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竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

コロナウイルス対策と世界経済

コビット19(新型コロナウイルス)の感染が世界中に広がっているが、それにともな世界の経済に影響をおよぼしている。
中国は世界の工場とも言われ、多くの世界の企業が、中国での工業製品を生産製造している。
しかし今回、中国では、ウイルスの拡散を防止するために、都市を封鎖したりすることにより、物流の流れが滞ったりしている。また、工場自体が生産を自粛しているところもあり、それにより、日本を始め世界の多くの国で、中国で生産された製品の物流がストップしている。

現代の経済はグローバル化され、日本だけでなく、多くの大企業だけでなく中小企業も、いままで国内で製造していたものを、生産の拠点や工場を中国や東南アジアやブラジルやインドなどの移している。また、なかにははそ製品の供給元が、一国に偏っているものも多い。

世界の経済はグローバル化され、現在の世界経済は一国ではなく、それぞれが相互依存している状態になっている。確かに、地産地消 自給自足していれば、今回のようなリスクはその一地域の中でとどまるが、それは経済効率が非常に悪いものになってしまう。現在のように多国籍企業のグローバル化は、企業の寡占化だけでなく、製造拠点の寡占化も進んでいくことになっている。それは製造拠点の一点集注により、製造コストを下げることができる利点がある。
しかし、今回のようにその依存先が単数しかなければ、その依存先が倒れれば他からの供給元がないので、需要するところは品不足になり窮地に陥ってしまう。

現在のように、低コストで経済効率ばかり追求していると、予測想定していないアクシデントがあれば、世界経済全体に及ぼすことを改めて知らさることになる。

経済発展がスローであっても、地域のなかで地産地消 自給自足していれば、いざという時に強いこと考えておくべきです。寡占化や独占より、いろいろなものが相互依存して分散していれば、お互いにいざという時に融通し合えば、困難立ち向かい克服することがでくる。それは日頃からそれぞれの地域や国の関係が友好的で寛容であらねばならないだろう。
いがみあっていれば、なにかあれば報復合戦になってしまう。さらに、このよな場合お互いの感情を入れたり、国民の人気をえるための政策をすれば、さらに外交などもややこしくなてしまう。

現在の世界経済への影響を考えて、冷静に対処していくべきだろう。
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民主主義の危機とは

PHP親書に、マルクス・ガブリエルが日本の読者に向けて、ドイツのボン大学でインタビューされ、大野和基が翻訳した「世界史の針が巻き戻るとき」と言う本がある。
ガブリエルは、「新しい実存論」を示し、世界の見直しの必要性を唱え注目を集めている、若き知の巨人の一人です。

この本の書いているいろいなことに興味を引かれ、考えさせれることが書いてある。その中で、第Ⅳ章 民主主義の危機 の冒頭で次のように述べている。
民主主義について端的に的を得て的確に指摘している。少し長くなるが紹介してみる。
「民主主義における最大の危機とは何かと言えば、民主主義に対する人々の理解が間違っていることです。現在、人々は「民主主義は、自分が信じているものを何でも自由にいえる権利で成り立っている」と思っています。民主主義を、特定の表現の自由と混同しています。しかし、どんなバカげたことでも好きに表現できることと民主主義を同一視してはなりません」。
ここでは、特に表現の自由を例にだしているが、なんでも自由に無責任に言いたいことを言って、他者と争っていくのがよいのではないとのべている。

ここで考えてみると、個と個の衝突について、憲法の改憲論者にはよく、現行憲法は権利ばかり書いて義務は書かれていないと主張するが、「日本国憲法」の第三章[国民の権利及び義務]をよく読めばそうでないことはわかる。

日本国憲法には次のように書かれている。
〔基本的人権〕
第11条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
〔思想及び良心の自由〕
第19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
〔信教の自由〕
第20条信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 2、3項、略
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第21条集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕
第22条何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
〔学問の自由〕
第23条学問の自由は、これを保障する。

このように書かれているが、民主主義にとって一番大切なことは何かが、端的に書かれていると思う。
この、それぞれの箇所に書かれている、「公共の福祉のため」や、「公共の福祉に反しない限り」と書かれている。また、12条では、「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と書かれている。
ここでの「公共の福祉」と「不断の努力」とは何かだが、
「公共の福祉」とは、個人の人権と人権の衝突がおき、自分ばかりの権利を主張してはならない、常に他者の人権をお互いに尊重し寛容でなくてはならないということです。
「不断の努力」とは、一つは、おのおのの国民市民の意識が、基本的人権への意識が疎かになると、個人からまた統治者や権力から、脅かされるので常にそならないように権力への監視を怠ってはならない。一つは、国民市民自体が公共の福祉に反することが無いように常にその意識を怠ってはならないということだ。
表現の自由などの条文に書かれた文言を曲解してはならないもので、公共の福祉のために使い、公共の福祉に反しない限り認められとしていることを忘れてはならない。

自民党の改憲論者が、現行の「日本国憲法」が個人主義を広め、身勝手な人間を多くしたと主張しているが、現行の憲法は決して身勝手な個人主義・利己主義を是としていない。また、国民・人としての、市民としての義務もすべきことは書かれている。それぞれを、自分の都合のよいように解釈してはならないです。
*(自民党は2005年に、憲法改正案を発表し、2012年にも改正案を発表している。その二つを読み比べると、05の改憲案の取りまとめの責任者を勤めた舛添要一は、12年の改憲案を、右か左かというイデオロギーの問題以前に、憲法というものにちて基本的なことを理解していない人々が書いたとしか思えなかった、と述べている。別の機会に現行憲法と自民党の05年案と12年案について考えてみたい。)

ガブリエルは、ドイツの大学システムを例に、個人が身勝手なことをしても、システムが機能していたら、学部長が仲裁して個人の身が手な言い分は通らない、もし身勝手な言い分が通るなら、それは、学部長がうまくとりまとめできなかったとしていき見られると述べている。
学部長がうまくとりまとめができなかったのには大きくわけて二つある。その一つは、学部長にとりまとめの能力に欠けていた。もう一つは、学部長がうまくとりまとめをしなかった。つまり一方の方に有利なとりまとめをした。これでは、うまく民主主義が機能できなくなる。

そしてガブリエルは、民主主義の制度は何かを定義してる。「民主的な制度の機能は、意見の相違に直面したときも暴力沙汰が起きる確率を減らすことです。二人の当事者が異なる意見を持っているとき、民主的機関の機能は、双方の利益のあいだの妥協点を見つけだすことです。・・・中略・・・ 民主的な判事は真実を探すだけではなく ーもちろん真実は十分重要ですがー 双方の利益を考慮に入れます。そうやって民主主義が機能するのです」。
つまり、一朝一夕に自分の敵を潰すことはできないようになっているのが、民主主義の制度で、民主主義は各々にプロセスがあり、非常に複雑で緩慢に物事が進むことを認めそれを護らなければならないのでしょう。
ガブリエルは、最近の民主主義国の市民はそのことを、よく理解していない人が増えてきていると警鐘している。とし**アメリカ憲法修正第1条を曲解していると指摘している。
最近のフェースブックなどは、表現の自由を曲解しているとしガブリエルは次のように述べている。
「我々は民主主義の本質とその価値を理解しなければなりません。緩慢な官僚的なプロセスが善であることを理解しなければなりません」。と。

**アメリカ合衆国憲法 修正第一条には次のように書かれている。
1791年に修正第1から10条
第1条
連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止することはできない。また、言論および出版の自由を制限し、或いは人民の平穏に集会をし、また苦痛事の救済に関し政府に対して誓願する権利を侵すことはできない。(岩波文庫 世界憲法集 昭和35年1月25日発行 昭和48年7月10日 第16刷)
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仕掛け学

仕掛け学
人の行動をその人が意図して起こすのではなく、無意識のうちにその気にさせる、行動学というものがあるそうだ。
それを、「仕掛け学」というそうです。

この仕掛け学を、約10年前から研究に取り組んでいる大阪大大学院経済学研究科の松村真宏教授は、「大切なのは強制をしないこと。そして、自然にその方向にいざなうこと」という。しかし、自分の行いを意識しないでしてしまうことは非常の恐ろしいことだと思う。
松村教授の発表した研究は、・男性用トイレに「的」をつけ汚れが防止される仕掛け。・子どもおもちゃを片づけを促す仕掛け。・エスカレーターより階段を使うように促す仕掛け。・ゴミ箱にゴミを入れると「ヒュー」っと物が落ちてゆく音が聞こえる仕掛け。などたわいのなものです。
しかし、これらの研究を窮めていくと。衆人の行動を意図的に操作することにもつながる。
駅では電車が到着すると、乗客が降りて多くの人が階段に殺到する。そうなると、いまから電車に乗るためにホームへ行くの階段を利用する障害になる。それをどうするのかの対策のための仕掛け。
またスーパや百貨店などでは、商品の配置に訪れた客を誘導するため、商品の陳列を工夫して物を売る努力はどの仕掛けは昔からなされている。

仕掛け学は、最近の学問と言うが、そのようなことはかなり前から、第二次世界大戦いぜんから戦略的におこなわれていたのではないか。
また、むかしから、学校でも生徒がやる気を出すためにいろいろな仕掛けをしている。
そこで、この仕掛けを考えるために重要なのは、松村教授は次のことが重要だと指摘している。
・公平性(Fairness):誰も不利益を被らない。
・誘引性(Attractiveness):行動が誘われる。
・目的の二重性(Duality of purpose):仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が異なる。
これを「FAD要件」というそうです。

そして、「良い仕掛け」「悪い仕掛け」があると指摘する。
「良い仕掛け」とは、仕掛ける側と仕掛けられる側の双方の目的を知ったときに「素晴らしい、こりゃ一本取られた」と笑顔になるもの。
「悪い仕掛け」とは、「だまされた、もう二度と引っかからないぞ」と不快にさせるのが悪い仕掛けという。

しかし、この学問が人間工学と心理学や最近に人工知能やIT工学などと組み合わされ、社会操作に利用されないか不安になるところもある。
学校の授業は様々な行事などまた、部活動などでは、様々なところで生徒のやる気を引き出すために、いろいろな工夫をしている。それらも一種の仕掛けだろう。また、松村教授の男性ようトイレの仕掛けや、手洗いの仕掛けや、おもちゃ片づけの仕掛けや、階段利用の仕掛けなどは、遊び心がありそれはそれでよいものだが。
仕掛けられる方が、知らないうちに仕掛けにのせられ、意図しないことをしてしまうのは危険なことだろう。
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コビット19が監視社会へ

