の結果によっては横綱昇進もあり、今日の千秋楽での白鵬とも、ぜひとも勝って自分の優勝に花を添えてほしいところです。

何はともあれ稀勢の里、初優勝おめでとうございます!!

テーマ : 大相撲
ジャンル : スポーツ

懲戒的な刑罰から社会復帰更生への刑務所改革

日本の罪を犯した人への懲役刑は、明治時代から同じ思想で貫かれて続いてきている。
家具造りなどの刑務作業が中心で、出所後の就労支援は重視されてきていない。それを個人の特性に応じた生活指導や就労支援に時間を割き、更正を促す方向に転換する事を検討していることが、政府関係者からの取材で刑法の懲役規定の改正を検討していることがわかったと共同通信が配信している。
このことは、明治以降100年以上続いてきあ刑罰の懲罰偏重の概念が大きく変わる画期的なことだろう。
このことは更生を促すことに繋がり、再犯防止策の有効な手段となるでしょう。

現在の刑務作業は、家具造りなどの木工や洋裁、印刷などと、職業訓練の自動車整備や造園などが中心になされている。

現行刑法は、懲役刑者は「所定の作業を行わせる」と規定され。受刑者に木工や洋裁などの刑務作業を義務付けている。禁固刑は、希望者以外は作業をしなくてもよくそれと区別されている。
また、日本の憲法には、第39条に、「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。」とされ、遡及処罰、二重処罰等は禁止されているので、死刑囚は通常刑務所ではなく拘置所で、刑の執行がこなわれるまで拘置され、刑務作業はしていない。

それを、改善指導として、
・社会生活に必要な知識を習得させる
・就労支援
・薬物依存からの脱却指導
それと、教科指導として、小中学校レベルの基礎学力を習得させる方向で検討されている。

これは画期的なことで、犯罪を犯した者に罰を与えるのではなく、刑務所を更正するための施設に転換する一つのきっかけとなればと思う。
そこで、慎重になされないといけないことは、刑務所の入所者(受刑者)がどれだけ社会復帰が調い更正されているかの評価のしかたであり。もう一つ刑務官の勤務評定のなされ方です。いま刑務所などに懲罰房などがあると聞くが、更正の評価が悪いとか単位反抗的であるからで、懲罰を科すことの無いようにしなくてはならないだろう。そのためには刑務官の今までの意識では、新しい制度の方針の下で仕事をすることはできないだろう。

奈良に日本最古の少年刑務所が今年閉所されることにより、そのレンガ造りの建物だけでなく、長年青少年の更正に向けての取り組みなどがも注目され書物にもなっている。
少年刑務所は大人の刑務所と違い、少年法により少年の社会復帰のための更正に重きが置かれ、少年達は生活している。ことのことは、今後大人が務める刑務所の参考にもなるのではないだろうか。そして、刑務官の意識改革と人権意識の向上が急務となってくるだろう。

再挑戦

プロ野球の選手で戦力外通告を毎年受ける選手がいる。その中で、トアイアウトを受けることがあると言う。球団からクビを通告されたが再度プロ野球での挑戦をするための入団テストだが、合同でなされることがあるそうです。
今年は甲子園球場でおこなわれ65人の選手が再度プロや球界で活躍することに挑戦した。
その中にはドラフト一位の選手もいれば、1億円プレーヤーもいる。また大リーグ入りを口にした選手もいるという。プロや球界は潰しの利かない世界だから。クビを通告された者としては必死でだる。
毎年ドラフト会議は注目を浴び、そして巷ではストーブリーグに花を咲かせる。
しかし、この合同トライアウトには、あまり新聞の紙面に飾られることは少ないです。

各球団は華々しく入団発表会をし記者会見をする。また、球団のスタープレーヤーとなり、黄金プレーヤーとなた者が引退するときには、華々しく引退試合が行われたり記者会見が行われる。
その裏で球界を去る者がほぼ同じ数だけいることは当然だが人はあまり注目しない。

