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竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

サンダース候補撤退

アメリカの大統領選の民主党の予備選で、サンダース氏が選挙戦から撤退すると発表した。これにより、バイデン氏は「共にトランプ大統領倒そう」と声明をだし。さらに、「サンダース氏は新たな運動を作り出した。その運動は今も力強いままだ」と述べ、サンダース氏のこれまでの主張や活動を称え、「サンダース氏は撤退するが、今回の選挙が終わったわけではない。われわれは格差の是正や、すべてのアメリカ国民が医療保険に入れること、さらに学生ローンの負担の軽減などに取り組む」と述べ、サンダース氏が掲げていた公約の一部を自らの政策に反映させることを表明した。
一方、トランプ大統領はツイッターに「サンダース氏が撤退だ。ウォーレン氏よ、ありがとう。彼女がいなかったらサンダース氏はスーパーチューズデーでほとんどすべての州で勝っていただろう!「これは民主党や民主党全国委員会が望んだとおりのものだ。サンダース氏の支持者は共和党に来るべきだ。トレードだ!」と投稿し民主党の候補者選びを非肉をこめてからかった。

この二人の違い、知性のあるものと反知性主義的な人の違いがあらわれている。バイデン氏は、対立していたが相手の考えや意見を、寛容な態度で受けとも理解して、そのなかで善いところを自分の政策に包み込もうとすることが見て取れる。
しかし、後者のトランプ大統領は、ありのままの事実を軽視したり無視したりして、自分の望む世界のように理解したりその方向に物事の流れをつくろうとするところが見受けられ。このようなことが、政治の世界で行なわれると政治は劣化して、都合のよいように事実を理解して物事が捻じ曲げられてしまう。
さて、アメリカでは11月の大統領本選挙では、どちらが選ばれるだろうか。しかし、前回の選挙のときもそうだったが、フェーク合戦になってほしくないものです。他の国の選挙でも相手候補を貶める、フェーク合戦に火花が散ることが多く見られる。それがますます加速すと、選挙による代表を選ぶ民主制が崩壊してしまう。

日米の首脳は気心が合うと自ら、首相はいっているが国会でのやり取りなどを見ていると、政治の行い方が似てきているが、どちらがどちらの行いから学んでいるのだろうか。
日本の政治では、以前は与野党の議席が伯仲までいかなくても、野党の議席も多くあり、与党はそれなりに相手の考えも聞き入れていた。しかし、今や一党与党と多数の弱小党になり、野党の意見を聞き入れようとしなくなっている。それは、与党全体が驕り反知性主義的に陥ってしまている。与党のなかにどれだけの人が、このことに気づいているだろうか。
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正直爲心神明所佑

・正直爲心神明所佑
・禍福無門唯人所招
  正直を心と爲せば、神明の佑くる所あり。
  禍福は門無し、唯だ人の招く所なり。
正しく嘘偽りがなく素直に非を認めるていると、天が見守り助けてくれるものだ
禍や幸せには信条や性別や社会的身分や門地によるものではない、唯だこれ人の行いから来るものだ

むかしから「正直者には福が来たる」や「正直の頭に神宿る」の言葉があり、誠実な心をもって正直に生きると天はそれを知っているので、必ずそのご加護がある。正直は大切さだと教え諭されてきている。
正直とは自分の行いに責任を持つということで誠実だということとすると。それは、自分の行ったことに非があればそれを、素直に認めるるこがです。また、嘘をついたり偽りをしたらなら、素直に認めることにが大切でしょう。
それを国政に当てはめてみると、天帝や天地神明とは国民のことで、正直誠実であれば国民からの信頼が得られると私は考える。それには、政治の説明責任や政治家の日頃の言動についての風通しのよい責任を明らかにすることは重要ではないだろうか。会議の議事録を作らなかったり、説明をハグラカシたりしていると、そのうち必ずその化けの皮が剥がれ、本性をさらすことになるだろう。すでに本性があらわれているのになぜ、いまの政権が持ちこたえているのか。
禍福に門地がないように、政治を担う人はその日頃の品行が大切なはずです。三代目のボンは政治家の名家かも知れないが、だれをファーストにするかを誤っていたなら、これからどのような社会になっていくのだろうか。
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「ミリンダ王の問い(那先比丘経)」

「ミリンダ王の問い(那先比丘経)」というのがある。
ギリシャの王とインドの仏僧ナーガセーナ長老との対話です。
そのとき、仏僧のナーガセーナ長老が、対論を始める前に述べたことばは、次のようなものから始まる。

ナーガセーナ長老がミリンダ王に答える。
「大王さま、もしあなたが〈賢者の論〉をもって対論なさるなら、わたくしはあなたと対論しましょう。けれども〈王者の論〉をもって対論なされるなら、わたくしはあなたと対論はしません」
ギリシャの王が、この二つのどこが違うのかと問と。
長老は「王様。賢者の対論においては解明がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるが、賢者はそれによって、怒ることがありません。賢者の対論は実にこのような仕方によって対論をするのです。王様。しかし、王の対論の多くは王がひとつのことのみ主張する。もしも王のことばにに従わない者があるなら、『この者に罰を加えよ』、といってその者に対する処罰を命令する。実にもろもろの王様はこのように対論する、これを王者の対論といいます」
そこでミリンダ王は明言する。
「長老様。わたしは賢者の論をもって対論しましょう。王者の論をもって対論をしません。尊者は安心し、うちとけて対論しましょう。たとえば尊者が比丘(修行僧)、あるいは沙弥(見習いの小僧)、あるいは在俗信者、あるいは園丁と対論するように、安心してうちとけて対論しましょう。恐れ怖がることは無用です」

これは、人と討論するときや、哲学的な対談や鼎談や会談をするときには、重要な必須事項です。
自分の考えと対立するとき、その考えに対して反対の考えを述べるのはよいが、反対の考えを否定したりしてはいけない。自由に話すことが需要です。それには、反対の考えに対して寛容な態度ないといけない。
こどもの哲学的対話必要性を展開してる、東京大学の梶谷信司教授は、次のようなルールが必要だと指摘している。(1)何を言ってもいい。
(2)人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
(3)発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
(4)お互いに問いかけるようにする。
(5)知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
(6)話がまとまらなくてもいい。
(7)意見が変わってもいい。
(8)分からなくなってもいい。

相手の考えを否定したり押し込めたりするのでは、討論や対論は成立しない。思想上や考えの討論や対談、鼎談や会談などをするとき、権力や権威を持っている側が、圧力をかけっるようなことがあると、まともな議論が成立がしなくり、思想上の正当な理解と発展をさまたげてしまう。
ここで重要になってくるのは、ただ聞いているだけでもいいで、自分の頭で自由に考えることだう。それがあって初めて自由に発言をすることができる。また、論理的に辻褄が合っているかいないかであり、意見を変えてもよいという点にある。それによい論理の幅がでてくるという。

しかし、日本ではこの梶谷のいう8つのルールは、なかなか定着せず行なわれない、逆に空気を読んで自分の意見を封印してしまたり、他人の意見を封じ込めてしまう。このことは、一般の社会や世間だけでなく、会議などの場でもそのようなことがある。さらに国政の国会や政党の中での会議などでもあるようだ。それでは本当の民主主義にならないだろう。
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緊急事態宣言を出す法的根拠

緊急事態宣言を出す根拠は、特措法だがその正式名称は、新型インフルエンザ等対策特別措置法
この法律では、都市封鎖などはできない。感染防止のため外出の自粛の要請に留まると読み解ける。
もともとこの法律では、新型コロナウイルスでは適用できなかったが、急遽今国会で新型コロナウイルスも付け加えられ、ほとんどの与野党の賛成で可決成立している。

感染症法の正式名称は、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律
ことらは一定の箇所の消毒のため封鎖が72時間に限ってできる。延長ができないのが通常の読みかた。
感染者の強制隔離もでき、こちらは隔離の延長がでる。どちらも違反者には罰則規定がある。
どの感染症がこの法律に適用するかは政令できめられる。政令では新型コロナウイルスについては指定されていなかった。
感染症の分類は1類型から5類型まであり、1類型はペストやエボラ出血熱など感染するとほとんどが死にいたるもの。
2類型は鳥インフルエンザ(H5N1・H7N9)やジフテリアなど、3類型はコレラや細菌赤痢や腸チフスなど、4類型はA型肝炎やE型型肝炎やH5N1・H7N9型をのぞく鳥インフルエンザなど、5類型は梅毒や破傷風やウイルス性肝炎(E型・A型を除く)などです。
新型コロナウイルスは指定されていなかったので、閣議決定でしかも持ち回り閣議で1類型に急遽指定された。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=424AC0000000031


https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=79998826&dataType=0&pageNo=1
感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律


ニュース専門ネット局 ビデオニュース・ドットコム

政府が密かに手に入れていたロックダウン権限を検証する
ニュース・コメンタリー (2020年3月31日)


日頃オープンな議論ができない政権には非常時の強権発動を委ねられない
山尾志桜里氏(衆院議員)
(2020年3月31日)


強制力を伴う権限を得たければ特措法を改正すべきー感染症法の準用でロックダウンに踏み切るなら政府は説明を尽くせ
後藤祐一氏(衆院議員)
インタビューズ(2020年3月31日)


法律の条文をねじ曲げて適用すれば乱用の危険性が高まる
木村草太氏(首都大学東京法学部教授)
インタビューズ(2020年3月31日)


中国から早く入国制限すべきだった
石破茂元幹事長が政府の新型コロナ対応を批判
プレスクラブ(2020年3月30日)


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IWJ Independent Web Journal 岩上安身
安倍首相は総理記者会見で岩上安身質問!「報道、言論の自由は担保されるのか?」「非常事態宣言」と改憲の「緊急事態条項を導入」を質問。
緊急事態宣言は報道の自由は保障されると明言。特措法の緊急事態宣言と憲法の緊急事態条項とは別物で、憲法改正は国民投票により国民が選ぶこと答える

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正直之言倒心逆耳

・諂辭之語多悦會情
・正直之言倒心逆耳
  諂辭の語は、悦び多く情に會ふ。
  正直の言は、心に倒らひ耳に逆らふ。
媚び諂いは耳に心地よく 嬉しく受け入れやすいものだ
嘘や偽りのない諫言や箴言は、耳障りが悪く心にも痛い

