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竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

小鹿と小犬

先日なら公園近くで、鹿が十数頭が道路脇の植え込みの木の芽を食べていると、鎖で繋がれた飼い小犬が飼い主とともにそれを見ていると。子鹿がよってきて「おまえなんで鎖に繋がれているのか、ぼくらは鎖などで繋がれていなくて、こうしてどこにも行け好きなものを食べられて食べ等重自由だよ、かわいそうに」と言っているかのようだった。
飼い主は、突然に子鹿が寄ってきたのに驚き、鎖を引っ張ると小犬は驚き、子鹿に向かって吠えると、子鹿は驚いたようすで固まっていた。周りにいる大人の鹿は平然と、小犬と子鹿のやりとりを見ていた。

奈良や宮島の鹿は野生の鹿だが、人になれていてその時々の状況でどのようになるかがわかっているのだろう。人の方が戸惑っているようだ。

あいちトレンナーレ展

いまだに、あいちトレンナーレ展に対する、騒動がくすぶっているが、現代芸術とはどんなものだろうかを考えてみたい。

第二次世界大戦前夜、ナチス政権の宣伝省は、近代美術を道徳的・人種的に堕落したもので、ドイツの社会や民族感情を害するもとして禁止すして、それらを批判する芸術館のため「退廃芸術展」を催した。そして、ロマン主義的写実主義な英雄賛美的なものを、健康的な芸術として、「大ドイツ芸術展」を催しナチスの公認芸術として賞賛した。

また、1863年に、フランスで公式のサロンの審査員で落選した作品を集めた展覧会があり、これを通称落選者展ともいわれている。
落選展は1830年代ころから始まり、パリのアート・ギャラリーが、サロンに落選した作品を集めて催され。
小規模でプライベートな展覧会だが、863年の展覧会ではサロン展より評判が高くないり、フランスの印象派運動へ発展していく。この年、サロン展で3,000点以上の作品がサロンに落選したことに、美術家たちが抗議によりおこなわれた。
落選の作品に対して、多くの批評家ならびに大衆は落選作品を嘲笑し落選の正当性を訴えた。
マネの『草上の昼食』、ホイッスラーの『白の少女』などがあった。今までにない道徳観・価値観の絵で批判されたが、印象派の画家たちは、サロンの外での展覧会は次第に認められ落選展は、その後も開催され、パリ・サロンの名声や影響力はしだいに衰えていくことになる。

現代社会で、ナチスの「大ドイツ展」や「パリ・サロン」をそのまま引き映すようなことを望むような声が、今の日本で高まっているが、それは衰退への道を同じように歩むことになる。

パーム油

先日テレビを見ていたら、パーム油について外国の放送局がニュースとして流していた。
パーム油は現在、食べ物を始め、化粧品などあらゆるものに使われている。そしてパーム油を生産することにより、熱帯林が開墾され、オランウータン、トラ、アジアゾウなどが住む貴重なを環境を破戒して作られている。また、パーム油を生産するのに現地の子ども達の労働力として駆り出され、アドカボで述べた時と同様に自然環境も破壊されているという。

しかし、あらゆる食品や石鹸や化粧品に使われているが、私たちにはなじみがない名前です。商品の成分表を見ても、パーム油などどこににも書かれていないせす。それもそのはずで、日本では加工食品等の原材料表示は単に「植物油脂」と表示すればよいようになっているからです。

どんなものにパーム油が使われているかといえば、食料ではバター、マーガリン、即席めん、マヨネーズなどはもちろん、菓子類のクッキー、チョコレート、スナック菓子、アイスクリームなど、食用以外では石鹸、洗剤、化粧品、塗料、化学製品などに幅広く使われている。

では、パーム油とはなにか、パーム油はアブラヤシの果肉から得られる油脂で、大豆油を抜き世界で最も多く生産される植物油脂。またアブラヤシの種からは性質の異なるパーム核油が得られる。(そういえばカシューナッツのカシューの実からは、カシュー漆という塗料が作られている。)

パーム油はなじみがない名前だが、このところその需要が世界中で高まれ、これからも需要の拡大が見込まれている。
パーム油はほかの植物油脂に比べ、多用途に利用でき、価格が比較的安価なので、中国・インドやアジアの人口増加や生活水準の向上による消費量の増大が見込まれている。またバイオ燃料としての期待がある。アジアでは食用油として多く使われている。

アブラヤシはアフリカが原産地だが、赤道周辺で一定以上の雨量が必要とされることから、マレーシア、インドネシアを中心に大規模なアブラヤシ農園開発が行われ、全世界の供給量の85%はで生産されているという。
そとため、多くの熱帯林が伐採され、焼き払われてパーム油生産地になり、地域の環境面などで深刻な影響がでている。
熱帯林、泥炭湿地林の消失、絶滅のおそれのある野生生物の減少、伐採、森林火災による温室効果ガスの排出、大規模工場生産の方式の開発と栽培による土壌、水、大気の汚染など。
また、経済の発展政策により、社会面で森林に依存する先住民等との不和、農園での低コスト生産による劣悪な労働環境と人権侵害、周辺住民と生息地を奪われた野生動物との衝突など、深刻な問題を引き起している。

アドカボは一つの商品だが、パーム油は多方面で利用され私たちの生活を豊かにしてくるものだが、その生産現場は生産地の現状がどのようなものかを、私たちはそれを知らずに過ごしている。このことはパーム油はに限らない。便利なスマートホンも、その個々の原材料である鉱物資源などを採掘する現場でも、アドカボやパーム油と同様に自然環境を破壊され、現地の原住民などとの衝突などを知らずに、都会でスマホを使って便利に過ごしている。
いまの便利なさまざまな機器などを、ないも知らずに考えずに使って日常を過してよいものだろうか。

そこで、赴粥飯法の「五観の偈」は、食事をする時の心得だが、私たちの日常の生活一つ一つも、「五観の偈」としてみたい。
一つには、功の多少を計り、彼の来處を量る。
  自分がこれから使おうとしているものが、どのようにして作られているのを考えそれに感謝する
二つには、己が徳行の全缺と忖って供に応ず。
  これからそれを使おうとするのに値するだけのことをしてきたのか、またその使い方をするのか
三つには、心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
  欲をだし多く貧らず足るを知り慎むこと
四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり。
自分の行いやこれから得ようとする知識を健全なる心身を維持する為につかうこと
五つには、成道の為の故に今この食を受く。
  自分の行ないはすべて、人としての道を修める為にすること

日本独自の文化とは

徹底検証神社本庁 藤生明 ちくま新書 を読んでいると、歴史学者の家永三郎が、明治百年にあたる1968年2月11日に開かれた総評系平和集会で、「明治百年史観は日本の歴史をのっぺらぼうな一直線の発展・栄光の歴史ととらえ、その間の起伏をほとんど無視し、すべてをバラ色に染めてしまおうとする考えだ」と述べたと書いてああった。それから半世紀以上たったいまも、過去を反省する考えを自虐的と避難し、クールジャパンだといい、日本は希有な美しさがあると、自慰的なテレビ番組などが流され続いている。
50年前に、家永三郎が述べ警鐘はなんら生かされていない。