新型コロナウイルス(コビット19(covid-19))で、各国のその拡散予防の対策がニュースで紹介されいる。
その中で、中国のスマートフォンを使っての技術が紹介されていた。スマホでその電波受信の位置情報を使って、自分の立ち寄った地名を表示されるサービスが紹介されていた。
その後さらに次のようなサービスも始められている、スマホの画面にQRコードを表示させ緑色だったら、コビット19に感染していない。その緑のQRコードを利用する施設の、施設の係員に見せて施設を利用できるか否かをきめる。また、自分の現在いる地域にどれだけの人が感染している人がいるかを表示させるサービスも提供されているようです。
なんだか、知らないうちに自分の行動が、誰かに把握され監視されているようで、私はいやな気分になる。しかし、これらになれたら、衛生面や健康面で安全なので、便利でいいじゃないかと言う気持ちになり、衆人の行動が関しされていることに、抵抗感がなくなることも恐ろしいと思う。
日本でも、スマートフォンを利用して、クレジット決済と組み合わせて、他の様々なサービスが提供されはじめている。
これはスマートフォンではないと思うが、ある企業の社員販売店では、その店舗の至る所にカメラが設置され、顔認証や社員証のIDカードやスマホか何かで、誰が店舗にはいて利用するかを関知し、その人がどの商品を手に取ったかをカメラで認識して、どの商品を持って店舗をでたか、それにより何を購入したかを把握する。そして、購入した代金は給料から天引きされるという。
確かに、非常に便利だがそこまで自分の行動を把握されるとなると、私は非常に抵抗感がある。
これは、その企業の今後のサービスシステムとして、コンビニや街の商店に利用できるように開発されるだろう。

IT技術や人工知能は今後どんどん進化して、街に中にあふれていくだろう。町中の中にカメラが設置されあらゆる決済が、このようになるかもしれない。

今、ガラ系と呼ばれる携帯電話でも、その人の位置情報は、通信サービス会社はその人動向を把握できる。しかし、今後通信サービス会社は、ガラ系のサービスを停止するとも言われている、そして、スマートフォンにより、衆人の動向の把握ができるようにななり、それがビッグデータとして蓄積され、販売されたり国などが国民を監視することにも利用されかねない。
なんだか、SF小説にような社会になっていきそうだ。
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政治は暴走する

山本防衛副大臣 公費で防衛省近くのホテルに100回以上宿泊していたことがわかった。大臣が省庁のある永田町にに、問題があるときなどは、公費で近くのホテルに泊まることは違法ではないが、少し考えてみないと行けない。
頻繁に永田町に詰めないといけないなら、大臣は永田町の官舎に住むべきだが、山本大臣は自宅の神奈川県から通っていた。山本副大臣は、危機管理意識が低いのと、国民の血税からの公金を自分は防衛副大臣で、国のための仕事により宿泊するので、自由に使っていいという意識だろう。節約しようという考えはさらさらないのだろうか。
さすがに、安倍総理もこれは、公になると問題のなると思いからか、官舎を使えと指摘か指導したそうなので、いまは官舎を使っているそうだ。

しかし、これらは、桜もそうだが長期政権になり驕りがでてきて、閣僚などみなの規範の箍が緩んでしまっているのだろう。酒樽の箍が緩めば外に酒が漏れ出し、酒のに酔いをあたりにまき散らし、また、酒で濡れた周りの商品は、カビが発生してダメになってしまう。もう自民党はそのような状況になってきているようだ。しかし、トップが代われば少しはましになるだろう。

ソ連が崩壊して、アメリカ一国主義になり、新自由主義と欲望の株主資本主義が大手を振って世界中を闊歩するようになっている。そのような時に、アメリカではトランプ政権誕生し、日本では安倍晋三のような人が、長期政権を続けられている。ヨーロッパでもイギリスがEUを離脱し混迷を深めている。冷静の脅威がなくなり、新自由主義と欲望の株主資本主義は、平等や格差是正や富の再配分を訴える声を聞く耳を持たなくなっている。

かつて、日本でも自民党に対して社会党がある程度の存在感を示していたので、経済の極端な自由主義に対してその、社会党などの意見も訊いていたので、暴走に歯止めがかかっていた。自民党は他者の意見も訊きいれることをしていたので、自民党の長期政権が続いたといえる。しかし、社会党が崩壊して自民党に対峙する野党が多数乱立していまい、小選挙区制の選挙制度で自民党が議席を多数を占めるようになった。それにより、野党の意見を聞きいれないいまの自民党が生まれてしまっている。
自民党のいまの暴走は、野党に乱立にあるが、それは国民が選挙で自民党選ぶ結果からくるものです。自民党の暴走をゆるすのは、国民にもその責任があるだろう。

キリスト教の聖書やイスラエルの話しに、自民はペリシテ人のゴリアテのようだが、イスラエルの古代イスラエルの王ダビデに石を投げる紐状の投石器で、石を額にうけ倒され昏倒し、ダビデにゴリアテが自らの持っていた剣で首を刎ねられてしまうはなしがある。
自民党がこのまま安倍政権の下で横暴なことを続けると、そのうち、自民党の中から、あるいは野党のなかからダビデのような青年が現われるだろうか。
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政治屋

以前このブログで、ピアスの『悪魔の辞典』(西川正身編訳)[岩波文庫]にある。1月27日の「五輪と愛国心」という記事で「愛国者」「愛国心」について書いたが、その『悪魔の辞典』に、「政治」「政治屋」「政治」「政治屋」についてもピアスは書いている。
それによると、
【政治(politice n.)】主義主張の争いという美名の陰に正体を隠している利害関係の衝突。私の利益のために国事を運営すること。
【政治屋(politician n.)】組織社会という上部構造物の土台となっている泥の中に住むウナギ。そいつは、とたうつとき、自分の尻尾が動いたのを建物が揺れ動いたものと思い間違える。政治家(statesman)と比べてみると、生きているだけ、条件がふりである。
とピアスは述べている。

いま、参議院で予算委員会が開かれているが、与党は開き直りに徹し、野党は揚げ足をとろうと政権の私物化を追求している。まことにお粗末な論戦というより駄戦がおこなわれている。
「桜を見る会」などは、まさに私の利益のために国事を運営する下ならしといえるし。モリカケ問題や、大学の共通試験に民間企業を参入させることなどもそのように見える。
安倍政権以前から、そのようなことが見られていたが、今の政権になってから、戦後レジームからの脱却のもとに、それが加速しているようになり、今までの体制が崩れていっている。変革は必要であるが、それをするには時間がかかるが互いに熟議を戦わせてすべきだが、安倍政権は「これしかない」「決めらっれる政治」と称して、強引に議論を一本化して政策を進めている。まるで全体主義のように・・・
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スマホでの管理社会

ニュースを見ていると、新型コロナウイルス(コビット19(covid-19))で、各国のその拡散予防の対策を照会していた。
そこで、中国であるサービスが始まっている。携帯通信会社が、スマホを持っている人が過去に何処を訪れたかの履歴が、スマホ画面に表示されるサービスを始めている。
そこで、中国では施設に入る時に、その訪れた場所の履歴を表示させ、係員に見せて自分は特定の地域に行っていないことが
確認して、その施設に入場が許可されことが実施されているようだ。

このスマホ保持者の行動履歴がわかるシステムは、中国だけでなく日本でも直ぐに実現できる技術です。犯人などの行動履歴を追跡したり、また誘拐事件などが起きたとき、時よりそれが使われ、犯人の逮捕に役立っていることがニュースで伝えられる。しかし、通信会社は行動履歴の情報提供は、日本では裁判所の許可がいる。また、保護者が子供の安全を確認するためにパソコンやスマホで我が子がいまどこにいるかを把握する技術はすでに使われているようだ。
今回の中国の通信会社のサービスは、自分のスマホの画面に表示されるものだが、これらの技術が国民の監視のために利用されないとも限らない。

これは、中国のことだけでなく、世界中の国々でも使いようによっては、国民の監視に使われれる恐れもある、いやすでに使われているかもしれない。
カーナビのGPSやスマホは便利りです、カーナビなど便利過ぎて、土地勘が衰えたりドライブするときの道を探す楽しみなどが疎かいなってしまうので、わたしはあまり好きではないです。これからテクノロジーがますます親かして、国民へのサービス向上のためだと言って民衆の管理が強化されてて行きそうだ。そして、この中国にコビット19のスマホ通信会社のサービスを知って、それだけでなく知らないうちに管理社会がますます浸透していき、自らが知らないうちに管理社会の海に飛び込んでしまうのではないか感じる。
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官僚が心身病を患う人が増えている

安倍首相が官房副長官時代の2001年に、NHKの幹部を永田町に呼び出し、翌日に放送される予定の番組を、改変させた事件があった。旧日本軍の「従軍慰安婦」問題を取り上げた番組だが、安倍晋三は「圧力など掛けていない」といっている。確かに「ここをああ変えろ」などとはいっていないが、後に当時のNHKの関係者が朝日新聞の取材に対して、安倍晋三が言ったのは「勘ぐれ、おまえ」と言ったという。そして、翌日放送された番組は中途半端な終わり方だった。
つまり、自分(安倍晋三)に忖度しろと、「おまえ」という言葉から、番組の改編を強要した結果、NHKは公共放送という使命を投げて、安倍を勘繰りそれを聞き入れたことになる。

このころから、その当時から自分に忖度を強いることをしていたことがわかる。そしてそれが、今も続いているといえる。
安倍晋三の人柄についての噂では、非常に面倒見がよく親切だという人も多い。しかし、一方、自分に批判的な人には徹底的攻撃し潰す人だという。このことから考えると、逆らったらなにをされるわからないから、安倍晋三が直接指示などしなくても、周囲は忖度してしまう構造ができていくのだろう。まさに「裸の王様」担ってしまっている。
王様の家来は、王様が仕立屋にだまされていることを皆知っているが、箴言や諫言ができずなにもいえなかった。とっころが、「裸の王様」は、子どもが「王様は裸だ」という言葉を耳にして、自分が仕立屋のだまされていることに気がついたのだが、安倍首相の周囲の人は忖度という言葉は知っているが、国民のことや国のことを思って諫言、箴言と言う言葉を知らないようです。