トップに立つ者は、この言葉をよく噛みしめて銘じておくべきだ。政治を行なうとときそのリーダーは、ブレーンとしてどのような人を置くことが適材適所なのかを考えてすべきだ。
リーダーが自分の考えを実現させる事のみを重視し力点を置くいて、大臣の組閣をするとリーダーに侍る人ばかりになり、もの言わぬ人になる恐れがでてくる。
そうなると、気に入られるように機嫌をとったり、気を引くためひっつきむしのように離れようとしなくなる。だからだといって。近寄ってささやいてくるそれらの言葉に気持ちがよくなり、喜んで得意の絶頂点になり、他の意見などをかえりみなくなってはいけない。
箴言・諫言は鑑戒であり、行動・判断・評価のよりどころとなる規準などを教え戒めるものです。そのため耳に痛く心に突き刺さるものが多い。しかし、だからと言ってそれらの言葉に耳を塞ぎ、それらの言葉を聞き受け入れることを拒むことはすべきでない。逆に、それらを心に突き刺さる矢とし、心の策として自分の勤行の糧としてこれからの行いに役立てるべきだ。
しかし、自分に向けられる諫言・箴言と理解できなければ。また馬耳東風な頭の悪い人が、王や国のリーダーになれば、王や
国のリーダーは能転気でいいが、国民にとっては直接生活にかかわってくるので不幸にないる。やはり、リーダーとなる人は諂辭を退け、倒心逆耳な言葉をこそよく聞き、そのような人を大切にすべきだ。
アメリカでも日本でも、リーダーがお友だち人事をしてしまっているので、これから日本は世界はどうなるのだろう。
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君賢臣忠易以至豐

・種好田良易以得穀
・君賢臣忠易以至豐
  種好く田良きは、以て穀を得易し。
  君賢に臣忠なるは、以て豐に至り易し。
種子がよく田をよく耕せば、よく育ち穀物がたくさんとれる。
君主が賢明で、家臣が忠義を尽くせば、国は栄え豊かになる

家庭菜園で自家増殖して野菜を育てる場合、普通な葉ものの野菜なら花の薹ができて来る前に収穫し、実物などでも成熟させないで収穫するが、種を採るために花を咲かせ実を熟させ種をとる。また、種を採るためには苗一つを種を採るために育てます。実物なら普通は実がなり出したらどんどん収穫するが。種を採るためには花が咲きだしたら、いくつも花を咲かせないで幾つかだけ花を咲かせ、一つの株が良質な実がなるように、株の体力を付けれるようにする。そして種を収穫する実も大きく形のよい物から種を採るようにする。これが種好のコツだと考えている。私は農家ではないので間違っているかもしれないが、優良な種をつくるコツではないだろうか。
また、野菜をそだてるには良質な土づくりが必要です。耕耘してフカフカで水はけがよく水持ちがよい土をつくり、肥料もそだてる野菜に適した肥料をつくります。そうすると実がよく育ち実が大きくなり実が多くとれるようになる。
それと同じように、国の政治にも同じことが言えるます。王制君主制の場合は、その王位は世襲だから、王の跡継ぎの子が生まれたときから、帝王学をまなばせる。横暴な暴政は悪く民を重んじ豊かになるように教え、品行もないが善いか悪いかを教えていきます。そのため王が直接子を養育するのではなく、第三者が国の将来のために王の継承者に育つように教育していく。
民主主義の世界では、政治家を育てるのは、国民であり、また国民の知る権利を保障し護するてめに、国で政治はどのようにおこなわれているかを情報として知らせるジャーナリズムが必要です。
王制でも選挙の代表民主主義制でも、家臣や官僚がしっかりしえ入れば、多少国のトップの頭が悪くても、間違いを指摘し諌めて政治は正しく行なわれていく。しかし、いくら官僚や閣僚が諌め指摘してもトップが聞く耳をもたなければ、それどころか諌める臣下を更迭したり粛清したり叱責するなら、官僚や閣僚はもの言わぬ人になり、王は裸の王様になり国は傾いてくだろう。
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鳥毛帖成文書屏風の六扇の文言

書聖と言われる王羲之が君子の鑑戒としてのこした文言を、聖武天皇は座右の銘として屏風に仕立ていつも傍らに置いていた。それが正倉院の宝物とのこされている。
聖武天皇は国民の安寧を祈願し、東大寺の建立をした。明仁上皇や今の天皇には同じような気持ちがあるだろうが。今の政権を担っている政治家にはどれほどのその気持ちがあるだろうか。

正倉院の宝物の鳥毛帖成文書屏風の六扇の文言は次のようなものです。

・種好田良易以得穀
・君賢臣忠易以至豐
  種好く田良きは、以て穀を得易し。
  君賢に臣忠なるは、以て豐に至り易し。
種子がよく田をよく耕せば、よく育ち穀物がたくさんとれる。
君主が賢明で、家臣が忠義を尽くせば、国は栄え豊かになる

・諂辭之語多悦會情
・正直之言倒心逆耳
  諂辭の語は、悦び多く情に會ふ。
  正直の言は、心に倒らひ耳に逆らふ。
媚び諂いは耳に心地よく 嬉しく受け入れやすいものだ
嘘や偽りのない諫言や箴言は、耳障りが悪く心にも痛い

・正直爲心神明所佑
・禍福無門唯人所招
  正直を心と爲せば、神明の佑くる所あり。
  禍福は門無し、唯だ人の招く所なり。
正しく嘘偽りがなく素直に非を認めるていると、天が見守り助けてくれるものだ
禍や幸せには信条や性別や社会的身分や門地によるものではない、唯だこれ人の行いから来るものだ

・父母不愛不孝之子
・明君不愛不益之臣
  父母は不孝の子を愛さず。
  明君は不益の臣を愛さず。
父母は親孝行をしない子を愛さず
賢明ですぐれた君主は不益の家臣を受け容れず重用しない

・清貧長樂濁富恒憂
・孝當竭力忠則盡命
  清貧は長く樂しみ、濁富は恒に憂ふ。
  孝當さに力を竭すべく、忠則ち命を盡す。
貧しくとも清い生活は長く楽しめるが、富があると汚れて得て思い煩うことになる
孝に従うよう尽くし切ること、真心もって君主に仕え尽くす

・君臣不信國政不安
・父母不信家閨不睦
  君臣信ぜざれば、國政安からず。
  父母信ぜざれば、家閨睦まじからず。
君子と臣下において信頼関係がなければ、国の政治は安定しない
両親が不仲なら家庭の円満はなく子供は非行にはしる

この、聖武天皇が枕元に飾っていた六扇の屏風の文言は、いまの政治家が鑑戒として心得ておくべきことだと思うが、いまの政権の中枢者はこの言葉を知っているようにはとても見えないです。そうなればいずれ国は傾き取り返しのつかないことになりそうです。
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オリンピックの1年延期 と万博

オリンピックが正式に丸一年延期になったことが公表された。これにより、世界大会などが重なるスポーツ大会などはどのようになるのだろうか。夏の暑さ対策でマラソンが札幌で競技されることになったいたが、どうせ延期されるなら1年と3か月ほど伸ばし10月開催にできなかったのだろうか。なんだかへんだな?

これらも一年延期されるのだろうか。また次のオリンピックや他世界大会はどうなるのだろうか。
東京オリンピックの次のオリンピックは何年に開かれるのだろうか。

そのようなことを思っていたら、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開かれる、ドバイ万博が1年延期さえること方針になり、博覧会国際事務局(BIE)の総会で正式に延期が決められることになるようです。
こちらはスポーツのイベントのように重なっても構わないだろうから。万博の延期の決定は迅速になされるだろう。

それとも、ドバイ万博の国際博覧会以降の万博はどうなるのだろうか。次のオリンピックは何年後に開くかまだ決まっていないようだがどうなるのだろうか。

ビエンナーレのように一年おきの隔年に開かれたり、トリエンナーレのように3年ごとの鼎年に開かれたり、オリンピックのように4年に一回のクヮドリエンナーレのように、四年ごとに開かれるなら、大阪万博も1年先送りされるのだろうか。
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これからの資本主義の在り方01

会社が儲けるために商品を作りうるのであるが、よりよく商品が売られるために、食品会社では人間に害のある食べ物が作られ売られていることがある。毒ははいていないが、食べ物の味が美味しくするために、健康によくない添加物を加えられている。また、美味しい食べ物には毒があるいうが、味を美味しくするため、必要以上に甘くしたり、脂っこくしたり、塩辛くした味付けをしている。それにより、人は美味しいものに憧れて食べすぎてしまったりする。それにより現代の生活習慣成人病が多くなっている。食品会社が食べ物に必要以上に味付けをするのあは、善だろうか悪だろうか。
会社としては、作った食品の味を魅力的にして、作った食べものがよく売れることは、株主への配当を増やすことができている。それにより、株主は株の配当が増えれば、商品に健康の害がある食べものが売られていうても文句は言わない。
株主中心資本主義に会社では、それにより、どんどん美味しが味の濃い添加物が沢山添加されている食品を作ってしまう。それを考えると、会社に倫理観と社会的貢献度と言う考えが必要で、株主資本主義ではなく本来に資本主義さらには倫理資本主義というかステークホルダ資本主義という三方いや四方よし資本主義というか、近江商人に三方よしとう「売り手よし、買い手よし、世間よし」がこの「世間よし」が必要とされるのではないだろうか。これに使用人が入り四方になり、株式会社ならさらに株主が加わり五方よしとなるだろう。
そしてその優先順位となると、買い手よし、使用人よし、世間よし、売り手よし、株主よしの順がよいだろうか??。

食品会社は美味しい味にするために、さまざまな添加物を食べ物に添加して、食品をつくるのは、本当の買い手よしだろか。
食品会社は添加物を添加した美味しい食べ物を売ることにより、食品加工会社は利益を上げ、株主はその利益から配当を得ている。食品に添加物を加えるのをやめ、美味しさが減れば食品の売り上げがさがり、株の配当が少なくなるかもしれない、それに対して株主はどのように考えるかです。
しかし、ここに健康という社会貢献を重要視しなければならないだろう。さらに考えなければならないのは、食品の添加物の国の食品安全基準は、食品会社のロビイスト活動に左右されるのではなく、消費者の健康安全に視点を置いて安全基準は決められるべきでしょう。
また、イギリスでは食品に必要以上の砂糖を規制するために、砂糖税の導入が議論されているよだが、そのように糖分や塩分や脂肪分などへの規制なども、いまの食べ物への貪りの欲望があるなら考えるべきかもしれない。