また当時を振り返ると、むしろ逆に当時の保守層では、国民総生産が世界第二位になったのは、明治の政策の賜であり、戦後に失われた日本の精神・明治の精神を取り戻し昂揚を図るべきだとの声が聞かれるようになっていた。
この点でも、半世紀後の今をみると、その地下水脈は流れ続け、いま、伏流水となってそこかしで、インターネットなどのSMSなどで、湧き出ている。その湧き出方を見ると、過去の歴史を振り返った言い方などに対して、周囲からパッシングされ、ネット炎上という現象が起きたりする。

また、家永の述べたことは、ネットユーザーだけでなく、政治家の方がその言動を見ていると、深刻な状況になっている。その政治家たちは、戦前の大政翼賛政治の時代を知らない、戦後生まれのしかも若い政治家に、明治はよきもの美しきものと、無条件で礼賛するものが多く、その中には国家神道が日本の伝統的な文化とだとしてその復興を願う者もいる。
国家神道とは、神社などの神社神道の神道とは別物で、明治政府が、国家統治のために日本の統合の権力の正統性を位置づけるために作り出されたもので、日本を統治するうえであみ出したものです。日本が元号を使うようになった大化の改新(645)からっみて1500年ほどたつが、そのかん天皇家が政治の実権を執行していたのは、平安時代の中頃までで、それ以降幕末までは武士が実権を握っていた。それを見ると、国家神道は、たかだか150年ほどの歴史しかないのです。

あらためて、私たちの文化とは何だろう、日本の文化とはなんだろうと考えてみるべきです・
日本の元号は中国の元号を倣ったものであり、江戸時代以前また、明治になっても日本の公文書は漢文で書かれたり、書き下し文を使っている。
萬葉集は万葉仮名でかかれ、上代のころに日本語を表記するのに、漢字の音を借用して用いられたているので、漢字でかかれている。そのようなことを考えると、日本独自とオリジナルの文化などはないのです。このことは、日本に限らず中国もそうだし、ヨーロッパやエジプトやメソポタミア文化も、それぞれ周辺から相互に影響を受けて形づくられたものです。そのことをよく知った上で、日本の独自な稀有な文化を見ていくことが大切です。

岡倉覚三の「茶の本」を読みなおして

岡倉覚三(岡倉天心)が、日本の文化を紹介するため、1906年にアメリカで『The book] of tea』を出版した。この本は日本でも翻訳され『茶の本』として現在でもよく読まれている。
その中で岡倉覚三が次のように行っている有名な一説がある。

「 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」
明治維新後、明治政府は脱亜入欧の政策を進め、西欧の列強を見習って日本の近代化を進めるため、帝国主義を見習い植民地化政策を東アジアで進めようとした。日清・日露戦争や満州への進出により、日本の地位・見方は野蛮国から文明国へのと変わっていった、しかし、岡倉覚三は「血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。」と言っている。

いま、科学技術が進み日常生活の仕方が目まぐるしく変わり、それについて行けない人も多くいる、いま、そのような人たちを、最先端の技術を取り入れて生活している人は、それにつてこれない人をどのように見えいるだろうか。野蛮人とまではみていないが、これがこのまま進むと遅れた人とみるのではないだろうか。19世紀から20世紀の半ばまで、先進国の人間は、アフリカなどの後進国の人々をさげすみ見て、なかには自分たちは優秀な人間で、後進国の人は人間の価値がないとして、奴隷として扱っていた人も多くいた。
いまは、世界中の人々は同じ種でアフリカを起源とするホモ・サピエンスということが、DNA技術で証明され世界中の人間を同等に扱っている。

しかしいま、科学技術が格段に進化し、それにより生活が便利になり、IT技術は人工知能であるAIの演算速度は人間が数百年かかっても計算し終えない式を、一瞬でこなすようになり、またビッグデータと呼ばれる、日常のあらゆるデータを集積し解析分析し、今後どうあるべきかの予測を正確にたてることができるようになってきている。それらの技術を巧みに使いこなせる人と、そうでないそれからこぼれた人との間に格差は生まれてこないだろうか。

振りかえてみると、そこには人類が今まで築いてきた人間性と言うものを変えよとしている。
人類が狩猟採集生活から農耕生活に変わっていったとき、蒸気機関による産業革命で工業生産力が向上し、電気の発明により日常生活を便利にし情報伝達速度は飛躍的に速くなった。さらに、インターネットの出現により、情報は世界中を覆い網羅した、WWWが出現した。それにより、地球の裏側でなにが起きているかを、瞬時に性格に把握できる。
今のような通信網が整備されていない時代、江戸時代は大坂の早朝の米相場は、昼過ぎにならないと江戸でははからなかった。東海道に張り巡らされた、旗振り場や狼煙を上げるところで、リレー方式で伝えれた。そのようなものが整備されていないところは、大坂と江戸より近いところであっても、数日かかったりしていた。ローマ時代ローマ帝国軍隊が遠征地で勝利したことが、皇帝がわかるのは数日後だった。
しかし、いまはリアルタイムに世界中の誰もがしることができる。今年は人類が月に足を踏み入れて50年になるが、50年前その様子を、私は青函連絡船の中でテレビを見ていた。世界中の人が同時中継でそれを見ていた。
それから50年たつので、今の技術はそれを遙かに凌いでいることはいうまでもない。

今後、岡倉覚三が言う、西欧人が日本人を野蛮人と見る目のように、現代の科学技術の発展に馴染めない人は、いままで、人類が培てきた、人権と平等の文化の理想を追い求めて、最先端の技術を身に装着しているひとから、未開人と呼ばれてもよいのではないか。
しかし、それらの人は次第に淘汰されていくのではないかと思うし、いま地球上に70億以上に人が暮らしているが、ひょっとすると其のほとんどが淘汰されてしまうかもしれないと最近感じている。

早朝のウオーキングをしてふと思ったこと

スキーのジャンプ競技では、私の若いころは、飛ぶときの姿勢は足をそろえ手を体側に沿えてジャンプしていた。姿勢が乱れると原点されていた。
しかし、いまは脚を広げスキー板をVの字にして、手も逆Vの字にしてジャンプしている。このようなジャンプを昔していたら大きな原点をされていたのに、大きな変わりようです。
ジャンプして空を翔ぶときできるだけ空気を抱えて浮力をえるために、脚を広げてを逆Vの字に広げるのでしょう。
それを考えていると、トビが空でクルリと輪を書いているときの、翼の先を頭の上に浮かんだ、また尾は広げている。

中国の気功に「五禽戯」というのがあるが、この気功は、虎・鳥・熊・鹿・猴の形態ををまねたものだが、その鳥の形態に手の形があります。鳥翅といい、五本の指はまっすぐ伸ばし、親指、人差し指、小指は上に跳ね上げ、中指と薬指は揃えてやや下に押さえるようにする。

スキーでジャンプするとき、腕は今選手が飛んでいるように広げ、手は広げて指先を五禽戯の鳥翅のようにし、スキー板は後ろの方に支点があるXの字にして飛と、鷹のように空を滑空するだろうか。