今年トライアウトし来年も球界で生活する者は、どのような抱負を持って年をこすのでしょう。よい新年がくることに期待したいものです。

それにしても、ドラフト1位置に指名したが、戦力外通告を出した球団は、眼鏡違いだったであろうし、戦力外通告を出し他球団にトライアウトし活躍したら、その放出した球団は選手養成育成がその選手に合わなかったのだろう。

ローテクのすばらしい印刷技術

印刷技術には活版印刷のような凸版とエッチングやドライポイントなどの銅版画やグラビアの凹版とリトグラフやオフセット印刷の平版、それとシルクスクリーンの孔版があります。
その中で私はもはや絶滅した印刷技術として、平版の技術の一つのコロタイプという印刷が今も生き残っている。

活版印刷やオフセット印刷の写真は、網点であるドットの大きさで濃淡を作り出し、グラビア印刷も原画の濃淡に比例した深さに版を腐食させ刷版を作ります。こちらもインクが流れ出さない仕切を作るための同じ大きさの網点が作られます。

私が知っているコロタイプはモノクロの、卒業アルバムに使われたり、美術品などの写真集です。しかし、コロタイプは非常に手間暇が掛かる印刷で、今の経済効率優先の時代には合わなく、美術全集などでもオフセット印刷が主流です。しかし、このコロタイプは格段に進化して貴重な美術品などの複製の使われているといわれます。

ではコロタイプとはどのような印刷技術かというと、ガラス版に重クロム酸塩などを添加した感光液を感光材混ぜたゼラチン塗りそれを版にします。
濃淡は網点ではなく感光の強弱により表され、網点が無く連続階調によって表されます。そのため、連続階調によるなめらかで深みのある質感が、素晴らしい表現が生み出されるといわれています。
つまり、見た目の違いはコロタイプ印刷は刷版を作るとき、フイルムを直接密着させて作るため、原版に忠実になります。そのため写真の場合はオフセット印刷のような、網点を使用していないので連続階調忠実に再現され、インキ量が多く全体に重々しくくっきりと感じます。

しかしコロタイプ印刷は、モノクロ表現が限界と思っていました、それによりいまではコロタイプ印刷を見ることはなく絶滅したと思っていました。。
それがなんと単色の限界を、多色刷の開発研究に成功し、微妙な色彩変化が作り出せるようになり、いまや文化財の再現に大きく貢献しているようです。美術品などの複製にはすべて手作業で進められり、またインクも輪転機などの機械を使わないので、インクも顔料が多い硬いインクをが使われ通常の印刷よりも格段に耐久性が高いといいます。
このコロタイプ印刷ができる会社は今や、世界でも2社しかないといわれています。それがいずれも日本の京都にある、真陽社と便利堂の2社だそうです。
ハイテクでデジタルな現代ですが、このようなローテクでアナグロな技術も次世代に伝承されていることは嬉しいことです。

日本社会に抵抗文化があるか

ノーベル文学賞を受賞した、チェルノブイリ原発事故を巡る記録『チェルノブイリの祈り』を著したスベトラーナ・アレクシエービッチさんが先月来日したが、11月26日27日に福島県を訪れ、事故の被害を受けた被災者の話を聞いた。
11月28日には東京外国大学で講演した。その中でアレクシエービッチさんがそこで、福島の原発事故の国の住民補償や事故への対応や原発行政の進め方に、「何千人もが訴訟を起こせば国の態度も変わるだろうが、一部の例外を除いて、団結して国にたして自分たちの悲劇を重く受け止めるべきだと訴えうるような抵抗がなかった」として、「日本社会に抵抗文化がないことに目のあたりした」と語りました。
たしかに、東西の冷戦が終結するまえから、大規模なストやデモが行われなくなってしまった。
日本には本当に抵抗の文化がないのだろうか、よく大きな被害を広域的にだした地震などの災害で、暴動が起こらないのは日本人の美徳だとか、外国では直ぐに暴動になるとか言う人がいる。
日本人は道徳心があるからだと言うが、はたしてそうだろうか。テレビでも海外の大きな災害が報道されるが、そこでも地域の人が協力しあて救出活動をしたり、ボランティア活動をしているようすが映し出されている。
また、国内の戦乱から逃れてた難民の人たちも、救援の手が差しのべられるのを静かにまっている。大きな災害が起きたら外国の自分勝手な人がいる国では暴動になるというのは間違いです。日本でも地震の被災地にで避難してだれもいない街で空き巣が相次いでいると聞きます。