これは、食品会社だけのことでなく、すべての企業会社に言えることだろう。
そこで次のことがこれからとくに、重要だと考える。
・会社は税金を払うことは重要な社会的貢献をはたすことになるということを、会社の経営者や政治家はよく知っておかなければならない。
・従業員の賃金や経営陣の賃金やCEOの報酬や株への主配当との関係はどうあるべきか見直すべきだろう。
・会社の定款である会社の目的・組織・活動・構成員・業務執行などについての基本規約・基本規則の説明を公表しその責任をはたし守ることが必要だろう。

応能負担を見直し企業への大きな減税をし、応分負担・自己責任だと消費税を上げていくの如何かと考える。企業はただ商品を売ることだけではなく、社会貢献をしなければならない。その社会貢献の仕方には、企業が独自に起こす事業と、税金を国に納めることにより、社会福祉の充実に当てたり社会インフラに充てたりして、企業の社会貢献が果たされるのです。
1980年代に、レーガン、サッチャー、中曽根という保守・右派政権が新自由主義を押し進め、小さな政府と自己責任のよのなかにになり、今日にいたっているがその綻びが拡大してきている。

これら、グローバル化した世界をどう再生させていくかが、これからの課題だろう。
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AI時代の都市封鎖

いま新型コロナウイルスの拡散を防ぐために、都市が封鎖されたり、学校が休校になったり、会社などは、通勤をしての仕事ではなく、自宅での在宅勤務をすることなどが求められている。それより多くの人が、隔離状態を強いられている状態で、しだいに人々の精神的負担もましてきているようです。
それによる問題点はなにだろうか。仕事についてみれば、ディスクワークなどは、インターネットなどを使っての、在宅勤務ができる環境がある会社はいいが、中小零細企業など、インターネットやパソコン通信などでの、安全なシステムがない会社は、在宅勤務などの仕事ができない状態も多くある。その人たちは出勤しての仕事することしかなくなる。
私の小さいころの住んでいた町はそうでなかったが、地方の田舎にいけば地産地消のところがあり、鍬や鋤などの修繕は自分でしたり、技術がいるものは村の鍛冶屋で直してもらったりしていた。もちろん食べ物は自分で作ったものを食べていた。もちろん近くの商店や街にでて品物を買ってはいます。しかし地産地消の姿が数多く残っていました。だが、いまは都会も田舎もそのような痕跡はほとんどなくなっている。
それと同じように、この新型コロナウイルスにより、人の移動が制限され仕事が在宅勤務が奨励され、会社に出勤して仕事をするあり方が、今後この新型コロナウイルスの感染拡大により変わってくるかもしれない。社会全体の姿が代わるかもしれない。過去の病原菌の時代はAI技術がなくその時とは違うだろう。また経済システムや政治制度にも影響が受けるおそれがる。
経済制度は資本主義からグローバル株主資本主義、自由主義から新自由主義になっている。それがより貧富の格差を拡大する方向に進むのか、その揺り戻しの方向に進むのだろうか。
政治制度や統治制度も、大きな政府からいま小さな政府へと進んでいるし、それが、この新型コロナウイルスにより、貧困者弱者の救済が必要になり、社会保障と富の再分担の充実の方向へと進むだろうか。
また、いま国や行政機関が市民の管理を巧妙にするようになってきているが、この新型コロナウイルスにより、人の移動を制限し管理するようになり、それが一時的なものでなくシステムとして組み込まれる恐れもある。40年ほど前ならスマートフォンもインターネットもなく、マイナンバー制度もなく、電車などの定期券や運転免許所にICチップが埋め込まれていなかた。いま、すべてのものにICチップが埋め込まれ、それがインターネットに繋がれ人々の動向が判るようになってきている。今後、行政機関などは新型コロナウイルス拡大防止のために、今後どこまで人の市民の動きを制限管理するだろうか。またそれをいつまで続けるのか、いや一度動き出したシステムを止めることができるだろうか。
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五欲の味の欲について

仏教で修行を乱すものとして、「五欲は得れど厭くことなしとして、遠ざけべきもの」としている。
この五欲とは、色・声・香・色・触をさしている。
そのなかでも味は、酒肉・珍肴・肥腴・津膩・甘甜・酸辣・酥油・鮮血等なりと指摘している。
一つ目の、酒肉とはもじどおり、酒と肉のことです。酒池肉林のなどはもってのほかです。酒は百薬の長と言うがもってのほかで、この二つ過ぎれば百害にあまりあるものになる。
二つ目の珍肴(ちんきょう)とは、珍しくて美味い御馳走のことです。珍味佳肴といってこれももってのほかです。
珍未とか悪食とかいって、変わったものを食べるのはどうかとおもう。中華料理にツバメの巣のスープやカエルやヘビなどの料理がるが、それに飽き足らずもっと変わったものを食べたり。アヒルに餌をあたえつづけ肝臓を肥大せ肝臓病になったアヒルの肝臓を食べるフォアグラ料理がある。いろいろ珍未を追い求めるが、カエルやヘビは私たちホモサピエンスの永い歴史では、ホモサピエンスが誕生した黎明期では、食べられるものは何でも食べていただろう。しかし、フォアグラや霜降り和牛など、半分アヒルやウシを生活習慣病にさせて食べるのはいかがかと思う。
三つ目の肥腴(ひそう)とは、ジューシーな脂の乗った肉のこと。
・津膩(しんじ)とは、こってりした脂のこと。
・甘甜(かんかん)は、甘い旨味のこと。
・酸辣(さんしん)は、酸っぱい辛いもののこと。
・酥油(そゆ)は、ウシやヒツジの乳で作った飲やバターやチーズなど
・鮮血は、生血を味わおうとすること。
これらは、美食家はみな美味しいと追い求めているが、よく考えれば毒のようなものです。脂っこいものを好んで食べていれば肥満になり、塩辛いものを好んで食べていれば高血圧になり、甘いものを好んで食べていれば糖尿病になり。健康を害するものです。しかし、私たち人間は昔からこれらを美味として追い求めている。
また、スッポンやコイなどの動物の生き血を呑むなどはもってのほかです。新型コロナウイルスは、コウモリが媒体しているといわれているように、動物の鮮血などはもってのほかです。
味を貪り追い求めるのは、煮えてたぎる蜜湯を飲むと舌は焼けただれ、刃に蜜を塗って舐めるようなもので舌を切ってしまう。

しかし、私たち現代人は美味しさを追い求めている。この美味しさを追い求めることは悪いことでなく、生活を豊かにするもので大切なものです。季節の旬を頂き満足する、調理法にも道元あらわした精進料理の料理僧の教本である「典座教訓」にあるよに、料理は粗末な食材だからといって、いい加減な料理をしてはだめで、どんな食材も生かしきって、真心をもって調理すべきだとしている。そして、修行僧が美味しく食べてもらうことが、修行をなし終えるのに大切だとしている。
道元は、三徳を心得て料理するといっている。三徳とは軽軟(軽い味で柔らかい)、浄潔(食物も食器も清潔で安全である)、如作法(献立や料理方法や盛付けや食べる人への心遣い)そして、おいしさの本質・五味(甘味、酸味、塩味、苦味、旨味)の調味料、五色(黒[紫]、緑、黄、赤、白)のいろどり、五法(生物、煮物、焼物、蒸し物、揚げ物)の調理法が大切だといっている。
美味しいものでも過ぎてバランスを欠いて、脂っこいものや塩辛いものや甘いものばかり食べていたら、生活習慣病になってしまう。しかし、この生活習慣病という名の付け方も非常に面白いというか変です。
正しい良い生活の食習慣が身に付いていれば患わないものです。悪生活習慣病とすればいいかもしれない。
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民主主義の敵

民主主義と言う制度は、最善の制度だろうか、チャーチル首相は、第二次世界大戦後の議会が割れ、決議に紛糾したとき、記者からの質問に次のように答えた「民主主義は最悪の制度だ、今までの制度を除いてだが」。
プーチンはロシアの今の政治制度は優れている、アメリカは民主主義ものごとを決めるので、時間がかかるがロシアは決められる政治だ、との趣旨のことを述べていた。
決められる政治の独走はよいのだろうか。いま、日本も含めて世界の多くの国では、代議員制民主主義です。国民から選挙で選ばれた代議員が、議会で国民の代表者として議案を審議し議論を戦わせてものごとを決めていきます。それには意見の違いの一致点を見つけるため時間がかかります。それがチャーチルが言った、「最悪の制度」と表現したしかし、その後の「今までの制度を除いてだが」につなげ、議論して時間が書かがその時間がかかるのが大切だと指摘している。
「これしかないと」と言って、丁寧な説明責任を果たさずに法案を強引に可決していく政党が、いつまでも政権を握っているどこかの国の市民は、この民主主義とは何かを自覚して考えないといけない。

民主主義を壊す敵はだれなのか、それは民主主義の的は外側にいるのか、それとも本当の敵は内側にいるのか。民主主義を壊すのは、兇悪な独裁者か善得な政治家か、また善良な市民か良識的な市民か、知性的な市民か、惑わされやすい市民か。私は、いずれもすべてが民主主義を壊す人になりかねないと考える。

兇悪な独裁者や全体主義的の考えを持っている政治家が、民主主義を壊すとは私は思わない。彼等には本来そのような力を民主主義の世の中では持っていない。彼らにその力をあたえるのは市民です。踊らされた市民といってもよい、自ら進んで踊る市民が多くなれば、暴君が民主主義の世の中で生まれる土壌が醸し出されていく。
ワイマール憲法下のドイツで、ナチスひきいるヒットラが政権をにぎった。日本でも普通のおばちゃん主婦が国防婦人会の運動の推進者なり、我が子を天皇陛下のため、国のためと戦地に送り出していた。それにより、あの悲惨な戦争の結末の一つの要因にもなった。そのように、世の中の空気に流され踊らされての可能性は誰でもあることを、知って気を付けなくはならない。特に日本人は「空気」というものまた、社会ではなく「世間」というものを重視して気にして生活している。


これは、他の国でも多かれ少なかれこの、「空気」というものに流されてしまうところがある。アメリカでもベトナム戦争は共産主義から自由世界を守るためだとして、正義の戦争として始められ多くのアメリカ国民の血がながされていた。

しかし次第にベトナムで行なわれている戦争の実態が知られるようになると、自国がしている戦争が捏造と不正の戦争に気が付き、自国を愛する人たちにより反戦運動が盛り上がり、ベトナム戦争からの撤退になっていった。
これは、アメリカ国民の多くが個人としての考えを持ち行動したから、国の戦争への暴走を止めることがが出来たのだといえる。それは、アメリカの建国の理念が自由と個人の尊重でもあり、アメリカ独立宣言や憲法ににもその重要性が明記され、アメリカ国民はそれを大切にし、その規範により生きていくよう教育されているからだろう。