スキーのジャンプをする人はみな同じ飛び方をするが、それがもっとも飛翔距離をのばすからだろう。しかし、例えば鳥のように羽ばたいてみせるとか、独自の飛び方をする人はいないのだろうか。

ツバメの巣立ち

毎朝、早朝のウオーキングのために、運動公園に言っているが、その途中に個人の店舗兼住宅があるが、そこのガレージのシャッターが4月ごろから、全部下ろさずに下半分ほどがあいている。しかし、少し前からシャッターが完全に下ろされるようになった。
実は、このガレージには毎年ツバメが巣をつくっているのです。
ウオーキングをしているときなどに、ツバメが出入りしているのをよく見かけました。シャッターが全部下ろされるようになったということは、ツバメのひなは育ち、巣立ったのでしょう。
ところで、ツバメは日ごろはどこで、寝たり過ごしたりしているのでしょうか。たぶん近くの林や軒先などの足がかりがあるところでしょう。

安全について

いつも通っている道路にあるガソリンスタンドに、
「ダイア点検実施中!! 安全・安心・快適」と書いてある横断幕が掲げてあった。
車のタイヤ点検は、法律で義務づけられて定期点検や車検の時にする人が多いが、運転者自身の安全をまもるもので、それは、法廷義務以前に自分の身を守るために、能動的自発的にすべきもので、多くのドライバーは法廷義務だからと嫌々行って入るものではないです。
私はミニバイクによく乗るが、タイヤの空気圧やタイヤの溝は時々気にして観ている。

自動車のタイヤ点検にかぎらないが、今日、安全は当たり前のように思い、只であ、あるのが当たり前だと、思いこんでいる人もいる。
安全な生活をえるのは、自分たちの権利でもあるが、それれが最近与えられて当然だと思っている人も多いようです。
ガソリンスタンドの横断幕を見て、みずから、身の回りの安全点検に意識をすることは大切な殊だと思った。

また、工事現場や工場などに掲げてある標語に、[ 安全第一 ]とあるが、これも自らが安全について意識をしないといけないということだが。それがなんだか、私たち庶民生活のなかでは、どこまで定着しているのかと感じた。

ソメイヨシノの実

毎朝ウオーキングをしている運動公園では、桜が沢山植えられているが、その桜はソメイヨシノだが、毎年桜のツボミの様子を見ている木で、よく見ると小さな実がなっている、
ソメイヨシノだけでなく、桜の木は、自家不和合性という性質があり、同一体の木からは花が咲いても実がならないと聞きます。つまり、ソメイヨシノは一本の木から、挿し木や接ぎ木をして増やされたものなので、実がならないと聞いたが、この運動公園のこの木のソメイヨシノは実がなっているが、たぶんこれ以上大きくならず種はできないでしょう。たとえ種ができたとしても、発芽することはないのでしょう。

同じようなことで、月下美人も日本に伝わっている月下美人はすべて同じ固体から増やしたもので、実がならないと聞いたことがり、さらに、東京農業大学の進化学研究所がメキシコから取り寄せた月下美人と交配したら、実を付けたということを書いてることを一度本で読んだことがります。それと同じなのでしょう。ソメイヨシノは人工交配してつくられたものなので、それこそこど遺伝子はひとつですから実はならないのでしょう。

障害という字について

発達障害という言葉をよく聞くようになった。
発達障害は、生まれつき脳機能の発達のかたよりによるものとされている。
そして、発達障害には、3つのタイプと特性があると現在定義されている。
・自閉症スペクトラム(ASD)、・注意欠陥・多動性障害(ADHA)、・学習障害(LD)です。

・ASDは、対人関係や社会性と他人とのコミュニケーションがにがて。また興味や関心の幅が狭く物事に強いこだわりが強い、柔軟な思考や急な場面や環境の変化への対処が難しい。
・ADHAは、・気が散りやすい、・集中力がない、・思いつきで行動してしまう、・落ち着きがない、・忘れっぽい、など年齢ににつかわしくない行動がみられ、多動や不注意や、衝動的とみられてしまう。またそれらの言動が日常生活や学校生活で支障が出てしまう。それらは自分での感情や行動のコントロールが苦手なため、まわりから批難を受けたり、親のしつけが悪いと批判されがちです。

LDは、知的発達に遅れは大きくないが、読む・書く・話す・聞く・計算など特定の分野に困難があったり、特定な分野だけが突出した能力を持っていることが見られる。

これらのことを見ていて、身体障碍者や知的障碍者そして精神障碍者などもそうだが、その障害者という言葉にわたしは違和感がある。いまこの文をパソコンで書いていて(打って?)、「しょうがい」と入力していくと障害で「妨げになるもの」とでてくる。決して妨げになる者ではないですが。障害の後ろの者がつくと、その人は社会に妨げになる人と言っているように感じるのです。

私はよく障害を障碍と書きますが、では「害」と「碍」あるいは「礙」はどう違うのだろうか。

碍を新漢語林を引くと
[その他] 礙の俗字
   とある。
そこで礙を引くと
【異体】 碍 《俗字》
【字義】 さまた‐げる(さまたぐ)。さえぎる。じゃまをする。また、さまたげ。じゃま。「障礙」
【解字】 形声。石+疑《音符》。音符の疑は、人が思いまようさまにかたどる。石を前にして人がたちつくすさまから、さまたげる・さえぎるの意味を表す。
   とある。

改めて、害を引くと
【字義】
[一]
 〔1〕 そこ‐なう(そこなふ)。〔ア〕傷つける。また、殺す。「傷害」〔イ〕こわす。
 〔2〕 さまたげる。「妨害」
 〔3〕 きらう。にくむ。ねたむ。
 〔4〕 わざわ‐い(わざはひ)。災難。また、うれい。
 〔5〕 防ぐに都合よく、攻めるに困難な場所。「要害」
[二]
 助字。〔ア〕なに。いず‐れ(いづれ)。いつか。疑問を表す。=何。〔孟子、梁恵王上〕時日害喪(このひいつかほろびん)。⇒太陽はいつ消滅するのだろう。〔イ〕なんぞ…ざる。再読文字。疑問または反語を表す。=盍。
【難読】害人(ししひと)
【参考】現代表記では〔碍〕の書きかえに用いることがある。「障碍→障害」「妨碍→妨害」
【解字】 形声。宀と口とに、横棒三本に縦棒一本を引いた形を音符として組み合わせたもの。音符は、刻みつけるの意味。宀は、おおうの意味。口は、いのりの言葉の意味。いのりの言葉を切り刻み、ふさぐさまから、わざわい・さまたげの意味を表す。
【逆引き】 禍害・干害・危害・公害・災害・殺害・惨害・残害・自害・傷害・障害・侵害・阻害・損害・大害・迫害・被害・弊害・妨害・無害・要害・利害・冷害