もともと、国家公務員の官僚や、国民からの選挙で選ばれた国会議員は、国民また国のために使えるもので、首相に仕えるものでないです。確かに官僚はその時の政権に宣誓をすべきだが、それは、政権の安定を守るためでなく、国民や国に不利益になうなら、箴言諫言をすべきだし、人して面従腹背で自分を失わないように欲しいと思う。

しかし、最近官僚が心身病を患う人が増えているという。
国会での野党からの質疑に、総理大臣や大臣が答えるための答弁書を官僚が作成するために、国会開催中は忙しくなるのは、毎年通常のことです。しかし、安倍政権になりそれが顕著のようです。
野党の質問に実直に答弁そるなら、官僚もこの時期忙しいが、神経をすり減らすこともないだろう。
政権の要望に応えて、要望に添った内容にするために、どうしても議題の内容によっては、国会で討議する題目では、今までのものと矛盾し齟齬がでてくるので、どうしても大臣などが答える答弁書の作成に神経を使い時間もかかるのだろう。それによいり、官僚は神経をすり減らし、精神的・心理的な心身症になるのであろう。
官僚は時の政権に忠誠を誓うものだが、それは国民と国のたににであり、時の政権に私的に忖度してしまってはいけないのだが。ありのままに、大臣が答える答弁書ならそれは、政権にとって不都合になるので、どうしても答弁書を作成するのが難しくなり、その付けがすべて官僚の心理的・良心の呵責などの負担として、心身病としてあらわれている。中には、自殺した官僚もいたほどです。
安倍政権の人たちはそのことをどこまで自覚しているのだろう。
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クラスターロケットからの人工衛星

米宇宙開発企業のSpaceXが去年、人工衛星を一度に60基単位での打ち上げに成功した、ニュースがあった。複数の企業が人工衛星を多数打ち上げて、新たな通信事業を行う計画が進められている。ある企業は、一度に多数の衛星を軌道にのせて、最終的には、4万2000基の衛星を地球の周回軌道に乗せる計画をしている。

これに対して天文学者がすでに、天体観測に影響が出ていると懸念の声が上がっているという。
米アリゾナ州の天文台が望遠鏡で撮影した公開写真をみると、人工衛星20基以上が光を反射しながら移動する様子が光の筋となって、天体観測の写真に写り込んいる。これを見ると天文観測にとって、大変な状態になっていることがわかる。星がとられた写真を見ることがあるが、流れ星やなどが写り込んでいるいるのを見ることがある。しかし、この写真を見ると、素人でも、天体観測ができないという状況がわかる。

NHKのニュースによると、南極大陸の観測基地のように、人工衛星の打ち上げを世界的に調整する機関はないので、世界の天文学者で作る国際天文学連合は、今後このまま人工衛星事業が進むと、天体観測の妨げになるとして、早急に規制の枠組みを作ることを求める声明を出している。また、日本の国立天文台も世界の研究機関と足並みをそろえて、解決策を図ることが重要だと懸念を表明しましたと伝えている。国立天文台の大石雅寿特任教授は「観測に影響が出始めていて、今後、問題が深刻化するのは確実だ。研究者と企業側が共同して解決にあたることが重要だ」と話していることを伝えていた。

私は、天文学の体観測だけでなく、宇宙開発にも影響が出るのではないだろかとおもう。計画されている衛星はロケットでクラスター(集束)衛星を打ち上げ、地球の軌道上でたくさんの小衛星を分離させ目的の軌道に拡散させるものだが、人工衛星は小さなものでも高速で地球を周回している、これにぶつかると人工衛星や宇宙船は大破する恐れがあるだろう。それにより、地球の軌道上は過密になり将来は、有人宇宙船が大気圏がの宇宙空間に出るとき、それらの小人工衛星とぶつかる恐れもでてくるだろう。そうなると人間は地球から宇宙に出ることができなくなるのではないだろうか。国際宇宙ステーションにも行けなくなる恐れもあるだろう。将来は戦闘機のように、小型衛星を掻い潜って宇宙船を操縦する技術が必要になってくるのではないだろうか。また、アメリカはレーガン大統領のときにスターウォーズ計画を発表したがその後は進展がなかったが、トランプ大統領は宇宙軍の創設を提唱している。
そうなれば、軍事用の人工衛星が偶発的に、将来打ち上げられる数万個の衛星と衝突する恐れもある。もしそうなれば、人工衛星は有事とみなし突発的ない事態と判断され、敵国の対して攻撃が起きる可能性もでてきている。
なんだが、そうなれば核戦争はお互いに、核ミサイルを持つことにより、核戦争は抑止されれるという理論は当てはまらいだろう。
いずれにしろ、クラスター人工衛星ロケットについては、国際機関の管理が必要になるだろうが、これに対しては宇宙の軍事利用を目論んでいる、アメリカやロシアや中国は反対するだろう。この三国や宇宙ロケット技術を持っているフランスやイギリスなどは、国連の常任理事国で議決への拒否権を持っている国なので、早急に、南極のような観測基地利用のような条約や機構月売られることはないだろう。
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麻生財務相の「つまんないこと聞く」

麻生財務相 休校中の学童保育負担につての質問に「つまんないこと聞く」とつぶやいた。

麻生太郎財務相は28日の閣議後の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた小中高校などの臨時休校を巡り、共働き家庭などで生じる学童保育などの費用負担について質問した記者に対して、「つまんないこと」つぶやくのは、どのような心情からくるのだろうか。
これは、安倍晋三首相は27日夕、3月2日から春休みまでの休校を全国の小中高校などに要請する方針を表明したことに対してである。仕事を休めない共働き家庭などでは、急きょ学童保育など子供の預け先を確保することが必要で、費用が重くのしかかる可能性がある。
記者会見でこれに対し次のようなやりとがあった。
記者「出費について政府が臨時の支出をすることも具体的に考えているか」と質問。
麻生氏「(休校などの)要請をして費用がかかる場合は、政府が払うのは当然のことなんじゃないですか」と回答。
麻生氏次の質問を待つ間記者に「つまんないこと聞くねえ」とつぶやく。
記者は「国民の関心事ですよ」と返し
麻生氏「上から(上司から)言われて聞いているの? 可哀そうにねえ」と述べた。
このやり取りを聞いて、つまり、内閣府はマスコミの上層部と会食をして、メディア統制の指示を出しているということだろうか。そうなると、もはや、マスコミは大本営と同じように、官邸の統制下にあると言っているのと同じことだと感じるが、真相はどうなのだろうか。
また、そんなこともわからないのかと、バカにした言葉だろうか。質問をする記者は、わかっていても国民にしてもらうために、官邸や大臣や行政の役人から直接の声を聞き出すために質問をするのだが、そのような質問をしてはいけないとでも、麻生大臣は考えているのだろうか。

また、学校の春休みまで休校にするのは、あまりにも唐突で急である。安倍首相お思い付きのパフォーマンスのように思える。
これほど重大なことに前もって何ら手だても考えず、何ら手だても無しにすることはあまりにも無責といえる。
学校の授業時間の確保は、高校生の教科の単位は、卒業式や入学式また、春は先生の移動の時期だが、人事面でも大きな支障がdてくる。また、春の高校野球では、練習するために学校にもいけないとなると、春の甲子園は中止になるのだろうか。
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空気と道徳

山本七平の著書『「空気」の研究』に次のようにある。
「日本の社会に道徳という規制があることは事実でしょう。田中首相の辞職は、その原因が政策的破綻よりむしろ道徳的問題のように思われます。ニクソン大統領の場合ももちろんそうでしょうが──。道徳は一国の首相を辞職に追い込むほど強力で、これから見ても、そういった規範が明らかに存在するのですから、それがどういう規範かを教えておかねば、その子供が社会に出てから非常に困ると思います。・・・以下略」
山本はその後に、
「文芸春秋」昭和50年8月号の『戦艦大和』の記事から軍令部次長小沢治三郎中将の「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」の言葉を紹介している。山本は小沢のこの言葉を次のように分析している。大和の出撃を無謀と主張する人はその根拠となるデータがあったが、出撃を当然とする主張の人たちにっは出撃を正当とするデータや根拠はなかった。つまり当時のその場の「空気」が、議論を押し流し世の中の流れを変えてしまうという。
ウォルター・リップマンは、大衆心理の怖ろしさとして、世論が一旦暴走すると誰求められなくなり、後になって「あのときはそうせざるを得なかった」。と自己弁護して正当化するとなるとしている。

今の世界が「武器輸出三原則」を「防衛装備移転」といい、「兵站」を「後方支援」などと、新しい言葉を作り出し、新聞やテレビなども政権が使う言葉をたれ流すことをしている。そしてしだに圧力をかけなくても、空気を読み政権を忖度して、マスコミなどのメディアは、政権のいうことをそのまま垂れ流されることによいり。世論が作られていく。それは「大和」の無謀な出撃と同じことが、今のこの日本でも起きてきているように思う。
今の政治は、忖度と改竄と嘘などで道義に反し道徳というものが存在しているのだろうか、山本が言うよう道徳は一国の首相を辞職に追い込むほど強力なのだが、何故今の政権は窮地のおいこまれても、不死鳥のように支持率が上がるのだろうか。

それは次のようなことにも原因しているのだろう。今のメディアは報道の自由と国民の知る権利、それとメディアの権力の対するチェック機能が民主主義を作り出すことを疎かにしている。
メディアが政府権力の主張を、たれ流すことは政府のする事を高揚して民衆を煽ることになることを忘れてはならないです。民主主義が瓦解し崩壊して全体主義に進むのも、第一世界大戦や第二次世界大戦に突き進んでいった時にの、各国の世論もそうだった。

安倍首相が「これしかない」「決められる政治」というが、私たちはそれに対して鵜呑みにするのではかう、疑いや疑問を持つ目を持ち、考える力を養っていくべきです。その時々に空気を読み、空気を疑い空気に黙って従うことの無いようにすべきです。

そのように考えると、空気をよむことはよいこととは思えない、空気を読んそれに従うのと、自分の考えを持ちそれに従う行動をするのとでは、後者の方が人として立派であろう。