日本国憲法にも、個人としての自覚を持ち行動することの大切さが書かれている。
憲法前文には。
 前略
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 中略
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」
また、第十三条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
とある。

このように、書かれているが、日本では世間の空気を読むや、組織のなかには上意下達の傾向があり、上からの文書や仲介者を介して行なわれるので、上位者の至高性・秘密性ができてしまい、盲目的に服従してしまう傾向が強い。その上、日本はボトムアップの土壌が育ちにくいようだ、政府が広くパブリックコメントを応募しても、その意見は少なくその前部が公開されないこともある。また政府が第三者の有識者会議を設置しても、その有識者を意選ぶ人が当事者であったりする。
これでは、個々の意見が百家争鳴や百花繚乱のようにでて議論がつくされることは望めなくなる。
しかも、アジア太平洋戦争ころの国家神道の下での国家主義的な社会制度の世間のなかで、封じ込まれえた個人は戦後にできた新憲法により解放された。しかし、それから75年たち長い不況で市民は疲弊したことにより、別の救済を求めてまた祖先帰りしてきているようだ。このままではまた日本の民主主義は封じ込まれてしまう。
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これからの経済発展を考えるうえで

歴史をどのような視点で捉えるか、経済的な観点から見るのか、政治的制度の観点から見るのか、文化的な観点から歴史をみるのか、いろいろな方法がある。

おおむね経済的観点から歴史を見て、それにより政治的制度も捉えるのが一般的といえる。
経済的観点からの歴史認識にもいろいろある。
19世紀の経済学者フリードリッヒ・リストは、原始的未開状態、牧畜状態、農業状態、農工業状態、農工商業状態の発展段階として捉えた。
カール・マルクスは、原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会→(社会主義社会、共産主義への移行期(著者追加)ソ連や共産中国)→共産主義社会を提唱した。
アメリカの経済学者、ウォルト・ロストウは、全ての社会は、伝統的社会、自立成長への離陸の準備段階、離陸、成熟への過程、大量消費社会の5つのいずれかの段階があると提唱した。
ほかにも、ドイツの経済学者のビュッヒャーは、封鎖的家内経済,都市経済,国民経済の3段階を設定する経済発展段階説を唱えている。

おおむねどれも経済の発展段階を捕えているが、社会がグローバル化し広域化が進んだ現代では、様々の問題を捉えてそれを考えることはできず、解決の方策を見いだすことはできない。
マルクスの提唱した、共産主義社会への実験は失敗に終わっている。ソ連は崩壊し、中国は修正主義的考えを共産主義社会に反しているとして、それを押さえこむため文化大革命の権力闘争が起こったが、鄧小平により市場経済社会に舵を切った。しかし、現在は政治体制が共産党独裁による全体主義的体制になっている。また、資本主義経済より貪欲に利潤を追い求める市場開放経済になってしまっている。
アメリカや日本を始めヨーロッパでは、新自由主義とグローバル経済の資本主義が席捲している。
それにより、経済格差は深刻な問題になってり、古代奴隷制社会や封建社会以上の貧富の格差が広がっていき、そのため人権的な格差が顕わにあらわれているといえる。
この格差をこのままにして、経済の発展と科学技術が発展していくと、その恩恵はごく一部の裕福な富裕層が独占し、他の大部分の人は貧困と役立たずな人あるいは人間と見られるようになっていく恐れがある。いまの、新自由主義の欲望の株主資本主義は、大富裕と極貧の経済格差を産みだし、それにより、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが、「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」で、テクノロジーの進化は、その恩恵を受ける一部の人と、多くの役立たずの人間を産みだすことになるのだろうか。
そのような、悪魔的な社会がやってこないように、テクノロジーの進化がこの地球上に住むすべての人にその恩恵が行き渡るようにするには、いま私たちは何をどの様に考え、どの様に取り組むべきなのだろうか。

これから、自由主義と新自由主義、資本主義と欲望の株主資本主義、そして倫理的自由主義と倫理的資本主義とはどんなものかを考えてみたい。
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二酸化炭素濃度が過去最高に

国内の二酸化炭素濃度が去年一年間の平均が観測史上最高になった。
日本の国内工場の多くが海外に移転しているんか、1960年代1970年代に比べて日本の工業地帯の空は綺麗になっているが、国内のすべての観測地点で、観測数値が史上最高になっているという。
このことは何を意味しているのか、世界全体の二酸化炭素濃度が高くなっていることを意味しているのだろう。

また、そのことは、世界の工場といわれている中国などに、日本のまた先進国の多くの企業が、工業製品の製造が新興国や発展途上国に移転し、そのため、先進国の空は青く綺麗になっているが、工場の移転先の地域の空はスモッグが漂うになっていうることだろう。
その一つの証として、COVID19(新型コロナウイルス)により、中国の武漢が街全体が封鎖され、経済活動も停止された、それにより普段は、スモッグで青空も見えないじょうたいだったが、青空が戻っているという。
先進国で、工業製品を使い、豊かな便利な生活ができるのは、先進国が新興国や途上国に工場を移転したからということを、考えてみる必要があるだろう。

日本の二酸化炭素濃度は、気象庁が昭和62年に大船渡市で観測を始めて以降、毎年過去最高を更新し続けているという。そのことについて、日本の気象庁は「二酸化炭素は過去に例のない濃度に達している。対策をしなければ地球温暖化がさらに進むおそれがあり、削減の取り組みを進めていく必要がある」と話しているとNHKは報じています。

温室効果ガス排出について、自分の住んでいる地域や国は青空があるからと安心はできないだろう。また、自分や自分の住んでいる国の空には、青空があるからその責任はないと考えるのも間違っている。自分たちの生活の仕方を全面的に見直すべきと言える。わたしはあと10年か永くて20年の寿命だが、いまの若い人たちは、2050年いや子供たちは22世紀も生きているだろう。そのことを考えるといまの若い人たちのために、自分たちの価値観や生活の仕方を見直すべきだろう。今の新自由主義や欲望の株主資本主義ではなっく、倫理自由主義や倫理知足資本主義に転換すべきだとおもう。

いま、倫理自由主義と倫理知足資本主義と書いたが、この文書を書きながら私が、作った造語だがこのことについて、考えて行きたく思う。
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自律型ロボット兵器

遠隔操作の無人兵器は、遠隔操作の無線を妨害されたり、乗っ取られたりするおそれがあるので、自律型の軍事兵器の開発ができないかとの話があると聞く。
現在いたずらドローンを停止させたり確保するために、ドローンを停止させている映像をニュースで見たことがある。それは実験映像が実際の映像かはしらないが、ドローンの乗っ取りはできるようだ。
となると、自律型の無人兵器は乗っ取られる心配がないので有効のように思うが。
敵を攻撃し敵を殺すことを、機械にまかせてよいものだろうか。倫理的な判断をロボットやAIにまかせてよいのだろうか。

アメリカのSFTV映画の、スタートレックのヴォイジャーのエピソードの29話「ユニット3947」では、2国間(2つの星)が戦争しているが、お互いに戦っているのは完全自律型のロボットで、自分を攻撃するものを敵として抹殺するようにプログラムされている。2国は和平協定を締結して戦争は終わるはずだった。和平協定が締結されたので、両国はロボットを停止しようとするが、自分を攻撃するものを敵とプログラムされているので、ロボットはお互いの自国の人間を抹殺してしまう。このような話です。

アンドロイドのロボットは人間を越えるか、優秀なものは自分より劣ったものの価値を受け入れるだろうか。スタートレックの最初のシリーズ宇宙大作戦に「宇宙の帝王」登場するカーンは、人間の知能と体力を遺伝子操作で強化された優生人類だった。やがて優生人類は人間を劣ったものとして、地球を牛耳り地球を支配しよとする。優秀な者はたいがい自分より劣った者を価値のないものとして、支配するか抹殺するかをしようとする恐れがある。
人工知能の自律型学習型AIは、人間の脳を越えられるだろうか、計算能力などは機械であるAIの方が遥かに正確で早いです。また判断力も速く正確でしょうし、作業も速く正確です。
しかし、AIには人間にはあるが、AIにはないものがある。それは、道徳心や倫理観と感情です。簡単な人を殺すななどの道徳や倫理をプログラムできても、広汎な道徳や倫理のアルゴリズムは作れないだろう。ましてや感情などのアルゴリズムなどは不可能だし、倫理サブルーチンなども不可能だろう。無理に人間に近づけて作ろうとすれば、「宇宙の帝王」のカーンのようになるだろう。

現在、人の身体に機械を埋め込むことがされている。人工心臓や歯や関節のインプラントが同様に、脳にICチップを少しづつ置き換えていき、サイボーグを作れると考えている科学者もいるよだ。わたしはそのようなことは不可能だと考えるが。

そのような考えは、フランケンシュタイン博士と同じ考えだ、フランケンシュタイン博士の作った人造人間は怪物とよばれるが、怪物は実は博識で心やさしい人間だが、自分を産みだした博士は自分を見捨てたため、どこまでも復讐のために追いかけることになる。それらのことを思うと、自律型の人工知能をつくることは、パンドラの箱を開けることになるだろう。
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またまたまた ポメラ

先日、ポメラのことについて書いた。

新しい機種で次のようなものはどうだろうか。電卓で太陽光発電パネルがついているものがある。ポメラにも太陽光パネルを付けられないだろうか。

乾電池で駆動する、ポメラは結構電池の消耗があるので、乾電池代はバカにならない。そこで、太陽光パネルを付けたポメラはどうだろうか。
しかし、太陽光パネルをどこに付けるかが問題だ。
ポメラの筐体の蓋になる液晶パネルの外側に付けると、ポメラを使っているときは、太陽光パネルは下向きすなわち机側に向くので発電がされなくなる。
また、鞄などに入れて持ち運ぶときにも、発電されないので、バックアップ電源が必要になってくる。そうなると、乾電池との併用にしなくてはならなくなる。
太陽光パネルは、ポメラの蓋に付けて、キーボードを展開して文字を打ち込んでいるときは、パネルを上向きに展開して発電させる方法は、構造的に複雑になる。

問題点。
・機構が少し複雑になり壊れやすくなるかもしれない。
・パネルが汚れて発電効率が落ちる可能性もある。
・前述したが、時計などのバックアップ電源の問題。日付メモのカレンダ機能があるので、バックアップ電源は必要だろう。
そのとき、ボタン電池でよいのか、乾電池2本いや1本でもよいかもしれない。
・電卓よりかなり電力を消費するので、パネルが結構大きくなり、値段も高くなるかもしれない。
・日中の、日差しのある窓際ならよいが、夜間に部屋の中での、電灯だけの明かりでの発電、耐えられるだけの電力が発電されるか。
・太陽発電パネルはどれぐらいの値段かしらにあが、価格がかなり高くなる恐れがある。そうなれば買う人がいるだろうか。
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五欲 五蓋