とあります。
そこで、明治22年初版昭和6年628版の「言海」で、「志ようがい」を引くと、障害を意味する言葉はなかった。

「碍」や「礙」は当用漢字や今の常用漢字にはないので「害」使うのだが、漢字って難しいですね。
このことは国際連合の「連」も「聯}と書く方が正しが常用漢字にないいで連を使っている。このように代替や当て字で使ているのがあるが、当用漢字が定められてから70年以上になり、熟語の正しい意味を戦後生まれの私たちはどこまで本当に理解しているのだろうか。
話が横道にそれてしまったので一先ずはこれでおしまいにする。

日めくりカレンダー

筑摩書房から面白いカレンダーがでている。「日めくり 大江戸味ごよみ」だが、私は2018年版を去年かい、今年も来年の2019年版を買った。

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二つの年度の内容を比べ、図版と解説の文が同じところあったば、新しく図版と解説部を新たに差し替えているところもある。
図版は江戸時代の食に関する風俗や、屋台や店などが描かれた当時の本などからとったもので、解説文は江戸時代から続く老舗の人が執筆している。執筆陣は、「にんべんの監査役」、「重箱の八代目」「神田まつやの五代目」「八百善の十代目」「菊正宗記念館名誉館長」「山本海苔副社長」「豊島屋社長」「銀座ハゲ天社長」などです。
なかなか読みごたえのあるカレンダーとも言えます。

ただ、江戸時代の食べものなどに特化するなら、できれば、食の季節を感じさせるためにも、太陰太陽暦の旧暦の表示をもう少し大きくし、二十四節季と七十二候と月齢を絵で添えてあってもよいかと思った。もっとも旧暦の月日を記していたら、月齢は判るのですが。

この記事を書いていると、ないも江戸のこだわらなくよいなと思い。「浪速の味ごよみ 食い倒れ暦」や、「全国行脚 味ごよみ」として「東海道味ごよみ」「中山道」「山陰道」「奥州道」などもどうかと思ってしまった。
いやいや、やっぱり食道楽と言えば、池波正太郎の「鬼平 味ごよみ」などはどうかとおもった。

パームロイヤルの琉球入朝図引

沖縄の那覇市に、パームロイヤルNAHA国際通りホテルの新館RAM(ロイヤル・アート・ミュージアム)タワーが開業された。
パームロイヤルホテルは、「球王国時代から交易を通じてつながりがあったアジアの国々の古美術から、ヨーロッパのモダンアートまでオリジナリティーあふれる芸術品でお客様をお迎えいたします。」とホテルの公式Webページで紹介している。
その、展示品の一つに、琉球入朝図引(にゅうちょうずひき)(江戸上り)」が展示される。
江戸幕府に対しての琉球通信使のようなもので、このことから、江戸時代から日本は琉球王国を独立国として認めていたことになる。

それが、島津藩が琉球に侵攻し奄美を島津藩のものにしてしまった。
NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」(安倍首相に読ませるとセイゴドンになるかも 冗談です。)でも、島津藩の流刑地として奄美諸島が描かれています。さらに島津藩は琉球王朝から武器を取上げ支配してしまう。それにより、武器を取上げられた琉球と人は、素手で戦く武術を中国の拳法から拳骨の活用を思い凝らし編み出したのが、唐手で今の空手といわれていると、海軍大佐の漢那憲和が、琉球拳法唐手でのべている。
話はそれてしまったので、もとに戻す。

絵巻は14mほどで、冒頭に「山景徳正懋」「寛政二年」、末尾に「洞秀藤原美敬筆」と書かれている。。高倉さんの父・幸次郎さん(故人)が40年ほど前に手に入れ、自宅で保管していた。入手の経緯は分かっていないという。
ほかにも、尚育王直筆の掛け軸、1853年に琉球王国を訪れたペリー提督の随行画家ウィリアム・ハイネの水彩画も展示されているという。9階建ての新館の各フロアにテーマ別で高倉社長所蔵の美術品100点以上を展示されているそうです。

ただ、琉球入朝図引絵巻は12月29日まで同タワー1階のパームギャラリーで一般公開されているそうです。


(沖縄タイムズより)

絵巻よると、寛政二年と記されている。
琉球大学付属図書館での資料を調べると次のことが書かれている。13回目の江戸上りに関する記録があり、その江戸上り文書 献上品目録明細書付によると、(1)使節の官職名・使者名、(2)献上品、など記され。献上物は太刀・馬、貢布・香・泡盛のほかに、螺鈿細工や堆錦細工の卓や籠飯などの品目が記されていると書かれています。

琉球王国は、1609年に薩摩の支配下におかれ、江戸幕府の下での幕藩体制に組み込まれた。それにより将軍や琉球国王の代替わりのきに江戸へ使節を送た。
琉球王国からの使節は約100人前後で、それに薩摩藩の藩主や役人達も加えて全体で1000人を超える一大行列だったと言われて、これが「江戸上り」である。
江戸上りは第1回目の1634年から最後の1850年まで、18回実施され琉球と江戸の往復には、およそ1年前後かかったそうです。
琉球から薩摩を経て伏見までを船で、伏見からは美濃路・東海道を経由して江戸までを陸路徒歩で移動した。琉球王からの贈り物をたずさえ、楽器を演奏しながら行列していくので、当時の人々の目を大いに引きつけ、街道沿いの住民は朝鮮通信使と同様に興味を示し歓迎したとききます。

江戸上りの一行や琉球を紹介する出版物が出回り、行列や服装等が描かれた錦絵はが多くだされ、それらは行列を見物するパンフレットような役割を果したようです。
いまより沖縄に関して関心が高かったのかも知れないですね。
(沖縄タイムズ参考)

メキシコ 死者の日

メキシコ  伝統の行事「死者の日」
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/txn/news_txn/post_165480

https://allartesania.com/day-of-the-dead-2017/
毎年おこなわれる墓参りが行われる前にに、27日死者を連想させる骸骨に仮装した人たちがパレードすされた。
骸骨は様々に彩りされ、派手で華やかな仮装に身を包んだダンサーたちが、街を練り歩きまるそです。

一方ことしは、海洋のプラスチックゴミの問題で、海洋生物が死んでしまうことをうったえての、ウミガメやクジラをかたどった風船を掲げている人いたそうです。地元の女性は「死者の日はメキシコの伝統で、世界の人と共有したい」言っていました。

自動運転自動車の哲学的な問い

自動運転自動車の事故について哲学的な問い。

走行している自動運転自動車が、信号なない横断歩道のある四つ辻で、急に少年の運転する自転車が横断してきた。
少年をはねる事故を回避するには、急ブレーキをかけても間に合わない。横断歩道側にハンドルを切ると歩いているお年寄りの歩行者をはねて死んでしまう。反対側にハンドルを切ると対向車と衝突して自分も死に対向車の人も死んでします。急ブレーキをかけると自分と後続車が死んでしまう。このような事故を想定した場合、どのような選択をするプログラムを組むべきか。

また、奈良には神鹿とされる鹿がいる。このしかが急にしかが車道に飛び出してきた場合をみる。
神鹿としての鹿を重視するのか、鹿を避けた場合前記のような事故を想定した場合。人の命と神鹿の命をどちらを大切にするのか。また、他の動物と神鹿と差をつけてよいのか。
また同じ鹿でも、奈良の春日神社周辺の鹿だけを神鹿として他の地域はたの動物と同じようにあつかうのか。