それには、国民が本当のことを知るために、メディアの役割は重要です。
現代は、インターネットやSNSなどの新しいメディアもあるが、これらのメディアは質のよいものもあれば、質の悪いものもあり、また虚構やフェークなどもあるので注意する必要があります。そのためにも、現在のメディアの役割と使命は重要だといえる。
今のメディアは、首相と会食などをして、情報を収集するのもよぎあ、それにより忖度するようになると、単なるプロパガンダメディアだけになってしまう。そうなれば世論を煽る報道が増えて、世の中の空気がおかしくなってしまうことになる。メディアは本来の使命を果たしてほしい。


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不合格教科書

不合格教科書の内容はどのようなものだろうか。

ネットで検定不合格と検索すると、「竹田恒泰『中学歴史 検定不合格教科書』の間違いが酷い!」がヒットした。しかし、来年すなわち再来年度から中学校で使われる教科書検定で、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書とはとは別ものだが。
『中学歴史 平成30年度文部科学省検定不合格教科書』でAmazonでベストセラーになっていると書いてある。
そのヒットしたページには、不合格教科書の内容も少し紹介されている。
それを読むとどうやら、教科書とは言えない代物なもので、一つの読み物してはいいかもしれない、百田  「日本国紀」よりひどいもののようだ。
もともと、竹田恒泰は歴史学者でもないようで、自分の国史観を教科書にして、中学生の広めたいと思って教科書申請をしたとしか思えない。
そもそも、竹田恒泰とはどんな人物か、自らのWebページに、「明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰」と書いてある。旧皇族・竹田家に生まれるとも書いてあった。それは事実としてよいが、わざわざ自らのWebページに程度の人のようだ。
また、この不合格教科書は、竹田氏と他の4人の執筆者は「竹田研究会学生部」の学生だとういう。歴史学の専門家は一人入っていない。教科書は科学的な見地から書かれるもので、歴史学者がいないこと自体からして、まともな教科書を作ろと思っていなかったようだ。

それにたいして、今回の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は、偏向的だが過去三回検定に合格しているので、そこまでひどくないが、何故今回は不合格となったのだろうか、「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちの歴史観が竹田氏の影響をうけたのだろうか。
しかし、現職の自民党の国会議員にも「竹田教科書」や「つくる会」と同じような歴史観を持った人がいるので、それらの自民党議員がどのように出てくるかも興味がわく。
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歴史教科書の検定不合格

「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の検定が不合格になっていることが明らかになった。

来年春から使われる中学校の歴史教科書の検定で「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した、歴史教科書が不合格になっていることがリークされた。
教科書検定の合否は来月下旬まで、文部科学省が非公開で行っているが、その前に合否が明らかになったことは、極めて異例で誰かがリークしたのだろう。

「自由社」の教科書を執筆する「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが記者会見で明らかにした。
「新しい歴史教科書をつくる会」によると、来年春から使われる中学校の歴史教科書の検定で、文部科学省からその内容について405カ所の意見がつけられ去年12月に不合格になったという。
従来の検定では、一旦不合格になっても内容を修正して再申請すればほぼ合格になっていたが、今回からページあたり、定められた以上に意見がついた場合は一発で不合格となるようルールが変更されている。
「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は、過去3回検定に合格していて、今回の結果については「結論ありきの不正な検定で認めることはできない」と話しているそうだ。
文部科学省によると、教科書検定は公平正などの観点から来月下旬の審査が終わるまで内容は非公開とされていて、その前に結果が明らかになるのは極めて異例という。
文部科学省は、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が不合格になっていることを認めたうえで、「検定は恣意的に不合格にできる制度ではない。公表間に検定結果を明らかにしたことは規則に反している。詳しく事実関係を聞いて対応を検討したい」としている。

「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の内容はもともと、保守的で前から問題があるとされていたが、不適切な内容に検定意見がついたのだが、教科書検定官かそれらの関係者が、何らかの理由で「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーの誰かに、漏らしリークしたのではないだろうか。
そのように思っていたら、朝日新聞に次のような記事が載っていた「科省は、3月中旬以降となる公表前につくる会が不合格を明かしたことに対し、「省の規則に明確に違反しており、指導と事情聴取をする」」つまり、「新しい歴史教科書をつくる会」自身が教科書制度に挑戦していることになる。

それにより、「新しい歴史教科書をつくる会」は検定の復活を願うために、記者会見で不合格になったことを明らかにし。世論を動かそうとしたり、自民党の一部の議員に文部科学省に説明を求めるように働きかけをするためだろうか。下村元文科相や荻生文科相などは、「新しい歴史教科書をつくる会」よりの考え方を持って持っているので、今後の教科書とその検定制度の公平公正性に及ぼす影響が心配になってくる。
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政治の責任者の読ませたい誡訓

平凡社の『家訓集』に『誡太子書』というものがある。
『誡太子書』は、花園上皇が元徳二年に、皇太子の量仁親王 後の光厳天皇のために記した訓戒書といわれている。

其の冒頭を紹介してみたい。

余聞く、天は蒸民を生じ、之が君を樹てて司牧せしむ、人物を利する所以なり。
下民の暗愚なる、之を導くに仁義を以てし、凡俗の無知なる、之を馭するに政術を以てす。
苟も其の才なくんば、即ち其の位に処るべからず。人臣の一官之を失うも、猶ほ天事を乱る謂ふ、鬼瞰遁るゝことなし。何ぞ況んや君主の大宝をや。

解かりやすく現代の言葉にすると。
私はこう聞いている、天が民を生みだしたのと同時に、君として統治する者がいるのは、人々や万物の役に立つように計った所以である。
愚かな民衆を道徳に則って指導し、目先の得失にとらわれて、先を見通すことができない人々を政で制御する。
君に相応しい能力がないのなら、君になってはならない。役人であろうとも相応しくない人物が役に就くと天下が乱れるという。神様の目から逃れることはできない。ましてや君という重大な役をいい加減な人物が就任すると世の中が乱れないということがあろうか。
となるだろう。

君とは君子つまり天皇のことであるが、これを国民統治の民主主義の現代でいうなら。国民から選ばれた政治の責任者ということになり、その最高責任者は首相になるが、いまの首相にこの太子を誡める言葉を読ませたいと思う。
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『すばらしい新世界』

オルダス・ハクスリーが1932年に発表した、ディストピア(ユートピアの対義語)小説に『すばらしい新世界』がある。
2049年に、世界大戦が勃発し9年間つずき、戦争が終結し、過去の歴史が抹殺され、10人の統制官によって支配される。
そこでは、大量生産・大量消費が美徳とされ、宗教は否定され暦年もキリストの誕生した年を元年とする西暦は廃止され、大量生産が始められた、T型フォードが発売された年を元年とするフォード暦が採用された。
小説の舞台はフォード暦632年、西暦でいうと2540年の未来の物語です。

時代背景は、子ども達は受精卵の段階から培養ビンの中で「製造(培養育成)」される。そこでは、体格も知能も「選別」され決定される。アルファとベータの優生種と、ガンマとデルダとイプシロンの下層階級に分けられ、階級社会になっている。
過去の歴史は否定というより抹消されて、社会は統制れ平和な社会になっている。
また、あらゆる予防接種を受け病気になる事は無く、60歳ぐらいで死ぬまで、ずっと老いずに若くいられる。育成ビンから出て「出生」した後も、睡眠時教育が施され自らの「階級」と「環境」に疑問を持たないように洗脳され教え込まれる。
人々はそれにより生活に完全に満足している。人々は、激情に駆られることなく、常に安定した精神状態でになっている。それにより完全に安定している社会が実現している。
人は「製造ビン」出て生まれてくるので、家族はなく、結婚は否定され、フリーセックスの世の中になっている。すべてが統制官によって統制管理されているので、人々は常に一緒に過ごして孤独を感じることはなく、隠し事もなく、嫉妬もなく、誰もが他のみんなのために働いている楽園である。すなわち、「すばらしい世界」となる。

主人公は未開社会から来た人物で、このすばらしい世界に疑問を持ち始めるて、物語は展開していく。

第一次世界大戦後の世の中が、全体主義的な政治が勃興し、産業の機械化進む90年ほど前に書かれた、ディストピア小説だが今の時代と被ることが多いように思う。トランプ政権の誕生や、安倍政権の長期化。また、社会がデジタルしインターネットでつながれ、AI技術が生活のなかに入り込み、遺伝子工学の先行きをみていると、これからの世界がどのように進めばよいかを考えるうえで参考になる本と思える。
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昨日の記事と対で

豊臣秀吉は、能楽好きと知ってはいたが、自ら「太閤能」と呼ばれるものを作らしていたとはしらなかった。
秀吉は「太閤能」とは、自らの功績を讃えた物語を、能の曲で作らさせたという。それが十曲にも及ぶという。また、それを自らが演じたとも言われている。まあ、能、好きもここまでくると相当なものだが。絶対的な権力を手中にしている者が、自分を自賛するプロパガンダのようなものを作り、それを配下に見せてしまうことしだすと、暴走はとまらなくなるだろう。
その中に、金春流の番外謡本の中から、2000年に発見されたいう。
金春流のチラシからその、あらすじはおおよそ次のようなものです。
『秀吉が吉野での歌会の様子を大坂城の留守居の者に再現して見せると、梅の精が現れ、梅の精は秀吉が桜を愛で梅に関心がないと嘆く、梅にまつわる故事を語り、梅の木の跡を残して欲しいと告げ消える。秀吉は難波津に行き、難波の梅を御神木とし崇めると語り、自らの和歌をしたためた短冊を梅の木に結び付る。そこへ梅の精が再び現れ秀吉へ礼を述べ舞を舞い、秀吉の世の天下泰平と長寿を祝福し消えてゆく。』
一応は、能のストーリの手順の流れになっているが、実際の話を細かくしらないのでだが、あらすじだけをみると、なんか自画自賛で能の曲としては面白くない。

自画自賛をするのが好きな権力者と言えば、国会の施政方針演説をきていもわかるわかるように、数字を挙げ、繰り返しアベノミクスの成果を自画自賛したりするが、政権運営を負の側面は話を避け、首相が謙虚に欠ける演説はどうだろうか。
今の日本の最高権力者もそうだが、臆面もなく自分の口からそのような言葉出るひとなら、自分を賛美した能の新作を作らせるかもしれないが、首相には能の趣味は無いようなのでそんなことはないだろう。そんなことをしたら、北の国の指導者と同じになってしまう。