さきに五欲の戒めをかいたが、他にもわれわれの生活を乱すものがある。
仏教では修行の邪魔をするものが五つあると言う。それを五蓋という。五種の煩悩のことです。
貪欲蓋、瞋恚蓋(いかり)、睡眠蓋(心身のはたらきを弱め、ねむりこませる)、掉悔蓋(そわそわ落ち着かず迷っての揺れ動き)、疑蓋の仏道の修行をするうえで発心をさまたげるこの五つの蓋があるとされている。これらの気持ちがでてこないように、その心を制御して発心のさまたげるといり蓋を棄てないといけないとう。

・貪欲については、五欲で書いた通りであるから蓋をすることを心掛けなくてはならない。
・瞋恚については、一言でいてしまえば、「怒る」ことだが、単に感情的に怒るという意味でなく、自分の思い通りにならない事への憤り。自分の今の状況はあの人が悪い、社会が悪いという、妬みの憤りかからそれが周囲の人への憎しみの心の瞋恚です。この瞋恚により、来の自分の思考力が発揮できなくなり、判断を間違えてあらぬ方向へと突き進めてしまったり、物事や自分の考えている方向と違う方向に進めてしまう。
仏教では瞋恚というのは、三毒*の一つとされ、自分に対しても、周りにの人に対しても毒になるものです。
まさに、マンガなどで非常に激怒している人の背景を炎で燃えがらせている背景が描かれているのを見ることがあるが、それを瞋恚の炎(瞋恚のほむら)という。*三毒とは、貪欲・瞋恚・愚痴(愚癡)のことです。
瞋恚が継続し積み重なっていくと、いつかはこの妬み恨み憤りを晴らしてやろうと計略をするようになる、そうなればその相手に危害を加えることになる。そればかりか自分の穏やかでやすらかな心を作りだせなくなり、そして功徳が生まれてこなくなる。
在家の生活のなかでも、この瞋恚の蓋を棄てることが大切です。この瞋恚により日常生活で争いが起き、もめ事が起き裁判を起こしたり、喧嘩になったり殺人事件が起きたりする。国の中では紛争にないr、国家間で戦争になったりする。武力の戦争にいたらなくても、アメリカファーストのように国家間の外交がギクシャクしてしまう。
・睡眠は、人が夜に睡眠をとり明日の鋭気を得るための睡眠ではない。心の働きが朦朧として微睡むことにより、六つの知覚が閉塞し、眠っているうちに心の働きがコントロールできなくなり、心を覆い尽くしてしまう。まるで、大麻や薬物や脱法ハーブ・ドラッグもこの類といえるだろうから、これらは絶対によくない。だから睡眠に蓋をしなければならないという。また智者はこの睡眠が一番たちがわるいと言う。「眠を大闇となす、見るところなく、日日に欺誑として人の明を奪う、また陣に臨んで自刃間わるがごとく、毒蛇とともに室を同じゅうして居るがごとく、人の縛せられて将い去って殺されるがごとし。その時いかん、いずくんぞ眠るべきや」と。だからこの睡眠の蓋を棄てる必要があると言う。
このことは、在家の日常に生活にも言えることで、ものごとをするとき、ただだらだらと何も考えずに微睡みながらしていてはいけないという。
・掉悔は、まえの三つの蓋がなく三毒が、入れ替わり立ち代わりあらわれたり、三つが同時にあらわれたりして、心が揺れ動くことにより。悔いて自らを責めて憂悔することになる。「悔いおわってまた憂うることなかれ、まさに常に念著すべからず。まさに作すべからざるをしかも作し、まさに作すべくしてしかも作さず」と思い。どうして自分はこのような無意味なことをしてるのか、恥ずかしとの後悔が強すぎると、悔の覆蓋となり禅定の邪魔をするので、発心を妨げる掉悔蓋を棄てる必要があると言う。
・疑蓋とは、「これ見諦の理を障うる疑にあらず」といって、道理を明瞭に観察するための疑い邪魔する蓋ではない。むしろそれは明瞭成るようにすべきだ。ここでの疑は、自分を疑う、師を疑う、法を疑うことを指す。
自分を疑うとは、自分は無能な人間で修業してもしかたないと疑うこと。
師を疑うとは、自分の師匠を疑うと、このような人の教えについても何もならないと思うと、修行に専念できなくなるどころか、師を蔑んでしまうと修行自体もできなくなる。そして、法を疑うとは、仏法を疑うことです。

先日の、五欲とこの五蓋を棄てよは、仏道の修行だけでなく、現代の私たちの欲望の日常生活にも当てはまることではないだろうか。ホモサピエンスが20万年前にアフリカで誕生し、5万年前にアフリカを出て全地球に広がっていったが、この地球に棲んでいる他の多くの生き物を、虐げ絶滅させてきている。人類であるホモサピエンス以外の同類に人属で勝ち残ったのは、私たちだけです。なぜどのようになことで、他の種のヒトルイが絶滅したのかはよくわからないが。地球上の生命体でいま思うままに好きなように振る舞っている。それにより地球温暖化の気候変動が起きている。しかもそれを認めようとせずヘイクだと主張する人もいる。便利な生活をするために、見えないところで自然破壊や環境汚染が起きていることを知らないでいる。このままでいくと、今世紀半ばでこの地球は取り返しがつかないことになると主張している人もいる。この宇宙船地球号が22世紀23世紀と、運航が続けられるためには、この五欲と五蓋について考えるべきだろう。
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欲望と人間の驕り

現代の私たちは、特にアメリカや日本は、新自由主義と欲望の株主資本主義の世の中に、どっぷりと浸かって生活をしています。常に、あれが足りないこれが足りないと、不平を言って生活をしてしまっている人が、なんと多いことでしょうか。
それにより、自分の思い通りにならなかったら、不平不満を持ち愚痴がかりを口にしている。今のアメリカや日本はそうであるし、最近の中国もそのようになってきている。

新自由主義経済は、自己責任の競争社会で敗者は切り捨てられています。
欲望の株主資本主義は株の配当を会社に迫りることにより、会社の倫理感などは二の次にしている。そこには新規事業へのフロンティア投資という思いはなく、株の配当が少しでも多くを望み、その会社の社会奉仕や従業員の生活より少しでも多くの株の配当を要求している。

仏教には、修行を乱す五欲を戒めがある。
五欲とは、色・声・香・味・触のことでだが、在家にの五欲は、食・財・色・名誉・睡眠ともいわれている。
『摩訶止観』の第六章第弐節五欲を呵せ につぎのようにある。
・色欲は、いわゆる赤白・長短・明眸・善?(目+來(ながしめ))・素頸(しろきくびすじ)・翠眉・皓歯(しろきは)・丹脣、乃至・依報の紅黄朱紫諸珍宝物は、人の心を惑わす。
・声欲は、嬌媚・妖詞・婬声・染語・竹糸・絃管・環釧・鈴珮等の声なり。
・香欲は、すなわちこれ鬱?(くさかんむり+弗)・氛?(气+囚+皿)・蘭馨・麝気・芬芳・酷烈・郁毓の物、および男女の身分の香りなり。
・味欲は、すなわちこれ酒肉・珍肴・肥?(月+臾)・津膩・甘甜・酸辣・酥油・鮮血等なり。
・触欲は、すなわちこれ冷暖・細滑・軽重・強軟・名衣・上服・男女の身分なり。
そして、この後にこれらの欲を貪るのは、赤く熱した鉄の玉を素手で握るようなもので、煮えたぎった蜜湯を飲むようなもので、蜜を塗った刀を舐るようなものだとのべている。

そして、「この五欲は、これを得れども厭くことなく、悪心うたた熾にして火に薪を益すがごとく、・・・・」と書いてある。
欲望は限りなくまし、さらに欲望が含まると言っている。
私たホモサピエンスは、二足歩行をはじめたころから、あくなき欲を膨らませて今日の文明社会を築いてきた。それを、一概に悪として否定することはできない。しかし、ホモサピエンスが5万年前にアフリカから全地球の隅々まで、棲息を広げたころまではよかったが、それ以降、欲望により争いが激しくなっていき。現在わたしたち人間の個体数は70億を超え、地球の存続するら危うくするまでになってきている。
いまこそ、五欲のあり方を考えて、我々人間のあり方を見直すときではないだろうか。
おりしも、小さな小さな新型コロナウイルスが、全地球に広がり人間の驕りに対して警告を発しているようだ。
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東京五輪の延期は

オリンピックの延期や中止が議論されているが。

それぞれについて問題点を考えてみる。
中止すれば選手や関連団体やプレス関連者が使う施設や、観光客は宿泊施設の予約がキャンセルされ経済的な影響がある。また、今まで出場を目標にした選手たちの落胆がある。

延期にすればどうかというと、施設予約のキャンセルの問題は中止と同じです。延期にして半年や1年また、2年遅くすると、他のスポーツの国際大会などに日程と重なってしまうものもある。1年や2年延期にして開催するとしても、次のオリンピックは3年後あるいは2年後に開催するのだろうか。また、半年後や1年後では、練習や関連団体やプレスが使う施設がすでに他のことで予約がされていたなら、それを解約しなくてはならなくなる。いろいろ問題点が多い。

それらのことを考えると、延期にするなら4年延期にすればよいだろう。
つまり、2024年東京五輪 2024年パリ五輪 2028年ロス五輪とするのはどうだろか。

最近の五輪は、スポーツ選手の祭典ではなく、国策五輪のようになてきているので、なにならいっそのこと、五輪のあり方を全面的に見直し、各競技の国際大会にわけて行なうことも考えた方がよいように思う。

それか、高校野球や社会人野球のように会場を固定してしまう方法もある。日本の国民体育大会(以降 国体)のように、持ち回りでするのはもう時代に合わなくなってきている。国体が始ったのは戦後、戦争により荒廃した、地方を復興をするため47都道府県持ち回りで開催され、それにより会場周辺の道路が建設されたり、競技の練習施設などとして、学校の体育館などが整備されいった。しかし、国体は一巡して二回り目に入っているが、今後地方の人口減少などのことを考えると、いま新しい道路を建設しても、最新の設備が調った競技場を建て替えるにしても、その維持管理の経費をまかなえるのだろうか。