これらの問題は、自動運転自動車のプログラムに限らず、人が運転する自動車でこのような状況に遭遇することが考えられ、そのとき自動車の運転手はどのような判断をせまられるのか。そのとき死亡事故が起きたとき、司法はどのような判断を迫られるのか。

それが、自動運転自動車の人工知能のプログラムをどのように組めばよいのか。それを組むときになにを優先させるかの判断をさせるプログラムの責任はそのプログラマーに問われるのか。

この問題は真新しい問いではなく、昔からある問ですが、プログラムのアルゴリズムを作るうえで、その人工知能なりの自律性のおける責任を人工知能に問うのか、それをプログラムした人に問うのか。未永年のしたことに対しては、その保護者が責任を負わなければなりません。それと同じように人工知能のプログラムを作ったプログラマーにも問われるでしょうが。問題としての複雑さはそのプログラムを作ったのは、一人ではなく多くの人が介在していることでしょう。今後ますます、日常生活で人工知能を搭載されたものが出てくるでしょう。その製品が何らかの事故を起こした場合、その製造責任は機械自体にあるのか、それを動かすOSにあるのか、それを設計した人にあるのか、それをプログラミングした人にあるのか。また、自律型学習型人工知能であれば、それを使って学習させたユーザにあるのでしょうか。

このことを考えると夜も眠れなくなってしまいました。

to be not to be さらに to do not to do

人類の進歩と調和

人類はいや人間は、森を切り拓き、湿地を干拓し、川をせき止め平原を灌漑していき、周囲に生息するすべての生物とその環境にとらわれそれに依存していく必要がますますなくなってきている。道路や鉄道を敷設していき、産業基盤・生活基盤を強固なものにしていっている。そして、超高層ビルを建ていくことにより、ほんらいそこに生息しているはずの、動植物の生態系を破壊して、まったく違ったものにつくりかえてしまっている。
私が小学校のころまで済んでいたところは、その当時にはすでに住宅地化していたが、近くには原っぱがあり10分少し歩けば山があり生前が豊かだったが、いまは山の中腹あたりまで縦に延びる長屋である高層の集合住宅が建っている。
以前に住んでところは、私がそこに住む数年前は山林でタヌキやキツネやイノシシが走り回っていたところだった。そしてそこに引っ越したころは、夜になるとキツネの鳴き声がしていたが、いまはめったに聞くことはなくなってしまっている。いま住んでいるところも、昔の地図をみると何本も水路があり、畑や田に灌漑していたようだが、いまなくなっているか暗渠になてしまっている。
そのように、五六十年で様変わりしてきている。また、私たちの出す生活ゴミもそのほとんどが、自然分解するものだったがいまや、プラスチックゴミが毎日大量に排出されている。

これも、私たち人間が増えすぎたために起きている現象です。しかも人によっては、このように人もいる、人類をすべて上皿天秤の片方に乗せ、大型野生動物をもう片方の上皿に乗せると、人間の方の皿が下がるといいます。

人間が飼育している家畜やペットの犬などの数と、野生動物の数を比較しても、前者の家畜やペットの数の方が遙かに多いという。そのようなことを考えるともうすでに、人間はこの宇宙船地球号の取り返しのつかない生態系に影響を及ぼしてしまっていることになる。

私が学生のころ、世界の科学者や経済学者や教育学社や経営者が集まって結成したローマクラブが、地球の資源の人口問題や枯渇や環境汚染などの警鐘をならした。そのなかで、資源についてはいままでに見つかっていなかった資源があらたにみつかり、資源の枯渇はとうぶん先き延べされているようです。
しかし、人口問題や環境問題はいまや先に書いたようなことを考えると喫緊のことといえます。これらの、問題は人間のあくなき欲の追及により、現代の豊かな文明と文化が築かれているのだが、本当にそれでよいのだろうか、失われてしまったものも多いのではないだろうか。


先日大阪府知事が万博を誘致するためにプレゼンをしに言ったようだが。どのようなことを目的に万博をひらくのだろうか。1970年大阪万博ではそのシンボルとして太陽の塔が岡本太郎によって建てられた。岡本太郎が太陽の塔を造るときに、万博のテーマ「進歩と調和」だったが、岡本太郎は、お祭り広場の屋根をつらぬく現代文明に疑問をなげかけ、「縄文の怪物」を表現している。
いま、欲の追及に貪欲に邁進している、人類の文明の進歩に疑問を投げかけられている。2025年の大阪万博なにをテーマにするのか、大阪府市はカジノを含み統合型リゾートを誘致しようとしているが、カジノは賭博博打を含む施設で、欲を象徴したものである。そのようなところに本当に、万博を誘致してよいものかと疑問に思うがどうだろうか。


席を譲るとことわられて

お年寄りなどに座席を譲ると、断る方がおられるが、そのようなお年寄りには、強がりで断るのではなく、座る方がつらかったり、一度座ると座席を立つときつらい人もいる。そのために、座席を譲られても断るのです。
SNSに次のような書き込みがあった。「立ち上がるのが難しいんじゃ」この書き込みに対して、2日間で2万2000以上のツイートがあり、様々な反響をおこしている。
席を譲られて断る人には、個人々々それぞれ、様々な理由がようです。
NHKニュースによると、次のような書き込みがあったと報じられていた「私も杖をついている障碍者だから譲ってもらえるとうれしいけど、一駅だったら座って立つとかするより入り口近くに居ときたいというときがあります」これは、日本に限らず外国でも同じという書き込みがあったそうです。
また高齢になり加齢による筋力低下で、立ち上がったり、車内を移動するのがつらい一もいるようです。また、膝関節痛や腰痛などで立ったり座ったりすることが辛い人もいる。

私が肢体に障碍があり動作に不自由がある人などの、動作指導に関わったことがるが、確かに席まで移動して座るまた、立ち上がりドアまで移動するのは大変な労力で、座った方が楽だが一駅ぐらいならその立ったり座ったりすることを考えると立っている方が楽な場合もありそうです。しかし、ここで一番注意しないといけないことは、揺れなどでの転倒防止が優先されるべきでしょうが、座席を譲っても断られても無理強いしないことがよいでしょう。また、それぞれに事情があることも理解しておくことも必要だろう。

パリのスパイダーマン

パリ北部の18区で26日、集合住宅の4階で宙づりになっている子供を見つけ、、アフリカ・マリ出身フランスでの不法移民の一人の男性が集合住宅のベランダづたいを、1分足らずでよじ登り、無事子どもを救出する出来事があった。
このことは、フランスでは差別され虐げられた無名だった彼を、スパイダーマンと賞賛されて。エマニュエル・マクロン大統領は5月28日にガッサマさんを大統領府に招待し、直接謝意を伝えると発表したそうです。

イダルゴ市長はツイッターのコメントで、ガッサマさんを「18区のスパイダーマン」と呼び、「子供の命を救ったマモウドウ・ガッサマさんの勇気ある行動を称える」そして、「彼はここで人生を築くことを夢見て2カ月前にマリからやってきたと語った。私は、彼の英雄的行為は全ての市民の模範で、彼がフランスで定住しようとする努力を当然ながらパリ市は喜んで支援すると応じた」