それよりも、福島原発のような大きなことが起きても、自分自身の存在を否定して、国も大変なのだから国の方針にただ従う、また多数の流れに従うことは人間としてどうだろううか。もっと自分を大切のすることが、それは延いては多数のためになり、同じ過ちをくりかえさないようになり、全体が改善され良くなっていくのではないだろうか。

奈良の書店 2軒

近鉄奈良駅の広場に行基菩薩像がある。

そこに「ひがしむき商店街」がある。その商店街を南にいくと高速餅つきで人を寄せている「中谷堂」があり、東側に猿沢の池がる。それとは反対の二条大路北側に「ひがしむき北通り」商店街がるが、その商店街に昔の本屋さんの面影を残している店が二軒ある。一軒は商店街を入ってまもなくある「豊住書店」で、もう一軒は突き当たりの奈良女子大近くの「ベニヤ書店」です。二軒とも賑わっているみせではないく、かなりのあいだ店晒しになっている本がたくさんおいてある。特に両店とも岩波書店の岩波文庫や新書、現代文庫やブックレットなどがおかれ、他にも講談社の学術文庫や筑摩書房の文庫などもおかれている。岩波新書などはかなり背が色あせてあり、中には硫酸紙でカバーされていた頃の本も売られ絵いるが、硫酸紙がなくなっているので背が茶色く褪せてしまっている。岩波文庫には流石に価格が★や☆で表示されているものは無いようで、硫酸紙と帯がついているものではなく、紙のカバー仕様のものばかりえす。

まあともかく、あまり整理整頓された書店とはいえない。しかし、この本やさんに何か懐かしく感じるところがあります。また絶版になっている文庫が、運が良ければ探している本で、版を重ねて値があがっているものなど、重版される前の値段で手に入るものもある。また岩波文庫などには、絶版されたものもあり中には、復刊未定や困難と帯をされたものもある。古本やなどでは定価より高いものもあるが、ここでは出版当時の値で売られているので、古本屋より安く買えるかもしれない。

本のアマゾンなどのネット販売や、電子書籍が広がっているなか、紙の本屋さんもよいもので、この二つの本屋さんは小さいの店を一回りするのに数分しかかからない、しかし一回りするだけで興味があるなしに関係なく、いくつもの面白そうな本が目に入り、つい手が伸びてしまう。これはネット書店にはないものです。
この本屋さんはいろいろな本が雑然と置かれているが、何度もいきたくなる書店です。本好きの方は奈良を訪れたときは、小さな書店ですが一度のぞいてみるのも良いとおもいます。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

記事の整理棚
禅 (2)
最新の30の記事
月別の過去の記事
07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   09   08  
単語による記事検索
竹林の過去の戯言のタイトル

過去の記事タイトルを100件づつ表示します

記事へのコメント
  • 息子を裏口入学させた受託収賄罪
    アジシオ次郎 (07/10)
    こんにちは。

    文部科学省の局長が私立大学への支援事業に便宜を図る見返りとして自分の子供を大学に入れるよう裏口入学を持ちかけたとして住宅収賄で逮捕されたって言う
  • パレスチナの混乱
    竹林泉水 (05/26)
    いつまでも、パレスチナ問題がくすぶり続けますね。
    おっしゃるように、ドイツからの大量虐殺やヨーロッパからの他の民族から差別され虐げられ、その苦渋の思いはよくわか
  • パレスチナの混乱
    アジシオ次郎 (05/22)
    おはようございます。