この国体により競技場など土木関連のもんだいは、世界の国レベルでも同じことではないだろうか。そう考えると、会場を固定すると、高校野球の聖地が甲子園球場と見られるよに、野球の聖地やサッカーの聖地や柔道の聖地といわれるところができるかもしれない。
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嘘つきはどうなるか

嘘をつき人を欺く者は、どのようにすれば救われるのか?。また、どのようなものが俟っているのか。

『摩訶止観 第六章 止観のための前方便 四懺悔して清浄ならしむ』次のようにある。」
もし事の中の重罪を犯せるは、四種三昧によるときはすなわち懺法あり。普賢観にいわく、「端坐して実相を念ぜよ、これ第一の懺と名づく」と。妙勝定にいわく、「四重・五逆は、もし禅定を除いては、余によく救うものなし」と。方等にいわく、「三帰・五戒、乃至、二百五十戒、かくのごとくに懺悔して、もし還生せざるは、この処あることなし」と。諸観音にいわく、「梵行を破せる人も、十悪業を作れるも、糞穢を蕩除してかえって清浄なることを得ん」と。故に知んぬ。大乗にはこの罪を悔することを許す。罪は重縁より生ず。還って重心にしたがって懺悔すれば、あい治することを得べし。殷心なくんば、徒らに懺するも益なし。障もし滅せずんば止観明らかならず。

嘘などをつく戒を犯した者は、ありのままを実相して懺悔することが重要となる。
そのあとに、悪を造る十の順流の心、それとそれに対しての十の懺悔の仕方が書かれている。
この、あらためてゆっくりと、十の懺悔の仕方と、悪を造る十の順流の心、について岩波文庫を読んでみよう、また図書館で池田魯參の「『摩訶止観』を読む」を借りて読んでみようと思う。


では、坐禅して実相を見つめ懺悔しなかったらどうなるのか。それは、仏教では地獄に落ちるといい、地獄には八つあるがそのなでも嘘つきはとりわけ、大叫喚地獄で鬼に責め立てられるという。

往生要集に次のようにある。(平凡社 東洋文庫 往生要集 源信 より参照)
第五の大叫喚地獄は、叫喚地獄の下にあって、広さは前の地獄と同じで、罪人の受ける苦しみの様相も同じ。前の四つの地獄とそれに付随する十六の地獄にうける苦しみを十倍にした重い苦しみを受ける。

 人間世界の八百年を一昼夜とする化楽天では、化楽天の寿命は八千歳だが、その化楽天の寿命をこの地獄の一昼夜として、地獄の罪人の寿命は八千歳となる。
この地獄に落ちるのは、殺生し、盗み、よこしまな淫欲を犯し、酒を飲み、嘘をつく者がこの地獄に堕ちる。地獄の鬼は罪人を責め叱りつけ次の偈を説く。
いつわりの妄語は、始めおそろしい火で 海原すら焼き尽くす
まして嘘つきの人を焼くのは 草木の薪を焼くよかのようである

大叫喚地獄は、この地獄の上に叫喚があり大きさはそれと同じだが、一切の責め苦は十倍重く、それにより劇しい苦しみに逼られて、大きな悲しみの叫びをあげてしまうという。
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電気について 02

原子力発電所で事故が起き、大量の放射線が大気中に撒き散らされると、広範囲が放射線物質で汚染されてしまい、そこで暮らしている多くの人がそこで生活できなくなる。
福島の事故により、広い地域に退避命令が発令された。その後住民が故郷に帰れるようにと、除染作業が行われて、次々と退避命令が解除されている。しかし、忘れてはならないのは除染作業をした労働者は被爆していることです。また、除染をしたといっても完全に除染された訳ではないと言うことです。
私は、現在帰還困難区域を解除されたところの、放射能の線量がどれぐらいなのか知らないです。
しかし、大量に汚染された地域を、労働者が自分のからだを使って、除染作業をしたということ、その中の多くのひとは通常の日常生活で浴びる、放射線線量以上の量を浴び被曝していることです。
そして、除染作業にあたったのは、原発事故を起こした東京電力の社員や、東電が雇用した労働者ではないというおとです。汚染地域の除染作業は国の責任でされてるが、国が直接雇った労働者ではなく、除染作業にあたった労働やは、ゼネコンが建設する土木事業と同じ労働者の集め方で雇われた日雇い労働者です。
そいて、そこでは恐るべきことがなされていることは、ニュースなどにはならず、私たちはそのことを知らないでいる。
そのことは、大きな問題だともいえる。私の知っていることを、時々書き綴ってみたく思う。

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電気について 01

私たちは、今日電気なくして、生活はできないと言ってよい。
家電製品を使うのには、もちろん電気が必要なことは、当たり前でだれでもわかることです。家で明かりを灯すのに、蛍光灯や発熱球やLEDの照明器具を使っている。
また、水道の蛇口を捻ると、水がでるのも電気なくしてでないのである。水がでるのは、上水道施設で水が浄化されている。浄水を作るシステムプラントを動かすのに電気が必要であり、各家庭に配水するためには、圧力をかけて配水管に水を送るために電気をつかっている。同じことはガスガスにもいえます。
また、いろいろな、情報を得るにはテレビやラジオのニュースを聞いたりするが、これにも電気が必要です。また、パソコンなやスマートフォンから情報を得るにしても、電気が必要です。また、私たちの日常製品を作るために、電気が使われていない物などないでしょう。

それでは、電気はどのようにして作られているのか、発電所で電気を発電するのだが。いろいろな発電方法がある、火力発電と水力発電と原子力発電が主力です、ほかの再生可能発電として、太陽光や風力や波力などが注目されだしている。
しかし、主力は始めに書いた三つです。火力発電には、石炭を燃やして発電するものや、石油や天然ガスなどを燃やすものもある。水力はダムを建設し水を落とす落差でタービンを廻し発電する。それと、原子力発電がある。
原理的には火力と原子力発電は同じ方法で発電する。水を沸騰させその蒸気でタービンを回して発電する。
では、火力発電で使う石炭や石油はどのようにして採掘するのであろうか。石炭は日本でも1950年から60年にかけて石炭が掘られていた。そこで働く坑夫たちの労働環境は過酷なもので、また、石炭の粉塵により時折粉塵爆発などがおき危険なものです。現代は、坑道を掘って石炭を掘り掘り出すのではなく、地表を石炭層まで剥いでしまう、露天掘りが多いようんだが、炭坑夫の過酷な作業と危険性は少ないが、地表を剥いでしまうので環境破壊はすさまじいものがあるでしょう。これは石炭に限らずほかの地中の資源を開発すると起きることです。
化石燃料の発電は、その石炭や石油を採るために労働者が危険にさらされたり、自然破壊がおおきる。
では再生可能エネルギーの発電はその装置の原料のおおくは、希少金属が多く使われ、これもその原料を掘り出すのに、労働者が危険にさらされ、自然が破壊されることを知っておくべきだ。

では、原子力発電はどうか、こちらもウランは希少資源だり、放射能と言う目に見えない恐ろしいものが発生する。
さらに、福島ような事故がおきなくても、通常の平時でも原発は定期点検などで、原発の現場での作業をさせられている労働者は、放射能を浴びながら作業をさせられている。しかもその労働やの多くは日雇い労働者で、それも電力会社の直接雇用ではなく、元請けの下請けのその数次下請けの労働者で、労働者の安全への責任はうやむやになってしまっている。

そのようなことを考えると、私たちは湯水のように電気を使ってよいものだろうか、少しでも必要のない電気を使わないで生活が出来るようにすべきではないだろうか。少なくとも、電気が日ごろ不自由なく使えるのは、石炭を掘り出す人がいて、炭鉱周辺の自然が破壊されていること、原発では被曝労働者が働いているから電気が供給されていることを知るべきだと思う。
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またまた、ポメラについて

ポメラDM100とポメラDM200とポメラDM30

ポメラとは、キングジムが販売している。テキスト形式文書作成に特化した、ワープロというか携帯用の文書作成記です。
文書作成は、文字入力しかできないです。文字を大きくしたり、書体を変えたりはできないです。文書を印刷するには、ポメラをパソコンとつなげるか、SDカードに保存しパソコンでそれを呼び出して、その文書を編集装飾してから印刷する。
このブログの文書もポメラで作成して、アップしています。

ポメラには、初代のポメラDM10から販売順に、DM15 DM20 DM100 DM200 DM30とあるが、私が使いだしたのは、DM20からです。
二桁のポメラはキーボードを折り畳むことができ、大きさは、岩波文庫大です、DM30は少し大きく、平凡社の東洋文庫大です

さて、その違いは、次のとおりです。
ポメラDM100には、国語辞典と英和辞典、和英辞典が内蔵さている。また二画面編集ができる。CSV形式でTXTファイルを保存でき読み込みもできるので、表計算ソフトとのデータ互換ができる。電源は単3のアルカリ電池

DM200では、辞書に類語辞典が追加され、二画面編集とCSV形式のファイルについては、その機能はなくなっている。アウトライン編集ができるようになっている。リチューム電池が使えまた、AC電源

DM30は、辞書はDM100と同じで、国語辞典と英和・和英辞典の三つ。二画面編集はできないが、アウトライン変種ができる。また、CSV形式ファイルが使えるようになっている。また、行数表示ができる。

ほかにも細かい仕様の違いがあるが、私が気になる点は以上です。

できれば、DM30の行数表示は、画面の見た目の改行
表示だけでなく、改行コードでの論理改行数がわかればありがたい。私は、DM200を持っていないので、こちらの改行表示はどうなっているかわからない。

ついでに、キーボードが壊れ廃棄したポメラDM20は、辞書搭載はなく、CSV形式のファイルの対応もなかった。
しかし、岩波文庫サイズでよかった。

また、全機種とも、カレンダー機能がついている。
月ごとの表示され、日毎に日記形式で文書を作るができる。保存は本体に保存するが、パソコンとつなげれば、パソコンで編集したり、パソコンで取り出して保存ができる。デジタル日記帳としても使える。
ポメラを起動させるためのパスワードの設定ができ。カレンダーの文書は、本体に保存されるので、日記の秘匿性を持たせるができる。ファイル名は、その日付の2020年3月25日なら、20020325.TXTのように保存される。


今まで電源が乾電池であることに、充分満足していたが、最近、図書館などの外出先で、資料を調べながらポメラを使うことが多く、電池の消耗もバカにならないので、コンセントからの電源が使えたらと思うことが多くなってきた。そこで、DM200はリチューム電池が使えまた、AC電源も使えるようなので、購入してみるべきかどうか思案している今日この頃だ。
しかし、キーボードがストレートタイプのDMの三桁シリーズ(二桁シリーズはキーボドの折り畳み式)の後継機がそろそろ出るのではないかとも思う。そうなれば、DM200が廉く売られる可能性がある。また、後継機仮称DM300?の新機能はどんなものがつくだろうか。