また、太閤秀吉と言えば、田中角栄は首相時代に今太閤と呼ばれ、マスコミの種目を集めていた。その今太閤とよばれた田中角栄元首相は、1976年2月に米上院小委員会で日本の政府高官への多額の資金提供疑惑が浮上したことにより。東京地検特捜部は捜査を進め、1976年7月27日に田中角栄元首相を外為法違反容疑で逮捕し、翌8月には5億円受領の受託収賄罪などで起訴された。首相在任中の行為で元首相が起訴される初めての事件があった。結局この調書は証拠として認められなかった。

現代の政界のプリンスと呼ばれたこともある人がいるが、その人がいま、日本の憲政史上二人目の人となるか最近巷で注目を集めている人がいる。今度は、逮捕され起訴され実刑判決がでるかどうか、検察の人事にもかなり介入している、現政権だからこれも国会の答弁のようにノラリクラリト逃れるだろうか。
それができる布石として、東京高検検事長の定年を延長して検事総長に抜擢して、安倍政権の連続4期を実現しようとするのだろうか。
この点を考えると、歴代大統領が逮捕されることを考えると、韓国の方がよほどまともに司法制度が働いているといえると思う。
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検事の定年

江戸時代には、北町奉行所と南町奉行所があった。それぞれ北町と南町が業務を月の交代でしていた。仕事は行政事務といまでいう司法も行っていた。つまり、江戸奉行とは、今で言うと東京知事と裁判長と検事長と検察を同一の人でするような相当な激務だと言える。
さて、何故江戸や大坂の町奉行は南北に分けられていたのか。奉行所の南北は地域行政で分けていたのでなく、月の輪番制になっていた。
つまり、町奉行は高い中央集権的な権力を持っていたので、その権力を私物化されないようにし、また互いの奉行所の行いが制御・抑制・監視されることにもなっていたと言える。
現代のように三権分立でなく、中央集権的な江戸時代には、両奉行所は、1ヶ月毎の月番制で、交互に訴訟や請願を受け付け、月番の期間に受け付けた訴状を、非番の期間に事務処理する有効な体制だといえる。

現代では、憲法に三権分立が明記され、また、法律的にも司法の検事などは、時の政権に左右されないように、厳しく規制がされているはずです。

しかし、ここにきて安倍政権はそれを変えようとしているようだ。ある時事問題の元官僚のコメンテーターにいわせると、モリカケ問題や、桜を見る会やIRカジノの問題で、政権と当事者の癒着があるのではないかと問われているが、ここにきて検事長の定年延長がされることは、検事長が変わると今まで蓋をされてきたものにも、捜査が及ぶのを避けるためではないかと
。そして、首相退任後、捜査の手が入り逮捕されることを避けるためではないかとも穿って見えると言っている。

もし、現在も司法が江戸時代にように検事長の在任が月番制などで輪番で行なわれるようになっていたら、モリカケや桜を見る会のようなことは起らなかったのではないだろうか。
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地球のちっぽけさ

宇宙飛行士は、国際宇宙ステーションの宇宙から。地球をみると。自分と他の人と繋がっていることを感じ、些細な行動が地球に大きな影響を与えることを知り、人生観が変わるという。地球に帰還する日が近づくと、重力を感じ大地を踏みしめられるという、気持ちと、宇宙から地球をみれなくなる寂しさを感じるという。
人類は50年前に始めて月にたったが、月にたって地球を見るのと、国際宇宙ステーションから地球を見るのでは違いがある。月から見ると地球の大気はみれないが、地球から400キロ上空の国際宇宙ステーション見ると、地球の大気の薄さを見ることができるという。それにより、人類の活動に対してどのようにあるべきかを考えさせられるという。
宇宙へ誰でもが行き、宇宙から地球を見ると、みな自分はちっぽけなもので、他の人と繋がっていることを感じ、争いがいかに無意味で愚かなことだと感じ、平和を愛おしみありがとうと言う感謝の気持ちになり、人生観が変わると言われるがそれは違う。
だけど、宇宙旅行といっても、地球の周回軌道を旅するぐらいだが、宇宙船から地球を見ると、そのような人もいるだろうが、別の心情になる人もいるだろう。

人類が文字を発明して、物事を文字で伝えたり、記録して残すことは、はじめはごく一部の人だけだった。そのころは文字として残そうとするものは、それなりに高度なものだった。しかし、文字の読み書きがだれでもができるようになると、文字によって作られる文学や資料はその質を落としてきた。
ほかの技術なども同様で、それが大衆化することによりその質は向上する方向と、質を落とす方向の両極にも進んでいくものです。
それは、政治にも通じるもので、政治家を選ぶ選挙でも選挙制度ができた当初は、だれでもが投票できるわけではなく、多くは一定の身分や所得がある人に限られていた。その根拠とした理由付けは政治家を選ぶには、一定の教養がなければ良識ある政治家を選ぶできないというものだた。しかしそれは裏を返せば一定の身分のある人たちの既得権を守るものだが。

それは、インターネットにもいえることで、私がインターネットを始めたころは、今のようにだれでもが気軽にできるものではなかった。パソコンとモデムを使って電話回線で大学などのサーバーと繋げ、キーボードでコマンドを打たないといけなかった。それには一定の知識が必要でインターネットにつなげ情報を得る人はすくなかったので、インターネットで得られる情報の信用度は高かったし、また今のような炎上と現象も起こりにくかった。
しかし、今のようにだれでもがスマートフォンなどで、SMSに繋げ情報をやり取りするようになると、そこにあげられる情報の信用度信憑性は低くなり、またちょっとしたことで炎上してしまうように、質の悪いものになってします。

それと同様に、だれでもが、宇宙に行けるようになると、いま宇宙飛行士が感じているよなことではなく、中には邪悪な    ことを感じたり考えたりする人もでてくるだろう。
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『西遊記』別編の『西遊補』

中国の三大奇書の一つに、『西遊記』があるが、その続編というか別編が幾つかあるが、その一つに『西遊補』というのがある。これは十七世紀半ばに、董若雨(トウジャクウ 1620-1686)が20歳の時に書いたものとされる。西遊記のパラレルワールド(*1)を描いたようなものだ。この西遊補は平凡社の東洋文庫から『鏡の国の孫悟空』の書名で大平桂一・新井健訳で出版されている。
*1(パラレルワールド(parallel world)とは、ある世界から時空が分岐された世界で、もとの世界と並行して存在する別の世界で、日本語では並行宇宙ともよばれている。パラレルワールドはSFの世界ではよく出てくるが、我々のこの宇宙と同一の次元を持つっている世界と言われている。)
この『西遊補』はもとの『西遊記』の第五十九回から六十一回の三蔵法師の47・48・49難の、羅刹女から芭蕉扇をだまし取り火焔山を鎮火させる話と、祭賽国の金光寺で心を洗い宝塔を掃く話の間に挿入される話と、董若雨は、後書きの「西遊補問答」で答えている。
三蔵法師一行の話しになる。『西遊補』には、「〔本書原題〕三たび芭蕉扇を調(めしあ)愚の後に入る」。とある。
火焔山を鎮火させ、孫悟空は鯖魚精の妖怪の罠にはまり、無数の鏡からなる万鏡楼を媒介とした、閉鎖的だが広大無辺な世界に迷い込み、古人世界、未来世界などを経て、元の世界に戻る話しと、大平桂一はその解説でいっている。
第二回では悟空は、托鉢するところを探していると、「大唐の新天子・太宗三十八代の孫・中興皇帝」と篆書で書かれている旗を見つける。孫悟空が唐を立ってまだ20年ならないのに、唐の帝が数世代も代わっている。唐朝は実際は二十三代で滅亡している、これは、まさにこれは、鏡像の世界であり、タイムスリップしていることになる。

その一つの参考になるのが、『西遊補』に書かれている「『西遊補』問答」で、そこに
「問 西遊(記)は欠けてないのになぜ補うのだ。
答 西遊の補遺は、火焔山芭蕉扇〔『記』五十九~六十一回〕の後、心を洗い塔を掃く〔六十一回〕の前に置かれるのである。斉天大聖〔悟空〕は計略で芭蕉扇を徴発、火焔を消したが、ただ単に力で圧服したに過ぎないのだ。四万八千年は、すべて情のの根が固まってできたものである。大いなる道を悟るには、必ずやまず情の根が空と看破せねばならず、情の根を空と看破するには、まずは情の内部に入り込まねばならない。情の内部に入れば、世界のの情の根が虚ろだと見極められるし、その後、情の外部に出て、道の根が実だと認識することができる。『西遊補』というのは情の妖怪の物語であり、情の妖怪とは、鯖魚の精である」。と言っている。

また、『鏡の国の孫悟空(西遊補)』といういわれは、第四回で、
 一竇開きし時 万鏡に迷い 物の形現るる処 本の形亡(うし)なわる
 [穴が開いて悟空は万鏡楼に迷い込み  物の形が現れる時に本体の形は失われる]
ことに巻き込まれる話なになる。
この部分だけを見ると、理論物理学の学説に、多元宇宙論がり、この宇宙には複数の宇宙の存在があるとする学説がある。それにより、宇宙に関する最新の観測結果は「並行宇宙」の存在を示唆しされている。
話の回がすすむと、四方八方の面が隅まで鏡になってる。その鏡をのぞくと、それぞれの世界が時代が繰り流れている。

SFのスタートレックでは、ENT DIS TOS NGT DS9 VOY などの各シリーズのエピソードの中で登場する、パラレルワールドの多くの並行宇宙・鏡像宇宙は、粗暴な地球人が侵略的な宇宙になっている。また、タイムスリップでなないが、TOSやDS9では、過去の世界の時間が流れそれを見たりその世界にスリップできる話がある。並行宇宙、鏡像宇宙や時空うを超える別の世界を見ることが出来るテーマは、どうやらいつの時代にも、人びとの興味を引くようだ。

さてはて、この『鏡の国の孫悟空(西遊補)』の話はどんなパラレルワールドと時空を孫悟空は見るのだろか、そう想像すると読んでみるのが楽しみだ。
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非立憲