アイヌ語での路線バスの案内放送

北海道の路線バスで、一部の路線のバス停の案内放送を、アイヌ語と日本語で案内するようになったそうです。
日高管内平取町で、町内を走る道南バスの路線・都市間バスで、アイヌ語による車内放送が始まり、温かみのある言葉が車内に響きわたり好評のようです。
明治以降日本の同化政策によりアイヌ語は禁止され、公のところでは使われなくなり、現在アイヌ語をはなせるアイヌ民族の人たちでもアイヌ語を話せる人は数パーセントだそうです。
そのような中、日本の少数民族であるアイヌの言葉を取り戻そうとすること。また、アイヌの人自身にとって、自分の民族の誇りを取り戻す一つのきっかけになればと思います。

放送の声を担当した人は、アイヌ語弁論大会で2度も最優秀賞に輝いた人で、お母さんと祖母はアイヌ民芸の工芸家で、お父さんは博物館でアイヌ語講師を務めていて、小さい時からアイヌ文化は常に身近にあり親しんできている。高校時代はは積極的にアイヌ語を使わなかったが、2年前、研修で訪れた米ハワイで先住民族らと交流で、「民族に誇りを持ちなさい」と勇気付けられた。「アイヌ文化を深く学び、守りたいと思うようになりました」という。現在先にも書いたがアイヌ語を話せる人は極めて少数となっていることについて、「日本語とは文法も発音も違うが、文化を学ぶ上で言語は大事で大切にしたい」と話し、このバスの案内放送を契機にアイヌ語に親しみを持つ世代が増えることに期待しているそうです。

修学旅行シーズン

毎日の散歩では近くの運動公園でウオーキングをしているのだが、今日は中学生が私服と大きなバックを持って集まっていた。どうやら修学旅行にいくために集まっているようで。しばらくすると観光バスがやってきていました。観光バスは中学生を乗せて、新幹線の駅にいくのでしょうか。バスの運転手に聞くと、空港にいくとのことでした。どうやら、平和の誓いとか中学の先生が言っていたので、長崎か沖縄にいくのでしょうか。

私が現職の教師のときは、新幹線の駅に直接集合させた学校と、学校のグランドにバスを臨時に入れ、そこから新幹線の最寄りの駅に集合させました。また、私の在職中は飛行機を使うことは市の教育委員会から禁止していました。
そう、ディズニーランドもレジャー施設だとして行くことができなかったです。今はどちらも解禁されているようですが。また、三都市でJRと交渉して団体の集約列車を走らせていました。集約列車はダイヤの隙間を塗って運行されるので、通常の運行時間よりも時間がかかりました。
今はどうなっているのでしょうか。

それはともかく、今日集まった中学生たち、楽しい修学旅行に行って無事帰ってくることを祈っています。

朝の散歩

冬も夏も毎日、近くの公園まで散歩をしているが、そのあと太極拳をしている。今が一番いい季節で、寒くもなく暑くもなくとてもすがすがしいです。
朝起きて、今頃はちょうど日の出前で気持ち良いです。
しかし、同じコースの公園までの散歩で一つ思うことがある。坦坦と歩くのではなく、同じ道でも毎日違った発見をしたく思います。

夜間の工事

毎日散歩している道に、工事予告の看板が立てられていた。そこには22時から翌朝の04時まで、水道の工事をするので通行が規制されるもでした。
以前にも電話線の工事で同様に夜間の工事をしてた。
昼間の交通量の多い時に工事をすることがないので、私たちの日常の生活に支障をきたさないでありがたいです。
しかしこのようなインフラの整備が私たちの日常の生活の目に見えなところ行われ、それが空気のようにあたりまで感じなくなってしまうことは本当に良いことだろうか。

昔は、井戸や川に水を汲みに行き、それを水がめに入れゴミがそこに沈み、また軽いゴミは浮いてきて、それを取り除いてつかっていた。そのような感覚が現代の今の生活はなくなってしまっている。そのことは本当に良いことだろうかと感じました。

若草山

奈良の若草山の山焼きが終わったあと、山は草が燃やされ黒かったが、少しずつその黒さも薄れていっていたが、この連休中に奈良に行くと若草山もすっかりと新緑の衣をまとっていた。
連日25度を超える暑さがつづいたり、雨が降ったりとして緑も息吹き気持ち良い季節になってきました。
また、鹿の角もだいぶ生えて大きくなってきています。小鹿と大人の鹿のつのではその立派さが違い、それぞれに成長の度合いの違いに感じ入るところです。奈良と言えば大仏と鹿ですが、春日大社の鹿は、祭神とされる武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から移ってきたとき、白い鹿に乗ってやってきたと言われるものです。

これから、行楽のシーズンで奈良のしかと若草山などもにぎわうでしょう。

古都のわすれられた川

JRに乗り奈良駅を降りて駅をでると、バスターミナルがあるがそのすぐ横に以前の駅舎の前の駅舎がある。東大寺大仏殿を模した建物で、今は、観光案内書として使われている。その向かいに商店街があるが、それが三条通りです。今は再開発が進み昔の、参道という面影が薄らいでしまっているが。土産物店が軒を並べているので、その雰囲気は残ってっている。その三条通りを東に進んでいくと、上り坂になり北側が興福寺、南側は猿沢の池がある。それを更に進んでいくと。春日大社の大きな鳥居がみえてくる。これが一の鳥居です。しばらく参道の中を進んでいると、両側に鳥居が並び奈良の名物の万灯籠でこの数については、奈良の鹿の頭数と灯籠の基数は数えてもシカトわからない言われるほど多いです。
その参道を進んでしばらく行くと、二の鳥居が見えてくる。その少し手前を右に曲がる小路がある。右にまがるとそこがせせらぎの小路といわれるところです。そのせせらぎの小路を進んでゆくと、高畑という所にたどりつくが、まず最初に目につくのが、奈良学園のセミナーハウスである、志賀直哉旧居です。志賀直哉は奈良に九年間住みここで「暗夜行路」を執筆したといわれている。この家は志賀直哉自身が設計し、こだわりの屋敷だといわれてい当時としてはモダンなつくりで、この界隈にすむ文人が集いサロンとしても使われたよです。高畑には武者小路実篤や網野菊、小林秀を滝井孝作や、小野藤一郎など多くの画家が住んだところです。
志賀直哉の旧居を西に向かい奈良名張線出て、東大寺南大の方に行くと、鷺池が見えてくるので、左に曲がり浮見堂を横目に進むと、荒池があるがそちらの方には行かず南に下り、奈良ホテルの方にいくが、奈良ホテルの門を素通りし、ホテルの南側の庭の方にいくと、小川が流れていがこの小川は率川(いさがわ)という川。荒池から流れてきて、市民文化ホールにぶつかるとかと思えば消えてしまい、再び猿沢池の南側で現れしばらくすると再び消えてしまう。この小川の後は今は暗渠になっている。その痕跡を見つけだし今はどのように流れているのだろうか。