しかし、私としてはリチューム電池内臓ではなく、乾電池+AC電源が使えるのがよいと思う。そうなればDM200の投げ売り品や中古品より、新機種をかもしれない。
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ウイルスで思い出したこと

この、コビッド19による、世界中の混乱と、ニュースで映し出される各都市の閑散とした様子をみていると、カミュの『ペスト』の中で、オランの教会の神父パヌルーは、教会を訪れる信者たち対して、ペストを神の懲罰とみなし、人々に懺悔することを説いて、厳格な説教をおこない「皆さん、あなたがたは禍のなかにいます。皆さん、それは当然の報いなのであります」。と説いた。ことを思い起させる。

さらに、「今日、ペストがあなたがたにかかわりをもつようになったとすれば、それはすなわち反省すべき時が来たのであります。心正しき者はそれを恐れることはありえません。しかし邪なる人々は恐れおののくべき理由があるのであります。」と説く。

このパヌール神父のことばは、旧約聖書 出エジプト記 九章 10節にある「そこで彼らは、かまどのすすを取ってパロの前に立ち、モーセは天にむかってこれをまき散らしたので、人と獣に付いて、うみの出るはれものとなった。」から取ったものだと言われている。
モーセは人間の驕りへの罰だとして、かまどのすすをまき散らし、人と牛なその生き物を殺してしまう。
なんだか、福島の原発事故を思わせるが、それと同時に、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大をも感じさせるところがある。私たちの、現代の欲望を貪り食って、ホモサピエンスである人間は、多くの他の生命体である種を絶滅させ、地球の気候をも変えてしまうことにたいして、のモーセの怒りのようにも思える。

また、次の映画を見たことを思い出した。

草刈正雄主演『復活の日』小松左京原作の映画を思わせる。
詳しく覚えていないが、荒覚えのあらすじは次のよなものです、
原因不明のウイルスによる疫病が世界中に蔓延し、世界は医療崩壊をして人類は死滅してします。しかし、このウイルスは低温では生きのびられず、南極で観測していた各国の隊員は生存していた。だが、ワシントンに巨大地震が起きると予測されている。またソ連の核ミサイルの標的に南極の基地も含まれていることが分かる。アメリカに巨大地震が起こると、ホワイトハウスに備えてある自動報復装置がソ連からの核攻撃と誤認して、ソ連全土を核弾頭内蔵ICBMが爆撃し、ソ連自動報復装置も作動し、南極も爆撃されることが判る。そこで、草刈正雄扮する南極隊員がホワイトハウスの大統領危機管理センターへ侵入して、自動報復装置のスイッチを切る
このようなストーリだと記憶している。また、
このときの医療崩壊は病院のすべては、患者が押しかけ診察や治療ができない状態になっていた、また草刈正雄扮する隊員の看護師であるフィアンセは、手こぎ船で一人南極に行こうと、東京湾を出発するシーンがあった。ウイルスが脳に侵入し、冷静な判断を狂わしてしまうなど、他の弊害もあらわしていたように思う。
また、この映画はオイルショック以降だが、トイレットペーパーのパニックなどがの社会混乱はどのように描かれていたかは覚えていない。
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兼好法師「徒然草」九十七段

兼好法師「徒然草」九十七段に次のようにある。
その物に付きて その物を費やし損なふ物 数を知らずあり 
身に虱あり 家に鼠あり 国に賊あり 
小人に財あり 君子に仁義あり 僧に法あり 

岩波文庫の「徒然草」には、次のような荘子の言葉が添えてある。
(天下尽ク殉ナリ 彼レ其ノ 殉ズル所 仁義ナレバナリ
則チ 俗 之ヲ君子ト謂フ 其ノ、殉ズル所 貨財ナレバナリ
則チ 俗 之ヲ小人ト謂フ (荘子 駢拇編))

人の体にはシラミがつき人の体液を吸う、家にはネズミが米櫃の米を盗む。
国に棲みつくシラミやネズミやからは、国民の税金をむさぼり奪う者は、政治家や一部の官僚や、利権にむらがるムラ衆など。また、ゼネコンや、利潤を追求する大手企業などの利権利益を獲得しようとするロビイストたちのことだ。

*「荘子 駢拇編」の君子とは、すぐれた教養と高い徳をそなえた人格者のこと。国の主君ではない。また、小人とはその反対で、思慮が浅く修養が乏しく財を貪り身を犠牲にする人のこと。

なんだか今の日本をいや、アメリカなども「国に賊あり」「貨財に群がる小人」が、増殖してきているようだ。
新自由主義のもとでの、欲望の株主資本主義がつきすすみ、あらゆるものを呑み込み始めている。
庶民市民は、これにどうあらがうことができるだろうか。
しかし、庶民は日々の生活に追われてそれらを考える暇がない。しかし、富を貪る人はますますその機に乗じてますます力を蓄えている、危機的状態になっている。
そんなことだから、自然災害や疫病に対して後手に回るのだろう。
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「徒然草」百廿三段

兼好法師「徒然草」百廿三段には、次のようにある。

無益のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ひがごと)する人とも言ふべし。
国のため、君のために、止むことを得ずしてなすべき事多し。
その余りの暇、幾ばくならず。
思ふべし、人の身に止むことを得ずして営むむ所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つには過ぎず。饑ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、閑に過ぐすを楽びとす。
たゞし、人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁忍び難し。
医療を忘るべからず。
薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。
この四つ、欠けざるを富めりとす。
この四つの外を求め営むを驕りとす。
四つの事倹約ならば、誰か人の足らずとせん。

口語訳
役に立たないことをして時を過ごすのを、愚かな人とも、道理にあわない事をする人とも言う。
国のため、君のために、止むを得ずなすべき事は多い。
その余りの時間は、どれほども無い。
考えてみるべきだ。人の身に、やむを得ずして営む所は、第一に食う物。第二に着る物、第三に住む所である。
人間にとっての大事は、この三つに過ぎたものはない。飢えず、寒く無く、風雨におかさず、静かに過ごすのを楽しみとする。
ただし、人は皆病にかかることがある。病に冒されれば、その嘆き・苦しみは耐え難いものである。
医療を忘れてはならない。
この三つに加えて、薬を加えて四つの事を求めても得られないのを貧しいとする。
この四つが欠けていないのを富んでいるとする。
この四つの外を求め営むのを思い上がりする。
四つの事をつつましやかにやっているならば、誰が不足を感じるだろう。


兼好法師は、衣食住と医療の四つが満たされていたら、富んでいると言うのに充分だと言いい、それ以上を求めても満たされるものがあるだろうかと問う。
次のようなことばがある、「事たりる 足につけても 足らぬなり  足らで 事たる身こそ 心やすけれ」
しかし、今の現代の新自由主義と欲望の株主資本主義では、「足につけても 足るを求める」になている。
また次のような言葉もある、「遠く求るはかなさよ 譬えば水の中にいて 渇を叫ぶ如くなり 長者の家の子とたりて 貧里に迷うに異ならず」。白隠禅師の坐禅和讃です。現代の欲望の資本主義社会では、これらの言葉を聞いたこともない人が多くなっているようだ。

また、一方、いまの日本や世界に国々を見ていて思うことがある。
積極的平和主義の本当の定義は、平和の状況に加えて、衣食住と健康と福祉と社会保障を充実することだです。
しかし、この「積極的平和主義」の定義を真逆の意味の使う者がいる。
ある国では積極的に軍事力で平和を作りだす言い出したと言う国のリーダーがいる。この考えは織田信長や豊臣秀吉の天下布武の考えだ。ところが、ある国ではその力による平和を作りだすことを、積極的平和主義と言う国のリーダーがいる。
「力による平和主義」というリーダーの方がわかりやすく正直といえる。

これと同じように、積極的な心のやすらぎとは、この四つ目を加えたものだろうか。四つ目を疎かにして、前の三つだけを、貪り追い求めていていいのだろうか。健康・医療や福祉や社会保障を疎かにして、経済の効率ばかり追い求めていると、いまの新型コロナウイルスのパニックのような騒ぎになるのだろうか。日頃から、不幸率で金がかかるが、健康・医療や福祉や社会保障を大切にしていかないと行けないだろう。

兼好法師は
衣食住に加えて、医療を忘れてはならない、この四つで十分で四つの一つでも欠けると、貧しいという。
この四つ、があればそれを富んでいると言う。
それ以上を求めるのは、欲しがって飽くことを知らないことで愚かといなる。
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「摩訶止観」と「天台小止観」

「摩訶止観」天台宗の修行の根拠となるものを顕したものだが、乱暴に言えばこの「摩訶止観」の簡易版が「天台小止観」と言ってもいいかもしれない。
わたしは、高校のころ読んでみようと、岩波文庫の「摩訶止観」関口真大訳を買ってみたが、結局は数ページめくってみただけで、珍糞漢糞(ちんぷんかんぷん)だった。
同じ頃に「天台小止観」岩波文庫の関口真大訳も紐といてみたが同じだった。
20年程前に、大東出版社から関口真大訳の「天台小止観」を買って読んでみたが、手元にある岩波文庫と読み比べみると、ほとんど同じで文庫の訳を元にしてるものだった。
しかし、最近、「摩訶止観」を読んでみようとおもて、
「『維摩経』を読む」や「往生要集を読む」などがあるので、「摩訶止観を読む」のような本があるのではないかと調べてみたら、池田魯人參著の「『摩訶止観』を読む」が春秋社から出版されている。
近くにある図書館で、蔵書を検索してみると蔵書されているので、借りてみようとしたがすでに誰かが借りているので、早速貸し出しの予約してみようと思う。

なぜ私が、「摩訶止観」に興味があるかと言えば、それは座禅の要諦が詳しく書かれているからであり、座禅の要諦の一つは「呼吸法」だからです。意識して呼吸を調えてするのいは、単にどこでもよいから座して息をすればよいのではなく、呼吸法すなわち「調息」をするには、そこに入る前から、そしてその環境のそれと、呼吸の仕方がどんな知りたいからです。

私はいろいろ「呼吸」や「静座」などについている本をもっているが、一つ変わったのには、「音楽家ならだれでも知っておきたい「呼吸」のこと」という本がある。この本については、2011年7月にこのブログの「身体について書かれた本」で紹介している。