違憲と非立憲

違憲とは、憲法に違反することを指し。非立憲とは、立憲主義の精神に違反することを指す。
いまの安倍政権は、ことあるごとに「法に従て粛々と進める」というが、粛々とはほど遠いことをしてる。最近あまり口にしなくなったが、「これしかない」「決められる政治」などと云うが、「これしかない」は、議論を必要ない、議論しても無意味だということであり、「決められる政治」も議論しても最終的には独断で判断して行くということにほかならない。そのような、行いや遣り方を見ていると、とても民主的で立憲主義に基づいたやり方には見えない。
最近の安倍政権の首相を始め、大臣の答弁を聞いていると、この立憲主義の精神をよく理解していない言動が目に余るようになってきている。それは一応は法に従って手続きは進める。その意味で違憲違法ではないが、その精神はは立憲とはほど遠いものと言える。
それは、安倍政権が長期政権になっているからではなく、安倍政権の体質からくるものだろう。安倍政権の支持団体や、安倍政権の閣僚のほとんどが、神道政治連盟国会議員懇談会に所属してることによるものだろう。それは、はばかりもなく「皇祖皇宗の遺訓を引き継いでいる、日本こそが道義大国となる資格がある国で、それにより日本とは物質的優位ではなく道徳的優位により世界から尊敬される国にすべきだ」。と言う議員もいるくらいだからそれもあたりまえかもしれない。

佐々木惣一が『立憲非立憲』の「憲政と我が国民性(上)で、次のように書いている。
「制度は死物にて其の活用人に在りとの、・・・中略・・・ 若し之を解して、制度はどうでも構わぬ、人さえよければよい、と云う意味とするならば、それは到底今日の立憲政治や法治行政と相容れないものである。・・・中略・・・ 彼の格言の意味は、蓋し、制度はどうでもよいと云うのではない。制度は勿論よくなくてはならぬ。唯、制度がよくても、之を運用する人がよくなくては、制度のよい効がないから、結局人の問題に帰すると云ふのである」(講談社学術文庫)
これは、佐々木惣一が、明治憲法下の大正時代に書いたものです。明治憲法は全体主義のように思われるが、それは、昭和に入ってからのことで、それ以前は大正デモクラシー運動が起きたように、欧州のように近代民主制度を取り入れ、欧米のような国になりそれを追い越そうとする動きがあった。
それと対峙するように日本主義などのとなえる動きがあり、立憲主義とのせめぎ合いがあたり、かなり闊達な意見も交わされていたことがわかる。そのあと、美濃部達吉の天皇機関説事件となり、政府は、「国の統治権の主体が天皇にあることは日本国の本義として、帝国臣民の絶対不動の信念だ」を表明し、世の中全体の空気が、全体主義の道に突き進んで行く。
この、佐々木惣一の『立憲非立憲』を読んでいると、当時に状況と今の日本の状況がダブって見えてくる。
国会でのいい加減な説明責任をはぐらかした説明や、「道義大国になるべき」との呟きや、「八紘一宇」の言葉が出てきたり、「クールジャパン」の日本は稀有な国として、祖国礼賛をするTV番組などが放送され、オリンピック・パラリンピックに向けて日本のアスリートが、粉骨砕身してメダル獲得に受けている様子を映し出し、国の昂揚をあおっているように見える。また、このようなことを書くと、おまえは日本人か愛国心があるんか、非国民とか反日などと批判を受けかねない雰囲気もつくりだされてている。そのような、ことを思うと、国体明徴声明を出した時期に、日本はその戦前への祖先帰りするのだろうかと危惧する。
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ウオーキングするときのシューズ

いままで使っている、早朝のウオーキングで使っているシューズの底がすり減ってしばらくたつので、近くのランニングスポーツ用具店で、ワゴンセールをしているシューズを買った。店の人がいわく、定価の三分の一以下の値段だとう。5,000円しなかった。

その店主がいわく、このシューズは走るために作られていて、そこが反っているので走ると自然と体が前にいき走るのに都合がよです。走るためのシューズはウオーキングするのにも都合がよいと言っていた。
たしかに、早朝に歩くのには良いように思う。しかし、私は早朝のウオーキングをして、行先の公園で太極拳をしているが、このシューズは太極拳の套路をするのに親切すぎる。各套路でそのポーズ(形)を決めるとき、一寸静止するのだが、このシューズは次の動作に身体が進もうとする。
細かく言うと、足を前に出しそこで足がしっかりと着地したことを感じて、次の動作に移るのだがこのシューズは連続して先に進もうとする。
平底のシューズだと着地して足の指で地面を掴もうとすることができるのだが、このシューズの底は前後に弧を描いているのでそれができない。歩いたりウオーキングするのにはよいが、体操などをするには少々親切すぎるのであまり向いていないように思う。

話しは飛んでしまうが、最近、ナイキのランニング用の厚底シューズが問題になっている。ランニングアスリートが特別あつらえした、厚底シューズを使った人が軒並み自己ベスト記録を更新したという。踵を着地させて前に身体を移動させるときに、厚底がバネになるといいう。そこで、世界陸連が出した規定に違反するのではないかと問題になっているそうだ。

それはともかう、記録を出すためのはこの靴はよいが、私のように身体を感じながら歩くにはこの靴は、親切すぎてしまうシューズだと言えるだろう。
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「無意味だ」ヤジについて思う

安倍首相の「無意味だ」ヤジについて思う

憲法には、内閣は国会に連帯して責任を負い、首相と閣僚には説明や答弁の義務があるとしている。
つまり、国政を選挙で選ばれた責任や役割として引き受けていることになる。
しかし、国民への説明責任を果たすべき首相が、言論の府である国会で議員の質問を「無意味だ」と終了直後にヤジを言い放つのは、政権を担っている責任者として適切な言葉だろうか。そこには、絶対多数の議席の上にあぐらを書いているあらわれといえる。まさに、野党が言うように「議会制民主主義への冒涜」と言える。
もともと、不規則発言自席発言つまりヤジは、「桜を見る会」の私物化疑惑などを追及していものに対してで。やましいところがなければ正面から答えればよいのだが、それが答えられない、つまりこの「無意味だ」は自らの非を認めていることにならないか。それでも平然とした顔でいられるのは
鉄面皮で厚顔無恥といえる。どこからこの図々しさが造られるだろうか。
首相は、ほかにも野党の質問に対して、ヤジ攻撃を繰り返している。これは自らの疑惑解明に消極的な自身の姿勢のあらわれで、自らの責任を棚に上げて、矛先を野党に向け責任転嫁しようとする、不遜な態度で許されないばかりか、一国の責任者としての資質が問われるべきだ。

地方自治体の首長にはリコールの制度があるが、国民が国に首相への罷免要求の制度はない。また、国会での弾劾もない、あるのは不信任案の提出だけだ。
国会が与党が絶対多数をしめ、与党のその党首が党を牛耳り、その党首が首相として資質を欠いている場合どうしたらよいのだろう。裸の王様の国は亡びるしかないのか。
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正面から反論しない軽薄さ

神話学者・民俗学者である高木敏雄が、高橋龍雄が雑誌『日本主義』で展開している「神代史に於ける新研究」に対して、高木敏雄が批判したが、それに対して高橋の反論は罵詈誹謗したものだったようだ。それについて高木は「高橋氏に答う」を発表している。
高木の「増訂日本神話伝説の研究 東洋文庫」のそれを読むと、いささか子供じみた学者らしくないものです。高橋は國學院で講師を務めていたようだが、論文に対して批判意見に対しては、反論として論文で行うのが通常だが、高橋のそれはいささか学者らしくないように感じる。高木の思いが書かれているのでそこを抜き出しみる。
「余輩はここにおいて、足下の心事を疑わざらんと欲するも、能わざるなり。余輩は日本主義によりて神代史を研究するの非なるをいいぬ。足下はこれに答えて、日本主義非ならば非日本主義も非というのみ。余輩は少しもこの答弁に満足すること能わず。単にこれのみならず、足下の答弁はすべて、側面より来たり、一も正面より余輩の非難に答うるものなし。 以下略 」さらに「わがいまだ言わざるところを捉えて云々すちう。この点においても、足下の答弁は側面的にして、毫も正面より、余輩の非難に答うるところなし。 以下略 」
(「日本神話伝説の研究」は高木敏雄の論文を大林太良が編纂したものだが、初出の年月は2巻の巻末に記されている。それによると高橋氏に答うは「帝国文学」五巻七号明治32年1899年となっている)
このように、高橋は高木の論に正面から反論せず、個人的な主観的感想を悪口やののしりたもののようだ。これではまともな学問的な議論は行えないだろう。まだ、学会などでの論戦ならこのようなお粗末なことが交わされても、世の中には支障がないです。
ただ、このころから、江戸時代末期に起きた国学の運動が、再び息を吹き返し、日本の神話や記紀のなかから、神代史や日本主義が台頭して、教育勅語や愛国主義へと次第に向かっていったとみられる。

ところが、このようなことが、国会の場で数年前から繰り返されているように感じることある。
説明責任を果たすと口ではいいながら、野党の質問に正面から答えず、関係ないことや関連してことでも修辞や修飾が多く意味不明な答弁になってしまっている。
これでまともに国会が機能しているといえるのだろうか。
最も、日本主義とうのは、明治中期から明治政府の極端な欧化主義に対する反動で、日本古来の伝統的な精神を重視しこれを国家・社会の基調とする国家主義思想で、終戦まで続いていた運動といえる。その運動が日本が帝国主義の道に進むことにもなっている。
それが、現代に安倍政権になってから、復活し広がっているように思うのだがどうだろうか。
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「日本神話伝説の研究」を読んでいて思うこと

高木敏雄が「日本神話伝説の研究」の「珍奇なる神代史論」に暴騰に次のように書いる。

滔々たる進歩開発の潮流に抵抗して、飽までも頑冥陋固の愚説を固守するもの、科学界、文学界においても、なおその人に乏しからず。しこうしてこれからの論者が、多くは国学論者、また日本論主義者なるこそ、おもしろくまたおかしけれ。

江戸時代末期や昭和前期ごろに、このような人がいたが、また巷にそして永田町界隈にも、このような人が闊歩しているように覆う。江戸時代末期には停滞していた鎖国の国に、黒船などにより自身はなんたるかを問いたが、昭和初めには結果的に日本の国を惨禍に貶めることになった。
そして、対米従属から脱しきれなくまったいま、二つの道ともう一つの道がをがある。

一つは、今の安倍政権が進めている、対米従属の強化。
もう一つは、対米従属から脱却して道義大国への道に舞い戻る。
そして、別の一つは、米国と対等な立場で、国際社会の中で相互尊重と自主自律路線を作りだす方策を模索していくことだろう。
決して、このよな、珍奇な神代論に惑わされてはならないが、最近そのよう空気や風が醸し出されてきている。