このように、全国のいたるところで、多くの川が暗渠になったり消えてしまっていだろう。まずは古都奈良のこの率川は、どうなっているのだろう。佐保川に流れ大和側になって大阪湾に流れるのだろうが、忘れられた川をたどってみたく思う。

つづく

太陽の塔の修復と公開

私が大学のころ万博が開かれたが、その時に一番興味を持っていたのは、アメリカ館でも日本館でもなく、太陽の塔の内部の生命の木でした。そして、私は万博が終わってもパリ万博のエッフェル塔のように一般に公開されるものと思っていた。しかし、取り壊しの話がでたりしたが、取り壊しは免れたがその内部は公開されずほったかされていました。
それが、内部はだいぶ痛んでいたが復原され3月から一般公開された事は非常に喜ばしいことです。
太陽の塔の制作者の岡本太郎のねらいは、科学技術の進んだ未来の地球を表そうとした万博だが、その原点は何かを問い、地球の創世と生命の誕生にあるとし、プリミティブの重要さを訴え作ったと、私は考えていました。
私はもう一度見にいきたいと思っていたが、それが一般公開されるようです。しかし、予約制で半年先まで予約が詰まっているそうです。

いま、再び大阪に万博を誘致しようと大阪府などがはかりごとを巡らしています。まずはどのような目的でどのようなものにしようとしているのでしょうか。
大阪万博は、世界大戦が終わりつかの間の平和の終演を迎えるころでした。みな未来は明るいと思い月の石などを見にきていた。
しかし、それから50年がたち今の地球をみてみると、争いは絶えず、貧富の差は拡大し、環境汚染は先進国では見た目では回復シているように見えるが、地球規模でみると死に瀕しています。それにより、地球の温暖化が進み異常気象や超大型の台風などが頻発している。
岡本太郎の願ったことに対して真逆の世界になっています。
万一大阪で再び万博が開かれるなら、どのようなものになるでしょうか。また、太陽の塔のような意味を込めたものが作られるでしょうか。
50年前の万博は自然豊かな丘陵地帯につくられました。それが、いまでは、ニュータウンの一角の街になっています。今度誘致される予定地は、海を埋め立てた人工島です。
さて、また万博が大阪で開かれたとすれば、半世紀たつとその地はどのようになっていて、世の中はどのようになっているでしょうか。

大阪府市は隣接にカジノを含めた施設を作ろうとしていいる。しかし万博の本当のねらいは、己の身勝手な欲を満たすものではないはずです。
是非とも明るい未来になっているためにも、太陽の塔以上のメッセージを込めた、オブジェを永年残るものを作るのがよいでしょう。

便利な生活に思う

日常生活はどんどん便利になってきている。
家電製品の登場により、便利になりました。
電気炊飯器、洗濯機、掃除機は家事から主婦を解放したといわれています。今はそれらの電気製品は、電子炊飯器、、全自動洗濯機、自動ロボット掃除機となり、マイクロコンピュータが内蔵され、それらの作動はすべてマイクロチップにより制御されいて、一度スイッチをいれると人が介在する必要がなくなりました。
便利になったのは、これらの電化製品だけでなく、日常の家具も使い勝手が便利になってきています。
台所にみずやすなわち、食器などを入れておく戸棚は、引き戸では開けるときは手で開けるが、閉めるときは少し閉める動作をするだけで、静かに閉まっていくようになっています。これは引き戸だけでなく、観音開きは跳ね上げ式のものも同じようになっています。
このため、扉の開け閉めを丁寧にあめて、丁寧に閉めることが疎かになってしまう。
しかし、それが疎かになっても、電気冷蔵庫などは、扉が開いていると親切に教えてくれる。
自分で一つ一つの動作を確認して行うことをする必要がなくなってきている。だんだんと日常生活の所作が雑になってしまうことになる。
そのためか、いままちの書店にいくと、作法の本が多く積まれているのを見る。

身の回りのことを、一つ一つ丁寧にすることは大切なことで、それを身につけることが、人の上に立つ大切なこととされいます。
そのため、お殿様お姫様は、日常生活のさまざまな作法ごとを習い身につけます。
その作法のならいごととして、日本には茶道というものがあり、武士や商家での重要な作法として、茶道をならってその所作を身につけること大切な事としていました。

いま、身の回りにあるものが、あまりその使い方のしぐさや身のこなしに気を使わなくてもよいようになってきています。ある意味ではそれらはバリアフリーなデザインで、高齢者や身体障碍者にとってはありがたいものです。
しかし、反面に健常な人にとっては、日常生活が雑になってしまう恐れがあるので注意しないといけないですね。

ホーキング博士のご逝去

ホーキング博士が逝去された。
中国や香港のテレビでもトップニュースで報じられていたが、中国や香港で講演をしたこともあるようで、中国では万里の長城を訪れたと報じていた。
一方、イギリスのTVでは、博士のブラックホール理論について詳しく紹介していました。

わたしが、一番ははじめにおもいだうのが、ホーキング博士が、子供向けに宇宙物理わかりや安く書いた「宇宙への秘密の鍵」「宇宙に秘められた謎」「宇宙の誕生」いずれも岩崎書店から出されている三部作の物語の本です。もっとも、このほん子供向けにわかりやすくというより、面白く書かれているが、やはり難しく途中で投げ出してしまいました。
それと、スタートレックの大ファンだったともきいたことがる。実際に、シリーズにのTNGでは、アンドロイドのデータとポーカーをしているエピソードがある。聞いたところによると、スタートレックの制作者が、フォーキング博士がスタトレックファンで一度出演してみたいと思っていることを知って、出演に決まったそうです。でているのは、アインシュタインとデータやニュートンなどとポーかをしているワンシーンです。
ご逝去を悼みます。

散歩の時間は1時間か1時間半か

京都大学名誉教授である、人類学者片山一道の「身体が語る人間の歴史」ちくまプリマー親書を読んでいると次のようなことがかかれていた。
片山氏はよく散歩をされるそうだが、氏が畏敬する文化勲章を授与された、A先生は毎日1時間ほど散歩を欠かせないと言う。その先生が東京に出張したとき、皇居周りを散歩していたら、ノーベル賞を受賞したB先生にあった。そこで挨拶をするとその先生は、毎日一時間半程散歩していると言う。そして、A先生は次のような感想を言ったそうです「毎日30分ほど余計に歩くかあるかんかで、文化勲章とノーベル賞の違いになるんやから、ともかく歩いて損はない、歩かにゃ、人生に悔いが残る」と宣うた。と片山氏はその本で書いてあった。
あるこことは健康によいとよく言われている。そのことは今に始まったことではなく、私が小学生のころ一日1万歩以上歩くのがよいと言われ、そのころから万歩計などが売られてていた。そのころの万歩計は機械仕掛けで歩数だけを数えるものだったが。今の万歩計は腕の装着するものなどは血圧も測れるようです。スマホを使っての万歩計はカロリー計算や歩いたデータを蓄積し分析ができるようになっている。なかには食事のアドバイスもしてくれるものもあるようだし、中にはインターネットにつながれて、以上などがあればドクターの助言や忠告などがしてもらえるものもあるときく、至れり尽くせりでここまでくると、非常によく行き届きすぎて煩わしく思う。私は機械仕掛けの万歩計で十分だと思うのだが。