「天台小止観」を著した、知者大師 天台智顗は、進退極まった兄のため、「天台小止観」を顕したという。兄は、書かれている通りに、身心を調える方法を実践し、死の恐怖から打ち克ち、それにより身心を恢復し人生を全うしたという。この話を聞くと、白隠禅師の「夜船閑話」とよく似ている。坐禅をしていて重篤な禅病になり危篤状態になったが、白幽仙人に養生法を教わり、禅病を克服し臨済宗中興の祖と呼ばれるようになり、長寿を全うしたという。
これは、呼吸法の大切なこだとろう。私は、「摩訶止観」を顕した方が先で「天台止観」の方が後と思っていた。しかし、智顗は、「天台小観」は、坐禅について、簡略に書かれてすぎ未整理な部分も多いので、今度は、己の身をどう調えたらよいかを、かゆいところにも手が届くような内容を書いたそうです。そう知るとますます、一度この本を手に取って読んでみたく思った。

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緩慢なプロセスは必要

緩慢なプロセスは大切なことで必要なのか

現在、日本に限らずあらゆる国で、社会生活の維持のために、さまざまの努力と工夫がされいる。その中でアメリカと日本は欲望の株主資本主義と新自由主義のもとで、即決即断を美徳として、さまざまな施策が押し進められている。
そこには、様々な意見や考えを取り入れ、民主主義の手続きを踏むということが軽視され始めている。法に従ってといいながら、形だけの手続きを踏み、ときには今までの解釈を変更して進められている。
民主主義と全体主義や独裁体制との政治の違いは、何かといえば、民主主義は多様な意見を聞き入れながら、物事を決めていくので、その政治的変化の動きなどがゆるやかでおそいです。そのため、その措置や処置は厳しく行われます。
しかし、全体主義や独裁体制の政治では、トップダウン方式で、上意下達で物事をすましていくので、多様な意見を聞き入れないので、その処置などは、厳しくとわれずその判断は手ぬるく甘いものになりそこには、不正の温床となりやすいです。

いま、中国やロシアなどは、トップダウン式の政治で物事が決められていっている。しかし、世界中の多くの国がそのような政治を見習って、同じような形態をとろうとしている。日本もいまの自民党の安倍政権をみていると、行政は数の力で押し進め、また今までのルールと違うことをするには、解釈を都合のよいように変更してしまう。
そうなればもう法治国家とはいえない。

最近世界の国々でポピュリズムの勢力が広がってきている。彼らは既存の勢力とは違い、今までの立法権を中心にした考えを尊重しないでいる。既存の硬直化した政党がくみ取れない庶民の不満や不安を読みとりそこに訴えかけて、支持をのばしてきている。そこには、既存の人権尊重や、三権の権力の分立の原則を軽視し、情報操作や隠蔽をして公開の原則をも軽視してる。また、自らの主張に批判的な勢力やメディアを攻撃し、言論の自由に気を配ることをしない。これらの多くはまだ小さい勢力だが、それに対して対抗する政治家や政治学は、今までの論調では論破できないでるのも現状です。
これらポピュリズムが勢力をつけ巨大化し、独裁かしてゆけばどのようになるだろうか、今までヨーロッパで培われ築き上げてきた、民主主義はどのような方向に進むだろうか。

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監視カメラの新駅

東京の環状線である山手線に新しい駅が設置されたという、その名前は「高輪ゲートウェイ」だというが、この駅、最新のAI技術が使われている。駅の売店では店内に設置されている監視カメラで、客の出入りと商品棚からなにを取ったかを検知し、無人のレジでカードをかざすだけで支払いを済ませられる店があるそうだ。そのほかにも駅構内では監視ロボットがうろうろしていて、道に迷っていそうな人や障害者を検知して、案内したり駅の職員に通報・連絡して助けを呼ぶそうです。また数カ国を理解できるロボってが道案内をしたり、誘導してつれていってくれるそうです。

なんだか、便利なようだが、常に監視されているようなシステムが導入されている駅だ。

今後この高輪の駅のシステムがうまく機能するならば、これから全国の駅に使われていくだろう。そればかりだけでなく、人が集まる商業施設や、人の移動の多い道路や通路など、全国各地で使われるようになるだろう。
なんだか、今の中国の都市の監視システムが、日本の至る所に作られていくのだろうか。
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武漢の青空

中国武漢で発生した、新型コロナウイルスにより、多くの工場が操業を停止されている。それにより、武漢の空は今まで大気汚染がひどく、市内では青空は見えず、の先のビル見えないぐらいだそうが、工場が停止しているこのごろは、街の先の見通しがよく、青空がよく見えるといいます。
中国は世界の工場といわれ、そのなかで武漢は特に多くの外国の企業が工場を移転し操業しているちいきです。また外国工場に部品を提供している地域です。

私たちの現代の便利で快適な生活は、中国の工場から造られる製品や部品により、生み出されているものと言える。そのことを忘れてはならないです。このコロナウイルスが沈静化しても、先進国の便利で豊かな生活は、外国の知らない地域の犠牲の上で成り立っていいることを、いつまでも覚えておき、考えていくことが重要です。

大気汚染は日本でもかつて、中京地域の四日市や、神奈川県の川崎や兵庫の尼崎、北九州などの工場から排出される煤煙で青空が見えない状態でした。光化学スモックとよばれ学校では、野外での運動ができない状況になっていた。これは、日本だけでなく世界でもそうです、むかしは霧の都と呼ばれるイギリスのロンドンは、メキシコ湾流の暖かい海流が、ドーバー海峡で冷たい海流とぶつかって霧が発生するのだが、それと併せて工場からの煤煙により、スモッグが発生し、大気汚染がひどかたが、ロンドンでは地下鉄が走り、街路はガス灯がともされ明るく、当時はヨーロッパでも最先端の都市だった。また、未来派画家のレジェなどは、工場から勢いよくでる、煙を描いて、工場の近代化により躍動を描き賛美しています。私たちのこれからの現代をどう考えるか、それは繰り返しになるが、先進国の豊かな便利な生活は、工業の発展により自然を汚して成り立っている。そして利益を追求する現代の、欲望の株主資本主義により、ますます、他を犠牲にして生活をすることに加速がかかっている。

新型コロナウイルスの問題は、疫病に対するあり方を考えていかないといけないのと同時に、政治的な社会あり方がどうあるべきかを考えるべきだろう。カミューのアフリカのアルジェリアのオラン街を舞台にした小説「ペスト」。オランの街が封鎖された街で、しだいに市民は苦境の中で団結する民衆たちを描き、無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起されるいる物語です。生存を脅かす不条理にどうすべきか、我、反抗する故に我らあり。武漢や他の国の地域でも、街が封鎖されているところもあり、これらについて考えていきたい。

クルーズ船の自分の客室に閉じ込められたり、自宅での禁足令を課せられ事実上の軟禁幽閉状態な、不条理な状態に置かれた時に、それぞれの個個はどのように自我の尊厳をまもりたち振る舞ったらよいのか。
カミュは小説のなかで「個人がまもろうとする価値は、彼だけのものではない、価値をつくるには、少なくともすべての人が必要である。反抗に於いては、人間は他人のなかへ、自己を超越させる」(新潮文庫 以下同じ)
「個人を苦しめていた病気が集団的ペストとなる。われわれののである日々の苦難のなかにあて、反抗は思考の領域における「われ思う(コギト(ルビ))」と同一の役割を果たす。反抗が第一の明証となるのだ。しかし、この明証は個人の孤独から引き出す。反抗はす、すべての人間の上に、最初の価値をきずきあげる共通の場である。われ反抗す、ゆえにわれ在り」と書いている。カミュの反抗は革命的な相手を破壊する抵抗ではなく、行き過ぎに反対するものであり、コントロールしえなくなる前に引き返し、人間を破壊することから守ることにあるのではないだろうか。

この私たちの現代の豊かで便利な生活はどのような構造で、どのように成り立っているかを考え、そのシステムのありかたの正統性に疑問を持つきっかけすべきでしょう。

カミュは「ペスト」の最後に次のように書いて小説を締めている。
「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができる。部屋や穴倉やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るだろう」。

これは、戦争が繰り返し起こされるように、人間の驕りと傲慢さがあるかぎり、またわれわれ人類に天誅をあたへ、その驕りと傲慢さを誡めるよう警告を続けるだろうということだろう。
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

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記事へのコメント
  • 東京五輪の延期は
    アジシオ次郎 (03/25)
     おはようございます。

     東京オリンピック・パラリンピックは1年延期となったわけだが、新型コロナウイルスという道の猛威には勝てなかったというか、この状況で予定通
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    竹林泉水 (02/20)
    「桜を見る会」などを棚上げすれば、モリカケのようにうやむやにされ、日本の行政がますますゆがめれれていく。
    コロナウイルスの対処は別問題では?
    一所にすれば、両方と
  • 「無意味だ」ヤジについて思う
    幽村芳春 (02/19)
    「桜を見る会」の論戦はいったん棚上げにして、今国会ではコロナウィルスなどの防疫問題を論議してほしいと思います。
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    竹林泉水 (02/07)
    コメントありがとうございます。
    五観の偈をとなえて食事をなさっておられるのですか。 頭がさがります。

    企業活動や時の政権も、この「五観の偈」を、政治や商売に置き
  • 昨日の続きである、「カラクテール」から
    幽村芳春 (02/03)
    私も必ず「五観の偈」を唱えてから食事をいただいています。実際に唱えると五観の偈の意味がよくわかります。
  • 津久井やまゆり園の裁判
    竹林泉水 (01/15)
    こちらこそ 今年もよろしくお願いします。

    やまゆり園の裁判で、被告が突然暴れ出したとニュースされたとき、詳しいことが報道されなかったので、よく分からなかったです
  • 地球温暖化の問題点
    竹林泉水 (01/15)
    年始葬送のコメントありがとうございます。
    今年もお互いに良い年でありますようねがっています。

    ハイ 温暖化問題の解決の一番は、私は人間活動に足るを知ることだと考
  • 津久井やまゆり園の裁判
    アジシオ次郎 (01/13)
     遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

     さてやまゆり園無差別殺傷事件の被告に対する初公判は、開廷して被告が謝罪したと思いきや突然口に手を突っ込むとい
  • 地球温暖化の問題点
    荒野鷹虎 (01/10)
    温暖化問題は難解ですねー。
    直ぐ原発再稼働に走りがちになりますのでとんだ飛躍ですよねー。
    水力や風力発電はいかがなものでしょうかね。
    恐ろしいことが現実化されてい
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