オリンピックに気をつけろ、愛国心に気をつけろ、クールジャパンの稀有に気をつけろといいたい。」
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『古事記』おぼえがき

『古事記』おぼえがき

高木敏雄が「日本神話伝説の研究」で『古事記』について、次のようなことを言っている。
古事記は、元明天皇が、天皇家の歴史を作るように、太安万呂に命じて、稗田阿礼が知っている、話しをもとに編纂したものだと、そのことは周知のことだがその内容として次のようなことも言っている。
天武天皇の時代には、大和周辺の近畿各地に、いろいろな記録が残っていて、それはいずれも昔の伝説に違っておって、それを天皇家の正統性に改めて昔の事実にあうように、いろいろなそれらの材料を集めて整理し、一つの書物にまとめたのが『古事記』としている。

徳川光圀が編纂を命じた『大日本史』に、稗田阿礼のことについて「年二十八、博聞強識、多諳上世旧事、因命録其所記、将以修帝記云々」とあるが、これは古事記の序文にある。「時に舎人有、姓は稗田、名は阿礼、年は廿。人と為り聡明にして、目に渡れば口に誦み、耳に払るれば心に勒す。・・・」の引き写しと指摘している。そして、阿礼を単なる語り部ではなく、博識な学者だと指摘している。

また、元明天皇の勅語がある。古事記に次のようにある。「是に於いて天皇之を詔ぐ。「朕聞く、諸家のもてる帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふと。今の時に当りて其の失を改めずは、未だ幾年をも経ずして其の旨滅びなむとす。これはすなわち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故、これ帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽を削り実を定めて、後葉に流えむと欲ふ」とある。

また、この天皇のことばをひいた序文については高木は次のように言う。「私の考えでは、安万呂という人は、非常に偉い著述家であって、自分が独断でもってこういう『古事記』を編纂したのであろう。編纂する際にある材料は採らない、ある材料はとるというように、一定の方針に従ってやったのである。 中略 これは自分の意見ではない、昔からの天皇の思召しに従ったのである、ということをこれに付け加えて、幾分責任逃れのために、こういう立派な序文を書いたものではあるまいかという疑いがある」。

なるほど、そのように『古事記』を序文からよむと、歴史とうもんもは、立場の違いがあれば百家百様あるというが、それぞれ自分の都合のよいようにつくり出されるものであるとよく言われる。その「つくる」も、「作る」や「造る」もあれば「創る」もある。
しかし、現代においても、歴史解釈は百家百様であってよいが、歴史に於いては決して「創る」があってはならないとと思う。
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温暖化に対する意識

EUの幹部が、地球温暖化を求める若者の活動を、疑問を呈して、グレタ・トゥーベリさんを引き合いにだし、「グレタ症候群」などと冗談ぽっく皮肉ったことについて、批判が集まっり謝罪に追い込まれた人がいる。
(余談だが、日本の首相が国会の委員会で終了間際にヤジ飛ばした、その国会での冗談に看過できないとしているが、党はそれを擁護しようとする。もともと今の首相がよく冗談をヤジをするひとだが、ちゃんんと謝罪するのはまっとうだが、さて・・・・)

ヨーロッパの、メディアによると外交を担当するボレル上級代表が5日、ベルギーの首都ブリュッセルでの会合で、「若者たちが自分たちの生活水準を下げてもかまわないと、ちゃんと認識しているかは疑わしい」と指摘し、若者が温暖化対策によるコストを認識せずに活動を行っているとして疑問を投げかけた。
そして、「グレタ症候群」についてが、SNS上で拡散すると、「情けない態度で、EUを代表するような人物に値しない。若者を見くびるな」などの多くの批判があつまり、それに対してボルト上級代表は、「気候変動と戦う若者の重要な働きに対する私の不適切な言及で不快に感じたかもしれないすべての人に謝りたい」。と述べた。

私は、地球の温暖化問題は深刻な問題だと考えるが、それを解決するにはたしかに、温暖化対策によるコストのことを考えないといけないのと同時に、いまの経済的に豊かな国々の人の便利な生活の質を考え落とさなければいけないことを考えないといけない。コストがかかるからと先送りすれば今の、温暖化問題がさらに深刻になるも考えないといけないです。私はあと10年か20年ぐらいで死んでしまうので、21世紀の2050年がどのような状況になっているかは関係ないので、今よりもっと便利な生活をと考えてもよいが、それでは後世に対してあまりにも無責任ではないかと思う。

ボルト上級代表のいうことは、確かに間違っていないが、それはコストがかかるのでもっとコストをかけて対策を立てないといけない、温暖化運動を否定するような方向に考えが向くことは間違ている。

世界中の国々がこのことをよく考えないといけないといえる。
アメリカや欧州や日本の国の人の生活をいかにスローにするか。BRICs(ブリックス)の国の人々の生活を考え、発展途上の国々の人の生活をいかに向上させるか。などを考えていくには、世界の国々は共通の目標をもって進めなければ解決できないだろう。自分の国第一主義や至上主義でとてもこの問題は解決できないだろう。
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EUの食肉税

EUは域内の国で、肉食に課税をすることを検討し始めている。どうして課税するかというと、地球温暖化問題を深刻に受け止めていることからによる。
牛肉を生産するのに、牛のゲップは、豚の6倍以上の温室効果ガスを排出すると言う。それは、牛は「温暖化ガス排出」の畜産分野の約80%を占めるというから、その対策として牛肉の消費の抑制と、畜産の牛肉偏重の見直しを図るものと見られる。
そこで、その改善を畜産業に促すためと、課税により出た増税の収益を、温暖化対策に充てるのだという。しかし、そうなれば牛肉の値段が上がることになる。消費者の理解と協力が必要だろう。また、いままでの牛肉産業の構造に対する影響もあり、さまざまな問題がある。しかし工業や商業活動ででる「温暖化ガス排出」と同時に見過ごしてはならないのは、農業による「温暖化ガス排出」もそうだといえる。
このことは、この宇宙船地救号の定員を考えないといけないだろう。果たして地球はどれだけの人口を賄えるのだろう。現在70億以上に人が暮らしているが、それ以上の乗員を増やすことができるだろうか。
この地球の世界中の人が、米国並みの生活をしようとするなら、いまの人口の半分も賄えないだろう。
では、ヨーロッパや日本並みだったら?、新興国のインドや中国並みだった?、さらに人口が増えて100億人になったらどうなるか。

わたしは、ここで、「足を知る」ことが重要だと思う。もっといえば「唯吾足知」である。
多くの人は飽くなき欲望を追い求め、むさぼりつづけているが、その意識の改革が必要になってくると考えている。いささか宗教的な話になってしまうが、それがもう待ったなしのところまできているのではないだろうか。

しかし、先進国と言われる国の人のなかには、満足することなく欲しがり続ける。ことは、いままで経済を発展させてきたことには違いないことです。それは、いま限界にきているのではないだろうか、人口が増え産業活動が発展したが、特定の地域ではそれはそろそろ特異点を超えようとしているのではないか。この宇宙船地球号には、現在70億以上の人が暮らしている。その3分の1以上の人は飢餓に直面している。また、半分以上の人が貧しい生活をしていると言ってよい。同じ船の中で一等船室や特等船室があり、方や三等船室、また大きな空間の集団船室や船艙の乗客がいることを忘れてはならない。それらの人とともに地球号の未来の旅をどうすればよいかを真剣に考える時にきているのだろう。
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日本人の食性

日本人の食性
 9日の日刊ゲンダイに、日本の江戸時代の食生活のことが書かれていた。
 というより、いま、新型コロナウイルスで感染源がコウモリかネズミなどと噂が流れえいることに対して、中国に悪食について中国を悪くいうのでなく。日本の食文化などにつてふり返ってみている。日本も結構むかしは悪食だったし、今も日本には悪食会なるものがあるときく。

日本も元来、悪食なのかもしれない。それは日本に広く仏教が普及し、仏教に三厭五葷(さんえんごくん)がり、三厭に、獣・鳥・魚介を指し動物性のものを指し。五葷は一般的にニンニク・タマネギ・ネギ・ニラ・ラッキョウの5種類を指、また、戒律に不殺生戒がありそれにより三厭は、獣・鳥・魚介を指し動物性のものを指している。もっとも、声は仏教の修行僧に対してのもので、庶民には関係のないものだ。しかし、一般的に江戸時代以前は日本には牛や豚などを飼育する牧畜などはなかった。それにより、肉を手に入れるのは野生の動物になる。
そこで、江戸時代以前は、肉屋で買うのは野生の獣で、鹿、猪、熊が一般的で、他にも、ウサギ、キツネ、タヌキ、オオカミ、などがあり、なかにはイタチやカワウソやサルまで食べてい記録がり、犬も食肉として売られてい記録もある。

では、新型コロナウイルスで話題になっている。コウモリはどうかというと、コウモリも食べていたようで、そうなると当然蛇やカエルなどはしっかりした食用となる。私も中華料理の店でカエルの足を揚げた料理を食べたことがる。私は初めからカエルと思っていたが、一緒に食べあ者は美味しいと言って食べていたが、はじめカエルとは知らずビックリしていた。
江戸時代に人はどう食べていたかというと、猪肉と同様に味噌で炊き込んだりして食べていたようです。いまでも、ジビエ料理が注目されて人気のようです。

徳川綱吉が「生類憐みの令」を出したのは、江戸っ子が肉が好きで、野生の獣や野良犬を捕って食べるのが横行しすぎたからだという説もあるという。(話はそれるが、野良犬と野犬とは違い、野良とは特定に飼い主がおらず地域の人が面倒を見ている犬のことらしい、そのよう野良犬が落語にもでてくる。)
江戸時代は現代の一般的なウシやブタの肉より、猟師が野山でとってきた野性のジビエの方が一般的だったといえる。落語にも「池田の猪買い」という話もあるぐらいだ。明治時代に初期には奈良の鹿も食べられほとんどいなくなっていたという。もともと、日本人の肉食は多様だったのだろう。それが、明治になり近代とともに西洋の牧畜産業が入ってきて、野生の動物を食べるのは野蛮だと、考えるようになっていった。それにより、肉と言えばウシとブタとトリとなってしまった。
しかし、考えようによっては日本の和牛の肉より、ジビエの肉の方がコレステロールも少なくヘルシーだといえ、健康によいだろう。