それはともかく、私は早朝に往復45分ほど歩き、その途中で太極拳を3回ほどしている。それでちょうど朝家をでて、1時間15分程で帰ってくるのだが、歩く距離をもう少し長くしてみようかと思う。何も文化勲章やノーベル賞をねらうためではなく、単にいつまでも元気でいたいからだけだが。

早朝散歩していると、だいぶ夜が白けるのが早くなってきた。そうすると今まで闇に覆われていた、散歩道の梢や今までの寒さに耐えていた勁草が浮かび上がって見えてくるようになる。
それやかやで散歩する道の桜を枝を見るとだいぶ蕾が膨らんできている。路傍の草はまだ枯れた色をしているが、これも次第に新緑の色に色づいていくのだろう。

自然は毎年着実に繰り返し春がやってくる。それがいくら寒い冬でも必ず春がやってくる、陽光の日差しは気持ちよいものです。先日ロシアのテレビが北極圏の町のリポートとして、冬の間一日中太陽が顔を見せなかったが、ようやく地平線から太陽が昇るようになり、街の住人たちが祝っている様子が紹介していた。
日本では、太陽が昇らない冬ではないが、毎年節分の時期には全国で春を祝うことがされ、もう少しすれば観梅の茶会などがされ、さらに、観桜の宴がなされます。それが過ぎると農繁期になり里山では活気づいてきます。

暖かくなるのが楽しみです。

レコードとテープレコーダーなど

レコードとテープレコーダーとCDやMDとICレコーダーとの再生の便利さ。

単純に考えると後に書いた方が便利だと思うが。レコードとテープレコーダーでは、どちらも順番に録音されている順番にしか再生できない。そこで前の曲を飛ばして再生したい場合は、レコードだとレコード盤を見て、その曲と曲の合間の所が相手いてわかるのでそこに針を置いて再生することが出きる。テープレコーダーの場合は、聞きたい曲の所まで早回しをして聞くのだが、聞きたい曲の頭の部分が判らないと聞くことができない。そのためテープレコーダーにはテープを巻き取った回数を示すカウンターがついているので、そのカウンターを記録しておいて、その曲の頭の部分まで早回ししなくてはならないです。これを考えるとテープレコーダよりレコードの方が便利だが、携帯性を考えるとテープレコーダーの方が便利だ。

では、テープレコーダーとCDやMDと比べると、後者にはメディア自体に曲の情報を書き込むことができ、そのメディアになにの曲がどこに(何番目に)録音されているかが記録されている。そのため、前者のテープレコーダーより格段に便利となる。また携帯性から見るとほとんど変わらないだろう。後者のMDはカセット式のテープレコーダより小型のものも多くある。しかし、ICレコーダーの登場によりMDレコーダーとICレコーダーの機能がほとんど変わらないことにより、そのコンパクト性からと、インターネットとの接続による媒体のダウンロードができることなどからMDの再生機は電気店やオーディオから姿を消してしまいました。
テープレコーダはラジオに組み込まれたラジカセがいまだに売れている。しかし、MDが組み込まれたとラジオは見たことがない。
使い勝手から言うと、頭出しや聞きたい曲を選んだり、同じ曲をリピートするのに便利だが、売られていないので残念です。

話を戻して、レコードとテープレコーダなら、レコードは手でレコード盤に針を置かないといけないが、テープレコーダーならボタンを押すだけです。その手間が省けるため曲を選んで聞くには早送りなどしなくてはならない。このことを考えると手間が省けた半面不自由になった面もあるということです。このことは、私たちの生活がどんどんと便利になっているが、それと引き換えに不便になっているところもある。しかし、それに気づかずいや気づこうとしていない自分たちに気づいてもいない。ことことの積み重ねはやがてどう自分たちに返ってくるだろうか。

さんざる

見ざる 聞かざる 言わざる

悪いものを見ざる 悪いことを聞かざる 悪いことを言わざる

悪いものを見せない 悪いことを聞かせない 悪いことを言わせない

悪いことを見抜く 悪いことを聞き取る 苦言を伝え貫く


よいものを見る よいことを聞く よいことを言う

心地よいものを見る 美辞麗句を聞く 媚び諂い事を言う

自虐的といわれるものを避けて、自慰にふける。

悪いこととは自分にとって悪いことか、相手にとって都合の悪いことか。よいことも良い、善い、好いといろいろある。
どのような視点でいようか。いようによては異様になったり偉容になったりする。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 安倍首相の愛国心とは
    本当に教員? (09/10)
    興味ある内容なので拝読したが「教育勅語」を親孝行等の道徳ではなく戦争に洗脳させるためだとか思い違いも甚だしい。
    貴方が現役の教員であれば授業中が退屈で眠気が襲っ
  • トランプは白人至上主義者か
    アジシオ次郎 (08/07)
    おはようございます。

    アメリカにおいてまた立て続けに銃乱射事件が起こったけど、テキサス州・エルパソでのケースは容疑者がヒスパニック系に対する憎悪感丸出しの書き
  • 商業捕鯨に思う
    竹林泉水 (07/11)
    調査捕鯨のための捕鯨業者への補助金は、毎年数十億だときくが、商業捕鯨になればそれはカットされるのだろうか。商業捕鯨で補助金を政府がだしていたら、反捕鯨団体はどう
  • 商業捕鯨に思う
    アジシオ次郎 (07/08)
    おはようございます。

    IWC(国際捕鯨委員会)を脱退して今月から商業捕鯨を再開した日本、組織として機能していないIWCへの反発から脱退して商業捕鯨再開に至った
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
    竹林泉水 (07/05)
    菅官官房長官は徴用工問題に対する報復ではないとの趣旨の発言をしている。
    しかし、誰が見ても徴用工に対するもににしかみえない。
    それを白々しくそうではないといい、よ
  • 韓国への輸出優遇措置の見直
    アジシオ次郎 (07/05)
    おはようございます。

    韓国への半導体輸出規制という措置に踏み切った日本、でも韓国が徴用工問題を蒸し返すという日韓請求権協定に反する行為をしたことで、その見返り
  • 日本の報道の自由
    竹林泉水 (06/17)
    コメントありがとうございます
    まったくそう思います。
    民放は広告収入元のスポンサーからの収入があるので、その顔色を見るからしょうがないにしても、政権の顔色を見る必
  • 日本の報道の自由
    風と雲 (06/10)
    政権に不都合なことは隠す、曖昧にする、知らしめない。これは政権が世論を最も恐れっるからだ。現政権は硬軟取り混ぜた巧みなメディア操作と中身の無いパフォーマンスが功
  • 日本の報道の自由
    アジシオ次郎 (06/10)
    おはようございます。

    こういう指摘についてすぐに「内政干渉だ!」って反論も出てくるけど、日本の報道の自由度というか報道が健全かという点において先進国において❝
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