    イスラエル建国からずっと続くパレスチナ問題、アメリカが大使館をエルサレムに移転したことで混乱の火に油を注ぐ事態となったけど、アメリカは事
  • またまた憲法について思うこと
    竹林泉水 (05/18)
    安倍晋三氏は母方の祖父、岸信介が首相の以前から、憲法はGHQの素案に基づいて作ったもので、日本人が自らの手で作ったものを制定すべきという持論をもっていた。そこで
  • またまた憲法について思うこと
    風と雲 (05/17)
    全面的にお説に賛成です。憲法は逐条の内容で論ずるべきで、改憲か護憲かではなく、現状の権力構造が国民の幸福と人権を妨げることへの言及が不足する部分は強化するべきか
  • 麻生大臣の発言
    竹林泉水 (05/12)
    麻生大臣にかかわらず日本の人権感覚や女性が活躍する社会といいながら、このようなことを容認するような政権の体質にはうんざりとします。
    いかにあるべきなのでしょうか
  • 麻生大臣の発言
    アジシオ次郎 (05/11)
    おはようございます。

    セクハラ罪という罪はないなんてまた問題発言をしでかした麻生太郎副総理兼財務相、この人は度々問題発言をしては世間を騒がせてますが、今回のケ
  • 安倍政権の男尊女卑のような感覚
    アジシオ次郎 (05/01)
    こんにちは。

    政府や官僚がセクハラっていうかハラスメント全般を許されない・みっともない・立派な人権侵害である。と言う意識が全く無いというのは、ただでさえ人権意
  • セクハラは人権問題
    竹林泉水 (04/24)
    下村元文科相もひどいことを言っていますね。下村氏はもう少しましな人だと思っていたが、あきれてしまった。
    麻生副総理の「ナチに学んだら」や、石破氏の国会前の「テロ
  • 記事へのトラックバック
    ブロとも一覧

    うたのすけ

    山下道場

    荒野鷹虎

    海空居士

    紀瀬美香

    marihime

    お父さんの旅

    キラベル

    silver camellia

    kbrkのつぶやき

    魚京童!

    俊樹

    アジシオ次郎

    ほんわか?絵日記

    吾輩と旅と副業

    Chronos Moon

    ざっくり読書感想文

    Taiwa Sato

    びとら

    Resale Japan

    QWERT 5w1h

    (o ̄∇ ̄o)♪

    HIROGACHAN+

    しんのすけたろ

    勝ち組の日経225

    ハセッチブログ

    五月雨 時雨

    諭吉

    さくらさくら1

    不思議な不正義2
    ブロとも 申請フォーム

    竹林乃方丈庵のブロとも申請はこちらからです。

    Webページへのリンク
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ

    更新履歴
    今日の暦と天気

    日めくりカレンダの説明

    ■2016年旧暦 日月の出入■

    06 | 2018/07 | 08
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    293031----

    ★☆今宵の夜空☆★

    NHKらじる★らじる
    大阪東京第2FM大阪
    何の日



    ご訪問ありがとうございます
    竹林泉水のTwitter
    FC2掲示板
    [ブログ記事へのコメント 掲示板のレス 感想など]
    ■□FC2のブログ□■
    _/_/_/竹林乃方丈庵を_/_/_/
    _/_/_/ リンクに追加 _/_/_/
    □■□■徒然諸諸■□■□ □■□■心の時代■□■□ □■□■息身心/健康■□■□ ----- □■□■厚生福祉■□■□ □■□■その他■□■□
    □■FC2以外のブログ■□
    諸諸 徒然 「身・息・心」 こころの時代
    RSSリンクの表示
    QRコード
    QR