もともと、人間は狩猟採取生活をしていて、何でも手当たり次第に食べていたようだ。それも、20万年前のホモ・サピエンスは、何でも手当たり次第にではなく、一定にものを食べていたのだろう。しかし、ホモ・サピエンスしだいにその、グループの人数を増やしていき、また、グループの数も増えていき、食べ物を得るためにその食べ物の種類を増やしていき、食べられるものは何でも食べるようになっていったのだろう。
バッタの大量発生で、バッタの個体の生態が変わるという、バッタは単独では一定に決まった植物しか食べない、しかしバッタが異常大量に発生すると、あたりにある植物を手当たり次第に食べ尽くしてしまうのと同じように・・・・。

現代は、牧畜や養鶏などの産業が発達し、昔では考えられないほどの数のウシやブタやニワトリが飼育されて供給されている。それにより野生の動物を狩猟しする必要がないといえる。しかし、逆に牧畜産業などがなく、狩猟で肉を賄うとなると、すでに人間以外の野生動物はネズミやコウモリも含めていなくなっているだろう。見方によってはそれは人間はこの地球にそれほどはびこりすぎていることになる。つまりはっきり言うと、ホモ・サピエンスは、好ましくないものが勢いを得て広がりすぎていることになるのではないだろうか。

バッタのことを考えてみたい、バッタは単体だと、一種類の植物しか食べないが、大量に発生するとその生態は豹変するのです。

ホモ・サピエンスである人間は、「君子は豹変す、小人は面を革(あらた)む」と言う言葉があるが、自分たちのはっきりと誤りを正すだろうか。それとも、現在使われているようないみでの、自分たちの立場を守るためにより凶暴な手段で直面の課題を解決しようとするだろうか。
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横暴が止まらない

安倍政権は、戦後の今までの日本の根幹とな方針を、戦後レジュームからの脱却と言って、自分たちの政権に都合のよいように変えていっている。最近はあまり「戦後レジューム」使わないがその傾向は今もつづいている。
第一次安倍政権では、憲法改正の国民投票法、と教育基本法の改悪などをしている。
第二次政権では、今まで歴代の自民党政権が踏み込んでいなかった、集団的自衛権の憲法解釈の変更や、機密法やテロ等準備罪法などを強硬に押し通してきている。
制度面でも、NHKの会長に、このところ民間企業からの登用が続いている。報道の使命を詳しく理解していない人が会長になり、民間企業の経営手法の方を重視するようになれば、報道の自由が侵害され重大な問題と言える。その前例が籾井元会長だろう。

さらに安倍政権は次なるステップに進もうとしているのだろうか。数年前に、私は「行政府の長」と言うべき所を、「立法府の長」と言い間違ったことがあるが、行政と立法の区別をよく考えていないから言い間違ったのだろう。
今回は、さらに、内閣に任命権があることをよいことに、司法の独立性の重要性を深く考えていこたが明らかになったといえることがおきている。
今回は、東京高等検察庁の定年延長について、昭和56年の衆議院内閣委員会で、「検察官には国家公務員法の定年は適用されない」答弁している。それにより検事長のいままで延長をしてきていないが、その解釈をかえ東京高等検察庁の黒川弘務検事長が、誕生日をむかえた2月8日から8月まで退職延長をしている。

検事長の定年延長は、なぜ好ましくないのか。
アメリカの州などでは、検事は終身で時の政権とは独立が確保され、それにより、時の政権に都合のよい人事が侵害されることがなく、検察の中立性や独立性をが担保されている。アメリカの大統領の任期は最長2期8年だが、これが大統領の任期の制限がなくなると話は変わってくるが。
今回の検事長の退職時期の延長は、検事が時の政権の都合の良い人事になるおそれがあり、どのようなことがあっても、そのような前例をつくることは好ましくない。それは、内閣が独断で検察官の勤務を延長できれば、検察の独立性や中立性が侵害され都合のよいようにされる。政治的な問題があることに対しての、最高裁の判断が侵される危険性がある。これは、三権独立であある、立法と行政と司法の独立を壊すもので、全体主義・独裁政治に一歩踏み出すことになりかねない。

安倍総裁は党規約を改定し、二期から三期にしたが、さらに四期にしよとする声があることも考えると、全体主義・独裁政治は夢どころではないかもしれない。
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AIが神になるか

AIが神になるか

技術的な進歩は、狩猟採取社会は貧富の差はなく平等だったが、農耕社会は仕事の分担を作りだし貧富を作りだし、ヒエラルキーを作りだし、政治が生まれ人々の生活が変わっていった。そしてさらに技術が進化すると、政治の統治の仕方をも変えていった。現代ではAIの技術で、いままで以上の革新が起こり、AIh神の力のようになってしまう恐れがある。

少し前の時代の人が、タイムスリップして現代の進んだごく一般的な文化的なをものを見て、どう思うだろうか。特権階級のごく一部の人の生活だと感じるのではなく、その人たちを神だと感じるのではないだろうか。
江戸時代以前の人が、現代の水道やガスや電気などのインフラを見ると、それは魔法にように見るだろう。ましてやもっと遙か以前の、狩猟採集時代の人は、それを扱う人は神のように見えるかもしれない。
そのような時代に生きている人がもし現代にタイムスリップして、彼らの時代では病気などにかり死んでしまう病気も、現代では入院もしないで完治する病気がいくつもある。それを見てそれを治す人は、医者ではなく神のように見えるのではないだろうか。
その原理や法則などを知らない人や、初めて見る未知のものに対して、偉大なものとして畏れ、敬いもったいなく感じるのではないだろうか。

狩猟採集時代から、農耕社会の時代になてもそれはほぼ同じだろう。いや初期の農耕時代の人は狩猟採集時代の人よりそれをより強く感じるのではないだろうか。農耕時代になるろ、麦や稲を育て家畜を飼育するために、狩猟時代の人より知識の蓄積ができ、自然のなかに自分たちでは物事の筋道がわからないことがあることを体験があり、未知への畏敬あるだろう。

文明が生まれる前の農耕時代では、田畑を耕し、種を蒔き、雑草を刈り、収穫したり、家畜を飼い餌をやり、牛の乳を搾り、鶏の卵を採り、植物から糸を紡ぎ布を織る。柴を刈ったり薪を割ったりし、木の実や肉を焼いて食事をつくった。やがて土器を考えだし、煮炊きをして食事をつくる。これらは、一万数千年前に始まった初期の農耕時代の社会では、数千年つづいたが、その集落の住民はみな関わっり、生活の大半はそれらの活動が占めていた。それが時代が進むとしだいに人々の仕事は、分担され分業化していく。それにより狩猟時代や初期の農耕時代は、それぞれの人がすべてのことを知っていて行なうことができた。しかし仕事の分担により分業化され、在ることはできるが他のことはできない人が出てきた。

日本でも150年程前の農村の人々は、多くのことが自分たちだけでできていたが、近代化が進むにつれ効率化が求められ、分業化が進み作物の生産性は上がったが、自分たちだけでできることが少なくなっていった。
現代と70年程前を比べてみると、田畑を耕すのに人力や馬や牛を使っていたが、いまは耕運機で短時間でできるようになった。収穫も多くの人の共同作業で稲麦を手作業で刈りとり干して乾燥さ脱穀していたのが、いまはコンバインで刈取りから脱穀の最終作業までしてしまう。
いままで、手作業でしていたことが、すべて機会がしてしまう。それによい手作業でどのようにしたらよいかがわからなくなっていく。これがあらゆることで起き出すだろう。
そうすれば、機械は自分たちが知らないことをしてくれるブラックボックスになり、それは神になる。その予兆はすでに始まっている。
私たちは日常生活をするのに、さまざまな便利な機械を使っているが、その使い方を知っているが、その原理をほとんどの人は知らない。また、その機械をつく人や設計した人も、その機械をすべてを知らない。
また、私たちの生活を支えているインフラもどのようなシステム化を詳しくしらない。先にもかいたが昔の人がそれを見ると、神の仕業のように見えるだろう。
私たちは、もっとAI技術が進み便利なものが出現するとそれが当たり前にないり、人間は深く考えにようになるのではないだろうか。
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■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    幽村芳春 (02/19)
    「桜を見る会」の論戦はいったん棚上げにして、今国会ではコロナウィルスなどの防疫問題を論議してほしいと思います。
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    竹林泉水 (02/07)
    コメントありがとうございます。
    五観の偈をとなえて食事をなさっておられるのですか。 頭がさがります。

    企業活動や時の政権も、この「五観の偈」を、政治や商売に置き
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    幽村芳春 (02/03)
    私も必ず「五観の偈」を唱えてから食事をいただいています。実際に唱えると五観の偈の意味がよくわかります。
  • 津久井やまゆり園の裁判
    竹林泉水 (01/15)
    こちらこそ 今年もよろしくお願いします。

    やまゆり園の裁判で、被告が突然暴れ出したとニュースされたとき、詳しいことが報道されなかったので、よく分からなかったです
  • 地球温暖化の問題点
    竹林泉水 (01/15)
    年始葬送のコメントありがとうございます。
    今年もお互いに良い年でありますようねがっています。

    ハイ 温暖化問題の解決の一番は、私は人間活動に足るを知ることだと考
  • 津久井やまゆり園の裁判
    アジシオ次郎 (01/13)
     遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

     さてやまゆり園無差別殺傷事件の被告に対する初公判は、開廷して被告が謝罪したと思いきや突然口に手を突っ込むとい
  • 地球温暖化の問題点
    荒野鷹虎 (01/10)
    温暖化問題は難解ですねー。
    直ぐ原発再稼働に走りがちになりますのでとんだ飛躍ですよねー。
    水力や風力発電はいかがなものでしょうかね。
    恐ろしいことが現実化されてい
  • 日韓関係が戦後最悪
    竹林泉水 (01/05)
    北朝鮮脅威論や韓国敵視政策をとるような国の指導やがいるが、韓流ブームもあるし民間の間では、一部の政治の指導者が選挙の票集めのために嫌韓を煽っても、それは、一部の
  • 伝統食
    竹林泉水 (01/05)
    そうですね、食が便利にないり、曹洞宗の五観の偈のようなことを考えずにいることが多くなっています。
    だから、テレビ番組で、食べ物を笑いものに扱うような番組が制作さ
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